はてなキーワード: 善意とは
その始まりがいつだったのか増田にはよくわからないが、少なくともスマホがある程度普及してからで、かつ初めは海外から始まった文化だったと思う。
いつからか個人で撮影したライブの様子がTwitterに、YouTubeにアップロードされるようになって、行ってないライブの様子を見られるようになった。
それはライブ体験をいつでも反芻することができるいい側面もあると思うが、やっぱり悪い側面が目立つよなという気が最近している。
かくいう増田もそのうちの一人であり、撮影可のライブで、好きな曲が演奏された時に、スマホを掲げカメラを演者に向けるときもあった。
ただ最近はめっきりやらない。なぜか。
単純に、何のためにライブに来てるのかが分からなくなったというか、手段と目的が逆転しているような気がしてならなくなったのと、演者へのリスペクトが足らないと思うようになったから。
昨日7月24日、増田は宇多田ヒカルのライブに行った。さいたまスーパーアリーナ公演の1日目だ。
さいたまスーパーアリーナの4階席で、肉眼では正直宇多田ヒカル本人のことは米粒程度にしか見えない。けれどもそれでもよかった。
個人的には宇多田ヒカル自体、アイドルみたいにビジュアルや踊りが武器ではなく、その力強く伸びのある歌声が最大の持ち味なわけだから
遠く離れていようとも、歌声が届いてくれればいいと思っている。
実際にライブはすごく見ごたえがあり、セットリストの並び順もこれまでの歌手人生を辿るような並びで、音源以上に力のある歌声を聴くことができた2時間半だった。
かなりの倍率の抽選で、しかもそれなりのチケット代だったが、むしろお安く感じられるほどに価値のあるライブだったと増田は思っている。
ただ1点、本人もライブの冒頭・曲と曲の合間の小休憩の際に、スマホの撮影に関する話題を何度も取り上げたのが気になった。
「撮影するのは大丈夫だけど、高く掲げすぎるなどの周りの迷惑にならないように」 「撮ってる人が多いと、盛り上がってるのか、楽しんでくれているのか(自分・バンドメンバーが)不安になる」
内容はおぼろげだが、こういう話を何度かしたのは記憶にある。
さらに言うと、有名な曲の最中の1番のサビ手前か2番のBメロからサビへの移行直前か、これも定かな記憶ではないが、「スマホ置いて楽しもうよ!」といった発言をしたのも覚えている。
こういった話を演者本人の口から直接聞くのは楽しみにしていた自分としてもとてもつらい。況や本人をや。
6年ぶりの大規模なコンサートで、折角来てくれる観客のためにもいいものにしようと、曲順や演出を考えているのに、観客の側がそれでどうすんのよと増田は思うわけです。
いつの間にか記録することが手段から目的にすり替わっているようであり、宇多田ヒカルのライブ映像をダシにSNSでインプ稼ぎ・承認されようとしているんじゃないの?
さっきスタッフのTwitter公式垢からも、とうとうSNS投稿に関する注意の投稿があった。
宇多田ヒカル本人はきっと善意で、スマホでの撮影を可としてくれていると思うが、今回の件もあって、そのうち撮影自体も禁止になるんじゃないかと思う。
個人的にはもうどのアーティストもライブの撮影は全面禁止にしたほうがいいと考えてる。
撮影している本人たちは、撮影しながら楽しめてるって言うんだろうけど、内心「アーティストがちゃんと画角に収まってるか」「音源・演出が漏らさず撮れているか」気になってしょうがないんじゃないかと思う。増田が何度か撮っていたときは自分がそうだった。記録映像として残すのに、観たまま聴いたままがそのままスマホに収まっているかが心のどこかで引っかかっていた。
楽しんでる風を装うことはできると思うけど、ブレた映像とか残したくないから動きも最小限になるだろうし。それって本当に心から楽しめてるんだろうか。
昨日のライブで前の列にいたカップルはスマホの撮影なんかしないで頭ブンブン振ってノリノリで楽しんでた。
この人は私からの善意を当たり前に考えてるな、と思うと親切にする気が失せる
この間、夜の九時に電車に乗ったらある駅で両隣が空いて、そこに太った二人の女性が一人ずつ座った。二人と6〜8歳くらいの男の子、そして父親らしき男性の四人のグループらしきその一団に包囲されるような形になった
女性は片方が母親で片方がその親族なのだろうか、とにかく二人いて、片方が「ここに座りぃ」と男の子を自分の片膝に座らせた。そのまま私を挟んで女性たちが会話をする。居心地が悪い
その時、この人たちは私が席を譲るだろうと期待しているのだろうなと思った。早足で電車に乗り込み、私の両隣にそれぞれ陣取ったのも、そこで私を挟んで会話するのも、これ見よがしに男の子を膝に座らせるのも、すべて善意を当てにされている気がする
それはいいけど、もし私が親切にしたとして、その見返りはどこにあるのだろう
こんな見え見えの状況を作る女たちに一言「ありがとう」と言われても全然気持ちよくないし、圧をかけられて追い出されたという気持ちにしかなれない。というか疲れてるし、席を替わるというより交換してほしい。今、通路に立っててフリーの父親っぽい男が離れた席を確保しておいて、その席と交換するっていうなら分かる。でも気の利かない男なのか、俺は立ってても平気ってタイプなのか、そういう動きはしてこない
これみよがしに、「私達のために譲ってくれるわよね?」みたいな雰囲気を醸し出されている感じがして心底嫌だった、ので譲らなかった
すると男の子は少しして、「いい、立ってる」と言って女性の膝を離れて父親の隣に立った。とはいえ子供なのであとあと疲れてグズりだすのを心配してか、座っている女性は二人とも男の子を座らせたそうにソワソワと車内に視線を向けていた
いや、それならあなた達のどちらか一人が立ちなさいよ。それで男の子を座らせたら解決でしょ?どうして挟まれただけの私が譲る必要が?と思うとやっぱりそんな必要はなかったので譲らなかった
その後、私は目的の駅で降りた。そのグループがもっと乗っていくならようやく座れただろう。よかったね
とにかく善意を大前提にされると萎える。善意に甘えすぎて当たり前だと思ってる連中は気をつけた方がいいと言いたいけど、そういう人たちはこんな投稿見ないだろうな
確かに額が大きすぎる気もするね。それと、人件費の割合が結構な額になってて、貧困層が塾代払えないからうちらの給料自治体とか善意の人に払ってもらうべ、みたいなやらしい魂胆があるんじゃないかって印象を受けてしまうよ。僕の心が汚れているだけかもしれないけど……
まぁ要するに高すぎんだよね
テレビ局の人たちやタレントは当たり前のように年収1000万とかあるから気にしてないんだろうけど一般の人が1000万稼ぐのは何年もかかるしそれだけ貯蓄しようとするなら下手したら半生かかる人もおる
テレビを支えてるのはそういう人たちなんだから神経を逆撫でするようなもん
テレビを支えてるってのはようはテレビ見て感動して寄付するようなアホはそういう低所得の騙されやすい人たちってことで、そういう人たちの経済感覚を無視してるからここまで反発されちゃうわけで、マラソンのギャラはテレビ局一同からの善意の寄付ですはい35万円みたいな金額と演出でゴール時に募金箱に入れるなら拍手喝采だと思うよ
「“蓮舫さんは女性だから叩かれるのだ!”と見当違いの大騒ぎをしている支持者にも、自制を促すのが筋ではないだろうか。」
白饅頭風情がさも善意のスタンスで落ち目の蓮舫に「苦言」を呈しているが
「3位ざまああああww」って言いたいだけなんだから正直にそのまんま煽ればいい。
蓮舫がチンパン状態でレスバしてるのも嬉しくて仕方ないくせに。心にもないことを言うんじゃない。
なんかよく「自浄しろ」とか「身内をたしなめろ」みたいなこというのが流行ってるが、深く考えてのものとは思えない。
例えばカタギのクルド人に不良クルド人をどうにかしろと言ったって彼らにそんな権限も実力も義務も何も無いのである。
政治家が一般の支持者に何を言えとか言うなとかああしろこうしろと指図したり説教したりする姿を、左翼に限らず見たことがあるか?
例えば安倍総理も先鋭化したネトウヨを自由に泳がしていただろう。
蓮舫に「しばき隊を叱れ」というなら、いやお前が自分でしばき隊を叱れよビビって他人に押し付けるなよと思う。
薄っぺらい奴ばかりだな。
❌ 協調性とやらは、その場の勝者/支配者の意に沿った行動を取るかどうかであって、
相手を慮ったり、荒い言葉や誤解を招く言葉を口にしない、無駄な衝突を避けることでは無い
↓
⭕️ おかげ様、お互い様の心を持つこと
🔺 SNSを見るとポカーンとするような発言であふれてるんやけど
↓
⭕️エコーチェンバー (って言葉は大統領選で注目を浴びただけで、昔からある言葉みたいやけど、なんか好かんので、ブクマカ化で)
⭕️人気商売の人がこういう類いのセリフをわざわざ公で口にする必要性ってありそう?
↓
🔺ワイは尖ってる尖ってると言われるし腹芸のひとつでも覚えろって言われるけど、こう言う類いのことをただの一度も口にしたこと無いんやが???
↓
⭕️ 確かに、悪代官発言や、自称生きづらいクリエイターや、トンデモ新卒プロパーみたいな発言はしてないが、ワイは高レベルの基地外である
悪代官 vs 生きづらいちゃん vs 厨二イキリ vs 基地外 ファイッ
協調性と言う名のマウント合戦。SNSは今日もウンザリだ |2019-08-25
尊敬してる人からもらうアドバイスはありがたい…「アドバイスは善意なんだから誰からでも有難がれ!」って言う人いるかもしれない…ごめん…いらない…ありがたくない…
↑ 人気商売の人がこういう類いのセリフをわざわざ公で口にする必要性ってありそう?類似する発言を知名度に関わらずちょいちょい見るんやが?
ワイは尖ってる尖ってると言われるし腹芸のひとつでも覚えろって言われるけど、こう言う類いのことをただの一度も口にしたこと無いんやが???
つーか、SNSを見るとポカーンとするような発言であふれてるんやけど、
同調圧力の日本/協調性至上の日本 とやらは、いったいどこの世界線の話や……?めっちゃ自由やんけ?これらの自由人らと比較してワイのどこが尖ってるんや???
やはり、協調性とやらは、その場の勝者/支配者の意に沿った行動を取るかどうかであって、
相手を慮ったり、荒い言葉や誤解を招く言葉を口にしない、無駄な衝突を避けることでは無いのだなと、
改めて噛みしめるばかりである。
そりゃ体育会系が大手を振るう、子どもにはチームスポーツをさせて 協 調 性 を 養 う とかなるよな。
そして、SNSでは年がら年中どちらがその場の勝者/支配者かを繰り広げていてウンザリするので
TVと同じく見ないのが1番よろしいと思った。
https://anond.hatelabo.jp/20240423172913#
で何が言いたいかって言うと警察は暴力でやってるから、川岸から見て、運営の住宅の電気が消えていたらやっていないとか、宮脇とか小俣みたいな体格の大きい怖い人が、スイッチを切るとか、
善意で、そういうもんじゃないっていってんだよ。相手が弱っていたら強制的に送信するから、運営の方の厚意で、スイッチを切ったりつけたりするものじゃないっていってんのよ。場合によっては消防士が
バールで部屋をこじ開けて入ってやってることもあるから、それを防止する方法として、電磁場遮断マスクを買うか、友人に寝てる間に消防士が部屋に入ってるのを監視してもらうしかないじゃん。
あのさー、Amazonとかイオンに売っている監視カメラなんて役に立つわけないじゃん。消防士や警察官は、そんなの壊して入ってくるんだから。だったら、その監視カメラを発明した会社の社員は何考え
てんだって言ったら、核心つかれたら、もごもごもごとなって、何も考えてないし国にやらせているというわけです。会社ってのは例えば岡田克也のイオンリテールとかマルイチとかAmazonとか楽天とかそういう
ものですが、で、何考えてんのって聞いたら返事がないと。それで核心を突かれたら平成23年10月23日午前11時9分から午前11時11分頃に、YahooとかのマスコミでもAmazonでも、
ゲームでもYoutubeでも、何もなくなっていたと。だから警察に任せようということになってその後にそうなりましたっていうんですね。で、船田クラーセンさやかとか、ああいうアフリカ学のおばさんの先生が
平成25年2月10日頃に部屋で発狂してそうなった。2ちゃんねるはどうなったかというと、スレッドを伸ばしたら仕事してる人が阻害されるから伸ばさないし寝ているだけだと。それに対する反論として
社会全体が幼稚だし危険だっていうけどさ、お前の子供が危険なだけだろ。じゃあ団地の子は?関係ない人は?イオンでたらふく食べていて何も問題ない人は?そういう人がさーお前の会社から
被害受ける可能性が高いんだよ。だからてめえに言ってんだよ。しかもさー、お前の存在知ってる人がいて、刺されるだけって言うけど、実際、お前が刺された現場見たことある人いないじゃん。
> 過去10年間で、私を左派から右派へと押し上げたいくつかの重要な出来事がありました🧵
ヒラリー 2016
バイデン2020
トランプ2024
次の 10 の例を調べて、それを詳しく見てみましょう。
https://x.com/wildbarestepf/status/1812590490916925626
MeToo運動が熱を帯びてきた。アジズ・アンサリ事件は私にとって転機となった。アジズのキャリアは、最悪のデートのせいでほぼ破壊された。
MeToo運動が推進された熱狂は、しばしばニュアンスや適正手続きを欠いており、不安を募らせていた。
人間の相互作用の複雑さや、それぞれの状況の公正な評価の必要性を無視して、より広範な議題のために個人の評判を犠牲にしているように感じました。
(編注)Metoo運動、フラワーデモ運動は冤罪を発生させている。寺町東子、東京第一弁護士会はその冤罪を作り出すことを推奨し、いまだに撤回すらしていません。このように性犯罪、セクハラ、DVは寺町東子のような弁護士の金儲けの手段となっているのです。性犯罪被害者団体もいまだに撤回していない以上その正体は性犯罪被害者団体ではなく人権ビジネス団体です。このような団体の主張を霞が関に入れることはできないというべきでしょう。
衛星打ち上げから火星の植民地化の可能性まで、イーロンのスペースXでの取り組みは、環境保護論者や左派の規制機関からかなりの反対に直面している。
スペースXの活動に関連したアザラシや鳥類に対する抗議は、科学と探査における画期的な進歩の可能性を覆い隠しているようだ。
革新と進歩を重視する者として、イーロンのビジョンに対する左派の抵抗は逆効果で息苦しいと感じる。
左派のジェンダーアイデンティティに対する立場、特に男の子が女の子になれるという主張は、私の生物学の理解と矛盾している。
生物学を副専攻していた私は、科学的事実を無視していることに不安を感じた。
この問題は、左派が経験的証拠よりもイデオロギーを優先するというより広範なパターンを強調しており、それは科学的誠実さに対する私のコミットメントと深く共鳴した。
(編注)まず性自認などは性別と全く関係ありません。また性別は男性、女性、その他の3つしかありません。これが生物学的な結論です。これ以外は非科学的な主張であり、到底社会で受容する必要がないものです。
また、性自認などという他人から認識できないもので性別が決まるというは極めて異常です。これを差別というのは完全に差別の定義を誤っています。そしてさらに言うとならば「女性」とは何かという肝心の女性の定義がありません。
私らしくとかどうでもいいのです。まず女性とはなにか、一切答えられないのです。ジェンダーという社会のせいとか言うものは自認とは今度は関係がないのです。
新たな視点:レックス・フリードマンのポッドキャストに出演するジャレッド・クシュナー
私の政治的志向の変化は、レックス・フリードマンのポッドキャストに出演したジャレッド・クシュナーの影響をさらに受けた。
クシュナー氏がアブラハム合意について語るのを聞くことで、主流メディアではあまり報道されなかったり、誤って伝えられたりしていたトランプ政権の成果について新たな視点が得られた。
この認識により、私はこれまで精査せずに受け入れてきた物語に疑問を抱くようになった。
> 2020年にトランプ政権の仲介でアブラハム合意ができ、イスラエルは周辺の中東諸国と一気に国交回復や和解が進んだ。
ハマスの10.7のテロの理由はひとえにこれをぶち壊すことだった。
https://x.com/GruessGott2018/status/1804425221308584412
左派が「多様性、公平性、包摂性(DEI)」の取り組みを重視し、「警察予算削減」運動と相まって、目に見える反響をもたらした。
サンフランシスコのような都市では犯罪が増加しており、盗難が横行しているため、店舗の必需品が施錠されている。
これらの展開は法と秩序の崩壊を反映しており、より安全で公平なコミュニティという左派の約束と矛盾している。
イデオロギーと現実世界の結果との乖離がますます明らかになり、問題となってきた。
(編注)日本でもクルド人との衝突が発生し、また、観光できた中国人が落書きする等治安が悪化しています。にも拘わらず、警察と裁判所の予算は増えていません。公務員はどんどんやめています。これを改革と言っているのですから日本人は帆なのです。DEIはオワコンなのはこの1枚の写真ではっきりしています。もはやアメリカ人でDEIが素晴らしいなどと発言することはあり得ないでしょう。
https://x.com/bennyjohnson/status/1812487522267652129
https://x.com/MatchPoiint/status/1812488154634412117
バイデン政権の混乱したアフガニスタンからの撤退は私にとってもう一つの重要な要因だった
急いで避難したため、13人の米軍兵士が悲劇的な死を遂げ、多くのアメリカ人とアフガニスタンの同盟国が取り残された。
高官が責任を問われることなく説明責任が果たされなかったことは、無能さと人命軽視の懸念すべきレベルを浮き彫りにした。
(編注)撤退は突然でなんの準備もなく、極めてずさんでした。それを覆い隠す日米の報道で日本人が語っても意味がありません。
COVID-19パンデミックへの対応は誤った情報と高圧的な命令に満ちていた。当初は科学を信頼するように言われたが、物語は変わり続けた。
ワクチン接種義務化が課され、国民の大きな反発と分裂を招いた。
その後のワクチンの有効性と副作用に関する暴露と反対意見の抑圧は不信感を募らせるだけだった。
パンデミックへの対応は公衆衛生よりも管理に重点が置かれるようになり、私は左派からさらに遠ざかることになった
(編注)反ワクチンという表現は極めて悪質で、ここで行っているのは反mrnaワクチンということです。なお副反応は誤った単語で副作用が正確です。ここでもごまかししかしていない。
左派がアイデンティティ政治に執拗に焦点を当てていることは、ますます不快なものになってきている
政策や社会問題の主要なレンズとして人種、性別、性的指向を常に強調することは、より実質的な議論を妨げている。
これは分裂的な戦術のように思われ、団結と進歩を促進するのではなく、社会の亀裂をさらに生み出すものである。
(編注)このアイデンティティポリティクスとは、デタラメな単語です。簡単に言うとポリコレです。LGBTのいびつで不必要な優遇を日本でも押し付けられています。当事者が必要としていないのが現実です。これも公金チューチュースキームです。コロンブスの炎上のように言いがかりしかつけてこないのが現実です。そのような言いがかりをつけられる意味は全くなく、極めて不当なものです。あのような炎上は取り締まられるべきでしょう。
またこのような反差別界隈は日本も同様に人々を分裂させるだけで全く意味がありません。
ボディポジティブ運動は善意から始まったが、問題のある方向に進んでいる。
コスモポリタンのような雑誌の表紙に病的な肥満の女性を取り上げ、それを「健康的」とラベル付けすることは、公衆衛生に害を及ぼす。
この有害な物語は社会基準を変え、肥満に関連する深刻な健康リスクを無視して誤った健康感覚を助長している。
科学と事実に基づく情報を重視する人間として、医学的真実に対するこの露骨な無視は、私を左翼から遠ざけるもう一つの要因でした。
(編注)デブとブサイクを優遇するのは完全に異常です。ルッキズムとか言うのはあほです。なぜなら、健康かどうかはある程度外見に現れるからです。
バイデン大統領の最近の討論会や公の場での発言は憂慮すべきものだ。彼の頻繁な言葉のつまずき、混乱の瞬間、そして身体的な弱さは、彼が完全にコントロールできていないことを示唆している。
バイデン氏が討論会で固まり、首尾一貫した主張をするのに苦労するのを見ると、彼の能力を保証していた左派の欺瞞が強調された。
自由世界のリーダーがこのような状態にあるのを見るのは残念で恥ずかしいことだ
私の政治的進化は、一連の具体的な出来事と認識によって形作られ、左派から遠ざかってきた。
MeToo運動における個々の事件の誤った取り扱いから、左派による革新への抵抗、生物学の無視、混乱した外交政策の決定、そして彼らの政策の具体的な結果まで、これらの経験は私の視点を全体的に変えました。
より中道的または右寄りの視点を受け入れることは、常識、愛国心、そして建設的な進歩へのコミットメントへの回帰のように感じられる。
@RobertMSterling
@DavidSacks
@theallinpod
のような人や、反発にもかかわらず執拗に懸念を表明してきた他の人たちにも声を上げます。私の視点の変化はあなた方のおかげであり、私は頭をさげます。🫡
いわゆるテイカーおぢとでも言うのだろうか
提供されるサービスを享受するだけに飽き足らず自分が得られるの最大限のリソースを奪おうとする手合い
善意での支えあいで成り立っていたのが「これは禁止されてないでしょ」「だったらこれもしていい筈だ」ってスタンスで掠めとっていく
こうやって好き放題に振る舞うと運営者側も一律で方針なり利用規約なりを改定しなきゃいけない羽目になるわけだけど、そういう他者への影響とか鑑みないんだろうなぁ、と
低能先生が契機となってidコール廃止されたのとか正しくそれだし
anond:20240714124321を読んで、そう思うなどした
https://archive.md/m3u6E#selection-495.0-495.47
The Problem With Saying ‘Sex Assigned at Birth’
「割り当てられた性」が採用される理由のひとつは、敬意に満ちた婉曲表現が提供され、特にノンバイナリーやトランスジェンダーの人々にとっては、厳しい生物学的現実のように感じられるものを和らげることができるからである。誰かが「出生時に女性に割り当てられた」と言うことは、その人が生物学的に女性であることを伝える、間接的でより丁寧な方法であると考えられている。この用語は、トランスやノンバイナリーの人々との連帯を示すと同時に、伝統的な性の理解は時代遅れであるというラディカルな考えを伝えるためにも機能する。
「出生時に割り当てられた性別」の表現は、善意によるものかもしれないが、進歩ではない。私たちは礼儀正しさや連帯感の表現に反対しているわけではないが、「出生時に割り当てられた性」は人々を混乱させ、生物学的事実について疑念を抱かせる可能性がある。また、私たちの伝統的な性に対する理解を正す必要があるから、このような表現が求められるのでもない。
そうではないのだ。セックスは、私たちの種にとって重大な結果をもたらす基本的な生物学的特徴であるため、それに関する誤解を助長することには問題がある。
性差は健康、安全、社会政策にとって重要であり、文化と複雑な相互作用をする。女性は男性に比べ、薬物による有害な副作用を経験する確率が2倍近く高いが、この問題は女性の薬物投与量を減らすことで改善できるかもしれない。一方、男性はCovid-19やがんで死亡する確率が高く、殺人や性的暴行の大部分を犯す。"割り当てられた性 "が死亡数を増加させるわけではない。重要な事柄に関する用語はできるだけ明確にすべきである。
影響力のある組織や個人が「出生時に割り当てられた性」を推進するとき、彼らは、「セックス」、「男性」、「女性」のような、社会で誰にとっても馴染み深く、性の意味合いを議論するのに必要な言葉を使うことで、市民が辱められるような文化を奨励している。これは通常の検閲のようなもので、特定の意見を公的に支持することを抑制するものではない。もっと巧妙で、そもそもその意見を議論するのに必要な語彙そのものを抑圧しているのだ。
より急進的な「割り当てられた性」の支持者は、生物学的事実としての性という考え方そのものが疑わしいと異議を唱えるだろう。フランスの哲学者ミシェル・フーコーや、最近ではアメリカの哲学者ジュディス・バトラーに関連するこの見解によれば、性とは何らかの文化的生産物であり、赤ん坊に男か女かのレッテルを貼った結果である。したがって、「性別」よりも「出生時に割り当てられた性別」の方が好まれるべきであると主張する。
この立場は、人間が自然の摂理から免除されていることを暗黙の前提としている。残念なことに、私たちは動物である。有性生物は少なくとも10億年前には地球上に存在していたし、人類が進化しなかったとしても、オスとメスは存在していただろう。セックスは、分娩室での言語的儀式やその他の文化的慣習の結果というわけではない。
一部の学者によって蒔かれた混乱にもかかわらず、私たちは性別の二元論が人間の発明ではないことを確信できる。
「出生時に割り当てられた性別」の問題は、確立された生物学的事実から会話を遠ざけ、政治的アジェンダを吹き込むことである。私たちは、医学的、社会的、法的な問題に関して、意見を明確に述べ、最善の方針を打ち出すのに役立つ共有言語を必要としている。その共有言語こそが、たとえ強い意見の相違が残っていたとしても、相互理解と民主的な審議の出発点なのである。
https://archive.md/m3u6E#selection-495.0-495.47
The Problem With Saying ‘Sex Assigned at Birth’
「割り当てられた性」が採用される理由のひとつは、敬意に満ちた婉曲表現が提供され、特にノンバイナリーやトランスジェンダーの人々にとっては、厳しい生物学的現実のように感じられるものを和らげることができるからである。誰かが「出生時に女性に割り当てられた」と言うことは、その人が生物学的に女性であることを伝える、間接的でより丁寧な方法であると考えられている。この用語は、トランスやノンバイナリーの人々との連帯を示すと同時に、伝統的な性の理解は時代遅れであるというラディカルな考えを伝えるためにも機能する。
「出生時に割り当てられた性別」の表現は、善意によるものかもしれないが、進歩ではない。私たちは礼儀正しさや連帯感の表現に反対しているわけではないが、「出生時に割り当てられた性」は人々を混乱させ、生物学的事実について疑念を抱かせる可能性がある。また、私たちの伝統的な性に対する理解を正す必要があるから、このような表現が求められるのでもない。
そうではないのだ。セックスは、私たちの種にとって重大な結果をもたらす基本的な生物学的特徴であるため、それに関する誤解を助長することには問題がある。
性差は健康、安全、社会政策にとって重要であり、文化と複雑な相互作用をする。女性は男性に比べ、薬物による有害な副作用を経験する確率が2倍近く高いが、この問題は女性の薬物投与量を減らすことで改善できるかもしれない。一方、男性はCovid-19やがんで死亡する確率が高く、殺人や性的暴行の大部分を犯す。"割り当てられた性 "が死亡数を増加させるわけではない。重要な事柄に関する用語はできるだけ明確にすべきである。
影響力のある組織や個人が「出生時に割り当てられた性」を推進するとき、彼らは、「セックス」、「男性」、「女性」のような、社会で誰にとっても馴染み深く、性の意味合いを議論するのに必要な言葉を使うことで、市民が辱められるような文化を奨励している。これは通常の検閲のようなもので、特定の意見を公的に支持することを抑制するものではない。もっと巧妙で、そもそもその意見を議論するのに必要な語彙そのものを抑圧しているのだ。
より急進的な「割り当てられた性」の支持者は、生物学的事実としての性という考え方そのものが疑わしいと異議を唱えるだろう。フランスの哲学者ミシェル・フーコーや、最近ではアメリカの哲学者ジュディス・バトラーに関連するこの見解によれば、性とは何らかの文化的生産物であり、赤ん坊に男か女かのレッテルを貼った結果である。したがって、「性別」よりも「出生時に割り当てられた性別」の方が好まれるべきであると主張する。
この立場は、人間が自然の摂理から免除されていることを暗黙の前提としている。残念なことに、私たちは動物である。有性生物は少なくとも10億年前には地球上に存在していたし、人類が進化しなかったとしても、オスとメスは存在していただろう。セックスは、分娩室での言語的儀式やその他の文化的慣習の結果というわけではない。
一部の学者によって蒔かれた混乱にもかかわらず、私たちは性別の二元論が人間の発明ではないことを確信できる。
「出生時に割り当てられた性別」の問題は、確立された生物学的事実から会話を遠ざけ、政治的アジェンダを吹き込むことである。私たちは、医学的、社会的、法的な問題に関して、意見を明確に述べ、最善の方針を打ち出すのに役立つ共有言語を必要としている。その共有言語こそが、たとえ強い意見の相違が残っていたとしても、相互理解と民主的な審議の出発点なのである。
確かに、偽善的な言動には不快感を覚えることもありますよねっス。
ただし、その「いいね」やコメントが本当に無行動を示す証拠とは限りません。
中には実際に支援している人もいるかもしれませんし、気持ちが先走って行動が追いつかない場合だってありますっス。
「言うだけで実際に行動しない」人の存在は、特に若い世代からしたら不満の種になりがちっス。
結局、行動が伴わない善意は風に飛ばされる砂のようなものっスからねっス。
とは言え、全ての中高年がそうであるとは限らないので、一概に断定するのは避けた方が良いかもしれませんっス。
コミュニティとしての力を発揮するためには、世代を超えた連携が大切だからっスね。
言葉だけではなく、具体的な行動と共に協力し合える社会を目指せると良いっス。
忌憚のない意見ってやつっス。
インスタにAmazonで買える250万の
「被災地に送ってあげたい」みたいな
付いてたけど、こういう言うだけの
アカウント見ると大体中高年のジジババで
自分らは保身の為に金貯めて一銭も出さないくせに「被災地のこと考えてます」「今でもウクライナでは戦死してる人がいます」みたいな事言って
キショいんだよクソ老害。テメェらが溜め込んでる無駄な金全部出せよ。
思いついたように慈悲の精神に目覚めてコスパ良く無料で被災地がどうのSNSに呟くことでチヤホヤされて気持ち良くなるためだけに被災地とウクライナを利用するな。被災地とウクライナは中高年のオナホかよ。
日本の中高年は本当に気持ち悪い。コイツらがいたから日本が30年失ったのがよくわかる。