はてなキーワード: 地震とは
振動の強度を10段階に設定し、円周率の計算機から送信されてきた0~9の数字に合わせて変化する刺激を楽しむオナニー。
ランダムな振動が果てしなく連続して訪れるため、強い快感に翻弄されたい人向け。
ネガティブな語群(戦争や犯罪に関するもの、不安な感情に関するもの、ヘイトなど)や、反対にポジティブな語群を送信側に設定し、
SNSを自動巡回、検索に引っかかった場合に振動へと変換するオナニー。
基本的に、世間のムードと設定した語群のトーンとが一致した場合に振動する頻度が上がるが(暗い世相とネガティブなワード、明るい世相とポジティブなワード)、
通になると、あえて食い違った設定にすることで、表層的な自我を超えた神秘的な共感が人類のどこかで生じ、それを快感として楽しむことを期待する。
セルフプレジャーにコミュニケーション要素とスピリチュアルを取り入れたい人向け。
いわゆる微弱地震が発生したときに振動することで、疑似的に地球と交歓するオナニー。
マグニチュード3未満の地震は、日本の国土に限っても1時間に数回起こっている(https://www.data.jma.go.jp/eew/data/hypo/)。
何十秒、何分間も連続して生じるものではないため、絶頂を目指すというよりは、不規則な快感を媒介にして大地の存在を感じたい、
地球に思いを馳せたい人向け。
電波望遠鏡等、宇宙からの電波を受信できる施設と提携して行うオナニー。
1977年、オハイオ州の電波望遠鏡で受信された宇宙からの信号は、その強度、発信された時間の長さ、あえてそのように設定した知性を
感じさせる周波数など、知的生命体による可能性が議論されており、観測した人物が残したメモ書きから取って「WOW!信号」と名付けられた。
WOW!信号と同じ、もしくはそれに近い信号のみを振動条件に設定することで、いつかやってくる銀河の果てからの通信を待ち望みつつ、
ファーストコンタクトを心だけでなく下半身でも感じたい人向け。
前半→https://anond.hatelabo.jp/20240718232635
勉強なんてますますしてやるかボケとなり、母が理想としていた聡明で清楚な娘なんてぶち壊してやった。制服のスカートを短くして、私服も男っぽくして、寄り道買い食い、刈り上げにして、運動部で日焼けしまくって、口も悪くなった。母が嫌いなゲーセンにも内緒で行ってた。さすがに身売りとか夜の街とか借金とか法律に反するとかのやばいことはしなかったが、できる限りで親の理想と反対を行った。
学校の授業は楽しかった。一部の先生は母みたいな上から目線で嫌だったが、大体はみんな優しかった。上から目線でバカにする人はほぼいなかった。私立だったからだろうか。勉強以外で得意なことがあるならそれを伸ばそうという校風だったからだろうか。
そうなってからはカンニングなんて頭になかった。気が付けば追試の数が減っていた。追試になったときも同じ追試仲間と一緒に勉強するのは苦じゃなかった。学校で受けた全国模試では下から数えた方が早かったけど、得意科目は上から数えた方が早かったからそれでいいやと思ってた。小学生の頃は得意科目がよくてもメインの科目ができないといけないと思っていたがそんなんど〜〜〜〜〜でもよくなった。父と夜遅くまで遊び、兄弟と旅行や遊園地に行き、母に強烈に怒られた時は友人が「じゃお泊まりしよっか!」と友人宅に何度もお泊まりした。友人の母も「子供がいっぱい楽し〜!ふぅ〜!」なノリでよく花火をして、焼き肉に連れて行ってもらった。この友人の母は「留年しない程度に勉強すればいいじゃ〜ん。あそぼーぜ!」な考えで、影響されたと思う。
一度高校の頃、地学で満点近いテストを母に見せたが「学校の勉強なんだし当たり前じゃん。しかも地学って笑」と笑われた。それ以外覚えていない。くそな思い出。勉強しろ!とお小遣いで集めていた漫画やアイドルグッズを全部捨てられたときもあったが、それでも勉強なんかしてやるか!となった。
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大学受験期に差し掛かり、母がまた中学受験の時のようにテストの点数点数点数となった時期。入りたくもない塾にいれられ、難しすぎる授業を受けた。宿題・予習の量が尋常じゃなく、難しさも相まって何もわからない。学校の点数も口うるさく聞いてくる。親が金を払っているからさぼる事はしなかった。塾の授業も遅刻せずに真剣に聞くが授業スピードはかっとんでいくのでわからない。
その時の塾の先生は優しかった。すっごく初歩的なことを聞いても「わからないの?」と責めて来ない。しかし優しすぎてずっと何度も質問するのがなんだか申し訳なくなってしまった。
せっかく中学で治ったと思った小学生の頃に身に染みてしまった質問は恥が邪魔して何度も質問に行けず悩んでしまう。
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母は教えてくれない。教えないくせに「こんなの聞いていればわかる」「私はできた」と責めてくる。「あんたはやる気がない」「大金を払っているのに」「私は自力で大学に入った」と武勇伝も出てきて家では口を開けば喧嘩だった。点数点数偏差値偏差値検定検定順位順位ばっかりだった。当時の私の偏差値は34で高校3年でようやくギリギリ英検3級が取れた(一敗している)。バカなのはわかってた。学校のテストは大丈夫だが、受験となるとレベルが違う。全くわからない。
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そんな中、塾で模試を受けたとき、ふと横の人をカンニングしてしまいそうになった。目が横に動いたと意識した瞬間に前に戻した。カンニングという選択肢が常に頭にあることに気が付いた。小学生の頃に常態化していたカンニングが邪魔をしてくる。
それから模試の最中は目の前の答案用紙ではなく、自分との戦いだった。駄目だ駄目だとペンを握る。時間を見ようと顔を上げたときに他の人に目がいってしまう。そして自分を責める。カンニングの文字が頭に浮かんでしまう。結局集中できずに模試が終わる。
自分はこんなにもカンニングがすぐ思い浮かぶ人間だったのか。最低だ。でも点数が悪いと怒られる。否定される。もう親は自分に関係ない!と言い聞かせても思い出すのはあの冷ややかな目。「あ、今から怒るな」とわかる表情。思い出すだけで耳が痛くなる甲高い声。早くこの受験戦争から脱しないとカンニングをしてしまう。絶対にしてしまう。早く脱したい。でもどうやって脱するんだ。だめだ、だめだ、だめだ、と模試を受けるのが怖くなった。その後も模試を受けたがカンニングしては駄目だという戦いをしていたことしか思い出せない。いつも終わった後はお腹が痛かった。
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勉強してカンニングしないようにすればいいと勉強しても「カンニングしちゃえば楽なのに」と悪魔のささやきが頭にこだまする。勉強しても頭に入らない。覚えられない。勉強していると何故か頭が痛い。喉が苦しい。お腹に激痛が走る。自習室にいるのに母に怒られてしまうと怯える。母の視線が怖い。怒っていない時でも怒っているんだと毎日思う。あの耳が裂ける金切り声でキレてくる。突然来る。負けないぞと立ち向かおうとする。でも朝「おはよう」とあいさつするのも精いっぱいだった。「おはよう」から何に転じて怒られるかわからない。同じ屋根の下というだけで朝から晩まで、いや寝て意識が飛ぶまで怯えていた。「おはよう、そういえば模試の結果まだ届いていないの?」と言われるのではないか?「おかえり、今度テストだよね?」と言われるのではないか?眠くなって自室に戻ろうとすると「受験生なのにこんな早く寝るの?!」と怒鳴られることがある。母の気分次第だ。
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そんな時、行きたいなと思った大学のAO入試を知った。自分は勉強と指定校推薦は無理だったので早急にAO入試にシフトした。論文と面接は楽しかった。自分の考えを丁寧に文と言葉として落とせばいいので、公式を覚えなくていい。面接も自分の会話ペースに引き込んで、延長するくらいには自信があった。
大学は有名どころに受かったので母は喜んでいた。「あんたはしゃべりがうまいからね!」とドやっていた。「何自分手柄にしてんだよくそが」と反抗期真っ只中の私はキレていた。今までさんざん「勉強できないあんたは大学なんか行けない。受験を舐めている」と言っていたくせに都合のいいやつと思っていた。私が成人した現在は「あの中学に行かせてよかった」とほざいている。お前のせいでカンニングしたという過去が存在しているのになと時たま思い出してしまう。
受かった後に、とある大学入試を本気で真面目に解いて、マーク試験なのに200満点中18点だった時は父は大爆笑、母は呆れていた。「択一式なのにwwwwwま、真面目にといて?wwwある意味天才だwwww」といった父の言葉。なんだかその時に呪縛が解かれた気がした。
母は既に大学に受かっているという体があったから呆れで済んでいたと思う。それか父と兄弟がその点数で大爆笑していたからか。怒られなかった。
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AO入試を受けさせてくれた母には感謝している。大人になってから聞くと「AO入試なら受かると思った」と。「お前にとりえなんてない。おしゃべりがうるさい子。反抗期長すぎて親を何だと思っている」とキレていたくせに。母には感謝している部分とぶん殴りたくなる部分がある。
中学受験についても感謝している。受験させてくれたことには。小学生の終わりかけのころはいじめられていて、近所の公立に行ったらそのままいじめられ続けていたと思う。受験で救われることもあったから、受験を完全なる悪だとは思わない。むしろ受験をして出会えた素敵な人たちがたくさんいる。
当時、いじめられていると母に言ったら「あんたが弱弱しくするからだよ。勉強で見返せば?」と助けてくれなかったので、ま、いじめで受験させたのではなく、母の自己満だろう。それでも私は良かった。複雑な感情だ。
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大学生時代の時は授業と勉強が楽しすぎて単位上限を超えたので聴講もしてずっと大学にいた。
そして検定を好んで受けた時、カンニングを意識することはなかった。自分のペースで勉強するのは楽しい。誰にも怒られず、自由に勉強して好きに試験を受けるのは楽しいので、カンニングなんて微塵も思わない。試験が楽しくて試験中は解くのに夢中になっている。落ちたって「あちゃー」と自己責任で終わるからプレッシャーもない。
検定で〇級受かったと母にいうと「まだその級なの」とバカにしてくる。そんなもんだ。
勉強以外では仲良くしている。受験も就活も終わったからか母は丸くなった。怒らなくなったが、勉強の話になるとこんな感じだ。
社会人の今は帰りに図書館に寄って気象の勉強をしている。今度は地震の勉強でもしようと思う。
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カンニングしたというニュースを見るとカンニングをした子が心配になる。ニュースだから家庭環境は知る由もないけど、気になってしまう。カンニングをしてバレてしまい、退学、そして親から怒られるのだろう。思春期に親から怒られるあの形容しがたい恐怖と不安は自死すら考えてしまうだろう。詳細は分からないが、「この子がカンニングした理由が私と同じならかわいそうだな」と思う。カンニングは悪いことだ。悪いことだという大前提での話だ。金銭の取引をしているようなカンニングは知らん。
ましてやカンニングで責められて自殺、親が学校を訴えるなんて察するものがある。なんで子供がカンニングしたのか親はわかっているのだろうか。(処分の内容は一旦置いといて)
出来心だったとしても何でカンニングという行為をしてしまったのか。いじめとか、学校側がカンニングを仕向けて嵌めたのなら訴えるのはわかるが、そうでないのなら親がどんな思想で訴えたのか、何となくわかってしまう。子供の心情を察する。
定期的に話題に上がる教育虐待を受けて親を殺してしまった女性までは酷くないとはして、テストの点数によって怒鳴られ・責められる子はたくさんいるのだろう。バレていないだけでカンニングをしている子もいるだろう。
それを思うだけで辛くなる。私も反抗期がこなかったらカンニングを続けていたかもしれない。親に逆らえない性格だったらと思う事がある。勉強以外を認めてくれる人に出会わなかったらどうなっていたか。父、祖母や兄弟も私を勉強でいじめはしなかったという家庭環境も助かったと思う。
カンニングをする子は本人の意識の問題もあるかもしれないが、環境も強い気がする。カンニングが悪だとはわかっているが、少しでも点数を良くしないといけない事情がどこかにあるのではないかと思ってしまう。私はモラル<親の優先順位になっていた。悪だと思ってもやらなければいけない。そんな環境があるのだろう。
点数を気にしない人と出会うしかない。そんな環境にしないと抜け出せない。どうにかしてその環境から逃げ道を見つけてほしいと思う。カンニングをしてしまった事実を消すことはできないが、その子がカンニングを続けないという選択肢を選べる環境になってくれ。そう願うばかりだ。
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カンニングした人、ごめんなさい。カンニングした私は最低です。カンニングだと気が付かずに点数を付けてくれた先生たち、ごめんなさい。
今は勉強をすることが苦ではないです。大学に入ってから勉強が楽しくて仕方が無いです。だから昔の分、大学生から今まで勉強しています。カンニングなんて、ニュースを見なかったら思い出さないくらいには存在を忘れています。今は勉強が楽しいです。自由に、好きに、勉強できるのが楽しいです。
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牛丼なら何年でも食べ続けられる
牛丼があるからこそこの世が成り立つ、牛丼を大切にしなさいという教え
年中牛丼を食って腹の中は常に牛で満たされている例え
鬼も牛丼が大好き
大盛りにしとけ
頭の中は牛!牛!牛!、食べたくなったら迷わずに行け
それは無理
ある日 悲しいことがあり吉野家に行くと美味しい牛丼にありつけて幸せになった。
別の日に辛いことがありすき家に行くと美味しい牛丼にありつけて幸せになった。
さらに、怒っているときに松屋に行くと美味しい牛丼にありつけて怒りが消えた
牛丼を食えば世界平和が訪れる、不平不満は消え去るのである。という中国の故事
牛丼を食いに行くため先に牛丼を食う牛丼は牛丼以外にはありえない例え
肉が少ない、汁が多い少ない、できの悪い牛丼にあたった時の悲劇
みんな牛丼が大好き、とりあえず「牛る?」
牛丼に紅生姜をかけすぎるとせっかくの牛丼が赤くなる、だが旨い
思いついたらすぐに食いに行くべき
クーポンは面倒がらず恥ずかしがらずに使いなさい
食べ忘れて腐った牛丼が棚から見つかる、思いがけず不運に見舞われるたとえ、
どっち行くか悩むよね
店員が補充のため七味の瓶を持ってちゃってる事もある、言えば持ってきてくれる
牛丼屋で高額紙幣を使う無作法への戒め、一万円入りまーすと叫ばれる
結局この世で一番美味しいのは結果として牛丼というたとえ
牛丼専門店以外の牛丼はあまり美味しくないたとえ、専門店しか勝たん
身に降りかかる災難を利用して牛丼を食べる、不幸が幸福に転じるさま
辛い世の中だが牛丼を食べて元気になろう
こんにちは、トンボ鉛筆の佐藤です。改めて地震の方は大丈夫でしたか?
このメールを配信した中には、被災されている方が多数いると思います。
直接的な力にはなれないですが、
帰宅して、実際の東北の方に比べる程のものではないですが被災の怖さを感じました。
さて、先日は咄嗟のメールだったので、返信しなくても大丈夫ですからね。
会社は大丈夫です。揺れは大きかったですが、今のところ大きな事故・怪我の連絡は入っていないです。
本当は週明けに全員に送ろうと思っていたメールです。
こんなことくらいしか出来ませんが、履歴書とESをお送りします。
ただ、非常に厳しい条件をつけさせていただきます。
その条件とは1点だけです。
書類選考を希望される方は、添付の専用履歴書とエントリーシートをご確認いただき、
3月15日(火)消印有効でその2枚をセットにし、下記までご郵送ください。
直前に説明会へ予約が出来た場合は、ひとまず書類持参でお越しください。
自分で考えてみてください。
皆様にも言いたいこと、不満があるのは重々承知していました。
全部ではありませんが、私も様々な心の奥にある声を見て・聞いています。
これ見て思い出したんだけどさ
世の中には「隣人に手を貸さない(相手が利する行為はしない)」層が一定数いるが、これに対しある作家が言った「ロウソクの火」のたとえが秀逸だった
https://togetter.com/li/2391376
昔付き合ってた彼女がトイレか買い物かなんかでいなかったのよ。んで、俺がボーッと外で待ってた
するとアジア系のにいちゃんが来て学校作ってるから募金してくれって来たのよ
ウザいなって思って財布に入ってた小銭渡してどっか行ってもらったのよ
それを戻ってきた彼女に話したら、血相を変えて「なんていらないことするんだ」って言い始めて「どっち行った?」「私が取り戻しに行ってくる」って言って言い始めたのよ
完全にしんどかったから「いいよ、50円くらいなんだし」みたいにいっても「関係ない」とかブチ切れまくってて
とりあえず止めさせたら「あー!もー!」って不愉快感丸出し
んで
帰りの電車でもずっとブチブチ言われててウザかった
どっちが早いかは忘れたけど東日本の地震があって募金しよって思ったらすげえ反対されたよね。募金先も「ここなら安心だから」って赤十字とか見せても全然納得しなくて参ったのを覚えている
基本赤い募金とかもあいつらは詐欺だって言ってたし本当に騙されたくない&金を損したくないんだなと
自分が1円でも損するのを防ぐために100円の努力する人だった
そういうところホント嫌いだった
別にああいうニュースは野菜の値段が高いですよと知らせるためにするのではなくて、野菜の値段が高くなって消費者が困ってますよということを知らせるためにしてるのです。
どこのバカが「ニュースでキャベツが高いって見たから、スーパーで実物も見ずに永遠にキャベツを買い控え続ける」なんてするんだ?
消費者がものの値段を知るのはスーパーの現物であってニュースではない。
どんな引きこもりだとあんなわけわからんツイートバズらせて「アンテナの感度が良い」みたいな顔をできるんだろうな。
空を見れば天気がわかるのに、「ツイッターで嵐のニュースを見てないから一般人は嵐の到来を知らないはずだ」とか思い込むのか?