はてなキーワード: 葡萄とは
葡萄は残ってないんだぞ
20代の子無礼賛は自分の体力が永続バフだと思ってるノータリンのアホやん
ちなみに模範解答教えとくけど、本当に心から子無でよかったって思ってる人は「ちょっと後悔してる」人な
子ありも子無しも、というかあらゆる二項対立にはメリデメやトレードオフがあって自分が取らなかった選択肢のほうもある程度は考えるんよねちゃんとした人なら
でこうすればよかったかもなーっていうのは必ず出てくる訳
子無しの場合は、その「子供を作ってたらどうなってたかを想像できるくらい理路整然とした人」で、かつ「作ろうと思えば作れた人」でしょ?
そんなんむりむり、まともなら自分の身体がしっかり動くうちに子供作っとこうとしかならないから
40代子無なんて周りに流されるまま主体性も無く他責性ばかり肥大した無能氷河期とか、自分さえよければそれでヨシみたいな徹底的に自己中な人とか、さらにそのハイブリッドのヤベー奴とかでしょ
特に女でそれとか終わってるからね 「私は20代の子供作るために用意された体を自分の価値だと勘違いして若い女ペイでなんでも支払ってきました、全部リボ払いで体にのってまーす」っていう愚かさが加わるんで
子なしは別にいつでも養子や里子その他間接的な方法で子育てに参画することは可能だが産んだ人が子育てから下りるのは難しいのでどっちが「酸っぱい葡萄」なのかは歴然としているんだよな。
たぶん薄々気づいている場合の方が多いんだけど、他人からそれを言い当てられて受け入れざるを得ない状況になることが怖くてしょうがないから相手をあえて「酸っぱい葡萄」と言わなければならなくなる。
しんどいならしんどい、羨ましいなら羨ましいと言えば良いんだけどね。言えない人が多いから、子なしとかDINKSで検索すると「ずるい」っていうサジェストが出るんだろうなあ。
わざわざ書かなくて良いって言うなら世の中にフィクション、ノンフィクション共に溢れてる「子どもを産んで幸せでした」もわざわざ書かなくて良いんだけどなぜ子どもがいた場合だけ「幸せ」について語って良いとなるのか?子どもがいない場合の「幸せ」については口をふさごうとしてしまう理由を問い直せば分かるはずだし薄々気づいているんだろうけど怖くて触れられないんだろうなあ。
氷河期世代ってことは40歳より上?20代半ばみたいな文章でキッツイ。...大変申し訳無いのだが、『酸っぱい葡萄』の狐ですなぁ口コミに踊らされてるの、辛いね。
これって酸っぱい葡萄(自己の能力の低さを正当化や擁護するために、対象を貶めたり、価値の無いものだと主張する負け惜しみ)であることを論理的に否定できないから黙るんだよね?わかるわ。ワイも酸葡萄食べてる
本来書く必要もないんだけど、「酸っぱい葡萄」とか言われてるので一応書いておく。
私には子供がいる。
もし私に子供がいなかったら、ということを考えてみると、私の場合は、今の方が幸福度が高いと思う。
大変なこと、辛いことが10倍になったが、嬉しいこと楽しいことが100倍になったイメージ。
まあこれも酸っぱい葡萄なのかもしれないが。
(もちろん、これは私の場合の話であって、「およそ子供を持った人は持たない人より幸せである」とかそういうことを言っているわけではない。)
子供を産まない理由として経済的理由を挙げる人は相当数いるし、現状の子育て支援策が不十分であるという主張は理解できる。
元増田の言うことにはわりと共感できて、元増田と私との違いは、結婚するしないを除けば、子供を持つことによる幸福度の見積もりの違いなんだと思う(収入・資産も違うかもしれない。)。
一方で、一部のブコメには賛成できなかった。
元増田の文章に煽りを見出したのかもしれないが、私には煽りとは思えなかった。
恩恵を受けておきながら…
抽象化すると、「選択肢A、Bがある時、Aを選択した者は、Bを選択した人たちの恩恵を受けている場合、『Aを選択して良かった』と言うのは身勝手である」ということになるけど、別に身勝手には思わない。
①選択肢B6 は、誰もがやりたくないけど、誰かがやらなくてはいけないことである、②恩恵を受けないで生活するという方法がある、③選択肢Bの容易さが全員にとって概ね同じである、という条件が足されればまだ分かるが、現代の日本における出産・子育てがこれに当てはまるとも思えない。
純然たるお気持ちであれば自由だし、そういう人もいるのかな、とは思うが、スターが多数ついてて少し驚いた。
酸っぱい葡萄
自分を納得させるため
そのような文章には思えなかった。
子供を産んで良かった、という文章だったら、そんなブコメもつかない(ついてもスターはたくさんつかない)気がする。
俺は子無しで有り難いと思ってるが、何か?
下らない例えで言ったら「フェラーリだのポルシェだの...」。
でも俺にとって「子供、子育ては」すっぱい葡萄ではないって感じ。
それを言うと周囲の人間が「それが「すっぱい葡萄」ってことなんだよ」という。
あえて言わせてもらいます、
ち が う ん だ よ !
苦手なの、いやなの、嫌いなの!
なんで分かってもらえないかねー。
「子供を持たないことについて肯定的に語るのは酸っぱい葡萄」というのはまあそういうこともあるとは思うけど、
子育ての場合、その葡萄が1トンくらいあるイメージなんだよね。
1粒食べてみてやっぱり酸っぱいとわかったとしても後の祭りで1トン食い切るまで解放して貰えない。
仮に1粒食べて意外と甘くて美味しいとわかったとしても思う存分食べて100kgくらいでいいっすわというのは許されず1トン全部食い切るまで解放して貰えない。
酸っぱかろうと甘かろうと、100kgくらい食えば解放してもらえる程度の負担感になるといいんだけどね。1トン食いたい人は好きにすればいいわけだし。
子持ちが反論してんのはさ、親という立場になることを選んでおきながら馬鹿で先の見通しも建てられない人と言われたみたいで悔しいのと、自分で考えて選択することができた上にその選択に欠片も後悔がないということが羨ましく羨ましくしょうがないんです。
似たようなことでままあるのが、セクハラ親父がいる会社で上手にセクハラ親父どもをいなして「賢く」生きてキャリア形成してきたつもりの女性が「なんでセクハラを否定しないんですか?ちゃんとセクハラ否定して誰もが仕事しやすい環境を作ることに私は尽力してますが?」って言われるともう悔しくてたまらんわけです。圧倒的に本質的な正しさも賢さもそちらが上だから。
ながいものに巻かれてるだけで自分で考えず社会と周囲の言いなりの都合の良い存在だったからある程度の便宜がはかられてただけで、本質的に賢いことなんかしてないことに気付かされるわけです。
そうした自分たちと同じ行動をしない人が出た途端に勝手に否定された気持ちになって噴き上がる。
元の増田は別に考えなしの馬鹿だとか何も攻撃的なことは言ってないのに勝手に文脈から一部の言葉だけ切り取って攻撃してきたと思いこんで言い負かそうと必死。悔しくて羨ましくてたまらないんだ。
自分の意志で望んでそう行動してきたかと問われると実際はそうじゃない。その場その場で少数派にならずに済む行動を選択してるだけだった、その選択をとることについて深く考えていなかったと自分ですら気づかなかった部分(またはあえて気づかないようにしてきた部分)をつつかれて図星で悔しくてしょうがない。
セクハラならこれからはセクハラへの対応の仕方を変えようと行動を改めることもできるが子育てはそうはいかない。
もう自分が絶対に手の届かないことをしてる増田が羨ましくて羨ましくてしょうがない。