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原発事故めぐるTBS「報道特集」に波紋。「福島の若者が甲状腺がんで苦しんでいる」因果関係は国連組織が否定、批判も
https://www.buzzfeed.com/jp/keitaaimoto/hodotokushu-tbs
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.buzzfeed.com/jp/keitaaimoto/hodotokushu-tbs
「ファクトチェック」を売りにしたいBuzzFeed。蒸し返されるのを嫌がるのは、科学的でもなんでもない。それに訴訟を起こした人のドキュメンタリーなら、当然の構成。/ この記事でも都合の悪い情報を省いたりしてない?
実際、福島ではどうなの?放射能と若者の甲状腺癌の増加は相関関係にあると考えるのがまともだと思う。なのにそれを否定することに一生懸命になってる人達がいるよね?差別と絡めて火消ししてるイメージしかない。
よっぽど都合が悪いのか岩波「科学」2022年4月号の甲状腺がん特集に触れない否定派。公害事件に被害者バッシングはつきものだが、水俣病の熊本大学医学部など公害に肯定的な研究者も叩かれがちである。
フクシマは放射能汚染されていることは事実なのに、というか日本の東半分一体が、逆になぜ影響はなかったと否定しようとするのだろうか。過剰診断で片付けられるなら簡単だよね。
福島と同じ規模と精密さで検査をすると、他の都道府県でも同じくらいの割合で、甲状腺がんが見つかると思います。←なぜ九州や沖縄で同じような検査を(統計的な数値がわかる範囲で)しなかったのか。結局そこにつきる
この件詳しくないが、UNSCEAR自体が論文のチェリーピックしてんじゃない的な疑惑もあるみたいで、権威で押してるけど科学的といえるのか様子見→https://twitter.com/jun_makino/status/1528536458969387009
国連もこの記者も医者もこの放射線では絶対にこのガンにならないって断言すればいいのに(´・_・`)〇〇%以上の確率でありえない無視していいからなったというのは言いがかりってなんで言わないの?
どうやら5chの言語板では推測を書いてはいけないというどう考えても科学の発展の妨げにしかならないような謎ルールが存在するので、以下、スレに書き込もうと思っていたことをまとめてここに書く。
性癖を性的な癖に言い替えられるような使い方で使っているのはネットかつオタクの文化圏に集中していることは疑いようがないことだと思う。
まずツイッターのbioがそうだ。
これを言ったらツイッターのbioとオタクがどう結び付くのか分からないし視野狭窄としか思えないって言われたけど。
なので他にも例をあげていこう。
cmで有名なシーモアやめちゃコミやrentaよりも蔵書が多い電子書籍サイトだ
・性癖が暴かれる!? 新感覚オフィスラブ!(中略)彼女のヒミツは…「アレ」に人一倍興味があること・・・!?
・性癖ヤバめなオトコに狙われました。
・彼の性癖は歪んでる。~聖母系エリートの悪魔的とろとろ溺愛セックス~
・ひなこは今夜も鷹臣先生を困らせたい おしどり夫婦のナイショの性癖
全て性癖を「性的な癖」と置き換えても成立する文脈で使われている
1000件以上ヒットしたが5件連続でこうなのだから漠然と有意性が感じられるとは思う
全部検証するのは大変骨が折れるので興味がある人がすればいい
また似たような引用方法をしてもくどい感じもするので検索結果のリンクだけ貼っておく
https://www.pixiv.net/tags/%E6%80%A7%E7%99%96/novels
なんか最初のあたりで中国語のものが目立つが、日本語の作品ではやはりそういう性癖の使い方が目立つと思う
・
以下ではなぜこのような性癖の使い方が行われるようになったか推測、かっこよくいえば仮説を書く。
「○○をする性癖がある」があるというのは、一部の国語教師面をした人間からのウザ絡みを避けられるという意味でより無難な書き方をするなら「○○をするのが好き」と言い替えられるだろう。
しかし単に「○○がすき」みたいにというふうに書くとなんか締まりがない感じがしなくはないか?
なんというか名詞の性癖を使うのと比べるとバシッと決まらない感じがするというか、読み手を想定してみればそういった文章は漫然と左から右へと意味内容が流れていくばかりその読み手の頭からするっと抜けてしまうような感じが俺はする。
それに比べて「性癖がある」というのは名詞的な表現だ。その言葉の前で受けている性癖の内容をバシっと捉えて概念化している。
概念化は名詞の効用だと思う。動詞で終わる文章が単に事実や考えを伝えるのに比べると、文章全体ではなく、一つ名詞に読み手の意識が集中される。
名詞が記憶のとっかかりにもなる。そういう意味でも読み手の頭により強く残る。
以前私は「漫画の魅力ってそれが二次元とメタファーされるように」という文を書いて、ここで「そんなメタファーの使い方はしない」というふうに言われた。
しかしこうやって指摘するぐらいの人間はその言わんとすることが伝わっているからこそ、その意味と用法がずれているということに気付けることが指摘の動機となっているはずなのだ。
完璧に正しい用法かの確証はないがおぼろげに自分の伝えたいことにかすっている程度ぐらいの可能性でも感じるなら、少し小難しくてもそういった名詞や特に術語を使うほうが、読み手は「あああのことが言いたいのね」となるのだと思う。
性癖も本来は単に癖と言うのをより生硬にした表現だ。そういう日常的にあまり使われてなかった言葉をあえて使う場合、日常的に使われる言葉が多種多様な場面で使われるためにぱっと読み手の目に入って来てもその言葉だけでは文脈が絞り切れないという意味ではニュートラルに認識されるのに比べれば、そういう言葉は特定のミームというか匂いを帯びやすい。
「性癖」の意味をひとたびずらして「性的な癖」という文脈で使うようになると、もうそういうミームで固定される。
だからそういうミームを共有し合う人間にとっては性癖という言葉を出すだけで、みなまで言わなくても何が言いたいのかなんとなくわかるというか、そういう読解の省エネ的な効果が認められるのだと思う。
とにかく、単に何々が好きというのが読み手に「なんの意味で好きなんだろう」とその実態のより詳しい限定化を課す、すなわちボトムアップ式の理解を課すものだとすれば、性癖と概念で言ってしまえばトップダウン式に何が言いたいのか理解されるという点が便利なのだ。その代償として国語教師面した人間に噛みつかれるリスクを負い得るだけで。
俺がメタファーという言葉を使ったのもそういう効果を狙ったものだ。そもそもメタファー以外に自分の伝えたいことにあてはまる表現が見当たらないって理由も大きかったはずだけども。
(アスペは会話をあまりせず書き言葉が友達だから難しい言葉と思われているもののほうがアスペにとっては身近というのはアスペの悪い癖だ。もちろん俺の「メタファー」は他の定型から見れば理解の浅いずれた使い方なのかもしれないけど、俺にとってはメタファーが理解度という点で使うべき一番ましな言葉だったのだ。そもそも言葉の難しさとは何なのか。たかがカタカナご文字の言葉の難しさをどう規定できるというのか。正も凸も小学生で習う同じぐらいの画数の漢字だが習う時期が全く違う。俺はこれにも納得できないがそれは上記のことに通じる話だと思う。凸が身近な人間にとっては普通の人にとっては正の方がやさしい漢字に思えても、その人にとっては凸の方がやさしいのだ。)
名詞は特技、趣味、性癖というように表とかの項目にするにも都合がいい。
これが一つだけ「性的に好きなこと」とかだったら統一感もない。
角川類語新辞典には「手癖」「尻癖」「酒癖」と○癖という言葉がたくさん載っている。
癖をへきと音読みする言葉は実はそんなに多くないが、それでも日本語、いや日本人の伝統として○+癖という造語法で言葉を作っていく造語意識が背後にあることを伺うことはできる。
基本的に癖の内容を象徴し得るような漢字+癖という組み合わせて作られていることは明らかだ。
酒癖はそのままだし、尻癖は失禁する癖のことで、その現象が起こる場所を示す漢字を使っているという点でちょっとひねっているが、根本はおなじだ。
そんなわけで、もとの性癖は性も癖も似たような意味で使っている漢字を組み合わせた熟語だけども、それとは独立して性的な癖という意味での、酒癖等と同列な「性癖」が今作られるようになっていったとしても、日本人の背後にはそうおう造語意識がずっとあったわけだから、何もおかしくないわけだ。
つまり、両国には地名と両者の国という二つの意味が考えられるがこれらは辞書では別の言葉として別別に立項されているように、あの性癖とこの性癖も辞書で別扱いするべきぐらいに全く別物の言葉なのだというのが私の仮説だ。
よって性癖を性的な癖と言い替えられる文脈で使ったときに「誤用だ」とかいうのは全くずれていて、単なるシノニムとしての衝突に翻弄されているだけなのである。
日本語だとちょっと突拍子なく感じる意見かもしれないが、英語ではスペリングが同じで別の概念として複数立項されている言葉は何も珍しくない(無学かつ個別の事例を覚えてられるほど記憶力よくないので例はあげられないけども)。
突然ですが、皆さんのITエンジニアのイメージはどんな感じでしょうか?
今日はそんなIT業界のエンジニアにこれからなりたい方にお届けしたいお話しです。
コンピュータ専門学校や大学でコンピュータ系の学部を出ていたり、
個人的にプログラミングが好きで個人活動をされていたりして新卒時に就職活動をしてこの業界に来られる方だと思います。
Webなどで人気のRubyやPHPなどでWebサービスの作り方を教える教育サービスを受講して来られる方でしょう。
教育体制や会社の規模、企業の顔である事務所の所在地やエントランスに騙される事無く、
自分がどんなことをやりたいか(本当に今考えているやりたい事が自分の為になるのかも考えて下さい)、
『甘くないです、どんな勉強をしてこようが相当の覚悟がなければ半年持ちません』
『あ、そもそも半年持たない前に、この業界に入れません・・・』
え?
何で???
こう思われた方は多いと思います。
けどこれ事実なんですね、
ではその辺りを私の私見になりますがお話していきたいと思います。
中途でこの業界にきたということは1~2年でその方たちに追いつかないといけないんです。
なぜ追いつかないといけないかと言うと、
30歳を超えた経験の浅いヒヨコPG達に優しく教えてくれたり、
バリバリの専門性特化になるかマネジメントを経験していって管理側に行くそんな時期だと思います。
そんな人材が求められる年代で悠長なことは言ってられないのがあります。
また、有名なWebサービスをやっている企業が新卒以外で即戦力にならない、
エンジニアの下地もできていない方たちを中途採用するでしょうか?
たいていは第二新卒などの中途採用で未経験者を採用しているのは、
そうです、ずばり、
『え、でも20代30代の未経験の方も歓迎って書いてる企業もありますよ?』
1年が経ち2年が経ち。。。
『あれ、気づけば34歳、今年35歳やん、俺(わたし)何してんのやろ????』
積んできた3年~5年の経験はエンジニアとしての開発スキルではなく、
開発できない35歳、
これが現実です。
なので、本当にエンジニアを求めている企業は中途採用での未経験は取りにくいのが現状です。
でも、中には頑張って努力をしてくれる方ならと年間2~3人中途未経験を採用している企業もあります。
そんな先が見つかると良いですね。
と言いつつも、知ってか知らずかわかりませんが、
年間5名ほどの方は未経験採用していないのを承知で応募させて欲しいと言ってこられます。
お互いのためこれだけは決めている事です。
『何が何でもエンジニアになってやる!』
『仕事だけではなくプライベート削ってでも勉強して1日も早く独り立ちしてやる!!』
もちろん1年以上の経験者が欲しいですが、
かつ努力ができる方なら歓迎です。
だから俺はどっちかというと「健常者マーク」みたいなのを公共交通機関よく使う人は持ち歩くようになるのが理想だと思うんだよね
「健常者マーク」をつけてれば、混雑時に優先席に座ってても後ろめたくなく、言われたらすぐ退けるように私は周囲に注意を払った上で座ってます、っていうアピールと自戒にもなる
https://anond.hatelabo.jp/20220526235759
の続き。
週に10~15時間程度の労働時間が適正だと言いましたが、そんな短い時間で社会が回るはずがないと思われるかもしれない。
しかしこの程度の労働時間でもそんなに困らないんじゃないかと思う。
その根拠をいくつかあげる。
まず一つ目は現代の労働者一人ひとりの生産効率が悪く、改善の余地があること。
これは実際に企業で働いたことのある人ならわかると思うんだけど、特に日本の会社では真面目に働いていない従業員が非常に多い。
テキパキとやれば余裕で業務時間内に終る仕事も、ダラダラと作業して何時間も残業するなんてことも珍しくない。
なぜこのような状況になってしまうのかと言ったら、それは許されている労働時間が長いからだと思う。
日本では週40時間の労働と月45時間までの残業が認められている。
これだけ長い労働時間が認められていることによって、労働者に怠ける理由を与えてしまう。
時間内に終わらなくても残業すればいいや、といった余裕を与えてしまう。
そして労働時間を規制することによって怠けることができなくなる。
限られた時間内に仕事を終わらせるためには真面目に集中して働くしかない。
だから労働時間を規制することによって全体の生産は減るが、労働者一人ひとりの生産性の向上が期待できる。
2つ目は長時間働くことによって必要になる仕事が発生しているから。
例えば近年は保育園や託児所の不足が問題となっているが、そもそもこれらの仕事はなぜ必要なのか。
それは両親が共働きをしていて育児の時間が取れないからだろう。
つまり親たちが仕事をしていることによって、保育園などの仕事が発生していることになる。
もし労働時間を規制したとしたら保育園などの仕事は激減するだろう。
しかし親たちの労働時間も減って時間に余裕ができて、自分たちで子育てができるのでこれらの仕事は必要なくなる。
一般的な会社だと夕方頃に業務が終わるのに、店はなぜこんなに夜遅くまで営業しているのか。
普通に働いている人は昼間は会社にいるので、平日は夜しか店で買い物をすることができない。
これが原因でほとんどの店は朝から夜遅くまで営業せざるをえなくなる。
もし労働時間が短縮されれば、労働者も時間に余裕ができていつでも買い物にいける。
現代はこのように長時間働くことによって本来必要のない仕事が発生しているケースが多い。
現代の仕事を大雑把に2つに分類するなら、生産の仕事と販売の仕事に分類できると思う。
この生産と販売の仕事は労働者個人個人で分類できるものではなく、ほとんどの労働者が生産と販売のどちらの仕事にも関わっている。
一見生産の仕事に思えて、実は販売の仕事であるケースが非常に多い。
店の店員を例にするなら、商品を客に販売するのは生産の仕事になる。
商品を販売するのだから一見販売の仕事にように思うが、商品を消費者に届けるのは生産の過程で必ず必要なものなので、生産の仕事に該当する。
店員が客に対して必要以上に愛想よく振る舞ったり、過剰なサービスをするのは販売の仕事になる。
なぜこのような行為をするのかといったら、店の評判を良くして客を呼び込むためであり、生産者、消費者の両側からして必ずしも必要なものではない。
コンテンツを作成しているので一見生産の仕事のように思えるが、テレビ番組というものは広告収入によって成り立っている。
つまり物を生産したとしても、その物が販売のために利用されたらそれは販売の仕事になってしまう。
そしてこの販売の仕事というものは仮に全てなくなったとしても生きていくために困ることがない。
すると商品を圧倒的に売りやすくなるため、販売の仕事の必要性がなくなる。
こうなるとこれまで販売の仕事をしていた人達が生産の仕事に回るようになる。
だから食品や住居などの生きていくために必ず必要な産業に関しては生産が需要を下回ることはない。
例えば世界中の労働時間を半分にしたからといって、食料の生産量が半分になるなんてことはない。
食糧難に陥っている状況で食品のコマーシャルを流すなんてことは絶対にありえないわけだ。
4つ目が自由な時間が増えることによって趣味による生産が増えること。
その時間に何もしないなんてことはありえず、何かしらの活動をするはずだ。
例えば暇なので家庭菜園でも始めようかな、などと思ったとする。
すると企業の大規模の生産に比べたら微量ではあるものの、趣味による生産が発生する。
このように労働時間が減ることによって、労働による生産は減少するが、趣味による生産が増える。
ここまで労働時間を短縮するメリットについて書いてきたが、当然デメリットだってある。
週10時間程度の労働でも十分社会は回るとは思うが、今に比べたらかなり不便な社会になることは事実だ。
企業や店からしたら努力をしなくても商品が売れるわけだから客への対応は悪くなる。
店員の態度が悪くなったり、製品の品質が下がったり、店の営業時間が短くなったり、消費者からしたら今よりもかなり不便な世の中になる。
「お客様は神様です」などと言われる現代社会が異常なだけであって、本来生産者と消費者の立場は平等であるべきだ。
労働時間を短縮したら多少社会が不便になるだろうが、人々が過酷な労働から開放されること以上に幸せなことはないと思う。
労働時間を規制すべきだと言いましたが、ではそれ以上に働きたい人はどうすればいいのか。
もし何かやりたいことがあって認められている時間以上に働きたいと思っているのだったら、それは仕事ではなく趣味でやればいいと思う。
労働時間が減れば自由な時間が増えるわけだから、その時間を使って趣味として楽しめばいい。
好きなこととかやりたいことならば、仕事にせずとも趣味でやっても満足できるはずだ。
近年は「好きなことを仕事にする」といった考えが流行っている。
しかし、そもそもなぜこのような考えが生まれるのかと言ったら、それは結局長時間労働が問題なのではないか。
本来好きなことであれば仕事にしなくても趣味でやっても満足できるはずだ。
しかし普通に日本で働こうとすると週に40時間も働かなくてはならない。
そんなに働いていると自由な時間が取れず、趣味に使える時間がなくなってしまう。
それが原因で「好きなことを仕事にする」といった考えが生まれているのではないか。
もし労働時間を短縮したとしたら自由な時間が増えるので、無理して仕事にしなくても誰だって好きなことをして生きていくことが可能になる。
もし週に10時間程度の労働で生きていけるのならば、誰だってそのような生き方ができる。
自由な時間がいくらでもあるのだから、その時間で好き放題ゲームをやればいい。
このような生き方なら誰かと競争する必要もなく、クビになることを恐れる必要もない。
お金を稼ぐことはできないけど、誰もが好きなことをして自由に生きていくことが出来る。
まとめると、
そして消費が増えることはない。
となります。
かなり長くなりましたが最後まで読んでいただきありがとうございます。
あるよwwwwwwwwwwwwwww
きみが嘘松って言われなくなるよwwwwwwwwwwwwwwww
それできみの会社名が分かるとみんなその会社は最低な会社だって取引しなくなるしwwwwwwwwww
それに就職だってしなくなるよねwwwwwwwwwwwwwwwwwww
メリットばっかりじゃんwwwwwwwwwwwwwwwwwww
一つだけ確認してほしいことがあるねん
その商売は儲かるのか?
この一つだけ
これに対して回答が
・競合他社がない
だと、まず見直したほうがいい
これを箱にいれて、客が自分のもってる財布の中身から毎月買う商品の数だけはずれくじがはいった箱に手をつっこんで
だけど客から見たら他のいくつでもある選択肢の数の中からの何十分何百分の一なんよ
売れないと意味がない
付加価値が高かったり利益率が高かったり、ともかくお金になるということは売れないと意味がない
売れるかどうか、売るためには、求められてるニーズは、それは売り物じゃなくて買い物 買ってでもほしいものだろ
それを買うのがコンサルとかいった商品 商工会とか組合とか なにをかうの買って「そこについてる客を買う」のが本質で、アイデアとかつながりとかは建前
『だれに売るのか』
という事だけ
お金持ちの得意先を一人二人もってるだけの単品を年に二回くらい売るだけの商売でも億は超える
逆に年間出荷量がいくらになろうと物品の小売りなら純利益は数十万にもならないかもしれない
売る先の客が空想の妄想で想定された相手だったら、これなら売れるの確信もニーズも決断した本人の中だけの妄想でしかないやろ
自由にやったらいい
ただな
やったことあればわかると思うけど混ぜ物モリモリの粗悪なスピードと
高純度のスピードでは全く別の経験なので依存性に違いが出ることに疑問はない
アレって「フェミは二次元じゃなく現実の女性を救済しろ」ってのを正しく実行してるんだよな。
無論、同法が成立し、新作AVの商品価値が下がるなり撮影が著しく困難になるなりしてAV業界が壊滅した暁には、アングラな性風俗より比較的安全で、且つ緊急避難的な、大事な雇用の口がひとつ減ることになって女性の救済から遠ざかるという意見も一定の妥当性を持っているが、AVの本番行為禁止は女性救済の短期目標としては間違ってはいない。言うなれば、AV出演強要被害防止法案と同じ。フェミニストからすれば反対するべき問題を孕んでいるが、しかし女性のAV出演強要被害の防止には役に立つ。
しかし、既存の法律でちゃんと取り締まればそれは達成できると思うんだが、政策立案者はそれでは達成できないといっているので、それがどういう理路なのかは知りたい。
マンガみたいな神様パワーがあったら表面上はひとつの国にできると思うけど
脳みそ弄くり回さない限り、本当にひとつの国になるまでには100年単位の時間掛かると思うで
増田はネタだと思うけど中国やロシアを日本みたいな同一民族で構成されているみたいなイメージで語るアホがマジでいるからな
>プーチンの後継者
そもそもモスクワみたいに整ってるところだけがロシアじゃないからな
190以上の民族が存在する上に宗教もロシア正教・イスラム・スラブの宗教・ロシアの土着スピ宗教ほかカオス
それに加えて常に西側と戦い続けなければならない
給付金誤送金の一件でちょっと面白い展開になってきたな。刑事事件になっちまったもんだからオンカジの決済代行業者が田口が溶かしたぶんをかぶりやがった。パクられたり国税のお世話になるのをビビったわけ。自らオンカジがクロってことを証明しちまった。
オンカジは限りなくクロに近いグレーで通ってきたが日本人ユーザー数が増えすぎてたんだよな。最大手のベラジョンカジノのユーザーは大半日本人だし月間訪問者数は数千万だしパチンコも廃れるってわけだ。
入金は決済代行業者への銀行送金や仮想通貨やプリペイドでもできる。やってるやつはわかるけど入金は簡単だしプレーは鼻くそほじりながらベッドに寝っ転がりスマホでできるからわざわざパチンコ屋に行くのが馬鹿馬鹿しくなんだよ。
ユーザー数が増えたのは手軽さもあるけど運営の戦略もでかい。最近では民放で吉田麻也使ってCM流してる。日本代表のキャプテンが出てりゃアホは信用する。
でも一番はアフィ。これがえげつないんだわ。アフィ厨はオンカジで儲かるとか億るとか喧伝して情弱のハートをキャッチ。そしたら銀行送金方法なんかをやさしく教えてやる。情弱はアホだからそんなアフィ厨のことを自分に金儲けさせてくれるやさしい先生みたいに勘違いすんだよ。そうやってギャンブル漬けにしたアホどもに金を搾り出させて負けさせる。ギャンブルだから胴元が勝ってユーザーが負けるのが当たり前だ。んで田口みたいなアホどもが負けた分つまり情弱ユーザーが吐き出した金の数十パーがアフィ厨に入ってくる。おいしいよな。
YouTubeとかTwitterでオンカジって検索したらアホみたいに出てくんだろ。そうやってオンカジはアフィで肥えに肥えてんだよアフィ厨と一緒に。アフィ報酬は仮想通貨で受け取って相対かませば裏の金にできるからたんまりなんだわ。
たぶん一番儲けてるアフィ厨はZ李こと馬主もやってる田記正規くんと自称モデルの在日外国人だろうな。
たぶん10億単位で稼いでるわ。タキくんは非弁でもだいぶ稼いでるらしいって聞くけどな。羨ましい。
オンカジが潮時になってきたから大手アフィ厨や半グレたちはまた次のシノギ探すだろうけどその前に近々国税のタタキが入るから海外に逃げるしかないかもな。
いやあの、こっちがセキュリティゼロで暮らしてると思ってるのが謎すぎる
女性同士ならわかると思うけど、電車で痴漢に遭ったりしてお互い生きてるわけでしょ
ある程度お金使ってもセキュリティがしっかりした家に住むわけじゃん
洗濯物が見えたからって泥棒がほいほい入って来れる家に住んでるわけ?
そもそも部屋に鍵かかってないわけ?
レイプ魔がカギあけて入ってくるの? 謎すぎる
母が亡くなって、1年ほどになりました。
時折ふとした瞬間に、そうだ、この世の中には、もうお母さんはいないのだなあ……、としみじみ思い出して寂しくなります。
母親が亡くなると、大げさにいえばそれ以前とそれ以降で、自分の心持ちががらっと変化してしまったような気がします。
抱えている寂しさや空しさの量が少し増えましたし、自分自身の死ということにも、よりリアリティを感じるようになってきています。
とはいえ、人生は続いていくわけで、時間が解決することもあるけれど、この寂しさや空しさを、当たり前にそこにあるものとして、これからは暮らしていくんだろうと思います。
ただ、今日この場で語りたいことは、現実的(で大切な)話、葬儀・供養についてのお金の話題です。
私、母以外にも肉親をもう2人、既に亡くしていまして、喪主の経験が3回あります(3回あれば、語る資格ありますよね?)。
さて皆さん、人がひとり亡くなると、葬儀・供養にどれくらいのお金がかかると思いますか?
もちろんケースバイケースですが、私の母のケースを参考までに述べますと、
・ほぼ家族葬、参列者が15人以下。
・コロナなので、会食はなし。
というもので、
(高齢化社会になると、高齢で亡くなるため、すなわち、葬儀に参加する仕事のつながりや友人知人もいなくなります。なので近年は、家族葬の割合が増えていると聞きました)
位牌・・・4万円
合計・・・180万円
でした。
(これに加えて、香典をもらうとしたら、平均ひとり1万円いただくことになり、その半分を返礼品でお返しすることとなります)
わりとメジャーな葬儀社で、いちばん簡素なプランを選んでの金額です。
お布施は付ける戒名のランクによって金額が変わるというお寺のシステムがあり、こちらも最低ランクの戒名でお願いしました。
なので、自分が亡くなる時には180万円くらい残しておかないと、残された人たちが困るかもしれません。
たとえ自分が「葬式不要・戒名不要」と遺言を残していたとしても、実際には、残された親族親戚からすると、それでは気が済まないから、
皆でお金を出し合って最低限の形にしよう……という話になる可能性もおおいにありえると思うのです。そこは、自分だけの合理性では済まない部分もあるといいますか。
私自身、もちろん亡くなった家族を悼む気持ちはありますが、宗教的な信仰心が厚いわけではないので、
葬儀・供養については、できるだけシンプルな形でと考えていたのですが、それでもこの金額になりました。
ちなみに葬儀社には「互助会」というシステムがあり、生前に入会して積立金を支払っておくと、費用の割引を受けられるというシステムがあります。
(なので、互助会に入会していないと費用が割高になるようです)
亡くなった親が既にどこかの互助会に入っていたり、どこかのお寺の檀家になっていると、このあたりについては選択の余地はないですね。
小さめの家族葬をメインとしたセレモニーホールだと、価格が抑えられたかもしれないなとは思います。
しかし、決して安くはないけど、ネットで調べた相場よりも高くはないようなので、まあ、こんなものかなという感想です。
ただ、お墓への戒名彫りと納骨費用の10万円は、調べると相場は3~5万円ということらしいので、ちょっと高かったのです。
(あと、戒名彫りのフォントが野暮ったくて、それも不満に感じています)
石材店に依頼して、お墓の側面に戒名と没年を彫り、骨壺をお墓の下に収納するわけですが、墓地には「指定石材店」という制度があり、
決められた石材店にしか依頼することが出来ないルールなんです(公営の墓地にはそういう制度はないようですが、民間墓地にはあるそうです)。
それを聞いたときには、ちょっと疑問は感じました。シンプルに独占禁止法にひっかかるのではないかと思ったのですが、それにはあたらないという見解もあるみたいで。
とはいえこのルールでは相見積もりも取れないし、これが適正価格なのか信用はできないな……、と思います。
そういった独占的な商売を、消費者としてどこまで信用してよいのでしょうね。
だけど、お墓はトラックが横付けできないような山あいにある墓地ですし、近年の様々な材料の高騰の影響もあるのでしょう。
素人にはわからないコストもあるでしょうし、ネットで調べた相場感だけで軽々には判断できません。
ところで、その石材店の社長名でfacebook検索してみると(そういうこと、しますよね?)、
自宅ガレージの前には、レクサスはおろか、BMW X4 M Competition、フェラーリ ポルトフィーノ、488ピスタ、などの写真が並んでいて、
管理職と後任が言うには、異動した前任の残したVBAの使い方がわからないこと(前任の引き継ぎ資料の不備)が原因という。
一方で前任の主張はこうだ。
「残業ゼロを達成したが評価されてないし、マニュアルを用意するするほどの時間的余裕は与えられていないのだから、管理職としてはマクロを不要と思っているのではないか。」
「マクロはマニュアル通りの手順を再現しているだけ。嫌なら手作業でやるなり、自分で作ればいい。」
管理職のディスコミュニケーション、不適切な人事評価による部下からの信頼低下が原因と思われる。
しかし、組織としては前任の引き継ぎ不足を責める状況に向かっている。
あまり高度な属人的なマクロを作られるのも困るが、ある程度、こういうことができる社員は増やして活用していくのが良いようにも思う。
ここで前任を処分すれば、今後はマクロを作らないとか、作っても隠匿して手作業でやってるふりをしたりとか、あるいは退職したりとか、そういう方向に働きそうな心配もある。
本当にそれでいいのか?
祖父、祖母、叔父と棺桶を担ぐ(といっても斎場から霊柩車に運ぶだけだが)機会はあったが、三人とも重かった。
みんな亡くなる時にはやせ衰えていて、体重自体はかなり軽くなっていたのだがそれでも重かった。
精神的な物もあったのだろうが、あの重さを考えるとアマゾンで売ってる20000円の棺桶に入れるのはちょっと怖いなと思ってしまう。
棺桶がどういう状態なら大丈夫なのか、どういう状態だと危ないのか、素人目で分かるとはちょっと思えない。
葬儀屋さんは毎日の様に葬式をやっている訳だから、その辺のノウハウも積み上げているのだと思う。
納棺代じゃなくて細かく明細を出せという人も居るのだろうが、俺はいらないかな。
多少ぼったくられたとしても楽な方が良い。
目を通さなきゃいけない項目は少ない方が良い。
葬式に纏わる様々な事柄を丸投げできるノウハウを買っているのだと思えば、必ずしもぼったくりとは言い切れないのではないかとも思う。