はてなキーワード: 互助会とは
週の最終日なのでチームの進捗報告会議。各代表者の報告や課題の解決案の共有などはさっさと終わる。
さっさと終わらせ、さっさと帰りたいのだが、上司の演説がめんどくさい。
集団で協力して事を行う以上、士気を維持したり、一定の価値観で洗脳する必要があるのは分かるが、しかし、めんどくさい。ゲロを吐きそうだ。
長くて無意味な演説が終わり、他の責任者数人でドリンクブレイク。
公式な会議では議題に出せないような裏課題をざっくばらんに話し合い。
中間管理職同士の横の関係はメンタル維持に大切なことだ。群れで孤立すると悪循環にハマるので互助会。
仕事が終わってエンジョイ週末。セフレと合流して晩飯を奢ってもらう。
理解や共感はできなくても他人と過ごさなければ自分の感覚を変えていくことはできない。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/datsuryokuseikatsu.hatenablog.com/entry/2023/09/16/082800
おおこれが、ってなった。
こういうのもっと教えてください
どちらが上か下か考えている時点でもう負けだっていうのはわかる。
でも俺の「20分で書いた増田がおむね10回に1回ぐらい300ブクマぐらいになる」という能力がどこまでショボいのかを言語化して再確認したくなった。
500に行くことはかなりレアで、1000を超えたことは一度もない。
「自分語りor雑な思いつきor流行りの話題」✕「人生観暴露or見え見えの釣り」の組み合わせでしか勝負できてないせいだと思う。
「この増田役に立ちそう!」でブクマされることが絶望的にないのだ。
恐らくはてなを本気でやっているであろう1000人程度の集団に対して「なんか面白いなこのスレ」みたいな扱いをされて伸びるだけだ。
インターネットの掃き溜めにおける便所の落書きとして最適化されきっているというわけである。
無用の用に特化した文章であっても更に研ぎ澄ませれば在りし日の侍魂のような怪物系テキスターになれるのだろうが、俺にその才能はなかった。
頑張って努力して文章をかけるようになって2000ブクマ貰ったとして、それって意味ありますかという覚めた気持ちがあるので努力できてない。
単にちょっと承認欲求を満たしたいからたまに300ブクマぐらい貰えねーかなで適当にやっていて、それ以上を求める気がない。
Twitterで20ふぁぼぐらい互助会みたいにしてつけあって駄サイクルしてキャッキャッしてる連中がいた俺はアレと同類なんだろうな。
インターネットに何かを残そうという気持ちがなく、むしろ来週には消えている雪だるまのような存在であって欲しいと思ってさえいる。
言い訳だな。
父:この度アル中が発覚。
増田家は口数が少なく、帰宅するとすぐ自室にこもって趣味に没頭するタイプばかり。外の友人が少ないタイプ。
そんなだから定年を迎えて以降の父は、家で喋る相手もおらず、酒を飲むようになってしまったらしい。本人もまずいと思って病院に行ってはいるものの、元々酒好きだったこともあり、なかなかやめられない。
母が何とか支えてくれていて、病院にも付き添ってくれたりしているみたいなんだけど…増田は実家がそのようなことになっていることも知らなかった。ただ、これは父がアルコールに溺れ始めたちょうどその頃にタイミング悪くブラック企業に勤め、鬱を患っていた増田を慮っての計らいだ。責めることはできない。
近年の父は呂律が回らないこともあり、年を取ったにしても年齢に対して衰えるのが早いのでは?と増田も感じていた。アルコール…そうか…。
弟や母が傍にいてもそうなってしまうとは思ってもみなかった。今になってあの時実家に帰っていたらと思うこともある。
一方で増田自身には実家に帰る気はない。就職したら地元の狭い社会で、かつての同級生と会うだろう。(弟経由で同級生がいることは知っている)増田をいじめていた同級生と…それは無理だ。また、増田の今の職種は少し特殊で、この仕事ができる環境は地元にはない。そもそも帰りたくないからそういう職種を選んだという点はあるのだが。
自分の心身を、生活を守るためには実家に帰ることは難しい。しかし自分を育ててくれた親の体がアルコールに蝕まれているのも無視できない。支えている母も弟も精神的に辛そうだと感じる。やめてくれと言い続けていても一向にやめてくれないまま、どんどん弱る父を目の当たりにし続ける2人のことを増田の足りない言葉で語ってはいけないと思う。
どうしたらいいんだろう…増田が実家に帰っても共倒れになる人間が増えるだけだとは思うけど…いやでも…。
母と弟は既にアルコール依存症の家族の互助会に参加しており、それでもしんどそうにしている。増田に何ができる?何もできない。それがとても辛い。
俺の探し方が悪いのかも知れん。
投稿の重さ 小さい~~~~~大きい
ぐらいのイメージ。
完全匿名の書捨ては便利だけど毎回始めからスタートのアーケードモードすぎる。
前の書き込みの続きですよってアピールする人もいるけど、匿名掲示板のコテハンみたいで気持ち悪いよね。
必要な時だけトリップつけている人はまともだけど、ダラダラと無意味にコテハン続けてるやつはキチガイって偏見があるから俺は匿名界のコテハンになりたくないんだよね。
なんか今更始めるような感じじゃないよね。
かといって複垢作るのは嫌なんだよね。
規約違反ですよ―でいきなりBANされてブログ消えるとか耐えられんわ。
有料なんだっけ?
そこまではしたくねえな。
アフィで稼げばトントン?
それってつまりはアフィのアクセス稼ぎに振り回されるってことじゃん。
それ以外のサービスはどれも似たようなものってイメージで差を感じないんだけど、どこも等しく「古参ユーザーが幅を利かせていて互助会に取り込もうと蠢いている」って偏見がある。
3 持ち家か賃貸か論争
7 昔のインターネットの思い出話
9 トランスジェンダーの扱い
16 ヴィーガンをめぐる論争
19 論文に関する記事に対する、擬似相関ではないか、という指摘
21 反出生主義に関する話
25 男女を逆にして考えてみる話
26 生成AIに関するお気持ち表明とそれに対する更なるお気持ち表明
32 主語が大きいという指摘
33 また髪の話をしてる…という話
44 うなぎを食べるべきではない、という主張
45 ブラック企業に勤める人に対して、いますぐやめろ、というアドバイス
46 モラハラやDVの配偶者に悩む人に対して、いますぐ離婚しろ、というアドバイス
47 問題のある友人への対応に悩む人に対して、いますぐ縁を切れ、というアドバイス
50 ブコメ非表示のウェブサイトをホッテントリ入りさせるべきではない、という主張
53 体育の授業に関する恨みつらみ
54 ちくわ大明神
58 句読点も改行もない長文に対し、読みやすくてスゴい、との絶賛
60 カブトムシ
61 いまこそ、はてなハイクを復活させるべき論
63 漏らした体験談
65 非モテに関する論争
66 下着を汚しただけなら漏らしたうちに入らない、という意見
67 メタブタワーの上層階まで来る人、レスバの当事者以外にいない説
69 トップコメは変わるかもしれないから「トップコメ」と呼ぶな、という話
70 なぜ人をコロしてはいけないのか論争
71 単著もないのに、という指摘
75 これだからブクマカは、と書いてる人もまたブクマカである問題
76 カブトムシ
78 三大〇〇、あと1つは?のネタフリで、既に3つ(以上)書いている、という指摘
79 三大〇〇、あと1つは?の時は3つ(以上)書くのが通例なのに2つしか書いてない、という指摘
80 カブトムシ
82 いつになったらグラフィーは完成するのか
83 落選を悲しむべきか、「また落選」と言えることを喜ぶべきか
85 トゥギャッたんは本当は何歳なのか
88 獣を檻に入れておくべきか
91 増田のやべーやつ番付の作成者自身を番付の上位に載せるべきか
93 2段ジャンプか、手から無限にからあげの出る能力か、どちらを選ぶべきか
94 カブトムシ
95 睡運瞑菜を実践したいが、あの人みたいにはなりたくない問題
96 再投稿は甘えか否か
97 斉藤巧は甘えか否か
気持ちわかる。
二次創作が嫌いで公式にしか興味ないという人が創作活動しないのはわかるしむしろそれが普通の楽しみ方だと思う。
でも二次創作が好きで自分から二次創作を漁っているような人が創作活動しない意味がわからない。二次創作が好きなら自分も二次創作すればいいじゃん。どうして見るだけで満足できるの?
女性向けは完全なROM専が比較的少なくて絵や字が下手でも互助会を築いて交流したりしてるけど、男性向けって商業と変わらず少数の作家と多くの消費者って感じじゃん。自分の解釈や願望を作品という形として残したいって思わないの?
ここ数年で人と仲良くなることが珍しくなってしまって一つ一つを大事にしすぎるようになった
最近ダメになった人に対しても依存ぽくなって失敗した…距離を近くしすぎちゃった
よく自分軸とか他人軸とかいうけど、その自分軸ってやつがあればいいのかな
ただ人間関係以外は生活能力もあるし仕事の関係者とはちゃんと接することができるからどうかな…
なんらかの障害があるのかどうかは同じような人ならみんな悩むんだろうね
それで検査してまったく問題無かったりしたらそれはそれでショックだな
互助会ってこのての人たちのもあるのかな?
あるなら最終的に世話になるかもしれないし後で調べてみよう
それはしんどかったね、自分も何回かそれやってるからわかりすぎて……
やっぱり根本的には自己肯定感なんだろうね、そこをもっと強く持ててたら相手のこともちゃんと見て尊重できて依存じゃないコミュニケーションとれるようになると思うけど難しいね
でも今からでも成長できると思ってやってくしかないね……実地の前に訓練が必須だけどね
同じような人たちで定期的に互助会セラピーみたいのするといいのだろうか、きっと探せばそういう場所もあるんだろうなあ
https://anond.hatelabo.jp/20230719012927
父が死んだ。葬式もした。
喪主ではないし長々としゃべっても飽きられるだけだからここで自分の整理がてら、書いておこう。
父という人間のことはなんといって表現していいかいまだによくわからない。というのは母が強烈すぎるからである。
父は1940年代生まれの日本人男性である。出身地は西の方の川沿いの豊かとはいえない田舎町である。
6番目の息子である。工業高校に通うために下宿がてら養子に出されるまでは、兄の一人に小遣いや親の愛を搾取されていた。
(おそらくそのせいで自分へのいじめにはとてもドライである。いじめが嫌いだし、「ズルイ」という言葉も苦手である。)
工業高校卒業後は、工場のあった景気のいい化学系メーカーに就職した。読書が好きで(速読で)すこし本で勉強すればペーパーテストはたいてい受かる。
職場ではじまった国内留学のような制度の初年度生にえらばれて会社のカネで大学の化学科に進学した。
学費の足りない分や生活費は賭けマージャンで補っていたという。のんびり無口なくせにダマテンかメンタンピンか即降りの雀風である。
趣味は登山で、安くて黒いカメラも一応持っていた。(父が人生でもっともイケイケだった時代かもしれない)
そこで一学年年上にあたる女性と出会った(大学では同学年)。九州で育って浪人して偏差値で選んで入った教育学部にいた女性は、はきはきとしゃべり美人で笑顔が気さくだった。
怒るとまくしたてて手が付けられないが、おこっていなくても気を許した人間の前では延々とラジオのようにしゃべっている。
話すうちに多少の脚色も入って来る。それを父はわかっているのだがいちいち訂正しない程度にはおおらかな父と女性は気が合ったようだ。
1960年代?の大学には学生闘争が(東京でとくに盛んに)あった。田舎の大学にも多少の余波はあったが、両方とも危うきに近寄らずで敬遠していた。
父は卒業後化学企業にもどり、女性は数か月だけ「印刷会社の腰かけ事務職」をして寿退社。初任給で洋裁用ハサミと広辞苑を買ったという。
二人は親へ挨拶をすませ神前式で結婚式をあげた。新婚旅行(国内)ではパンタロンにネッカチーフなど流行の服をきたイケメンの父が観光名所の立て札の前でまぶしそうに笑っている。
1970年代。m市の社宅に二人暮らしで妊娠。里帰り出産でまるまるとふとった増田を生んだ。ぴかぴかの母の笑顔は(そのころまだモノクロ写真しかなかったので)モノクロームである。(追記:よく考えてると写真現像紙の質が悪くて色褪せてただけで新婚旅行も出産も一応カラーだ)
夏だが一般家庭にはクーラーがないころだ。産院にはあったそうだが、おくるみでぎっちりくるんだ写真をみるに母には赤ん坊を薄着にするという考えがなかったようだ。
(なお増田は今も超絶汗かきである。失うはずの汗腺が全部残っている)
二人目もm市在住で西に里帰り出産した。このときは増田も母実家に連れていかれた。
このころ叔父が浪人してから医大に入って実家から通っていた。叔父はマンドリン部に入ったといって増田になにかを弾き語りしてくれた。あと本好きの増田に学研の漫画の植物百科を買ってくれた。
三人目を生む前に父は関東のk市に転勤になった。おそらくこのへんで、父は化学から離れたようだ。(父、転身)
というのは、データベースで父の名を探したことがあるのである。染料の特許か論文かに1-2件だけ名前があってぷつりと途切れた。
というわけでk市で三人目が生まれた。そうして5人乗り自家用車を買っていろんなところにつれていってもらった(なおそのころベビーシートはない)。
だが車内で父はタバコを吸った。車内はひどい匂いでひどく揺れ、子供たちはぐったりしていたし従兄弟などはゲロを吐いたこともある。あまりいい思い出はない。
(母は父に「ニヒルなくせに私にだけやさしい大人の男性」というイメージを抱いていた。一時期はタバコも容認~勧めたことがあったようだ。実際は父のほうが年下で気弱ですらある)
そうしているうちに二人目がアレルギーという未知の病気にかかって(そう、1980年代にはアレルギーによる気管支喘息すら新規だった。父も母も本を買いあさった)、
そのころの(無鉛ガソリンとも限らない)車の排気ガスがアレルギーのもとだ、という説にすっかり怯えてしまい、「もっと田舎っぽい場所に家を買いましょう」となった。
とはいえ社宅だって、そこそこ郊外で、隣は竹の子がとれる竹林だったのだが。
まあ、3人の子育ての忙しさの中で狭い金魚鉢みたいな社宅でのハイソ自慢、愛され自慢だの、昇進自慢に母が飽き飽きしたんだろう。
そこで知ったのだが父はいつのまにか一級建築士になっていたそうだ。意気揚々と自宅を設計し現場監督がてら家族をつれてわくわくとみせにいった。
(このへんで、のこり全部の西にいる親類から「東京の叔父さん」と呼ばれはじめる。後日つくば万博やディズニーランド、成田への前泊などで宿をお貸ししたこともあるようだ。)
お礼にとめてくれる親戚をたどってお盆に西をめぐったこともあったがそう回数は多くない。いつも核家族の5人が一緒であった。
そのあと増田はなんとか就職して、ひきとめたがる母親と喧嘩しながら「自分の金で」一人暮らしをはじめ、あまつさえ恋人ができたというと、
母が「空の巣症候群」というやつでいろいろとヒステリックになりはじめた。
子供が「いやもう自分は大人だから口出しをするな、するなら人生の最後まで口出しする覚悟をしろ。恋人よりよい伴侶候補がいるならいますぐつれてこい」とブチ切れてやると、
父親に「ウエーンくやしい!」と子供のようになきついていた母を思い出す。
その後も「恋人を家につれてこい紹介しろ」というからそのとおりにしたところ「こんにちははじめまして」の二言目に「うちの教育方針は!」とはじめたのでみんなでドードーしたのをおぼえている。
子供を教育することが母の生きる目標だった。母には並列処理はできないのである。教育となったら教育だけをするのだ。
「もういいから子供にかかわらず好きなことをしな」というと……。
しばらくしてようやく、母は広い庭をいじりたいから、もう一軒家を建てて引っ越すといいだしたのだ。
庭で草花をそだてていれば嫌なことはすべてわすれられるという。
父は母のことを浪費家だと数度指摘した由来はこの辺にもあるとおもう。
(ほかにもファッションや作り付け家具など、彼女なりの「上質な暮らし」イメージを達成するために骨身をおしまなかった母だ。
今で言う「お値段以上」なのだろう、「モノはいいモノだから3人の子供に使うのならこの値段は惜しくない」という言葉を母から何度も聞いた。
学校の縄跳びなんか子供向けのすぐ切れるプラスチックじゃなくてボクサーが訓練に使うようなものをもたされ重かった。)
母にしてみれば教育費を払いきれたのは自分の塾のおかげもあり、父はケチだというのである。どちらが正しいかは…。
ところがしばらくすると、父自身が肺の難病にかかった。タバコは肺にはよくないということはわかっていた。
父は早期退職制度で、ただ社外顧問で数回きてくれればという職だけをのこして闘病に入った。
幸い年金ももらえる。子供への仕送りもぱったりとまってお金には余裕がある。
郊外というよりもはや森の中を切り開いてつくった庭の広いおしゃれハウス(建築中)は、たちまち父の療養ハウスに方向転換となった。
手すりやら風呂やら改築し、母は断捨離をし、こだわりより健康を優先し…。
そこで難病なのに20年も生き延びたのは確かに母のおかげであろう。
ただ母はだんだん父が自分より弱い生物になりさがっていくことがなかなか納得できなかったようだ。
母にとっては子供は庇護すべきで、父は母を庇護すべきだったのに、すべてが逆転してしまったのだ。
母の癇癪は昔からものすごく、感情の嵐の生のままの奔流であって、いうことがよくまとまっていない。
Aといった直後にいいかえすとじゃあ反Aだと躊躇なく言えてしまう。もちろんきっかけはあるのだが。
母がなんでタバコを吸ったの!と責めて、理由をはっきりいわないと納得しないので父は「母も勧めたではないか」と言い返すのではなく「社内政治に参加するためだ」と説明した。
「なんで私を浪費家だというの!」「なんで感謝してくれないの!」には、
それぞれ「幼少より母の愛に飢えていたため」などの適当な理由がつけられ、反省書となった。
反省書はなんども日記にかきつけられ、こどもたちへも父がこんなに反省したとメールで送った(母もいつでも読めるようccつき)。
まるで自首後の犯人に動機を言えと迫る刑事のようなやり取りである。さしずめ母は愛情刑事であった。
この「なんで」期の母は2人だけの蜜月のはずがいきなり愛情が枯れ果てたかのようなふるまいをしたので子供たちにも影響があった。
あるときなど増田が呼び出されて母と東京のカフェであった遠かったねよく来たねの二言めで「今日ね、おとうさんをいじめてきたの」というのである。
どのように苦しめたか。それがどれだけ自分の恨みを買った人間の正当な末路なのか。話はじめると30分以上いきつぎもしないでとうとうとやる。
増田や父は、そういう手の付けられない母をどうしていいかいつもわからないで黙っている。
ただただ、ああ、となりのテーブルの客が居心地悪くて逃げたなあときょときょとしながら口をはさむ隙を探す。
やめてくれ。あなたたちは善良で努力家で思いやりある人間だっただろう。泣きたかった。
カフェの次は庭園つきフランス料理で父もいるときにニコニコと「お父さんに遺言をかかせたの。私に全部残させるって」というのである。
増田は遺産も愛も父からはあたえられない子供になったのだと、増田当人にむかって心から嬉しそうにいうのである。
理由を聞いてほしかったようだが「ふーんそう」というのがせいぜいだった。
後日やっぱり何十回もしつこく聞かされた。あれもこれも、…、わたしはケチといわれたのよ!!父は母に愛情がない!
父は平謝りするしかなかったらしい。
でもその場で諭そうにも耳も悪い。
「その話は今聞きたくない」と穏やかに告げるとまるっと無視された(なんなら常にセリフを母にカブせられているし慣れてるけど)。
もう一度はっきり言うと「え?」といわれ、もっと大きい声でいうと「大きな声を出さないで!心臓がどきどきする!」と泣き出すのである。
補聴器をすすめたけど、ぼわんぼわんして不快だとつけたがらない。
それに庭に出ている間も補聴器をつける必要がない(むしろつける必要がないから庭がすき)だから悪くなる一方だ。
子供たちは私を味方してくれない、おとうさんばかり味方して、おとうさんがだましているからだ!ということで本当に手が付けられなかった。
でも素直な母は、父をいじめるだけではなくまっとうに、増田ら子供たちに直接説得も試みた。
ところが増田も子供がうまれて送迎などで忙しいのに、携帯(業務用)に電話をかけることがつづいたのである。
運転中は出られない。うるさくて運転に集中もできない。ガチャギリするしかない。それでもかけてくるのでやむを得ず「固定電話にかけて」と携帯ではブロックをした。
このことは増田に子供の送迎がいらなくなりガラケーとアイフォンをのりかえるまで続いた(のりかえたときにブロックは解除した)が
半ボケ?もとから機械音痴?の母は下の兄弟や増田の伴侶に「増田ちゃんがわたしをブロックしたの!解除するようにいって」と何年も頼み続けた。
父はじわじわと悪くなった。3年に一回ほどのペースで入院するたびに母から死にそうな声で「おとうさんが入院したの、もうだめかも」といわれて子供たちが全国から新幹線などでとんでいった。
父は母に「浪費家だ」といったことを老後一生かけて平謝りし続けた。
酸素マスクが一日中必要になっても、下の世話はしないからと母にいいわたされると一回30分かけてでも一人で家のトイレにいった。
母はトイレにいく父の血中酸素モニターが鳴る音だけはよくきこえたらしくて「いつもピーピーうるさいから本当に止めさせたかった」のだそうである。
ほかにもブザー音がなると死んでいるかもしれないし、地震があると停電したら酸素送風がとまってしまう。そうすればすぐに酸素濃度がさがって窒息死だ、ということで不眠ぎみであったという。
なるほど不眠であれば気が狂うほど老々介護はつらいだろうというのはさっせられた。
途中で増田は「あなた(母)はもう後期高齢者だし、父はさっさと介護認定を受けるべきだ。他人を入れろぜひ入れろ、入院や介護施設はないのか」とアドバイスをしたりもした。
父も早く「介護認定を」といえばよかったのだが母だけに甘えていたかったのかもしれない。
母親の認識は古くて「介護=認知症=施設にいれられ毎朝チーチーパッパと歌わせられる」というなんかアレな印象しかなかったのだが、
父も「自分=強い=介護うけられない」とおもってた節がある。いいコンビだよあんたら。
まあ、実際、肺病で介護認定がそんなに高くなった父という存在はチバラギ地方では珍しく、認知症むけばかり取り揃えられている施設からは選びづらかったようだ。
母は一度、「もうすべてをほうりなげたい。お父さんなんか死んで良い」と増田にドライに告げたので増田は市役所を通じてケアマネに緊急電話をした。
実際病状がすすんでいるのも理由にあったようだ。
父は身の回りを手に取ることすらおぼつかない。あれをとって、かわりにこれを置いて、の命令の繰り返しの24時間。そりゃ気が狂う。
頭がはっきりしているだけに介護をうけておきながら「あの礼状は出したか」などと口うるさいこともこまごまという。
ケアマネ介入後はデイステイのできる施設をいくつかめぐって、母に介護休暇をあたえ父の入浴はステイ先で複数人で介護をうけることにして解決となった。
他人の手が入ったあとはなんとか母の忍耐がたもったようだ。
ラインでこまめに連絡をとると、お互い聞き取れない・聞いてもらえない長話のストレスと徒労感も解消された。
コロナのおかげで世の中全体が肺病に警戒しており、
ストレスのたまった母親の消費欲やお出かけ欲も「コロナは怖いから」と唱えるだけでだいぶ抑制された。
母はユーチューブをおぼえた。
コロナワクチンはふたりともいち早くうけられた。怪我の功名である。
増田の残りの二人の兄弟も子育てに忙しい中でガス抜きに付き合ったらしい。なんとか二人の生活はつづいた。
そうして2*年の闘病、*年の介護認定と酸素マスク、90日の入院のあげく父は体重が半分になって逝去した。
母は感情が高ぶると耳が全くなにも聞こえなくなるので、増田は葬式の打ち合わせに逐一ついていってすべてをメモにして渡してやった。
父がなくなって重荷が下りても母はやはり理不尽であり、やはり葬式の相談のあとにも爆発した。
かねて希望していたように「全部の遺産を母の元に相続させつつ凍結などの不愉快な事態にさせない」ためにはなるべく資金を動かさないほうがよいのに、
母はいますぐ資金をすべて自分の口座に動かそうというのである。
それなら司法書士とか頼んだ方が楽だよというと、母の感情は爆発するのである。「高いでしょう!?」3万でいける「デモデモダッテ」。
今すぐにでもATMにいってお金をおろしてあつめたいというのである。(父は箪笥貯金を高額な葬式分くらいはおいてあったし互助会にも入っていたから葬式費用ではない。)
なぜと問うと、「子供たちに私からお金を送りたいから」。はあ~~~???だよ。じゃあ法定相続割合でよくない?父もそれが一番簡単だからのぞんでいたんでしょう。
何かのエントリへのブクマが賛否分かれたり、そうでなくても大きく盛り上がったりするとそのページにブクマする人が現れる。
これは、"2階ブックマーク"に類する言葉ではてなブックマーカーにはおなじみである。
そこが盛り上がれば、さらにそのページがブクマされ、3F,4Fと増えていくので"ブクマタワー"なんて言われたりするのだが、いずれ前提としてコメント欄が盛り上がっていることが必要だと思っていた。
そこでこの2Fブクマ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/b.hatena.ne.jp/entry/s/ikitai.net/entry/2023/06/28/160118
3ユーザーがブックマークしたことで注目エントリに入ったらしいのだが、全員が無言ブクマ。
じゃあ1Fはどうかというと、
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/ikitai.net/entry/2023/06/28/160118