はてなキーワード: プライドとは
通常のIPPONグランプリの時は変な回答でも笑いに変えようとしてたのに
ニッポン放送のラジオショッピング売上記録ホルダーの塚ちゃんこと、塚越孝アナ。
塚ちゃんが亡くなって10年が経ち、ラジオショッピングの売上がいまだに破られていない&いまだに偲ぶ会もできていないということで
様々な関係者に聞きいた話から、塚ちゃんのお台場人生を振り返ってみる。(時系列はあやふや)
先に申し上げておくが、塚ちゃんや関係者を貶めるわけではない。
関係者それぞれの考えもあるし、内で思うべきこともあるだろう。
ただ、まさしく人間ドラマとはこのことだと言いたい。自分だったら番組化したいくらい。
そして、この人間ドラマから、亡くなってしまった塚ちゃんに朝から大変バカヤローと叫びたい。
2012年当時のフジテレビは視聴率三冠を逃しているにもかかわらず、三冠の亡霊に憑りつかれた状況だった。
外部からは選択肢の2~3番手、にもかかわらず社内のプライドは1番手というギャップから
スポンサーや代理店、制作会社から出入り業者含めてギャップが顕在化し始めていた。
特に局内では右肩上がりはインターネット関連の部署(旧デジコン局、当時はクリエイティブ事業局)だけになっていた。
FOD売り上げ規模は小さくても、右肩上がりということで株主総会でもクリ事の話をするくらいの状況だった。
そんな塚ちゃんはアナウンス室にいた時から、デジコン局のポッドキャスト番組に出ていた。
塚ちゃんがナビる落語番組はappleから表彰されるくらいの規模で、若者向けデバイスでアクティブシニアにもリーチできるということで
パトロンという仮面をかぶった先進的なスポンサーには意外とウケが良かった。
(その時点でF1ターゲットのフジでは異質だったが、地上波とのカニバリを避けられたし、
逆にBSフジは親和性があって波を使わせてもらうこともあった)
塚ちゃんのデスクはいつも本が山積みで、アナウンス室の中でとても目立っていた。
本の壁でパーテーションをするかのごとく、本をデスクに積みあげ、
本に隠れていろいろコソコソやっていて、アナウンス室の中でも浮いていた(しょうがない。。。)
塚ちゃんがお台場に来たのは、ライブドア事件でニッポン放送がフジテレビの利益を使えなくなってしまってことに起因する。
ここらへんはライブドア事件をググってほしい。
ニッポン放送は本業以外の収益がなくなり、本社屋の建て替えもありバランスシートが破綻寸前だった。
持株会社制に移行したことを理由に、ニッポン放送で人件費の高い社員をまとめてフジに転籍させることとした。
そこでやってきたのが塚ちゃんだった。
実はニッポン放送は社屋の建て替え時に、スタジオをフジのデジコン局近く設けていたこともあり、
塚ちゃんはアナウンス室よりも、現場フロアのほうが安心している感じだった。
フジにきた塚ちゃんはニュースや情報番組の特集枠ナレをやったり、CSの自社枠紹介番組をやっていた。
ただ、ラジオノリなので、どうしてもテレビ周りの動きができなかった。
例えばラジオなら5秒無音で放送事故だけど、テレビは絵で訴えかけるシーンだったりする
でもそれがわからない、すべて説明し、相槌を入れ、常に話し続けないと気が済まない。
塚ちゃんだけではなく、ニッポン放送転入組の8割がテレビには合っていないと思われてた。
2割のプロデュース企画系の人は優秀だったけど、都市部から離れてアンテナが鈍ってきていた。
そんなこともあって、転入当初はニッポン放送での業務に近しい業務をしていた人たちも
3年目あたりから異動し始めた。そう、主に窓際への異動だ。会社の看板ではない
本人たちはいつかは有楽町(ニッポン放送)へ戻りたい/戻れるとよく言っていたそうだ。
塚ちゃんの思いは強く、日枝さんにも直談判していたそうな。
そんなところで、アナウンス室を出る内示が出たが、塚ちゃんは内示に反対し、
アナウンス室を出なければならないないら、少しでも出役が期待できるクリ事を希望し、
人事発表の時には異動先がクリ事に変わっていた。
2011年にクリ事に異動して、また塚ちゃんは悩んだんだと思う。
クリ事としてはもう招聘出演者ではないので、手厚いフォローはしないということ。
それこそ、右肩上がりだけど規模の小さな事業部だからメイクさんも使えない。
ロケ現場でも、ゲストにはメイクさん使えるけど、塚ちゃんには使える費用が捻出できないとか。
さらに、功を焦る中途入社の年下上司から塚ちゃんへの暴言の数々・・・。
口では一兵卒から頑張ります!と挨拶しても、内心では塚ちゃんのプライドはズタズタですよ。
1年クリ事にいて、自分の今の置かれた立場を認めなくなかったんだろうね。
その年も、日枝さんにも直談判していたそうな。それで今度こそニッポン放送に戻るんだと。
2012年6月25日(月)内示の直前まで周囲にそう話していたが、昼過ぎの内示では塚ちゃんの担務は何も変わらなかった。
内示の後の塚ちゃんの姿を見てる人/覚えている人はいなかった。
そして、内示の翌日2012年6月26日(火)に、デスクに塚ちゃんの荷物があることを、誰も気に留めなかった。
いつもだったら重役出勤のはずなのに、朝から荷物があることがおかしいと誰も気づかなかった。
編集明けの早朝スタッフですらそうだった。内示も終わったから気持ち引き締めて当日午後の収録ために朝から出社してくれたんだと勘違いしていた。
2012年6月26日(火)午後にポッドキャストの収録だったが、社内の収録現場に現れなかった。
今まで収録に連絡無しで来ないことはなかったので、いよいよザワザワしだした。
夜になり、荷物がそのままでありながらも携帯電話が通じないことで、不審に思ったスタッフが部長級に相談し動き始めた。
部長級は社内への相談、スタッフは塚ちゃんつながりの場所や関係者たちへの連絡や訪問。
そして、そのまま翌日2012年6月27日(水)になる。依然として行方知れずの中、午後になり、警備から発見の連絡となる。
年下上司は遺書の有無についてやたらと気にしていて、スタッフに何度も確認で詰め寄ったとか。
2012年6月26日(火)没となっているが、見つかったのは27日(水)
入退室ログの最終入構が25日(月)だったので、おそらくは25日(月)の夜にお亡くなりになっていたと思われる。
関係者それぞれの考えもあるし、内で思うべきこともあるだろう。
ただ、毎年この時期になると、塚ちゃんのハチャメチャな緩急つけた振り回し方が無性に恋しくなる。
もしかしたら、今の日本を元気つけられたのかもしれないなぁと思い出してしまう。
塚ちゃんよ、2002年にニッポン放送を退局したときに、政治家にでもなってりゃよかったんだ。
話すことを生業としたいのは分かるが、自分一人だけで孤独な闘いを続けなくてもよかったんじゃないのか。
それこそリスナーと塚ちゃんの逆人生相談室をスイングしてもよかったじゃないか。
残された人のことをどう思っているんだ?天国では横澤さんとどんな話をしているんだ?
ラジオのことはどう思っているんだ?今だったらyoutubeで話し放題できたんじゃないか?
合掌
現在は資産の65%がアメリカ株インデックス、20%が暗号資産、10%が不動産投資、5%が現金や車など。
数年前までは狂ったように働いていたけど、現在は職はなく、資産運用で平均3億円(税引前)ぐらいを儲けている。
この数ヶ月は株が暴落していてだいぶダメージ食らってるけど長期で見ればなんとかなるだろうと基本は放置。
暗号資産も去年や一昨年は、単純な値上がり益もあるし、安定志向の運用で年利30%とかを簡単に稼げたが、現在は全然稼げないので撤退を検討中。
給与収入は不動産投資をしている100%株主の資産管理会社からもらっているだけ。
給与をもらいすぎると所得税、住民税、社会保険料(会社負担分も含める) などで法人税の35%を超えてしまうので、それを超えない程度で資産管理会社から個人にお金を流してる。
日本が好きなので日本に住む上で払うのはしょうがないと思いつつ、お金も好きなので税金を少なくできるならしようと努力はしてる。
それでもこれまで払ってきた税金は15~20億円には達している思うので、それで日本がより良くなってくれたら嬉しい。
イカレ制度のふるさと納税はフル活用していて、返礼品率が高くてアマゾンギフト券なども有効だったときは、1000万円分ぐらいアマゾンギフト券でもらったこともある。
今は大したものがもらえないし、そもそも必要なものは金を出して買っているので面倒になってきた。
噂では直接自治体に掛け合えば好きなものを買ってもらえたりするらしい。
資産管理会社ではタクシー代や交際費を損金にしているけど、タクシー代は毎月10~20万円程度しかかからず、交際費も年間800万円までしか損金に参入できないので正直そんなにインパクトはない。
税務調査で指摘されて面倒になるリスクを考えると、会社での経費計上はある一定以上の資産になってからはやらない方が幸福度高く、最近はやめた。
株も暗号資産も不動産投資ほぼ放置だし、決算や確定申告の時期に領収書をかき集めて自分で仕訳をつけたりしている。
昔からはてなブックマークが好きでウェブサイトの中だと一番よく見てる。次はヤフーニュース。
ただ、両方とも最近は政治関係の面白くもないコメントが多くてつらい。
あとは男の友達と飲み会したり旅行したりとか港区女子と遊んだりとかが多い。
こういった生活になってくると年が近くて、資産状況が似ていて、話が合う友達がどれだけいるかが重要になってくる。
人生の幸福度なんて言うのはある程度以上のお金を持っていればそんなに変わらなく、それよりも一緒に物事を楽しめる仲間がいるかが重要。
その仲間は仕事の仲間でも良いし、プライベートでのつながりでもいい。
ただし、それを見つけるのが難しい。
普通に働いている地元の友達や大学の友達では金銭感覚が合わず、同じ悩みを共有することや同じ遊びをすることもできないので疎遠になっていく。
そのため、普段の生活の中で交流を広げ、同じような金銭感覚、同じような経験をしている人を探し、一緒に物事を楽しむようにしないと、すぐ一人ぼっちになり金の使いみちもなく、鬱になってしまう。
自分は旅行と飲み会が好きなのでその2つが好きで気兼ねなく割り勘できる人とよく一緒にいる。
港区女子は飯や旅行代などを奢られることに慣れているため、こちらがお金を払うことに過度な反応がなく、一緒に過ごしていて快適。(男だとプライドもありそうはいかない。)
ラウンジやキャバで働いている人は話が面白いし、顔が広いので共通の友人も多く話が弾む。
ただ、彼氏ができたり結婚したり昼の仕事が忙しくなったりで、長くても2年ぐらいで港区女子は卒業していく。
たまに5年選手もいるが周りからはまだあの人いるんだ……という評価になってしまう。
ちなみに港区女子から見た男も同じことを思っていて、長く港にいる人は変な人が多い。
数年前までは3桁億円持っている人たちはシンガポールなどの海外に税金対策で移住していることが多かった。
それぐらいの資産を持っている人はだいたいが上場企業のオーナーであり、自分で保有している株式を売却すると20%の税金が発生してしまうため、それを避けるために海外に移住してから売却していた。
ただ、現在ではタックスヘイブン対策税制が施行され、移住する人は減った印象がある。
タックスヘイブン対策税制は、株などの資産を持った状態で海外に移住するとその株の含み益に対して20%の税金が発生する仕組みで、上場企業のオーナーなんかは移住するだけで数十億円、数百億円の税金が発生し、さらに自分の会社の株なので売ることもできず、移住することもできないという税制である。
また、3桁億円の資産の人たちはプライベートジェットを持っていたり、10~20億円程度の別荘やマンションをさらっと現金で買ったりする。
それは自分程度の資産ではさすがに躊躇してしまい、羨ましいなと思う反面、それぐらいしか生活においての差はない。
六本木に建築中のアマンレジデンスは、一部屋最低15億円からで、上の階の方は40~50億円ぐらいらしく、自分には手が届かない。
https://www.aman.com/ja-jp/residences/aman-residences-tokyo
モーレツにお勉強ができちゃった李徴クン。えらーいお受験に通って、江南慰のお役人になれたのね。
ザンネンな事にカレは生来キョーレツな気ムズカシ屋の自信家だったのダ。
そーゆう性分なもンで、お仕事ついて5秒でプッツン。
よーするに「オレサマよりトンマなヤロー共にペコペコバッタしてられっかッ!」てな具合。
そいでお役所おん出て、お里トに帰り詩人になるぞとエイエイオー。
しかしマ、ゲンジツ問題、文筆業ッてそう甘かないのよね(記者のおぢさんも日夜ピイピイしてンのヨ……トホッ)。
登校拒否児もかくやのヒキコウモリで、がぜんシコシコやってみたンだけども、ぜーんぜんダメなんだなコレが。ハシにもボーにもかかンない。
ペチャンコになった李徴クン、去る日のビボーはどこへやら、スッカリげっそりフーテンルック。
一家の大黒柱たる男児がこれだもの。嫁さん、チビちゃん、困っちゃうよネ。
「いよいよマズイぞッ」てんでお役所仕事に戻った李徴クン。だけども、待っていたのはヒジョーにキビシーイ向かい風だった!
なーんと、かつてカレがマヌケだトンマだ見下した同期のサクラは、もうリッパにおエライさんまで滝登りしていたのである!
トーゼン、ヒラのヒラな李徴クンは、カレらの指差し顎差しにハイハイ従わにゃならんワケ。こりゃプライドたまンないよネ。
てな成り行きで、下唇カミカミ、ペコペコやってたカレ、ある日ついにクルクルパーになって蒸発しちゃったの。
《オワビ》
えー、ケンメイな読者の皆々様より「隴西の読みはローサイじゃなくてローセイだッ! このカバッ!」とゆーお叱りを多数頂戴しちゃったのねん。
ドーセイっちゅーねん。
ゴホン。アライザライ白状しますと、恥ずかしくもショーセイ、青空文庫からオハナシを引っ張り出してズルッコをしておりました。
全体どーして、青空クンは隴西に「ろうさい」なんてカバなルビを振っとるンだ。責任者出てこい!
……そーゆーことで、どーかひとつ。
最近は自分がリベラルでもなんでもないかもしれないと自覚する機会が増えた。ネットでニュースに接した時のもやっとした感じ、おぼろげな不快感によってそのように思うのだ。
なにが不快か。自分が正しいと思って声を上げている人間が不快。そういう人間の主張をあたかも「多様性」を認めることが正しいかのように、予断をもって報道するメディアの姿勢が不快。
そういうことを他人の面前で表明することはないものの、不快だと感じていることには変わりない。この他者、いなくなってくれないかな、という感覚。
まず女性の権利に関する主張。この手の報道に接するたびに、いつもクソどうでもいいと思う。じゃあ男性の権利はどうなんだと思う。
だれが権利をより多く持つのがよいかという問題について争う綱引きはすればいいと思う。つまり概念としての男女(これをジェンダーと呼ぶのか、どうでもよいが)が社会の中でどのように関係していくかという問題、あるいはその関係そのものがつねに闘争であるということ。それはそれでよいと思っている。議論はしていい。争っていい。生き残りたければむしろそうしろと。
だが、女性の権利が拡張されていくこと、あるいは権利の主張をして男性を攻撃することが、あたかも初めから認められている、あるいは正しいと思い込まれている状況、空気が醸成されていくことには断固として反対する。
お前の真理はおれの真理ではない。勝手に押し付けるな。押し付けるのであれば、おれはお前を潰す用意があるということだ。無自覚に正しさを主張し、正しくないと勝手にみなす人間を敵と認定して悪罵する人間が大嫌いなだけだ。
次に性的少数者の権利に関する問題。これも上記女性の権利に関する問題とほぼ同じ反応を自分はしている。嫌なものは嫌だ。おれはお前の行動が不快ですということが原理だ。
ある人が自分はゲイだとカミングアウトした場に同席したことがある。そのときは彼の決断を心から尊敬し、親愛の情を持ち、これまでどおり付き合っていきたいと思った。
近くにいる人がゲイであろうとレズビアンであろうと、自分はどうでもよいと思っている。普通に友人、知人、同僚として付き合っている。だがその性的少数者であることを旗印にしてプライドだとか言い出したり、社会の不寛容さを批判したりするのはちょっと違うのではないかと思っている。嫌だなと思っている。どういう思想を持つかは本人の自由だが、その思想の表現を見て不快に思う自由もこちらにはあると言うことだ。
ダイバーシティなんてクソどうでもいい。
社会の構成員が多様であることには利益があると思う。それは自分自身にとっての利益だ。いろいろ違う人間、全員がなんとかうまくやっていく。貧困、病気や飢えで死なないように、社会全体で労働力を確保して、協力し合っていく。それが自分の生存にとって大事。他人はどうでもよい。あくまでも自分が死なないように他人を利用できることが大事。だからできるだけいろいろな人間が社会に参加して協力し合うこと、つまり多様性を実現することは大事。これはそう思う。
だが、ダイバーシティがあたかも普遍の真理であるかのようにふるまって、ダイバーシティを認めない人間を排除するような圧力には絶対反対だ。多様な考え方を持つ人間を認めないなら、それのどこがダイバーシティなのか。いいかげんにしろバカと思う。
ようするに「これまで虐げられてきた立場にあると思っている人間が自分の権利を主張すること」は好きにやってどうぞ、それは自由なのでと思う。
だがその主張にこっちが同意するかどうかはまた別の話だ。説得しようとするな。同意しないので。あたかも自分の主張が普遍的真理であるかのように振る舞って、違う見解を持つ他人を攻撃するな。そのようなことをする人間には絶対に従わないので。
権利を主張する「マイノリティ」と、それを支持して「不寛容な他人」を攻撃する人間はリベラルな人間などではない。違う考えを持つ人間を抑圧排除しようとする人間がリベラルを標榜する資格などない。
私は引きこもりです
と言っても外には出歩けるし、社会生活を送る上で必要な最低限のコミュニケーションはとれるつもりだ。
しかし、現状仕事もしていないし親の脛をかじって極力家から出ない生活をしている。
情けない。
思えば昔から負けを認めることと失敗することがとても苦手な子供だった。
デブで足が遅いから鬼ごっこは鬼になったら一生追い付けないから大嫌いだった。
それでも優しい友達は情けで鬼を交代してくれたりしたが、その優しさもプライドが傷付くから大嫌いだった。
だからと言って痩せることや足を速くすることで解決しようともしなかった。辛いのも嫌い。
どうしようもない。
今思えばほんの些細な考え方や気持ちの持ち方一つの変化で良い方向へ改善するチャンスはいくらでもあったのだろう。
そのチャンスを自ら放棄し続けて、実際はチャンスに気付いて努力したことはあったが、その努力が持続せずに今に至る。
今も昔もスタミナが無い。
社会に出れば多かれ少なかれ自分の「出来ないこと」に気付かされるだろう。
誰だってそこに上手く折り合いをつけて前に進んでいるのだろう。
でもそれが怖くて仕方がない。
「こんな簡単なことも出来ないの?」と言わんとしてる目線が怖い。
想像するだけで血の気が引く。
職歴に穴が空いていることも怖い。
ここには書き連ねきれないほどに社会に出て働くことが怖い。
このままでいけないことも分かってる
でも、怖い。
怖いけど、前に進みたい。
絡みに絡まった複雑な想いで脳が溶けそうだ。
この文章を書いたことが何に繋がるかは分からないけど、何かに繋げたくて書き出してみた。
それでも、半歩ずつでも社会の中で仕事している将来に繋がって欲しい。
頑張れ私
オタクたたきをしているのは風俗嬢であったり婚活失敗した独身女性の逆恨み、
それから夫との関係が上手く行ってない幸が薄い中年のおばさんたちなど
女性の中でもカーストが低い連中者主戦力であることは最近知られるようになってきた。
一方ツイフェミ運動は、新聞記者やライターといった上流階級の二軍選手や落ちこぼれの敗者復活戦となっている。
こうした一流になれなかったプライドの低い女性が、先ほどのコンプレックスの塊と化した負け犬女性たちを扇動する形で成り立っている。
ツイフェミに先導された負け犬女性たちと社会の負け犬である男オタクがいつまでも争いを続けているのは、似た者同士だからだろう。
こうした不毛な争いを終わらせるのは山田太郎やレドマツではない。VTuberというカルチャーだ。
VTuberは若い女の子のファンが非常に多い。しかも、負け犬どころか普通にカースト上位の女性もここに属していたりする。
ツイフェミや負け犬中年おばさんたちが今までの感覚で雑なオタクたたきをすると
最近この手の若い女の子を敵に回して若い女性から反発の声が出ることが増えてきた。
まもなく、オタクたたきしか生きがいのない負け犬中年おばさんは、この若い女性たちによって駆逐されていくことになるだろう。
昔から女オタクという数はものすごく多かったのだが、可視化されにくかっただけだ。
いかんせんなぜかジャニオタは存在を許されるがアニオタや腐女子は隠れていろという女社会の圧力が強かった。
そして、なぜかこの手の中年腐女子や中年アニオタ女性は頭が悪いので
自分を抑圧する女性社会ではなく男オタクに恨みをぶつけていたりしていたのだがいい加減それがばかげているという話になっていく。
あまり奢られるのが好きではないので、
これからも付き合いを持ちたい思う相手ならその旨をなんとか丁寧に伝えて割り勘にさせてもらおうとする。
それで相手が嫌そうな顔やプライドを傷つけられたような顔をしたら
「じゃあ次回は私がおごりますね」とするけど、それはそれで価格バランスとかを考えなきゃいけなくなってだるいし
それしきのことにプライドかけてる人とは付き合いにくいかもな……とちょっと思う。
どうでもいい相手でも割り勘は申し出るけど、それで嫌そうな顔をされても「じゃあ次回」は言わない。
大人しく奢られるの、相手が上司だとか明らかな上下関係がある場合くらいだな……
あとはお祝いでごちそうしてもらうとか……
その場合は逆に失礼だろうと思うのでよくお礼を言って奢られる。でも好きではない
ごめん三行で
■頭が悪いから「自分が思い込んだ内容」としてしか作品を認識できねえ
たとえばドラえもんを「不思議な道具を通して成長を促すお手伝いロボットの話」みたいに語る人がいるじゃん?
俺はアレが全く理解できないんだよな。
ドラえもんは命令されたとおりに居候し続けるために、野比家にとって役に立つっぽさを出そうとしてるだけで、実際にはのび太を成長させてるとは思えない。
世の中にはドラえもんの目的はのび太を静ちゃんに相応しい人間に育てることだって風説があるんだが、俺の認識だとドラえもんは単にひみつ道具を使って過去を書き換えたいだけでその過程でのび太を成長させようなんて思ってない気がするんだよな。
たまーに「これもいい薬だ」とか口にするけど、ありゃ単に道具を滅茶苦茶に使われることに迷惑してるからなんじゃねえかと。
学校の宿題を自分でやらせようとするのは単にお手伝いロボットとしての良識回路が働いてるだけで、ドラえもん自身の本分はのび太の成長にはないだろうと。
これは俺の頭が悪いってよりも、狭量ってことから来るのかもしれないけど、俺が感じた読解とは別の読解を認めたくねえんだよな。
読解のミートゾーンを広く取って対処しようみたいな考えにはならなくて、俺が一発目に感じた印象がその作品の読解のただ一つの正解であってほしいわけ。
なんつうのかな……馬鹿なりにプライドみたいのがあってさ、俺の読み方が間違ってると思いたくないわけよ。
俺が知らない真実が作品に含まれてるとか、伏線があったとか認めたくないわけ。
俺が一発で完璧に作品を読み解いたっていう俺の中にあるイメージを守りたいわけよ。
だからネットで感想とか見て自分と違う感想が並んでるとスゲームカつくんだよね。
もしそっちが正解になったとしたら俺が間違っていたってことになるわけじゃん。
一神教信仰してたら他の神様の像が建ってるの見つけるようなもんだよ。
そりゃもうぶっ壊すしかねえっしょ。
なーんかこういうムーブ自体が頭が悪いっつーか脳みそがお粗末というかプライドの拠り所が少なすぎるっつーか自分で惨めなんだが辞められねえんだわ。
どうしたらいいのかって相談はしてねえよ。
あのよぉ、ネットでもリアルでも俺と違う感想書き込むのやめろよな。
あんま怒らせるとお前のレビューとかに「これは誹謗中傷が含まれています」「作品への誤解を招きます」とか適当にケチつけた削除依頼を運営に送るからよ。
お覚悟、な?
たとえばドラえもんを「不思議な道具を通して成長を促すお手伝いロボットの話」みたいに語る人がいるじゃん?
俺はアレが全く理解できないんだよな。
ドラえもんは命令されたとおりに居候し続けるために、野比家にとって役に立つっぽさを出そうとしてるだけで、実際にはのび太を成長させてるとは思えない。
世の中にはドラえもんの目的はのび太を静ちゃんに相応しい人間に育てることだって風説があるんだが、俺の認識だとドラえもんは単にひみつ道具を使って過去を書き換えたいだけでその過程でのび太を成長させようなんて思ってない気がするんだよな。
たまーに「これもいい薬だ」とか口にするけど、ありゃ単に道具を滅茶苦茶に使われることに迷惑してるからなんじゃねえかと。
学校の宿題を自分でやらせようとするのは単にお手伝いロボットとしての良識回路が働いてるだけで、ドラえもん自身の本分はのび太の成長にはないだろうと。
これは俺の頭が悪いってよりも、狭量ってことから来るのかもしれないけど、俺が感じた読解とは別の読解を認めたくねえんだよな。
読解のミートゾーンを広く取って対処しようみたいな考えにはならなくて、俺が一発目に感じた印象がその作品の読解のただ一つの正解であってほしいわけ。
なんつうのかな……馬鹿なりにプライドみたいのがあってさ、俺の読み方が間違ってると思いたくないわけよ。
俺が知らない真実が作品に含まれてるとか、伏線があったとか認めたくないわけ。
俺が一発で完璧に作品を読み解いたっていう俺の中にあるイメージを守りたいわけよ。
だからネットで感想とか見て自分と違う感想が並んでるとスゲームカつくんだよね。
もしそっちが正解になったとしたら俺が間違っていたってことになるわけじゃん。
一神教信仰してたら他の神様の像が建ってるの見つけるようなもんだよ。
そりゃもうぶっ壊すしかねえっしょ。
なーんかこういうムーブ自体が頭が悪いっつーか脳みそがお粗末というかプライドの拠り所が少なすぎるっつーか自分で惨めなんだが辞められねえんだわ。
どうしたらいいのかって相談はしてねえよ。
あのよぉ、ネットでもリアルでも俺と違う感想書き込むのやめろよな。
あんま怒らせるとお前のレビューとかに「これは誹謗中傷が含まれています」「作品への誤解を招きます」とか適当にケチつけた削除依頼を運営に送るからよ。
お覚悟、な?
『平家物語 犬王の巻』とか『きのう何食べた?』とか数冊の本だの漫画だのと平行して読んだので、すごく時間がかかってしまった。最近、年のせいか集中力が続かなくなってしまってなぁ。でも集中力が衰えたからといって本を読む気力がなくなったわけではなく、好奇心旺盛な性格は変わってないお陰で、複数の本をかわるがわるちょっとずつ読むことで気分転換が出来るので、いいんだけど。
暴力団の有力幹部・韮崎が何者かに殺害された。事件には暴力団同士の抗争の痕跡がなかったため、単なる殺人事件として本庁捜査一課が担当することとなった。
事件当時の状況と推定された凶器から、プロの殺し屋の仕業とは考え難い。捜一の係長・麻生龍太郎警部は韮崎の周辺を捜査にあたるが、その過程で韮崎の企業舎弟・山内練と再会する。練は十年前、麻生が担当した強姦未遂事件の犯人だった。
当時は気弱な大学院生でしかなかった練が、なぜヤクザの片棒担ぎに堕ちてしまったのか。麻生は韮崎殺害事件を捜査していくうちに過去の因縁に翻弄されてゆくのだった。
同作者の『RIKO――女神の永遠――』から始まる「緑子シリーズ」のスピンオフ作品。約670ページ、しかも2段組みで細かい文字がびっしり。鈍器のようにずっしりと重い……読む前に見た目に心を折られそうになった。本編よりも分厚いスピンオフってなんなの。でも読み始めてみると、かなりのページターナーぶりで、本の厚みなど気にならなくなる。きっと二十代の頃に読んでいたら徹夜で一気読みしたことだろう。
前半は練ちゃんの章と麻生の章が交互になっていたので、韮崎殺害事件そのものよりは練と麻生のBLがメインなのだろうかと思ったらそうでもなく、ちゃんと骨太サスペンス小説。事件の重要参考人が登場するごとに謎が謎を読んで、なかなか推理のし甲斐のあるストーリーだった。
登場人物の心理描写が巧み。特に、麻生が慣れと惰性から無意識のうちに練ちゃんに自白を強要してしまった事に長年気づかず、担当弁護士から指摘されてもプライドが邪魔をして認められないという所がリアルだった。
練の冤罪事件に関しては麻生はかなりの悪人ぶり。主人公なのにこんなナチュラルに悪い事してていいのかよ……と思いつつも、文章が共感ベースというよりは理解ベースというか、登場人物をちょっと突き放した書きっぷりだから、共感できない事が読書のストレスにならなかった。へぇー、なるほどなるほど。お前はそんな風に思ったからそうしてしまった訳ねー、と他人事として読めるというか。こういう感情移入のし難い主人公も、ありなんだなあ。もし文章が下手な人がそういう主人公を描いたら、ただのイラッとするキャラになるだけなんだろうけど。
女性の登場人物がとても魅力的。麻生の恋人の槙や、韮崎の愛人の皐月、捜査一課の静香など。特に静香は若い女性らしい真面目さと潔癖さと甘さがいい。著者が女性だからなのか、女性の描き方が単純な可愛さやお色気の枠にはまっていない。
しかし一方で、男性の恋愛心理が微妙にリアルじゃないなと思う所もあった。恋人に裏切られたときの男の反応なんかは馳星周の小説の方がいいな。よりバイオレンスだけど。
後半は、韮崎殺しの真犯人は誰なのか、見当がつくくらいにいい案配で小出しに情報が与えられるので、犯人が解らなさすぎて嫌んなったなんて事にならなくてよかった。ラストの犯人との対決シーンも緊張感があってよかった。
俺は長男だから、この家を継いで守らなきゃならん。子供の頃からそう思って生きてきた。自分の父親だってそうしてきたんだもの。
県外の国立大学に進学した。一時的に違う環境に身を置く修行と思っていた。卒業したら帰るからと、彼女はおろか友達もろくに作らなかった。
地元の田舎の数少ない大卒の正社員の就職にありつき、実家に戻った。なかなかの学歴を得て地元就職。親孝行な息子だと言われるのが、何より誇りだった。
休日には地域の行事に参加したり、庭の手入れに時間を費やした。チャラチャラ遊び回ってる奴らとは違うと自分に言い聞かせていた。
やがて結婚適齢期と言われる年齢になった。
あれ?どうやって相手探すの?
今どき、そんなお節介焼いてくれる人もいない。
ろくに遊んでこなかった。地元に残った同級生からも、変わり者扱いされていた。
同居希望の田舎の長男。むしろ敬遠される存在になってしまっていた。
けど、この生活を変えるなんてプライドが許さなかった。それを捨てるのは、自分が信じてきたものが全部なくなるようなものだった。
こうして、子供部屋おじさんの出来上がりとなった。