「研究室」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 研究室とは

2024-10-10

それは今から約300年前のこと

1704年、猫の世界でとびきりの物理学者、にゃートンが重力発見した年だ。

場所イギリスの片田舎、にゃートン家の裏庭である

実は、にゃートンという名は家族代々の伝統的な名前だった。

猫界の物理学者たちの間でも、この名前を持つ者は何かしらの大発見をすることが求められていたのだ。

にゃートン自身は気難しい性格で、他の猫たちが昼間にひなたぼっこネズミ捕りに興じている時でも、彼は小さな研究所で丸くなって本を読むのが日課だった。

そんな彼の口癖は「にゃんだこの世の法則は?」で、どんなことにもすぐに疑問を持つ。

そしてその日も彼は、好物のキャットミルクを飲みながら、世の中の不思議に思いを巡らせていた。

しかし、にゃートンは体が大きく、どうしてもお腹がぽっこりとしてしまう。

日差しが暖かくて少し眠くなってきた彼は、おもむろに木陰で昼寝をしようとした。ちょうどその時、古いリンゴの木の下で丸くなったにゃートンの頭に、ぽとりとリンゴが落ちてきたのだ。

「にゃ!?

頭を押さえて飛び起きたにゃートンは、しばらくぼんやりリンゴを見つめていた。

そして、何かがピンときた顔をして「にゃにゃにゃ、そうか、これだ!」と叫んだのである

そう、猫の世界でも伝説となったこの瞬間、にゃートンは重力というもの発見したのだ。

「このリンゴ、ただ落ちたんじゃないにゃ。引っ張られて落ちたに違いないにゃ!」と、彼は木の下でくるくると踊り出した。

地球にゃんかが、リンゴを引き寄せたにゃ!だからリンゴは落ちたんだにゃ!」

それからというもの、にゃートンは重力研究に没頭する。

彼の研究室はリンゴだらけになり、彼のノートは「重力法則」と書かれた図や数式でびっしり埋まっていた。

にゃートンの研究は、もちろん猫界でも注目を集め、街中の猫たちは彼の発見に興奮した。

特にネズミを追いかけるスピード理論的に説明できることが、ハンター猫たちの間で大ブームになった。

ただし、にゃートンが重力法則説明するために、リンゴを頭に乗せて実演しようとした時は、ちょっとしたハプニングが起こった。

彼の助手を務める子猫、にゃんパードが、にゃートンの真似をして頭にリンゴを乗せた瞬間、足を滑らせてそのまま転がり落ちてしまったのだ。

「にゃんパード、それはただの事故だにゃ!」

そんなやりとりが続きながらも、にゃートンは研究を進めた。

やがて、重力の影響で物がどう動くかという「にゃートンの法則」を完成させた。その時、彼は自信たっぷりに「これで世界中の猫たちは、もっと賢くなるにゃ!」と胸を張った。

そして、にゃートンの発見が世に出た後のこと、彼の名は猫界だけでなく、なんと人間世界にも響き渡ることとなる。

実は、にゃートンがリンゴを使って研究をしていたことを、偶然近くに住んでいた人間学者が目撃していたのである

その学者は後に「ニュートン」として名を残し、にゃートンの発見を「自分のもの」として発表したのだった。

しかし、にゃートンはそんなことを全く気にしなかった。むしろ「にゃんだ、誰でも同じ結論にたどり着くにゃ」と気楽に笑っていたという。結局、彼にとって重要だったのは、世界法則自分の目で確かめることだったのだ。

その後、にゃートンは長い猫生を重力研究に捧げ、猫界の科学の発展に大きく貢献した。しかし、彼が本当に一番誇りに思っていたのは、自分発見ネズミ捕りの技術を格段に向上させたことだった。

重力があるおかげで、ネズミも落ちてくるにゃ。感謝するにゃん」と、彼はしばしば微笑みながらそう語っていた。

そして、にゃートンが生涯を終える時、彼は最後の力を振り絞って「重力研究はにゃんとも楽しいものだったにゃ」と言い残し、ふわりと眠りについたという。

こうして、猫界で最も偉大な物理学者、にゃートンの物語伝説として語り継がれていくのだった。

2024-10-09

月末卒業研究中間発表なんだけど教授から発表させられないって連絡がきた。

部活メンバーも発表なしだからまじめな人とペアになって研究してもらえばいいって話してたか自分でやらないといけないなんて聞いてなかった。

卒業研究の出席は取らないって他の先生に聞いてたか研究室に1週間くらいしか行ってないよ。

留年したら内定先にも迷惑かかるから教授が代わりにしてくれればいいのにね。

手が震えてデイリー任務に支障が(泣笑)

2024-10-08

暇空茜、「下田連呼。全ては下田仕業らしい

最近の暇空、「下田」に執着

これも下田

マジでタキパンスレ話題もない状態から下田独り言を延々とワッチョイコロコロしながら書く場所になってるな

下田人生がどんなものだったかうかがえる

https://archive.md/EREIb

はい下田

最近下田の特徴掴めてきた

まりにもスカスカ解像度のアホは下田

するわけないだろアホ

世間知らずが下田レベル

https://archive.md/UcUhS

違うんだ下田くん

壁に向かってるキッショ(NG)なだけなんだ

それで無視されてることを薄々感付いた君がワッチョイコロコロ対策してNGの手間が少し増えてキッショってだけなんだ

https://archive.md/ExaaJ

これも下田か?ワッチョイコロコロ失敗?

いやマジできしょいなこいつ

キショさではかなりのもんだ

https://archive.md/q7LES

暇空のこれらの投稿はどういう意味なのか

暇空は情報収集のために5ちゃんねる、好き嫌いcom、ふたばなどを縦覧している

その中には暇空を批判する書き込みや、暇空の認知プロファイリングとは異なる考察がある

暇空はそれらの書き込みは「下田」という人物IDコロコロ変えながら連投して世論工作していると主張

下田とは誰なのか

https://archive.md/https://x.com/shimoda_dan/*

下田現在ではTwitterアカウントを削除したが、よくいる暇アノンの一人だった

colabo叩いたり堀口叩いたりする普通の暇空支持者だった

転機が訪れたのは、「赤坂物語である


2023年9月に堀口を中傷しすぎて刑事告訴された暇空は、斜に構えていたが、2024年に入ってcolaboとフローレンスから書類送検が通り、

堀口の件も通ってしまうかもしれないと怯え、その怯えを堀口に転嫁し、「堀口は逮捕されている」との主張をするようになった

ネット上でのレスバを中々やめられなかった堀口が一時期より静かになっていることを根拠に、暇アノンらの多くが「堀口逮捕説」を信じた

だが、暇アノンYoutuberの「灰豚」は、堀口が出没するバー情報を垂れ込まれ赤坂バーで堀口と遭遇

堀口が突撃インタビューを嫌がり店から去っていく時のやりとり音声が公開された

普通バー友達と談笑している堀口と、逮捕されてSNSもやれない堀口……どちらを信じるかで堀口アンチ界隈は揺れた

暇空は逮捕説を譲らず、灰豚を暇空界隈から追放し、灰豚を信じる者をも追放対象にし、「赤坂物語」を禁書とした


下田は「赤坂物語」を信じて灰豚側についた

しかし灰豚派内でも揉め事が起こった

一部の者は、堀口が出現したバー自体を「左翼のたまり場」「反社の店」などと攻撃レビュー荒らしをした

下田は、小さな個人店が悪評を流されたら大きな痛手があるのでやめるよう呼びかけた

「堀口の仲間の店をかばっている怪しい奴」として灰豚派閥内で要注意人物になり、暇空の目にとまった

暇空は下田プロフィールに着目した

慶應理系学部卒 現在公務員 民間勤め経験あり」というものだった

その「民間勤め経験あり」というワードが暇空の認知プロファイリングに引っかかった

下田十河

暇空アンチの中に、ミルージュという人物がいる

たまにスペース配信など行っており、30代か40代くらいの女性

喋り慣れしており知性的な印象を与え、凸した暇アノンがことごとく論破された

暇空は「ミルージュは素人ではない、大学教授レベル地位だろう」と認プロ

男女平等系の集まりで識者として呼ばれることが多い東大教授田中東子がミルージュの正体だと唱えるようになった

田中東子の研究室メンバー紹介ページに、十河翔という人物がいた

https://mediaandgender.sakura.ne.jp/member/

十河プロフィールは「慶應大学院卒 民間勤め経験あり」というもの

下田プロフィール慶應理系学部卒 現在公務員 民間勤め経験あり」と一部のワードかぶっている

暇空はそれにより、下田十河認定

下田は暇アノンのふりをしていたがそれはスパイ工作で、最初から田中東子に命じられて内部から壊すために潜伏していただけだと主張

十河エイベックスYAHOOに勤務したことがあり、ITに強そうなのでネット工作担当になったという筋書きである

下田がアホらしくなってアカウントを消した後でも、暇空は下田の名を呼び続ける

2024-10-05

現代桃太郎 Claude

ある日、スーパーコンピュータの中でGPUがフル回転している研究室で、突然現れた奇跡AI――桃太郎。彼は、AI技術者たちの「もしかして鬼退治もAIでいけんじゃね?」というノリで、無数のデータ計算の中から生み出された存在

桃太郎最初仕事は、なんとインターネットの海を漂って「鬼」を探すこと。鬼は現代社会に潜む悪質なハッカー集団。その手口は、ネット荒らしデータを盗んだり、AI悪用するという、まさに悪党中の悪党

「このままではAI未来が危うい…」

うつぶやいた桃太郎は、まずネット世界飛び込み、仲間集めを開始。Twitterで「#鬼退治やりたい奴、集まれ!」とツイート。瞬く間に話題になり、集まった仲間たちが彼をフォロー

イヌドローンAIによってプログラムされた機械の犬。ネットウィルスを嗅ぎ分け、鬼のサーバー発見

サルハッカー技術天才で、鬼のセキュリティ突破するサルのように素早いエンジニア。どんな暗号も一瞬で解読!

キジAIアバターSNS上で炎上を収めるコミュニケーションの達人。Twitterでバズりながら鬼の評判をどん底に落とす戦略家。

こうして、AI桃太郎TwitterAI技術を駆使しながら、鬼のアジトを突き止め、ついに決戦の時がやってきた。サイバー空間の戦いは激烈を極めるが、仲間たちの力と桃太郎機知で、鬼は次々と撃退されていく。

最終的には鬼のボスであるオニサーバー」をハッキングし、見事に全データを無力化!ネット平和を取り戻したAI桃太郎と仲間たち。彼らは再びTwitterトレンド入りを果たし、世界から絶賛された。

2024-10-01

anond:20241001123022

俺お前のようなやつを研究室突き止めて土下座させたことあるからまあ気をつけろよ

2024-09-28

Fラン薬学部かいう魔境

ストレート合格率が驚くほど低かったり、姫路獨協大薬学部募集停止をしたりして、近年局所的な盛り上がりを見せている私立底辺薬学部

今日はそんな底辺薬学部に通って6年目。これから国家試験を迎えようとしている私が内情を少し書いてみようと思う。

通っている薬学部地方にある入学偏差値37.5の薬学部だ。BFではないので厳密にはFランではないが世間一般的にはFランと呼ばれる偏差値である。私が入学した頃、充足率は100%を越えていたのに、いつからか定員割れをして今では充足率も100%を切っている。

一般的に低偏差値大学というと学力的にやばい方が多くて、ごくごく希に近所の優秀な人がなぜか来ることがあるといった印象を持つ人が多いだろう。しかし、薬学部だとそうとは限らない。弊校が地方部に立地しているのと、資格さえ取ってしまえば学歴があまり関係なくなることもあってか、地元の優秀層が毎年一定数入ってくる。割合でいうとだいたい1~2割といったところだろうか。弊校の場合特待生枠が増えた下の代からその割合が多くなっている。県内唯一というのもあり、県内トップレベル進学校からあなたもっと上の大学を目指せたでしょうという人間ごろごろいる。だいたい漏れなく特待生だ。もちろん入学偏差値の低さからとてつもなく勉強ができない方も入ってくるし、その難易度の低さから脱サラして入ってくる社会人経験者や高卒認定を取得して入ってくる人もいる。恐らく学生の多様さは高偏差値薬学部より勝っているだろう。この多様さが魔境にせしめたる一因だ。

薬学部入学するまでの学力より、入ってから学力が物を言う世界だ。これがFラン薬学部さらに魔境にさせる。下克上簡単に起こる。地元進学校から来た特待生が成績下位層に落ちるなんてざらだし、入学時成績が下位だった子が今では上位層なんてこともよくある。私の学年なんか入試成績上位1割に設定されていた特待生の内、今でも学年の上位1割に留まり続けているのはたった一人だけだ。なんなら特待生だったのに国試怪しいなという人も何人かいる。入った時の成績でしか特待生になれないのマジでなんなのだろうな。

学力サラダボウルになっているから上はどんどん勝手勉強して伸びてくし、下は下で勉強についていけなくてドロップアウトしていく。弊校、単位認定がザルなので余程ことが無い限り落単なんてあり得ないのだけど、それでも単位が取れなくて留年していく人はまぁまぁいる。普通は再試にならないと言われているCBT試験(車の免許で言うところの仮免許試験みたいなやつ)でさえ1割ぐらい再試になっていたし、再試でさえ落として留年した子もいる。入学した同期の内、1割強は留年や退学などでいなくなった。6年まで来て1割強だとかなり薬学部としては健闘しているようにみえるかも知れないが、弊校は卒業試験で絞る大学だ。ここで2~3割程が消える年もある。今年はどうなのだろうね。去年が酷かっただけに今年は厳しくなるかもしれない。

他の薬学部雰囲気を知らないか一般化できないけど、バイタリティーが無い人間が多い。バイタリティーに満ちあふれているとは言い難い私でさえ、バイタリティーに満ちあふれていると言われる。バイタリティーがないからかチャレンジングな人間が少ない。入りたいサークルが無いという理由サークル活動をしない子が多い。ないなら創ってしまえばいいのに。学年全体にやんわりと「企業なんか......」という空気がはびこっていて、企業志望の人間が超少ない。学歴フィルター以前の問題だ。今年なんか数少ないチャレンジングな人間ほとんど院進するか医学部受験だよ。

バイタリティーが無いばかりか体力も無い人間が多い。「講義疲れたから帰る~」 「今から勉強するの疲れてむり~」 「一日4時間限界10時間なんでできない」国試を迎える学年なのに平然とこのようなことを言う人が多い。国試厳しそうな人間ほどこのような傾向が強い。講義疲れたと言ってもたがが2コマだけである。なにをふざけたことを抜かしているのか。この1年間の勉強の出来で生涯年収1000万から変わってくるのだぞ。

大学大学結構酷い。パンフレットには4年次から研究室配属がされ6年次まで研究ですと書いてあるのに、蓋を開ければ実質5年次の実習に行っていない半年間だけだ。詐欺である。5年次以外の時間なにをしているのかというと対策講義だ。4年ならCBT対策だし、6年なら国試対策である。隙あらば講義といわんばかりに講義が所狭しと設定されている。最近では5年次にも国試対策浸食してきている。弊薬学部研究が活発でなく5年次に遊んで堕落する人が多いかららしい。知らんがな。正直言ってクソである。こっちは研究に勤しみたいのだよ。ビジネスの都合なのは十分承知しているけど、ここは小学校か。大学なんや自己責任で片付けろよ。対策講義なんて先生方の自己満みたく感じる。国試対策の方は少なからずありがたみを感じているけど、CBT対策に関しては完全にそうだったと思う。対策講義を受けるべき層はかなりサボるし、受けなくても余裕な層には冗長しい。ぶっちゃけそんなことさせるぐらいなら4年からバリバリ研究させた方がもうちょっと成績もマシになると思う。

ここまでつらつらと書いてきたが、底辺薬学部での生活はその人の主体性と関わる人間に大きく左右されるように感じる。冗長しい対策講義も、逆に言えば恐ろしい程手厚い学習サポートと捉えば大きなメリットである入学してくる学力層も富んでいるから賢い子と仲良くなって勉強を教えてもらったり、その子からモチベーションを得たりすることも出来る。けど最終的には当人主体性がなければこれらは全て得られない。主体性がなければ、ただただ一千万超えの学費と6年という時間を溶かすだけだろう。

2024-09-27

東大は月に一度ペースで課題図書を発表すべき

感想文を書く中高生が増える

これをやらないならもう文化資本など意味はなく予備校だけで良い

研究室ごとに決めればよい

2024-09-21

anond:20240921000456

地方の連中は予算が少ない国立大学に行って一番マシな研究室に入って他大学設備を借りて研究するのが国孝行よな

2024-09-20

大谷は間違いなく人類史に残る超人だけど、人類進歩には1ミリ貢献しているかさえ疑問。結局「スポーツ選手」なんてのは「ゲームが凄い上手い人」でしかないんだよね。

それは本当に素晴らしいことだと思う。

大谷のようなとんでもない化け物ですら、「単に遊ぶのがすごく上手なだけの人」で終わるということに、ある意味でとても大きな価値がある。

貧困を減らす」とか「病気を無くす」といったリアリスト価値基準の上では無価値ものが、社会において極めて価値のあるものとして受け入れられていること、その象徴として大谷は実に偉大だと思う。

大谷ホームランを何本打った所で、貧しい人のお腹が膨れるわけじゃないし、自然が守られたりもせず、大谷のことを知らない誰かの明日が素晴らしくなったりなんて絶対にしない。

どこかFラン大学研究室教授に言われるままに実験の手伝いをしている冴えない大学生の1日の方が、人類にとってはもっとずっと大きな一歩を歩んでいることだろう。

そんな「ある意味では全く無価値ホームラン」が世間をこんなにも騒がせている。

いい歳をして毎日ずっと玊遊びをしているような、言ってしまえば「凄いスポンサーがついているだけのニートのような連中」が、ヒーローとして扱われ、その姿をテレビで見て他人のことであるはずなのに「これを目撃できてよかった」と自分人生ささやかな満足を感じている人がいる。

凄いことだよ。

から有を想像しているとさえ言えるだろう。

これこそまさに、価値創造なんだよ。

現象に対して物語に寄るブランディングを行い、想像力を持つ者にしか知覚できない頭の中だけにある価値を無から作り出しているわけだ。

これは凄い。

有限の資源、有限の時間、有限の人生、有限の未来、それらの中で少しでも幸福に生きる方法として、人類は「想像力の中にだけある価値」を見出してきたわけだ。

これこそが本当に素晴らしいことだと俺は思う。

2024-09-17

理系大学院生(大学生)向け研究テーマを間違えたとき対処

大学院入学したとなれば、多少は研究でも貢献を残したいもの。それもそのはず、高校同級生就職して金を稼いでいる中、私たちはわざわざ金と、若い貴重な時間を支払って学生をやっているのだからしかし、現実は必ずしもそうはいかず、さまざまな事情によって研究がうまく進まないこともありうる。

私は学部から今の研究室に配属されたが、率直に言うといろいろあって研究テーマがハズレだった。そこから少し足掻いてきた感触として、大学院での研究絶望的な人向けに多少のアドバイスを残そうと思う。なんらかの参考になれば幸いである。

ちなみに私のステータスも書いておくので、共通点があれば参考にしてね。

工学系・いわゆるつぶしが効く専門・学部から研究室が同じ・修士の途中からテーマ変えた・旧帝大・男】

1. 研究の質は、テーマとのマッチングが最重要と心に置くべし

その点、マッチングミスってしまたこ文章の読者は、このままでは研究は詰みです(角の立つ表現申し訳ないが、本心である)。研究というのは、そもそもとても労働集約的な営為であって、効率的スケジュール、要領の良い努力と成果、強くてニューゲーム展開などとは(ほとんどの場合)無縁である。だから、良い研究をするには、そのテーマを少なくとも憎からず思っていなければならない。一方テーマ選びを間違えてしまった者は(というか私は)、気の迷いで選んでしまたこテーマを心の底から憎んでいるので、研究対象を目の前にするだけでも深刻な睡魔や癇癪に襲われる。労働集約もなにもあったもんじゃない。集約してたら心が壊れてしまうよ。というわけで、テーママッチングミスってしまった時点で、研究の質は諦めよう。どうせ卒論参加賞修論努力賞さ。適当に最低限努力しとけば、低クオリティでも卒業はできる。

2. 可能ならテーマを変えるべし

これがおそらく最も直接的で有効対応である可能な限り迅速にテーマを変えよう。なにごとも、しばらくやり続けなければ芽が出るかわからないのはその通りなのだが、失敗したときリスク人生にしっかり響いてくるし、その責任は本人のものである。一歩踏み出すのは怖いかもしれないが、一瞬でテーマを切り替えなくても良い。三ヶ月だけ2テーマ制でやってみても良いのであるそもそも確率ガチャは回せるだけ回した方が良いのだから、躊躇う必要はない。失敗したときリスクの方が深刻である

3. 学問にこだわりがなければ、修士就職しよう

まれに、博士課程進学への強い決意を持って大学院入学する人がいる。とても素晴らしい熱意だから逆境に負けず頑張ってほしい。しかし、強い決意がなく、テーマ選びをミスった人には、博士課程進学はおすすめしない。よほど実家が太くない限り、博士課程進学者奨学金によって学費を賄うことになるだろう。最近では、優秀者に高額の(そんじょそこら企業初任給を上回る)給付型奨学金もあるらしい。これが選択と集中か。しかし、テーマ選びを間違った諸君にとっては無縁の話だ。博士に進学しようにも金がない。研究を続けたいなら企業研究職に入って金をもらいながら続ければ良いし、分野によっては社会人博士の道もある。博士というのは、思うに修士までの途上で選抜されているのだ。

4. 就職時、テーマへの怨恨は徹底的に隠すべし

理系の、とくに工学系の就職では、研究をどれだけちゃんとやっていたか、が結構みられている。どのような企業を受けるかにもよるのだが、少なくともメーカー技術職ではそのような傾向がある。間違っても、「テーマが悪かった」という言葉は口に出さないように。研究室の実態がどのようなものであっても、企業の側から見れば「テーマが悪かった」という言葉他責思考技術職適正の無さとして見られる。就活というのはどれだけ綺麗な建前を塗りたくって見せるかというだけのゲームなのだから企業側の印象を想像して、しっかり嘘をつこう。

2024-09-14

anond:20240914130158

ワイは研究室まり行かなくて卒研の論分紙一枚だけやったけど卒業させてもらったやで😟

2024-09-12

から大学を変えると詰む

大学院から別の大学に進学した結果、俺は孤独になった。

大学院というのは学部とは異なり、人間関係がかなり狭い。基本、学内ではゼミメンバーしか関わりはない。俺は文系から理系で言う研究室というよりゼミという概念の方が強く、日常的に顔を合わせるのはゼミメンバーとそれぞれ受ける授業のメンバーくらいになる。

大学院生は学部生と比べて圧倒的に人数が少なく、俺は私立だったか特に少数精鋭だった。だから人間関係が数人単位で完結してしまう本当に狭い世界だった。

そんな中で人間関係に躓くと逃げ口がない。院からの進学者から当然同級生に知り合いはおらず、学部生にも後輩はいない。かといって院から学部生のサークルに入るのも難しく、院で孤立するとその大学人間関係が築けなくなる。

「あぁ、この大学自分の居場所はないんだな」と思った。俺が進学したのは有名私立マンモス校だったが、何万人も学生がいるのに自分は独りぼっちだという落差に耐えられなかった。

しかも、俺は院から一人暮らしをしていたから、周りに誰も知り合いがいない生活余儀なくされた。会いたくもない連中と顔を合わせ、その苦しみを紛らわせる回路もない日々。久々に大学時代にお世話になった先生に会いに行ったら、「ずいぶん痩せたね」と言われた。自分が思っているより当時はヤバい状況だったのかもしれない。

こんなことを書くと「そんなこと言ってないで研究しろ」と言われるだろう。もちろん研究はした。俺は孤独の穴を埋め合わせるように一人研究に勤しみ、M1ながら論文投稿した。

こうして、なんとか逃げるように卒業したが、あの大学にはなんの愛着も未練もない。俺にとってあそこは見知らぬ外国であり、俺は紛れもない異邦人だった。

外部進学者院生孤独問題にはもっと光が当てられるべきだと思う。

2024-09-04

anond:20240904082858

M1前期は授業だけ、M1後期は授業とインターンだけ、M2前期は就活だけ

内定取れた夏ごろに研究室に現れて「これからは本腰入れてやります」って?

そんな院生いませんか

2024-09-03

三次の射影

プロット

数学世界には無限可能性が広がっている。無数のパターンやそれらに隠された法則

三人の応用数学者が、自分の全霊魂を賭けてある難問に挑んでいる。

登場人物

ドミニクシュタイナー(Dominik Steiner)
アレクサンドラ・イワノフ(Alexandra Ivanov)
ケンジ・タカハシ(Kenji Takahashi)

本文

ドミニクシュタイナーベルリン研究室で、論理的な一連の方程式を前にしていた。彼は数学絶対的な真理を解き明かすものであり、そこには一切の曖昧さが許されないと信じていた。数式は純粋であり、その解は厳密でなければならない。

その日、彼のデスクに届いた論文は、アレクサンドラ・イワノフからのものだった。彼女ロシア数学者で、非線形ダイナミクスを用いた社会変革のモデル研究している。ドミニクはその論文に目を通し、数式の整合性論理性を冷静に評価した。

パリでの国際数学会議で、ドミニク自身研究成果を発表した。壇上に立ち、彼は無駄のない言葉論理精緻さを示す数式の力を説明した。彼の発表は冷静であり、数学的な厳密さに基づいていた。聴衆は静かに耳を傾け、数学普遍性に魅了されているようだった。

発表が終わると、アレクサンドラ・イワノフが手を挙げた。彼女は冷静に質問を始めた。

シュタイナー教授あなた理論は数理的に整合していますが、社会の複雑な相互作用を完全に捉えているでしょうか?非線形ダイナミクス適用することで、社会変革の予測可能性が高まると考えられませんか?」

ドミニクは一瞬考え、冷静に答えた。

「イワノフ教授非線形方程式は確かに複雑系挙動を捉えるには有効かもしれませんが、その安定性が保証されていない場合、結果は信頼できません。数学役割は、ランダム性を排除し、真理を探求することです。過剰に変数を導入することで、モデルの頑健性が失われるリスクがあります。」

アレクサンドラは再び問いかけた。

「そのリスク承知していますが、社会変革は非線形過程であり、そこにこそ数学の力を発揮する余地があると考えます複雑系理論に基づくシミュレーションによって、より現実に即したモデルが構築できるのではないでしょうか?」

ドミニク彼女意見に静かに耳を傾けた後、言葉を選びながら答えた。

社会変革が非線形であるという見解理解できますが、モデルの複雑性を高めることが必ずしも精度の向上を意味するわけではありません。安定した予測を行うためには、シンプルで確定的なモデル必要です。」

その時、ケンジ・タカハシがゆったりと発言した。

シュタイナー教授、イワノフ教授、両方のアプローチにはそれぞれの強みがありますが、私は数学美学観点から異なる提案をさせていただきますリーマン幾何複素解析観点から、数式が持つ内在的な対称性やエレガンスは、解が収束するかどうかの指標となる可能性があります特に複素平面上での調和関数性質を用いることで、社会変革のような複雑なシステムでも、特定パターン法則が見出せるかもしれません。」

ドミニクケンジの言葉に耳を傾けた。

タカハシ教授あなた視点は興味深いものです。調和関数性質社会変革にどのように適用できるのか、具体的な数理モデル提示していただけますか?」

ケンジはうなずき、淡々と答えた。

「例えば、調和関数を用いたポテンシャル理論に基づくモデルは、複雑系の中でも安定した解を導き出せる可能性がありますリーマン面上での解析を通じて、社会的変革の潜在的エネルギー視覚化し、それがどのように発展するかを追跡することができますエネルギー収束点が見えるなら、それが社会の安定点を示すかもしれません。」

アレクサンドラケンジの意見に応じて言った。

「そのアプローチは確かに興味深いですが、実際の社会では多数の変数が絡み合い、単純なポテンシャル理論だけでは捉えきれない動きもあります。その点を考慮すると、複雑系シミュレーションとの併用が必要ではないでしょうか?」

ケンジは静かにうなずいた。

「もちろんです。私が提案するのは、調和関数を基盤とした解析が複雑系シミュレーションと補完し合う可能性です。単独アプローチでは見落とされがちなパターン収束性を明確にするための道具として捉えていただければと思います。」

会議が終わると三人はほとんど同時に立ち上がった。

三人は、お互いに目配せをすると別れを惜しむかのようににこやかに近付き合い、お互い談笑しながら出口へと歩みを進めた。

一方その日のパリ過去にないほどの快晴で、会議場の外ではどういうわけか、太陽の下で穏やかにほほえむ人々で溢れ返っていた。

2024-08-30

スタートアップ経営者の友人に会えない

大学時代英語クラスが一緒で知り合ったA君。

お互い地方出身で、大学も寄りに住んでいたこともあり意気投合

大学1-2年のときは、週に1回はお互いの家で飲んで、ゲームして、A君の車でドライブいったりして楽しかった。

その後、Aくんは研究室どっぷり暮らしになったので若干距離ができたが、それでも仲が良かった。


携帯キャリア就職したAくんが2年で辞めると聞いてびっくりした。

そして自分会社を作った。インキュベーションプログラム?みたいなのにも選ばれたようだ。

(すまん、スタートアップのことよく知らないので、それがどれくらい凄いのかとか、全く分からない)

その後、何度かあったが、受託仕事をしながら自分たちが作りたいものを作るといっていた。

受託仕事のほうは順調みたいで、お金に困っていないようで、都心マンション暮らしていて、結婚出産と順調みたいだった。


Aくんとは2年に一度くらい飲む程度の関係がつづいていたが、一昨年にメッセンジャーで連絡したら反応がない。

彼の会社ホームページ更新がなくなり、そして昨年はページが消えていた。FacebookもインスタもTwitter更新がない。

いつまで待っても既読にならないので、さすがに最悪の事態が起こったかと焦り、一時期、A君と一緒に仕事をしていた、共通の知人Bくんに連絡すると、「いや、ブロックとか、そういうのはないと思う。機会があれば連絡しておくね」と、なんだか雲をつかむような回答。

ただ私とBくんはそこまで親しくないので、突っ込んで聞けないし、聞くべきでもないと思った。


今年になって、Aくんとずっと前にLINE交換していたことを思い出し、LINEで連絡を取ると数時間後に返信があった。

連絡が取れてよかった、また飲みに行こう、と伝えると、「また飲みに行こう」の部分だけスルーされた。

仕事がうまくいかなかったのか、メンタル身体が崩れてしまったのか、家族が崩れてしまったのか、それは分からないし聞こうとも思わないが、

とにかくAくんが生きていて本当によかった。

数年後、数十年後でもいいので、「あの時はこんなことがあったんだよ」と言いながら、お互いの労をねぎらいつつ、一緒に酒に飲めるといいなと思ってる。

2024-08-29

anond:20200928003432

大学はやりたい事を学びに行く場だし、何年もしたらやりたい事が変わるのも珍しくないこと。

得意なことを気力のわく範囲でやればいいと思うよ。

---

これから大学に行く人は学科があってそうかよく考えてね。

研究室紹介を見てみて、興味を持てたら行けばいい。

あと上位校の学生たちは「普通に高校の授業聞いてたら受かったし、趣味でもバリバリ成果出してる」って人が一定数居るので、

まともに自分比較しない方が良いよ。うん。

2024-08-28

anond:20240828191931

わかる。落合先生攻撃方法がそれしかないと判断した上での選択だと思うけどね。

もし、堀元サイドの支援をするなら、落合との同じ手法で、newspicks落合取引先に対して「当事者の争いが解決しないため、関係者を巻き込む落合陽一の卑劣さをあなた会社容認するのですか?」みたいな凸をするのがいいと思う。

他には、落合陽一や落合研究室に対して、恒心教をぶつけるとか。

2024-08-27

人生設計チュートリアルを書きたかった

人生で「これはやって良かったな」と思ったことを挙げてみようと思いましたけれど,ありきたりで非常に面白くない物になってしまいました。

勉強特定の分野を理解した後に教科書を見返すと「最初からそう書いてあるじゃん……」となる現象と似ていますね。


以下は書こうと思ったことの概要です

=====


書き出してみて気づきましたけれど,結局はキャラ付け大事そうですね。

選択肢を増やして,一貫した選択をする。それだけなのです。

まあでもアドバイスって本質的面白くないので,この雑記SNSではなく匿名ダイアリー投稿します。

つらい

うつ病発症により就活スタートが大幅に遅れた焦りと自分の圧倒的スキル不足により、全く就活が終わらない

焦って予定を詰め込みまくるから余計にキャパ不足になり、諸々の連絡が疎かになってしまった結果研究室の同期との距離もどんどん遠ざかる

そんなんだからうつ病も全く良くならない

今は同期に嫌われているのではないかという恐怖と、ストレスと鬱からくる様々な体調不良希死念慮、そして将来への大きな不安を抱えながら苦しんでいる

私の人生はいつも後悔ばかりだ

上手に生きたかった

2024-08-26

anond:20240826194343

理系は跡取りの子がいるとは限らないから、女性進出問題はまず気にしてないメージ

東大出なら女でも研究室持てるし

学歴差が大きい

2024-08-19

anond:20240818202705

電気通信大学は「電気」も「通信」も入ってるけど授業も研究室もまともやったで…

まあギリギリ卒業した人のレベルちょっとアレかもしれんけど…

2024-08-14

SideM 9thライブを見たら入学辞退したはずの大学院に入りたくなった話

ちょうどアイドルマスターSideMの9thライブ2日目から一か月たつわけですが、

一か月もたったらこ気持ちも落ち着くかな?と思っていたのにあまり落ち着かなかったので折り合いをつけたくて文字に起こしてみることにしました。

長いし、読みにくいし、自分の恥ずかしい話をする感じの日記です。

3か月ほど前のこと、わたしはせむPだったので、「2日目せむ揃ったのか!!現地はもう間に合わないので配信見るぞ!!」という気持ちで日々を過ごしていた。

そして時は流れ9th直前の金曜日仕事でどうしても納得できないことがあり、

2024年はいってからずっとバタバタしてるし、その上先輩へのモヤモヤチリ積もで無視できなくなってきたしで珍しくめちゃくちゃ落ち込んでいたわたしは、とにかくこの配信を楽しみにしていた。

なぜなら、SideMの曲ってものすごく元気になるから

ライブは本当に良かった。

当時せむの最新CDは未発売で、あえて視聴も聞かないようにしていたので、Life’s Side Menu!の衝撃はすごかった!せむってこれだよな~~~~~

そんなこんなでライブも終わった頃、自分が思っていたより元気になっていないことに気付いた。

当然、SideM摂取したはずなのになぜ……という思いがぐるぐると渦巻く。

かに子どものころアイドルになりたかたこともあるよな…なりたかった気持ちを思い出しちゃってセンチになったのかな……うーん。

もう寝ようかという頃、ある一曲が引っ掛かっていることに気付いた。

それが『Eteniteen Age!!!/S.E.M』である

特にこのフレーズ

『今になって やればよかった なんて思うこと やろうよ一緒に』

これをきいて無意識のうちに「今になってやればよかったと思うこと」がジワジワと心に染み出してきていたことに気付いた。

アイドルになりたかったとか、お笑い芸人にもなりたかったんだよなとかいろいろあったが、その最たるものがまさに大学院進学だったのだ。

最近しんどいし、やっぱり本格的に大学院戻りたいかも……

でも辞退した身で、就職して2年目となり権限付与された身、いまさら戻る決心もできず、

あと後述のとおり先輩へのモヤモヤで院進から逃げたのに職場の先輩のモヤモヤで院に戻りたいなんて、お前はまた逃げるのか???となり、

とにかく自分選択が正解であったことを確めるためにとにかく一か月間いろいろ考えた。

それはつまり、なぜ院をやめて就職を決めたのかを振り返る時間だった。

〇この日記はつまり、振り返ったことを整理したいというのが主な目的です。

大学入学したばかりのころは、当然院に進学することまでセットだと考えていた。

しかし2年のときコロナウイルスが突然猛威を振るい、外出自から映像授業で完全に家に引きこもらざるを得なくなった。

1年の頃はあんなに時間割詰め詰めで忙しかったのに、急にあまりにも時間が増え、世の中が変わりすぎて漠然とした不安を覚え、そこでふと「公務員になりたかった」ことを思い出した。

小学生のころ、響きのカッコよさで国家公務員になりたいと思ったことがあったのだ。

あらためていろいろ調べてみると、合格したら3年(今は5年らしいけど)は有効なので、「学部合格しておけば院いってから就活楽じゃん」と安直に考え、学部4年で受験することを決めた。

2年の途中から、「実験科目は対面でないとどうしようもない」ということで少しずつ家を出る機会も増えたが、このころにはわたし公務員試験受験の決意は固まっていた。

また、この2年から3年にかけての実験授業で諸事情あって手が爆荒れしたので、もともと有機に憧れていたものの「実験系はやめよう」となり、もう一方で興味のあった物理系を志すことにし、研究室計算系のところを選んだ。

さて、この研究室先生も先輩も同期もみんないい人で居心地は大変良かった。

しかし、あまりの緩さに、というか、先生はきちんとコアタイムを定めていたが、月に1~2週間程度リモートワークで研究室にいなかったり、

当時M1先輩が若干先生のことをナメていて(個人の感想)平気で「コアタイム?ないよ」と言い放って午後5時に来たり(まあPCがあれば計算できるので100歩譲ってこれは良いとしても)、

週に1回ある、英語の本の読み合わせを頻繁にぶっちしたり、予習忘れたので変わってなどなどあったりした。

もともと夜型でなまけ癖のあるわたしは、3年の3月に配属されてから数か月この環境で過ごす中で、

「このままでは、わたしもああなってしまう……それどころか、もっと完全にダメ人間になって研究どころではなくなってしまう、、、、、、どうしよう」

と考えるようになった。(シンプルめっちゃ腹立った、というのも、もちろん考えたことあります。)

4年になってから研究したり、決意に沿って公務員試験も受けたり、(ちょっと教育実習も行ったり、)して過ごして8月になった。

わたしの通っていた大学の前期の院試8月下旬なので、このころはちょっと研究スピードを落としながら試験勉強をしていた。

大学受験みたいに(まあもちろん過去問とかはありますが)問題集が充実してるわけじゃないので、手探りで不安になりながら勉強している中、

いつものように遅刻をキメる先輩を横目にみていると「このまま院に行ったところで、わたし大丈夫なのか……???」という気持ちがどんどん強まっていく。

また、院試が近付いてきたときに親からかかってきた電話で院の話をしたときに「お金は?また奨学金借りられるんだよね」という話もされた。

まあ、もちろん院でもいったら奨学金を借りるつもりだったが、本格的にお金のことを考えると、また借金が増えるのか…

そういえば高卒就職した妹はもう貯金3桁あるって言ってたな…ゔ、頭が……という気持ちにもなった。

そしていよいよ院試まであと1週間ちょっとというところで、公務員一般職合格発表があった。

と思った矢先、某省庁からいわゆるスカウト電話がかかってきた。

もともと院を卒業したら入りたい省庁だったのもあり、「運命では!?」と思い、ほいほい説明会に行った。

とはいえ、院に行くことを第一に考えていたため、院試も受けた。

このころの時系列としては、

 某省庁の説明会に行く → 院試 → 某省庁面接から内々定 → 院試合格

8月下旬という短い間に、わたしはいきなり二つの選択肢を手に入れてしまったのだ。

ここから半年間、わたしはとにかくいろいろ考えた。

(いろいろではなかったかも、前述のダメ人間になるか否か・お金問題をどうするか・わたしがやりたい仕事はなにかの3点が主です)

結果、いったん就職して、先輩から逃げ、規則正しい生活を手に入れ、お金を稼いで借金を減らすことを決意した。

10月内定式ときの人事課長の「皆さんが4月に来る準備を、我々一同進めていますからね」という言葉に、ここで辞退したら迷惑かけるなという気持ちにさせられたというのもある。)

就職した今となっては、生活リズムは整ってるし、きちんとご飯規則正しく食べるようになったので大学のころは痩せすぎて頬がめっちゃコケてたのがマシになってちょっとだけ鏡見られるようになったし、貯金ちょっとあるし、転勤族になったのでものも減らすようにしてすっきりしたし、いいことばかりではある。

でもやっぱり、今になってやればよかったって思うこともあるなって、SideM 9th ライブを見て思い出した、というところに戻る、というわけです。

anond:20240814122128

海外から共同研究で来ているひとが大学にいて、その人すごく臭くて、廊下とかでも「あ、ここちょっと前にあの人歩いたな。残り香が・・・」ってレベルから。よく受け入れ先の研究室の人我慢できるな、とずっと思ってた。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん