2024-09-01

小池都知事関東大震災朝鮮人犠牲者追悼文中止に至るまでを振り返る

また防災の日の9/1がやってきて小池都知事関東大震災朝鮮人犠牲者追悼文の送付を止めた事に関して批判が飛び交っている。

でもそれは単独で起きた事象じゃなくてそこに至るまでの経緯があるので振り返ってみる。

 

2009年衆院選幸福実現党候補応援

↓(自民党下野

下野後も幸福との連携は続き大川隆法に絶賛される

2009年11月twitterで「事業仕分け日本解放第二期工作要綱による日本弱体化の為の施策」の由発言

↓(2016年、反都議会自民党を掲げて都知事当選

・初登庁と共に特別秘書民族派極右野田数就任する事が報じられる

・音喜多ら2人の親小池議員には発言権を与えずパシリにして議席が無い野田が牛耳る院政

・舛添全都知事独断で話をつけてきた市ヶ谷商業高等学校の跡地を韓国人学校転用する約束反故

都民ファ結成、野田特別顧問

2017年8月小池知事が追悼文送付を中止する事を表明

2017年希望の党結成。「排除します」発言で合流予定の民進党議員の大半が立民党を結成

・音喜多ら当初からのコアメンバー政治手法批判して叛旗、小池の元を去る

2017年衆院選希望の党大敗

小池知事政治的に尖った事を止めて大人しくなる

 

で、今に至る。

ノンポリ都民知事評は、日本株式会社大企業自民党という大店出身で安定感があるから、任せておいても実務をやってる都庁邪魔などせずに安全運転してるから大丈夫、ってな感じだろう。

だけどこの流れを見るとどうもそういう感じではない。仕事に影響する変な人(宗教ゴロ、政治ゴロ)とオフで付合い、変な人を社内に入れちゃう、かなり粗忽人物と言う外無い。

例えば社用車交通事故売掛金の取り立てで揉めてるところに「私、いい人を知っています」と言うので弁護士を知っているのかと任せたら事件屋連れてきた。

或いは化粧品の事でいい人知ってるので会ってというのでノエビア営業かと思ったらマルチだった、とかいう感じだ。

しか自民党屋台骨が揺らいだ2009年衆院選前に幸福の科学に接近されているのが見て取れるし、下野後に更にそれらと親密になり、そこから他の右翼ゴロとも距離を詰められ親近になり、思想リモコン化していった、というのが見て取れる。

そんな中で発せられたのが追悼文取止めで、深く考えるべきところでその当時の己の周りの空気に従って、若しくは言いなりになっての行動ではないかと思われるのだ。

 

思想的な色を抑えた今でも撤回していないのは、強く信じているんじゃなくて過去を穿り返して総括したくないし、流れや風に乗って生きてきてそういう事をした経験もないからだと思われる。家のクローゼット会社ロッカーに今はやっていないマルチの商材が残ってるが、捨てるという行為には己の間違いを認める心理的効果が付随するのでやりたくないというか。

地方行政の長だと「小池君、ロッカーの中片付けなさい」という上司も居ないからね。

 

それから最近だと都庁プロジェクトマッピングの随契額が高額で問題視されているが、上記の経緯と似ているんよな。

まりコロナ初期に感染率をライトアップで示そうという意図外注に出したところ、そこを接点として平時になってから電通提案営業を掛けられているという事だ。こういうのは業務効率化に逆らっても定期的に人事シャッフルしなきゃいけない理由の最たるものだが、それを議会に諮らずに高額でやってしまっている。

自民下野直前に変な人士に接近されて続々と連鎖的にその手の人間を受け入れてしまった果てという虐殺否定に至る道の焼き直しやな。優れた営業なら組織のどこが弱いかつけこみ易いか、お偉いさんの過去の行状は全部参照するからそうなるわなって感じだ。

長くなるから各項目の説明は別項にした

URL

https://anond.hatelabo.jp/20240901182600

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