はてなキーワード: 異邦人とは
当たり前だよね。俺らが日々の生活に忙しいのと一緒で海外の人間だって生きるの大変なわけ。
ていうか自分の生まれた町から出たことありませんなんて人間も未だに結構いるのよ。
でも異邦人として暮らす自分は文化の違いをヒシヒシ感じる。感じるんだけどその衝撃は現地人は興味ないし100%伝わんない。それを的確に伝える言語力を完璧に備えてる人ばかりでもない。
だってさ、俺らが外人から「日本のウォシュレットがすごい!」とか「日本は礼儀正しくて素晴らしい!」とか言われてもせいぜい「へーありがとね」くらいのもんでしょ? ウォシュレットは確かに海外から帰るとほんと感動もんだけどね。
そういうわけで出羽守は日本語を分かってくれる、自分の感じたことを100%で受け取ってくれるXとかに逃げるしかないわけだよ。結局日本人のことは日本人が一番興味あるからさ、ついでに自分の微妙な寄る辺なさを日本貶しで埋め合わせすりゃ気分も紛れるというもの。その寂しいルーチンを繰り返して行きすぎるとああいう出羽守になるわけだね。逆にしっかり現地に根を張って自分の人生を生きてる人はああいう出羽守みたいなことは言わないよ。第一現地の暮らしが忙しいからね。
あとさ、「アメリカ人の友達が/夫が/同僚が、日本人ってなんで◯◯なの?」って聞いてくるやつ、あれ全部嘘だから。
ポリコレ全盛である今のアメリカで人種を一括りにする発言はタブー中のタブー。まともな社会人同士でそんな話になることはありえないよ。ていうかあっちの会社は白人も黒人もインド人(めちゃくちゃいる)も一つ屋根の下で働いてたりするから不用意にそんな発言できないんだよ。
もしそれを真正面から言われるとしたら、はっきり言ってそれは相手にナメられてる時だね。俺がそういうこと言われたのはウォルマートでラリって一生独り言つぶやいてる黒人に絡まれた時だけよ。
曲目
Google翻訳のアプリを利用して画像から文字を取得したため、曲名、歌手名が正しく表記されていない場合があります。
蒼い星くず 加山 雄三
青葉城恋唄 さとう 宗幸
アケミという名で十八で 千 昌夫
あざみの歌 伊藤 久男
あじさいの雨 渡 哲也
あの鐘を鳴らすのはあなた 286 和田 アキ子
雨 1256 三善 英史
雨の御堂筋 欧陽 菲菲
逢わずに愛して 内山田洋とクール・ファイブ 13
22 小柳ルミ子 漁火恋唄
射手座の女 敏いとうとハッピー&ブルー 232 愛しき日々 堀内孝雄 40
命の花 大月みやこ 383
祝い酒 坂本冬美 26
455 門脇 陸男 祝い船
ザ・ピーナッツ ウナ・セラ・ディ東京 355
松原のぶえ 461 男なら
おもいで酒 小林幸子 195
想い出の渚 ザ・ワイルド・ワンズ 199
お嫁においで 加山雄三
松原のぶえ 305 おんなの出船
悲しい色やね 34 上田正樹
がまん坂 18 北島三郎
北の漁場 41 北島三郎
京都の恋 196 渚 ゆう子
くちなしの花 462 渡哲也
圭子の夢は夜ひらく
369 藤圭子 恋あざみ
高山厳 152 心凍らせて
343 森山良子 この広い野原いっぱい
伊東ゆかり 197 小指の思い出
酒よ 36 ジジサン
さざんかの宿 大川栄策 88
サチコ ニック・ニューサー 481
里がえり 嶋三喜夫 1278
435 河島英五
田端義夫 483 十九の春
大橋 純子 155 シルエット・ロマンス
ジジサン 90 酔った歌
杉良太郎 47 すきま風
60 谷村新司 1 森田公一とトップギャラン 若者 小林幸子 1280 雪泣夜(せつないよ) 小柳ルミ子 48 瀬戸の花嫁 森進一 1281 セビアの雨 ジローズ 7 「戦争を知らない子供たち 平和勝次とダークホース 360 宗右衛門町ブルース 北海道民謡 1561年 ソーラン節 内山田洋とクール・ファイブ 2 そして、神戸 49 五木ひろし そして・・・めぐり逢い 布施明 50 そっとおやすみ にしきのあきら 187 空に太陽がある限り 増位山太志郎 283 そんな女のひとりごと 増位山太志郎 157 「そんな夕子にほれました 上田正樹 301 たかこ 真木 柚布子 1282 黄昏のルンバ
トワ・エ・モア 480 誰もいない海
三船和子 198 だんな様
五木ひろし 442 契り
敵は幾万 1570年 軍歌
時の流れに身をまかせ テレサ・テン 63
和田アキ子 160 どしゃぶりの雨のなかで
内山田洋とクール・ファイブ 191 長崎は今日も雨だった
ザ・タイガース 164 花の首飾り
165 はしだのりひことクライマックス 花嫁
167 佳山 明生 氷の雨
釜山港へ帰れ 67 渥美次郎
ブルー・シャトウ 169 ジャッキー吉川とブルー・コメッツ
箱崎晋一郎 抱擁 142
北海道民謡 北帰行 365
骨まで愛して 大泉逸郎 96 孫
75 北島三郎 まつり
坂本九 83 見上げてごらん夜の星を
伍代夏子 441 水なし川
渡哲也 51 みちづれ
シャオ・リンシュウ 419 昔の名前で出ています
香西かおり 260 静けさ
藤あや子 377 むらさき雨情
やっぱすきやねん やしきたかじん 84
山 北島三郎 378
雪の進軍 1575 軍歌
夢追い酒 76 渥美次郎
夢の夜 181 南こうせつ
きょうは繰り下げなし
ケーブルテレビSTBでは見られない場合が多いようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
01.07
白:福手達晴@岐阜47
・かかしとどさんこ
・02 エルヴィス・プレスリー
・03 岩手(県
・05 仲邑菫 なかむらすみれ
・07 モンチッチ
・09 [近似値]171万6,761(人
・11 ワシ
・13 [3択]1(番
・14 山部赤人 やまべのあかひと
・16 3 60万円
・18 スキャット
・19 千鳥足
・20 3(人
・21 前島密 まえじまひそか
・25 浜松(市
・29e 膵臓 すいぞう
国立〜三鷹が似てるって言うけど、わりと個性があるんじゃないかな。生まれ育った身近な環境だからこそ見えないものがあるのかな。まあ確かに武蔵小金井/東小金井/武蔵境は駅名も駅付近の雰囲気も似てるかもしれん。駅名はともかく、雰囲気が似てしまうのはディベロッパーのビジョンの無さが悪いと思うわ。
国立は一橋大のある学園都市で、かつ多摩地区屈指の高級住宅街でもある。ただ、線路沿いを歩くとわからないかもしれない。線路から少し離れると豪邸がたくさんあって高級車が並んでる。
国立駅前には大正時代に建てられた貴重な木造駅舎が修復されて復元されている。市の予算でやったらしい。誰でも無料で入ることができて、人々が休んだり待ち合わせしたりしてる。原宿駅は復元しないのかな。渋谷区民はどう思ってるんだう。
国立駅から西国分寺駅方面に向かう線路沿いにも、沖本亭という昭和初期に建てられた屋敷が現存している。最近カフェとして営業しているので、建築に興味がある人はぜひ行くといいと思う。
久保田早紀さんの異邦人という歌は国立駅前の光景を歌っている。増田は全く世代ではないけど、今聴いても色褪せない不思議な歌だと思う。あそこでうたわれてるような憩いの光景がずっと残るといいなと思う。
国立駅の北側は南側みたいにデザインされた街ではないけど、鉄道総研があって、新幹線ひかりが開発された街として有名。それにちなんで街の名前を光町に変えたらしい。0系後継の試作として作られた951形が展示されてる。あとその近所にラーショがあるんだけど、ラーショの中では一番美味いと個人的には思う。
国立駅と西国分寺駅の間には、武蔵野線支線の出入り口がある。運がいいと貨物列車が地下に潜っていくところを見ることができる。鉄道輸送の意外な要所。貨物列車には一般人は乗れないが、国立駅からむさしの号というやつに乗ればこの地下には潜ることができる。ちなみに増田は甲種輸送?だか配給輸送?だかのスーパービュー踊り子が地下からグワッと出てくるところに偶然出くわして、めちゃくちゃ興奮した。撮り鉄はなんであそこ狙わないのかな。国立駅で駅員に叱られてるのを見るたびに不思議に思ってる。
西国分寺駅はちょっと面白い構造をしている。国分寺周辺はハケと呼ばれる丘陵地帯になってるんだけど、中央線はそこを東西に掘削して開通している。丘陵の上を南北に走る武蔵野線がここで中央線を跨いで直交する。西国分寺の駅舎は丘陵の上(武蔵野線の高さ)にあるため、中央線では珍しいホームが改札より低い位置にある駅ということになる。
西国分寺駅と国分寺駅の間は野川という川が流れていて、そこだけ丘陵を削るようにグッと低くなっている。水源は線路北側の日立の敷地内にあるらしい。川を下って調布の方まで行くとオイカワや夜はナマズなんかが釣れるとのこと。
西国分寺からすぐのところには、都内に2つしかない都立図書館の片方がある。ここではあらゆる雑誌が読める。地方ではとても望めない圧倒的な贅沢。それと、ちょっと南側の方に行くと多摩総合医療センターというクソデカ総合病院がある。こういうのがある地域ってのはほんとに恵まれてる。
それと、武蔵国分寺跡という史跡がある。付近は公園になってて、小春日和や秋晴れの日にこの辺りを歩くとなんとも言えない良い気分になる。歴史の趣というか諸行無常感みたいなものを感じるし、それに対して昔から変わらないであろう草木の臭いとか小川の音がいいんだろうな。色んな想像が広がるし、逆に頭の中空っぽにもなる。
国分寺駅周辺は古き良き中央線の猥雑な雰囲気が(なんとか)今でも残っている。村上春樹が若い頃にジャズ喫茶をやってたこともあってか、今でもジャズ喫茶だったり中古レコード屋だったりがちょっとだけある。こういう街の空気感はこれからも失われないでほしいけど、難しいだろうな。
国分寺市の際立った特徴として、大学進学率が90%を超えているらしい。全国平均は50%とかで頭打ちしてるはずだから、凄い外れ値だ。たしかに早稲田実業とかあるけど、なにがそんなに国分寺を勉強熱心な土地柄にしてるのか不思議。
武蔵小金井/東小金井/武蔵境は似てると書いたけど、そういえば武蔵小金井にはラーメン街道というのがある。その名の通りラーメン屋がたくさん軒を並べてるんだけど、正直おすすめの店は特にない。あと、ラーメン街道ではないけど、大勝軒の新しい一番新しい分派の武蔵小金井大勝軒というのができていたりする。
そんなラーメンが盛んな武蔵小金井に対して、東小金井と武蔵境は油そば屋が多い。油そばの発祥の店の珍々亭が武蔵境にあって、そこから広まったらしい。ただ、油そば発祥の店には別説があって、それは国立にある三幸という店なんだけど、国立に油そば屋専門店は全く無い。この違いはなんだろうな。この三幸の油そばはかなり美味いのでおすすめ。
つらつらと書いてきたけど疲れたな。三鷹以東とか、高尾〜立川とか、青梅線沿線とか、まだまだ色々あるけどもう終わりにするか。明日も仕事だしな。
最後にひとつだけ、東京農工大の馬術部が売ってる馬のLINEスタンプがおすすめだから馬好きな多摩地区民は買おう。中央線から見えるあの馬たちだ。
みほなっちがGALS!や龍王魔方陣を令和になって描いてるのを見ると、
ありなっちも時空異邦人KYOKOをもう作者の後悔や悲しみのないようにリメイクで描いてくれんかな新連載してくれんかなって思う
ありなっちは今はアイドリッシュセブンに夢中よな
KYOKOの不完全燃焼感がすごい
最終回のシナリオ好きなんだけど、途中のストーリーのとばしっぷりが悲しい
丁寧に描いていればふしぎ遊戯レベルの名作がこの世に誕生していたのに
KYOKO連載中にジャンヌファンにいくら叩かれても「私は私の描きたいものをかく!!単行本の売上げだって、りぼんのアンケートだって結果はいいんだし!!」と自分を突きとおしてほしかった
公開当初、劇場で見て細田守を見限った作品(大好きな監督からサマウォ以前が好きな監督へ)。でもおかげで未来のミライをフラットに受け流すことができた恩人(恩作?)でもある。そのバケモノの子を7年ぶりぐらいに見ることにした。もちろん酷評となるが、さんざ言われている人間界不要や監督の家族観とかとは違う部分を書こうかと思う。
改めて見た率直な感想がこれだった。
OPのCG、でいいのかな。炎のシルエットで描かれる演舞はとても素晴らしくて、後を知ってる2回目視聴ですら否が応でも期待が高まる。カンフー映画のようなケレン味のあるアクションが味わえるのでは、と。
しかし今作の大きな格闘と言えば鍛錬を除けば序盤と終盤の熊(熊徹)と猪(猪王山)(面倒なので略す)の2回のケンカぐらいだ。そして悲しいかな、これが見ていてさほど面白くない。二人の戦いは剣術はもとより、相撲や闘牛やボクシングといったようなもののオマージュのような動きが散見される。これが良くなかった。自分としては当初これら齧ったようなエッセンスの動きは小手調べだと思っていたのだが、実はまっとうな戦いの組み立ての範疇だったように思える。それの何が悪いって、二人に軸がなくなってしまったことになる。
古典カンフー映画のようなアクションを期待していた身としては、やはり「流派」は大事だったと思う。違う流派あるいは同じ流派の者が対峙して技を競う。それぞれの特徴的な動きの差異が画面に映えるのだ。それこそスターウォーズだってやってる。バケモノの子だと(恐らく)正統派の武術を扱う猪と、師匠も居ない独学の熊との対決で、実に映えやすい。ところがそういうのは確かに所作に現れているものの、お互いあちこちからちょいちょいとつまみ食いした動きにしてしまったためにもう、流派のぶつかりもなにもない「ただのケンカ」になってしまった。もっと言えば観客が居るせいで「興行的スポーツ」。年末格闘技かのようなエンタメになってしまった。「バケモノ」の活かし方が体当たりなのもマイナスだ。
長年練り上げた鍛錬を披露する、思わず唸るような動きではないせいでもちろんナイスバトルも生まれない。
どちらが勝つかわからない。であるとか、敗者をも称える歓声が起きる決着。なんてものは生じるわけがなかった。次期宗師を決める神聖(かはわからないけど)な戦いがリスペクトも生まれない野次馬がたくさんいるケンカに堕ちていたのは残念でならない。
(負けた猪も勝者並に称えられていたら息子も闇落ちしなかったりそれでも闇に落ちる姿が強調できたりしたかもしれない)
九太の応援が余裕で10カウント超えている賛否多そうなシーンもルールが最重要な興行ではなく宗師を決める心も重要な要素の杓子定規でない神事として見ていたので許せたが、その後顔アップで剣を振り回すとかガッカリ。
その主人公の九太なんかも悲惨で、やはり修行以外ではまともに動かない。成長後の図書館のシーンで不良相手に鮮やかに立ち回るかと思いきや、得意の横長のレイアウトのパンを使いつつなんと画面外で音だけでボコるという手抜き。団子ラリーは好きだけどそれぐらいか。バケモノ界は闘争の世界ではないし、武術を習った主人公が人間をボコるのもよくないのは分かる。ただ素直に成長後九太で気持ちよくなれるシーンが欲しかったな。
直近の過去2作だけみてもキングカズマのOZ内移動含めた格闘やおおかみこどもの躍動感ある動きとかセンスは落ちてないはずなんだけどどうしてこうなったのかなあと不思議に感じる。
(剣が震えるところとかは好き)
熊の家を斜め上から見た図と家までの階段の坂道、あとは修行場の廃墟っぽいところ?バケモノの子はだいたいこのイメージ。あと市場か。
渋天街という異世界に居るのに街全体の引きの絵とかがほぼ無いからせまっ苦しい。ワクワクしない。主人公も視聴者も異邦人なんだから、街をそれとなく見せて欲しかった。たとえば熊とケンカして街中をバルクールじみて走り回る追走劇とかはどうだろうか。アラジンの冒頭みたいな感じで。坂の上下を生かすならコクリコ坂もよく時代の雰囲気を醸すことができていたと思う。
バケモノの子はとにかく「今どこに居るのか」がわかりにくい。賢者歴訪のシーンは渋天街に必要だった賢者の住む街の全景が描かれるが、それぞれ1秒未満ぐらいの一瞬しか映らない。振り返ってどんな場所に行ったかと思い出そうとしても難しい。結局思い出としては賢者の対面シーンと道中が繰り返される狭い印象になる。
絵作りができていないわけではなくて引きの絵も多くて背景もモブも全員書き分けるなど緻密なのだが、画面ごとにどうにもキャラクターが支配的で背景が薄味。乾燥地帯イメージな砂色なのがそう感じさせるのかもしれない。逆に夜や昼夜の境目などの暗さと光は非常に美しくて心に残る。
今作は「時空」の時間を重視しているのかと思う。九太の成長自体がそれでテーマだし、同じ場面で季節が流れるシーンや同じ場所が繰り返されるのも時間の流れが見て取れるので効果的だ。あるいはその犠牲で空間が少々ワリを食った形になったのかもしれない。
(季節が流れるシーンやミライの家の書き方は好きなので時間や密室劇的方面が悪いのではなくバランスかなぁと)
バケモノ界はたぶん全体的に武芸を修めることに重きを置かれると思う。そして武芸の強さが絶対の指標じゃなくて弟子を取るとかも重視されてる。熊ですら過去に弟子を取ろうとしたことがある。つまり剣術は人口が多そうだけど学ぶのは剣術の裏にある精神性とかかと。それで九太は賢者の話を聞いて強いっていろんな意味があるんだなと理解したわけ。じゃあ数ある強さの中で熊と同じ道で強さを歩むことを自覚的に選択しなくちゃならん。
当初の九太は選択の余地がなかった。家族を失って一人で逃げ出して置いておいてもらえそうなのが剣術家の熊んところだったわけだ。そこから8年過ごすわけだけど8年後の九太は人間界に重点されてバケモノ界のシーンがすくなるなる。だから8年間かけて(腕っ節以外に)身につけたものがあまり描写されず、思春期や父親周りの不安定さがフォーカスされていってしまう。九太の成長は物語の最後の最後に持ってくる必要があるのはわかっている。でも8年も経ったんだから自主的な強さの理解をお出ししないと漫然と表面だけ模倣していたことになってしまう。それも家庭内で父の真似をする子が似てきたっていうつっまんない閉じた話になっちゃう。
同じく家族を失って別の家庭に入り込む「三月のライオン」では主人公は明確に「将棋が好き」と嘘をつき、契約をして将棋で強くなり続ける代償を払ってきた。そんな主人公も将棋と向き合い続けてやっぱり将棋が好きで自分の意思で将棋の世界に居ることを選択する。成長には同じことをするでも「そうせざるを得なかった」という消極的選択から「それでもしたい」と一歩進む必要がある。
九太にそういった前進要素がないのは必然だ。だって最後は熊を「胸の中の剣」にする必要があるから。上手な二人の父子なら8年の中で教えることができただろうけどお互い不器用な二人ではそれができなかったんだろう。感動のラストのために。九太は親近感がわく普通の青年に成長した。心は普通程度にしかならなかった。武芸を通して技と体は鍛えられたが心の強さは(幼少期の気の強さの引きつぎはあるが)あまり感じなかった。物語の最後には九太は剣を置くことが語られている。胸の中の剣を手に入れて現実の剣を置くのは修めた感がある。最強の剣士が無手となりにゃむにゃむするかのように剣を置くなら悟り・理解を経てするが映えるというもの。でも九太はそんなに到達点に達してないし人間的にも彼女や熊の支えがあってようやくここからって印象の方が強い。そんな彼が剣を置いたってただバケモノ界から人間界に戻ったって記号でしかなかった。
センスが良くていい旅もさせてもらっていい教師も反面教師も居るなかで8年過ごして出来上がったのがただの思春期の不安定な青年って…。すこしも「強さとは」が染み入ってないのが残念なキャラだった。
なんなら熊とそれを見つける物語でもよかったけれど、最後は信頼・絆一辺倒で「父と子」をやっちゃったね。
尺不足…かなあと。もっとバケモノ界やアクションや九太の成長を描いて欲しかった気持ちがとても強い。そして何のせいで尺不足だというと人間界パートになっちゃう。結局、不人気の人間界パート不要論に収束する。ヒロインの楓は細田ヒロインの中でもとても好きなキャラなのだが…。
そんな感じで当時細田にはガッカリしたわけだけど宣伝だけみるとそばかす姫はそこそこドハデで楽しめそうな映画っぽいんだよね。受け流したとは言ってもミライのダメージもそこそこあってまだ見る気が起きないんだけど、評判はいいみたいだし。(変わらない悪い点もあるみたいだけど)
脚本雇えと一言で談じると楽だけどこうやって書いてみて自分がオタクすぎる気もする。ポストジブリなファミリー向けならちょっとクセがあるけどこんなもんなのかな。これが細田監督の味だとも思うから今後の作品も賛否が大量に出つつも売れて行くんだろうね。