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2019-04-02

眼瞼下垂の手術を終えて

見慣れない漢字4文字だと思うが、実はなっているという人が多いものだと思う。

眼瞼下垂とは?

眼瞼下垂とは、まぶたの筋肉が弱くなったり、まぶたの皮膚が重かったりするために、まぶたが本来位置まで上がらない病気だ。

まぶたをあげるために目の筋肉をフルに使うために目の疲労感が激しく感じられたり、ミュラー筋が使われ続けることにより交感神経が刺激され続け、自律神経が狂うという、発症するとやっないな病気だ。

先天性と後天性のものがあり、俺は後天性のものだった。

後天性の原因は、主に目をこすったりコンタクトのつけ外しによる、まぶたを過度に引っ張る行為だ。

俺が発症した原因となった行動は、おそらく小学生の頃コンタクトのつけ外しを母にしてもらっていて、その時に強くまぶたを上げられたことだと思う。

以下、発症の経緯と手術を終えるまでを書く。

発症

3年ほど前、ずっとコンタクト使用していた生活から眼鏡中心の生活に変えた時に、眼精疲労が朝から日中続くようになった。

同時に、首や肩のコリが激しく、常に体に力が入っているという状態になってしまった。今から思うと自律神経が乱れていたのだと思う。

最初眼鏡度数があってないのかと思い、何度かレンズを変えるも全く解消せず。

コンタクト使用にも戻したが全く改善しなかった。

斜位を疑う

ここから約2年半の間は、この謎の症状に名前をつけることに必死だった。

当時田舎に住んでいたため、眼科は近くには1つしかなく、何度もそこに通ったが、結局出されるのはドライアイの薬だけだった。

眼精疲労解消法では効果がなかったため、俺は斜位を疑うようになった。

しかし、田舎眼科ではこれを訴えても正確に診断してくれることは一切なかった

この時ちょうど大学受験の年だったが、眼精疲労自律神経の乱れからとても勉強に集中できる状態ではなく、行きたい大学受験することを諦め、指定校推薦を使い東京私立大学に行くことになった。

2年前に上京した時は、有名な眼科眼鏡屋があるため期待していたが、眼科には田舎病院と同じようなことしか言われなかったので眼鏡屋を信頼するようになった。

しかし、眼鏡屋ではちゃんといろいろな検査をしてくれ、斜位に関しても細かく調整をしたレンズを作ってくれたのだが、眼精疲労が治ることはなかった。

大学生で高いレンズに手が出ず、親に沢山のお金を払ってもらったのは心が痛んだ。

結局、大学1年生の冬頃には、「斜位は見た感じわずしかなく問題はない。コンタクトを長く使っていた人は眼鏡になれないか眼精疲労が起こっているのではないか」ということを言われ、これ以上何をしてもムダだという思いと、高いレンズを買ったのにという思いからくる絶望感もあり、斜位を治すという方向で動くのは諦めた。

ついに眼瞼下垂を疑う

眼瞼下垂は実は斜位を疑い始めた頃からこれもありえるな〜と思っていた。

「まぶたを手であげれば力が抜ける」簡単な診断方法でも当てはまったからだ。

しかし、手術が必要ということでやりたくないな〜という思いがあり、一度形成外科に行ってみたが「違うでしょう」と言われたのでしばらくは疑わず斜位眼鏡を作ることにしていた。

前述の通り治すことを諦めてしまい、しばらくは何をするでもなく、このまま一生を過ごすんだという暗い思いを抱えながら過ごしていた。

顔はストレスで肌荒れがひどく、精神的にも余裕がないため人間関係でも失敗しまくり、精神科にも通っていた。

転機は、大学2年生、つまり昨年の夏だ。

ツイッターアイプチという商品があると知り、気になり調べて見ると、どおやらまぶたを少し上げて二重を作るものだとわかった。

俺は一重だったので、二重の自分が気になりやって見ると、なんと体が少し楽になり、眼精疲労も少し改善されたのだ。

調べてみると、まぶたにはミュラー筋というものがあり、これは交感神経で作用しているため、眼瞼下垂でまぶたが落ちてくると、目を開けようとここが刺激され続け、交感神経も刺激され続けるため力が入るということらしい。

こうして、いよいよ眼瞼下垂を疑い始めた。

最初は、手術というハードルは高く、別にこのままでもいいやという落ち込んだ暗い気分で、そこから何をするでもなかった。

しかし、同時期海外旅行に行った時、飛行機座席で、眼瞼下垂からくる体の力みから眠れずとても辛い思いをし、さらに隣の席の人はぐっすり寝ていたのを見て「明らかにこれはおかしいだろう!絶対治してやる!」と決心した。

診断まで

帰国した後、さっそくネットで眼瞼下垂の名医を探し、レビューもよく見て、1つの病院に行った。

前述の通り、最初に1度、眼瞼下垂ではないと診断されているため、今回はどれだけしつこくても眼瞼下垂を認めさせてやろうみたいな気持ちで行ったが、いざ診察を受けるとあっさりと眼瞼下垂症と診断された。

やっとこの謎の症状に名前がつき、治るんだという安心感と喜びで、家に帰って軽く涙したのを覚えている。本当にあの時は嬉しかったし、希望みたいなのを感じることができた。

手術

昨年の秋、いよいよ手術の時が来た。

保険治療ではまぶたを切開する手術しか出来なかったのでそれにしたが、正直むちゃくちゃ怖かった。

まぶたを切って糸を通して筋肉を縮める!?何言ってんだお前!?

手術室では震えが止まらず、汗もダラダラかいていた。

いざ手術すると、もちろん麻酔で痛みはないのだが、まぶたの脂肪を焼き切るという作業の際に、リアル焼肉などで脂肪が焼ける匂いが感じられ、とても生きている心地がしなかった。

終わって見ると、目がとても腫れており、明らかに失敗で異質な目になってしまったと軽くショックを受けた。

しかし体はとても軽い!目の痛みもない!ストレスが嘘のように消え、頭もスッキリした気分であり、ああ自分はやっと普通になれたんだ、これで自分はやっとまともな生活に戻れるんだという思いでいっぱいだった。

術後

麻酔が切れるにつれ術後の痛みが出てきたが、薬を飲むことで痛みは抑えられた。

1週間はとても人前に出れるような姿ではなかったが、抜糸を終え腫れが治るにつれ、綺麗な二重の目になった。本当にいい先生だったんだなと、今頃感謝した。

しかし、以前より目の形は当然だが変化し、バイト大学友達からどう思われるかという問題があった。

眼瞼下垂という複雑でマイナー病気をうまく説明できる気もせず、手術も二重整形の手法と全く同じなため整形と最初は間違われた。

しかし嬉しいことにけなされるなどということはなく、むしろイケメンになったということも言われた。いい友達で本当に良かった。

それから

この後1度、左目が少し開きが落ちてきたため再手術をして今に至る。

やっと3年間の戦いが終わったような感じで、人生を明るく捕らえられ、気の持ちようも随分変わった。

肌の調子も変わり、フケや肌の角質がボロボロ落ちることもなくなり、とても嬉しい限りだ。

眼瞼下垂というのは、コンタクトのつけ外しによっても起こり得る病気であり、潜在的に当てはまる人が大勢いると思うし、これから増える病気だと思う。

まぶた一つでこんなにも体に影響が出る恐ろしい病気知名度が低く、普通眼科では見つけてくれないというのはとても怖い。

もしこれを見ている人で、同じような症状に苦しみ、まぶたを手で少し上げてみるとそれが改善するようなら、眼瞼下垂を疑ってみてほしい。

また、コンタクトをつけ外しする時は、出来るだけまぶたを引っ張らないようにした方がいいだろう。まぶたというのはデリケートだ。擦ったりするのもなるべく控えよう。

長々と書いてしまったが、これから増えるであろう眼瞼下垂症もっと知られることを心から願う。

2019-03-25

バカ就活無双する方法

自己紹介

ニッコマ卒、優良企業勤め、28歳、既婚者

就活無双する方法

自分バカだと自覚すること

お前はバカからそんな大学しか行けなかった。指定校推薦で進学したやつもバカだ。

・授業、ゼミは最低限

バカいくら勉強してもバカから諦めろ。四年で卒業することを目標生きろ。

バイトは選べ

バカには思考能力が無い。その少ない脳みそ使って精一杯考えてたくさん稼げる仕事を探せ。時間あたりにたくさん稼いで、もっと自由時間を作れ。

TOEICで900点を取れ

大学受験に比べればクソほど楽だから一年かけて勉強しろ参考書を繰り返し解いて頻出単語言い回しを頭に叩き込め。900あれば見る目が変わるから。取れないやつは池沼

運転免許を取れ

中卒のドカタでも取れる資格からさっさと取れ。

簿記二級以上を取れ

バカでも取れる資格

ここまでクリアしたら少なくとも書類上は早慶下位学部の奴と同程度の強さになれる。マーチの奴らは見下してよし。

・声を大きくしろ

小学生でもできる。声帯を使って力強い声を出せるようになれ。ここぞという時にどっしりした声で受け答えすれば効果は抜群。

笑顔を作れ

大体高学歴学生コミュ力に欠けることが多い。身振り手振りで差をつけろ。

面接官の言い訳を作れ

面接官も所詮社員だ。お前らみたいな低学歴採用するには言い訳が欲しい。語学力会計知識、自信ある態度の他にもう一押し欲しい。それがあれば面接官の奴らも上司言い訳できる。

・他の面接者を気遣え

みんな緊張してるんだから少しくらいは優しくしてやれ。周りに気を遣えるキャラになれ。面接の時だけでもいい。

・見た目に気を遣え

メガネは外せ。靴は新しくしろ

これで絶対就活無双できる。俺が保証する。

2019-02-21

指定校推薦の話

よく叩かれてる、

「ろくに努力してもないのに指定校もらっていい大学に行った人」って、

一般入試VS指定校っていう構図だけで扱われがちだけど、

まさに指定校のために多大なる努力をした人にこそ怒られそうな感想を抱いてしまうんだよなあ。

ぶっちゃけ指定校勢は勉強してない」って風評がたっても一般入試の連中には被害がない、

それどころか指定校勢と違って勉強してると評価されるまである一方で、

努力して指定校を勝ち取った勢にはかなりの風評被害な気がするけど、実際どうなんだろう。

2019-02-14

anond:20190206125826

高専卒の方のエントリーが上がっていたので,レア存在である高専について私も語ってみる.何度目の焼き直しになるかわからないが.

お前誰

中堅高専→Bラン大卒リーマン

15年前に卒業化学学科情報としては古い点も多々あるかと思う.ただ学生会長で全国高専につながりを持っていたので、情報ソースは1校のみではない.

メリット

①進学が容易

 後述する.

②早期から専門教育を受けられる

 高校1年次から専門教育を受けられる.全過程専門教育ではなく,高校大学で履修する一般教養とのミックスになっている.年次が低い段階では一般教養比率が高く,年次が上がるにつれ逆転する.まともに単位を取っていれれば5年次は週の半分は研究だった.

デメリット

①進路が固定されやす

 大多数が工業系の道に進む.進まざるを得ないといっても過言ではないだろう.感覚的に同級生の9割はメーカにいる.世界技術系一辺倒なので,その他が見えにくい.入学時点で15歳なので、染まりやす視野を広く持つことも難しい.教員普通研究員なので,理系アカデミアで純粋培養されたような癖が強い人がごろごろコースを変更しようとしても,マイノリティになるため後押しもロールモデルが少なくハードルが高い.

ドロップアウトやす

 専門性が高い故、入学後に技術に興味がないことに気づいてしまった場合モチベーションが下がりついていくのが困難になる.高専受験日が普通高校に比べて早いので,度胸試しで受けてみたら受かってしまった,偏差値が高いのでなんとなく来た,という層の一部がこの状態に陥る.一念発起して3年次にセンター試験を受け大学に進学、文転したものもいた.これはレアなケース.

恋愛チャンスは共学に比べ少ない.15-20歳という多感な時期に恋愛経験はまあ一般的重要だろう.女性が少ないので競争は激しい.勿論立地や当人キャラ次第でもある.化学専攻などは女性比率が高い,それでも半分程度だろうか.

教育課程

授業時間は90分.1年次から週1-2回のペースで半日かかる実習or実験があり,1年次から毎週毎週濃密なレポート提出を課せられる.締め切りや採点も厳しく,図書館での追加調査を含め毎週5-6時間レポートだけで費やしていた.科学文章の書き方の下地はここで醸成されたと感じる.専門科目が入っている分,一般教養が割かれている.歴史はなく,地理も確か1年前期しかなかった.その他普通高校と比べて色々なものが削られていたに違いないが、よく分からない.

また,数学が難しかった.入学後すぐに三角関数確率,2年次に上がる前に微積線形代数.2-3年次で重積分偏微分,常微分・・・.4年次以降で複素関数,曲面,群論ラプラス変換ベクトル場等の応用数学に入っていく.他にも電磁気化学,熱力,固体物理・・・気分が悪くなってきた.

進路

就職

就職率100%.求人倍率10~20倍.県内の有力企業大手現業職現場職長候補)に比較的楽に就職できる.ただ高専生は世の中のことをよくわかってないので,企業業態研究をせずに適当就職してしまい数年後に後悔する同級生はそこそこいた.先生技術バカが多く,経済的リテラシー教育はほぼなかった.私のころはインターネット情報量も多くなく,現在はまた違っていると思われる.

②進学

大きく2つに分かれる.専攻科か大学か.

専攻科:

自校に残り,2年間の延長教育を行う.大卒資格を得られる.ほぼ研究メインの生活を行う.研究8割,授業2割くらいか卒業後は旧帝や技術大学院(奈良先端科技大/豊橋技科大/長岡技科大)などに院進する人が多かった.就職する場合世間的にはレア存在であり,専攻科?そんなのがあるんだ?という反応をされ,研究漬けで辛い生活を送ってきたのにも関わらず就職アピールとしては弱いと友人はボヤいていた.

進学(3年次編入):

ここが最大のうまみであろう.

①いくつも受験可能大学毎に試験日程が統一されていないので,費用と日程確保さえできればいくらでも.自分場合は4大学に出願し,3大学目で決めた.偏差値が低いほど早めに行う傾向があった.

受験科目が少ない.例えば東大数学英語だけだった.(東大のみ2年次編入だったが)問題奇天烈ものでなく,真面目に授業を受けてしっかり対策していれば十分に解ける範囲である

高専によっては提携大学がある.私が卒業した高専では所在県の大学提携私立大学関関同立など)は指定校推薦でほぼ全入していた.高専から私立大学に行く人は少ないので,競争率も低かった.就職したくはないが勉強も好きではない下位層は延命策としてこの選択肢をとっていた.大学編入後は一般教養はほぼ単位認定(=免除),専門教科も高専で齧っていることが多く,比較的楽.実験研究発表においては経験の差が歴然学部レベルでは専門を変えない限り大きな問題はないだろう.彼女が欲しくてテニスサークルに入ってみたが,雰囲気についていけなくてすぐ辞めたというオチ

レベル

ピンキリトップレベル明石高専豊田高専などは偏差値60後半でそこらへんの進学校を超える難易度だが,商船高専などは50前後学科としては電気がいつも大変そうだった.数式だらけで理解するのが大変.材料土木環境,その他新興分野はおぼえればいい科目も多く,比較的楽.

寮生活

全寮制の高専は確かなかったと思うが,大概他県や遠隔地から学生用に寮が用意されている.寮ではゲーム相手に事欠かない,発売日に漫画がすべてそろう,ありとあらゆるジャンルのエ〇本を閲覧できるなどのメリット(?)もあるが,大きなデメリットとして私が通学していた20年前では上級生による「しつけ」という名の体罰が行われていた.木曜日の夜に1年生を呼び出し,暗闇の中で数時間正座をさせて悪事を白状させるというもの.(風呂掃除に数分遅れたとか,寮の敷地内で先輩を発見した際百m離れていても90度おじぎをして挨拶を”叫ぶ”必要があるが,そのお辞儀角度が足らなかったなど)一定数白状しないといつまで経っても終わらないため,どうでもいい些細なことを報告するのが常であった.正座のみならず1時間両手を上げっぱなしにさせるなど.終わった後は体が痛んだ.脚が痺れを通り越して暫く立てないレベル.なぜ木曜の夜かというと,金曜になるとみんな帰省してしまうため.

さすがに今はもうないだろう.今の価値観だとありえない.しかし,中学校を出たばかりの小僧大学1-2年生相当の先輩たちはとても怖い存在で,且つ退寮して親に金銭負担をかけられないため多数は我慢選択する,という構図だった.私の親も鍛えられてこい,という感覚だった.家が比較的近いやつは馬鹿馬鹿しくて通学に切り替えていた.私のころはなかったが,以前は先輩から達しが出るや否や吉野家の牛丼を30分以内で代理購入してくるという「吉野家ダッシュ当番」なるものもあったそう.尚,年次により寮内でのルールは緩くなっていく.年次による権力揶揄した称号があり,1年次から奴隷」,「見習」,「平民」,「貴族」,「神」.1年次においては共有スペースの炊事禁止テレビ閲覧禁止風呂掃除や朝食準備などの各種当番,祭りでの汚れ系出し物など.2年次になると共同場のテレビ閲覧可,3年次から個室があてがわれ、テレビも自室に設置が可能となる.今思い返せば,異常に陰湿日本文化如実に体現しており,乾いた笑いが出る.私は上級生になった際このシステム廃止しようと試みたが、全体的にそれを維持したいという空気が流れており結局叶わなかった.ただ親元を離れて集団生活を送ったことで自身も随分たくましくなったと思う.

今私は何をしてるか

メーカを何社か転職し,現在ITデータ解析職.製造業に興味がないことに気づくのに大分時間がかかり,また気づいてから収入を維持しながらも他業種へ脱するまでが大変だった.現在は34歳で年収950万円.奨学金は500万ほどあったが30歳前に完済することができた.

所管

総合すると高専おすすめ.ついていければ就職には楽にありつける.ただし癖が強いので人を選ぶ.

2018-12-24

偏差値学歴結婚についての話していい?

私は都内偏差値58くらいの高校に通い、指定校推薦大東亜帝国レベル大学にいきました。

それで自分としてはこのくらいのレベルって中の下くらいだと感じてるんだよね。大学名を言っても頭が良いとは思われないけれど、箱根駅伝で有名だよねと言われるくらい。

まぁそれで縁があって就職できたのがIT業界だったんだけど、そこで今の彼氏出会ったんだ。

この前彼氏の両親とご飯を食べにいくことになったんだけど、お母さんからあなたはどこの大学出身なの?」って聞かれて、大東亜帝国ですって言ったんですよ。そしたら「彼氏国立(筑波大学)を出てるから、もし子供が産まれたら彼氏の頭の良さが引き継がれるといいわねぇ」って返されてショックだった。

今まで可能範囲で学びたいところを選んできたつもりだったけど、偏差値学歴は一生ついてまわる。自分評価ダイレクトに影響するんだ。しか自分中途半端馬鹿からもっと名前を聞いてもあんまり知名度がないような大学でそっと暮らしていればよかった。

彼氏の両親というか家系エリートみたいで、父親東工大母親フェリス女学院だったらしい。

偏差値なんかなくなればいいのに!

2018-11-28

中学3年まで特別支援学級だった自閉症児の息子が大学合格した

 参考になるか知らないが、適当に綴ることにする。

 語尾がバラバラなのは許せ。(気が向いたら編集するが)

まずは生い立ちから

 3歳になっても言語を全く話せず、クレーン動作を始めとした典型的自閉症状を示していたため、児童センターを介して専門機関受診したところ、聴力も問題なく知的障害自閉症)との確定診断。

 そのまま知的障害者の扱い(療育手帳交付)。

 応募した私立保育園には全て断られたものの、自宅から少し離れた市立保育園へ無事入園

 「知的障害児」ということで、ほぼ専任のような保育士さんを増員していただき、時々奇声を上げて脱出を企むながらも、最後まで追い出されることなく何とか卒園

 保育園の間は、ずっと会話は不成立。

まずテレビを捨てました。

 3歳でビデオデッキ操作(VHSカセットの交換・スロー再生・逆再生等々)をマスターしていたものの、毎日テレビの前でビデオ操作しながら、全く同じシーンを延々繰り返しながら奇声を上げて踊ってる有様。

 確か「お母さんと一緒」のビデオだったと思いますが、キメのポーズのところで一緒にキメて、そりゃ見てて可愛いわけですが、親からの会話は理解できていない。

 テレビに映った、いわゆる芸人さんの笑いを(意味も分かってないくせに)オウム返しし始めたあたりで、これはヤバいと感じ、(当人は知らない)裏のコンセントをコッソリ抜いて「テレビさん壊れちゃったみたい」ってやってやりました。

 しばらくは寂しそうにしていたのですが、何ヶ月かしたら、直ったか試すこともしなくなったので、未練がなくなったのだろうとテレビごと廃棄。

 たしか4歳か5歳の頃だったと思いますが、この時から自宅からテレビがなくなりラジオだけの生活になりました。寝る時に子守歌かわりの童謡CDを流す習慣にしていたのですが、高校1年くらいまでは寝る時に自分操作して鳴らしてましたね。(ずっと川の字です)

 テレビがなくなると空いた時間を埋めるべく、絵本をめくったり、オモチャを手にしたり、パソコンに興味を示したりするようになりました。テレビは捨てて正解だったと今でも確信しています。(モニターDVDは視聴可)

小学校先生に恵まれました

 発語はあるが会話は成立しないのですから小学校は当然にしてストレート特別支援学級です。

 集団登校には親の同伴を求められたので、6年間ずっと同伴通学でした。(とは言え、後半は列の後方から見守る程度ですが)

 「環境の変化」と「予想しない事態」に極度のストレスを感じるのが自閉症児の特徴なのですが、特別支援学級の1年生~5年生まで、担当教諭の異動がなかったことが幸運安心すると精神状態が落ち着くんですね。

 特別支援学級教諭って、ナニかワケありで左遷ポストみたいな雰囲気があると思うんですが、1年生~5年生まで担当して下さった教諭は全く違ってました。

 言葉で書き尽くせないのですが、自閉症児では健常児以上に苦手なところが多いのですが、無理矢理に克服させようと正面突破させるのでなく、苦手なところを避けて歩く方法みたいなことを息子に伝授してくれたように感じます

 予期しないことが起きるとパニックに陥って奇行が始まるのですが、先に予定が分かっていて、その予定どおりに進行すればパニックは起きにくく、そういう特性最初から見抜いて下さって、本当に上手に導いて下さいました。

 伊藤先生、今でも感謝しきりです。(年賀状は欠かさず(息子に)出させてます

ほぼ毎週のように外出しました

 息子にはとにかく外界からの刺激が必要だと思って、ほぼ毎週、公園だの何だの、とにかく外へ連れ出しました。200キロ距離にある実家へは毎月通ったり、とにかく土日2日とも家に籠もっていたことは年に数えるほどだろ、という位に連れ出しました。

 電車が好きだったので、環状線一周(全ての駅で降りて看板写真を撮る)みたいな、そんなオタッキーなこと喜ぶ児童がいるのか?みたいなことやってました。時効から打ち明けますが、1区分切符でずいぶんと遠回りさせて頂いたこともあります

 地名や駅名とかはすぐに覚えましたね。

 実家へは(下道で行くと)幾つものトンネルをくぐるのですが「このトンネル最後」みたいなこと言ったり、いついつにこういうことがあった、みたいな何年も前のことを年月日まで揃えて呟いたり、とにかく記憶力だけは半端ない

 ちなみに息子と年子の妹(健常児)がいるのですが、彼女存在も大きかったように思います。友だちのいない息子にとって、唯一の同年代の子どもが妹だったのですから

 特に小さい頃の妹は兄の障害のことが分からないので、時々は手を繋いだり引っ張ったり(兄のほうは照れて逃げ回ったり)、それはそれは友だちのように接してくれたのですから

JRウォーキング企画に連れ出しました

 家族での外出のほか、JR沿線企画するウォーキングに猛烈に参加しました。

 参加するとスタンプが貰えるのですが、有効期限内にフルコンプリートして最上位の景品を貰えるくらい、1級障害者じゃないので運賃は安くならず、相当お金はかかりましたが。

 他の子達と同様、かならず電車最前列に張り付いて、運転手さんの呟き(点呼)をオウム返し。運転席に手が届くような、どこぞのローカル線に乗った時は、運転手さんが息子の点呼(出発シンコー)に合わせてマスコン操作してくれたりで、電車が大好きになったようです。

 あと英語ナレーションも覚えたみたいで、英語が流れないローカル線でも自分英語で This train ・・・ Bound for ××× Thank you! って大きな声で「通訳」すると、周囲の大人が褒めるもんだから、より調子に乗って・・・みたいな。

 10キロとかの健脚向けコースに参加しているときなんかは、おばちゃん達が「小さいのに偉いねぇ~」って飴ちゃんくれたりするものの、会話が成立しない(がんばって1往復)うえに当人は飴なるものを口に入れたがらず。

 食へのこだわりが強烈で、少しでも怪しいものは決して口に運びません。妥協なんてありえないのです。

パソコンに息子用のアカウントユーザー権限)を作って使わせました

 ヤフーキッズブラウザデフォルトにしたのと、使用時間制限(夜の9時だかを超えると使えなくなる)したくらいで、基本的にノンフィルターで使いたいように使わせました。

 パスワードはかけてなかった(息子も自分でかけようとしなかった)ので、時々何をしてるか監査してましたが、Youtube で馬鹿映像を見てるほかは名探偵コナンを追いかけてる風。あとドラえもんプリキュア(笑)

 年頃の男の子が興味を示すサイトへは立ち寄った形跡もなし。アニメ芸能関係Wikipedia更新もやってたみたい。

 基本的には「泳がせながら監査」という状態を続けましたが、ずっとパソコンで遊べるわけじゃありません。

 時々妹がやってきて「私もパソコンを使いたい」って言う話になれば、兄に勝ち目はないので、みすみすパソコンを奪われることに。

 まぁずっとパソコン漬けはよくないし、時々はパソコンを奪われたほうがいい(占有じゃなくて分け合う)と思うので、パソコンを追加することな喧嘩させる選択(妹相手喧嘩練習をしておけ、と)

5年生くらいか運動会で息子が見つけれなくなりました

 3年生か4年生くらいになると、少しずつ会話が成立し始めました。

 その奇行ゆえ、運動会では常に、どんな遠くからであっても、あれが自分の息子だ、って識別できていたのですが、5年生の運動会くらいからでしょうか、一生懸命に探さないと見つけれなくなりました。

修学旅行に息子だけで行けました

 小学校入学当初は「修学旅行へは親さんも同行してもらうことになりますから(同行できないなら修学旅行は無理です)」って言われていたのですが、伊藤先生の後任の女性教諭も「大丈夫でしょう」と。

 無事に一人で(同級生と)行ってきました。

 プラスチックの刀を土産に買って帰ってきましたが、どこが気に入ったのか今でも理解不能。

卒業式

 養護教諭フォローなしに壇上で卒業証書を受け取る息子を見て涙が出ました。

中学特別支援学級

 奇行も減って落ち着いてきたので、普通学級でも辛うじて何とかなるかも?って言われつつも、他の生徒さんに迷惑がかかるといけないと思い特別支援学級希望

 2人の学級で、これまでは異学年の混合授業だったのが、初めての同級生が出来ました。

 しか女の子! だけど家庭の事情引っ越し)で1年で転校して行ってしまいましたが、別れの日は私物を整理して親と一緒に帰る時間見送りに行ったようです。買って持たせた花束の中に、コッソリ前年の年賀状の余り(自宅の住所が印刷されている)を忍ばせておいたのは私なのですが、お礼状と共に今でも年賀状の往復だけ続いています

 その子もワケありなんだけど、息子とは特性が違う(不得意分野が違う)ので、嫁さんになってくれるといいんだけどなぁ~とは心の中の声。

同学年の女の子を好きになる

 気に入った女の子が出来たみたいなのですが、息子の挙動があまりキモかったらしく、当人から拒絶されたうえに親にも厳重注意

性的なことをやったわけじゃありません)

 当人は加減を知らないし、女の子のほうも自閉症児につきまとわれるのは嫌でしょう、分かります

混合授業を希望する

 中学校の特別支援学級担任は、父兄の間で評判の良くなかったらしい教諭が着任して翌年に異動とか、産休予定の教諭が数ヶ月だけ担当して交代とかアレな風でしたが、本人には良い意味で刺激になったよう。

 3年生になり進路が気になるころ、どこへ進学するかはともかく、特別支援学級という超少人数学級じゃなくて普通学級にも慣れておかないと選択肢がないと思い先生相談

 数学理科は進度が全く違うという理由NG が出たものの、それ以外は何とかなるだろうと(授業の妨げになるなら追い出す条件で) OK

 7割は同じ小学校から上がってきた生徒で一応は幼なじみ。1学年50人ちょっとギリギリ2クラス)という少人数な学校だったこともあり、先生の目が行き届きやすいという判断もあってのことだろう。

 JRウォーキング企画を始めとして外にばっか連れ出したおかげか、地名都市位置関係)に関しては健常児を超えていたと思う。

 理科小学校から全く履修していなかった(見込みなしと見捨てて他の教科に割り振られた)のだけど、履修してない教科があったのに卒業できてしまうとは。

偏差値40弱の普通高校合格する

 その下は定時制しかないというランクのところではあるものの、「荒れてない」という理由だけで選択した公立高校に無事に合格

 たまたま定員割れしていた年で、落ちた生徒はいなかったと思うのですが、翌年は定員超えしていたので1年ずれてたらヤバかったかも。

義務教育期間・無遅刻無欠席を達成

 9年間、無遅刻・無欠席ということで学校と市から表彰されました。

 ちなみに一つ下の妹のほうも同じく9年間無遅刻無欠席。

 4歳だか5歳の頃に妹のほうがキャンプに行きたいというので「キャンプ場は遠いよ」って言って大正池から徳沢まで歩かせたり、お山に行きたいと言われれば「山小屋売店であって泊まるとこじゃない」と諭してテント背負ってガチ登山に連れて行ったり、ロープウェイに乗ってみよう!って誘っておいて「入り口は上にあって登らないと乗せてくれない」って登らせて下りだけロープウェイとか、とにかく欺しまくりました。

 温泉に行きたいって言われて湯俣温泉に連れて行った(吊り橋の先の河原で掘って「これが温泉だ」って)のが最凶だったと自覚してます(小2+小1)

 よって、うちの子たちは本当に頑丈です。

高校普通学級で頑張る

 中学までの26~27人学級と違って、40人近い教室で、一人も知り合いのいない学校。つまり他の生徒も息子の特性を知らない。

 小学中学は通しの生徒が多いせいもあって、息子がワケありってのは全校生徒のみならず、その親にまで知れ渡っていて、わざわざ寄りついてくる奇特子どもはいなかったのだけど、高校では最初のうちは先入観なく普通に接してくれたみたい。

 同級生から寄りついて来られたことのあまりなかった息子は話しかけられただけで「友だちができたかも」って思い込んで家に帰ってニコニコ自慢してましたが、それが「ぼく友だちいない」に変わるのはそう遅くはありませんでしたけど。

 とはいえ、友だちが出来ないまま15歳まで過ごしてきてるので、全く気にならないようではあります

 年に数回、学校開放みたいな行事があって親も観に行っていい日には出かけたのだけど、偏差値が低い=ガラの悪い生徒が多い という先入観を見事に打ち破ってくれました。いやほんと、殺伐感の全くないノンビリした校風の良い高校で良かった。

 迷惑をかけるのだからせめてもの恩返しということで、学校保護者委員?(PTAに近いと思うが、もっとイージー)は進んでお受けし、時々校門にたって挨拶運動かに参加したわけだけど、先生命令に従って渋々挨拶してるような感じはなく、どの子自分言葉挨拶してくれて、挨拶運動に参加するのはとても楽しかった。

JRウォーキング企画に一人で参加するようになった

 高校になってから自我が芽生えたか、親と出かけるのを嫌がるようになり(本気で拒絶するほどでもないが)、親としても自立する方向に誘導しないといけないため、JRウォーキング企画に一人で参加することを許可

 前日までに行程(電車の乗り継ぎを含む)と予算を紙で提出すれば金は出すという条件で。

 コンビニの外ベンチにDSを置きっぱなしのまま買い物に行って、案の定その間に置引きされたときがあるんですが、ちゃん自分交番に行って遺失物届を出してきたり、普通じゃないながらも何とかなる次元には成長

大学見学会大学進学に目覚める

 学校行事か何かで、家から最も近い私大偏差値40~50クラスか?)の見学に行って、学食としてマクドナルドみたいなバーガー屋を含む何軒もあったりで感動したのか、コンビニなんてもの学内にあることに恐れ入ったのか、コナンに出てくる大学生のイメージと重なったのか、どういう訳でか知らないが大学なるものに興味を持った模様。ただし、最初に見に行ったそこだけが気に入ったみたいで、他の大学へは見学すら行かない。

最後文化祭の劇で一躍ヒーロー

 高校になると授業参観なるものが滅多にないのですが、高校3年の最後文化祭(平日)へは仕事を休んで観覧。

 劇で何の役をやるのか教えてくれなかったので、観に行くことも言わずに黙ってビデオ回しながら見てたのですが、ステージの袖からナレーター(司会だったらしく)として登場したところで目を疑う。

 名探偵コナンナレーション意識しているとハッキリと分かるのですが、恐らくは普段の息子と全く違うキャラだったこともあってか、会場の体育館は大爆笑の渦に。適度なアドリブ(意外性に沸く観客生徒に向かって「ありがとう!」って言ってみせたり)を交えたり、完全に自分世界に没入していたのだろう、とにかく凄かった。

 審査表彰式まではいなかったのだけど、息子のクラス最優秀賞を、息子は最優秀個人賞を、それぞれゲットした。

指定校推薦という優遇枠でありながらも大学合格しました

 進路指導先生からの「なりたい職業に応じて学科を絞って学校を選ぶべきだ」という助言を無視する形で、第一希望~第三希望まで全て前述の大学にある学科で、文系理系おかまいなく・・・という風に進路希望を出していたので三者懇談では「本当にいいのか?」って迫られたけど、「息子が大学に行きたいと思ったキッカケは、そこの大学出会たからです」なのだから仕方ない。

 いわゆる進学校ではないため、一般入試での合格絶望的だろう、と先生から言われ、最初最後のチャンスということで指定校推薦に応募

 そもそも、その下には定時制しかないような、こう言うと悪いんだけど学力的には良くない生徒の集まる学校だったのだけど、挨拶運動で感じたようにガラの悪い生徒はおらず、確かに当たりは少ないけど外れはいない、そんな学校ゆえにか「指定校推薦」という枠が設けられていたのは凄い幸運だった。(誰しも外れを引くことを恐れるわけで)

 第一希望学科(息子はパソコンが好きだったのでそういう系)は成績が足りないと言われ、第三希望くらいのパソコンとは無関係なところだったら・・・みたいなこと提案に乗って応募。ちょまどさんだって文系大学なのにプログラマやっててマイクロソフト行かれたんだから、その気があればどこの学科であってもパソコン仕事はできるのよ。

 劇のナレーターで最優秀個人賞をゲットした余韻もあってか、上手に面接をこなしてきたのと指定校推薦で落ちるのは難しいという条件が重なって、無事に合格の通知。

 

社会で自立できるか知らないが

 高校3年でやっと中学生?ってくらいの状態なので、大学卒業できるか知らないが、ちょうど卒業時点で高校生くらいの状態になるかもしれない。

 完治は無理、喋らなければバレない、くらいが限界なんだけど、健常児を遙かに超える得意な分野があるので、そこだけ見て、ダメなところは諦め。

 ただ普通の子に近づいたせいか、幼少期に感じた「ありえない記憶力」とかの特殊能力は徐々に衰え、ヒゲも生えだして、すぐに忘れる平凡なオッサンに近づいてることに寂しさも。

 仕事に就けるかどうかは分からないが、とにかく社会に出るまで大学生の身分に甘んじて時間稼ぎしてろよ、と

2018-09-14

物心ついて間もない時期に、母から無理心中を迫られたことがある。

物心ついて間もない時期に、母から無理心中を迫られたことがある。

死についてよく分かってなかった自分は、「死にたくない」と母に答えた記憶がある。

母はその場で泣き崩れ、何とか死なずに済んだ。

後で詳細を描くかもしれないけれど、自分の生まれた家庭は不完全家庭だった。

とにかく、その日から、死ってなんなんだと考えこむようになった。

幼稚園に上がってしばらくした頃、悩みはピークに達してあまり眠れなくなった。

周りの子供に相談しても不安がらせてしまって、当時の幼稚園先生からこっぴどく怒られた覚えがある。

書いてて思ったけれど、幼児が眠れなくなるって大ごとだ。

小学校に上がってから記憶ほとんどない、ただ周りに合わせてテキトーに振舞い続けた。

唯一記憶に残っているのは三年生だった時で、担任が超熱血教師だった。

うちに家庭訪問しに来た時、和室に入った時の言葉は今でも覚えている。

和室にある仏壇を見て、「ああ、創価学会員でしたか、うちは妻が幹部をやっておりまして。ちなみに私は共産党系です。」

当時はあまりピンとこなかったが、しばらく経ってから自分で調べてみた。

けっこう対立してる組織だったのね。

対立組織に属する夫婦、すごい。

私は熱心で信仰深かったかというと、それの真逆だった。

親に連れまわされて行っていた会館などの集いも、小学校に上がる前に全力で拒否して行かなくなっていた。

当然親からは殴られた。それでも反抗した。

そして家族の中で一番信仰深かったのは母だった。

父はそれほど熱心でもなかった、気が向けば仏壇に手を合わせている程度。

三年生だったころはその熱血教師とも気が合って、それなりに楽しく過ごせた。

でも家庭はぐっちゃぐちゃで、母からよくなじられた。

「お前が信心深くないから家庭が上手くいかない。」

「お前が(ryから父さんもあまり家庭と向かい合ってくれない。」

父も父で、母に対して気に喰わないことがあると自分を経由して文句を伝えさせようとしてきた。

言わないとそれはそれで面倒なので、父の伝言を母に伝えた。

母は激怒し、私に当たり、そして父にこう伝えろ、と迫る。

その伝言を父に伝えても、特に私に当たったりなどは無かった。

そういう板挟みが続いたころ、もうどうしようもなく死にたくなって、自宅で包丁飛び降りコンボを使って未遂を起こした。

ベランダの上に立って、首を切った瞬間に飛び降りようとしたのだった。

首にあてがった包丁感覚は今でも覚えている。

その時、家には誰も居なかったのだが、実行しようとしたタイミングで母が帰ってきていた。

私は母に気が付かず、後ろから羽交い絞めにされた。

母は号泣していた。

この人、昔心中を迫ってきたくせに泣くんだなと思った。

あなたはこんなことする子じゃないでしょ、何があったの?」

いやいや、目の前でこんなことをしようとしてたのが、アンタの子だよ。

そういう事件中学に上がるまでに二回ほどあった。

ショックを受けた母はどんどん宗教にのめり込んだ。

中学に上がってから記憶もあまりない、気が付いたら中二の年越しで食物アレルギーを起こした。

唯一携帯電話を持っている友人が私の家族電話しても全く出ず、友人たちは仕方なく私を自宅に運んでくれた。

寒い寒い、とうわごとを繰り返す私に友人が毛布を掛けて温めてくれる。

両親が帰ってきたのはそれから2~30分後。宗教集会に行っていたらしい。

私の状態さらに悪くなっていて、意識が途切れ途切れだった。

そして病院に運び込まれ、友人と両親、私は病院で年越しをした。

翌日、小児科医師が私の様子を見に来た。

蕎麦アレルギーで年越しとは幸先が悪いねハハハ。ところで、その手首の傷は自分でやったの?」

思いがけない質問が飛んできたけれど、意を決して私は頷いた。

あとで知ったけれど、その医師は小児神経科も診ることが出来る人だった。

「目の下のクマもすごいね、週にどれくらい寝てるの?」

「…二時間くらい。」

「何とかしたいと思う?」

私は静かにうなずいた。

その日から私の精神疾患に対して、具体的な治療が始まった。

私につけられた診断名は自律神経失調症とそれで発生した鬱、そして重度の不眠だった。

治療内容は、ルボックスという抗うつ剤と、生活リズムを記録につけるように指示された。

治療は三歩進んで二歩下がるという感じの速度で進んでいき、気が付いたらリストカットをやめていた。

鬱がひどい時でも気合いのような何かで無理くり体を動かし、学校へ通った。

精神的に辛くて行きたくない時は、母が私をぶん殴って無理やり車に乗せ、保健室に突っ込まれた。

そんな凸凹でも何とか成績は維持していたらしく、高校入試指定校推薦を受けることが出来た。

ちなみにこの時点でまだ鬱の治療は続いている。

高校合格した時、母の言葉を未だに覚えている。

「お母さんの信心が届いたおかげよ。」

この人は自分のやっている事しか見えていないんだな、と思った。

不思議なことに落胆はしなかった。

あきらめていたんだと思う。

高校楽しい記憶で埋め尽くされていたけれど、相変わらず頭の中は生死の概念を掴むことに夢中だった。

高2の春休みが終わる頃に、自転車日光に行き、華厳の滝に飛び込んで、すべて終わらせようとした。

夜の7時ごろに家を出て、携帯の電源を切って、ひたすら自転車を走らせた。

国道四号線をずっと北上し、もうそろそろ日光につく頃だったと思う。

東の空が明るくなった。

夜明けだ。

夜明けなら、夜はどこに行ったのだろう?

そう思って反対側を見るとまだ夜だった。

月と太陽が同時に見えた。

その時の自然の美しさに心を打たれてしまって、私はその場で泣き崩れた。

けっこうな時間泣いて、家に帰った。

この時は特に家族から怒られることは無かった。

そんなこんなで、そこから数ヶ月経過した高2の夏休み最後に、小児神経科主治医判断により治療がひと段落した。

不眠は改善し、リストカット癖も消えていたからだ。

希死念慮だけは消えてなかった。

主治医見立てでは、「まあ何とか乗り切れると思うよ、強いし。」とのことだった。

実際強かったと思う、よく耐えきれたと思う。

大学入試指定校推薦理系私立短大を受けて、合格した。

大学はかなり白熱した環境だったので研究学業にのめり込んだ。

2年後の卒業を経て、私は教授のツテで食品物流会社就職した。

仕事は楽しかったけれど、忙しい部署にいたのでしょっぱなから残業まみれになった。

そして、就職してから数か月後に精神疾患を再発した。

今度の病名は統合失調症

そこからは闘病しつつも、ちょくちょくバイトを始めて、そして体力的限界で辞めての繰り返しだった。

統失治療を始めてから最初の5年の間に、母はがんで亡くなった。

しかったけれど、多分一般家庭の子供よりは悲しんでいなかったと思う。涙は一応出たけど。

そこから5年後に、当時所属していたコミュニティメンバーの誘いを受けて、ルームシェアみたいな環境引越しをした。

その日から今日までの1年の間に色々なことがあった。

引っ越した月に友達付き合いが続いていた元恋人自死

病名が統合失調症から統合失調感情障害になった。

そこから半年後に父が癌で余命半年の宣告を受け。

自分自身も体調がすぐれないので、実家に戻ってきた。

そして実家に戻ってきたときに、もう一人友達付き合いが続いていた元恋人自死

私が実家引っ越しから、父の治療は順調に事が進み、抗がん剤放射線治療、本人努力甲斐があって腫瘍が消えた。

これには驚かされた、父本人が一番驚いているけども。

あとは5年間再発が無ければ安心とのことだった。

そして現在に至る。

今日は暇だったので、思い出しながら勢いでバババっと書いてみた。

しかしたら時系列おかしくなっているかもしれない。

疲れてめんどくさいので、推敲はしないでアップします。

人生いろいろあるよねってお話でした。

ここまで読んでくださって本当にありがとうございます

お互い、人生を良い旅にしていきましょう。

2018-04-27

文化教育地域格差の話

いろいろ考えたらモニョモニョして眠れなくなったので、寝る前に思っていることを書こうと思う。

深夜のノリでザーッと書き出したので読みづらい文章だったらごめんなさい。


少し前にこんな記事が流れて来た。

http://news.livedoor.com/article/detail/14627657/

すっごい簡単に書くと、田舎にいるとまともな教育を受けられない、受ける権利侵害されている。っていう話。

そのあとに、

http://tmaita77.blogspot.jp/2017/08/2017.html?spref=tw

こんなデータを見た。

進学率の男女比を出したデータだ。2017年現在のものなので、少し古いかもしれない。

こんな私(女性)も田舎出身で、地方から出て来て大都市圏理系大学に通い、仕事についている。

この記事と、データを見ていたところ、めまいがするような衝撃と同時に田舎にいた時の記憶が蘇って来た。


私が住んでいた場所は、この記事を書いた筆者ほど教育リテラシーが低い場所ではなかった。

ちょっと街に出でて、本屋に行けば赤本とか普通に売ってたし、ちょっと街に出れば美術館もあったし、一応Fラン大学も近くにあるような場所

はいえど、ちょっとどこかに遊びに行くといえばジャスコだったり、アリオだったりっていう土地柄でした。

から、まだ高校卒業したあとには大学に行く文化はあったのかなと思う。でも、進学校といっても半分ぐらいは専門学校にいくようなそんな場所だった。

こんな場所で育って、一番強く覚えていて、今でも心に刻まれているのが

「私、理系コースに進んで理系大学に進学する。」

家族に言ったところ

「そんなところ、女が行く場所じゃない。女なんて、医療専門学校や、簿記資格取っておけばいいんだ。婚期が遅れる。早く子供作って孫(ひ孫)の顔見せておくれ。」

キッパリと言われたこと。

正直、かなりショックだった。そのあといろいろあり親を完全に説得して、理系大学に入って今に至る。

(ちなみに、婚期は遅れませんでした!子供はまだ遅くなりそうだけど。。。)

私は、男女比の資料を見て、実際かなり納得した。田舎ほどまだこのような考えを持つ人が多いのは事実だったんだな。と。

高校の時、進路指導室に行っても指定校推薦みたいなものは確かに男性優先だった。。。のかもしれない。

正直、指定校推薦はも貰うつもりがなかったので、AO入試やら、自己推薦入試やらを活用して自分の力で入学を勝ち取った私ですが、

今思うと、高校進路指導室でももしかしたら、話半分に思われていたのかもしれないと感じる。

実際、受かった時の進路指導室は大騒ぎでしたし。

ちなみに、田舎だとまだ理系は男の仕事という印象がかなり強いと感じています。だから余計に大騒ぎだったんじゃないかなと思う。


あともう一つ、今でも抜けない感覚がある。

「女は男に尽くすもの

という感覚

具体的には、

結婚して、夫に指摘されていろいろ気がつきつつある感覚なんだが、私が生まれ育った田舎だとご飯を食べるのは男性が先。

家族揃っていただきますをする感覚は正直なかった。

家事をやるのも、基本女性仕事。お手伝いなにそれおいしいの。

女性男性に尽くすことができなくなったら用済み。終わり。

男性の体調管理女性仕事

女は男性を超えることは許されない。

どんな時でも男性が一番。男性のいうことに口答えするのは許されない。

実際、私よりも弟の方が大事にされていたのは事実

私の夫は都会育ちなので、こういう感覚はないらしい。

私は、こういう感覚を気がついたら意識せず植えつけられていたらしい。


少し前には、鹿児島知事

「女に三角関数を教えてなにになる」

みたいな発言をして大問題になりましたが、進学率が地方女性ほど、私みたいな考え方を自然に植えつけられているのかもしれない。

から男性を越えるような行為を行うことはあり得ない、恥だと考えるような感覚地域に染み付いているのではないか?と今私は思っています

私はこのような感覚100%ダメだとは思っていないです。性差適材適所があるのが事実だとは思っているので。

はいえど、この感覚で気がつかないうちに自分の才能や夢を諦めさせられている人がいるのは悲しいかなとは思ってしまう。

私はおそらくこのような文化を気がつかないうちにぶっ壊して、今の立場にいるのかなと思っています

でも、この空気感感覚が本当にできる人を潰しているのであれば、男女間の教育権利侵害されているのではないかと思ってしまった、そんな一女性の嘆きでした。

2018-03-30

就活序盤(なのか?)サンプル1

理学系1留マーチぐらいのサンプルをどうぞ

去年の夏ごろから意識をし始めて、夏は1デーのインターンに行ったりしていた(選考があったところは全落したので)

1留かつ単位も残ってるのもあってこんな状態じゃ就職厳しいだろうなと半分パニックになってたら

結局ES自己PRもまともに書けず、学校の方も留年は免れたけど4年にも3授業分単位が残ってるような状態になってた

3月に入ってからは、あらかじめ就活サイトの方で目星付けてた会社説明会に行ってたりしたんだけど

満員だったり、行ってみたい説明会バッティングしたり体調崩したりして結局週3ぐらいでしか動いてない

三週目あたりからテストセンター行ったり無理やりひねり出して添削も受けてないようなES出したりしてた

それでも筆記で受けた所はパスしてたし、本当に読んでいるのか怪しいようなESも通ったりする

(まだ大きい企業は受けてないからかもしれないけど てか多分そう)

そしてこの1,2週間は面接をいくつか受けてきた

とにかく緊張で何も言葉が出てこなかった 慣れれば大丈夫 なんて言うけど多分自分は何回やっても無理そう

そもそも友達もいないしバイト以外では声も出さないような人間から即興でなんか言えといわれても頭がフリーズしてなんにもでてこない

自分でも不十分なのがわかるESの粗を突かれるわけでもちろんしどろもどろの返答しかできない

付け焼刃テストセンターのついでに志望分野に関連する資格を取ったけど(インターンで知ってはいたけど)なんの意味もない

このまま秋、冬までずるずると就活する自分が割とリアルに浮かんだ

しか自分が死亡している業界が割とブラックなのもあって大企業にしがみつこうと思ったら6月までには決まってないと厳しいとも言われたのもあってパニックが炸裂している

ここまで文章を読んでもらった人にはわかって頂けると思うけど文章能力もなければキャパティコミュニケーション能力もない

大学指定校推薦で入った(めちゃくちゃ後悔してる 自分みたいに社交能力がない奴が入ると自力解決できなくなるし受験の禊をしてない分打たれ弱いなって自分でも思う やめた方がいい)

さんざん就活の為に動く時間はあった けどバイトだったり授業だったり既に不利な立場にあるってところで真剣に向き合うのが怖かった 言い訳しかできない

一昨日、まともな会話にすらなってなかった面接の後に会社最寄り駅の桜を無になってみてたら涙が止まらなかった

桜を見て泣いている就活生っぽい人がいたら花粉症がさく裂しているだけなので宗教の勧誘とかは辞めてください

今日web系のところで未経験可、入社から研修付の所を見たりして

ES作成物のリンクがあったので大学の授業で作ったC++簡単数値計算プログラミングを無理やりほぼやったことないjavascriptで書き直したりしてた 楽しい 大学情報系にすればよかった

現実逃避である 死ぬがよい

どうなるのか メンタルがすり減り引きこもりorニートになるのか

無理やり入った会社奨学金返済に追われながら口に糊するのか

わかり次第追記しま

2018-03-22

アメリカ交換留学できてるのだが、辛い

当方理系学部生。

ちょっと英語が得意だったつもりだったため、留学に応募したら散々だった。

まず話せない。準備をしてなかったからだが、グーグル先生がなんとかしてくれるだろ、って思ったらどうしようもなかった。

Toeic は 800 を超えたけど、全然だった。リスニングシャドーイングで、リーディング多読でいけたけど、それ以外はウンコ

学校にも迷惑かけてるし、自分のせいで後輩たちが留学できないかもしれない。指定校推薦の連中の背負うもの理解できた。

腹でも切るかな。日本人らしく。

2018-01-10

指定校推薦て何のためにあるんだ本気で

私にポエムを書かせてください

受験生携帯弄ってる場合じゃないかもしれないけど、打ったら気がすむと思うから投稿させてください。)

センター試験は3日後。

私は私立文系三科目型ということもあり、国立志望の子理系の子と比べたらまだ私は辛くない方かも?と毎日塾の帰り道で自分に言い聞かせてはなんとか合格を勝ち取るために努力してるつもり。ではある。

でも、毎日頑張ってるのに、勉強が直接的な原因じゃないことで、メンタルがやられてる。ここ3、4ヶ月の話。誰にも助けを求められずにいることがある。

指定校推薦

9月に学年全体に指定校推薦の案内があった。偏差値は50〜5の学校なので、有名大学への進学率の上昇に奮闘中。

私の学校制度は、頭のいい子から順に早慶に推薦出すのではないくて、一定の成績+役職部長だとか)+自己推薦文なので、先生達は推薦に関して

「成績だけじゃ駄目だ。リーダーシップのある子をしっかり選ぶ。だから勉強だけ真面目にやってる君達はそのまま真っ直ぐ努力してくれ。」

みたいなことを何度か言った。私はそれを信じた。

習熟度別のクラスは1番上。部活部長委員会委員長行事クラス単位での重役を何個かやった。自分から進んで何かとやるタイプだ。自他共にそう認めてる。と思う。

でも

私は推薦に落ちた。

受かった子は学年で1番頭のいい子だった。

それまではまだよかった。

そこまでは。

今でも思い出すのは9/11のことだ。自己推薦文を書いた紙は職員室へ決められた時間帯に提出だったから、ライバルとすれ違う可能性が高くて、案の定私の場合はそうだった。目を合わせないように下を向いて私は歩いた。

運が悪いことに、受かった子と落ちた子(私)は普段HRの席が隣同士。よく話す。(今となっては全く口聞かない)翌日の12日周りの友達にはお互いバレないようには接したし、私も普通にしかけたりしていたが、休み時間に言われたことが、あの日からずっと心に深くて、痛い、引っかき傷をつけたままだ。

「私、昨日徹夜したんだよね。だから今日眠い。」と。

この後に続く言葉は「(私は昨日ずっと準備してきた自己推薦文練りに練って徹夜してまで懸命にやりました負けるつもりはありません)」だ。多分。

顔つきからしても完全に威嚇行為だった。

傷ついた。当たり障りのないそんな言葉で。私以外の誰も聞いてないその状況で。何ならもっとストレートに、意地悪に、その優等生という仮面を引き剥がして、言って欲しかった。

結局あなたは受かったじゃない、きっと3月になったら慶◯受かったよとか私に言うのかな、私はあなたとのプレゼンの準備の時だって原稿を家で書いたり資料集めたり率先してやって、あなたはそれを有難うと言うだけだったのに、私と違って部長でも委員長でもないのに、通ったじゃない推薦に。

でも、あなたは1番頭が良かったから仕方がない、ではもう妥協できないよ。

今のはおまけだけど(先生達が本当の基準を初めから言ってくれたならよかった)こうやって今までずっとじわじわ嫌いが増し続けていた。担任に何かの紙を単独で貰ってるのを目撃するたびに確信も増してくし。下手くそか。徹底的に隠すんじゃなかったのかよ。もう忘れるにも忘れられないし全部知ってんだよばーか

でも席隣だし、でも毎日顔合わせるし、でも担任に「私、隣の席の子が私が落ちた◯應の指定校推薦受かったの知ってるんで、毎日心臓えぐりとれそうなくらい苦しいので、席替えしてください」は言えないじゃんやっぱり、言う勇気ないじゃん、もう18だし。

推薦に受かってからあなたは良いよね、元がポーカーフェイスから私をひどく傷つけただけで、誰も推薦だと疑わない。今までもこれからも。

この1年間ずっと席が隣だった(何度も言う)。世界史を教えてもらった時は助かったけど、2学期は憎くて仕方なかった。推薦通ったことじゃなくて、私のことを故意に傷つけたあの一言が全ての原因だ。頭が良いだけで考えが稚拙人間なお前が半年先に合格決めたことが許せない。指定校推薦て何のためにあるんだ本気で。

マーチ指定校推薦とった奴も、私のこと2年間くらい集団いじめしてたグループ主犯格だし。クソが。

もう〜〜〜〜今年おみくじ引いてないから知らんけど、神様、こんなに私は別の意味で重苦しかったんだからセンター利用マーチは頂戴よね〜〜〜〜

2017-11-05

anond:20171105194417

今、それくらいの私立って、付属からエスカレーターとか指定校推薦とかAO入試が大半じゃないの?

指定校推薦きまって、卒業までの数か月でキラキラに変身すべく必死努力していた女なら知ってる。

2017-08-26

馬鹿大学に行ったせいで人生無駄な苦労をした

私は絶対浪人するわけにはいかなかった。

兄が浪人したとき予備校費用が余計にかかることに対して親は散々文句を言っていた。

受験は大変なんだと兄には口を酸っぱくして言われた。

教師には、やりたいことができる大学を選べと言われた。

名前ではなく、自分に合っていると思える大学を選ぶのが大事なんだと。

偏差値判断する時代は終わったのだという。

私は受験を避けた。

幸いにも学校の成績は悪くなかったので、指定校推薦の枠を使うことにした。

校内の選考にさえ通ってしまえば、大学側での試験で落とされることはまず無いという制度だ。

選考も成績の数値順で通るだけなのでこちらも心配ない。

友人たちには勿体ないと言われた。

もっと上の大学が狙えるのだという。

しかし私はあまり興味を持てなかったし、何が変わるとも思わなかった。

要するに世間知らずだったのだ。

2017-06-28

指定校推薦ゴミだと思う

就活の際、学歴の欄に...大学指定校)とでも書いておけば良い。

2017-05-27

http://anond.hatelabo.jp/20170527011529

きっとすごくきみはいましんどくてたまらないのだろう。

のしんどさが少しでもやわらぐといいなと思って書きます

カリキュラムの件は残念だったね、としか言いようがない。

選んでしまったことは受け入れるか、やめるしかない。

きみが指定校推薦公募制推薦を受けることを希望しないなら、授業はてきとーにやっつければいい。

受験科目について、別にから変えてもいいんじゃないかな、とおもう。

受験する学校だって、無理に外国語学部にこだわる必要はないんじゃないかな。

とにかく、何とかして大学に行くことだけ考えてみるのもいいかもしれない。

私の妹は私から見れば、「要領悪いし勉強できないやつ」だった。

美大に進学して、ある日図書館で借りてきた本を読んで、「世界史面白い勉強面白い!」となって、それ以来よく本を読み、作品を作り、卒業していった。

(しきりにゴンブリッヂ先生がーと言っていた。元増田もよかったら読んでほしい。私は読んだことはない。)

知識を得るだけでなく、組み合わせること、表現すること。それを妹はよく実践していた。

今は販売仕事をしているが、「お客さんにどうしたら興味を持ってもらえるか?」 情報仕入れたり、実践したり楽しそうだ。

妹は大学で、まさしく学びのあり方を学び、卒業した今も実践しているのだと、誇らしく思う。人間として尊敬している。

高校は通過点だ。いまこのとき人生の長い長い時間の一瞬だ。

いつだって、学びなおせる。それをいかして生きていける。

世界について学ぼうと思ったとき、回りと自分を比べる必要はない。自分の力で学んでいけばいい。



ぶっちゃけいくら進学校だったって入学時にそんな進路に関わる無茶苦茶選択させるんじゃねえよとか、分割履修やめろ転入とき面倒なんだよとかそんな気持ちです。

以上現場よりお伝えしました。

2017-02-10

しゅうかつこわい

本格スタートが目前に迫った今、改めて思う。

就活が怖い。

私は、所謂MARCHと呼ばれる学校に通う大学3年の女だ。

とある地方出身で、3年前大学入学のために上京してきた。

就活が怖い。

私は、競争という競争をしないで生きてきた。中学までは地元公立高校ほとんど勉強せずに入れたし、大学指定校推薦で決めた。

年代との「人生をかけた競争」をしたことがないのだ。

就活が怖い。

これが初めての競争になる。右も左も分からない。辛いことは全部避けて生きてきた。そんな自分が1人で戦っていけるだろうか。

就活が怖い。

内定が取れるか取れないかじゃない。

就活を通して自分メンタルがどう崩壊していくか」

これが分からないんだ。

から私は就活が怖い。

2017-01-22

首都圏の某私立高校

かなり昔の話になるが、僕が出た首都圏の某私立高校はやばかった。

高校受験偏差値一覧表を見ると60は一応超えて進学校に見える。

だけど実態はひどかった。

具体的に言うと異常な行動をする生徒がちらほらと居たからだ。

まあ、今からかなり前なので多少の改善はしているかもしれない?が

何が異常かと言うと、風俗狂い、校外で当時合法だった脱法ドラッグで乱行パーティーしてる輩、学校内での盗難の多さ。

それに飲酒喫煙とひどかった。

もちろんそれはほぼ全員でなく一部生徒がそのような逸脱した行為を行なっているから目立つのであるが。

ただ、正直言って偏差値に見合うレベル学校でない。

授業に関しても超底辺、中下位クラスでもほとんど成立してない。

動物園だ。

ちなみになぜそこまで酷かったのか答えは簡単だ、スポーツ推薦や中学指定校推薦事実上の一科目入試書類だけで入れる推薦入試などの入試を経て入る人の比率が圧倒的に多く、

一般的入学試験を受けて入るが全体の20パーセント未満であったからだ。


あと特質すべき点は、スポーツ推薦で入る面子尋常でなくレベルが低いことだ。

一般的スポーツ推薦で入る人はマナーがいいだとか挨拶をしっかりとするとかっていうイメージがあると思うが、そんな聖人君子みたいなのはいなかった。

そんな生徒は監督や一部の教師の前では借りてきた猫のような態度を示し、そうでないとき尋常でなく横柄な態度をとる生徒が多かったし、授業は全部寝ていた(威厳のある先生の前でも堂々と寝ていたので、授業は寝ることを指示していたのかと思うくらい)、それにテストではカンニングは横行していた。

また学年によってはそう言った生徒によるおごりの強要恐喝じみた行為蔓延していたらしい。

しかもあれだけ豪華な施設を持っているのに関わらず、野球などは大会に出るとほぼ必ず地方予選の二回戦三回戦で負けて、弱小校としか言えない悲惨な状況であったそうだ。

ではどうしてスポーツ推薦で入った生徒のレベルが低いのか、理由は二つある。

まず、首都圏には早慶マーチ日東駒専などまともな大学付属学校がたくさんあり、

本当にスポーツができる、または、スポーツはまあまあだが勉強ができる生徒は大抵、まともな大学に進める高校に行くからである

2つ目の理由学校施設が余分に豪華で、一日の維持費が200万かかる(噂)の施設サッカーコート野球場ラグビー場、バスケットコート柔道場、剣道場、水泳場とそれぞれ2つずつあったり。

さらトレーニングセンター野球の室内練習場、さらには豪華博物館もどき施設図書館が6つ、さらには語学研修センター的なもの(一般生徒は使えない)などありそこら辺の大学よりも豪華なので(一応大学も同じ敷地にあるがそれらの施設ほとんど大学生が使えないらしい)維持費は相当かかる。

から生徒のレベルが低かろうと大量の生徒を受け入れないと維持できないという理由からだ。

また国や地方自治体から補助金は生徒の人数に応じて額が決まると言うのも要因であるからであろう。

以上の理由で質の悪い生徒を相当受け入れざるを得ない状況にあるのだ。


そのほかにも、僕の経験した中でインパクトに残っていたことをいくつかあげると、不良の生徒10名前後が学校を終えたら騒音撒き散らしベンツBMWに乗って暴走行為を始めたり、改造バイクに乗って騒音を発するなどの行為をしていたことだ。

だが、授業中はほぼ100%寝ていたのでほとんど無害であることが救いであった。

ちなみにその生徒は皆町田中学から推薦で上がってきたそうだ。

あとは薬物乱行パーティーの件だがこれもやはり町田中学から推薦できたやつが中学の時の女やその仲間を連れて、サッカー部スタメン落ちやよく分からない運動部の生徒と一緒に

脱法ドラッグ使用し乱行騒動を行なっていたという公然の秘密があった。

しか高校生なのにも関わらず、風俗パチンコ狂いもかなりいたし、女子生徒は金髪が当たり前(校則では禁止されていたが)で結婚している生徒もうじゃうじゃいた。

で、進学校自称しているのにも関わらず、普通科大学に行く連中は大抵は推薦でニッコマレベル大学一般入試組は大東亜帝国、実力でマーチに行けば内部で頭がとてもいいと大絶賛される、それに専門学校への進学者もそこそこ居た。(一時期話題になった典型的自称進学校?)

ちなみに早慶へ行く人たちは大抵が帰国子女だったりでAO入試での合格者だそうだ。

以上の理由で、こんなところ学校じゃない、僕の仲間(内部進学者)は口を揃えて、みんな行くべきでなかったと言っていた。




最後に、学園長理事にやけに弁護士が多いのは何でですかね〜

2017-01-20

静岡県韮山高校の体育の授業について まとめ

10年以上前情報も含まれているので、現在とは異なっている可能性もあります

服装

女子は股下10cm丈の黒いショートパンツホットパンツ?)。体育座りをすると下着やナプキンが見えてしまう。

・太っている生徒は露出した腿がこすれて股ずれを起こしてしまい、赤く腫れあがることがあるが、特に配慮されない。クロカンでは身体的にも精神的にも激しい苦痛を伴う(後述)

ジャージの着用は禁止。そもそも学校指定ジャージはない。冬期に寒冷じんましんが出る生徒がいるが、特に配慮されない。

・準備体操まではジャージを着用していても良い。その際のジャージ部活ジャージでも私物でもなんでもいい。

●韮高体操、二人組、ダンス、マット運動

特筆すべき点なし。他校と同じ普通の体育。

以下、補講が科せられる授業について記します。

水泳

・ひたすら泳がされた。

・泳ぎ方は教えてくれなかった。平泳ぎは手足の動かし方が分からなくてできなかった。

・泳ぎ方を教えてほしいと教員に頼むと「他のやつを見て自分で学べ」と言われる。

・授業を欠席・見学すると放課後に補講があり、500m泳がされた。

・補講では足をついていいのはプールの端だけというルールがあった。つまり50mは足をつかずに泳がなくてはならない。

・足をつくと50m無効になった。

・まったく泳げない生徒は10m泳いでは足をつき、プールの端まで戻り、また10m泳いでは足をつき・・・を2時間繰り返し、教員から「もうお前帰っていいよ」といわれるのを待たなければならなかった。

●新体力テスト

韮山高校は新体力テストが男女とも県1位なのを誇っており、新体力テストで記録を伸ばすためにさまざまな工夫(と不正)を行っていた。

・まず全種目のテストを行い、2ヶ月間授業と補講でトレーニングを重ねて記録を伸ばしていく方式

最初テスト目標値に達しなかった種目があると補講票が渡された。

・補講票はA7くらいの紙片で、種目名と氏名欄、補講日とその日の記録を書く欄があった。

・各種目、少なくとも週1日は補講日が設定されていた。

シャトルランなど補講対象者が多い種目は週3日などもあった。

・補講は放課後に行われた。反復横跳びなら反復横跳びを行い、記録を補講票に書いて体育課に提出した。

・記録が目標値に達していれば補講票は返却されない。もうその種目の補講に出る必要はないということ。

・記録が目標値に達していないと「再」のハンコが押されて翌日朝にHRで返却された。

目標値に達するまでは、何回でも補講に出席し続ける必要があった。

・体育の授業での記録を補講票に書いても良いことになっていた。

・体育が苦手な生徒は複数種目で目標値未満なことが多いので、毎日補講に出る必要があった。

・補講が長引いたり、毎日のように補講に出ていると部活動への参加が遅くなってしまった。

・補講は部活動に優先したが、補講のせいで部活動に遅れると顧問から叱責された。

シャトルランの補講に週3回出ていると疲労が溜まって記録がどんどん悪くなった。

・補講対象者が減ってくると一日で全種目を行うこともあった。疲れるし、部活に出られなくなった。

・結局、補講を終わらせるために生徒は実際の記録より高い記録を補講票に書くようになった。

・そもそもこの補講システム、生徒が自発的に記録を改ざんするのを狙っていたようだ。

・補講システムが功を奏し、韮高は十年以上連続で新体力テスト県内1位を達成している。チーム韮山の成果である

クロカン

・授業では女子は30分~40分で5km走る。男子は同7km

・授業時間内に走りきれない人は前の授業を途中で抜けて、先に準備してスタートするよう指示があった

・全授業で、絶対指定された距離を走らなければならない。脱落は罪。

・途中で過呼吸を起こすなどしてリタイアした人や授業時間に間に合わなかった人は教員に車で回収されるが、その際必ず罵倒された

 「気持ちが足りない」「気持ちが弱い」「気持ちが表に出ている」など抽象的に罵倒された

男子生徒は背中、肩などを殴られることもあった。

ぜんそくやチアノーゼを起こしている人も罵倒されていたし殴られていた。

・さすがに女子には体罰はなかった。

・太っていたり脚が太い生徒は股ずれが悪化出血することがあった。

・股ずれの出血は、はた目には急に生理が始まったようにも見える。恥ずかしさのあまりか、顔を覆って泣きながら走っている生徒がいた。

・股ずれを理由とした体育の見学許可されなかった。

見学した人は後日の放課後に授業と同じ距離を走るノルマがあった。

・たとえば1週間風邪を引いて授業を3回休むと5km*3=15kmが課せられる。風邪が治り次第毎日走って少しずつ返済しなくてはならない。

クロカン本番の順位指定校推薦と密接な関係があると聞いたことがある。

●「韮高の体育は第二の入試

・「韮高の体育は第二の入試」という言い回しがあった。主にお互いを励ますときに使ったりした。

・「韮高の体育は高校入試並みに辛く厳しい」の意だが、体育に耐えられなくて不登校になったり、中退したりしてしまう生徒がいるのは仕方がない、という意味もある。その生徒は「第二の入試」に不合格になった、ということ。

・実際、不登校になって中退する生徒は多い(後述)。

●影響

自律神経失調症になってしまう生徒がいた。

文化部女子生徒を中心に、市販薬の乱用が流行した。「ロキソニンを5錠飲んでから走るとお腹が痛くならない」などのテクニックが広まっていた。

中退率は2%台後半から3%。一応進学校なのに全国平均を大きく上回っている。

(もちろん海外留学などポジティブ理由中退も含まれる)

●近年の動向

地域中学校進学塾でも「韮高の体育は厳しい」と知られるようになったため、

体育が苦手な受験生三島北・沼津東に流れる傾向がある。

そのため韮高生の平均レベルが上がってしまい、体育な苦手な生徒にとってさら過酷環境になった。

2016-08-29

結婚してもしなくても子無しが正解。

自分が生まれて育てられてきておいて何だが、今の日本社会は産むのも育てるのも生きるのもしんどいのに、わざわざ子を持つ理由がない。

本能とか子孫繁栄かいうやつは理性がなさすぎ。

つべこべ言わず産んでから考えて生活してる人が大半だと思うが、それで何が得られて何を犠牲にしているか考えても同じこと言うだろうか?

こういった時の反論の1つに、子供かわいいとか育てて一人前というような「経験してみて初めて分かって、自分も成長する」のような宗教観に近い自己啓発論。

自分の息子・娘が何事もなく、己が思う真っ当な人生を送れるとでも思ってるのが甚だしい。

君たちは自分の息子・娘が性欲を満たすために暴走したり、メール無視されたから殺してやったり、マットやコンクリートに沈めたり、誰でも良かったから殺してみたかったとか、金に困ればすぐ股開いてビデオ撮らせるとか、無関係だと思っているのか?

犯罪でなくても、タバコの火で部室燃やしてしま指定校推薦で入った高校なのに甲子園行けず無期停学になりましたとか、深夜のスーパーで騒いだネタ炎上してニートになるとか、ありえないと思っているのか?

そういうのは自分とは無縁だと信じて疑わない人に限ってN=1の再現性のない子育て論を大事に抱えてる。

またバカな子無しが適当なこと書いてると思う者もいるだろうが、それが子ありの人なら、明日ご子息・ご令嬢が犯罪なり揉めごとを起こして警察学校から連絡がこない理由があるかね?

今どきは15歳まで医療費無料だったり子供手当など支給されたこともあったり、少子化公立学校なら一人当りの単価が高い授業料税金負担してたり、昔より税金が使われているのに、自分の息子・娘が社会不良債権にならずに税金年金を納められるほど、(それぞれが思う)まともな教育を受けて仕事につけられるかね?

まともな教育仕事につけたとして、自分の息子・娘だけはなぜ社会不良債権にならずに真っ当な人生を歩めると思っているのか、その根拠が知りたい。

年金を納める話をしたが、子無しの分際で年金もらおうなんてクズだと意見もあるだろう。

そもそも子がいたって、あなたの子供は年金納められるだけの価値を生み出してる子供なんですか?って話だ。

例えば、年収たかだか300-400万だと納める税金年金より当人に使われる税金の方が多く、同等額の税金を納める人は人口の数%なのに、それでも子無しが社会に貢献していない論調勘違いが過ぎる。

しろ税金で生かしてやっているのこちら側だ。

税金優遇を受けているのに社会還元できませんて、そんな人に税金使うな。

私立Fラン大学であろうと、文科省から助成金受けて高等教育受けさせてるのニートのままにさせておくな。

あと、実質的介護の話で、自分が老いたり介護必要になったら家族な手助けが必要だというが、子ありの君たちは介護させるために子を持つのか?

子に自分介護を当てにしながら生きているのか?と問いたい。

子ありほど独身や子無し世帯バカにしている風潮にしているが、こちら側からすれば、今の日本において子ありほど人をバカにした生き方はない。

子供かわいい

小さい子供でも高校生でも自分の子供なら尚かわいいと思うだろうが、生活子供リスクしかないし、他人の子供は迷惑存在しか過ぎない。

2016-04-14

リスカメンヘラの後輩女子と、男二態

サークルの後輩に、ちょっと何かあるとすぐリスカしたくなって、リスカしたら片っ端から男に「もうだめしにたい」って電話かける子がいた

初めて彼女メンヘラ癖が明らかになったのは、私の同期の友人男子にあてて「もうしにたい…」と電話がかかってきた時で、

びっくりした純朴な友人男子は、同じサークルにいた私の彼氏にあわてて電話をかけてきた。

ちょうど彼氏と一緒に居たので、私もいるよーと電話ごしに言ったら、ちょうどよかった二人とも来てくれ○○がしにたいといってると、あわてた様子だ。

私は、その時はまだ彼女メンヘラだと全然気づかなかったので、わー大変行ってあげよう慰められることでもあれば、と思ってあわてたのだが

彼氏はあわてずに「それは行かない方が良いよ」と言う。昨日は俺のところにかけてきた。夜中に何言ってんだ無理と言ったら電話切られたけどまだ生きてる。アイツのフェイクだ、周りをあわてさせて快感を得ているだけだと。

えーなんじゃそれ…と思ったが、とはいえ、こちらも気が落ち着かないし本当に何かあったら困るということで、取りあえず何かあったらタクシーで駆けつけられる場所で飲んでよう、と友人と合流して渋谷の安居酒屋で飲むことに。

彼氏は「もう一度、後輩からお前(友人男子)に電話がかかってきたら、ちゃんと何があってしにたいのか話を聞いて、納得したらお前が行けばいい」「たぶん、かかってこないと思うけど」と言う。

しばらくすると、今度は、私彼氏携帯メンヘラ後輩女子から電話がかかってきた。着信を見て、私たちは「…ああ。」と何となく状況を理解した。

彼氏が、私に携帯を渡してきたので、私は電話に出て「今××くんと友人くんと一緒にいるんだよ、大丈夫心配してるよー今から行こうか?」と行ったら、しばらくの沈黙の後「…いいです。だいじょうぶです」と返事があった。

大丈夫だったならよかったねーなんてのんきに思いつつ、なんで彼氏は驚かなかったの?フェイだって分かったの?と聞いたら、高校時代メンヘラ女に付きまとわれた経験があるらしい。

の子も、夜中に「…しにたい。会いたい…」と電話をかけてきたらしいが、ある日プチっとキレて、付き合ってもないし興味もない女のために何故俺が夜中に安眠を妨げられるいわれがあるかと、

「いやごめん、眠いから無理。お前非常識」と電話を切ったら、以降は彼氏には電話がかかってこず、一か月ぐらい後に、クラスの別の男子の自宅で彼女リスカして双方の親と学校を巻き込んで大騒ぎになったと。

「夜中に死にたいなんて言って人に迷惑かける奴の相手をまともにしたら、こっちが付け込まれるだけだぞ」と、友人男子と私は説教?をくらった。

死にたい、だけじゃなくて「俺はもうだめだ」とか「ちょっと消えます」とか、迷惑の程度に差こそあれ、こういうのは全部かまってちゃんメンヘラだ。

付き合いたい奴は付き合えばいいが、その末路は、自分の部屋を血だらけにされて家族先生に怒られて、大学指定校推薦が取り消されて…なんてのがオチで。

当該のメンヘラ後輩は、半年後ぐらいに「あれ何だったの?」と聞いてみたら、ケロッとして「彼氏喧嘩たから、どっちかとヤるのもアリかなと思って」言っていた。

それまでは、私と彼氏が付き合ってるのは後輩たちには内緒にしていたので「そうなんだ、うーんでも私、彼氏くんと付き合ってんだよね」って釘を刺しておいた。

メンヘラ後輩は「えーそうなんですか!いつから?えーそんな前から?だから電話しても冷たかったのかな」と、間違った解釈で納得しようとしていたので、

「ちがうよ、そうやって人を試すようなことをしていると、そのうち誰からも大切にされなくなっちゃうよ」と答えておいたが、ピンと来たかどうかは分からない。

2016-03-17

底辺校卒の学歴コンプの経歴

高2の時の進路相談でウチの高校は98%の生徒が大学へ進学する(96%がAO入試指定校推薦)なため就職するという選択肢はなく、自然と進学することを選んだのですが、受験意識したのは高3の8月でした

人気校は校内で評定平均の争いが激しくニッコマレベル大学でも評定4.6ないと推薦してもらえないような現象が起きており、元々評定3程度しかなかった私は一般受験大学へ行くことをキメました

私は、高3の時に志望していた偏差値50台前半の大学に落ち、浪人させてくれるように親に頼みましたが親に浪人はクソだ絶対にさせないと言われ、田舎偏差値40台後半の高校卒業後、3月の後期入試偏差値35(河合塾)の底辺私立文系一般受験合格し現役で進学しました

しかし、無理やり入学した大学だったので全く興味のない学問2ちゃんでの叩かれっぷりと学内の暗くて無気力雰囲気と推薦で入ってきた同じ高校の知り合いの馬鹿さ加減に嫌気がさし、大学受験することを誓い6月から学校へ行かなくなりました

予備校へ話を聞きに言ったりもしましたが途中からキツイなどと言われ8月までは参考書を使い独学で勉強をしていました、

9月に親がやっと納得したので大学をやめ、学年で唯一浪人している友達が通っている駿台へ話を聞きに行きました

そこで私は政治経済選択で私立を受けると言って、私立向けの政治経済の授業があると聞いたので入学したのですが入学した途端に「政治経済の授業はない」「私大政治経済センター政治経済で補える」などと言われ騙されたことに気が付きました

私は、駿台予備校を2日で退学しました。少しはお金を返して貰えたのですが7万円ほどは返って来ませんでした

そこで次に途中からでも自分のペースで進んでいける映像形式の塾へ説明を聞きに行き、次こそは間違いのないように説明を聞きそこへ入学しました

次回へ続く

2016-03-12

広島万引き誤認の推薦取り消し問題の影に潜む、泣き寝入りする学生存在

高校生時代の仲が良かった友人の話。

仮にここでは、B君とする。


B君も自分高校3年生に進級し、いよいよ受験生の仲間入り。


彼は、今までの出席とか評定平均を見て、指定校推薦を選んだのね。

この手法指定校推薦の是非は置いとくとして、彼はとある大学への指定校推薦教師に頼んだ。


受け持った教師は、評定平均の確認やその他諸々も終えて、オッケーサインを出したのね。

まり、まあほとんど合格ですよってこと。


それで、彼は喜んでいたんだけれど、1ヶ月ほど経った後、自分に「勉強を教えてくれ」といきなり来たの。

「え、どしたんオマエ指定校推薦だったやん、なんで?」と聞くと、


「推薦がポシャってしまたから、一般入試を受けなきゃいけなくなった」


自分一般入試組で推薦入試にも詳しくなかったから、大学側の基準が相当に厳しいものだったのかなあ

指定校推薦も舐めたもんじゃねえなあ、恐ろしいとか思ってたら、そういうことではなかった。


「評定平均の数値」を教師が間違えて算出してたの。

どんな計算かは知らないけど、とにかくミスっちゃって、わずかだけど実際よりも高く見積もってしまった。

その結果、志望してた大学の推薦基準には届かなくなってしまい、推薦も出せなくなった。


このミスが、指定校を決めた時点ですぐに判明してたら別に問題などなかったんだけど、

実際に判明したのは、ほとんどの大学指定校推薦の出願時期が終わった時期だったんよ。


彼には他にも2、3個大学の候補があって、第一希望ダメだと分かれば当然志望校は変えたんだろうけど、

第二希望以下の大学の出願時期も終わってて、つまるところ指定校推薦不可能になってしまった。

教師からは「悪いことをしたが、一般で頑張ってくれ」との旨を伝えられて途方に暮れていた。

から一般入試である自分のところに来たと。


最初に聞いた時には、あぜんとした。口ぽっかり。

勉強を教える云々の前に、そんなことがあって何で問題にならないんだ???と頭の中はハテナマーク混乱状態


本人もすごく怒っていたけれど、まあそんなこと言ってても仕方ないねと、一緒に勉強し始めたんね。

あんまりこっちから何かできたとは思わないけど、彼はすごくバイタリティのある人で頑張って勉強してた。


それで、B君は一応のレベル大学に進学できたんだけど、当初望んでいた大学とは就職率その他諸々に歴然たる差があった。


終わったことだからと、かれはおくびにも出さずにその大学に通って卒業して就職した。

その大学が決して悪いわけじゃなくてね、一応だけど。



今は彼も僕も普通リーマンになった。

それで、先日久しぶりに「会おう!」ってなって、居酒屋で飲んでるとその話題が出たのよ。

やっぱあの指定校推薦のゴタゴタひどかったよなあっていう気持ちもあって、心の片隅で残っているようだった。

彼は、その話題以外は終始笑顔だしそのことに強く憤る様子は見せなかったけど、

話題に出した時には少し苦笑いになって、引っかかってる様子ではあった。



そんで、広島万引き誤認の推薦取り消し問題を見たときに、この事を思い出したんね。

なんであん大事が当時は、問題にならなかったんだろうと考えると、語弊があるかもしれないけれど自殺までしないと問題にならないのかって思った。

とうぜん、広島のあの子には何の罪もない。全面的教師学校が悪くて、本当にあの子は何も悪くない。


だけど、じゃあB君のような、

死ぬまでに至らなかったが、人生を大きく決める教師ミス」に対して、どうやって対処したらいいんだって思うようになってしまった。

(市教委はその地方にもよると思うけど、先生方の保護を優先するし。経験がある人は分かると思う)


B君は、自分の命を断ってはいないまでも泣き寝入りしてるわけで、それっておかしくねえかと。

自殺した子はとうぜん可哀想だけど、自殺しないと問題にすらされねえのはどうなの?っていう風に思った。

どこに問い合わせたら、きちんと問題として扱ってくれるんだろうと。


「死にまでは至らない教師ミス」が議題や問題として扱われず、当事者泣き寝入りするしかない現状は異常だと思う。

自殺しないと問題にならない現状も同様に異常だけど。

2015-03-06

適当に生きていてもしんどい

たまたま見かけたはてなブログ記事

http://anond.hatelabo.jp/20150305021937

に触発されてひとつ僕の話と考えを。

はいま21歳だ。

箱根駅伝で大注目を浴びたあのそこそこ名の通った大学生だ。

同じ時期に入った友達は4月からは4年生だが、僕は事情があり休学していたので4月に復学し3年生になる。

少し長くなると思いますが僕の過去の話を。(結構個人的な話で大した面白い話も無いのでとても暇な人だけ読んでもらえればと。)

僕は家からすぐ近くの市立中学をヤンチャな人達とも適度に仲良くしながら、僕自身は道を大きく外すことな適当勉強したり部活したり恋愛したりして卒業した。

高校受験奇跡的な倍率1.5倍のおかげで面接試験のみで市内有数の校則の緩さでありながら、偏差値ランクは中の上ぐらいの校舎がクソボロい第一志望の県立高校合格した。

高校時代部活には所属せずに夜は居酒屋でのアルバイトをしながら、髪の脱色をしたりピアスを開けたりして校則の緩さを楽しみながら、授業はほとんど寝ているかサボっていたので、テスト前には赤点を取らないように適当勉強し、友達馬鹿なことをしたり、人並みに恋愛をしたりして過ごした。

同級生の中には2年生のうちから予備校に通い、大学受験に備えていた人ももちろんいたが、僕が高校卒業後のことをしっかりと考え始めたのは高校二学年を修了してからだった。

僕はそれまでデザイン系の専門学校美容師学校にでも行こうか、それか簡単に入れそうな適当大学に行ってみるか等とボンヤリと考えていたのだが、高3になって間もない頃に僕の二歳上の女子大に通っていた姉と話していて、その時姉の言った「良い大学に行けば行く程遊べるよ。」の一言で〝良い大学〟を目指す事に決めた。

それまでの高校生活のせいで成績が芳しくなかった+モロに文系タイプの僕には指定校推薦などは無理だと判明し、親に頼み予備校に通わせてもらった。

予備校勉強は僕なりにとても真面目にやった。

しかし遊ぶ事も捨てられず時には本気で遊んだ

夏終わりの予備校自習室、肌は日焼けで真っ黒になり鼻の頭の皮が剥けているのは僕ぐらいだった。

予備校模試の成績ランキングにも入るようになってくると「なんだ。受験なんて大げさに戦争だなんだ言っといて余裕っぽいな。」ぐらいな感じに思っていた。

から聞いた話だが予備校内では僕は一部から相当嫌われていたそうだ。(僕はそんなにメンタルが強くないので当時それを知らなくて良かったと思う。)

いまでも忘れられない僕にとっては気持ちのいいエピソードがある。

高校三年の受験直前の冬、僕は廊下に貼られた学部ジャンルごとに分かれた偏差値ランキング表のようなもの(説明しづらいです。すいません。)の前に立ちボーっと眺めていた。

そうしているとたまたま通りかかった二年生の時の担任(まぁまぁウザくて嫌な奴)が僕の横に止まり、「おぉ◯◯。お前も大学行くのか。どこ目指してるんだ。」と聞かれ、僕は第一志望であった現在在籍している大学学部を指差して「ここ。」と言うとそのまぁまぁウザくて嫌な奴の教師は「お前にそんなとこ無理に決まっているだろー。」と言って笑いながら去っていった。

まぁそんなこんなで僕は第一志望の都心にある大学の一番独特な何やっているか分かりづらい学部合格し、高校も無事に卒業し現役で大学に入った。

いわゆるザ・大学生との温度差を感じサークルにも所属しなかったのだが幸いにも数は多くないが誇りに思えるような気の合う捻くれ者の良い仲間はできた。

そんな仲間達とサークルに入っているキャピキャピしている大学生小馬鹿にしながら、時には僕たちも馬鹿な事をやっていたらあっという間に時が過ぎてしまった。

僕はこれまで〝自由〟だとか〝遊ぶ〟だとか〝楽しそう〟ってだけで進路を選んできた。

語れるような将来の夢っぽい夢というもの小学校低学年の時以来持ち合わせていない。

これまでの人生すごく適当に生きてきたといま感じる。

いま振り返れば大きな挫折なく「なんとなく」で大抵のことはなんとでもなってきた。

周りの人間にも「やれば出来る」や「◯◯君って何でも出来るよね。」などとずっと言われてきた。

これは全く自慢したくて記事にしている事ではない。

自分を良く見せることを恥ずかしいと思ってしまうし、夢を語ることもできない。』(

適当に生きられなくてしんどい http://anond.hatelabo.jp/20150305021937)

この点は僕も全く同じだと思った。

何を仕事にしても嫌になりそうな気もするし、第一これで飯を食って行きたいと思えるものが無い。

正直僕は就活と呼ばれるものがなんなのか理解していない。

お金持ちになりたいかと聞かれれば答えはNOでは無いが、本当にやりたくない僕がダサいと思う事はいくら仕事といえど僕はやりたくない。

っていうかそんな事をやらされる仕事には就きたくない。

就活をしないという選択を取ったとして何をすればいいのかも分からない。

フリーター一般職になることだってプライドが許さない、そんな自分がもうどうしようもなくて、なかなかしんどい。』(適当に生きられなくてしんどい http://anond.hatelabo.jp/20150305021937)

その通り。とても分かる。

世の中の就活生はどんなことを考えて就活というものをしているのだろう。

高校とき付き合っていた、指定校推薦で中の中ぐらいの大学に行きサークルでキャピキャピしてたっぽい僕の苦手なザ大学生みたいなアイツは今何を考えて就活しているのだろう。

僕は冒頭にも書いた通り休学している為、復学しても3年生だ。

同じ年に大学に入った友達は次から4年生ということもあり、話したりしていても全てが悲観的なものばかりではないが、将来や就活の話がどうしても多くなる。

だが僕の仲のいい友達の中には学校に通わずモデルとして仕事をして充分生活できている奴や、学生をやりながらモデルとして仕事を取れている奴や、俳優事務所所属している奴、他にも大学院に行く事を決めた奴や留学していたため卒業が遅い奴や卒業留学に行く事が決まっている奴など、〝大学4年で卒業→スグ就職〟というレールから外れた友達が多い。

なのでなんとなく僕の感覚一般的大学生感覚に比べて麻痺してしまっているのかも知れない。

まぁそんなものどうでもいいのだけれど。

まぁとにかく言いたいのは不安だねってこと。

僕は文章を描くのが元々とても苦手な人間なのでこの記事もとても読みづらい記事になっていると思う。

それに同じ理由で僕の就活だとかに対する考えの全てをこの記事に出し切れているとも思わない。

しろほとんど出せていないような気もしてきた。

なにしろもう相当眠いのでそろそろ適当に終わらせて眠りに就きたい。



あー宝くじでドカンと1発当たらないかな。

買ってすらいないけど。

2014-10-31

統合失調症と生きる

http://anond.hatelabo.jp/20131012170647

上記の記事を書いた本人です。石田とまた、仮名つけます。

ここから引用

2013-10-12

統合失調症23女性石田(仮名)と申します。

中学生の時、統合失調症を発症しました。

それから、今は、8年が経ちました。

高校普通科全日制の、日本高校と言えば15歳から18歳が通うと想像されるようなところに通いました。

統合失調症と、その薬の副作用に悩まされながらでした。

しかし、普通科高校では、理系クラスで、優秀な成績を修めて卒業しました。

しかも、管理栄養士養成施設指定されている学科をもつ大学に、指定校推薦合格し、進学しました。

2010年4月に、その管理栄養士養成施設学科入学し、今は4年生をしています

4年生の前期までで、100単位以上履修しました。

薬による、手の震え、のどの渇き、足がむずむずして歩き回りたくなるなどの苦しみも持ちながらも、授業は順調に受けました。

調理学や、公衆衛生学、臨床栄養学など、とても面白く、大好きな授業ばかりで、学ぶことは幸せでした。

また、小学生の時から給食が大好きな子供で、10歳のころには栄養士を志していました。

統合失調症を患ったとき栄養士になるのは無理だろうと、家族の全員が思いましたが、私はあきらめませんでした。

高校も、栄養士になりたい、管理栄養士養成施設に進学したいという気持ちで、無理に無理を重ね、頑張って卒業しました。

実際に管理栄養士養成施設大学学科に入っても、苦しかったり辛くても、頑張って授業を履修しました。

そして、ある壁にぶつかりました。

管理栄養士になるためには、小学校事業所福祉施設病院などで、臨地実習というものをしなければなりません。

そのうち病院必須です。

私は、心療内科に通い、処方された薬を、かかりつけの医師の指示通り服薬しています

病状は、安定しています

それなのに、臨地実習というものは、大学教職員が頼みに行って受け入れてくれた場所に行くのに、統合失調症であることを明かして探すと、断られるというのです。

心身ともにある程度安定し、大学にも毎日通えます

かかりつけの医師にも、大学を出た後は、障害者雇用枠で働くことを勧められています

障害者手帳の3級を持っていて、通学に使う交通機関を安くしてもらったり、映画で割引を受けることをしていて、うまく使っています

仕事障害者手帳を利用して障害者雇用枠で入るつもりでいたので、大学にはとある部署手帳コピーを預けています

就職支援をしてもらうつもりで、そうしました。

そうして、大学側は私が統合失調症であることを知っているわけです。

管理栄養士養成施設卒業のためには、臨地実習を複数受けることが必要でした。

臨地実習の担当先生には、統合失調症を隠して実習先を紹介していただけないかと頼みましたが、信用問題からできないと言われました。

養成施設と、実習先には、頼みごとをことわれない関係必要なのです。

教職員の方々が、大変な苦労をして、在籍する学生の人数、受け入れてくれる場所開拓しています

トラブルがあると、その次から断られたり、人数を減らされたりします。

本来は、実習先には受け入れ義務はありません。

できれば断りたいのが現状です。

そんな私は、臨地実習の単位が取れないまま、実習のめどがたたないまま、4年生も終わろうとしています

4年生の年度末で、私は今の大学を退学するつもりです。

必修が取れないので、卒業はできません。

しかし、奨学金も4年を超えると受けれません。

経済的には、もう私が働かねばならない家庭環境です。

中退になりますが、退学し、仕事に就くつもりです。

もし、統合失調症を患う高校生で、管理栄養士になりたい人がいたら、病気を隠して通うことを勧めます

大学側が知っている場合、病名を明かして実習先を探すので、まず見つかりません。

隠し通して、授業を履修してください。

私は、小学生の頃の夢が叶いませんでした。

給食が大好きで、給食を作る人になりたくて、管理栄養士を目指してずっと頑張ってきたつもりです。

病気の壁には、勝てませんでした。

大学先生相談した時は、「気合い入れて病気治してきなさい」などと言われました。

現在医学では、統合失調症は、薬で脳を眠らせ、ドーパミン暴走しないように抑えて、抑えられすぎたせいでパーキンソン病にもなるので抗パ剤も飲んで、何とかやり過ごすだけです。

完治することは、ありません。

これまでの8年間、私は本当に頑張ったと思います

もう、無理はせず、栄養関連の仕事はあきらめ、ほかの仕事に就きます

統合失調症は、珍しい病気ではありません。

100人に1人の割合患者のいる病気です。

それなのに、夢をあきらめることになり、辛い気持ちです。

これからは、障害者雇用仕事を探して就き、奨学金を返済していくつもりです。

 統合失調症石田(仮名)

もう、この記事から一年以上経ちます

退学しましたが、文転して、別の大学文系学問を初歩からやっています

そっちなら、卒業するために実習が必修ではありませんから

今は精神から身体もバランスを崩してしまい、休学中ですけれど、奨学金は仕方がないので親がその親(祖母)が無くなった時に受け取った遺産から一括で返済してくれました。

ずっと、心に整理がつきませんでした。

最近になって、やっと給食に携わる仕事に就けないという現実を受け入れられるようになり、また筆をとりました。

そして、こんな記事を見ました。

http://orcinusorca.hatenablog.com/entry/2013/10/13/214117

「病名による差別」そういってくれたのは嬉しかったのです。

高校から推薦で大学を受けられるくらい欠席日数が少なかった時点で、もう寛解でした。

大学でも、100単位以上履修している時点で、もう健常者と同程度の学力や作業能力があると、自分で過信していました。

臨床栄養学などの座学での成績もよく、講義を行う教員からも「石田については国家試験のことは一切心配していない」などといわれ、喜んでいました。

給食経営管理実習という大学内の給食室の機能を持つ教室で行う授業がありました。

それに関しても、予算内の金額で、予定時間内に調理を終える上に、美味しくて季節感のある献立作成、実際の調理の実務を担当するとき連携、週替わりで巡ってくるパートごとのリーダー担当した時のアクシデントへの対処など、実務については問題なくできると学内実習の担当教員も言ってくれました。

別の必修授業でのことですが、経口ブドウ糖負荷試験(OGTT)をする実験の授業もありました。

前日の夕食後から何も食べずに1時間目の授業にきて、ぶどう糖溶液を急いで飲み、30分ごとに自分で指先に針を刺して血糖をはかりました。

その実験ときに、私が一日三食毎食後の服薬を医師から指示されているが、朝の薬が食後に飲めないと直訴したら、ほかにも朝食後の服薬が指示されている学生がいました。

薬の名前を横から聞くと、パキシルなどのようでした。

パキシルを飲んでいた方の学生は、学外実習に参加していました。

退学することを決めたあとも、ショックで、何にも集中できなくなり、今ではなぜ栄養学を勉強するためには自分でできていたこともできなくなり、不思議なくらいに病気悪化しました。

幻聴は無いので、再発ではなく、うつ病の発症だと思いましたが、医師の診断名は統合失調症のままで、抗うつ薬が増えたり減ったりしています

パキシルという薬は、うつ病代表される不安や神経の過敏なときに用いる攻撃的な衝動との因果関係のある薬です。

その生徒は、授業も時々欠席する方でした。

それを服薬する学生が実習を受けれて、統合失調症寛解で薬の副作用はあるものの、病気の症状がない私が受けれないのには、憤りを感じたものです。

退学してから、すっかり引きこもりになり、これからリハビリしながら、長い目で社会復帰を目指します。

高校も、栄養学科時代も、週に5日(高校は土曜含め6日)学校に行けていたのに、今では自宅のゴミ出しだけでも、辛くて、心因性の別の病気でも発症したのではないかと思うほどです。

親にも兄弟にも「お前クズ」と毎日言われます

それでも、生きていたいので、なんとかして「統合失調症と生きる」ことを選びます

2014・10・31  石田(仮名)

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