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はてなキーワード: 社会学とは

2018-02-19

anond:20180219070454

なるべく多くの人に見てもらって情報、反応、反論等欲しかったので煽り気味に書いてるところはある。そこが気に障ったのならすまん。

まあ私の文章煽りや売り言葉に買い言葉がないとは言わないのでそこはお互い様ということで。仲良くマサカリ投げあいましょう。

あくま自分見方を紹介しているだけで理系のやることが全て正しいとも思ってない。ただ理系では日本が一流研究をしていると誇る分野が数多くある一方で、文系の多くの分野で全体としては日本学会は二流という嘆きが聞かれるのも確かだ(もちろんどんな分野にも日本人の一流研究者はいるだろうが)。

これ[要出典]ってタグ貼るべきところ? 私は最初増田anond:20180217012945)で(1つだけだけど)実例挙げたし、体験談ベースの話でよければ私の見た限りでは日本外国研究ってけっこうレベル高いと思うんだけど。外国語に訳されても遜色ないモノグラフがたくさん出てる。

理系では著書でオリジナル発見研究成果を発表する奴はまずいない。いるとしたらほぼトンデモだと思って間違いない。文系増田が挙げてる怪しい医学博士とか。

文系では違うのか。正直文系ガチ研究書は見たことがない。三浦瑠麗の著書も調べてみたが、タイトルや値段を見る限り一般向けだろう。大学書籍部や図書館を探せばあったんだろうか。ただ(博士論文出版等は除いて)著書で最新の研究を発表するというやり方は、どの部分に新規性があるのかの表明や議論双方向性等に問題がないのだろうか?新規研究成果なら第三者査読を経て論文にするのが正統なように思えるが。数学証明のように検証可能性が極めて高ければホームページで発表とかでもいいんだろうけど。

そこからか。何のために研究雑誌Book Review欄があると思ってるんだ……(和文だろうが欧文だろうがたいていのメジャー学術雑誌にはBook Review欄はあるし、場合によっては書評査読がつくよ)。ていうか普通、序章とか第1章とかで先行研究の整理をするし(一般向けも混在するレーベルだと編集に嫌がられることもあるらしいけど)、そこで自分オリジナリティについても言及するよな。

あくまで一例だけど、先日出た研究書の目次はこんな感じ→http://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN978-4-8158-0871-6.html適当なUniversity PressのHPを開いて適当新刊をチョイスしただけなので、内容については何も言わないし、言えない。なぜなら私は読んでないからだ。あくまで「ちゃんと章立てに先行研究って入ってるでしょ」というサンプルとして受け取ってほしい。目次で明示されてないだけでちゃんと先行研究の整理をしている本もあるので気をつけて。それはそれとして面白そうな研究だと思うんで余裕があったら読んでみたい)。

駄目な研究は本として出版したってロクに引用されずにアカデミアから消えていくだろうし(もちろんあまりマニアックすぎて引用するひとがいないという悲しい状況も有り得るのだがそういう場合学術雑誌書評でちゃんと良い研究ですよって言われてるからな。おべっか書評がないとは言わないけど、むっちゃ辛辣書評も見かける)、まともな研究書なら議論典拠は明示してあるんだから議論双方向性に問題はないでしょ。

三浦瑠麗の著書、内容(https://www.iwanami.co.jp/book/b261983.html)を見る限りでは研究書ということでいいと思うけど。文系は割と凝ったタイトルつけるひと多いかタイトルだけで研究書じゃないと即断することはできないし(『想像の共同体――ナショナリズム起源流行』も『〈日本人〉の境界――沖縄アイヌ台湾朝鮮 植民地支配から復帰運動まで』も立派な研究書です)、値段についても、うちの分野の研究書の半額くらいの値段で売れて羨ましい限りと思うけど、それが研究であることを否定する材料にはならない(ていうか一般書だとしたら3000円以上ってクソ高では)。国際政治学一般理論みたいに需要がある分野ならそれなりに廉価でも採算取れるよね。研究書は別に専業研究者けが読むものではないので、政治学者以外の教養人にも売れそうだと判断たらこのお値段になるのは別に不思議じゃない(逆にマイナー分野では……お察し下さい。売れない→高い→売れない→高いの悪循環でございます学術成果刊行助成でなんとか刊行できてる研究がたくさんあるんだよなぁ)。気が向いたら図書館で実物見てみるわ。

何度も言うけど、中身は知らない。ひょっとしたらダメダメな内容かもしれない。でもそれは、査読通ったちゃんとした学術論文でも中身がショボかったりオリジナリティ希薄だったりすることがありうるのと同じで、ダメダメから研究業績にカウントされないということにはならない。たとえそれがサラミ論文であったとしても、英語で書かれた査読つき論文だったらそれは業績としてカウントされるべきだよね。公募採用されたり学術界で優れた研究者として認知されるためには内容が優れてないといけないし、こんなサラミ論文しか書いてないやつがなんで○○大の講師なんだ! という批判はされていいと思うけど、それはあくまで内容を見た上での話であって、形式だけを見て業績じゃないと言うことはできないはず。今回の元増田批判が内容を見た上での話なら『シビリアンの戦争』を未読の私は何も言ってないし言う資格がないけど、理系増田も読んでなくて、ここではあくま形式の話をしてるんだよね。形式の話をするなら彼女学術業績としてカウントされるべき本を書いていますしか言いようがない。

一般論からすると著書はオリジナル研究業績であり得るが、逆も然りで著書は必ずしもオリジナル研究業績とはみなされないというべきなのでは。門外漢は著書数もオリジナル業績数とみなせという主張は言い過ぎだろう。

「著書はオリジナル研究業績(でありうる)」「研究書は立派なオリジナル研究成果」と私は書いてるよね? それで前段へのアンサーになってると思うし(そのうしろでちゃんと「一般向けの本」と「研究書」を分けて記述してるよな)、そもそも私は最初増田anond:20180217012945)で「新書2冊はおいといて」って書いてるので、“すべての著書”がオリジナル研究業績なんて端から主張してないってことは読めばわかってもらえると思ってたんだけど(オリジナル研究書籍化したものを「研究書」と呼ぶわけだから、“すべての研究書”はもちろんオリジナル研究業績です。一方で著書のすべてが研究書というわけではないので、“すべての著書”が研究業績というわけではありません。こう書けばわかるかな?)。

後段、著書はオリジナル学術業績とはみなされないという理系ローカルルール持ち出して他人を業績が少ないと批判する方が言い過ぎでは。いやもちろん他分野の常識に詳しくあらねばならない必然性はないけど、他人を「業績が少ない」と批判する以上は他分野の「業績」の基準も知っておくべき、って、そんな無茶な主張? 文学でも歴史学でも政治学でも社会学でも教育学でも文化人類学でも哲学でも法学でも、おおよそメジャー文系研究分野ではだいたい研究書はオリジナル研究業績としてカウントされるんだから(これは英語圏でも変わらないと思うよ。少なくとも私の専門分野や隣接分野では英語だろうがフランス語だろうがドイツ語だろうが韓国語だろうが研究書はオリジナル研究業績です)、文系からするとその常識通用しない方が非常識ですよ。理系ローカルルール勝手学術界の一般ルール敷衍するのやめてもらえます

院生だろうが単著論文を発表するのがふつうの分野の人間からすると、理系では指導教授論文の著者に名前を連ねるのか、変わった慣行だなぁ、って思うけど、それは理系慣行なんだなとして受け止めてるし、この研究者自分学生論文名前を連ねて論文数稼ぎしてる! なんて主張しないよ(もちろんギフトオーサーシップ批判されるべきだけど、理系では自分指導してる学生論文の共著者になるのはギフトオーサーシップではないんだよね? このへん詳しくないので間違ってたらごめん)。分野が違うと業績のカウントの仕方も違うんだなぁ、って受け取っておけばいいじゃない。

その上で現在日本語地位が低い分野や日本語でやる意義がまるでない分野まで、日本語で最新の論文を書いてもよい、あるいは日本語地位を高めていこうなんていう理由がよくわからない。例えば挙げてくれた西洋古代史の最新論文日本語で書くことに何の意味がある?日本全然関係ないのに?解説書や教科書は別だ。日本語で多くの人が学べることには意味がある。でも論文なのだとしたら欧米研究者が読まなければ学問進歩に乗らないんだからただの自己満足だろう。アマチュア研究者だとしたらそれでもいいんだが、大学研究者プロだろう。国から研究費貰って英語が中心の分野で日本語しか書かないのは国民が納得しないだろうから税金泥棒しか言えない。

将来英語が中心じゃなくなることもありうるだろうという論を挙げているがそれは詭弁だ。理系だってラテン語から現代語への変化やドイツ語フランス語凋落を経ているが、最新の論文を主流の言語で書かない理由はない。(欧米科学力を中国が圧倒的に上回ることは考えにくいが)将来中国語になるんだとしたらそれもいいだろう。もし仮に日本がその学問分野で覇権国家になるプランがあってそのためのリソースを投じているっていうなら別だけど、そうじゃないなら英語に圧倒的に負けてる分野はさっさと降伏して英語ベースにしたほうが世界中学者のためになるし日本人世界に認められる学問的成果をあげるためにも効率的だと思うんだけど。国際政治学についていえば英語圏研究が中心だという知識増田にもあって、反米主義だったり日本世界覇権を夢見ていたりといった特殊思想的背景があるわけでもない研究者英語論文を書かないのだとしたら、怠慢あるいは研究先進性の不足の誹りを免れないであろう。

これ最初にも書いたけど、主要国のアカデミアでは文系研究の多くの部分を自分の国の言語でやってます。たとえそれが自分たちとは縁遠い地域のことだとしてもね。日本語英語以外の言語で書かれた日本学論文なんて日本人研究者はあまり読まないんじゃないかと思うけど、たとえばポーランド人ポーランド語日本学論文書いてるし(https://ci.nii.ac.jp/naid/120006355425。ちなみに、このポーランド人みたいに、日本人外国研究者がその国の言葉日本での研究状況を紹介するっていうのは既にあちこちでやられてます)、それは日本アカデミアで読まれていないとしても日本学の発展に寄与ポーランドアカデミアを豊かにしていて、仮にポーランドで極めてオリジナリティが高い研究が出てきたら日本人日本学者も何らかの方法でそれを読まないといけないだろうと思うわけですよ(別に自分で読む必要はない。他人に読んでもらえばいいんだから翻訳ってそういうことだよね)。ポーランドアカデミアは当然ポーランド固有の問題意識を持っているし、その土壌から日本にはない新鮮な日本観が生まれてくるかもしれない、という点で、色々な国のアカデミアがそれなりに独自の発達を遂げていることは重要だと思うけれども。

当たり前だけど西洋古代史の論文日本語で書いてあっても最新の研究動向は反映されているわけ。書いてるひとは西洋諸言語読めるわけだしね。向こうがそれを読めない、または読もうとしないからといって先進性がないわけではない。読まれる/読まれないという尺度研究先進である先進的でないという尺度は別だよね? 混同すべきじゃない。そこにはちゃんと研究蓄積というもの存在しているんだよ。明治期以来、主要文系分野では日本語の分厚い研究蓄積がある。もちろんそこには西洋猿真似だったり「横のものを縦にした」だけの研究もたくさんあるかもしれないけど、それらは日本アカデミアを間違いなく豊かで質の高いものにしてきたと思う。

で、哲学の本場はドイツとかフランスとかイギリスとかだと思うけど(イメージ貧困すぎたらごめん。正直哲学のことはよくわからないんだ……)、日本人哲学者が優れた哲学書を発表すればそれはちゃんと英訳されてオックスフォード大学出版から出版されていたりするのね(https://en.wikipedia.org/wiki/Kojin_Karatani)。これは日本語圏で外国人に読まれない研究を積み上げていても、良いものを書けば「日本研究者面白いことやってんじゃん。翻訳して読んでみようぜ」ってなる実例なんじゃないかと。

根本的な話をするなら、「国際政治学」という分野の標準言語英語である必然性はどこにもないわけだよね。それは英語圏で優れた研究が積み上げられてきた帰結であって、英語圏の人が自分たち言語研究成果を積み上げた結果それが参照されるべき言語になっているだけの話。要するに彼らは先行者利益を得ているわけ。現代思想の分野でフランス語大手を振って歩いているのも、フーコーやその他の人たちがフランス語で優れた成果を書いてきて、それが受け入れられてきたか英語日本語フランス語の文献が訳されまくっているという現状がある。日本語がこの高みを目指してはいけない理由はないよね。

私はここまで書いてきたような理由日本語論文を書くのも重要営為だと思う(加えて、執筆言語自国であることは東アジア欧米の主要国の文系アカデミアとしての標準に則っているので、ことさら日本アカデミアだけが批判される謂れはないよな、とも思う)。ただ理系増田がそれにどうしても同意できないなら、それを説得する言葉を私は持たないなぁ、とも思う。私の論拠はだいたい言い尽くしたので、執筆言語問題についてこれ以上理系増田に答えようとは思わない。なんと言って終わらせればいいかからないけど、とりあえず、お互い研究頑張りましょう。

2018-02-17

anond:20180217094634

俺は男だけど、「男尊女卑」じゃないよ?

男尊女卑」を主張する男は「自分バカです」と言ってるのと同じ。

女性専用車両」はあっても良いと思うし、別に乗り込んでやろうなんて思わない。

なぜか?

男尊女卑矛盾

  • 男は女から生まれる。=男は女のDNAを半分もらっている。
  • 女が劣等な存在なら、そのDNAを引き継いでいる男もまた、同様に劣等な存在と言える。
  • 女が劣等な存在でないなら、そのDNAを引き継いでいる男もまた、同様に劣等な存在ではないと言える。

まり生物学的に正しく観察すれば、女のDNAを引き継いでいる男を、どの部分を基準として比較するかが問題なのだ

「女<男」と位置付ける基準に、生物学的な事象が含まれた瞬間、循環的な矛盾が発生していることは自明だろ?

逆もまた然り。

 

ジェンダー論はバカ発見器一種

から、俺は「男尊女卑」「女尊男卑」は、両方ともバカ発見器として利用している。

生物学的な基準とは分離して、社会学的な観点で男女の優劣を論じている人は、まあ別次元の話としてOKだけど、あまり頭の良い人ではないなと感じている。

他者に対する嫌悪感を、何の恥ずかしげもなく晒し出せるのは、下劣品性で育った人なんだなーと思うだけ。

彼らが主張しているのは、よく聞いてみると、

  • 論理=「正しい、正しくない」の話ではなく、
  • 感情結論としては「好き、嫌い」を主張してるだけ。

言葉巧みに綺麗事で包み込んでごまかしてるけど、他者への嫌悪が丸見えで、あまり近づきたくないタイプ人間だよね?

2018-02-06

anond:20180206101330

また出てきたよトンデモが。

そして相変わらず精神医学精神医療リテラシーホメオパシーレベルはてなーたちが懲りずにブクマしてるよ。

はてなでここまで精神医療に関するトンデモがまかり通るのは、ひとえに「はてな村精神科医」を名乗るあの人物のせいだろう。

その人物精神科医肩書きを名乗りながら、精神医学とはなんの関係もなくエビデンスも一切ない駄文を書き散らしているだけの人物である

かの人を精神科医として認識するのは間違っている。

社会学と、教養としての精神分析と、心理学をかじっただけのただのオッサンというのが正しい認識だろう。

精神医学とはなんの関係もない人物だと思って差し支えない。

みんな目を覚ませ。肩書きに惑わされずにエビデンスを求めよ。

2018-02-02

anond:20180202134542

横だけど、

金銭的・文化的資本が無いと女性自由意志人権保障されにくいということで、

これだと一足飛びすぎるような。

金銭的・文化的資本がない

→己の自由意志発見表現する機会が少ない、またはその能力が身に付きにくい

結果的自由意志人権が小さい方法しか自分生計を立てる方法を見つけにくくなる。

真ん中のプロセスがないと、ちょっとこう、誤解を招くというか…。

話は変わるようであまり変わらないのだが、フェミニズム運動が起こった昔は、

その人の出自や貧富度合いに関わらず、自発的意思文化的資本女性に与えられない社会だった。

現在は先人のおかげで人権に男女差はなくなりつつあるが、その代わり貧富の差による"実質的人権"の差が可視化されつつある。

まり実質的社会においてまともな人権行使出来ているかどうかの違いは、

男性女性軸に加えて(あるいはそれ以上に)、富裕-貧困軸(それも生来性が強い貧困)も大きなファクターとなった。

男×女、貧×富のマトリックスで、現代社会における”強さ”を並べると、

A 男性×富裕 → B 女性×富裕 → C 男性×貧困 → D 女性×貧困  となると思う。

フェミニズムへのバックラッシュ理由のうち、小さい一つにはこれがあると思う。

CやDの立場から見たら、どうしても欺瞞的に映るだろうからねぇ。

本来であれば、貧困による実質的人権の低下については、A男性×富裕、への抗議が一番まっとうな抗議先だと思うんだけど、

フェミニズム運動のおかげさまで、A男性×富裕層への攻撃が反らされているという面はあると思っている。

多くの場面で、「同程度の貧しさ条件」であれば、男よりも女の方が機会を奪われることが多い。

昨今は場合によっては逆転しつつあることもあって、C男性×貧困カテゴリに入らされている人なんかから見たら

これ以上女の権利とか言わせねえとか思うのかもしれないんだけども、貧困支援ボランティア体験した

一つ一つのケースから考えると、女性貧困者のサポートは本当に大変(高齢女性も大変だけど若い女性ももっと大変…)

なので、よくネットで見かける「女は所詮結婚すればいい」「レディースデー()」的言説には、そんなに簡単でもねえでなぁとも、思ったりする。

更に、貧富の問題については、どうしても「努力しなかった結果なんだから諦めろ」的なネオリベ的態度を取る人も多いのが

それも貧困サイドに居る人ですらそう思っていたりするのが怖い。ネオリベってすごい『男性的』だよねぇ…。

こういうのを失くす意味でも、もう少しフェミニズムには、まともに頑張ってもらいたいところではあるのだが。

一方で、学問としてのフェミニズムは、あくまでも女性学であって、貧困問題は「女性ならではの貧困」を取り上げるのが優先になるだろう。

どうしても「貧困」とがっぷり四つで、という方は多くはないのが、困ったところではあるし、

しょうがないじゃないそれは社会学とか行政学でやんなさいよね、とも思ったりもしないでもないような気もしないでもないような……うーん。

なんにせよ、貧困による人権の極小化については、少なくともフェミニズムだけの責任じゃないじゃないすか―とは思うんだよね。

なので、プロセスを丁寧に言いたくなった。

2018-01-24

[]『King of Kings 2017』決勝に見る日本社会弱者像の変化

 初投稿HIPHOP史にも社会学にも詳しくないんで諸々トンチンカンかもしれんけど、とりあえず殴り書き。

 一応ネタバレ注意。

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 2週間くらい前のKOKを見に行きました。GADOROがだいぶ仕上げてきていたので、個人的には納得の優勝。ちなみに僕はダンジョンGADORO回とKOKを両方見られたので、もうGADOROの苦悩がスーパーハイビジョンで伝わってきたよね。いや~、持ってるよね。

 んで、決勝の53 vs. GADOROだよ。僕は53→53→53→GADOROと挙げたけど、もはやどっちの勝ちかは一人ひとりの好みで決まってくるレベルにかなり迫っていた気がしたので、割れるのはしょうがいかなと僕は思っていたし、特に判定への文句もない。一応僕は一バトルとして見続けるよう努めたつもりではある。

 問題は、このバトルに隠れている構図だ。

 しばしば「日本HIPHOPメジャー化でダメになった」という話をCOREな方から耳にするような気がするが、僕はこう考える。「HIPHOP」がメジャーに媚び始めたというよりも、「日本人が想定する弱者」の像が変容したのだ、と言うべきではないか、と。

 90年代当時(まで)は、テレビの影響力、集団動力を重視する教育いい大学・いい会社に入れば幸せになれるという信仰なんかがまだまだ根強かったはずで、それらが複合的に重なり、「安全第一人生」を至高とする日本社会形成されていたはずなのだ。そして安全を脅かす「ハミ出し者」を仲間はずれにし、自我を捨てて世間に身を委ねる則世去私イズムで多数派安心感を得ていた。

 まあ、阪神淡路大震災だのオウムだの酒鬼薔薇聖斗だのでそういった仮初の平穏にどんどん綻びが生じてくるわけだが、頑張って頑張ってみんな汚染水を除きまくっていたのだ。村上春樹の『アンダーグラウンドあとがきでも、「地下鉄サリン事件実行犯たちを狂信者だとして遠ざける我々一般市民たちも、『何らかのシステム自我を譲り渡している』という点で犯人たちと同じ翳を背負っているのではないか」という指摘がなされていた。

 そんなstandardの波に排撃されたのがB-BOYたちというわけだ。僕みたいな聞こえても即答できないWanna b-boyが語るのもおこがましいのだが、黒人文化濫觴とするHIPHOPは、90年代日本において「(虐げられてきた)俺たちだけの文化」という局地的受容がなされていたはずだ。「俺たちだけが真の音楽を知っているのだ」と互いを励まし合い、常人では知り得ない独自文化を発展させているのだとの自覚を懐きながら、Bのつくoutsiderたちは明日を生きる希望を得ていた。

 この風潮なら、GADOROより53のほうが内部からの支持は強いということになり、MCバトルでも53の圧勝ということになるだろう。GADOROは大衆の中に帰れるが、53はそうではない。身の回りの仲間を守り、決して流行に媚びない53だけが、本物のB-BOYにふさわしいということになる。

 しかし、だ。

 僕が生きている21世紀日本社会は、もはやハミ出し者が後ろ指をさされる時代なんかじゃない。一人ひとりが個性を求められるようになった、オンリーワン時代になったわけだ。

 原因は色々考えられる。個性を重んじる風潮が教育界で強まったこと、グローバル化の波が激しくなって社会人コア・コンピタンスを求められるようになったことなんかがそうだろう。

 インターネット、ことにSNSの爆発的普及はやはり大きい。一人ひとりの「リアル」に触れられるようになったことで、世界中意見を発信できることはそう難しくなくなったし、それまで皆で一括りにしていた「大衆」も実は十人十色の人の集まりであって、決して「大衆」は無機質な集合体なんかじゃないのだと、みんなわかってきた。

 まだまだ社会は発展途上だが、それでも少数派にとってずいぶん生きやすい世の中になったように思う。もちろんB-BOYだって恩恵を受けているはずなのだ

 じゃあ、社会から必要とされない恐怖と戦っている「弱者」とは、いま誰なのか。

 それはずばり「個性を主張できずにいる人」ではないだろうか。

 自分しかできないことを自分は見つけられない中で、自分の代えを周りの人が見つけてしまうことに怯えている。

 いま、日本人は「個性」に脅迫されているというのは、主語が大きすぎるだろうか。そう感じさせる創作物やら社会現象の例やらは腐るほどあるから、ここではいちいち出さない。

 確かにGADORO自身は、「社会不適合者」からスター」へとのし上がった存在なのだけど、「社会から必要とされる自分」を否定しない。

 埋没の波から、前に、前に逃げ続けて、等身大感情表現して、世界で一人だけの存在として認知されたい、という、21世紀の「弱者」たちにとって、GADOROは希望とするに足る存在なんだと思う。

 一方53は、「MASS 対 CORE」と最初バースで吐いた(合ってる?)ことに象徴されるように、電波を受信できる人たちだけを助けようとしていたと僕の目には映った。

 透明な存在として苦しむ現代人たちから共感を集めるのは、GADOROだ(僕は53も好きだけどね)。

 そんな構図がKOKでは見え隠れした。

 フリースタイルダンジョン最近何かあったようだけれど、これからHIPHOPは、社会不適合者が生き残る術としてだけじゃなくて、怯えている人たちに「個性の手」を差し伸べる術としても発展していくのではないかな、と思った。

2018-01-14

anond:20180114180855

なんだ、学者調査じゃねーか

社会学研究のためにはそういう観点必要なんだよ。

この調査で揚げ足とってるのは側から見ると滑稽だぞ 笑

2018-01-12

まりにも好みの男の話

恋を消費する若い女なので、ときどき所謂ワンナイトラブやらかししまう。叩くなら叩いてくれ。ぜんぜん平気、私の身体も心も、誰に何をされようと私だけのものから

12月某日、私は私より美しい女友達と2人で渋谷に繰り出していた。友人は黒髪のロングヘアに柳眉で明らかな美女なのだが、性格がほどほどに悪い。奥渋の居酒屋焼酎水割りを飲みながら、友人は「別のお店に移動しよう、お兄さんにおごってもらえるような所がいい」と言い放った。美女なのでサマになっており、彼女と一緒なら私もおごってもらえることは確実だったので、「いいよ」と返事をした。

声をかけられたのは、お店を出てから3分後。美女の脅威を思い知る。声をかけてきた男性は、私たちよりざっと20以上は年上かと思われる2人組だった。彼らの顔は友人を見るなりパッと華やぎ、私に視線を移してちょっと暗くなった。

「2人、何してるの」「この人、テレビマンなんだよ」「タクシー代出すから、どっかで飲もうよ」

想定していたよりだいぶお兄さんだなと思ったものの、私と友人は彼らについて行くことに決めた。すると、後ろから背の高い男が寄ってきて、男性グループに合流した。3人組だったらしい。後から来た男はおそらく2人よりずっと後輩で、1軒目の飲み屋で切ったと思われる領収書を最年長の男に手渡していた。

この、後から来た男というのが、とにかく、すごく、あまりにも、私の好みにぴったりだった。「生理的に無理」という言い回しがあるが、この人はその逆だ。この時点で、私は彼の見た目しか知らない。それでも直観的に、「この人に抱かれたい」と強く思う何かが彼にはあった。俗にいうイケメンとか、芸能人の誰かに似ているとか、そういう感じではない。とにかく見た目がべらぼうに好みだったのだ。

私たちは近くにあったバーに入り、5人でテーブルを囲んだ。ゴミのような慣習に則り、最年長の先輩を私と友人が囲む。あまりにも好みの男は私の対角線に座った。初対面の男女5人の飲み会は、初対面の男女5人の飲み会らしく滞りなく進んだ。最年長の男性は、自分が手がけた大きな仕事や、友達だという芸能人名前を教えてくれた。私はテレビを持っていないので、その芸能人を詳しく知らなかった。次に年配の男性は、AV男優をやっていますと言った。へー、と答えた。あまりにも好みの男は、「コイツ医者だよ」と他己紹介されていた。安心できる嘘だったが、あまりにも好みの男を前にすると、何の仕事をやっているかとか、どんなに有名な友達いるかとか、ギャグセンスあるかないかとか、そういうあれこれはすごく些末なことに感じられた。

1時間ほど飲んだあと、年長の男が「場所を変えよう」と言い出した。目的地はすぐそばだったが、タクシーで行くことになった。普通タクシー大人5人は同時に乗れない。友人は年配組2人にがっちり囲まれており、私とあまりにも好みの男は渋谷の街に取り残された。とくに美人ではない私の処理係になってしまったであろう彼に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。あまりにも好みの男は、僕たちは歩きましょうか、と提案してきた。私とあまりにも好みの男は、2人で黙って街を歩いた。彼は身長が180センチを優に超え、どちらかといえば痩せ形だった。顔つきは若かったが肌はところどころざらついていて、年齢は30代も半ばを過ぎた頃に思われた。細い目に長いまつげがびっしりと伸び、少し離れてみると瞳の中がほとんど真っ黒に見える。まっすぐな眉は目とほとんど同じ太さで、高い鼻梁のわりに口は目立たなかった。あまりにも好みの男は、大きな犬のようだと思った。セント・バーナードとかボルゾイとかシェパードとか、ああいった類の大きくて豊かな毛並みの犬。中森明菜の歌に「ストライド長い脚先」の男と「そのあとを駆けるシェパード」というのが出て来るが、その2つを融合させたような感じだ。このまま彼を誘って道玄坂ホテルにでも消えたい気分だったが、タクシー拉致された友人が心配だったので3人が待っている店へと急いで向かった。あまりにも好みの男とはほんの少しだけ会話をした。大学では何を専攻してたんですか。僕は社会学科でした。ああそうですか。医学部じゃないんですね。

無事に3人と合流し、初対面の男女5人の飲み会は、初対面の男女5人の飲み会らしく滞りなく終わった。泥酔した最年長者は友人に万札を握らせ、私のことはいないものとして扱った。残りの男性2人は便宜的に私たち2人のどちらとも連絡先を交換した。私は友人と2人でタクシーに乗った。タクシーの中で友人に、「2軒目に歩いてくるとき、あの背が高い人と何話したの」と聞かれた。「ほとんど話さなかったよ」と答えた。あまりにも好みの男があまりにも好みであることは友人には最後まで黙っていた。

次の日、あまりにも好みの男から便宜的に連絡があった。あたりさわりのない文章で、昨日はありがとうとか、先輩が酔っててごめんねとか、また飲もうねとか書いてあった。2秒で便宜的な返事をした。こちらこそありがとう、楽しかったです。よければ、今度2人で飲み直さない。はい、いいですよ。来週末は予定どうかな。金曜の夜ならOKです。

あっけないほどすぐに、私はあまりにも好みの男とデートすることに成功した。自分が消費されてかけていることにはうすうす気づいていた。あまりにも好みの男は、中目黒にある人気のイタリアンを予約してくれていた。このイタリアンは、あまりにも好みの男が自分以外の誰かと来た店であることにはうすうす気づいていた。私たちチーズ生ハムを食べ、白ワインをまる1本あけた。私がお手洗いに立つタイミングであまりにも好みの男がお会計を済ませてくれたことにはうすうす気づいていた。私たちは少し離れて歩いて、あまりにも好みの男が常連だという会員制のバーへ向かった。これがあまりにも好みの男の常とう手段であることにはうすうす気づいていた。バーの深いソファで、私はあまりにも好みの男に手を握られ、身をすくめた。とうとう捉えられたのだ。私は逃げられなかったし、逃げなかったし、逃げる気は毛頭なかった。恵比寿ラブホテルに向かいながら、自分が消費されてしまうことにちっとも気づかないふりをした。あまりにも好みの男と寝ころんだシーツは、不思議と真昼の草原にいるような気分にさせた。自分がまだほんの子どもで、セント・バーナードとかボルゾイとかシェパードとか、ああいった類の大きくて豊かな毛並みの犬とじゃれているように感じた。私は、真昼の草原のうえで、大きくて豊かな毛並みの犬にささやいた。おねがい避妊してください。

翌朝は冷たい空気の日だった。起き抜けに、私はもう一度抱かれた。2度目のセックスとき、私は真夜中の草原にいるような気分になった。草原で一夜を過ごすつもりがなかった私は、ポケットの中の口紅しか化粧品を持っておらず、眉毛も描かずに外に出た。駅前にはゴミ袋がたくさん落ちていた。私は地下鉄に乗らなければいけない。気をつけて帰ってね。うん。また連絡するからね。うそでしょ。うそじゃないよ。

地下鉄の駅へ向かう階段を降りながら振り返ると、私をさっき抱いた男がこっちを見て手を振っていた。私はもう一度驚いた。この、私をさっき抱いた男というのが、とにかく、すごく、あまりにも、私の好みにぴったりだったのだ。私はこれから60年ぐらい生きて、その間に何人かの男とセックスをするだろう。でも、ホテルシーツ草原に感じさせる男はもう現れないような気がする。

私は、彼の名前漢字でどう書くか知らない。

2018-01-09

anond:20180109130424

社会学差別肯定するための学問を含んでいるみたいなのを見たことがあるな

2018-01-08

anond:20180108153245

アホか。

工事するにあたって、どんだけ周辺に人を配置するかとか法律で決まってるんだよ

無くしたら工事のものが出来ん

機械にするなんても時期尚早

警備を完全機械化してる国があったら言ってみろ

警備だってそうビルメンナンスで面積に応じてどれだけ人員を配置するか時間はどうするかも法律で決まってて足りないと指導が入る

そもそも労働に関する社会学てきな知識のない奴と話してもトンチンカンなことしか言わないか議論が成立しないってことがよく分かったよ

こんな奴らと同じ1票とか日本ヤバイって言って奴らの気持ちがはじめて理解できた

2018-01-07

古市憲寿の代わりに落合陽一を使うべき10の理由

古市憲寿社会学落合陽一は学際情報学で分野は確かに違う。だが、古市憲寿を使うほとんどの場面で、落合陽一の方が良い仕事をすると思う。

  1. 古市憲寿早生まれ1985年まれ落合陽一は1987年まれ落合陽一の方が3学年も若い
  2. 古市憲寿社会学者と名乗るだけの大学院生落合陽一は正真正銘准教授大学院生を教える側。落合の方が古市より3学年も若いのに!
  3. 古市憲寿議論の場で関係ないプライベートなことを持ち出す。小沢一郎離婚について尋ねたり。落合陽一は変人だが効率重視なので、そういう無益なことはしない。
  4. 古市憲寿は今の社会分析する(分析できているとは思えないが)。落合陽一は未来社会を作る。技術は単なる道具。どっちの価値が高いかは明白。
  5. 古市憲寿は、あれ、多分英語論文読み込んでない。落合陽一は読み込んでいる。
  6. 古市憲寿社長じゃない。落合陽一はピクシーダストテクノロジー代表取締役社長
  7. 古市憲寿越谷北高出身落合陽一は天下の開成高校出身
  8. 落合陽一は、博士号研究科で初めて早期修了で取った。古市憲寿は、その博士号すらまだとれていない。
  9. 優秀な博士課程の学生お金を出す学術振興会特別研究員制度というのがある。落合陽一は、博士課程在籍時にDC1というのを取っていた。古市憲寿はまだ博士課程の学生である上に、それすら取っていない。
  10. 落合陽一は大学の同じ学年内で最優秀の学生に与えられる筑波大学学長賞を取っている。古市憲寿慶応SFCAO入試卒だが、学長賞など取っていない。

2018卒就活に 増田 参戦決定!

私 はてな大学4年生の増田と申します!

よろしくおねがいします!

私ははてだで学んだ人間社会学知識御社で活かしたいと思い娼館に馳せ参じました!

ブシモ

2018-01-06

ネット見てると社会学ってセンスがないやつがやると本当にクソの役にも立たないどころか有害迷惑学問だなと思います

anond:20180106123237

人権をないがしろにする奴には人権がないのだから当たり前です。

あなた社会学について勉強すれば理解できるので諦めないでください。

2017-12-23

まだうまく言えないのだけど、WIRED休刊に寄せる編集長自作自演インタビューについて、やはりどうしても我慢ならないというか、こういう口ぶりがジャーナリズムとか言論世界をここ30年間停滞させ、オーディエンスうんざりさせてきたとしか思えず、2017年も末になりまだこんな口調を読まされるなんてとモヤモヤしている。

機能するということは時代遅れであるということ」とインタビュー中にあるが、本人は雑誌という旧来の言論メディアを重視してた人。だからいきなり紙面だけなくなる訳で。

まり随分前から自分自身時代遅れになっていたのでは?それに気づいてないのによくこんな長い捨て台詞を吐いて自分未来志向!とか言外にも思ってられるよなあ。

ここは80年代か?と。溢れるホモソーシャリズム感やポストモダン感に吐きそう。

.

結局こういう社会学ぽい未来の話は最後はいつも「マクルーハンのいい言葉いくつ知ってるかな大会」みたいになる。それが本当嫌だ。

毎回飽きもせずこの現象マクルーハンのアレだよね、あの現象マクルーハンのアレだよねに集約されて終わるし、その言葉知ってる人たちしか巻き込めないというか、結局狭い小部屋のやりとりでしかないというのが伝わるというか。

一度でいいか偉人言葉を引き合いに出さずに話終わらせてみてほしい。自分言葉で話してないし、自分の癇癪で定期購読していた読者をいきなり切るみたいになってるのもわけわからない。わかりやすい話し口だと思うしその方が仕事にしやすい(何故なら前にも誰かが考えたことあるから。本当の本当に考え方が新しかったらそもそも旧来メディアでは予算がつかない。)考え方だから口調が古臭いのは仕方ないと思うけど、こういう人って仁義の薄さだけはいまふうなんだよな…。執筆陣にちゃんと仁義切ってるの?大丈夫

あと編集長としてキャリア区切りにこの文章が残っていくのって、アリなんですかね?

(↑いま「アリだ、むしろカッコイイ」って思えちゃうセンスのない人達支配している社会だってわかってて言ったけど…)

そう思うと、結局毎回、言葉オタクおもちゃにしてるのが腹立ってる。これは活字ではない。言葉が死んでるよ。

.

でもいま恐る恐るネットでの反応を調べたら、ネットではこういう言い方に「キモっ!」て言ってる人も多くてほんとホッとした。

そのことが、まさにこの文中にあるように「読者を侮ってはいけない」ということを皮肉にも証明してると思う。その微妙差異マクルーハンソクラテスカントスティーブ・ジョブズ孔子様の言葉なんかでは捉え切れない。でもそれでいいんだ。

いつも未来に驚かされていたい:『WIRED日本版プリント刊行休止に関するお知らせ|WIRED.jp

https://wired.jp/2017/12/22/oshirase/

2017-12-20

フェミニスト電通芸能界セクハラを追求しないでオタクバッシングをしてきたワケ

社会学メディアとズブズブなので批判できないか

からジャニーズAKBなんかが放置されているのに、

オタク萌え絵とかが批判対象になる

2017-12-06

おすすめの本を教えてください。

大学受験終わったら死ぬほど本読む予定なので面白い本が知りたいです。

最近読んだ本で面白いと感じたのは梅棹忠夫さんの「文明の生態史観」です。

社会学系か哲学系の本を読もうと考えています

哲学に関しては入門書のようなもの高校三年生でも読めるような本を探しています

今更ながらの追記

ありがとうございます。読んだら感想もあげます。それがなにになるのかはわからないけど。

2017-11-18

女尊男卑が人類を救う

男尊女卑」は生物学的には正しい言説(男の筋力が女より強いという点のみ)だけど、社会学で同列の扱いをするのは間違っている。なぜか?

女が男より劣等な存在だとすれば、その劣等な女からまれた男は劣化コピー=女と同等がそれ以下の存在ということになってしまう。このパラドックスに気付いていない男尊女卑主義者は、数学論理構築)の勉強をしたことがないのだろう。

社会学的な文脈で「男尊女卑」を唱える男がいたら、その男は「自分バカです」と自己紹介しているのと同じことだから気をつけたほうが良い。

 

逆に「女尊男卑」は正しいのか?

パプアニューギニア東部のオカパ(Okapa)地区女性たちが、1986年から20年来続く部族戦争を根絶しようと、男の子が生まれたらひそかに殺す習慣を10年前から行っていたことが明らかになった。豪ナショナルNational)紙が報じた。

女性人類管理したら戦争がなくなり平和になる。

これまでは男性しか入会できないフリーメイソン活躍して男性社会を構築してきたが、もう時代遅れしかない。

今後は、女性同士が一致団結して人類の発展を牽引して欲しい。

 

日本女性中心の社会形成して、平和で発展した未来を築こう。女性天皇必要です。

男はしっかり女性サポートするようにしていきましょう。レディーファースト騎士道はカッコイイよね?

2017-11-06

たぶん究極は

ブラインドサイト」 ピーターワッツ

この路線の「吸血鬼ジレンマ可能性」を徹底的に考えぬいて、

生物学的/生態学的/心理学的/社会学的に破綻せずに存在しうる吸血鬼

とはどのようなものになるか、をあくまサイエンス論理で構築した吸血鬼像を提示する、

哺乳類専攻生物学者にして吸血鬼ヲタクである作者の渾身の作品

なお、徹底的に考察しすぎてドラキュラ伯爵ロマンは皆無w

こう書くと理屈っぽいだけの作品に思われるかもしれないが、吸血鬼の詳細(すぎる)設定は

巻末エッセイでまとめて語られていて、あくま物語の背景。

執筆動機は明らかに「オレ(但し専門家)が考えた最高の吸血鬼を見てくれ!」なのだが、

吸血鬼像が徹底しすぎて「言葉が通じるが、根本的に捕食獣である知性」がリアルに感じ取れて

しまうがゆえ、その異質な知性と並置される人間常識的な、知性、倫理意識といったもの

いかに幅が狭く偏ったものか、という視点を突き付けてくる傑作SFになっている。

https://anond.hatelabo.jp/20171106000438

2017-11-04

anond:20171104024134

同意

この前、社会学必要性云々言っていた人がいたけど、こういう出来事になると死にたい人が多い社会という問題にせよ、殺人鬼がなぜ社会的に生まれたかという問題にせよ、やはり「社会」に対する関心があるのだろうと思いますね。古典的テーマとして「自殺」が研究されてありますし。

しかし、実際としては心理学政治学歴史学などに吸収されうる問題も多くあるようなので、そうなると社会学という学問としての実態が問われることにもなります

この二つの葛藤から思うのは、社会学というのは表層的な学問なのだろうなあということだけです。学問の表層って何だ?と思いますが、これってなかなか重要な疑問なのかもしれません。

2017-11-01

anond:20171101113454

「『社会学』という学問分野ごと葬り去っても誰も困らないのではないか

まさにw

anond:20171101113454

その顔ぶれだと、社会学有害なだけとしか思えない。

anond:20171101111939

古市の出した本で「日本代表する社会学者」とされている12人。

小熊英二佐藤俊樹上野千鶴子、仁平典宏、

宮台真司大澤真幸山田昌弘鈴木謙介

橋爪大三郎吉川徹、本田由紀開沼博

「『社会学』という学問分野ごと葬り去っても誰も困らないのではないか」と思える。

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