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はてなキーワード: 大学受験とは

2019-01-16

たぶん受験に落ちる。センター三日前にこんなん書いてる時点でお察しだが、まあ第一志望の国立には落ちるし、滑り止めの私立だって今の私じゃあつるつる滑って止まらない気がする。受験に、落ちる。

思えば受験に落ちまくっている。中学受験高校受験も見事に落ち、さらには大学受験にも落ちるとなるとさすがの親も腹に据えかねるものがあるのか「第一志望に受からなかったら学費以外の援助はしない。ことによったら学費自分で払ってもらう」との申し出があった。さもありなん。これだけの失敗をしておきながら1ミリ努力しない子供に出す金はないと思う。

なんというか、今まで徹頭徹尾努力できたことがない。やった方がいいのは当たり前だし、努力して何かを成し遂げた人たちは凄い輝いてみえる。そうなりたいと思う。でも努力できない。できないじゃなくて努力しないだ。すぐ楽な方に逃げてしまう。山積みになったやるべきタスクを目の前にしながら他の楽しいこと、具体的には文章を書くとか、そういうものに手を出してしまう。タスクがない時は文章を書くのもめんどくさくなってもっと受動的な楽しさに逃げる。YouTubeニコニコ動画で日が暮れる。

家畜に産まれてくるべきだったと思う。家畜価値は肉にあるので生きているだけでいい。どうして屠殺してくれる人もいないのに今私は人間なんだろう

受験に落ちる。受験に落ちる。受験に落ちる。ああいやだ

そうだ嫌いな奴がいる。以下Kとする。Kはすごく勉強ができて何でも分かったふうな口を聞いてそして見た目がいい。たぶん人間として1番見た目がいい季節にいる。なにもかもすらっとしている。ぶるっぶるの肉の塊の私とは大違いだ。Kは頭のいい大学を受ける。多分受かると思う。傍目から見ても努力しているし、何より頭がいい。私とは何もかも違う。Kは私にないもの全部を持っている。何でも分かったふうな口を聞くのは何でも分かっているからだ。私と目が会った瞬間に私の外面の醜さも内側の醜さも分かるんだろう。だから私はKを神様のように恐れているのにKは私をゴミクズほどにも思っていない。だから嫌いだ。大嫌い。ぶん殴りたい。いつかぶん殴る。

生きなきゃいけない。大学に落ちてもクズでも家畜でも地獄でもブスでも頭が悪くても屠殺してくれる人なんかいいから生きなきゃいけない。まずはセンター試験だ。あーあやだな

2019-01-15

英語小論文だけ半年やって慶應SFCに行った馬鹿帰国子女です。今とても満足しています

まず、自分には学問だとか、学ぶことには全く興味はありませんでした。小学校からのんべんだらりエスカレータ高校まで上がってきた、偏差値普通学校に通う高校生でした。

ですが、高校三年の初めに親から会社を継ぐにしても四大だけは出ておけと言われ、どうせなら付属大学ではなく、大学受験というものをしてみて、それなりに有名な評価の高い大学に楽に行きたいと考え、調べた時、慶應SFCという学部を見つけ、狂喜乱舞しました。

ご存知のかたもいるかと思いますが、慶應SFCというのは入試科目英語小論文だけという、超軽量入試を行っている学部です。

幸いなことに、親の自営業の関連で五年間英語圏で過ごす機会があった私は、英語だけはやたらめったら出来たことを理由慶應SFC第一志望にすることを決めました。

ここからは早かったです。受験英語とはいえ英語英語、それなりに英語だけは自分勉強していたこともあり、初めて受けた駿台模試で、英語偏差値は65を超えました。

そして、小論文に関しては、親が人づてに聞いて、専門の塾から家庭教師を呼び、徹底的に対策してくれました。(お金かかったと思いますありがとうございました。)

小論文英語勉強はさほど苦ではなかったので、付け焼き刃とはいえ小論文に関しては家庭教師太鼓判を押すほど、最後に受けた駿台模試で、英語偏差値は70を超えていました。

受験日当日も緊張はありませんでした。努力した時間は凄まじく少ないとはいえ合格できるだけの能力は身につけたと考えていました。

あっさり受かりました。親は喜んでくれました。(二人共成蹊の内部進学だったので、大学受験に関して良く分からなかったようですが)

自分SFC一年生です。幸いにして内部事情を知らない人から慶應扱いを受けることが出来ます

一人暮らしも、文系理系の授業どちらもも楽しいですし、学友も面白い人ばかりです。

超軽量入試で色々言われることもありますが、評判ほど悪くないですよ!

英語だけ出来たりする高校生は是非来てみては?

2019-01-11

教育困難高校の生徒を個別塾で見てるバイトだけど、たぶん大学受験は無理だろうなと思ってる。

色々と色々と色々!試してみたけど、効果がない。

ほんとに勉強しないのね。彼ら。

数学なんて使えればいいと思います

なんで高校数学に絞る必要があるんですかね。

anond:20190110142434

数学の難しさには上限がない。しかも、そんな難しい数学普通に使う必要がある。フーリエ変換とか統計手法とかをちゃん数学的に理解して使ってるやつがどれだけいるんだ。俺は理解してない。

数学を「理解する」のもどのレベルかって問題がある。円錐の体積は高さ×底面÷3か?それ積分で求めたか積分ってなんだ?極限の概念をどこから理解してる?そもそも1とか2とか3とかって数字はどういう公理からできてる?

個人必要範囲理解するべき範囲も全く違う。大学受験必要なだけなら大学受験ができる程度に暗記すればいいだけだし、お釣り計算しかしない人なら足し引きだけできればいい。理系大学でしっかりやるならもっと必要範囲は増える。「この範囲」なんてラインはないはずなのに、なんで「高校数学理解していること」が絶対だと定義しているの?

料理だってどこまで化学的な理解をしているのか。日常からないことはいっぱいです。

2019-01-10

真面目に通学し始めるまでの話

うっかり進学校的なアレに入学してしまったのがすべての間違いだった。弟が壊滅的に勉強が苦手なのでまだマシと思えていたのもある。

高1の1学期末、数学試験で3点を取った。勉強へのやる気が消えた。

それからというもの全く勉強せず、高校2年に上がってから半年ほどは、オトナに話すとそれはまあ叱られそうな生活を送ってきた。




1学期は、これでもかと言うほど学校をサボった。3日行って1日サボる。そんな生活を3週間続けると、担任に呼び出され進級に響くから体調不良その他の理由がない限りはなるべく来なさいとお達しがあった。

その時1年間で何日休むと進級できないのか、と行った旨の数字を聞き、私は即座に脳内でそれを3で割った。

月に3回は休んでも進級に響かないという結果だったため、5月中旬からはしばらく毎月3回休むことにした。



親には学校を休むことを言っていなかった。

部屋の窓の鍵を開け、わざと遅刻する時間に家を出、親に遅刻連絡を入れてもらう。こうなると私の勝ちだ。

学校遅刻連絡を入れた生徒が欠席しても電話を掛けてこないことは、数年前酷い生理痛遅刻連絡を入れ、結局体調が優れず休んだ経験からすでにわかっていた。

両親が仕事に行って家を出たであろう時間帰宅し、自転車を親戚が住んでいる近所のアパート駐輪場にこっそり置く。

部屋の窓から家に入って靴箱に靴をしまい、哲学書を読み、父親本棚から経営指南書を拝借して読み、日本史教科書を開いては眺め、日本史問題集を解いては資料集を開く。

数学の成績は中学一年のころから壊滅的だったので、時折チャート式問題集を開いて何問か解いて、分からないのでうんざりして本棚泉鏡花全集に手を伸ばしたりしていた。

夕方普通に学校に行って帰っても親が帰るのは私の帰宅後だったこともあり、アパート駐輪場から自転車を回収し何事もなかったかのように帰宅する。

完璧計画であった。

自転車で通っていても、ふと、学校ではないどこかに行きたくなることがあった。

駅の公衆電話から腹痛が酷く自転車を押して向かっている、遅刻するかもしれないという旨の電話を入れる。

事務員さんが頷き、電話を切ると、制服ジャケットの裏ポケットに入れたスマートフォンを取り出してマップアプリを開いてはあれこれ考える。

空港に行って飛び立ってゆく飛行機を見て、展望所のすぐ近くのテーブル数学問題集を開いて空を眺めつつ問題と格闘した日もあった。

海に行って、靴下を鞄にしまい、ひとしきり波と戯れたあと小さなハンカチ必死に足を拭いた日もあった。

小学生の頃親しかった友人と秘密基地を作って遊んだ山に登ると、ため池が作られていて秘密基地があった場所には行けず、立入禁止看板の前で住んでいる市内を一望しながら体操座りで弁当を食べた日もあった。

毎日が最高に楽しかった。学校の友人らとカラオケに行ったり自撮りをしたり、恋の話をしたりアイドルの話をしたりなんて小指の先にも満たないしょうもないものに思えた。

それこそ高1の夏休み、ふと思い立って某中国四国連絡橋を単身歩いて渡り海を挟んだ隣県に行った時と同じくらい楽しかった(ちなみに高1夏、私は自県まで残り3kmを残してポカリスエット4本が底をつき海の上で死にかけた)。

月に3回のこの楽しみが、わたしを生かしてくれているように思えた。それこそ「行きたくなくなったら学校休もう」って決めた日以前の検索履歴には「首 吊り方 苦しくない」だとか「飛び降り 何階以上」とかい言葉散見されていたので。


しかし、この自分的にはなんとも素敵で素晴らしい日々のことを友人に話すと、それはもう極度の批判を浴びた。こんなに楽しいのに。

友人は勉強ばかりして、親の期待に応えることばかり考えてコドモゴコロだとか冒険心だとかを忘れてしまったのではないかと訝しんだ。

じぶんの楽しい思い出が否定されるのは嫌だったので、それ以降だれにもこの日々のことは言わなかった。



夏休みになると、大学受験を見据えて塾に入ることを親に勧められた。

県下ではまあそこそこの、毎年何名か東大合格者も輩出しているような学校に通っているからか、周囲がわたしを置いて受験モードに入るのがやたらと早かった。

大学受験と言われても、それまで進路なんて考えたこともなかった。彼氏いないし。コイビトと同じところに行きたいとかいあるある進路選択方法も、選択肢が存在しないのだから選びようがなかったのだ。

最終的に塾には通うことにした。初回体験授業の講師イケメンで、軽い気持ちで授業後アンケートにまた受けたいと書いてしまったのがいけなかった。布団の中で後悔して、今年の夏は一人でどこまで行こうかと考え気をそらしていた。

しかし、何回か通ううちに気が変わった。友人皆が大手塾に通う中、私はマンツーマン型の小ぢんまりとした場所だったので、周りに私を知る者はほとんどいなかったのが救いだった。

塾で分からないところは基礎の基礎だと薄々感づいていようが分からないとごね、分かったらこれでもかと喜ぶ(時々声がでかくてブースの外に聞こえると窘められた)。


夏も過ぎ二学期中間試験も終えた10月ごろ、仲良くなった塾講師に、件の日々の話をしてみることにした。この人はやたらと毒舌だが顔はいいので、何を言われても許せる自信があった。顔はいいので。

講義講義の間の休み時間の間に雑談のノリで喋った。学校サボって空港とか海とか行ったことあるんよね、マジでしかった。ホンマはアカンけど。

塾講師の反応は予想と違っていた。返ってきた言葉は「絶対勉強ばっかしとったよりええと思うで〜」「アホやなとは思うけどええとも思う なんも考えてなさそうで」という完全に私をアホとみなした上での肯定だった。


よく分からないがムチャクチャに嬉しかった。それはもうムチャクチャに嬉しかった。この人にはアホな所を堂々と、それこそ正弦定理余弦定理から2次方程式の解の公式までこれでもかと意味わからん何これと聞きまくっていたので、アホ呼ばわりされることがなぜか誇らしかった。

小学校中学校の頃は何もせずとも常に成績はトップだった。高校でも文系科目がまあそこそこできたおかげで順位は真ん中より少し下、成績を上げなさいとは言われるが面と向かってお前アホやなと言われる機会はこれまでの人生一度もなかった。いや影では言われてたかもしれないが。


「やろ〜!? いや自分でもやばいなとは思うけどなんか楽しかったんよね…冒険しとるみたいで…」と返すと、授業開始のチャイムが鳴った。


私は学校を休むのをやめた。

受験勉強、がんばります

anond:20190110214928

それはどっちかというと、数学以外でも本来「暗記事項」はそういう態度が求められるってことな気がする。

うまく表現できないが、なんとなくのイメージとしては、

そういう理解を経ない暗記は要するに「丸暗記」であって、望ましい形式としてのきちんとした暗記(=「知識インプット」?)とはずれるんではないかなあと

典型的な「暗記」とされる歴史用語だって自分大学受験する時は青チャート周回と同様、論述書くときとかのために「理解して」が求められてたような指導だったし。

2019-01-09

この1~2年ほど、ある友人との関係を絶ちたくて悩んでいる。

高校時代からの友人のAちゃん

高校の3年間を同じクラスで過ごし、親友とは言わないもまでも、良好な友人関係を気付いてきた。


田舎進学校である母校から、私は東京大学に進み、その後東京企業就職し、20代後半の現在に至るまで東京暮らしている。

Aちゃんは、高校卒業専門学校に進み、私より数年早く社会人になり、ちょうど私が就職をするのとほぼ同タイミング東京にやってきた。

(私も彼女ミーハー性格なので、もともと都会への憧れが強かったのだ。)


お互いに社会人になってからの数年は楽しかった。

ちょうど同じタイミングで二人とも2.5次元舞台にハマったこともあって、一緒に舞台に何度も足を運び、チケット当落一喜一憂し、物販に朝から並び、地方遠征に繰り出した。

まりにお互いの熱量が高く、また周りに同じような趣味を持つ知り合いもいなかったので、役者Twitterブログでなにかネタを投下してくれる度に、私たちは大げさに騒ぎ、電話LINEでは満足が出来ず、毎日のように会ってはお互いの推しについて語り合っていた。


だけど、そんな蜜月は去ってしまった。


最初きっかけは些細な事だったと思う。

そもそも、Aちゃんと会う時に待ち合わせする駅やお店は、ほぼ100%私が決める。

一緒に旅行をする時も、宿、交通、全体のスケジュール検討・決定、全てにおいてこちらに主導権がある。

※私は食べ物や旅など、自分趣味領域にこだわりがあり、かつリサーチプランニングが苦にならないタイプなので、それが不満という話ではない。


ただ、彼女はいだって「私はなんでもいいよ」「いいね!楽しみ!」と言う。

そのくせ私が連れて行ったお気に入りのお店に、他の友人を連れて行って喜ばれた話を私に向かって何度もする。

男の子の話をする時に、男の子側にすべてのプランニングを任せた上でそのチョイスがいまいちだった、というような話も聞いた。あと、職場の人がチョイスした送別会のお店が高い!という愚痴とかもあった。(一人5,000円程度だったけど)


最初の、ただ「自分意見を持たない子」だったらまだよかったのに。

一緒に東京で過ごした約5年ほどの時間の中で、気付いた時には、彼女所謂「クレクレちゃん」になってしまって、挙句には「選択すること」の責務を他人100%押し付けた上で、その内容に対して文句を言うような人になってしまっていた。


エピソードの蓄積を経て上記の気付きに至った時に、「もしかしてこれは私がなんでも決めてしまっていたせいなのかな…」とだいぶ思い悩んだ。ひと月ほど毎日、気付けば彼女の事を考えていた時期があった。

さすがに辛くなって、高校時代に私よりも彼女と親しくしていた共通の友人一人だけに相談をしたら、「いや、彼女高校の時からそんなんだったよ」と軽く返された。

「そうなのか…」と胸落ちすると同時に、当時職場上司に「もっと他人に興味を持て」と叱責されていた時期でもあったので、その証明みたいでそれはそれで落ち込んだ(蛇足


まぁここまではなんとなくもやっとする出来事レベルの話で、正直なところ自分の交友関係がかなり広いこともあり、「一人の友人」として相手の良くない部分が目についてしまっているだけだなと思っていた。



決定打は、「仕事」に対する向き合い方である

Aちゃんは、私が知る限り7~8回程職場を変えている。

それだけ言うと「やべー奴」な印象を与えてしまうかもしれないけれど、彼女資格職なので、仕事内容は変わっていない。

給与が安いとか上司が嫌だとか、なんとなく節目のタイミングだとかで、それほどの回数に至っているのだ。(多分地元で2回、東京で5~6回転職している。)


その事自体彼女自由だし、気になってググってみたところ彼女職業においてはわりかし異常ではない出来事のようなので、その件については私が口を出すところではないと思っている。



ただ、忘れもしない去年の夏。

上司毎日のように怒られて精神的に参ってしまったAちゃんは、6回目だか7回目の退職を決意した。

そうしてある日、私に連絡をしてきたのだ。「会社員になりたいんだけど、相談に乗ってくれない?」と。


明確にやりたいことがあるなら良い。今の給料から下がる覚悟があるなら良い。自分で考えて決めたのならそれで良い。

そう思って話を聞いてみると、

「実は20代前半の時にも同じように思ってた時期があった」

不特定多数のお客さんに毎日会うの、あまり向いてない」

「同じ職場に数百人単位で人がいるような場所のほうが人間関係で悩まなくて済みそう」

という、理想を次々に口にした。

(ちなみにこの時、残業終わりに22:00から1時間半ほど通話をして、その前後でも相当数の長文LINEが届いていた。彼女の周りの人間で、東京会社員は私だけなのだ。)


私、たぶん、この時に初めて彼女にキレた。(実は頭に血が上ってよく覚えていないのですが)

そもそも知識が無さすぎるから総合職/一般職の違いと、一般的就活方法を調べて」

「やってみたい仕事も調べてみて」

大学卒でなくても、熱意があるならカバーできる部分はある。ただ不利な戦いである事を理解して」


ただ精神的に参ってしまった上での逃避なんだって、勿論気づいていたけれど、

上京して、大学受験も就活もそこそこ「戦ってやった」っていう自負がある自分にとっては、どうしても許せない瞬間だった。




それから1年以上の時間が経つけど、この一件以来、私はAちゃんに対してどうにも優しくなれない。

彼女を含めた数人でご飯を食べていても、彼女に対してだけはどうしても態度が硬化してしまう。最初自覚レベルだったけど、もう他の子にも本人にも気づかれてしまってるレベルだと思う。さすがにおかしいって自分でも思うのに、その場限り演じることすらできなくなってしまった。


言ってしまえば、ただの「一人の友人」なのに。

この関係を絶たなくても、私のこの先の人生には大きな波は起きないだろうと思うのに。

それでも、もう、彼女のことがゆるせない。



2019年。もう潮時だと思う。

この一年些細な抱負として、私はAちゃんに会わないことをひそかに掲げている。

からそもそもコンタクトを取らないし、共通の友人に誘われても行かない。

それで良いと思っている。



ただ、無性に学生時代彼女との想い出を思い出してしまう時がある。

二人で泣いた、あの千秋楽福岡の夜が恋しくなってしまう日がある。


想い出にも泥が付いてしまうようで、それだけが悲しい。


2019-01-07

京大受験などの思い出

私も自分語りマンする。

[中学受験]

兄弟中学受験していたのと、当時わたし結構賢かったので母親の薦めで小5から塾に通い始めた。

小学校ではお勉強ができることで馬鹿にされているように感じることが度々あったけど、塾だと「勉強ができる=すごい」という価値観カルチャーショックを受けた。頭がいい人は性格が悪いみたいな偏見あるけど、勉強についていけなくなったらだんだん性格が良くなるの?そんなわけない。

小学校担任先生がお塾(笑)とかお受験(笑)とか言ってたせいか同級生から「受検頑張ってね(笑)」って書いてある年賀状をもらった。

第一志望はA判定しかもらったことがなくてあまり病まなかったけど、早く2月が来てくれ、全部終わってくれ、と思っていたことは覚えている。

受けたとこは全部受かって、地元国立大付属校に進んだ。

[高校受験]

内部進学だったのでなかったようなもん。

[大学受験]

周りに京大東大を目指す人が多かったのと、実家を早く出たかったのもあって(母が若干過干渉だったと思う)、京大を目指すことにした。

東大を目指さなかったのは、進振り不安だったのと、自由英作文が圧倒的に書けなかったのと(文才がない)、関西のほうが地元から近くてなんとなく親近感があったから。

それまで悩みがないのが悩み、みたいな人間だったのに一気に病んだ。模試は一番良くてC判定、だいたいDかE判定だった。受からないと思ってるのに一縷の望みにかけて頑張り続けないといけないのがつらかった。

[その後]

なんとか現役で合格したものの、結局大学あんまり勉強しなかった(留年もした)。大学でやりたいこと考えてから受験勉強するべきだったよな~という感じ。京大キャリアサポートルームの「留年しても病まないで」みたいなコラムちょっと前に話題になってたけど、入学してからずっと無気力、とか、病んでるから留年した人のほうが多いんじゃないかと思う。

結局、研究室に入ってから初めて試験勉強以外の勉強をしたし、その時点で身に付いているべき基礎知識がすっぽり抜けてることをめちゃくちゃ後悔した。(特に統計英語!!)

京大の良くないところはそんなに勉強しなくても卒業できることであるよ。自由ってことは全部自分責任ってことだもんね、、大学は悪くないぞ☺

高学歴を持っていることよりも、主体的自分の進路を選択してきたかのほうが圧倒的に大事だと思うし、私もこれからはがんばる。

2019-01-05

京大受験の思い出

anond:20190102063518

なんか盛り上がってるので参加させてくれ。

[基本スペック]

ややADHD気味で人の話に集中できない。図形脳で言語スキル特に会話)が弱い。

親は両方中卒で無口、兄貴不登校引きこもり、弟は知恵遅れ気味。親に何かを教わったという経験があまりなく、親の無口が自分にも遺伝している。

家は全く裕福ではなく、父親過去名鉄会社で工員勤務。俺が小さい頃に仕事中の事故で片足を失ったがそれでも家族を養うために働き続けてくれた。

[中学校]

大阪西成に近い、低階層クラスの家庭が沢山あるエリア。なのでヤンキーが沢山いる地域だった。周りの奴らと比べて頭の出来が良いかも?という自信はあったが、ある時進研模試を受けて自分偏差値が55程度であることを知る。しかしその当時は偏差値意味もよく知らず、周りは皆偏差値45ばかりの中55とってる俺は輝いて見えたし、学年一番の偏差値60の奴が天才に見えた。

勉強はあまりしなかったが図鑑などを読むのは大好きだったし特に数学が好きで他のやつが解けない難しい問題を解けるという自信があった。

周りの友達にはあまり行儀の良い子はおらず、いつも誰かの家に集まって夜中までワイワイゲームしたり、夜の公園に集まって時には朝まで駄弁ったり、楽しかったがあまり真面目に勉強はしなかった。授業中はほぼ教科書落書きパラパラ漫画を書いていた。

授業中騒ぐようなことはなかったが、もともとADHD気味で人の話を聞けないのと、夜まで遊んでいたり早朝新聞配達バイトをしたりしていたので先生からの覚えは悪かった。受験の時に「お前は内申点いか公立いけんぞ」と言われた。金のない親には非常に申し訳ないことをした。

[高校]

結果偏差値55くらいの私立高校に行くことになった。

高校に入って最初の構内統一試験みたいなものがあり、そこで自分は大して頭が良くないらしいということに気づいた。周りの友達と話をしていても、なんか自分の考え浅いし遅いな、と感じることが増えてきて、それまで自分はそこそこ頭いいと思っていたのが叩き潰されて結構なショックを受けた。この時に感じた自分は凡人以下であるという自己認識はその後の人生に大きな影響を与えた。それと同時に英語国語は負けてもいいが数学だけは負けては行けないというプライドに火がついた。

高校偏差値は高くなかったが担任教師偏執的に関関同立に執着しており、お前たちは人生に勝つために勉強しなければいけないという脅迫まがいのプレッシャー毎日のようにかけてきた。もともと中高一貫の進学組は大学受験マインドが高く、関関同立目指して頑張るぞ、という空気があったので自分だんだん感化されて勉強するようになっていった。

担任教師人間性としてはそびえ立つクソだったが奴がいなければ今の自分はなかっただろうな。

だんだん勉強が楽しくなり、受験マニア友達ができたこともあり、書店参考書を眺めるという日課ができてきた。

当時家に金が無いことはわかっていたので小遣いはもらっておらず、どこかに遊びに行くとか美味しいものを食べるとかできる状態ではなかった。思い返せば高校の間友達プールに行くとか遊園地に遊びに行くとかそういう経験は一度もなかったな。

しか書店にある沢山の参考書を買いたい欲が日に日に強まってきた。そこで、小遣いはもらってはいなかったが毎日昼飯代として500円支給されていたので週の半分くらいは昼飯を食わずお金を貯めることで月5,000円くらい貯めてこれで参考書を買ったり駿台夏期講習に申し込んだりできる仕組みを開発した。

参考書の数が増え真面目に勉強をするようになり、やはり自分数学能力は人より優れているという自信を再度取り戻すようになった。数学は本当に楽しくて熱中した。そのうち数学先生から大学への数学」の存在を紹介されて毎月購読するようになった。

と同時にやはり自分の頭の回転は良くないので自分が将来何かを成し遂げたいのであればただ一つのことに時間を集中しなければ他人には勝てないという確信を持つようになった。

から毎日往復二時間に通学時間の間はずっと参考書を読むようになった。Z会速読英単語など、最初は全く意味を取れなかったが何度も何度も読みまくることで次第に英語が読めるようになってきた。

高校3年になった頃にはもう勉強が非常に楽しくて生活の中心になっていた。特に大学への数学では毎月巻末に難問が出されて解答を編集部に送ると添削してくれるのだけどそれに本当に熱中していた。この問題は本当に難しく、自分の頭では数時間考えた程度では全く解けず、数日、時には数週間同じ問題をひたすら考え続けるという生活を送っていた。夜寝る前まで布団の上で考えて、眠りながら考えて、朝起きたら布団から出ずにまた考え始めるということをしていた。今考えると頭の使い方が稚拙というか同じところをぐるぐる周ってる感じだったのだけど、そうやって何日も考えると解答が思いつく瞬間が必ず訪れるのでそのカタルシスに当時は本当にハマっていた。毎月添削結果が送られて来るたびに模範解答のエレガントさと、自分の地をのたうち回るような回りくどい議論の差を見せつけられやはり自分は凡人であるということをつきつけられた。点数はいつも150満点中145程度で一度も満点を取ることが出きなかったのは悔いが残る。自分過去の思い出とかにはあまり執着がなく、京大博士卒業証書も使いみち無いのでゴミに出したのを友人に止められたくらいだがこの添削結果だけは今も大切に保管している。

自分記憶力が異常に弱く国語歴史は非常に苦手だったのだけど、物理化学も覚えることが多くて困っていた。しか駿台の著名な先生山本義隆氏と石川正明氏)の書いた書籍を読み、覚える物理化学から考える物理化学へとパラダイムシフトを起こすことができた。ただ暗記するのではなく、なぜその式が成立するのか、なぜそのような化学反応が起きるのかというより深いところを理解できるようになった。同時に物事を深く認識するということが自分性格に非常にマッチし、そして自分はそのために人の10倍の時間を捧げることができるということが自分の強みである確信するようになった。この強みは40になった今でも活躍している。

この頃は駿台河合塾模試でも上の方に乗ることが多く、志望学科の中では上から2番目を取れるくらいにはなった。そうなると今度は予備校の方からただで授業を受けませんか、というお誘いが来るようになる。これは合格者一覧の名前を稼ぐマーケティングである。その中でも駿台数学特別講義という非公開の授業にお誘い頂いた。数学がよくできる学生を数十人集めて難問の講義を行うというもので、これもなかなか楽しかった。周りは皆灘とか東大寺の中に偏差値55の学校が混ざっているのはむず痒い感じではあったが、すぐに自分はやはり彼らとはレベルが違うということがわかる(毎回試験があって採点される)。一人明らかな天才がいて、その人は今有名な数学者になっている。

後のことは上記の事の結果でしか無いので端折るがセンターは確か国語社会が6割くらいしか取れず志望学科はC判定、というのが送られてきて先生が「気を落とすなよ」慰めてくれたが自分としては全く想定通りの結果であり過去模試の結果からこの差は二次で覆すことができるという強い自信が会った。

家の経済的事情から滑り止めを受けるということはできず、前記京大後期阪大のみを申し込んだ。これについては先生から怒られた。本当は阪大の後期にも申し込みたくなかった。

試験数学は色々ケアレスミスをしてしまったが大筋では正しい解答ができ、物理化学はどちらも1問しか間違えなかったので合格確信した。

しか合格した当時自分中二病を引きずっていたので一緒にいた親に笑顔特に見せず「合格した」とだけ言った。これは人生の最も大きな後悔の一つ。

大学に入った当時は研究者になることを夢見ていたが大学に入ってからは本当の天才を目の当たりにし、また博士課程卒業間際になり研究というコミュニティコミュ症では構造的に海外リア充に勝てないということに気づき断念、IT企業就職して今はスタートアップをしている。

2019-01-04

京大までの受験の思い出(楽に入る編)

書きたくなったので。

 

 

小学生とき、親の意向中学受験した。

学校ではトップの成績だったが、塾ではそうはいかない。頭のいい奴らがゴロゴロいた。

教育ママだったか小学生低学年から通信教育をやっていて、そのおかげか入塾テストではトップクラスに入れた。が、成績は二年間でどんどん落ちて、最終的には上から三番目のクラスだった。

志望校は二番目のクラスまでしか入れないというのが恒例だったので、周りにはあまり期待されていなかったようだ。しか自分絶対受かるだろと謎の自信が最後まであった。

結果は合格

二番目のクラスから合格者がでないおろか、一番上のクラスの奴も2/3くらいしかからなかったから、三番目から合格というのは驚かれた。

 

 

中学時代

中一からスパルタで有名な某進学塾に入った。入れさせられたの半分、入りたかったの半分。

塾も学校レベルが高く、ああ自分はだめなんだなとはやくも感じてしまった。特に中間試験という数字で結果が現れる機会は残酷だった。(今思えば勉強してないだけだったが)

それからは暗黒期。

小学生のころはゲーム禁止されていたこともあり、その反動中学入ってからはアホみたいにゲームした。当然成績は浮上することはない。僕はいわゆる「深海魚」になってしまった。

 

 

高校時代

大学受験が近づいた焦りで多少塾の勉強を真面目にやりようになる。が、それ以上に周りが頑張るので成績はあがらない。

この時期に塾の英語はついていけなくなってやめた。情けなさはあったけど、自分でやればいいかと思って逃げた。

高二までは学校行事を頑張ってて、勉強意識しないようにしてた。

高三になるといよいよ受験だ。

友人と図書館で集まったりして勉強したが、家では全く勉強できず学校模試では後ろから1/4に入ってしまう。

なのに夏の京大模試では運良くB判定。これで完全に油断して行ける気になってた。

ちなみに理系だったが理系科目の勉強をまったくやっていなかったので、二次試験ではそれがなくても入れるところを志望していた。夏の前にいろいろ情報を漁っていかコスパよく大学受験を終えるか調べてたのが、そのあとに生きてきた。

コスパよくというのは勉強せずに周りから評価が高い大学はいるということ)

こうやってあさっているうちに、二次試験の前に独自入試を受けることで、受験回数を純粋に一回増やせる受け方を見つけたので使ってみることにした。

 

から模試はせいぜいC判定だったのでどうせ浪人だろうと思いながら勉強してるのかしてないのかわからないような日々を過ごした。

 

そんな中での一度目の入試当日。

ほぼはじめての京大百万遍マックで緊張しながら時間を潰した。

試験自体は三時間くらいで、ひたすら長い文章をよんで、問に答えるやつ。

こういうのは集中しやすタイプだったから、あっという間に終わった。時間ギリギリで。となりの人は全部解けてなかった。

 

センターもD判定だったしどうせ厳しいと思いながらも、ほぼ最下位合格した。

パソコンでみながら手が震えてしまった。

実感を得るまでに相当時間がかかったが、その後京都一人暮らしをして、ようやく京大に受かったんだなあと思えた。

 

 

 

 

まわりが超難関校に多く進学する学校だっただけに、なんとかしてそういう学校に入ろうとした人間の末路(?)です。

参考にはならないかもだけど、こういう人もいるよってこと。

あと自分理系だけど、政治とか経済かに関する興味が高校の頃からあった。ただの逃避だが、みんなが図書館勉強してるのを横目に、新聞をずっと読んでいた。

こういうところで身につけた(?)論理性みたいなのは多少、合格寄与したのかもしれない。残念ながら、学校勉強はまったく関係なかったが。

 

はじめのうちは、自分のなかではズルして入学した感がぬけず、ずっと劣等感に苛まれていた。

落ちた人は過程より結果だと思うかもしれないが、僕は結果より過程だとずっと信じていたので、そのことが自分を苦しめた。

溶け込んでいくなかで多少は改善されたが、いまだに多少考えてしまうことはある。

 

"普通に"入った人たちは本当にすごい努力だと思う。こういう経験をしておくことは人生観を変えるはずだ。

受験諸君は、あと少し、頑張ってください。

anond:20190102063518

面白そうなので私も書いてみようか。東日本公立学校卒→東大理Ⅰのケース。

・家庭環境

電車は通っている、程度の田舎町。父は高校教諭、母は学校事務員、同居する伯母は小学校教師。そういう家庭だから学業に対する意識は高かった。

田舎町なので私立中学校などというものはなく、受験高校から

小学校入学

小学校入学からそれなりに頭は良かった記憶がある。特に算数が得意で、数の理解も早かった。

両親が共働きなので、朝保育所に預けられて、放課後は母の知人が預かってくれていた。この養母のような方には今でも感謝している。

小学校

選択肢も何もなく近所の市立小学校入学国語算数理科社会はまあオール5。伯母の影響で音楽の成績も良好。体育は3。典型的頭でっかちで、いじめられっ子になるという定番コース大人になってから「ごく軽度のADHDだったのでは?」と言われたことがある。

うちの小学校には、4年生になったら全員部活に入ること、という不文律があった。男子ソフトボールサッカー女子ミニバスケットボール合唱しか選択肢がない。4・5年生の間はなんとか回避していたが、6年生では避けきれずサッカー部に入部。運動が得意じゃなくコミュ障な上に「6年生なのに新入部員」で、部のしきたりも知らずあからさまに浮いていた。今から思えば入るもんじゃなかった、のだが、そういう「自分には向かない世界」を早く知ることができたとも言える。

自宅近くにそろばん塾があったので、小1の時に親の勧めで入塾。かなりさくさくと習熟して、市内の競技会(というものが当時あった)では上位の常連だった。但し、それなりに上達してくると飽きる悪癖があり、塾も徐々にさぼりがちに。小6で辞めた。お山の大将になるのはそれなりに簡単でも、世の中にはもっと上の人がいる、ということを子供心に知らされる。

運動が苦手なことを懸念した父により、同僚が運営に携わっている剣道同好会へ入門させられる。中3までの間、道場には週2回真面目に通ったが、練習は不真面目で大して上達もせず。

中学校

選択肢(ry)市立中学校へ。成績は相変わらず。部活動のバリエーションは増えたが結局のところほぼ全部運動部で、剣道部に入って万年補欠。帰りに学校近くの駄菓子屋ゲームやって帰ってくる生活

英語塾に行った他には学習塾の類は行かず、自宅での勉強のみ。この頃までは「学校で課された科目」だけ順調にこなしていたと思う。

高校はいわゆる進学校しか考えてなかった。地方の常で、歴史ある県立高校偏差値的な意味トップ私立すべり止め扱い。模試では毎回トップ争い。

受験すべり止め無しで本番一発。直前に風邪を引いて親は心配していたが、合格圏内には入った。

高校

進学校なので、近隣中学校の成績上位クラスが集まってくるため、何でもありな小中学校とはかなり雰囲気が変わる。校風リベラルで、校長先生もその校風に沿ったユニークな方だった。

部活動は管弦楽部に入部。やっと運動部の呪縛から解き放たれる。管楽器中学校ブラスバンド経験者が占めているため、素人必然的弦楽器担当ヴァイオリンを弾くことになった。相変わらず不真面目に練習して、東大でもオケに4年間在籍したがその後はぱったり。


2年生で文系理系コース分け。私は理系クラスへ。成績は高校でも順調だったが、伸び悩みも出始める。そんな頃に、部活の1学年上の先輩からの勧めでZ会に入会。当時の地方在住高校生で、難関大志望の人は大半が入会していたと思う。教科書レベルを超えた難問・良問で鍛えられた。おかげで授業中は講義スルー、ひたすら問題集を解くことに集中。部活後に家へ帰って夕飯を食べたら深夜までZ会に取り組む生活が続いた。

科目としては数学化学は得意で、トータルでは学年トップクラスだったが、物理が苦手で平均点+α程度。これはまずい、と対策…した筈なんだが具体的な中身を思い出せない。結局教科書に沿って、一番最初力学から復習したんだっけかな? 3年生になる頃までには苦手意識も解消。

中学生の頃からパソコンで遊んでいたので、大学最初東工大第5類を考えていたが、周囲からの「行けるなら上行っとけ」というプッシュで東大理Ⅰを目指すことにした。Z会にも東大コースがあるのでそちらを開始。模試は毎回A判定なので、これならいけるかなと。

センター試験自己採点は720点ぐらいで、足切りクリアできただろうと。当時の東大入試は、1次と2次の成績が1:4の比で加算されるので、ぶっちゃけ1次は足切りさえクリアできればオーケーレベル。(理Ⅲは知らん)

2次試験は、前期は東大理Ⅰ、後期は東大理Ⅰの出題形式ちょっと特殊なので、トラディショナル形式京大工学部受験することにした。大学受験私立すべり止め無しの舐めプ

初日に、得意な筈の数学で大問6問中1.5問しか解けず「これはやべぇ」と焦る。理Ⅰ合格ラインは2.5〜3問。残りの化学物理英語で取り返すしかないので、宿に戻って総復習。幸い2日目は好調普段よりよく出来た感触。かつて苦手だった物理もきっちり得点源にした。

結果、現役で一発合格

・その後

地方お山の大将は、東大生の一部であるスーパーマンを見て我が身の程を知るわけで。いろいろあってどうにか卒業就職してエンジニアやってます

受験生の人は、なんだかんだ言ってもやはり王道は反復練習なので頑張って。大学に入るとがらっと世界が広がります

[]2019年1月3日木曜日増田

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2019-01-03

anond:20190102063518

北大の人がいたので懐かしくなって自分も書いてみたが、どうやら消してしまったらしい。勿体ない。

だがまぁ見かけたので僕も自分語りなどしてみようと思う。もう20年は前の話なので話半分程度に聞いて欲しい。あ、とくに受験に役立つ話とかは無いです。自分語りのみです。

中学時代

 関東のどこにでもある公立中学に通っていた。

 成績は良い方だったが先生にウケがいい方だったかというと別にそういうわけでもない。虐められていたわけでもないが、自分にはよく分からない理由からかわれることがあった。

 当時は少し不思議がる程度だったのだが、今にして思えばクラスの中でも割と、いやかなり浮いていたのだとは思う。

 成績はトップクラス運動もできた(サッカー部で足が速かった)から大事に至らなかっただけで、先生にも同級生にも興味が無く、他人不快にさせても気付かず、いつもぼんやりとしていて一人遊びが好きな子供だったらしい。昔、母親に「あんたは自分が虐められていても気付かなそう」と言われたことを今でも覚えているが、つまりはそういう子供だったようだ。今でも他人の心が分からないのは変わっておらず、割と苦労することが多い。

 暢気な性格であり、行く高校も学区内で近くて偏差値が高いところ(親が文句を言わないところ)であればいい、と思っていた。滑り止めも受ける気がなかったので調べもしなかった。今なら分かるが、そういうとこやぞ。

 その上適当でも受かるのが分かっていたので真面目に受験勉強もしていなかったところ、みかねた両親からとにかくお前はもっと偏差値の高いところを一校受けろ、と言われ学芸大附属高校を受けることになった。

 自主学習では限界があるということで近くの塾にも行ったが、バイト大学生先生過去問を見せても的確な解説が帰ってくるでもなく困った様子だった。そこで使っていた教材とのレベル差も大概だったしまぁ仕方ない。というかそこはあくま学校の授業について行けない生徒の補習的な個人塾だったようで、よく考えれば筋違いである。高難易度受験校に受かろうとするならそれ相応のところに行く必要があったはずだ。まぁ当時は僕も両親もそんなことはよく知らなかったし、塾ならどこでもいいだろう、という程度の発想しか無かった。

高校時代

 学芸大附属高校には当然かすりもせず、第一希望公立高校入学する。

 世の中には自分と似たレベルあるいはそれ以上で勉強が出来る奴がいるんだなぁ、というのをようやく理解するが、この頃でも生来ぼんやりした性質は変わらずにのほほんと学校生活を過ごしていたらしい。変人の多い学校だったのであまり浮いていなかったようだがたぶん中学の時と余り変わっていなかったはずだ。

 今でも覚えているのだが、廊下ですれ違った先生挨拶をしながら「この人どこかで見た顔だな……」と思っていたが、よく考えたら一年世界史の授業をしてくれた先生だった、という事があった。他人の顔や名前を覚えるのが苦手だと思っていたが、そもそも他人に興味が無いのだ、という事に気付かせてくれる出来事であった。今でも仕事で会う人の顔と名前が一致せずに苦労しているし、これはどうにもならないのだろう。

 大学受験という物に本腰を入れ始めたのは三年からだった。

 といっても例によって「まぁどこでもいいかな……」という感じだったのだが、両親から「国公立」「一人暮らし」「浪人は一回まで」という条件を出され、紆余曲折合って北大を志望することになった。

学校に進路相談をするでもなく、成績とのギャップに悩むでもなく、軽く決めたので相変わらずアレな性格だったらしい。

 友人に東大を受ける奴がいて、そいつ天才だったので自分の分というのはよく分かっていた。数IIIの定期テスト理系コースの学年平均点が30点くらいだった(僕もそんなものだった)のに、そいつだけ満点近くを取っていたし、暇つぶし数学の高難易度問題集をやるような奴だった。世界が違うなぁ、というのが正直なところだったから妬むこともなかった。

 受ける模試はいいとこD判定(一度だけCが出た)、予備校には行ったが授業が身になった気はせず、もっぱら図書室や自習室でひたすら自習する日々であった。

 どこに自信があったのかは知らないが、センター何となく取れると思っていた。実際目標ラインの点数を取れた。

 過去問を解いていても2次試験がイケる自信は全くなかったが、恐ろしいくらい焦ることがなかった。他人事のように淡々勉強をし、まぁなんとかなるでしょ、と楽天的な構えを取っていた。……もっとも、この性質のツケは後で受け取ることになるのだが……

 試験から帰ってきてから溜まっていたエロゲー(年齢がアレだがもう時効だと思うので勘弁していただきたい)をプレイして春休みを過ごし、ネット合格通知を見ることになった。合格祝いに買って貰ったノートPC月姫プレイしたことを良く覚えている。

 勉強自体特別なことは何もしなかった。テキストを読んでもよく分からなかったのでひたすら過去問を解いたことくらいだろうがそれだって目新しいことではないはずだ。

 まぁ、北大程度の人間から画期的な物を期待されても困る。そういうのは東大京大に行った人達に任せておきたい。

【その後】

 入ってからものほほんと過ごしていたところ、4年の時に8割受かるはずの院試に余裕で落ちて途方に暮れるという事になった。人生適当に過ごしていたことのツケをここで受けることになった……が、結果的には塞翁が馬という奴で何が幸で何が不幸かは分からない。

 冬の再試験を受けるかそれとも今から就職活動するか、と教授に言われたが、どうやら自分にはアカデミックな才能は無さそうだ、というのに薄々気付いていたので就職活動をすることにした。人間にも物事にも興味が薄く執着の無い人間にとって研究の道はあきらかに向いていないのでこれは正解だったと思う。

 といっても時期は既に秋、適当一社だけ受けてダメなら就職浪人でもするか、と思っていたところを拾って貰い、そのまま就職して今に至る。

 適当に選んだ会社だったが気付けば海外を飛び回ることになり営業のような技術のようなよく分からない仕事をしている。しんどいしんどいしさっさと仕事辞めたいとは毎日思っているが、給料がそこそこいいので未だに辞められていない。

 ソーシャルゲーム課金し、声優を追いかけ、両親に「あん結婚は」と追い立てられる普通ヲタク人生を送っている。誰か結婚して下さい(

京大までの受験の思い出(失敗編)

https://anond.hatelabo.jp/20190102063518

https://anond.hatelabo.jp/20190102174908

ダメだった身で恐縮だけど、見てたら俺も自分語りしたくなったので。

中学受験

小学校首都圏某県の公立に通っていた。長男にはありがちだと思うが、低学年のころより通信教材をさせられたり、あちこちの塾にお試しで通わされたりしていた。

中学受験も完全に親の意思によるものである勉強別に好きではなく、塾では机に落書きをしたりしてあまり授業を聞いてなかった。だから当然成績は振るわず、ある日テストで50点をとって(自分ではそれでも上出来と思っていたのだが)ブチ切れた母の命により、それ以来は学校が終わると直帰し祖母らの監視下で勉強強要させられる日々が続いた。志望校も全て親が決め、いざ受験期になっても明日どこの学校を受けに行くのかさえ把握していなかった。

とはいえ元来陰キャ友達も少ないことから自分だけ別の中学に行くことに未練はなく、また特段この学校を受けたかった!というのもなかったため親は恨んでいない。まあクラスメートからいいねと言われるのは気分が良かったし、(勉強は嫌だけど)親に怒られるのも嫌だからしょうがないか、ぐらいのもんだったと思う。むしろ中学受験は大なり小なり「させられるもの」だと長らく思っていたので、東大編の元増田や知り合いの子供が純粋自分意志中学受験をしたというのを聞いてびっくりしているくらいだ。結局(親の)第一志望の御三家は全く歯が立たず、第三志望?くらいの中堅校(中高一貫)に入学

中学高校時代

中学に入る前後から弟が病気で入退院を繰り返すようになり、親や祖父母はそれにかかりきりになった。お陰でこっちはこれまでと打って変わって完全放任。ゆるい文化部に入って暇を持て余した俺は、当時流行っていたMMORPGメイプルストーリーとかそういうやつ)にドはまりした。当然勉強は全くせず、テストは常に一夜漬け。成績は最下位スレスレ状態が高1の終わりまで続いた。相変わらずクラス友達はなく、図書室にこもっていたお陰か現代文だけは良かったが、文筆家になる気はなかったし歴史とかの暗記系が大嫌いだったので理系選択

高2になって、見かねた親が東大生の家庭教師をつける。俺が京大へ興味をもったのは、その先生の「京大単位が空から降ってくる(けど東大単位が逃げてゆく)」という言葉だった。折しも本屋大賞だかがきっかけで森見登美彦を読み始めた俺は、自由楽園としての京大への憧れを一気に膨らませた。当時の京大ホームページアクセスすると大学京都の町並みの影絵だけがボーンとあり、それを横にスクロールしていゆくと最後入口が出てくるといった具合で、他の「普通の」大学とは違うその作りに大いにワクワクした感覚を今でも覚えている(どこかに画像が残ってないだろうか)。

同時に両親とも激務で働く姿を見ていた俺は、会社員自由のない苦痛に満ちた職業というイメージ漠然と持ち始めた。そして自由自分のやりたいことのできる職業大学教授という安直な発想から研究者(当時は「研究」が何かも知らなかった)の道を志す。そのために必要要件も何人かの研究者の略歴を見て「早慶以上で博士課程まで行けばなんとかなる」という勝手イメージを抱き、結論として「京大に入る(滑り止め早慶)」ということだけを目標に高3に突入した。

大学受験(現役)】

再び受験生となった俺は、MMOを休止し何となく予備校に通い始める。当時クラスメートたちは進度の遅い高校カリキュラムを見限り、授業中も内職して予備校の教材をやっていた。だから自分もそんなもんかと思って高校課題は真面目にやってなかったのだが、5月定期試験で相変わらず下から一桁番目の成績だった俺は担任からこっぴどく叱られる。

「お前に学校予備校勉強を並行してやるのは無理だ。予備校を辞めるか、さもなくば学校を辞めて大検を取れ」

恐れおののいた俺はとりあえず担任の教科(数学)だけ予備校を外し、そこから漸く(自分なりに)真面目に勉強をするようになった。

学科は(高校の教科で言う)物理が好き&理屈ばっかりではつまらないという理由工学部物理工学科を選択首都圏学校だったので京大志望はクラス自分一人で、ちょっと一目置かれていた(単にハブられてただけかも)。しかし当然ながら、京大試験問題は難しい。特に積み重ねと言われる数学絶望的だった。でも当時はそこまで深刻には考えてなかったように思う。物理は高3になるまで運動方程式も知らなかったけど、一歩一歩ものにできている感覚があった。化学予備校の教材が奇跡的に分かりやすかった(何せ浪人時代予備校を変えたけど、化学はこっそり現役の時の教材で勉強していたくらいだ)。当時京大では理系でも国語二次試験があって、読書趣味から現文が感覚で解けてた俺には有利だった。元増田の通り、センター数学足切りしか使われないから出来なくてもノーダメージ。あとは英語センター地理を合わせて総合力で何とか、という作戦だった。

高校である教師が言っていた。

現役生はあらゆる点で浪人生より不利だが、唯一有利な点は『落ちたことがない』ということだ。

高3の俺は正にその状態だったと思う。模試でD判定をとっても、周囲が「E判定は良い判定」とか言い合ってるのを聞いて安心していた。試験前日も風邪リスクなど考えず、噂の折田先生像がいつすげ替わるのか番を張っていた(夜になって諦めたけど)。今から見れば完全にただの馬鹿だった。

そんな根拠のない自信は、試験帰りの新幹線慶応に落ちたことを知り、補欠だった早稲田にも繰り上がりはなく、そして3月10日を迎えて完全に打ち砕かれた。後日はがきで送られてきた俺の点数は、合格最低点に(全教科計1000点満点で)80点以上足りなかった。

大学受験浪人)】

私大早慶以外にも何校か受けており、そのうち1校には辛うじて受かっていた。浪人生活はとにかく苦しいと聞く。しかし極限まで肥大化した京大-自由楽園-への憧れと、早慶未満→研究は無理→会社員自由のない人生というイメージから俺は進路に迷った。結局家族で唯一理系だった祖父の「受かった大学師事したい先生がいるならよいが、そうでないならもう一年頑張ってみては」という言葉におされ、俺は浪人生となった。

もう現役のころのような希望はなかった。予備校京大クラスはそこにしかないため、満員電車を乗り継ぎ片道1時間半かけて都心の校舎に通った。中学受験ときは決まった休憩時間には遊べたが、浪人の間はあらゆる時間勉強に費やさなければならないのが本当に辛かった。趣味読書も一切禁じた。もし落ちたら奴隷のような一生しか歩めず、それだったらもう死ぬしかない。そう思いつめているせいか夜はなかなか寝付けず、自習時間や週末に眠り込んでしまうことも度々あった。クラスメートと一切話さず(結局誰一人名前も知らなかった)、昼休みは机に突っ伏していた俺は相当浮いていたと思う。

それでも振り返れば、この一年で俺の馬鹿は(お勉強の面では)だいぶ治ったと思う。物理は難度の高い問題をこなし、得点源といえる域になってきた。化学は詳しい理論(π電子とか)は理解できず丸暗記だが、現役時代と合わせて知識量はそこそこあるはず。国語感覚を廃した分析的な読みを一から勉強し、地理と合わせてセンターで大幅な特典増が見込めた。数学はやはりしんどいが、どうにか100/250点とれれば総合合格点に届く計算だった。

試験前日、俺はやっぱり眠れなかった。ホテルの有線音楽で聞いた『一年生になったら』がずっと頭の中を流れていた。興奮は当日になっても続き、寝不足による不調は感じなかったが、2日目の最後理科試験問題を開いて絶望した。物理が例年よりも簡単すぎる!差別化を図れる唯一の手段を封じられ、動揺した俺は同時に出された化学で手こずりまくった。絶望感とともに帰宅した俺は、迎えてくれた家族の態度から早慶に落ちたことを察し、今度こそ人生が終わったと泣いた。そこから3月10日までは後期(京大にはないので他所)の勉強をする気力も起きず、抜け殻同然の日々を過ごした。

ここでいつか使おうと思って、結局使えなかった話のネタを供養したい。俺は出願期間が始まって速攻で願書を出したから、京大受験番号は(学科を表す千の位+)8番だった。たしかその年の工学部の倍率は2.5倍くらいだった気がする。迎えた3月10日ホームページで見た合格者の番号は

1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 9, 11, ...

あの時同じ部屋にいたはずの10番は、今何をしているだろうか?

【その後】

結局俺は最低点には17点届いていなかった。そして死ぬだけの覚悟があるはずもなく、併願した某私大に進学した。この大学に現役で進学し、新歓の時期ばったり会った高校クラスメートの「一浪して○○大!?」という言葉が今も胸に突き刺さっている。

……とまあ、受験生を奮い立たせる目的ならこういう風にBad endで終わった方が良いのかも知れないが、どっこいこれもN年後の今では良い思い出である。あれから俺は京大とは別の国立大の院に進学し、今は民間企業への就職を控えつつ博士課程を終えようとしている。結局私大生活も十分すぎるほど自由だったし、現状研究者も中々自由が効かなそうだし、企業でも上手くマッチングすればかなりやりたいことが出来そうだった。後に残った傷といえば、森見登美彦が読めなくなったことぐらいである。

もちろんこんなのは結果論しかいから、これを読んでる受験生は悔いのないよう今の信念を貫いてほしい。しかしもし将来(受験に限らず)苦い思いをすることがあったら、それがどのようにして「良い思い出」に変わり得るかのヒントとして次の言葉を思い出してほしい。

人生には割と結果オーライな所があって、今の状態が悪いと過去の一つひとつがその原因のように思えてくるが、逆に今が良ければそれらにも意味があったんだと思えるようになるもんです。

これは今の大学である先生が仰っていた言葉だ。過去未来を決めるのでなく、未来過去意味づけるというとまるで(京大編の元増田の)「汗をかけ」へのアンチテーゼみたいだが、そうではない。大事なのはもし受験不本意な結果に終わっても、その後人生で「成功」するチャンスはまだまだ残されているよということだ。私大の院で着実に研究者への道を歩んでいる同期がいる。生涯の伴侶を見つけた後輩がいる。サークル趣味が高じてプロになった先輩がいる。俺だって京大に落ちなければ、今の研究(超絶面白い)には出会えなかっただろう。どんな道でもとにかく今が楽しいという状態にさえ持っていければ、きっと明日だって「落ちたことにも意味があった」と僻みなく言えるようになれるだろう。

全ての受験生と、かつて受験生だった皆が、新時代を迎えるこの年に「成功」出来ることを祈っている。

こういうドラマがみたい

主人公は真面目が取り柄の50歳ぐらいのシングルファーザー。娘が大学受験を控える中、勤めてた会社倒産して途方に暮れていたところにたまたま高収入求人発見

なんの仕事かよく分からないまま面接に行くと着いたのは風俗街の雑居ビルVR風俗風俗募集求人だったのだ。どうせ客はずっとゴーグルヘッドホンを付けたままだからオナホで手コキしてる分にはバレないという理由で即採用

真面目でひとつのことを突き詰める性分ゆえ、VR流れる映像研究し尽くし、映像と完全にシンクロしたサービスでたちまち人気No.1になった。おっさん仕事と亡き妻、愛する娘に対する直向きな姿勢は、家族との確執を抱えていた女子大生の嬢、夫との不和を抱えていた人妻の嬢、どんな仕事にもやりがいを感じられずにいたOLの嬢にも伝わり、それぞれが抱えていた問題解決(解決にそれぞれ1話割く)、仕事にやる気を出すようになり店も大人気店に。

おっさんサービス雑誌にも紹介され、素顔が謎の風俗嬢としてますます人気者に。その人気は高校生の間でも噂になり、とうとう娘のクラスメイト男子高校生(おっさんと面識あり)が来店してしまう。

ゴーグルのせいでクラスメイトだと気づかずいつものサービス提供するおっさん。こんなサービスができる女の子はさぞかしかわいいに違いないと隙をついてゴーグルを外してしま高校生おっさんを見て高校生は着の身着のまま逃げ帰り、翌日学校で周りに言いふらし、娘は学校中の笑い者に。

帰宅後、そんな仕事をさせてまで大学なんて行きたくない父親を責める娘。しかし、高卒おっさんにとって娘が大学に行ってくれることが夢であり亡き妻との約束だったこと、そして職業に貴賤はなく今の仕事に誇りを持っていることを懸命に説く。

そこに、おっさんが出勤してこないことを心配した店長が家までやってきた。状況を把握した店長は、おっさん仕事に対するプロ意識、また、娘のことをどれだけ大切に思っているかおっさんのおかげで自分を含めた周りの人達いかに変わったかを話す。

おっさんはい社会必要とされてる立派な社会人だということに気づいた娘はやっぱり大学に進学することをおっさんに伝える。

正体がバレてしまったおっさんはもう嬢としては働けなくなったが、充実した嬢の教育マニュアル作成店長とともに店舗拡大、風俗業界でそこそこの成功をおさめ、そこに大学マネジメントを専攻した娘が加わって従業員にも優しい風俗店として時代を築いていくドラマ

文教大学までの受験の思い出

私は高校中退のあと大検を取って、二浪してたまたま受かった文教大学に入りました。

高校受験

ADHDの症状のためかなんなのか自宅ではまるで勉強ができず、三年間で家でやったのは県立高校過去問だけ。

ただ知能テスト?の結果は学年で一番とかだったので授業態度や提出物等はボロボロものの、なんとか偏差値60ぐらいの県立高校入学

最近親に「勉強のやり方がわからなかった」という話をしたら、どうも話が噛み合わないのでよくよく聞いてみると塾とかで丁寧に指導してもらえばもっとできたのではと思っていたらしく、「いやいや毎日コツコツ机に向かって勉強するっていうのができなかったんだよ」と言ったら少し驚いていた。

そんなんで入った高校適応できるはずもなく1年で中退大検予備校には通うもまたもや家では過去問だけをやってなんとか合格

大学受験

しか大学はそう甘くはなかった。現役の年齢では手も足もでず、一浪するも全滅。親から圧力とかの恐怖心もあって予備校に通う電車の中で「試験にでる英単語」だけはやり、例によって赤本アタック

正直もう体力も精神力限界に近かったが、5校受けた中で「こりゃダメだな」と思った文教大学情報学部になぜか受かっていた。合格発表も見に行けず家でゴロゴロしていたのだが、親が「大学から何か来てるわよ」というので見てみたら、入学書類だった。

最後に】

運かなぁ。

京大受験までの思い出

https://anond.hatelabo.jp/20190102174908

自分のことを思い出した。

もう20年前の話。

親の仕事の都合で引っ越しの多い幼少時代だった。そのせいか内向的で、休み時間には教室に置いてある児童文庫学習漫画をよくよんでいた。地球太陽の周りを回っていると書いてあったから、影が1日の間で移動する理由テストで問われて「地球太陽の周りを回っているから」と書いたら、正解は「太陽が動いているから」だと言われた。テストでは僕の答えも丸になっていたが、動いているのは地球の方で太陽は動かないはずだと僕はずっと首をかしげ続けていたと、母親保護者面談先生から言われたそうだ。なぜか母親にとってそれは自慢話のネタらしい。

中学受験に向けて猛勉強する同年代の子どもたちの映像テレビで見たことをよく覚えている。そのときは僕は「ずるい」と感じていた。みんなが学校で同じように平等勉強の機会を得るべきで、塾で勉強するのは抜け駆けをするずるだと感じたのだ。そのせいか僕は塾に行くことな大学受験まで過ごすことになる。

親は放任主義というかのんびりしているというか、子どものすきにさせるというスタンスで一貫していた。ファミコンをどんだけやっても怒られないし、勉強しろと言われたことは一度もなかった。そのせいか、どの高校大学を受けるかにあたって僕が出した唯一の基準は「自由なところ」だった。

高校県内でも自由で名高い公立を選んだ。私立優位な地域だったので、東大京大に受かるのは3年に1人くらいの高校だった。そんな高校で僕はずっと学年で「2番」の成績をとり続ける。どんなに頑張ろうと常に2番。1番の子は一体どんなやつなんだろうと思わないでもなかったが、実は顔も知らない。1学年10クラスもあって、どのクラスにいるのかを探すのも大変だったのだ。

高3に模試を受けてみると、京大合格圏に入らないでもないくらいだった。調べてみると京大は、自由のもの校風ではないか。それなら受けるしかない。塾には行ってなかったが、通信教育は受けていた。コース京大向けに変更して、家で課題を解き続ける日々。子どもの頃に中学受験をずるいと感じたくせに、大学受験ではそのど真ん中に身を投じているのだから勝手なもんだ。つまり自分認識すらできない時点で人生に差をつけられてしまうようで、抵抗を感じていたのだ。

受験の当日、母親ホテルについてきた。「私は観光してくるからあんたは受験頑張りね」と。どこに観光してきたかは知らないが、そのとき写真お土産ひとつもなかった。どこにいたんだろね。

試験はよく集中できた。何問解けたのかはよく覚えてない。目の前にある京大らしい問題に、自分知識と知恵で格闘した。いつも通りの自分でいられた気がする。

合格発表は新幹線に乗って見に行った。

自分の番号を見つけた瞬間の感想は、あーそっかあという安堵のようなものだった。ここに受かるということは、親元を離れて暮らすということだ。その新しさへの不安と期待が少しずつだった。

噂によると、学年でずっと1番だった彼も京大に受かったらしい。が、いまだに会ったことも話したこともない。全く自由というか無頓着なのだろう、2人とも。

あれから20年経ち、僕も親になった。

僕も親のように、人生の岐路になりうる場に子どもを平常心で立たせてあげることができるだろうか。まあきっとできるだろうと、ポケモンをやり続ける子どもを見ながら思うのだ。

[]2019年1月2日水曜日増田

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増田合計ブックマーク数 ()内の数字は1日の増減

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2019-01-02

東大受験の思い出(文系おっさん篇)

https://anond.hatelabo.jp/20190102063518

触発されるところがありました。増田にも、コメントにも。

家庭環境など

百姓家の倅です。3人兄弟長男比較的小さいころから「下がつかえているかあなたオール公立で。それだけの頭はあげたでしょう」と母親からいわれて育ちました。母方の母方は庄屋(糀屋)、母方の父方は漢学者家系です。父方はよく知りません。父親東京教育大の出、全共闘火炎瓶を作って安田講堂に攻め入ったことを生涯の語り種にしていました。いまはアルツハイマーで息子たちの見分けがつきません。発話も失われて久しい。

その倅たる僕はプロテスタント幼稚園に騙されて入り、地方二期校の教育学部の附属小学校に騙されて入り、そのまま持ち上がって附属中学校へ、高校東大合格者を年に15人から20人くらい出すいわゆる県立トップ校です。中学校男子90人のうち35番くらいまでにいればトップ校に入れた。塾には行かせてもらえなかった。習字水泳英会話歯医者、これはよく通わせてもらいました。中学は共学でウェイウェイしていました。藤井郁弥の影響でテクノカットに前髪が顎下までありました。高校男子校です。圧倒的な絶望です。キルケゴールに耽溺しました。

どこで勉強をしたか(中学まで)

田舎から街中まで通うのにバスで片道45分かかります。退屈なので寝るか教科書を聞くか路線図や料金表を覚えるか(後に)音楽を聞くしかありません。小1から、時折(4割程度)の自転車通学を挟んで、半分以上はバス通学です。小6までは学期の始まり教科書を配られると最初の1週間で読んで覚えてしまます

教科書本体よりも便覧や資料集が好きでした。面白かった。地図帳も、資料集も、地勢統計も。中学に入っても英会話は通わされていたので楽ちんです。中間/期末/学力試験の前1週間くらいにざっと教科書見直して500点満点で425点。リスニングは、携帯プレイヤーはなかったので、ウォークマン英会話学校の教材やNHK英会話を入れて、まあ適当に。中3で県のスピーチ大会に出させられ(て、落ち)る、そんな感じです。

部活はやりませんでした。お金時間もないし、水泳通ってたし、弟のバスケットと体操に両親は夢中になっていました。素行不良のため内申点が足りなくて合唱団に入れられました。

どこで勉強たか(高校)

うちの高校合格すると「入学式までの30日間の重要性」とかいって英数国の宿題が課されます。それと直近の大学受験結果を分析した資料ざっと見て、学年360人、2年次から文系150人理系210人の、まあ自分文系だろうから文系30番くらいにいれば、努力で入れるといわれていた東北大、東京外大に入れるかなという目算がつきました。東北大はかっこいいし、外大女性比率が高い(放っておいてもモテそう)。まあでも、適当です。それで入学式直後のテストで、学年で50番くらいに入った(いちおう、ビビって用意はしていました)。

でも生活の基本パターンは大きくは変わりません。教科書は行き帰りのバスでだいたい読んで、物理科学不要なので捨てる。家に帰ったら数学問題演習(4STEP)、英語古文単語を。同じころ僕を溺愛してくれた婆さんが脳梗塞から前後不覚に陥り、街中の病院に入ることになった。学校帰りに爺さんと待ち合わせをして立ち寄る。病院は暇ですからお茶を入れて飲んで、英単語を覚えるくらいしかやることがない。たまにノートを開いて、数学は先取り。ざっと、次の単元に目を通して(授業中に指されるのが不安から…)。そうそう、効果のあった教材は「パターン演習」でした。今はもうないのかな。「現代文 例の方法」もよかった。古文は聖文社の薄い本意識の高い友だちから、いろんな情報が入るようになってくる。それを病院に立ち寄る前に市内の書店でチェックして、合いそうなものを買います

大学受験意識する

東大意識したのは高校2年の11月です。恩師(英語先生)に、冗談で「おれ東大無理ですよね。ははは」みたいに話したら「お、ようやくやる気になったか」なんてその気にさせられて。帰りに本屋ペンギンか何かの洋書を買って、1日2ページ、英文解釈和訳です。朝持っていくと、帰りまでに真っ赤に添削してくれる。古文や、数学先生も噂を聞いて「おお、あのあいつが」みたいに様子を覗き込んでくる。ひとり、ふたりノートを見てくれる先生が増えました。でも、だれも僕がまさか東大に入るとは級友たちは思っていなかったと思います

受験戦略

受験戦略は至ってシンプルです。後期には絶対の自信がありました。読書感想文論文も出せば県予選までには行った。英語も出来ました。社会世界史日本史現代社会、どれでも満点近くとれました。参考書は「世界史Q&A」「日本史Q&A」です。資料集を見てビジュアルで頭を刺激して(例、ザビエル。毛の話ではない)大掴みし、後はひたすら反復練習です。高3初夏の時点の大手模試で文3後期はB+くらいの判定でした。前期はさすがに無理です。

ただ、「やるだけやった」ことは自分言い訳を残したくなかった。病院で婆さんが「うちの孫はいい子で」「末は大臣から」って、看護婦さんや主治医に言いふらしたらしい(後に爺さんの仕業だと判明するのですが)。それで先生方が「東大を受けるって聞きました」「がんばってね」って声をかけて下さいます。病状のことも聞きました。当たり前ですが、下り坂です。いっときは、医学部を目指そうかとも思った。でも入って出て研修医になるまで7(6+1)年です。婆さん、間に合いそうになかった。爺さんも肝硬変になって、爺さんに「どこがいい?」って聞いたら「そりゃ天下の一高がいいさ」というから「わかった」と返事をしました。

再び受験戦略の話

本戦略は4つです。

1. センターは満点をとる。二次は天下の俊英が集まってくる。勝てるわけがない。センターなら勝てる。1:4(800→110):440の圧縮傾斜とはいえ、110点とって無駄にはならない。田舎凡才がまず考えるべきは足切り回避です。足切り回避したら「二次で逆転」なんて赤本成功譚を鵜呑みにせず、センターで1点でも多くの上乗せをと考えました。

2. 後期は受かろう。英国世界史満点を目指す。論文素面でいけるはずだ。

3. もし現役で東大がだめだったら地方公立医学部に切り替えよう。そのために、生物をメインで、化学も少しはやっておこう。

4. 問題は、前期で東大を受けるか、A日程で外大を受けるかでした。こう考えました。A日程で外大に受かる(東大後期の足切りにあわなければ後は外大用の英語対策です。外大二次英語東大二次よりもやや歯ごたえがあって格好の対策になります)、そして後期で東大文3に受かる。これがベストシナリオだ。そのとき東大に行くだろう。だとしたら、A日程は無駄ではないか?

教科別の話
現代文

岩波講談社現代新書、などを、手当たり次第に読んで咀嚼しました。また、Z会添削(これだけは母親に頼んだ)を受け、「模範解答をできるだけ歯切れのいい単位自分言葉に分解して、とことん納得するまで書き換える」を行いました。添削はあまりしませんでした。毎月送られてくる薄い模範解答の本がありがたかった。小説は、ごめんなさい、蓄積があったので(うちは1950年代60年代70年代文庫季刊誌文学全集が堆くあるような家でした。数少ない父親の正の遺産です。片っ端から読んでいました)、あとは「例の方法」で、受験とはこういうものかと調整する程度。

古文

品詞分解と2,000語レベル単語暗唱です。高2の11月からセンターまで400日。1日50語。予習(N-1日)、当日(N日)、復習(N+1日)のサイクルで、ということは150語/日ペースで頭を通す計算になります。「あさきゆめみし」を読みました。明治書院(?)の作品解説集をバスの行き帰りに読みました。

漢文

ごめんなさい! 爺さん漢学者の家柄なもの(笑)。「蒙求」「戦国策」とか。「戦国策」はよかった。いまでも、なるなら刺客です。司馬遷ありがとう!

英語

単語は5,000語レベル単語集を1冊日割りで。効果的だったのは、ある単語を覚えた/引いたとき辞書の同じ見開きページに載っている重要単語はぜんぶその機に覚えてしまうやり方です。

文法桐原発音アクセント英会話教室からもらった対策本。英字新聞は読みませんでした。代わりに、前にも記した高校先生から受ける日々の添削

日本史世界史

「Q&A」です。「一問一答」ではなくQ&A。

数学

苦手にしていました。系(?)の拡張、みたいな感覚になかなか付いていけなかった。虚数単位とかです。仕方ない、というので「4STEP」を繰り返し、センター200点満点を180点とることに集中。二次は、大問4のうち、かき集めて1つ、配点で80点中15点とれれば合格には御の字。15点ならセンターの延長でとれます文系微積が苦ではなかったのが本番でも生きました。

理科生物

高校の授業です。これだけは、参考書の目利きが自分にない。熱心な先生でしたので、出されたご飯は残さず食べるの精神です。

受験結果
センター試験

国語:190点

英語:192

世界史:98点

数学:180点

生物:92

合計:752点

(あれ? 756点だった気が。)足切り回避です。よかったですね。

二次試験の結果

国88/120

英104/120

世界史40/60

日本史35/60

数学25/80

292/440点

自己採点です)250点あれば十分、220点でも年によっては受かるといわれていました。勝因は英語です。よかったですね。

合格発表の日

これでも、自分には無理という思い込みがありますから赤門をくぐってまず後期合格者の掲示板のほうを見にいきました。前期は絶対に無理、でも、後期の足切りには確実に通っている。「国語古文漢文選択肢に引っかかったのが痛かったなあ。あれがなければ前期だって」と頭を抱えていました。

そんなことを思いながら後期(追記:足切りクリア)の掲示板の前まで来ると、自分の番号がない!

「さすが東大は違う。おれはもうだめだ」と、代ゼミに向かい踵を返そうとしたとき、同行していた父母が「せっかくだから前期のほうも見てみよう。どんな人が受かるのか顔を見てみたいじゃない」「予備校それからでいい」というわけです。

ありました

ありました。

公衆電話実家にかけると、すでに電報が届いていて、いまかいまかと祖父母電話を待ち構えていました。祖母許可を得て病院から戻ってきていました。もう、東大に受かることの社会的な意味合いは、わからなかったろうと思います。でも、みんなが喜んでいるからといって、赤飯を炊く準備に、これから近くで豆を買ってくると電話口でいうわけです。「そんなのはいから」「とにかくそのまま家でお日さまに当たっていて」と僕がいうと「ご親切さま。うちのは、ほんとにいい孫でね」と僕にいう。僕は思わず「おばあちゃん、よかったね」って。

結びに代えて
英語だけは

言い古されたことですが、東大学歴というのは、かなり費用対効果のいいLadder of Success(成功の階梯)です。その中でも、ひとつたつを添えて、本記事を締めたいと思います

それは、文法的な意味での英語力の最初ピークは、大学受験直後ということです。その勢いを駆って、TOEICなり、英検なり、お受けになれば、さしたる苦もなくCertificateを取れるのではということ。僕自身大学年の初夏(だったか)に準1級、以来、TOEICが(維持のための努力だけで)だいたい945点くらいをかれこれ25年、続けています

1年くらいは

間もなくセンター試験です。もし、2019年のセンター二次に間に合わなくてもと思う現役生がいたら、1年くらい、大きな気持ちで構えていいのではないでしょうか。長い人生、1年くらい、駒場の3年目や、離婚や、放浪放蕩や、悪所通いでたちどころにトントンになってしまます

受験生のみなさんのご武運を、ねこちゃんたちと共に心よりお祈りします。長文、失礼いたしました。

大学受験女子の一律減点が話題になってたけど男子の一律減点(あるいは女子の一律加点)は話題にならないんだな

複数の人からそういうことがあると聞いたことがあるけど

東大までの受験の思い出

私は、中学受験御三家に入り大学受験を経て東大入学した。

中学受験

動機は3つ。小学校で好きだった子や友人と張り合うため。先生に勧められたため。行きたい学校を見つけたため。

小学校東京郊外私立に通った。いわゆる東京私立というイメージとは遠く、付属中学もなく田園の教育という方針実践しているのんびりとした学校だった。学年に男女合わせて30人ちょっとしかおらず、当然クラスひとつしかなかった。

私は四年生の時に親の母校であるその私立へと転校した。学校では何もしなくても成績が良かった。テストはいつも早く終わり、ほぼ満点しか取らなかった。いつもトップを争う子がおり、私はいしかの子好意を寄せるようになった。その子とは度々一緒に学級委員に選出されて囃されたが、実際悪い気はしなかった。

五年生になって周囲が塾という習い事のため足早に帰ることに気づいた私は、特に深く考えもせず受験がしたいと親に申告した。担任先生相談すると、可能性を広げる良いチャンスなので多いに推奨すると言われた。この時の先生一言だけで私は世界が広がった気がした。

学校をいろいろ見学した結果、最後に訪れた御三家一角を目指すことになった。門を叩くまで母は恐れ多いと躊躇していたが、行ってみると風通しが良く自由校風で私は一発で気に入った。ここしかないと強く思った。

好きになった子とは家族ぐるみの付き合いがあり、テーマパークへ行ったり共学を一緒に見学したりした。同じ学校で無敵の青春時代を過ごす妄想が捗ったが、世間的に知名度の高かった共学も思ったほど私には語りかけてこなかった。試験日程も遅かったので、お互いそれぞれの御三家第一志望となった。

塾は近所の個人塾に通った。寺子屋みたいな雰囲気で、先生塾長奥さんの2人、生徒は4人、そして授業中は正座だった。私だけ必要な科目数が多かったので、マンツーマンで教わる時間も多かった。回答を間違えると「バカチン」と先生はよく言った。指導は厳しかったが、頻繁に飴を配ったり可愛がってくれた。

塾は行ったら行ったで面白いし好きではあったのだが、束縛に耐えられなかったのか、私はよく直前にお腹を壊したり、自転車で行くふりをしてバックレたりした。もちろんすぐバレた。何度もやめてもいいよと親に諭されたが、そう言われると余計に引けなかった。何より勉強は楽しかった。自宅で勉強と称して漫画を読むのも楽しかった。

大手の塾には模試と講習だけ行ったが、普段学校や塾とはまるで異質な空気に圧倒された。何点取ったらゲームもらえるとか、模試で何位だったかお小遣い増えたとか、そんな会話が横行しできない奴は容赦なくバカにされた。私は萎縮してしまい、模試や講習では御三家を狙うにはギリギリ偏差値をいつも取っていた。

そんなこんなで中学受験第一志望の受験日は2月1日受験番号は402。母が「フォーチュンだね」と言ったので覚えている。大手塾特進クラスの連中はまるで家にいるみたいに寛いでいた。田んぼ学校に通いちっぽけな寺子屋からひとり送り出された私は、担任塾長言葉を思い出しつつ、昼休みに母の作った弁当を噛みしめた。

手ごたえはあった。得意科目算数だったが、特に国語ができた気がした。第二志望以降も受けたはずだが、第一志望で力を使い果たしておりほとんど記憶がない。2月3日に結果が出るとその後はもう受けなかった。サクラサク

大学受験

東大受験することにした。理由は、別の進路を断念したため、学費が安かったため、そして周囲のほとんどが目指していたため。

はじめは芸大の先端芸術表現科というところに行きたかった。アートを学び実践たかったのだ。しかし、東大からでも道はあるという説得と、受験対策のための出費がかさむという理由で断念した。今思えば金をかけずに挑む方法模索して食い下がればよかったが、当時は思い至らず折れてしまった。

私が中学の頃に父は長年勤めた会社早期退職したが、その後仕事が奮わず家計は火の車となった。学費生活費の捻出に家族があくせくする状況の中、私だけ美大受験意志を押し通すことはどうしてもできなかった。大学受験は塾に通わず授業と自習で挑むことになった。

幸い有数の進学校には通っていたので、目標東大に変えることは自分の置かれた環境を最大限活かすことにもなった。上位25%が東大に進学する学校で私は時折圏内に食い込む程度の成績だったので、そう遠くない目標に思えた。

ところが、目指し始めた頃には届きそうに思えた赤門も、時間が経つにつれ遠のいていった。ハイレベルな塾に通う周りからは目に見えて離され始め、模試の判定も振るわなかった。いくら寝ていても自習をすると眠くなり、分からないところがあっても差を感じると素直に質問できなくなった。焦るほどに時間けが過ぎていった。

願書を出す段になると、父と腰を落ち着けて話した。弱気になった私とは裏腹に、父は自信に満ちていた。「滑り止めに金は出さない。行きたいところだけ受ければいい」と父は言った。それもそうかと妙に納得し、私は東大のみを受験することにした。東大一本なら正直落ちてもカッコつくと思った自分がいたのは事実である

余談だが、父は学生紛争東大受験がなくなった年に受験生だった。成績優秀で東大を目指していた父はその年第一志望に挑戦することすら叶わず第二志望へと進学した。私はその話を本人からではなく母から聞いた。複雑に絡み合った様々な思いを背負って私は試験に臨んだ。

結果はボロボロだった。足切りこそされなかったものの、センター試験合格者平均を大きく下回っていた。二次試験数学に至っては頭も回答用紙も真っ白だった。案の定、私は東大に落ちた。

大学受験2】

浪人した。親の期待と、自分の意地だけだった。

東大に落ちて私は忸怩たる思いでいっぱいだった。自分が周りに一目置かれたいがためにいたずらに東大を目指した気がした。東大しか受けずに落ちたと言うと、周囲はその勇気を讃え不運を嘆いた。だが私が一番良く知っていた。それは勇気ではなくただの処世術で、不運ではなく純然たる力不足だった。

私が卑屈にも自分と比べていた仲間たちは一足先に合格をその手で掴み大学生となってしまった。毎日通っていた高校卒業してしまった。私はからっぽになった。現役受験が終わってから、これは他人との競争などではなく自分との戦いなんだとやっと気付いた。

就職浪人かという選択肢を前に、働くと言いかけた私に親は浪人を勧めた。もったいないから、という言葉に私は到底納得できなかったが、ある種自分を見直す時間だと捉え受け入れた。親に頭を下げ予備校に通った。

浪人の前半期はくすぶっていた。授業は新鮮で楽しめたが、予習復習には身が入らなかった。借りた小説を読み漁り、レンタル映画を見倒した。私は物語の主役であり、困難に立ち向かう若者であり、世界の広さを思い知る冒険者であった。自由を求め無頼を気取っていたが、その実何の変哲もない予備校生だった。

後半期になると配属クラスが上がった。自分でも気持ちが乗ってきているのが分かった。模試では結果を出せるようになり、勉強試験のサイクルが単に知識の吸収と確認をする作業なんだと理解できた。高校教科書をはじめから読んだり、資料集を飽きるまで眺めたりした。そこに書かれていたのは試験のために記憶すべき情報ではなく、世界を紐解く手掛かりだった。

この頃から私はセンター試験をひたすらやった。現役受験の際に感じた基本の不足を徹底的に見直そうと思った。周りは東大対策に余念がなかったが、私は自分が一番手応えを感じられる道を進めばいいと思えた。センター試験で満点が取れるようになると、不思議二次試験過去問も解けるようになった。

結果からいうと、私は当時の前期日程試験不合格だったが、後期日程で理科一類合格した。

前期日程で落ちたのは予想外だったが、余計な要素が削ぎ落とされるほどに私はなぜか冷静になれた。後期日程では科目の絞り込みに加え選択もあるため必要試験が少なく、私の場合はほぼ英語数学のみだった。そして私にとってはそれが望ましかった。

試験前日はよく眠れた。朝は自然と目が覚め、焦りや気怠さを感じることなく落ち着いて試験に臨むことができた。数学はあっけなく終わり逆に不安になったが、英語会心の出来だった。やるべきことはやったという清々しい心持ち試験を終えた。

結果発表では安堵と高揚感からか、現実感が薄らいですべてがぼやけた夢のように思えた。勝鬨をあげたり号泣したりする見知らぬ同志たちを横目に、私は特に湧き上がる感情もなく立っていた。アメフト部に合否を聞かれ、小さく頷くと胴上げされた。着地の際に自分体重が戻ってきたのを感じ、それまでの漂うような気持ちは消えた。

こうして私の受験は終わった。

最後に】

小学校で好きだった子は私と同様に第一志望の御三家合格したが、中学進学以来疎遠になった。私は大学を出て10年になる。

受験競争心を煽って奮い立たせる仕掛けが多く、そういう経験を経て比較しか物事を測れなくなる人間もまた多い。実際に私も周囲の人間環境に大きく影響を及ぼされたが、最終的に納得の行く結果は自分選択からしかまれなかった。

正月受験生たちに、あけましておめでとう

2019-01-01

無題

小学校時代いじめられていた。ゴミ箱の横で給食を食べさせられたり、業間休みの遊びには入れなかったり。ただ周りは責められないと思っている。というのは、隣のクラスにもう一人いじめられっ子がいるのだが、自分立場が危うくなってしまときにはその子いじめに加担するときがあったからだ。

2018/12/31の夜に見た夢が、いじめっ子にその時の口調で罵られるという内容だった。その晩は350mlビール1本と赤ワインを数杯飲んでいたが、すぐ起きて酔いも覚めてしまった。

自分中学受験から受験勉強をし、中高一貫校入学のち大学受験をした。特に目標があったわけではなく周りの大多数の選択に乗っただけなのかもしれないが、今思うと無意識自分いじめてきたような人から離れることを思っていたのかもしれない。

ただ、小学校卒業してからいじめこそ無くなったものの、別の形で心にトラウマを刻みこまれることが何度もあった。具体的には書かないが、概ね責任なすり付けられて全部一人でやろうとして失敗するパターンが多かった。健常な人なら解決策として他人を頼るとか、そもそも普段からそれなりの地位があるから不躾な欲求を言われないところだ。その時々で思うのが、自分性格破綻してるんだなぁということだ。普通の人ならこうする、というのが全くできてないし、未来永劫できないであろう実感があった。

以降ずっと疑問なのだが、自分はいじめによって人格破綻していたのだろうか?元々出生時人格ガチャに失敗したのだろうか?

統計を知りたい。

2018-12-25

大学生だけど、小学生ときよりも世の中が腐敗しているようだ

大学四年生卒業間近になった。

自分中学高校で持病が酷く悪化していた。そのため体調が悪く、今よりも容姿が醜く何も良い思い出がない。

しかも、無理して進学校にいたが大学受験は大失敗した。

中学高校という忙しい時期に何もリターンがなかったし、体調が悪かったという事実自分に働くという意欲を下げさせる。

大変な思いをしても何も得るものなどなく、持病が悪化するのだろうという恐怖があるのだ。

大学院に時間稼ぎで行こうと感じているが、それもまだ不透明だ。

大学生になって感じる恐怖がある。

世の中が腐敗しているということだ。

昔はまだ政治的不正があったときに、それを許さな雰囲気があった。

しかし、現代ではなにか流れるように許されてしまうのだ。

しろ不正に怒ると批判だ 良くないと言われそうな勢いである。

高校同級生を思い出すと、皆権力にくっついていきそうな人間ばかりだ。

最近の若者権威主義的だということを皆が気づきはじめたが、自分高校で肌身で感じ四年以上前には知っていた。

ますます、腐敗は進行するような気がするものだ。

自分は呆れしか感じない。そして、ここではない、どこかへ行きたくなるものだ。

しかし、どこでも人間関係というものがある。

鏡で自分容姿を見ると醜い。それがなにか足かせになっているような気がする。

世の中は腐敗して行くときに、自分は抜け出したい。しかし、醜い自分は抜け出せない。

大学院に行ったら、出来る限り醜い容姿をマシにしたい。そして、まだマシなところへ行きたい。

そう感じる。

2018-12-22

俺以外全員死ね

大谷翔平ビルゲイツの両親からまれてきたかった。人生イージーモード大衆を見下しながら楽勝に生きたかった。

なんで低スぺ底辺労働者の両親からまれてこないといけねーんだよ。罰ゲームじゃねーかよ。

金持ち外子供を作るなよ。作られて迷惑だ。ゴミ遺伝子とか要らねーし。なんで低スぺ遺伝子を受け継がないといけねーんだよ死ねよ。

労働とかしたくねーし。あーあ。資本家階層に生まれていればなー。無駄な苦労しなくて済んだのに。ぽんって金を出してくれんだろ?金持ちの子はいいよなー。

人生課金ゲーじゃねーかよ。幼いころから課金されてきた奴が勝つ超絶くそげー。恵まれた家庭環境遺伝子を与えられたかったわ。格差社会死ね資本主義死ね

俺は一円教育投資されなかったよ。家に本や新聞雑誌漫画すらなかった。なーんもない家で育てられた。いや、育てられてねーわ。ネグレクトされてたわ。

ついでに毎日のようにボコボこにされてたわ両親に。食事もでなかったわ。寝る場所もなかったわ。教室でよく発狂してたわ。窓ガラスわったりクラスメイトボコボコにしてたわ。

小中学生の頃は犯罪やりまくって金を稼いで、その金で高校行って犯罪で金を稼いでたら捕まって少年院大学受験勉強をして大学入ってグレーなビジネスを立ち上げて今。

真面目に生きるとか馬鹿馬鹿しいわ。何で俺様資本家パシリをやんねーといけねーんだよ。死ねよ。利用されるために生きてんじゃねーぞカス

どんなに汚い手を使おうと金を稼いだ奴が良い思いできる。世の中金が全て。真面目に生きるとか馬鹿。騙される奴が馬鹿。純金融資産十億円を目標にしている。

人を踏み台にして利用しまくって絶対目標を達成してやる。死ねカス。俺より金持ってる奴全員死ね。俺より恵まれている奴全員死ね死ね

2018-12-16

自分は非論理的人間なのに、感情的に有利な点がない

久々に文章を書く。

卒論提出締め切り直前に、色々と卒論で大変なことになっていて泣きそうだ。

卒業できるのだろうかと考えるが、やれることをやるしかないのかもしれない。

自分にはマトモな就職先もないから、就職先を失う悲しみは無い。

ただ、自分はかなり時間をかけてきた割に何もなっていない気がするのに苦しみを感じる。

現在も、事態をどうにかしようと足掻ているが二進も三進も行かない。

要領よく卒論就活対処できた人達もいるのだと思うと自分無能さを痛感するばかりだ。

思うのは、自分は非論理的人間だということだろう。

論理的思考が全くできない。

から論理やらでやりとりやらをすることが出来るような人間ではないのだろう。

ただ、それだけなら問題ない。

人間というのは論理だけで生きているわけではない。

しかしながら、自分には非論理的コミュニケーション力やら恋愛的な容姿やらといったものも備わっていないのだ。

何か論理ではないものもない。

恐らく、高校大学受験で苦しんだのも頭が悪いからなのだろう。

ただ、今更自分論理的にもなれそうにない。

容姿やらを良くしていきたい。非論理的な何かが欲しい。

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