はてなキーワード: 地盤とは
https://youtu.be/M6SWucqqKN4?si=uJySbnWrvB9P1Ort&t=1892
この3分くらい前。
なんにお金がかかるのか?
政務調査費を減らせとか議員報酬を減らせとか言っているけど、公金チューチュースキームでお金をもらうんだから全くいらないんだよね。この手の泥棒女は。
そして、結局答えていない。
実践政治学講座として、選挙プランナーの三浦博史先生をお招きして「選挙とは何か」という題で講義を頂きました。
講義の前半では、今年8月の埼玉県知事選挙の事例など、三浦先生が経験された多くの選挙事例を基に、「どうすれば政策を有権者に伝えることが出来るのか」について学びました。
後半では、塾生一人一人が事前に提出した法定ビラを例に、三浦先生からアドバイスを頂きながら効果的なビラの作り方について理解を深めました。
ビラについては、自らの思いや政策を正確に有権者に伝えるために、使う写真や文言の一言一句まで拘りが必要です。三浦先生には法定ビラの写真や政策、文言など細部に至るまで丁寧なアドバイスを頂きました。
選挙においては、自らの思いを正確に有権者に伝え、共感を得ることが大切であると改めて感じました。今後も、自らの志を研修で磨くと共に、多くの人に対して志を理解していただくために必要なことも考えていきます。
https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/98750.html
選挙プランナーは情勢の調査・分析を行うほか、どう選挙戦を戦っていくか、その全体の方向性についてアドバイスし、当選への道筋をつけていく。
三浦はその役割について、立候補したいという人が合法的に、なおかつ「地盤(組織力)・看板(知名度)・かばん(資金力)」がなくても選挙で戦うことができるようにすることだと話す。
この三浦だ。
そういうお金を払っているわけか。
しかも留学とかもしているからお金がなかったから免許を獲れないという言い訳はない。
そして長くやる気がない。といいつつ20年(はぁ?)2か月で辞職だろマジで。
20代前半男です。
同じ大学の年下の彼女が勤務地を合わせて付いてきてくれるって話だけど(就職活動中)、双方実家が地方なので、東京に実家も地盤が無く子育て等で苦労するのは目に見えてる。
二人とも総合職のフルタイム共働きの予定で(親の支援無しで都内に住むなら必須だと思ってる)、お互い仕事もずっと続けて行きたいと思ってる。
当然首都圏にお互いの親や祖父母が持ってるマンションなんてないし、急な事情で子供を預けられる相手もいない。
内容の面白さで選んだこの仕事は東京でしか出来ない、ってことで今後定年までは東京に住み続ける予定だけど
合理的に考えれば東京に実家がある女の子と結婚して、相手の実家の支援を受けるのが正解なのはわかる。
この辺りの問題を考える上で
目に見える苦労(地方上京組の共働き+物件の一次取得の厳しさ)に突っ込んでいくことが正しいのか
逆に現実的な問題を考えすぎて人生の選択肢が小さくまとまってしまっていく悲しさみたいなのに苦悩してる
東京に住みたい憧れとか、地方を出たい思いとかは特になくて、ただ仕事を選んだ結果上京する必要が出たって感じだから悩んでる。
*【#総選挙を控えて】「この2人が自民党の腐敗政治を延命させている元凶だ!」
... 衆参補選の結果でもわかるように、立憲の候補が自民党候補に僅差で負ける選挙が少なくない。
① 野党共闘を徹底すれば簡単に勝てたのに、わざと負ける闘い方をしている。
② 共産党が協力しても、日本が共産主義の国になるわけがない。いまはソ連やコミンテルンがあった頃と違い、反共主義など時代錯誤もいいところだ。
③ 「選挙区は立憲、比例区は共産、社民、れいわ」と大枠を決め、知名度や地盤で勝てそうな所では「共産、社民、れいわ」のどれかを統一候補とする。
われわれ一般の市民でもわかることが、どうしてこの2人にはわからないのだ?
この2人が野党共闘を妨害する限り、相次ぐ不祥事で自民は多少減票になっても、野党は勝てず、自民党は笑いが止まらないだろう。
https://twitter.com/HiroshiMatsuur2/status/1691387216483008512
Hiroshi Matsuura
@HiroshiMatsuur2
ファシズムや反ユダヤ主義、差別や偏見の問題を研究。著作に『日本人の〈ユダヤ人観〉変遷史』(論創社)、『ユダヤ陰謀説の正体』(筑摩書房)、論文に「捏造される杉原千畝像」(岩波書店『世界』2000年9月号)など。尊敬する人物は杉原千畝。好きな作家はベルナノス、音楽家はバッハ。 記事依頼はメッセージ欄からお願いします。
すっかりお茶の間の顔になったマツコ・デラックスだが、ジャニー告発を発端とする今の流れが別の議論を呼ぶ前に、今のうちに引退するのが正解に思う。(逆に引退せず自分を自分に取り戻すチャンスとしても良いが、茨の道だしテレビでそれをやり切るのは難易度が高すぎる)
ジャニー告発により性被害が女性特有のものであるという社会の認識は今後ゆっくり変わっていくと考えられる。元々当たり前のことなのだが、これまでの現実社会では被害は女性、加害は男性という構図が出来上がっていた。その証左に電車には女性専用車両があるわけである。男性の性被害は社会としてはほぼ考慮されていない(もちろん法律の守りは最低限あるが)。今回は加害者は男性だが、これまでも某議員など女性からのセクハラも世間としてはほぼ無風だが現実として存在する。スカートめくりとレイプを同一視してきた向きがいる社会である、これが程度の差であるなんて口が裂けても言うことはあるまいや。
他方マツコ・デラックス。軽妙な憎まれ口と印象的な見た目、そして時折見せる教養で気づけばテレビでは見ない日がないほどの人気者となった。また氏はゲイとされており(真実は知らん本人に聞いてない)、前述の特徴も相まって普通の人間では炎上してしまうような物言いも許される状況を作り上げており、テレビはこぞって男女に言いたいこと決めつけに近いことを氏に言わせるのである(尤も、それは本人が完全に望んだものではないと推測できる。氏はブラックジョーカーとして人を楽しませることは好きであろうしそういうことが許される状況を産み出せる気遣い上手であることも自覚のあるところであろうが、そうして作り上げた地盤にまあ裸足で上がられて色々と代弁させられている。氏はおそらく「商品」としての自覚もあり人のせいにすることはしない矜持もあることでその業を少しずつ背負っているのだろう。しかしそれは心も体も蝕むことである(元来働くとはそういうものでそれは氏も理解の範疇ではあるにしろ)。賢い氏のことなので自分に嘘にならないギリギリを行こうとしているだろうがそれも物量の前には諦めざるを得ないところもでる。おそらく氏は今後への漠然とした不安(今は大分小さいかもしれないが)とこのソウルジェムの穢ととはいえ自分の表現の場を失う恐れを天秤にかけてはいるだろう。ただ今はすでに天秤を見るエネルギーも少なくなっているのではないかと、氏の言動からは推察される)。
さて、氏はよく男の品評をする。これはもちろん本音もあろうが(でなくば的はずれなものになる)、自分に期待される役割・コンテクストを全うするというところが大きかろう。これが許されているのは社会的な「男性は性被害に合わない」「ゲイのギャグ利用」という意識であり、この令和でもセクハラだ不快だと言われづらい(「男」が「女」に同様の品評をすればそれなりのクレームは免れない)状況となっている。
これまでジャニーの行いは告発本もすでにあり世間の知るところではあったが、それはある意味生々しさを失ってほぼ「ギャグ」として扱われてきた。メディアに限らずほとんどの市民がそう扱ってきたのである。しかし外圧から始まる今回の一連の流れにより市民は一気に(自分のこれまでの認識を無視して)厳しい目を向けるようになり、果ては山下達郎まで炎上するほど関心が高まっている。ジャニーの行いに生々しさが取り戻されたのである。
するとどうなるか?社会の認識では性被害は女性が対象でありそこに反論しようともミソジニーのレッテルにより閉口させられてきたものに生々しい反論がうまれる。加害側にしてもジャニーは男であるが、先に言ったように女性からの性加害も挙げれば出てくるわけである。そのように世論が傾いてくるとニュースでは女性から男性の加害も取り上げ始める。そうして性被害は誰にでも起こるものと認知が広がり、徐々に「性被害は女性のもの」を前提とするテレビのコメンテーターの発言は炎上の種になっていくわけである。
もちろんマツコ・デラックスも例外ではない。氏の男性への品評は紛うことなきセクハラであり、言われた側も「あとから考えればあれ嫌だったな」といくらでも言える状況になってくる(もちろんマツコ氏は人を選んで発言するが、もはや言われた側の意向など無視して当人置いてけぼりで発言者を批判する現代にそれはあまりにも弱い論理なのである)。そうなると辛い。そうなってから「世の求めに応じて演じていた」と言ってもすでに世間は聞く耳を持たないのである。その世間の求めが氏を作り上げたにも関わらず(世間というのは個人ではないのでここが非常に恐ろしい)。
長くなったが、つまり結論として、マツコ・デラックスは今引退するのはある意味でとても良いタイミングではあると思う。テレビで見る氏のことが大好きな自分にとってはとても辛いことだが、氏の人生こそ氏にとって最優先にしなければならないことであるからして、周りの人を考えすぎず決めてほしいなと、そう思うものである。
自分なんかよりもっと詳しい人が出るだろうから待ってたんだけど、出ないので。
「その土地を購入した目的が達成出来ない」「程度」の問題であるか
が問われる。
なんでも認められるというものではない(訴えるのは自由だけど)。
追加で物置が建てられないという程度はどうかな、という印象。
土地売買の契約時にどんな使い方をするか開示してたかも判断材料になるかも。
井戸の存在のため契約した建物が建てられないとかならアウトだと思う。
高層建物を建てる前提の取引で地盤改良がそれに耐えられないものであったとか、
これは自分は専門外なので誰か出て来てくれることを願う。
喜ぶ人もいそうだけど。家庭菜園、エネルギー自給、災害時に役立つとか。
あとはそうだなー。
買い手が「この土地には、建物を建てるにあたって障害のある部分は含まれませんよね?」
とか問うて、無いという回答を経ていたら、かなり有利になると思う。
物置とか庭の利用方法の分かるポンチ絵でも見せていたら、それも有利な材料になる。
しかしながら、残土で隠しておいて、発覚時期を調整して、
その後の対応を見るに、まあ悪意(法律用語)だなーという印象。
引き渡してしまえば諦めるだろうと思ってたんだろう。
とりあえず入居させてしまって、客によってはそのまま、
うるさかったらその時点で値引き交渉に入ればよいと思ってるかも。
井戸があると知ってたら行われたであろう値引き相当分の返金か、
井戸を埋める代金の実費負担を交渉することは有効そうな気がするので、
プロゲーマーっていう言葉が独り歩きしてなんとも居心地が悪い。
ゲームを一生懸命やること=プロになるっていう図式になってしまっているせいで、プロにならないなら遊んでるだけという評価を受けやすくなっている。
野球だってサッカーだって、別に全員がプロになるためにやっているわけではなくて、勝つためにはどうしたらいいかってことを考えながら仲間と切磋琢磨していくことに価値がある。
それはesportsだって同じこと。
それなのに野球やサッカーは良いものだと評価されて、ゲームだけ遊んでいると思われるのはおかしい。
それを考えると、プロという存在以外に、一生懸命に取り組んでいる人間をアスリートとして評価するところから始めたほうが健全なのではないかと思う。
将来的には国体とか甲子園とかそういう規模で学生同士が競い合えるような状況が作られるのが理想的。
人に聞かれたときに、「プロを目指している」と「アスリートを目指している」では意味も響きも全然変わってくる。
今だって自称することは簡単だけど、そのための地盤が全然できていないのが現実。
ゲームが一企業の製品でしかないのは仕方ないけど、学校の部活動では無償提供するとか、メーカーだってやりようがあるはず。
現実的に、今のプロだって一握りの賞金を奪い合いながらあとは配信とスポンサードで食べているようなもので、やっていることは実質youtuberでしかない。
世の中にはプロスポーツがなくてもアスリートとして十分に生活できている人がいるわけで、そういう人をプロとは呼ばないのだからesportsだってそういう人たちのことはアスリートと呼んでほしい。
産後半年経って、離乳食も慣れてきて、子どもも夜まとめて寝てくれるようになったのに、ここへきて毎日死にたくなってきてる。
毎日自由時間が全然ないのはわかってたけど、夫は激務で土日も寝てばかりで全然家事育児協力がない。
いつも産後うつ点数が高いから保健師にマークされてるんだけど、支援も結局自分で申請しないといけない。
ドゥーラさんとか使ってたけど今それを申請する気もおきない。
でも復職に向けてそろそろ動かないとだから保育園も探さないといけないし、子どもの予防接種はあるし、資格も考えないとだし、毎日の家事育児もあるし、全然心が休まらない。
それなのに夫の生活は全然変わらず、子どもは夜寝るけど離乳食やら日頃の遊びで情緒を養うやらやることが増えてきて辛い。
もう本当に限界になって昨日夫が夜ヘッドホンしてネトフリ見てるのにブチ切れてしまった。激務だから息抜きの時間が欲しいのはわかる、わかるけどお前が息抜きしてる間、土日に能天気に寝てる間、誰が家事育児してるか考えろよってキレちゃった。夫だって疲れてるのはわかってるのに。
子どもにも全然笑顔で接せない。一人で遊んでくれてる間、ずーっとプレイマットに寝転んでぼんやりしてる。泣き出すと怖いとか怒られるとか早くどうにかしなきゃという感情が頭の中を覆ってしまってかわいいとか助けてあげたいとかそういう気持ちが萎んできてしまった。
持病があって精神科に通ってて、今まで問題ない患者できたからあんまり言いたくなくて、でもついにこの前吐き出したらとりあえず聞くだけ聞いてくれたけど、でもなんか具体的にどう治療しようとかそういう話はなかった。
その反応見て、「これ私うつじゃないんだ。甘えなんだ」って思ってしまった。
子どもはずっとほしかったんだよ。産まれてきてくれて嬉しかったよ。私この子の前に流産した子もいるから本当に会えて嬉しかった。でも今とても怖いし辛い。この子の情緒がのびなかったら。この子に何か悪いことが起きていたら。どうしよう、どうしよう、って考えてしまってずっと辛い。苦しい。早く死にたい。
保健師さんに連絡したほうがいいのかな。でももしまた通院になったら、子ども預ける先を確保して、預ける準備をして、って考えるだけで死ぬほど面倒だし辛い。
子どものためにも精神なんとかしなきゃやばいけど全然気力が起きない。助けてもらえない気がする。もう死ぬしかない気がしてきた。まだこんなに小さいんだから母親がすげかわったってわかんないよって毎日ぐるぐるしてる
(追記)
混乱の中書き殴ったから反応なんてないだろうなと思って、他の匿名を読むついでに自分で読み返しにきたら意外にコメついててびっくりした。
厳しい意見多いのは覚悟してたけど、やさしいコメントくれた人もいてそれもびっくり。ありがとうございます。
子どもほしがったのは夫。
私はどっちでもいいなと思ったんだけど、「でもまあこの人のためなら産んでもいいかな」って産む前は思ってた。だってその頃は家事分担してたし。本人もちゃんとやるって言ってたし。
産んでからこんな夫が赤ちゃんがえりすると思わなかった。お前が長男かよ。
これは絶対言われると思ってたけど、目にしたらやっぱりウッてなる。
結婚を機に引っ越しして紹介状書いてもらったんだけど、新しい病院だと神経内科がなくて、持病を見れる先生が精神科にしかいないって言われたから精神科に通院してる。
初診の時声をひそめられるわ、なんかやばい人が暴れてる横に座らないとだわ、なかなかカオスだなと思った。
まあ今私もメンタルぶっ壊してるけどね。バチが当たったのかな。
実家頼れはするけどいかんせん遠いのと、義実家は近くに義弟夫婦が住んでてそこがもう頼りにしてるのであんまり頼れない。
辛い時は実家帰ってるけどその間の家事を夫が全部溜めててげんなりした&今予防接種と保育園見学が立て込んでるから終わったら予定立てるかなと思ってる。
ただそれが最速で三週間後とかになりそうで、そこまで保たないからやっぱりこっちでサポート受けられる地盤も整えないとなと思ってる。
保健師さんとの関係はまあまあなんだけど、掛け持ちで忙しくて全然捕まらない。からあんまり連絡してない。たまに地域の子育て広場にきたら受付に声かけてね!って電話がくるけど、何回か行ってそのたびいないし、時間教えてもいないからもういいかなと思っちゃった。
今日は朝夫に「もう無理です。死にます。別室で寝かせてください。その間こちらの部屋に子ども連れてこないでください(一回別室で寝るってお願いしたら10分後に連れてこられたことがあった)」ってお願いして1時間寝たら少し元気になった。
そしたら怖かった子どもがすごくかわいく見えて、このままじゃいけないなって思った。
とりあえず読み返しても自分が普通じゃないなってのはやはり思ったので、週明けもう一回保健師さんに連絡して、ドゥーラさんも探して休めるようにします。
https://blog.kodato.com/management-mindset
はてブではこの記事の評価は真っ二つだった。題名だけで脊髄反射で批判書いている人も居るし、読んでマトモな事と書いている人も居る。
自分は読んだ上で書くが記載されている内容で経営者マインドとかは到底無理だ。権限とか役職は当たり前だけど給与に決算賞与でカバー、でも分配は社長の俺判断とかで経営者マインドとかつく訳ない(純売上の10%超えたらと言う条件を明示しているだけマシだが)
経営者マインドを持ってほしかったら会社の売上で給与が激変するようにしないと駄目。更に給与も高くしないと駄目。その二つやらずに会社のこと考えてくれとか甘え。というか経営悪化しても役員の給与保障されてるの?そんな盤石な地盤ある奴に会社のこと考えろとか命令されるとかウケるわ。馬鹿か、大した仕事もしない歳だけ重ねた社会のお荷物がよ。
責任と権限与えるから給与高くする。でも期限までに成果出なかったら給与下げるし最悪責任と権限も外す。会社の業績上がったら更に給与上げる。これだけが経営者マインドを与える唯一の方法。反論は無いだろう。
システムを「フュージョンカード」として多数の歴代のウルトラマンの力を生かすアイテムを作り出したのがオーブ。
その後のウルトラマンも様々なウルトラマンの力を宿したクリスタル、キーホルダー型のアクセサリー、メダルなど沢山のグッズが出ています。
つまり、ゼロを先頭としたニュージェネレーションのウルトラマン達がとにかく様々なグッズを展開し、我々を飽きさせないアイテムを開発し続け、苦境から何とか走り続けて来たことで今の圧倒的な人気を盛り返し、各地でライブイベントなども行われるようなコンテンツへと引き上げてくれたと言っても過言ではありません。
もちろんニュージェネレーション達の土台には昭和、平成から活躍してきたウルトラマン達の地盤にあった人気があったというのも忘れてはいけないことでしょう。
ここで考えて欲しいのです。
サブスクリプションサービスも公開され、ライブイベントや様々なグッズ展開。
そして新しいウルトラマンのテレビシリーズの他に展開される様々な動画作品やボイスドラマなどのコンテンツ。
その中でも、確かにギャラファイは今までウルトラマンがテーマとしてきたものや、長所としてきたものをかなり削ぎ落としているかもしれません。
平成三部作と呼ばれるティガ、ダイナ、ガイアアグルなどがまだ登場していないのも不満かもしれません。
しかし、考えて欲しいのです。
ウルトラマンシリーズのなかでも、他作品、映画に客演の回数が多いのは「光の国」に所属するウルトラマン達。
ウルトラ兄弟と呼ばれる存在や、ウルトラマンマックスからメビウスなど。
ティガ、ダイナ、コスモスなどは比較的客演の数が多いですが、常に彼らが自由に光の国の世界へ来れる描写を描かれたことはありません。
さらに、海外で活躍していたウルトラマンや、ミニアニメ、OVAなどで活躍していたウルトラマン達は映画以外ではほぼ客演の機会がありませんでした。
それがニュージェネレーションで盛り返した人気と共にリリースされた作品で、再び活躍することが出来ているのです。
グッズの種類は少なくなり、サイズは小さくなり、一時期はウルトラマンというコンテンツそのものが終わってしまうのではないか、とまで考えたことがある身として、だから考えを改めてくれとは言いません。
ギャラファイがないと再び活躍することや、その後を知ることが出来なかったウルトラマンもいるという事です。
CGの多用や壊れるものがほとんど無い場面を手抜きだと評価する人もいます。
しかしギャラファイはゼット、トリガー、デッカーと重なる時期に放送、制作されているのです。
当時放送している新シリーズのクオリティを維持しながら歴代ウルトラマンが登場する作品を作っているという事実を考えた時、妥当な舞台設定であると言えるのではないでしょうか?
もし本当にあなた達が沢山セットを壊す戦闘をして欲しい、新しい怪獣を作って欲しい、そう思うならば。
公式が出すアイテムや作品をきちんと応援するべきではないでしょうか?
沢山お金を使ってくださいということではありません。
公式から出される作品に文句を言うなということではありません。
ただ、あなたが今見て評価を言えるようなコンテンツが今作られているのは、この作品を作っている人々が本当に苦しい時代を乗り越えてようやくこんなに沢山の作品を一年に展開できるくらい盛り返してくれたからなのだ、と覚えていて欲しいのです。
本当に一時期は消えてしまうのではないか、二度と新しいウルトラマンは来ないのではないか、と思われていた時代を乗り越えて、スーツも新しくした沢山のウルトラマン達が活躍できるほど力を取り戻したのが今なのだと。
そう覚えていて欲しいのです。
批評できるほどのクオリティとコンテンツの豊富さをあなたたちに与えてくれているのは、その作品を作っている人達が、そしてそのコンテンツを購入するなどして支えた人達が苦境を共に乗り越えてくれたからなのだと。
ただ、覚えていて欲しいのです。
上記に長々と書いた文は、当時の記憶と漏れ聞いた情報を元に書き綴ったものなので誤りは沢山あると思いますが、私が言いたいのはこれだけです。
お目汚し失礼致しました。
本当はこういう文書くのどうかなあと思ったんですよね。
こんなこと書いて自称ジャンルの治安維持を名目にしたお気持ちヤクザみたいなファンって言われると困るなと思うけど、言われても仕方ないしなと思いましたし。
対象は子供向け作品ですし、実写作品で現在大人気のコンテンツですし。
でもちょっと昨今の意見の分かれ方を見まして、「考え方を変えろとは言わないけど頭の片隅には置いておいて欲しいな」と思ったので書かせて頂きました。
大人気の特撮シリーズでウルトラマンってシリーズありますよね。
去年大盛況でしたね、「シン・ウルトラマン」とか。
最近新しいウルトラマンと番組の放送時期の発表が来たり、今も新情報のカウントダウンが行われていますね。
その新情報を巡りまして、その中の一つの作品、「ウルトラギャラクシーファイト」という作品が今注目を集めています。
「ウルトラギャラクシーファイト」は今3シーズン?3作品?出ています。
最初のシーズンは今「ニュージェネレーション」というジャンルで分類される新しいウルトラマン達(キャラ名は沢山いるので割愛します)にスポットライトを当てた話でした。
その次のシーズン、「大いなる陰謀」、続く「運命の衝突」ではアブソリュートタルタロスという新しい敵、その仲間たちがやってきて、ウルトラマン達は新しい脅威に立ち向かわねばならない…という話でした。
「ウルトラギャラクシーファイト」というシリーズには実は基本ウルトラマン達しか出てきてません。
世間によく知られている、「人間とウルトラマンが何らかの要因で一体化し、その正体を隠し続けながら日夜地球に訪れる脅威と戦っているよ」という話では無いわけです。
まず「ウルトラマン」という作品は「円谷特撮ヒーローシリーズ」の一つです。
世間でよく知られているミニチュアのジオラマや、火薬による爆発、ウェットスーツや着ぐるみを着用したキャラクター達との戦闘を工夫を凝らして撮影したシリーズですね。
怪獣の口から出る光線で吹き飛ぶ街、逃げ惑う人々、ウルトラマンが怪獣に投げ飛ばされてその背中で押し潰される建物。
そしてウルトラマンと一体化することになった人間の苦悩、その秘密を隠し続けなくてはならないジレンマ、戦闘が続く中で人々を守るために常に選択と苦難に向き合わなくてはならない日々。
そして、人間とは全く違う存在、「ウルトラマン」達と種族を超え、文明を超え、理解し、絆を深め合うストーリー。
心が踊りますね。
長いので以降「ウルトラギャラクシーファイト」は「ギャラファイ」と略させて頂きますが、ギャラファイには実は人間、出てきません。名前を呼ばれたりはします。
ほぼウルトラマンと怪獣と星人と、「アブソリューティアン」と呼ばれる強大な敵の物語です。
「ウルトラマンとは人間との関わりを大事にした作品ではなかったのか」
「俺はウルトラマンが自分より脆くて弱く、利己的な存在である人間と接して影響を受けたり与えたりするのを見たいんだ」
という意見が出てきました。
「特撮らしく、人間にとっては巨大な建造物を軽々と超えてしまう身長を持つ怪獣とヒーローが戦い、街を破壊したり守ったりしながら戦うのが見たい」
「何かを守るために戦うのがウルトラマンではなかったのか。人間との関わりもなく大義名分もない戦いをされるのはウルトラマンではない」
という意見も見ました。
かなり前の作品なんですが「ミラーマン」という作品があります。
「ミラーマン」は大人も楽しめる特撮として作られた作品なので初期の方はかなり人間にスポットライトを当てた話があります。
自分の出自に苦しむ主人公や、生き別れになった親子、すれ違う恋人、心の寂しさを紛らわすために変な宗教にハマる人とかね。
でもその人間ドラマより、ミラーマンで人気だったポイントは「ヒーローが巨大化して巨大な怪獣と戦う」という所だったそうです。
これの裏付けになるかもしれない話がありまして、「ミラーマン」には裏番組として「シルバー仮面」という作品がありました。
ミラーマンが巨大化して怪獣と野山をころげ回って殴り合いをしている頃、シルバー仮面は商店街で敵を追いかけ回していました。
結果的に言いますとシルバー仮面もこれを受けてシリーズ中盤から巨大化能力を手に入れています。
つまり「巨大化したヒーローと怪獣の戦い」は視覚的なダイナミックさもさることながら、ただ大きくなったのではなく、戦う中でセットを派手に壊したり、爆発で吹き飛ばすあの迫力で人の心を引き付けるのだ、ということが証明されたわけですね。
それがギャラファイになりますと、まず舞台が宇宙の上にウルトラマン達の故郷、光の国とその周辺の惑星ですからまずみんなウルトラマンサイズで物が出てきます。
ウルトラマンが見上げるくらいの高いタワー、ウルトラマンと同じくらいかそれよりちょっと身長が高い敵。
その辺を壊してもあんまり心が痛まなさそうな岩だらけのなんにもない惑星。(焼き尽くすと心が痛みそうな緑に囲まれた星もありますよ)
これは確かに先程述べた特撮のいい所が全部取り去られたように感じますね。
その辺のゴツゴツした岩が光線で溶けたり切り落とされても、街中で戦闘している時、もしかしたら逃げ遅れた人がいるかもしれないビルが崩れて「ああっ大変!」という気持ちはちょっと湧かないかもしれませんね。
皆同じような身長の敵やウルトラマン達がボコスカ殴り合いをしてもその辺の人間の喧嘩にしか見えないかもしれませんね。派手な光線やアクション、音が付いていても。
なんでかと言うと「ウルトラマンに恨みを持つ連中」が大半だからです。
理由はまだはっきりと明かされていないのですが、ギャラファイ2、3でアブソリュートタルタロスは、自らもその一人である「アブソリューティアン」という種族の存亡のため、ウルトラマン達を排除したいと思っているのです。
なので歴代のウルトラマン達に倒されてきて、ウルトラマンに恨みを持っている強敵達を主に蘇生させて戦いに臨んでいるので割と地球は安全(多分)なんですよね。
となると「地球がピンチだから地球人の皆!力を貸して〜!」ともできませんね。
ウルトラマンシリーズのテーマの根幹である「ウルトラマンと人間の関わり」も描かれないわけです。
こうして描いてみると結構困りましたね、ウルトラマンシリーズの魅力の大半を削り落としているわけです。
でもギャラファイが全く魅力的では無いのか、と言うとそんなことはありません。
大きなポイントは三つ。
「ニュージェネレーション以前の歴代のウルトラマンをかなり網羅している」
「登場回数が少なかったウルトラマンのモードを細かく拾っている」
「各作品やメディアミックスにわたる小ネタを各所に織り込んでいる」
というのがポイントです。
みんなご存知ウルトラマン。
そのウルトラマンを最終話で迎えに来たゾフィーを初めとする「ウルトラ兄弟」と呼ばれる昭和から生み出されてきたウルトラマン達。
俗に「平成2期」と呼ばれるコスモスを始めとしたネオス、ネクサス、マックス、メビウスのシリーズに登場するウルトラマンたち。
そして、ウルトラマンUSAやパワード、グレート、リブットといった海外作品に登場したウルトラマン達。
ギャラファイ3にはミニアニメや劇場版作品だったナイス、ゼアス、ボーイなども参戦していますね。
これらを合わせると実に沢山の様々なウルトラマン達を登場させてくれたのがこのギャラファイシリーズです。
実はこの中には
「作品が発表されたものの、長らく客演もなく後日談でどこへ行ったのか、今何をしているのかも分からなかった」
「作品終了後、メインのウルトラマンしか客演がなく、サブのウルトラマンとどんな関係になっていたのか分からなかった」
「作品が終わったあとも、一緒に戦った仲間と協力して任務についている」
「とある惑星に留まり、誰かに力を与えたり、道を示す役割をしている」
そして次のポイントですが、今まで登場回数などが少なかったウルトラマンのモードチェンジなどを生かしているのもギャラファイです。
ギャラファイ2の時大騒ぎでしたね。
ウルトラマン達の危機に、共に戦った仲間であるウルトラマンジャスティスとともに駆けつけたウルトラマンコスモスのスペースコロナモード。
ご時世がご時世でしたから名前的に出せないんじゃないかって言われていたのにまさかの登場です。
スペースコロナモードってウルトラマンコスモスの劇場版にしか出ていないんですよね。
しかも宇宙での活動に適したモードですので地球に来るとよく知られてる青いルナモードやエクリプスモードになっちゃう。
でもギャラファイは宇宙空間の話なので何とスペースコロナモードでの登場に違和感がなかったわけです。
そして極めつけはウルトラマンコスモス劇場版3作目に登場したコスモス個人としての究極形態、フューチャーモードに、同じくウルトラマンコスモス劇場版3作目に登場したウルトラマンジャスティス クラッシャーモード。
そして更に2人が合体したウルトラマン、ウルトラマンレジェンドまで。
同じシリーズのクロスオーバー作品で客演は何となく予想出来ても、ここまで丁寧な客演での活躍描写はなかなか他でも見られないはずです。
そしてもうひとつ、ギャラファイ3に登場したウルトラマンネクサス、ウルトラマンノア。
ウルトラマンネクサスは「ウルトラマンネクサス」個人として三つの形態を持ち、ギャラファイではその全ての形態を披露しました。
そして特筆すべきは、ウルトラマンネクサスが持つ固有の能力、別次元を展開し自分を含めた対象をその空間の中に取り込む「メタフィールド」の能力を作中で描写したことです。
ウルトラマンノアはウルトラマンネクサス最終話に登場したウルトラマンであり、その特殊性は、客演したウルトラマンゼロが活躍する「ベリアル銀河帝国」でも書かれています。
しかしそれ以降の登場が殆どなく、ギャラファイで登場した際は多くの人を驚かせました。
ギャラファイではジャスティスのスーツなどがそうなのですが、ショーイベント用のスーツを転用したりして使われています。
しかし長らく登場の無かったノアは綺麗に新しく作られて登場したわけです。
ギャラファイ2ではコスモス、ジャスティス、ネオス、セブン21、80が共闘する話があります。
平成2期組、一人は昭和と一見関連性が分からないように見えるこの組み合わせですが、実はコスモスとネオス、80は他作品や時事関係で繋がりがあります。
コスモスはテレビ放送当時、事情があって最終回手前でテレビ放送を続けられなくなってしまったことがあるのですが、その空いた枠を1クール作品を作り走りきることで繋いでくれたのが、元々イベント限定のウルトラマンだったネオス。
そして、80は漫画「ウルトラ超闘士激伝新章」にて自分の力を制御出来ず苦悩するコスモスを宥め諭したキャラとして書かれた繋がりがあります。
長くなるので他の小ネタは各自でお探し頂くことをお願いしますが、ざっとこれだけの魅力がギャラファイにはあるわけです。
しかしそれだけが、今回ギャラファイに起きている賛否両論について考えたことではありません。
私がこれからお話する、「これを聞いて考えを改めなくていい。でも頭の片隅に置いておいて欲しい」と思う話は、まずざっと10~15年前の話に遡ります。
前衛的なストーリーとテーマで視聴率にかなり波があったウルトラマンネクサスが放送された頃でしょうか。
当時の時点で円谷プロダクションはかなり危うい状態だったそうです。
ウルトラマンネクサスのメタフィールドなどにその一端が現れています。
背景は不思議な光の演出、地面はゴツゴツしたあまり壊れるものがない岩場という異次元。
壊すセットの削減です。
ウルトラマンネクサスがほぼ毎回メタフィールドや山の中で戦っているのはこういった事情が反映されています。
ネクサスの終了後、マックス、メビウスと作品は続いていきましたが、その後長らく新しいウルトラマンが現れないという時期が続きました。
新しいコンテンツとして生まれた大怪獣バトルには殆どウルトラマンが出ず、怪獣で戦うレイオニクスバトラーレイモン、そして今後大出世を遂げるゴモラ、ウルトラQにて活躍したリトラなどが活躍しました。
そしてその大怪獣バトルの劇場版でウルトラマンシリーズに変化が訪れます。
もう10年以上経つけどニュージェネレーションの戦闘を切って未だに全然に立ち続けてるウルトラマンがいますね。
彼です。
彼の登場でウルトラマンを好きだった人々は大いに沸き立ちました。
大怪獣バトルの辺りでかなり会社が苦境に陥っていることはよく知られていたので「もう新しいウルトラマンを作れないくらい疲弊しているのか」とまで言われていたコンテンツが見事に彼の力で持ち直しました。
その後ウルトラマンゼロは宿敵であるベリアルとの戦いを続け、過去作品からリブートされたミラーナイト、ジャンボット、ジャンナイン、グレンファイヤーなどの仲間と活躍し、それは後のニュージェネレーション達、ウルトラマンギンガやビクトリー、Xやオーブ、ジード、ルーブ、タイガ、ゼットと後続の作品を押し上げていくことになります。
もちろんゼロやウルティメイトフォースゼロと呼ばれるチームのキャラクター達だけの活躍ではありません。
昔から集めていた人々はご存知だと思いますが、昔のソフビは今より大きく、種類も豊富でした。
放送終了したウルトラマンのタイプが数年後も全部売り場にあったくらいです。
しかし、大怪獣バトル周辺から種類は少なくなり、サイズは小さくなり、塗装も前身のみになっていきました。
しかしそれに対して挑戦したのがギンガやX。
「スパークドールズ」という足にコードが書かれたシールがついた新しいソフビを開発することで、「ソフビと玩具を連携するグッズ」を作り出したのです。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20230415/k10014039411000.html
事件そのものについては怪我人が出なくて本当によかったということくらいしか現時点で言えることはありませんが、それ以外のどうでもいいことについていくつか。
番所庭園はテレビ和歌山のキャラクター栄谷五郎が地球に降臨した場所です。
何もありませんが大変気持ちのいい場所なので、わざわざ来てとは言いませんが、近くに来る機会があればついでに海風を吸いにきてください。
https://www.youtube.com/watch?v=V_EBwr4iPOw
雑賀という言葉のルーツは、雑賀衆がいた「雑賀荘」という地域の名前です。日本酒の雑賀(九重雑賀)は創業一族の名字が由来。雑賀さんという名字の人は、多いというほどでもないけどちらほらいます。
雑賀崎はサマータイムレンダの舞台のモデルの一つで、漫画・アニメの聖地巡礼として今年もばんばん観光客が来るはずだったのに、こんな大変な事件が起こってしまうとは。
https://www.wakayama-kanko.or.jp/features/summertimerendering/wakayama-shi/
地盤である県の中部から南部では、土地の事情(人の住んでいる場所が点在していてそれらをつなぐ道が貧弱)から、土建のお金を引っ張ってくる二階の存在に意義があったわけだけど。
保守王国と呼ばれることもありますが、なんでも国や自民党の言いなりというわけではないよ(原発もカジノも作らせなかった)。
漁師最強やな
特に屈強な人が多いというわけではないと思うけど、農家と比べると咄嗟の判断で動かないといけないシチュエーションが多いのでね。でも今回は何が起こっているのかリアルタイムでは分からない危険な状態だったわけで、二次被害が出なくて本当によかった。
ちなみに一昔、いや、二昔か三昔前までは、漁師の奥さんは看護師というのがわりとよくあるパターンでした。漁師は怪我が多いので病院が出会いのチャンス&天候や季節に収入が左右されやすい仕事なので奥さんに定職があるほうがよい&漁師は超朝型生活なので奥さんが不規則な交代勤務でも家事や育児を回せるということで。