はてなキーワード: モチベーションとは
今の職場には障害者がいるのだが、正直いないほうがいいなとしか思えない。
その人はヒラで誰でもできる雑用をたまにやっているがそれすらろくにできずに
係長が助けているのをよく見る。
そんな人でも年功序列で自分よりも高い給料をもらっいるのを知ったときに
嫉妬というか仕事がアホくさく感じてモチベーションが非常に下がった。
新卒なら2人雇えるくらいの給料を障害者に払う価値があるんだろうか。
大学4年の女。
焦るけど、まあ大丈夫だろうと自分では落ち着いているつもりだった。
昨日食事中に「友達が明日最終面接なんだって」と話をしたら、「皆頑張っているんだから」と父親がポツリと言った。
「私だって頑張ってるしー!」と冗談っぽく怒ったはずなのに、数秒後に視界がぐにゃりと歪み、涙がどっと溢れた。
「あれ?私そんなショックだった?割と前向きな方だったよね?」と疑問しかなく、それでも涙はずっと止まらなくて、嗚咽でまともに喋れない。
友達に就活の相談した時は別に泣くこともなく、寧ろ「ここがダメだったらまた説明会参加しなあかんのだるいなあ」と呑気だった。
自分では頑張ってるつもりだったのに、他人から頑張っているように見えなかったことが辛かったのかな。
精神的にぐらついてるってこと、意外と自分だけでは気付かないものなのかもしれない。
他にもしんどいことがあって、就職支援課の人から○○さん綺麗だから大丈夫だよ。銀行とか医療事務とかにもいそうだし。と何度か言われた。
就活はよく顔が良ければ…という話を聞くため、舞い上がるよりも先にプレッシャーの方が大きく、結局は未だ内定はないので、自分への自信もなくなった。
大きなお世話なんだよね。
1番に思うことは、働きたくないわけではない。
他の同級生の親と比べるとうちの両親の歳は上で、父親は定年を迎えている。
奨学金も借りているため、返済のために働かなければならない。
元気なうちに孫の顔も早く見せてあげたいけど、今彼氏は1年間いないし、アタックしてくれている人はいるけど恋愛どころじゃないし……
まだ卒論も手出していないし、卒業できるかも不安になってきた。
事務職志望だったがあまりに枠が少なく、やりたいことと違う職種を見ているためモチベーションも上がらない。
つらいなあ
職につく、という「やらなくちゃいけないこと」に対して逃げてるわけじゃないのに、それをやること自体が難しいってどういうことなの?
スポーツ用品メーカーの靴下履くようになったんだけど超良い。
大切なのは、使ってる靴下全部スポーツ用の靴下に変えてしまうということだ。
普段しないのにたまにやる気を出して適当な身なりで家を飛び出しジョギング。
そして即靴ずれ。
モチベーションが続かない。
そこで毎日履く靴下がスポーツ用だと、いつでも俺の突発的なやる気を受け止められる。
スポーツ用品メーカーならどこのでもいいと思う。大体ロゴ入ってるのが嫌だが。
HUNTER 面白くない増田に触発されて、キーボードを引き出した。
青春時代の長きを通して少なくない影響を、わたしの人生に与えた、かの名作。
今こそ、恩を返すときだ。そう息巻いて反論をしたためようとしたのだけど。
すでに三時間が経っている。HUNTER×HUNTER だけじゃない、感動したアニメ、けものフレンズとか、スレイヤーズとか、小説の三体とか、あらゆる芸術作品を思い出して、黙考に沈んだのに。
どの作品についても楽しかった気持ちは思い出せる。オープニングを聞き返すたびに、あのころの胸の高鳴りが戻ってくる。誰に腐されようと、同調圧力だなどと言われようと幸せだった思い出は消せない。
しかしそれでも。誰かに、なぜ面白いのかを解説してみようとすると、どんな言葉も出てこないよ。
わたしは、くだんの増田を努めて注意深く読んだので、彼の論説も、ほとんど「なぜ面白くないか」を説明していないのに気づいている。だらだらとモノローグが続いたから何なの? カタルシスの説明の必要性には詳しく言及するのに、作品の評価は、冗長すぎる・キャラが多すぎる、で断じるのみ。ゴミ、最悪だろ、と言うけれど、同意を求められても、最悪さの根拠は何ひとつ提示されてないでしょうが。
そうは言っても、なぜ面白くないかを言えてない、と文句をつけたところで、わたしが面白さを説明したことにはならない。
草葉の陰からルフィがひょっこり顔を出し、お決まりのセリフを言うだろう。何が嫌いかじゃない、何が好きかで自分を語れよ(※)。長い視聴歴の間で、エンターテイメントは心安らぐ時間を提供してくれたけれど、わたしは意味レベルでは何ら学ばなかったのか。何が楽しいのか。どう重要なのか。どんな風な意味を持っているか。語る言葉は何もなくて。心のヒダヒダにはごく個人的で漠然とした印象しか刻まれていなかった。空しさが募る。
とりあえず無料系のところでpythonだったりjavascript,html/cssを最後までやった(なぜその言語か→目についたからで特に意味はない)
一日5時間ぐらいIT系の勉強をしてたが、最近はやることがなくなってきて情報収集という名のネットサーフィンに時間が浪費されている。このままだと勉強のモチベーションが下がってしまうのでどうにかしたい。
こっから先どうすればいいのか。
N予備校など、有料系のところに入って進めるのが良いとは思う。
自分の楽しみを我慢して育児してブチギレて周囲に迷惑をかける人だったら
後者とは一緒に過ごしたくないんだが
まず、世の中が必要としているのは
自分の楽しみを我慢して育児しても周囲に当たり散らさない人が大前提であって
周囲に当たり散らしてるような人が「みんな私のこと必要でしょ!!」って言ってるのはひどい勘違いだと思う。
学生の時に理数系科目は大の苦手だった。
科目そのものは嫌いではなく、数式やその背景にある論理、仕組みなどは今から勉強して、学び直したいくらいの意欲はある。むしろ、今仕事としてやってることにも関わってくるのでやったほうがいい。
苦手になった背景は科目にあるというよりも、本来科目を教えるはずの理数系教師陣にあると言っていい。何故かは解らないが、理数系担当教師はとにかくハズレが多かった。ほぼ全員解答を間違えたり、少しでも気に触るような理由があると怒鳴り散らすのだ。時には定規で教壇をバシバシ叩いたりして暴力性を示して教室内で自分の権威を乱用してるだけにしか見えない者もいた。結果、理数系科目の時間が来る度に憂鬱になり、理数系を学ぶモチベーションも低下の一途を辿った。
最近は学校から受けてきたトラウマが薄れてきたことと、元々教室の外での分野的には理数系科目の方が向いていたということもあり、あやふやな学びをなんとかしようという気持ちから、ずっと苦手だった理数系と再び向き合いたい気持ちが湧いている。
学校という場所自体を否定するつもりはないが、私みたいな経験をして人生の大切な時間をトラウマに変えられてしまうくらいなら、学校で子供に何を学ばせるか議論するより、学ぶ場と学ぶ方法の選択肢の方を広げるべきではと思う。
別に何の言語でも良いけど、とりあえず自分が手を出せそうなpythonを題材にする
恥ずかしながら、Webアプリケーションの世界しか知らないから、有効な使い道が分かっていない
Pythonを使えば、スタンドアローンなアプリケーションも作れるし、コンソールベースのバッチも作れるって言うのは分かる
でも、自分が思い浮かぶサービスは、ブラウザベースのアプリケーションで事足りる
例えばwebページのスクレイピングをして、その結果を分析してユーザーが見たい形式で表示するアプリケーションを作りたいとする
軽く頭の中で設計すると、分析の要件定義さえ出来れば、jsとphpとWebサーバー周りをこねくり回せば大体作れるだろうな…っていう結論にいたる
ゲイはセックス時のポジションでタチ(挿れる方)、ウケ(挿れられる方)の2種類に分かれる。
どちらのポジションもできることをリバ、挿入行為をしないことをバニラと呼んだりもする。
ほぼウケしかしてこなかった自分が、ここ1年くらいでタチができるようになって世界が広がったのでその感想を残しておこうと思う。
初めてセックスしたのは19か20の時で、それ以来、人並みにセックスをしてきた。
20代半ばになってウケの気持ちよさを覚えて、それ以来もっぱらウケだった。
たまにタチをしてもイマイチうまくいかない(中折してしまう)ことが多かった。
ちなみに自分の中でのタチが成功することの定義は「手を使うことなく挿入したまま射精までできるようになる」ということである。(もちろんゴム着けた状態でね!)
前者についてはそのままで、自分がウケとして相手をしているタチの姿や、エッチなビデオの中で見るタチの姿を見るにつけ、「そんなに気持ちよさそうなら自分もタチができるようになりたい」という気持ちが日に日に強まっていた。
後者については「性自認」に関係した問題である。自分の性自認は「男性」である。
男性として男性が好きな、シスジェンダーのゲイ男性ということになる。
「挿れられる」という男女間においては女性側が担う行為を行うことは、なんとなく自分の性自認およびそれに基づく性表現にそぐわない感覚があった。
そんな自分だったが、ここ1年くらいでタチができるようになった。
タチができるようになる過程を振り返ってみて、習得のコツ的なものが2つあった。
逆説的なんだけど、タチができるようになるためには、とりあえず1回タチを成功させることが重要だと思う。
自転車に乗るのと一緒で、1回成功するとタチとしての身体的感覚をつかむことができる。
そして何より「自分はタチが全くできないわけじゃないんだ」という安心感を得ることができる。
自分自身1回成功するまでは「今回も中折しちゃうんじゃないか」というプレッシャーがあり、プレッシャーでますますスムーズにことが進まなくなるという悪循環だった。
1回成功して以来は「少なくとも自分はタチのポテンシャルはあるんだ」という自信につながり、仮に一度中折してしまったとしても余裕を持って挽回できるようになった。
これは1回成功した後に始めた習慣なのだけれど、マスタベーションのときに手ではなくTENGA*を使うようになった。
男女のセックスにおいて男性が女性の膣内で射精まで至らない、いわゆる「膣内射精障害」の原因の1つに「強グリップ」マスタベーションがある**。
ゲイなので膣内ではないのだが、多分同じことは言えるだろうと思い、手からTENGAに切り替えた。
そうすることで、これまでグリップ力で快感を得ていたのが、TENGAのヌルヌルした摩擦によって快感を感じられるようになった。
手でやるときよりもタチをしている最中に感じる刺激と近いものを疑似体験でき、本番に備えられている感覚がある。
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*自分が使っているのは洗って繰り返し使えるTENGA SPINNER(https://store.tenga.co.jp/product/EC-SPN-001)という商品。タチ云々より、単純に手より遥かに気持ちいいからおすすめ
**膣内射精障害の原因となるマスタベーションは他にも「足ピン」「床・壁」があるらしい。タチができるようになりたいならそれらも避けた方がいいはず
当たり前なのだけど、ウケしかできなかったときはタチを探すほかなかったのが、ウケも相手ができるようになり、乱暴に言えば楽しめる相手が2倍に増えた。
また、長らくウケをやってきたからこそ感じるタチにやってほしいこと・やってほしくないことをタチ側として実践できるようになった。
具体的には、一度挿入したらいきなり腰を振らずにウケが慣れるまでじっとしている*とか、ウケが射精した後は相手が望まない限りは挿入はしない**とか。
ゲイ向けのデートアプリではプロフィール内にタチ・リバ・ウケを記載している場合が多い。
しかしながら自分がタチをやるようになってから会ったプロフィール上でリバの人の半数以上が実際はウケであった。
「タチもやったことはあるけどほぼウケしかやらない」みたいな。
理由をくわしく聞いたことはないんだけど、なんとなくウケって後ろめたさがあるのかなと思った。
先述の男性性の話にも通じるんだけど、ウケってやっちゃいけないことをやってる感というか、ちょっとヘンタイっぽい印象がある気がする。
実際のところはわかんないし、そんなスティグマがあるならばなくなってしまえばいいと思うけど、自分自身、ウケしかやらない時期も「タチ願望」から来るささやかな抵抗としてプロフィールではリバにしていて、各人フクザツな心理が働いているのかなと推測している。
自分はウケからリバになり、最近のセックスのポジションを振り返るとなんならタチが多いくらいだけれど、タチ・ウケどちらが好きかと聞かれると答えに窮する。気持ちよさの質が異なる。
例えば「醤油ラーメンととんこつラーメンどっちが好き?」と聞かれたら「醤油ラーメン」と答えられるけれど、「ラーメンとスパゲッティどっちが好き?」と聞かれると「その日の気分による」としか答えられない感じ。
自分の中でタチ・ウケは完全なアップルトゥアップルな比較になっていない。
ただ確実に言えるのは、タチの方が楽である。
ウケをするときは事前の準備もさることながら、やはり挿れられることによる身体的負担が大きい。
タチも腰を振るという運動量はあるが、そのエネルギーを受け止めるウケの方がどっと体力を使う感覚がある。
自分の場合「タチをやりたい」ではなく「ウケをやるのがめんどうだから」というモチベーションでその日はタチをやったりすることもある。
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4,630万円カジノで使っちゃった人、昔からそれが夢だった、みたいな話を聞いて、ちょっとぞっとした、という話。
昔、テレビのニュースで見て忘れられない事件がある。ぐぐっても見つけられないし、たぶん記憶もいい加減だけど、こんな話。
ある若い人(たしか学生だった)が、自宅に押し入ってきた強盗に殺害されてしまった。その人はラップが趣味で、自作のラップをラジカセ(の時代なので、かなり昔)で録音していたのだけど、それには「ヤツらが襲ってくる、この家に」みたいな内容が繰り返されていた、という。
偶然というにはあまりにも…という話で、かなりぞっとしたので、強く印象に残った。たぶん、その当時、「引き寄せの法則」みたいなことは言われていないけど、なにか、そういう文脈で記憶に残ったのだと思う。
その後、ネットなどでスピ系の人たちが引き寄せの法則とか言い出したときに、自分は真っ先にこの話を思い出した。
そして今回の4,630万円の話。ああ、そういうことはやっぱりあるのかもしれない、と感じた。
あるんだろうけど、ただ、科学的に証明できる法則として成り立つようなものではないんだろうな、と思ってる。
我々がふつうには認識できないことが認識できないような形で因果関係として働いていて、法則として自分の意図したような形で願望の実現に使うなんてハードルが高すぎるような、そういうことなんだろう、と。
それにしても、ラップの人といい、4630万円の人といい、そういう想いをピュアに、かつ強固に持ち続けるモチベーションって、ほんと不思議。人の心はそれぞれ別個の宇宙であるなあ、と思う。
4,630万円カジノで使っちゃった人、昔からそれが夢だった、みたいな話を聞いて、ちょっとぞっとした、という話。
昔、テレビのニュースで見て忘れられない事件がある。ぐぐっても見つけられないし、たぶん記憶もいい加減だけど、こんな話。
ある若い人(たしか学生だった)が、自宅に押し入ってきた強盗に殺害されてしまった。その人はラップが趣味で、自作のラップをラジカセ(の時代なので、かなり昔)で録音していたのだけど、それには「ヤツらが襲ってくる、この家に」みたいな内容が繰り返されていた、という。
偶然というにはあまりにも…という話で、かなりぞっとしたので、強く印象に残った。たぶん、その当時、「引き寄せの法則」みたいなことは言われていないけど、なにか、そういう文脈で記憶に残ったのだと思う。
その後、ネットなどでスピ系の人たちが引き寄せの法則とか言い出したときに、自分は真っ先にこの話を思い出した。
そして今回の4,630万円の話。ああ、そういうことはやっぱりあるのかもしれない、と感じた。
あるんだろうけど、ただ、科学的に証明できる法則として成り立つようなものではないんだろうな、と思ってる。
我々がふつうには認識できないことが認識できないような形で因果関係として働いていて、法則として自分の意図したような形で願望の実現に使うなんてハードルが高すぎるような、そういうことなんだろう、と。
それにしても、ラップの人といい、4630万円の人といい、そういう想いをピュアに、かつ強固に持ち続けるモチベーションって、ほんと不思議。人の心はそれぞれ別個の宇宙であるなあ、と思う。
それじゃあまりにも天才しかできないだろうということでニーモニックというのを持ったアセンブリ言語ができた
多分当時の人の中にあった議論は、こんなの1と0の羅列に名前つけただけだろ、なんかいいことあんの?という人たちと、まさにブレークスルーだ世界が変わるとエキサイトした人たちだろう。
色々あったが、人にも読めるソースをアセンブリ言語に変換してくれるCが出来た。
多分このときも単なるアセンブリのスーパーセットだろ?なんか意味あんのか?っていう人たちと、やばいレベルでプログラミング書きやすくなったとエキサイトする人たちに分かれたことだろう。
このときも、構造化プログラミングに毛が生えた程度のもんだろ?何が嬉しいんだ?という人と、オブジェクト指向なら何でもできる!とエキサイトした人たちで溢れかえったことだろう。
Java以降のIT界隈ではもはやオブジェクト指向抜きには語ることはできなくなった。
何が何でも継承でカプセル化でポリモーフィズムだとオレオレフレームワークが雨後の筍のごとに開発され結局Strutsに一網打尽にされた。
その後RoRによるCoCによってXMLなんかいらねーわとなったがアノテーションを使う方に進んでいった。
もはやこの時点で継承だのポリモーフィズムだのはそれほど重要なものではなくなったと言ってもよく、このあたりからEoDだとか、再利用性、メンテナンスのしやすさに主軸は移っていったと感じている。
人月の神話の時代から語られた銀の弾丸はないというたった一つの真理は忘れ去られオブジェクト指向ならなんとかなる、オブジェクト指向だという人々もまたこのときに誕生している。DI?ファクトリとリフレクションでなんとでもなることでしょ?何が嬉しいの?と。
その後関数型プログラミングが誕生する。
これを見た人々の中には、関数型プログラミングなんかJavaよりもそけつこうにしたていどのものだろ?小さいクラス作ればJavaでもできることをなんでわざわざ関数型プログラミングに移行しなくてはならんのだときっとそうなったることだろう。
マシン語からアセンブリ、CからOOPとトレンドが移り変わる中で起きているのは、技術革新であり、もうこのままじゃきついからこっちにしようというムーブメントであり、それに乗る人、抗う人というのは必ず現れる。
抗う人の中には、新しい技術に対するモチベーションは失われているがポジションを失うのだけはごめんたといういわゆる老害と呼ばれる人たちや、本気でシフトする意味がわからないくらいに思考が固まった人、はたまたこの技術なら全て解決できるのだから他のものはいらないという信仰を持った人などがいるし、乗る人もこの対極にいるのだろう。
多分20年後には関数型プログラミングとは違うなにかが天才たちの中から爆誕し、同じような議論が起きることは想像に難くない。
しかし人類はどうすれば簡単に1と0をコンピュータに保存できるのかということをひたすらに追い求めているのだから不思議なものだ。
たしかに極端な話1と0だけ打ち込めれば同じことはできるかもしれないが、その難易度は遥かに高くなっているし、現実的には不可能だろう。
企業がシステムにせいぜい20台程度のホストを導入するようなものだった。
今は百や千のオーダーでは聞かない仮想ホストにDockerコンテナが複数動きこれらが協調しなくてはならない、もしくは各自独立で動いても問題が起きてはいけないので、ここには関数型のデザインが合うと思うし、一方でデータにアクセスするところではトランザクションに強いJavaというように適材適所住み分ける必要がある時代になった。
当然Javaだけでもできるし、関数型たけでもてきるかもしれないが、こういう形の議論をする人はその技術が目的になっている。
継承やポリモーフィズムをする以上はスーパークラスのライブラリもなくてはならないが、それも億劫になっているのかもしれない。
今後関数型プログラミングがあらゆるものを席巻する時代になるかもしれない、OOPがそうであったように。
それとも人々はもうそういう不毛なことはしないのかもしれない。もはやそういう時代は過去のものになったと考えたほうが良いだろう。
関数型プログラミングの理解よりも、オブジェクト指向の習得よりも、目的を達成する最小のコードをエレガントに書くといういわゆる画力が何よりも先に求められる時代に入ったのではないだろうか。
そういう意味では業界としてだいぶ健全になったようにも思える。
あまりにもポエミーで恥ずかしくなったので増田に書くことにした
***追記
何も調べないで主観のみで適当に書き連ねた文章にどうもすごそうな人たちがやたらまじめに反応していて申し訳ない気分でいっぱいになった。
この文章を書くにあたって全く頭は使われておらず、裏もとられておらず、確認もされていないことだけは付け加えておかないとマジレスしてくれた人たちに申し訳ない気持ちがすごいので書いておくことにします。
それじゃあまりにも天才しかできないだろうということでニーモニックというのを持ったアセンブリ言語ができた
多分当時の人の中にあった議論は、こんなの1と0の羅列に名前つけただけだろ、なんかいいことあんの?という人たちと、まさにブレークスルーだ世界が変わるとエキサイトした人たちだろう。
色々あったが、人にも読めるソースをアセンブリ言語に変換してくれるCが出来た。
多分このときも単なるアセンブリのスーパーセットだろ?なんか意味あんのか?っていう人たちと、やばいレベルでプログラミング書きやすくなったとエキサイトする人たちに分かれたことだろう。
このときも、構造化プログラミングに毛が生えた程度のもんだろ?何が嬉しいんだ?という人と、オブジェクト指向なら何でもできる!とエキサイトした人たちで溢れかえったことだろう。
Java以降のIT界隈ではもはやオブジェクト指向抜きには語ることはできなくなった。
何が何でも継承でカプセル化でポリモーフィズムだとオレオレフレームワークが雨後の筍のごとに開発され結局Strutsに一網打尽にされた。
その後RoRによるCoCによってXMLなんかいらねーわとなったがアノテーションを使う方に進んでいった。
もはやこの時点で継承だのポリモーフィズムだのはそれほど重要なものではなくなったと言ってもよく、このあたりからEoDだとか、再利用性、メンテナンスのしやすさに主軸は移っていったと感じている。
人月の神話の時代から語られた銀の弾丸はないというたった一つの真理は忘れ去られオブジェクト指向ならなんとかなる、オブジェクト指向だという人々もまたこのときに誕生している。DI?ファクトリとリフレクションでなんとでもなることでしょ?何が嬉しいの?と。
その後関数型プログラミングが誕生する。
これを見た人々の中には、関数型プログラミングなんかJavaよりもそけつこうにしたていどのものだろ?小さいクラス作ればJavaでもできることをなんでわざわざ関数型プログラミングに移行しなくてはならんのだときっとそうなったることだろう。
マシン語からアセンブリ、CからOOPとトレンドが移り変わる中で起きているのは、技術革新であり、もうこのままじゃきついからこっちにしようというムーブメントであり、それに乗る人、抗う人というのは必ず現れる。
抗う人の中には、新しい技術に対するモチベーションは失われているがポジションを失うのだけはごめんたといういわゆる老害と呼ばれる人たちや、本気でシフトする意味がわからないくらいに思考が固まった人、はたまたこの技術なら全て解決できるのだから他のものはいらないという信仰を持った人などがいるし、乗る人もこの対極にいるのだろう。
多分20年後には関数型プログラミングとは違うなにかが天才たちの中から爆誕し、同じような議論が起きることは想像に難くない。
しかし人類はどうすれば簡単に1と0をコンピュータに保存できるのかということをひたすらに追い求めているのだから不思議なものだ。
たしかに極端な話1と0だけ打ち込めれば同じことはできるかもしれないが、その難易度は遥かに高くなっているし、現実的には不可能だろう。
企業がシステムにせいぜい20台程度のホストを導入するようなものだった。
今は百や千のオーダーでは聞かない仮想ホストにDockerコンテナが複数動きこれらが協調しなくてはならない、もしくは各自独立で動いても問題が起きてはいけないので、ここには関数型のデザインが合うと思うし、一方でデータにアクセスするところではトランザクションに強いJavaというように適材適所住み分ける必要がある時代になった。
当然Javaだけでもできるし、関数型たけでもてきるかもしれないが、こういう形の議論をする人はその技術が目的になっている。
継承やポリモーフィズムをする以上はスーパークラスのライブラリもなくてはならないが、それも億劫になっているのかもしれない。
今後関数型プログラミングがあらゆるものを席巻する時代になるかもしれない、OOPがそうであったように。
それとも人々はもうそういう不毛なことはしないのかもしれない。もはやそういう時代は過去のものになったと考えたほうが良いだろう。
関数型プログラミングの理解よりも、オブジェクト指向の習得よりも、目的を達成する最小のコードをエレガントに書くといういわゆる画力が何よりも先に求められる時代に入ったのではないだろうか。
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20220518/1652878800
恵まれた人だって努力をしているし、時として命がけの努力に身を投じるという事なんだけど、そもそもの質が違っていてそこを問題視しているということを絶対に受け入れない人というのがいる。
たとえば受験勉強をするときに、恵まれずに自力でやるしかない子供は学習内容の一切の理解を自分と学校の先生(モチベーションがあるかは運しだい)でやる必要があるが、恵まれていて進学塾に通う子供たちは自分が理解するよう努力すると同時に塾講師が理解させるように努力してくれる。塾講師はそれが仕事なんだからモチベーションもある。
今の時代人々が命を懸けた努力をするというケースがどれほどあるかはわからないが、はっきり言うが恵まれた人は命を懸けた努力などしない。
その努力に命を懸けるケースはあったとしてもそのケースは徹底的に排除されていくから、実質命がけにならない。だから恵まれた人が「私だって命がけの努力をしている!」といってもどこか茶番臭くなる。
仮に勇者としよう。
勇者Aは貧乏な村の貧乏な家庭の出だが、勇者の素養があるために勇者になった。
勇者Aはおそらくひたすら泥臭く世界中を旅して命がけの戦いを繰り返し、敵から手に入れたお金で装備を整えてレベルを上げて魔王をやっつけに行く。
勇者Bには貴族の家庭なので優秀なトレーナーや設備があるのでそこで基本的なレベリングもするし、金があるからいきなり最強クラスの装備で旅に出ることができる。
勇者Aは命じられたらすぐに出かけないといけない。勇者Bは命じられた後準備期間を1年とか儲けてじっくりトレーニングを受けてから旅に出る。
という状態になる。
そこで勇者Aは勇者Bに言うだろう。「お前ずいぶん楽してここまで来たみたいだな、少しでも努力したのか?」と勇者Bは答える「もちろんさ、君と同じように命がけの挑戦も何度もしたよ」と。
勇者Aはいう「俺と同じに?ふざけんな!お前なんかいつもトレーニングしてて中ボスとしか戦ってねーだろ!」と。勇者Bは答える「なんでそんなこと言うんだい?最終的なレベルは同じなんだ、いがみ会うのはやめよう!何なら装備の分僕のほうが強いくらいなんだから合理的に行くことも重要だよ?」と。
今は楽しくやってます。
ということで、去年anond:20210307134831を書いたヘボトレーナーです。
現在、競技場はクラス6、チームランクはS1に到達しました。チャンミの最高はゴールドです(サジタリウス杯、ピスケス杯、アリエス杯でB決勝優勝)。直接的な課金額はハニバで5千円、自分の誕生日に1万円、アニバで1万円くらい(うまよんのブルーレイとかシングレとか原作とかに払った金額は含んでません。原作の推しはレイパパレとメイケイエール。京王杯スプリングカップとヴィクトリアマイルで推しの出走が続いて自分の中ではお祭り騒ぎです)。
ウマ娘、「コンテンツは好きだけどゲームが辛い」の声に「艦これと同じ道か」の声というまとめとそのブコメを見て、つらいという人の気持ちもわかるけど、自分は楽しくやってるよっていう増田を書きたくなりました(つらいという気持ちを否定するつもりはないです。自分もしょっちゅうイライラしたりしてますし。あくまでこれはお気持ち表明です)。
ウマ娘が初ソシャゲで、右も左も分からなかったのと、廃課金勢やランカーは別世界に住んでる人たちだと認識してたので、トップを目指そうという気持ちはハナから持ってませんでした。
ただ、それはそれとして行ける範囲で上を目指したいというお気持ちもあったので、とにかく少しでも進歩できたら嬉しい! というのをモチベにしてやってます。そのキャラの最高評価点を更新できたとか、競技場のランクが上がったとか、チャンミや競技場での勝率が上がったとか、そういうのがモチベーションの源泉です。
たとえば競技場だと、昔はクラス4からクラス5にたまに上がってすぐに叩き落される感じだったのが、クラス5を維持できるようになり、たまにクラス6に上がれる(&ボコボコにされて降級する)ようになって、そしてクラス6で安定して勝てるようになった、みたいな感じで徐々に進歩してるのを感じてます。クラス6への昇級点と維持点のあいだは10万ポイントくらい開いていて、クラス6下位だと全勝しても降級が普通で、これまで維持できたことはないんですが、今週初めて維持圏に入れました。もっとも週の後半には降級圏に落ちて、このままだとまた降級するんですけど、それでも一時的にではあれ維持圏に手が届いたこと自体が進歩の証なので嬉しくなっちゃいます。次は維持を目指すぞ~!
ヘボトレーナーなので、アオハル杯以前は頑張ってA+を育成するのがやっとだったんですが、MNTが導入されてからはSも取れるようになり、セイウンスカイとウオッカはたまたますごい上振れしてS+に到達しました。プレイアブルキャラのうち56人を入手し、うちSランクに到達したのが25人です(別衣装は別人としてカウント)。デイリー育成は何度も育成してる好きな子をさらに育成したり、まだ低い評価点のままの子の最高評価点更新にチャレンジしたり、あるいは競技場で弱いチームを強化したりしてます。気分によって、今日はセイウンスカイやキタサンブラックみたいな推しに癒やされるか~、とか、今日はまだS取れてないメジロマックイーンのSランクを目指すか~、とか(昨日は結局A+でした)、今日は短距離チームの強化するか~(なかなか短距離逃げがうまく育成できず苦しみましたが、こないだようやくSランクで芝S短距離Sのバレンタイン衣装ミホノブルボンができました)、とか、目標を気まぐれに決めてる感じです。
これはそう(真顔)。
チャンミでの惨敗が続くとまあ心折られますよね。自分より明らかに格上のウマ娘ばかりで、もう出バ表が発表された瞬間に惨敗を確信するやつ。もちろん微課金勢の自分がボロ負けするのは当然ではあるんですが、いざ負けてみると結構メンタルに来るものがあるというか。
増田の場合、グループBで負けまくる→グループBでそこそこ勝てるようになる→グループAで負けまくる、みたいな感じで、進歩した結果として惨敗続きモードに入っているので、喜んでいいのか悲しんでいいのかわからない感じです。……普通にグループBの方がよくない? いや、SSランクやUGランクがゴロゴロ棲息してるグループAとかいう魔窟だと1勝するのが精一杯なので、下手すると決勝進出を逃す可能性があるから、毎回1勝するまでは心臓バクバクなんですよ(グループBなら確実に決勝進出できるのでまったく心労はない)。ただ、グループAに進出できているということは、理論上はA決勝進出のチャンスがあるということなので、A決勝進出目指して頑張ろうと思います。
それにしても、グループAでの1勝とグループBでの1勝が同じB決勝なの、なんか納得いかないので、グループAで3勝以上のA決勝、グループAで1・2勝あるいはグループBで3勝以上のB決勝、グループA進出あるいはグループBで1・2勝のC決勝、くらいに分けてほしい感があります。
レジェンドレースは楽しみです。なぜならピースがもらえる以外に、色んなキャラ同士の対戦を組んでカプ厨的に楽しむことができるからです。
たとえば今やってるレジェンドレースだと、メジロマックイーンにハロウィン衣装ライスシャワー(バンパイアの衣装なのでオタクからは晩飯と呼ばれている)をぶつけたり、ライスシャワーにミホノブルボンやメジロマックイーンをぶつけたり、みたいなライバル対決で楽しんでますし、レース前に二人がにらみ合う構図の画面は必ずスクショ撮ってます。フヒヒ……ブルボンがライスちゃんを睨みつけてる……ライスちゃんは余裕の目線で見下ろしてる……かわいいね……でも一番人気はブルボンの方なんだけどね……
シナリオイベントは、フジキセキ相手にイケメンムーブするセイウンスカイとか(フラワーの脳が破壊される~)、またしても株を上げるキングヘイローとか、そういういろんなお話が見れて楽しいですね。あ、鬼ゴルシちゃんモードは突破できなかったです……長距離で差しなら出遅れの不利をある程度挽回できるのではと思ったけどそんなことなかったよ……
ただしレーシングカーニバル、テメーはダメだ。期間限定イベントに継承を入れられると、結局イベント期間中に良因子が出るか否かの運ゲーでしかなくなり、良因子を引けなかったとしたらショボい因子で継承させざるを得ないし、仮に良因子を引けたとしてもその良因子を使い回すことになるからただの脳死周回ゲーに成り下がってる上に、レース勝利でピースもらえるのが確定じゃないというね(結局こないだはピース全部回収できなかった)。まあ、博打が好きな人は楽しめるかもしれないけど、少なくとも増田はギャンブルが好きじゃないのでノーサンキューですわ。レーシングカーニバルについてはこの通り仕様がクソすぎるので2回目は真面目にやってないです。報酬が微妙だからサボっても問題ないっちゃないけど。
MNT、シナリオに縛られず自由な育成ができるようになり、また色々なキャラ同士の絡みエピソードが追加されたのは長所なんですが、温泉に行けなくなったのが短所ですね……。いちおう新しく手に入れたキャラの初回育成はストーリー読むためにアオハル杯でやることにしてるんですが、2回目以降はMNTのため、ほぼ温泉行けるチャンスがなくなっちゃった……温泉旅行確定ボールかなにかをショップで売ってクレメンス……
みんなアイネスフウジンは引けたかな? 僕は21連目で引けたよHAHAHAHAHA!
アイネスフウジンPU発表直後から「借金をしてでもアイネスフウジンをガチャで引いてやりたい」「推しキャラをピックアップガチャで一発ツモするのが夢です、自信はあります」などと言ってたわけですが、無事に初日にお迎えできて一安心なの!