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2019-04-19

某経歴詐欺師顧問している会社社員気持ちになりきってみる

なんかうちの会社晒されててワロタww

ていうか会社全体で対応遅すぎだろww

あと一部でペーパーカンパニー扱いされていて草

2019-04-11

anond:20190411163225

天職行きの(成長を例えた)バスでしょ。

 

元増田がいってるのは、

バスを途中なり終点で降りてスクーターなりナナハンなりに乗り換えて

目的地まで渋滞すりぬけて走れるような才能が、自分にはなかったじゃないか!って嘆きだろう。

 

でも過去えらくなった人を俯瞰すると終点まで遅いのを我慢してバスに乗ってた人でも決して遅くはないんだよな。

まあ業種にもよるけどね。元増田は何を想定してんのかね。

そんなに才能が重視され早く結果をださなければいけない業種ってなんなのかね。

アイドル相撲取り騎手ふくむスポーツ選手なのかね。

タレント立ち位置によって別に間に合わないことはないとおもうけど。

かとうひふみんの例もある。

大企業新卒じゃなく30代で転職で入った人も実際2~3人知ってる。

公務員だって派遣顧問、出向のような形で外部から採用をとってるとこある。

芥川賞などの文学賞受賞者なんて8割以上は大卒だし他業種経験者だろ。

 

この嘆きからじゃとりあえず増田無知ってことしかわからんね。

2019-04-09

岩手県不来方高校バレーボール部所属する3年の男子生徒が自殺した問題で、県警が生徒への暴行容疑で顧問男性教諭書類送検していたことが8日、関係者への取材で分かった。

 生徒は昨年7月、「ミスをしたら一番怒られる」などとメモを残し自宅で自殺した。生徒の両親は顧問の行き過ぎた指導自殺につながったと指摘。バレーボールを顔などに投げつけたなどの暴行容疑で告訴し、県警が捜査していた。 

2019-03-31

自分が不幸体質なんだなって話

先に言っておくけど、自意識過剰なんじゃないかとかは自分が一番思ってるんで

きっかけは単純で親に「不幸体質なんじゃない?」って言われた事、それからまだ約20しか生きてない人生振り返ったらそうだなぁって話

若造戯言です。詳しく話すと長くなるなら端的に話すよ!

まず人間関係

懐いてくる奴やばいの多い、個人的にすごいの紹介するね

No.1 その日私に気に食わないことがあったら全て手紙に書いて笑顔で渡してきた女!!小学生でこれだから本当にやばい

No.2 あなたのものは全部私のモノ!セクハラお姫様👸私物ほとんどサインされた

No.3 私たちずっと友達だよね?週一で友情確認必要な女!階段から突き落とされそうになった

No.4 リスカした腕で抱きつくのやめて!不登校気味病み女子リスカめっちゃ見せてきた

No.5 お前の連絡先以外ほとんど消したから。自殺願望男!重い

No.6 何故住所を知ってるの?年賀状ガール!まじで寒気したし引越し考えた

そんな感じで自分で言うのもだけどホイホイなのかもしれない。ちゃんと嫌だって言ってたし、距離も取ってたけどとにかく懐いてくる。もちろんまともな友達もいるけどね。

次は家族

環境はそこそこ良好なんだけどタイミングが悪いんだよね、例であげると

遠足の日に身内で不幸が起こる

受験前に親が入院

大事大会前に親が大げんかで寝不足

受験シーズンに離婚寸前の騒動(詳細はプライベートに関わるから言わないけど)

旅行前に親が単独事故(しかも2回)

とにかくタイミングが悪すぎる、故意に思えるくらい。人生の節目は身構えるようになるよね。次は就職だ、怖い

次は学校関連

⚪︎大会の上位にもらえる商品顧問の気分で渡してもらえずベンチの子がもらう(抗議したがもらえなかった)

⚪︎結果が悪く顧問激怒した大会、何故か私が悪いとされてる(自分試合勝ってる)

⚪︎その年だけ異様に受験者の偏差値が高く、A判定のところに落ちる

⚪︎部長を変わった途端に部員疲労で関節を痛める

⚪︎全国大会の直前に向こうの過失で交通事故にあう(全治4週間)

等々、なんだか色々あったなってしみじみする笑 基本的タイミングが悪いし、誤解されやすいんだよね。なんでだろ

あと趣味関連

⚪︎自分推しファンサは隣の友達がよくされる(これは友達かわいいのもある)

⚪︎チケットの席がいいことがない、最後列とか普通に引く(友達は神引きするから基本任せてる)

⚪︎推しのグッズは自引き出来ない

まぁこれはみんなある事だろうしあんまり気にしてないけど

あと小さいところだったら

⚪︎レジの前のお客さんがもめる

⚪︎手をあげても見つけてもらえず当てられない

⚪︎帰り際に電車人身事故交通手段なくなる

⚪︎人と待ち合わせてる時に限って飛行機が遅延する

⚪︎携帯が数千台に一台の不具合を起こす

とか?

一個一個はあれなんだけど、ここまで重なるとね、自分は不幸体質なんだって思ってもいいかなぁって思うよね。もちろん今まではポジティブに捉えてたし、これからも言い聞かせるけど。

たぶんこの記事も誰にも気付かれずに、流れていくんだろうなって思ってるよ

もし最後まで読んでくれたなら、こんなやつがどこかにいるんだなって哀れんでくれたら嬉しいか

anond:20190321100307

部活顧問なんて素人教師なんかにやらせないでアウトソースしろ

いじめカメラ入れて警察に任せろ

学校業界はロクに学校業界以外の一般社会もロクに知らないくせに外部をいれない閉鎖性が問題なんだろ

AI戦略有識者」ペーパーが明らかに有識者によって作られてない

3月29日に「AI戦略」なるもの公表された。

概要https://www.kantei.go.jp/jp/singi/tougou-innovation/dai4/siryo1-1.pdf

本文:https://www.kantei.go.jp/jp/singi/tougou-innovation/dai4/sanko1.pdf

その他資料https://www.kantei.go.jp/jp/singi/tougou-innovation/dai4/gijisidai.html

大学で25万人にAI教育を行う」など、ずいぶん大掛かりな提案がろくな根拠もなしに提案されているひどい紙なのだけど、どうも政府はこれを軸に政府方針を作っていく予定らしい。

中身は本当にどうしようもないので、そちらの批判専門家の方にぜひやっていただきたいところなのだけど、本件、策定プロセスもなかなか怪しい感じなのでつぶやいてみる。

官房長官は、同日の会見にて

本日閣議前に、第4回統合イノベーション戦略推進会議を開催しました。会議において、関係大臣に対し、有識者から提言をいただいたAI戦略案について、実施するための政策について早急に調整し、本年夏までに政府AI戦略として策定するとともに、AI社会原則をG20等において発信し、国際的ルール作りに主体的に貢献する...(以下略)

と言っている。なので今回発表されたのは「有識者」がまとめたペーパーということなのだけど、中身の書き方を見てみるとどう考えても官僚が作った文章で、執筆に関わった人間署名もない。

第一有識者会議議事要旨を見てみると、出席者はほぼ全員官僚で、政府以外の参加者はたった3人。

https://www.kantei.go.jp/jp/singi/ai_senryaku/dai1/gijiyousi.pdf

座 長 安西 祐一日本学術振興会顧問

北野 宏明 ソニーコンピュータサイエンス研究所代表取締役社長

神成 淳司 慶應義塾大学環境情報学教授

関係府省

和泉 洋人 イノベーション推進室長 内閣総理大臣補佐官

幸田 徳之 イノベーション推進室長代理 内閣府審議官

赤石 浩一 イノベーション推進室次長 内閣府政策統括官(科学技術イノベーション担当

・・・以下略

イノベーション政策強化推進のための有識者会議」についてみてみると、

https://www.kantei.go.jp/jp/singi/tougou-innovation/dai1/siryou3.pdf

6.有識者会議の庶務は、内閣府その他の関係行政機関の協力を得て、内閣官房において処理する。

との記載があるので、ペーパーも役所組織的に作っているのだろう。

これって、役所自分たちで「有識者」の提言を作り、自分で作った提言に基づいてろくな根拠も示されていない政策を大掛かりに進めようとしているわけで、とても気持ち悪い話だと思う。

2019-03-30

anond:20190330112536

書いた本人です。

実は自分は副顧問で、主顧問多忙練習自分ほとんど行っている

全国大会行けるくらいにそこそこ練習させて育てなきゃいけないというのでゆるゆる練習はさせられないという難しさ

高校運動部顧問ぼやき

体調不良とか家事都合とか病院とかで部活を休むやつが半数いる。

特に土日。

そういったやつは、来てても練習ほとんどしない。促しても、体が痛いだの何だの言ってやらない。

絶対仮病だろうな……と思いつつも、理由理由だけに、強制的やらせるというのは難しい。

そんなやる気のないやつを見て、やる気のあるやつまでやる気をなくす始末。そしてやる気のあるやつは私への不信感を募らせてく始末。

他の顧問はそんな状況を相談しても、自分でなんとかしなさいだそうだ。

競技素人教員一年目だし、生徒をどう動かせばよいかなんてわかんないんだよなぁ。

教育活動の一環でなけりゃあ、退部勧告がさっとできるのに。

2019-03-29

NGT48第三者委員会委員AKS顧問弁護士だという噂はデマっぽい

NGT48第三者委員会報告書についていろいろと批判が出ていて,実際,報告書をだしたのに結局,新潟県JRとの契約が保留にされてしまたこからすると,「最終的には企業等の信頼と持続可能性を回復すること」という第三者委員会目的日弁連GL策定にあたって」)が達成されていないように思われるところ。

で,そのNGT48の件の第三者委員会調査報告書について,ネット上では委員の一人である髙山梢氏(真和総合法律事務所)がNGT48運営会社である株式会社AKSおよび秋元康顧問弁護士である,という言説が,まことしやかに言われている。

なんだけど,当該報告書は,日弁連GL準拠し,かつ,委員AKS特別利害関係を有していない,と謳っている(日弁連GLによれば顧問弁護士特別利害関係人に該当する。(GL脚注10))。ここの部分で嘘を吐くのはかなりリスキー

ついでに,D1-Lawで株式会社AKSに関する裁判例を調べても真和総合法律事務所弁護士代理人になっていない。(顧問訴訟代理は分ける会社も少なくないので,決定的ではないけれども。)

あとついでに,AKB政商だと思っているんだけども,真和総合法律事務所には枝野幸男氏が所属していて,与党に強いAKBGの顧問先にはそぐわない気がする。(印象論)

ということで,「NGT48第三者委員会委員AKS顧問弁護士である」というのはデマ可能性が高いと思う。

もしデマだとすれば,高山弁護士の信用を著しく貶める内容なので,刑事責任名誉毀損罪)で立件されてもおかしくないし,それ以上に,民事責任での賠償額がけっこう高額になりかねないので,要注意。

とはいえ報告書で「本委員会では,SNSまとめサイト,各メディア報道記事等に掲載されている情報についても,可能な限り検索し,調査した」と述べておきながら,自分たち中立性についての言説について全く触れなかったことは,企業信頼回復を図るという報告書の究極目的に照らせば不適切だったと思う。

(他のあれこれ言われている点については,そのうち第三者委員会報告書格付け委員会が格付け評価を出してくれるんじゃなかろうか。)

2019-03-24

相談役理事顧問などの肩書きの連中

うちの会社では大体65歳を超えているんだけどさあ

なんでさっさと辞めねえのって思う

何の役にも立たないし、顧問とか70はいってるのにまだ辞めねえの

仕事ではもう何の役にも立たないんだからさっさと消えるのが当然だろ

給料泥棒なだけのクソ連

新入社員より使えない

しろ物事を覚えようとしないので

こいつらを辞めさせて新入社員雇用したほうが

何倍もいいだろ

人手不足なんだから

こういう連中をさっさと辞めさせろや

経費削減だろ

2019-03-10

そろそろフェミニストって暴対法にひっかかるんじゃないの?

普段フェミニストがやってる「アタシの気に入らない絵は差別だと騒ぎ立てて問題にしてやる」「アタシが気に入らない奴と契約したら騒ぎ立てたり妨害活動をしてやる」「問題にされたくなかったらフェミニスト顧問として招聘して意見を仰げ」って

おもいっき暴対法に載ってるこれじゃん

(前略)

縄張り内の営業者に対して「みかじめ料」を要求する行為

(中略)

国等に対して自己公共工事等の契約相手方とすること又は他人相手方としないことを要求する行為

国等に対して公共工事等の契約相手方に対する指導等を要求する行為

(後略)

2019-03-08

ハンコ業界つええええwwww

出版社は彼らを顧問に迎えたらどうか

ワシントン条約すら無視できるパワーやばすぎでしょ

2019-03-04

細かくルールを決めた話

税理士法人代表社員を務めてます

もともと勤めていた会計事務所の所長に後継者がおらず、有資格者だった自分に後を継がせてくれた形で法人設立して代表となりました。

代表となり、先代も自分のやりたいようにすればいいと言って頂けたので社風を変えたくて規則や慣習を多く削りました。

そうすると自分は30代で入社歴も下から数えた方が早いのでベテランさんは思う所があったらしく辞めていく人が続出しました。

ただしそれは幸いにも人材はすぐに補充できたため、私の目指したかった雰囲気にはベテランさんがむしろ邪魔だったので好都合でした。

私の取り入れたかったのは「自由」ということです。

それこそ最近話題の#KuTooのように服装など業務に直接関わらない部分は各人の裁量に任せるようにしました。

以前は慣習的にスーツネクタイと革靴、女性はお客さんに会うときは夏でもジャケットと決まっていました。

会計事務所顧問先の多くは中小零細企業スーツを着る業種はむしろ少ないので、こちらの服装にも無頓着なところが多いのです。

初めの頃はそう言われてもといった感じでしたが、1年もするとほとんどの職員がノーネクタイ、夏にはポロシャツで来る社員出てきました。女性陣も自分たちのラク服装をするようになり、オシャレを楽しむ職員もいました。そうは言ってもお客さんと接する仕事なので堅苦しくなく清潔感がある服装という部分は各々の守っており、お客さんからクレームは皆無でした。

また事務所内装も変えフリーアドレスとし、以前は外履きのままで外と内の区別が無かったのですが所内は内履きとしサンダルスリッパしました。

ちなみに自分スーツネクタイと革靴という従前のままです。代表という立場柄、その堅苦しい服装常識である会社やその他関係者に会う機会が多いためです。別に自分社会的意識の変化を望んでいる訳ではないので、単純に実利を取って社会迎合するまでです。そこで自由服装をするメリットなどありません。全く外出しない時はノーネクタイですが。

この変化を皆が受け入れていれてくれ自分としても満足しておりました。ある時までは。

法人賞与の時だけ明細を個別に手渡しします。面接というほどでもないのですが、1対1で職員意見を聞きたいためです。

所内が変わってから時間が経つにつれ、その面談の際に他の職員への不満が増えるようになりました。

それは、あのお客さんに会う時はネクタイをするべきだと思うがあの人は何も考えていない、とかスニーカーはいくらお客さんに会う日では無いと言えやり過ぎ、あの子のあのピアス社会人としてどうかといった服装のことからフリーアドレスだがあの職員がいつも同じ席、あの人が使った後の机が汚い、スリッパや靴のしまい方が雑といったものもありました。

そうするにつれて見てあからさまに不仲と分かる職員も出始めて職場空気が悪くなっていきました。

全体に向けてやんわりと注意を促しても当人には伝わりづらく、かといって直接言うと告げ口されたと言われては敵いません。

もう自分としてもこんな事で頭を悩ませたくなくなり、ある決断しました。それが細かく規則にしてしまうことです。

一気に決めてしまうと不審がられて不満が出ると思い少しずつ増やしていきましまた。

銀行員と会う時はネクタイをする、スニーカー禁止チノパンではなくスラックス女性は垂れ下がるようなピアスノースリーブ禁止といった服装面。

その他机は帰る際に必ず拭く、スリッパはこの向きでつま先を揃えて置く、イスの上に足を置かないといった小学生のようなルールも決めました。

そして実際この方が職員同士の不満が減ったのです。

自由と言っても各々のラインがあり、他人がそのラインを超えた自由行使していると、当人はそれを我慢と捉えてしまい不満が溜まるようです。

これはあくま自分職場の話でそういう職員が集まっていただけかもしれませんし、もともと堅苦しい服装ルールがあったからかもしれません。

社員からすれば自由ラクだと思います。ただ所内をコントロールしなければならない立場だとはっきり言って業務に直接関わらない部分はがんじがらめにしてしまった方が圧倒的にラクです。

自分としても不本意ではありますが、何よりも利益を出すことが大事なので、特に人材資産のこの商売では所内の雰囲気規則ルールで縛って職員には何も考えさせずに業務のみに集中してもらいたいと思った次第です。

2019-02-24

anond:20190224115725

実は、中学2年から3年にかけて、今にして思えばいじめであろう状態に置かれていた。

きっかけは、俺が入っていた部活クラブチームいじめられていた奴のいじめに加わらず、そいつを庇ったこと。その翌日から標的は俺になった。そして俺が庇った奴はそちら側に加わった。

まあ集団リンチ的なアクティブなことには晒されなかったが、無視、そして嫌がらせ競技に使うものは何かしら隠され、裏の下水道に放り込まれていたり。クラブチームに通うのに乗っていた自転車は、前後バルブを抜かれ、サドルカッターで切り裂かれ、果てにはサドルごと抜かれて下水道に。

俺は部活を途中で辞めた。顧問も酷い奴で、職員室で何十分も恫喝されたけど。せっかくなので受験勉強に専念することにした。

で、ここから面白かったのよ。俺のやってる競技で強いとされている学校が、実は俺の志望校だった。そこは地域で一番偏差値の高い高校だったのだけど、俺をいじめていた連中は、その高校部活顧問に賂(まいない)を渡して便宜をはかってもらおうとしたらしい。その顧問は俺の親父の友人で、そういう行為を何よりも嫌う人だったので、親父経由で速攻話が伝わってきて、俺はひぃひぃ言って笑った。バーカ、そんなに入りてぇんなら何故勉強しねぇんだ。俺は勉強する方を選んで、まあそりゃやりましたよ。

で、卒業の時期。俺はそこに合格いじめに関わってた連中は結局受験することすらままならず、しかレベルを下げに下げた第一志望にも軒並落ちたらしい。卒業式のとき体育館の横で群れてるそいつらの目前に通りがかったが、そいつらは誰ひとり、俺と目も合わせなかった。

……と、まあ俺の思い出はどうでもいいよな。こいつらが、俺にしたことを今でも覚えているかどうか、って話さ。おそらく皆、都合の悪いことはけろっと忘れていると思うぜ。大人になってから追及されてもな、こういう手合いは言うのさ。「遊びのつもりだった」とか何とかな。やられてた側にしたら、

「遊びのつもりだった」は、

「殺すつもりはなかった」という、

殺人犯言い訳と同じ。

https://twitter.com/Shinoyan0726/status/1099479229547274240

なのにな。

から、アンタのことも、集団の中でアンタをどう扱ったかも、おそらく半分位は忘れていると思う。しか本質は変わっていないと思うぞ。三つ子の魂百まで、ってやつ。だからあえて近付きなさんな。

2019-02-16

anond:20190117105006

教職課程から逃げた学生はたくさん知ってるけど「ブラック過ぎる現場」というのも別に部活動多忙理由でなくて(むしろ部活顧問自分らの経験からやりたい子が多い)今どきのひねくれたガキとその親とのコミュニケーションブラックすぎるから自信なくして去っていったケースだったけどな

いじめ事件マスコミネット報道過熱具合が人が去ってく理由だろ

2019-02-07

引用おじさん」の会社での扱い

A.「仕事しないで、ネット掲示板また一日中やってるよ・・」

B.「増田顧問マインスイーパ以外の遊びを覚えたんだね・・」

どっちだと思う?

追記:みんなも席外す時は、ブラウザーを閉じるのを忘れずにね!!

2019-01-26

貧乏くじひきまくった時の話

ふと貧乏くじひきまくる中学生時代を思い出したので吐き出し。

自分コミュ障なりそこそこ青春謳歌した。

当時は溢れ出る正義感と、ずっとつるむ友達はいない程度のコミュ力、そこそこの成績もあって

委員長的なのを押し付けられたもした。

そういったものに喜んでたのも小学校中学年くらいまでで、

どんどん「まとめあげる」的な中間管理職的なことの難しさだとか、

色々言われるのにも疲れて正直「向いてないな」って思ってた。

でも学期ごとのそういったもののの選出は名前が上がり、向いてないと正直に言いつつも結局やることになるのがほとんどだった。


それでも、文化祭だとか祭りごとは大好きで、

行事のための看板製作などは喜んで参加してたし、そうのには関わることはしたいと思ってた。

そういったものに最も関われるのは何か? そう、生徒会だ。

その流れで生徒会立候補するのは、自分でもまっとうな理由だったと思っている。

だがしかし、そこには大きな壁があった。

生徒会は内申にしっかり書かれ、影響する。そのため、やりたがる人間が多かったのだ。



自分中学校の生徒会選挙は1年任期。毎年3学期に1,2年が、投票する。

正直、自分容姿は良くない。演説もうまくない。

そこそこ付き合いのある同学年はともかく、何もしらない下級生、上級から票が入ってる気がしなかった。

おそらく同学年からも入ってないとは思わないが決め手なるほどの支持を得られてなかったのだろう。その程度のコミュ力だった。


だがしかし、まだチャンスはあった。

その後に選出される議長は、ほぼ生徒会と同じ行動をし、行事に関われる。

幸い自分は何度も役職を任された経験上司会を何度も経験し、そこそこできている自覚はある。

しかもこれは

・必ず2年生から

・先に決まった次期生徒会長と2年の担任たちの意向

で決められる。

他に枠はなくこれが最後のチャンス。だがしかしこれなら任されると思った。

…が、落ちた。

選ばれた子は友人だった。

だがしかし、その子は内申+αが目的で、本当にそういった仕事をしたかったのではないのは感じていた

生徒会とそれ以外では関われる行事や行動が全然違う。

生徒会長もよく知った中ではあったし、教師受けもよかった(実際、担当した教員から「この役職が向いてる、推薦する」とお墨付きももらっていた)。

だがしかし自分が良くないと思ったことは曲げられないタイプで「扱いにくい」と感じられていることも自覚していた。

多分敗因はそこだろう。そう自覚しつつも非常に悲しく悔しかった。

結局その他、内申に関係する「生徒会」と各種委員長

それまで面倒を避けてたような要領の良い子が7~8割(もしかしたらそれ以上)が占め、

いままでコツコツとクラス委員会運営を支えて来たような子たちはほとんど落ちていった。





それからしばらく進みできる限り行事に関わるものに参加しつつ、結果受け入れて生活していた。

中学3年にもなると受験意識し、更に「◯◯長」をしたがる人間が増えた。

総合的な学習の班分けも同様だった。

郷土関係することをテーマを分けて発表する、という内容だったのが、

自分が興味をもって提案したテーマ希望者が自分しかおらず、

他の希望者多数のテーマに組み込まれた。しかしそれでもやっぱりそのテーマちゃん学習したくて立候補した。

だがしかし、昨年までが何だったのかというくらい希望者多数となり、じゃんけんで負けた。

勝者は正直、同学年の支持がない子だった。

案の定自分のやりたかったテーマは影が薄れ、忘れ去られ、それでもやることはやって着々と作業を進めていた。

そして発表時テーマ班長は決まっていながら、それとは別に発表の「監督」を複数人選出することになった。

もちろんこれは内申に影響しないし、監督になると発表する側にはなれない。

そして後半は発表に準備だけになるし、実質、監督が指揮を取ることになる。

「船頭多くして船山に登る」状態になるのには反対したが通らず、やはりそこで自分担当することになった。

(今思えば、それまでの行動で求心力がなかった班長で進めるのを避けたかったのかとも疑っている)


発表側をやりたかった自分は不承不承、しかし決まったものは仕方ないと全力で発表に向けて走り回った。

発表側になった班長や、人員が不足したときつのまにか発表側に回った同じ監督だった子を羨ましいと思いながら。

そして発表当日、班長の子に嫌味を言われた。

確か、小道具場所を把握してないのは監督としてどうか、的なことだったかと思う(余談だが小道具係は別にいる)

些細なことだし苦笑いしてやり過ごしたが、これまでのことでパンク寸前だった自分にはだめ押しとなって

本番中誰も来ないところでうずくまってこっそり泣いた。

ちなみにこの後も班長やらかしくれた。


そして部活も同じようなものだった。

部長副部長は生徒の投票を加味して「顧問が選ぶ」という方式だった。

当時の部活は「顧問VS部員」の構造があった。その結果、明らかに顧問が付き合いやすい」

だが部活内での求心力はそこそこの子を選んでしまった。

「票が入ってないわけではない」と強調していたが、密な付き合いのある部員間の話では

それが嘘でなくても1,2人いる?という票数であるのは皆察していた。

ぶっちゃけ得票数TOPの子たちは顧問に不満は持ってなかったんだから

部長はそこから選べばよかったのに、と思う)

その結果、顧問が転属して居なくなると「部長副部長VS部員」の対立構造に変わり、

部長副部長が居づらい環境になり、不満を持つ子たちが言うことを聞かず、落ち込んでいってるのがわかった。

自分比較的その子達と仲良かったのもあり、緩衝材として連絡する、仕切る、やきもきするという謎の構造ができていた。

正直この行動は部長たちの孤立を加速させ、良かったのかは自分でも疑問であったが、そうしないと団体行動も怪しい状況だったのだ。

結果、最初に話した議長/各種委員長でもあった2人は生徒会に入り浸り、ますます対立を深めていった。

これに関しては正直、仕方ないことだと思うし、それほど2人は追い詰められて居たと思う。

だが、生徒会室で仕事がなくても談笑した姿をみると自分が本気でやりたかたことを逃げ場にしていること、

その一方で自分がやりたくもないことばかりしている状況にがすごく虚しかった。

その気持を抱えながら部活動はやりとげた。



今でもこの一連の流れは思い出す。

あー、内申ももらえないし、バイト代がでるわけでも無いのに、

評価もされ… あ、いやこれは幸い一部からはしてもらってた。

まあ、その程度でなにやってるんだろう、明らかに貧乏くじじゃないか

そして残念なことにこの正確、環境は今でも変わってない。


根本的な理由は「やりたがる」「でしゃばりたがる」正確と長年いじられ続ける容姿

心意気をうまく伝えられないコミュ力プレゼン力であり自業自得だ、と自覚している。

本気で「義」を理由に口を出ししても、「自己のため」と誤解されることも多々ある。

そこを変えないと…と思いつつも、「誰かがやらないといけないこと」をやり続けても「やりたいこと」がやれない思い出を愚痴らせてほしい

2019-01-23

20年近くの自分人生を整理したい。

何となく、今ここで自分人生文章に起こして整理をするべきだと思った。

かなり長い文章になっているかもしれないので、とてつもなく暇で好奇心旺盛な人だけ読んでくれ。

公開する必要性は無い気はするけど、鈍感な私に誰かが何かを気付かせてくれるかもしれないと期待して公開することにした。

とはいえ身バレすると面倒なので所々フェイクは入れさせてもらう。

そして、私やここに出てくる登場人物が、貴方の周りにいるあの人だと勘付いたとしても何も言わず、仄めかしたりもしない事を約束して欲しい。


前置きはさておき、出来るだけ時系列にそって思い出しながら書いていこうと思う。

私は物心付いた頃には母と祖母と一緒に暮らしていた。

この頃は何も知らない純粋子供で、毎日を楽しく生きていた。

母や祖母と一緒にお出かけをしたり、クリスマス誕生日の時はケーキを食べたり、多分その辺の家族と何ら変わりない幸せな家庭だった。

今の私にとってもこの頃の思い出はかけがえのない大切な宝物だ。

でも、この頃から周りとの違和感をずっと感じていた。

母は毎日沢山の薬を飲んでいた。

幼稚園友達は爪が綺麗なのに私だけ真っ黒だった。

それを見た先生ちゃんと綺麗にしなさいと言われて、ちゃんと一週間に一回お風呂に入ってるのにって思った。

私の家は床がゴミで埋め尽くされていたから、夕方テレビで映る綺麗な家や友達の家が羨ましかった。

周りの友達と同じお稽古に通う度に、先生ちゃんと家でも練習しなさいと言われる。でも、ゴミだらけの家でどうすればいいかからいから何もしなかった。

書き出してみると私は何も知らなくて、何も出来なかったのだと改めて実感した。

知らないのは子供から当然だとしても、行動くらいは起こせたのではないかと思う。

もし、そうしていれば私が今こうして整理する必要もなかったかもしれない。

小学校に上がってからはその違和感がより強くなってきた。

いじめにあったからだ。

一部のクラスメイトから臭い、頭の上にフケが積もってると言われ続けたけど、何故自分けが言われているのかわからなかった。

仲の良い友達先生も誰もそんな事を言わなかったから、私が気に食わなくて傷つけたかったのだろうと思っていた。

でも、悪いのは自分だった。

当然だ。一週間も風呂に入っていない奴が同じ教室に居て耐えられる訳がない。

臭いと言われて当然で、それを指摘しない仲の良い人達はあまりにも優し過ぎた。

今思いだしたが、お稽古先の講師でさえ「私ちゃんって、ちょっと臭くない?」と私の影で言っていた。

それでも、この頃の私は皆と同じで、何故か自分だけ不当な扱いを受けていると思っていた。

気付けよ、鈍すぎるだろ。

それか、心の奥底で幼い自分にはその現状を変えられないと諦めて思考停止していたのかもしれない。

結局、そのいじめは学年が上がるに連れて収束していった。

イジメっ子も気付いたのだろう、コイツは訳ありなんだと。

もう一つ、小学校時代に思う所がある。

母が私をアーティストライブに連れ回すようになった。

毎週何処かしらのライブイベントに連れて行かれ、気付いたらファンクラブにも入っていた。

それについてよくクラスメイトと話していたら、授業参観の時にその子の親に「どうしてそんなにお金があるの?」と聞かれた。

私は上手く答えられなかった。何故なら、知らなかったから。

大人お金事情はきっと子供の私には理解出来ないだろうと思って一切考えて居なかったから。

でも、母がお金をかなり切り詰めていたのはわかっていた。

母がその事で祖母に怒られたり、よく家の電気が止まったりするのを何度も見ていた。

働いても居ない母が何故あんなにお金を使えるのかは大人になったらわかる事と思い、考えるのは先回しにしていた。

そして、段々とライブイベントに行く頻度はどんどん落ちていき、一年後には全く行かなくなっていた。

そういえば、何故母に連れて行ったのかと聞いたら、辛い思いをしている私を元気付ける為と言っていたのを覚えてる。

それは違う。きっと私を自分繋ぎ止めて置く為なのだろうと、今の私は思う。

中学時代は素敵な青春を送ることができた。

いじめにあう事もなく沢山の友達純粋に向き合う事が出来て、良い先生にも恵まれてかなり充実していた。

とはいえ、何度か辛い思いをした。

一つ目は学校休みがちだった。

中学の頃になるとちゃん毎日風呂に入っていた。家の風呂が壊れるまでは。

直す為には金と家のゴミ掃除が不可欠だった。

でも、家族全員働いていないし、私は学校生活で忙しく、祖母と母は体を悪くしているので、あのゴミ屋敷を掃除できる人間は誰も居なかった。

から、一番近い銭湯で体を洗わなければならない。

前述の通り、金が無くて毎日なんて行けないから2日に1回だけ通っていた。

それもまた異常だと気付いているから、また臭いと言われて苛められないか友達不快な思いをさせないかとずっと心の底で怯えていた。

たまにどうしても疲れて銭湯へ行けなかった次の日は母と適当理由を考えて学校を休んだ。

ベタベタ臭い身体学校に行けるはずがない。

二つ目友達を家に招けなかった事だ。

休日は仲良しグループの皆の家に行ってパーティをしていたけれど、私だけは人を家に入れられるような環境じゃないから、何とか理由を付けて断っていた。

友達は行きたいのにと少しはゴネていたけどすぐ引き下がってくれた。

本当は皆と同じように自分の家に人を招いてパーティをしたかった。

"皆がしているから"じゃなくて、皆が楽しそうなのが羨ましかたから。

三つ目は身バレするので詳細は書けない。

言えることは、母の衝動的な行動によって私の心が大きく傷ついた事だけ。

今まで点と点だったものが線になったのは高校の時。

きっとここまで長ったらしい文を読んでくれた人の何人かは気付いているだろう。

私の母は呪われている。

急にファンタジー要素が入ったと思うかもしれないが、ただのフェイクを交えた言い回しだ。

具体的な呪い名前が浮かんだとしてもそっと胸の中に閉まっておいて欲しいし、詮索は控えてくれ。

きっかけはふとエゴサしている時に、SNSで母を探しているといった投稿を見かけた時。

名字名前普遍的から違うだろうとは思ったが、読み進めていくと自分の母の事だとはっきりわかった。

何故あの時あんなに金があったのか。

答えはそこら中の金融機関や知り合いに借金をしていたから。

そういえばと思い、ポストを見ると弁護士から封筒が沢山入っていて内容は全て借金

私があの頃楽しめたのは母が返せもしないのに人から金を借りたから。

裏切られた気分だった。

今まで家族とは絶対的な物だと思っていて心から信頼していたのに。

世界が崩れ落ちたような気がした。

からといって、問い詰める勇気は無いし、その後の居場所が無くなるからととりあえずは様子見する事にした。

そして、その数週間後母の友人から相談が来た。

「母が私の部費が足りないかお金を貸してくれと言われた。どうすればいい。」と。

例年同じ時期に部費を徴収する習わしで、顧問に言われる前からわかっていたので予め母に伝えておいた。

流石にきちんと取っておいてくれているだろうと信じていたから、徴収する前に母とちょっと良い外食をしたり買い物をしたりした。

でも、そうしなければ余裕で払えた額を借りようとしていた。

母は何の計画性も無く、後の事なんて一切気にしない人間だと気付いた。

それから、別の母の友人から相談された事もある。

「母が金を返さない。問い詰めればその場しのぎの理由を作りだしたり、逆ギレする。」と。

その人への申し訳無さと母に対する呆れしかなかった。

そういった出来事がいくつか重なった後、母は自分呪いについて初めて打ち明けた。

そして、今まで悩み苦しんできた出来事根本的な原因は母にあった事に気付いた。

とはいえ、私は母を悪人だと、巷でよく聞く毒親だとは思わない。

ただの他人迷惑をかけ続けて生きる種類の生き物だと思った。

生きているだけで周りの人間を不幸にする生き物なのだと。

からといって、今すぐ縁を切れるような状態では無いから、それなりに努力しなければならない事にも同時に気付いた。

このような出来事が立て続けに起こる度に、今までぼんやりとしていた輪郭がはっきりしていくかのような気分だった。

私の家は異常なんだ、人と違うのだと。

そう気付いた瞬間、心にずっとあった霧が晴れた。

でも、霧が晴れた先に見えたのは茨の道だけだった。

自分は人と違うから人と同じようにレールに乗る事は出来ない事がわかった。

自分は人よりも辛い思いを乗り越えて生きなければならない人間だとわかった。

それに絶望して私は何もかも出来なくなり、高校不登校になった。

幸い環境に恵まれていたか卒業は出来たけど、かなりギリギリだった。

今は何となく無気力でぼーっと生きている。

一回精神病院に行こうかなと思った事はあるが、別に頭痛もしないし健康体だから行かなくても良いかなと思う。

とはいえ、やりたい事は沢山あるし、その為にやるべき事も頭の中ではっきりわかっている。

から、もうウジウジ悩んで足踏みするのを辞めようと思い、この文章を書く事で全て自分の中で終わらせる事にした。

実際問題は何一つ解決しないけれど、一度何がしたいか、どうするべきかを自分の中で明確にさせる為に、一度全て振り返って決着を付けたかった。

そして、私は決めた。

もうこの事で悩まないと。

暫くはそういう事が付き纏う人生を送らなければならないけど、これは私の人生から絶対にその邪魔はさせないと。

努力して、ゆくゆくはそれを全て消し去ってやると。

これでもう全て終わりだ。

追記➝沢山の人が読んでくれて凄く嬉しいけど、まさか創作扱いされるなんて思わなかった。

それくらい私の人生普通の人とかけ離れた物なのだろうと改めて自覚させられた。

からといって傷付いた訳では無く、もっとこの現実味の無い人生を大切に楽しんで生きていこうと思うよ。

2019-01-05

本当の自分さらけ出すのが怖い

身バレ防ぐために、フェイク混ぜてます

学生時代を振り返ると、割とイケてる方だったと思う。

顔がイケメンなのかっていうと、よくわからないけど、少なくともブサイクではないと思う。

子供の頃から、足が速かった。

特に距離ではすごくて、小学校マラソン大会では毎年一桁台だった。

親も陸上関係でメシ食ってる両親で、俺の才能っていうよりかは、親の影響が大きかった気がする。

親父のジョギングに、保育園の頃からついていって走っていて、いつの間にか俺も走るのが好きになってた。

小学五年生ときマラソン大会で一位をとった。

俺は特に感動しなかったけど、周りの狂喜乱舞を覚えている。

俺にしてみれば、一位という結果は本当にたまたまだった。

周りが喜んでいるのを見て、俺も「自分がすごいことをしたんだ」と嬉しくなった。

そういえばその後、学校女子告白されたことがあった。

一ヶ月付き合って、なんかよくわからないまま関係消滅した。

まあそれは、そんなもんだ。

で、そのまま中学では陸上部入って、県大会まではいけた。

大会ではじめて挫折を味わった。

周りが全然俺よりはやい。

俺が全力で走ってるのに、周りがどんどん俺を離していく感覚を、生まれてはじめて味わった。

甲斐ない成績だった。

それでも家族部活の皆は優しかった。

でもその頃から、たぶん俺の心の中で、走ることに対して、迷いが生まれたんだと思う。

この挫折きっかけに、もっと速くなる奴が、きっとプロになったり、駅伝ランナーになったりするんだろう。

でも俺はたぶん違う。

14歳や15歳のガキでも、自分に対してそのぐらいのことはわかる。

俺は単に周りに褒められたくて、長い距離を走ってただけなんだ。

走ることそのものに、深いところで情熱を持てていなかった。

特に大会に出て、ホンモノたちに会ってしまうと、俺がいかダサい存在かはよくわかった。

親が何とか連盟の何とかさんだとか、そんなの関係なくて。

その親と5歳から近所のコースジョギングしてました、とか、関係なくて。

ホンモノは違うんだよ。

なんていうか、オーラでわかる。

正直スタートライン立った時点で、もうホンモノとニセモノははっきりわかった。

ニセモノだったのは俺だけじゃない。

俺の感覚だと、ホンモノなのは1割ぐらいの連中。

ほとんどはニセモノ。

俺はそっち側だった。

でも、もう、マジで感覚的に全然違うのがわかったから、どうしようもなかった。

その後、走り始めたら、自分感覚が正しいのがわかった。

努力? 才能? なんなの? 何が違うんだ?

マジでわかんないけど、全然違う。

仮に俺が途中でぶっ倒れてもいいから、全力ダッシュしたとしたら、

何人かは抜かせただろうけど、それでも抜かせない選手っていうのが、結構な数いた。

あいう奴はなんなの?

意味がわかんなかった。

いや、今もわかんないけど。

箱根駅伝とか絶対見ねーもん。怖くて。

実際その場で一緒に走んないとわかんねーよ。そういう奴らと走る感覚って。

まあその話はいいや。

で、俺は陸上の成績でスポーツ推薦をとれて、高校行くわけ。

地元ではかなりいい高校

普通に受験したら、俺の頭では間違っても入れないような私立高校

そこの陸上部入ったら、まあ、周りは全然したことなくて、すぐエースになった。

俺みたいに陸上スポーツ推薦だった奴いたけど、長距離は3人しかいなくて、俺以外の2人は全然ショボかった。

てか、このレベルで推薦とれるのか、って失望するレベルだった。

エース扱いで、相当チヤホヤされてたと思うけど、心の中ではどんどん冷めていった。

俺は県大で、自分のショボさを思い知って、自分限界を感じたのに、周りの奴らは俺を神かなにかみたいに崇めてるわけ。

なにこれ?

は?

お前らはバカ

偏差値xxあって何を見てるの?

とか思ってた。

当時俺みたいな中途半端な奴って学校結構いて、自然とそういう連中とつるむようになった。

特待生学校入ってきたけど、周りのレベル低すぎてうんざりしてる優等生とか、

すげーサッカー上手かったのに部活顧問とか先輩とかと合わなくて帰宅部になった奴とか、そんな連中。

高二になってからは、そいつらといるのがとにかく楽しくて、練習サボって遊ぶくらいになった。

マラソンってくだらなくね?」

とか俺に向かって言っちゃうような奴らだった。

はじめて聞いたとき、本当に新鮮だった。

だって家族友達で、陸上否定する人間なんて、それまでの人生で会ったことがなかった。

陸上=すばらしいは当然の感覚で、それで15年間生きてきた。

いろいろ悩みながら陸上部を続けてきた俺だったが、遂に決意する。

「ごめん。陸上部辞めさせて」

家に帰って、俺は親に言った。

親が買ってくれた、1万円以上するランニングシューズエナメルバッグに入れたまま。

スポーツ推薦で部活辞めると色々大変で、揉めに揉めた。

けど俺の決意は固かった。

たくさん説教された。

俺の陸上の才能を認めてくれて、もったいないって言ってくれる人もいた。

それが一番心が痛かった。

でも俺はもう決めていた。

本当の自分で生きたい、って思っていた。

陸上は、俺が本当にやりたいことじゃないんだよ、親父、お母さん、先生

そんなことを何回も言った。

陸上の成績でスポーツ推薦を決めた奴が、陸上辞めるなんて前代未聞だろうな、と思っていたが、それはそうじゃなかった。

スポーツ推薦で入っても、挫折する奴は結構いる。

心が折れなくても、ケガでそのスポーツ続けられなくなる奴も多い。

から、俺の陸上辞めるという選択で、退学になるようなことはなかった。

俺はそこから、本当にやりたかたことにうちこむようになった。

俺が本当にやりたかたこと。

それは音楽だった。

あるとき、いつもつるんでる友達から、「バンドやりたくね?」と言われた。

最初冗談みたいだったが、いつの間にか皆楽器を買っていて、本気でやることになった。

俺はボーカル

休みの日に、皆で県で一番賑わってる駅のスタジオに行って、死ぬほど練習した。

スタジオの人がいい人で、ホントは2時間料金なんだけど、何時間でも練習させてくれた。

これが本気で楽しかった。

陸上とは全然違った。

あ、これだ、って思えた。

陸上がつまんない、っていうことはない。

だって、それなりに走るのは楽しかった。

でも、心のそこから楽しんでるか? と言われたとき、即答はできなかった。

親の影響でやってるんじゃないのか? 自分が脚速くなかったら続けてたのか?

長距離走について、そんな質問をされたら、俺は答えれないと思う。

音楽は違う。

親は音楽なんて聞かなかった。

俺は特に歌がすごく上手いわけじゃない。

それでもめちゃくちゃ楽しい

時間でもやっていたい。

どんどん上手くなりたい。

俺の他にもっと上手い歌手がいても、そいつよりも上手くなりたい。

どうして県大会とき、こんな感覚になれなかったのかは、今でもわかないけれど。

たぶん、陸上をやってる俺は、本当の自分じゃなかったんだと思う。

親が望む、自慢の子供を演じていた。

親に褒められるのはたしかに嬉しかった。

けど、俺が本当に嬉しいことじゃなかった。

俺は親の喜ぶ顔で喜んでただけだ。

音楽は、俺に直接喜びをくれた。

最高の友達が、楽器演奏する。

全員初心者からミスも多いし、リズムだってひどいもんだ。

けど、その三人が生み出すグルーヴの上に、俺の歌を乗せる。

それで曲が完成する。

時間にしてみれば、ほんの数分。

それまで長距離を走破してきた俺にしてみれば、ほんの一瞬だ。

その一瞬に、陸上の何倍もの喜びがあった。

で、忘れもしない文化祭

俺の高校文化祭は、応募制の野外ライブというのが何年か前からあった。

軽音楽部とかフォークソング部とかのバンド演奏するステージだったが、

他にも教師が組んだバンドとか、有志で組んだバンドとかが応募して、出演していた。

俺たちもそこに出ることにした。

はじめてのステージだった。

その頃になると、もう俺たちの演奏レベルもかなりのものだった。

実際その後、ドラム叩いてた奴は音楽関係に進んで、今は有名ミュージシャンのバッグで叩いて飯を食ってる。

結局そいつが一番すごかったのかも。

野外ライブで、俺らの番が来た。

バンド名はさすがに恥ずかしいので秘密だが、司会が俺らのバンド名を呼んだときちょっと肌が粟立ったのを覚えてる。

ここから将来ミュージックステーション出たり、紅白出たりしたらめちゃくちゃカッコいいな、と一瞬思った。

観客は結構集まってた。

ボーカルを俺がやっていたので、陸上とき同級生・後輩が結構いた。

ギターサッカー部の人気者だったので、それ目当ての女子結構な数いるのが見えた。

けど俺は全然ビビってなかった。

自信があった。

後輩も、もしお前らが俺を尊敬してるとしたら、単に足が速いか尊敬してるだけだろ、

でも、これから音楽を通じて、尊敬してくれ、と本気で思っていた。

それまで偽りの自分評価を得ていた人間が、本当の自分で戦うのは、本当に気持ちいいものだった。

MCで何を喋ったかもよく覚えてるが、これはマジでイタいことを言ったので、敢えて記載はしない。

四人で目を合わせて、軽く頷いて、ギターイントロを弾いた。

演奏してすぐに、違和感に気づいた。

俺が想像していた観客の表情ではない。

なんか笑いをこらえているというか、笑ってる奴もいる。

俺が想像していたようなステージじゃなかった。

当時はビジュアル系全盛期で、俺たちが選んだ曲は、L'Arc~en~Cielの『花葬』だった。

俺はHydeに全力で心酔していた。

ていうかHydeよりカッコいい人間は今でもこの世にいないと思っている。

けど俺はHydeじゃなかった。

俺の裏声は、皆の失笑を誘った。

俺はそれまで自分のことを正直カッコいい部類だと思っていたが、Hydeではなかった。

結局演奏微妙な感じで終わった。

バンド活動も、それをきっかけに終わってしまった。

それから俺は、高校卒業して、親のコネがあった地銀就職した。

数年前に結婚して、あと何ヶ月かで子供生まれる。

今年はじめて箱根駅伝を見た。

もうずっと長距離は走っていないから、落ち着いて見れた。

駅伝CMで、バンプの『ロストマン』が使われていた。

それで内心「うわああああああああああ」となったが、嫁に気取られることはなかった。

俺は生まれてくる子供に、何を伝えたらいいだろう?

俺が人生で学んだ人生訓は、「本当の自分とか言ってねーで、人から褒められることをひたすらやっとけ」だった。

でも、そんなこと子供に言う訳はない。

願わくばの子供が、ホンモノの才能を持っているか、ニセモノの自分に何の疑問も抱かないウスノロのどちらかでありますように。

こんな中途半端ダサい存在は、俺だけで十分だ。

2019-01-03

から性的虐待されて死んだ妹の増田がない。

部活顧問から殴られて死んだ人はいるし過労死自殺もいるのに性的虐待被害者は声ばかりで自殺者がいない

イケメンの気を引くために創意工夫してるだけなのが分かる

甘利俊一x上祐史浩講演の公式ページに使われている甘利先生画像が、理研広報2011年に使われた画像と同一

人工知能美学芸術研究会AI美芸研)による、第23AI美芸研「宗教と数理脳」の甘利俊一先生上祐史浩の講演が問題になっています

https://twitter.com/kikumaco/status/1080488625161232384

23AI美芸研「宗教と数理脳」の公式ページ掲載されており、ツイートにも使われている甘利俊一先生画像が、理研広報から2011年7月7日に「理化学研究所」名義で出されている「甘利俊一 特別顧問瑞宝中綬章を受章」のページで使用されている画像と同一に見えます

人工知能美学芸術研究会AI美芸研)は、この画像使用許可ちゃんと甘利俊一先生から取ったのでしょうか?

問題のページ:http://gyo.tc/1LBQK

問題ツイートhttp://gyo.tc/1LBQN

2011年理研広報画像が見えるページ:http://gyo.tc/1LBQW

2018-12-31

anond:20181230230209

ストーリー普通に面白かったとしかえんな

他のアイドルアニメとの比較でいうなら、スクールアイドルという設定が良かった。

学生顧問すらつけずに自発的にやってる時点で、いかにも青春って感じがするじゃん。

逆に商業アイドルはどうしても大人の敷いたレールに乗ってる感があるし、ぶっちゃけ金儲けのためにやってる事だからな。

ゾンビランドサガもまあ面白かったけど、キャラ動機という点では最後まで巽と状況に流されて終わった印象。

結局佐賀を救うためにアイドルやってるんだっけ? よく分からないまま最終回だったけど2期で説明されるのかな。

ラブライブ廃校から救うっていう外向けの動機と、やりたいから・輝きたいからっていう内向けの動機が並立してるのがいいよね。

とはいえさすがに廃校ネタは飽きたから、3代目があるなら別のにして欲しいけど。

2018-12-27

anond:20181227041024

リアリティって言われてもなぁ。

10年以上前のことをリアリティ交えて他人に伝えるのは不可能なんだが。

端的に言えば周りも吸ってたし部活顧問先生の真似したんだけど、他にも色んな心理状態が複雑に絡み合っての出来事だったんじゃないの?覚えてないけど。

不良は嫌いだったから不良には憧れてないし、100%若気の至りなんで健康上のデメリットなんか認識してても気にはしてなかったよ。

2018-12-25

[]

高校とき部活の夢

オレキャプテン

合宿してて朝目がさめた

7時半くらいだったか安心して二度寝したんだけど不安になってグランド見に行った

そしたら8時前なのにもう練習試合やっててしかも負けてる

うわーやべえええと思いながら見てた

終わってから顧問のとこに集まった

顧問はブチギレた顔でこっちみて、なんで負けたと思うや、みたいにいってくる

まともに目が合わせられない

いや何時から練習試合やるとか聞いてなかったしとかいろんなことがぐるぐる頭を回る

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