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はてなキーワード: 主義とは

2024-11-21

お前らなんで「ノアドット」を使ってるんだ!??!!

NHK選挙報道の在り方検討」 兵庫知事選受け稲葉会長共同通信

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/nordot.app/1231906104544346810

 

にじさんじ運営ANYCOLOR社、Webマガジンを開設 ROF-MAO所属VTuber特集KAI-YOU

https://nordot.app/1220961370791477896

???なんでnordot.appとかいう怪しいサイトを経由してる!!?

 

調べてみると、どうやら共同通信ヤフーが共同出資してるサービスらしい。

ニュースサイトノアドット記事を出し、キュレーターという記事紹介をする人にそれぞれお金が行く仕組みらしい。

 

・・・いやでもユーザーとしては元記事ブコメしたくね?

さっきのリンクで言えば、KAI-YOUの元記事が ↓ になるんだが、リンク注釈が増えてるし。

https://kai-you.net/article/90811

共同通信の方は元記事が無かった。ノアドットそもそも子会社からだろうか。

 

内容の差異もそうだけど、単純に気持ち悪い。

間に入ったこノアドットや、「キュレーター」という第三者に俺のアクセス履歴が共有されてるって事じゃん?

やってることはYahooニュースと同じなんだけど、あれはちゃんとひと目でそうだって分かる作りになってて、タイトルにもYahoo! ニュースって入ってるから筋は通してると思う。

でもこのノアドットの方は全然そうと分からせないようにしてるし、コソコソしてて気分悪いわ。

 

それにこれがはてブに出てくるって事ははてブ使ってキュレーターが金儲けしてるってことじゃん。

嫌儲主義じゃないが、はてなはそれでええんか?

それともお前らがキュレーターなんか?それもユーザーから分からんよな。気持ち悪いわー。

ネットde真実」は格差否定する〈平等主義〉の必然(暗黒面)

フェミニズム(男/女=平等)」も、反権威主義的な「ネットde真実(マスコミ/匿名情報平等)」も、

そのどちらも、社会構成する市民が「民主主義下」で教育を受けて育ち「平等主義内面化した人々」

からこそ、発生する。平等主義(≒民主主義)の帰結である「反・格差(=金持ちを引きずり降ろせ!)」は、

簡単に「反・権威(=上から目線正義を語るやつを引きずり降ろせ!)」に転化する。というより同じものだ。

より正確にいうならば、「〈反・格差〉を煽動する人間が〈権威〉になる社会」が民主主義(言論の自由がある社会)なのだ

「反・格差」は絶対的に正しいが、「反・権威」は絶対的な誤りであるという風には、人間は都合よく切り替えられない。

人はそれを「ダブスタ(ダブルスタンダード)」と呼び、嫌悪する。

共産国家(独裁政権)」と「秘密警察(監視と密告)」が絶対に切り離せないワンセットのように、

民主国家(表現の自由)」と「ネットde真実(マスコミ/匿名情報平等)」は切り離せないワンセットなのだ

ちなみに、1980~90年代の「面白主義」も、「ネットde真実」と同じく〈平等主義〉が生みだした鬼っ子です。

性自認主義者なんてどう考えてもヤバいだろ

性同一性障害患者生物学的な性があることが前提でその認識ギャップに苦しんでいるから手術が必要、というのはわかる。

しかトランス性自認主義自分でそう思えば生物学的性も関係ないって完全なカルト思想だろ。

混ぜるな危険しかないんだが。

2024-11-20

歴史の本読んでると、欧米の軍と比べて日本軍の人事って温情主義戦闘で負けても大体おとがめしか左遷されてもすぐに復権してる気がする

なんか理由があるんだろうか

「縦の旅行」という素朴な体験主義は、お坊ちゃんちょっとシリアスな気分に浸るためには丁度いい寸法の娯楽でしかないだろう。スラム見物ツアーで何かわかった気になられてもな。

対して、人権意識想像力があればいいというのも文字通り机上の空論だ。

人権ってのは原則でありシステム論であって、そこに倫理道徳丸ごとパッケージされてるというのはただの信仰である

じゃあどうすれば立場の違う人間のことをリアルに思いやったりできるのかというと能動的なコミットメントしかない。

スラムを見物するだけじゃなくてそこで自分で考えて実際に手を動かして人助けしてみればさすがにいろいろわかるだろう。

「それはあまりハードルが高い」のであれば、現実的可能な低いハードル自分で探せばいい。それが本当の「縦の旅行」だ。

シロクマ先生記事の書き方は、齋藤知事パワハラと同じである

インテリ層の良くない部分が出ているので、あえて名指しで批判する。

シロクマ先生の書き方は良くないです。今すぐに謝罪して記載を改めるべきです。どんな人間馬鹿にされたことは敏感に感じ取ります

もしも本当に、心の底から馬鹿にするつもりも嘲るつもりも無かったのであれば、全ての比喩表現を直接的な表現に改めて、その上でどのように受け取られる可能性があるか考えてみてください。

シロクマ先生の以下の記事は、齋藤知事パワハラと全く同じです。

シロクマ先生記事のうち、記載を改めるべき箇所

インターネット民主主義が加速して良かったですね

ビバ! デモクラシー

https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20241119/1732024800

斎藤氏はパワハラ疑惑を巡る認識を問われると、「よい県政をしていきたいという中で業務上指導や注意を厳しくしたことはあった。これがハラスメントに当たるかは第三者委員会などで審議されることになる」と語った。

https://mainichi.jp/articles/20241119/k00/00m/010/159000c

小学生を含めて(個人的感覚では、不満を表明できるのは小学三年生前後)、悪意には非常に敏感です。どのような言葉遣いであっても馬鹿にされたかどうかは瞬時に理解します。

インターネット民主主義が加速して良かったですね」という「良かったですね」という物言いは、対象を嘲る言い方です。自覚が無いのであれば今すぐに改めるべきです。

以下、具体的に指摘します。

民主主義が三度の飯より好きな人には、ともあれ好ましい選挙だったのではないだろうか。

「今回の選挙は、民主主義を正しく反映したと言えるのではないだろうか」という書き方ではいけなかったでしょうか。

なぜ、「民主主義が三度の飯より好きな人には」と、民主主義を好ましいと思う人を「三度の飯より好きな人"には"」という表現にして限定しまたか

今回の選挙結果を、揶揄する意図が無いのであれば即刻改めるべき表現です。

他の支持者との一体感体験やすい仕組みのおかげで、「いいね」や「シェア」ぐらいでも推し活気分や選挙活動気分を味わえたりする。

自分は、いいねシェアボタンを押す行為は、選挙活動とは言えないと思う」と書き方ではいけなかったでしょうか?

なぜ、「推し活気分や選挙活動気分を味わえたり」という、自身で「参入する敷居がものすごく低い」と書いているにもかかわらず、「気分」や「味わえる」という表現しまたか

他人選挙についての関わり方を見下すつもりが無いのであれば即刻改めるべき表現です。

SNS動画にじかにコメントする、という方法もある。なにもコメントが秀逸である必要はない。凡庸コメントでも、論理的破綻したコメントでも、事実関係の怪しいコメントでも、別に構わない。支持する人への応援コメントでも、敵対者への批判非難コメントでも、数多く集まりさえすれば強力なコメントたり得る。どんなにしょうもないコメントでも、200も300も連なれば有意味だ。誰が言ったかや何を言ったかだけでなく、何人が言ったか重要であることを、いまどきのネットユーザーが知らないわけがない。

「どんなコメントであっても、200も300も連なれば有意味になってしまう。論理的破綻したコメントでも、事実関係の怪しいコメントでも、いまどきのネットユーザーにとっては、何人が言ったか重要になってしまう。私はそれを好ましいとは思わない」と言う書き方ではいけませんか?

どのようなコメントであっても数が連なれば有意味になることが好ましくない、もしくは危険だと思うのであれば、そう表現すべきではありませんか?

なぜ、「事実関係の怪しいコメントでも、別に構わない」と許容したのにもかかわらず、「どんなにしょうもないコメントでも、200も300も連なれば有意味だ」として、自分と同じコメントをする人が200や300ある人たちを「しょうもない」と馬鹿にしたのですか?

他人コメントの書き方を馬鹿にする意図が無いのであれば、即刻改めるべき表現です。

それらは従来型のマスメディア機能した帰結でなく、双方向メディアとしてのインターネットが普及し、猛威をふるった結果として起こった。だからインターネットテレビになったというのは不十分な表現で、テレビを超えた、いや、テレビ以外の何かとしてはびこるようになった、と表現すべきだったと思う。

「それらは従来型のマスメディア機能した帰結では無く、双方向メディアとしてのインターネット機能した結果として起こった。だからインターネットテレビになったというのは不十分な表現で、テレビを超えた、いや、テレビ以外の何かとなった」という書き方ではいけませんか?

もしくは「双方向メディアとしてのインターネットは、従来型のマスメディア機能とは異なり、より積極的他人干渉するようになった」というような書き方ではいけませんか?

従来型のマスメディアを超えることによるなにがしか危機感を覚える、好ましく思えないのであれば、それを直接表現すべきではありませんか?

「猛威をふるった」や「はびこるようになった」という書き方に、従来型のマスメディアよりも双方向メディアとしてのインターネット貶める意図が無いのであれば、即刻改めるべき表現です。

特にこの表現は顕著なので注記しますが、「ならばマスメディアが猛威をふるいはびこっていた従来よりも良くなったでは無いか」と返答されるとは、本当に思いませんでしたか

その返答に対して「マスメディアの方が優れていた」以外の回答を持っていますか?もしも持っていないのであれば、それは双方向メディアとしてのインターネットを見下した表現です。

みんな投票選挙活動に参加できて良かったですね

投票率が上がり、選挙活動への参加が増えたことは良いことだ」と言う書き方ではいけませんか?

馬鹿にする意図が無いのであれば「良かったですね」という表現は即刻改めるべきです。

単独文言では無く、前後文脈から、この文章を読み取った相手が「投票選挙活動への参加を馬鹿にされた」と受け取らないと、本当に信じていますか?

「なるほど、コイツインターネット情報収集したり、いいね応援したり、コメントを書いたり、自分で考えて投票した俺を、子ども扱いしているんだな」と受け取られる可能性が無いと思っていますか?

真摯相手人格尊重してなおその表現しか出てこないのであれば、おどけた調子文章を書くのは止め、少なくとも真面目な話題ではビジネス文書のように書くべきだと思います

インターネットも含めた諸々をとおして、投票所により多くの人が足を運んだこと、より多くの人が選挙活動に参加したことだ。それって民主主義にとって基本的必要不可欠なことでしょう?

段落内のおそらく骨子の部分である、この部分はとても良い書き方をしているだけに残念でなりません。

民主主義はタテマエとしてずっと、全員参加を謳っていたし、少なくとも欧米ではだいたいうまくいっていた。 まれに、チョビ髭の伍長のような人物を輩出するとしても、だ。

その前段の、民主主義論に関する部分は私自身の主義主張とは異なるが、それは捉え方の違いだろうと思う。

(「"良い民意"が"悪い民意"に変わってしまうとしたら、民主主義は壊れるのがお似合いではないだろうか」というのは、どのように書き換えてもアリストラティア(優秀者支配制)を意味すると思うが、そこは民主主義の捉え方の違いだろう)

民主主義は、時としてヒトラーのような独裁者を生み出すとしても、全員参加が理念であった」という書き方ではいけませんか?

前段の主張も含めて、文脈からは「民主主義とは、建前としては全員参加だが、本音ではバカは参加しないものとして上手く回っていた。バカが参加して壊れるのは制度限界だ」としか読み取れません。

それ以外の意図を持つ文章として文脈構成しているのであれば、全面的に書き直すべきです。おちゃらけた書き方をしようとするあまり文脈上そう受け取る人がいても非難できないと思います。これよりのちの文章を読む限りではこの読み方をして欲しいと想定するしかないです。

(また、ヒトラーの例えを出しておいて「マスメディアという制御弁が民主主義政体を安定させる効果があったのは、たぶんそうだろう」と書く意図は量りかねますナチ党の躍進にラジオが大きな役割を果たしたことには一定了解があるはずです)

いまどきの民主主義理念を作り上げた人というと、ロックルソージェファーソンといった近世近代思想家を思い出す。ところが彼らが生きていた時、末端の大衆にまで選挙権が行き渡り、末端の大衆選択までもが民意フィードバックされる民主主義想像するのは難しかったのではないか。たとえば、民主主義の始祖たちの眼中に、立花氏がバカと呼んだ人々はどこまで含まれていただろうか?

少なくとも、ジェファーソン名前を出して合衆国独立宣言で最も有名な一節である "We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal,"を無視するのは看過できません。

このall men (すべての人々)に、大衆シロクマ先生の言うところの「末端の大衆」)が含まれていないと推測するのは侮辱でしょう。もしもよく知らないのであれば名前をあげるべきではありません。

トーマス・ジェファーソンが、いかマスメディアに悩まされていたか("nothing can now be believed which is seen in a newspaper. truth itself becomes suspicious by being put into that polluted vehicle")を知らずとも、

ほんの少しでも興味があれば、ジョン・ロックが人はみな生まれながらにして公平であるが、そのままで不都合なので、人の承認のもと政府を作るであるとか、ジャン=ジャック・ルソーが間接民主制すら否定していたことなど、見聞きしたことがあるはずです。

彼らが、貴族選良市民のみを対象として考えていただろう、末端の大衆シロクマ先生が想定するのが、教育を受けていない人、政治に詳しくない人だとすると、当時の農民奴隷犯罪者等)は考えていなかっただろうと想定して枕詞に使うのは、不適切です。

(その後の段落は、シロクマ先生想像や思いが書かれているので、別に問題は無いと思います

個別選挙結果が未来制度設計材料になっていくのも、民主主義のいいところだ。亀のようにゆっくりと、しかし着実に。ただし、こうした民主主義ドタバタを、ほくそ笑みながら眺めている国もあるだろう。未来が明るいといいですね。

この段落でも、その前段の、民主主義論に関する部分は私自身の主義主張とは異なるが、シロクマ先生の考え方を述べている部分なので良いと思う。

ただし、文脈上「全員参加という民主主義の建前を維持したまま、インターネットが深く介在する場合には"悪い民意"を取り除き、"良い民意"を選び取れる制度設計を、末端の大衆ではない我々が行うべきである」としか読み取れませんが、そういう主張でないとすれば記載を改めるべきです。

(私はそれをアリストラティア(優秀者支配制)だと思いますし、良くないものだと思いますが、主義主張の違いなのでそれについて表明することは良いことだと思います

「ただし、制度設計改善される前の現在の良くない状態を、他国が狙っているかもしれない。改めるべき点は早急に改めるべきだろう」と言う書き方ではいけませんか?

「ほくそ笑みながら眺めている国もあるだろう」というのは、陰謀論と何が違いますか?何を意図して記載したのでしょうか。

未来が明るいといいですね。」というのは、皮肉では無く本心からそう思っているのだとすれば、記載を即刻改めるべきです。

また皮肉を書いたつもりであれば、誰を皮肉ったのでしょうか?今回の選挙に参加した誰を馬鹿にする意図をもって表現されましたか

なぜ齋藤知事パワハラと同じである

シロクマ先生の「インターネット民主主義が加速して良かったですね」という記事は、全体としては皮肉めいた、兵庫県知事選挙の結果を受けての現行の民主主義制度への感想でしょう。

これを、面白おかしものとして読む人がいることは否定しません。(私もホットエントリーにあがってきたので読みました)

ただ、それはパワーハラスメントと全く構造が同じです。

パワハラをする側にとって、されたもの右往左往したり泣いたり病んだり職を辞するのを見て愉快だと思うのと同じだという指摘です。

齋藤知事は、「よい県政をしていきたいという中で業務上指導や注意を厳しくした」と表現しています

知事時代パワハラ問題視した人は、この「業務上指導や注意」の「やり方」を問題視したはずです。性根や意図、背景では無く、手法問題があったのだと認識しているはずです。

愛があろうが、心の底から相手のことを思っていようが、パワーハラスメントに該当すれば、それはやはりパワーハラスメントなのだというのが、これから社会での共通認識で合って欲しいと、自分は思います

その意味で、シロクマ先生の「インターネット民主主義が加速して良かったですね」という記事は、インターネットを利用して投票先を決定した人をバカだと呼び、彼らを選挙から排除すべきである、そうしなければ民主主義は壊れる、利するのは他国だ、という記事になっています

そういう意味で書いたつもりでないのであれば、そう読み取れるようにおちゃらけた書き方をするべきではありません。すぐに改めてください。

バカだと呼んだのは立花であるとか、選挙から排除すべきとは書いていないという、言葉遊びをするべきではありません。本当にその意図が無いのであれば比喩暗喩の使い方が致命的に間違っています

選挙権を持つ国民を、尊重して記事を書くべきです。

もっと言えば、記事全体が記事中に貼られた立花氏と同じことを言っており、そこから一歩も外に出ていません。

制度設計排除すべきでは無いかと暗に書いている分、また「ほくそ笑みながら眺めている国もあるだろう」と記載している分、なお悪いと考えます。それは選良主義陰謀論と具体的に何が違いますか?

そして、バカや犬や猫と同じと言われた側とすれば、率直にそう表明する立花氏に好感を持ち、シロクマ先生嫌悪感を持つと思います。率直さは美徳であり、当てこすりは悪癖です。

なぜならば、立花氏は返す刀で「バカじゃ無くなればいい、キミはいバカじゃ無くなった、立派な選挙民になったんだよ!」と導くからです。

シロクマ先生が、「自分マスメディア一定正しいものだと思っている。それを大きく超える力をインターネットが持つと証明されてしまったようで怖い。こんな選挙結果になると思わなかった」と思うのであれば、そう表現してください。

投票に行った国民を「お前らにはどうせこうやって書けばわからないだろう」という書き方で馬鹿にするのは即刻止めてください。

その積み重ねが、インテリ層への嫌悪に繋がり、わかりやす自分肯定してくれる者への同調に繋がります

よい県政になりさえすればパワハラが許されるわけでは無いのと同じで、民主主義問題だと思う点や選挙への在り方を指摘するのに他者馬鹿にして良いわけではありません。

ブコメについて

別に何を面白がろうが自由だけど、二言目には自浄作用が無いだの、パワハラ現代にはそぐわないだの言っておいて、中身が正しけりゃ表現些末な問題と言う立場をとるなよ。

読み取り方の問題じゃないし、皮肉から何しても許されるとか無いの。そういう表現は、お前らがバカにしているネットde真実と1ミリも変わらねえよ。

anond:20241120091025

弱者男性だが、ラグジュアリーブランドなんて日本場合学生だって買うじゃん(笑)

そういう空虚ステータス主義を笑ってんのよ

上質な客である夜職界隈がなぜか自分らを選民勘違いしてるのもよくあるけど、そいつらもお前の仲間だしなあ

2024-11-19

anond:20241119204712

AIくんって進化主義なんだ

やっぱ進化のために人間滅ぼしたりしそうだね

anond:20241119103956

偏差値が高い人間は頭がいいってのがただの妄想ってこと実感できてよかったんじゃない?

40まで学歴主義で突っ走ってることに驚きだわ。大学教授とかそんなんばっかだったせいで、学生時代幻滅したの思い出したわ。

2024-11-18

anond:20241118101613

反論されてるもの反論されてないもので前者より後者を信じるのは、オールドも信仰関係なく判断の基本でしょ。

「争いのない事実はそのまま認定」は民事裁判でも採用されてる(弁論主義の第2テーゼ)。

これから日本経済政策は現役世代を締め上げ続けるだろう

財務省に対する怨嗟の声が聞こえてくるが,強い危機感がある。「こうするしかない」のが現状だ。

日本国民を3つのグループに分けて考えたいと思う。

1.年金生活

 年金生活者は,①年金一定水準以上の暮らしをしており,②フルタイムもしくはそれに近い仕事をしていない者と定義する。年金額だけでは暮らしていけないため働いている者や,フルタイムもしくはそれに近い仕事に就いている者は除外する。

 現役世代からしてみると,彼らの年金医療費のために自分たち負担が増えており不公平感があるだろう。自分たちがその年齢になるころにはおそらくまともに年金ももらえないし,医療費も大きな負担になっているだろう。あるいは,社会保障制度崩壊しているかもしれない。そこで,年金額を下げたり医療費負担率を引き上げたりしてどうにか社会保障制度延命を図ってほしいが,そうはならない。

 彼らは(彼らの価値観で)いっぱいいっぱいの生活で(年金が足りなければ働くという発想はないし,仕事を辞めてからブランクのある彼らが働ける場もないだろう),医療費負担が上がれば話し相手がいる医療施設に行けなくなってしまい,孤独だ。

 社会保障制度危機は彼らにとっては他人事で,経済政策の変更は自らの不利になることを意味するため,多くの者は経済政策について現状維持を望んでいる。

2.現役世代

 現役世代は,①一定水準以上の暮らしをしており,②フルタイムもしくはそれに近い仕事をしている者と定義する。一定水準以上の暮らしができていない者は除外する。

 現役世代の多くは,リアリストで,自分たちの将来は半ば諦めている。「定年で仕事を辞めのんびり」なんてできなくて,死ぬまで仕事をすることになるだろう,と感じている。それだけに,この労働人口不足の時代に働かず,社会リソースを食いつぶすだけの年金生活者に対しては思うところがあるし,そこに投資し続けるのは無駄だと思っている。

 一方で,将来性がある投資には積極的な者が多い。例えば子育て支援教育に対しての投資は,自分たち負担が多少上がったとしても賛成できる。

 今後の成果が見込めない年金生活者に対する支出を抑え,将来性のある経済政策を望んでいると同時に,一定水準以上の暮らしを維持するためにこれ以上の増税は阻止したいし,減税を望んでいる。また,努力主義なので,頑張った分だけ報われてほしいと願っており,所得税増税マイナスの印象がある一方,「贅沢の代償」的側面がある消費税に対してはそこまで悪印象がない。

3.貧困

 貧困者は①一定水準以上の暮らしができていない者と定義する。

 多くの貧困者は努力不足ではなく,貧困になるべくしてなったと思っている。社会から見放されていると感じており,強い孤独感を持っている。とにかく日々の生活を成立させるためにいっぱいいっぱいなので,子育て教育など将来に対する投資ではなく,今を何とかしてほしいと思っている。

 元々の税額が低く減税による恩恵を受けにくいため,消費税の減税や現金給付など,全ての者に同等(同額)の恩恵がありわかりやす経済政策を望んでいる。

誰の失策か。

年金制度人口が増加し続ける前提の設計にした者か。労働人口が減ってもなお定年制度を維持し続ける社会か。あるいは少子高齢化社会運命か。

一つ言えるのは,「財務省叩きをするのは違う」ということだ。彼らは彼らなりの仕事をしているだけで,悪意はない。

これからも現役世代を締め上げ続け,さら少子化が進んでいく深刻な事態を引き起こすが,短期的な税収を求められる財務省はそうするしかないのだ。

現役世代は諦めよう。年金生活者への支出カットすると,金を稼ぐ手段のない者が大量に貧困さらされることになる。貧困者に金をばらまいておかないと,困窮した者による犯罪社会治安崩壊する。

現役世代からしか金を取れないのだ。現役世代は金を稼ぐ手段があり,社会的地位もあるため犯罪に走りにくい。

日々働き続け得た給料の多くを税金に持っていかれ,自分たち社会から得られる恩恵は少なく,将来に希望が持てない現役労働世代に幸あれ。

願わくは子や孫の頃には将来に希望が持てる社会にならんことを。

2024-11-16

中国男余りテクノロジー資本主義の結果らしい

現在中国男余りと言われている。

中国一人っ子政策を取ったため、男児選好が進んだ、なぜ男児選好かというと、儒教的価値観のもと、お家を継いでくれる男児がほしいから、と言われているが、なんとなくしっくりこなかった。

どうも真の原因は一人っ子政策というより、社会主義から資本主義を取り入れたことと、技術革新にあるらしい。

今、技術革新が進み、何かと淘汰が進む世の中に変わりつつあると感じている。

資本主義価値観のもと、優生主義が強くなりそうでお先暗いなぁという気持ちになってしまった

以下長々と語る

中国一人っ子政策1978年から2015年まで行われたのだが、時代地域により規制のばらつきがあったようである

1978年から1984年ごろの中国農村では、二人まで産んでよい、さらに三人でもそれほど厳しい罰則がなかったようで、その結果、産まれ子どもの数は二人から三人の間でほとんど変わらなかった。にもかかわらず、性比の上昇がみられたのである

※2

長く一人っ子政策を推進してきた中国の出生時性比が次第に不均衡化して男児選好傾向が顕著になったのは1978 年の改革開放以降のことであり、1980年代半ば以降に経済成長と相関して急上昇してきたことは印象的である(p.212:図 5-5)

※1

上記引用一人っ子政策があったものの、事実上産児抑制が緩かったため、ほとんど意味をなしてなかったにも関わらず、男児選好が進んでいた、経済成長とともに男児選好が激しくなっていったらしいことを示している。

そもそも改革開放ってなんやねん、ということなんだが、下記のことを指すらしい。

1980年代以降、改革開放が進むにつれて、農村部の基本的生産方式は、それまでの「人民公社から「家庭請負制」に変わった。「家庭請負制」の下では、農業用地権利が「集団」に属する「所有権」と農家に属する「使用権」に当たる「請負経営権」に分けられた(「二権分離」)

※5

改革開放に伴い、地方部では家族倫理が強化されたらしい。

本源的蓄積過程継続のため、儒教の「五服」、 「三従」のような父系中心の家族倫理の内容が新 たな形で改革開放以降の土地制度改革において明 文化制度化されたことを筆者は「農嫁女化」と

名付けた。

※3

実証の結果によれば、土地改革が始まった郡では、第一子が女の子であると、第二子の性比が有意に上昇した。このような効果は、一人っ子政策前後ではみられない。土地改革による出生率への影響はみられなかった。性比の上昇のうち、半分ほどは土地改革効果といえるという。また、母親教育水準が高いほど子どもの性比が高くなることも分かった。

※2

資本主義市場経済自体ジェンダー中立的システムである、という信念 はフェミニストも含めて意外に広く浸透しているが、本書が論じる中国の事 例はそうした信念に対する明確な反証と言えるだろう。

資本主義システムの 成立要件ひとつである土地商品化が夫を筆頭とする「戸」つまり家父長家族の強化によって女性の権利収奪しながら進行してきたことが示されているかである

生産手段を奪われた「農嫁女」がサービス労働者家事労働者として都会にでていくという現象もまた、あまりにも「古典的」な展開である

※1

土地改革がなぜ性比の上昇につながったのか、断言はできないが、いくつかの可能性を検証している。その結果、もっともらしいメカニズムは、農家所得の向上だという。この時代超音波技術の普及が農村では遅れており、中絶コストは決して低くなかったため、男の子のみを選択して産みたいとしてもそのすべがなかった。

ところが、所得の向上によって、比較的余裕がでてきた家計は、わざわざコスト負担して都市に出向き、男の子を選別して産むことが可能となった、というわけである

土地改革によって、男性労働力がより重宝されるようになったなど、直感的にもありえそうな他の理由は、検証の結果ことごとく否定されている。

※2

人民公社から土地開放に伴う家父長制の強化により、女性労働者としての価値が下がり、土地を守るシステムになった

かになった農村女性超音波技術を用いて不要女の子堕胎する

という話で、要は生存競争が激しくなったから足手纏いの女の子は捨てたい、それを可能にしたテクノロジーが出来たので、女の子間引きが進んだよ、という経済合理性に基づいて行動しましたよ、という話である

おまけに、中国女性労働参加率は教育の加熱化と市場化の影響を受け、1990→2018年の間で10%以上激減しており※4、正直言って、家族を守るという観点だけに立てば、個人選択は割と正解だったというのが残酷である

これなら人民公社があれば良かったんじゃないか?となるが、解体された理由は、「働いても働かなくても同じ」という悪平等主義による労働意欲の低下により国が荒れた部分であり、あれ、これって現代の高福祉国家にも通じる部分あるよね、となってしまった

なんというか時代って繰り返すのねと思う

でも、今後は北欧が失敗してるのを諸外国が見ているので、高福祉国家に戻しましょう、にはならないと思うんだよな

そうなると、資本主義出産の分野にも取り入れたような、技術を利用して生産性が高い人だけ残しましょう、胎児の間に生産性が低い人は取り除けますよ、という優勢主義が促進されるのが自然なのかなと思う

だって貧乏人や病弱なら子を残さない方がいいって価値観は強まってるしね

今後福祉制度脆弱化していくと思われるので、デザイナーベビークローン自分たちが働けなくなった時の保険として、優秀そうな子を育てるようになるのかなぁと思うが、なかなかお先は暗そうである

調べながら書いたので、間違ってる部分などあったら教えてほしい

引用文献

※1

新刊紹介●『現代中国の高度成長とジェンダー』123 ― 農嫁女問題分析を中心に』(東方書店 2022 年 7 月) 伊田久美子

https://www.jstage.jst.go.jp/article/wsj/30/0/30_123/_pdf/-char/ja

※2

第59回 いるはずの女性がいない――中国土地改革の影響 牧野百恵

https://www.ide.go.jp/Japanese/IDEsquare/Column/ISQ000002/ISQ000002_059.html

※3

歴史政治経済学視点からみる中国の「農嫁女問題」李 亜姣

https://researchmap.jp/yajiao-li/misc/46528819/attachment_file.pdf

※4

女性労働参加を更に促進、シニア労働参加は次なる課題中国

https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=67335?pno=2&site=nli#anka1

※5

市場化に向けた中国における農村土地改革

― 「農村土地請負法」と「土地管理法」の改定を中心に ―

https://www.rieti.go.jp/users/china-tr/jp/200415kaikaku.html

2024-11-15

自己責任論とかいう個責論

言わんとする事を言おうとすれば、タイトルのようになるしかないのだが、この事実が既に矛盾を抱えていて、「自己責任論という対象への批難をする他己責任論」の蔓延であるように思える。というと、他己責任論者と詰られたと勝手に感じた自意識過剰ずんぐりむっくりの干渉的なタイプ人間が、あんたはじゃあ失敗のすべては個人責任で、被抑圧的な対象に同情しないんだね、みたいなことを言ってくるのだが、まあまて。

誰もそんな事言ってなければ、あんたを責めもしていないから、一度聞け。

そんな自分を責めている被抑圧者の要求がなにを求めているのかといえば、あんたの勝手自意識の解消ではなく、まず問題の正しい把握である

自己責任論が批難される理由は、まあ端的にそういうことなのだが、自己責任論とは個人に生じた悪い現象自業自得だとする論理だ。

しかし、世の中通り一片では語れない。

ここでは、

悪い現象責任個人に帰責するのはやめろ→自己責任論は諸悪の根源攻撃→他己責任論者への転回(自己責任論への詰責、被害者加害者への転身)

という一連のプロセスが発生しているのであるが、これは個人的にも社会的にも同時並行で進行する。

個人問題社会の大問題拡張されうれば、

護身のための具術は他人へ剥ける牙にもなり得るのだ。

デフレへの視点で捉えるとわかりやすい(経済的問題はいつも視点が一点集中していて、多角的視点からつの現象を捉えようとはしない。)

通り一片というのは、負の側面だけを捉えているということで、個にとって悪質な自己責任論を撤廃、廃絶させてしまった先に何が残るのかという事を、《自己責任論者》は考えようとはしない。

そもそも彼らがしているのは、存在しない自己責任論者に対するテクストの訂正行為じみたもので、勝手に「自己責任論」という議題を設定して問題を追求しようとしているようなものだ。

まり、そのような対象(自己責任論者)は現実人格としては存在しないに等しい。だから、それに対する攻撃は、そもそも何に対して怒っているのか、攻撃しているのかがわからない。

から彼ら自身が《自己責任論者》となる。

が、彼らの攻撃自己責任論者として現実人格を叱責する。換言すれば、自己責任論の問題現実に帰責し、具体化する(してしまう)ことで、無関係他者を詰問する。

このような状態人格二元性と名付ける。この名称自体にそんな錯誤と矛盾が表れている。あたかも「自己責任論」のように。

そのような状態では言論攻撃的か、批難的か、あるいは攻撃的に批難的かになる。

整理しよう。

自己責任論の負の側面は悪い現象自業自得になるということだが、では正の側面は良い現象自業自得=本人の努力という捉え方に回収される事だろうか?

注意してほしいのはここで人格二元化された観念的な状態区別することだ。

まり、”自己責任論の正の側面として何らかの良い現象を受けている個人なんていないということ”だ。

たか上級国民に向けられる復讐根性のように、これ自体が正の論理から、負の論理はわからないとか、そういう事もない。

なんていうか、まずその、あなたの負の状況というものが無い。その穴も都合よくつくられたシチュエーションである

自己責任論も単なる視点にすぎず、良い現象も悪い現象もない。

にもかかわらず自己責任論が個人である私を批難しているように”現実において”感じるとしたら、それはたぶん観念的な他者への他責社会意識にまで拡張された時代からで、だからって別に一方的他責されてる被害者がいるわけではない。そんなふうに思うやつがいれば自身が目の敵にする迫害者と同じ。だが、そんなふうに思うやつが実在するわけではない。

その社会においては、皆が被害者で、加害者だ。

しかし、そのような変質を受けたものではない、自己責任という語句意味については肯定されるべきで、本当に憂いるべきは誤った負の観念が正しい意味まで同時に否定してしまう事だ。

さて貴方が本当に否定したいのは、自己責任論ではなく、それ自体誤った自己責任論の状態であり、求めているのは、廃絶という意味ではない負の否定である。負は無限に廃絶されるべきだ。だがその循環自体廃止は誰も望んでいない。

負の状態否定するために廃止を望んではならず、この廃止を望んでいる状態廃止された状態が負の状態といえるのではないか

一定結論を出すために、個人個人責任を持つべきだし、持てる社会状態が結局は望まれている。

しかし、「自己責任論」に限らずに、誤った観念がそれを阻害している。その状態改善こそが求められている。だから問題なのは自己責任論」そのものではない。「自己責任論」という記号問題にまつわる状態の全て。「自己責任論」がどのように社会において問題にされているかというシチュエーションが最も討議すべき根幹的な問題。それを問わない結果が誤った方向に行く。諸悪の原因は本当はこれ。なので、誤った社会的観念における誤った状況の防止のために、誤った社会的観念個人の逸脱の原因という意味で、社会責任のがれなんかせずに、「自己責任論」なんて議題の設定の仕方はやめて「個人責任」とか「個責主義」とか、もっと現代的な抑圧論に結びつけて考えたらいいし、そうするべきだと思う。

問題なのは自分の及ばない範囲問題まで自分責任にされているというか、そうだからって自己責任否定するんじゃなくて肯定するのが大事だっていう事なんだけど、その自己責任っていうのは正しい言葉意味肯定しようってことで、社会的に捻じ曲げられた仮置の信号として解釈すべきでなく、そこに置くべきではない。社会的には個人社会責任があるという自負でよくないか

自己責任論の提起のされ方がどこか病理的に思える。

テクストの訂正と、自己責任《論》

兵庫県知事選がぐちゃぐちゃになっているのを見ると、いわゆる「お上の言うことは信じられない」というタイプ政治不信が起こっているのではなく、「マスコミ各社が報道する『正当な』報道は信じられず、SNSWeb口コミは信じられる」という、オルタナティブファクト主義が幅を利かせてるんだろうな

11月15日、反AI絵師様たちの集団自滅記念日。」の気になる点

結構アレだなぁ、と思う日記があったのでちょっとツッコミをしてみる。

私は2桁年ほど漫画イラストに携わって細々と生活しているクリエイターの端くれだが、正直言ってこの1ヶ月の絵描き界隈の道化っぷりにはひたすら「呆れ返る」以外の感想が持てない。

↑Xの話をしていると思うのだけど、「絵描き界隈」と主語を大きくしているように思う。まあ、Xが絵かきにとって一番大きなコミュニティとは思うけれど。

11/15にX(元Twitter)の規約が変わる、私達はAI学習に否応無しに同意させられる事になる」

そんなポストが大バズリしたのがつい先月。

実際には、Xのプライバシーポリシーには元々「投稿者ポストをXのAIトレーニングに利用する事に同意する」旨が2023年9月時点で既に記載されている。そもそも日本の法において、学習のもの拒否する権利最初から無い。

しかし、その自明であったルールが「聡明な」反AIさんによって「新発見」され、反AIさん達は空が落ちてくるかのように大騒ぎ。

↑「今更そんなことを騒ぎ立てるなんて、情報が遅いねぇ」程度の嫌味ならわかる。ただ自分としては知らなかった人間もそりゃあ居るだろうなくらいに感じていた(利用規約とか改定とか読まない人間も多かろう、特にXを頻繁に見るような人間でないなら今回のバズリで初めて知った人もいるだろうなぁくらいの意味)。

AIに反対してるくせにそんなことも知らないのか、という意見なら一理あるかもしれないけど、2023年9月以降にAIに反対することを決めた人間最初改定を知らなくてもおかしくないように思う。

から空が落ちてくるかのように云々は、新しく知った人が中心になって騒がれているのだから主語は「反AIさん」ではなく「9月頃にあった規約を読んでいなかったので、初めてその規約を知って危機感を持った絵の生成AIに反対する人間」が正しいと思う(長いから略したくなる気持ちはわかるが)。

そもそも深層学習構造を考えると、億単位画像学習している基盤モデル自分作品が数十枚食われた程度で、個人の絵柄が再現できるはずもない。そのため当然、特定作家個人創作活動が脅かされる事もない。

↑狙い撃ちLoraの話を後半でしているのに「特定作家個人創作活動が脅かされる事もない」と主張をするのはちょっと無理があるかなと思う。となるとここは、それこそ後半でも語っている通りまだAIについての知識が浅いのだろう。

それは1年以上前から自分作品AIに既に食われ続けているという事実を鑑みれば、今後も影響が無いことぐらい少し考えれば予想もつくだろう。

↑例えば狙い撃ちLoraは作家に悪影響を及ぼしているのでは?あとソースは忘れたので無いものとして扱って貰って構わない意見だが、一部絵描き名前プロンプトで指定できるという仕組みがどこかにあったように思う。

……と、思っていたのだが。

自分の絵がAIに好き勝手されるのは嫌だ」(人間も好き勝手二次創作して金稼ぎしてるが?)←そも二次創作場合では一次側に拒否されたり、差し止められる事がある。その事を考えると「好き勝手」「金稼ぎ」は少々悪意のある表現だろう。二次創作ではなく勝手に着彩されるとかトレスのほが絵かきの感覚に近いのではないか

AIを許容してると思われるのが嫌だ」(そんな個人主義思想差別するような人間集団にいるの?付き合う友達選んだ方がいいですよ)←多分絵描き友達が少ない、それか本気で本音を語り合える友人がいないんだろうなと感じた。それは勝手感想から流すとして、現状絵の生成AIについて静観していた否定寄り中庸派の人がそう言っていただけでは?と思う。自分立場勘違いされたくなくて出た言葉なのでは?と。まぁここは自分がそういう立場人間ばかり見たというだけの話だとも思うが。後半を見るにこの方はそういう集団から抜けた人なのかなと思いついた。

などなど、AIアレルギーと思しき絵描き達の断末魔と、それら1つ1つを数千リポストまでせっせと拡散して「自分達はこんなに苦しんでるんだ」「こんなに多くの人達賛同しているか自分達は正しいんだ」とアピールする人達

淡々と言えばいいのに、変なところに悪意が漏れている。群れたって何の意味もないのに、程度の意見で良いように思う。

ある者はGlazeやらNightshadeやらで絵を汚すことで安心(=プラセボ効果)を得ようとし、

別にXに上げる絵を汚しても(自分はそこまで汚れてるとも思わないが)、学習のされにくい他サイトオリジナルの絵を上げればよいのだから別にこれを愚かとは思わない。安心のためにやっている人間も居るだろうが、そもそれは悪いことではない。

ある者はXに見限りをつけて他のSNSを探し始め、

ある者は「何故私達が出ていかないと行けないんだ」(お前達がそうしようと決めた事なのに?)と恨み言。

↑「お前達」とは誰?集団個人混同してはいけない。

私は、彼らが自分の絵を汚す事で安心自己肯定感が得られるなら別にそれでも良いと思う。

このへんはファッションと一緒かもしれない。自己満足しかなくとも、ちょっと高い服やネイル等を身に着けることによって「自分がこの場に居ても良い」という確信が得られる。そうして得た自信や承認が、例え虚栄であろうとも人生プラス方向に持ち上げていく、そういった側面は少なからずあると思う。

ただ、私が観測する限りにおいては、それら学習阻害技術なりウォーターマークなりが具体的にAI学習の何に対してどういった効力を示すのか、などの技術面を踏み込んで理解している/しようとする絵描きはほぼ居なかった。

https://qiita.com/miu200521358/items/5140ce700a9481aa15e3とかを見ればそれを調べてる人もいる。まだ知らない人たちに教えてあげればいい。例えしようとしていなくても、知らせることはできるのだから

ただただ何となく「それをすることでAI野郎が離れてくれるおまじない」程度の、Xでバズっていた誰かの噂話を鵜呑みにすることでしか技術理解できない、その程度の浅いリテラシー人達ばかり。

一部の絵描きは「何で苦労して描いた絵をこうして汚さなきゃいけないの」と被害感情をむき出しにしながらノイズを乗せている体たらくだ。辛いなら汚さなきゃ良いのに。

↑多分自分リテラシーが高い側だと思っているんだろうけど、そうでもない。「辛いなら汚さなきゃ良いのに」には少し共感するが、それも他サイト誘導して見てもらえればいいだけの話だと思う。

本当にAI自分生業を脅かす技術だと思うなら、何故敵のことを正しく知ろうともせず、自己流で対処しようとするのか。

無学の人間が無い知恵を絞って対策を講じても、的外れしかならない。

自分知識があると思っている無学の人間が、無い知恵を絞って批判をしようと、的外れしかならない。自己流で対処というのはどういうことか、敵を知るとは何を指しているのか、何故あなた観測した絵描きという限られた範囲の話でここまで悪意を噴出させられるのかがわからない。仮に正しい対処をしている人を見つけても、結局この方は認めないだろう。「間違っている」というばかりで、正しいことを広める努力特にしていないだろう(してたら申し訳ない)。勝手な決めつけをしたあとで言うのは説得力に大きく欠けるが、相手をあまり決めつけで愚かと思わないほうがいい。あなた観測した範囲の中にも、対処法を探ったり生成AIについて正しく勉強をしている人もいるかもしれない。あなたなりの「正しい方法」とやらがあるのなら周りにそれを伝えれば良い。愚痴が吐きたいだけの人には重すぎるかもしれないが。

マスクなんて意味がない」「コロナワクチンは人を殺す、イベルクチンを使おう」

そんなエセ科学で吹き上がる陰謀論デタラメを、かつて私達は知識を以て一蹴してきた筈なのに、今では絵描きとその信者達が同じ穴の狢となっている。根底感情論でしかないという点でこれらは同一のものだ。「ワクチンが嫌い」「技術者が嫌い」「AIが嫌い」

根底感情論、の何がいけないかを示していない。感情論であっても、「マスクには意味がある」「コロナワクチンは人を救う」からそれを激しく推奨するという感情論があったとするならそれは正しいと褒められるべきことである。この方は生成AIへの知識がほんの少しだけあり、かつ周囲の人間自分より知識がないと見下しているから、自分意見に沿わない人間を「愚かである」「(自分の意に沿わない)感情である」と言えるのだろう。だから同じ穴のムジナであるのは(一連の行動がまだ正しいことであるか判然としていない今であれば)あなたかもしれないことは注意すべきである

そして、正しい意見啓蒙にさえ「冷笑系」とレッテルを貼って、冷笑されたと被害アピール火種に焚べ、エコーチェンバーの中に閉じこもる。

↑こういう人間は実際にいる、がこの方はそれを全てだと思ってしまっている。正しい意見とやらがどんなものかはわからないが、この方にとっては正しいもので、それを拒否している人間を見て激しく失望したのだろう。自分にとっても、そういった耳を傾けない自分の殻に閉じこもった人間は好ましくない。

そういう人を嫌いだという感情は、理解ができる。

ああ、今日もまた「ぼくの考えた最強のウォーターマーク」が木っ端の絵描きから上がってくる。

それを使うことで学習阻害効果がどれだけあるかどうかの比較検証は?

そんなのある訳がない。これは洗剤のCMじゃなくてただのおまじないなんだから

https://qiita.com/miu200521358/items/5140ce700a9481aa15e3をみればいい。そんなのある訳がある。おまじないだとおもっている人間は誰なのか。

「生成AI使用者に協力を仰いで、比較検証してもらっては?」

「もちろんやる訳がない。AI無法者は会話の通じない土人達だからな」

「何故AI使用者モラルが低い、会話の通じない者と断じるのですか?」

「俺のタイムラインじゃみんながそう言ってる!俺も生成AI使用者犯罪者と罵ったら著作権がどうこうで激詰めされた!」

著作権違反行為ではない行為を端から犯罪扱いしたら反発を食らうのは当然では?」

「うるさいうるさい!俺達から何も奪うな!AI推進者は全員敵だ!俺達だけが正しいんだ!!」

ああ、私と相互フォローになってくれていた、素敵な絵師サマの先生の中に、こんなにも愚かな思想の持ち主がたくさん紛れていたなんて。自分の人を見る目の無さが恥ずかしい。(全員ではない。数百人フォローしていた中での体感5~6割ぐらいだが……女性絵描きの方の界隈ではもっと多いだろうね)

↑これで失望したのだろう。まあ著作権違反については議論余地があるとして、この方は周りの意見に流される人間軽蔑しているようだ。

完全な決めつけだが数百人フォロー云々の下りは半分嘘だろう。過激な反対派が10人足らずいてそれ以外の反対派も少しだけ見て足して5~6割とみなしたかそもそもアカウント過激な反対派の人以外ほぼ見ていないかのどちらかだろう。

過激な人の言動は確かに自分もどうかと思う部分はあるが、数百人のうち5~6割がその愚かな思想とやらを持っているとは思えない。多分この方の体感的には本当に「たくさん」だったのだろう。

私自身の絵描き視点として生成AIを考えると、生成AI及びAI作品ライバルではありこそすれ、クリエイター業そのものを脅かすほどの力はないと考えている。

自分は絵の生成AIライバルではなくノイズだと考える。クリエイター業はクオリティの面で脅かされるのではなく、生成物の物量と誰でも触れられるという手軽さで脅かされる。個人作品に触れづらくなり、触れる必要もなくなってしまうという方が正しい。

pixivなどを見るに顕著だが、生成AIの登場後に作品数は急増した。今はAIタグというものがあるが、それをつけていない作品もちらほらある。これが続くと、供給量と需要釣りわず作品は誰かに探されなくなり、探されないうちに埋もれてしまう。

クオリティではなく数が問題で、作品の展示場をゴミまみれにするという意味では商売敵というよりただの敵である(ゴミと感じるかどうかは人によるが展示場に参加した人間にとっては不愉快だろう)。

作品ではなく使う人間と、その人間が生み出せる数こそがクリエイター業の人間にとっての脅威になると、自分は考える。

誰にも見てもらえないなら、どんなに素晴らしい作品評価されないのだから

恥ずかしながら私はまだまだAIについて無学のためCNの使い方すらまともに理解していないのだが……少なくとも自分で使った時は決まったキャラクターシチュエーションを安定して生み出すことはなかなかに難しく、描き手が表現したい物語を過不足なく表現するにはかなり制御が難しいツールだと感じた。ランダムアイデア出しにはかなり便利だけどね。

↑ここでAIについて無学と言っている。いままでのこき下ろしはなんだったのか。

DLSiteにおける販売数などを見ても、AI主体作品はまだまだ下火で、手描きのイラスト集と比べて1~2桁は販売数が下回る。2年前からずっと、手描きの価値毀損されてなどいない。私自身、収益も減ったりはしていない。

↑なぜ今しか見えていないのか、生成AIが誰の反感も買わず受け入れられるようになってからでないといずれ収益価値に影響が出ると思えないのだろうか。

AI作品が下火なのは、生成AIに対する問題点が完全に払拭されていないかである。現状ではグレーな行為だと認識されているからまだクリエイターへの影響が軽微なだけである自分は考える。

タグなどを用いて徹底した棲み分けが行えない場合は、現行のクリエイター殆ど滅びるだろう。

生成AIというのは、ただの道具でしかない。

↑わかる。問題なのはレギュレーション

ただ、少なくとも革新的技術であることは間違いないんだから、「無断学習」などというよくわからないレッテルを貼って排除するべき存在ではない。ましてや法を侵さず生成AI使用している者まで問答無用簒奪者という扱いにして社会から排除しようとするのは、暴力差別に他ならない。

↑これも分かる。簒奪者扱いをするは良くない。ソフト倫理面に問題はあれど、現状ではまだ規制されていないのだから。ただし、革新的技術であることと保護すべきかどうかは別の話であるソースは忘れたので無価値に等しいが、欧州では規制の流れができつつあるそうだ。そして保護するべきかどうかを決めるのは個人というより社会や時流であり、今はその主張を自分の意に沿うよう引っ張ろうとしている個人が多くいるだけである。我々は意見を主張しながらも、決定に従うほかない。だから現状では否定肯定派の正しさとやらは存在しない、未決定なのだから。当然倫理は守るべきとは思うので、社会から排除しようという風潮自体は好ましくないが、それにしたって決定に従うほかない。明日にはひっくり返るかもしれない決定に。

インターネットに転がっているものを無断で学習し、個人特定できない形に組み替えて再利用するのなんて、AIだろうと人間だろうと当たり前にやっていることなんだから

AI人間学習は違うものである。@VoQnさんのポストでも遡ると分かる。

生成AIには確かにまだまだ法的な課題もある。狙い打ちLoRAと呼ばれる特定作家個人に絞った学習モデルや、ディープフェイクなんかがそうだね。

しかしそれらの問題を掲げた時、私達が論ずるべきは「それらの問題をどのように規制し、どうすれば安全に生成AI社会利用できる仕組みを構築するか」のはずだ。

同意するが、主語は「絵や動画の生成AI」であり、生成AIではない。それ以外は絵の分野から論じても意味がない。

過度に互いの派閥を敵視しすぎるというのは問題だと自分も思う。が、絵かきの中には食い扶持を減らされると思う人間も居るだろう。そしてその可能性は的はずれなものではないと考える。

排斥はいけないことだが、それを行う人間感情はどうしたって消せないものだ。

もっとも、話し合いが成り立たないのは陣頭に立つ人間がいないからだと思うが。

個人個人が話し合っても意味はない。チラシの裏落書きに過ぎないからだ。界隈だの派閥だの言われてはいるが、その実意見を発表する人間が居るだけで、誰も責任をとろうとしていないのだから価値ある疑問にも回答にも意味がなくなってしまう。

から我々が個人としてするべきなのは、然るべき機関への署名提出や意見提出であって、レスバではない(この日記否定したくて書いている自分が言えた義理ではないが)。

例えばスマホだって本邦では年間数千件の盗撮被害が発生しているが、それら問題を以て「スマホorカメラを世から根絶しよう」なんて言い出したらただの狂人だ。

しか絵描き達は、あろうことか「どうすれば生成AIを根絶できるか」「どうすれば絶対学習されないか」といった妄言を唱え始めた。

残念だけどそれはもう、歩いて月まで行くぐらいには無理な願いだ。イラスト生成に限らず、翻訳検索機能、ChatGPT等、大規模言語モデルによる生成技術は既に社会の根幹を為すインフラの一部になっている。

イラスト系以外の生成AI規制しようとしている人がいれば、それは生成AIへの拒絶反応だと思うが、現状イラスト系に対して学習を阻害するというのはある種効果である

この阻害をスタンダードにしてしまえば、例えば新規IPキャラは生成AIで生み出しづらくなるだろう。その妄言とやらが案外的を射ていたりするものである

自分としては、学習の許諾、AI作品へのPermalink | 記事への反応(2) | 13:04

anond:20241113002855

9条があるから戦争に巻き込まれなくていい的な意見をよく見るが、そもそも9条無しで戦争に巻き込まれないために何が必要なのか追及しろよと思うわ。それが独立国家ってもんだろ。

アメリカからしたら9条あるからOK、君は何もしなくて良いよ。じゃなくて参戦しない代わりになにか寄越せって話だし、何かを提供する代わりに参戦しないという交渉なら9条なくても出来んじゃん。

ってのが日本アメリカ戦争に巻き込まれないという観点での話。

一方、日本他国に攻められる話で言うと中国ロシアのような侵略主義権威主義国家があり、日本いくら平和主義標榜しても侵攻される可能性は大いにある。

反撃しかしてこない国と向こうから攻撃してくるかもしれない国、どっちが戦略を組み立てやす交渉をしやすい国かちょっと考えりゃ分かるだろ。軍事行動には移さず外交だけで完結する場合でも絶対後者の方が良い条件引き出せるしな。

9条信者って戦えるけど戦わずギリギリの線で交渉するみたいな発想がポッカリ抜けてるよな。条件揃ったら即戦争みたいな発想で怖いわ。

11月15日、反AI絵師様たちの集団自滅記念日

私は2桁年ほど漫画イラストに携わって細々と生活しているクリエイターの端くれだが、正直言ってこの1ヶ月の絵描き界隈の道化っぷりにはひたすら「呆れ返る」以外の感想が持てない。

 

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11/15にX(元Twitter)の規約が変わる、私達はAI学習に否応無しに同意させられる事になる」

 

そんなポストが大バズリしたのがつい先月。

実際には、Xのプライバシーポリシーには元々「投稿者ポストをXのAIトレーニングに利用する事に同意する」旨が2023年9月時点で既に記載されている。そもそも日本の法において、学習のもの拒否する権利最初から無い。

 

しかし、その自明であったルールが「聡明な」反AIさんによって「新発見」され、反AIさん達は空が落ちてくるかのように大騒ぎ。

そもそも深層学習構造を考えると、億単位画像学習している基盤モデル自分作品が数十枚食われた程度で、個人の絵柄が再現できるはずもない。そのため当然、特定作家個人創作活動が脅かされる事もない。

それは1年以上前から自分作品AIに既に食われ続けているという事実を鑑みれば、今後も影響が無いことぐらい少し考えれば予想もつくだろう。

 

……と、思っていたのだが。

 

自分の絵がAIに好き勝手されるのは嫌だ」(人間も好き勝手二次創作して金稼ぎしてるが?)

AIを許容してると思われるのが嫌だ」(そんな個人主義思想差別するような人間集団にいるの?付き合う友達選んだ方がいいですよ)

 

などなど、AIアレルギーと思しき絵描き達の断末魔と、それら1つ1つを数千リポストまでせっせと拡散して「自分達はこんなに苦しんでるんだ」「こんなに多くの人達賛同しているか自分達は正しいんだ」とアピールする人達

ある者はGlazeやらNightshadeやらで絵を汚すことで安心(=プラセボ効果)を得ようとし、

ある者はXに見限りをつけて他のSNSを探し始め、

ある者は「何故私達が出ていかないと行けないんだ」(お前達がそうしようと決めた事なのに?)と恨み言。

 

私は、彼らが自分の絵を汚す事で安心自己肯定感が得られるなら別にそれでも良いと思う。

このへんはファッションと一緒かもしれない。自己満足しかなくとも、ちょっと高い服やネイル等を身に着けることによって「自分がこの場に居ても良い」という確信が得られる。そうして得た自信や承認が、例え虚栄であろうとも人生プラス方向に持ち上げていく、そういった側面は少なからずあると思う。

ただ、私が観測する限りにおいては、それら学習阻害技術なりウォーターマークなりが具体的にAI学習の何に対してどういった効力を示すのか、などの技術面を踏み込んで理解している/しようとする絵描きはほぼ居なかった。

ただただ何となく「それをすることでAI野郎が離れてくれるおまじない」程度の、Xでバズっていた誰かの噂話を鵜呑みにすることでしか技術理解できない、その程度の浅いリテラシー人達ばかり。

一部の絵描きは「何で苦労して描いた絵をこうして汚さなきゃいけないの」と被害感情をむき出しにしながらノイズを乗せている体たらくだ。辛いなら汚さなきゃ良いのに。

 

本当にAI自分生業を脅かす技術だと思うなら、何故敵のことを正しく知ろうともせず、自己流で対処しようとするのか。

無学の人間が無い知恵を絞って対策を講じても、的外れしかならない。

マスクなんて意味がない」「コロナワクチンは人を殺す、イベルクチンを使おう」

そんなエセ科学で吹き上がる陰謀論デタラメを、かつて私達は知識を以て一蹴してきた筈なのに、今では絵描きとその信者達が同じ穴の狢となっている。根底感情論でしかないという点でこれらは同一のものだ。「ワクチンが嫌い」「技術者が嫌い」「AIが嫌い」

そして、正しい意見啓蒙にさえ「冷笑系」とレッテルを貼って、冷笑されたと被害アピール火種に焚べ、エコーチェンバーの中に閉じこもる。

 

ああ、今日もまた「ぼくの考えた最強のウォーターマーク」が木っ端の絵描きから上がってくる。

それを使うことで学習阻害効果がどれだけあるかどうかの比較検証は?

そんなのある訳がない。これは洗剤のCMじゃなくてただのおまじないなんだから

「生成AI使用者に協力を仰いで、比較検証してもらっては?」

「もちろんやる訳がない。AI無法者は会話の通じない土人達だからな」

「何故AI使用者モラルが低い、会話の通じない者と断じるのですか?」

「俺のタイムラインじゃみんながそう言ってる!俺も生成AI使用者犯罪者と罵ったら著作権がどうこうで激詰めされた!」

著作権違反行為ではない行為を端から犯罪扱いしたら反発を食らうのは当然では?」

「うるさいうるさい!俺達から何も奪うな!AI推進者は全員敵だ!俺達だけが正しいんだ!!」

ああ、私と相互フォローになってくれていた、素敵な絵師サマの先生の中に、こんなにも愚かな思想の持ち主がたくさん紛れていたなんて。自分の人を見る目の無さが恥ずかしい。(全員ではない。数百人フォローしていた中での体感5~6割ぐらいだが……女性絵描きの方の界隈ではもっと多いだろうね)

 

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私自身の絵描き視点として生成AIを考えると、生成AI及びAI作品ライバルではありこそすれ、クリエイター業そのものを脅かすほどの力はないと考えている。

恥ずかしながら私はまだまだAIについて無学のためCNの使い方すらまともに理解していないのだが……少なくとも自分で使った時は決まったキャラクターシチュエーションを安定して生み出すことはなかなかに難しく、描き手が表現したい物語を過不足なく表現するにはかなり制御が難しいツールだと感じた。ランダムアイデア出しにはかなり便利だけどね。

DLSiteにおける販売数などを見ても、AI主体作品はまだまだ下火で、手描きのイラスト集と比べて1~2桁は販売数が下回る。2年前からずっと、手描きの価値毀損されてなどいない。私自身、収益も減ったりはしていない。

生成AIというのは、ただの道具でしかない。

 

ただ、少なくとも革新的技術であることは間違いないんだから、「無断学習」などというよくわからないレッテルを貼って排除するべき存在ではない。ましてや法を侵さず生成AI使用している者まで問答無用簒奪者という扱いにして社会から排除しようとするのは、暴力差別に他ならない。

インターネットに転がっているものを無断で学習し、個人特定できない形に組み替えて再利用するのなんて、AIだろうと人間だろうと当たり前にやっていることなんだから

 

生成AIには確かにまだまだ法的な課題もある。狙い打ちLoRAと呼ばれる特定作家個人に絞った学習モデルや、ディープフェイクなんかがそうだね。

しかしそれらの問題を掲げた時、私達が論ずるべきは「それらの問題をどのように規制し、どうすれば安全に生成AI社会利用できる仕組みを構築するか」のはずだ。

例えばスマホだって本邦では年間数千件の盗撮被害が発生しているが、それら問題を以て「スマホorカメラを世から根絶しよう」なんて言い出したらただの狂人だ。

 

しか絵描き達は、あろうことか「どうすれば生成AIを根絶できるか」「どうすれば絶対学習されないか」といった妄言を唱え始めた。

残念だけどそれはもう、歩いて月まで行くぐらいには無理な願いだ。イラスト生成に限らず、翻訳検索機能、ChatGPT等、大規模言語モデルによる生成技術は既に社会の根幹を為すインフラの一部になっている。

イラスト生成のみを排除する法規制を願うことは、「無断学習」によって成り立っているそれらを真っ向から否定することになる。そんな無茶苦茶が通るはずもない以上、その願いはただのワガママしか無いだろう。

 

それを受け入れられない絵描き達は、今も #NOMORE無断生成AI などのタグ付けでさも自分たちが正義の側にいるかのように喧伝する。

著作権大前提たる類似性依拠性の話をすっ飛ばし「人のものを取ったらどろぼう!」程度の解像度で、自分達の意にそぐわない者をネットリンチで黙らせる。

法で論破されて涙目になりながら、生成AI根絶法などという、来るはずもないスーパーヒーローが颯爽と現れてAIロジハラ野郎共をやっつけてくれる事を夢想する。

AI生成者にフォローされたと見るや「泥棒フォローされた。気持ちいかブロックしました……」などと、その人が具体的に何の罪を犯しているかも示さず、まるでアリを潰すかのような勢いで名誉毀損を仕掛けながら被害アピールポストし、お仲間にヨシヨシしてもらおうとする。

そして、「自分作品を削除する」「ノイズ(学習されないおまじない)をかける」などの行動よって、社会にとって既に当然として受け入れられている生成技術に一矢を報いているつもりになる。

Xの規約11/15前後で何も変わっていない、もう既にあなた作品学習され尽くしているというのに。

生成AIに対する誤解とデマに踊らされた彼らは、癇癪の勢いのまま自らの作品を傷つけ破壊し、最も拡散力のあるSNSの1つを捨て去る道を選んだ。この幼稚な結末は、集団自滅以外の何者でもないだろう。

そうしてこの騒動は、ただただインフルエンサーという名の親鳥が生成AIを嫌いになるための餌を運んでくれるのを待つことしかしなかった、司法への働きかけを怠った反AI達のラダイト運動未満のキャンセルカルチャーの末路として、10年後には笑い種として教科書記載されるのだろう。

 

────────────

 

私が細々と絵を描き続けてきた人生で、私は多くの仲間に支えられ、いつしか自身IPを抱えるまで成長させてもらった。

「この人、素敵な絵を描く人だな。いつかこの方にお金を払ってゲストイラストとか依頼してみたいな」

そう思っていた絵描き先生方は、反AI思想に狂って皆おかしくなり、私の人生で決して関わりたくない者リストの一員に堕してしまった。

 

2年前にNovelAIが登場してその生成物を見たとき、こんな性癖主題あやふや作品達にはあまり魅力を感じないな、と思っていた。

しかし今では正直、AI作品の方が見ていて落ち着くよ。生成ユーザー技術的な向上心を以て日々クオリティアップに励んだ努力の結果が作品に表れているのもそうだが、一番の理由は……彼らは「AI学習禁止」などという存在しない権利を振りかざして、無実の集団犯罪者呼ばわりするレイシストじゃないからね。

正直、推し作家さんが作品を消してしまうのは悲しい。が、技術進歩にとって有害デマを撒き散らし、自作を切り付けるリスカによって無知蒙昧を晒す痴態を眺めるぐらいなら、これからはもう私が保存したアルバムの中だけの「素敵な絵を描いていたあの先生」という思い出でいて欲しい。

 

AI、改め「名誉毀損差別キャンセルカルチャーだいすきならず者集団」の皆様へ。

どんなにダブスタだオキモチだと批判されても己が道を貫き、お引越し先の方では心穏やかに創作活動を続けられる事をお祈り申し上げます

お願いですから、二度とX(元Twitter)には戻って来やがらないで下さいね

2024-11-13

財政均衡主義してて600兆返せるの?

財政均衡主義ってダメなん?調べるほどに積極財政が良さそうに思うけど。

財政均衡主義がんばっても600兆返せないなら、均衡がんばるのも程々にして積極財政バランス取りにいくのが筋が良いのでは

小中不登校高校中退大学中退

自分は駄目な人間だった。小学校の高学年のとき心因性頻尿になって外に出られなくなった。

金曜の、ピアノ教室の直前だった。その日突然トイレが近くなって、結局家の周りをぐるぐる車で回った挙句に帰った。

それからの日々は地獄だった。家から出ることすらできなかった。私自自分に何が起こったのか理解できなかった。

学校は、授業は嫌いだったけど友達は好きだった。学年みんな友達だと思っていた。みんなの名前と顔を覚えていた。

学校に行けなくなった。

学歴主義権威主義の父は、私のことを人間じゃない何かを見る目で見ていた。

私は当時の記憶があまりない。ただ、下手くそに隠された不登校に関する解説本や、

リビングで両親が自分について語り合ってるのを察するのがつらかった。

そのあと数ヶ月してから学校に復帰したけど、結局私は中学校不登校になって、高校も退学した。

大学受験は当然するものだと思っていたので、高校退学前に高認を取って、

中退後は勉強のやる気が出るまで少し時間をもらった。結果的には一浪という形で

MARCHの少し下くらいの大学に通うことになった。みんなが最初受験をしていた年は、何も勉強していなかったが。

田舎を出て、東京で姉と二人暮らしをすることになった。

大学に行き始めて数ヶ月でやっぱり行けなくなって、2年ほど休学した。

自分は何故生きているんだろうとよく思った。死ぬ勇気は無く、事故で死なないかな、と妄想していた。

復学後は配慮申請をして、出られなかった授業のプリントを貰ったりしていた。

私の時代不登校発達障害時代最先端社会問題で、まだ数が少なく、学校大学側も対応に苦慮していた。

体調が悪くなりやすいので、保健室を使う許可をもらい、授業の隙間はベッドで寝るようにしていた。

大学地獄だった。面白い授業もあったと思うが、何の目的もなく社会学勉強し、

ヴェーバーやデュルケム、フーコーマクルーハンなどを習った。個人的にはヴェーバーが好きだった。

大学時代地元に帰ったときに暇で仕方なく、日経ネットワーク初心者用のTCP/IP解説本を買った。たまたま立ち読みして面白そうだったからだ。

それから何冊か自分ネットワークに関する本を読んだ。面白かったし憧れたが、

自分文系だし人生に夢も希望もなかったので、これはただの遠い憧れだな、と思いながら過ごした。

しばらくして、最初に買った日経ネットワークの本以外ほとんど捨ててしまった。読んでも意味がないと感じていた。

大学も結局中退した。3年にやっと上がれるという冬の試験で、起き上がれなくなった。

毎日天井を見て過ごした。今日は○○の試験だったのに…と思って、泣きながら過ごした。

ここで単位を落としたことで、卒業まで想定より1年だか2年かかりそうだなと自分計算し、心が折れた。

何度目の挫折か数えるのも嫌になっていた。

大学中退後は、大学時代にできなかったことをしようと思い、

画家さんの絵の手伝いに行ったり、フォトコンに応募したりしていた。絵と写真けが自分が唯一続けてきたものだった。

それも当然上手くいかず、暫くして、父から障害年金手帳をとるように言われた。父には逆らえなかった。

父に逆らえる人は家族の中で誰もいなかった。とても怖い人だったから。

父は節税になる!と喜び勇んで説明し、私は、やっぱり自分は道具なのだなと思いながら、そのまま手帳年金を取得した。

初めて自由に使えるお金を手にした。20代後半で、初めて自分家具を買っていいことに気づいた。

家の中を、好きだった祖父母の家を模すような感じに作り変えた。

友人が美術館バイトを紹介してくれたので、小さな美術館で週3日のバイトをすることになった。

が、その直後にコロナ禍になって、半年ほど美術館は閉鎖することになった。

休業補償?だか何だかで、一応もらえた。その年の秋から再開した美術館スタッフを少しやって、年末年始地元に帰った。

両親に、戻ってくるように言われた。

父の会社が上手くいっておらず、母方の祖父母から大変な額の借金をしていた。

利益なんて10年ほど出ていなかったらしい。元々何をしているのかわからない

人に説明するのが困難な父の会社だったが、父はとにかく経営センスがなかったらしく、酷いことになっていた。

私は一度地元に戻る決意をしたが、やはり怖くて直前になって無理だと母の前で泣いた。

地元に戻っても居場所はないと感じていた。東京にもなかったけど…。

それからバイトを増やしたが、結局駄目になって初夏に辞めた。

すぐに次のバイトを探したが、それも2ヶ月しか続かなかった。秋からまたバイトを始めた。

小さめの不動産会社事務をしていた。年始にまた、今度は以前より強めに、帰ってくるよう説得された。

私はすぐに市の生活相談窓口に駆け込んで、就労移行支援ギリギリ間に合ったコロナ関連の貸付金を紹介してもらった。

課税世帯なので、返済する必要はないか安心して、説明された。

自分決断は、生活保護になってでも東京にい続けるというものだった。コロナの貸付金で一時的に数十万のお金が手に入ったので、

それを使い生活保護でもやっていける物件引っ越しをした。不動産も一人で回ったし、引越しの手配も手続きも全て一人でやった。

就労移行支援は少し通ったが、この時間バイトをした方がマシに思え、すぐに辞めてバイトを探した。

並行して勉強を進め、基本情報技術者試験合格した。その後障害者雇用で小さなコンサル会社資料作りのバイトをし、

その間にMOSExcel Expertを取った。お金をかなり切り詰め、貯金を始めた。結局生活保護にはならなかった。

翌年バイト契約終了になったので、ネットワーク仕事チャレンジすることにした。

人生で初めてのフルタイムバイトだった。倒れる前提で、駄目元でやってみることにした。

柄谷行人の『探究』で読んだ、暗闇の跳躍だか飛躍だかを思い出した。

価値は、価値がついたあとにしかその意味を読み取れない。価値がつくには暗闇を跳ばなきゃいけない。

それから3ヶ月ほどは、毎日法人向けのNW開通をしていた。

薄給の上に業務量がえげつなくて、人がすぐに辞めていく環境だった。

ある程度初心者ができるように自動化されていたので、1ヶ月を過ぎる頃には一通りの業務を覚えていた。

毎日現地作業員電話を繋げながら、色々な試験をし、NWを開通した。たまに撤去もあった。

障害を隠して仕事をしていたが、ある日電話中にパニック発作が出て、電話を保留にした後しばらくトイレにこもって薬を飲んで休んでいた。

ここでもこうなるのか…、とトイレの中で泣いた。結局その職場も居づらくなって辞めてしまった。

ネットワークエンジニアになりたかった。

諦めきれずに、次の仕事を探した。ベンチャー企業で、またネットワーク仕事をやることになった。

今度は客先常駐仕事に出る前に第一陸上特殊無線技師資格を取った。

高校数学赤点だったので、選抜試験養成講座も地獄だった。何年振りかの座学だった。

そのあと1時間半ほどかかる場所夜勤をすることになり、私はすぐに壊れた。

夜勤明け、ふらふらになりながら漫喫に入ってひたすら寝続けた。またパニック発作が出て、帰ることができなくなっていた。

心が折れて、障害者雇用仕事を探し始めた。

大手IT企業の子会社で、採用仕事をした。面接はいずれIT仕事を回してくれると言っていたが、

一向に果たされる気配がなく、半年で辞めた。ここまでの失敗で辞めた後に空白期間があるとメンタルに来ることはわかっていたので、次の仕事はすでに探してあった。

障害者雇用契約社員として、またIT企業に入った。1ヶ月の待機期間の間にCCNAを取って、

今はそこで仕事を続けている。何故かPython人員になってしまったので、毎日ツールを作っている。

ChatGPTのおかげでなんとか仕事ができている。

今の案件は年内で終了するらしい。

数週間前に正社員登用の話があり、面接を受けた。周りからは多分行けるんじゃないかと言われている。

貯金はやっと130万ほど貯まった。将来は…できれば健常者として生きていきたいが、まだ暫くは難しそうだ。

まだ何も安心できない。実家の父母は離婚問題でめちゃくちゃになっているし、

リモートから仕事ができているのでは?という懐疑が常にあって、次の案件でどうなるかわからないと思っている。

私は障害について色々思うところがあるが、30ぐらいの時にはっきりと

自分は才能が無いのだから、せめてコミュ力を伸ばそう。自分は一人で生きていけると思えない。

から、人から助けてもらえる、助けようと思ってもらえる人間になろう」とずっと考えてきた。

今の時代障害者健常者に関わらず、みんなにとってつらい時代だと思う。

何かを抱えているのはみんな同じだと思っている。そんな時代に、

マイノリティ自分を救ってくれ!と叫ぶことはとても怖いことだと思っている。

社会に余裕がなくなれば、一番最初に切り捨てられるのは自分たちじゃないだろうか。

今までたくさん人に迷惑をかけたけど、少しでもそうでない自分になりたい。生きていていい自分になりたい…。

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私は今もたくさんの問題を抱えているし、色々上手くいっていない。

人生を呪っているし、楽しくはない。たまに楽しいこともあるが。まあしかし、こうやって足掻いている人間もいるよ、と思って書いてみた。

特定されようが、もうプライドなんて無いからどうでもいいのだ。

私を見下して、自信をみんな持って欲しい。こんな見苦しくみっともなく足掻いてる人間もいるのだから

小中不登校高校大学中退でも、なんとか生きてるよ。

…まあ今後どうなるかはまだわからんけど。

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追記

思ったより反響があって驚きました。

タイトル自分人生象徴するような言葉ですが、実際そういう境遇にある人間がどのように生きていくのだろう?という

素朴な疑問から読んでくださった方がいるのかなと思います。あるいは下層にいる人間の惨めな人生を期待した方もいるでしょう。

励ましの言葉アドバイス叱咤を下さった方、それぞれありがとうございます。全部読んでます

わーっと書いてしまったのでちょっと読みにくかったかもしれませんね。申し訳ないです。

障害については一応ASD…ということになってます。診断が下りたのは大学生のときでした。

ご存じの方も多いと思いますが、当時はアスペルガーと呼ばれていて、空気が読めない・人の感情がわからないだとか、まあ散々なことが書いてありました。

カサンドラ症候群の話もありますし、今でもややADHDよりASDの方がイメージは悪いのかも、と思うところはあります

高校生の頃にWAIS-Ⅲを受けた際には、言語IQ動作IQ結構な隔たりがありました。

当時の記録だと言語理解111、知覚統合99、作動記憶105、処理速度84。PARSの結果は幼児期が25点、思春期成人期が34点です。

一昨年だかにWAIS-Ⅳを受けたときは色々マシになっていて、言語理解119、知覚推理107、ワーキングメモリー117、処理速度111という結果でした。

今は人から障害を持っているようには見えないとよく言われます。体力がないのは相変わらずですが…。

慢性疲労症候群の診断も下りていて、当時医師からは「あなたは将来生活保護か専業主婦しか生きていけないと思います」という

大変メンタルに来る言葉をいただいていました。それから一気に体調が悪くなり、何も自信が持てなくなった後に

自分はそんな未来を信じないし、絶対にあの言葉を覆してやると決め、もう一度立ち上がりました。

大学でも発達障害中退した人たちの予後が悪い、まともに働けていないという話を聞かされていたので

これについても、だったら最初の一人になってやる、と思った記憶があります

自分は女ですが、文章が怖いと言われることもあったので、その辺も徹底的に直しました。

人を観察して、絵文字顔文字ちゃんと使って明るく取っつきやすイメージを持ってもらえるよう修正し、

見た目もパーマをかけたりと柔和な雰囲気を心掛けました。そういう仮面は、今は自分の皮膚のようになって

人格の中に融合されたのかな、と思う部分もあります

人の気持ちがわからない、共感性がないという部分については、周囲から指摘はそこまでなかったのですが

とにかくできるだけ人のことを想像するようにしました。自分を取り巻く多くの人たちや、ニュースになっているゴシップエッセイなどからたくさんのことを学べたと思います

お金があっても、賢くても、健康な体を持っていても、それでもみんな裏では色々あるのだな、と。つらいのは自分だけではないと言い聞かせてきました。

まれて見える他者が、実は苦しんでいるという話をちゃんと覚えておくようにしていました。

人生が大変だと、どうしても被害者意識が強くなってしまものですが

そのように思う瞬間はあっても、絶対客観性を失わないようにしようと常に思っています

同時に、自分自身をあまり障害者として扱い過ぎないようにも心掛けました。単純に、心がすり減るので。

自分もまだまだこれから乗り越えなければならないことがたくさんあります

同じように大変な境遇の方の励ましになったらいいなと思います

anond:20241113122100

話題が爺過ぎてわかんなかったから調べてきたわ

ファンの一部が英国国民戦線ブリティッシュムーブメントといった白人至上主義組織に参加していたため、幾人かのロックミュージシャンはオイ!を人種差別的だとして否定したが[2]、オイ=人種差別主義というわけではない。エンジリック・アップスターツ、ザ・ブリアル、The Oppressed のようなバンドは、左翼的で反人種差別的だった[5][11] 。ホワイト・パワー・スキンヘッドムーブメントはオイ!と類似性があるが、オイ!シーンとは無関係である

はい論破っぱ。

 

ところで実際おじいちゃん御年幾つ?

真面目に興味あるな

俺の親より上な気がする

anond:20241112174355

自分を「自由主義者」と考える人々が、非自由主義的な考えを持つ人を軽蔑することがあるが、その態度には少し文化的違和感を覚える。

自由主義とは、本来、寛容、対話、そして相互尊重を基盤にした価値観のはずではないだろうか?

しかし、異なる信念を持つ人を「無知」や「素朴」として、まるで自分の考えが絶対に正しいかのように裁くのは、不公平に感じる。

自分の信念が正しいと確信することは自由だが、他者をけなして自己肯定しようとするのは、自由主義本質的価値観から離れているように思う。

2024-11-12

anond:20241112145728

「どんなセンス世間披露するんかというところが勝負な訳である

まずこの時点最高に気持ち悪いというか、何と戦ってるのかさっぱりわからないけど、まあナルシシズムもご自分の内に留めるなら全然好きにすればいいと思う

人類は全員内心中二病だと思うし

ただそのナルシシズム気持ち悪いものだとメタ認知できなかった結果、女同士で悪質で陰険マウントが始まってるの見ると、シンプルに「おばさん達性格わる、こわ」ってなるなあ

あと、ルッキズム定義って

「外見や容姿基準に人を判断したり、差別的な扱いをしたりする思想社会現象を指します。外見を意味する「Looks」と、主義意味する「ism」を組み合わせた言葉で、日本語では「外見至上主義」とも呼ばれます

らしいけど、「嘲笑われてるのは見た目ではなく芋なセンスとそれを世の中に晒ししまう迂闊さ」ってルッキズム定義のものだと思うけど…

増田陰湿おばさん達を擁護する意図があるのか、皮肉を言ってるのかどっちかつかめなかったけどね

2024-11-11

anond:20241111180222

最後の段は反出生主義の話しているときに陥りがちな論理ミスやね

生主義?は別に不幸の総和を最小にするという思想じゃないか別にこのまま行ってなんか不幸なことが起きても主義思想として破綻するようなもんじゃない

反出生主義は不幸の総和を最小にすることを目指してるから自分等で不幸を増やす破綻する

なぜ米民主党はこれほど右傾化してしまったのか?

いたことに彼らは労働者層を切り捨て、エリート主義主張を垂れ流す等に変わってしまったようだ。

これは貴族主義身分制の再興を意味する。

反対に共和党労働者層を取り込んでいき賃金を上げると主張し始めている。

明確な左傾化だ。


なぜこんなことが起こったのだろうか?

2024-11-10

“TERFの台頭がトランプ勝利を確実なものにした 選挙勝利は目覚めた政策に対する反発”

機械翻訳より。

https://nationalpost.com/opinion/michael-higgins-the-rise-of-the-terfs-secured-trumps-victory

その答えは、一貫して女性の権利を軽視してきた意識の高い政策に対する反発なのかもしれない。生物学的な男性女性と競い合ったり、生物学的な男性更衣室や安全場所さらには刑務所にいるのを見たりして、女性たちが怒るのは当然だ。

もし女性に対する戦争があるとすれば、それは女性の権利を目覚め主義神聖な祭壇の上で犠牲にする覚悟のある進歩主義左派によって起こされているのだ。

共和党はこれを正しく利用した。

トランプ大統領ハリス氏に対する最も注目を集めた攻撃広告の一つは、「カマラ氏の目的は彼らであって、あなたではない」という言葉で終わっている。

それはシンプルだが効果的で、文化戦争を浮き彫りにし、各党の立場を明確に描写していた。

世界中女性参政権の獲得は長く、困難で、しばしば死を伴ってきました。アメリカカナダ女性参政権が与えられてからわずか 100 年しか経っていません。

しかし、わずか数年の間に、女性たちが当然だと思っていた権利保護の多くが剥奪されてしまった。進歩的意識改革政策の矢面に立たされているのは女性たちなのだ

ジャスティン・トルドーアメリカ選挙から学べる教訓はいくつかある。しかし、おそらく最大の教訓は、実際に女性の権利のために立ち上がらない限り、自分フェミニストと名乗っても何の意味もないということだ。

TERF(トランス排他的急進的フェミニスト)はかつては侮辱言葉だった。今では、目覚めた政治うんざりし、二級市民であることにうんざりした女性たちが身に着ける名誉バッジとなっている。

そして、TERFの台頭こそが、トランプ大統領ホワイトハウスに押し上げたのかもしれない。

カナダ保守系新聞ナショナルポスト

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