はてなキーワード: 口論とは
とある歴史書があって、友人はその本の大ファンで、学生時代からの愛読書であるといつも豪語していた。
そこで俺が「じゃあその本はもうフィクションだし、小説みたいなもんだな」と言ったら友人が激怒した。
友人曰く「確かにこの本の内容は間違っているかもしれない。それでもこの本は歴史書であり、あくまで正しくない歴史書であって、小説のようなフィクションではない」とこう言い張るんだよ。
いやそれってつまりフィクションってことじゃん。小説と何が違うんだよ?
そう反論したものの友人は納得せず、これはフィクションではなくノンフィクションだから全然違うと主張してきて俺の意見を聞き入れようとはしなかった。
そこから軽い口論のようなものになってしまい、結局最後までお互いが折れることはなかった。
でもさ、俺の主張は間違ってないよな?
聞いてください。
夫からのモラハラが限界に達し、生後半年の子供を連れて実家に戻り、現在は別居し婚姻費用の調停中です。そんな中、突然「俺の子供じゃない」と言われ、実家にDNA鑑定キットが届きました。別居はじめて1年ほど経ちます。
私はモラハラの録音やLINEのスクショをすべて記録しており、裁判に勝てるといわれています。しかし、夫は「私が精神障害者だから話し合いができない」と主張し続けてきました。産後1ヶ月で「お前のせいで子供が可哀想」「子供が不幸になる」と言われ、生まれたばかりの赤ちゃんの前で何度も泣かされました。
「なぜ私と結婚して子供を作ったのか?」と聞いても、「お前が精神障害者であることを隠されて騙された」と言われました。妊娠中のホルモンバランスが原因かなと思い、精神障害だと言われても仕方ないかと思ったこともありましたが、夫はほとんど家におらず、妊娠中も臨月までフルタイムで働いていたので、顔を合わせる時間も少なく、口論になったこともありません。
限界を感じて別居しましたが、夫は婚姻費用を払いたくないようで、「お前のせいで鬱病になった」と言ってきました。こちらが鬱病になりそうな状況で育児を一人でしてきたのに、その言葉には驚きましたが、もし鬱病にしてしまったのなら申し訳ないと思い謝りました。しかし、何が原因で鬱病になったのか尋ねると、「育児を手伝ってほしいと頼んで、それを断ったら不満そうな態度を取るから鬱病になった」と言われ、さすがに怒りました。
夜間授乳も沐浴もすべて一人でやり、土日くらいは手伝ってほしいと言ったことはありますが、断られたので諦めて頑張りました。家賃や生活費ももらえず、お金の支援を頼んでも「お前はゴミ」「頭がおかしい」と言われ、育休手当が入るまでは貯金を切り崩して生活していました。妊娠中や出産費用も私が払いましたが、夫は「夫婦共有財産だから」と言って私の貯金を使うように言うので、その通りにしました。
結局、お金も協力してくれず、顔を合わせれば人格から育児まで否定される夫に赤ちゃんを預けることもできず、限界でした。今日、DNA鑑定キットが届き、改めて「こんな人の子供を産んだのか」と思いました。子供は100%夫の子ですし、浮気もしたことありません。子供が不幸になると言われましたが、不幸にするのは夫だと思います。
きっと「こんな夫と結婚して子供を作った自業自得」と言われるでしょうが、妊娠前は仲が良く、お金で揉めたこともありませんでした。もしこの話が広まったら消します。
そのような認識はないですね。あと別の偉大な人のご様子をご覧ください
5:13pm: 俺は今夜自殺する…話すことがたくさんあるんだ、介入はしないでくれ、彼らに一緒に死んで欲しいとは思わないでくれ
5:14pm: 後でブログを見て欲しい http://ianmurdock.com
5:17pm: https://t.co/I1CSCJErWf
5:20pm: 後でブログにもっと書く予定だ。でも隣の家をノックしただけで警察に殴られたんだ…彼らは俺を病院送りにした
5:20pm: その後も何回も殴られた
5:21pm: 「警察に暴力をふるった」事への保釈金は$25,000だった
5:22pm: 後でもっと詳しく書く。警察にはいまだにカメラが無かった。これを止めるために私はちょっとだけ地位を利用するつもりだ。
(※警察が好き勝手に殴るためにカメラを置かないのはよくあるらしい)
5:23pm: 「俺たちは警察だ。俺たちはいつでも勝つんだよ」
5:25pm: 私のキャリアは終わってしまった。もうすぐ逝こうと思う。
5:27pm: 私はある程度成功したビジネスマンでニガーではない、自殺は注目されるかもしれない
5:30pm: 今日はまだ自殺しない。まずはこれをすべて書き上げ、警察の蛮行を自由の国に知らしめる
5:34pm: 誰かが私のところへ警察に何をされたのか聞きに来てくれたらとても嬉しい
5:35pm: 彼らは私を二回殴ってバッテリー代として$25000を課した
5:36pm: 病院に行かなければいけない
5:36pm: 彼らは家までついてきた
5:36pm: そして彼らは私を家の外に引きずり出して更に殴った
5:37pm: 私は意見を変えなければならなかった
5:37pm: 彼らはそこから家まで追ってきたんだ
5:38pm: 私はカメラは無いのかと訪ねた
5:38pm: 答えはnoだった
5:45pm: 警察に抵抗して出来たアザの写真を上げようか?
5:45pm: 小便で床に文字を書く事以外何も教えずに独房に押し込めるのはどこだ?
5:48pm: 私の経験を書き上げることで警察の虐待を防ぐことになり再び同じことを聞かなくなるといいのだが
6:00pm: @jacksormwriterは私に死んで欲しがっている
6:06pm: ブログに私のケースを書こう…誰かがhacker newsとかに投稿してくれたら感謝する
6:31pm: (1/2) 私の残りの人生は警察の職権乱用と戦うことに費やす…俺は白人で去年は一億四千万稼いだんだ
6:33pm: (2/2) 彼らは無教養で、自分のための力にしか興味が無い。助けになってくれる人は連絡をくれ imurdock@imurdock.com -ian
6:41pm: 警察は無教養で邪悪でサディスティックだ。奴らを信じるな。
6:42pm: 残りの人生は警察と闘う…奴らは友達ではない、決して信じるな。
6:49pm: 友に聞いている、なんだって賢い教育を受けた奴が警察になんかなるんだ
7:03pm: 「俺たちは警察だ, 俺達がやりたいことはなんでも出来る」
7:08pm: これは女性警察官が私のパンツを下ろした後の事だった…もしあなたがレイプされた女性でなければこれはレイプとは思われないかもしれないが。
7:12pm: 俺は白人だ。たくさん稼いでたくさん税金を払った。でも彼らの虐待は同じくやってくる。一線を超えるな!!
警察とトラブルになった理由:隣の家にレイプ目的で侵入と通報された模様
ちなみに騒ぎを起こしたのは三度目で
二度目(2015年8月頃)も同じく酔って、その時は別の家の庭に半裸で侵入し、
三度目で、しかも裁判所命令に従ってもいないようだったので、警察も マークしていたらしい
またそのフォロワーが12月始めに自宅に行った際、弁護士とも口論していた、と
10年以上冷戦状態だった父親と喧嘩した。ら、タイトル通りのことを知ることになった。今後振り返ったときに実際に起こったことだけを認識できるよう残しとく。ただの喧嘩の記録。
当然だけど、精神疾患に対する批判や偏見の話ではないことだけは記しておく。不快になる方がいたら本当にごめんなさい。
喧嘩のきっかけは、30年近く続く父方の祖母の被害妄想と暴言が、ここ数年痴呆が進んだことでさらにひどくなり、毎日のように「10年間の生活費の1000万と盗んだ着物を返せ」と母に言うようになったこと。また、ここ1週間は、「〇〇(私)がメル◯リで私の着物を売ったからないんだ」と独り言を言うようになっていた。
同居して30年近く経つのになぜか期間はいつも10年間で、金額が日によって300万になったり700万になったり、そもそも生活費を出していたのは父なのになぜ母に言うのか、着物に至っては祖母が着ているのを誰も見たことがないし、というか祖母の着物自体、家で見たことがないので本当に存在するのか?という感じ。完全なる被害妄想。
数年間取り合わないようにしていた母の堪忍袋の緒が先月から切れ始め、母も言い返すようになり、朝晩問わず大声で言い争うようになっていた。ここまでヒートアップする前に父が祖母に訳のわからんことを言うのはやめろと話したことも一度あったが、結局次の日には祖母は何の変化もなく母に暴言を吐き、父も何の変化もなく部屋に閉じ籠った。
どんなに2人が言い争っても部屋に閉じこもって我関せずの父が私は理解できず、病院に連れていってほしいと話したこともあるが鼻で笑われて終わった。
それでもこの連日のヒートアップする論争を私が聞くだけ、止めるだけでは何の意味もないし、この現状を知っていても我関せずの父への苛立ちが爆発し、父の部屋に突撃した。
「なぜこの状況をスルーできるの?この声が聞こえてない訳ないよね?なぜ祖母を病院に連れて行かないの?」と聞いた。
父は「声なんて聞こえてない。そもそもお前の偉そうな言い方はなんなんや」と怒鳴り返してきた。確かに今思えばちゃんと段階を踏んで辛抱強く話せばよかった。このときは私自身苛立ちが収まらず、「じゃあ扉開けたから聞こえるよね。今私が話したいのは私の話し方ではなくて、なぜこの状況を我関せずでいられるかなんだけど」と返した。
私に文句を言いながら父は論争中の母と祖母がいるリビングに向かい、祖母に対し「頭のおかしいことを言うのはもうやめろ」と言った。祖母が聞き入れるわけもなく、「この人が金を盗んだのになんでそんなことを言うんや」みたいなことを返したと思う(ここはちょっと覚えてない)。
そしてすぐ部屋に戻ろうとする父に更に苛立ち、「なぜ病院に連れて行かないの?それが理解できない」と聞いた。「なんでお前はそんな偉そうな口聞くねん」と父が論点をずらそうとしてきたので、「いや、私は病院に連れて行かない特別な理由があるのか知りたいの」と聞いた。父は明らかにその話をしたがらず、はぐらかそうとしていた。でもこんな状況になってるのに引いてたまるかと、何度もやりとりを繰り返して、何度も聞いた。
「前、祖母に向かって気◯いだと言ってたのも聞いた。自分の母親が普通の状態じゃないとわかってるのになぜ何年もスルーするの?」と聞くと、「そうや、このひとはもう気◯いや。気◯いの言うことなんかスルーしろ」と祖母を指差しながら返してきた。
自分の母親を堂々と差別用語で指す父親に引きながらも、「なぜ頑なに病院に連れて行かないのか、それを知りたいだけや」と再度言うと、糸が切れたように、「そうやずっと病気やこのひとは。30年以上前に精神科に3回入院してるからな」と言った。30年以上前、となると祖母の同居前どころか父母の結婚前になる。
初めて聞く話にびっくりして、「そんな話全く聞いたことなかった。なんで今まで話さなかった?」と聞くと、「みんな知ってることや。知らんのはお前だけ」と。
「みんなって誰?母も知ってるの?」と聞くと、そばで話を聞いていた母が「待って、そんな話は聞いたことない」と呆然としてた。父は「俺と妹(私の叔母)は知ってる」と言い、「それのどこが"みんな知ってる"なの?」と私は呆れ返った。
「なんで今まで話さなかった?というかそもそも結婚前とか同居前に母に話さなかったの?」と父に聞くと、「何も聞かれなかったから。今までお前にも母にも聞かれてもないから、話さなかっただけ」と平然と言った。そんな言い分が通ると父が思ってることにもびっくりして、しばらく何も言えなかった。その間も祖母はずっと母に対し妄言を言い続け、母の腕を叩くこともあり、母が痛がっていて、見てるのが辛かった。
父に「なんの病気なの?もしかして〇〇?」と聞くと「そう。だから頭おかしいねんこの人は。そもそも病気やって普通わかるやろ。なんで自分たち2人は聞き流せないわけ?」とのこと。なるほど、父の頭の中では私と母が悪いんだなと妙に冷静になったことを覚えてる。父は終始、私と母がなぜ祖母の妄言に苦しんでるのか理解できない(したくない?)様子だった。
私が、「いや、子どもの時からずっとこうだったから、学生のときまで元からこう言う人なんだと思ってた。でも、ここ数年はあまりにも様子がおかしい。病気だろうというのは予測はしてた。だからなぜ病院に連れて行かないのか理解できなかった」と話すと、「病院に連れて行っても意味ない。入院したら落ち着くけど出てきたらまた元通りなだけ」と。
「だからといって症状があることを知った上で30年以上放置するのは理解できない。痴呆も明らかに進んでるし病院には行って欲しい。あなたが連れて行く気がなさそうだから私が近々連れて行こうと思ってた。地域の相談センターにも電話して相談もしてた」と父に言った。実際、この喧嘩の数週間前にセンターの人が家を訪問し、祖母の状態を確認しにきてくれていた。部屋に引き篭っている父は知らなかったけど。
すると父は、「なんでそんな余計なことするわけ?受け流したらいいだけ。なぜそれができない?」と言うので、私と母で「もう何年も我慢してる。これからもこの人は病気なんだから我慢しろってこと?」と言う。「我慢じゃなくて受け流せって言ってる」と父は当たり前のように言うので、「その場を離れてもついてきてまで言われることもあるのに?こんな状況はもう限界」と返した。
「じゃあ病院に連れて行ったらいいな。それで文句ないな」とうんざりした様子だったので、「できるだけ早く連れて行って、その検査結果も必ず伝えて欲しいし、そもそももっと早く病気のことを伝えてくれてたらこんなことにはならなかった」と言うと、「何十年も問題なかったやろ。こんなふうになったのはここ数年の話やろ」と言うので、それにもびっくりした。祖母の妄言で母や親戚とトラブルになるのは私が子どもの頃から度々あったから。部屋に監視カメラがついていると言ったり、テレビから電磁波が出てると大騒ぎしたり、好きな野球選手と結婚することになったから出て行くと言い出したり。皇室に手作りの人形を送りつけ、返送されることもあった。
私は子どもの頃に「お父さんとお母さんが離婚したらどっちについていきたい?」と祖母に笑いながら聞かれたりしたこともあった。「あんなお母さんいややなあ。かわいそうやなあ」と言われることもあった。小学生だった私は「なんで私にそんなことを言うんだろう」と思っていたが、その真意に気づいたときには父に頼ろう、相談しようと思う気持ちがなくなってた。だから母だけに話していた。
が、この際言ってしまおうとそのことを父に言うと、「そんなこと言われるのはお前個人に対してなにか野次ってやりたい気持ちがあるからやろ」とのこと。「祖母は私を嫌ってるってこと?6歳の頃から言われてたけど私がなにかをして、だから嫌なこと言ってやろうと思ってるってこと?」と聞くと、「そうなんじゃない。俺は知らんけど」と言われた。加えて、「それに、こんな母親でかわいそうっていうのは俺も思ってる」と母の前で平然と言った。
その姿を見て、なんだか自分の中で、自分の父親って本当にこういうひとなんだなと諦めがついた。
今思えば「なんでこの人が自分の母親なんだろうって思ったことはないけど、なんでこの人が自分の父親なんだろうって高校生くらいから毎日思ってるよ」くらいは言ってやればよかったけど。
この後も偉そうだとか、なんで今更そんなことを言われなきゃいけないのか理解できないとか父に言われたけど、私は子どもの頃からあなたのこと信頼できない人だなと思ってたし、相談しようなんて今まで考えもしなかったからと伝えたら黙り込んでた。最後は「もういい」と部屋に戻って行った。
父親の60年の人生の総括みたいなものが今日のやりとりに詰まってた気がして、口論の最後には目の前の父をすごく哀れに感じた。自分の父親を哀れだと思う自分自身も少し嫌だったけど。
ただ、今日のこと、もっとこう話せばよかったと思うことはあっても、そもそも話さなければよかったと思うことはなさそう。
振り返りながらこれを書いている今、強く感じたのは、10年近く避けていた父はこんなにも小さく、情けなく、自分のプライドを守ることしか頭にない、どうしようもない人間だったこと。そして、心のどこかで恐れてた父にここまでぶつかれるようになっていた自分が頼もしかったこと。
もし父母が離れることになっても母のことは私が守りたいと思う。母は自身の両親が要介護になり、その2人の介護を1人でしつつ、家に帰っても姑の被害妄想に巻き込まれ、それでも私の前では明るく振る舞っている。一番しんどいのはいつも母だ。
なんで増田に書いたかと言うと、こんな状況の人が周りにおらず(そもそもこんな状況を人に話せるわけもなく)、こんな情けない家うちくらいだろって、ずっと何年も1人で考えていたから。
同じような状況のひとに「自分の家だけじゃないんだ」って思ってもらえたらいいなーと。
そして、駄文をここまで読んでくれた人がいたら、本当に本当にありがとう。友人に話を聞いてもらった気分だ、救われます。
(追記)
ネットの海に流れていくだけだと思っていたので、コメントまでしてもらえるなんて思っていなかった。感想を教えてくれた人、どう動くべきか教えてくれた人がこの世界にいるっていう事実が、私にとって本当に救いになってくれている。もちろん読んでくれただけでも十分すぎる。なんてありがたいんだろう。はてなビギナーすぎて、コメントの返信方法がわからず、この形でごめんなさい。
そして今日、カウンセリングに行って相談してきた。カウンセリング中に思い出したこともあったので、少し加筆してます。
カウンセラーの方には、「母と共に、それが難しければあなただけでも逃げるべき」とアドバイスをもらった。本当にそうだと思う。父が祖母を病院に本当に連れて行くのか確認しつつ、次の手を考えたい。
そして、カウンセリングでびっくりしたのが、「あなたのお父さんは残念ながら世間一般で言う毒親です。だから離れてください」と言われたこと。世の中には親に虐待されたり、人格否定されたりしたひとがいるんだから、私の父なんてまだまだ序の口で、こんなことで参ってる私は甘いなあなんてどこかで思っていたから。
これを読んでくれた人は、私の父をどう感じただろうか。
住人が止めてるのか知らん人が止めてるのかは分からない
駐車禁止の場所ではあるんだけど、道路が広いから別に迷惑じゃないし特に気にしてなかった
変な奴だったら物騒だなって思うぐらい
この間外食から帰ってきたとき、マンション前にまた車が止まっててさ
俺は特に気にしなかったんだけど嫁がそれ見た瞬間にめちゃくちゃ怒り出して
みたいな
そんな気になるか?って内心思いつつも、迷惑だよなーって話を合わせたんだ
そしたら、なんか通報するとか言い出してさ
いや、別にいいんじゃない?通報するほどのことじゃないよって言ったら
それに対してめちゃくちゃ怒られて
そうこうしてたら車の持ち主らしき人がマンションから出てきてさ
なんか住人の知り合いっぽい様子で
車に乗るのを嫁が睨むからまあまあ…って宥めたんだ
まあ邪魔といえば邪魔だから嫁的には不快なんだろうなって自分なりにその場では理解したんだけど
先日またマンションの前に車が止まっててさ
嫁と一緒に出かけるところだったから、嫁がまた怒ってて
まあいいじゃんどうせちょっとの間だし、って俺が言ったらまた怒ってさ
なんでそんなに気になるの?別に邪魔じゃないし放っとけばいいんじゃない?って聞いても「邪魔だから」の一点張りで全然落ち着かなくて
ちょっと口論になってから結局そのまま出かけて、帰ってくる頃には車はいなくなってた
でもなんでそんなにキレるのかが全く分からない
嫁は普段から正義感強いタイプってわけでもなく、車も運転しない
はてな匿名ダイアリーの投稿はまだまだ人間優位。
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友人関係に疲れてしまいました。最近、長年の友人と会うたびに些細なことで口論になることが多く、会うのが憂鬱になっています。彼とは学生時代からの付き合いで、楽しい思い出もたくさんありますが、最近は価値観の違いが大きくなっている気がします。
彼の意見に同意できないことが増えてきて、意見を言うと必ず反論されてしまうので、会話がストレスになってきました。もう彼との関係を終わりにした方がいいのか、それとも何か方法があるのか迷っています。
友人関係で悩んでいる方、どうやってこのような状況を乗り越えましたか?アドバイスをいただけると嬉しいです。
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最近、仕事ばかりでストレスがたまり気味なので、新しい趣味を始めてリフレッシュしたいと思っています。何かおすすめの趣味はありませんか?できれば、初心者でも楽しめて、平日や週末の空いた時間にできるものがいいです。
スポーツでもアートでも、何か新しいことに挑戦したいです。みなさんが楽しんでいる趣味や、やってみてよかったと思うことがあれば教えてください!
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横だけどオタクくんって女が使うキモいって言葉に過剰反応するくせに自分が女にキモいって言うのは平気で言うよね
https://togetter.com/li/1913113
35歳の県職員が22時ごろ、路上で女子高校生に「うちにこないか」と声をかけ、「『キモイ』などと言われたことに口論に発展」、逃げようとした女子高校生の髪を引っ張る、制止を試みた男性を殴るなどの暴行を働いた
⇛すもも @sumomodane
「キモい」なんて言葉、「他者に鈍感な未熟な人間です」「語彙力ありません」って自己PRしているようなものだから、私は恥ずかしくて使えないなぁ。
すもも @sumomodane
マ〇コの露出調整するだけで結婚できて人生上がれる方の性別は楽でいいですな~
2022-07-05 18:03:06
すもも @sumomodane
こんな俗物でも結婚できるのが女性 twitter.com/SOAVE214/statu…
2022-07-05 18:10:07
KUKU @SOAVE214
私は外銀、GAFA、PE全部会えましたよ!Twitterには夢がある
2022-07-05 18:03:16
すもも @sumomodane
アンフェ右派がかつぎあげた結果、このようなつけあがった女性が再生産される。この人も今や炎上させてリンクに誘導させるようなアカウントに成り下がった。
2022-07-05 18:13:21
すもも @sumomodane
キモすぎる
2022-07-05 18:14:12
フロントエンド開発を始めて早4年、界隈の雰囲気も好きになれないしトレンドを追いかけるのも疲れたよ。
Twitterを開けば否応なしに口論しているツイートが流れてくる。
あるいはライブラリのバージョンアップや新規ライブラリの公開ツイートであったり。
社内でもフロントエンドといえば私、みたいな立ち位置になりつつあって
有難いことだけどその分情報のキャッチアップから離れられない。
フロントエンド分野だったらなんでも分かるわけじゃないし、実装に時間がかかることだって多々ある。
期待に対しての成果を出すのが辛くなってきて、そんな風に捉える自分も好きになれない。
バックエンド担当の同僚と話していても、大きな変革もそこまで無くなんだか羨ましく感じる。
結局自分がコードを書くことに向いてないだけかもしれないけど。
始めた頃はちょっとしたコードが書けるだけで嬉しかったり、新しい情報が出ると一目散に駆け寄って自分で試したり出来たのに
いつからこうなったんだろう。
(2024/06/09 追記)
旦那さんは躁鬱かも。自分も5~6年前までは旦那さんと同じく短気だった。電車から降りる人より先に乗ろうとする人、傘の先端を後ろに振って歩く人、横断歩道を無視する車、政治家の汚職や不倫のニュースなどを見るたびにイライラして、文句を口にしていた。今思うと、これは躁鬱の症状だったと思う。自分が躁鬱だと自覚・改善するきっかけになったものを書いていく。今はイライラと上手く付き合えるようになり、人生が楽しくなった。それから、付き添ってくれた妻には本当に感謝している。あなたの旦那さんが自分と重なってしまい、自分もあの時気づけてなかったらと思うと、いてもたってもいられずに書いた。少しでも力になれれば。
※以下で紹介する情報は数年前に触れたので、うろ覚えでテキトーな部分があるかも。あくまで今の自分の解釈なので、鵜呑みにせず、旦那さんの心の準備ができたら精神科の受診をオススメする。
この映画がきっかけで鬱だと気づけた。鬱のイメージが変わった。「鬱はぐったりと元気のない精神病。気弱な人がなるもの」と思っていたが、実際は「些細なことにイライラしがちな人がなりやすい病気で、イライラと元気のない状態を繰り返すもの(=躁鬱)」だと知った。まさに主人公も自分もそういう人間で、共感しすぎて見終わったら泣いてた。特に、妻に辛く当たった後に自己嫌悪に陥るシーンは、自分にとってはあるあるだった。見終わった後、妻に改めて感謝し、改善していきいたいと思えた。ちなみに鬱は 「完治させる」のではなく「改善していく。上手く付き合っていく」 と考えた方がいいみたい。焦って治そうとすると、治らないことにイライラして再び自己嫌悪。
この本が改善のきっかけ。特に学びになったのが 「評価は人の居場所を奪い、感謝は人の居場所を作る」 こと。
評価とは、人間に良し悪しをつける行為。愚痴やネットでの誹謗中傷がそうだし、あなたの旦那さんや私が、待ちゆく人やテレビに対して言う文句もそう。他人を評価することは、相対的に自分を評価することになる。例えば、電車でマナーの悪い人にイライラするのは、その人を悪く評価してる反面、マナーを守ってる自分を良く評価してることになる。評価を繰り返すうちに、理想のみが高かまっていき、自分が追いつけなくなると居場所を失う。居場所を守るために自分に厳しくしてると、許容量を超え、次第に矛先が他人に向き始める。余計に他人にイライラする。負のスパイラル。また、意外だが「褒める」ことも評価であり、人の居場所を奪う。「あの人は優秀」とか。優秀な人を見ると自分がダメに思えて悲しくなるのは、勝手に自分も評価して居場所を無くしてるから。また「お前に褒められても嬉しくねーよ」って感じるのは、自分より下だと思ってる人間に居場所を奪われる不快感だと思う。
感謝は逆に人の居場所を作る。だから、居場所を得たければ、他人に感謝をされること(他者貢献)をするといいらしい。本にはここまでしか書いてなかった。それを知ってからは、いろんな場面で親切を心がけるようにした。ただ、だんだん感謝されないとイライラするようになった。そこで気づいたが、自分は「感謝されたい」という気持ちでいっぱいになっていた。逆に、世の中には自分と同じように「感謝されたい」人がたくさんいるんじゃないかとも思った。そして、感謝を伝えることは誰かの居場所を作れるということであり、それ自体が他者貢献 になるのでは?と考えた。それ以来、一切の評価を辞め、些細なことにも感謝するよう心がけた。例えば、今日も飯が食えることとか。生きてることとか。他人を褒めそうになったときは、感謝に置き換えた。例えば、活躍するスポーツ選手のニュースを見たら「すごい」じゃなく「頑張ってる姿を見ると、自分も頑張ろうと思えるな。ありがたい」とか。次第に、悪いことより、ありがたいことに目が向くようになり、「自分の人生、恵まれてんじゃん」と幸福度が増した。イライラも減った。
また、人間は良いことよりも悪いことに敏感らしいので、気づくと感謝を忘れてイライラが再発した。なので、感謝を習慣付けるため、以下の2つに取り組んだ。
自分は3つ言うようにしてる。少なくとも1つは言う。些細なことでいい、「洗い物ありがとう」とか。ただ、厳格にルール化するとしんどいので、もちろん忘れちゃう日があってもいい。次第に、寝る前以外も自然と感謝が言えるようになる。小っ恥ずかしいけど、互いに居場所を作ることができ、それが夫婦円満に繋がる。
日記といっても毎日はしんどいので、誰かに何かしてもらったときだけスマホにメモるくらいでいい。メンタルがしんどくなったときに見返すと「そーいや、こんな嬉しいことあったっけ」とマシになる。家族や同僚のミスも「こんだけありがたいことしてもらえてたんだよな」と許せるようになる。あと、この日記は意外な場面でも役立つ。記念日や友人の結婚式、同僚の退職時など、メッセージを考えるのに困らない。
を言ってほしいかも。そうしないと、何度も「二度としません」を繰り返すことになる。自分と妻がそうだった。旦那さんは、きっと 安心や信頼が欲しい んだと思う。旦那さんに一緒に考えてもらうのもいいと思う。自分も妻と一緒に具体的な再発防止策を考えるようになってから、感情的な口論が減った。
アンガーマネジメント超入門 「怒り」が消える心のトレーニング [図解 (特装版)]
自分も読み途中だが、怒りを抑えるだけではなく、そもそも怒りづらくなる方法や、怒りを上手く伝える方法なども書いてある。ちなみに、自分は今まで以下の考え方で怒りを鎮めてきた。
「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる 「繊細さん」の本
旦那さんは、ひょっとしたらHSPかも(病気じゃなく性質)。HSPだと細かいことに気づきやすい。いい意味でも悪い意味でも。もし、飲み会など大人数の集まり後にグッタリしたり、光や音に敏感だったり、お腹すくとすごいイライラしたりする場合は、その可能性あるかも。ちなみに自分もHSPで、この本を読んだら楽になった。自分の妻は非・繊細さんなのだが、繊細さんと非・繊細さんの上手い付き合い方が載っていて、互いに勉強になった。
わかってらっしゃるとは思うが、上記を本人に無理矢理、読ませるのは逆効果。自分も会社にアンガーマネージメント講座を強制されたときはキレた。本人が知りたいと思ったときに、そっと差し伸べる程度で。ただ、本人に任せてたら状況は変わらないので「評価は居場所を奪い、感謝は居場所を作って、イライラを抑えられるんだって〜」くらいのノリで、 奥さんから日頃の感謝を伝えてみる のがいいのかも。相手は変えられないので。結婚はしたのだから、きっと旦那さんにも素敵なところがたくさんあるはず。楽しかった思い出を振り返ってみて。人生をつまらない文句やイライラではなく、楽しいことで満たしたいよね。
しばらくはしんどいと思うけど、峠を超えて、旦那さんがあなたが付き添ってくれたことに感謝してくれる日が来ることを願う。ただ、他人を変えるのは相当大変なことなので、ヤバくなったらあなた自身の人生を最優先してくださいね。長文失礼。
あと、どう過ごしたらいいかも共有するね
割愛するよ
ちなみに人は傷付けてないよ
無罪を主張すると公開裁判(一般人に裁判を見られるし、その場で増田の名前や住所などの個人情報を口頭で言われる)になるし、
一刻も早くここから出たいと思い、
諦めて罰金払ったよ
罰金払えない場合は、1日5000円で罰金分労働することになるよ
具体的には病院とか、取り調べとかだよ
刑事さんは激務で、取り調べをしてくれた人はお昼ご飯おにぎり二個しか食べれてなかったよ
ちなみに、取り調べは「調べ」と呼ばれるよ
よくニュースで言われる、「警察の調べに対し、容疑者は~」というのはこの「調べ」から来てるよ
「思わないよ」と言われたよ
あとは「なんで警察官になったんですか?」とか
まず全裸でぴょんぴょんさせられるよ
何も持ってないことを証明するためにするらしいよ
お風呂は週2回
誰かがトイレにいる時は、
みんなトイレを見ないようにしていたよ
本読み放題だよ
1日4回まで本が変えられるよ
野矢茂樹の本読んだり、
たまにストレスで体調崩して、吐いたりしてたよ
相部屋の人とおしゃべりを楽しんだよ
家族みたいに仲良くなったよ
ちなみに、増田は認知症の人と同部屋になって実質介護させられてたよ
夜中に徘徊されたり、壁を叩いたり、
叫ばれたりして部屋を変えて貰ったよ
あとは、隣の部屋では、発狂、脱糞やおもらしをしてしまう人もいたよ
正気でいられたらすごいよ
正気でいられなくなった人たちは、
面会室でよく嘔吐するらしいよ
これはとても注意した方がいいよ
仲良くなろうね
警察官が得意なのは、上から来た命令をそのまま実行することだけだよ
作業Aをしている時に作業Bを依頼する声をかけたりしない方がいいよ
体調が悪そうだったら、体調の心配をしてあげたり、
警察官とサシの場面があったら「こんなこと○○さんにしか話せないんですが~」とか
「○○さんがお話聞いてくれて少し落ち着きました」とか言ってあげると、
心を許されてる感を与えられて、仲良くなれるよ
仲良くなれると、移動するときに手錠を緩めて貰ったり、
ヤバイ人間と相部屋になった時に、部屋替えの考慮をしてくれるよ
ちなみに、警察にはむかったりすると特別な独房(汚い、臭い)に入れられるから気を付けてね
あと警察と留置所で捕まっている人たちとでは、明確な上下関係があるよ
怒鳴られたり、家畜みたいな扱いをされるよ
増田は、いくら加害者(それに冤罪の可能性がある人もいる)でも人間扱いされない、
増田たちは取り調べを受けていることになるよ
3食出るよ
揚げ物が、朝と夜に必ず出るよ
もう一生コッペパン食べたくないよ
普通に朝夜美味しくて満足して太ったよ
自弁という制度があるよ
自弁でパンを頼むと、警察官が近所のコンビニで適当なパン買ってきてくれるよ
Xで取り調べは黙秘した方が良いと言われてたけど
実際にそうしてた増田の相部屋の人が、
黙秘続けた結果、接見禁止(弁護士以外の誰とも面会できない)とか勾留延長をされてたよ
嫌がらせだと思うよ
増田は、普通に雑談したり、思ったことを正直に喋ったりしてたよ
増田が「増田は子供の頃、両親に他人と比較されて説教されるたびに増田には価値がないんだ、と思って、
価値がないから傷付けてもいいと思って、ボールペンで手の甲をガリガリ削って、増田の両親を泣かせたりしてたよ」と言ったら、
すぐに刑事さんが机の上からボールペンを引っ込めていて面白かったよ
増田は、疲れていたので、取り調べでフラッシュバックを起こして泣き叫んだり、
爆笑したりを繰り返していて、刑事さんに「大丈夫?」とよく聞かれてたよ
刑事さんはこういうのに慣れてるみたいで、落ち着いていたよ
検察官とおしゃべりするよ
裁判所では、「凄くきちんとされているんですね、こんなにきちんと喋る人いるんだなとびっくりしました」と言われたよ
こんなところで褒められると思わなかったよ
検察官は、さすがに警察官より頭がいい人たちが多い印象を受けたよ
判決が出るまでたまーに通うことになるよ
裁判所は、基本私語厳禁だけど、警察官は英語分からない人が殆どみたいで、
英語で小声で会話ならなんも言われないよ
前科がある場合、どうやって外国に入国ハックするかとか、英語で情報交換をしてたよ
裁判所の待合室は凄く狭いよ
待合室の奧にトイレがあるよ
お腹辺りまでむき出しになるよ
便臭が漂う中で、6人くらい狭い空間で6~8時間座って過ごすよ
そこでご飯も食べるよ
警察は世論を気にする組織で、何か事件が起きた時に「警察、無能だなー」と言われるのを嫌がるから
とりあえず検挙数を増やして、逮捕して、数だけ対策増やしてやってる感アピール出す事情があるよ
補足すると、口論レベルの話でも警察にすぐ通報する人がいたらそういう人から離れた方がいいよ
増田はとりあえず会社をクビ(実際は退職勧告)になったので、すぐ就活したよ
翌月には就職先も決まって、有給休暇を使い切った後にすぐ転職先で働き始めたよ
有給休暇中は友達と沢山遊んだり、面接したり、薬の副作用で寝てたよ
転職して増田の年収は150万くらい上がったので、色々何とかなったよ
パートナーに申し訳が無いから、正直にこの事を話したら、理解を得られたよ
増田は後述した通り、心的外傷後ストレス障害になったよ
増田はこのことでフラッシュバックを起こしたりして、カウンセリングに通っているよ
周りを心配させたことや、真っ当なパートナーに対して増田は前科者・犯罪者という肩書があることに罪悪感があるよ
増田は社会の歯車くるくる回すことに勤しむよ、死にそうな気持ちで
増田が、警察官にされたことや色々なことを誰にも言えなくて、本当に辛かったよ
被害者の方に、増田の至らない点で辛い思いをさせたことも辛いし、
この先どう生きてもずっと増田は辛いよ、
これだけは分かるよ、今の増田でも
被害者の方が(増田の誤字で加害者と書いていたよ、申し訳ございません)、
気軽に海外旅行に行けないように+増田を社会的に殺したくて示談不成立にしたのだと思うよ
海外旅行に行く時に、ちょっと厄介な手続きをする羽目になったり、
入国禁止で送り返されることもあるらしいよ
もうワーホリにも行けないのも悲しいよ
あー・・・嫁と同じ気配がしてきた。嫁も電車が超苦手で正義感が"異様"に強い。
そして恐らくだけど、歌詞を覚えたり記憶力が良いとか無いだろうか。
もともと、その気配があって、強いストレスで二次障害、つまり適応障害を引き起こして症状が悪化している気がする。
これだけ言っても説得力がないと思うので実体験として嫁の話をしてみよう。
嫁の場合、想像力が働かないので定められた「ルール」が絶対になっていた。
例えば、我々の場合、目の前で多少ルール違反をされても、まぁ後で自分側はリカバーできるな…とか
関わり合っても損のが多いなとか、仮に訴訟沙汰になったら1年くらい時間と金が飛ぶのはツライなぁって「想像」がつく。
けど、この想像力が欠如すると「ルール」が全てにおいて優先されるので柔軟性が無くなってしまう。
だって、この「ルール」が先に答えを出してくれてるから想像しなくて良いんだよね。交通違反だ!それが全てだ!
しかも想像力がないから、相手に対して躊躇がない。リスクを考えずに「辞めろ!」と言える(言えてしまう)
だから、嫁なんかは運転しているとものすごい量のクレームを言いながら走る事になる。
(流石に事故だけは回避しているが見るからに運転が粗くなるし、文句言わんといてと宥めているが)
ところがよ。想像力に乏しい為、2回駐禁を取られて免停になりかけたんだよね。
トイレ借りただけだもんとか、店が指定した所に止めたのに!みたいな。
別の"正義"があれば自分は他人に迷惑をかけても良いような言い回し、想像出来ない以上、リスクを気にかけない。
店から言われてるけど、流石にここはダメ・・・では?本当にあってるか?とか疑わないの。
なーんか、言ってる事は正しくて、やたら強い言葉を使う割には相手はそれが守れてない事が多々あるな…みたいな。
ただ、これは最近気付いたが恐らくASD特有の「こだわり」も混じってる。
やり方を否定されると烈火の如く怒るし、同じことを言ったら何度も言うな!って切れる。
でも、何度も言わないとこっちも危ないので都度喧嘩にもなる。
そして口論になって議論になっても何故か聞いて貰っている気がしない。それはなぜか?
本来、通常のコミュニケーションは議論を重ねる事によって問題の重みが加算されていくイメージだと思う。
色んな要素から、この問題は+10点、この問題は相手に問題がある-5点、これは自分が怠惰だ+20点みたいな。
こうやって問題に対してそれぞれ、重みがあるから着地点を見出して改善案が作れるイメージ。
しかしながら、ASDの場合、想像力が無いと怒られが発生してしまったという事実しか残らない。
つまり「1」だけが残る。加算ですらない。あくまでも「1」なんだよね。
これが他の方が言及されていた「議論を重ねても無意味」の正体だと思ってる。
無限に「1」が積み重なっても改善に繋がるアクションが想像力の乏しさから発生させる事が出来ない。
よって、誰かがその助け舟を出せないと延々とそこで足踏みをする事になる。
なので、もしメンタル側の問題であれば解決方法なんて病院に行くか、近場への転職か
もしくは諦めるのどれかしか無いと思うんだよね。
【追記】
やっぱり必要なのは、仕事の中で人間の仲裁と調整を行うAIだわ。
毎日のようにオフィスで繰り広げられる些細な争い。会議の度に意見がぶつかり合い、プロジェクトの進行が滞る。上司と部下の間に生まれる微妙な不和。同僚同士のささいな誤解や対立が、仕事の効率を著しく低下させているのを見ていると、自然とそんな考えに至る。
そんな時に登場するのが、最新の調整AI「メディエーター」。このAIは、全ての社員の言動や感情データを解析し、最適な解決策を導き出す。人間の感情を理解し、冷静に判断を下すことで、迅速かつ公平な仲裁が行える。誰もが納得する形で、問題を解決してくれる存在だ。
ある日の会議、再び意見が対立し、場が険悪な雰囲気になった瞬間、「メディエーター」がスムーズに介入した。淡々と、しかし的確に双方の意見をまとめ上げ、全員が納得する結論を導き出した。驚いたことに、普段は口論を繰り返すメンバーも、AIの指示に従った。
これが「メディエーター」の力だと感心した。人間同士だと感情が絡み合い、どうしても対立が生じる。しかし、感情を持たないAIが間に入ることで、冷静かつ効率的に物事が進むのだ。人間の複雑な感情や関係性に振り回されず、公平に判断を下す存在が、オフィスに新たな秩序をもたらしてくれる。
AI先生に対してだったら、しぶしぶでも従うようになるだろう。それが素晴らしいところ。
小1の時はゴリラというあだ名の女子がいじめっ子から守ってくれた
ゴリラと言われていたけど俺より背が低くクラスで一番かわいい子だった
でも気が強くて男子と対等に渡り合うからそういうあだ名を付けられた
相変わらずいじめっ子はいてゴリラ女子はいなかったけど他に守ってくれる子達もいた
小5の時、いろんな子から一緒の班になりたいと言われるくらいの人気者になった
小6の時、女子2人に呼び出されあんたのあの糞生意気な妹をどうにかしろと言われた
二人は妹と同じバトン部だったけど、スポーツ万能の妹への妬みだったのだろう
人一倍気が強くて男勝りの性格の妹には直接言えないから気の弱そうな俺に言ってきた
妹とは毎日喧嘩してたけど流石にそんなこと聞き入れられるわけが無いから口論になった
そしたら女子の1人が、あんたの笑い顔がキモい、ビンボウニン、ボットン便所と言った
家が貧乏、汲み取り式トレイというのは一番触れられたくないことだった
みんなが陰口を言っているように思えて人間不信になり他人との距離が測れなくなった
人の目を見て話せなくなった
親しい人でもそれが例え友人でも気安く下の名前で呼べなくなった
まだ男子とは話せるだけましだった
女子が集まって話していると悪口を言われているようで怖くて近寄れなくなった
告白したこともされたこともラブレター1通貰ったこともなかった
バレンタイデーとか卒業式の第2ボタンなんてどこの世界の話って感じだった
でも対人恐怖症がまだあって電車通学がつらかった
たまに行く合コンで連絡先を交換したいと言われるようになった
脛を蹴られたこともある
俺がどれだけ酷いことを言われても先輩たちは見て見ぬふりだった
盆休み明けに先輩たちがよく出勤してきたなもう辞めると思ってたと驚いた
ストレスで十二指腸潰瘍になっても上司から会社に来いと言われた
そのうち上司が説教するとそれがモニター映像のように見えるようになった
上司はお前は瞳孔が開いている、脳のスイッチを切って俺の話を全然聞いてないと言った
この人は厳しい人だったがいつも社員の退職理由は人間関係が1位と言っていた
だから直属上司はこの人のいる前では絶対にパワハラをしなかった
俺もこの人には何も言わなかったが、それでも全てを察していた
元上司が俺の悪い噂を流していたが、それを信じる人は少なかった
新しい直属上司も嫌な奴だったけれど、元上司より100倍マシだった
でも相変わらずコミュ障だったから同期や先輩から合コンに誘われても断っていた
人数合わせで強制参加の合コンで連絡先を交換したいと言う人がいた
でもやっぱり二人だけで会うと口下手だから1回会って終わりだった
その後の合コンで会った何人かと連絡先交換したけど2回会えればいい方だった
結局、いつまでたっても彼女はできなかった
社会人3年目の時、大学のゼミ同級生の男1人と女1人から飲みに誘われた
同僚女子は普通にしていればかわいいのに、笑うと目も口も一直線の変顔になった
口元には薄っすら大きめのアザがあり笑うと引き伸ばされて目立った
俺は彼女とは初対面なのになぜか臆せず話せた
飲み会後、1週間経っても彼女の満面変笑顔が忘れられずゼミ男に相談した
ゼミ女子に連絡したら実は彼女を俺に紹介したくて飲み会に連れて行ったのだと言った
2人とも凄く性格がいいのに彼氏彼女がいないと聞いたからだと言った
ゼミ女からなぜ当日に彼女と連絡先を交換しなかったのかと怒られた
あなたは人が良すぎる一刻の猶予もないのを全く理解していないと言われた
ゼミ男は飲み会の翌日には彼女の連絡先を聞いてきたぞと衝撃の事実を告げられた
とにかく急げ1秒たりとも逡巡する暇はないこの電話を切って今すぐ行動しろと言われた
初めて二人だけで会った日
ランチを食べた後ショッピングに行くとメンズ服屋に連れて行かれた
彼女に着せ替え人形みたいにあれを着ろこれを着ろと試着させられた
店員の前でも平気でかわいいかわいいを連発するから恥ずかしかった
その間ずっと変笑顔全開で楽しそうだった
俺が人前でかわいいって言われるのは恥ずかしいからやめて欲しいと言うと
まだまだ男らしさ女らしさが求められる時代だった
自分の笑い顔のほうがよっぽどへんてこだと言った
それを俺が笑ったら、笑いすぎ失礼すぎると怒られた
それまでにもそういう風に思ってくれた人はいるとは思うけど
口に出して面と向かって言ってくれた人は彼女が初めてだった
俺はずっと無理して男らしくしようと背伸びしていたと思う
彼女にそう言われて肩の力が抜けた気がした
ここでこんな文章を書くくらいにはこじらせている
昨日妻と喧嘩した。
ほんの些細なことから口論となってしまい、仲違いのまま今日になってしまった。
朝から妙に気まずく外に出た。
すると妻からlineがあり、「玄米を買いました」とだけあった。
玄米?と思った。うちは今まで普通の白米で、確かに嫁は健康志向な面はあった。
それでもいきなり玄米とは何だと思ったし、それ以外の言葉はない。
なんて答えるのか正解か分からずまだ返事はしていない。
何が正解なのか分からないんだ。教えてくれ!助けてくれ!!
もう人生の折り返し点をすぎて久しい。目を通す文字は、仕事の書類ばかりとなった昨今。
でも小学校高学年から中学生にかけての頃に、文学少女に憧れた時期があった。
書店の奥のほうにいっては新潮文庫コーナーで、適当に数冊手に取っては解説に目を通したりしていた。
生まれて初めて自分で買った詩集は、井上靖の詩集だった。小学校5年生か6年生の頃だと思う。
頁を開いたとき、これは詩なの?というのが最初の感想だった。普通に文章だったからだ。
調べてみると、井上靖の詩は、散文詩という形式らしい。なにが自分の知っている詩と違うのだろうというところで
「韻」という言葉もその時初めて知った。
井上靖の詩集を手に取ったのは、国語の教科書に載っている著者の本でなるべく読みやすそうなものを探したからだった。
というわけで、あすなろ物語のついでに手にしたのが、人生最初の詩集だった。
小中学生の頃、国語の授業で、詩や短歌に少し関心をもった私は、韻を踏む、という作法が苦手だった。
季語などルールがあったり、韻で楽しめなければならない、みたいなものが短歌や俳句だとすると、ちょっと縁がないなと。
特に覚えているのは、中学校の時習った在原業平の短歌に、かきつばたを詠みこんだものがあるが、韻だけでなく、言葉のニュアンスにいろいろな仕掛けを作らないと詩として成立しないのかと思うと到底自分には向いてないジャンルだった。しかし、そうはいっても、短い言葉で何かを表現してみたいという思いは消えず、ひそかに詩集をつくって引き出しの奥底にいれていた。
幼少の頃、川辺の石段の下で手を洗っているとき不意に石鹸が手元を離れ、深みに落ちていったという情景の詩があった。その喪失感をその後の人生でも刻まれているという内容だった。これなら自分でも書けるかもしれない、と思った。
自分の世界の表現の仕方や詩の味わい方を学べたのも井上靖の詩の影響が大きかった。
例えば、雪という詩がある。
雪
―― 雪が降って来た。
―― 鉛筆の字が濃くなった。
こういう二行の少年の詩を読んだことがある。
みつけた詩だ。雪が降って来ると、
私はいつもこの詩のことを思い出す。
中学生の私は、なるほどと思った。
詩というのは、雪が降って鉛筆の字が濃くなったという描写やその言葉のなかにあるのではなくて、物語は書かれてない背景のなかにあるのだなと。
鉛筆の字という描写だけだったら、だから何?という感想しかない。しかし、鉛筆を持つ誰かの表情を想像し、その背景を想像して足してあげることで一枚の絵になる。
当時、大好きだった先輩が「友情」を読んで感動したといっていたので、友情ともう一冊詩集を手に取った。その後しばらくして、私の失言が原因で先輩は私からフェイドアウトしていった(つまりフラれた)ので文学をダシに先輩と仲良くなろうという作戦は失敗した。しかし、武者小路実篤の詩はそんな私をなぐさめる言葉にあふれていた。
いじけて 他人にすかれるよりは 欠伸(あくび)して他人に嫌われる也 夏の日。 嫌う奴には嫌われて わかる人にはわかってもらえる 気らくさ。
ほどなくして、種田山頭火という自由律俳句というジャンルを知った。
山頭火は面白い。普通の俳句じゃないところがいい。規律から解放されるってすばらしいことだと。
定型詩嫌いな私にとっては、ある意味で、俳句短歌のエントリーポイントとなって、
しかし俳句は、季語の煩わしさにどうしてもなじめず、自分には遠い世界のままだった。
いつしか手にしていたのは、興津要の解説する江戸川柳 誹風柳多留だった。古典落語にはまり始めた時期だった。
剣菱という酒を飲むことを江戸時代の人が剣菱る(けんびる)と言っていた、など、現代の言語感覚と近い、興味深いことがいろいろと書かれていた。
その後は巴毎晩組み敷かれ
木曽義仲の元を離れ、和田義盛に見初められ身柄を預けられた巴御前、ネトラレ系の元祖ともいうべき味わい。思春期の私はこうした江戸時代の川柳で妄想たくましく想像し、手が動いた。五七五だったら、こっちの世界のほうが楽しい。
一方、短歌のほうは、というと、当時の朝日歌壇は毎週とても楽しみにしていた。
俵万智のサラダ記念日がベストセラーになったからというのとは全く関係なく、プロではなく、市井のいろいろな人が短歌を詠んでいるということが興味深かった。
例えば、こんな一首。
あさま山荘事件を起こした連合赤軍の幹部、坂口弘が収監中の東京拘置所から毎週のように短歌を朝日歌壇に投稿していた頃だ。
朝日歌壇では他にも穂村弘がいた。短歌の表現する世界の幅広さを朝日歌壇で知った。
風花って知っていますか
渡辺松男と太田美和は実社会で互いに関係があるわけではなく、それぞれの思いを歌に込めていたのだと思うけど、なぜか不思議と互いに呼応し合うものがあった。これは当時の歌壇をリアルにみていた人にしかわからないことだけど。雨の森や樹々など独特の世界観を表現する渡辺松男に対して、雨の日に部屋にこもれば憂鬱が発酵すると詠んだりする太田美和。
実生活で恋をしていた私は太田美和の言葉に自分を重ね合わせた。
でもこのころが私の文学少女期のおわりだった。
大学を卒業したものの、就職できずに苦しむ時期がやってきた。就職氷河期というやつだ。
生活が一変した。
書店で立ち寄るのは、奥の文庫コーナーではなく、店の前の新刊コーナーであり、資格取得のコーナーだった。
世の中からどんどんと取り残されてゆく焦りでいっぱりになっていた。
山頭火も武者小路実篤もへったくりもない、そんなことより面接と資格だ!という日々。
就職が決まってからは、病気になったら人生終わりだし、干されたら終わり。もう一歩先に、もう一歩とただひたすら走り、走らされる人生が始まった。
たまに思い出しては、現代短歌の最近の潮流を知りたくなって、枡野浩一の本を手に取ってみたりはしたものの、ピンとこなかった。
若い頃あれほど好きだった渡辺松男も改めて著作をみると作風が変わったのかと思うほど、何一つ言葉にくすぐられることなく、不感症になっていた。変わったのは自分のほうだ。
それから数十年、あるとき気が付くと、新しい家族が増え、家が建ち、旅行などしている。
そういえば何十年も詩や短歌を目にしていない。寺山修司の本は引っ越しのどさくさでどこかにいってしまっていた。
思春期のことを遠く思い出すようになった。実家の部屋の引き出しにはまだヘンな自作ポエム集が眠ってるはずだ・・。自分が死ぬ前にはなんとしても奪取してこないといけない。
中年になっていいかげん自分の限界を悟って、ふっと一息いれた、という形だ。
―― 雪が降って来た。
―― 鉛筆の字が濃くなった。
この二行の子供の詩を、何十年も経って思い出す井上靖の感覚がとてもよくわかるようになった。
これは人生の楽しみを食に見出して、ワインをたしなむようになってから思ったことでもある。
詩を楽しむということとワインを楽しむことには、ひとつ共通点がある。
どちらもウンチク語ってめんどくさい奴がいる、という意味じゃない。
鉛筆の字が濃くなる、という情景として、勤勉で真摯な子供の姿を思い浮かべる、という
文として書かれていることと、書かれていない想像の背景の補完的な関係は、ワインと食事、一緒に食事するひととの関係によく似ている。
ワインの味や香りは、それだけで勿論、それぞれのワインに特徴があるし、品種やビンテージ、気候土壌などさまざまな情報がある。
しかしワインのおいしさを決めるのはそれだけではない。過去に飲んだ記憶とか、一緒に食べているもの、そしてそのときの話題、体調などに大きく左右される。
水だって同じことで、喉が渇いているときの一杯と会議中にやり込められているときの一杯は全然違うはずだ。
マリアージュという言葉があるように、ワインは一種の調味料として機能するため、食べ合わせは重要だ。
ブラインドで呑むワインはどんな高級ワインだろうが、初見のワインでしかない。ワインの特徴まではわかってもそこまでだ。
逆に偽の情報を表現豊かに補完してしまえば、コンビニで販売しているワインを高級ワインと偽って出してもたいていの者には気が付かれないだろう。
ワインを色やら香り、余韻など物理的に因数分解した表現ができても、美味しさは客観的な規律として表現することはできない。
詩も同じだと思う。規律ばかりを語るひとがあまりにも多い。本居宣長には悪いけれど、歌をつくるのは道だとしても楽しむのは道じゃないと思うんだよね。
井上靖が「小学校の教室という教室で、子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。」というとき、井上靖にとってその詩に初めて出会ってからの何十年間が効いてくる。井上靖は詩は規律ではなく、詩との出会い方だと教えてくれた人だ。
その情景を自分のなかでセットできるかどうかは、鑑賞眼の問題ではない。
どちらかというと、そのような情景がセットされてしまう、長年の思いの蓄積、その詩と出会ったときのメンタル、いわば偶然の力だと思う。
渡辺松男と太田美和が並んで歌壇に掲載されていたあの空気感にしても、あのとき限りのものだったのだろう。
失恋をして武者小路実篤の詩に慰めれられた思い出もそう。まさに一期一会。
そのときに自分が置かれれる状況やそれまでの経験によっては、詩に対して、鈍感になることだってあるのだ。
ところで、先日、Yahooの芸能ニュースをみていたら、TBSのプレバトというバラエティー番組で、俳句を競う企画があって、ある芸人が俳句の先生から5点と酷評されたと報じていた。
消しゴムが 白き水面に ボウフラを
というもの。作者は「頑張って勉強して、消しゴムを何回も消すと、消しカスがたくさん出る。それが白いノートにたくさん積もっていると、ボウフラのように見えるという句です」と意味を説明したものの、腹が立つ、とまで評者先生にののしられている。
ちょっと間抜けた感じはするものの、正直、なんでそこまで素人の俳句が酷評されなければならないか理解できなかった。だが、番組の演出・脚本としてはそれがオチなのだろう。
演出もさることながら、これは、他の出演者の俳句が以下のようなものだったことも影響しているように思えた。
虹の下 クレヨンの箱 踊り出す
天王山 黒ずむ袖に 薄暑光
薫風や 隣の君と 教科書を
こんなふうに優等生を気取った俳句がずらりと来たら、それは「お約束」として、こき下ろすしかないのかもしれない。
バラエティー番組のなかで俳句を味わうということはつまり、こういうことなのだ。その芸人に対するイメージで作品のクオリティが補完されてしまうのだ。
しかし、この句が仮にお笑い芸人ではなく、どこかの学校の児童生徒が作ったものであったとしたらどうだろう。
消しゴムをかける姿は、情景としては授業中であることを示唆している。5月の番組で文房具だからまだ気持ちはフレッシュだ。だけどがんばろうという気持ちは長続きしない時期でもある。
ぼうふらにみえるほど消しゴムをかけるくらいだから、授業中、何度も消していて、その間、ノートをとる手が止まることになっただろう。
それでも授業はお構いなしに進んでいく。溜まってゆく消しごむのカスからは、授業についていく焦りとともに、生徒のひたむきさ、間違って消すことが多い生徒のどんくささも垣間見られる。
いいかげん疲れたかもしれない。めんどくさいと思ったかもしれない。
一方で白い水面(ノートの隠喩)は、清潔さや純粋さを象徴している。
ふと手を止めた瞬間に、そこにボウフラがいるようにみえた、というのは、一瞬立ち止まってボウフラ?などとくだらないことを想像してしまった自分の不純さや切れた集中力で抜けてしまった気力(投げ槍感)との鋭い対比となっている。
と、このように解釈すれば、俳句としてむしろ「ボウフラを」で間抜けた形で止めた意味が出てくる。そこから先は、苦笑いなのだ。
ボウフラを季語と認めるかどうかはわからない。しかし、純粋に詩としてみれば、消しゴムとボウフラという組み合わせは非常にユニークだ。
また、どんくさいもの、弱者がボウフラというノート上のより小さい存在に視線をフォーカスする、という手法は小林一茶の方法とも通じるところがある。
番組の評者は、この芸人の俳句を酷評したうえ、次のような添削をしたという。
夏休みかよ。口論の途中で勝手に話の前提を変えられたときのような不快感を覚える添削だった。消しかすって文房具じゃないし。
しかし、誰しも詩に対して鈍感になる、そういうことはある。端的にあれバラエティ番組だからね。
ただ、私の場合、やっぱり俳句には縁遠いのだろうと思った。俳句がメインのカルチャーであろうとする、優等生を選ぼうとする、そのいやらしさも嫌だ。上品そうな季語を競うかのような世界は一種のルッキズムだ。夏休みとかいって勝手におめかしさせようとするんじゃねーよ。
そういうところがまさに、かつて私が川柳などのサブカルに引き寄せられるひとつの動機だった。ボウフラにシンパシーを感じる感受性は恐らくはかつて親しんでいた落語や川柳で身につけたものだろうから、ゆりやんの一句を悪くないと思うのは邪心かもしれない。そもそも番組ADがテキトーにつくりましたってオチかもしれないんだけどね。
庭はイングリッシュガーデンみたいになってて土日は母の焼いたケーキを家族みんなで庭で食べる
テーブルもおしゃれなクロスを敷いて、皿やティーカップ等はウェッチウッド/ロイヤルコペンハーゲン/マイセンetcで揃える
家の中の調度品もよく分からないが高そうな皿や絵が飾ってあり、普段のご飯もものすごく豪華
友人からは漫画の中のヨーロッパ貴族みたいな生活してるねと言われる様な家だった
執着が強すぎて、私の着る服、習い事、部活、筆箱、鉛筆等母親意にそぐわないものは一切できないし持たせて貰えなかった。やりたくなくても辞めさせても貰えなかった
ドレスとまでは行かないけど発表会で着るようなフリフリのワンピースか母の作った不格好なワンピースしか許して貰えず、嫌で嫌で仕方がなかったので、祖母にお願いしてイオンでジーパンとトレーナー買って貰った時はヒステリーになり奇声を上げながら祖母と私の前でビリビリに破かれて1週間口を聞いて貰えなかった。
授業参観でクラスの男の子と話しているのを見られれば家に帰って髪の毛掴んで2階と1階の階段を往復して引き摺られたりもした。
けどこれを誰に話しても信じて貰えず、いい暮らししてるんだからそのくらい我慢しろと言われる。
大人になってもう実家には帰ってないので自由にできるが、当時からの友達には帰ってあげなよ寂しがってるよいいお母さんじゃん、わがままだよと言われる
彼氏を1度連れて帰った事もあるが、良い親じゃん!そんなに気にする?子供の頃の話だし子供なんて親の好きなようにしてなんぼだよと口論になり別れた。
いくら親であれここまでするのは頭がおかしいと思うがいまだに我慢できなかった自分が悪く、我慢できてたら今でも親といい関係でいれたのではと思うことがある。