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2021-05-07

俺たちにも言葉の刃を握らせてくれ

拝啓ヒプノシスマイクくん。

ずっと君に伝えたかたことがある。どうか俺たちも、ラップでバトルをさせてくれないだろうか。

このことを言いたくて言いたくてずっとモヤモヤしていたので、今日匿名で吐き出せる場所をお借りして、ヒプノシスマイクくんへの思いを伝えたいと思います


ここ数日(いや数ヶ月)、ヒプノシスマイクオタク界隈はザワザワしている。バトルシーズンからだ。

今でこそ、界隈はそれなりにザワついている。けれどヒプノシスマイクくんはバトルシーズンの手始めに、高いクオリティと圧巻のパフォーマンス配信であることを生かしきった演出と、何より演じている方それぞれの魂がこもった素晴らしいライブを見せてくれた。

昨年3月コロナウイルスの影響によって配信にならざるをえなかったライブだって、もちろん素晴らしいものだった。でも今回のライブは、バトルであるという特性上「勝ちたい」という演者の方々の思いがビンビンに伝わってきて、その熱量とか気迫にグワッと心を掴まれものだった。画面越しなのに、こんなに熱くなれる、こんなに泣いて笑えるエンターテイメントがあるのか。そんな風に思わせてくれるライブだった。

この配信ではじめて聴くことになった新曲たちも、そのチームらしさが全開だったり、逆に今までにない曲調や歌詞だったり、心を鎮めないと冷静に聴けなかったり、逆に中毒になったように再生してしまったり、「待ってました!」と手を叩いて喜んだり、逆に「こんな風に来るの!?」と度肝を抜かれたり、どれも本当に最高だった。

それぞれのバトル曲も、言葉応酬と韻の踏み合いとそれぞれの信念のぶつかり合いを感じられて、どれも違う味わいながらも、たしかな満足の得られる仕上がりだったと思う。

視聴期間中、毎朝毎晩繰り返し観てもまだ足りないぐらい、プロフェッショナルによる最高のエンターテイメントを存分に味わわせてもらうことができた。関係者ご一同には、本当に頭が上がらない。早く円盤購入という形で感謝を伝えたい。

そしてここでは、観た人がどちらかのチームに一票を投じることができた。ひとつライブにつき一票。単純明快で、シンプルな仕組みだった。

「良すぎて選べない」という贅沢な悩みこそあれ、最終的に投じる票はひとつしかない以上、どちらかを選んでボタンを押すしかできなかった。

そしてこの時点で我々は、この一票が後に控えた投票形式での「一票」と同じ重みとして扱われるのかどうか知らなかった。(と、記憶している)いま思うと、それが不穏な空気前触れだったんだろう。

最高なライブの余韻の醒めないまま、現金投票券に換えてCDを積む形式のバトルが始まった。

前回のバトルでは、街からCDが消えたとか、相手チームのファンを装ったアンチ偽装工作をするとか、「〇〇のアニメイトにはもうCDがありません!」みたいな虚偽の情報が流れたりしたらしい。それは怖いな、と思っていたけれど、個人的な印象では、案外そうでもなかった。

から判明したところによると、「サイレント投票」といって、相手方に悟らせないように黙々と積むことが推奨されていたらしい。投票期間が終わると、「微力ながら〇票を投じました」というCDタワーの画像タイムラインに乱れ咲いていて、なるほどこれが令和のバトルか、と思った。

まあでも、外から見ている分には、比較的穏やかなまま過ぎていった期間だったように感じられる。

そのCD積みバトルが終わった段階で、中間発表をするのだと言われていた。

正直、なんでだろうとずっと不思議だった。戦いの火蓋が切って落とされた当時、我々は三次投票にあたる「VRバトル」の詳細を知らなかった。MAX一人6票らしい、というような情報はあったかもしれない。

とすれば、中間発表で僅差でも大差でも、ファンの母数が急激に変わらない以上、結果に大きな影響は与えられないだろうに。それなら、たくさんCDを積ませるためにライブでの投票が終わった時点でいちど結果を出せばいいのに。

不思議なことをするなあ、という疑念を抱きつつ、「VRで積めない可能性があるなら、実質CD勝負するしかない」と覚悟して積んでいる方々を見て、そういうものだろうかとアッサリ流していた。

で、中間発表があった。大差のついた戦いと、僅差の戦いと、逃げ切り/逆転を狙いたくなるような戦いがあった。(これ、あまりにも綺麗な分かれ方だったけど、ヒプノシスマイクくんの予想通りだったんだろうか)

そして中間発表と前後して、「VRでも積める」ことが判明した。しかも、一票あたりの単価が最もお得だ。(ライブはたしか四千円ぐらい、CDが二千円、VRは千円)そして、金額によって票の重みが変動することはないらしい。たぶん。

阿鼻叫喚、ってこのことか、と思った。タイムラインを眺めていると、めちゃくちゃに人間感情が乱高下していて、見ているだけで酔いそうな感覚になるほどだった。

すでに(単純計算で)十億円を超えるカネが動いていて、その上まだ、ヒプノシスマイクくんは人のカネと感情を動かすつもりらしい。

せめて少しでも巻き返したい、という気持ち

このまま圧勝したい、という気持ち

なんとか逃げ切りたかったり、猛追して逆転したかったりする気持ち

同じチームを応援する者同士の連帯感が高まる一方で、自陣への不信感を募らせたり、相手方への攻撃に転じたりする心情だってある。そして、今まで投じてきた票の意味を自問したり、疲れて何かが折れてしま気持ち

金銭によるバトルをはじめて間近で見る身として、ものすごい世界だなあと溜め息が漏れた。

中間発表の形式タイミングは、ここまできて振り返ると、それなりの合理性があったのだろう。

単に「VRも始めたからみんな観てね」って言うよりも、ずっと効果的に多くの人にアプリインストールプラットフォームへの会員登録をさせられる。

現金」や「CD」という物理空間での制約を受けない形式での投票は、よく言えばエコだし、わるく言えば金銭感覚をより麻痺させる。

中の人」を表に出して結果を発表するグロテスクだって結果的にはこの札束バトルを過熱させる要因のひとつになっている。

ごく個人的見解では、収益化のうまいコンテンツは見ていて信頼できる。そういう意味で、カネの集め方や人の心理誘導の仕方として、ヒプノシスマイクくんには一定の信頼を置いている。そのうえで、私は思うのだ。

ダッセーーーーー!!!!!

と。

ダサいあんまりにもダサい。やってることが格好悪い。ヒップホップってもっとイカした世界観じゃないのか?ここは昭和でも平成でもなくて令和、あるいはH歴じゃないのか?なんでこんなダサい商法を、君は性懲りもなく続けられるのか?答えてくれ、ヒプノシスマイクくん。

ヒップホップとか、ラップミュージック歴史にあまり明るくない人間でも、少なくともこのジャンルは「富める者によって独占されるべき音楽」ではないんじゃないか突っ込みたくなってしまう。資本主義が一番偉いから、カネや地位権力のない人間は虐げられて一生地べたに這いつくばってるべきだっていう世界に反逆できなくて、何がペンは剣よりヒプノシスマイクなんだ?教えてくれ、ヒプノシスマイクくん。

私には純粋に、それが疑問なのだコンテンツの維持にはお金必要なのは百も承知で、それでもなお、音楽(あるいは魂)の在り方と商法の相性が悪くて、これじゃああんまりにもダサいんじゃなかろうかと思ってしまうのだ。ダサすぎて仕方なくて、コンテンツとして廃れてしまうんじゃないだろうかと思って、そこに私はずっとヒヤヒヤしているのだ。


から、私は提言したい。せめて、俺たちもラップで戦わせてくれ!と。言葉がいまやマシンガンであるなら、ライムが脳漿をかき回せるなら、金銭以外のフィールドでも戦わせてくれないだろうか。

たとえば、CDを買ってシリアルコードを使って普通に投票すると、それは一票としてカウントされる。でも、リリックを添えて投票すれば、それが二票としてカウントされる。そういう仕組みはどうだろう。

こういう仕掛けなら、お金はあるけど時間のない人は、CDをたくさん買って黙々と投票すればいい。逆に、時間はあるけどお金のない人でも、リリックを練り上げることで力添えができる。今までたくさんヒプ生で学んできた知識も生かせるし、日本語母語としない人でも参加できるんじゃないだろうか。

日本語ラップ押韻判定が難しそうだけど、それを見極めるために人が雇われれば雇用の創出になるし、AI的なシステムを作ればラップの発展に貢献できるかもしれない。

今までプロとして歌詞提供してきた方々も、ひょっとしたら参戦してくれるかもしれない。それを見て、まだヒプノシスマイクに触れたことのなかったラッパーの方も、面白いと感じて参加してくれるかもしれない。総力戦である

こうなってくると、同じ「二票」になるのなら、CD二枚を買うのではなくてリリックを考えることを選択する人も出てくるだろう。演じている方への愛を伝える手段としても、体温のこもった一票を投じることができるというのは、悪い選択肢ではないはずだ。

それで、できれば、そうやって集まったリリックを選び抜いて、それを楽曲に使ってくれないだろうかと思うのだ。

それもまた、想像すら及ばないほど難しいものなんだろうということは、今まで世に出てきたヒプノシスマイク楽曲を聞いていればわかる。一連の曲の中で無駄フレーズなど一つもないほどに、リリックというのは緻密に組み上げられているのだ。

でも、たとえワンバースであっても、自分リリックが使われるかもしれないという可能性が見えていたほうが、ずっと張り合いがあるしドリームがあるじゃないかCD一枚、二千二百円に全身全霊をこめたリリックを乗せて票として投じて、それが「推し」のパンチラインになるかもしれない。そんなビッグドリームを抱けずして、何がヒプノシスマイクなのだろう。

ラップミュージックは、その人の人生を背負う音楽なのだという。だとしたらやはり、キャラクターへの愛やヒップホップへの造詣の深い人がより力を持つ投票の仕掛けとしても、リリックバトルをやってみてくれないだろうか。きっと面白いだろうから。それで盛り上がる世界を、私が見てみたいから。そんなムーブメントを巻き起こせるだけの力がヒプノシスマイクくんにはあると、私は特段の根拠もなく信じているから。

数年後には、「来たぜホンモノのDRB(絵文字) 燃やせ闘志入れてけよ気合い(絵文字) リリックバトルこれこそ新時代(絵文字)」みたいなフザけたお知らせとともに、本気でリリックバトルをブチ上げて欲しい。そういうヒプノシスマイクくんであってくれると嬉しいなと思っている、一人のファン気持ちでした。

なんだかんだ言いつつも、私はこのバトルシーズンをそれなりに楽しんでいるので、まずは今のバトルの結果を最後までキッチリ見届けたいと思います

それってファミコンより楽しいの?

俺が今までの人生で思ってき事だ。

スポーツをやるのも観戦するのもファミコンより楽しくなかった。

自分が主役になれるわけでも何でもないものに何の魅力も感じなかった。

燃えろプロ野球のほうが圧倒的に楽しかった。

サスペンスドラマは、自分がそれを体験できるわけでもなんでもないので

ファミコンより楽しくなかった。

ポートピア連続殺人事件自分が主役になれるの楽しかった。

漫画アニメは確かに楽しい部分があったけれど、そのアニメキャラクター

自分が動かせるわけでもないのでそこが嫌だった。

からドラえもん ギガゾンビの逆襲とかキャッ党忍伝てやんでえとかドラゴンボール大魔王復活の方が

しかった。

人形は確かに飾ったり遊んだり出来たけれど、壊すと叱られるのが嫌だった。

ロストワードオブジェニーのジェニーパンチキックとかで戦う方が楽しかった。

映画は2時間近く自分では何も動かせないから見ていて段々とまどろっこしいと思った。

2時間もあればスーパーマリオブラザーズ3の笛無しでかなり楽しめるし、ロックマンだって出来て楽しかった。

それなのに全然動かせない映画を見続けるのは展開がよくても苦痛だった。

学校勉強は達成感がなくて楽しくなかった。ドンキーコングJrの算数遊びの方が楽しかった。

こっちのほうが算数を学べた。ババア先生はすぐ癇癪を引き起こすし校長先生の話無駄に長く一つも話を覚えていない。

どこに行っても何しても主役になれなかったけれど、ドラゴンクエストでは自分勇者になれて楽しかった。

特に3では最強の攻撃魔法ギガデイン、最強の回復魔法ベホマズン勇者だけの最強の装備、そして最強の伝説を作ったのが

最強が大好きだったので楽しくて何度もプレイして下敷きが今でも宝物。

4でギガデインは微妙になったけれどやっぱり最強なのが勇者であって、自分勇者なんだ!とイキるのが楽しかった。

学校音楽時間音楽聴くのも自分演奏するのも下手で嫌だったけれど

シティコネクション音楽とかパロディウス音楽が使われていた時は、この音楽流れるならファミコンをさせてくれればいいのにと思った。

テレビ音楽が流れても、これよりキャプテン翼ゲーム音楽の方が100倍かっこよくて楽しかった。

超能力流行った時は、父親中古マインドシーカーを買ってきてプレイして全クリして

超能力が目覚めたと大興奮して楽しかった。

だけど学校自分超能力に目覚めたんだと主張したら馬鹿にされて辛酸をなめさせられた屈辱は今でも忘れられない。

家族旅行に連れていかれるのが嫌だった。その間ファミコンが出来ないから。

移動時間ファミコンが出来なくてイライラした。いつファミコンが出来るようになるのか。

泊りの時は最悪だった。ファミコンはあるのかとしきりに親に聞いたが無いとしか返事が来なかった。

観光地に行ってなんかよく分からない鳥とか見ても、テラクレスタ火の鳥になって無敵になったほうがいいとか

植物を見ても、ファイアマリオになってパックンフラワーファイアボールを投げつける方が楽しかった。

運動会は大嫌いだったけれど、くにおくんの熱血行進曲れい大運動会は楽しかった。

くにおくんみたいな大運動会は実際になかったのも現実のつまらさなを感じた。

クラス女の子もみんなブスだなぁと思っていた。

甲竜伝説ヴィルガスト外伝のリュキアが可愛くて今でも好きだ。性癖歪んだ。

ドラゴンクエスト3の遊び人女の子が今でも好きだ。

モンスターメーカールフィーアが可愛くて今でも好きだ。

レイラではイリス派だ。可愛い

お前はリュキアと比べるとブスだなと平然と言っていた。現実の女はみんな性格が悪かった。

ここまで書いたけれど何をするにもどんな時も感じていた事はファミコンより楽しいの?ということだ。

じゃあ今はどうなのかと聞かれると。

今でもファミコンをやっている。正確にはバーチャルコンソールでだけど。ファミコン実機もたまに出す。

勿論他のゲーム機で遊ぶこともあるけれど。

俺の人生は全てファミコンだったと思うし、ファミコンこそが楽しかった。

ファミコンが無ければ俺の人生は砂色だったし、ファミコンこそが正義だった。

何をするのもファミコンがあったから、ファミコンが無ければ何もできなかった。

勉強が終わったらファミコンで遊んでいい!?

ファミコンがやりたいからこんなところ(旅行先)から早く帰りたいね

食べるよりもファミコンの方が楽しいよ!

テレビよりもファミコンをやりたいよ!

あー風呂入りたくないなあファミコンやってたいなあ!

ファミコンのほうが友達より大事だよ!だってファミコンの方が楽しいし!

それ、ファミコンより面白いの?

学校ファミコンが出来ればいいのになあ。

授業が長いかファミコンが出来る時間が減るなあ。

こんな感じだった。本当にこんな感じ。

もう自分人生ファミコンだった。

はてな匿名ダイアリーに書く時間があるならファミコンをやってればいいと昔は言ってたと思う。

そして今もこれを書くならファミコンをやればよかったと思っている。

けど、突発的に言いたくなった。どうしても言いたくなった。

みんなにもきちんと理解して欲しいと主張したくなった。

衝動的に書きたくなった。

ファミコンが一番楽しい

音楽聴く

最近音楽聴くだけの時間ほとんどつくっていなかった。

駄菓子みたいな音楽をながら聴きすることがせいぜいで、好きだったアーティスト情報を追いかけることもいつの間にかやめていた。

ところが連休中、暇だったこともあり、そのアーティストがここ1、2年に出していた曲を購入してしまった。

いや、ダメですね。めちゃくちゃ良くて、繰り返し繰り返し再生している。もう何も手が付かない。

全部の音をちゃんと一度に聴けるような耳も脳もないおかげで、何度聴いても新しい発見があって楽しい。このまま音楽だけ聴いていたい。とても贅沢だ。

以前はこういう贅沢な時間を愛して、そのための環境を整えていた。けれどいつの間に手放していたのだろう。どうして?

くだらないことに感情を費やして、どうにもならないことにやきもきするだけの時間より、自分幸福にする時間を大切にしたいのに、気がつくとそれが失われてしまうのは何なんだろう。

ちなみに購入したのはトクマルシューゴとJohn John Festivalの共作「こえになる」。

2021-05-04

ウォークマンに入れた曲がわからなくなった

ウォークマンに入れた曲を管理するアプリが、いつの間にかx-アプリからMusic Center for PCというものに変わっていた。

新しいアプリだと、今までにウォークマンに入れた曲が全く見えない。曲を選んで削除することもできない。

できることは、ウォークマン初期化して中の曲を全部消すことだけ。

というわけで、今までに入れた曲をただ繰り返し聴くだけの機械に成り下がってしまった。

せめてx-アプリダウンロードできるように残しておいてくれ…。(すでに提供終了)

まあ仕方ないかウォークマン買い換えるけど。

2021-05-01

anond:20210501064830

シャファレヴィッチは「代数学とは何か」という本の中で、圏論をちょびっと出してるけど、

あれを「数学科大学1年生対象」って。

ほんとにできたのかどうか疑わしいが、1980年代ソビエトなら可能だろう。

でも、今のロシアではどう頑張ったって無理みたいです。

アメリカでも圏論大学院の1-2年生くらいではないでしょうか?QEで出てくるとかでしょう。


将来中学生はどこまで勉強するのかってのはまだわかりませんが、

今の中学生だとチャート式微分積分を読んだ、くらいが上限で、それ以上は0か1か。

今の中学生だとシュトックハウゼンのKlavierstueck IX聴くかどうかでしょ。(わたしがそれだったが)

背伸びガキはどこにでもいますが、その背伸びだって、大して変わらないでしょ。

まあ、背伸びしたい人は大学初年度まで、微積線形代数やってキューネンの基礎論の最初の部分までは、どこまでもやってもかまいませんが。(それはどこの教員でもオーケー出すはず)

確か、キューネンの基礎論の最初の4ページほどは、かつての日本高校数学に入ってたはずですがね。


https://www.amazon.co.jp/%E8%AB%96%E7%90%86%E3%81%AE%E8%A9%B1-%E5%9B%B3%E8%A7%A3-%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E7%94%9F%E3%81%AE%E6%95%B0%E5%AD%A6%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%BF%97%E7%94%B0-%E6%81%B5%E7%A9%82/dp/B010FML6NW

ほれ。

こんなのあったでしょ。

大学初年度までは背伸びしていいよってのが、1970年の段階であったんですわ。

2021-04-29

好きなものを好きって言いたかった話

20年近く経った今でもたまに思い出す。中3のときのこと、塾が終わった帰りだった。

そのころ通っていた塾は地元駅前で、帰り道はいつも駅を北口から南口に通り抜けていって母の迎えの車を待つのが常だった。塾には友達がいないわけじゃなかったけど、帰り道は方向が違っていたのでいつもひとりだ。

その日もいつものように駅を通り抜けようとしたら、珍しくストリートライブをやっている人がいた。男の人がひとり通路に座り込んで、ギターを弾きながら歌っている。知っている曲、というか、当時の自分の好きな曲だった。LOVE PSYCHEDELICOの「your song」。姉がCDを持っていて、よく借りて聴いていた。ギターの音は閑散とした駅の構内に響き渡って、気持ちが良かった。歌声についてそこまで明瞭には覚えていないが、もっと聞きたいと思った記憶はあるのでたぶんそれなりに上手だったんだろう。

立ち止まってそれを聞いて、その曲わたしも好きなんですって伝えられたらいいな、と思ったけど、思っただけだった。歩みをすこし緩めたくらいで、立ち止まることもしなかった。

だってほら、ひとりで聴くのも恥ずかしいし、母がもう迎えに来るから中学生女の子が夜中(時刻は21時を過ぎている)に知らない大人男性声かけるとか、いかにも危ない。母は絶対心配する。言い訳をたくさん心に浮かべながら、駅を南口へ抜ける。駅の外に出たら、歌声はもう聞こえなかった。

我ながらつまらない人間だと思った。この先もこんなことばっかりなんだろうかと思って、変に苦しかった。

弱い人は好きなものを好きと言うことも許されないんだろうか。

心配性の母を意味もなく恨んだ。仕事が忙しいせいもあってか、彼女リスク回避したがる。飼っている猫が車に轢かれたら嫌だからと家に閉じ込めるような人なのだ。猫はずっと外に出たがっているのに。私も猫と一緒だった。危険に会う可能性のある行動は全部嫌な顔をされて、反抗する気力も湧かない私は諾々と従った。全てを理屈判断する母に反抗する手段が見つからず、自分好奇心を閉じ込めた。

いまから考えれば、馬鹿だと思う。

私が自分気持ち自分の行動を決められるようになったのは、その後5年以上経ってからだ。大学文学部に入って、いろんな人からいろんな話を聞いて母の言う理屈以外の言葉世界を見ることができるようになって、それからようやく息ができるようになっていった。周りより精神的に幼くてずいぶん馬鹿にされたけど、じっさい馬鹿からそれでいいやと思った。なにより、自分も他の人と同じように行ってみたいところに行ったりやってみたいことをしたりしていいんだ、と思えた開放感に勝るものはなかった。そんな無邪気さを許してくれる人が周りにいてくれて、楽しかったし幸せだった。

好きなものを好きって言えないから弱いままだったんだな、と気がつけた。きっと中学生の頃も、母相手に「私はこれが好き」とそう言えればきっと少しは違ったんだろう。

いまはインターネットが普及したので、知らない人にも好きって言いやすい良い世界だと思う。知らない人の危険さは変わらないけど、少なくとも今すぐどこかに連れ去られるような心配はしなくていい。そして、知らない人同士でも同じものを好きって言い合えるのは幸せだとみんなが知っている。ほんとうに良い世界だと思う。

おばさんの思い出供養話でした。ここまで読んでくれた人、どうもありがとう

2021-04-28

オンライン授業と大瀧詠一

大学非常勤講師をしています。去年は選択制だったり、今年は濃厚接触者になった、などで対面の講義オンラインで受講する学生も多くいます

そうなると、教員は確かに教室にいるんですけど、ヘッドセットをつけて同時にビデオ会議ツールにも配信して、というかたちになります大学の大教室スクリーンはしょぼい (光量が少なすぎて見えない) ので、教室にいる学生も、PC配信の画面共有を見て、イヤホンで私の話を聞いています

不思議な感じですけど、去年、音楽をいろいろ聞いていると、大瀧詠一さんが「ヘッドフォンコンサート」なるものを行った、ということを知りました。1981年12月だったそうですが、コンサート会場に大瀧詠一はじめバンドメンバーがいて、生で演奏しているんですが、それをミキシングしてFM電波に乗せて、観客はFMウォークマン (ポータブルラジオですよね) で聴く、というものだったそうです。全体としては、PAがないので静かで、でも生でバンド演奏して、大瀧詠一が歌って、観客はひとりひとり、自分世界音楽聴く

時代を40年も先取りしていて、とても面白いですね。

2021-04-27

不意に聖なる曲を聴くと泣いてしま

【主よ、人の望みの喜びよ】とか、有名な曲はアレンジされてる場合が多くて、なんとなくSpotifyとかで知らない曲を垂れ流してるときにかかると泣いてしまう。

具体例をあげるなら、↓とかね。


https://open.spotify.com/track/3MPoAW3mIWlwLRxKefjwhz


こういう聖なる歌のアレンジ好きだから、もしオススメあったらどっかに書いておいてくれ。

子供落書き帳は知ってるから大丈夫です)

どうしようもなくなった時、聴き狂うから


イベントに行かない決断をした

GWに行われるあるイベントチケットを持っていた。毎年約3万人の観客を集めるイベント。昨年は中止になったが今年は屋外で開催、アルコール販売は中止の上、観客を1万人以下に絞るなど対策を講じた上で開催されるとアナウンスがあった。

チケットを取った段階では割と感染者数は落ち着いていた。抽選に当たり、なんとかチケットを取ったものの、日々感染者が増加していく毎日

これ行けるのか…と思っているところに緊急事態宣言開催地ではなくて私の住んでいる地域に。開催地には宣言は出ていない。

さてここで考えた。イベントに行くか行かないか。もちろん自分としては万全の対策をしてイベントに臨むつもりだし、が、屋外とはいえ多数の人が集まるのでリスクがないわけではない。

さらイベントに行くには在来線新幹線在来線の乗り継ぎが必要になる。満員電車に乗らざるを得ないかもしれない。そもそも居住地には緊急事態宣言。県をまたいでの移動は控えるよう言われている。

家には高齢者がいる。職場取引先にもたくさんの高齢者がいる。仮に私が感染したらその人たちに移してしまうかもしれない。

しかしこの数ヶ月このイベントのためにいろいろがんばってきた。仕事もこなしたしお金も使わずに貯めた。どうしても行きたい。

それにこれから日本インドみたいにめちゃくちゃ感染が広がると思っている。ワクチン接種進んでてあれなんでしょ?そうなったら今後ああい大人数集まるようなイベントって絶対開催できないと思う。まだ諸外国ほど広がってない今回が最後のチャンスでは?

イベント開催する業者にも甚大な被害が出ている。このままの状態が続けば冬にはバタバタと潰れていくだろう。もし仮に数年後や数十年後に状況が落ち着いたとき果たしてイベント開催する余力が残っている業者がどれだけあるのか?それにそもそも大好きな出演者たちは潰れずに残っているのか?私は生きているのか?

この数日考えに考えた。頭痛くなるほど考えた。そして…疲れてしまった。

あと1週間行くか行くまいか考え続けることにも疲れてしまった。行かないと決め、チケットを粉々に破いてゴミ箱に突っ込んだ。昨日の夜の話。

チケットを捨ててから何も手につかなくなった。音楽聴くのも辛いしテレビをつけても何も頭に入ってこないし音がうるさくて消した。なんか辛くなってきたしTwitterとかも全部消した。毎日スマホゲームもやろうと思わなくなった。きのうログインボーナス逃しちゃったな、まあいいか

寝付けなかったけどなんとか何時間か寝て起きて仕事来たけど朝なんも出来なかった、取引先にちょっと電話とかしたけどそれくらい。

食欲もないし眠いけど寝れないしなんか身体だるいしんどい

今昼休み自分の車の中で泣きながらこの文打ってる。午後から仕事がんばります

行く人たちには心から楽しんでほしいです。切実に。

2021-04-22

何年か前単発バイトで一度だけ駅の催事の売り子したことがあるんだけど、

近くにギャンブル場がある駅だったこともあってかまじで最悪側のオッサンしか来なかった。

試食あ〜んして食べさせてよとか無駄接待要求してくるし

まじでつまんねー話で1秒でも長く会話しようとしてくるし(俺、嵐とかよく聴くんだよねー…みたいな それでよく食いつくと思ったな)

あとなによりあのオッサンら時々話しかけてきつつ謎に20-30分彷徨いた挙句100円とかしか買わない(この際金額関係ないが嫌味が言いたくなりました。すいません。)し、

極め付けはお金の受け渡しでべっとり手を触ってくるしでかなり最悪だった。

あと売上表見て知ったけど、男性が売り子の日と若い女が売り子の日の売上が明らかに違うことも知ってええ…ともなった。

なんかその時まで綺麗目な場所とか店でしかバイトしたことなくてホールだったらホールレジだったらレジ仕事に徹してればよかったけど、

ただの饅頭屋の一店員なのに女を切り売りしなくてはならないことがまあまあショックだった。

まあ何が言いたいかというと半セルフレジ機はレジを人(特に若い女)との指先と心の触れ合いの場かなんかと勘違いしているキモキモ最悪オッサンの手に触れずに済んで最高

自分がどのような音に囲まれていたのかを抜き書きしてみる。その15

https://anond.hatelabo.jp/20210415000024

私が作曲を学び始めて、数年の話である。私も20世紀音楽にかなり慣れ親しむようになっていたとはいえ、何が行われているのかは全く知らなかった。そんな段階で、私の当時の師匠は、とある地方都市ではないだろうね)で、対面でこう述べた。

フルートには数々の特殊奏法があり、その中に重音奏法があるよ」

私は、あの喫茶店に置かれた真っ白のテーブル軽食位置関係をいまだに覚えている。おしゃれな場所に入ったように思う。覚えているくらいなので、よほど衝撃的な出来事だったのだろうか。

どうやら指使いを変えるとたくさんの音が出るらしい。しかし、そんなものを実演で聴く機会はない。どうやったら聴くことができるのだろうかと思っていると、NHK-FMで豊住竜志の独奏オーボエ管弦楽のためのディアーナがかかり、柴山洋が勢いよくオーボエ重音を鳴らしたのである

その次の年には、NHK-FM近藤春恵のオーボエピアノのための詩曲がかかり、ダブルトリルが披露された(ダブルトリルが非常にクリアに聞こえた日本人の曲は、これ以外知らない)。

世相を反映したのか、オーボエを使った日本人の佳曲が多かった。これを見た富樫康が「またオーボエか」と憤慨したのを覚えている。

こうやって木管楽器の各種奏法を覚えていった中学生は少なかったと思われる。2021年現在東京中学生でも、中1からオーボエ重音を指使いに書き込んで作曲しているとはとても思えない。そんな指導東京首都圏でも絶対にしていないはずである音楽大学のハードルが下がってしまったので、今中1だと、せいぜい頑張ったってソプラノ課題の4声体くらいしかできないし、中2でソナタ形式に入っても思いっきり絞られるに違いない。

2021年の東京は確かに優れた都市だが、人材という点で不足している。東京に住んでも、ジーメンス系の作曲家をほとんど知らない教員がいまだにいるのだから仕方がない(これは絶対にあってはならないことである)。私にはその不足が幸運にもなかったのである。1時間バスが1本の土地で、考えられないくら奇跡的なことであった。

2030年代の中盤になると、私は沖縄から北海道のどこに住んでいる人間からも「恵まれ教育を受けてずるいですね」と、いわれる立場になる。どのように返答してよいか、非常に難しい。「あなたたちのほうがPDFを何十万冊も落とせて便利ですね」とは、いわないことにしようと思っている。

anond:20210422103317

仕事中に限らず聴かない

ゲーム基本的BGMミュートにする

日5聴くだけならいいけど

長いこと音楽聴いてると耳障りだわ

2021-04-19

聞くに耐えない「ゆずれない願い

誰がカバーしたやつなんだけど全然声も出てないし、オケカラオケか?スーパーの有線のインストゥルメンタルのやつか?ってくらいしょぼいし本当に聴くだけで耳と脳と時間無駄みたいな産業廃棄物があったんだよ

この間恋人のカーステレオから流れてきて思わず「は?」と思ったんだけど恋人ノーコメントだったから聞けなかった

多分大御所なんだと思うけど、誰も止められないままカスみたいなオケと糞な歌声音源にしてしまって世に流れる地獄

彼女ファン(女性ボーカルということだけはわかった)は一体これを聴いて何を思ったんだろう?

ってか誰がカバーしたやつなんだろう?

ロックだなぁって

タキシード着て、ヴァイオリンコンビの、エレキギターとか

ロックだなぁとおもいなが聴く

ロックだなぁ、ストーンズ喧嘩うるとか ロックだぁ いいぞわかいこ!

2021-04-18

教育格差がその人の人生を決めるのだから論には納得してやらん

納得できないのではない、納得してやらんのだ。

北海道人口100人にも満たない集落にある漁師の家に生まれ、将来は家を継いで世間知らずであり現金収入は少ないが食うのに困らない一生を過ごす。
そんな選択が俺にはあった。

だけれど、そんな人生に納得できなかった俺は中学卒業と共に実家を飛び出した。

小学校同級生3人、自転車で2時間先にある中学校は何とか1学年2クラスを作れるという少子高齢が進む地域
中学では腕っぷしの強くヤンチャな生徒、つまりは不良が幅を効かせているような文化圏はてブで都会住みの連中がイメージするステレオタイプなド田舎と言って良い。

その当時の大人世界では義務教育パソコンを習わせたほうが良いという機運が高まり、各校へパソコン配備されるようになってきた時代
しかしながらド田舎公立高校でそのような先進的な機械活用されることはなく、暇を持て余したガキだった俺のオモチャへとなるのがせいぜいだった。

田舎には田舎ルールがある。
それは例えば「中学では後輩は先輩に喧嘩で勝ってはいけない」というのもルールの1つだが、クソ真面目にも早朝から起きて実家の漁を手伝い、授業が終われば部活動野球へ日々精を出していた俺の身体能力は、年上であっても体育の授業をサボるような不良連中より劣っているわけもなかった。
田舎の古い価値観を持った父親のありがたい教育方針であった「男がナメられるんじゃねぇ」のもと、先輩たちが売ってきた喧嘩を買いまくり、不良の先輩たちを不登校へ追いやってしまった結果、晴れて俺は学校からハブられ中学野球試合にも出られなくなってしまった(野球部には所属してて毎日練習はしていた。先輩たちは卒業まで学校に来なかったが)。

ハブられてしまったため日々暇な時間を過ごすようになった俺が出会ったのが図書室の本と、前述したパソコンだった。
最初プリインストールされていたソフトで遊んでいるだけだったが、教員書類ワープロ専用機で作る時代だったのでパソコン知識がなく管理がザルで、俺はそのパソコンパソコン通信とインターネット接続できることに気が付いてしまった。

Yahooからリンクサイトを経由し、電子掲示板という存在を知った俺は日々電子掲示板サイトアクセスし、誰とは知らない人たちと会話をして時間を潰した。
話題には事欠かなかったし、専門性の高い話題が出ると「ちょっと待ってね。ここ図書室なんだ」と言ってソレ関連の本を引っ張り出して、パソコンの先に居るお兄さんなのかお姉さんなのか知らないが、興味深い話を日々聴くことが出来た。

増田クン、これからPerl時代だよ」
「いやボク最近やっと思い通りBASIC書けるようになってCの勉強中なんですけど」
「もちろんCは大事だよマイコンに使えるし。でもさサービス提供するならPerlが向く。DoCoMoiモードだって裏ではPerlだよ」
「ボクの住んでるとこピッチ圏外ばっかり、田舎だもん」
iモードピッチじゃないよ周波帯が違う」

特にコンピュータ関連の話は面白かった。
ゲーム自作できると教えて貰い、プログラミングを始めるようになり、BASICやC、PerlPHPJavaをよく触るようになった。
図書室が我が王国のようになり、問題児図書室に籠もっていてくれているし、図書室通いの結果から試験の成績も悪くないどころかトップクラスであり教員たちもずっと放置してくれた。

そんな生活の中で知れたのは学区に依存しない高校存在だった。
寮もしくはアパートなどで一人暮らしをしつつ通える高校が世の中には存在することを知ったのだ。
これだと直感的に思った俺は親父へ直談判することにした。
俺の故郷未来はないと薄々勘付いていて、正直なところ青二才だったため「じゃあ俺がいい大学入って故郷へ錦を飾れば良いじゃん」と出稼ぎ感覚でいた。
親父は俺の話を無言で最後まで聞いていた。

親父の回答は「勝手しろ

今思えば何をアホなこと話してるんだと思ったが、一応は国立高校だったため学費はそこまで高くなく、何だかんだで小さなから家業を手伝っていた俺がバイトしながら高校へ通うことに関しては古い価値観の「苦労は買ってでもしろ」的な面から了承されたのかなと思う。
おそらく一番困らせたのは高校入学祝いに当時の最新パソコン引越し先でインターネット回線を引く費用を求めたことくらいだったのではないかと思う。

右も左もわからない状況から一人暮らしを始め、訛りのひどさにクラスでイジられ、バイト先に勤めている大学生の兄ちゃんたちに世話してもらいながらも毎日新しい体験をして過ごした。
世の中は広く世間の移り変わりは早い。着メロ和音が鳴るしディスプレイカラー携帯電話電波田舎にまで届く。

甲子園を目指したが強豪校はやっぱり強く負けてしまい、人生で初めて望んだ結果が得られないことを経験した。
しかしそれでも俺は何となくコレは真理なんじゃないかと思い始めていた。
そして国立大学合格したことを期にコレは真理だと確信したんだ。

人一倍努力人生を豊かにする。

今の俺は別に故郷へ錦を飾れたわけでない。
しかし俺は不良が風を肩で切るようなド田舎出身脳筋漁師の子だ。根本は変わってないと思っている。
それが今やG社に勤めているって言うんだから人一倍努力は裏切らねぇなと。

自分が持ってないものが欲しいならば努力するしか方法がない。
学歴が欲しいならば年収が欲しいならば地位が欲しいならば努力するしかないんだよ。
誰もお前のために人生なんかかけてくれない。
お前の人生にかけてくれるのはお前自身しか居ないんだよ。

俺はネット上で忌み嫌われる努力教徒だろう。
でもこれだけは忘れてくれるな。
俺の献身的努力を捧げた先は俺自身だ。

2021-04-17

anond:20210416135635

Cyber TRANS Dolls の「My Treasured Memories -cast from the heavens-」

サブスクになどもちろん無い。フルで聴くドラマティックで感動する。なおトランスではない。

フラカンってどマイナーだよな?

世間一般感覚では

メジャー…誰でも名前を知っている。売上ランキング上位。紅白に何度も出場している。社会現象級のヒット曲がある。

マイナー…大多数の一発屋。あるいは勢いのある若手。特定ジャンル代表格だがそのジャンル自体マイナーとか。Mステに出演したことがある。

マイナー音楽好きしか知らない。普通に暮らしていたらその曲を聴く機会はない。マニアの中では有名。間違ってもカラオケランキングの100位以内に入ったりはしない。

こうだろ。

anond:20210417094715

長過ぎワロタ。top3以降分割。

3. 川の流れのように ~不死鳥パートII / 美空ひばり

日本音楽昭和時代歌謡曲で長らく停滞し、さらには日本音楽史の盲腸ともいえる演歌派生して腐りかけていたわけだが、そういう否定的見方しかできない俺みたいな聴き手さえ、ひれ伏してしま歌唱力というものがたしかにある。美空ひばり(と、ちあきなおみ)だ。正直、全然好みではない。オーケストラアレンジとかダサすぎて吐き気がしてくる。自分で金を払って聴こうとは思わない。だがそういう趣味嗜好の問題など押しつぶすパワーがある。認めないわけにはいかない。

この曲はまた美空ひばりの遺作であり、昭和から平成に移り変わるまさにそのときに発売されており、昭和を看取るという象徴的な意味でもここにランク付けしておきたかった。

2. Atomic Heart / Mr.Children

歌も楽器も上手いやつがバンドを率いて自分で書いた曲を自分で歌い、ミュージックシーンのど真ん中で拍手と歓声を浴びて、レコードを何万枚も売る。当たり前の光景に思えるかもしれない。

しかミスチル以前にも売れていたロックミュージシャンはいくらでもいた。けれど、どこかしら闇の世界の話だった。スタジオの闇、ライブハウスの闇。桜井和寿小林武史ロックバンドという存在を光の中に引きずり出した。ミスチル成功をもって日本音楽業界はバンドを中心に回り始めたのだ。このアルバム聴くとき、俺は桜井和寿顔面の良さに感謝せずにはいられない。あれだけのイケメンが楽才も備えていて本当によかった。クレオパトラの鼻が低かったら~の話ではないが、もし彼が並以下の顔面なら日本音楽史は今とはずいぶん違ったものになっていたに違いない。

1. First Love / 宇多田ヒカル

最後は売り上げ、だ。一番売れたんだから一番良い。

馬鹿にするな、と思うだろうか?しかし考えてもみてほしい。もう何度でも繰り返すが日本人は音楽センスが壊滅的にない国民だ。これほどまでに、どんな下手くそが歌っても気にしない国は他にないだろう。TSUNAMIほどの名曲中の名曲ですら、ド下手くそSMAPに売り上げで抜かれる国である

でもFirst Loveは700万枚売れた。ぶっちぎりの1位だ。もちろん宇多田ヒカル可愛い女子高生という最強の付加価値をもって売り出されたから、700万のうちのかなりの割合はそれに依るものだろうが、だからといって音楽価値が色あせるわけじゃない。このどうしようもない音楽後進国で、宇多田ヒカルという奇跡の様な才能が世に出た瞬間を、史上最大の売り上げという形で祝福できた。俺は音楽を愛する日本人として、この不思議事実を誇って良いと思う。このアルバムを1位にしないのであれば、そもそも日本なんていう狭くて歪んだ範囲限定してランク付けする意味なんてないとさえいえる。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

※なんで○○入ってないの?に対する補足を書きました↓

https://anond.hatelabo.jp/20210421102653

2021-04-16

anond:20210416150051

それで聴くだけしかできないド素人のオマエになんか悪いことでもあるのか?

思い出したり

朝に起きるのは珍しい。

なんだか今日はとても早く目覚めてしまった。起きるとベッドの隣、ぼくの脱いだジーンズの上で猫が寝ていた。

昨日もお酒を飲み過ぎた。毎日ルーティンってかんじでお酒をたらふく飲む。

昨日飲んだ友人はもう4年かそれ以上の付き合いなのだけれど、あなたと出逢ってできた友人だから話をするとあなたの事も会話に登場させたりしてしまう。それで、あなたの姿形を意識して、こうやって朝に言葉を残す事になった。

南の島のまたその離島で、貴方と居たことをよく思い出す。

大きな蟹、テトラポットダイナミックな雲とそれを反射してるオレンジか白か青い海と。夕方、ぼくらはL字のコンクリートの上で座ってた。

なんの話をしたのか、あまり覚えてないけれど、ぼくが生きていた中で多分とても美しい思い出、それも美しい思い出の中でもとびっきり、とびっきりにインパクトもある美しい思い出になってる。

隣のビーチで水着も持っていないのに適当に脱いでから浮いていた丸太に乗って足を滑らしたりしていたこととかも。

ぼくは全然文章が上手くない。言葉不自由なんだけれど、あなたはとっても分かってくれるし上手だから恥ずかしいのだけれど、あなたが教えてくれた通り、この手紙が届いたり届かなかったりすればいいと思う。

もう日は暮れて、2人でたぶん手を繋ぎながらよく知らない真っ暗な道を帰った。

オリオンビールしか島にはなくて、ぼくはビールとか全然好きに今もなれないけれど、いっぱい飲んだ気がする。

あと覚えてることは、島から本島に帰って乗ったタクシーdaoko米津玄師打上花火が流れていたこと。あの曲を聴くと、ぼくはあなたと島で夕日を見ていたことをいつも何度でも思い出せる。

ぼくは、あなたと会って次の日に行った美術館のことも思い出す。あなたと話した多くのこと、あなたは今のぼくを確かに作っていて、やっぱり全部の会話を憶えていることなんて勿論できないんだけど、今思えば…、いいえ、思ってたんだけどとても可愛らしい、可愛い人だったと思う。それから傲慢かもしれないけれど、あなた孤独孤独かいえない何か、特別秘密とか魅力みたいなのも分かってた気がしてる。

今のことを言えば、2人は会ってそしてまた別々の場所で生きているっぽいしもう会わないかも知れないし、あなたはぼくに会いたくないのかもしれないし、ぼくもわざわざ会うなんてことはきっとできないし、もう会えないかもしれないんだけれど、あなたがぼくにくれた小説の影響はかなり受けているし、新宿サブウェイで3時間か何時間かかけてすぐ読んじゃうくらい面白かった。ぼくはあまり本を読まない。読めないけれど、ぼくが生きた少ない人生の中で1番ちゃんと読んだ本だったかなと思う。

ぼくは、あなたのくれた本みたいに、あなたの話が好きだった。

ぼくはやっぱり。人が生きて一緒にいると一緒に居れなくなっちゃったりするけれど、あなた関係がどうとか関係なくお話がしたいと思ったりする。最近のぼくはお酒を飲んだり適当に人と話してるだけだけど、あなたとの話はあなたしかできない手触りがした。

からぼくはまた少し寝るかも知れない。猫が足を舐めている。

今日も多分お酒を飲む。最近の私は前よりも優しくなったと思う。あなたに前より優しくしてみたいと思う。おやすみなさい。

2021-04-13

雑誌映画秘宝』の記憶(48)

ロックの魂とは?】

 コメディ映画スクール・オブ・ロック』(03年)が公開された当時、この映画肯定的評価するか否か、「有りか無しか」を巡って賛否両論となったこから映画秘宝』誌面では、少しばかりの論争が起きました。

 ご存知ない方のために粗筋を説明すると「ロックバンドをクビにされた主人公が、ひょんなことから坊ちゃんお嬢ちゃんたちばかりの通う小学校にニセ教師として潜り込み、生徒たちに『ロック音楽スピリッツ』の教育を施した末に、筋が良い生徒たちをバンドメンバーに従えた主人公が再びステージに立つ」という、ファミリー層向けコメディ映画です。

= = =

 当時の否定派の論調は「『反逆精神』が拠り所であるロックが(たとえニセ教師によるものとはいえ)、学校教育で身につくわけがねえだろ」とか「コメディとはいえ大人が『ロックは素晴らしい』と、特定価値観子供押し付けるのは正直いかがなものか」とか「ガキごときロックができてたまるか」とか、まあ大体そんな感じだったと記憶しています

 しかし「ひょんなことから『未知のカルチャー』に触れた子供若者が、その魅力に思いがけず目覚めて『カルチャー担い手』として育っていく物語」あるいは「大人側の視点で、色々な思いを抱えたり紆余曲折がありつつも『カルチャーの教え手』として年下の人間たちを育成していく物語」は、良くも悪くもありふれたものに過ぎず、そこまで腹を立てることだったのかと今でも疑問です。例えば、労働者階級の家庭に生まれ子供バレエの魅力とか宇宙ロケット打ち上げの夢に目覚めるといった物語が「有り」なのに、この映画がそんなに否定される必要はあったのでしょうか。それとも学校以外の場所舞台だったら許されたのでしょうか。こうして考えると、論争と呼ぶにも非常に掘り下げ不足であったように思えます

= = =

 そもそも否定派の気持ちの根っこには、特定カルチャーの愛好家が陥り易い「選民思想」が有ったのではないでしょうか?何しろ「女『子供から映画を取り戻せ!」が旧体制の『映画秘宝』の合言葉だった訳ですから否定派には「『ガキ風情』しかも『裕福な部類のお坊ちゃんお嬢ちゃん』が『オレたちの』ロックに手を出すこと自体我慢ならない!」「ファミリー向け映画ロックをイジるな!」という気持ちも有ったことと思います

 もう既にお分かりのように、ここに見られるのは要するに、いい歳したオッサンたちが、いつまでも上の方に居座って「このカルチャーはオレたちだけのモノだ!」「コレは『本物』ではない!」「それが理解できん若い者たちは、まだまだオレたち(=オッサンたち)に及ばんな!」という態度をとることによって、若い世代から敬遠されてジャンル全体の衰退を招くという、非常にありふれた「『本物の✕✕』とは何か論争問題」「サブカルチャーにおける老害問題」の1バリエーションです。

 しかし、この映画が公開されて長い年月が経過しました。今や音楽活動を始める若者たちの中で「バンド形式から/ロックから始める人」が占めるパーセンテージは、昔のように多くはないだろうと思われます外国でも事情は似たようなものです。今ではおじいちゃんになってしまった外国の大物ミュージシャンたちと、日本アイドルBABYMETALが共演した際には、馬鹿にされたり嫌がられたりするのかと思いきや「孫みたいに若い子供たちが、ワシらの音楽に興味を持ってくれた!」と、むしろ喜ばれたと聞き及んでいます若者子供にとって、この映画に出てくるようなロックが既に「何だか知らないけど、お年寄りたちが聴いている懐メロ」となってしまった今日では「映画スクール・オブ・ロック』は有りか無しか論争」をしていた『映画秘宝』編集者ライターたちは、実に贅沢な悩みに基づいて議論していたと言えます

= = =

 無論、あの頃に「ロックカルチャー担い手ファンの『高齢化』が問題になる」などと未来予測ができた人間は少なかったでしょうから現代人の立場で彼らの論争を「贅沢な悩みだった」と批判するのは酷と言われるかもしれません。

 しかし、未来予測とは違い、当時の人間でも『映画秘宝』の関係者や読者であれば、容易に気づくのが可能だったはずのことが有ります

 それは「当時の旧体制映画秘宝』と映画スクール・オブ・ロック』の主人公は、していることが『悪い意味で』五十歩百歩だった」ということです。

 旧体制の『映画秘宝』が「切り株映画は、世界真実を描いている!ヌル作品なんか観るのを止めて、切り株映画を観ろ!」とアジテーションする姿と、この映画主人公が「ロックが最高の音楽だ!ヌル音楽なんか聴くのを止めて、ロック名盤を聴け!」と生徒たちを『洗脳』する姿との間に、果たして本質的な違いが有ると言えるでしょうか?

 そうです。この映画主人公がしていることは「洗脳」です。もちろん「何らかのカルチャーの愛好家が、非・愛好家に対して自分の好きなものを紹介する」という行為は、大なり小なり「洗脳」の側面を持つものです。だから、単に「ロックは良いぞ」と他人に薦めるだけならば、何も批判される謂れは有りません。しかし、もしも「ロックを知らないのは不幸だ」とか「ロック以外のツマラナイ音楽聴くやつは馬鹿だ」とか説教をかまされたらどうでしょうか?そんなことをされたら「うるせえ」「布教するために他人価値観を踏み躙るな」と言いたくなりませんか?そもそも「『反逆精神』を拠り所にしてるくせに、上からモノを押し付けるんじゃねえよ」という話です。

 実際、この映画には、生徒たちが普段どんな音楽を聴いているのかを質問した主人公が、その回答を聞いて嘆息するという場面も出てきます。これを単に作品を彩るギャグとして軽く受け流すのか、見過ごせすに腹立たしく感じるのか、それは観る人によって受け取り方が異なるでしょう。しかし、仮に主人公批判する感性の持ち主ならば、同じことをしている旧体制の『映画秘宝』にも批判的な感情を抱くのが当然と言うか、それが「知的な誠実さ」というものではないでしょうか。仮にも批評活動生業にしている人間たちが雁首を揃えて「この描写は、自分たちみたいな(=若者世代に『本物のカルチャー』とは何かを教えたがる)オッサンのことを風刺しているのではないか?」という可能性に思い至る「内省視点」を少しも持たなかったのでしょうか。そうだとすれば『映画秘宝』関係者は「知的怠惰」と言わざるを得ません。

 まあ、可能性としては「映画主人公の行動と『映画秘宝』の行動は五十歩百歩」という事実に気づいていたけれども、センパイの機嫌を損ねるのを畏れて忖度して言わなかったというのも考えられますね。

 馬鹿なのか、忖度体質なのか、どっちにしても「批評活動を行う人間」としては「致命的な欠陥」だと思うのですが、そういう人たちでも業界デカイ顔をしていられる現状は、いかに本邦の映画ライター業界人材不足なのかを如実に物語ると言えるでしょう。

= = =

 ちなみに映画スクール・オブ・ロック』には、主人公が「ロックの反逆精神とは何か」を生徒たちに実地に教えるために「『権威』に逆らえ!教室では教師、つまりオレが『権威』だ!オレを罵ってみろ!」と命令する場面が出てきます。すると、生徒たちは素直で良い子ばかりだから、色々と頑張った末に「デブ野郎!」という火の玉ストレートを投げてしまい、自分で反逆を命じたのに「オイお前、後でちょっと職員室に来い!」と主人公がマジ切れするというギャグ場面が出てきます。(なお、主人公を演じるのは、ぽっちゃりコメディアンのジャック・ブラックです。)これは「『反逆精神』を『教育』する」という根本的な矛盾表現した、秀逸な場面と言えます

 町山智浩高橋ヨシキてらさわホークも、一度「権威に逆らえ!オレたちを罵ってみろ!」と若手ライターたちに呼びかけて「反・権力/反・権威精神とは何か」を教えて上げたら良いのではないでしょうか。パワハラ説教マンスプレイニングかますよりも、よほど後進の育成に寄与できると思いますよ。

 まあ、センパイの機嫌を取るためにパートナーの肉体を献上する人間、それを享受して面白おかしく語る人間嘘八百解説を書いて間違いを指摘されたらそそくさと逃げる人間には、到底「権力に逆らうとは何か」を若手ライターに教えることなんて無理な話でしょうけど。

 この投稿は以上です。ヘイル・サタン

2021-04-09

anond:20210409221730

音楽が脳に色んな影響、リラックス効果や元気になる効果を与えてくれるから音楽聴くんじゃないか

この回答チコちゃんに叱られそうだけど

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