「出会」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 出会とは

2024-07-20

日傘おじさん、ガチ迫害され始める

ソースリベラルの砦

85 安 警備員[Lv.11][苗] (ワッチョイW aa7f-URT+)[] 2024/07/19(金) 23:02:37.07 ID:g6y227b90

ゴミ捨てて家戻る途中に日傘差してるおっさん出会したわ

流石におっさんは駄目でしょ日傘

冷感生地ヒジャブっぽい何か+アームカバーのまんさんより引く

 

73 番組の途中ですがアフィサイトへの転載禁止です 警備員[Lv.7] (ワッチョイ 89c3-fxdO)[sage] 2024/07/19(金) 21:06:48.62 ID:6uSGRpHt0

意味のないホモ美白だよ

 

48 番組の途中ですがアフィサイトへの転載禁止です 警備員[Lv.6] (ワッチョイ 89c3-fxdO)[sage] 2024/07/19(金) 20:47:36.26 ID:6uSGRpHt0

使いたいオカマ流行らそうと必死

 

57 顔デカ🏺 ◆ABeSHInzoo 警備員[Lv.14][苗] (ワッチョイW b60a-b/os)[sage] 2024/07/19(金) 20:53:03.57 ID:Atq1AC950

実際日傘さしてる男なんておらんしな

今日たまたまそれっぽいのを見て「うお!とうとう出た!おっさん日傘さしとる!」思たんやけど、近づいてきたの見たらおっさんみたいなデブババアやった

石丸氏に投票して後悔したという人たちへ

はっきりと言っておく。今回の選挙の勝者は百合子氏でも石丸氏でもない、あなたがただ。

本来なら蓮舫を破ったすごさは石丸氏一人が丸抱えして自分資産にするところだが、なんせ派手に馬脚を現してくれたものから

あんなのでも二位に押し上げるだけの力を持った、野党に与せず現職を刺しにも行ける浮動票存在感けが残った。若年層中心であるとの報道つきでだ。

繰り返す、今回の勝者はあんたらだ。シルバー民主主義氷河期世代スキップしてつべ民主主義になるその一歩をおまいらは掴み取った。

あとさ、選挙後に候補者醜態さらすって別に珍しくないというか普通から党派を決めず真面目に投票に行ってたら必ずいつか出会ものなんで、別に恥じることもなんもないよ。

流行語にまでしておいて政権取ったらマニフェスト全部投げ捨てた政党とか、当選したら公約にない政策を最優先で推し始めた市長さんとか、よくあるでしょ

石丸にいれるとか頭がおかしい」みたいなことを言ってくる人もいるけど、

あの人達が本当に言いたいのは「お前たちが蓮舫に入れてたら勝ててた、あの投票は間違いでお前らの票は本当は蓮舫さんのものだ!」」で、

本当にそれを言ったら馬鹿にされるのはさすがにわかってるから遠回しに言ってるだけ。

こういったらなんだけど、絶対当選しないと確信できるから安心して石丸投票できた、そういう層ぶっちゃけ多いだろ?

Apple Vision Proのおかげで彼女と嫁と娘と姉と妹と祖母と叔母とサークル仲間と女性の友人と近所の人妻出会うことができました

毎日が充実するようになりました

もう現実に戻りたくありません😟

あと1年早く矯正始めてたらなぁ…

なんでこのタイミング出会っちゃったのかな

せっかくごはん食べて帰ろうかってなったのに、口元気になりすぎて気が気じゃなかった。

そのうえ緊張もあってあんまり顔も見れなくなって…

次のチャンスあるかな

でも矯正終わるまでまだまだ時間かかるから

マスクも外せないし、いろいろ詰んでる

2024-07-19

いや、結局普通に結婚してるんかーい!

自分との結婚なんて考えてもらえない」 ”最大の悩みは結婚” 障がい者の”きょうだい”に生まれ

https://news.yahoo.co.jp/articles/630425c8b0ebb4d793a8ed7f60f8afa3f591cabe

この見出しだと結婚できてないのかと誤解しちゃうじゃん

途中まで共感しながら読んでいたのに酷い裏切り

しかも最終的な結婚相手東京私大出会った大学時代恋人という、客観的に見たらイージー過ぎる理解のある彼くんルート

なんでこんなのをきょうだい代表みたいに取り上げるんだろう

この人だけじゃなく、最後の方に出てくる全国きょうだい児の会の事務局長結婚してるようだし

結婚できてないきょうだい児は全然報道に出てこないね

まあ、自分みたいに結婚できてない人は惨め過ぎてマスメディアになんて出たくないんだろうな

自分も仮に取材を申し込まれたとしても断ると思うし。

結果、この人みたいに恵まれたイージーきょうだい児ばかりが前面に出てくる事になる



一方、プロポーズを断った彼とはその後も、時々連絡を取り合う関係が続いていた。34歳の夏、なんとなく電話で話をしていた時に、ふと「この人と話していると自然体でいられて楽だな」と感じたという。

すると…

「あのさ、君と結婚したいと言う男は僕しかいないと思うよ。もういい加減諦めたら?」という二度目のプロポーズを受け、結婚を決意する。

ようやく結婚を決意した香織さんだが、両親は反対した。

八尾香織さん

「彼の出身地関西なので『娘が本州側に取られてしまう』という寂しさもあったようです。ずっと独身のまま自分たちの面倒や兄の介護をしてもらおう、という気持ちにもなっていたようで。20代までは『普通幸せを見せてくれ』と結婚を急かす発言も多かったのですが、いざ結婚を決めると自分たちの都合で反対…勝手なことを言うわね、と思います

一方、彼の両親をはじめ親族からの反対は全くなかった。結婚から義父母とは面識があり、良好な関係を築いていたため反対するどころか「やっと一緒になってくれた」と喜んでくれた。

八尾香織さん

「恵まれ過ぎている話ではありますが、彼のお母さんは障がい者施設に長く勤務していた人で、理解がとても深い人。『私、障がいがある人と仲良くなるのが得意よ』と言ってくれた時、本当に嬉しかったです。」

こづかい万歳ってほぼ嘘松なのでは?

プチ炎上してるらしいが

から思ってたがこの漫画

一部事実ベースもありそうだが

興味をもたせるための変人演出

都合よすぎて創作の度合いが強そうだ

なのに実録レポ風にしてる

Xで出会った人にインタビュー

とか本当にXでそんなに来るかね?

2024-07-18

クロスオーバー・マスダイレブン ED

…もうすぐ時計の針は

12時を回ろうとしています

罵声冷笑出会とき

クロスオーバー増田

スクリプト増田

選曲:那阿仁曽檸

そしてナレーターは私、弱者男性、でした。

カンニングした理由からカンニングをやめるまで2

前半→https://anond.hatelabo.jp/20240718232635

勉強なんてますますしてやるかボケとなり、母が理想としていた聡明で清楚な娘なんてぶち壊してやった。制服スカートを短くして、私服も男っぽくして、寄り道買い食い、刈り上げにして、運動部日焼けしまくって、口も悪くなった。母が嫌いなゲーセンにも内緒で行ってた。さすがに身売りとか夜の街とか借金とか法律に反するとかのやばいことはしなかったが、できる限りで親の理想と反対を行った。

学校の授業は楽しかった。一部の先生は母みたいな上から目線で嫌だったが、大体はみんな優しかった。上から目線バカにする人はほぼいなかった。私立だったからだろうか。勉強以外で得意なことがあるならそれを伸ばそうという校風だったからだろうか。

そうなってからカンニングなんて頭になかった。気が付けば追試の数が減っていた。追試になったときも同じ追試仲間と一緒に勉強するのは苦じゃなかった。学校で受けた全国模試では下から数えた方が早かったけど、得意科目は上から数えた方が早かったからそれでいいやと思ってた。小学生の頃は得意科目がよくてもメインの科目ができないといけないと思っていたがそんなんど〜〜〜〜〜でもよくなった。父と夜遅くまで遊び、兄弟旅行遊園地に行き、母に強烈に怒られた時は友人が「じゃお泊まりしよっか!」と友人宅に何度もお泊まりした。友人の母も「子供がいっぱい楽し〜!ふぅ〜!」なノリでよく花火をして、焼き肉に連れて行ってもらった。この友人の母は「留年しない程度に勉強すればいいじゃ〜ん。あそぼーぜ!」な考えで、影響されたと思う。

一度高校の頃、地学で満点近いテストを母に見せたが「学校勉強なんだし当たり前じゃん。しか地学って笑」と笑われた。それ以外覚えていない。くそな思い出。勉強しろ!とお小遣いで集めていた漫画アイドルグッズを全部捨てられたときもあったが、それでも勉強なんかしてやるか!となった。

.

大学受験期に差し掛かり、母がまた中学受験の時のようにテストの点数点数点数となった時期。入りたくもない塾にいれられ、難しすぎる授業を受けた。宿題・予習の量が尋常じゃなく、難しさも相まって何もわからない。学校の点数も口うるさく聞いてくる。親が金を払っているからさぼる事はしなかった。塾の授業も遅刻せずに真剣に聞くが授業スピードはかっとんでいくのでわからない。

その時の塾の先生は優しかった。すっごく初歩的なことを聞いても「わからないの?」と責めて来ない。しかし優しすぎてずっと何度も質問するのがなんだか申し訳なくなってしまった。

せっかく中学で治ったと思った小学生の頃に身に染みてしまった質問は恥が邪魔して何度も質問に行けず悩んでしまう。

.

母は教えてくれない。教えないくせに「こんなの聞いていればわかる」「私はできた」と責めてくる。「あんたはやる気がない」「大金を払っているのに」「私は自力大学に入った」と武勇伝も出てきて家では口を開けば喧嘩だった。点数点数偏差値偏差値検定検定順位順位ばっかりだった。当時の私の偏差値は34で高校3年でようやくギリギリ英検3級が取れた(一敗している)。バカなのはわかってた。学校テスト大丈夫だが、受験となるとレベルが違う。全くわからない。

.

そんな中、塾で模試を受けたとき、ふと横の人をカンニングしてしまいそうになった。目が横に動いたと意識した瞬間に前に戻した。カンニングという選択肢が常に頭にあることに気が付いた。小学生の頃に常態化していたカンニング邪魔をしてくる。

それから模試最中は目の前の答案用紙ではなく、自分との戦いだった。駄目だ駄目だとペンを握る。時間を見ようと顔を上げたときに他の人に目がいってしまう。そして自分を責める。カンニング文字が頭に浮かんでしまう。結局集中できずに模試が終わる。

自分はこんなにもカンニングがすぐ思い浮かぶ人間だったのか。最低だ。でも点数が悪いと怒られる。否定される。もう親は自分関係ない!と言い聞かせても思い出すのはあの冷ややかな目。「あ、今から怒るな」とわかる表情。思い出すだけで耳が痛くなる甲高い声。早くこの受験戦争から脱しないとカンニングをしてしまう。絶対にしてしまう。早く脱したい。でもどうやって脱するんだ。だめだ、だめだ、だめだ、と模試を受けるのが怖くなった。その後も模試を受けたがカンニングしては駄目だという戦いをしていたこしか思い出せない。いつも終わった後はお腹が痛かった。

.

勉強してカンニングしないようにすればいいと勉強しても「カンニングしちゃえば楽なのに」と悪魔のささやきが頭にこだまする。勉強しても頭に入らない。覚えられない。勉強していると何故か頭が痛い。喉が苦しい。お腹に激痛が走る。自習室にいるのに母に怒られてしまうと怯える。母の視線が怖い。怒っていない時でも怒っているんだと毎日思う。あの耳が裂ける金切り声でキレてくる。突然来る。負けないぞと立ち向かおうとする。でも朝「おはよう」とあいさつするのも精いっぱいだった。「おはようから何に転じて怒られるかわからない。同じ屋根の下というだけで朝から晩まで、いや寝て意識が飛ぶまで怯えていた。「おはよう、そういえば模試の結果まだ届いていないの?」と言われるのではないか?「おかえり、今度テストだよね?」と言われるのではないか?眠くなって自室に戻ろうとすると「受験生なのにこんな早く寝るの?!」と怒鳴られることがある。母の気分次第だ。

.

そんな時、行きたいなと思った大学AO入試を知った。自分勉強指定校推薦は無理だったので早急にAO入試シフトした。論文面接は楽しかった。自分の考えを丁寧に文と言葉として落とせばいいので、公式を覚えなくていい。面接自分の会話ペースに引き込んで、延長するくらいには自信があった。

大学は有名どころに受かったので母は喜んでいた。「あんたはしゃべりがうまいからね!」とドやっていた。「何自分手柄にしてんだよくそが」と反抗期真っ只中の私はキレていた。今までさんざん「勉強できないあんたは大学なんか行けない。受験を舐めている」と言っていたくせに都合のいいやつと思っていた。私が成人した現在は「あの中学に行かせてよかった」とほざいている。お前のせいでカンニングしたという過去存在しているのになと時たま思い出してしまう。

受かった後に、とある大学入試を本気で真面目に解いて、マーク試験なのに200満点中18点だった時は父は大爆笑、母は呆れていた。「択一式なのにwwwwwま、真面目にといて?wwwある意味天才だwwww」といった父の言葉。なんだかその時に呪縛が解かれた気がした。

母は既に大学に受かっているという体があったから呆れで済んでいたと思う。それか父と兄弟がその点数で大爆笑していたからか。怒られなかった。

.

AO入試を受けさせてくれた母には感謝している。大人になってから聞くと「AO入試なら受かると思った」と。「お前にとりえなんてない。おしゃべりがうるさい子。反抗期長すぎて親を何だと思っている」とキレていたくせに。母には感謝している部分とぶん殴りたくなる部分がある。

中学受験についても感謝している。受験させてくれたことには。小学生の終わりかけのころはいじめられていて、近所の公立に行ったらそのままいじめられ続けていたと思う。受験で救われることもあったから、受験を完全なる悪だとは思わない。むしろ受験をして出会えた素敵な人たちがたくさんいる。

当時、いじめられていると母に言ったら「あんたが弱弱しくするからだよ。勉強で見返せば?」と助けてくれなかったので、ま、いじめ受験させたのではなく、母の自己満だろう。それでも私は良かった。複雑な感情だ。

.

大学時代の時は授業と勉強が楽しすぎて単位上限を超えたので聴講もしてずっと大学にいた。

そして検定を好んで受けた時、カンニング意識することはなかった。自分のペースで勉強するのは楽しい。誰にも怒られず、自由勉強して好きに試験を受けるのは楽しいので、カンニングなんて微塵も思わない。試験が楽しくて試験中は解くのに夢中になっている。落ちたって「あちゃー」と自己責任で終わるからプレッシャーもない。

検定で〇級受かったと母にいうと「まだその級なの」とバカにしてくる。そんなもんだ。

勉強以外では仲良くしている。受験就活も終わったからか母は丸くなった。怒らなくなったが、勉強の話になるとこんな感じだ。

社会人の今は帰りに図書館に寄って気象勉強をしている。今度は地震勉強でもしようと思う。

.

カンニングしたというニュースを見るとカンニングをした子が心配になる。ニュースから家庭環境は知る由もないけど、気になってしまう。カンニングをしてバレてしまい、退学、そして親から怒られるのだろう。思春期に親から怒られるあの形容しがたい恐怖と不安自死すら考えてしまうだろう。詳細は分からないが、「この子カンニングした理由が私と同じならかわいそうだな」と思う。カンニングは悪いことだ。悪いことだという大前提での話だ。金銭取引をしているようなカンニングは知らん。

ましてやカンニングで責められて自殺、親が学校を訴えるなんて察するものがある。なんで子供カンニングしたのか親はわかっているのだろうか。(処分の内容は一旦置いといて)

出来心だったとしても何でカンニングという行為をしてしまったのか。いじめとか、学校側がカンニングを仕向けて嵌めたのなら訴えるのはわかるが、そうでないのなら親がどんな思想で訴えたのか、何となくわかってしまう。子供の心情を察する。

定期的に話題に上がる教育虐待を受けて親を殺してしまった女性までは酷くないとはして、テストの点数によって怒鳴られ・責められる子はたくさんいるのだろう。バレていないだけでカンニングをしている子もいるだろう。

それを思うだけで辛くなる。私も反抗期がこなかったらカンニングを続けていたかもしれない。親に逆らえない性格だったらと思う事がある。勉強以外を認めてくれる人に出会わなかったらどうなっていたか。父、祖母兄弟も私を勉強いじめはしなかったという家庭環境も助かったと思う。

カンニングをする子は本人の意識問題もあるかもしれないが、環境も強い気がする。カンニングが悪だとはわかっているが、少しでも点数を良くしないといけない事情がどこかにあるのではないかと思ってしまう。私はモラル<親の優先順位になっていた。悪だと思ってもやらなければいけない。そんな環境があるのだろう。

点数を気にしない人と出会しかない。そんな環境にしないと抜け出せない。どうにかしてその環境から逃げ道を見つけてほしいと思う。カンニングをしてしまった事実を消すことはできないが、その子カンニングを続けないという選択肢を選べる環境になってくれ。そう願うばかりだ。

.

カンニングした人、ごめんなさい。カンニングした私は最低です。カンニングだと気が付かずに点数を付けてくれた先生たち、ごめんなさい。

今は勉強をすることが苦ではないです。大学に入ってから勉強が楽しくて仕方が無いです。だから昔の分、大学から今まで勉強していますカンニングなんて、ニュースを見なかったら思い出さないくらいには存在を忘れています。今は勉強楽しいです。自由に、好きに、勉強できるのが楽しいです。

.

カンニングした理由からカンニングをやめるまで1

カンニング卑怯であり、姑息であり、やってはいけないことだ。大前提である

長いけど吐きたくなった。本当は墓場まで持って行くべきだと、ずっと思っていた。

だけどカンニングニュースを見て以来、ずっとモヤモヤしていた。過去清算をしたくなってきた。そんな年齢なのかもしれない。

.

カンニングしたことがある。小学生中学生くらいまで。

私にとってテストの点数なんかどうでもよかった。友だちと遊べて、学校行事に楽しく参加できればそれでよかった。だけど親は違う。成績が全てだった。普段は優しくて褒めてくれるのに、点数を見たときは怒ってる。だから低い点数なんか取るわけにはいかなくてカンニングした。誰にもバレない上手いカンニングをしていた。

こんなことを言えば「カンニングをするなんてクズ」「性根が腐ってる」「カンニングした奴はぶん殴れ・退学」みたいな意見が出ると思う。そうだろう。自分もそう思う。そう思っててもカンニングはやめられなかった。やめたら点数が悪くなる。そうすると親に怒られる。第三者から指さされるより、自分の母に怒られるのだけは死ぬほど嫌だった。

「なんでこんな低いの?」「なんで勉強もっとしないの?」「遊んでいるからだよね?」と責められる。

でも当時の私はそれに「はい、ごめんなさい」しか言えなかった。小学生だった当時の自分は「なんで?なんでがわからない」としかならなかった。しかし言えば「ふざけてんの?」と絶対に怒鳴る。怒鳴らなかったとしても頭悪いと思われるという事実が嫌だった。怖くて怖くて怖い。母が自分否定してくるという事は、小学生自分にとって死ぬことの次に嫌な事だった。母がキレたときの金切り声が嫌だった。

そして勉強しようと机に向かう。何もわからない。何をどうすれば覚えられるのかわからない。あ、そうだ、聞けばいい、そう思っていたのは最初だけだった。今思えばやらなければよかった。

小3くらいの時、学校先生に「これがわからない」と聞く。先生は小ばかにしたように「こんなのがわからないの?!」と大声で驚く。クラスメイトに丸聞こえ。クスクス声が聞こえた。「わかんねーから聞いてんだよボケカス」と思った。「ひたすら書けばいい」と言われた。どうしても根本的な説明が欲しくて何度も聞いたが「あー、はいはい。これは教科書のここみて」と言われただけだった。先生はそのまま1軍のグループと一緒に遊んでいた。

また塾で算数範囲簡単でどんどんレベルアップして、学校で習っていない割り算に突入した時がある。初めてみる記号でわからない。いつも親切に教えてくれる信頼していた大人休みだったので、別の人に「教えてください」と言ったら「は?!こんなのわからないの?!」と言われたのが今でも鮮明に思い出す。「えと、初めてみる記号で…」と怯えながら言うと「ぷwwww割り算なんて簡単だよ。ほら6÷2は、鉛筆6本を2人で割るんだよ」と。明らかに面倒くさそうな態度だったから「あ、はい、わかりました」と切りあげた。"割る"という概念すらわからなかった私は適当に解いて採点に出す。全部バツだった。泣きたくなった。全部バツ人生で初めてだったからだ。

中学受験期、受験用の塾に通い始めた。わからないことを塾の先生に聞いた。「この程度で質問しにくるの?こんなとこスルーしていい」と言われた。「この程度もわかんねーから聞いてんだよ」と思った。教えてくれたけど「こんなの簡単。余裕だよ。試験になんかでないよ」と言う。私にとっては本気で悩んで本気でわからなかったことだった。それは簡単なことで質問する質じゃない。自分質問することは簡単すぎて馬鹿にされる。そう思うようになった。

親に聞く。「塾(または学校)の先生に聞きなさい」と言われた。怒られるかもと思い何度もお願いした。しかし母は上から目線で「ねぇ、なんでわからないの?こんなに説明しているのに?聞いてる?」と言った。私が「どうしてそうなるの?」「なんで?」と聞きすぎたのかぶち切れた。「理由より覚えろ!」

そこからかに質問するのをやめた。

積み重ねによって、わからない→この程度もわからない・簡単と言われるだろう→自分馬鹿→なら勉強したって意味ないじゃん。といったループになってた。

解説を読んで「なるほど」と思っても、何も見ていないと何もわからない。テキストを解いても見たことある問題だなで終わってしまう。そして解説を見て「あれと同じ問題だったのに覚えていない。自分記憶力はダメなんだ。自分馬鹿なんだ」と自分が嫌になる。もっと勉強が嫌いになる。自分も嫌いになる。間違えちゃだめだと普段勉強試験並みのプレッシャーを感じていた。そしてもっと勉強が嫌いになって机に向かっても宿題に答えを写す作業だけしてた。

また、父は「遊んでこそ人生。いろいろ遊べ!」そんな人間だったので、私は父親っ子だった。それもあって母に内緒で父と一緒に出掛けたり、買い物をした。バレたときは怒られたが父はヘラヘラしていた。母が父に怒らないようにカンニングをしていたのもあった。私の点数がよければ母は怒らない。父も怒られない。兄弟に飛び火がいかない。

.

理科だけは楽しかった。星とか断層とか自然には興味があった。だから塾のテストでも理科だけは点数がよかった。全国順位も高かった。だけど一個だけ点数がよくても塾のクラスは上がらないし、母は「理科ひとつできたところでねぇ…」と言う。中学受験のメインは算数国語から特に褒められなかった。理科のみの受験なんてないからだ。

父は勉強のことを「お母さんに聞いてね」としか言わないのでテストの点数を見せても「点数なんて気にしちゃいけないよ」と言う。励ましだと思うけど当時の自分は母と父、どちらも点数を褒めてはくれなかった。

はいつも比べる。○○さんは、兄は、テレビのあの子は、同い年なのに、あんたも同じ塾通っているのに。そして仲の良かった友人を嫌がっていた。あの子のお母さん嘘つきだから、あの子貧乏で意地汚いから、あの子小学生テストすら0点だから別に仲いいなら良いけどというが、そんな言葉は嫌いだから言うのだ。

ある時、酷かった国語テストの点数を書き換えたこともある。先生と同じペンを使ってバレない程度に書き換えた。と思ったがうっすらとバレた。「こんなに間違えているのにこの点数なの?」その時の母の目を今でも覚えている。

母に疑われている。怒鳴られる。○○さんは×点なのにと比べられる。なんで?責めされる。また遊びが規制される。兄弟と比べられる。この子は頭がよくなくてと紹介される。こんな子に育てた覚えはないと言われる。塾の金が無駄だったと言われる。教えてもくれないのに勉強を傍で監視してくるようになる。趣味バカにされる。

そんなことがドッと脳内を襲ってくる。おぼれて死んでしまいそうな罪悪感と恐怖で吐き気が喉元まで来るが、飲み込む。「そ、そんなことないよ」と答える。大きなため息をされた。冷や汗が止まらなかった。塾のラウンジでみんなが帰宅だと盛り上がる中、テストを見られて責められていた。小学生の頃のある日の記憶だが、今でも思い出すと頭痛吐き気がする。

.

カンニングがひどくなる。塾で一回遠回しに指摘された。親に連絡入っていなかったが、でもやめられない。「バレない方法は」と考え、バレない方法にたどり着いた。でもカンニングには限界があって多少は点数がよくなっても多少で止まる。

でも楽だった。カンニングさえすればちょっと点数が上がる。本当は自分の実力で勝負しようと勉強を頑張った。でもわからない。わからないのにやらなきゃいけない。怒られる。怒鳴られる。金切り声が響いてしまう。頭に全く入らない。やらないといけない何かをこなしているだけだった。

勉強する→わからない→宿題が進まない→進捗を見に来た親に「これしかやっていないのか」「なんで?」と責められる→わかんないと言えば「解説をみてもう一度解くの」と言われる→解説を見たとき理解する→また自力で解くがわからない→解説をみると同じ系統問題だと気が付き自信を無くす→やる気がそがれて進まない→進捗を見に来た親に…と責められる時間自己嫌悪時間になる。

勉強なんて嫌いで仕方がなかった。答えを微妙アレンジして写すだけの日々だった。勉強時間なんて写すだけなので10分で終わる。10分で終わると親が怪しむので、父が持ってた漫画を借りてこっそり読んでいた。自分の部屋があって良かったと思う。

「私、そばで見ているから」と母が監視しながら塾の宿題したことがある。しか問題を見てもまず何をすればいいのかすらわからない。ずっと悩んでいると「寝てる?」「集中しなさい」としか言わない。怖い。責めてくる。「全然進んでない。なんで?」「なんでわからないの?」と責めてくる。私は「ごめんなさい。わからない」しか言えない。解説バンと渡される。解説が難しすぎてわからないと母に言う。「文章の通りでしょうが!」と怒ってくる。ますます頭が痛くなって解説が頭に入らない。文字が嫌になる。責められる。そして私は限界に達し「わかんない!うるさい!ババァ!」と叫ぶ。母と喧嘩をして「親になんて態度だ!」と家をつまみ出される。そして「私が悪かった」と泣きながら家のドアをたたく。「勉強しないあんたが悪い」「勉強すればこんなことにはならない」と責めながら家に入れてもらう。そんなのばっかりだ。兄は第一子だから母は優しかった。弟は末っ子だったから母は優しかった。私だけいつもこんなんだった。

でも優しいところもあるからすべてが嫌いになれなくて嫌だった。誕生日は祝ってくれるし、お年玉だってくれる。私の好きな食べ物もわかっていて「あなたが好きな食べ物よ!」と夕飯を豪勢にしてくれることだってある。「男たちには内緒ね」と高級なお菓子をくれることもある。旅行にも連れて行ってくれる。だからなおさら怒らせたくないとプレッシャーがかかった。小学生の頃、勉強の話を家でしたくなかった。みんなで楽しく生活しているのに私のせいでぶち壊れる。勉強して追い込まないとと思っても全然できない。そして誰も見ていないお風呂で泣いてた。勉強のできない自分なんて。何で覚えられないんだ!バカだ!バカ!と自分が大っ嫌いだった。枕が濡れることもよくあった。

小学生の頃には戻りたくない。社会人になった今でも思う。社会プレッシャーの方が何倍もましだ。

.

小学校テストは授業を聞いていれば簡単ですぐ解けたのでいつも満点だった。でも母は「学校のはあたりまえじゃん」と笑っていた。塾のテストだけを見て、塾のテストだけで怒っていた。

結局、中学受験面接が重視されるところに受かった。おしゃべりは得意だった。

他の筆記だけの場所は全部落ちた。筆記だけのところはカンニングしていた。でも落ちた。そんな程度の能力だ。私は。カンニングしておいて落ちる。クズバカだ。

親としては微妙ライン学校だったらしく「受かって良かった」と言う裏では明らかに嫌がっていた。反抗期がくっそ尖っていた時期に「やっぱそんな学校いれるんじゃなかった」と言われていたのを覚えている。私が大好きな学校のせいにするなと私は怒ったから覚えている。

.

中学に入っても母はテストの点数を見てきた。英語が酷くてすごく嫌な顔をしていたのを覚えている。英語は将来必要だとかどうでもいい必要性を1時間述べて、英語を教えてあげると言われたが上から目線だったので、案の定私はキレて断った。

そんな中、中学一年先生は優しかった。一年が終わる時の面談勉強が苦しいと相談した時こう言われた。

「君はどんなタイプの子でも仲良くなれる。これほどまでいろんなグループの人と仲良くなれるのは僕の教師人生40年で初めてだ。確かに成績は良くないけど、そこだけで落ち込まなくていいんだよ」そこで初めて勉強以外を褒めてくれる先生出会った気がする。

「君の友人の**って子は成績がいいから、その子相談してみたら?」と目から鱗だった。自分小学生のころから同級生と比べられていたせいで同級生に聞く=恥だと思っていた。人に質問する=恥だとも思っていた。

そこからカンニングをしなくなった。した記憶もないし、していないと断言できる。

成績は悪かったが、学校生活はとても楽しかった。先生たちは私の成績に頭を抱えていた時もあったが「まぁ、君は学校を楽しんでいるからいいか」みたいな感じで責める人はいなかった。学業以外で頼られることも多かった。追試会場でも追試仲間と一緒に先生に「授業が面白くない・わかり辛い。こうしてほしい」と相談することも増えた。そこの校風職員室がカフェのようなノリで入れるため、おしゃべりが好きだった自分先生に遠慮なく雑談を仕掛けた。そこからテストの点数が悪いぞお前→じゃあテストどうすればいい?→ここを山にして覚えればいいんだと教えられる→山なら授業のあそこがわかり辛いなどを相談する。

追々々々試くらいまでしょっちゅう行ったことがあるが、先生バカにしてきたことは一度もなかった。むしろ「君はよく逃げずに会場に来るねぇ」と感心していた。そこから追々々々試に来る、忍耐だけあるバカ共に一から丁寧に教えてくれた。ありがとう先生

そこから母への反抗期が激しくなった気がする。父方の祖母が亡くなったからのもあった。祖母戦争体験者で父と似ていて「自由笑顔であることが一番」な人だった。私はそっち派だった。母からしたら姑としていつも喧嘩していたのは覚えている。

から何を言われても「うっせぇんだよ!」で返した。小学生の頃は母に怒られたら怯えるしかなかったが、中学高校は「世の中は勉強だけで評価されるんじゃないんだ」と感じ、勉強のことしか言わない・認めない母と時には殴り合いになった。

後半→https://anond.hatelabo.jp/20240718233140

anond:20240718122549

偏見じゃねーの? 水色と白の横縞を何も狙わず穿いていいし、男性オタクがそれを求めてるって話も聞いたことがない。まぁ俺が出会わなかっただけかもしれんが。

グレーのボクサーは確かに買ったことがないが、別に普通に買っていいっしょ。

…というか誰が何を着てもいい世界の方が皆んな生きやすくね?

恋が終わったのに、ぜんぜんつらくないんだ

本当に本当に大好きで、大切に思っていたとしても、一ミリも伝わらないものだろうか。

世界の全てがその人になるような恋がおわってからわたしは何もわからなくなってしまった。その日、わたし好きな人は、3年間毎日既読を欠かさなかったインスタのストーリーを見るのをやめた。そのまま一生変わることはなかった。本当につらくて、何が起きたかからなくて、たくさんの友達相談したけど、そのたび何故かベッドにいた。本気で話した困り事がこの人の性欲のアペタイザーにしかならないことが悔しい。音楽を作る人は世界に沢山いるけど、どこを探してもあの人はいなかった。

仕事出会ったBは、ぜんぜんわたしの生きてる世界とは合わなそうな見た目と、合わなそうな退廃的な顔をして、わたしの前に現れた。先輩に可愛がってくれと頼まれたのでたくさん良くしてあげたり、お仕事を頼んだら、ものすごく話しやすいことがわかった。初めて話した日から打ち解けて3時間電話をかけて、その日から毎日のようにLINEするようになった。わたしの展示のために東京にまた来てくれるという本気か嘘かわからないのがうれしくて、東京じゅうを連れ回して、新宿路地裏、かわいい声に気づいたらキスをしていた。Bはわたしが熱中していたことを知っているから、仕草パーソナリティーがあの人に似ているせいでしょう、というときがあった。これは半分図星で、半分は嘘だと思った。わたしの大好きだった彼は、わたしを抱きしめてくれても、わたし存在も作るものも一つも認めてはくれない。救いになるようなことを言ってくれたことは、最初デートの時しかない。Bの存在わたし創作活動革命的な勢いをもたらしてくれた。

でも、思えばあの人の影をずっと追い求めているような気もする。どうしようもない焦燥感や痛みを止めて、つくりつづける楽しさをわたしに取り戻してくれたBは、その後にした会う約束3つ全てを破った。わたし、待ってたのに。待ってたのにな、と思って迎える有給の日ほど地獄の時はない。忙しいのに休まなければよかった、ああ神様がくれた休暇なんですねと自嘲する。なんでいつもいつも、信じたくなってしまうんだろう。絶対約束に来る人よりも、ギリギリ来なそうな子が来てくれるほうが嬉しいなんて、そんなわたしからから罰がくだるんだ。

うっかり酔って抱きしめた勢いで男性はこわいんだよ、だめだよ、と優しく教えてくれて、本当にはじめてで動転するわたしをみて、朝まで一緒に寝て、そのままジュースを奢ってくれた彼の言うとおり、わたし半年後に友達レイプされる。余りに悔しかたから逆に利用し返そうと一緒にODしてみたりしたけど、幻覚はうまく見れなくて、もっと傷付いただけだった。負の連鎖は続いて、とにかく性欲を向けられることが増えて、なんだかもう絶望し始めていた。今までインドア系の部活しかいなかったせいもあるかもしれない。美しくないのが怖い、わたし身体ってなんだったっけ?

ぐちゃぐちゃの毎日を過ごしていたら、珍しく2人で遊んだのにわたしのことを性的に見ない男性がいて、わたしは久しぶりに人間のことが好きになりそうになった。キスハグもしていない、性欲もきちんとあり、わたしの大好きなニッチ性癖の話も相槌を打ってくれるし、ご飯もごちそうもしてくれるし送り迎えもしてくれるのに、わたし言動のどこかを性的同意だと思わないでただわたしに優しくしてくれただけのことがあるんだと、男性のことが、気になって仕方がなかった。恋よりも性欲じゃないかなこれは。わたしはもう壊れているんだと思う。全然顔が好きとかじゃない。でもなんかひとと2人きりになっても人間として見られたのが久しぶりで、嬉しかったのかもしれない。あたしは触れ合うことがすきじゃなかったのかな。

なんかそうやって大切にされているうちに、わたしは、自分人間に生まれたことを思い出した。今まで酷い扱いをしてきた人間の全てに怒れるようになってしまった。だからみんなに言って回った。Bにも連絡した。なんで来てくれなかったのって。好きなのに、って。そういえば告白するくらいにはBのこと好きだった。なんで約束破って、謝るでもなく、自分都合の話を進めようとするのって。でも酷いことばかりなのに連絡してくるのってわたしのことが好きだからじゃないの?って、正直に書いて、すっごく泣いた。LINEは何日見ても未読のままだった。

日経ったらなんかミュートした彼の投稿ちょっと減った気がして、気のせいかなと思ったけど、意を決して見たら全部のSNSブロックされていた。

ああ、呆気ないなぁ。彼の送ってくれたデモソングを聴きながら遅刻してる中自転車を爆走してスタジオに向かった日、辛いことがあっても彼のために頑張った日、動画制作手伝った日、自分終電犠牲にして送って帰った日。なんでこんなに好きなのに、好きはいつも嫌いになって帰ってくるんだろうか。誠実であることは、誠実を求めてしま行為なんだろうか。わからないよ。

でもすこしだけ爽快感があった。「誠実にできない人にもう関わるべきじゃない」って世の中に教えられている感覚というか。

そして、わたしが気が狂うほど大好きだったあの人が3年間もわたしを手放さなくて、いまでも明確な拒絶をしないでわたしが好きでいる余地を与え続けている理由は生殺しだと思っていたけど、それは本当に愛なのかもしれない、と、改めて愛のないBの反応を見て思ったのだった。わたし人生はこの先も、ずっときみに守られ続けている。優しい愛に。

フェミニスト人達って、創作物の中で女性キャラ死ぬと、その事実だけでキャラ個性前後関係もまるで無視して「冷蔵庫の女」(男主人公悲劇を彩るためだけの、安っぽくて薄っぺらい、つまらない女)と侮辱してくるけれど

その理屈でいうと彼女等が今盛んに持ち上げている『虎に翼』の優三はまさに「冷蔵庫の男」だよなーと思う

主人公は惚れてもないのに世間体のためだけに結婚し、産んだ子供も娘だから放置し、やがて本命ハイスペ彼くんに出会って愛されるための悲劇演出する踏み台

   令和3年8月4日   健康管理私怨士 城戸

      シムソンの定理の美しさを説明しようとする、と記載がある。 ※ シムソンの定理の何が美しいのか?理解不能。 技術はともかく、定理に美しいも何もないような気がする、という見解

   それに対し、城戸の方から、シムソンの定理は美しいというように決まっているから言い方は変えられない・・・ 人工衛星プログラムで決まっているから分からなくてもそういう風に言わないといけない

   城戸の方から、 「どうせ解けないし・・・」といった文句も見られる。なお、同日夜中の0時頃、リヴァージュシティの14階から女が出てきて、こうして出会えたんだからブヒィ、といった短い会話が

   あったが全然会話にならなかったという。

     令和4年6月19日頃から、新しい 支援士にずちゃんが着任・・・。  城戸の書いた経過表をみせると、それは昔の記録でもう使えない・・・ 衛星プログラムが変更された・・・といった

   言動。7月1日からつけ始めた、37ページにわたる、実施要領に基づく事業経過記録がこれからの主戦力になるという。 ※ 何が主戦力だゴミが、と思うが、ずちゃん悪口は言わないように

   している。ただし城戸は人ではないのでその限りではない。

anond:20240718184734

N=1でドヤられても、https://anond.hatelabo.jp/20240718120400がいう所の

「そういう女性はいるのだろう。私が出会わなかっただけで。縞パン同様に、偏在しているというか」でしかないんだよね

それを「それが多数派常識で当たり前」と主張されてもな

それ言い出したら元増田が書いてるような貧乳コンプの女もBLの受みたいな男もどこかに実在するだろうし

anond:20240718120400

最近は「性欲が強い女」もそれに該当してると思う

男向けフィクションポリコレやら何やらでレイプセクハララッキースケベが許されなくなってきて、

でもエロいシーンは入れたいが故の「女→男のレイプセクハラ」シーンが増えてきたと同時に

現実でも女は実際は男よりずっと性欲強くてエロいんだ」と主張するオタクも増えてきた

んなわけねーだろと言うとやれ性嫌悪だの何だの言いだして否定したがるのも同じ

オタク向けの商売をしている女がそれに同調して私とってもエロいんですと主張したがるのも同じ(百合セクハラなんかもこれの範疇だと思う)

「そういう女性はどこかにいるんだろうが、少数派だし、普通にオタクとは関係ない世界で)生きてたら出会わない」のも同じ

行方不明者」がおもしろ消費されるようになって胸糞悪い

行方不明展』ってのが今やってるのよ。東京で。

テレ東大森時生とかホラー作家の梨とか、あとダヴィンチ恐山とかが絡んでて、行方不明者を探す貼り紙とか遺留品とかを展示してるのよ。

もちろん実在人物じゃない。あくまフィクション

でもさー、こうやって「行方不明者」とか、「行旅死亡人」をホラーとして消費されると、知り合いに失踪者がいる身としてはめちゃくちゃ気分悪いのよ。

だっていなくなった人間と、それを探してる人両方をポルノ的に消費してるわけさ。もちろん実際の人間じゃないから誰も損害は受けてないよ。

でもテレ東でこないだ『イシナガキクエを探しています放送したばっかりじゃん。

味しめてんのよ。

人間失踪したり、それを第三者目線で断片的な情報だけで起こった怪現象(笑)事件を推察する、っていうのがホラー新ジャンルになると思ってバンバン企画打ってる。


ちょっと話変わるけど、山岳遭難YouTuberってのがいるのよ。一人じゃなく。

山で起きた遭難事故、あとはヒグマに食われたとか、そういう実際の話を動画にしている奴らがいて、ちょっと炎上したのね。

遺族のことを考えろって話で、でもそれだけみんなが見たいジャンルでもあるってわけさ。それは分かるよ。

廃墟に行くYouTuberとかもいるじゃん?あれって廃墟メジャーアングラ趣味ジャンルになって、俺も俺もってなった奴らがいるわけじゃない。

どうせ不法侵入のくせに、クリエイター気取ってる。


ちょっと脱線したな。何が言いたいかっていうと、別にホラーの中で「失踪事件」を取り扱うな、って言いたいんじゃないのよ。

失踪事件」(および親族とか捜索情報のようなそれを取り巻くもの)をホラー新ジャンルとしてムーブメントにしようとしているテレ東ホラー作家気持ち悪いってことなんだよ。

墓地肝試し定番になるとバカが墓を汚しに来る。寺の住職迷惑する。同じだよ。


しか実在人物名誉は汚してないのかもしれんけどな、失踪事件は今も起きててビラ配ったり張り紙してる関係者がいるんだよ。

それを令和の新定番みたいにすんな。

X見たら実際の失踪ビラを写真に撮って「なんか怪異匂いがする(ニチャァ)」とか言ってるやつがいるのよ。

これを生んだのはお前らだよ。全失踪者を「イシナガキクエ」にしちゃったんだ。

いろんな理由があってこの世を去ったり社会離脱した人間映画の貞子みたいなしょうもないイメージに閉じ込めてるんだ。

最後はこの展示にかかわったスタッフが全員行方不明になるとかいオチだったら許すけどな。どうせ次の構想でも練ってるんだろう。


(追記 2024/07/19)

ブコメに返信するか。みんな読んでくれてありがとうな。

上でも書いてるけど、「俺一人が嫌な思いをした」以上のものを届けるつもりはないし、読み取る必要もないよ。

ポリコレ棒」ってコメントもついてるけど、ポリティカルでコレクトネスな書き方にならないように気をつけてもエスパーがわく。国語って難しいよな。


>pazl 悪趣味だとは思うが、そのレベルで線引きするなら、殺人暴力病気交通事故、薬物とかの方が創作で使うべきでないってならんか?コナンが許されて、この展示が非難されるのはおかしいと思うわ。

pazlさんに限らず「それを言い出したら創作物とは云々……」みたいなコメントが多かったのでお気持ち表明するわ。

まず俺「コナンは許されていいが行方不明ダメ」なんて一言も書いてない。

とはいえ殺人暴力病気交通事故、薬物……すべて悲惨被害者いるから、そういう人たちは創作物をみて悲しむだろうね。

クリエイターは全員そういう想像力を持つべきだと思ってるし、それを背負ってものを書いたり描いたり撮ったりするべきだと思うよ。

青山剛昌に筆を折れとは思わんけど、いまも自分創作物が殺人加害者殺人被害者の目に留まっていることは頭の片隅に置いておけよ、って話。

あと個人的にはオーバードーズファッション的に消費されるのもよくないと思ってるけどな。まあそれは別の話だ。


>HanPanna んなこと言うなら性暴力漫画こそどうにかしてくれよ。

そうだな。俺もどうにかしてくれって思ってるよ。でも「俺がどうにかする」って一言でも書いたか?なんで俺に言うんだバカ


>buhoho 気取ってるしゃらくせー奴らが気に入らない。というお気持ちがちょと強すぎ。

>nouramu 大森時生と梨が嫌いってはっきり言えよ。イシナガキクエの上質なホラー映像演出でだめにした大森時生、嫌いです。

お、「脳とラムネ」の人じゃん!久しぶり!元気してっか!

まず大森時生も梨も嫌いじゃないし、彼らの作ったものは読んだり見たりしたことあるよ。「このテープもってないですか?」とかな。

書いてもいない真意を読み取ろうとしないでくれよ。「行方不明フォーマットを借りたホラー流行らせようとしている」ことだけが嫌いなんだ。別に大森時生はもともと嫌いじゃないし、同じ事をしようとするクリエイターが現れたら同様に憎むだろうな。

現時点では、そういう理由で、大森時生と梨が嫌いってのは事実だな。とはいえ因果関係は逆転しないよ。


まあでもちょっと最後公共性観点から批判もしておくか。お前らが読みたいであろうことをな。

ちょっとまえに椎名林檎ヘルプマーク酷似したグッズを出して叩かれたの覚えてるか?

別に「街で売ってるヘルプマークを買い占めて改造しよう」とか「知り合いのヘルプマークライブに持参しよう」とか言ったわけじゃない。誰も困ってないのに叩かれたんだ。

それはなんでだと思う?「困っている人のためのフォーマット」を全く違う用途で商用利用したからだよ。


そういう意味では「行方不明展」を流れに含むテレ東さんの最近ホラー公共性観点からどうなんですか?と言いたい気持ちもあるな。正直。

でもそれはできません。日本には憲法保障された表現の自由がある。おらー、皆の者、キャンセルの刻じゃ!出会えええ!って気持ちで書いたわけじゃないからな。

んなこたぁ分かったうえで俺は俺の嫌いなもの自由の名のもとにこき下ろしたいんだ。

俺はYouTubeにある殺人鬼の語録とか、コンビニに置いてある「本当に怖い未解決事件」みたいな本と同じぐらい浅くて悪趣味下品ものだと思うんだけど、それをテレ東主導でやってるのがキショいんだよね。

別にYouTubeとかで勝手個人がやる分には何とも思わん。

何で女って無知の知がないの?

https://anond.hatelabo.jp/20240717024350

 

ごめん、言い過ぎた

いや言い過ぎてない

 

小学生の頃から「女の体って価値があるんだ。しか若いほうが価値が高い」と気づいていた。

ただ、愚かな私は、人間扱いされた上でプラスで女体としての価値が乗っかってくるんだと勘違いしていた。

(数十年後にそうじゃないと気づいた。ババになって俯瞰しないと気付けないもんだね。若い頃はずっと上記勘違いをしていて、気づけなかった。これが若いフェミが少ない理由だと思う)

 

いや、若い女の体には価値需要)があるよ

ただし若い女の心には需要があるとは限らない

から世の中には

 

A. 若い女の体と心を求める人(結構いる)

B. 若い女の体だけ求め、心は求めない人(結構いる)

C. 若い女の体は求めず、心を求める人(少しいる)

D. 若い女の体も心も求めない人(少しいる)

の4パターン居る

 

Aの人は人間扱いした上で女体を求めるよ

でもAのほとんどはパンツ買ったりしないか

パンツ売って一番出会うのはBだよ

単にそれだけのことなのに

 

数十年後にそうじゃないと気づいた。

若い頃はずっと上記勘違いをしていて、気づけなかった

 

これだよ

出たよ

若い頃の偏った考えを捨てて、また別の偏った考えに飛びつくんだよ

フェミニストが嫌われてるっていうより、こういう思考が嫌われてるんだよ

どうして今の考えが真実だと思い込むのか

一回「勘違いだった」と思ったなら、今の考えも勘違いだと思わないのか

その理屈に隙がなかったとしても、「ひょっとしたか勘違いかもしれない運転」が何故できないのか

これが分からん

 

そんなん男女誰しも起こるじゃんって言われたら確かにそうなんだけど

どうも女子(おばさん)の方が顕著に思えるんだよね

若い頃の自分男性観をとにかく否定する人多くない?それでおばさん化して、娘とかにガミガミ言うんだよ、それ何世代繰り返してるの?

 

男ってさ、子供が大きくなったのが大人って感じするけど、女ってどこかで別の生き物になるよな

貧乳コンプキャラ、15年前の縞パンに似てる

https://anond.hatelabo.jp/20240717155232

一般的女性日常的に縞パン穿くかという話題匿名掲示板でされてて、

穿かないよ・売ってないよといった内容をそこに書き込んだら、ネカマ扱いされたうえに猛烈に叩かれたというのを思い出した。

私をネカマ扱いして叩いたのが男性だったのか、縞パンを実際に穿いている女性だったのかは、匿名掲示板なので分からないけど。

しかし当時、下着屋に縞パン、売ってなかったよね…?

女友達旅行に行っても、誰も縞パンを穿いてなかった。縞パン日常使いしていた女性って、すごく少数派だったと思うのだけど…

でも当時、初音ミクを筆頭にありとあらゆる二次元美少女縞パンを穿いていて、あとコスプレイヤーも穿いていた。

美少女イラストを描く絵師には女性も多いけど、女性絵師積極的縞パン美少女パンチラやモロパンを描いていた。

すべての女性縞パン嫌悪しているわけじゃないし、むしろ好きで描いている女性絵師たちがいたわけだし、縞パン穿いている女性もいた事実はある…。

でも下着屋で見かけるものではなかったし、スーパー銭湯など大量の女性を見る場で全然見かけなかったというのも事実…。

あの現象、いったいなんだったんだと思う。縞パンを穿いていた女性は、それをどこで購入していたんですか?

女性VTuberが「女湯で百合セクハラ」「貧乳コンプ巨乳マウント」を積極的ネタにするのも、コスプレイヤー縞パンを穿いていた事実を思い出す。

そういう女性はいるのだろう。私が出会わなかっただけで。縞パン同様に、偏在しているというか。

令和の今、街に出るとズボンやロングスカートの女ばっかりで、脚出ししている若い子はミニスカートではなくショーパンが多いのだけど、

ゲームキャラは超ミニのプリースカート90年代ギャルのシルエット)だし、レイヤーは当然超ミニのプリースカートを着用するような現象にも近い。

あと縞々のニーソックスかなぁ…二次元オタク女の子は着用してたけど、非オタはまず穿いてなかった。あれもどこで売っていたんだ…。

「そんな女、いる?」「いなくね?」「いやいるだろ死ねよ」みたいなやり取り、今後も続くんだろうな。ネタ縞パン貧乳百合セクハラではなくなるんだろうけど。

なぜ"絵"だけなのだろう。本当に不思議

例えば会計士弁護士教師保育士医師看護師

彼らは、現実人間と付き合うことを通して

社会人間同士のやり取りがすべてで、

それらが積み重なってできたものなんだ、って感覚が培われていくのだろう。

そもそも、ある一定教育を受けて倫理観を育み、試験突破するからこそ

社会的信用を得られて、それが自信に繋がってるということはあるかもしれない。

ま、それだけに不正行為をすれば吊るし上げられるのは仕方のないことだけど。

ただ、元増田に関して一つカワイソウなのは

組合等を作って団結する能力と意欲、そして想像力が全くないこと。

例えばアダルトゲーム業界ではソフ倫のような業界団体を作るとか

業界として一致団結し、文化を守ろうという意志があった。

能力は無かったのかもしれないが、きちんと外部の力を借りてでもやり遂げた。

外部圧力に対抗するというインセンティブもあったのだろうけど。

「けどさ。正直、正直な話。"絵"なんてマジでどうでもよくない?」とバカにする元増田

「いやまあ、美術館に行くとかは楽しいし。綺麗な絵を見るのは心の保養につながると思う。

から、才能のある人間に、金持ち支援して作るようなものだろ、美術品なんかは。

それだって傲慢人間支援されるわけもないわけで。

なぜ、自分に才能があると思ってしまったんだ?

それに無限お金を払ってくれるほど、価値があるとなぜ思ってしまったんだ?

絵は、誰かと共同で作業することがほとんどない。

孤独作業だと思う。

本当に自分が描きたいもの空想し、技術を磨き、完成させる。自分一人。腕一本で。

受験とおなじメリトクラシーの極地で。

受験なんて、人生で一回経験すればいいようなもの

描くたびに評価に晒され続ける。

インターネットの出現によってそれは段違いの速度になった。

否が応でも他人の結果が飛び込んでくる。

家にいても。街なかに出ても。テレビでも。

あらゆるメディアで、他人成果物に触れる。

時間、何十時間も掛けて一生懸命書いたものが。

たった1スワイプ。1ルックで。何万人の評価が一瞬で出る。

脳汁すごいだろうな。圧倒的なドーパミンだよ。

絵は趣味程度に思っておいたほうがいい。心の底からそう思う。

やるなら漫画か、アニメ映画か、きちんと共同作業必要な場にしないと。

アニメーターの給料がどうのこうのって言うけど、

結局コミュニケーションが取れないからだまくらかされてるだけ。

結局そういう世界だって能力比較はされるだろうし。

描き続けてもいい。

でも、"好き"を仕事にしちゃいけない。

いずれ苦しくなるから

あらゆることが晒され、評価され、自分の目に飛び込んでくるこのディストピアでは。

わたしは疾うの昔にこの世界を抜け出した。

頼むから、"好き"を仕事にしないでほしい。

それでも続けたいのなら、承認欲求の解消方法をどこかで学ぶといい。

あなた作品出会うのをこれからも楽しみにしている。」自分の為したことに後足で砂をかけてする冷笑は楽しかたか

出会ってすぐ相手との長期的な関係確信したことってある?

前も聞いたんだけど、あんまりまらなくてさ、出会ってすぐに相手との長期的な関係確信したエピソードを集めてる。

その時の心の動きとか、その後の経過とかを知りたい。

私はその相手とは結婚して5年が経つ。当時、自暴自棄だった私を立て直してくれて感謝しかない。出会ってからの時の流れはあっという間で、色々苦労もしたけれど、今年で一段落できそう。

逆にそんなのないけど大親友がいたり夫婦円満です。みたいなの話もあれば知りたい。

よろしくお願いします。

2024-07-17

…もうすぐ時計の針は

12時を回ろうとしています

罵声冷笑出会とき

クロスオーバー増田

スクリプト増田

選局:損名物輪内

そしてナレーターは私、弱者男性、でした。

10年の付き合いの親友と縁を切った話

●はじめに

これは相手に向けて書いたものではなく、相手批判する意図はない。

もしこれを読んで相手批判しているように思えたのならそれは私の表現力の乏しさによるものである

また、フェイクを入れずに書いているので、両者の友人知人は「もしや」と感じるかもしれない。

だとしても二人に触れずにそっとしておいてほしい。

以上のことを踏まえて、了承していただける方のみ先を読み進めてほしい。

登場人物

私=筆者

一次創作をする。

絵と文章を嗜む。

A

私の親友だった人物

絵を描くことが生きがいであり、人生のもの

この文章は、Aとの出会いから別れまでの備忘録私自身の反省のためのものである

再三になるが、この文章にはAを批判する意図はない。

●Aと私の関係

Aと私は高校入学して出会った。

そして縁が切れたのが我々が28歳になる年の2月ごろ。

10年を共に過ごしてきた仲だった。

間違いなく、一番仲が良かった友人だった。

高校3年間はクラス替えもなく、いろいろな話をして、真剣な話もして、時には喧嘩をしたりすることもあったが、それも乗り越えてきた。

大学は別々の道に進学することになったが、それでも毎日のようにLINEで会話を交わし、時々二人で遊びに行っては日が暮れるまで話し、解散後も夜が明けるまでLINEで話をしていた。

大学卒業してからもその関係は変わらない。

私が新卒入社した会社研修で2か月東京に行くという話をしたときはとても寂しがってくれたことを今でもよく覚えている。

Aは絵を描くことが好きだ。

絵を描くことが好き、と一概に言っても色々幅があるが、私から見ればAの「絵を描くことが好き」とはAのアイデンティティであり、Aの人生のものなのだと思っている。

自分気持ち言葉にするのは少し苦手のようだったが、感情を絵に込めるのは大得意でAの描く絵には喜怒哀楽様々な感情が乗せられていた。

私も少し絵を描けるが、どちらかといえば絵を描くことは好きではなく自分の描く絵は好きという難儀な性格をしている。

そんな私と比べると、Aの絵に対する思いは尋常じゃないものなのだと思う。

Aは私の一次創作ファンだった。

私の作ったキャラクターお話ファンで、この世のキャラクターの中で一番、私が作ったキャラクターが好きとまで言われたこともあった。

Aは私のキャラたちのファンアートをたくさん描いていた。

そのキャラたちしか描いてないのではないかという時期があった程度にはたくさん。

Aが絵を描いてくれることが嬉しくて、私はAにたくさん自分創作の話をした。

長くなったがここまでが大まかなAと私の関係である

●事のあらまし

Aと私は今までの一次創作の積み重ねを本にしたいという話になった。

私が書いた小説や、私から聞いた話をもとにAが描いた漫画の断片はいくつかあれど、それらを本という形に残したくなった。

そこで一次創作同人誌即売会を調べ、Aと私の二人で本を出すことになった。

私は今まで書いた小説を集め、書き下ろしの話を追加した短編集などを3冊作り、Aは私が文章で書いていた短い話を漫画の本にした。

ところが肝心の即売会は諸事情で中止となり、半年後に延期になってしまった。

頑張って作った本たちはひとまず通販に置いて、Twitterフォロワーを中心に頒布することができた。

半年後になってしまった即売会を待つ間、Aと私は喧嘩をしてしまった。

Aが私の地雷を踏みぬき、私が苦言を呈したこときっかけだった。

私としてはその場で謝罪をもらって、それで終わりで良かった。

喧嘩をしたつもりはなかったのだが、思えばAの様子が変わったのはそこからだった。

多分おおもとの原因はここなのであろう。

Aの様子が変わり、Twitterにも出てこなくなったことが心配で、私はAに手紙を書いた。

Aと大事な話をするときは、手紙を書くことがしばしばあった。

その手紙きっかけでAと仲直りをすることができた。

仲直りをしたとき電話で、数か月後に迫った即売会の話になった。

「せっかくまだ少し時間もあるし、もう一冊本を作りたい」とAに伝えた。

Aもそれに賛同してくれたので、私は本の攻勢について説明した。

前に話していたネタで、漫画の本を作りたい。長くなりそうで作画が大変だから、今回は私が全部作画をする予定で、と。

Aは「あの時のネタか」と喜んでくれ「すごくいいね」と言ってくれた。

その会話の中でAが言った。「その漫画読みたいな、何なら私が描きたいくらい」と。

しかしどうにも作画コストがありそうなので、Aに全部描いてもらうのは申し訳ない。

だがAがそこまで言ってくれたのが嬉しくて、Aにも制作に参加してもらえたらと私は返答した。

結果、表紙と人物紹介ページの立ち絵だけAに作画を頼み、あとは全て私が自分で描くことに落ち着いた。

そして私は自分が描く予定で考えていた表紙のラフや、キャラ立ち絵ポーズイメージを送り、Aに制作をお願いした。

私は今までAが描いてきたファンアートに対して何か対価を支払ったことはなかった。

強いて言うなら「新しくお話を作ること・考えること」を対価としていたのかもしれない。

だが先の喧嘩のこともあり、好意で描いてくれたものに対しても何かお返しをしたいと感じていた。

なので今回の制作に対しても「お礼をする」とAに伝えていたのだった。

Aの作業も私の作業も少し進んだころ、二人で遊びに行く機会があった。

そのときに私はAに「お礼として晩ご飯ご馳走するよ」と伝えた。

Aはそれを聞いて少し渋い顔をしたあと「じゃあ2回分で」と答えた。

Aの返答に少し違和感はあったが、私は2回分の晩ご飯をご馳走することを了承した。

だがしばらくした後、Aから晩ご飯2回分と、表紙・立ち絵を描くことは釣り合ってないと思う」と言われた。

私はさら違和感を覚えた。

もともと私が全て描くつもりで考えていたものを、Aが描きたいと言ったから急遽参加してもらうことになったのだ。

まり好意で描いてもらうものに対して、私も好意でお返しをするという形だったはずだ。

どちらかと言えば同じサークルメンバーで1つの本を共同制作する形に近い認識であった。

から「"依頼"に対しての"対価"が釣り合ってない」と言われたことは、私としては違うと感じたのだ。

しかし、自分の描きたい絵を後回しにして人からまれた絵を描くことは大変なのは私にも分かる。

「じゃあ、何なら釣り合うと思う?」とAに聞いてみた。

Aは「考えておく」と一言。この話はこれで一旦おしまいになった。

Aから"対価"の話はされないまま、その後もお互い制作を進めた。

とうとう絵と漫画は完成し、本が出来上がった。

私は刷り上がった本を一冊と、同時に一人で制作していたグッズを合わせてプレゼントした。

Aのリアクションには違和感があったままだった。

本を開き完成した漫画を読み、楽しそうにリアクションを取るAの姿は、無理をしてそのように演じているように見えた。

長い付き合いなので、Aが気持ちを抑えてそれらしく振舞う癖があること、しかしそれが下手でバレバレなことは私にはわかっていた。

Aはそのときも、何かの感情を押し殺してそれらしく振舞っていた。

そのまま迎えた即売会当日。

その日はたまたまAの誕生日でもあり、私は今回のお礼と誕生日プレゼントを兼ねていくつかプレゼントをした。

細かくは覚えていないが、確かお土産菓子と、Aが一番好きな私のキャライメージ香水

それからAは自分へのプレゼントとしてiPadを購入していたので、1000円ほどの有料のイラストアプリを入れてもらおうとiTunesカード1500円分をあげたのは覚えている。

iTunesカードは突発的な思い付きで、昼ご飯を買いにコンビニに買いに行ったときにふと目についたのだ。

「昼ご飯買ってきたよ。あとこれはい、あげる」と、さらっと渡したのだが、Aのリアクション

「はあ……」と言ったものだった。

即売会も終わりに近づいた時刻、Aから「そういえばお礼の話だけど」と話が始まり「いろいろ考えたけど、1万円で」と告げられたのだった。

……イラスト有償依頼で、表紙(カラーイラスト)と立ち絵名分を依頼した、となると確かに1万円は破格だろう。

しかし今回の話は果たして"依頼"だったのだろうか。

友人同士の"共同制作"ではなかったのだろうか。

"共同制作"ならAが「印刷費をいくらか出した方がいい?」と聞いてきた際に頂いておいたほうがよかったのだろうか。

私にはわからなかった。数年経った今でもわからない。

私は1万円を支払わなかった。

友人同士で金銭のやり取りをすることに抵抗があったからだ。

その代わり1万円分のお礼はすると伝え、今回渡したプレゼントはお礼も兼ねていることと、今日ご飯代、打ち上げカラオケ代で1万円くらいになりそうだから、それでどう?と言った。

続けて「もし対価としてお金要求するなら、それは話を引き受けるときにするべき話で、後から1万円でと言われても了承はし難い」と伝えた。

「今回はお互いのすり合わせがちゃんとできてなかったから、それは両方の責任だと思う。お礼に関してはあくま好意で渡している。もし足りなかったら今後遊ぶときに代金持つよ」とも伝えた。

Aは最後まで納得がいかなそうな顔をしていて、頑なにカラオケ代を受け取ろうとしなかったが、私はそれらの代金を全て押し付けて、その日は解散になった。

あくまで私の価値観として、金銭が発生するやり取りは"契約"だと思う。

"依頼"を受ける"対価"として「これくらいの金額で」と提示し、双方合意の上で契約が成立するものだと思う。

今回はただの口約束で、そこに契約など存在しなかったのだ。

「描いてもらいたいんだけどいい?」「描くよ」「ありがとう。お礼はするよ」

そこに金銭のやり取りが発生するとどちらも言わなかった。

私はこのやり取りのことを友人同士の口約束だと捉えていたのだった。

Aはその後、即売会の後処理や事務的なやり取りを私と交わし、私と連絡をすることはなくなった。

またもや大変長くなったが、ここまでが事のあらまし。

●縁切りに至ったきっか

約1年、Aと会話をしなかった。

そんなことは今まで初めてだった。

AのTwitterからは私のキャライラストが消えていた。

しかし連絡がなかったとは言え、TwitterLINE相互のまま。

リアル友人用のインスタも見られる状態にあった。

まだ縁が切れたわけじゃなかったのだ。

私は中途半端状態が好きではない。

Aが私に対して思うところがあるのは嫌でも分かった。

まだ友人関係を続けるなら清算必要だし、縁を切るならそれはそれも仕方がない。

迷ったが、Aの誕生日に「おめでとう」と送った。約1年ぶりに発した言葉だった。

そのときのやり取りは消してしまってもう残っていないので、事実とは異なる可能性がある。

ぽつりぽつり、とぎこちなくやり取りを交わしたが、かつての親友を歓迎する雰囲気は全くない。

まだ怒っているか尋ねたところ「そうだね」と返事が来る。

「私のことが嫌いになったならもう現れない。あなたの前からいなくなる」と縁を切る提案をした。

とてもとても時間が空いて、Aから「嫌いとか、勝手に決めつけるのやめてほしい」と返事が来た。

『なんだその返事は。どう考えても「お前もう無理」が態度ににじみ出てるんだよ』

そもそもお互いちゃんとすり合わせができてなかったことが原因だからどっちも悪いところあったんじゃないのか』

『なんで私だけが悪いみたいな態度を取られなきゃいけないんだ』

『謝ろうにもそっちの意見を聞かない限りは本当の謝罪なんて無理だろう』

『いい加減自分意見を隠して察してちゃんするのはやめろ』

私のこのときの率直な思いだ。

しかし、まだこれなら修復ができるかもしれない。

「私は今でもまだ友達だと思っている」と伝えると「私も同じかな」と返ってきた。

しっかりと話し合う時間が欲しかった。

会う約束をすることになったのだが、いろいろあって実際に会えたのはさら半年後だった。

ちゃんと話し合おう、主観で悪かったと思うところは謝って、相手の口からもきちんと思いを聞いて、

粗相があるなら謝ろう。誤解があるなら解けるまで言葉を交わそう。

そう思っていたはずなのに、久しぶりに会って私の口から出るのは、薄っぺらい近況話や中身のない話だった。

その日の私とAは、傍から見ればいかにも友人っぽかったと思う。

しかし確実に、距離が空いていた。お互い腹を探りあっていた。

私に至っては。もはやAのご機嫌取りに近かったのかもしれない。

いかにも友人っぽい二人は、大事な話もできずにいかにも友人っぽいまま解散してしまった。

その日を境にTwitterなどでやり取りは再びするようになったが、心理的距離は変わらないままだったと思う。

それでも私の誕生日には簡単イラストが贈られたので、私もAの誕生日イラストを贈った。

私はその年、結婚式を挙げる予定があったため、Aのことも誘ってみたのだが

Aはその日どうしても外せない予定があったらしく、申し訳なさそうな顔をして断られた。

しかし祝福はしてくれていて、Twitterに載せた前撮り写真にもコメントをくれたり、

ドレスの色の相談もしたりしていた。

式当日の写真にも、いいねコメントがきていた。

行くことはできなかったけど、祝福はしているという雰囲気であった。

年末、式に招待した人たちに年賀状を出そうとリストを作っていたところ、

招待したけど来られなかった人にもお礼状として年賀状を出そうと考えた。

AにLINEで住所を聞いた。Aの一人暮らし先の住所は知らなかった。

Aからは「正月帰省しているので実家に送ってほしい」と返事が来た。

私は過去年賀状ファイル実家に置いてきていたため、再度実家の住所を聞き、送った。

送った年賀状は「あて所に尋ねあたりません」のスタンプが押され、返ってきた。

Aに聞くと「省略した住所だったからかな?これが正式な住所だから送ってみて」との返事。

住所を訂正し、切手を貼り直し、再度送った。

再び、スタンプが押され返ってきた。

原因はどうやら転居届を出していたことだと分かった。

Aに「一人暮らし先の住所教えて。それか、直接渡すからどこかで遊ぼう」と伝えた。

Aは「年賀状のためだけに会うのは申し訳ないし、仕事が忙しくなりそうな予感がしてるから

しばらく遊ぶのは無理かも。何か手間かけない方法で……局留めとかできないかな」と返信した。

(やりとりは削除済みなので記憶だよりである

……私はもう疲れてしまった。

わずかに繋がっていた糸が切れてしまった感覚があった。

Aの仕事は土日休みだし休日出勤もなさそうなのに。

年賀状のためだけに会うのは申し訳ない」はどう考えても「会いたくない」の言いかえだと思う。

局留めなんて提案バカバカしい。住所を教えたくないだけなのがよく分かる。

「分かった。じゃあ会わなくていいから、どこかで話をする時間がほしい」

私はそう伝えたが、これは仲直りだとか謝罪だとかのためではない。絶縁のための話がしたかった。

しかし、Aからの返事が来ることはなかった。

話したくないの意志のものだったと思う。

話したくないことはよく分かったがそうも言ってられない。

私たちが縁を切るにはもう少し事務的手続き必要だった。

大事な話なので」と念を押しても無視された。

Aは私の連絡は無視し、Twitter更新を続けていた。

LINEブロックされたのかと思い、確認してみたがそんなことはない。

ただただ、無視をされていた。

日経って、AがTwitterでスペースに参加しているのが見えた。

別のフォロワーホストのスペースにスピーカーとして参加しているようだった。

よく見てみると、スペースに入る際に匿名で聞く機能が追加されているのが分かった。

盗み聞きのような気分だったが、そういう機能があるのだから使ってみることにした。

他愛のない会話。Aは楽しそうにしていた。

少なくとも元気であることが分かって一安心

同時に無視意図であることも分かった。

私はAに追加でLINEを送ってみることにした。

目につきやすいように、短文で3件ほど。

わざと気を引くような言葉も選んだと思う。

スペースで何か反応があることを期待したものだった。

しばらく待つと。案の定Aはその件について触れ始めた。

そこからはもう出るわ出るわ本音の嵐。

それを聞いたフォロワーも一緒になって私への悪口を言う。

いや中学生か……。いい歳した大人が……。

だがしっかりと聞きたかった言葉を聞くことができた。

「まあ、私(A)の中ではね、友達としてはね、もうあのときで終わってるから……」

これだ。私が聞きたかったのは。

私は確信を持ちたかったのだ。

その後、スペースは「謎の匿名リスナー」の存在がばれたため、

アカウントの方へ移行していった。

私はAの全ての連絡先を削除し、SNSブロックした。

そしてAとの関係肯定するものをすべて処分した。

Aからもらった絵も、渡すはずだった年賀状も、一緒に撮った写真も何もかもすべて。

Aの魂のこもった絵を処分していくのはさすがに心が痛んだが、私にはもうすでに必要のないものだった。

絵を捨てることで、私はAという存在すべてを否定した。

実家を出て、新居に必要ものだけ持ってきたはずだったのに、やたらとAの痕跡が多かったことを私は忘れないだろう。

(余談……事務的手続きをやり残したまま処分を始めてしまったため、後始末に少し苦戦した。

他人も巻き込んでしまったためここは大いに反省すべき点だと思う。)

主観と推測と反省

タイムマシンがあったら戻るか?と聞かれても、私はもう戻ることはない。

やりなおしたいわけではないが、自分の行動のどこがまずかったのかは今でも考える。

私はあのとき、ポンと1万円を支払っていればよかったのだろうか。

誕生日プレゼントとお礼を混合したのが良くなかったのか。

そもそも、お礼に何をするかを前もってすり合わせておくべきだったのか。

いっそのこと、自分の本なのだから他人に絵を描いてもらおうなんて思ったこ自体が間違いだったのか。

……恐らくすべての点で間違っていたのだろうと思う。

Aはきっと、私に対して「自分の絵(=自分人生のもの)に対して1万円の価値もないと思われた」と

感じているのだろう。

もちろんこれは断固否定するが、そんなことは決してないし、Aの絵と絵に向き合う姿勢リスペクトしていたつもりだ。

だが、思っていてもそれが相手に伝わらなければ意味がない。

私の思いはAに伝えたつもりだが、その通り受け取られなかったのなら、それは私の言葉表現方法が悪い。

そもそも受け取ってもらえなかったのはきっと今までの積み重ねもあるのだろう。

私の信用は、もっと前には既になかったのだろう。

Aが私に対して「許せない」と感じているのはもう仕方がない。

許されないことも仕方がないと思っている。

しかし、今でも私はきちんとした謝罪ができなかったことを悔やんでいる。

Aは私の謝罪必要としていないのかもしれない。だが私が謝罪をしない理由にはならない。

人間として、相手のことを本当に大事に思うのならば、きちんと謝罪をするべきだったのだ。

ここまでで書いたことはあくまでも私の主観に基づいたものだ。

ない頭を振り絞りAの立場に立って考えたつもりではあるが。本心はAにしかからない。

Aの本心を聞けなかったこと、強引な手段しか本音を聞けなかったことも非常に後悔している。

何にせよ、もう私たちは戻れない。二度と戻ることはできない。

Aが私を許せないのと同じくらい、私もAのことが許せないのだ。

かつての親友であっても、二人の共通の友人とは今は関わりがほぼない。

共通コミュニティに属していない以上、時間とともに価値観の相違は生まれものだ。

Aも私も、少しずつお互いにずれていっただけなのだと思う。

Aが使っていた「ばかたれ可愛い」という語彙がなんとも下品で嫌いだった。

家に招いたとき、部屋中に飾った好きなキャラのグッズやぬいぐるみを見て

ちゃんと定期的に埃とか取らないと汚い」と言ったことが許せなかった。

言いたいことをはっきり言わずに態度に出まくりなところが本当に嫌だった。

自分けが被害者のような態度を取られるのが不満だった。

誰が聞いてるかもわからないオープン場所で人の悪口を言ってる姿が情けなかった。

「もうとっくに友達じゃない」と思っていたのならさっさと切ってほしかった。

友達として終わってる」なら私の結婚関連の祝いの言葉は何だったのか。

これらは全てAが悪いのではなく、私の価値観に合わなかっただけである

それでも私はAを許さないと思う。

Aが私を許さないのではない、私がAを許さないのだ。

以上、非常に長く見苦しい文章を読んでくださった方に感謝します。

今思えば友人は自閉症だったのかもしれない。

 私が中学校の時の友人の話をしよう。名をMという。ガリガリでいつでもワンパンで倒せそうな子供だった。

 Mは体育の授業の持久走では絶対に走らなかった。体育の先生40歳くらいの柔道専門のいかにも強面の人で、いわゆる不良も体育の授業だけは真面目に受けていた。そんな先生相手にMは堂々と絶対に走らないと宣言し、牛歩戦術ばりのダラダラとした歩きを披露した。その光景はその先生を煽っているようにすら感じられた。

「ふざけるなよ!授業をちゃんと受けれないなら正座してろ!」

 体育教師の怒声が飛ぶ。正座のために先生が指さしたのは日陰でもなく太陽が照りつけるコンクリートの上だ。気まずさが辺りを包み込む。みんなの視線を集めているMは無言で歩き出し、当たり前のように正座を始め、グデーと腕を伸ばし体を丸めヨガポーズみたいな格好をした。このポーズは彼がやる気がないことを全力でアピールするために愛用していたものである

 ある日の給食時間中、Mは心無いサッカー部男子に「お前野菜とか食わないでデザートとかの美味しいものしか食べないな」と悪口を言われた。その日以来、給食時間には誰が何と言おうと頑なにあの謎ヨガポーズを取り続け一切給食を食べなくなった。Mのデザートはいつもそのサッカー部男子がありがたく頂戴していたという、胸糞悪い話でもある。

 あの謎ヨガポーズは彼なりの筋の通し方で、精一杯の反抗手段だったのであろう。非暴力・非服従ガンジースタイルで彼はいつも自分の気に入らないこと全てと戦っていた。

 私が中学に入るとクラス剣道経験者がいた。入学したての時に、その子に誘われて軽い気持ち見学にいくと、椅子に座らされて簡単には帰れなくなり、そのままずるずると剣道部に入ることになる。中学1年生の私を思いっきビンタしたい。踏みとどまれよ。何せそれまでの私の人生剣道との接点なんて何もなかったのだ。今思うと中学からいきなり剣道を始める方がどうかしていた。

 そんなこんなで始めた剣道は、いかんせん面白くなかった。野球サッカーバスケなどと違い、剣道は遊びでやっても全く面白くないというとにかく救えないやつだった。暑い臭い、汚いの三拍子そろっていた。

 私は己がはまり込んでしまった剣道という沼に1人でも多く引きずり込みたかった。そして生贄としてMが選ばれた。多少強引とも取れる平和交渉の末に彼は剣道部に入った。小学生ときは家にこもりがちだったMを外の世界に引っ張っていったので、彼の母には大層感謝された。WINWINである

 ある日、Mは、アップの素振り中に、面・胴・小手のリズムで、めん、どう、くせ〜〜と叫びながら竹刀を思いっき空高く放り投げた。Mは竹刀も拾わずそのまま部室に駆け込むと、周りの静止も聞かず、着替えてそのまま帰ってしまった。我慢限界だったのだろう。そのまま自然な流れでMは剣道部をやめた。1年持たなかったが、今思い返すとよく耐えた方である顧問4段、副顧問3段というガチ剣道指導者に囲まれた当時の私たちには逃げ場などなかった。中学から部活に入りそれまでまともな運動習慣がなかったMにとって、あの環境での練習に耐え忍ぶことは、想像を絶するほどのストレスだったのだろう。

 生贄はいなくなったが私は結局3年間剣道に捕らわれたままで、高校になったら絶対に辞めてやるとのモチベーションだけで最後までやり遂げた。

 Mが剣道部をやめても変わらず私はMと友達であった。

 

 Mには逃亡癖があった。自転車で実際に校外に出たのは1回や2回ではなく、駐輪場教員友達に捕まった未遂まで含めると1年で10回を上回る。駐輪場で確保された後に、教室に連れていこうとすると、自転車のチェーン式の鍵を持ち出して、近くの柱にズボンベルトと絡み合わせて己の体を固定させて、「動けない〜〜」と手足をバタつかせてみんなを呆れさせた。自転車学校からの脱走に成功したとしても、親の許可も得てないので家には帰れないし、インドアを極め煙草などの非行にも縁もゆかりもないMにいく場所などなかった。

 Mは遊戯王にハマっていた。カードでも遊んでいたが、何より当時放送されていた遊戯王5DSというアニメにハマっていた。

遊戯王アニメって所詮カードを売るためのでっかいCMだろ」

 と私がMに話した時、Mは口をパクパクさせて抗議の意をしめしてきた。私の失言癖は今も変わらないが、己の無配慮に今更ながら申し訳なく思っている。

 Mは遊戯王5DSの敵キャラ・鬼柳京介(きりゅう きょうすけ)から大きな影響を受けており、中学2年生の一時期は事あるごとにこのキャラの口癖である「満足できないぜ」を連発していた。清々しいまでの中2病だ。当時の私はというと、Mが何か変な行動を起こすたびに、同じアニメクロノス教授の真似をして、「ドロップアウトボーイなの〜ね!」と煽っていた。性格の悪い中2病だ。

 

 Mは持ち前の地頭の良さを屁理屈しか使わないので、学校の成績は壊滅的だったが、そこをイジるといつも半笑いちょっと怒っていた。普通に学校生活が送れないという意味では、リアルガチドロップアウトボーイであったMの言動は私を退屈させなかった。だからこそMと友達だった。酷い友情の形もあったものである

 

 不器用で要領悪いが自分を貫くMの姿に好感を持てた。多くの人が眉をしかめるMの言動も私は常に面白がっていた。

 あの頃の私はM君係として周りに認識されていた。1年こそ違うクラスだがその実績が認められ、当然のように2. 3年生の時Mと私は同じクラスであった。奇行が目立ち何かと周りから浮きがちなMに対して、私は特別扱いして諦めずに、失礼なこともいう対等な友達として接した。

 なぜここまで詳細にMのことを覚えているかというと、それは彼と過ごした中学生活がかけがえのない色褪せないものであるからというのももちろんあるが、正直に話すと、今の私が中学校特別支援学級担任からである

 特別支援学級にはMのような子が大勢いる。Mの特徴は自閉症に当てはまるのだ。今ならMはおそらく自閉症の診断名がつき支援学級に在籍しているだろうが、15年ほど前にそんなクラス存在しなかった。ただ変わった子が教室にいつも普通にいて、私はその子の世話係的な役割だった。

 巡り巡って今の私は中学生の自分と同じことをしている。

 教員になって特別支援クラス担当してから、私は再び彼に出会う。

anond:20240717093326

俺は毎週のプロYouTube番組を見ている趣味勢だが、

最近連写性能が120コマカメラなどが出てきて、120コマ全てでオートフォーカスによる微調整が入るそうで、

また大体のフォーカスだけを合わせてあとはトラッキング自動追尾なんてのもできるし、

明らかにオートフォーカスによってスポーツ関連の取れ高が増えたらしい

プロは100点の1枚の写真より、どんな場合でも80点を量産する「取れ高」がそのまま収入になるらしく

マニュアルフォーカスで決められた位置だけに置きピンしてその数枚だけを撮る人よりも

オートフォーカスバンバンいろんなシーンを撮る人の方が仕事上有利だとは言っていた

(ただし、その人はソニープロからバイアスはあるかもだけど)

単純にMFプロは、最新テクノロジーによって自分MF技術否定されたような気持ちになって

テクノロジーに意地でも適応しようとしないというのはあるんだろうなと思ってる

あと、YouTube動画プロ撮影方法を見るけど、オートフォーカスを使っていないプロにはあまり出会わないね

それも、YouTubeを使いこなすプロオートフォーカスをはじめとする新技術対応できているだけかもしれないけどね

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん