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はてなキーワード: 学者とは

2018-07-23

anond:20180723005131

基本的学者野党支持が多いよ。

例によって格が落ちる実学系の文系先生ゴリゴリウヨ先生がいる。

あと少し前までの体育系ね。でも、体育会系最近はだいぶ変わってきたよ。

2018-07-20

anond:20180718013950 anond:20180718024831

元増田です。

読んでくれてありがとうございます。ここまでレスが付くのは想定外でした。おかげで自分が言いたいことがわかってきたような気がします。

せっかくなので、演歌批判と、横増田のいう「除霊」について、適当なことを書いてみます

いろいろ書いてきてこういうこと言うのはなんなんですけど、個人的には、モダニズムだとか民族伝統というもの自体はどうでもいいことのような気がしています

自分に信念があるとしたらそれは、音楽にまつわる問題は(反社会的でないかぎり)できるだけ個人的な好みの問題として処理したい、という感じになると思います

演歌の成立過程研究するのはいいんですけど、「学者」ならそれが安易ジャンル叩きにつながらないように注意するべきなのではないか、という思いがあります

まあ自分学者じゃないのでよくわからないですが。

かに演歌というジャンルには、非合理や勘違い思い込みがあると思います。でもそんなのって、どのジャンルでも同じですよね、質が違うだけで。

そもそも音楽というもの自体が非合理や勘違い思い込みにまみれたもののはずです。

なのに、明らかに人気が下火の演歌「だけ」を、非合理だという理由でたたくような空気が「音楽学」の名のもとにつくられている。



あとやっぱり、繰り返しになるけど、ネット上の演歌叩きの空気が気になります

演歌日本の伝統ではない」というふうに言ってる人たちのほとんどは、それがナショナリズム批判だと思ってるふうな感じです。でもそれっておかしいですよね。

演歌はニセモノの日本の伝統

という命題を成立させるためには、

「ホンモノの日本の伝統がある」

という命題必要です。

から、「演歌はニセモノの日本の伝統」という主張をするということは同時に「ホンモノの日本の伝統がある」と言ってるのと同じです。

おもいっきナショナリズムです。




いや、もし仮に、

「ホンモノの日本の伝統とはこれである理由はこれである。ゆえに演歌日本の伝統ではない」

という主張であれば、ひとつ見解としてそれでいいんですけど、そんなことを言ってるひとはいないですよね。

まりネットのひとたちは、無根拠に「ホンモノの日本の伝統がある」ということを自明の前提としておきながら、

演歌日本の伝統」はナショナリズムだ、とかいってるわけです。


そういう空気音楽学の名のもとに作られているのだとしたら、それこそプロパガンダ的だと思うんですよ。




でもなんか、書いてるうちにどうでもいいことのような気もしてきたので、とりあえず演歌批判批判はここまでにしときます







増田除霊については次回。

2018-07-18

anond:20180718024831

増田の方です。なかなか分かりづらい文章だと我ながら思ったけど、読んでくれてありがとう

そして元増田もこんな俺に付き合ってくれて嬉しいなと思っている。

これは、近代的自我モダニズム私小説問題だと考えたんだけど、違うか?

 ・元増田私小説家的な立場近代的自我モダニズム自明さを持てない。ゆえに自分日本に拠り所となるかっこよさを探すのを止められない(無いのは知っているが)

 ・増田モダニスト哲学科学など、広く使われる手続きにのっとって、我々の限界を探求しつつ知を構造化するしかない。(拠り所の無さを受け入れて)

って感じで対立している感じ。

対立構造という程のものではないけど、元増田増田(俺)の立ち位置はご指摘の通りだと思う。

ただ、強いていうなら俺もまた元増田と同じ事を考えていたし、その色々と調べるうちに

昔とは違う立ち位置にたどり着いてしまったと思っていて、だからこの辺の文献を読んでは

どうかという主旨の発言をしているつもり。あえていやらしい言い方をすると、先輩ぶっている。

俺は、元増田立場に近いところにいると感じる。一方、その立場が無理なのは理解している。なれるなら増田立場に移行するのが理想だ。

から増田がなぜモダニスト立場に立てるのかを聞きたい。言い換えると、音楽において自分の基盤を探りたい欲求を止め、なぜ哲学科学方法で済ませられるのか、を知りたい。

日本にいると、幼い頃から身近に学者官僚芸術家がいないと、モダニズム自明ものとみなすのはまだ難しいと考えている。でも、意思の力でそれを引き受けられる人がいたなら、その意見が聞きたいのだ。

それについては明確に違うので俺の言い分を書いておきたい。

俺は日本人だが、やはり当事者自身日本文化を取り扱う事は大変に難易度が高いと思っていて、

研究に目を通す事は多々あるけれども発信はしていない。日本文化について言及する事を意図的に避けている。

レヴィ=ストロースのいう所のメタ視点自分自身とほぼ接点のない文化に対しては適用できても、

自らに適用する事はそう簡単ではない。だからはっきり言ってしまえばポピュラー音楽研究界隈が

あえて日本文化に切り込んでいくのを、民族音楽学者は指を咥えて見ているという状況が続いて久しい。

元増田が挙げる輪島さんにしても、増田さんにしても、二人ともポピュラー音楽研究界隈の人だ。

彼らは大衆流行や、何となく時代雰囲気分析する事に特化しているので遠慮なく物申せる部分がある。

だが民族音楽学者は違う。人間社会の織りなす文化はどれも等しく価値あるよねという大前提に立っている。

はいいところ探しに特化しているので、雑な意見反論はしても発信自体にとても慎重だ。

これではいかんと重い腰をあげる動きもあるのだが、全体的にフットワークは正直軽くなく、

その点についての批判真摯に受け止めなくてはならない、という程度の後ろめたさはある。

自分の手持ち武器は当該社会に深刻なダメージを与えるかもしれない、そんな畏れが心の底にある。

ただ、だからこそプロパガンダ的な、意図的文化志向を捻じ曲げて指針を示すような言説にはとても厳しい。

日本には侘び寂びの文化があるとか、礼儀作法を大切にするとか、伝統を重んじるとか、

何言ってんだこの野郎と率直に感じる。ごく一部の慣習を民族全体の伝統に置き換えるのはあまり乱暴すぎるのではないか

嘘で自分を着飾って自尊心を満たす事ほど愚かしい事はない。

もっと雑多でぐちゃぐちゃで日和見主義で、醜い部分から目をそらす事も多々あるだろと。

どんな事から目を逸らしたいのか、何を受け入れたくないと感じる美意識規範、無言の空気があるのか。

そんな部分も含めて全てを率直に受け入れつつ、肯定的評価していきたいというのが

俺や他の民族音楽学者の立ち位置だと思う。

除霊方法が聞きたいんだ。

からね。本当の事を言うと除霊は俺もできてないんだ。

自らのフィールドワーク体験からメタ視点については理解した。

でもそれを自らに適用する事はこの上なく恐ろしい事だ。

anond:20180718013950

横だけど、面白かった。こんな文章増田で読めるのは嬉しい。

 

レスは追っていないんだけど、元増田

はいっても正直なところ、西洋音楽を基にした音楽を、日本的ものとして認めたくないという気持ちもある。

日本の長い歴史から見れば、西洋音楽が入ってきたのはつい最近のことだし、つい最近入ってきただけの音楽価値観社会的支配的になってしまうのは、なんかおかしい。

西洋音楽を取り入れた日本音楽」であれば、それは過去からの発展とみなすことができるけど、

日本音楽を取り入れた西洋音楽」は、過去からの断絶のように感じられてします。

和声進行を基にした音楽」というのはやっぱり西洋音楽である、というふうになってしまうわけです。

https://anond.hatelabo.jp/20180708114227

 

いや、僕は個人的には、演歌日本の伝統ではないと思ってるんですけど、それは個人主観的価値観なんですよ。

僕はナショナリストなので、日本の伝統はかっこいいものであってほしいし、個人的演歌がかっこいい音楽だとは思えないので、演歌日本の伝統ではないとみなしたい、という「個人の感想」です。

から演歌日本の伝統だと思う人がいても、特に問題がない、はずです。単なる好みの違いでしかない。

https://anond.hatelabo.jp/20180714150641

 

というレスが、目をひいた。

 

これは、近代的自我モダニズム私小説問題だと考えたんだけど、違うか?

 ・元増田私小説家的な立場近代的自我モダニズム自明さを持てない。ゆえに自分日本に拠り所となるかっこよさを探すのを止められない(無いのは知っているが)

 ・増田モダニスト哲学科学など、広く使われる手続きにのっとって、我々の限界を探求しつつ知を構造化するしかない。(拠り所の無さを受け入れて)

って感じで対立している感じ。

見当違いのことを言っていたら、以下スルーしてくれ。

 

俺は、元増田立場に近いところにいると感じる。一方、その立場が無理なのは理解している。なれるなら増田立場に移行するのが理想だ。

から増田がなぜモダニスト立場に立てるのかを聞きたい。言い換えると、音楽において自分の基盤を探りたい欲求を止め、なぜ哲学科学方法で済ませられるのか、を知りたい。

 

日本にいると、幼い頃から身近に学者官僚芸術家がいないと、モダニズム自明ものとみなすのはまだ難しいと考えている。でも、意思の力でそれを引き受けられる人がいたなら、その意見が聞きたいのだ。

 

蛇足だが、もう少しこっちの立場を補足すると

日本的なかっこよさを探してしまう感じ」は、「幽霊に取り憑かれている」や「神経症」と言ってもいいかもしれない。

レヴィ=ストロースは、未開社会にもそれぞれ高度な構造を持った文明があるとしたが、日本開国前に持っていた構造の中にあった、かっこよさの幽霊がまだ潜んでいて、日本人の頭の中に巣食っていると言っても良い。そして幽霊が復活する期待を捨てられない(あるいは、幽霊が復活する可能性に賭け、下部構造を変えようとイデオロギー工作を頑張る)

 

下部構造が変わったから、共同幻想も変わりつつあり、その過程にいるだけ、と言い切れればいんだけどな。

除霊方法が聞きたいんだ。

2018-07-17

anond:20180717232511

人間女性男性複数で奪い合う、競うのが基本であるってことよね???

一妻多夫遺伝子的に想定されているってことじゃない?

もう一つは精子遺伝子だ。ヒトには、精子をほかの男性精子と競わせる遺伝子がある。

ゴリラ場合、この遺伝子活動していないか活動を縮小している。



ゴリラは基本一夫多妻やでー。雌は浮気しないよ!

 ウェルカムトラスト遺伝学者で、研究チームのクリスタイラースミス氏は、

ゴリラはオス1頭に多数のメスという群れで暮らしているため、精子が競い合う機会はあまりない」説明する。

anond:20180717171744

一夫多妻制を夢見ている増田さんはゴリラ由来かな?🐵👨

 もう一つは精子遺伝子だ。ヒトには、精子をほかの男性精子と競わせる遺伝子がある。

ゴリラ場合、この遺伝子活動していないか活動を縮小している。

 ウェルカムトラスト遺伝学者で、研究チームのクリスタイラースミス氏は、

ゴリラはオス1頭に多数のメスという群れで暮らしているため、精子が競い合う機会はあまりない」説明する。



ゴリラゲノム解読に成功」2012.03.04

http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/5735/

マハーポーシャのRPG数学勝利者

オウム真理教思想を読み解く上で、様々なキーパーソンが登場する。

尊師弟子たちは、様々な時代輪廻転生していたという。

 

歴史上の人物

オウム真理教経営していたパソコンショップ「マハーポーシャ」では、ゲーム数学を学ぶ「数学勝利者」というロールプレイングゲーム販売していた。

このゲーム登場人物確認しておこう。

 

1. イムホテップ

イムホテプ (Imhotep, Immutef, Im-hotep, Ii-em-Hotep, Imuthes) は、古代エジプトの高級神官。第3王朝のジェゼル王に仕えた宰相とされる。また、エジプト第3王朝最後の王フニ王の時代まで活躍したとされる。

生誕 紀元前2690年頃 - 死没 紀元前2610年頃

 

2. 朱元璋

朱 元璋(しゅ げんしょう)は、明の始祖であり、初代皇帝である。その治世の年号を取って、洪武帝(こうぶてい)と呼ばれる。

 

3. ナーローパ

Nāropā (probably died ca. 1040 CE) was an Indian Buddhist Mahasiddha.

 

4. ベンジャミン・フランクリン

ベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin, グレゴリオ暦1706年1月17日 - 1790年4月17日)は、アメリカ合衆国政治家外交官著述家物理学者気象学者

印刷業で成功を収めた後、政界進出アメリカ独立に多大な貢献をした。

アメリカ合衆国建国の父の一人として讃えられる。

 

5. マイトレーヤ

弥勒菩薩(みろくぼさつ)、梵: maitreya(マイトレーヤ)、巴: metteyya(メッテイヤ、メッテッヤ)は仏教において、釈迦牟尼仏の次に現われる未来仏であり、大乗仏教では菩薩の一尊である

 

上記5名が、どのようにオウム真理教思想と関連しているのか?考察してみよう。

 

anond:20180714190838

2018-07-16

アラフォー同窓会

横浜在住、山梨田舎出身アラフォーおっさんです。

今年のお盆休み期間に、公立中学同窓会開催のお知らせがきた。

うちの田舎はかなりのど田舎高校公立デフォ大学学者クラス40人のうち20%くらい。

首都圏暮らしてるやつらの方が少ない。

そりゃ格差もかなりあるだろう。

そんな中、田舎で開催される同窓会カオスなんだろうなあ。

どうせマウンティングの嵐になるだろうけど、ちょっと楽しみ。

法律に反例集(not判例集)がない

数学とかで新しい概念が出てきたとき

その概念の具体例だけでなく、「それには当てはまらない例」(反例)があって初めて理解が進むじゃないですか

たとえば「有理数」っていうのは整数の比で表される数ですよってだけでは初学者には理解ができない

1/2とか-4/7とか0とか1とかのことですよって言われただけでは不十分

円周率とかルート2とかは当てはまらないですよ、整数の割り算で表現できないからねって言うとようやくイメージが掴める

境界線の内側と外側を言ってもらえて初めて境界線が目に見えると言います

ところが法律、とくに刑法解説では「こういう行為刑罰になるんです!」ばっかり言うけど

なかなか「こういう事例はギリギリ大丈夫です、何故ならこういう理由要件にあたらないから」って言ってくれないですよね

私が知らないだけで、市販判例集とか見たら反例も載ってるのかな

少なくともそういう情報ネットで気軽に見れる解説ページとかで見たことないんですが、

解説」したい気があるなら絶対境界線の外側も言ってくれた方がイメージ形成に役立つと思います

っていうのをインサイダー定義をググってて思いました

2018-07-14

[] 弁護士法治国家否定

法治国家日本

法曹関係者には、いろいろな考え方の人がいる。

法治国家否定するラディカルな思想を持つ人がいても、おかしくはない。

しかし、日本が人治国家になったら法律無用法務を専業とする弁護士不要となり、自らの存在意義否定する「矛盾」に陥るのではないか

 

オウム事件とこの集団対応は、この「前例のない事件に対しては前例のない体制で」でやってきた。それだけの大事件であり、特異な集団であり、特異な思想だったからです。

で、今回の支援要請につき、国が応えられないなんてありえない筈、と確信しています

・その必要性があり、決して憲法違反するものではなく、法令違反するものでさえないのだから

日本が、テロと闘うならば、そのテロ行為の背景などにも対応していくことによってこそ、「闘う」といえるのだから

助けてください。

 

滝本弁護士の主張から、鍵となるキーワードを拾ってみよう。

  1. 前例のない」
  2. 憲法違反
  3. テロと闘う」

 

前例のない」

社会は常に変遷して行く。かつてない状況に出会ったら、新たな対処方法確立する必要がある。そこまではOKだ。

しかし、最初は手探りの試行錯誤ゆえ不具合が生じた場合、後でちゃん不具合修正できるのか?

ロールバック可能手段も用意されているのか?

 

滝本弁護士独断で、関係者の利害を調整することなく、物事を強引に進めてしまった場合、その結果重大な人権侵害などが起きても、ちゃん回復できる仕組みも併設されているのか?

新規対応で失敗しないためには、ちゃん保険もかけているのか?そこを注意深く観察する必要がある。

デリケート問題を扱うにしては、十分な議論を尽くすだけの「慎重さ」が欠けていないか

 

万一、間違った前例を作ってしまった場合、後戻りできなくなるのでは困る。

歴史を振り返ると、人類は多くの失敗を繰り返している。(同じ失敗を繰り返すのは、単なるアホでしかない。)

前例がない」場合こそ、十分に時間をかけて話し合い、慎重に対処すべきという「共通認識」が必要だ。

 

憲法違反

人々の利害関係の調整は、政治家法曹職務である

民事および刑事係争は、法律というルールに基づいて解決を図るべきだ。

なぜ、滝本弁護士は、他の利害関係者と対話の機会を持たないのか?独断偏見で話を進めていないか

司法試験勉強をしたなら、少なくとも一度は日本憲法を読んだことがあるはずだ。

1945年昭和20年)に、ポツダム宣言を受諾して連合国に対し降伏した日本政府は、そこに要求された「日本軍の無条件降伏」「日本民主主義的傾向の復活強化」「基本的人権の尊重」「平和政治」「国民自由意思による政治形態の決定」などにより、事実上憲法改正の法的義務を負うことになった。

そこで連合国占領中に連合国軍最高司令官総司令部の監督の下で「憲法改正草案要綱」を作成し、1946年昭和21年5月16日の第90回帝国議会の審議を経て若干の修正を受けた後、同年1946年昭和21年11月3日日本憲法として公布され、その6か月後の翌年1947年昭和22年5月3日施行された。

第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種信条性別社会身分又は門地により、政治的、経済的又は社会関係において、差別されない。

 

なぜオウムだけは差別して、議論の輪から外しても良いと言えるのか?(言っていないなら問題ない。)

好き嫌い」という感情ではなく、「真偽」という論理、すなわち法律ルール)に基づく説明ができなければ、法曹としては失格だ。

パブリックコメントを発する以上は、他者から質問に答える義務がある。(質問を受け付けないのなら、それは単なる独り言しかない。結果、他者聞く耳を持たず、自身孤立する結果を自ら招くだけだ。)

滝本弁護士には、公開の場で質疑応答を行なうだけの「誠意」を見せて欲しい。

  

テロと闘う」

テロ」といえば昨今の「テロ等準備罪」を巡る議論を思い出す。

日本では犯罪を実行したことを罰するのが原則です。それに対して、共謀罪犯罪計画合意したこと自体を罪ととらえ、犯罪を実行する前に処罰しようというものです。深刻な犯罪を未然に防ぐことが狙いです」

 

「新々過失論」(危惧感説)

「過失」を巡る法理の分類は、歴史的に「旧過失論」「新過失論」「新々過失論」(危惧感説)などが挙げられる。

 

 

テロ等準備罪は、危惧感説に基づく新しいタイプ法律と言える。日本では、藤木英雄先生先駆者として有名だ。

藤木英雄1932年2月20日 - 1977年7月9日)は、日本刑事法学者。元東京大学法学部教授

戦後の数ある刑法学上の論争の中で、実務上最も重要な意義をもったのは過失責任を巡るものである

藤木は、高度成長期において非伝統的な犯罪が多発するという状況に際して、新たに企業側の過失責任拡張することで、被害に苦しむ市民を救わんと尽力し、新過失論を一歩進めて「新・新過失論」・「危惧感説」を提唱した。

危惧感説が登場する以前の新過失論は、逆に伝統犯罪交通事犯に対する過失責任限定意図していただけに、画期的な転換といえる。

危惧感説は、後に板倉宏らの一部の学者検察官の支持を得て、森永ヒ素ミルク中毒事件採用されるに至ったが、北大電気メス事件( 札幌高判昭 51.3.18 高刑集 29.1.78) では明確に排斥されており、学会でも一般的な支持は得られなかった。

 

日本ではまだ、危惧感説に基づく国民合意形成が十分になされている状況とは言えない。(テロ等準備罪も始まったばかり)

従って、滝本弁護士が、「テロと闘う」という大義名分の下、かつてない法的判断要求するつもりならば、日本国民に対する説明義務が伴う。

滝本弁護士が単なる思い付きや感情論で言っているだけなら、後世に悪影響を残す有害前例を作ってしまうかもしれない。

ハッタリではなく、滝本弁護士が藤木英雄先生の業績を踏襲し、発展させる意気込みがあるなら、一概に有害とは言えない。

 

この点については、オウム限定する必要がない。

なぜなら、日本国民全員の利害に関わる問題からである

従って、公開の場で議論を尽くされなければならない。

どのような方法で公開討論を進めていくべきか?日本国民全員で検討する必要がある。

(滝本弁護士には「オウム問題を風化させたくない」という思いがあり、さら法治国家否定しているわけじゃなければ、この結論に至るだろう。)

anond:20180711205454

どうも。元増田です。

文章書きなれてないせいで、いろいろ伝わらなかったところがあるようなので、もうちょっとちゃんと書きます

音楽学者の輪島さんや増田さんは、新聞とかで「演歌日本の伝統ではない」ということを、まるで客観的事実であるかのように言ってるわけです。

さらに、ネット上のリベラルっぽい人たちがそれを支持するという構造になってしまっていて、僕はそのことを批判してます

増田トラバーのかたがたがおっしゃってるように、伝統というもの自体共同幻想だというのが、とりあえずのファイナルアンサーなわけですよね。

伝統共同幻想」だとすると、

演歌日本の伝統ではない=演歌日本共同幻想ではない」ということになる。

輪島さんは例の演歌本で、「演歌という戦後日本共同幻想」をさんざん分析してるんだから

演歌日本の伝統共同幻想)ではない」

という結論になるのは論理的にもおかしい、ということです。

しかに、例の演歌本には「演歌日本の伝統ではない」ということは書かれてないです。

でも結果的に、ネット上のリベラルっぽい人たちが、あの演歌本を根拠にして「演歌日本の伝統ではない」みたいなことを客観的事実であるかのように言ってるし、

その流れに乗って、輪島さんや増田さんもそういうことを言ってるんですよ。

それはおかしいでしょ、ということです。

いや、僕は個人的には、演歌日本の伝統ではないと思ってるんですけど、それは個人主観的価値観なんですよ。

僕はナショナリストなので、日本の伝統はかっこいいものであってほしいし、個人的演歌がかっこいい音楽だとは思えないので、演歌日本の伝統ではないとみなしたい、という「個人の感想」です。

から演歌日本の伝統だと思う人がいても、特に問題がない、はずです。単なる好みの違いでしかない。

でも、輪島さんやその支持者のひとたちは、

演歌本来的に日本の伝統ではないのだから演歌日本の伝統」は歴史修正主義ナショナリズムだ」

みたいな感じになっちゃってるわけです。

追記

それと「音楽音楽学の違いについて」なんですけど、

いろいろ書くと、音楽学を知らないくせに偉そうなこと言うな、みたいな感じになると思うので、とりあえずやめとく。

でもさ、音楽学を知らないくせにって言うんだったら、音楽学者って音楽のこと知ってるの?って思っちゃうんですよね。

何の権限があってそんな偉そうなことを言うのか。

過去の偉い学者の言説を学んだのかもしれないけど、その過去の偉大な学者だって音楽現場に直接かかわってたわけではないんですよ。

まり音楽学」という枠の中だけで論考を積み重ねてるだけなわけで、結局のところ。

それは実際の「音楽」どういう関係があるのか、みたいなことは思ってしまます

ようするに、

音楽学者の人が「演歌日本の伝統ではない」って言ってるから演歌日本の伝統じゃないんだよー」

みたいなネット空気違和感

あと、id:ohchidani さんにidコールが飛ぶのかどうか。確か、増田からidコール飛ばすことはできないんじゃなかったけ?

2018-07-13

ジュラシックパーク恐竜たちの出自についての考察

先日ジュラシックパークの最新作が全国公開された。

クリス=プラット演じる主人公活躍する新生ジュラシックパーク第二弾とも言える作品だ。

前作よりもよりホラー寄りに回帰したりラプトルとの交流が見られたりとにかく面白いので是非見て欲しい。

ちなみに僕はまだ見ていない。

前置きはさておき、ジュラシックパーク恐竜たちは一体何者かという僕独自考察をここに記しておこうと思う。

結論からいうと彼らは恐竜ではなく恐竜のようにデザインされた何かである

以降はその根拠について記述しようと思う。

そもそもジュラシックパークの”恐竜たち”はどうやって作られたのか?


ジュラシックパークファンなら勿論知っている情報だと思うがおさらいをしてみよう。

恐竜が生きていた時代には現代の蚊はすでに生息していた。

そして、その蚊たちは現代と同じように動物の血を吸っていた。

蚊が木で休んだ際に樹液に絡め取られ、恐竜の血を体内に含んだまま長い時間をかけ「琥珀」になった。

現代になり琥珀の中に閉じ込められた恐竜の血から取り出されたDNAを元に恐竜たちが生まれた。

これが定説というかジュラシックパーク第1作目で作中アニメで語られている内容だ。

かに説得力があり、当時子供だった僕はそのサイエンティックな内容に釘付けになり、よりストーリーに惹きつけられた。

しかし、これは無闇に説得力があると考えていい内容だろうか?

最新の学説での否定


このような記事がある。

恐竜DNAから復元することは不可能?(オーストラリア研究

http://karapaia.com/archives/52104981.html

まり物質は必ず劣化するものであり、恐竜DNAも例に漏れはいないということだ。

ただし、作中ではそれを予見してか、「不足しているDNAカエルのもので補っている」とも語られている。

これにより、一見して最新の学説へのアンサーとしては成り立っているように見える。

どうしてだか、僕はここに違和感を感じている。

なぜカエルなのか。なぜ進化の経路上として爬虫類鳥類よりも遠い両生類DNAを使うのか。

ヘンリー・ウー博士

パークの恐竜たちを語る上でこの人は外せない。

氏は新旧パーク双方に勤務し、実際に作中にも登場している。

いわば恐竜たちの生みの親であるパーク研究所の遺伝主任である

作中で語れられている氏の実績を大雑把に下記の通りまとめてみた。



僕が気になるのは最後の項目「恐竜のリデザイン」だ。


先に仮説を述べておくと、

インドミナスに限らず、パークの恐竜たちは全て「リデザイン」されたのではないのだろうか。

まり、形状的に模倣はされているが、必ずしも遺伝子として合致あるいは類似しているものではない。

ウー博士により作られた全く新しい生物たちである

作中のヴェロキラプトルという存在



作中のヴェロキラプトルは実際の世界ヴェロキラプトルとは違うというのは割と有名な話だとは思う。

実際のヴェロキラプトルは鶏ほどの大きさで主に小動物昆虫を餌にし、大きくてもせいぜい小型の角竜を襲うことができていたのではないかと言われる。

実際にはデイノニクスと呼ばれる馬ほどの大きさの肉食恐竜ヴェロキラプトル名前と足についている「大きな鉤爪」だけ借りて登場している。

演出のためだと言われればそれまでだが、

これは「リデザインされた恐竜に名付けた結果」と想像している。

あれだけ一作目から科学考察が作中でされているのに、そこだけ演出のために実際の世界と違えるというのは個人的には違和感だ。

冒頭アラン博士化石採集所の場面



土中にエコーを打ち込んだ後、その結果をモニターで見る場面。

一緒にモニターに現れるスケール確認できると思う。スケールには単位が表示されていないので正確には分からないが

あの同時に現れたスケールは「実際のラプトルと同じスケール」だと示唆する製作からメッセージなのではないかと考えている。

また、博士が持っているラプトルの爪は「デイノニクス」の爪としては小さすぎる気がする。

まりアラン博士はパークのラプトルラプトルとしては認識していない

少なくとも作中に出てきたパーク監視員ロバート確認するまでは認識していなかったと思う。

学者全般に言えることだと思うが、学者は全てが解明されているという前提で研究をしているものはいない。

常に新しい情報で自らをアップデートしていくため、パークでラプトルのものを見せつけられたら

パーク内で生まれラプトルは大きな個体のもの存在すると捉えるのは自然なことだと感じる。

ましてや、欠損部分をカバーしていると事前に聞いているので多少の差異覚悟しているとは思う。

ラプトルの特徴である大きな鉤爪も有しているし。

アランはきっと「我々が思っているよりラプトル整体はずっと大きかった」と思ったのではないか

羽毛恐竜


ジュラシックパーク一作目が公開された当初から、羽毛恐竜存在はほぼ定説となっていた。

それらを作中に取り入れなかった理由として単に「一般恐竜イメージが損なわれる」というものではない気がする。

どちらかというと、パークの経営的な判断として、よりイメージに近い「恐竜」を生み出して欲しいというオーダーがウー博士にされた結果、

羽毛のない恐竜になったというのが個人的スッキリ腑に落ちるところである

その極たる例としては、前述した「インドミナスレックス」が当てはまる。

あれは作中でも経営から「より恐ろしい恐竜」を依頼されたため、その通り作ったと氏自身が語っている。

モササウルス存在

(まあこれは恐竜ではないが)

作中のモササウルスだが、ものすごく巨大な生き物として描かれている。

少なく見積もっても30m以上はある。

実際に発掘されたモササウルスは18mが最大だそうだ。

水中に生息しているモササウルスの血を吸えるのか?

これも非常に疑問に思う。

原生のクジラなどと同じく極度に海中に特化した外形のため、モササウルスはその巨体故に陸上が近いと座礁してしまう。

そのため、陸に近い、蚊が発生する真水のある環境近くに接近し、蚊に吸血されてしまうとは考えづらい。

仮にされたとしてもその頻度は非常にレアなのではないだろうか。

まとめ


以上、記憶の片隅にでも残しておいてくれたら嬉しい考察である

2018-07-12

一部の例で学者全体を貶めようとしてる奴がいる

お前がそうだからって一般化しないでくれよ

少なくとも俺まで含めるな

anond:20180712164026

理系学者でもごく普通にある

都合が悪い実験結果は表に出さないのは当たり前

anond:20180712163843

なら学者とは信用のならない奴しかいないことになるが...

anond:20180712163800

それ学者だったら当たり前なので…

2018-07-11

世界は成原博士であふれてる

ツイッター作家学者有名人適当発言攻撃的な発言して炎上して憎悪して炎上するのを繰り返すのを見ているとタイトルのように究極超人あ〜るの成原博士がたくさんいるイメージが思い浮かんだ

anond:20180710211332

ちょっと検索すれば年収分布くらいわかりそうなものだけど。

http://kentakeo.com/archives/1180

増田希望する年齢だとほぼほぼ20代なので、20代分布を見た方がいいだろうね。

それで見ると600万円以上の収入は少数派に見える。

増田東京ないし神奈川大阪愛知あたりの人を探した方がいいだろうね。

https://heikinnenshu.jp/tokushu/bunpu.html

現在30歳の人の大学進学率は2006年くらいだからかにほぼほぼ50%くらいな気はする。増田認識は間違っていない気がする。

https://toukei-source.com/education/enrollment-rate/

が、大卒なら600万円オーバーというのはかなりどんぶり勘定だなと思う。

25-35歳の年収分布で600万円を超えている人は過半数大学院卒の人で、見るべきは大卒者では無く大学院卒。

http://next49.hatenadiary.jp/entry/20141119/p1

大学院進学率は大学学者10%程度なので、単純計算して5%くらい?

http://statresearch.jp/school/continuance_01.html

というわけで、増田三大都市圏周辺の修士以上の学位を持った人と結婚すると配偶者希望年収になる確率が高そうだけど、院卒者は同世代の5%くらいしかいないから、まあ頑張って。

自分結婚相談所の人なら、年収希望額を上げるなら、受け入れる年齢もちょっと上げてもらわないと難しいですねーと言うんだろうなと思う。

2018-07-10

思ってることを述べることについて

死刑について、沢山の投稿がなされている。

自分法律を専門にして生きていているけど、刑事事件とはあまり関係がないから、そこまで詳しいわけでもない。

自分死刑についての投稿とか、それに限らずとも法律関係する投稿を見て、新たな観点だな、と思うことは殆どないと言っていい。既存議論を上手にまとめて紹介しているものとか、自分立場を適切に述べているものはもちろんあるけど、とりわけ断言調で書かれたもので、なるほどなあと唸るようなものはない。大抵の場合、すでに、それに対しての反論議論されているものばかりだな、と思う。

死刑刑罰に関する議論でよく出るものだと、例えば刑罰は何のためにあるのか、というようなものがある。

これについて既存議論簡単にまとめれば、割と最近までは、応報刑論と目的刑論との二つの考え方が対立していたと説明されていて、前者は犯した罪に対して罰を与えるのが刑罰本質であり、後者はもう2度と犯罪を犯さないように矯正したり、社会に対して犯罪を犯すとこういう辛い思いをするからやめたほうがいいよと伝達したり、あるいは犯罪を犯すような人を社会から隔離することで新たな犯罪が発生することを予防することを目的として与えるのが刑罰だというもの

前者はカントヘーゲルに遡るようなクラシックものだけど、罪に対して罰を与えるっていうけど、それは何のためになされるのか、本質というのは何なのかよくわからないよねという批判がある。

後者については、再犯可能性が非常に高い人だと、どんなに軽い犯罪でも、犯罪者なら終身刑にすることになるよね、とか、さらにその考えを進めて、犯罪を犯しそうな(けどまだ犯罪を犯していない)人を刑務所に入れようとかそういう話ななってしまうけど、それでは流石に良くないよね、といった批判がなされている。

それを踏まえて近年では、社会的な規範回復するためになされるのが刑罰である、というような学説も有力で、結局、応報刑論と目的刑論ってそんなに違わないのかも?みたいな話になっているとのことでした。

(この辺の学説的なことは刑事ジャーナルの54号に最近議論がまとまっている。)

で、そういう刑罰本質についての議論自体はどうでも良くて、自分が思っているのは、自分が考えついたことは、誰かすでに考えているだろう、更には批判も尽くされてそれに対する再批判がなされて、という風に議論は進んでいる、という風には思わないのだろうか、ということ。

自分は一応、専門と言えるものがあって、様々な学者が一生を懸けて知恵を絞って、あるいは、実際の社会の中で様々な人たちが工夫を凝らしていろんなことを考えてきてることを感じてきたから、そんなに簡単に新しいものは生まれないということを強く思っている。あるいは逆に、自分の思いつきについては、既に前向きな批判がなされていることが大半で、自分の考えをブラッシュアップするのはその意味では容易だと感じている。だからこそ、自分の専門外のことでも、自分が何か感じたことや思いついたことがあったら、調べてみることは大事だし、軽率発言するのは意味がないことだなとも思う。

から、いろんな社会的なトピックに対して、いろんな人から条件反射的に自分の思っていることを述べて、しかもそれが間違っていたり批判があるということに想いを致さない様子を見ると、心が痛む。人類が協力して分担して、何世代にもわたって知恵を絞ってきて、それを上手にまとめて教えてくれる人すらいるのに、酒の肴にしてるならまだしも、大真面目に自分議論絶対正しいかのように自信満々に理論を展開している人を見るのは辛い。

こういうことを言うと、学問市民感覚はずれがある、学者象牙の塔しょうもない、みたいな意見も出るかもしれないけれど、少なくとも法律学の領域で、市民感覚のようなもの議論全然反映されてない、ということはあり得ないと思う。もちろん、立法対応学会対応が遅い、ということはあるだろうけれど、市民感覚なんてどうでもいいか無視しよう、なんということはなくて、市民感覚がどのように醸成されてきて、今後どうなっていくかということも、議論されているのが普通だと思う。

こんなような感覚は、法律を専門にしてるからまれもので、他の分野を専門にする人は感じないのだろうか?

とにかく何でもいいから自信満々に意見を言うのが良いのだろうか?

anond:20180710154205

学者の多くがネトウヨ歴史改竄主義のことを指して歴史修正主義と言ってる現状で馬鹿みたいな指摘だ

anond:20180710064148

ほんとそれ。

こういう効果がある!というものまで言えればいいんだろう。

元増田はそこまで述べてないし、まあ、こんなレアケースに近いもの効果なんてそうそう出せないだろう。

けど、その効果数字社会科学系は鉛筆なめなめに近いところがあるし、

「この政策が実際に使われました!」とまで言えないと次の金が続かんってのもあるんだろう。

で、政策の力を使って現場無視してごり押しであれば実際に使われたケースになって、その学者様の成果となるんだろうね。

anond:20180710015614

ブサイク = 「モテ」の問題を、「美」の問題と捉えたのが問題だったかもしれん。

すまん、混乱をもたらした。

おそらくセックスの回数とか相手のいる性活動(=モテ)と肉体の特徴(身長・左右対称・黄金比・顔色 etc)の関係統計的分析することは可能だと思われる。

一方「美」となると学者対立してるから立場の違いはあれども結論は出ないっぽいな。

anond:20180710000223

原爆がそうだった

ノーベル賞クラス学者を大量動員して長期間拘束してしまたか

彼らの偉大な協力に報いるためには偉大な成果を見せるしかなかった

2018-07-09

倫理教育で人の内心が変えられると信じる人ってオウム

嘘をつく演技じゃん

倫理なんて根っこにあるのは宗教だろう

キリスト教イスラムを名乗れば聖書コーランを嫁だけど

日本だとどこかの官僚学者が考えたツギハギのきれいごと

まだ預言者のお言葉のほうが正々堂々としてきよきよしいと思う

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