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はてなキーワード: 定期テストとは

2020-05-02

[]anond:20200502065319

14歳初体験が無色だった話

このコロナ禍でテレビ局は収録を行えず、音楽番組歴代のヒットソングを流し続けている。

私はこの手の音楽番組は嫌いじゃない。小中学生時代うんざりするほど聴いた曲を「懐かしむ」という新鮮な感覚で聴けるようになった今は、テレビの中の歌手と大合唱するのが楽しくて、つい観てしまう。

この日もまた、その手の音楽番組で盛り上がっていた。学生時代、熱心に聴いていた00年代のヒットソングメドレーとなると、私は息つく暇もなく歌声を重ねる。

歌詞を見ずとも完璧に歌えるその数々に酔いしれ、天井を仰ぐご機嫌な私の歌声は、ある曲がかかった途端ピタリと止んだ。

2005年のヒットソングレミオロメンの「粉雪」。この曲は、当時14歳だった私の「初体験」を彩るテーマソングだ。仰いだ天井とそのイントロが、あの日ラブホテル天井だんだんと思い出させる。

中学校生活の終わりをもうすぐ迎える私は焦っていた。その焦りとは、受験や、進学で離れ離れになる友達との別れに対するものではない。「初体験」を済ませていない自分に対する、ハッキリとした焦りだった。

私の周りの女の子たちは皆早くて、それぞれどこかで仕入れた「年上の男」とさっさと初体験を済ませていた。

中には「2回目は公園でヤった」とか、「毎日学校トイレでパコってる」と語る者もいて、私は公園トイレに行く度に「ここでパコパコ…」と感心していた。

一方私は、友達の家でファミチキを食べて帰るだけの中学生。身なりはギャルで、毎日公園トイレでパコっていそうなのに、処女なのだ

私は心底情けなかった。親から毎日公園トイレでパコっていると思われているのか、夕食の時に突然「コンドームは付けなさい」と注意される自分が。「まだパコってねえよ!」とも言い返せず、部屋にこもってeggアニマルトークを読む日々が。

そもそも、中2の時に「塾に行きたい」と親に頼んだのが間違いだった。周りの女の子たちと同じように、夜中にどっかの年上の男にナンパされ、雑木林初体験を済ませることを夢見ていた私は、夜遊びをするために塾に通うことを思いついたのだ。

それで私は、親に「高校に通いたいから塾に通わせてくれ」と懇願した。雑木林でパコりたい私の目論見を知ってか知らずか、親は「そうか、そうか!」と快諾し、私に2人の家庭教師を付けた。

高校に通いたいなんて嘘をつかずに、「雑木林でパコりたいから塾に行くフリをしたいんだ」と正直に言えばよかったバカからと2人も家庭教師を付けられ、週4日、16時から始まる授業に間に合うように、家に帰る生活を送ることになるとは。

からといって、親に反発することはなかった。「お金がない」と言いながら月謝を払う親を裏切ることはできなかったし、口火を切ったからにはやってやるというギャルの意地があったから。

そうして夜遊びと無縁な日々を送った私は、2人の優しい先生のおかげもあって、中3の夏頃に実施された定期テストで89点という高得点数学で叩き出した。

それ以外は50点前後というしょっぱい点数で、この奇跡の89点は功を奏さず、成績の5段階評価オール1からオール2に上がる程度だったが、私の中にはいしか高校に行きたい」という思いが芽生え始めていた。噓から出た実とはまさにこのことである

そうなると志望校を決めなければならない。しかし、私の学力でいける校則のゆるい高校を探すのは困難を極めた。いくらページをめくっても、「ゥチの高校鬼ギャルの格好ができるょ↑↑」とか、「ルーズは120センチまでォッケー⭐︎」と、eggのノリで高校を案内しない『首都圏高校受験案内』に何度失望したことか。

選べる身分ではないことに気付き始めた頃、私はインターネットの力に頼った。すると早速、OB受験生の質問に答えてくれるという優しい掲示板を探し当て、「ゥチの行ってた高校ギャルの格好ができるょ↑↑って人L lますヵゝ??」と書き込んでみた。

しばらく経って、スレッドが埋まりかけた頃、ようやく1件のレスがついた。「教えてあげるから、会わない?」という、見るからに怪しいレスだった。

その怪しさに、私は戸惑うよりも先に沸き立った。「この怪しいレスをつけた人に会えば、初体験を済ませられるかもしれないぞ」と。このバカは、いくら優秀な家庭教師でもなおせなかったのだ。

私はうぶなふりをして、20歳の男のメールアドレスを聞き出し、「静かなところで話したいから、ホテルで会わない?」という誘いに乗った。ああ、お父さんごめんなさいなんて、一瞬も考えなかった。

私にもついにこの時が来たかと思うと、感慨深いばかり。土曜の昼間のラブホテルだなんて、夜中の雑木林より立派じゃないか誕生日を間近に控えた14歳の冬にして、ようやく初体験を済ませることになったのだ。

いつもより濃い化粧と派手な服に身を包んだ私は、待ち合わせ場所の改札前で20歳の男を待っていた。あと10分もすれば、初体験相手が改札の向こうから現れる。

周りの女の子たちには、インターネット出会った男と昼間にパコったなんて恥ずかしくて言えないから、夜中にナンパしてきたギャル男とラブホでパコったと言おう。そういろいろと考えていると、後ろから「あの…」という細い声が聞こえた。

振り向くと、うつむいた男が立っている。私は、その男が何者かということより、「私より髪が長いなあ」というぼんやりとした感想を抱いて、返事もせずにその長髪を眺めていた。

すると男は「…行こうか」と言って歩き出した。私はようやく「この男が私の初体験の男なのだ」ということに気付き、何とも言えぬままなびく髪を追いかけた。

道すがら、男は何かを話しかけてくるのだが、喧騒に遮られて聞こえない。その何かが物騒なことだったらどうしようと、この期に及んで恐怖を感じた。

それでも私は、時々見える男の表情が笑顔であることだけを頼りについて行く。男の声がはっきりと聞こえたのは、ラブホテルロビーに入ってからだった。

男は「どこでも良いよね」と言って光るボードボタンを押すと、小さなから鍵を受け取り、エレベーターボタンを押した。その一連の流れを見て、こう言っちゃなんだが、こんなもさい男でも慣れているんだなと変に安心した。

部屋に入り腰掛けた瞬間、私はどんな顔をしていればいいのかわからなくなって、一気に緊張した。もしかしたら本当に高校について教えてくれるだけかもしれないけれど、黙ってテレビを眺める男の様子からはその気配を感じられない。

男が突然、「俺、宮崎あおいが好きなんだよね」と呟いた。テレビを見ると、宮崎あおいが何かの新商品をとびっきりの笑顔宣伝している。そして、「シャワー浴びてくる」と言って風呂場へ消えていった。

その時、なぜかわからないけど落ち込んだ。この感情は、同級生男の子告白をした時、「今は勉強に集中したいから」と言ってフラれた悲しみに似ている。だけど、それとは全く違う。なぜかわからないけど、泣きそうになった。

タバコ匂いシャンプー香りが入り混じる部屋で、私はシャワーの音が止むのを待った。そして、揺れる長い髪と、かすめるラブホテル天井を、私はぼんやりと見つめていた。

別れ際、男の顔が聖徳太子に似ていることに気付いた。参考書でよく見た顔だからか、それとも肌を重ねた相手からか、この時になってようやく男に親近感が湧く。しかし男は名残惜しむことなく、私の「ありがとうございました」をかき消すように「じゃあ」と言って、改札を抜けていった。

私は、股が痛くて歩きづらいことや血は意外と出ないという、ありきたりな初体験の事後を実感したけれど、この心と体にしっくりくる初体験感想は見つからず、モヤモヤした。

それからしばらくして、いよいよ志望校が決まった頃、私はまだ何かに焦りながら音楽番組をよく観ていた。誰かの曲の歌詞や声、MV演出といった美しいものに、あれからずっと見つからなかった初体験感想を当てはめて、早く落ち着きたかったのかもしれない。

そして私は、「粉雪」を歌うレミオロメンボーカルを見て「聖徳太子に似ているな」という感想を抱いた時、ようやく落ち着いた。求めていた美しいものではない、その味気ない感想が、初体験感想としてしっくりくるものだったのだ。

揺れる長い髪やかすめた天井宮崎あおい最後になぜか聖徳太子に似ていることに気付いて沸いた親近感、「何がありがとうございますだったんだろう」と考えながら歩いた帰り道、全てが無色だったことに気付いたのだ。

聖徳太子に似ているような気がするレミオロメンボーカルが、私の初体験を彩る色はなかったことを知らせるように、心と体の深いところで鳴り響いただけなのだ

天井ぼんやりと見つめている間に、音楽番組10年代のヒットソングメドレーを流していた。初体験を白く染められたなら、この天井よりももっと高いところに返せるのになあ、などと考えている間に。

14歳初体験が無色だった話

このコロナ禍でテレビ局は収録を行えず、音楽番組歴代のヒットソングを流し続けている。

私はこの手の音楽番組は嫌いじゃない。小中学生時代うんざりするほど聴いた曲を「懐かしむ」という新鮮な感覚で聴けるようになった今は、テレビの中の歌手と大合唱するのが楽しくて、つい観てしまう。

この日もまた、その手の音楽番組で盛り上がっていた。学生時代、熱心に聴いていた00年代のヒットソングメドレーとなると、私は息つく暇もなく歌声を重ねる。

歌詞を見ずとも完璧に歌えるその数々に酔いしれ、天井を仰ぐご機嫌な私の歌声は、ある曲がかかった途端ピタリと止んだ。

2005年のヒットソングレミオロメンの「粉雪」。この曲は、当時14歳だった私の「初体験」を彩るテーマソングだ。仰いだ天井とそのイントロが、あの日ラブホテル天井だんだんと思い出させる。

中学校生活の終わりをもうすぐ迎える私は焦っていた。その焦りとは、受験や、進学で離れ離れになる友達との別れに対するものではない。「初体験」を済ませていない自分に対する、ハッキリとした焦りだった。

私の周りの女の子たちは皆早くて、それぞれどこかで仕入れた「年上の男」とさっさと初体験を済ませていた。

中には「2回目は公園でヤった」とか、「毎日学校トイレでパコってる」と語る者もいて、私は公園トイレに行く度に「ここでパコパコ…」と感心していた。

一方私は、友達の家でファミチキを食べて帰るだけの中学生。身なりはギャルで、毎日公園トイレでパコっていそうなのに、処女なのだ

私は心底情けなかった。親から毎日公園トイレでパコっていると思われているのか、夕食の時に突然「コンドームは付けなさい」と注意される自分が。「まだパコってねえよ!」とも言い返せず、部屋にこもってeggアニマルトークを読む日々が。

そもそも、中2の時に「塾に行きたい」と親に頼んだのが間違いだった。周りの女の子たちと同じように、夜中にどっかの年上の男にナンパされ、雑木林初体験を済ませることを夢見ていた私は、夜遊びをするために塾に通うことを思いついたのだ。

それで私は、親に「高校に通いたいから塾に通わせてくれ」と懇願した。雑木林でパコりたい私の目論見を知ってか知らずか、親は「そうか、そうか!」と快諾し、私に2人の家庭教師を付けた。

高校に通いたいなんて嘘をつかずに、「雑木林でパコりたいから塾に行くフリをしたいんだ」と正直に言えばよかったバカからと2人も家庭教師を付けられ、週4日、16時から始まる授業に間に合うように、家に帰る生活を送ることになるとは。

からといって、親に反発することはなかった。「お金がない」と言いながら月謝を払う親を裏切ることはできなかったし、口火を切ったからにはやってやるというギャルの意地があったから。

そうして夜遊びと無縁な日々を送った私は、2人の優しい先生のおかげもあって、中3の夏頃に実施された定期テストで89点という高得点数学で叩き出した。

それ以外は50点前後というしょっぱい点数で、この奇跡の89点は功を奏さず、成績の5段階評価オール1からオール2に上がる程度だったが、私の中にはいしか高校に行きたい」という思いが芽生え始めていた。噓から出た実とはまさにこのことである

そうなると志望校を決めなければならない。しかし、私の学力でいける校則のゆるい高校を探すのは困難を極めた。いくらページをめくっても、「ゥチの高校鬼ギャルの格好ができるょ↑↑」とか、「ルーズは120センチまでォッケー⭐︎」と、eggのノリで高校を案内しない『首都圏高校受験案内』に何度失望したことか。

選べる身分ではないことに気付き始めた頃、私はインターネットの力に頼った。すると早速、OB受験生の質問に答えてくれるという優しい掲示板を探し当て、「ゥチの行ってた高校ギャルの格好ができるょ↑↑って人L lますヵゝ??」と書き込んでみた。

しばらく経って、スレッドが埋まりかけた頃、ようやく1件のレスがついた。「教えてあげるから、会わない?」という、見るからに怪しいレスだった。

その怪しさに、私は戸惑うよりも先に沸き立った。「この怪しいレスをつけた人に会えば、初体験を済ませられるかもしれないぞ」と。このバカは、いくら優秀な家庭教師でもなおせなかったのだ。

私はうぶなふりをして、20歳の男のメールアドレスを聞き出し、「静かなところで話したいから、ホテルで会わない?」という誘いに乗った。ああ、お父さんごめんなさいなんて、一瞬も考えなかった。

私にもついにこの時が来たかと思うと、感慨深いばかり。土曜の昼間のラブホテルだなんて、夜中の雑木林より立派じゃないか誕生日を間近に控えた14歳の冬にして、ようやく初体験を済ませることになったのだ。

いつもより濃い化粧と派手な服に身を包んだ私は、待ち合わせ場所の改札前で20歳の男を待っていた。あと10分もすれば、初体験相手が改札の向こうから現れる。

周りの女の子たちには、インターネット出会った男と昼間にパコったなんて恥ずかしくて言えないから、夜中にナンパしてきたギャル男とラブホでパコったと言おう。そういろいろと考えていると、後ろから「あの…」という細い声が聞こえた。

振り向くと、うつむいた男が立っている。私は、その男が何者かということより、「私より髪が長いなあ」というぼんやりとした感想を抱いて、返事もせずにその長髪を眺めていた。

すると男は「…行こうか」と言って歩き出した。私はようやく「この男が私の初体験の男なのだ」ということに気付き、何とも言えぬままなびく髪を追いかけた。

道すがら、男は何かを話しかけてくるのだが、喧騒に遮られて聞こえない。その何かが物騒なことだったらどうしようと、この期に及んで恐怖を感じた。

それでも私は、時々見える男の表情が笑顔であることだけを頼りについて行く。男の声がはっきりと聞こえたのは、ラブホテルロビーに入ってからだった。

男は「どこでも良いよね」と言って光るボードボタンを押すと、小さなから鍵を受け取り、エレベーターボタンを押した。その一連の流れを見て、こう言っちゃなんだが、こんなもさい男でも慣れているんだなと変に安心した。

部屋に入り腰掛けた瞬間、私はどんな顔をしていればいいのかわからなくなって、一気に緊張した。もしかしたら本当に高校について教えてくれるだけかもしれないけれど、黙ってテレビを眺める男の様子からはその気配を感じられない。

男が突然、「俺、宮崎あおいが好きなんだよね」と呟いた。テレビを見ると、宮崎あおいが何かの新商品をとびっきりの笑顔宣伝している。そして、「シャワー浴びてくる」と言って風呂場へ消えていった。

その時、なぜかわからないけど落ち込んだ。この感情は、同級生男の子告白をした時、「今は勉強に集中したいから」と言ってフラれた悲しみに似ている。だけど、それとは全く違う。なぜかわからないけど、泣きそうになった。

タバコ匂いシャンプー香りが入り混じる部屋で、私はシャワーの音が止むのを待った。そして、揺れる長い髪と、かすめるラブホテル天井を、私はぼんやりと見つめていた。

別れ際、男の顔が聖徳太子に似ていることに気付いた。参考書でよく見た顔だからか、それとも肌を重ねた相手からか、この時になってようやく男に親近感が湧く。しかし男は名残惜しむことなく、私の「ありがとうございました」をかき消すように「じゃあ」と言って、改札を抜けていった。

私は、股が痛くて歩きづらいことや血は意外と出ないという、ありきたりな初体験の事後を実感したけれど、この心と体にしっくりくる初体験感想は見つからず、モヤモヤした。

それからしばらくして、いよいよ志望校が決まった頃、私はまだ何かに焦りながら音楽番組をよく観ていた。誰かの曲の歌詞や声、MV演出といった美しいものに、あれからずっと見つからなかった初体験感想を当てはめて、早く落ち着きたかったのかもしれない。

そして私は、「粉雪」を歌うレミオロメンボーカルを見て「聖徳太子に似ているな」という感想を抱いた時、ようやく落ち着いた。求めていた美しいものではない、その味気ない感想が、初体験感想としてしっくりくるものだったのだ。

揺れる長い髪やかすめた天井宮崎あおい最後になぜか聖徳太子に似ていることに気付いて沸いた親近感、「何がありがとうございますだったんだろう」と考えながら歩いた帰り道、全てが無色だったことに気付いたのだ。

聖徳太子に似ているような気がするレミオロメンボーカルが、私の初体験を彩る色はなかったことを知らせるように、心と体の深いところで鳴り響いただけなのだ

天井ぼんやりと見つめている間に、音楽番組10年代のヒットソングメドレーを流していた。初体験を白く染められたなら、この天井よりももっと高いところに返せるのになあ、などと考えている間に。

2020-04-18

小学生の頃に自称神童だった奴の末路を言い当てるわ

この手の奴らは大抵中学挫折してるから

家庭で学習する習慣がない中途半端地頭の良さだけでやってきた自称神童くんは中学定期テストで塾通いのエリート達との圧倒的学力格差愕然としてしま

そしてネットアニメゲームに逃げて無事オタクになり地元のショボい高校に進学してその後ショボい大学に進学してショボい大人になる

どや?だいたい合ってるやろ?

2020-03-15

定期テストから逃れる方法を教えて!

休校中なのに急に明日から登校日で学年末考査です!

とりまテスト絶対嫌です!

方法をお教授ください!!

京都高校では明日から授業再開ですしかもいきなり定期テスト

  1. 密閉空間
  2. 人の密集
  3. 距離での会話や発声

バッチリすべて当てはまるぅぅぅぅぅぅぅ



死にたくない

でもマスクもない

親は絶対行けと言う

どうしたら

感染

防ぐことができますか?

友達

いないか

学校なんかに行きたくない

オラ定期テストイヤだ

オラ定期テストイヤだ

留年でいいだ

(この後が思いつきません。みなさんお願いします)

2020-03-06

半年前に兄が帰ってきて、また出ていく

半年前、兄が海外赴任から帰ってきた。

当方(弟)20代半ば、兄は30近い。首都圏住み故に、双方実家暮らし社会人

私が兄を形容するにあたって、何よりもまず「畏怖」のようなものが挙げられる。

幼少期の兄はガタイがいい(というか太り気味)であり、私は痩せ型であったため、年齢差も相まって力関係の差があった。何かしらあると怒られたりつねられたりし、長期休暇などで家にいるとおっかなくてしょうがなく、仕事に出ている母親電話で助けを求めた記憶が残っている。

兄は中学からは塾に通うようになった。進学校を目指すようなハイレベルな塾で、競争が激しいのか課題が多いのか兄の機嫌は更に悪くなった。当時の私は、塾に行くと性格が悪くなるのではと兄を見て思った。

兄は中学から高校にかけての反抗期も激しかった。親と盛大に喧嘩をしており、私はいつか兄が家族を手に掛けるのではないか不安になった。高校定期テスト受験あたりでは輪をかけて機嫌が悪くなった。中学生だった私は、中学時代の兄を見たために塾には入らず、テスト前でも呑気にゲームをやるような生活をしていた。一方で成績は中学時代の兄よりも良好であったため、いけ好かなかったと思う。

兄は大学生になった。活動が盛んな運動部に入り、土日は家をあけることが多くなった。接触が減ったが、部活の影響で体格が良くなったため、揉めた際の迫力が増した。一方で私は兄と同じ高校に入った。文理選択では、兄と異なる系統を選んだ。単純な興味の面が半分、兄との比較がしにくくなる面が半分であった。

私は兄と異なる大学に進学した。兄のいる部屋と別の部屋で友人とスカイプ通話をしていたら、うるさいとすごい剣幕で怒られた。今度やったらパソコンをへし折るとのこと。私は兄がいないときのみスカイプを使うようにした。

兄は就職し、婚約者が出来た。兄の婚約者と私達家族食事する機会があった。普段ぶっきらぼうな態度は何処にというような気さくな言動をする兄の姿があった。あれが家の外での兄なのだろう。私はなんだか胃が痛くなり、手元にあった酒を呷った。

そして兄は海外へ赴任した。兄との相部屋は、人が一人常時いないのもあり随分と静かになった。社会人になっていた私は、労働に追われながらも兄のいない生活に慣れていった。

他方で、兄の優しかたことや、兄の尊敬できるところももちろんある。

幼い頃に、揺れる車の中で即席の話をよく聞かせてくれたこと。私の高校受験ときに、応援意図シャープペンシルを贈ってくれたこと。自分センター試験おやつのついでとはいえ、私にアルフォートを買ってくれたこと。私の大学受験就活に助言してくれたこと。

兄は大学時代部活動の一方で学業も怠らず、皆が羨む企業就職した。努力を嫌った私には出来ないことであった。

そんな兄が半年前に帰ってきた。帰国の予定日が近づくのと一にして、疲弊した感覚が襲ってきたことは記憶に新しい。

冒頭に書いたが、私は兄を畏れている面がある。知人に、「何かに怯えている感じに自信がなさげ」と評されることがあるが、多分その影響であろう。親には、自分気質理由他人に見出すなと言われる。遅きに失している感はあるが、私も恐怖を抜きにして兄や自分自身に向き合うべきなのだろう。

兄はこの度家を出る。海外赴任ではない、夫婦としての新生活だ。私にとっての兄のいる生活は、完全に終わりを告げる。余程のことがない限り、寝食を共にすることはないだろう。これが最後だと考えると、兄にしたこと、されたことを思い出し、得も言われぬ寂しさが湧いてくる。我ながら調子がいいものだ。

2020-03-03

anond:20200301173451

みんな気づいたか。こいつの文章は非常にこなれている。ただ単に国語が得意という話ではなく、反省文が無駄洗礼されてる。

こういう奴の反省文は胸にスッと入ってくるが、気を付けたほうがいい。

こいつは同じような反省定期テストの度に繰り返している。何度も反省を繰り返し、反省しか成長してない。

そもそもこれが本当の彼の気持ちなら、既に大学に受かってる筈だ。

でも受かってない。多分受験に落ちた時にちょっと落ち込んで、反省文書いてスッキリして遊びだすパターンだ。

どうせそこらへんの大学いって、院試就職に失敗して同じ事を言う筈だ。

人生有耶無耶で過ごして、30代で人生振り返ってまた同じような文章を書き

40代で、50代で、そして死ぬ間際になって同じ事を言い続ける。反省なんてするな。反省出来ないように動けや

2020-01-12

成人式に行かなかった

今日は1月12日。令和二年成人式が開かれる日だ。成人式って、なにも成人の日に開催されるわけじゃないんだな。まさに今年度に成人を迎えた人間なのに、そんなことすら知らなかった。お察しの通り、成人式には出ていない。

理由はいくつかある。昔の知り合いに会うのが面倒くさい、当時付き合ってた仲の良い友人には別にいつだって会える、そもそも式に着ていくスーツを持っていない、高校卒業してからニートをやっているのでなんとなく気恥ずかしい、など。

どれも言ってしまえば、すべて俺の社会不適合性に由来するものだ。

「類は友を呼ぶ」のことわざ通り、俺の周りにも社会不適合者みたいなやつばかり集まってくる。成人式が近づくにつれて、自然とその話題になったときだって、みんな「面倒だしどうすっかなー」なんて積極的ではなかった。

内心ではそれを聞いて安心していた。成人式なんて別に行かなくたっていいよな、と。

さて、前述したように本日成人式。蓋を開けてみれば、案外俺の友人たちも式に参加していたようだ。というか、本当に出ていないのは俺くらいのもんだった。

普段と同じように昼間に目が覚めて、何とは無しにスマホを開いてみると、そこにはLINEの通知がいくつか来ていた。

「お前成人式来ないの?」

俺はそのメッセージ今日成人式だと知ったよ。と、思ったことをそのままに返信した。寝耳に水とはこのことだ。

朝飯(昼飯と言った方が適切か)を食いながら、俺は考える。そういえば、あいつらと過ごした中学生の頃も、似たようなことを感じた覚えがある。

定期テストだ。

定期テストといえば「やべー、俺全然勉強してねーよ」でお馴染みだが、俺もクラスメイトと同じように、紋切り型のそのセリフテストが近づくたびに口にしていた。俺はバカからみんなも勉強なんてしていないのかと思い込んでしまったが、マジに勉強していないのは俺だけだった。

だけど、思えばみんなが裏で勉強してることなんて、本当は俺だって気がついていた。気がついているくせに、「みんなも勉強してないか大丈夫だろう」なんて、浅薄安心に浸っていたくて、それに気付かないフリをしていた。

中学卒業してから五年も経つのに、ガキっぽいところは変わっちゃくれないんだな。その歳月で俺が得たものと言えば、そういった自分ダメさを素直に受け入れる諦観だけだ。子ども大人のしょうもない部分だけを継ぎ接いだのが20歳の俺だが、もはやそんなことすらも「どうでもいい」と受け流せる。

そう、思っていた。

揺らいだのは、飯を食った後に再びLINEを開いたせいで、もっと正確に言えばそこに送られてきた一枚の写真のせいだ。

仲の良かったグループが集まって撮った写真。そこに、当時好きだった女の子が写っていた。

固まった。振袖を着たその子を見て。そして、(遅れて気が付いた)同じく振袖スーツを着た友人たちを見て。

みんな俺とは違って、これまでの五年間、時間の流れにきちんとしがみついて生きてきたんだな。我に帰るとそんなことを悟っていた。

どうして成人式に行かなかったのだろう。俺は時間の流れについていけなくて、途中でドロップアウトしてしまったけれど、もしかしたら再びその軌道に戻るための、最後のチャンスが今日だったのではないか

なにより、この機会を逃したら、もうこの先の人生彼女に会うことは二度とないのではないか別に今まで引きずって生きてきたわけではないけれど、中学卒業して別々の道に進んだあと、俺は誰かを好きになることすらなかった。だから、なんとなく、一度でいいから会って他愛もない話をしたかった。

それが可能最後の日を、俺はみすみす逃してしまったのだ。

一人だけ本当にノー勉テストを受ける羽目になったり、成人式に行かなかったり。

俺はこの先の人生でも、緩い安心に浸るために目を背けた現実のツケを背負い続けるのだろう。

不吉な予感を抱えたまま、俺は今日も一人で暗い天井を見ながら、飲めるようになった酒に口をつけている。

2019-12-27

死ななきゃいけない

転職して1ヶ月

今日仕事納め

適応障害?みたいな激しい気分の落ち込みと

切迫する希死念慮自殺念慮はなくなったけど

今は年始仕事初めまでには死ななきゃなって思ってる

小学生の頃から常にメンタル問題があった

劣等感、友人との不和、進学した際の新たな環境への不適合

中2のときは同じ部活の同期や後輩とすれ違いが起きて半年以上一言も喋らなかった

誰にも相談せずに表面上は普通に過ごしてたけど、毎日自殺するか相手を殺すかどっちかっていう心理だった

その後関係回復し、高校には進学したが、高1のとき学校勉強がまったくわからず、定期テスト前日に家の風邪薬全部飲んだけど死ねなかった

https://anond.hatelabo.jp/20170830220835

未来のことを考えるとメンタルが病むことがわかって、このときくらいから将来の夢とか長期的なビジョンとか考えられなくなった

たまたま好きな科目があったか勉強して文系大学に進学できた

大学ではゼミも入れず単位だけとって卒業して、特に勉強した気がしなかった

100社以上の就活

https://anond.hatelabo.jp/20150829234225

の上、親の意向で決めさせられた新卒で入った会社

http://anond.hatelabo.jp/20160119225411

パート自分のいるところで陰口を言われ病んで

https://anond.hatelabo.jp/20190703101028

辞めた

そして今回の転職後の鬱

自分メンタルの弱さにもあきれた

どうせどの職場にいても、みんなに優しくしていただいても鬱になるのだろう

将来の夢とか長期的な展望がないから、今年はそれを何としてでも埋めるために旅行結構行ったが、もう行きたい場所がなくなってしまった

どうモチベーションを持てばいいのかわからない

正社員でとってもらったのに

他人より偉くなりたい欲求

他人より稼ぎたい欲求

他人に教えたい欲求もない

こんなんじゃどこで働いてもダメだろう

非正規雇用でもいいが親が許さないか死ぬしかない

2019-11-11

生命活動が面倒

先に言っておくとこれは単なる駄々で、現実逃避で、どうしようもなくありふれた、どこにでもある話だ。


まあ簡単に言うなら勉強したくないし働きたくないというだけの話。

先人の怠け者たちはその切実なる願いにどうにか折り合いをつけた、もしくは何もわからないまま進学か就職かをしたのだろうが。

このままでは後者になるなと身で感じながらも、何か行動を起こす気になれない。

もとより自分が思う「ギリギリ」になってからしか動いてこなかったし、それは既に「ギリギリ」を過ぎていてゲームオーバーだったことも何回もある。徹夜レポートを書いたし落単はしたしインターンの参加締め切りは過ぎていた。それでも今、現状を直視したくなくて引き延ばしている。いつものこと。今回は本当にまずいというのはわかる。自分人生のものに大きく関わる。けれどそれすらもどうにかなる気がしてしまっている。どうにかなった人には生存バイアスがかかっているだけで、実際は自分がどうにかしないとどうにもならないのに。


昔は、自分は多少人より賢いのではないかと思っていた。田舎によくある話で、勉強せずに「テスト」ができただけだった。

そして生まれたのが勉強の仕方がわからないわからないとオウムのように言い続ける、まだ自分が人に対してなんらかの優位性を保持していると思い込んでる単なるバカだった。わかろうとしなかったかテストもできない。他人に劣っているという明確な"数字"が出ていても現実直視しないで、次は頑張るとのらりくらりと言い続け、ほぼ同じ成績をとり続けてきた。

結局努力しない人間努力する人間に勝てるわけがなく、それを見る意味定期テストというシステム有用だと思う。人の価値数字だけで決まらないなんて戯言はやめろ。それなりの数字すら出せない、そしてその現状を変える気が無い人間を信用できるか?私にはできない。私は自分を信用できないし、信用しても必ず裏切られることを文字通り身を以て知っている。

まあここで同じように勉強してもとれる数字が全く違うような異次元人間や何もしていないように見えて全部理解してる怪物がいたりするが、自分がそうでないことは火をみるより明らかだった。明らかだったのに努力できなかったのは自分が単なる怠け者だからだ。自分が怠け者だということだってそうだ、働き者と怠け者なら働き者が勝つのだ。散々言われていることで、努力たからといって成果が出るとは限らないが成功者は皆努力しているというやつ。

"頭がいい"人間になりたかったが、心の中で他人をどこか見下している雑魚キャラが一匹生まれただけだ。お話にならない。

ほどほどの努力でほどほどの成果が出せればマシだった。自分はほどほどの努力すらできていない、中途半端カスだ。学生時代本気で打ち込んだことなんて妄想ぐらいだ気持ち悪い。何もしていない人間が何者かになんてなれるわけない。

結局今もそうだが辛いことから逃げているだけで、そのツケを払う時期が来てしまっただけなのだということは知っている。だが理解していない、したくない、自分はこんなもんじゃない、まだ本気出してないだけと言い訳を繰り返している。本気出してない人間の本気は永久に出ない。大人ならだれでも知っている御伽噺だ。

働くのも勉強するのも自分にとって面倒で辛いからどちらも選ぼうとしないだけ。必ず選ばないといけないし、特に後者は早ければ早い方がいいと散々言われているがそれも知らぬふりをしている。周りの人間目的目標をもって毎日努力している。ほんとうに偉いと思う。そして自分とは地頭の出来が違うと言い訳をしてしまう。例え本当に地頭の出来が違っていたとしても、彼らが努力していた間私が何もしていなかった言い訳にはならないことは当たり前なのに。


最悪なのが、もし記憶を残したままN年前に戻れたとしても、結局何もせず同じ後悔を抱えながらこうやってパソコンに向かっているということがはっきりしていることだ。後悔しても反省しない。同じ失敗を繰り返す。人間として最悪の部類である人間なんてどいつもこいつも最悪なのだが、社会活動をするにおいて特に無能人材だ。

そしてそんな自分自分は大好きで、まあそれでもいいかと思ってしまっている。多分これが最も重要な部分なのだろう。いくら自分カスゴミだといったところでカスでもゴミでもいいかと開き直る。そういうメンタルが求められる場もあるだろうが今はそうじゃないだろう。自問自答しているうちに他人は着実に自分の将来を手繰り寄せている。それが全くもって正しい時間の使い方だ。頑張ってほしい。


自分未来すらどうでもいいとは言わないが、考えるのが面倒だ。また"面倒"になっている。面倒という感情は私のような人間には本当に効く。自分のやりたいことですら9割程度の確率で面倒になる。もう一生寝ていたいと思う時でさえある。情報摂取するのが面倒だからだ。人と関わるのも非常に面倒だ。人と関わらないと"頭のいい"人間になれないのはいさら感じているが、面倒なことをやる気力がない。(なぜなら面倒だから。) 人と話すのが好きなどという人間が心底羨ましいし、好きでなくても話そうと努力する人間は本当に凄い。

言い訳承知で、努力することは才能だと思う。何に対してもで、将来のためでなくてもいい。趣味でもなんでもいいが、"のめり込む"ではなく"できなかったことができるようがんばる"才能だ。世の中の人間の大半は何かにのめり込んでいるだけでその道の天才になっているような一握りではないので好きでも嫌いでも努力必要になる。そこで割り切って努力できるのは確実に才能だと思うのだ。自分自身の努力を才能と言われる相手方からすると噴飯この上ない言い分だが。(ゲシュタルト崩壊しそうだ)

とにかく生命活動を行うのが面倒。死ぬ気はさらさらないが生きるのもなんだか面倒になってきている。これに社会人になって日常が辛い、環境改善兆しがない、心の支えがない、金銭的な不足、将来への不安等々が重なると自殺したくなるのだろう。気持ちわからんでもない。なんだかわからんが弟が自殺しているので親が存命の内は死んでも生き残ろうと決めてはいるが、上述の通り自分を信頼できないためある日衝動で死んだりしてるかもしれない。でも死ぬのは痛そうなのでやっぱり死なないかも。何もわからない。

2019-09-11

後輩たちに軽々と立場を抜かされた話

きっと当たり前のように誰だって経験したことのある話なのだろうけど、後輩や周囲に対する感情落ち着け方がわからなくて困っている。

人によっては嫌味に聞こえそうなので、誰にも相談ができず、同じような境遇の人がいたら聞いてもらいたい。

自分のことを、天才とは言わずとも、それに似たような人間だと思って生きてきた。

中学生の頃は、200人ほどいた学年でそこそこの勉強をすれば20-30位程度は取れたし、一言もやりたいと言った覚えはないのに気が付いたら部活動主将やら、学年代表やらをやらされていたことがある。

また特待生で行った高校(大抵が滑り止めで受けるような学校だ)では、入試では学年1位、以後の定期テスト100人10位くらいにはいたし、生徒会なんかもやっていた。友達も多くて、週末には遊びたい人が多すぎて困るとか考えていたくらいだ。

環境に恵まれていたし、自分天才だと思い込むには最適な18年間だったように思う。

後悔が始まったのは、大学に進学して以降のことだ。

高校卒業後、親の勧めでアメリカ大学留学することになった。海外に強い興味があったわけではなかったけど、留学とかかっこいいし、英語ペラペラとかかっこいいっていうミーハー留学理由だ。

しかしいざ留学して、何年たっても英語が上手くならないこと、そして勉強をしてもしてもついていけない現実に、絶望した。まあそりゃ母国語じゃないんだし、それを選んできたのは自分なんだし、甘えがあったのだろう。卒業単位を取るために寝ても覚めても勉強して、しかしそれじゃ足りなくて、せめてもと藁にもすがる思いで必死教授に取り入ったりもした。

その頃から、大した努力もせずに簡単に点数を取れるクラスメイトの姿が目につくようになった。必死教科書を隅から隅まで読んでも授業に追いつけないのに、適当に遊んでるはずのクラスメイトのが圧倒的にテストの点数が良い。見栄を張って良い大学行ったっていうのもこんなことになった原因のひとつだろう。

追いつけない自分が悲しくて、高校生までのリーダーシップみたいなやる気はどんどん失われて。2人しかいない友達と時々遊んで、勉強して、あとはひたすらネットしている4年間だった。

まあ変に頑固だったので、結局ちゃん卒業したのは偉かったと思うけれど、あのとき感じた絶望はいつまで経っても消えていない。

大学卒業して、外資系コンサル企業日本支部入社した。そこには、例えば中途採用日本大学卒業している新卒のような英語が得意ではないような人もいた。

しか社員ほとんどがいわゆる英語ペラペラの人たちで、かつ、頭の回転が速く、自分じゃ見えないような未来を見据えている人たちばかりだった。

持ち前のコミュニケーション能力最初の1年間はわりと成績は良かった。同僚にも恵まれていた。

一年後、後輩が入ってきて、自分の中に焦りが産まれるようになった。自分と同じ日本語という母国語世界で生きる彼らの英語力は、発想力は、頭のキレは、1年も2年も前に入社している自分の数段も上だった。

自分のような大して頭が良くない、ちょっとコミュニケーション能力が高いだけの空っぽ人間じゃ、そりゃ人事評価なんてあっという間に彼らに抜かされてしまうだろう。未来を見据えることなんて自分にはできないし、人事から評価自分自身たしかによく理解できる結果だった。

だけど、だけどだ。

同僚が新卒向けの説明会に駆り出されることになった。今回で行くのは2回目とのことだったが、自分に声がかかったことは一度もない。

昇格をして、昇格者向けの研修が入ることになった。しかしその研修予定名簿の中に自分名前はなかったし、代わりに後輩の名前が書かれていた。

周囲の才能には憧れているし、同僚に、後輩に勝てたことなんて一度もない。

だけど自分なりのプライドってものがあって、自分無能なんだって、きっと信じたくはなかった。

中高生の頃のように、自分の実力より低い場所にいたら、もしかしたら今頃周りにちやほやしてもらえていたのかもしれない。

しか大学生のあたりから、実力より高い場所でもうずっと背伸びをし続けている。

仕事を辞めるために転職活動を始めて、何がやりたいのかわからなくなった。しかし結局条件ばっかり見ていた自分は、転職先ですら背伸びしていることに気が付いてしまう。背伸びしないと生きられないはずなんかないのに、背伸びし続けることをやめられない。それはまあ、もう少し真面目に自分と向き合った転職活動をすれば良いだけの話なので、今回は置いておきたい。

まり言いたかったのは、自分より優秀な後輩たちと、自分より優秀な同僚と、どんな気持ちで接すればいいのかわからないってことだ。

多分、変に負けず嫌いなところと、変にプライドが高いところが、彼らに負けたのだと理解することを拒んでいるのだと思う。(というか負けを認めれば済む話のようにも思う)

後輩のことを、同僚のことを、すごいな、敵わないな、と思うし、一方自分にもそんな頭があったらなと妬ましく思いもする。

また自分への人事評価を、妥当だ、悪い評価じゃないしって思う自分と、どうして後輩より劣っているのだろう、どうして自分には声がかからないのだろう、と考えている自分もいる。

たぶん全部ひどいわがままで、自分客観的に見られていないだけなのだろう。

ただ、自分と同じような境遇の人たちは、後輩たちに軽々と抜かされた自分を、後輩や同僚への気持ちを、どうやって処理してるんだろうって、少し気になった。

同じような境遇だった人がいたら、教えてほしい。

2019-09-10

ああ! あああぁあああ!

仕事間に合わないし締め切りふっとばしそうぅおおおおお!

いつもこう、夏休みの宿題定期テスト実験レポート卒業論文、発表会

ぜんぶみんなそう

どうしてみんなま゛に゛あ゛う゛の゛おおおおおおぁお!

2019-08-21

anond:20190821130440

内申は定期テストの成績を元につけられるけどな

何か勘違いしてない?

受験科目以外全く勉強せずテスト赤点かいう奴が、受験科目以外もしっかり勉強してる奴より不利になるだけだよ

2019-08-05

虎にすらなれない

中学の頃、俺はエリートだった。

定期テストはほぼ満点を連発し、模試学内で1番なんてことはザラだった。

努力すれば1番になれると思っていたし努力しない奴が堕ちていくだけだと感じていた。

高校に入り、それが間違いであると悟った。

俺より賢い奴らがゴロゴロいた。

どれだけ勉強しても勝てない奴らが一定数いることを知った。

がむしゃらに努力して負けることがださいと感じるようになった。

中途半端努力に留めることで中途半端ポジションに浸り、中途半端からこんなものだと逃げ道を作った。

果たして俺は中途半端努力しかしていなかったのか。

全力でやった結果を受け入れることが怖く、保身に走っただけではないのか。

俺は虎にもなれなかった。

自尊心羞恥心怠惰ゆえに、全てを捨てて虎になった李徴のほうがまだマシではないのか。

現状に満足できず、かといって現状を変えようとも捨てようともしない俺は虎にすらなれないのである

2019-07-10

anond:20190710122740

普通高校普通に通ってりゃ単位なんてもの意識することはないわけで

単位に関わるテストってただの定期テストじゃん

それを単位がどうこういうのが「ちょっとダサい」なんだろ

それともあれか赤点取りまくって追試とかそういう話なのかな

2019-07-06

anond:20190706170221

家庭科の成績は定期テストの成績を元につけられるし、成績優秀層は実技科目もちゃんと点取るので

2019-06-02

学生バイトだらけのチェーンの塾には気をつけろ

学部時代院生時代塾講師を何軒か転々としていた。結局、5年くらいいろんな塾で働いていた。

チェーン展開している学生バイトが多い塾で働いていたことがあるのだが、保護者申し訳いくら学生講師の質が悪かった。

もちろん、全部の塾の講師がそうではないけども、気をつけてほしい。

学生講師学力がとにかく低いことがある

自分がいた塾は高学力の生徒よりは、学校定期テストが平均点以下の中学生をメインターゲットとしていた。とはいえ学校テストで80点や90点を取れるお子さんも通塾している。

学生が塾のバイト面接を受けに来る時には学力検査を行う。うちの塾の場合は、中三くらいまでの教科書レベル数学英語試験であった。学校勉強から離れていても、だいたいの講師対策なしで7割〜9割くらいは得点できるレベルだ。

テストはやるものの「人物重視」の面接という建前で子どもけが良さそうな学生教室長の判断採用していく。

そのため、講師の中には教科書レベルテスト20〜40点しか取れなかったりする偏差値40代くらいの大学学生講師がいる。体感4割くらいは存在していた。

採用された彼らが悪いとは言わないが、生徒の方が学力がある場合が出てくる。

②どうして授業が成り立つの

では、どうして授業が成り立つのか。

うちの塾は、学校の予習を塾独自テキスト子どもに解いてもらう形式であった。学生講師テキストに書いていることを読み上げながら教えられる仕組みになっている。

中学生にわかるように書いてあるので、低学力の子ども相手ならどうにか誤魔化しが効くのである

だが、そういう講師の授業を聞いていると、突然の生徒の質問には答えられない場合があったり、英語発音が間違えていたりする。ボロが出てしまうのだ。

大学生だしある程度のコミュ力はあるので「そこはあとで答えるね」などと流しながら別の講師バックヤードで尋ねる光景が頻繁に見られる。「island」を「アイスランド」と教えている講師もいた。

果たしてそれは悪いことなのか

確実にそうとはいえない。

学力層で勉強の習慣が本当にない子どもであるが、ノリがいい講師に褒められて、テストが40点から70点にあがって自信がつく例などはたくさんあった。

ただ、子ども学力講師の質がマッチングしない場合は本当に金の無駄だと思う。

④いい先生を引くにはどうするのがいいんだろう

基本的には、生徒の希望時間学生講師大学の授業の空き具合を教室長が調整して、講師をあてがう場合が多い。明らかに気難しい子と陽キャパリピ講師の組み合わせは避けるなどの配慮はあるが、それもかなわない場合は往往にして存在する。

なので、自分の子どもがその手の塾に通ってる場合には保護者面談でどんどん注文すると良いと思う。クレーマーぽく思われるかもしれないが、高額な料金を払って子どもを通わせているので存分に活用してほしい。

塾側も神経質な親相手には配慮をするので、言ったもん勝ちな部分もある。

あとは、学生講師採用状況や教員免許を持っている先生存在について尋ねてみるのも良さそう。

自分の話になって恐縮だが、院生学部卒業時に教員免許をもっていたことがあり、その手の親から専門の科目の担当指名されることもあった。

指名されると講師側としても熱が高まるので、バイトとはいえ真剣に教えようって気にもなる。

あと、子ども学力によって通う塾を見直しても良さそう。定期テストが30点や40点の低学力の子が塾と相性が良くて70点や80点に伸びる場合もある。そうなると、次のレベルの塾を探しても良さそう。中学力や高学力層の生徒をターゲットとした塾なら、高学歴に集中して採用している場合もある。それなら、発展的な内容もカバーできるだろう。

2019-05-30

[]

高校定期テストで5きょうか500点満点中265点を取ってしまった

もうわらうしかなかった

現実 実際は、定期テストは常に上位3人のうちにいて、8,9割トップだったのに

国語テスト見直しが授業ではじまった

最初問題選択肢が15個くらいある

センター試験みたいに文章選択肢

ここで女の子が手をつないだことが何を示していたか、みたいな問題

正解は百合状態を崩していなかったことに安心たから、みたいなやつだったけど、ジブンは百合とはまったく関係ない選択肢を選んでしまっていた

2019-05-20

私立高校理不尽テスト

高3の一学期中間期末試験といえば、推薦やら指定校やらを狙っている生徒たちにはとても大事もの

それなのにうちの学校ときたら、

複数クラスをまとめてレベル分けにクラスわけする

②上中下のクラスができあがる

③それぞれレベルに合った読解の問題を行う

ここまではいい。

問題は次。

定期テストは全レベル問題から一題ずつ、自分クラス以外の英文初見問題として扱う。

当たり前だけど下クラスは、上クラス問題なんて解けない。

上は中下の英文初見でも読めるかもね。

中は、中と言いながらも半分は下と同じベベルから、下クラスだろうと初見英文はしんどそう。

学んできたことを応用すりゃいい話なんだけど、すべてが応用力を試す問題じゃない。

こんな不公平でいいの?本当に疑問。

特に中学からいれさせてる親とか、クレームさないかなーとおもってる。

6年間も預けて、下クラスのやつらなんか学習についてけなくて放置されて、最終的な仕打ちがこれ?ってかんじ。

上位を伸ばすカリキュラムなせいで勉強全体的に放置されてできないままなんだから、せめて推薦で大学行かせれば救いがあると思うけど、推薦すらとらせないクソシステム

どうかしてると思わない?

2019-04-11

悩みがない人生おくりたい

なんか抱えてる表現だけどそういうわけじゃなくて

高校大学受験

大学生就活定期テスト(地味に忙しい学部行っちまった)

社会人目標達成や結婚お金のこと

いつもなんか不安を抱えてる

そういうのから開放されて気楽に生きたい

2019-01-03

anond:20190102063518

北大の人がいたので懐かしくなって自分も書いてみたが、どうやら消してしまったらしい。勿体ない。

だがまぁ見かけたので僕も自分語りなどしてみようと思う。もう20年は前の話なので話半分程度に聞いて欲しい。あ、とくに受験に役立つ話とかは無いです。自分語りのみです。

中学時代

 関東のどこにでもある公立中学に通っていた。

 成績は良い方だったが先生にウケがいい方だったかというと別にそういうわけでもない。虐められていたわけでもないが、自分にはよく分からない理由からかわれることがあった。

 当時は少し不思議がる程度だったのだが、今にして思えばクラスの中でも割と、いやかなり浮いていたのだとは思う。

 成績はトップクラス運動もできた(サッカー部で足が速かった)から大事に至らなかっただけで、先生にも同級生にも興味が無く、他人不快にさせても気付かず、いつもぼんやりとしていて一人遊びが好きな子供だったらしい。昔、母親に「あんたは自分が虐められていても気付かなそう」と言われたことを今でも覚えているが、つまりはそういう子供だったようだ。今でも他人の心が分からないのは変わっておらず、割と苦労することが多い。

 暢気な性格であり、行く高校も学区内で近くて偏差値が高いところ(親が文句を言わないところ)であればいい、と思っていた。滑り止めも受ける気がなかったので調べもしなかった。今なら分かるが、そういうとこやぞ。

 その上適当でも受かるのが分かっていたので真面目に受験勉強もしていなかったところ、みかねた両親からとにかくお前はもっと偏差値の高いところを一校受けろ、と言われ学芸大附属高校を受けることになった。

 自主学習では限界があるということで近くの塾にも行ったが、バイト大学生先生過去問を見せても的確な解説が帰ってくるでもなく困った様子だった。そこで使っていた教材とのレベル差も大概だったしまぁ仕方ない。というかそこはあくま学校の授業について行けない生徒の補習的な個人塾だったようで、よく考えれば筋違いである。高難易度受験校に受かろうとするならそれ相応のところに行く必要があったはずだ。まぁ当時は僕も両親もそんなことはよく知らなかったし、塾ならどこでもいいだろう、という程度の発想しか無かった。

高校時代

 学芸大附属高校には当然かすりもせず、第一希望公立高校入学する。

 世の中には自分と似たレベルあるいはそれ以上で勉強が出来る奴がいるんだなぁ、というのをようやく理解するが、この頃でも生来ぼんやりした性質は変わらずにのほほんと学校生活を過ごしていたらしい。変人の多い学校だったのであまり浮いていなかったようだがたぶん中学の時と余り変わっていなかったはずだ。

 今でも覚えているのだが、廊下ですれ違った先生挨拶をしながら「この人どこかで見た顔だな……」と思っていたが、よく考えたら一年世界史の授業をしてくれた先生だった、という事があった。他人の顔や名前を覚えるのが苦手だと思っていたが、そもそも他人に興味が無いのだ、という事に気付かせてくれる出来事であった。今でも仕事で会う人の顔と名前が一致せずに苦労しているし、これはどうにもならないのだろう。

 大学受験という物に本腰を入れ始めたのは三年からだった。

 といっても例によって「まぁどこでもいいかな……」という感じだったのだが、両親から「国公立」「一人暮らし」「浪人は一回まで」という条件を出され、紆余曲折合って北大を志望することになった。

学校に進路相談をするでもなく、成績とのギャップに悩むでもなく、軽く決めたので相変わらずアレな性格だったらしい。

 友人に東大を受ける奴がいて、そいつ天才だったので自分の分というのはよく分かっていた。数IIIの定期テスト理系コースの学年平均点が30点くらいだった(僕もそんなものだった)のに、そいつだけ満点近くを取っていたし、暇つぶし数学の高難易度問題集をやるような奴だった。世界が違うなぁ、というのが正直なところだったから妬むこともなかった。

 受ける模試はいいとこD判定(一度だけCが出た)、予備校には行ったが授業が身になった気はせず、もっぱら図書室や自習室でひたすら自習する日々であった。

 どこに自信があったのかは知らないが、センター何となく取れると思っていた。実際目標ラインの点数を取れた。

 過去問を解いていても2次試験がイケる自信は全くなかったが、恐ろしいくらい焦ることがなかった。他人事のように淡々勉強をし、まぁなんとかなるでしょ、と楽天的な構えを取っていた。……もっとも、この性質のツケは後で受け取ることになるのだが……

 試験から帰ってきてから溜まっていたエロゲー(年齢がアレだがもう時効だと思うので勘弁していただきたい)をプレイして春休みを過ごし、ネット合格通知を見ることになった。合格祝いに買って貰ったノートPC月姫プレイしたことを良く覚えている。

 勉強自体特別なことは何もしなかった。テキストを読んでもよく分からなかったのでひたすら過去問を解いたことくらいだろうがそれだって目新しいことではないはずだ。

 まぁ、北大程度の人間から画期的な物を期待されても困る。そういうのは東大京大に行った人達に任せておきたい。

【その後】

 入ってからものほほんと過ごしていたところ、4年の時に8割受かるはずの院試に余裕で落ちて途方に暮れるという事になった。人生適当に過ごしていたことのツケをここで受けることになった……が、結果的には塞翁が馬という奴で何が幸で何が不幸かは分からない。

 冬の再試験を受けるかそれとも今から就職活動するか、と教授に言われたが、どうやら自分にはアカデミックな才能は無さそうだ、というのに薄々気付いていたので就職活動をすることにした。人間にも物事にも興味が薄く執着の無い人間にとって研究の道はあきらかに向いていないのでこれは正解だったと思う。

 といっても時期は既に秋、適当一社だけ受けてダメなら就職浪人でもするか、と思っていたところを拾って貰い、そのまま就職して今に至る。

 適当に選んだ会社だったが気付けば海外を飛び回ることになり営業のような技術のようなよく分からない仕事をしている。しんどいしんどいしさっさと仕事辞めたいとは毎日思っているが、給料がそこそこいいので未だに辞められていない。

 ソーシャルゲーム課金し、声優を追いかけ、両親に「あん結婚は」と追い立てられる普通ヲタク人生を送っている。誰か結婚して下さい(

2018-12-16

数学IIBで0点とったことある

高校1年の定期テスト数学IIBで0点とったことある物理で15点、化学は30点、英語は35点ぐらいだったか中高一貫落ちこぼれてもう無理だと思って勉強全くしなかった。進級が危うくなり少し勉強して留年を免れてそのままズルズルと学校に通い続けて落ちこぼれのまま卒業した。センター試験日東駒専に受かったので入った。ひたすら劣等感を植え付けられた青春時代だった。だが中学受験経験者にありがちな変なプライドを見直すきっかけにはなったかなとは思った。でも「俺はできる!」って自信満々のまま生られたらどんなに幸せなんだろうかと思ったこともある…。一部の賢い人を除いて打ち砕かれるのが早いかいかの違いでしかないのかな。

2018-12-05

共依存という病気を初めて知った

今の恋人とのことで友人らに相談していた時、「そんな共依存同士がうまくいくはずがない」と指摘された。

共依存という言葉を知らなかった自分は聞き流しながら、ただ指摘した相手意図することも汲みながら、それでも恋人といることを選んだ。結果、数日後この友人とは関係を断った。

後になって、共依存という言葉意味をググって、愕然とする。

書かれている傾向や原因に思い当たることが多すぎる。

そしてこれが「病」と書かれていることにも驚いた。

過去の話をする。

まれ関東田舎所謂地主家系で、本家筋。

いとこが多かった。一番離れているので十歳上。年上が多かった。

父方のいとことも、母方のいとことも年齢が近く、比べられて育ってきた。

勉強はそこそこできていた方で、高校偏差値68。

それでも有名私立に通ういとこと比べられ、定期テスト順位で比べられ、進学先でも比べられてきた。

勉強だけじゃない。

家事の手伝いの具合や、思いやり、アルバイトの出来、容姿、とにかく目に付くもの全てで比較されてきた。

勉強でAに勝れば、Aの優しさとやらと比較され蔑まれ

家事の手伝いでBに勝れば、Bのアルバイトの内容と比較され蔑まれ

自分よりも劣っていた下の妹とは、「思いやり」と「かわいさ」とやらで比較されてきた。

お前はかわいげがない、と。

とうとう自分は心を壊し、高校生の頃一度不登校になり、自殺未遂まで犯した。

けれど心療内科に通うことはなく、親はその原因を知ることはなかった。

期待を裏切った進学をした後、それでもまあ根は真面目なのでそこそこ努力をして、進学先からは考えられないような場所就職した。

この頃には鬱々とした感情はなかった。

相変わらず出来の良い親戚とは比べられたけれど、あまり気にならなくなっていた。

自分お金を稼ぐようになって、親の庇護下でのみの生活とは変わっていった。

けれど、あるとき務めていた企業倒産した。

大きな会社だったから、ニュースにもなった。慌てて転職した。

転職先は、いわゆるブラック企業だった。

この時すでに一人暮らしを始めていた自分は、毎日時間罵声、長時間勤務、休日に課される課題で疲れてきっていた。

そして、異性で遊ぶことを覚えた。そういうことをしている時は、嫌なことを忘れられたから。

流されるまま付き合って、セックスして、別れて。この繰り返し。思い返せば病んでいたと思う。

そしてある日、一人暮らしの家に転がり込んでいた相手との間に子供ができた。

責任をもって結婚した。

ただ、自分の家に転がり込んできたような相手だったから、結婚生活なんてうまくいくはずもなく、早々に別れた。

自分カード不正利用をして勝手に三桁万借入していたこともわかった。

子供自分が引き取った。

ちゃんと生きなくては」

そう思って、転職し、三年間真面目に働いて、異性との関係も一切持たず、子供と向き合って生きてきた。

病んでいたこころも健やかになってきたと感じていた。

あの暗雲としていた毎日から想像もできないくらい、充実した毎日だった。

ある趣味で、同性の友人ができた。

わかりやすくするために、対戦型のネトゲということにする。

二人一組で行動するゲームで、自然と仲良くなっていった。

ただ、オンラインの繋がりだからプライベートなことは話さなかった。

から趣味で、プライベートな話をすると会うことになったり、下手すると恋愛関係を持ちかけられたりすると知っていたから。

面倒ごとを近くに持ち込みたくなくて、プライベートな話はしない、という事をペアになる時に条件として出していた。

から相手もそれを承知で、相手自身のことを話すことも殆どなかった。

けれどある時から相手の様子がおかしくなっていった。趣味に顔は出すけれど、憔悴している様子。

ふと、自分ブラック企業搾取されていた時のことを思い出した。

あの時、だれかが正しく手を差し伸べてくれていたのなら、自分はもう少し楽に生きられたのかもしれない。

そう思って、理由を聞いた。自分からプライベートなことは話さない」というルールを破った。

これが、全ての始まりだった。

結論から言えば相手共依存体質。そこに回避依存も併発しているような気もあった。

最初に近づいて、突き放され、どうしてと迫り、相手が折れて泣き、話を聞く。

元に戻ったと思ったらまた突き放され、仲直りして。

付き合っている訳でもないのに、毎日毎日連絡して、喧嘩して、仲直りして、を繰り返していた。

相手は、家族から愛情不足で育っていた。年齢も近い。

同性同士ということを超えて、自分相手を好いてしまった。

そう自覚たころ、相手から告白された。子供のことがあるから、と一旦断った。

けれど、相手子供のことも真面目に考えてくれていると分かり、受け入れることにした。

付き合い始めてから、二人での連絡では「異常」な会話が増えていった。

自分たちだけの秘密にしておきたいから、詳細は話さない。

けれど、ひとつ話すのなら、カニバリズムに対する理解欲求が一致するのが初めてで、ただうれしかった。

そういう異常な欲求自分が抱えている自覚はあった。

けれど過去恋人たちにそんなことを話したり要求してきたことはなかった。それが異常だと分かっていたから。

ところが、今の恋人なら或いは、と考えて話すと、相手から歓迎の言葉が返ってくる。

しろ、他に自分が考えていた「異常な行動」について、提案を受けたりもした。

居心地がいい。

相手には自分がいればいいと思うし、自分にも相手子供がいればいいと思う。

「この人のためなら何でもしてあげたい」という欲求が強い。

から相手が嫌がるという理由で十数年続けていた趣味を急にやめ、趣味用で使っていたSNSもやめた。

急な行動に、趣味を通じて仲良くなった友人から連絡がきた。

状況を説明したところ「共依存だ」と指摘された。

自分たちが異常であることは、自分たち自身が一番よく知っていた。

から今までこの欲求を外に出したことはなかったし、理解してもらえるから今の相手にぶつけられる。

二人ともちゃんと「普通のひと」に擬態している。擬態できていると思う。

今、三人暮らしに向けての準備をしている。

ネットで調べると共依存同士の恋愛危険、うまくいかない、なんて書かれている。

子供に悪影響があるとも書かれている。

自分たちが気にしているのは同性同士のパートナー間で子育てをすることで

子供の心に大きすぎるマイナスの影響を与えないか、ということで、共依存同士ということはあまり問題ととらえていない。

唯一の理解者がすぐ横にいてくれる安心感は、今まで生きてきた中で感じたことがなかった。

この人なら認めてくれる。この人なら求めてくれる。この人ならわかってくれる。

さみしさの表現も、その程度も、不安に感じることも、その解消方法も、手にとるようにすべてわかる。

喧嘩になってもその原因がわかるから安心するし対処できる。

オレンジの片割れって、この人のことを言うのだと、心からそう思ってる。

心の形がぴったりだから、居心地がいい。

子育てについても、課題はあるものの、この人との間なら大丈夫だろうと思える。

子供も、相手なついている。

三人で暮らせるなんて、どれだけ幸せだろうと、考えるだけで顔が緩む。

こんなに安心していて、行動を制限されることもうれしいと感じているのに、共依存同士で何が悪いのだろう。

お金のことは確かに自分負担が大きくなる。

だけど家のことは二人でやるし、共依存同士だからと言って、完全な「する/される」の関係になるとは思っていない。

自分が「欠点のある人に依存するタイプ」の共依存

相手欠点カバーすることで、相手自分依存することに喜びを覚えてる。

一方で相手は「受け入れてくれる人に依存するタイプ」の共依存

無理な要求をして、それを自分が飲み込むのを見て安心している。

ぴったりはまっている二人だと思う。

それなのに、どうして周囲がこんなに反対するかがわからない。

こんな安心を得たことがないのなら、それを哀れとすら思う。

でも多分周りから見れば自分たちのほうが「酔っている」だとか「今だけだ」とか、そういう風に見えるんだろう。

戸惑いがないわけじゃない。

だけど、手放せない。

2018-11-23

教師存在意義

高校数学教師をしている。定期テスト前は自身存在意義がよく分からなくなる。

教師は通常クラスの真ん中に向けて授業をする。

多少の変動やばらつきはあるが、トップ層と最下層を向けて授業をするわけにはいかない。

学校経営としてはトップ層の進路が大切だ。彼らが東大に入るかどうかが、

次年度、5年後10年後の生徒募集に大きく関わる。

手厚く指導すべきはトップ層ではないのか。

しかし、私自身を含めて多くの高校教員はその教科においては学生時代クラストップ層だっただろう。

当時、教師の手厚い指導なんぞ必要だっただろうか?

常に得意だった人ばかりでは無いだろうが、本気で勉強してみたら勝手に得意になっただけではないのか。

自分課題なぞは自分で見つけ出すことが出来、その課題の克服の仕方は自身試行錯誤によるものではなかったか

その試行錯誤が自ら出来る人だからこそ、得意教科に出来たのではないのか。

自身を振り返ってみても、数学以外ではそんな芸当は出来なかった。

世の中に自分よりも出来ない人だっていくらでもいるだろうが、自身数学の水準と同程度まで英語国語は出来なかった。

より優れた指導を受ければ数学と同等に出来るようになったのか?まさか

トップ層にフォーカスしてばかりはいられないし、そもそも大した指導必要ではない。

真ん中あたりの子フォーカスしても、学校利益となるほどの学力には到達しない。

ちょっと感謝されたりもするので、その感謝を糧にゆるーくやっていくしか無いのだろうか。

1億総VODにしてトップ層だけは勝手に育ってもらって、それ以外の雑魚は無理やりマーチに送り込んだりせず、高卒で楽しくブルーカラーやって貰って、

教師は授業の超うまいトップ1%以外は全て解雇

小学校とかはともかく、高校はこの方式の方が国力上がるかもね。

なんて何の身にもならないことを考えているうちに日が暮れる。未来教育環境ってどんなだろな。

2018-11-20

anond:20181120160040

小学生テストを中高の定期テストセンター試験感覚で捉えてないか

その授業でさくらんぼ算を説明して、

いまから配るテスト実践してみましょう、

というような進め方だったら、

テストでその理解を測るのは普通のことで、

それをテストだけ見たら理解不能なのも当然だろう。

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