はてなキーワード: 視力とは
自分は15年くらい前にレーシックの手術をしてメガネが不要になり、その後の見え方も順調ではあったけれど徐々に視力が落ちてきた。
手術前は世界の全てがぼやけていたので現在のほうが全然マシではあるのだけれど、左右ガチャ目になってスマホの文字の焦点が合わず読みづらくなった。
年齢的に老眼だと言われるかと思ったら、左が乱視で右が近視だった。
仮レンズを通して見る世界はかなりはっきりしていたので、あーやっぱりこんなに視力が悪くなってたのか……と実感した。
個人経営の専門店だったので客も少な目で、レンズもフレームも時間をかけて調整してくれたのでめっちゃ満足した。
久々のメガネだけどかけるのが楽しみだ。
演劇嫌いじゃないけど劇場に見に行くのはあんまり自発的にしない。誘われたら行くけど。
なんていうかこう、芝居ってコストが割に合わないなーと思う。
この前行った舞台がS席(一万五千円)で前から19番目の列で、確かにいい席なんだけど双眼鏡使わないと人の顔なんかほぼ豆粒サイズ。
自分の視力だとやってることは見えるけど全体の流れを見る感じ。役者は一生懸命やってるんだから顔の演技もちゃんと見たいけど、双眼鏡覗いてたら全体が見えないジレンマ。
あと、「主人公が話してる横でサブキャラが何かやってる」とかも演劇が疲れる一端だと思う。面白いし好きなんだけど、初見だとどっち見ればいいのか目があっちこっちして疲れる。テレビドラマだとズームインとか勝手にしてくれるし、顔もはっきり見えるし、見返せる。
ライブ感というか、その時にしか存在しない芝居とかが演劇のいいところだとおもうんだけどそれってマイナスでもあるよな…
ついでに言うとソシャゲ廃人でも演劇チケット代は高いと思うよ。
たかが画像のキャラクターをガチャで出すのに1万使っててもそのキャラクターはサービス続く限り手元にいるし何度でも見返せるけど、演劇チケットは1~3時間の視聴でおしまいだし。
俺は今までの人生を後悔するだろう。
じゃあ10年もあればそれが無いように出来るのか?
それについて考えているウチに気づけば40歳になった。
大学在学中に同じことで悩みまくってメンタルが死んで引きこもり、2年休学して大学を卒業するも就活は難航。
こりゃもう筆記の点数で全部解決するしかねえなと勉強しまくって公務員試験で勝負し、今は係長、部下に仕事を押し付けつつ上司の頼みは断りまくる技術を磨いたので残業はあまりせず年収は550万だ。
仕事の空虚さや職場でのイメージの悪さを考慮しなければ人生はそこそこ上手く行っているはずだと思う。
趣味はない。
特技はない。
伴侶はない。
両親はまだ健在だがそろそろ怪しい。
正直、人生でやりたいことが思いつかないのだが、何も成し遂げていないということに対しての無力さだけは凄い。
せめて消費活動ぐらいは精を出そうと、35ぐらいの頃にベストセラーを読み切ろうとしていたが、毎年の売上1位と直木賞・芥川賞辺りを読み切った所で飽きてしまった。
そういえば30歳の時には映画のオールタイム・ベストを見漁っていたが、アレで何かが得られたという気もしない。
ゲームも完全に飽きている。
こういう輩がAI絵師だのなろう作家だのをやるべきなのだとインターネットじゃよく聞くが、ちょっと試してみて合わなすぎたので辞めた。
表現したいことがないわけじゃないんだが、表現しきれたと思えるレベルに行くまでにかかる時間や手間が割に合わないと感じてしまう。
たとえば脳みそから直接イメージを吸い出せる装置が20年後に開発されたりして、それから全部やればいいんじゃないかという気持ちさえある。
でもそれを待ってる間にがんで死んだりするんじゃないかという不安があるわけだ。
どうしたものか。
多分みんな同じことで悩んだことがあり、そのあとに「考えても仕方がない」で終わらせたんだろうな。
自分も一度はそれで乗り切ったが、再び見つめ合ってみると、どうもコイツについてちゃんと片付けずに終わらせないとあとで本当に後悔するんじゃないかと不安になってきた。
そういえば大学のときは就活に失敗してやりたくない仕事を毎日やって過ごすことをどう思い過ごすかが悩みの中心だったように思う。
あれから15年公務員をやっているが、自分の人生において実に無駄で価値のないゴミのような時間だった。
本当にただただ給料が最低賃金よりは多く貰えることにしか価値がない。
公文書偽造のスレスレを常に自己責任で歩まされ、いつ犯罪者としてさらし者になるのかと怯えながら暮らしてきたことを考えると給料に見合わなすぎる。
まあ、工場で最低賃金を下回って働いている人達が労災もまともに降りないまま指や視力を実際に失っているのに比べれば、まだ起きてもない公訴のリスクなんて軽々しいのかも知れんが。
虚しいな。
どうすればよかったんだろう。
これからどうすればいいのだろうか
乱視を凍結する技術とは、視力が悪い人にとって夢のようなものです。
この技術は、レーザーを使って角膜の形を変えるのではなく、液体窒素で角膜を凍らせて固定するというものです。
この方法なら、角膜が傷つく心配もなく、視力が安定するという利点があります。
それは、凍結した角膜が溶けると視力が元に戻ってしまうということです。
つまり、この技術を受けた人は、常に涼しい場所にいなければなりません。
夏は冷房の効いた部屋から出られなくなりますし、冬でも暖房をつけることができません。
さらに、感情が高ぶると体温が上がるので、恋愛やスポーツなども禁止されます。
https://anond.hatelabo.jp/20230418213201
「降ります」なんて言われなきゃわからないボンクラこそが車内のストレス源になってるって気付け。
降りる奴がいねえ駅なんかあるのかよ。
どの駅でも相当数降りるのは当たり前なの。
俺なんか自分の立ち位置がある程度ドアに近ければもう毎駅さっさと降りるわけ。
降りますか降りませんかなんてやりとりがムダなの。
実際にそいつの影響の波が自分とこまで来る前にとっくに対応できるわけ。
わかる?
降りる奴もそれを通す奴も阿吽の呼吸なの。
いちいち「降ります」とか言われなきゃわかんねえ、言わせてるって時点で
「何故言わないんだ」じゃねえんだよばかが。
無言でぎゅうぎゅう押すんじゃない。
こっちに準備する時間をよこせ。
立ってる奴でも一歩を踏み出す前の体重が動き出した瞬間、
もうわかるだろそいつが降りるのは。
お前がボケー――――ッとしてるだけで。
なにが「ぎゅうぎゅうするな」だ。
さっさと動けるし動いてしかるべきなのに気付かず動かずボケーっとしてるバカタレの無作法&電車遅延原因ムーブに対してぎゅうぎゅうが発生してんの。
俺がお前の立場だったら「あ、ボケっとしていた、ミスった」と恥を感じるんだわ。
ぎゅうぎゅうであれ「降ります」であれ、そんな意思表示をさせてる時点で俺の落ち度、俺の失点。
ほとんどのまともな人間はそういうルールで満員電車にのってんの。
合図があれば、それなりにみな準備するんだ。
立ってる全員に余裕が無いことくらい、乗ってればわかるだろ。
合図なんか要るか!
座ってる人間立ってる人間と降りるために動き出す人間は全然違うから
そんなもん聴力視力とも相当悪くてもわかるぞ。
お前は感じ取ろうとする意志が一切ないだけ。
それか発達障害。
後者なら責めちゃ行けないのかもしれないけど、
怪我するようなことがあったとして、無言だったら、
たまーにいるお前みたいなボサーっとしたのが本当に邪魔だといつも思ってる。
どうしても「降りまーす」が必要になるのは事故の振り替えとかで車内が異常に混んでて殆どの人が本当に容易に動けないってときぐらいなんだわ。
お前がハッタショならしゃあないけどそうならそう書いてくれ。
頼む、口がついてるんだったら、言ってくれ。
言ったらかっこいいぞ。
「お前は『降ります』なんて言う見ればわかることを
気づけなくても仕方ない場面で「エクスキューズミー」言われても気まずくないけど
本来気づけなきゃいけない場面で「エクスキューズミー」言われたら気まずいだろ。
失敗を指摘されてるわけだから。
「降ります」なんて無作法なこと言わずに気づいてくれるのを待つ。
自分で気づいてどいてくれる方がお互いに気分がいいやりとりだから。
お前は本当に人の三倍いろんな察しの悪い半人前の分際でなに言ってんだほんとうに。
いちいち言われねえでも感じ取って動け。
それくらいも出来ねえ車中足手まといであるのみならず
本当に格好悪いぞ。
もう電車使わないでくれ。
マジで。
その子は、何かの病気の影響で極端に運動能力が低く、身長も低く、身体もみるからにガリガリだった。(小1くらいの時にすでにメガネをかけていたから視力も悪かったと思う。)
体育で50m走をする時は、その子だけ50mを走り終えるのに40、50秒とかかかっていた。
走り方をみていると頑張って走ろうとしているのはわかるのだけど、普通の人の走りと違って両足が地面から離れている時間がなかった。速度も普通の人の歩く速度と同じくらい。
校舎の改装でグラウンドが使えずに、近くのグラウンドに行く時もその子が歩きが他の人より遅いために自分のクラスだけ毎回体育の時間が短かったりした。
授業間の移動で階段を使う時も、手すりを使わないと階段が登れずにいた。(高学年になると筋肉がさらに衰えてしまったのか、エレベーターを使うようになっていた。)
高学年になると、その子は移動する時はキャスター付きの箱のようなものに体重を預け、移動を楽にしていた。
ただ頭は小学生の頃からそこそこよく、中学の受験前になっても塾では一番上から2番目くらいのクラスにいた。
高校に上がってからは全く疎遠で、会う所か連絡すらとっていない。(風の噂で、高校の階段はキャタピラのようなもので上っているという話だけ聞いたことがある。真偽はわからないが。)
大人になってこのことを思い出し、気になり筋肉関連の病気を色々調べたがそういった病気の多くは数年で亡くなるなどの記載があったため、どれも違うなと思い結局のところわからずじまいだった。
数年ぶりに夢に出た。
変わっているところもあったが、基本構造は昔と一緒だ。地元にあって今はイオンになってしまったSATYがベースになっているが、地上二十階くらいに巨大化している。
俺がよく歩き回るのは本屋とCDショップが一緒になった妙にサイバーなインテリアのフロア、そしてその上の3フロアくらいに渡って立体的に広がるゲームコーナーだった。薄暗いかわりにレーザー光と蓄光塗料でけばけばしく彩られたゲームコーナーに様々な時代のゲーム筐体が並ぶ。中央にあるコイン落としは3フロアぶち抜きの巨大なマシンで、いつも老人がまわりに張り付いている。体を使うアクティビティ系のアトラクションもある。スノーボードのハーフパイプが倍くらいの規模になったやつがあって、特殊なシューズをレンタルして遊ぶ。受付で300円払って履いている靴と専用シューズを交換する。このシューズは床にピッタリくっついてハーフパイプを登れるモードと、床との抵抗を限りなくゼロに近づけて高速で滑れるモードを任意に切り替えられる。これを駆使してトリックを決めたり、延々滑ったりして遊ぶ。現実の俺は自転車通勤くらいしか運動はしないが、ここでは自由に体が動く。周りを見ると俺の他には小中学生しかいない。しかし彼らが小さい子供だという気はせず、同年代だという感覚がある。これはこのアトラクションが生み出された時期、俺もローティーンだったからだろう。感覚も施設に紐付いている。
祖父が亡くなってからは、この夢のショッピングモールでたまに眼鏡屋に立ち寄ることがある。最後に祖父と話したのが眼鏡屋だったからだろう。今回もそのイベントがあった。祖父がそこにいた。祖父は視力を測る機械の前に座って、奥で店員が老眼鏡を調整するのを待っている。
そう言って祖父は自身の瞳を指さす。俺は吸い込まれるように瞠目する。祖父の瞳は薄いグレーだ。知らない人も多いかもしれないが東北にはそういう目の純日本人がたまにいる。虹彩の細かな模様がきれいだと思う。俺の瞳は左だけすこし色が薄い。しかしきれいなグレーというよりは薄茶色だ。視力も少し弱い。完全に祖父と同じ、グレーの瞳だったら良かったのにと思う。そう言おうと思うが、次の瞬間には祖父は消えている。喪失感だけが残って泣きそうになっている。
SATYは実家から遠かった。俺が家族に連れて行かれるのではなく一人でSATYに遊ぶに行くようになったのは高校生になってからのことだ。通っていた高校からは徒歩で行けたので生徒たちの放課後スポットとしては最適だった。でも俺は別にSATYが好きではなかった。一緒に行く友達がいたわけでも、豪遊できるほど小遣いが豊富なわけでもなかった。それでも当時の俺がSATYに通ったのは、SATYへの道が当時好きだったクラスの女子の帰り道とかぶっていたからだ。マッスン、と彼女は俺をあだ名で呼んだ。
そんな流れで俺は15分ほど、彼女と二人きりで話すことができた。彼女は小柄で色白で、顔だけは広末涼子に似ていた。だからここでは広末と呼ぶ。広末は教室ではいつも田中という女子と行動をともにしていた。田中は特別美人でも秀才でもない普通の女子だったが、どうやら俺のことが好きだったらしい。その関係で俺もこの二人と絡むことは少なくなかった。クラスの奴らからは3人組みたいに思われてたかも知れない。しかし俺は田中がいる限り広末の心がこちらに向かうことはなさそうだと考え、いっそのこと田中を殺そうかと思ったこともある。もちろん本気ではないが。広末の家は町の小さな和菓子屋だった。俺は彼女と別れ際、義理で大福をひとつ買ってSATYに向かった。もしかしたら俺が婿入してこの店を継ぐのかも、なんて夢想したこともあった。
高2のある日、たった一度だけだが、広末がSATYに用事があるというのでそのまま一緒にSATYに行ったことがある。画材屋で店のディスプレイの材料を買うとか、そんな用事だったと思う。俺は荷物持ちを申し出て、広末も断らなかった。買い物が済んでから、屋上の植物園みたいな庭でベンチに腰掛けて二人でアイスを食べた。いつも大福買ってくれるから、とおごってくれた。俺はヨーグルト味で、広末はぶどうシャーベットだった。広末は一口あげるといって自分のスプーンで俺の口にシャーベットを入れた。俺は興奮で死にそうだったがなんとか平静な顔を保った。こっちも食べる?と聞くと広末は俺の「あ〜ん」を待つわけでもなく超速でごっそり半分以上ヨーグルトアイスを持っていった。取り過ぎだよひどい、なんて言ったが俺は幸福のあまり死にそうだった。
夢の中ではこの庭が広大で深い植物園になっている。熱帯の植物がジャングルみたいに鬱蒼としている中を歩いていくと、アイスを食べたあのベンチがある。そこには広末ではなく田中がこちらに背を向けて座っていた。
高3になると俺と田中が文系、広末は理系を選択して、広末とは疎遠になった。ただ田中とも別に関係が深まったりはしなかった。田中は既にどこかの大学生と付き合っていて髪を染めたりタバコを吸い出したりして感覚が合わなくなっていた。
夢の中の田中は高校生ではなく、数年後に最後に顔を合わせたときの姿だった。大学を出たものの終活に失敗して東京の小さい葬儀屋で見習いをしていた俺を田中が呼び出した。高校を卒業してから連絡を貰ったのはそれが初めてだったし、高卒で地元に就職した彼女が上京していたこともこのとき初めて知った。葬式が増える真冬で、俺は翌日の葬儀のために付き合いのある花屋に頭を下げて花をかき集めたところで疲れ切っていたが、なぜか田中からの誘いを断れなかった。蒲田にある田中のマンションはゴミ屋敷一歩手前という状況で、冷蔵庫の半分がスミノフで埋まっていた。
夢の中の田中もスミノフをハイペースでのどに流し込んでいる。ふわふわした素材のジャージ上下姿で、底辺の女という感じがした。
「マッスンも飲みなよ。ねえ、あたしさあ、この間また手首切っちゃった。それで救急車来たんだけどなんで来たのかわかんない。別れた旦那がいたから、どっかで見張ってて通報したのかも。ほら手首見る?ねえ寒いよね一緒に寝る?」
田中の視線は定まらずふらついている。あのとき田中がなんで俺を呼んだのか、わからないようでわかるような気もする。歪な三角関係のバランスで三人組をやれていたあの時期が田中にとっては幸福だったのかも知れない。俺は田中を殺したいとさえ思っていたのに。
気がつくとベンチの前には棺が置いてある。遺族が手向けた白い菊の花が大量すぎてご遺体が見えないほどだった。どんな人なんだろうとすこしドキドキする。葬儀屋をやっていると死体を見慣れてしまうが、死に慣れるわけではない。白い花びらにぽたぽたと紫色の液体が垂れる。ぶどうシャーベットだ、と思う。しかし違う。隣で棺を覗き込んでいる田中がヘラヘラと笑いながら手首から紫色の血を流している。遠く幽かにゲームコーナーの喧騒が聞こえる。ハーフパイプでは子供の俺が今もまだ飛び跳ねているような気がする。遠くに来てしまったと思う。
目が覚めると泣いていた。
もう10年ほど職場の人間以外と話しておらず、久しぶりに田中と話せたのが嬉しいと思う。今の仕事はもう葬儀屋ではない。だから長く死体を見ていないが、でも今日もどこかで誰かが死んでいるんだと思うと落ち着く。
SATYに行きたいと思う。
29歳 男
彼女いない歴=年齢
172cm 55kg
ワンオクのTAKAに若干似てると言われたことがある。(自分はそうは思わない)
関西在住
年収390万円(日々の仕事は怠いし給料もう少し欲しいけど、自分のスペック的には妥当だと思うので満足はしてる。毎日定時で帰れるし)
ペーパードライバー(視力矯正しても実際には0.5ぐらいしか見えないので運転したくない。免許更新のときはごまかしてる)
数は少ないけれど気の合う友人もいるし、衣食住もちゃんとできているしで特にいまの暮らしに不満はない。
その気持ち自体はいたって普通の感情だと思うけれど、一つ歪んでいる箇所がある。
それは自分が真人間になるためだけに彼女が欲しいということだ。
一般的には普通に生きていれば恋人ができるらしい。だとしたら今まで恋人ができたことのない自分は普通じゃないということになる。
でも自分的には普通に平凡に生きてきたつもりだ。でも世間的には異常者だ。
ここに僕の強烈なコンプレックスがある。
僕は普通になりたいのだ。一般的な成人男性になりたいのだ。「はやく人間になりた~い」というやつだ。
僕は真人間になるためだけに彼女を欲しているのだ。なんて自分勝手な人間だ。いやもはや人間ではなく自尊心だけが肥大した怪物かもしれない。
この29年間生きてきて、自分が全くモテない人間だということはわかっている。だから、相手に求めるものは特にない。そもそも自分なんかが相手に何かを求めるのはおこがましいことだ。
あ、でもやっぱり年齢は35歳ぐらいまでにしてほしい。すまん、贅沢言って。
あとは喫煙者でもメンヘラでもバツイチでもシングルマザーでも何でもいい。犯罪者とか半グレは怖いのでやめてほしいけど。
何なら3ヶ月で捨ててもらっても構わない。っていうか自分を偽るのは3ヶ月が限界だ。自分は恐ろしくつまらない人間なので素の自分が愛されることはないということは重々承知だ。
でも別にそれでも問題ない。なぜなら「彼女がいた」という実績さえ作れればいいからだ。ただ1回だけセックスさせてくれ。「非童貞」という実績が欲しいから。本当に冗談じゃなく先っちょだけでいい。
一瞬挿入した後に抜いて、「あとは私がイクまでクンニしてろ」と命令してもらえば喜んでクンニさせていただく。
一生に一人でも彼女がいればいいのだ。その事実さえあれば、結婚願望がなく子供も欲しくない自分は、残りの人生を独身で生きていける。「彼女がいた」というトロフィーを眺めながら、日々の人生を歩んでいける。
でもこんなクソな考えが透けて見えるのだろう・マッチングアプリも街コンも全然結果が振るわない。
たまにマッチングしても1回目のデートから続かない。まあ、面白い話できないしから当然と言えば当然なんだけど。少しでも話しやすい空気を作るために、苦手ながらも笑顔を作りつつ、大袈裟にリアクションしてるだけど。
やっぱそれだけだとキツいか。
今日も初回デートを前日でキャンセルされた。なんでや。ワイとはただ飯食えても会いたくないってか。深田えいみの教えを守ってちゃんと奢るのに。奢る機会さえ与えられないとは…。
1(一)ウィンカーを出すのは、周囲に動きを読まれるのでカッコ悪い
2(左)一時停止で停車するのは、初心者っぽくてカッコ悪い
3(三)車線変更や合流で前に入られるのは、相手にナメられているのでカッコ悪い
4(DH)信号無し歩行者ありの横断歩道で停止するのは、歩行者にナメられているのでカッコ悪い
5(遊)雪道だからといってスタッドレスを履くのは、ドラテク不足なのでカッコ悪い
6(捕)暗いからといってライトを点けるのは、視力の落ちたジジイみたいでカッコ悪い
7(右)直進車を行かせてからの右折は、相手との度胸勝負に負けているのでカッコ悪い
8(二) 左折時に歩行者の横断を待つと、歩行者に格下扱いされたことになるのでカッコ悪い
例えば結婚式場はリピーターはいないよね?離婚したとしても再婚は同じ式場でしないだろうし
あとは、レーシックやICLの手術。何回も視力上げることはない性質の手術だから。
他にあるかな?
大きめ缶バッジをつけまくってああなってるのか色とりどりの円を敷き詰めてある一つ一つの円にキャラの半影が描かれることであのような見た目なのか。今日見かけた人のああバッグの話ね。
向かいの歩道で見かけて信号が青になり次第わざわざ後ろから追い越す形になるように迂回したのに結局わざとらしい挙動をしないではなんのキャラかよく見えなかった。検索の手がかりになる特徴がわかるほどはっきりと見えなかった。自転車で相対速度縮まってたはずなのに俺の動体視力はそれ以下のポンコツか。
別に女性向けコンテンツ自体は興味ないんだがそこで描かれるヒロインやその担当してる絵師が描いた女の子がストライクなことはあり得るのでやっぱそういうにつながる情報としてこういう街中での一期一会ならなおさら逃したくないわけよ。
また一生の後悔が一つ増えたわ。
34歳男
妻娘1人
年収500万ぐらい
ICLはざっくりいうと目の中にコンタクトレンズを入れる技術、詳しくは検索して
ホームページではレーシックが20万台、ICLが40万台ぐらいでそのぐらいなら許容範囲かなと思っていたら実際のカウンセリングで68万ぐらいの値段を言われた(自分の視力が低いので)
確かにホームページには40万の後ろに~がついていたので、そのやり方にはそこまで不満はないがふつうに最初の予想の1.5倍はきつい。(医療費控除はあるにせよ)
ICLを受けると眼鏡なし生活にはなるが、40歳代で老眼が始まると老眼鏡生活になるなら効力は少なく見積もって10年。それに70万?年7万??それだけ出す理由ある??と思った
ICLのレーシックとくらべて大きなメリットとして、目の中にコンタクトを入れるので合わなければ外す、という選択ができることがある
ICL手術をするには角膜内細胞の数?が一定数超えていないとダメらしく、コンタクトレンズをつけたり手術をすることで減っていくらしい
自分はその数値が手術できるぎりぎりセーフということで、ほな再手術できなくない?となった
すでにレーシックは時代遅れでICLの時代になっている(眼科医談)そうだが、じゃあそろそろ老眼にも対応したICLが出て、老眼鏡もいらないやつが出るのでは?と思えた
リスクはかなり低いとは言われているが、それが自分に当てはまる可能性がゼロではない。やらんでも生きていけるような手術なので、しかも大金出してやる意味あるか?としっかり考えられた
自分の場合は、ネットで適性検査を予約(無料)→適性検査後手術前検診を予約→次の日電話で検診をキャンセル、という流れだったが適性検査代も無料のままだったし、電話対応も丁寧だったので病院への不満はない
こうやって無料で検査受けて止めるやつがいるから手術代高いんだろうなと思った
というかここに書いてあることはだいたい平松類のYouTubeに載っている。ICLを受けようかと思った人は一回見てみることをおすすめします
この人自体はICL医師ではなく、どんな主張をしている人かは書いてある本を読めばわかるのでそのへん念頭に置いて見ると良いと思う
少なくとも、「ICLは夢の技術!やらないメガネは情弱!」みたいな動画や「レーシックで人生ボロボロになりました絶対許さない」みたいなTwitterアカウントだけを見るよりは確実にマシといえる