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2021-05-02

コロナ対応改憲必要」57%、一理あるかもしれない

コロナ対応改憲必要」57% 共同通信世論調査

https://news.yahoo.co.jp/articles/7ec1d495b848a971128aff7c5fc0dedf1a2c92ee

共同通信社は30日、憲法記念日5月3日を前に憲法に関する郵送方式世論調査結果をまとめた。新型コロナウイルスなどの感染症や大規模災害対応するため、緊急事態条項を新設する憲法改正が「必要だ」とした人が57%、「必要ない」は42%だった。内閣権限強化や私権制限が想定される緊急事態条項新設を容認する声が反対意見を上回った。長引くコロナ禍が影響したとみられる。

ちょっと長めになってしまったので、はじめに要約すると、

改憲なくとも法を生かせば緊急時行政権限をフル活用できるはず、と思ってきたが、過去公害の教訓を思い起こしてみると立法行政不作為が目立つ。

憲法の制約で権限がないのではなく、あっても使わないのが問題だった。そこにメスを入れるには、行政立法指導する上位の規律必要で、「今まさに緊急時シフトチェンジしろ

行政立法に促す仕組みが必要なのでは。それはひょっとすると憲法役割なのかもしれない。

という趣旨


+++++++

改憲の是非でいえば、基本的スタンスはノーだ。

内閣権限強化」、これは橋本行革の結果、小泉政権内閣官房の強化の恩恵を受け、その後、安倍がめちゃくちゃにした経緯から

これ以上の内閣官房の強化などナンセンスだと思うし、

現行の制度運用できないのか?と言われれば、

公害立法歴史を振り返っても、現行の規制権限は決して弱くはない。立法余地もある。

実際60年代から70年代にかけて、深刻化した公害に山ほど立法を制定、70年はとりわけ公害国会などと呼ばれた時代もあった。

そうやって公害を克服しようとしてきた歴史の教訓をみても、現在感染症コントロール問題が、憲法改正でしか解決しえないとは思えない。

から問題はできることをしない、立法不作為行政権限の不行使のほうで、それを改憲論議にすり替えるのはおかしい、という意見も納得できる。

しかし。

それこそ公害の教訓を振り返れば、という話なのだが、

改憲世論が盛り上がるのは、だからこそ逆に、一理あるのかもしれない、とも思う。

もちろん、行政立法性善説に立てば。。という留保はつくが。

というのも、水俣病を例にとって、公害被害を振り返ってみると。

なぜ今日に至るまで長年、放置されてきたか。長年の放置もさることながら、振り返ると、初期の対応のまずさが際立つ。

チッソ工場への排水をやめさせる権限のある水質二法の適用

漁業法による禁止措置漁民への補償食品安全法による有機水銀汚染された可能性のある魚類販売禁止

すべて見送られた。つまりすでに対応可能な法的ツールがあったにも関わらず、被害が拡大した。

こうした行政権限の不行使が最終的に裁判で争われ、最終的に結審したのは2004年

国は高度経済成長をとめたくないがゆえに、規制権限行使しなかった、というのが結論

これは初期の対応が間違っていたことを指摘したものだ。

1970年代公害社会問題の深刻化を受けて山のように公害立法が制定されたが、それ以前の問題として

そもそも1950年代、すでにある水質二法等で権限行使できただろが、という。

法の不備ではなく、繰り返すが、すでにある法を使いこなせなかった行政責任が厳しく断罪されたわけだ。

ここから導き出される本当の教訓というのは、規制権限があったにもかかわらず

なぜ初期の対応がこれほどまでに、被害者をないがしろにしたものになったか、という問題

それは経済を優先した政治意思決定メカニズムだ。

そこには、何か異常な事態が発生したときに、立ち止まって物事を考え直す、

シフトチェンジの仕組みが欠落していたともいえるのではないか

かつて辺見庸は、地下鉄サリン事件の際に、丸ノ内線駅構内で、人々がバタバタと倒れているなか、

通勤している乗客枕木でもまたぐかのように出口へ向かった光景について

日常的なことを目の前にしても、脳が適切に処理できず、

惰性で日常論理で動こうとする「慣性イナーシャ)」が働いているといったが、

ここ一年を振り返ってみると、そういう政治的な意思決定がかなりよくみられた気がする。

この問題解決されない限り、改憲による緊急事態条項検討など、全く意味をなさない。

日本は、意思決定の仕方、会議の仕方を根本から見直したほうがいい。


いや、だけど一方で、

緊急事態条項のようなシフトチェンジトリガーがないからこそ、漫然と経済優先で動いてしまうのか?という疑問も頭をもたげる。

どっちなのだろう。

そんなことを思い出したのは、さっき、尾身会長インタビュー記事を目にしたからだ。

尾身茂氏が語った「マスクを外せる日」「3回目の緊急事態宣言なんて聞く気になれねぇ」への意見 | 文春オンライン

――東京都墨田区長野県松本医療圏など、基幹病院支援に回る地域病院医師連携が回っている地域の取り組みも報じられているが、厚労省は、こうした体制づくりのため各地の医師民間病院に強い指示が出せないものか。

尾身 医師病院に対して国が強い指導力を発揮する英国のような仕組みとは違い、日本厚労省というのは公立民間などさまざまなステークホルダー意向尊重する必要があって、上から目線はいわない。平時はそれも大切ですが、危機局面ではどうなのか。この機会に考えてみる必要はあります

――医療提供体制の拡充やワクチン接種準備で、国民が納得するだけの結果を示せないことに国民は苛立ちを感じている。強権的なイメージが強い菅義偉首相だが、結果を示せない理由は?

尾身 それは政治のことだから、私にはわかりません。ただ、総理大臣は、いろいろなことを今、四方のことを考えなければいけない立場にあるんでしょう。そう思います



平時から非常時へのシフトチェンジ

これが明確な意思決定メカニズムとして組み込まれていないことが、水俣病の初期対応問題もつながっているように思えた。

それを可能にするのは、規制権限の強化と行使、という既存立法行政機構のあり方の、もうひとつ上段の制度として構築する必要があるのかもしれないといえなくもない。

改憲への渇望というのは、案外、そういった視点で考えることも可能ではないかとふと思った。

しかし、憲法踏み込むのではなく、

危機対応専門の省庁を創設する、というのもひとつ方法。非常時のガバナンス体制を整備する。

米国FEMAアメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁)、CDCアメリカ疾病予防管理センター)のように。

現在のように、菅、西村田村河野小池、、、、、みたいに

船頭多くして船、山に登る、という問題への処方箋となろう。

そうすれば、現在河野太郎のような感染症素人新型コロナウイルスワクチン接種推進担当大臣として奮闘する、といった話もなくなるはず。

彼はおそらく、急に任命されて困っただろうが、実質やれることを模索した結果、

ロジ担当となり下がってしまっているように見受けられる。住民心配に答えるのは基礎自治体役割だ。

大臣仕事じゃない。本当の危機管理はそういうことではない。

危機管理のプラットフォームができれば、アメリカのファウチ博士のように、

集団免疫獲得に向けた仮説を立て、何%の接種があればOKで、ワクチン効果が切れる前の接種完了を逆算してスケジューリングする。

目的ロードマップ国民に示したうえで協力を仰ぐという、専門家による意思決定ベースとなったリーダーシップ重要だ。

今は「高齢者の接種」そればっか。もっと全体の話をすべき。

ガバナンスの基本は、法、規則基準科学的な予測を明示した意思決定を行うことだ。

これは世界銀行の借用だが、世銀では途上国行政改革支援の際に、ガバナンスを以下の4要素で因数分解して

能力評価している。

説明責任財政リソース)、予測可能性(法的枠組み)、透明性(情報公開)、参加(連携)の4つ。

テーマ出しした瞬間、近年の日本がどの分野でもガタガタになっていることがわかる。

いずれにしても、緊急時ガバナンスの訓練を積んでゆくことが大切で、こうした組織を立ち上げることには意義があるだろう。

現在菅政権は、こうしたガバナンスの観点から落第点であり、

首相が何を考えているかからず、結局、リーダーの一挙手一投足に注目が集まる意思決定となっている。

急に決心して、緊急事態宣言を発出したりやめたりする。このように国民から予測可能性を奪うやり方は国民から自由を奪うのも同然だ。


国民からすれば、知らず知らずに国のリーダーシップ注視せざるを得なくなり、いつの間にかリーダーシップ問題錯覚してしまうが

本当は危機管理はリーダーシップの欠如の問題ではなくて、ガバナンス問題だ。リーダーが誰であれ、ある程度、やるべきこと、基準が決まっていて

どのように対応するかが決まっていること、この予測可能性が確保されることが大切。

国民にとって予測可能でなければ、国民自身計画を立てられず、急に決断されても、ついていけいけない。

水木しげる漫画で、上官が急に玉砕を決心したので部下の大半が付いていけず、結果として敗残兵として生き残った兵士に、すでに全員立派に玉砕したことになっているのだ、として、ラバウル本部が改めて玉砕を命じる、という話がある。日本人のリーダーシップ象徴する話だと思う。)

しかし、一方、リーダーシップ問題は残る。

緊急時へのシフトというのは、なにかしらリーダーとして発動するトリガー必要なのではないか

憲法、というのも、民主的意思決定の根源として、

そこに非常時へのシフトチェンジ記載されることにも意義があるのかもしれない、という考えに傾いてゆく、そういう世論の動きもわかる。

もちろん、そんな非常時に平和ボケして判断の鈍いおっさん首相だったらなんの意味もなさないが、誰かがシフトチェンジを発動しなければならない、

それが立法危機管理のプラットフォームづくりだけでうまく機能しないのであれば、ある意味大統領的な権限を期待する傾向が出てくるのは自然なことのように思う。大統領権限というと、合衆国建国当時まで振り返ると、当時の議論のなかで、リーダー聡明さ(アリストクラシー)というのは、欠かせない条件だったように思う。

日本政治社会にそんなことを期待できるのか、と考え始めた瞬間、改憲には激しく首を横に振らざるを得ないのだが。

そんなことをインタビューの印象として持った。

2021-04-24

anond:20210424183022

うそう、70年代分岐点なんだよねえ。

ただ、それ以降は上手く行ったかって言えば、制度上は進んだかもしれないけれども、国民意識上では上っ面の話なんだよねえ。

なんせ、障害者権利条約批准にえらーく時間がかかったからねえ。中国2008年4月3日までに批准して、EU2010年12月23日組織として批准した人権条約なのに、日本2014年1月20日まで批准時間がかかったからねえ。それでも、国民問題視はされない。本質はなーんにも変わってないんだよねえ。

しかも、外圧障害当事者の抗議によってようやくもたらされた人権意識に対して、「日本って優しいしすぐれてるなあと思ったよ」なんて日本国民の手柄にしちゃう人も現れちゃうからねえ。そんな厚顔無恥な人どこにいるか知らないけれど?

あと、なんかウイグル民族への弾圧について鼻息荒くしてるけど、俺はただ「民族浄化侵略と同レベルジェノサイド行為日本障害者に対して行われていた」と言っているだけだけど? 別に目的が同じとは言ってないけど? なんで興奮してんの? つーか府中療育センター映像資料見た? 手塚治虫漫画で満足してないで、見てないなら見たほうがいいよ?

まあ、健常者と障害者を別民族だとすれば、侵略行為であると言っても過言ではないかもしれないけどねー?

知ってる? 旧優生保護法って1996年まで存続してたんだよ?

anond:20210424163717

手塚治虫マンガほとんど読んでるんだけど、

まさに初期と後期で人権に対する日本人感覚がそのまま表れていると思う。

初期はツンボとかカタワみたいな言葉も平気で使われていたし、

70年代後半くらいから徐々に読者から批判が増えていったと巻末でも書かれている。

名作ブラックジャックが人気絶頂で終了したのはそういう理由

ただし中国が数百万人のウイグル人チベット人モンゴル人を弾圧しているのは、

人権というより民族浄化侵略から過去日本とはまったく別の話だからな。

anond:20210423131944

割と正解に近い(絶対に正解ではないが)映画をあげると、オフロでGO!!!!! タイムマシンジェット式。

ていうか遺跡探索から急に世界崩壊を救うことになったりストーリーわからんし、その書き方だとむしろ映画より短編ドラマかにありそうに感じる。

こういうのは断片の情報を羅列するより、勘違いでもストーリーの形にして「流れ」で説明した方が答えをもらいやすいと思うよ。

俺は以前それで正解に辿り着いた。

あと、スターウォーズでようやく冒険活劇が復活したばかりの70年代ではなさそう。

遺跡探検とかオカルトとか、レイダース(81年)以降じゃないかなあ。

2021-04-16

日本CMってなんでいつもいつも

サイレンっぽいシンセブラスリードで)パーーープゥ パーーープゥ・・・・パピラッピラー・・・ ピーー!ってPHS京セラAU KDDI?)のCMで使われた曲を使ったり

Lenny KravitzとかBlack Sabbathみたいな感じの60年代70年代グラムロックメタルとかの低音のねちっこいギター音作りの)

デンデロデ~~ンデ デ~デー。

デンデロデ~~ンデ デ~デー。

ってリフを使うんだ?色々なCMで使われてるのを見るんだけど

才能無いのかそれともここぞって時のオハコなのか?

2021-04-14

政府成長戦略会議半導体が取り上げられたようだがダメダメな件

時々増田半導体ネタを投下している業界人増田です。最近ニュース半導体不足が話題になることが多く、先日も政府が先端半導体製造支援という話題が出ていたので、元ネタ資料を参照してみました。

https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/seicho/seichosenryakukaigi/dai9/siryou1.pdf

資料を見た感想一言で言うならば『これはひどい業界経験新人が初めて作りましたって資料だろうか?普通はこのクオリティの物を外には出せない。

問題箇所を指摘してみよう。まず1点目。用語誤用が多すぎる。『ミドルエンド』ってなんでしょう?ハイエンド、ローエンドっていう言葉は、エンドと付いていることからわかるように、上位側の製品、下位側の製品という意味を表している。真ん中のグレードを表したいなら『ミドルレンジ』です。

また、サイズ別の半導体製造能力っていう表現普通シリコンウェハの直径を意味している。つまり〇〇国は300mmウェハを用いた製造ラインが月産xx万枚、200mmウェハの製造ラインが月産xx万枚という具合だ。

製造の微細化技術で分けたいなら『プロセスノード別の製造能力』と記載するべきである

2点目が『ローエンド工場』(この言葉も変で、普通レガシィプロセスとか言ったりする)の設立年がおかしい点。老朽設備という事を強調したいのだろうが、ミスリーディングを誘っているように見える。各工場の主力製造ラインが構築されたのは私の過去記事でも書いたのだが、大半は2000年代だ。資料記載設立年は工場最初建屋を作った年で、資料記載の各プロセスノード製造ライン90年代2000年代に新しい建屋に作り直しており、実質的には別工場であり、70年代80年代設備をそのまま使っているわけではない。(そもそもシリコンウェハの口径が当時と今で変わっており、物理的に同じ装置が使えない)

3点目が元の資料で『サイズ別の製造能力の国際比較』と題した部分のプロセスノード区分おかしい点。28nm〜45nmを同じカテゴリにしてはいけないのだ。なぜなら必要になる要素技術が違うから

ロジックプロセス世代分けってそれぞれの世代に特徴的な要素技術がある。例えば45nm / 40nmの世代だと『ArF液浸露光装置』の導入とか。半導体の回路パターンは、露光装置と呼ばれる機械パターンを焼き付ける分けなんだけど、45nmの線幅を書くために193nmの波長のArF光源の光を水で屈折率上げる必要があったりする。同様に32nm / 28nmだとHKMGと呼ばれる金属ゲート酸化形成技術と、露光を2回してより微細なパターン形成するダブルパターニング技術の導入とか。

こういう要素技術の違いが何に影響するかというと、製造ラインを構築する費用ダイレクトに効いてくるのだ。1回露光でいいのか、2回露光が必要なのかというのは製造ライン構成する露光機の所要台数にそのまま影響するわけで。装置1台で50億くらいするので、ライン全体ヘの影響は数百億〜1000億のオーダーになる。なので、政府業界助成金を出そうかという話をする際にはしてはいけないミスなのだ

で、なんでこんな資料なっちゃったのかと成長戦略会議メンバーの『有識者』を見ると、半導体の知見がありそうな人が1人もいない状態

https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/seicho/pdf/konkyo.pdf

そんなわけで、今回の政府の発案はほぼ100%かけ声だけで終わると思るんじゃないだろうか?自分たちの作っている資料意味すら分かっていないと思われる。せめてEETimesとかの専門サイトで連載待ってるレベルの人が有識者メンバーに入ってアドバイザーになってたら少しは期待できるんだけどな。

過去

https://anond.hatelabo.jp/20210311005848

https://anond.hatelabo.jp/20201219004424

https://anond.hatelabo.jp/20200813115920

https://anond.hatelabo.jp/20200813164528

2021-04-12

働く女性・専業主婦・風俗嬢を広く救えるフェミに戻ろう

男女雇用機会均等法(1986)で「女性社会進出」というフェミニズムの具体的課題一定の達成を遂げた後、主流派フェミニズム売れっ子研究者達は社会における女性表象批評男性批判など、より抽象的な男女差別の話に目を向けるようになっていった。それはそれで大事なことだと思うけど、女性貧困というリアルテーマについては結果的に徐々に主流派フェミニズムから言及されなくなった。1990年代には『ふざけるな専業主婦』の石原里紗彼女フェミニストではない)が火を付けた「専業主婦論争」というのもあったけど、このとき専業主婦についてのフェミニズム側の評価ははっきりしないまま下火になってしまった。私見では、当時の主流派フェミニズムでは専業主婦というのは「間に合わなかった人」の扱いだったような気がする。女性みんなが(男性並みの待遇給与で)働く女性になれば、女性生活をめぐる諸課題は解消に向かうけど、いま専業主婦をやっている人達はそれは難しいかもしれませんね、でもシャドウワークにも価値があるんだからちゃん評価しましょうね、みたいな。認めてるけど結果的バカにしてる、みたいな。

女性貧困」というテーマについて地道に調査研究していた女性/男性研究者達はその後もずっといたけど(後述)、そういった人達上野千鶴子小倉千加子のようなスター研究者になることはなかった。当事者の声では、自分の知る範囲だと、専業主婦たちによるオルタナティブフェミニズムの読み解きをしていた「シャドウワーカー研究会」が、そうした主流派フェミニズムに対して同人誌模索舎とかで売ってた)で非常に辛辣な指摘をしてた。最近だと『ぼそぼそ声のフェミニズム栗田隆子もこの系譜に連なるものだと思う。

あと、もうひとつ女性貧困と密に関わるテーマとしてセックスワーカー問題があるけど、これも主流派フェミニズムでは微温的な取り扱いのままだった。SWASH要友紀子さん(『売る売らないはワタシが決める』)ほかワーカーの当事者運動が出てきて、ようやくフェミニズムの界隈でもそれなりの認知を得た形だけど、未だに主流派フェミニズムにとってさほど重視されているテーマとはいえない。特に地方女性支援センターみたいなとこに巣くってる公務員フェミニストは毛嫌いすることも多い。

いまは働く女性専業主婦セックスワーカー、みんなを支えるような「お金労働の話をするフェミニズム」が求められてるんじゃないか。これは新しいフェミニズムというより、伝統的なフェミニズムへの回帰だ。かつて山川菊栄というものすごい女性解放運動家がいた。明治まれで、山川均の妻で、戦後労働省の婦人少年局長をやった。母性保護論争で与謝野晶子平塚らいてうの論争に乱入して歯に衣着せぬ論理的批判で両方ともノックアウトし、ついでにモブ役だった伊藤野枝までボコボコにした驚異のつよつよフェミニストだ。後期江戸文化についても造詣が深く文化史家としても評価されているがそれはまた別の話。このひとはもともと社会主義者だから女性労働問題というのを生涯のテーマにしてきた。戦前家事育児社会化を主張し、60年代日本高齢化社会について警鐘を鳴らし、70年代北欧福祉政策を紹介した。未来学者としても卓越していたんじゃないかと思う。

その彼女名前を冠した山川菊栄賞という賞があった。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B7%9D%E8%8F%8A%E6%A0%84%E8%B3%9E 受賞者の研究テーマをみれば、決して社会的には目立たなくても、さまざまなかたちで「社会的に弱くある立場女性たち」に注目して課題を掬い上げる実直なフェミニズム女性学の伝統がみてとれる。声の大きいスター研究者にも山川菊栄精神に立ち戻って、具体的に実践的に女性生活を良くするような取り組みに力を貸してあげてほしい。

あと「弱者女性弱者男性のどっちがしんどい」みたいな議論は、ぶっちゃけ言えば低付加価値寄りの労働者階級が男女でいがみ合ってるだけで、どっちが勝っても勝った側がすごく得するような対立じゃないと思う。抜本的に良くするには、横(異性)から取るより、上(上の社会階級)から収奪されてるものを一緒に取り返したほうがいい。幸いこれからしばらくは働き手は不足し続ける。労働運動の軸では弱者女性弱者男性は協力できる部分もある。ミソジニー持ちのクソ男やそれを再生産する社会構造のことは批判しつつ、それでも「もらってない人間」同士で連帯していったほうがいいんじゃないかと思う。

anond:20210412131854

2021-03-31

anond:20210331160808

記録では武士階級の乱戦になるとやっぱり日本刀は出て来るから、近接戦闘では普通に使われていたよ。

日本刀は役に立たないから論は70年代には流行ったけど今じゃもうただの逆張り与太話でしかいかあんまり外では使わんようにな。

2021-03-27

anond:20210327224334

70年代にも英会話ブームが起きてて、産学界から否定されてた。

今回も否定されるだろうけどしばらくかかるだろうな。

2021-03-18

雑誌映画秘宝』の記憶(13)

前々回の投稿(11)で言及した『映画秘宝』内部で起きていた「業務の『私物化』」について、引き続き今回も述べようと思います

ムック形式が好評だったこともあり、90年代の終わりに雑誌化・大型化を見事に果たした『映画秘宝』は、傍目には順風満帆に見えました。しかし、初期の同誌を読んでいた方々ならばご存知のとおり、若者購読者を想定した誌面作りとはお世辞にも言えませんでした。初期の『映画秘宝』がそのターゲットにしていた購読者とは「子供時代70年代映画館テレビで観た映画についての記憶を、編集者ライター陣と共有する大人」だった訳ですが、当時そんな条件を満たしていた人たちは、私も含めて既に「立派なオジサン・オバサン、若しくはその仲間入りも間近な人たち」でした。そのままで購読者高齢化によって、ジリ貧に追い込まれるであろうことは明らかでした。

したがって、雑誌映画秘宝』が将来的にもビジネス継続して生き延びるためには、長期的な戦略として「より広範で多様な読者層を開拓すること。それも、特に若者層』と『女性層』を購読者として積極的に取り込むこと」を選択するべきでした。しかし、こんな事を今さら書いても、後の祭りです。

承知のとおり、それとは正反対戦略を『映画秘宝』は選択しました。いや、何らかの戦略選択したと言うよりも、むしろ「長期的な戦略など、当時の『映画秘宝編集者ライター陣は露ほども真剣に考えてはいなかった」と言う方が正確かもしれません。

覚えている方もいるかもしれませんが、高橋ヨシキが『映画秘宝』の表紙デザインとして、邦画から引用した「裸の女性が荒縄で緊縛されて馬に跨がる残酷エロ画像」をコラージュして仕上げたことがありました。この表紙について、町山智浩は「この表紙じゃあ女性が手に取り辛い(=買い辛い)」とボヤいていました(※注)。雑誌の「顔」である表紙がこんな状態だったぐらいですから高橋ヨシキの頭に「女性購読者を獲得すること」など微塵も無かったことは明らかです。

既に述べたとおり『映画秘宝』は「女子供から映画を取り戻せ!」をスローガンにしていた訳ですから、むしろいか女性が手に取り辛い(=買い辛い)デザインにするか」について考えた上で、高橋ヨシキ意図的かつ積極的に「女性が嫌がりそうなデザイン」に仕上げたのだと考えるのが妥当です。きっと、このような表紙を作っていた時の高橋ヨシキは「オレたち男だけの輪を乱すような奴(=女性)は、お呼びでないから帰った!帰った!」「この表紙デザインを見たら、きっと町山さんも喜ぶだろうなあ!」と云う気持ちを込めていたことでしょう。(※注:ところで、町山智浩も本気でボヤいていたのではないのだろうと私は思いますが、そう思う理由については別のところで述べます。)

近年は真魚八重子などの女性執筆者が『映画秘宝』に登場する機会が増えてはいましたが、それで町山智浩高橋ヨシキの芸風が改まったようにはとても見えず、むしろ却って「これでもオーケーなんだ!こんな芸風でも女は許容してくれるんだ!」と彼らの勘違い助長したと云う可能性すら有ると私には思えます。仮にそうだったとしたら、真魚八重子の頑張りが報われていなかったことになって、非常に気の毒な話ですが。

また、これも既に過去投稿でも述べたことですが、比較的早い段階から映画秘宝』は、ごく少数の寄稿者(例:山本弘)を除けば「アニメファン蔑視・敵視・嘲笑する」と云う態度を明確に打ち出していました。この「アニメ叩き」の姿勢は同誌において長く一貫していたと言ってもよく、恫喝DM事件が発覚する直前にも「『鬼滅の刃』は絶対に観ない!」と、訊かれもしないのに自分たちの方からアピールに励んでいました。

もちろん、思想信条自由に照らして考えれば、編集者ライター個々人が「何か」を嫌うこと自体は許されるべきです。だから対象が「萌えアニメファン」だろうと「女性」だろうと何であろうと、高橋ヨシキらが個人的に何かを嫌うことは自由範疇あると言えるでしょう。極端な話、内心だけに留めて現実世界で実行に移しさえしないのであれば、性的マイノリティ/人種民族etc.に対するネガティブ気持ちを持っていても許されるでしょう。

しかし、その上で問いますが、当時の編集者ライター陣がわざわざ誌面を使ってまで「女嫌い」や「萌えアニメ嫌い」を盛んにアピールしたり、ゲイを繰り返し「ホモ」呼ばわりして嘲笑し続けて、雑誌映画秘宝』を売ると云うビジネス全体にとって、何か良い成果を招いたでしょうか?結果的には、女性萌えアニメファン性的マイノリティはもちろんのこと、それらに該当しない人たちにすらも「何だか映画秘宝』は排他的雰囲気があって嫌だなあ。近づくのは止めておこうか」と思われ、遠ざけられただけに終わったように私には見えます

そうして「未来購読者」に成っていたかもしれない人たちも見す見す逃してしまって、長期的に見れば大きな損をしたのではないですか?もしも、編集者ライター陣の個人的な好みに拘ったことによって、ビジネス未来が失われたのだとしたならば、それについての責任を彼らはどう取るつもりなのでしょうか?

当時の『映画秘宝』の萌えアニメ叩きムーブに関しては、こんな出来事もありました。ある時、俳優加藤雅也に対するインタビューを行った際、わざわざ「最近若い奴らは、萌えアニメなんかにウツツを抜かしているんですよ!」と御注進に及んだのです。もちろん、そのインタビュー記事の中では、それに対する加藤雅也の「『萌え』ねえ…」というリアクション言葉を「例の見慣れた太いゴシック文字」で強調することも忘れませんでした。つまり当時の『映画秘宝』は「あの加藤雅也サンも、萌えアニメなんか好きな奴のことは見下して馬鹿にしているんだゾ!読者の皆も後に続け!」と、虎の威を借る狐のスタイル萌えアニメファン嘲笑することに勤しんでいたのでした。それにしても、何の脈絡も無く突然「萌えアニメが云々」とか言い出したので、インタビューを受けていた加藤雅也も反応に困ったのではないでしょうか。加藤雅也についての面白い/興味深い話を読みたい読者の立場からすれば「何でインタビュアーがいきなり『オレは萌えアニメが嫌いだ!』と自己主張を始めるんだよ。お前は主役じゃねえだろ。お前の自己満足にスペースを割くぐらいなら、もっと加藤雅也言葉を載せろよ」と云う感想を抱くしかありませんでした。きっと、このインタビュアー脳裏には、読者の存在及び読者のニーズなどは思い浮かびもしなかったことでしょう。

上で述べたような行動に熱中していた『映画秘宝編集者ライターたちは、ただ単純に「『自分たち欲求』が充たされて気持ちが良かった」のだろうと思います。もちろん自分欲求を充たしたいと思うことは人間として当然ですし、仕事を通じて欲求を充たすことが出来れば、こんなに幸せなこともないでしょう。しかし、それをするならば良識と限度が必要不可欠です。わざわざ無駄に敵を増やし、未来購読者を失ってまで「自分たち欲求を充たすこと」を優先したことは、仕事(ビジネス)として必要なこと、正しいことですか?

ひょっとしたら「眼の前の『利益』を捨ててまで『信念』(=嫌いな奴らを大っぴらに嘲笑すること)を貫くことが出来るから、オレたち(=『映画秘宝』)はスゴいんだ!」と、『映画秘宝切り株派は自分達に酔っていたのかも知れません。しかし、それは別にスゴいことではありません。

洋泉社としては、雑誌映画秘宝』の刊行を「遊び」や「無償ボランティア」として、ではなく「まっとうなビジネス業務」として行っていた訳です。それには先ず雑誌が売れること、それも短期的にだけではなく長期的に売れることが先決であり、その為には更に、購読者を増やすことが何よりも重要でした。したがって、これらの重要事項こそが『映画秘宝製作チームに対して洋泉社が何よりも先に求めたことだったはずです。「何よりも先に」です。

それなのに、購読者を増やさず、と言うよりも増やす為の努力を端から放棄して、逆に無駄に敵を増やすことにだけはキッチリ勤しんでいた訳ですから洋泉社にとって『映画秘宝』の編集者ライター陣は、さぞかし頭痛の種というか獅子身中の虫というか、実に困った存在だったと推察されます

こういった「まっとうなビジネスであれば求められて当然の事柄」には応えようとせず、何よりも先ず「自分たち欲求を充たすこと」を優先して仕事に臨む、これこそが私の言う「業務の『私物化』」なのです。

この文章を読んでいる方は、試しに想像してみて下さい。もしも貴方が何処かの会社などに勤務していて、社員一丸で協力して赤字解消や顧客開拓などに努めねばならない時に、赤字を垂れ流したり顧客どころか敵を増やす行動にばかり勤しむ同僚が社内にいたとしたら、しかも、それに勤しむ理由が「自分気持ちいから」とか「これをやると○○センパイが喜ぶから」とかだったら「テメエの『趣味』の為に業務を『私物化』するんじゃねえよ!」と言いたくはなりませんか?単に「職業人」としてだけではなく「社会人」としても失格でしょう。

このように『映画秘宝』の行動は、とても「長期的な利益を考えている」とは思えないようなものばかりでした。岩田和明による恫喝DM事件を見れば分かりますが、ごく最近の『映画秘宝』内部でも「長期的な利益を考えず、自分気持ち良くなることを優先する」と云う風潮が継続していたことは明らかです。更に、岩田和明が退職するからと云う理由だけで、のんさんの連載を打ち切って雑誌の「売り」を無くすように仕向けたことも、これまた雑誌全体のことを考えない「自己中心的な行動」でしょう。

仕事に関して「長期的な利益」について考えると云うことは「自分よりも若い世代に残す未来」について考えること、つまり責任感の伴う態度」です。これに対して「業務の『私物化』」とは、仕事に臨むに当たって「今」の「自分」のことしか考えないこと、つまり無責任な態度」です。

映画秘宝』は、彼らが「精神年齢の幼稚な奴ら」と見なして嘲笑していたアニメオタクや「馬鹿宣伝に騙されて底抜け大作を観に行く奴ら」と侮蔑していた女性と、彼ら自身とを勝手に比べて「自分たち(=『映画秘宝』の編集者ライター)はアイツらと違って『大人の男』なんだ!」と周りに向けて盛んにアピールし続けてきました。しかし、果たして彼ら自身は本当に「大人」と呼ばれるに値する人間だったでしょうか?

雑誌未来」よりも「自分たち欲求」を優先し続けてきたことを、中心メンバーによる「業務の『私物化』」と呼ばずして何と呼べば良いのでしょうか?「身体大人頭脳はコドモの幼稚な遊び」でしょうか?

高橋ヨシキら「切り株派」が居なくなった2号目にあたる『映画秘宝』に、アニメ作品の特集記事掲載されることが予告されました。この「居なくなった途端に」と言っても良い動きを見るに、おそらく「切り株派」が彼らの一存で他の派閥編集者ライターに対して「『映画秘宝』でアニメ作品を扱うなよ!」と有形無形の圧力を掛けていたことは、想像に難くありません。そのような圧力存在したとしたら、一部の人間の一存で企業努力可能性を封じられていたことになるのですから、これもまた「業務の『私物化』」です。

「今」の「自分(たち)」のことしか考えない「無責任な体質」なのだから、年下の女性に対して恫喝DM攻撃を行ったり、自分たちよりも年下のフリー女性編集者に対してパワハラを行ったりするのも、何ら不思議ではありません。告発を受けるまで、何一つ疑問に思わなかったのは「本当」でしょう。何しろ彼らの頭に有るのは「自分(たち)のこと」だけなのですから

奈良さんがパワハラ告発した後に柳下毅一郎が出した、あの謝罪文としての体を成していない文を読んだ時も「ヨシキくんが報われて欲しい」とか、被害者を置き去りにしたことを書いていて「本当にどこまでも『自分(たち)のこと』だけに終始するんだな」と私は思いました。東大を出たぐらいだから間違いなく柳下毅一郎は頭が良いはずなのに、被害者を含めた「他者存在」に対して満足に想像力を働かせることも出来ず、謝罪文一つまともに書けないとは流石に想像できませんでした。子供か。

映画秘宝』の中心メンバーとも呼んでもいい人間たちが「業務の『私物化』」をし続けても恥じなかったのは、彼らの根底に有る「ボンクラと云う『甘え』」の精神だと私は思います

しかし、長くなったので、一先ず今回はここまでにします。

2021-03-14

anond:20210314103054

70年代公団住宅が、みんな法定耐用年数を過ぎ始めて、建て替えの時期に来てる。

2021-03-07

anond:20210306111306

私町山氏の熱心なファンなので結構著作も追ってますが、町山氏の得意の60-70年代映画の本でもやべえな・・・と思われる描写結構沢山あります

映画見方がわかる本の戦場にかける橋のところとか。

たぶん日本兵にこき使われたとかの描写海外ソースではないんじゃないかなあ。

FBBの映画欠席裁判は与太話としてはまあおもしろいのだけど、それにしてもアカンだろ的なところも一杯あります

マイケル・ジャクソン関係含めて同性愛嫌悪なのはかなり多いですね。

MJのちんこしろくろまだら!とか書いてあるんですけど、いまだとたぶん爆発炎上ですよね。

2021-02-24

こういう構造ミニショッピングセンター

こういうのたまに今でも見るんだけど、何年代流行ったやつとか詳しいひといる?

たぶん70年代だと想像してるんだけど詳しい人おしえてくれ

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/7e/Shin-Tokorozawa_Parco%2BLet%27s_080505.jpg

http://honobonobtown.blog.fc2.com/blog-entry-663.html?sp

2021-02-23

anond:20210223121047

http://www.garbagenews.net/archives/2014387.html

男性は40%弱程度だけど女性は13%くらいしかいから合わせると25%くらいしかないぞ。男女差別が激しい時代

あと70年代後半より90年くらいの方が下がってるんだな、バブル崩壊のせい?

2021-02-20

anond:20210220173854

どうしてそうなるのかというと、1990年代70年代まれ大学受験をやりだす。

そのため、高校によって特殊伝統ができていたのが、受験勉強漂白されてしまった。

私の母校も相当漂白されたみたいだった。

その過度期に書かれたのがあの漫画である

違和感を感じるのは当たり前である。すべての県が同じ知能指数というわけではないので。

2021-02-19

anond:20210219083323

めっちゃ納得した。

・隔絶された小世界

自分に反対する者がいない

って環境だと、やばい人間になるということか。

なんか70年代にそんな社会実験あったな。

2021-02-15

つーか70年代以前の過激派はどこに行ったんですかね

2021-02-14

都市の衰退の特徴メモ

価値創造の土台としての都市

都市の過密化は、日本を売る、生産力に背景があったとすると

グローバル化した社会において、それは、いつの間にか意味を失って空洞化した。

都市という箱があるのに、価値を生み出せないジレンマバブル崩壊後に経験し、その後やがて

箱がなくても価値を生み出せることに気が付かないまま、箱のある日常価値を生むと信じる時代がつづいた。

箱のなかにいることで感染が広がるコロナになって、狭苦しい箱のなかで3密回避を強いられ、ようやく都市という過密な箱の価値見直し始めた。

満員電車に乗って、都心高層ビルに通う価値がわからなくなってきた。

おそらく古今東西都市というのは、本来、そういう閉塞的なものではなくて

外に開かれ、多様な価値交錯する場所だっただろう。路地裏があり、道を外れれば新たな発見があった。

しかし、日本都市にはそういう機能は失われていて、

たか中学校教室空間のような状態になっている。

巨大だけども、同じ箱のなかで似たような人が似たようなことを考えている。

どこにいっても似たようなものを売っていて、郊外イオンがある景色が同じだ。

どんな価値創造するか

何を売るか。その命題もまたモノからサービスへとテーマが移っていった時代に、あいまいになり

明確にとらえることを怠ってきた。ブランドとして売るべき価値をしっかりとらえるようになってきたのは

ここ10年の話。しかし、それでも「日本すげー」的なナルシシズムへの囚われから脱却できないどころか、ますますまり込んでいる傾向がある。

価値創造動機

かつての日本プロダクトアウトの発想でモノを売れた。市場価値グローバルスタンダードは自社が確立し、人々を自社製品をとりこにさせる意気込みがあった。

70年代後半ウォークマン世界を席巻したソニー典型だ。

このマインドが亡霊のように世代成功体験として引き継がれ、さまよい続けた結果、マーケットイン(あるいはゼロベースから

スタートする設計思想がはぐくまれない世代が全世代蔓延した。

明治期には世界とりわけ西洋文明に対する学びの動機付けは強烈なものであったが、それによる成功体験財産となるにつれ

徐々に失われ、渋沢栄一時代の渇望はもはや存在しない。世界で何が起ころうと関心がない。先進国コロナワクチン占有され、途上国必要インフラリソースもなくあえいでいるというのに、オリンピック開催にまい進しようとしている姿は森元というより、日本社会自体老害化を象徴している。

かりにもSDGsオリンピックを謳うのであれば、途上国へせめて超低温冷蔵庫無償プレゼントくらいしてアピールしてやるべきだが、外務省国際協力実態としては

インフラ輸出などさまざまな分野においてここにきて、世界各地で中国オセロの白黒をひっくり返されているのが実情だ。

端的にいって、日本国際協力ニーズのつかみ方が根本的に間違っている。日本式ありき、であり、自分が思い描いた「日本すげー」「日本式」が売れることがとにかくプライド

それがいかにも押しつけがましい。しかもそんな態度が煙たいのに本人気が付かない鈍感さがセットで。

それは無自覚プロダクトアウトであり、状況の変化に鈍感でニーズを何も学ばない老害だ。

都市というのは、そういう老害ウイルスにあふれていて、都市にいればいるほど、人間ダメになる気がするほどだ。

コロナ危機が立ち止まらせたもの

コロナ危機というのは、幸いなことに、過密への忌避都市への忌避を通じて、都市がこれまで生んできた価値への反省を呼び起こす、とてもいい機会になった。

郊外地方、あるいは場所を選ばないグローバル社会バックグラウンドとしての価値、ということだけではなくて、

何を価値創造するか、売るか、ということにも立ち止まって考える機会を与えたと思う。

また、東京という超過密な箱のなかで行われるオリンピックというイベントをめぐって、さまざまな欺瞞矛盾が浮き彫りになった。

なにより浮き彫りになったのは、都市の箱の価値無自覚に信じつづける自分たち自身日本社会全体の老害化だったと個人的には思う。

森元っていうのは、その意味で、象徴しかなくて。

メモなので。適当におわります

anond:20210206005854

横だけど俺もこれ全くなに書いているのか分からない

からなさすぎてちょっとクワクしてるもっと解説してほしい

現在70年代まれ90年代高校大学理系女性

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