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はてなキーワード: 学問とは

2018-02-19

anond:20180219070454

なるべく多くの人に見てもらって情報、反応、反論等欲しかったので煽り気味に書いてるところはある。そこが気に障ったのならすまん。

まあ私の文章煽りや売り言葉に買い言葉がないとは言わないのでそこはお互い様ということで。仲良くマサカリ投げあいましょう。

あくま自分見方を紹介しているだけで理系のやることが全て正しいとも思ってない。ただ理系では日本が一流研究をしていると誇る分野が数多くある一方で、文系の多くの分野で全体としては日本学会は二流という嘆きが聞かれるのも確かだ(もちろんどんな分野にも日本人の一流研究者はいるだろうが)。

これ[要出典]ってタグ貼るべきところ? 私は最初増田anond:20180217012945)で(1つだけだけど)実例挙げたし、体験談ベースの話でよければ私の見た限りでは日本外国研究ってけっこうレベル高いと思うんだけど。外国語に訳されても遜色ないモノグラフがたくさん出てる。

理系では著書でオリジナル発見研究成果を発表する奴はまずいない。いるとしたらほぼトンデモだと思って間違いない。文系増田が挙げてる怪しい医学博士とか。

文系では違うのか。正直文系ガチ研究書は見たことがない。三浦瑠麗の著書も調べてみたが、タイトルや値段を見る限り一般向けだろう。大学書籍部や図書館を探せばあったんだろうか。ただ(博士論文出版等は除いて)著書で最新の研究を発表するというやり方は、どの部分に新規性があるのかの表明や議論双方向性等に問題がないのだろうか?新規研究成果なら第三者査読を経て論文にするのが正統なように思えるが。数学証明のように検証可能性が極めて高ければホームページで発表とかでもいいんだろうけど。

そこからか。何のために研究雑誌Book Review欄があると思ってるんだ……(和文だろうが欧文だろうがたいていのメジャー学術雑誌にはBook Review欄はあるし、場合によっては書評査読がつくよ)。ていうか普通、序章とか第1章とかで先行研究の整理をするし(一般向けも混在するレーベルだと編集に嫌がられることもあるらしいけど)、そこで自分オリジナリティについても言及するよな。

あくまで一例だけど、先日出た研究書の目次はこんな感じ→http://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN978-4-8158-0871-6.html適当なUniversity PressのHPを開いて適当新刊をチョイスしただけなので、内容については何も言わないし、言えない。なぜなら私は読んでないからだ。あくまで「ちゃんと章立てに先行研究って入ってるでしょ」というサンプルとして受け取ってほしい。目次で明示されてないだけでちゃんと先行研究の整理をしている本もあるので気をつけて。それはそれとして面白そうな研究だと思うんで余裕があったら読んでみたい)。

駄目な研究は本として出版したってロクに引用されずにアカデミアから消えていくだろうし(もちろんあまりマニアックすぎて引用するひとがいないという悲しい状況も有り得るのだがそういう場合学術雑誌書評でちゃんと良い研究ですよって言われてるからな。おべっか書評がないとは言わないけど、むっちゃ辛辣書評も見かける)、まともな研究書なら議論典拠は明示してあるんだから議論双方向性に問題はないでしょ。

三浦瑠麗の著書、内容(https://www.iwanami.co.jp/book/b261983.html)を見る限りでは研究書ということでいいと思うけど。文系は割と凝ったタイトルつけるひと多いかタイトルだけで研究書じゃないと即断することはできないし(『想像の共同体――ナショナリズム起源流行』も『〈日本人〉の境界――沖縄アイヌ台湾朝鮮 植民地支配から復帰運動まで』も立派な研究書です)、値段についても、うちの分野の研究書の半額くらいの値段で売れて羨ましい限りと思うけど、それが研究であることを否定する材料にはならない(ていうか一般書だとしたら3000円以上ってクソ高では)。国際政治学一般理論みたいに需要がある分野ならそれなりに廉価でも採算取れるよね。研究書は別に専業研究者けが読むものではないので、政治学者以外の教養人にも売れそうだと判断たらこのお値段になるのは別に不思議じゃない(逆にマイナー分野では……お察し下さい。売れない→高い→売れない→高いの悪循環でございます学術成果刊行助成でなんとか刊行できてる研究がたくさんあるんだよなぁ)。気が向いたら図書館で実物見てみるわ。

何度も言うけど、中身は知らない。ひょっとしたらダメダメな内容かもしれない。でもそれは、査読通ったちゃんとした学術論文でも中身がショボかったりオリジナリティ希薄だったりすることがありうるのと同じで、ダメダメから研究業績にカウントされないということにはならない。たとえそれがサラミ論文であったとしても、英語で書かれた査読つき論文だったらそれは業績としてカウントされるべきだよね。公募採用されたり学術界で優れた研究者として認知されるためには内容が優れてないといけないし、こんなサラミ論文しか書いてないやつがなんで○○大の講師なんだ! という批判はされていいと思うけど、それはあくまで内容を見た上での話であって、形式だけを見て業績じゃないと言うことはできないはず。今回の元増田批判が内容を見た上での話なら『シビリアンの戦争』を未読の私は何も言ってないし言う資格がないけど、理系増田も読んでなくて、ここではあくま形式の話をしてるんだよね。形式の話をするなら彼女学術業績としてカウントされるべき本を書いていますしか言いようがない。

一般論からすると著書はオリジナル研究業績であり得るが、逆も然りで著書は必ずしもオリジナル研究業績とはみなされないというべきなのでは。門外漢は著書数もオリジナル業績数とみなせという主張は言い過ぎだろう。

「著書はオリジナル研究業績(でありうる)」「研究書は立派なオリジナル研究成果」と私は書いてるよね? それで前段へのアンサーになってると思うし(そのうしろでちゃんと「一般向けの本」と「研究書」を分けて記述してるよな)、そもそも私は最初増田anond:20180217012945)で「新書2冊はおいといて」って書いてるので、“すべての著書”がオリジナル研究業績なんて端から主張してないってことは読めばわかってもらえると思ってたんだけど(オリジナル研究書籍化したものを「研究書」と呼ぶわけだから、“すべての研究書”はもちろんオリジナル研究業績です。一方で著書のすべてが研究書というわけではないので、“すべての著書”が研究業績というわけではありません。こう書けばわかるかな?)。

後段、著書はオリジナル学術業績とはみなされないという理系ローカルルール持ち出して他人を業績が少ないと批判する方が言い過ぎでは。いやもちろん他分野の常識に詳しくあらねばならない必然性はないけど、他人を「業績が少ない」と批判する以上は他分野の「業績」の基準も知っておくべき、って、そんな無茶な主張? 文学でも歴史学でも政治学でも社会学でも教育学でも文化人類学でも哲学でも法学でも、おおよそメジャー文系研究分野ではだいたい研究書はオリジナル研究業績としてカウントされるんだから(これは英語圏でも変わらないと思うよ。少なくとも私の専門分野や隣接分野では英語だろうがフランス語だろうがドイツ語だろうが韓国語だろうが研究書はオリジナル研究業績です)、文系からするとその常識通用しない方が非常識ですよ。理系ローカルルール勝手学術界の一般ルール敷衍するのやめてもらえます

院生だろうが単著論文を発表するのがふつうの分野の人間からすると、理系では指導教授論文の著者に名前を連ねるのか、変わった慣行だなぁ、って思うけど、それは理系慣行なんだなとして受け止めてるし、この研究者自分学生論文名前を連ねて論文数稼ぎしてる! なんて主張しないよ(もちろんギフトオーサーシップ批判されるべきだけど、理系では自分指導してる学生論文の共著者になるのはギフトオーサーシップではないんだよね? このへん詳しくないので間違ってたらごめん)。分野が違うと業績のカウントの仕方も違うんだなぁ、って受け取っておけばいいじゃない。

その上で現在日本語地位が低い分野や日本語でやる意義がまるでない分野まで、日本語で最新の論文を書いてもよい、あるいは日本語地位を高めていこうなんていう理由がよくわからない。例えば挙げてくれた西洋古代史の最新論文日本語で書くことに何の意味がある?日本全然関係ないのに?解説書や教科書は別だ。日本語で多くの人が学べることには意味がある。でも論文なのだとしたら欧米研究者が読まなければ学問進歩に乗らないんだからただの自己満足だろう。アマチュア研究者だとしたらそれでもいいんだが、大学研究者プロだろう。国から研究費貰って英語が中心の分野で日本語しか書かないのは国民が納得しないだろうから税金泥棒しか言えない。

将来英語が中心じゃなくなることもありうるだろうという論を挙げているがそれは詭弁だ。理系だってラテン語から現代語への変化やドイツ語フランス語凋落を経ているが、最新の論文を主流の言語で書かない理由はない。(欧米科学力を中国が圧倒的に上回ることは考えにくいが)将来中国語になるんだとしたらそれもいいだろう。もし仮に日本がその学問分野で覇権国家になるプランがあってそのためのリソースを投じているっていうなら別だけど、そうじゃないなら英語に圧倒的に負けてる分野はさっさと降伏して英語ベースにしたほうが世界中学者のためになるし日本人世界に認められる学問的成果をあげるためにも効率的だと思うんだけど。国際政治学についていえば英語圏研究が中心だという知識増田にもあって、反米主義だったり日本世界覇権を夢見ていたりといった特殊思想的背景があるわけでもない研究者英語論文を書かないのだとしたら、怠慢あるいは研究先進性の不足の誹りを免れないであろう。

これ最初にも書いたけど、主要国のアカデミアでは文系研究の多くの部分を自分の国の言語でやってます。たとえそれが自分たちとは縁遠い地域のことだとしてもね。日本語英語以外の言語で書かれた日本学論文なんて日本人研究者はあまり読まないんじゃないかと思うけど、たとえばポーランド人ポーランド語日本学論文書いてるし(https://ci.nii.ac.jp/naid/120006355425。ちなみに、このポーランド人みたいに、日本人外国研究者がその国の言葉日本での研究状況を紹介するっていうのは既にあちこちでやられてます)、それは日本アカデミアで読まれていないとしても日本学の発展に寄与ポーランドアカデミアを豊かにしていて、仮にポーランドで極めてオリジナリティが高い研究が出てきたら日本人日本学者も何らかの方法でそれを読まないといけないだろうと思うわけですよ(別に自分で読む必要はない。他人に読んでもらえばいいんだから翻訳ってそういうことだよね)。ポーランドアカデミアは当然ポーランド固有の問題意識を持っているし、その土壌から日本にはない新鮮な日本観が生まれてくるかもしれない、という点で、色々な国のアカデミアがそれなりに独自の発達を遂げていることは重要だと思うけれども。

当たり前だけど西洋古代史の論文日本語で書いてあっても最新の研究動向は反映されているわけ。書いてるひとは西洋諸言語読めるわけだしね。向こうがそれを読めない、または読もうとしないからといって先進性がないわけではない。読まれる/読まれないという尺度研究先進である先進的でないという尺度は別だよね? 混同すべきじゃない。そこにはちゃんと研究蓄積というもの存在しているんだよ。明治期以来、主要文系分野では日本語の分厚い研究蓄積がある。もちろんそこには西洋猿真似だったり「横のものを縦にした」だけの研究もたくさんあるかもしれないけど、それらは日本アカデミアを間違いなく豊かで質の高いものにしてきたと思う。

で、哲学の本場はドイツとかフランスとかイギリスとかだと思うけど(イメージ貧困すぎたらごめん。正直哲学のことはよくわからないんだ……)、日本人哲学者が優れた哲学書を発表すればそれはちゃんと英訳されてオックスフォード大学出版から出版されていたりするのね(https://en.wikipedia.org/wiki/Kojin_Karatani)。これは日本語圏で外国人に読まれない研究を積み上げていても、良いものを書けば「日本研究者面白いことやってんじゃん。翻訳して読んでみようぜ」ってなる実例なんじゃないかと。

根本的な話をするなら、「国際政治学」という分野の標準言語英語である必然性はどこにもないわけだよね。それは英語圏で優れた研究が積み上げられてきた帰結であって、英語圏の人が自分たち言語研究成果を積み上げた結果それが参照されるべき言語になっているだけの話。要するに彼らは先行者利益を得ているわけ。現代思想の分野でフランス語大手を振って歩いているのも、フーコーやその他の人たちがフランス語で優れた成果を書いてきて、それが受け入れられてきたか英語日本語フランス語の文献が訳されまくっているという現状がある。日本語がこの高みを目指してはいけない理由はないよね。

私はここまで書いてきたような理由日本語論文を書くのも重要営為だと思う(加えて、執筆言語自国であることは東アジア欧米の主要国の文系アカデミアとしての標準に則っているので、ことさら日本アカデミアだけが批判される謂れはないよな、とも思う)。ただ理系増田がそれにどうしても同意できないなら、それを説得する言葉を私は持たないなぁ、とも思う。私の論拠はだいたい言い尽くしたので、執筆言語問題についてこれ以上理系増田に答えようとは思わない。なんと言って終わらせればいいかからないけど、とりあえず、お互い研究頑張りましょう。

anond:20180219020929

なるべく多くの人に見てもらって情報、反応、反論等欲しかったので煽り気味に書いてるところはある。そこが気に障ったのならすまん。


あくま自分見方を紹介しているだけで理系のやることが全て正しいとも思ってない。ただ理系では日本が一流研究をしていると誇る分野が数多くある一方で、文系の多くの分野で全体としては日本学会は二流という嘆きが聞かれるのも確かだ(もちろんどんな分野にも日本人の一流研究者はいるだろうが)。



理系では著書でオリジナル発見研究成果を発表する奴はまずいない。いるとしたらほぼトンデモだと思って間違いない。文系増田が挙げてる怪しい医学博士とか。

文系では違うのか。正直文系ガチ研究書は見たことがない。三浦瑠麗の著書も調べてみたが、タイトルや値段を見る限り一般向けだろう。大学書籍部や図書館を探せばあったんだろうか。ただ(博士論文出版等は除いて)著書で最新の研究を発表するというやり方は、どの部分に新規性があるのかの表明や議論双方向性等に問題がないのだろうか?新規研究成果なら第三者査読を経て論文にするのが正統なように思えるが。数学証明のように検証可能性が極めて高ければホームページで発表とかでもいいんだろうけど。

一般論からすると著書はオリジナル研究業績であり得るが、逆も然りで著書は必ずしもオリジナル研究業績とはみなされないというべきなのでは。門外漢は著書数もオリジナル業績数とみなせという主張は言い過ぎだろう。




論文英語日本語問題についてはとりあえず冷静に原文を読んでくれ。

3本しかないので数が少ないと書いただけで日本語は業績に入れないとは言ってない。日本学会で発表したり国内研究者向けに文章を書くのも意味がないわけではないことは知っている。そもそも三浦の業績もショボいと酷評しただけで全くないとは言っていないし。

それからここは誤解があったみたいだけど英語でないことは「国際政治学」だから批判しているのであって、日本中心で行われている学問なら日本語でも問題ないことは理系元増田にもわかっている。文系増田動物学を例として挙げてくれているがああいローカルな側面がある学問についてまで何でもかんでも英語統一しろと言ってるわけでもない。アジア研究についても日本語論文重要視されているということもよくわかった。


その上で現在日本語地位が低い分野や日本語でやる意義がまるでない分野まで、日本語で最新の論文を書いてもよい、あるいは日本語地位を高めていこうなんていう理由がよくわからない。例えば挙げてくれた西洋古代史の最新論文日本語で書くことに何の意味がある?日本全然関係ないのに?解説書や教科書は別だ。日本語で多くの人が学べることには意味がある。でも論文なのだとしたら欧米研究者が読まなければ学問進歩に乗らないんだからただの自己満足だろう。アマチュア研究者だとしたらそれでもいいんだが、大学研究者プロだろう。国から研究費貰って英語が中心の分野で日本語しか書かないのは国民が納得しないだろうから税金泥棒しか言えない。


将来英語が中心じゃなくなることもありうるだろうという論を挙げているがそれは詭弁だ。理系だってラテン語から現代語への変化やドイツ語フランス語凋落を経ているが、最新の論文を主流の言語で書かない理由はない。(欧米科学力を中国が圧倒的に上回ることは考えにくいが)将来中国語になるんだとしたらそれもいいだろう。もし仮に日本がその学問分野で覇権国家になるプランがあってそのためのリソースを投じているっていうなら別だけど、そうじゃないなら英語に圧倒的に負けてる分野はさっさと降伏して英語ベースにしたほうが世界中学者のためになるし日本人世界に認められる学問的成果をあげるためにも効率的だと思うんだけど。国際政治学についていえば英語圏研究が中心だという知識増田にもあって、反米主義だったり日本世界覇権を夢見ていたりといった特殊思想的背景があるわけでもない研究者英語論文を書かないのだとしたら、怠慢あるいは研究先進性の不足の誹りを免れないであろう。

2018-02-18

anond:20180214205828

いわゆる低学歴貧困連鎖というなんとなくでもイメージできるような、あの教育格差が生じてしま理由

よく言われているものとして

勉強に興味がない

教育お金をかけない

などがあるが、これら以外に、見落とされがちな理由発見した。

それは、家庭環境である

「親がテレビギャンブルなどの即物的な娯楽にしか興味がない」「家庭内勉強読書といったものにこだわりがない」そんな家庭だとああいった無頓着低学歴を生み出すのだと思われる。

「家には漫画雑誌以外の本がほとんどない」と揶揄されるようなこと、つまり「親の知的水準をそのまま引き継いでいる」という事象が起こっているのだ。

親が教養勉強にこだわりを持ち、知的環境に気を使っているような家庭の子どもは、たとえ試験勉強のガリベンでなくても、自然とそこそこの成績があげられるように育っている。

筆者自身、親兄弟学問の高みを教えられることなく、また環境から学習することなく育ち、大学に入ったあたりでようやく学問教養の気の使い方とは何かということを学習できた経験がある。

また、家庭環境類似して、勉強に興味がある友人がいないというのも一因と考えられるだろう。

思春期においての成長過程で、知的好奇心を追求するという定番通過儀礼体験してこなかったのである

よって、ヤンキー学歴底辺理由として、「環境」にそもそもの大きな要因があるし、これが派生して「勉強に興味がない→金をかけない」というプロセスにも至るのだと説明ができる。

以上、教育格差の話でした。

そもそも文系アカデミズムの泊付けを批判している

理系元増田博士)より

https://anond.hatelabo.jp/20180217012945

個人攻撃で人を撃ってるんじゃない。自分問題点に感じたところを撃っているのだから、流れ弾上等。

結果として大学ポストで過剰な印象付けを与えている例として三浦瑠麗批判になっているわけでもあるが(メディア・読者・視聴者の過度な期待が悪いという説もあり)。

業績については「研究者としての実績」に絞ってとりあげた。ただ文系若手研究者増田とは、「研究」の捉え方自体が随分違うようだな。

理系研究者を名乗るには必ず「まだ誰もやっていない新しいこと」を研究する必要がある。もちろん理系でもレビューや著書を書く人もいるが、それを皆がありがたく読むのはその人が最前線研究をしていることが前提だ。海外には教育専門の人もいるらしいがそれはまた別の評価軸になる。

理系から視線として、博論を除けば日本語レビュー啓蒙しか書いていない三浦瑠麗は「最先端研究者」とは見られない。DC2は博論として完成を見ているのだろうが、学振PD研究論文にならなければその研究費はどうなったのかという話になる(まだ気の早い話かもしれないし、研究には失敗がつきものなのでちゃんと取り組んだ上で成果なしであればそれは責められない)。いずれにせよテレビ研究者枠にはもっと実績積んでバリバリ研究している(あるいは過去にした)人を呼んだらどうかという話にはなる。


最先端研究をしたならそれは世界に向けて発表すべきだ。発表しないのは論外。研究者仕事個人修養ではない。理系では一部の例外分野を除き発表のための言語統一されていてそれは英語になる。中東研究ではフランス語も標準になっているというならそれもいいだろう。もちろん国文学日本史日本法学では日本語が標準だろうから日本語論文だけで構わないし、海外研究者日本語論文を書くべきだ。

国際政治学日本語でもレベルが高い研究はあるという反論の何が駄目かというとそれが国際的研究分野であろうと考えられるのに世界からまれない点。読まれないのであれば例えばアメリカ学者に全く同じアイディア研究されてそれを新規研究として英語発表されても責められない。日本学者がそれに文句を言ってそれが認められる力があればいいんだがどうもそうは見えない。日本語論文はその「レベルの高さ」に関わらず学問の潮流からすれば全くの無駄になるだろう。辛辣になるがそんな研究には国から研究費を交付すべきではない。


文系増田日本研究者日本語論文が読まれないことの解決策として日本語論文の良さを英語論文内の引用アピールするという案を提案しているが、理系から見たら不効率まりない。一つの研究分野に標準言語がいっぱいあったら世界中学者言語習得に苦労するだろう。英語圏に勢い負けてることが確定した分野では英語論文を書け。自分で書けないなら金払ってでも誰かに訳してもらえ。雑誌国内研究者交流用じゃなくて世界トップジャーナルなりたければさっさと丸ごと英語に移行しろ欧米学者には必要ない手間に研究費が使われるのは悔しいだろうが、国際的学問の流れの中で研究した一切合切無駄になるのと比べればよほどいい。世界から孤立して「日本式国際政治学」や「国際政治学者(日本国内向け)」を名乗るのなら構わんが、それを正直に言わないなら国民を騙していると言われても仕方がない。

anond:20180218122025

算数で「りんご3つと、みかん2つ、合わせていくつ?」という問題に対して「りんごみかんは足せるの?」と返すみたいなことかな。

問題を正面から捉えられないというか、その学問の考え方ができないと得意にならないというのはあるかもね。

私も算数数学の考え方ができなかったから不得意だった。

天才と助平の相違点

隠している部分を見たいという欲求が異常に強いだけなのだ

 

程度の差こそあれ、誰でもブラックボックスの中身を確かめてみたいという欲求はあると思う。(人はそれを「好奇心」と呼ぶ。)

その欲求を「探究心」として、学問に活かせれば大成するだろう。

活かせなければ、ただのムッツリ助平で終わってしまうだろう。

その分かれ道は、どこにあるのか?一つのヒントとしてある人物を取り上げてみたい。

 

知の巨人

南方 熊楠(みなかた くまぐす、1867年5月18日慶応3年4月15日) - 1941年昭和16年12月29日)は、日本博物学者、生物学者、民俗学者

 

熊楠子供の頃から、驚異的な記憶力を持つ神童だった。

また常軌を逸した読書家でもあり、蔵書家の家で100冊を超える本を見せてもらい、それを家に帰って記憶から書写するという卓抜した能力をもっていた。

 

熊楠民俗学の特徴は、和漢洋の学識を駆使して世界的な民俗比較研究をおこなったこと、また、民族の「性文化」にも目を向けたこである

 

興味の範囲無限に広げてみる 

 

覗きたいと思う対象を、女のスカートの中とかちっぽけな範囲から、全宇宙にまで広げてみればいい。

そうすれば、世の中分からないことだらけだからもっと他に探求してみたい分野が見つかるだろう。

まだよく分かっていない「ダークマター」の秘密を覗いて論文にまとめたら、ノーベル物理学賞がもらえるかもしれないよ?

 

anond:20180218031819

2018-02-15

京都のなんとか大学生世界観

容姿絶対主義

異性に高い容姿を求める。その上で自らの容姿が劣っていることを嘆く考え。

容姿偏見主義

容姿の優れている人間政治社会学問に関心がない程度の低い人間である社会問題に関心のある自分容姿は劣っているが優れた人間であるという考え。

2018-02-14

いや貧乏人はなんとなくで進学するなよ

そりゃ勉強はいいよね。楽しいよ。楽しかったよ。今だって楽しいもん。

大学だってそりゃ行きたいよな。俺自身金で進学諦めたからそりゃすっごいわかる。周りが普通に行ってる中自分けが諦めるの嫌だよ。

行きたいって気持ち我慢して先生無責任に「奨学金があるよ」とか言うの何度も何度も断るのも嫌になったよ。俺も最終的に職員室で担任怒鳴り付けたし。

でもなんかの漫画で言ってたように、金が一番大事ってわけじゃないけど何をするにも金が要るんだよ。

学問は素晴らしいけど、金に繋がらないならそりゃ道楽だよ。金に余裕がある人間がやるもんなんだよ。

貧乏人がやるべき学問は金になる学問なんだよ。なりたい職業があってそれには進学が必要ってなら行く価値もある。特定資格知識を得る事で収入選択肢が増えるなら進学もアリだ。

でも貧乏人が道楽学問に手を出して、結果行き詰ってる例もめちゃくちゃ多いんじゃないかと周りを見てると思う。

教師無責任さも確かに問題はある。でも貧乏人なんだから、余裕が無いんだから自分真剣自分人生の事考えろよ。それくらい出来る年齢だろ。ツケ払うのもお前なんだぞ。

大学行かなくてもマトモな職はあるよ。まぁでもそのマトモの基準も人によって違うよな。でもせめてその基準自分の中でどこにあるかくらい考えようよ。

逆に大学行ったからってだけじゃなんも保証されないないよ。今時大卒なんて腐るほどいるし。とりあえず出たくらいじゃなんの意味も無いよ。

せっかく大学入ったのに就活で鬱になって働けない奴も居るし、結局ブラックですぐ退職してその後非正規なんてゴロゴロいる。

正直狂った世の中だなって思うけど、声をあげるのもいいと思うけど、それはそれとして生きていかなきゃいけないじゃん。

人柱が居て、それで社会がよりよくなっていくのはいいよ。問題視されて大学まで無償化されたらいいなとも思うよ。

でもそれで救済されるのは後の世代で今の世代は可哀相なまんまじゃん。

自分から地獄に飛び込んでどうすんのよ。幸せになろうよ。なりたくないのかよ。

文系文系」と馬鹿にするが三浦瑠麗理系だぞ

三浦瑠麗東大農学部卒業してから政治学者になったか理系人間だぞ

knagayama 文系の小保方さん感

はてなブックマーク - メモ三浦瑠麗氏の「大日本帝国が本当の意味変調を来した二年間」のナゾ - 虚構皇国 blog

http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/tadanorih/20180213/1518486859

 

指摘するなら理系文系学問に口出しするどうしようもなさ。

2018-02-13

性について思う事 02

下書きも清書もプロットすら無く、思うが儘にキーボードを打つのがこんなに楽しいとは思いもよらなかった、これは癖になりそうだ。

そういった様相になっている為、脈略も無く続きになる。

そもそもなんでこんな文章を書いているのかと云うのもリハビリであり、私は文字書きの端くれではあるのだが仕事として文章を書いていなかった時期が長く、これはいかんと文章ノウハウとか云々とかは全て取っ払って速度を重視して記載している。どれだけ脳内の考えを適当に高速で文章に出来るかどうかといったアレなのだ

まりこんな固くて不遜な文章に付き合わされているあなたには誠に申し訳ないが老人の独り言に付き合ってほしい。

03.寝取られ、寝取らせ、寝取り

昨今の創作物ではNTRと書いて様々な読み方があるが、主には寝取られ意識した物だろう。

そもそも寝取りと云った歴史は古く、恐らくは人類夫婦や”つがい”が出来た時点から寝取りは発生していると考えられる。人のもの横取りする楽しさというのは結局の所、人間動物としての本能に近いのだろう。

しかしここで少し変わった性的嗜好生まれる。カンダウリズムと云う性的嗜好である。これは自分パートナーの美しさを自慢するがあまり他人にそのパートナーの裸体などを見せつけて悦に入る行為である

この語源となった王はこの行為の結果、パートナーとその他人暗殺され王位と妻を簒奪されるのだが、これが後の世、つまり現代では寝取らせて興奮する性的嗜好として語られている。

語源行為は恐らくは他人自分の妻を自慢すると云うよりも、そんな美しい妻を娶った自分の方が偉いという子供じみた自慢では無かったのだろうか。マウンティング行為とも言われる物だ。

マウンティング行為自体動物であれば行う、つまり先日の”性について思う事01”で記載した様に自分DNAを優先して残す為に行う行為であり、群れを作る生き物であれば自然に行われる。群れの長は高齢になって動物として弱くなれば群れから追い出され、そして新しい長が生まれる。そういう物なのだ

人間他人より優位に立とうとする競争本能がある。スポーツでも学問でも地位でも身分でも何でも良い。ともかく自分あいつより偉いんだ。という行為なのだが。

殆ど場合、生まれ環境教育の結果として勝つ者、勝てざる者が生まれる。まれながらにして競争し、少しでも自分が優位に立とうとする生き物なのではないか

話が横道にそれた様に見えるが、実はこのマウンティングNTRには大きく作用すると考えている。

このNTRと云う単語、実の所”浮気”でいいのではないか。と考えたこともある。NTR描写する事は文字として新しくインパクトもあるが、所詮浮気がバレた、そういう話なのではないか

ところが男性向けの創作物では特に顕著なのだが、NTRと云う行為、性行為を”元のパートナー配偶者や元恋人)に見せつける”と云う要素が加わる。

大抵何かしらの弱み(万引き過去犯罪行為、元配偶者との浮気など)を握られ性的コントロールされる、所謂調教されるのだが、あんなに同じ行為をすると体が刺激に慣れてしまうのですぐ慣れて飽きるのが現状だが、創作物ではその新しい性的興奮にズルズルとハマって行く。

やがて、その性行為調教プレイ記録媒体DVDネット上)で配偶者や元恋人に見せつけて、如何にあなたが性行為が下手であったか、今の自分がどれだけ性的に満足しているかと切々と時には罵りながら語る訳だ。

男性キャラクターに多いが、それを見せつけられた配偶者や元恋人攻撃されているにも関わらず性的に興奮し自慰行為を始め、惨めに果てるといった具合だろう。マゾヒズムによる興奮であるとみて間違いない。

こういった事は首を傾げる行為ではあるのだが、先だって記載したマウンティング行為一種と考えられないだろうか。

この記録媒体を送りつけて来た人物は何としても幸せな元配偶者攻撃したくてしょうがない、結果としてそのパートナー性的に貶めてソレを見せつける事で”勝った”としたいのだろう。

勿論、現実的にこんな事をすれば高額の示談金を積むか、裁判記録に莫迦者として記録が残るだろう。一生負け続ける事になる。マウンティング処の騒ぎではない。

私はこのNTRから配偶者に見せつける行為を”自覚の無い同性愛者の被虐行為もっと砕いて言えばホモレズ)のサディストである位置づけている。

結局このセックス快楽にやたら弱いパートナーはオマケであって、この物語本質人間として寝取った方が勝ったと言いたいとしか私には伝わって来ない。

大体寝取った側の殆どアウトロー(不良や上司、元のパートナー等)として元配偶者より性行為が旨いと描写されている事が多い。

元より性行為描写する創作物なのだから当然ではあるが、この手のタイプの話だとそのまま終わってしまい結果どうなったのか、このセックスにやたら弱い女性は過敏症などで病院入院した方が良いのではないかとか、妊娠など描写されている場合も、このセックスにやたら弱い女性はこの環境子供を産んだ場合の法的な対処などどうするつもりなのか、又寝取った側は慰謝料は支払えるのか(慰謝料は逃げる事が出来ない)、今更配偶者が居たなど知らなかったなんて言い訳は一切通用しない事をした訳だし。などどうでもいい事を心配してしまう。

私的には、NTRモノの欠点はそういったオチを投げっぱなしにする物がとても多いのでつまらない。と云う事に尽きる。物語として終焉を迎えて居ないのだ。そう、物語としてはまさにこれからなのだ

結局寝取られた側は敗戦処理を投げて終わるにしても、復讐するにしても。結果どうなったのかは想像にお任せしますなどは創作者の逃げであると私は感じる。

煽情的な男女を見せたかっただけなら凌辱物でも寝取りでも良かったハズなのだ。どうしてNTRモノを選んだのか。何故被害者描写したのか。

創作者がホモサディストで読者に対して嫌な気分を味わって欲しかったなんてのも酷すぎる。

是非ともこの不幸な物語の終わりを見せて欲しいものだ。なんにしても悲劇である事には変わりないだろうが。

これはNTRモノを読んだ私個人感情移入先が殆ど場合被害者になる事が多い為に感じた私信である

勿論、読者の中には女性が堕ちていく様を見て興奮した方も居るだろうし、感情移入先が寝取った側で女を好き放題出来て興奮した、マウンティングできたと感じる方も居るだろう。

感情移入先が不幸になりのは避けたいと思うのは当然なのだが、それでも一瞬だけマウンティング出来た、とか。堕ちただけで終わる話では寂しくないだろうか。

長くなったので今回はこれにて。

2018-02-10

anond:20180210182223

勉強が苦行だと思ってるように聞こえるけど、勉強(というか学問)が微塵も楽しくなくて苦行だと思うならまあ医学部に行っとくのが無難だろうな。

2018-02-04

つの間にか風俗狂いおじさんになってしまった。

子供のころは、研究者になって世界に貢献とか思ってたのに。

つのまにか医者になって、風俗に週1,2回行くだけのオジサンになった。

医学部に入ったら、研究医になるぞとか思っていたが、いつの間にか世界の流れはAIになってた。

医学も単なる製薬会社奴隷になってRCT(統計データ取り)するだけの学問だし。

基礎医学とかは、ドンドン規模が縮小されていくオワコン、あの山中先生金策してマラソンやったり、サイラ京大のIPS研究所)が身分不安定な職しか出せないレベル

基礎医学とかも、学生時代研究室行って研究させてもらったけど。いやーショボいね。癌細胞放射線あてて光らせてとかそういうやつ。これ、誰でもできるやん。って。

作業げーで、知的な要素一切ないんだよなあ、基礎医学

  

そういうところに、人生効率悪すぎて注げないなーって思っていたら、コスパ通りに医者になって、ダラダラ研修して専門医でもとるかーとかの流れ。

仕事は一切面白くない。

  

風俗行って、動物園みたいな感覚人間に触れてみるが、最近はさすがに飽きてきた。

そもそも性欲のために風俗行くというか、女性ってどういうものかなって興味で行ってた。

しかし、所詮人間。飽きてきた。

美術個展とかの方が面白い

美術自体は、高校大学時代に漁りつくしてもう面白いと思えるもの出会えなくなったんだけど。

美術をやってる人間を見るのは楽しい

でも、美術とかも最近あんまり個展行ってもナカナカ感動ないね

  

もう、風俗も飽きてしまった。

どうしよう。

2018-02-03

なんで大学政府経済界に媚びないといけないのか

https://m.srad.jp/story/18/02/02/0729206

教授学生と一緒に土下座してもそいつ単位を出さないと言えば出ない

なんで大学責任がある扱いになってんの

研究で実績がない奴がどこからかやってきてポストに収まって真面目にコツコツやってきた人が報われないからが全部だろ

最近だと軍事研究防大みたいな大学を出て軍務以外を何も知らなそうなのに白髪研究者が媚びて予算をとる状態にしたい空気

ミサイルを作りたい学生それ自体はいても真面目に勉強しないから入隊した人に媚びて研究させていただく立場など誰が受け入れるんだ

学問尊いものだと建前ですら否定するから誰もまともなのが目指さないんだろ

学び方を変えたらすごく楽になった

学び方を変えたら、楽になった。ここで言う学び方とは、学ぶ姿勢心持ちのことです。

ニュースを見るとき新書を読むとき、今まで常に人を意識して読んでた。

「そういえば今日〇〇さんとこれ話したけど、全然知識なくてウンウン言ってるだけだったか勉強しよ…。」といった具合。

でも先日、孔子論語を読んでたら刺さった。

学問楽しいから行われるものであって、人に自慢したり名前を知られたいためにしているのではない。』

楽しめるかはおいといて、人にマウントするために勉強していた自分がスッカスカに思えてきた。おまけに、自分知識なぞ学んでも学んでも十分ということはないと感じた。

これまでの自信過剰自分絶望した。

後者立場に立ち、自分無知自覚しながら勉強しているところだけど、不思議と心が穏やかだ。前みたいに、争っている感覚がない。

自戒として、ここに記したい。

二銭銅貨の内容

二銭銅貨を読んだ。

物語というものを読む機会が少なく、最後に読んだのも学生ときの授業中の気がする。しかし、何か退屈であり、お手軽に驚きという体験がしたかった。そこで、とりあえず有名な推理小説でも読んでようと思い、読んでみた。

江戸川乱歩がいつに生きていた人なのかは知らないが、たいへん読みやすい。私の知識料不足から、数回辞書を引いたが、この物語だけなのか分からないが難解な言葉もなかった。一点、強いて気になったのは、「のみならず〜悪い気はしないものである。」。これは、「悪い気はしなかった」とかではないと、誰が悪い気をしていないのか分からないのではない気がするものである。まあ、些細な問題である

さて、内容であるが、実際騙された。けれども、ふーんという感じだ。他の作品が読みたいとかなく、なんともない感情である

謎解きが始まる前に、自分でもどんなトリックが行われたのかを考えたのだが、何も思いつかなかった。それで読み進めると、考えたところで分かるトリックではなく、推理小説とは考えさせるものではないのだなと思った。まあ、この話の場合トリックなんてどうでもいいからかもしれないが。

やはり現実逃避はよろしくなく、お手軽に逃げず、驚きは学問から得んとしよう。

2018-02-02

anond:20180202134542

横だけど、

金銭的・文化的資本が無いと女性自由意志人権保障されにくいということで、

これだと一足飛びすぎるような。

金銭的・文化的資本がない

→己の自由意志発見表現する機会が少ない、またはその能力が身に付きにくい

結果的自由意志人権が小さい方法しか自分生計を立てる方法を見つけにくくなる。

真ん中のプロセスがないと、ちょっとこう、誤解を招くというか…。

話は変わるようであまり変わらないのだが、フェミニズム運動が起こった昔は、

その人の出自や貧富度合いに関わらず、自発的意思文化的資本女性に与えられない社会だった。

現在は先人のおかげで人権に男女差はなくなりつつあるが、その代わり貧富の差による"実質的人権"の差が可視化されつつある。

まり実質的社会においてまともな人権行使出来ているかどうかの違いは、

男性女性軸に加えて(あるいはそれ以上に)、富裕-貧困軸(それも生来性が強い貧困)も大きなファクターとなった。

男×女、貧×富のマトリックスで、現代社会における”強さ”を並べると、

A 男性×富裕 → B 女性×富裕 → C 男性×貧困 → D 女性×貧困  となると思う。

フェミニズムへのバックラッシュ理由のうち、小さい一つにはこれがあると思う。

CやDの立場から見たら、どうしても欺瞞的に映るだろうからねぇ。

本来であれば、貧困による実質的人権の低下については、A男性×富裕、への抗議が一番まっとうな抗議先だと思うんだけど、

フェミニズム運動のおかげさまで、A男性×富裕層への攻撃が反らされているという面はあると思っている。

多くの場面で、「同程度の貧しさ条件」であれば、男よりも女の方が機会を奪われることが多い。

昨今は場合によっては逆転しつつあることもあって、C男性×貧困カテゴリに入らされている人なんかから見たら

これ以上女の権利とか言わせねえとか思うのかもしれないんだけども、貧困支援ボランティア体験した

一つ一つのケースから考えると、女性貧困者のサポートは本当に大変(高齢女性も大変だけど若い女性ももっと大変…)

なので、よくネットで見かける「女は所詮結婚すればいい」「レディースデー()」的言説には、そんなに簡単でもねえでなぁとも、思ったりする。

更に、貧富の問題については、どうしても「努力しなかった結果なんだから諦めろ」的なネオリベ的態度を取る人も多いのが

それも貧困サイドに居る人ですらそう思っていたりするのが怖い。ネオリベってすごい『男性的』だよねぇ…。

こういうのを失くす意味でも、もう少しフェミニズムには、まともに頑張ってもらいたいところではあるのだが。

一方で、学問としてのフェミニズムは、あくまでも女性学であって、貧困問題は「女性ならではの貧困」を取り上げるのが優先になるだろう。

どうしても「貧困」とがっぷり四つで、という方は多くはないのが、困ったところではあるし、

しょうがないじゃないそれは社会学とか行政学でやんなさいよね、とも思ったりもしないでもないような気もしないでもないような……うーん。

なんにせよ、貧困による人権の極小化については、少なくともフェミニズムだけの責任じゃないじゃないすか―とは思うんだよね。

なので、プロセスを丁寧に言いたくなった。

女性エロだけ不当に扱いが低い

https://thepage.jp/detail/20180201-00000001-wordleafs

グリッドガールという職がなくなる。きっと、早晩にレースクイーンラウンドガールコンパニオンもなくなるだろう。

これから美人、というより「エロい(=男性の性欲を掻き立てる)」ということを武器として売り出していくのは、非常に難しくなると思う。女性蔑視だし性の搾取から。もちろんそういう側面があるのは理解できる。だとしたら、そんな未来で「勉強はできないけどエロい女性は、どうやって成り上がればいいのか。

仕事学問で成果を出して自分価値を築くことは、すごく賞賛される。でも、学ぶ習慣があるかどうかって、ものすごく周囲の環境に左右される。勉強ができることが非常に重視される社会は、階層固定化する社会だと思う。

一方、「エロい」という特徴は、周囲の環境にそこまで左右されない。エロは理性を飛び越える。理性を飛び越えるからこそ、階層を飛び越え、成り上がりの機会が生まれる。学がなくても、社会性に乏しくても、家柄が悪くても、「エロい」の才能で地位を築ける。「エロい」ことを売りにするのが悪とされる社会では、そうやって階層を飛び越えることがもっともっと大変になる。これはいいことなのか?

もちろん、女性に対するセクハラパワハラ絶対ダメだ。男性女性拒否することをむしろ支援すべきだ。でも、個別ハラスメント行為善悪と「エロいことを売りにする職業は、社会的に良いのか」は別の話ではないかサッカーがとても上手い人が巨万の富を稼ぎ、歌がとてもうまい人が賞賛される。学歴社会階層人間性は問われない。同じようにエロス評価できないのか?エロい、という1つの才能で一発逆転、夢を掴んだっていいじゃないか。それこそが平等だと思う。

しろエロい才能の社会的地位を上げていかないと、そういう女性アングラな形で才能を活かす道しかなくなり、今よりもハラスメント行為の餌食になりそうな気がする。そうなってほしくない。

セクハラパワハラはノー。エロイエス。そういう世の中になればいい。

2018-02-01

一生進級できない

大学生です不登校になってしまった

去年の今頃もそうでテスト期間に重い昼夜逆転と軽い引きこもりを起こして単位を全部落として留年している

無理矢理起きて登校を試みてもなぜか教室に入れないし図書館で寝てしま

別に学校生活で嫌なことがあるわけでもないツイッターで作ったオタクたちとの交友関係もあり孤立もしてない

まだ入学してから一度も単位を取ったことがないのでこの留年が一生続くんだろうなという気がしてやまない

病院に行けという話もあるがフットワークがそう軽ければこんなに困ってない

腰が重い

心配してくれる(後輩だった)同級生の「テストたか?」に対して嘘ついちゃうのが本当に情けなくて不甲斐ない

こんな不良債権にドボドボ学費融かしてくれる親の顔が見られない

むしゃくしゃして下宿で叫んだら薄い壁をドンドン叩かれてまだ深夜だったなと我に帰る

学問がやりたくて進学したのに学生に向いてなかったって自虐ネタももう笑えなくなった

労働も試したがどうにも身体に合わないし牛丼からも土方からも逃げてしまったしもうすぐ採点バイトからも逃げるだろうな

実家に帰ってニートをやることくらいしか生存手段を見いだせないがその逃げ道があるだけ幸せなのだろうか否

実家を出る前両親は主に俺の扱いでいがみ合っていたし盆と正月以外に居住してはあの幸せな家は壊れる

生活全般に苦手で部屋は臭い

俺も臭い

多分もう5日シャワー浴びれてない

何もわからなくなったので前に飯を食ったのが何時間前なのかツイッターを見ないと確認できない

干し忘れて何回も回すから洗濯物も臭い

去年はこれに加えてインフルと思しき体調不良があった

今年はまだマシだ否

登校できてないのにマシもクソもあるか

何を言いたいのかもわからなくなってきた

何もわからない

件の友人に助けを求めろという話もある

プライド邪魔なのである

そんななので先生単位をせびりに行ったり再テストを頼んだりもできない

他人に何かをお願いするのが怖い

有効なふうに「助けてくれ」を言うのが気恥ずかしくてだめだ

変にプライドは高い

高校までの18年間勉強は得意なつもりだった

定期テストは無対策壊滅だが模試の点数は無対策クラス上位」をしていた

中学担任には「絶対にお前を許さないし絶対に推薦入試は受けさせてやらない」と言われた

楽だった

テスト勉強をする習慣がなかった

苦もなく第二志望に現役合格した

大学入学して模試がなくなった

大苦手な学内テストだけになってしまった

俺が得意だったのは入試パズルだけだった

大学生活が上手くいってない大学生はいつまでも入試の話ばかりしている

生活が上手くいっていないアカウントはいつまでも非生活の話ばかりしている

どこで間違えたんだろうな

どこで道違えたんだろうな

はいつまでもインターネットで何をしているんだろうな

大学卒業したあとのことも何も想像できない

生活に向いていないし詐欺強盗でもしようかな

これをここに書いて俺は増田に何をしてほしいんだろうな

読者のこと何も考えてない本当に不親切なエントリーだな

諸兄ありがとうございます

もう一生進級できる気がしない

追記

少しずつやっていきます

ありがとうございます

2018-01-31

最近保守派がまったく保守じゃない件

最近の諸議論見てて思うんだけどさ

この手合がもはや、ない袖を振らせようとするだけの

単なるキチクレーマー化してるように感じる

彼らのいう事聞いてたら、それこそ日本国体を維持していく(保守)

なんてほぼ不可能だと思うんだが...

 

学問の分野では、成果の出ない基礎研究

実利の為に切り捨てて

 

少子化議論では

妊婦に生きやす社会を作ろうとしないし

保育園を作れっつう要請もまるで聞かない

 

労働に関しては、このド人材不足の時期に

女に働きやす職場をまったく作ろうとしない

男の育休とか、多様な休み方を設けようともしない

 

じゃあ移民受け入れるんですか? 

っつったらそれも当然NO

(つうかそもそも外人ウェルカムな国ですらない)

 

慰安婦問題を顔真っ赤にして否定する癖に

いまだに社会蔓延する男尊女卑是正しようとしない

(そんな国の主張、誰が信じるんだ?)

 

彼らはホント日本を守りたいのかな?

このまま彼らのいう事にウンウン頷いて半世紀もしたら国の自体傾くわ

ホント保守か? 

 

ある程度外国外人に譲歩して

日本建設的に立て直そうとする

左派(内ゲバするバカ政治家除く)の方がよほどリアリストに感じるんだがね

2018-01-27

男性学」とかい自称学問があるのな。

で、その学者の話してる講演の記事を読んだんだけど、

40代男性がなんで嫌われるのかとかそういう話。

ググって。

でね、それがね、すごくね、うすっぺらいの。

大学生社会を語ってるときみたいな、

現象の上っ面、「社会」「役割」っていう固定された視点から眼差し

なんだこれと思ってググったら、

フィミニズム系統なのね、この”学問”。


あのね、男の40歳ってね、

そういう社会的要請の前に直面してるものがあるの。

生き物としての老いを実感して、

それに混乱して抗おうとする年齢なの。

なんか太る、健康診断に引っかかる、

腰が痛い、腕が上がらない、

ちんちん勃たない、涙もろくなる、

おしっこ最後まで出ない、

やたら下痢気味で気を抜いたらうんこ漏らす、

脂が食えない、すぐ疲れる、徹夜できない、

頭の回転でも体力でも若い人間に負ける、

自身に起こるそういう現象を目の当たりにして

ひとまず戸惑って受け入れらずにいる年齢なの。

大人になりたい/なりたくないの悩みと似たような、

いわば第二の思春期なの。

男性学」の言う社会個人軋轢ももちろんあるけど、

そんなもんは若かりし頃の各年代にもそれぞれ別の形であったわけで、

それを乗り越えられないのはつまり

オスという生き物としての自信が揺らいでるからなの。


そういうこの年代ならではの危機葛藤を、昔の人はちゃんと知ってるよね。

厄年」と言ってきた。


俺は男性からからないけど、

女性はこれにもう少し若い年代で直面するんだろうね。

小じわとかさ。肌の張りとかさ。おっぱい垂れたとかさ、

男にちやほやされなくなったとかさ。


まあそれはどうでもいいや。

2018-01-26

日本の優秀な研究者海外研究すればいいのではないか

ものすごく失礼なことを言ってしまうかもしれません。

が、山中研究室不正問題議論が起こっているのをみていると、途轍もなく言いたいことが湧き上がってしまます

日本の優秀な研究者海外に行って研究すればいいのではないか

マーケティング的に考えて。

 

ちなみに私は国立大学卒の理系です。学部卒ですけど。

先輩にも友人にも、大学院研究をしている方が数多くいますし、私はその方々を本当に尊敬しています

し、研究者もっと研究に専念できる環境研究すべきだと本気で思っています

その前提でお読みいただけると幸いです。

 

また、以下の文章は全て、「日本ローカルでないと研究できない領域研究者」は対象外です。

史学考古学人文科学などの領域対象日本列島のいずれかと密接に関わるやつ。

雑に行ってしまえば、「設備とか環境さえ整ってればぶっちゃけどこでも研究できるやつ」についての話だと思ってください。

  

 

日本人は、マスコミは、バカなのか?

 

山中研究室を取り巻く諸問題に関する議論を見ていてとても悲しく思うのは、

 

バカマスコミとその先にいるとにかく不正を叩きたいバカ日本人、そして学問研究価値理解しない日本政府

VS

学問研究人類・ひいては日本のために絶対必要かつ有益、なのに理解されない、だから日本では優秀な研究者が育たないんだ系研究クラスタ

 

になってしまっているように見えること。

実際 http://blogos.com/article/273575/ こう言う記事とか https://togetter.com/li/1193209 こう言うまとめとかバンバン出てます

 

ただ、上の対立構造になっている以上、議論平行線を辿る一方だと思うんです。

だって日本研究者資金面設備面・雇用環境の面で生きづらいのって、

マーケティング的に考えると、「日本人バカから」じゃなくて、

 

日本では学問研究価値相対的に低いから」ですよね?

 

じゃあ「日本での学問研究価値相対的に低い」原因って「日本人バカから」なんでしょうか?

ちょっと政治上予算配分の話で考えて見たいと思います

 

  

大学予算削減問題に見る日本の大問題

  

筑波大学公式サイトにこんなページがあります

タイトル日本高等教育行方 ――削減される国立大学予算

http://www.tsukuba.ac.jp/students/campus/184/1.html

ものすごくざっくり言うと「国立大学予算の削減が著しい。このままだと高等教育の質が担保できない。」と言う内容です。

  

大学社会的機能は、おおざっぱに分けると「研究」と「教育」の2つ。

まり予算が削減されると、大学運営上はどちらも厳しくなります

ただ、国立大学の収支を考えると、国から予算だけで運営されているわけではありません。

例えば「研究」だったら科研費とか、「教育」だったら授業料とか、収入を得る方法はありますよね。

ただ、筑波大学によれば、予算が厳しいからと言って授業料を上げるとなると、「どんな地域のどんな人にも均等に教育の機会を与えるためにある」と言う国立大学存在意義の一つを失いかねない、と言うのです。

これはとても合理的視点かつ重要な指摘だと思います

  

ただ、国家予算という側面で見るといかがでしょうか?

国家収入源は基本的には税金

これを必要なところに振り分けることで予算が決まります

 

ここで、「日本必要なのは質の高い高等教育なのか?」という命題について考えて見ましょう。

ご存知の通り日本では急速な勢いで少子高齢化が進んでいますね。

現在と同一水準の質を担保しようとすれば、福祉社会保障にかかるお金は今後増していくことでしょう。

また、中国新興国の急速な台頭によって日本産業構造も大きく変わっています

日本貿易が今どう言った状況にあるのか詳しくはわかりませんが、普通に考えたら競合が増えてますので、貿易利益(とそれからくる法人税)は減る一方でしょうね。

中国関連でいうと、領土問題もありますね。

尖閣諸島への積極的アプローチを見ていると、防衛費過去最高額を更新し続けるのもうなずける一面はあります

(これはこれで議論を呼びそうな意見ですが。)

 

ざっとこれだけ考えても、日本という国の先行きは非常に厳しい。

果たしてこの状況で「日本必要なのは質の高い高等教育なのか?」

とても乱暴意見であることを承知で言うならば、

高齢者社会保障犠牲にして頭のいい学生のためだけの学びの場を提供すべきなのか?」

 

少子化教育全体の受益者が減少し続ける中で、

日本政府意思決定果たして論理的破綻している「バカな」ものなのでしょうか?

私には非常に合理的で止むを得ない決断だと思われてならない。

 

 

■”質の高い高等教育”は他の教育犠牲にしてまで優先されるべきものなのか?

 

教育にかけられる予算が限られているのであれば、他の教育にかかる予算を削減してでも高等教育研究予算を割り振るべきだ。」

と言う意見もあることでしょう。

文部科学省データを超ざっくり見ると、私学助成金と国公立助成金の配分はおよそ1:3。(ソースは以下のP.31から。超ざっくりです。)

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/031/siryo/__icsFiles/afieldfile/2010/04/22/1292935_2.pdf

この配分を変えるべき!と言う意見もあるかもしれません。

 

これ、ものすごく乱暴かつ危険な考えだと思います

 

実は日本大学進学率は51%らしいです。OECD加盟国で見ると低いらしいです。(ソースは以下のP.24から。)

日本大学生のうち73%が私立大学生。

http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/002/002b/19/082.pdf

大学生のうち、大学院に進学する/しないで比率をとったら圧倒的にしない人の方が多いでしょう。

純粋に「最大多数の最大幸福」の原理に立つならば、「私立大学教育費を削って、国公立教育費や研究費を捻出しよう」などと言う考えがいかに暴論か。

 

日本人の豊かさって、「普通にしてれば大学を出れるし、仕事もある」ことに集約されてると思うんです。

日本ってそこを優先してきたと思うんですよ。みんな幸せ的な。

飛び抜けて優秀な人が幸せって方向に振らなかったからこそみんな幸せ的な日本があると思うんです。

 

ここまで考えると、「日本において高等教育学問研究価値相対的に低いのは日本人バカから」って思えないんですよね。

残念ながら、日本研究者にとっていい環境でないことは、しょうがないんじゃないかと思うんです。

頭のいい人間投資しろなんて、この分断の時代にあってはとても危険思想と受け取られかねないじゃないですか

 

 

日本の優秀な研究者海外に行って研究すればいいのではないか

 

ここまで来てようやく本題です。

日本の優秀な研究者海外に行って研究すればいいのではないか

 

 

日本では研究高等教育価値になりにくいみたいです。さてどうしよう。

 

日本の優秀な研究者に残された道は2つです。日本研究するか、海外研究するか。

日本研究するためには3つの選択肢があります

「1.学問研究価値自体底上げする」か「2.自分研究価値化する」か「3.ひもじいのを我慢して努力する」か。

 

1. ってこれまでずっと研究者が言って来たことだと思うんです。

学問研究は将来の豊かさにつながる的な。実際本当にそうだと思うんです。

ただ、です。それが日本人全体の価値になるのか?は確かなのか?

 

極論を言えば、10年後の豊かさための研究明日死ぬ人にとって何の意味もない。

日本人全体の価値になるかどうか?の確からしさってどうなんでしょう?

少なくとも日本では半分以上の人は確からしさを感じていないのでは?

 

 

そうなったらそれって所詮思想であって、「正義」ですよね。日本人のために!ってやつ。

それって、「不正はいけない!」って言う「正義」と何が違うんでしょう?

正義」の正しさを判断するのは誰なんでしょうね?

少なくとも「正義」の強さ(≒正しさ)が民主主義的な数の暴力的プロセス承認(≠証明)されるのであれば、「不正はいけない!」って言う正義の方が強そう。

 

マスコミは強い「正義」側に立つでしょう。彼らは営利組織だ。

弱い「正義」は残念ながら資本主義社会では利益を生みにくいんです。

マスコミバカなのではなく、ビジネスマン

 

正義」対「正義」はどちらかが屈服するまで終わることはありません。

から私はこの対立構造が本当に勿体無いと思います

少なくともこの対立構造の中で議論することに、研究者メリットは全くない。

 

 

となれば2.でしょうね。実際このタイプの方は成功を収めているパターンが多いと思います

話題落合陽一准教授とか。本当にすごいと思います。後は尾木ママとかね。

 

 

3.は本当にないと思います

研究目的とするのに、研究環境を悪くするって何なんでしょう?

研究環境がプアなら、秀逸な成果に辿り着く可能性もプアになるでしょうね。

そんな頑張りに意味があるのか?

研究者として頑張る自分」に酔いたいなら。

 

 

そう考えると、本当に研究がしたい研究者にとって残された道って、

日本自分研究価値化する」か「海外に行って研究をするか」しかないと思うんです。

どっちの方がハードル低いですかね?

 

研究価値化する」ために、「価値になりにくい環境価値を探す」のと「価値になる環境に行く」の。

後者の方が圧倒的に合理的じゃないですか?

 

 

もうね、「日本のため」とか考えなくていいと思いますよ。

それはとても弱い「正義」です。

後進のために少しでも良い環境を!という思いを抱いて頑張ってらっしゃる方もいるでしょう。

それも結局「正義」でしかないと思うんです。弱いんです。

と言うか、海外で「日本研究者は優秀だ!」って言う評判を作ってくれた方がよっぽど後進のためだと思います

 

 

自分研究をどう価値化するか?」

これってマーケティングだと思うんです。

研究者にもマーケティング発想が必要なんです。

そして優秀な研究者なら絶対できます

 

世界資本主義を中心として動いている以上、一番強い「正義」は多分資本主義です。

資本主義の中で強そうな武器方法論)として採用されているのはマーケティングです。

そのマーケティングで有名な概念が”競争優位”です。

 

 

強いところで戦いましょうよ。

優秀な研究者であればこそ。

 

 

日本では、優秀な研究者が自らの研究武器にして、国防高齢者福祉に勝つのはとてもとても難しいと思います

文化資本がないか田舎に戻りたくない

私は東北田舎出身で、高校偏差値65くらいの進学校大学マーチくらいのとこに落ち着いた。現在東京大学院に進学して、研究をしている。客観的に見て、めちゃくちゃ勉強できるわけではないが、そこそこできるくらいな感じだろう。

この間、同郷の友人と4年ぶりに再会した。この友人とは中学高校と同じ学校だった。

当時の話で盛り上がるのだが、2人で強く共感しあった話があった。

それは、文化資本がないか田舎には戻りたくないという話だ。

私たち田舎ヤンキーばかりの中学では勉強ができる方だったが、勉強ができることをなじられることも多かった。教室勉強していると、雑巾を投げつけられたり、試験で上位に入ると「ガリ勉」「オタク」と陰口を言われてきた。また、勉強以外にも、美術部や書道部に入っている子は問答無用ネクラ扱いされる環境だった。

「どうしてそこそこ勉強できることに価値を認めてもらえなかったのだろう」なんて話し合ってるうちに、私たち故郷は、美術館博物館等々の施設習い事選択肢など、文化資本が乏しいからじゃないかという話になった。

それ故、都会の子どもが当たり前に触れている美術品や文学学問なんかが、田舎ヤンキーにはガリ勉オタク趣味揶揄されてしまうのではないだろうか。理解がされず、「真面目」扱いされてしまう。

進学校に行って、似たような子が集まる環境でこそ学問文学芸術価値を見出すことに共感してもらえるようになったけど、中学同級生とは未だに話が合わない。容姿がいいことやノリが合うことにばかり価値がおかれる中学ときよりも、高校大学の方が生きやすかったのは、自分たちが認められたからじゃないだろうか。

どちらが優れていると結論を出せる話ではないが、少なくとも私たちには田舎の何もない空間は物足りなかった。都会の人には自然があって羨ましいと言われるが、自然しかないことが苦痛な人もいるのだ。

そして、偏見も入るかもしれないが、偏差値の高い層ほど、家庭などでの文化資本も高く、人間の多様さへの理解はあると思う。ヤンキーばかりの空間と、そこそこ安定している高校大学で、何が違ったかを線引きをするのならこの観点かなと感じたので。

それまでは、自分田舎ちょっと勉強できただけで、無意識他者を見下していると罪悪感をもっていた。でも、同郷の友人と話して、初めてこの感覚を分かり合える人を見つけてとても救われた気がした。

2018-01-23

センター国語ばかり槍玉に上げてるけど

センター国語プロ作家が解いても満点取れないとか、そういうことになにか意味があるのだろうか。

まず、入試の科目なんてのはその道のプロ選抜するものではない。

国語に限らず数学でも理科でも社会でも、プロ学者がすべての問題ミスなくこなすなんて無理だろうし、外国語だって場合によってはネイティブミスをするだろう。

入試は、特にセンター試験努力の成果を見るものなのだから、才能があるからと言ってできてしまっては意味がない。ちゃんと"お約束"を知っておくことは、当然要求される。

それに、プロというのは一芸があればいい。例えばプロスポーツ選手だってアマチュア向けのテストではあらゆる能力要求されるが、真の一流選手はいくつかの項目が欠けていても活躍できる。メッシが誰よりも足が速く体力があるわけではない。そういう意味でもあらゆる要素が満遍なく問われる試験というのは、アマチュア向けなのだ

そしてそもそも文学というのは書き手読み手認識が一致しないものだ。書き手意図が何の誤解もなく読み手に伝わるならば、文学なんてもの芸術でも何でも無くなってしまう。だからプロ書き手読み手立場センター試験を解けないのは当然と言えば当然だ。

強調しておくと、読み手立場センター試験、という認識が大切なのだ試験を出題するのは筆者ではない。出題者は、読み手なのだ試験の度に読む題材は異なるが、出題者の姿勢は一貫している。だから受験者に求められるのは、作品の筆者を直接理解することでは決してなく、むしろ読み手でもある出題者を理解することなのだ。

そして読み手である出題者の中には、作品の筆者に対する批判意識も当然あるだろうから、筆者の意図は正解とは関わらない。しかしその出題には連綿と引き継がれている傾向、理論があり、だからこそ受験者も一人の読み手としてでなく、問題の解答者として試験に臨むことができるのだ。

最後に、「文学の読み方に正解はない」という国語試験批判する大義名分は、人間知的営みの根本的な前提を確認しているに過ぎないことに言及しておく。そもそも、どの学問を取っても、普遍の真理には程遠く、最新の理論などと言っても一つの解釈しかない。皮肉なことに、科学歴史恣意的ものだという議論入試現代文に繰り返し登場しているありきたりな話なのだが。

結局のところ、センター試験呈示する「読み方」を疑問視するなら、数学の、自然の、人間の、「読み方」である他の科目も―本当の正解とは限らない。逆に、センター国語の出題の背後にある理論は、他のすべての科目の理論と同様、絶対普遍のものではなくとも一つの体系を成している。その事が未だに十分に認識されていないことは、センター試験の失敗でもあり、今後試験の形が変わっても国語教育課題であり続けるだろう。

anond:20180122155553

増田ゼミが抱える問題は、学問における形式とか文化、慣習が共有できていないということだと思うが

それがなぜ、やる気や偏差値と結びつけて考察されているのかいまいちわからない

ゼミオリエンテーション等で伝えるべきことが伝わってない、ということだと思うのでとりあえずそこから見直してみれば

2018-01-22

普通科普通科は無理

ちゃんと調べてね。

普通科高校(おそらく通信制普通科)を卒業したら、定時制全日制問わず普通科高校」には入学できない。それは、単位の再修得ができないという原則に基づいている。

専門科への入学可能教育課程が異なるから)。だから、彼が全日高校に通いたいと思うなら、全日制の専門科または総合学科高校などを探して入学する必要がある。

個人的には、大学での学問にいわゆる「学力」なんかいらないので、心配せず大学に入った方がいいと思う。年齢も近いし、たぶん(中学校時代みたいに)楽しい

https://anond.hatelabo.jp/20180115015705

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