はてなキーワード: 名字とは
昔居た職場の同じ部署に「田中太郎(仮名)」の二人目が来たことがあった。
それまでうちの職場では名簿とかに名字書く時に「田中(太)」みたいな感じで書けば良いよねぐらいのレベルで同性被りを認識してた。
でもそれはID重複に対しての作り込みが甘い駄目なルールだったと判明したんだよね。
何が困るって職場で使ってたいろんなシステムやマクロが「Vlookupで名前を検索」みたいな作りだったの。
仕方ないからそのときは「田中太郎(H◯年◯月◯日)」で名前を登録することにした。
結果として給与明細とかに田中太郎(仮)の二人だけが生年月日書かれることになったよ。
いや本当にコレで解決してよかった。
実はその二人って見た目はぜんぜん違うから、普段呼び出したいときは身体的特徴で区別してたんだよね。
今だったらハラスメント認定もワンチャンあったんじゃねえかな。
給与明細で名前の横に身体的特徴書いてあったら地獄だよね……。
んで、結局このシステムって今度は生年月日が同じ田中太郎がやってきたら崩壊するんだよね。
俺たちは気軽に「ID重複ぐらい予想しとけよ」と言ってしまうけど、実際には結構この手の「確率的に考えなくてもいいだろ」の手抜きは結構してる。
2000年問題とかまさにそれじゃんね。
なんでこんな機械を何十年も?人類の科学の進歩は?って当時の技術者は必死に言い訳しようとしたところで、それを想定することが不可能だったかといえば全然そんなことはないわけで。
こういった問題に対して無限に責任追及してくのって本当しんどいと思う。
まあ富士通の場合は「データを提出するコンビニ側端末そのものが個別のIDを持つようにして、そのID+発進時間由来のIDの組み合わせで送付するようにする」で解決することですけねー。
「え?これぐらいは思いつけよ?」ってなりますけどねー。
しょーもなですねーとは思うけどね―。
でもさ、皆これぐらいの視野狭窄っていうか、短期的な目標に対して必死になりすぎてしまうタイパ重視の空気にあてられて毎日生きてんだよな。
しんどいわー。
余裕がなさすぎるわ―この国ー。
知り合いに難波って名字の子が店員してるんですが、知らない一見客から「梅田ちゃーん」呼ばれたんですよ。あーはいはいと対応すると「そこはもっと南や!言うとこやろ!」ってキレられたんですって。怖いわあ大阪。
ある種の裁判官にパワハラを受けている。裁判官がパワハラできるわけないだろう、と普通は考えると思う。しかし巧妙な仕掛けがある。そもそも裁判は益田が当て逃げ屋に訴えられたものなのだが、単独裁判ができないはずの判事補(経験10年以下)が単独裁判官として担当している。まずそれが異常だ(今度こそ説明を求めねばなるまい)。
長くなるが、仕組みはこういうことだ。まず書記官に影武者が用意されている。女性で声質が似ていて名字が同じ。電話ではうっかりすると聞き分けられない。スマホで通話録音したのを聞き直して気づくぐらいだ。しかし書記官の話し方は慎重で、影武者ははっちゃけた喋り方をする。似せているが喋る速度や言い回しも違う。
さらに書記官が問い合わせ電話の途中で突然影武者と入れ替わったりする。断りもなく入れ替わるが、一瞬保留音が鳴ったり、声の音量も音質も替わる。影武者が電話をモニターしていて書記官が電話を転送した感じ。益田はコールセンターにいたことがあるので上司が通話をモニターできることを知っている。
失礼さに腹が立つ。裁判所がそういうことをするか。
影武者はやたらに「裁判官の判断で」「今手元に資料がない」を繰り返す。お前、影武者だろ。
他の書記官に影武者のことを聞いてみると、確かに同じ苗字の職員名が名簿にあるが、いつも別室にいて誰も見たことがないという。妙な話だ。しかしそれなら影武者はやはり書記官ではなく(同業の人だったら知ってるだろう)、別室にいる職員だ。だからいつも記録が手元にないのだ。
そして影武者は期日に立ち会うこともある。益田はそのときは影武者も書記官なのだろうと思っていた。しかし書記官ではなかったのだ。なぜならその期日の調書作成者の名は立ち会っていない書記官の名になっていたからだ。その期日は個室でする弁論準備手続だった。判事補は、プロの書記官には見られたくないような訴訟指揮(故意の文書不送達や当事者脅迫、と言って悪ければ強引な指示)が自由にできた。実はその判事補の前にも「今日は書記官を立ち会わせない」と言ってきた判事補がいた(それをチクったら検事になって法務省に転官していった。訴追逃れだろう)。
つまりこれが裁判官のパワハラの仕組み。あるいはパワハラの証拠を残させない方法だ。判事補の経歴を調べたら案の定というか、NHK裁判にも関わっていた判事補。ある種の裁判官はヤバい裁判事務をして出世する。
影武者のほうは相手方損害保険会社の職員か、あるいは統一教会か?と益田は思っている。そうだったら、裁判所はそこまで堕落しているということだけど。
それとも、影武者を使って、当事者の頭を発狂させようという裁判所のナニカなんだろうか。
ちなみに転官した判事補が転官した経緯を調べたら、最高裁の人事局と最高裁裁判官会議で転官人事が決定してたことが分かった。彼らは公僕というよりも、保険会社のケツモチかな。
ある種の裁判官にパワハラを受けている。裁判官がパワハラできるわけないだろう、と普通は考えると思う。しかし巧妙な仕掛けがある。そもそも裁判は益田が当て逃げ屋に訴えられたものなのだが、単独裁判ができないはずの判事補(経験10年以下)が単独裁判官として担当している。まずそれが異常だ(今度こそ説明を求めねばなるまい)。
長くなるが、仕組みはこういうことだ。まず書記官に影武者が用意されている。女性で声質が似ていて名字が同じ。電話ではうっかりすると聞き分けられない。スマホで通話録音したのを聞き直して気づくぐらいだ。しかし書記官の話し方は慎重で、影武者ははっちゃけた喋り方をする。喋る速度や言い回しも違う。
さらに書記官が問い合わせ電話の途中で突然影武者と入れ替わったりする。断りもなく入れ替わるが、一瞬保留音が鳴ったり、声の音量も音質も替わる。影武者が電話をモニターしていて書記官が電話を転送した感じ。益田はコールセンターにいたことがあるので上司が通話をモニターできることを知っている。
失礼さに腹が立つ。裁判所がそういうことをするか。
影武者はやたらに「裁判官の判断で」「今手元に資料がない」を繰り返す。お前、影武者だろ。
他の書記官に影武者のことを聞いてみると、確かに同じ苗字の職員名が名簿にあるが、いつも別室にいて誰も見たことがないという。妙な話だ。しかしそれなら影武者はやはり書記官ではなく(同業の人だったら知ってるだろう)、別室にいる職員だ。だからいつも記録が手元にないのだ。
そして影武者は期日に立ち会うこともある。益田はそのときは影武者も書記官なのだろうと思っていた。しかし書記官ではなかったのだ。なぜならその期日の調書作成者の名は立ち会っていない書記官の名になっていたからだ。その期日は個室でする弁論準備手続だった。判事補は、プロの書記官には見られたくないような訴訟指揮(故意の文書不送達や当事者脅迫、と言って悪ければ強引な指示)が自由にできた。実はその判事補の前にも「今日は書記官を立ち会わせない」と言ってきた判事補がいた(それをチクったら検事になって法務省に転官していった。訴追逃れだろう)。
つまりこれが裁判官のパワハラの仕組み。あるいはパワハラの証拠を残させない方法だ。判事補の経歴を調べたら案の定というか、NHK裁判にも関わっていた判事補。ある種の裁判官はヤバい裁判事務をして出世する。
影武者のほうは相手方損害保険会社の職員か、あるいは統一教会か?と益田は思っている。そうだったら、裁判所はそこまで堕落しているということだけど。
https://anond.hatelabo.jp/20230503204955
「家」(家そのもの、家の文化、名字)を残すことに、異様にこだわるのよね。
奈良の女性と結婚したら大変で、嫁の実家が「子供は自分が育てるから」といきなり言い出して、義実家が自分のものにしようとしちゃうのよ。
奈良市とか奈良北部の大阪・京都に近いエリアでも、地域コミュニティが密接で、お隣さんが昨日何してたかとか、何故か知ってたりするし、気持ち悪いよ。
で、京都・大阪のような奈良より文化水準が高い地域と隣接してるものだから、
遠いし、田舎だし、車は必要だし(京都市内・大阪市内なら要らない。郊外でも)。
京都のお寺はおしゃれで洗練されてるけど、奈良の寺院はあの時代ゆえに、ただ古いだけで見た目が相当ショボい。
見応えないのよ。
東大寺なんて大きいだけだし。
これは真理。
中途半端な態度を取る方が良くない。
毅然とした対応をとった結果、彼女への「当たり」が例え強くなったとしても、その「当たり」に対応するべきは元増田であって彼女ではない。
身近に、男性が実親の反対を振り切れず、女性の方から婚約破棄したカップルがいる。
一般的に女性は、結婚する際に名字を変えさせられるのもあって、親から精神的に自立出来ている人が多いと思う。
逆に男性は名字が変わらないことで「今の自分は親と一体。そこに妻を迎える」という心構えの人が多いように思う。
この、親との一体感(分離することへの大きな不安)は、今に始まったものではなく赤子の時からずっと手放さずにいるものだから根深い。
仮に、結婚して親との関係が改善されたとして、実親からお歳暮が届けられたら、お礼の連絡をするのは配偶者ではなく自分。
徹頭徹尾、元増田が親とどう向き合うか(乳離れするか)どうかが問題で、結婚を機にその問題が浮き上がってきたに過ぎない。彼女は関係ない。
母親のいい子であることも、それはそれで幸福なことなんだろうと思う。元増田に幸せな人生があらんことを。
もしこの文章が、「婚約者の親が結婚に反対していて、婚約者の態度が煮え切らない」立場にいる人の目に届いたなら、よくよく考えてほしい。
自分は三重県鈴鹿市出身で現在も鈴鹿市在住、幼い頃から鈴鹿という言葉に囲まれて育ってきた。
私の地元には鈴鹿と名のつく施設がたくさんある。遊園地、学校、山脈、企業、デパート等、様々な場所で鈴鹿という言葉が使われているが、それらはもちろん鈴鹿に縁を持つから鈴鹿を名乗っているわけだ。
そんな自分が同じく鈴鹿を名乗る、新進気鋭の俳優「鈴鹿央士」を見ると、どうしても「鈴鹿央士って誰に許可得て鈴鹿を名乗ってるのか?」と感じてしまう。
そもそも鈴鹿という言葉の出自は非常に古く、地名の成立から定かではない。
最も古いところでは日本書紀(西暦720年完成)にも鈴鹿の名は登場し、それでいうと我々鈴鹿市民は1300年以上鈴鹿という地名を守ってきたことになる。由来も鈴をつけた鹿がいたとか、鹿に鈴をつけて川を渡ったとか、古い地名によくあるように色んなふうに言われている。
だいたい鈴鹿をスズシカでなくスズカと読むのもその成立が古いことを表す証左だ。古代の日本では鹿のことを単にカとか、カノシシなどといった。もし令和の時代に鈴と鹿を使った地名を作るならスズシカだろう。でも鈴鹿市は1300年代々住民がその名を守ってきたからスズカと呼ぶのだ。
日本には他に鈴鹿という地名や鈴鹿と呼ばれる事物はない。正真正銘鈴鹿の民がずっと守ってきたからこそ、鈴鹿という日本語が存在するわけである。
鈴鹿央士に関して特段の説明は不要かと思う。それでも知らない人のために説明すると、彼は映画やドラマで広く活躍している俳優だ。最近だと2022年に大ヒットした木曜劇場のドラマ「silent」にも出演していた。要は期待の若手俳優である。
この鈴鹿央士なる人物がテレビに出てきた頃、自分はてっきり鈴鹿という名字は本名なのだろうと思っていた。しかし、名字は芸名で後からつけたものらしい。そうなると鈴鹿という芸名はやはり鈴鹿市に由来するような名前なんじゃないか?とちょっと期待してしまう。鈴鹿央士の芸名命名についてのエピソードがあるので紹介する。
央士が高校2年生だった2016年、ある映画のロケが通学していた高校で行われ、エキストラとして参加。その際、出演者の広瀬すずの目に留まり、広瀬がマネジャーにスカウトするよう進言した。
2018年、スカウトをきっかけに、東京の大学へ進学すると同時に芸能事務所に所属。広瀬すずの「すず」にちなんだ芸名として「鈴鹿央士」とした。
驚いたことにこの俳優は鈴鹿を名乗りながら鈴鹿市とは何ら関係がないらしい。ただ広瀬すずになぞらえて鈴がつく名前なら何でも良かったようだ。
鈴鹿の民が1300年守ってきた鈴鹿という地名、なんら鈴鹿との関係も持たない俳優が、ただ鈴が付く言葉なら何でもよかったという理由で自分の芸名として使っているのはなんだか釈然としない。
それに加えて情報汚染である。最近ニュースサイトでも鈴鹿が踊る題目をたびたび目にするようになった。しかし中身を開いてみると鈴鹿央士の話題である。テレビを見ていても「鈴鹿が〜」という話を聞くことがあった(日テレ系だったと思う)。なんだなんだとテレビを見るとこれまた鈴鹿央士の話題。鈴鹿と言うのに鈴鹿市関係なくガックリくる。
鈴鹿という言葉はこれまで我々鈴鹿市民が使い、我々鈴鹿市民のためにある言葉だったはず。どうして鈴鹿の地に関係のない人間の話題に吸い込まれないとならないのか。
鈴鹿市民だからといって鈴鹿央士の名にケチをつけるな、鈴鹿を名乗ることぐらいいいじゃないかというご意見ももちろんあることと思う。おそらく鈴鹿央士に対するこの憤りは、幼い頃から当たり前に鈴鹿という地名に囲まれてきた人間でないと通じない。なので1つ思考実験をしてみたい。以下はあくまでフィクションの話だ。
最近ハリウッドで新進気鋭のイケメン俳優がデビューした。身長190cm、ふわりとした金髪に青い目、スーツのよく似合う長い足は白人の特徴をよく表している。彼は芸名Mr. Japanを名乗り、現在もドラマに映画に大活躍している。
Japanを名乗った理由は意外だ。彼は学生時代、Justin Bieberに声をかけられそれをきっかけに俳優の道を歩むことになった。この道を進むきっかけになったJustinに感謝の気持ちを込めて、芸名はJで始まるものにしたいと考えた。別に日本に思い入れはなかったがJから始まる適当な単語でMr. Japanを名乗っている。
彼の活躍はニュースサイトでもよく見かける。「Japan映画が大人気!」「いま大注目のJapanに密着」。日本で生まれ育った私達が密かな期待を込めて記事を開くと、その中身はMr. Japanのニュースだった。テレビでもJapanの声を聞く。「Japanの演技は最高ね」「会ってみたいセレブはやっぱりJapanだよ」。メディアではもうすっかりJapan=日本のイメージではなくJapan=イケメン映画俳優になった状況に、日本で生まれ育ったあなたは深く溜息をつくのだった。
もしあなたが上記の思考実験でため息を付いた人物であったら、Mr. Japanに「誰に許可得てJapanを名乗ってるの?」と文句の一つでもつけたい気持ちになったりしないだろうか。そうであればその気持ちは今自分が鈴鹿央士に感じているものと同じものだ。
私は鈴鹿央士に特に攻撃的な感情があるわけではない。ましてバッシングしようとか活動止めさせようだなんてことは微塵も思っていない。ただそれでもやはり、鈴鹿市になんのルーツも思い入れもないのに勝手に鈴鹿を名乗っていることに、深い憤りを覚えてしまうのだ。
最後に、どうして携帯電話でスズカと入力して一発で鈴鹿と変換できるのか、それは鈴鹿市民がこの地名を大切にし守ってきたからこそなのだ。鈴鹿央士さんが鈴鹿市で1300年守られてきた鈴鹿という地名になんの思いも持たないのであれば、さっさと改名してもらいたいものである。