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はてなキーワード: 明治時代とは

2024-09-16

国立大学国立専門学校にしたほうがいいんじゃないかな

基礎研究とかそういうのは、金がある国に任せればいいじゃないか。だいたい、研究養成したって、優秀な人ほど日本に残らないよ。

知ってる?アカデミアはほとんどの分野で中国トップ。金が全てなわけ。逆立ちしても勝てない。

それに、世界と戦える人材が、こんな給料が安い国にすみたがるか?

物価が安くて治安がいい老後に住みたい国であって、研究の本場でもない国に住まないといけないのか。

研究養成なんか無駄から大学実学教育に全振り、全部専門学校にしたらいい。教授陣は外国人を雇え。必要人材留学させろよ。明治時代みたいにり

知の追求は道楽なんだから、そういうのこそ私立が担えばいいさ。

2024-09-09

どのように犯罪量刑は軽くなるのか??

江戸時代

殺人 → 死刑

10両以上の窃盗 → 死刑

・1両以上の詐欺 → 死刑

放火 → 死刑

人妻に手を出す → 死刑

・娘を手を出す → 重追放

強姦 → 重追放、手鎖

幼女強姦 → 遠島

 

明治時代

資料がみつからねー

 

昭和時代

資料がみつからねー

 

なんなん?面白い記事書こうとしたのに!!

 

海外の例だと、刑務所がいっぱいになったとかで量刑は下がりがちだよね

2024-09-08

丸子宿のとろろを食べてきた

静岡市に転勤してきたとき、同僚が薦めてくれた丁子屋・・・は前に行ってきたので、今日は別のお店である

(丁子屋は観光客向けで、近隣の人はあまり行かないらしい)

土日は混むらしいので、予約をしておく

自分一人のために飲食店予約って恥ずかしいな。うるせぇ、それでもやるんだ。と一人葛藤してから電話を掛ける

「席はどこでもいいの?」と聞かれて、構わないと答える。見晴らしのいい席とかあるんだろうか。

慣れない下手くそ運転でお店に向かう。

バイパスを降りて、細い道を進む。「これはひょっとして一通の道を逆走しているのでは?」と不安になりながらもさらに進む。

やべぇ対向車が来た。泣きそう。寄せて停止。というのを3回くらいやるとお店にたどり着いた。

お店の前の駐車スペースが埋まっており、再度泣きそうになる。

見回してみるとお店の駐車場・・・?なのかな?というスペースがあったのでそこに停める。違ったら謝ろう。

ツクツクボウシがうるさい。暑い。お店に向かう。

名前を告げ、座席に通される。田舎の親戚の家のような落ち着く空間

定食でいいですか?」と聞かれる。

メニュー定食しかないと聞いてたし、お店の前にも書いてあった。それでも聞くんだな。常連には裏メニューとかあるんだろうか。

定食を待つ。他のテーブルの奥様達の談笑が聞こえてくる。楽しそうだ。

あれが有閑マダムと言う奴だろうか。そうかマダムは日曜にとろろ汁を召し上がるのか。そんなことを考えて待つ。

定食がやってくる。量が結構ある。。

ごはんとろろ汁もずく冷奴、たくあん蕎麦。あと、薬味ネギと一味。

「一味はそばにどうぞ」だそうだ。

それよりも、正しいとろろの食い方を教えて欲しい。まぁいいや適当に食べよう。

まず、ごはんをそのまま食う。よくわからんが、とろろに合うご飯なんだろう。単体でも美味い。

そんで、とろろをそのまま食う。出汁なのかなんなのか知らんが味がついてて美味い。

ごはんとろろをかけて食う。もちろんうまい

後は、よく覚えてない。かき込んだ。美味かった。腹いっぱい。

マダムたちもこの量を完食したんだろうか。すごいな。それとも俺の胃がいつのまにか小さくなったのか。

お茶を一杯のみ、お会計を済ませ、お店を後にする。

このまま帰るにはさすがに早いので、近隣をブラブラすることにする。

とりあえず、現在地から最寄りの道の駅的な施設に向かう。

あぁ、道の駅駐車場はやっぱ広くていいな。車を停める。

案内板を観ると、峠を往復する散策コースがあるらしい。所要時間片道20分。ちょうどよいのでコースに向かう。

なんか昔の歌人が歌に詠んだとかどうとか謂れがあるらしい。ちゃんと読んでないからよくわからん

歩き始めて数分で後悔する。ぬかるんだ山道だ。片道20分は嘘だろ。騙された。

汗だくになりながら、登る方向に石段を進む。スニーカーでくる場所じゃないな。足の裏が痛い。

誰も居ないので独り言ブツブツ言いながら進む。どっこいしょとかよっこらせとか言いまくる

見晴らしの良い場所にたどり着き、ちょっと休む。

息を整え、進む。今度は下りだ。小川に沿って石段を下る。

足がプルプルしている。明日筋肉痛だろう。

昔の人もこんな道を通っていたのか?馬とか無理だろ?と思いながら、進む。

何かしらの柑橘類の畑の脇を通り抜け、山道の終わりが見えてくる。

家族連れがテントを拡げて寛いでいる。川遊びに良い場所なのだろう。

地理いまいち良くわからんが、峠を越えたようだ。一安心

引き続き散策コースに沿って歩こうとする・・・が、コースの一部である明治時代だかのトンネル通行止めになっているらしい。

ショック。今来た山道を引き返す必要があるのか?と絶望しそうになる。

とりあえず、こちらにも道の駅的なものがあったので休む。

ついでに店員さんに聞いてみると、1号線のトンネルを使って帰ればよいとのこと。徒歩では通れないと思い込んでいた。一安心

アドバイス通り、1号線に沿って歩く。トンネル。本当だ、しっかりした歩道がある。知らんかった。

ただ、歩くには騒音が激しすぎる。とくに見るべきものもないので、足早に進む。

強いて言えば、暗号めいた落書きが気になった。保守工事の人の目印か何かだろうか。

出口が見えてくる。

トンネルを抜けると、そこは俺が車を停めた道の駅だった。異世界でなくて良かった。

疲れたので帰路に着く。

ラジオでは山下達郎と思しき何かが、何かを喋っている。何かで揉めてなかったかこの人。元気で何よりだ。知らんけど。

途中でスーパーに寄って、3割引きの団子を買う。甘いものが食いたい。

家に帰ったら、日記を書いてからコーヒーを淹れよう。インスタントだけど。

まり、何が言いたいかと言うと、休日は体をちょっと動かして美味しいものを食べるのがいいよ、という話。

2024-09-03

anond:20240902215013

お前は考えているつもりなんだろうが、バカなんだから黙ってろ。以下の理由人口維持はありえないし、明治時代程度の人口で十分だとわかっている。

1 医療技術革新で人の寿命は急激に伸びる

2 AIロボットで人手が要らなくなる

3 人口を維持するとエネルギー食糧、水が足りなくなる地獄

2024-09-01

anond:20240901111019

明治時代陰謀論に今も騙されてるだけの低脳ジャップオスさんより、アカデミックな主張してる女性の方がはるかにまともやんけ

2024-08-30

anond:20240829195553

物事解像度上がる程度にしか捉えてない。例えば皇居だけど、日本史やるまでは「天皇住んでんだへー」くらいにしか思わないけど、やったあとには「あそこは江戸時代から続いていてすげー!!明治時代から天皇住むようになって(以下略)」になるじゃん?

教養ってそんなもん。

2024-08-24

ウクライナ人Alex Kさんの思い出と、キリスト教の話

ゼロ年代インターネットには、Alex Kさんという日本語が堪能なウクライナ人がいた。彼は日本語ウィキペディアで、ウクライナに関する有益記事をたくさん執筆していた。ウクライナ語のиをすべて「ウィ」と表記した結果、「フメリヌィツィクィイ」みたいな記事名ばっかりになっていたが、これも彼の正確さを重んじる姿勢のゆえだと好意的に見ることはできる。

しかし、Alex Kさんウクライナ民族主義者であった。もちろん、民族主義者であっても良質な記事を書いてくれるなら問題はない。だから彼は、ウクライナ歴史上の人物や、都市や、教会についての記事執筆し、加筆し、あるいは修正のために議論した。そしてある日、ひとりの日本人編集者が、彼の書いたウクライナにある教会に関する記事修正しようとした。それが問題のはじまりだった。

話を150年ほど遡る。鎖国が終わり、自由キリスト教布教してよいことになったので、欧米人はこぞって宣教師日本に向かわせた。宣教のためには、現地の言葉で書かれた聖書必要不可欠である。だから宣教師たちは、それぞれが独自日本語聖書を作った。正教会宣教師だったロシア人の聖ニコライは、漢文の素養のある日本人に助けられながら、教会スラヴ語(教会で用いられる古風なスラヴ語)に基づいていかめし文体日本語聖書を作った。カトリックプロテスタントは、時代に合わせて聖書をよりやさしい日本語に置き換えてきたが、正教会聖書は、明治時代からその言い回しなどがほとんど変わっていない。結果として、正教会聖書は読みにくく、使われる語彙もカトリックとは異なっている。たとえば、こんなふうに。

正教会カトリック
主教司教
顕栄変容
生神女聖母
至聖三者三位一体
イイスス・ハリストスイエス・キリスト

これがいいかいかは、その人の価値観によるだろう。他の教会共通する用語を使うべきと考える人もいれば、独自伝統を守るべきだと考える人もいてよい。だがそれを決める権利日本人の正教徒しかなく、外部の者はそれを尊重すべきであるはずだ。

このようにキリスト教各派が使っている用語バラバラなので、日本語ウィキペディアでは、「各派の独自用語尊重する」というデファクトスタンダード確立された。たとえば日本政府は少し前までローマ教皇のことを「法王」と呼んでいたが、ウィキペディアではカトリック独自呼称である教皇」が採用された。カトリック教会が「主教座」と表記されていたときは、カトリック用語の「司教座」に直された。だからその日本人編集者は、2009年に、Alex Kさんの書いた記事にある「三位一体」「変容」を、「至聖三者」「顕栄」に直した。

ところが、Alex Kさんにはそれが気に入らなかった。ウクライナ語や英語では、当然ながらこのような区別存在しない。Alex Kさんは、「三位一体」は日本語の定訳なのに、なぜ「至聖三者」という日本正教会独自用語を使わなければいけないのか? と反論した。さらに、大部の国語辞典を参照して、「顕栄」とは立身出世するという意味であり、「変容」の方が教義的に正しい、とも主張した。これに対し、日本人編集者たちは次のように答えた。

  1. 日本語ウィキペディアでは、各派の用語尊重することになっている。正教会事物は、日本語ウィキペディアでは日本正教会用語に従って書かれるべきだ。
  2. 日本正教会があえて違う訳語を使っているのではない。歴史的経緯から各派がバラバラ訳語を使っているだけである日本正教会用語だけ特殊扱いするのはおかしい。
  3. キリスト教徒は日本において人口の1%程度しかいない。したがってキリスト教用語の多くは国語辞典に載っていないかキリスト教用語としての意味が書かれていないので、国語辞典基準にしてしまうとウィキペディアにおけるキリスト教関係記事の多くが成り立たない。実際に、Alex Kさんが参照している国語辞典の「変容」の項には「キリストの変容」という意味は書かれていない。国語辞典基準にするなら、まずAlex Kさんが推す「変容」からしてアウトではないか
  4. 仮に「一般通用しているか」を判断基準にするなら、ウクライナ固有名詞の多くはロシア語読みで書くべきということになるはずだ。Alex Kさんウクライナに関しては慣用表記ではなく当事者呼び方を優先すべきだと主張するのに、日本正教会に関しては当事者呼び方ではなく慣用表記を使うべきだというのはおかしい。
  5. Alex Kさんが振り回す辞典の「顕栄」の項には、「立身出世」のほかに「名があらわれ、身のさかえること」という語義も書かれている。キリストの「名があらわれ、身がさかえる」というのは教義的におかし表現とはいえないだろう。そもそも顕栄は漢語であり、「えある姿をす」と解釈できる言葉だ。Alex Kさん漢文を読めないのか?

このような反論Alex Kさんがきちんと応答していれば、もしかしたら有意義な論争になったかもしれない。だがAlex Kさんは、すでに論駁された自身の主張を繰り返すだけだった。あまつさえ投票に参加しなかったにもかかわらず勝手記事名を元に戻すなどの問題行動を起こした。最終的にAlex Kさん日本語ウィキペディアから出禁を言い渡され、現在のゆくえは杳として知れない。

Alex Kさんは何が気に食わなかったのだろうか。それはおそらく、日本正教会立ち位置にある。実は、日本正教会は完全に独立した教会ではない。日本正教会ロシア正教会の一部なのである

それの何が問題なのだろうか。日本カトリック教会は、全世界信徒を統べるカトリック教会地方支部に過ぎないではないか。それと同じように、日本正教会ロシア正教会支部であって何か問題があるのか? カトリック正教会組織運営上における最大の違いが、まさにこの点にある。カトリック教会は全世界組織ピラミッド状になっているが、正教会では各地にある正教会は対等な存在で、それらを統べる上位者はいないのだ。つまりカトリック教会が「世界政府」だとしたら、正教会は「国際連合」のようなものなのだコンスタンティノポリスの全地総主教あくまで同輩中の首席にすぎない)。

正教会において、国際連合における独立国のように振る舞うことができる教会のことを「独立教会(autocephalous church)」という。ロシア正教会ブルガリア正教会などはみな独立教会であり、対等な存在である。そして、国際連合に加盟する独立国の中にも自治区があったりするように、独立教会の内部にも自治を許された独自組織存在することがある。日本正教会はこのパターンで、教会内の人事は基本的日本人信徒神品聖職者)で決めているが、教会トップモスクワから承認を受ける必要がある。日本正教会は、少数派であるキリスト教の中でもさらに少数派で、文科省統計では人口1万人いるかいないかだ。小さな島が独立を諦めてイギリス領に留まることを選ぶのと同じように、日本正教会ロシア正教会から独立しようとしていない(というか日本だけじゃなく、そもそも東アジア独立教会がない。中国正教会ロシア正教会の傘下だし、韓国香港に至っては全地総主教の下の単なる府主教区であって自治権はない)。

まりウクライナ民族主義であるAlex Kさんにしてみれば、「日本正教会尊重せよ」というのは、「ロシア正教会尊重せよ」というふうに聞こえていたのではないか。なるほど彼からすれば、ウクライナ語では正教会カトリックとで同じ言葉を使うのに、ロシア正教会日本支部ではわざわざ別の言葉を使ってカトリック差異化しようとしている、と映ったのだろう(ウクライナには「儀式のやり方は正教会だが、組織としてはカトリック」という教会存在しており、かつてロシア帝国から激しく弾圧されたこからウクライナ民族主義の核になっている)。

しかAlex Kさんが見落としていたのは、日本正教会日本人によって運営されている教会、という点である。確かに教会設立ロシア人によるものだし、ある時期まではトップロシアから派遣されていた。だが日本人の正教徒自分たち教会組織運営するようになり、ここ半世紀は教会トップ日本人が務めている。しかも、日露戦争ロシア革命によって生じた反露世論によって痛めつけられた上での話であるロシア正教会が気に食わないというウクライナ人気持ち理解するが、逆風に耐えながら百年以上も信仰を守ってきた日本人信徒に対する尊重くらいは求めてもよいはずだ。

ところが、Alex Kさんが示したような日本正教会への侮蔑あるいは敵対は、残念ながらウクライナ人あいだにしばしば見られる。たとえばウクライナ正教会は日本支部を開設しているが、その神品であるパウロコロリューク(Павло Королюк)は、「生神女就寝祭」を「聖母就寝祭」と呼ぶなど、日本正教会用語法を意図的無視する姿勢を打ち出している。ウクライナでならば好きな用語を使えばいいが、あいにくとここは日本であり、日本正教会管轄である。郷に入っては郷に従うべきではなかろうか。また、コロリューク神父あるいは彼に近しい誰かは、日本正教会を侮蔑するツイート公然としている。まあ、こういうツイートウクライナへの共感が強まると思っているならご自由にされればよい。増田は、コロリューク神父はキリル総主教精神双生児なのだから、似た者同士もっと仲良くすればいいのに、という感想しか持てなかったが。

そもそもウクライナ正教会日本支部を開設しようという時点で「シマ荒らし」といえる。日本在住の正教徒基本的日本正教会聖堂に通うべきだからだ。とはいえ移民移民先に支部を作るのは米豪などでも問題になっているし、ルーマニア正教会も日本支部を築いたことがあるので、ウクライナだけの問題ではないのだが。根本的には日本正教会独立教会ではないのでナメられているのだろう。あるルーマニア人は「在日ルーマニア人が教会に行くのに、何でモスクワ許可必要なんだ?」と嘯いたそうだ)

さらに、一昨年開かれたホロドモールの犠牲者を追悼する合同祈祷式には、コロリューク神父だけではなく「日本における総主教代理であるアンブロシオス府主教」が出席していた。日本総主教代理とはどういうことか? 実は、全地総主教日本正教会自治権を認めておらず、韓国派遣したギリシャ人神品日本正教会トップに任命しているのだ。彼は韓国正教会トップでもあるので、というかそっちが本業なので、ふだんはソウルにいる。なるほど、ウクライナ正教会が全地総主教によって承認された関係上、全地総主教が認める総主教代理を認めねばならないという事情理解できる。だがそこでも、日本正教会日本人運営する教会だということは無視されている。明治時代からの由緒ある聖書を守り続けている日本人信徒がおよそ1万人いて、神学を修めた日本人神品が何人もいるというのに、ふだんは韓国に住んでいるギリシャ人日本正教会トップを名乗るというのは、日本人への侮蔑だとは思わないのだろうか?

ロシアウクライナ侵略が許されざる暴挙であり、ウクライナ人へのジェノサイドであることにはいささかの異存もない。プーチンプーチン盲目的に礼賛するロシア正教会のキリル総主教腹を切って死ぬべきである。Оккупанты, идите домой! だがそのことと、日本人が守り育んできた日本教会を軽んじてよいかということとは、まったく別の問題であるはずだ。ウクライナ人特にウクライナ正教会関係者は、日本正教会に敬意を払うべきだ。彼らはどんなに苦しい状況でも正教会信仰を守りぬいた人びとであり、彼らの培ってきた伝統尊重されるに値する。もしもウクライナ正教会がイイスス・ハリストスの教えを日本で守り広めたいと思うなら、まずは彼らの伝統に倣うことから始めるべきだろう。

ところで、ウクライナ語版ウィキペディアの「日本正教会」の記事には、次のような記述がある。

На відміну від католицької і більшості протестантських церков Японії, Японська православна церква не використовує усталеної в японській мові християнської термінології. З 19 століття вона розробила власний словник. Більшість термінів вважаються застарілими словами і малозрозумілі для сучасних японців[13].

この「注13」は次のようなものだ。これは英語版やロシア語版にはない、ウクライナ語版オリジナル記述である

Наприклад звичне для японської мови слово «Трійця» саммі іттай (三位一体, дослівно: «три особи одна суть»), що зафіксоване у провідних японських словниках, японські правослані замінили на сісей санся (至聖三者, дослівно: «найсвятіші три особи»). Ця заміна сприймається неадекватно, оскільки друга частина словосполучення — санся означає не лише «три особи», а й «третю строну» або «аутсайдера». Інший приклад — «Преображення». В сучасній японській мові для позначення цього слова використовується термін хенйо (変容, дослівно: «зміна образу»). Японська православна церква замість нього вживає термін кен'ей (顕栄, дослівно: «проявлення слави»), який в японських словниках тлумачиться як «стати заможним» або «вибитися в люди».

Alex Kさん! 生きとったんかワレ! 「顕栄」についての一方的解釈が健在なのを見てとても懐かしい気持ちにさせられた。さらに、「三者」は部外者というニュアンスもあるから、「「至聖三者」」はTrinityの正確な訳ではないそうだ。もちろんこれは日英露各版のどこにも書かれていない新発見である。確かに第三者」という語を思い出せば、「三者」に部外者という語義があることは明白だ。このウクライナ人編集者勉強熱心さには頭が下がるので、次はぜひ序数という概念についての記事を書いてほしい。しかし何より驚嘆すべきは、これほど独創的な日本語解釈が堂々とウクライナ語版ウィキペディアに載っているということだろう。ウクライナ人に向けて世界言語についての知識を広めようとするAlex Kさんの思いには頭が下がる。きっとそのような手法モスクワで身につけられたに違いない。いや、実にあっぱれ。<

2024-08-16

anond:20240816045740

個人的には、第二外国語自体必要だと思うけども、ドイツ語がそのリストに入っている必要はないと思う。

いやだってドイツ語、そんな重要ですか? 西洋史専攻で履修させるならともかく、全学で履修が必要ですか?

このへんはわかるよ? 政治的経済的にも、あるいは語学的にも必修にする意味はわかるよ? でもドイツ語ってさぁ……

ってなるじゃん! 明治時代の名残で残ってるだけで、現代日本には別に要らないじゃん!

全学の必修からは外して、トルコ語とかウクライナ語とかアイスランド語とかと同列の選択科目にすればよくないですか???

普通にドイツ語を外して他のアジア言語を必修にすべきなんだよな。特に東南アジアドイツよりも日本との交流が多いわけだし。フィリピン語とかインドネシア語とかベトナム語とかヒンディー語とかを必修に入れてドイツ語を必修の二外から外そう(提案)。

2024-08-14

家系図作りはいいぞ

背景

35歳独身。この増田を見て興味を持ち、家系図作成しようと決意する.

https://anond.hatelabo.jp/20240521221155



お盆実家に帰るし、その時に話のタネになるかなと思い、作成し始めたが.

作成する過程及び作って共有したことがとても充実していたので、共有する.

最寄りの市民センターに行く

2024年の春から、広域交付という制度が始まり、従来戸籍のある市町村しか発行できなかった戸籍が.

どこの市民センター市役所でも取得することができるようになった.

なので住んでいる近くの市民センターへ行き、家系図を作りたいので、遡れるだけ遡って戸籍を取得したいと相談した.

戸籍知識がほぼない状態でいったので、相手の言っていることが最初はわからなかった。

知っておくべきは、「結婚するまでは親(筆頭者)の戸籍に入っている」こと。

なのでまずは自分の親の戸籍請求して、次は親が結婚するまでに入っていた祖父母戸籍請求する、ということを繰り返す.

あとは広域交付では、戸籍係の人が戸籍データベースみたいのにアクセスして戸籍を探してくれるが、

戸籍を保持している市町村に毎回確認電話をしている模様。

1件1件電話するので、地味に時間がかかる。なので早い時間市民センターに行くべし。

養子縁組が多すぎる

家系図は馬の血統図のように単純ではなかった。兄弟存在もあるし、私の家系場合は、養子縁組家系が飛んでいることがとても多かった。

例えば、父方の祖母の家は富山松本という家であった。しか曽祖父戸籍をとってみると、曽祖父玉井という家から松本家に来た養子であり、

松本家の血筋はなかった。さらに高祖父(祖父祖父)である松本さんは、同じく玉井から養子で来ており、親子とも玉井家の養子であった。


また、母方の祖父秋田県佐藤という家であったが、曽祖父曽祖母ともに佐藤家に来た養子婿養子であり、佐藤家の血筋はなかった。


このように、昔は養子縁組が当たり前のように行われており、私の家系は割と旧家と呼ばれる家であったこから

家の存続のために、養子を取って子供を残すということがかなりあったようだ。

養子を出す先の家も、1回養子に出して終わりというわけではなく、時が経ち、養子元に子供に恵まれなくなった場合養子先の家から養子先の家に別の養子を出す、という

養子の交換のようなことが行われており、家同士が強い結びつきがあることがよくあった。

親戚と話して後ほど発覚するのだが、血のつながりがないと思っていた松本家は、実は昔の玉井家に養子を出しており、

5世代前: 松本家→玉井家に養子.

4世代前: 玉井家→松本家に養子.

3世代前: 玉井家→松本家に養子.

のようなことが行われており、養子交換を通じて実は松本家の血筋が生きていることが判明した.

歴史のような推理小説のような自分の話

このように戸籍を追っていることは、推理小説を読んでいるかのように、事実関係を明らかにしていく行為のようであり、とても楽しい.

さらに当時の家の関係性などを想像することができるし、さらに年配の親戚と話すことで答え合わせができるので、想像だけで終わらず、

文字で読んだ歴史再確認できるという妙な体験もできる

戸籍年代をみると、古くは江戸時代後期(弘化3年、1846年生まれの人の戸籍があった)、明治大正昭和と.

近代に相当する時代に書かれた文章を読み解くことになる.

これは歴史に相当する話であるが、自分先祖であるので、歴史の中に自分ごとが入ってくる妙な感覚がある

墓参りが楽しくなる

墓参りでは、自分物心付く前に亡くなった人のお墓をなんとなくお参りするイベントだと思っていた。

しか家系図を作ると、このお墓には○○さんが入っていて、家系図で言うとここの人物で、自分とどういう関係の人なのか、が解像度高く理解できる.

より先祖に思いを馳せて、お参りすることができる

祖父母や親戚とのご先祖トークが盛り上がる

祖母家系図を見せてあげたところ、この人とよく遊んでもらった、結婚式で顔を見た!、まだ生きててどこそこに住んでる、という生きた情報が聞けた.

自分にとっては紙面上の文字だけの人ではあるが、年配の祖母にとっては、思い出の中にいる生きた人物なのだ.

年寄りは昔話が好きだとよく言われるが、 若者がそれを聞いても普通面白く感じないだろう.

だけど自分必死戸籍を取って、明治時代の読みづらい文字を頑張って解読し、頑張って作った家系図を作った後には

その昔話がとても面白く感じるのである。これは端的に言えば、ご先祖に対する興味が格段に向上したかである.


さらには、祖母と一緒に、本家の跡を継いでいる松本家の親戚に家系図を見せてあげようということになり、本家に行ってきた.

本家の人に家系図を見せてあげると、実はウチも家系図を作ったことがあると言って、奥からパソコン作成した家系図が出てきた.

その家系図は、自分のように戸籍を取得して作ったものではなく、親戚から聞き取り調査を地道に行なって作成したものであった.

自分作成した家系図比較すると、かなりの部分は一致しているが、片方には載っているがもう片方に載っていない関係などが多数あり、お互いに補完し合える家系図であった.

ある種、答え合わせもできたし、本家の人しか知らない、戸籍では分からない情報もたくさん話すことができた。

普段話題がない年配の親戚の人とも話すきっかけにもなった

離婚した母の行方

母は私が小さい頃離婚している.

私の場合は、成人した後に母と連絡を取り合い、たまに会うことがあるが、

もし離婚した親の行方がわからなくても、自分と血が繋がった人であれば、現在どこに住んでいて、今誰と結婚しているか子供はいるのか、などが

戸籍の取得で簡単にわかってしまう。

親の戸籍を取得すると、離婚した際に除籍されて、その後どの市町村のどの戸籍に入ったのかが分かるのだが

それを追いかけていくと、何回引っ越していようが、現在戸籍まで辿ることができる

私の場合、母は離婚して神奈川県藤沢市で新しい戸籍作成して独り身になり、その後横浜市とある人と結婚し、子供が一人いることが戸籍から分かる.

もちろん母の家系も、戸籍を遡って取得することで家系図作成することができる。

母が亡くなった際には、離婚していても、子供相続が発生するので.

相続管理人になる人物は、母の戸籍存在した市町村全ての戸籍を取得して、前夫の子供として私の存在を知ることになるだろう.

今度母と会った時には、作成した家系図を持って行って、疎遠になっている母方の家族の話でもしてこようと思う

費用について

除籍謄本は1通750円です。私の場合、全部で20通取得したので、15000円かかった。

どこまで遡れるのか?

地域によって、除籍謄本の保存期間が異なる。

大抵、明治前半〜後半の戸籍まで遡ると、それ以前は廃棄しましたと伝えられた

戸籍に入っている人の生まれ江戸時代なことはありましたが、戸主の生まれは大体明治初期が限界だった。

自由研究にできるか?

中学生のいとこがいるので、自由研究として一緒にやろうかとも思いましたが、結構難しいかもしれない

まず本人が、家系図やご先祖に興味を持つか、やる気があるのか、という問題に直面する

さらには、未成年だと本人確認が難しいので、親権者が一緒に行く必要があるので、一人では戸籍の取得は難しい。

戸籍の専門知識や、昔の字の解読が必要なので、

基本的には親主導で戸籍を取得する必要がある。

親がやる気でも、結局親が子供の代わりにやった自由研究、みたいな感じになりそう。

まとめ

このように、家系図作成するというのは

歴史との対話であり、

自分ルーツを知る手段であり、

先祖に興味を持つためのきっかけであり、

家族や親戚と話すきっかけや話のタネであり、

戸籍に載っていないご先祖情報を知るための基盤であり、

墓参りするご先祖解像度を高めてくれる機会であり、

疎遠になった家族を探すツールであり、

作成中も、作成後もとても楽しい行いなので、皆さんも特にお盆の時期に家系図を作ってみてください。

2024-08-13

牛丼ってすき焼き簡単に食べれるようにしたものなんだよな

明治時代とかは牛肉がぜいたく品だったので手間がかかるすき焼きで食べるのが普通問題なかったんだが、現代では牛肉なんて一般家庭でも買おうと思えばいつでも買える。

からすき焼きもっと手軽に食べれるようにする必要がある。それが牛丼なんだよなと、このまえ自分牛丼作って思った。

そしたら後日松屋牛丼を食べたときに、これも自作牛丼と同様にすき焼き会社ランチだとかのサッと食事をとりたい場面で食えるようにしたものなんだと気づいた。

漫画『バキ』最強死刑囚編ではシンクロニシティという現象によって、世界各地にいた5人の死刑囚が同時に脱獄し、東京ドーム地下闘技場に集まるという偶然では起こりえない現象が発生している。これと同様に牛丼の『再発見』によって、偶然では説明がつかないことだが、日本中牛丼屋が同時多発的に牛丼カジュアルすき焼きに変えたのかもしれない。

2024-08-11

よいなと思う都々逸を書く。

ぬしのこのごろ顔向けせぬは 胸に焚き火でけぶいのか

丸い人でも油断はならぬ 角に差し込む窓の月

淀の夜ふねと いなかの芸妓 ひくと乗せるで夜を渡る

口も軽いがお尻も軽い それでも娠めば身は重い

ぬしが秋風吹かせる故に わたしゃくよくよ気を紅葉

わちきを狐という舌の根で ぬしは狸のそらいびき

石も焼けそな真っ昼中よ 声も煮えつくあぶら蝉

雪はこんこん けさふる狐 白く化けたる顔のし

花は散ってもあのさくらんぼ 跡へ残って二人づれ

蚊帳の籠城 枕のとりで 君の進撃待っている

松と言う字になりたい物よ 千歳別れぬ公(きみ)と木(ぼく)

明治時代新聞からサルベージしてきたやつなので著作権は切れてるはず

2024-08-08

anond:20240808085822

明治時代の1円は今の3800円ぐらいに相当するらしい

当時の5円は1万円近いといえる(2万近いが)

そのとき風習の名残なんだ(言葉としてご縁は変わらないので額も変わる必要がない)

もちろん円の話だから江戸時代にはなかったのだ

2024-08-01

昭和設定のラブコメものラノベ

ラノベの話で思い出した。中学生の頃にどハマりしてラノベ買いまくってたんやが、飽きてきて、友達と「昭和とか明治時代ラブコメ読んでみたいよな」って話になった。

昔の小説めばええやんって話じゃなくてね。平成初期はそれなりにあると思うんやけど。戦後の話がええかな。戦争の話は朝ドラお腹いっぱいやし。

今は、転生とか時代遡行流行ってるから扱いやすいと思うし、誰か書いてくれんかな。

2024-07-25

そういえばハチミツ精液混入男の事件で思い出した、「食器に放尿するのは器物損壊罪」の判例だけどさ

明治時代の古い判例だし自分はこの部分しか知らなくて、単にこの行為だけやったものしか思っていなかったんだけど

検索してみるとこの犯人、どうも強姦もやってるな…?旧字体なのでよく読めないけれど、「強姦」「猥褻 」「傷害」の文字が見られ、徳田蓮を想起させる

強姦罪については免訴されているようだが…。

どうも前後関係がよく分からないんだが、この犯人は徳利とすき焼き鍋に放尿し、飲食店でそこにいた女性の首を締めて股間に手を入れ押し倒した、らしい。

徳利とすき焼き鍋に放尿したのも同じ店での出来事なのか?

単に嫌がらせ愉快犯かのように思われた行為性的意図が含まれていて、長らく罪名が不適切だった可能性。

食器に放尿はそれ単品でも十分悪質なんだけど、やはり性犯罪とは切り離せないのでは?

この事件場合強姦罪・強制わいせつ罪でも起訴されているようだから器物損壊罪での起訴徳田蓮の場合よりは適切だったのかもしれないが。

強姦器物毀棄猥褻傷害ノ件

https://jahis.law.nagoya-u.ac.jp/hanrei/docs/keiroku_15-0452

2024-07-21

江戸時代から明治時代になった時には

侍はすでに戦国時代も遠い昔で戦闘経験もろくにない感じだったか

武装解除簡単だったのかな?

2024-07-11

anond:20240710182836

千葉もだいたいそんな感じ

うちの実家の周りではスタバショッピングモールも歩ける範囲には無いが

郷土史もよくわからない。明治時代陸軍駐屯地があって、その名残で今でも習志野演習場とかあったりするが、土地としてはよくわからない

今は都心あたりに住んでるけど、このあたりの郷土史はかなり面白い。色々古い本を集めたりしてる

2024-07-10

anond:20240710110259

もんじゃ焼き文化盗用やで

原型は、安土桃山時代千利休が作らせた「麩の焼き」がもんじゃ焼きの原型と言われています。 それを起源として餡を巻く「助惣焼」が生まれ東京大阪で大流行し、それからもんじゃ焼き」と「どんどん焼き」が明治時代に生まれました。

2024-07-06

anond:20240706072541

夏目漱石は本人が坊っちゃんだし、妻がドイツ語官僚の娘

明治時代だしユダヤ系米人混ざってそう

黒船来てから1968年まで15年余で混血児どのくらい増えたろう

明治9年まで成人年齢15歳だし

二世官僚もいただろう

2024-07-03

anond:20240703193349

伝統がどうたらこうたらってのは、元を辿ると明治時代に発生した文化だったってのは多いし、下手すりゃ演歌みたいに戦後以降の文化がなぜか伝統文化みたいな扱いにされたりしてるから

2024-06-29

[]

ゟは「より」と読み、「よ」と「り」という2文字を組み合わせてできた合字です。

合字(ごうじ)とはデジタル大辞泉によると、以下のように載っていました。

合字:ふつう2字の漢字仮名などで書き表す語を1字で表記する文字古文書漢文訓読文などに使われた。

このゟは明治時代以前は頻繁に使用されていたよう。手紙差し出し人や起点を説明するときに使われていました。

山田太郎ゟ」「東京駅ゟ徒歩10分」といった感じです。

2024-06-27

anond:20240627091358

増田のオネニーチャンは明治時代トー横の地雷ファッションをしていたのか

それは今以上に世間からの風当たりが強かっただろうなあ

2024-06-22

anond:20240621190236

立ち退きに応じない昭和期のボロ家が文化かぁ?

明治時代からある建物とかなら分かるけど

そういう奴が存在できる環境文化を保存しているという意味

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