はてなキーワード: 危害とは
現行の運用上、難民認定されるのは、出身国の政府から直接危害を受けていると日本国が認める場合に限られる。クルド人を認定しないのはトルコとの外交的関係を考慮していると言われている。難民認定をするということは、日本国として自国民を迫害するような酷い国家であると宣言するに等しい。
一方で、自国政府に迫害されているわけではないが、特別な事情がある場合には在留特別許可を付与することがある。日本人との婚姻関係や、自国政府の迫害ではないが政治的に困難な事情があると認められる場合だ。後者については、入管法改正により「補完的保護対象者」として保護対象になることになる。
実は、近年は難民認定よりも在留特別許可の数の方が多い。令和2年は難民認定47人に対し、在留特別許可44人、令和3年は難民認定74人に対し在留特別許可580人、令和4年は難民認定202人、在留特別許可1760人。
https://www.moj.go.jp/isa/content/001393014.pdf
コロナ関連での特例もあるとは思うが、特別に在留を認める制度は難民認定だけではないということも言いたかった。
ただ、難民に該当しないことが明らかであるのに、人道上配慮が必要なケースについても、難民申請をしなければ申請中に日本に居続けられない構造になっているのは、変な話ではあると思う。難民認定制度は難民かどうか判定する制度であって、それ以外の事情を判断するのには別個の仕組みがあるべきという意見もある。
マンガのキャラクターを崇拝するのは、医学的な問題がある場合にのみ「狂っている」と言えるでしょう。たとえば、マンガのキャラクターを崇拝することで、日常生活に支障をきたしたり、他人に危害を加えたりする場合は、精神的な疾患の可能性があります。しかし、マンガのキャラクターを崇拝することで、癒されたり、励まされたり、生きる力を得たりする場合は、決して「狂っている」ことではありません。
マンガのキャラクターを崇拝することは、人々が自分自身や自分の人生をよりよく理解するのに役立つ方法です。マンガのキャラクターは、私たちが自分自身に欠けている何かを象徴していることがあります。たとえば、強いリーダーシップを求めている人は、強いキャラクターを崇拝するかもしれません。また、マンガのキャラクターは、私たちが直面している困難を克服するための手本となることもあります。たとえば、困難な状況に置かれた人は、困難を克服したキャラクターを崇拝することで、希望を得ることができるかもしれません。
医療機関にかかって、環境を整えて、薬を処方してきちんと服薬すれば、統合失調症は寛解する人も少なくない。確かに、難治の患者さんもいるけれど、きちんと医療機関を利用して服薬すれば、一般人が恐れるような患者自身や周囲の他人に対して殺傷行為や破壊行為などによって危害を加えるリスクは、大幅に低下させられる。
ここが最初の関門=最大の関門となっていると言ってもよい。
と言うのは、最初に患者を連れて来る役割を任せられるのは、十中八九、患者の家族だから。精神医療の専門家のように知識がある訳でもない一般人が、上手く患者を口車に乗せて病院に行く気にさせるのは、相当に難しいからだ。おそらく、統合失調症の患者を家族に持つという人の中で「最初に医療機関に連れて行くのは楽だった、円滑に進んだ」と言う人は、少数派だと思う。
それに、せっかく薬を処方してもらっても、患者が服薬を止める、服薬を奨めても飲まないで苦労することも多い。飲めと言うと、怒ったり暴れることもある。青年や壮年の患者は体力があるのに看護するのは老いた保護者、だったりするので抑えるのも難しい。
こういった家族をはじめとした一般人には荷が重すぎるのではないかと思える、統合失調症患者の取り扱いの苦労を考慮せずに「病院から外に出して、患者さんを地域住民(=医療知識の素人)で見守りましょう」と、美しい理念だけを掲げる方針は、正しいものと言えるのだろうか。
医療専門家ですら「統合失調症の患者の取り扱い方は簡単」だなんて言わないのに、その難しいことを医療素人の一般人に任せようとすることは、酷だと思う。
偏見が差別がと言うけれど、恐怖や不安を覚えるとすれば、それは「きちんとした治療を受けていない人」に対するものなので、彼らが気軽にかつ正しく治療を受けやすいようにして欲しい。
例えば「夜道に気をつけろ(訳:夜道でお前を襲撃して殺すからな)」
例えば「月夜の晩だけと思うな(訳:新月あたりの暗い夜でお前を襲撃して殺すからな)」
例えば「お前の顔は覚えたからな(訳:これからお前を見つけたら殺すからな)」
例えば「あなたの娘さんはそろそろ思春期ですよね、可愛い盛りでなにかあったら大変ですねぇ?(訳:お前の娘誘拐して犯したり殺すからな)」
みたいなヤツね、危害を加えると言ってはないが危害を加える気満々な脅し
「ロミオとジュリエット」のヌードシーンは児童ポルノとみなされない、裁判官の規則
「ロミオとジュリエット」俳優のオリビア・ハッセーとレナード・ホワイティング、撮影中に性的虐待を受けたと主張
判事は木曜日、フランコ・ゼフィレッリ監督の『ロミオとジュリエット』の俳優らが起こした訴訟を棄却した。
現在72歳の俳優オリビア・ハッセーとレナード・ホワイティングは当初、1968年の映画のヌードシーンは児童ポルノであり、二人は撮影中に性的虐待を受けたと主張していた。
上級裁判所のアリソン・マッケンジー判事は、15歳でジュリエットを演じたハッシーと16歳でロミオを演じたホワイティングが起こした訴訟の棄却を求める被告パラマウント・ピクチャーズの申し立てを支持する判決を下した。
判事は、映画のシーンは合衆国憲法修正第1条の保護下にあるとの判決を下し、ハッシーとホワイティングは「法律上、この映画が性的示唆に富むとみなされる可能性があることを示すいかなる権限も出していない」と説明した。決定的に違法だ。」
「ロミオとジュリエット」監督の息子、スターから5億ドルのヌード訴訟を破棄:「ポルノとは程遠い」
「ロミオとジュリエット」の俳優らは、当初ゼフィレッリからヌード撮影はせず、代わりに肌色の服を着ると言われたと主張した。しかし、そのシーンを撮影する段になると、監督は2人のティーンエイジャーをヌードにしなければ「そうしないと映画は失敗する」と主張したと言われている。
この映画とそのテーマソングは当時大ヒットし、ホワイティングの裸のお尻とハッシーの裸の胸を少しだけ見せたヌードシーンにもかかわらず、この映画はシェイクスピアの悲劇を学ぶ何世代にもわたる高校生の間で流された。
ソロモン・グレーセン弁護士は声明で、「弱い立場にある人々を危害から守り、現行法の執行を確実にするために、映画業界における未成年者の搾取と性的対象化に立ち向かい、法的に対処する必要があると強く信じている」と述べた。
ピッポ・ゼフィレッリ監督は「撮影から55年が経った今日、本質的にこの映画のおかげで悪名が広まった2人の年配の俳優が目を覚まし、長年不安と感情的不快感を引き起こす虐待を受けていたと告白したと聞くのは恥ずかしいことだ」と語った。ガーディアン紙が声明で述べた。
ジャニーズたたきもそう。
悪いことしたのか聞いたら、そうじゃなくて親が病気になって「保護のため」入れられたと言っていた
(1) 緊急保護
ア 棄児、迷子、家出した子ども等現に適当な保護者又は宿所がないために緊急にその子どもを保護する必要がある場合
イ 虐待、放任等の理由によりその子どもを家庭から一時引き離す必要がある場合(虐待を受けた子どもについて法第27条第1項第3号の措置(法第28条の規定によるものを除く)が採られた場合において、当該虐待を行った保護者が子どもの引渡し又は子どもとの面会若しくは通信を求め、かつこれを認めた場合には再び虐待が行われ、又は虐待を受けた子どもの保護に支障をきたすと認める場合を含む。)
ウ 子どもの行動が自己又は他人の生命、身体、財産に危害を及ぼし若しくはそのおそれがある場合
(2) 行動観察
適切かつ具体的な援助指針を定めるために、一時保護による十分な行動観察、生活指導等を行う必要がある場合
短期間の心理療法、カウンセリング、生活指導等が有効であると判断される場合であって、地理的に遠隔又は子どもの性格、環境等の条件により、他の方法による援助が困難又は不適当であると判断される場合
なんとなく、不良が行くことになる児相と、虐待などで保護されるケースの児相は別なのかと思っていたが、同じらしい
エグいね
入管もそうだけど、何で日本ってこういう施設は容易に地獄を生み出してしまうんだろう?
通学すら出来ないらしいし、トイレも自由に行けないとか、もちろんスマホは数ヶ月没収
怖いなあ
そんなんじゃたとえ虐待されてても言い出せないじゃん
関連記事
https://www.nhk.or.jp/shutoken/wr/20230414b.html
ディラン・マルヴァニー、バド・ライトのフラップの後、トランスジェンダーの議論に驚くべきひねり
トランスジェンダーリズムに関する意見は、政界の両側で変化しています
トランスジェンダーリズムの問題に関する全国的な会話は、私たちの目の前で変化しています。先週、民主党の大統領候補ロバート・F・ケネディ・ジュニアはCNNに、生物学的に男性が女性に対してスポーツをすることは不公平であると語り、共和党の穏健な大統領候補であるVivek RamaswamyはNBCニュースで、男性に対する彼の二元論に自信を持っていると語った.そして女性。
これらはどちらも、わずか 1 年前でさえ、左寄りの主流メディアで公正な公聴会が行われそうになかった立場です。ジェンダーの根本的な問題が、スポーツ、女性のシェルター、刑務所、そして私たちの教育システムにおける公共政策に真っ向から突っ込んでくると、ジェンダー論争の両側に突然、率直な議論と妥協の機会が与えられます.
2022 年の 世論調査によると、アメリカ人の 60% が性別は出生時に固定されていると信じており、前年から 4 ポイント増加しましたが、依然として 38% が性別は流動的であると考えています。はっきりしているのは、この問題についてコンセンサスにはほど遠いことであり、妥協の選択肢しか残されていません。
そのような妥協の第一歩は左翼から来なければならない。なぜなら、この問題に関するほとんどすべての合理的な会話を止めたのは左翼だからだ。それは今変えなければなりません。
過去 10 年間、進歩主義者たちは、男性が女性になれるかどうかについて議論することさえ、トランス コミュニティに害を及ぼす暴力行為であると主張してきました。「ハリー・ポッター」の作者であるJKローリングのように、あえてジェンダーのイデオロギーに疑問を投げかけたものは、議論されず、中傷され、取り消されました。
この極めて非自由なレトリック上の立場は、何よりも、トランスジェンダー コミュニティに関する公共政策や社会規範を効果的に作成する私たちの能力を妨げてきました。合理的な配慮を求める代わりに、一方が他方を強引に強引にセックスとジェンダーに関する形而上学的な考えを受け入れさせたのです。
しかし、妥協は双方向の道であり、最近では、生物学的性別の優位性について正統なスタンスを取っている右派の人々と、左派の人々がジェンダー曲げに向かっている.
編注)そもそもトランスに熱を上げているアメリカ人はバカ。なんの必要があるんだ。
Matt Walsh や Michael Knowles などの保守的な批評家は、トランスジェンダーリズムは精神障害であり、Walsh の言葉で「嘲笑されている」、Knowles の言葉で、それは精神障害であるに違いないと主張することで、一種の囚人のような態度を採用しています。 「公の場から抹殺されました。」
編注)実際に性犯罪者ばかり。更に自閉症とかコミュ障を無理遣りトランス扱いする。この弊害がフェッターマン。記憶障害で
まともに喋れない。
右側のほとんどが許容できないことがいくつかあります。彼らは、自分が信じていないことを言わざるを得ず、女性専用の空間で女性に危害を加えるリスクを受け入れず、子供、特に幼い子供が自分の性別を選択できることを受け入れません。
同様に、左翼にも交差できない線があります。最も重要なことは、彼らは、トランスジェンダーであると自認する人々に、自分の人生を生きさせ、出生時に割り当てられた生物学的性別として自分自身を提示することを強制する法律や社会規範を受け入れないということです.
と言ってるけど、現実に一切社会の障害にしかなっていない。トランスはクズだ。大人しく生きていればだれも何も言わない。受容なんて期待する方がおかしい。GIDでもなんでもない。
https://www.foxnews.com/opinion/dylan-mulvaney-bud-light-flap-surprising-twist-transgender-debate
スープストックの話題に関してtwitterで、hateとは憎い、憎悪するという忌みであって相手の存在自体を積極的に否定するという意味
子供が嫌いな人達の殆どは単に子供に関わりたくないのであって積極的に危害を加えようとしてはいないんだから
子供嫌いを指して子供ヘイトと呼ぶのはおかしいって言っている人がいた
これってほんと正しいと思うんだよね
https://chigai-hikaku.com/?p=4369
dislikeは単に嫌い、好きではないという意味。hateはもっと激しく憎む、憎悪するという意味。
「子供ヘイト」にしろ「トランスヘイト」にしろ「オタクヘイト」にしろ、
「ヘイト」という強い言葉を使ってレッテル貼りするから違和感あるんじゃない?
実際のところは嫌いだから関わりたくないし干渉されたくないけれど、
長野の公園閉鎖の件はジジイが子供に直接危害を及ぼした上で「子供の公園利用を制限しろ」って提案を出し続けた、つまりジジイ側が能動的に子供を排除しようとしたことが問題になったわけだろ。
別にホームレスは公園から子供を追い出そうとはしてないじゃん。
ホームレスと子供、子連れは公園的には平等な立場なわけじゃん。
ホームレスがベンチ使ってるから子供がベンチ使えない!つっても、別にホームレスじゃなくても近所のジジババや他所の子供がベンチ使ってたら、要するに「自分以外の利用者が」ベンチ使ってたらベンチ使えないのは一緒やん。
これってさ、吉野家行ったらむさいオッサンばっかりで女が利用できない!
って言ってるのと何が違うのん?
別に、むさいオッサンに囲まれて牛丼食えばええやんってなるじゃん。
これでおっさんに囲まれて牛丼食うのに恐怖を感じるから警察に通報して排除してもらったとか言い出したらホンモノのキチガイじゃん。
でもそれがホームレスなら許されると思ってるのはなんでなん?
もろちん、公園に「ホームレスの利用を禁じる」って書いてあるなら別ね。
法律で見ても「公園に住み着く」こと自体は違法だけど、別にベンチに横になってはならないって法律はないし、当然家がなくて異臭を放っているものが公園を利用してはならないという法律もない。
自分はガチで子供嫌いで、子供の泣き声とかくねくね走ってる姿とか鳥肌立つ。よだれまみれの口とか見ると吐きそうになる。自分も赤ちゃんだったとか関係ない。
もちろん普段そんなこと言うわけないし、会社の人とかにお子さんの写真見せられたりしたら「かわいい〜!」って言ってる。
自分はSNSでも言わないけど、一部の人は子供嫌いってはっきり言うじゃないですか。
そういう人に対して「子供嫌いとかおかしい」「子供嫌いって堂々と言える頭がおかしい」っていう人たちって結構いるじゃないですか。
なんで批判するの??別によくない???とずっと思ってたんだけど
多分批判する人って、「子供嫌いな人=子供に幸せになってほしくない人、子供に消えて欲しい人、子供に危害を加えようとする人」と言うふうに考えてるのかなと今日ふと思った。
「子供が嫌い」と、「子供に幸せになってほしい」は両立するんですよね。
私は前述の通り子供が嫌いだけど、児童養護施設や子供の教育、病気の子供に関する寄付は毎月してる。株の優待で子供への寄付が選べるなら商品とかよりそっち選んでる。
兄夫婦が嫌いだから甥っ子にも会いたいと思わないけど、もし将来甥っ子が「留学したいけどお金足りない」とか言ってたら普通にポンと出すと思う。
例えがおかしいと思うけど、例えばパクチー嫌いな人いっぱいいるけど
その人たちは別にパクチーが世の中から消えて欲しいとかパクチー農家に死んで欲しいとか思わないじゃないですか。いや思ってる人いるのかもしれないけど。やっぱり例えおかしいか…
すべての子供に笑っていてほしいし、やりたいことがあったらそれをすることができて
生まれてきてよかったと思える社会を作っていける大人の1人になりたいと思ってます。子供嫌いだけど。
そういう人もいるということを知って欲しいなと思いこれ書いてみました。
「飛沫感染とエアロゾル感染でどちらが重要か?」といったとこで、私とあなたは意見が違いますね。
人間が感染するのは20μⅿ以下の小さな飛沫です。マスクで止まるような大きな飛沫程度を防いでも、そんなに意味はありません。
ノーマスクで顔を近づけて話す人って、あまりいないですよね。ヤンキー同士の喧嘩ではないので、ある程度距離を取って話すのが通常だと思います。
「ある程度距離を取る」と言う事は、飛沫は地面に落下して不活化します。
・日光で数分
・マスクの裏では7日間
感染者がマスクをしていた場合、放っておけば地面に落ちて不活化するはずのウイルスも、マスクの裏では長期的に生残りエアロゾル化して、人体の体温で上昇してバラ撒かれます。これが屋内だと、さらに逆効果。屋内で感染者がマスクをつけていると、屋内で撒かれるウイルス量はどんどん増えていくので、感染リスクがうなぎ上りになります。
色々な大規模RCTの結果を見ても「有意差はなし」と出ているのは、それが理由でしょうね。最近だとコクランのレビューとか有名ですね。
https://www.cochranelibrary.com/cdsr/doi/10.1002/14651858.CD006207.pub6/full
私はあなたと違い、飛沫で感染することは、ほとんどなく本当に警戒をしなければならないのはエアロゾルの方だと考えています。
だから、換気はすごく大切だと思うし、マスクは逆効果だし「そもそも感染を防ぐのは不可能だろう」と考えています。マスクをしていても会社や学校、電車などで、みなさんは既に感染していて単に発病してない状態でしょうね。
他のマスクを批判してる人達も、私とほぼ同意見だと思いますね。
別にマスクを外して、他人に危害を加えたい無敵の人ではありません。
あたなは私にアホだと言いました。
確かに私はバカでアホなので否定はしません。ただ、そのような態度を取っていると議論の意味はないので、慎んだ方が良いと思いますね。
以上です。
という前提を多くの人が共有できていないようなので、啓蒙のために書く。
まず、テロリズムとは、terror(恐怖)に由来し、暴力を用いて威圧や恐怖を与えることで政治的・宗教的な目的を達成しようとする行為である。
それでは、山上徹也は恐怖を利用して何らかの目的を達成しようとしたのだろうか?例えば、「統一教会を潰さなければ、次の首相も死ぬ」といったことや「民間人も同罪だ、覚悟しろ」といった発言があったのだろうか?
山上を支持する者たちは、支持しなければ自分たちにも危害が及ぶかもしれないという恐怖から支持しているのか?
世界平和統一家庭連合(旧統一教会)やそれに関連する議員を批判する者たちは、さらなるテロへの恐怖から批判しているのか?
そんなことはない。主に同情や問題意識から来るもので、テロ(恐怖)に屈したり、迎合したりすることとは無関係だ。
仮に山上の事件をきっかけに統一教会と距離を置く政治家がいたとしても、それは山上を恐れるからではなく、世論を恐れるからである。
山上の供述によれば、母親が統一教会に傾倒し多額の寄付をした結果、家庭の生活が苦しい状況になり、教団への恨みから教団の広告塔である首相を狙ったというだけだ。
どう見ても怨恨によるもので、政治家が被害者だから全てテロだと言うのはおかしい。痴情のもつれで刺された場合もテロだと言うのか?
事件の背景が根深いとしても、事件自体はただの怨恨殺人であり、市民を恐怖に陥れるようなものではない。
身近に迫る死の恐怖も感じていないのに、テロには屈しない!やテロに迎合するな!などと偉そうなことを言うのは間違っている。
賢明な増田諸氏は、この事実を心に留めておくことが重要である。
改めて言う。
山上徹也の事件は個人的な怨恨に基づくもので、市民の恐怖を煽り意識を縛り付けるようなものではなく、テロリズムとは全く異なる性質のものである。
犯行のきっかけとなった社会問題は根深く、議論・対処に値するものであるが、決してテロリズムの文脈で語られるべきものではない。
覚えておきましょう。