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2024-07-20

高卒の俺が知らなかったこ

家族全員高卒もしくは中卒なんだけど、妹だけ頭良いか大学に行ってる 国立の超賢いとこ

大学どんな感じ?って聞いたらいつも俺の知らないことを教えてくれる

・皆お酒飲むし普通に友達同士で飲み会とかある

飲み会サラリーマンだけのものだと思ってた)

サークルの会費?を管理する人がいる

学生なのにしっかりしてる、俺ならちょろまかす)

・授業休むときにいちいち学校に連絡しない

毎日学校に行かなくてもいい

・有名な大学はどこも校舎が2つ以上ある

・生徒全員で集まる行事とかはない

・頭良い大学の子でも夜中に騒いだりして怒られる

・よく分からないスポーツ部活がさかん

(これが一番驚いた 野球よりもアメフトとかボートとかが人気らしい)

・よく分からない部活がさかん(合唱とか英会話とか)

女の子普通に彼氏旅行に行ったりする(大人すぎる)

苦学生みたいな子はあんまりいない

・皆パスポート持ってる

インドカレーとか民族料理男の子も平気で食う

・頭良い大学にも体育会系の人はいるし、そういう人が商社かに行く

(これも驚いた 運動苦手な子しかいないと思ってた)

卒業するときに何万字とかの論文書かないと駄目(この作業所謂卒論だってことを初めて知った)


大卒の人らにとっては常識かもしれんが、俺は妹に聞くまで全部知らなかった

皆こんな学生時代を過ごしてたんだな 俺と全然違うわ 大学おもしろそー

2024-07-19

anond:20240719110430

こんなんでも成績はクリアしてるから後期から卒論のためにゼミだけ行くよ メンタル的に絶対やる気出ないからそれも悩みの種だー

anond:20240719110430

こんなんでも成績はクリアしてるから後期から卒論のためにゼミだけ行くよ メンタル的に絶対やる気出ないからそれも悩みの種だー

苦しくて苦しかった頃の大学卒論大事に暖めながら

自分は良くやった、良くやったんだよと

リタイアメントが過る頭で、2本の腕で自分を抱き締める。

中身のない空っぽ薄っぺら論文を抱き締めて

既に崩れ落ちた心の破片を踏み締めて

何が刺さってるんだろう、誰がこんなもの放置してるんだろうと足裏を覗き込むと

キラキラと破片に過去が写り込んで、非常に眩しく血が流れているにも関わらずそのまま、抜けない。

誰も己の過去になど興味は持たないか

自分が抱えるしか無いのだと諦めながら

両の手は論文を抱えるので手一杯になっていて

両足はいつの間にか血だまりに沈んでいる。

向う岸には弟がニコニコと笑っていて半分苦しんでいて

清濁併せ呑んだ顔でこっちを睥睨している。

誤りだらけの兄弟の、親にさえ拒まれたこの醜い身体

あいつはさも面倒そうに見てみぬ振りをしながら

お前は汚点だと言い聞かされる。

妙齢になっても子孫を残さず

ただ遊び呆けているような

寿命を切り崩して後悔に後悔を重ねているように見えるのだろう

2024-07-14

anond:20240714145058

PowerMac 7300/166だったと思う。

大学卒論書くために買った。

が、ほとんどウェブチャットで遊んでたわ。

2024-07-10

先送り癖を治したい

気づいたらYouTube見てるのなんで

TwitterアプリYouTubeも消したのに

  

大学生から

バカから許されると思ってるから

なんでなのかずっと理由がわからない

甘えてるんだろうな

どうやったら治るんだ

どうやったら治せるんだ

  

そこそこ偏差値ある大学いるから周りに明らかにADHDだろって人間は山ほどいる。

でも私くらい自堕落人間うそういない。自堕落って何。

風呂入ったほうがいい、料理作ったほうがいい、早寝早起きしたほうがいい。そんなの全部わかってる。

毎日思ってる。

気づいたら誘惑に負けたり、やるべきことをすっかり忘れたりしてる自分が大嫌い。

社会から見てもこんな何もできない人間大嫌いだろう。

  

全部わかってるはずなのに。

なんかどうでもいいような気がしてやってない。

気が付いたら時間が過ぎてる。

ああ、信用と時間を失ったな、というバカみたいに他人事感想が降ってきて、自己嫌悪が始まって、周りの人間の目が怖くなって、知っている人間に会えなくなる。

少人数の授業に出られない。

卒論のための演習授業に出られない。(もう3週間も自分の発表順から逃げ続けて周りに迷惑かけてる。最悪)

  

全部先送りにしてる。

就活も先送りにし続けて今更やってる。

  

今日までに返信しないといけないメールばっかり。

期日を過ぎた図書館の本、今日返しに行くつもり。

燃えるごみはもう1か月くらい捨て忘れて蛆が湧いて、部屋にでっかいハエが出た。ゴミの日明日

ペットボトル今日徹夜たからなんとか一袋だけ出せた。

冷蔵庫にはぶよぶよになったミニトマトが数個と消費期限が1か月切れた食パンが置いてある。

先週の日曜に面接で使って洗おうと思っていたスーツはまだ部屋の床に落ちてる。

あれ、あの食器って最後に洗ったのいつだったかな。

私の体も昨日は洗ってないよな。

ハエと住んでるのに生ゴミだらけの部屋の中。

寝汗がすごいんだけど、スーツ最後に洗ったのはいつだったかな。

  

もうやめたい。

生活を一人でできる人間普通なんだよな、じゃあ私はなんなんだ。ナマケモノ、まあそうか。

でも怠け癖があるだけだって言われたくない。

どうか何かの病気であって、薬でさあ、なんだかやらなきゃいけないような気分にならせてください。

  

お願いです。お願いします。

2024-07-07

anond:20240707110430

リメディアル教育に力を入れる大学がいま求められているというのはある。

九九の復習から始めて、4年間で微分方程式複素関数くらいまできっちり終わらせてくれる大学が増えたら凄くいいんだよな。

卒論とかなくても、そうのでいいんだよ、って採用からも言いたくなる。

2024-07-03

百合子がカイロ大卒業してないとか言うけど

大学卒業したって言うならしたんじゃないの?

半世紀前は早慶だって必須単位試験すっぽかしたり、卒論未提出だったりしても、適当に頭下げて回ったり、口利きしてもらってりで、強引に卒業していったやついくらでもいるだろ。スポーツ系は言うに及ばず。

というか森とかはどうなるんだよ。

2024-06-22

anond:20240622220516

つまんないことを自分なりに面白みのある作業に作り変えていく練習をどっかで積んでおくと人生楽になる

が、いきなりそれを始めようとしても難しいかもしれないな

 

やる気が出ないなら、とりあえず飯食って葉を磨いて散歩してゆっくり寝て、体調を崩さないように気をつけろ

何はともあれ、今お前はやりたくないことをやらずに済んでるのに、そのせいで悩むなんてそれこそ人生無駄じゃないか

 

明日起きたら、卒論つまんなくて手につかないんだよって誰かに面と向かって言ってみ

本当に誰でもいい

anond:20240622220516

大丈夫だよ、おれも卒論3時間で書き上げて学生課で大暴れして卒業できたか

anond:20240622220516

まだ6月だろ

早くない?

卒論提出期限はいつよ?

ずっと現実逃避している

大学卒論に向けた資料作りを滞納し続けてるんだけどなぜやらなくてはいけないのか、という自問自答を超えてなぜこんなに面白くもないことを人間は頑張っているんだろうかというところまで来てしまった。

誰か答えてくれないか

楽しいことだけして生きていきたいんではなかろうか。

最悪、一年もせずに手持ちの現金が尽きて腹が減って死ぬかもしれないが、やろうと思えば仕事なんかしなくていいのになんでみんな、俺も含めて仕事したりしてるんだろうか。

2024-06-20

anond:20240618221543

大学生活のとこすっごい共感した

私は緘黙があったのと卒論手伝ってくれる母親がいなかったので中退したよ

2024-06-19

anond:20240618221543

まだ認知が歪んでるねえ どう考えても毒親問題でしょ

大学行って就活に出しゃばってる来る卒論まで面倒見る親って本当にいるんだね わかりやす共依存

水泳ってタイトルに入れてることで親を悪者にすることを避けてしまうんだろうね でもそれ水泳に失礼だから

2024-06-18

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

・これは何か

私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である

なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。

・なぜこれを書いているか

私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである

精神科に通いつつ、投薬とカウンセリング治療をおこなっている。

そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。

(先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなた言葉あなた感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である)

正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリングを受けてから2週間くらいメソメソメソメソメスティーソ泣いていたのだが、友達と遊んで少し息抜きをしたらちょっとした気づきと癒やしがあり、なんとか気力を振り絞れそうなので書いてみた。

水泳のこと

3歳から高校2年まで水泳をやっていた。

早いうちに才能を見出され、小学校1年か2年くらいでヘッドハンティングのような形で選手育成クラスに移った。

当時、肉体にすごく負荷を掛ける練習方法流行っていた時代だったから、シンプルに肉体的につらかった。スパルタが主流で、体罰は当たり前だった。

楽をしようものならコーチにも怒鳴られ叩かれ全員の前で吊し上げられた。そこまでは周りのみんなと条件は変わらないのだが、私の場合母親ほとんど毎日練習を見にきていて(それほどに熱心な親は他にはいなかった)、仮にコーチに怒られなくても、母親の目から見て私のパフォーマンスが悪ければ、そのことを帰りの車の中で詰められる日々だった。

行き帰りは車で母親に送迎してもらっていたが、車の助手席に乗り込むと母親の「今日練習について」の裁判が始まるので、毎日まるで犯罪を犯して法廷に立たされるみたいだった。キツい負荷の練習をこなしてやっと家に帰れるのに、すこしも安らいだ気分になれなかった。

でも、私は無理にでもやらせればやらせただけ、負荷をかければかけただけ、結果が出せてしまタイプ人間だった。

父親も叔母もスポーツ学生時代成功した経験があって、家系としても肉体的に優秀だったのだと思う。

それが母親成功体験になってしまい、尻を叩けば叩いただけ結果が出るという思い込みを強化したふしがおそらくあるんじゃないかと思う。

長期休みに入るたび、朝夕2回の練習では足りないと別のプールに連れて行かれ泳がされた。この習慣は我が家では「こそ練」と呼ばれていた。

ただでさえキツい練習をしてるので嫌だったが、嫌がれば母親から「速くなりたくないの?」と頷くまで詰められる。

こうやって追い込めば追い込むほど結果が出たので、母はどんどんエスカレートしていった。

極め付けはようやく出来始めた友人関係破壊されたことだった。

中学に上がると、小学生選手育成クラスから中学クラスに上がって、ここがジュニア女子選手としては一番上のクラスだった。その上に、高校生の男子さらにその上澄みだけが入る、一番練習ハードクラスがあった。

いま振り返ってみると、私はかなり発達障害的な特性のはっきり出た子どもであり、周りと関わるのがかなり下手だった。だから、キツい練習を何年も毎日一緒にこなしてきたというのにチームメイト連帯感を育めなくて、ずっと浮いていた。浮いているのに才能だけあったから、周りからすると目障りな子どもだっただろうと思う。選手育成クラスというだけあってそこそこ実力主義ではあるので、幸運にもいじめられこそしなかったが(あるいは特性上あまり他人に興味がなく嫌がらせに鈍感だっただけかもしれない)、やっぱり浮いていた。私は人生を通してずっと普通になりたい、と漠然と願ってきたが、その願いはこういう環境のなかで醸成されてきたように思う。

(ちなみに、当時どのくらい浮いていたかというと、なんか男子たちが私に話しかけるのを何かの罰ゲーム一種として扱っているな、と気づいたことがある程度には浮いていた)

けれど、ここで話の合う友達ができたことで、この一瞬だけ練習に行くのが楽しかった時期があった。

私はもともと才能があったので、中学生のクラスを受け持っていたコーチにも期待されていたし、たくさん話を聞いてもらえて、私自身もコーチのことを頼れる大人だと思っていたし、期待に応えたいと思っていた。信頼関係を築ける大人との出会いがここであった。だから、このクラスちゃんと私の記録は伸びていた。

だけど母はその伸びでは満足できなかった。

母にはいわゆる白雪姫の母コンプレックスみたいなものがあって、私が楽しそうにしていると不安になる性質だった。不安を感じやすく、その解消のために誰をどれだけ振り回しても良いと考える傾向があった。

私が楽しんで練習に行き始めた時、母は不満だった。私が苦しんでいないから、きっと負荷が足りないのだと考え、「娘の才能が無駄に消費されている!」と強く不安を感じたのだろうと思う。これでは速くなれない、と母は考えた。

そして、「上のクラスに上がりたいと言いなさい」と母は私に強要した。

私はかなり嫌がった。もともとジュニア女子が入れる中で一番上のクラスではあったし、せっかく話の合う友達ができたのに、その子たちと話せなくなってしまうことも嫌だった。先生の期待を裏切ってしまうことにもなる。すごく抵抗があったことは覚えている。

母は私に、「あん肥溜めみたいなクラスにいたら、あなたダメになってしまう」と言った。

嫌だった。泣いて抵抗した気がする。あまり覚えていない。でも、最終的には「上がりたい」と言わされた。コーチはショックを受けていたと思う。でも最終的には上のクラスコーチに頼んでくれて、私の(母の)要求は通った。

中学1年の女子高校生の男子クラスに入れられて泳ぐことになった。毎日階段をまともに降りられないくらいの筋肉痛になった。まわりはひと回り年の違う高校生の男子しかいないので、友達と話せる機会は減った。肉体の負荷は上がるのに、心の支えは何もなくなり、ただ苦しかったしつらかった。

私が苦しんだので、母の不安は解消された。

そして、精神とはうらはらに、私の肉体はそれに応えた。

実際に大幅に記録が伸びた。一緒に泳いでいた高校生の男子より私は上のタイムを叩き出し、彼らにもよく頑張ったと認められた。中2のころにはジュニアオリンピックで決勝に残り、関東中学で優勝し、全国でも10本の指には入った。国体にも県代表で選出された。県で私より速い選手はいなくて、私がベストを出せばその度に大会新記録、県の新記録だった。母はこのことについて、自分が尻を叩かなければ結果が出せなかったはずなので、自分の手柄だと考えた。

注意して欲しいのは、これらの成果を私自身もまた喜んでいたこである。才能や能力があると見做されることは、特性持ちの人間にとっては他人から受けるマイナス感情を弾く盾にもなる。母の手柄は、私を絞り上げ、苦しめて作り上げられたものであるが、同時に私を守るものでもあった。

あなたは結果で他人を黙らせなさい」というのが、母の持論だった。母は私のために、心を鬼にして私を苦しめていたはずである。叩けば結果が出ることがわかっていたのだから

この頃から試合合宿遠征先に行くと、夜中にこっそり抜け出して、当て所もなく歩き回るようになった。特に裏道や暗い道を選んで歩いた。いま考えると、間接的な自傷だったと思う。酷い目に遭いたかった。私という価値が一気になくなってしまうくらい、誰かに酷い目に遭わされたかった。母が守る『私』という価値と、それに伴う苦しみが分かちがたく結びついていたために、母の目の届かないところで地味な自傷行為に走っていたのだと思う。

体に傷を残すようなことはできなかった。そんなことをした日に母を襲う衝撃と、その衝撃の余波を受ける自分のことを考えたら、とてもではないが無理だった。

しかし、こういう無理は続かないものである。ほどなくして精神的に破綻して、泳げなくなった。中3の秋ごろだったように思う。喘息悪化させ、負荷のキツい練習から逃げ、最後は何か喚き散らして家に帰り、そこからしばらく練習に行けなくなったように思う。詳細は覚えていない。

だけど、そこで辞めるには水泳は私の人生で大き過ぎた。人生の大半を占める一大事業に等しかった。だからそこから高校2年の夏まで、通うスクールを変えて足掻きブランクを取り戻し、記録は少し伸びたし、インターハイにも出た。

ただ、大学受験に切り替えるならこの辺りがタイムリミットだった。結局、わたしはここで引退して受験に切り替えた。水泳のために自分学力よりかなり下の高校に行ったので、辞めてから予備校漬けになった。

受験勉強は圧倒的に楽だった。体の負荷も消えたし、学業自分特性から見ても結果の出しやすい分野だった。あまりにも結果が出やすくて、母も不安にはならなかった。躓きや苦しみも多少はあったが、水泳で受けたそれとは比べ物にならなかった。この時期、私と家族はかなり明るく過ごした。

大学には簡単合格した。願書を出した大学ほぼ全てに受かった。

とにかく家を出たかったので、その名目が立つ大学を選び進学した。

ここから水泳を辞めた後の話に入る。

友達が作れない、学業に身が入らない問題が出る大学1年目

ひとり暮らしをはじめて、やっと手に入れた自由を楽しんだ。でも1年目、ぜんぜん他人との関わり方がわからず、友達が作れなかった。小中高と水泳にかまけていて、相変わらず発達特性的な部分で学校でも浮いていたし、そもそも自分偏差値より随分下の学校に行った(水泳にはリレーメンバーの都合がある)ため、頭の程度が均されている環境でほかの人間と接して友達になる機会がまったくなかったのだ。県大会で何度も優勝し、実家に腐るほどトロフィーがあっても、友達の作り方がわからなかった。この時点で、私の能力は社交性に比して随分歪だったと言えると思う。

ひたすら学校と家を行き来して、家ではゲームばかりやっていた。

1年の後半の方になってようやく所謂オタクサークルに入って、対人能力に似たような問題を抱えた人たちに出会い、それでやっと少し友達ができた。ここから就職活動が始まるまでは、楽しく過ごせていたと思う。彼氏もできた。

とはいえ、あまり成績は良くなかった。勉強したいと思って進学したはずなのに勉強に向かう気力が湧かなかった。どころか、水泳を辞めたことが傷になっていて、「どうせ最後には全部台無しにする、水泳だってあれほどつらい思いをして人生を捧げてきたのにそうやってダメにした」と囁く声が頭から離れなくて、あまり集中できなかった。

漠然と、卒業したら死のうかな、と思っていた。

就活ができない問題が出る大学3年生

学業もそんな感じだったので、いざ3年になってもぜんぜん就職活動を進められなかった。というか授業もギリギリラインだった。

振り返ると、つらい思いをして思春期を生き延びた先に、ようやく手に入れたご褒美としての『自由』がたった4年で終わることに全然納得が行っていなかったんだという気がする。他の人たちは将来を考える精神の準備ができていたのに、私には何もできていなかった。こんな人生の先に、また何十年も続く苦痛が待っていると思って、絶望感があった。

就職留年

このあたりのことはぼんやりしているが、就職活動が出来なさすぎて就職留年した。ちょうどリーマンショック東日本大震災の影響があった時期で、特に女子就活は周りを見渡しても厳しかった。なので就職留年という言い訳は通った。

でも、留年したのに就活全然ちゃんとできていなくて、とうとう親が乗り込んできた。希望する企業の傾向は決まっていたので、母親マイナビリクナビエントリーする企業を選んでくれて、エントリーシートや履歴書に書く志望動機などの文章としてこちらで考えたら、それを母が手書きで代筆してくれたりして、こんな大学生はおそらく他にいないなと思うほど過剰にサポートしてもらった結果、なんとか書類選考が通るようになり、面接を受けたりと就職活動らしいものを進めることができた。

面接が苦手すぎて苦戦はしたが、なんとか内定をもらった。たた、周りがちゃんとこなせていることも自分にはろくすっぽできないとわかって情けなかった。

卒論が出せなくて2度目の留年

このあたりもぼんやりしている。夏くらいに内定が決まって、そこからしか全然ゼミに行かなかった。いや、たぶん特性的に並行してふたつのことができないので、就活中はゼミにも授業にも行けていなかった気がする。内定が決まった後、バイトしろと言われてしていて、必要な授業の出席とバイトくらいはしていたが、ゼミに出てないので卒論が当たり前に書けなかった。英米文学専攻なので卒論英語で書く必要があった。ぼんやり決めたテーマがあるくらいしかなくて、そのまま冬になった。ちょっと書こうとしたけれど当たり前に書けなくて、でもそれを就活を熱心にサポートしてくれた親には言えなくて、卒論提出の日に失踪した。1〜2週間家に戻らず、銀行口座の金が尽きたら死のうかなくらいの気持ちでいた。漠然と死のうと思っていたし、その時が来たのかと思っていた。

結局親に口座の金を引き上げられて、無様にも死ねずに戻った。怒られ、殴られ、彼氏にも心配をかけまくり、色々あったとは思うのだが、この辺りの記憶ぼんやりしている。

ひとり暮らしの家を引き払い、実家カンヅメになって母親監視のもと卒論を書いた。足りない単位のための授業とバイト以外の外出はさせないくらいの感じだったと思う。

ひとり暮らしの家を引き払った時、この時も家がゴミ屋敷になっていたので、ゲーム依存病気だと親に疑われたが、ゲームは単なる逃避行動で、やれない環境であればあっさり辞められた。振り返ってみれば、何らかの支援の網に引っ掛かっておくタイミングがここだったような気がする。ただ、スポーツで結果を出し、世間的には良い大学に行ったような人間が、ゲーム依存なんかで病院に罹るのは外聞が悪い、という意識がなんとなく家族全員にあったのか、結局ここでは必要だったであろう支援とつながることはできなかった。

この環境でなんとか卒論を書いて卒業した。就職は結局バイト先に拾ってもらうかたちになった。

新社会人として

もう一度実家を出てひとり暮らしをはじめた。

働き始めるととにかく眠かった。ひたすら眠かったことを覚えている。仕事でも会議でも寝てしまい、怒られて、怒られたあとは体が一時的闘争反応というか覚醒状態になるので、それで過集中を起こし仕事を進めてなんとか巻き返す、みたいな感じだったと思う。昼に寝てしまうので夜は眠れなかった。その悪循環で昼にまた意識を失った。

本当は病院に行くべきだったと思うが、家に帰るとその気力もなかった。家の電球が切れて、ほとんど暗闇だったのにも関わらずその家を引っ越すまで電球を変えられなかった。1年以上真っ暗闇で生活した。歯が折れて激痛でも病院に行けなかった。ぎっくり腰でも行かなかった。ゴミ屋敷はここでも生産された。

この時期私は相当な困難を抱えていた気がするけれど、同時にどこか安心しているような部分があった。自分価値がこうやって毀損されていくことに対する「ざまーみろ」という気持ちがあった。ちょうどこの頃、母親と完全に連絡を遮断して、実家と絶縁状態になった。直接のきっかけはなんだったか覚えていない。ただ、自分価値ボロボロと溢れ落ち、人生ダメになっていくことについて、母親への不健全復讐欲求が満たされるように感じていたのは覚えている。

この状態を5年くらい続けて、3つくらいの現場経験した。就職先は人売りのSESだった。

コロナ禍でリモートワークが開始する

これは自分にとって大きな転換点だった。寝ているところを他人に見られないのでストレスが大幅に減り、なんとか自分が起きていられる時間帯に仕事を進め、眠りたい時は寝ていることができた。とても褒められた就業態度とは言えないが、それほど能力的なハードルが高い客先でなかった幸運もあって、なんとか巻き返しが効いた。この時期が一番平穏だったように思う。この現場自分にとって一番長く続いたし、終わり方も案件ごと終了ということで円満だった。

この現場が4年くらいで終わり、本社に戻ることになる。

本社に戻る。眠気の問題ふたたび

リモートワークが終わり片道40分くらいの通勤生活が数年ぶりにスタートする。10年近く戻っていなかった本社に知った顔はほとんどなく、コミュニケーションが得意そうな子たちの若い顔が並ぶ。すでにこの時点でうまくやっていけるか不安ではあった。

自社開発の案件アサインされるも、やはり眠気の問題が復活し、怒られる。仕事客先常駐とは違い、粒度の粗い仕事を上手いことやっておいてというような感じで振られるため、勝手全然からず、先の見通しが立たない。作業をうまくこなせず、進捗が出せない。学歴スポーツの成績だけ見れば能力はあるはずだと思われているので、サボっていると見做される。寝てるよね?なんでコミット全然出ないの?

年次だけは無駄に高いので直属の上司もおらず、まともな相談先もなく、周りの子たちは若くてこんなことを相談できる相手ではなく、結果誰にもうまく頼れずにひたすら信頼を失い続け、頼みの綱だった週1回のリモートワークも許可を取り消される。

社長から新卒みたいなことを注意させないでくれる?」と言われる。怒られて、闘争反応になった勢いで、なんとかメンタルクリニックの予約を取った。

そうやって通院治療を開始したのが、2023年10月ごろ。

日中の眠気、夜の不眠、集中困難、ゴミ屋敷などの問題が主訴。

これらの問題は通院治療を開始したところでたちどころに解消するようなものでもないので、年末年始休みを挟んだ後、ボツボツ休みが増え、雪崩れ込むように職場に行けなくなって休職開始。

心理検査(WAIS-Ⅳ)の結果、言語理解ワーキングメモリ・処理速度の間で有意差50を超えた。言語理解・知覚推理凸、ワーキングメモリ・処理速度凹のタイプだった。

この結果と、現在社会生活が送れていない実態をもって、5月ごろにADHDと診断された。

現在は、投薬治療カウンセリングを受けている。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援 Permalink | 記事への反応(21) | 22:15

2024-06-14

昭和の話だ

大学生の頃、俺は日本の伝統文化に関する研究をしていた。

その中でも特に興味を持っていたのが「夜這い」という風習だった。

ある日、〇〇県の〇〇村には夜這い文化が未だに残っているよという話を耳にした。

俺はすぐに赴いた。卒論の進捗は芳しくなく、焦っていたのだ。

〇〇村は絵に描いたような長閑な田舎で美しい田園風景に囲まれ、鳥のさえずりと風の音が心地よい場所だった。

村に到着すると早速村人たちに取材を試みた。しかし彼らは皆笑いながら言った。「そんな文化はもう残ってないよ。昔は、確かにあったかもしれないけどね」と、訛りの強い言葉で教えてくれた。

取材を終えると既に夜で、村長さんが家に泊めてくれることになった。空き部屋は畳敷きで、木の香りが漂っていた。

俺は不慣れな場所だと寝つきが悪かった。床に着いてもなかなか眠れず夜が更け、静寂に包まれた部屋で俺は古びた布団に横たわりながら頭の中で昼間の取材内容を整理していた。

村人たちの言葉が頭を巡り、夜這い風習が本当に消えたのか、それともまだひそかに続いているのかを考えていた。

すると突然引き戸がスッと、ゆっくり開く音が聞こえた。

ひた、ひたという足音が畳を踏みしめながら、ゆっくりと近づいてくる。

俺の体は硬直し、緊張が走り、泥棒!?と身構えたかったがまるで金縛りにあったように動けなかった。

起きていることを悟られるのはまずいかもしれない。そう思い、寝たふりをすることにした。

足音は俺の前で止まり、次の瞬間、柔らかい何かが俺の唇をふさいだ。

暗闇の中、俺の感覚は研ぎ澄まされた。唇をふさいだのは誰かの唇であり、いい匂いが鼻をくすぐった。それから、手が頬に触れ、優しく撫でる感触が伝わってきた。俺の心臓は激しく鼓動し、何が起きているのか理解できないまま、その手の温もりに引き込まれていった。

「誰だ…?」かすれた声で問いかけたが、答えは返ってこなかった。代わりに、唇が再び触れ合い、その瞬間、俺の中に奇妙な安堵感が広がった。まるで、遠い昔の記憶が呼び覚まされるような、懐かしさと安心感に包まれた。

それから……

翌朝目が覚めると、夜の出来事現実だったのか夢だったのか曖昧なまま頭を整理した。

朝食の席で俺は村の村長に昨夜の出来事について尋ねることが出来るはずもなく悶々としていると、昨日はよく眠れましたか?と村長が聞いてくる。

俺が曖昧な返事をすると村長意味ありげな微笑を浮かべ、「みなさんここではよい夢を見られると、よくおっしゃるんですよ」と言った。その言葉にはどこかしら謎めいた響きがあった。

あれからもう何十年も経った。

それでも当時のあの夜の、あの温もりを忘れられない。俺は未だにあの夜を求めているのかもしれない。

2024-06-07

anond:20240607102315

学部生ごとき研究者の顔役語るとかお前高卒だろw

ちなみに学部生のときは他にどういう論文書いた?まさか卒論だけじゃないよな?

査読付き英語論文は当然書いたんだろ?顔役語ってんだから当然だよなお前なぁ?

anond:20240607102004

いやだから君が黙ればいい話では?

2023年ノルウェー1.41 フィンランド1.32とか言われてるわけで

俺分野違うけど社会学卒論書いてるのでその程度はやるけど

君のは便所の落書きなら、研究者があーとか言わないでもらえるかな?

てか書かないでいいよ

2024-06-03

プログラミングできます」は「サッカーできますレベル

プログラム実装出来る人が欲しいと人事に掛け合うと、アホ人事は

プログラミングできます」「大学時代やってました」「卒論でやりました」

レベル人材しか寄こさないし、なんなら

趣味で土日にやってます

という人を優秀だと勘違いしてる

サッカーに置き換えると分かりやすいと思うんだが

お金貰ってサッカーやってたプロの人とそうでない人の間には雲泥の差があるんよ

土日にフットサルやってる人は一般人から見たらそりゃ上手いだろうけど

プロから見たら全然ダメなんよ

おまけにプロもJ1からJ3である

JFL地方リーグだってあるわけで

少なくともJFL所属レベルぐらいじゃないとチーム作れないんよ

そりゃ大学生プロに行けるような人もいるけど

そういう人はさっさとプロに行ってて普通採用しても来ないんよ

から

中途採用で取ってください」

って言っても

「いやいや、社内にもプログラミング出来る人いっぱいいますよ?」

とか返してきて全然話が噛み合わないんだよね

2024-05-27

anond:20240527143143

なんでしっかり飲み会学祭あるタイプの2サークルも入ってるんだ

普通掛け持つならガチのとゆるめのだよ

就活卒論までに自分を立て直すことを最優先にしてサークルは休むかやめたら。

学生相談室の公認心理士相談しながら状況整理すればいいよ

挿入の下はいわなくていいし言っても守秘義務あるから

2024-05-26

anond:20240526010152

文系のことは知らんけど、自分のいた研究室毎日来るのが当たり前の情報系だったので、そことは大いに違うな。

「これでは修士に値しない」と卒業できなかった

個人的感覚だと、研究室が課している出席のルールを満たしていてこれはちょっとあり得ない。

過去卒論をそんな理由で失敗していた学生なら見たことはある。

学部3年のころ、先輩方の卒論発表会を傍聴してたんだけど、

一つ下の学年の自分から見てもヤバいと思うような発表内容で、回覧に出されていた卒論ほとんど何も書いてない感じのだった。

後で聞いた話だと、その発表をした学生ほとんど研究室に来ていなかったらしい。

...まあ、こういう状況で「これでは修士に値しない」はわかるけれど、それなりに研究室に来ているのにそれをもらうのははっきり言ってブラック研究室

実際に見たことはないんだけれど、自分のいた学部にかつて卒論発表会で自分学生パワハラを始める人がいたらしくて、

その研究室に行くとヤバいってことが知られているところがあったな。

今でいうAIのような流行ものテーマを扱っている研究室だったので、憧れだけで研究室を選んで地獄を見る場所だったらしい。

文系大学院常識は知らんけど、自分感覚だと修了率50%は相当ヤバいと思う。

ゼミ以外の時間は(研究質問に)来ないでね。

この研究室論文を書く場合って、指導教官はauthorに入りますか?

ゼミ指導をしたと言えば言えるのかもしれないけれど、文系研究室はえらく気が長いんですね。

月1程度(1回1.5時間ほど)以外は研究について話すのNGなんですよね。

研究を進めるうえで研究室特殊機械を借りたり、先生の人脈を使ったりしてますか?

自分感覚だと、その程度の相談時間で、研究室リソースも使わないとなると、指導教官をauthorに入れていいのか怪しいレベルだと思うんだけど。

ちなみに、自分のいたところは毎日指導教官テーマについて話してました。

論文を書くときは構想から相談して、添削もしてもらってました。

増田君が言いたいことはこういうことでしょ」と先生が書き直したことも時々あったので、ぶっちぎりでauthor感があった。

ゼミでのご助言が抽象的すぎる

これが1カ月に1回。ほんとに研究室の進捗がslowなんだな。

そして、シン・仮面ライダーメイキング(NHK制作ドキュメンタリー見てくれ)よりもひどい世界だ。

早いフィードバックで何度も回すのが自分の周りだと普通なので。

もちろん、先生に毎回確認するのは気が引けるので博士などの人が先生質問をするときに一緒に居たりして、一緒に先生の話を聞いて意図を組んで、その人と壁打ちをすることが大半だと思うけど。それでもって、その博士の人もauthorに含まれる。話しているうちに博士の人のアイディアが入ることもあるし。

私たちに聞かれても、知識がないからわからない。私たちを頼りにしないで」

別に正直でいいと思うんだけれど、先生の知り合いでその分野に明るい人を紹介してもらって共同研究できないんだろうかとかは考える。

ヒステリックになっていると言われる

先生同意ちゃうかな。

先生方は現状をどのようにお考えなのですか」の回答はそんなに問題があるとは思えない。

「お考えですか」だからね。

大学としてこの修了率は普通ことなのか、普通じゃないのか?みたいなところからだな。普通のことだったら、それ以上の会話はないよ。

普通じゃなかったら改善案についての話になるけれど、普通のことだったら改善などないからね。

正直、元増田お気持ち表明以上の意味がある質問には見えない。

納得いかない感情をぶつけられても困るだろうなと。

修了率が高い研究室に移れないかを考えてもいいとは思うけれど。

計画性がないと言われる

ここまで読んでいて思うのは先生には学生を育てる動機づけがないってことかな。

先生問題というよりも、大学やその業界問題のような気がしてならない。

うちの分野だと自身研究成果はさておき、育てた学生(特に博士)の数や研究評価対象になるので、下を育てることにそれなりの動機付けがある。

多分、指導能力がない(学生を育ててない)人はテニュアトラックに乗れないんじゃないかなと。

あと、先のところでも書いたけれど、もしかして元増田の通っている大学院別に修了しない学生が多くても構わないって思ってない?

自分のいたところはその分野の人材を育てるという意味合いもそれなりにあったのか、修了率はかなり高めだったと思う。中途で消えた人は見たことない。

でも、修了率50%でなんとも思わないというのは研究室どころか、その専攻科がそれを良しとしているとしか思えない。

休みメールすると怒られる

え?先生って定形勤務なの?てっきり裁量労働なのかと思ってた。

働きたかったら何時間でも働いていいけれど、働きたくなかったら別に何もしないでもokみたいな。

ふんわり定時みたいなのがあったほうが自分学生も働きやすいからそういうのをやっているだけかと思ってた。

前述のとおり、先生には学生を育てる動機づけがないと思う。

でも、この書類GW直後に見てもらうのだと間に合わなかったんだろうかとも思ったりする。

先生だって休みの日を休みの日として過ごす時間必要だと思うので。

家族サービス中にちらちらとメールチェックをするのはokですか?ngですか?

旅行に行けるような休みは、去年の年末からありません。

これは理系だと普通という認識

ちょっと研究室にいた時間と自宅にいた時間かぶってて、なんかおかしいので時間帯はわからんけど、

理系だと追い込みの時期に研究室に住んでいるみたいな人は普通にいる。

ま、事実上研究室に住んでいるような人生研究に捧げた先生なんかもいるらしいしね。

学位論文書いてた時は研究室から徒歩数分のソバ屋で年越しそば喰って、正月研究室にいたけれど...

大学院はこんなものですか?やっぱりおかしい?

研究に費やす時間についてはこんなものだと思う。修了できなかったら死ぬみたいな気持ちでやってたのは事実で、文字通り命を削って学生してた。

親はモラトリアム楽しんで遊びに行っていると思っていたようで、恥ずかしいからと親戚の集まりに来ないように仕向けられてた。

就職して思ったけれど、仕事の方が大学院行くよりも楽だな。

労働基準法で守られているし、学位を取れなかったら死ぬみたいな謎な緊張感もないしね。

でも、指導教官対応はなんかおかしいと思う。そもそも学生を育てようとか卒業させようとかい意思を全く感じない。

でも、それは個人問題というよりもシステム問題なのかもしれないとも思う。

もし、増田の分野が人を育てることを重視していないなら、それは業界問題であって個人問題ではないし、

そこは手厚い育成を求める人たちが行ってはいけない分野なんだと思う。

アカハラで(学校以外で)駆け込むとしたら、どこ?

法テラス

普通に考えると、この手のトラブル弁護士に話す案件かなーと思った。他の人の状況や客観的証言を集めたかったら探偵も使うのかもしれないけど。

2024-05-23

『妻の育ちが悪くて離婚になりそう 』とかい増田を見たら3000文字超えていた

強制されてるわけでもないのに匿名ネットに3000文字投下する人のメンタル何?もしかして金もらえるの?

読書感想文卒論しかいたことねえわ

2024-05-14

anond:20240514113222

大学までエスカレーターなら

文系でも高2で数三数Cまで終わらせて、3年次は大学先取り授業や卒論書いたりするから

二十過ぎればただの人だから、それが良いかどうかは別として

ただ、先にやっておけばそれだけ大学での自由度が増すことは間違いない

これも田舎進学校と、都会の一貫校の大きな差かもしれん


地方県内ナンバーワン県立や進学校から旧帝大落ちて早慶みたいな人たち

付属上がりより確かに勉強は出来るんだが、大体サラリーマンに落ち着いてる

2024-05-13

人生イージーモードすぎる

だいたいこんな感じで人生ハードルがあまりない

2024-05-08

anond:20240508120321

専門分野の英語論文はやっぱり独特な単語言い回しがあるから、それなりに真面目に読む訓練しないと読めないんだよ。

それでも大半の学生は最低限真面目に取り組むから多少は読めるようになるしなんとか卒論書いて卒業できる。

まり、その真面目さがそもそも無かった(或いは無くなっていた)ということさ。

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