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はてなキーワード: 留年とは

2018-05-24

だいたいフィクションだと思ってほしい、憂鬱

最近毎日日大アメフト部の話を見て憂鬱になる。

ここから先はだいたいフィクションだ。

大昔、日大ではない、アメフト部マネージャーをしていた。

もともと競技を知っていたし学部の先輩もたくさんいたし就職率もいいよって言われた。

毎日授業が終わったらグラウンドにいって練習の準備をして、夜の10時や11時までドリンクを作ったりビデオ撮影をしたり、スコアをつけたり、OB連盟学校と調整をする。時には終電を逃して、部室で夜を明かしたこともある。

休みは月曜くらいなもので、かといって学生なので学業を怠らないようにしないといけない。

自分いたころ、「選手は本気で日本一になりたいなら留年するし、マネージャーリーダーになったら留年覚悟しないといけない」と囁かれていた。

実際のところ、3割くらいはみんな本当に留年していた。

資格就職留年ならまだしも、部活単位を落とすような留年絶対いやだ、と本気で思っていて、実際にめちゃくちゃ頑張った。

楽しい学生生活のつもりがつらかった。

マネージャーですらこんな生活をしているものから選手は当然もっとつらい。

体罰パワハラアカハラなんて言葉はみんな全然意識してなくて、キツイ言葉バンバン言って、それで鍛えられると思い込んでいたし、体を作るためだと言って食の細い人は無理やり3号は白米を食べさせられていた。

メンタルをやられる人はたくさんいて、入部したこからしばらくすると半分はいなくなるのが常だった。

どうすればモチベーションを保てるかなんて精神論を戦わせる、今となればかなりムダなミーティングを夜の10から朝の4時、5時までやったりしてもいた。

自分もそれに付き合っていたけれどもある日いきなりプツンと糸が切れた。

体が起き上がらなくて、何日か休んだ。

授業に出たくて学校に行ったら部員に見つかってグラウンドへ行かなければならなくなった。

地獄で、練習行きたくないけどでも行かなきゃいけなくて、行ってもお腹が痛くて使いものにならない。そんな日が続いた。

食べたら食べた分だけ吐いた。貧血で倒れた。みるみるうちにやつれた。

やめよう、と決めた。

もう無理です、と先輩や主将、同期の何人かと監督の前で言った。

精神論で、お前はまだやれるよって言われたけど無理です無理なんですと言ったらめちゃくちゃキレられた。罵詈雑言浴びせられた。

監督にはお前はもういらないと捨て台詞のように言われた。そのあと別の機会で設けられた同学年全体でのミーティングでも吊るし上げられて、最後にはみっともなく泣きながら無理なんだと叫んで部室を飛び出した。

当然誰も追ってこなかった。

そこから2ヶ月くらい、授業には出るけど授業以外のことは何もできない人間になった。

しばらくしたら、アメフト自体はまたみれるようになったし楽しいスポーツだなって思えるようにもなった。

大学部活ってそういうところだったんだ。競技問題じゃなくて人の問題だった。

この話はフィクションだし、現実だったとしても、もうその時の人間はみんなとっくにいいおじさんだ。

これは昔話で、今の時代にはそんなもの、ないだろうって思っていた。

けれどもそれは違うみたいで、報道を見る限り、今でも、同じようなことをしているような空気を感じた。

効率的時間をしばるやり方で、精神論で、キツイ言葉で、人を追い詰める。

一番最悪なのはアメフトが好きだったはずの人がアメフトグラウンド故意に人を傷つけるくらいまで、アメフトを嫌いになるまで追い詰めるような、そんな体質がまだ残っていることだ。

はいえ、今みんな日大のことばかり言ってるけれども、あそこだけじゃないだろうし、こういうのはアメフトだけじゃないだろう。

いつになったら、こういうの、なくなるんだろうね。

毎日ニュースを見て悲しくなる。

選手とも、こんなことで話題になるために毎日きっと夜遅くまで頑張って技術を磨いたわけじゃないだろうに。

大学生の頃の自分の苦しみを思い出して、彼らの今までの努力が無になるような報道を見て、毎日憂鬱だ。

2018-05-23

アメフト経験から言うと

大学時代5年間、アメフットプレイしてきた。アメフットのために留年するくらいには真剣に取り組んできた。

自分経験から言うと、「QBを潰せ」という指示は、

日大広報の言うような「最初のプレーから思い切って当たれ」意味ではない。

あるいは実際にあったような「あからさまなラフプレーを仕掛けてこい」という意味でもない。

どちらも違う。

あれは正しくは、「傍目からからいくらいにうまく、自然な感じでぶつかって傷めてこい」という指示だ。

内田監督やその他の日大関係者が、今回の騒動の中で驚いていることがあるとしたら、おそらく、

「あの選手あんなにヘタクソにわざとらしくぶつかった」ことだろう。

そもそも日本アメフットクリーンスポーツではまったくない。

選手同士、普段からフィールド上で暴力団チンピラかと思うような言葉挑発しあっているし、

ラフプレーを仕掛けてきた相手選手に、意趣返しのために強めに当たって来いなんて指示は日常茶飯事だった。

これは何もうちのチームだけのことではないと思う。

断言するが、これは氷山の一角だ。今回はたまたまあの日大の選手が、ものすごくラフプレーが下手だっただけだ。

今の日本大学アメフット世界には無数の、同様な醜悪な事例がある。

俺が今回の騒動で一番我慢ならないのは、日大コーチ陣ではなく、

あの指示の意味がわかるのに、自分たちがやってきたことに対してだんまりを貫いたまま、

無関係を装っているアメフット関係者たちだ。

あるいは、自らがそういうダーティな面とは無縁のような顔を装っている関係者たちだ。

自分たちの「スポーツ」がどれだけ世間基準からかけ離れた醜悪ものなのか、

アメフット関係者の一人ひとりが自問すべきときだと思う。

2018-05-21

世間政治経済など考えなくて容姿がよく偏差値が高い人間を好む

就活が全くうまくいかない。

父親から小さいところもうけろよと言われたが、正直留年やら大学院を考えている。

就職活動でさえ扁桃炎になるのに、働いたら死あるのみな気がした。

また、もはや就職というのも介護やら飲食派遣というものばかりになってきて「あぁ闘争に負けたのだな」と感じたのだった。

これで売り手市場というのだから、もうアホらしい。

その一方で卒論も書かなければいけない。へんに難しいものを書こうとして英語資料しかなくて苦しい。

とりあえず親に普通の人よりははるか資産がまだまだあるし、就職しなければいけない雰囲気があったら酷いとこでも適当に入ってすぐやめようと決めた。

1700万円の貯金もある。意味がないと思いながらも株取引をする。

これまでの就職活動中に感じたことで思うのは安倍政権をどうして許すかという雰囲気があるかということだ。

よくわからないが、安倍政権支持率回復基調?にあるっぽい。セクハラ権力でやりたい放題、もうなんでもありなのにだ。

ネトウヨが何が何でも肯定するのとは違う何かがありそうだ。

違う大学の同い年の学生と話す機会がかなりあった。そこで直接話すことはなくてもグループワークやらでなんだかんだわかってくることが多い。

彼らはニュースを何も知らない。

しろ知っているということに対してメリットがないのだ。

容姿がいい女はとりわけ政治経済に構う暇などない。世の中が味方になって楽しくて楽しくて仕方がない。

しかし、面接で聞かれる可能性が出てくるから産業界が求めるニュースだけ頭に詰めてくるのだった。

早稲田学生と話す機会があった。商学部学生らしく「働き方改革の世の中なのにこの残業時間は」とか言っていた。

彼は政府の言うキヤッチコピーしか知らないのだ。高プロのようなことは恐らくニュースすら見ていない。

消費主義なので、キャッチコピー簡単に騙されるのかもしれない。

さらにもう一つある。

それは「無理を通す姿勢がカッコいい」という風潮が世間にはあり、それが受けているのではないか

自分偏差値が低い大学に通っているため、金融系の会社説明会に行くとソルジャー枠としか期待されていない。

社員の話を聞くと、ネットよりもはるかに高い手数料商品を売る力を「人間力」と表現していた。

こんな「人間力」というもの思想だとか論理とかなどあるわけない。

ただ、無理を強引にやるビジネステクニック自己啓発的だ。

そんなマインド価値あるものとされる世間にある。そういうものに適合する考えていない人間安倍政権を支持しそうだということだ。

3つ目はマウンティングだろう。

現状を肯定できるということが優れているという価値観ゆえのマウンティングだ。

自分は現状を肯定できる だから優れていると思いたいのかもしれない。

まぁ、現状で恩恵を被る力が優れているというのはあるのだろう。

ブスよりも美人の方がいいというのと似ているだろう。

このようなニュースなど知らないで消費主義の人たちやら、無理を押し通す自己啓発的な価値観、現状肯定できると言うのを強いという力。

ありとあらゆるものが合わさって現状が生まれている。

しかし、恐らく世間政治経済など考えなくて容姿がよく偏差値が高い人間が好かれるだろう。

金融系の会社を受けた時にPER配当利回りも知らない容姿のいい女がいた。

自分とは正反対人間だ。悪い頭で政治やら経済考えても仕方がないが、嘘はダメだというくらいはわかっているつもりだ。

別にそんなの気にならない容姿が良くて要領がいい人間が腐敗した世の中でも華麗に楽しく生きれるのだろう。

2018-05-20

坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」とはちょっと違う

中学同級生涼宮ハルヒが大好きで、しょっちゅう大声で『長門!俺だ!結婚してくれ!!』って叫ぶ奴で、

 そいつのせいでクラスの中で『涼宮ハルヒ好き=やばいオタク』となり、自分も観てるとは言えなかった。」

というツイートを見た。

自分も似たような経験がある。

大学研究室配属後に具体的な研究テーマを決めるミーティング時、

自分はある技術Xについてやってみたいと言ったら、教授や先輩たちに微妙空気が流れた。

候補としてはいいね」みたいな感じで流されて、正式決定は後日となった。

ミーティング後ある先輩曰く、

技術Xは、研究室に来なくなったが未だにこの研究室に在籍している幽霊留年生が扱ってた(形式上、今でも扱っている)もの

 うちの研究室じゃ、印象悪い」

とのことだった。

坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」とはちょっと違う。

何ていうんだろこういうの。

そして理不尽だ。

その留年性のせいで研究室では腫れもの扱い。

技術Xは何も悪くないのに。

2018-05-13

もう25歳になるのに彼氏ができたことがない。

男の人から告白されたり、アプローチされたりとそれなりに恋愛イベントはあったもののいつも気乗りしないという理由で断ってきた。

元々男性を異性として恋愛対象として好きになったことが1回しかなく(途中で嫌いになってしまったのだが)、多分ものすごく恋愛しにくい体質なんだと思う。

中学生くらいの頃から周りの女の子たちが誰が好きだの、クラスの〇〇くんと付き合いたいだのという話題で盛り上がるなか、私は全くついていけずいつも「〇〇くん優しいもんね」とか適当な相槌で逃れることしかできなかった。

から恋バナに参加出来ないことが小さな悩みでもあったが、中学生のころは「まあ大学生になるころには彼氏の一人や二人はいるっしょ」と気楽に身構えていた。

そんな気楽に構えていた私も早25歳。

彼氏いない歴=年齢。

大学時代も「やばいよな〜」と思いつつもそんなに内心慌ててなかった。

周りでも彼氏がいない子はいたし、今までできたことない子もふつーにいた。

「まだ学生だし」という気持ちに甘えてしまい、異性のアプローチもめんどくさいという気持ちからのらりくらりとかわしてしまっていた。

「滅多に恋なんかしないんだから気になる人がいたら全力でいく」という目標をかかげた大学時代は一気に過ぎ去り、留年浪人もしなかった私はストレート社会人へ。

環境が変わったら彼氏くらいできる」と思っていたのだが仕事最中恋愛できるほどの余裕もなく、気になる人すらできない日々。

しょうがないので合コン等に参加するようになったのだが、よくある「最後彼氏はいつ別れたの?」という質問に毎回頭を抱えながらひたすら「1年くらい経つかな〜」という適当な嘘で誤魔化している。

最近彼氏がいないこと、まともに恋愛したことがないことよりもひたすら自分恋愛遍歴に嘘をつくこと、彼氏がいないことを理由職場の人にアプローチされたりするのにうんざりし始めている。

いい加減本気で彼氏を作りたい。


と思っていたら今日1年ぶりくらいにナンパされた。

ただ年下すぎた。高校生よ、同級生恋愛してくれ……

ということで……

!!!!!!!!!!!!!!!!彼氏募集中!!!!!!!!!!!!!!!!

一重、奥二重系の22~27くらいの社会人イケメン求む!!!!

ビビビっときた人は道端なり駅のホームなり駅ビルなりなんなり増田ナンパしてなんとか増田恋愛経験積ませてください!!

私も頑張るから!!

頼む!!!!!!!!!!!!

https://twitter.com/toraneko285

とらねこ285 @toraneko285

2018-05-12 09:45:13

ゼミにまったく出てこない学生にどうなっているのか連絡したらインターン先の企業海外出張までさせられて働かされていると言う。社員同様に使うのやめて!

このままでは必修の卒論が書けなくて留年する!

本人が機会を与えられて喜んで出張した可能性もおおいにありますが、帰国は来週以降だそうで、新学期が始まってから五月の第3週まで一度も出席しなければ不可しかつけられず、必修科目が不可では卒業できません。 社会経験の少ない学生は直属のボスに言われれば逆らえないことがあるので心配です。

これどうなるんだろ。

2018-05-08

30代で年収千万達成して10年経った

結婚して子供は二人。妻は専業主婦都内の持ち家に住んでます

旅行は年に平均3回。国内2回、海外1回。

いかにしてそこに至ったかの話に興味はありますか?

よほどの物好きでなければ読みもしないでしょうが、よほどの物好きのために書き起こします。

3人兄弟末っ子

少し年の離れた兄が2人。

父親高度経済成長期に鉄くずで一山あてて、わたし物心ついた頃には外車を乗り回して手広く商売を始めていたいわゆる実業家だった。

兄たちは私立高校に通うも大学には行かずに親が与えた飲食店のそれぞれのオーナーになった。

すぐ上の兄から5つ離れた自分はその頃はまだ中学生

学校が終わると遊びに出かける友人たちを尻目に店を手伝わされる毎日

日付が変わる頃家に帰ることもあって遅刻常習犯。授業中も居眠りが基本。

ところが与えられた商売がうまくいくはずもなく、飲食店はいつも閑古鳥

それをいいことに給料はろくにもらえず、そのくせ毎晩の様に遊び歩く兄を見てフラストレーションを貯める毎日だった。

エスカレーター式で高校に行くも、そんな生活サイクルでは勉強がうまく行くわけもなく高2で単位をとれず留年せずに中退

ところが世はまさにバブル崩壊直後。

手堅い商売だけを続けていればいいものを、株式投資に手を出した父親は持ち家から事業の全てを一瞬にして失う。

兄たちの飲食店も当然のように廃業兄弟それぞれがそれぞれに肉体労働を始める。兄弟とはこの頃に絶縁状態になった。

自分は親戚の工務店職人として就職

修行期間という理由でボロアパートの一室を与えられた以外に、給料は3万円のみ。

朝5時に迎えが来て、夜20時に帰宅する毎日

免許を持っていなかったので現場までの移動はかろうじて眠ることが許された。

ところがこの仕事も、1年後に職人がこぞって夜逃げしてしまったために職人部隊のみ解散

退職金(とはいっても今まで手渡されてなかった自分給料だが)を80万受け取って、補償もなしに家を追い出される。

財産を失ってから口を利かなくなった両親が住む葬儀場のようなアパートに身を寄せるも、口を開けば喧嘩が始まる両親に挟まれることが限界になり自室に引きこもる。

その時、退職金で当時まだ高価だったパソコンを一式購入。

ダイヤルアップテレホーダイインターネットを始めて昼夜の生活が逆転する。

引きこもりを始めて1年。夜間の日雇いで食いつないぎつつも20歳になったとき貯金が底をついてしまったために日中就職を考える。

まだ個人パソコンを持っているのが珍しい時代だったために、ハッタリだけでソフトウェア系の会社入社

アルバイトとは言えはじめてのまともな就職だった。

プログラマーではなく営業職だったために、そこでタイピングから文書作成などの基礎をみっちり教わる。

しかし務めていくうちに社長キャッチセールスソフトウェア抱合せ販売就職斡旋詐欺)方向に傾倒しはじめ、会員からの指摘で警察が介入する事態になりあえなく倒産

22歳にて再び露頭に迷う。

その後再び1年間引きこもり。フレッツISDNが始まった頃で、起きたいときに起き、寝たいとき眠る生活をするうちに日にちの感覚を失う。

その後、パソコンを使えるという話を聞きつけた親戚(工務店とは別の親戚)からちんこ事務を頼まれる。

急遽事務員が長期間入院をすることになり替わりの人間を探しているとのこと。

当時、ぱちんこのものを見下してはいたが、寮を与えられ正社員として採用してくれるという言葉に心が動いた。

一日でも早く家を出たかったし、高校中退引きこもり自分正社員として働ける日がくるとは思ってもいなかったからだ。

入社して早々にわかたことは、会社全体としてかなり管理杜撰ということ。

オーナーものすごく人がよいのだが、その人の良さにつけ込んで働いている人間かかなり好き勝手やっている状態だった。

一応引き取ってもらった恩があるのでできることから少しずつ改善を始めるも、当たり前のように古参と衝突した。

効率化されると働いてないのがばれるからだ。

人は人、自分は自分精神で、自分の受け持った仕事だけはきっちりと無駄なく効率化した。

当然働いているふりをしていた人間はそれが明るみになり、オーナーも少しずつおかしいことに気づき始める。

入社して1年で事務周りの全てを見直して最低限度の効率化を達成。

それと同時に働いているふりをしていただけの人間勝手に居場所を失いいなくなった。

その頃には自分がいなくても事務が回るようになっていたので、その実績を買われてか今度は店舗に異動。

20店舗近くのチェーン店を持つグループ企業の、旗艦店リニューアルがあるということだった。

いざ入ってみるとここも上から下まで相当腐敗していることがわかる。

ちんこ業界としては最も隆盛の頃で黙っていてもお金がどんどん入ってくるような時代だった。

はいっても競争が激化してきていることもあり、そのままでは当然おいていかれてしまう状況だった。

リニューアルを目前にして、やらなければならないことは山積みのまま。

オープン直前の2週間は職場で数時間の仮眠を取るだけの生活が続いた。

リニューアルはなんとかうまく行ったものオープン後も課題は山積みのままで誰よりも早く出社して誰よりも遅く帰る日々が続く。

そんな時、突然古参数名が一度に退職を申し出る。

当時はなんて無責任な!と憤ったものだが、今思えば働いているフリをしていれば守られていた地位が突如脅かされたのだから当然のことなのかもしれない。

ここだけの話だが、教えられる相手もいないまま手探りでぱちんこの釘を担当することになったことで、この旗艦店ではしばらくの間、全くの素人が釘を担当していた期間が存在する。

当然毎月の利益は破茶滅茶で、リニューアルの人気だけで売上が保たれていたような状況だった。

ただ、そのせいで、今度はとうとう休みすらまともに取れなくなってしまった。

毎日出社して数百台の釘の打ち替え、勤務日はホールシフトに組み込まれしまうため、事務作業は公休日に行った。

(一応断っておくが、釘の打ち替えは直ちに違法ではない。無承認変更にならないために適正を維持することもホール義務といえるからだ。)

広告の手配から店舗販促、部備品発注からセキュリティまで事務作業のほぼ全てを一人で行っていた。

休み無し、一日の労働17時間を超える日が3年ほど続いた頃、とうとう身体を壊した。

その頃には店舗ナンバー2まで歴代最速で上り詰めていたが、逆を返せばまったく後戻りができない状況に追い込まれていた。

その後は一ヶ月間自宅療養になった。

絶対に休めないと追い込んでいたのは自分だけで、休みから明けてみると(満足できるか出来ないかは別として)業務ほとんどは滞りなく行われていた。

それをきっかけに、部下を信じて、6割の完成度でも容認できるようになったことで、やっと休みを取ることができるようになった。

そのさらに1年後、28歳のときに新店舗立ち上げのリーダーに選ばれた。

準備期間を経て新店オープン直前の1ヶ月から1年間、再びまともに休めない生活が始まったが、以前のように一人で背負い込むのはなく、部下たちにうまく割り振ることで精神的な負担はうまく分散することができた。

営業も安定したオープン2年目、十分に下が育ったと実感できた31歳のとき本部に異動になり店舗業務から外れ、グループ全体のマネジメント担当することになった。

そこで私生活を見直す時間が出来、その2年後33歳で結婚

家族手当や住宅手当などを含めて初めて年収が一千万円を越えた。

ただ、結婚するまで貯金はなかった。ほとんどが部下たちとの交際費で消えてなくなっていた。

自分上り詰めると同時に居場所をなくした上司達が次々に辞めていったために、今では親族役員を除けば実質社内で1番の地位本部長を務めている。

ただ、ぱちんこ業界の先行きは暗く、今のままではこの収入を維持することは難しいだろう。





ここまで目を通してくれた物好きな方はお分かりの通り、わたし人生から学べることなんてものはない。

学歴なんてものは持ち合わせていなかったし、かと言って中退後に真面目に働いたわけではなく、むしろ社会と断絶した生活を送っていた。

成人した後、必要に迫られてがむしゃらに働いた時期はあった。しかし、今思えばそれは行き過ぎていたし、実際に身体を壊す直前には死ぬことばかりを考える毎日だった。

今の生活なんて、結局は運の結果でしかないということだ。

あの時、ぱちんこを見下したまま誘いを断っていれば、今の自分絶対存在していないだろう。

こんな人生でも羨ましいと思うなら、それはもう個人勝手だ。

ただ、自分の後にも先にも、この会社でこんな働き方をした人間は一人としていなかった。

それが自分生き方他人の模範にはならなかったことを端的に表していると言えるのではないだろうか。

言いたいことは一つ。

どんなに成功していようとも年寄りの話なんて良くも悪くも半分も聞いていれば十分だということだ。

なぜなら、彼らは努力の結果生き残ったのではなく、生き残った結果、自らを肯定しているだけだからだ。

どんな道を進もうとも、そこには必ず運がいたずらをする瞬間が存在する。

そのちょっとしたいたずら次第で、人の人生なんてもの簡単に変わってしまものなのだ

努力はその運をすこしだけ左右してくれるものしかない。

努力無駄とは言わないが、努力に見返りの約束を求めることだけは無駄だと断言できる。

ただ、もし付け加えるなら、何かの選択を迫られた瞬間、それが自分にとって燃え上がることのできる選択かどうかを考えて欲しい。

その覚悟がなければ、運によってもたらされた結果に後悔を繰り返す人生になってしまうからだ。

自分にしてみれば、今の生活がどうであれ、青春時代を親兄弟台無しにされたことが今でもくやしくてならない。

あの時あの瞬間しか味わえないものはいくらお金を積み上げようとも買い戻すことはできないからだ。

なぜあの時にもっと兄弟と戦わなかったのか。その結果が例え無駄だったとしても、戦うという選択をしなかったことだけが今でも一番の後悔として自分を苦しめ続けている。

他人関係ない。自分がより輝ける選択を続けられることが、辛くても苦しくても、例え早々に死を迎えることになったとしても、幸せと言えることかもしれない。

2018-05-04

ソープ童貞を捨てた話

ソープに行け」と言われたわけではないけど、25歳でソープランドに初めて行った。

そこで「童貞」を捨ててきた。つまり相手の膣に自分ペニスをいれた。

僕の今までの性体験の総決算だったと思う。おおげさに聞こえるかもしれないけど。

というわけで、まずその日のできごとについて書きたい。

はじめてのソープについて

近くのソープを調べてサイトまでいったものの、迷いに迷い、でも今やらなかったらいつやるんだ、と勢いでようやく送信ボタンを押した。10分くらいして電話がかかってきた。女衒っぽい?声音だった。電話が切れるとなにかふっきれてしまい、今まで何を悩んでいたんだという気持ちになった。

値段は思っていたよりかなり高かった(3万くらい)。というか料金表の見方がよくわからない。70分のコースにして、午前中だと安くなるというのでGWの早朝にぶっこんだ。もっと安いヘルスとかあったはずだが、事務的に「射精処理」されるのも困るのでやむをえないということにした。

起床して、風呂に入り、ひげを剃り、むだ毛を剃り、爪を切り、歯を磨き、髪を整えて香水を軽くかける。そこまで準備するかよと思うかもしれないが、人前に出る以上引け目を感じたくなかった。服は迷ったが、「男っぽく」しようと黒と白でまとめて、フェイピアスをつけた。耳飾りをつけるとちょっと自信がつくので。

はじめてソープ街を歩いた。店の前に立っている呼び込みの人がこわい。どすの利いた声で「どうぞ」と言ってくる。世間の人はこれで入ろうと思うのだろうか。道に迷って、店に電話をかけて、やっと中に入ることができた。店内はなんというか…照明のうす暗いけどキラキラした雰囲気カラオケボックスに似ている?かも。

待合室は席が仕切られており、雑誌や大きなテレビがおいてある。金正恩うつっていた。水着姿の女性写真が出され、指名料2000円で選べるといわれた。もちろん店にまかせた。反応に困ってしまって、「みんなきれいですよ」とか言った。お茶おしぼりが出てきた。これだけお金を払うとサービスがよくなるのだ。

それなりにリラックスできたはずだったが、奥に通されて嬢と会ったときは緊張した。というかひたすら緊張しっぱなしだった。階段を上るとき腕に手をまわしてくれるけど、雰囲気にうまくついていけない。「こういうお店は初めてなので」と言い訳する。

部屋に入ると、お風呂があって、ベッドがあって、冷蔵庫があった。ラブホみたいだ。嬢が服を脱がせてくれる。僕は小柄で痩せているので裸になるとますます子どもっぽくなり、ますます自信がなくなり、ということで、そうそうに売り専で働いていたことを切り出してしまった。

ここまで読んで、なにが童貞じゃと思った人が多いと思うが、そのとおりです。男とならそれなりにセックスしてきました。しかし僕は男とセックスができるだけで、どちらかというと異性愛男性に分類されると思う。膣と肛門はなにか違うような気がする。

もちろんマンコに入れて童貞を捨てたなら、アナルに入れたときは何を捨てたのか、オナホに入れたときは何を捨てたのかという突っ込みがあるだろう。そういう難しいことは僕にはわかりません。

突然のカミングアウトにも嬢は冷静で、というかちょっと興味を持ってくれた。よかった。嬢もこの店で働き始めたのは最近で、その前は前立腺開発とかいろいろやっていたという。そうと知っていればシャワ浣もやってくるんだった。

ソープでどんなことをするか興味があるので、お任せするからひととおりやってくださいとお願いした。ということでまずお風呂に入り、マットでローションプレイというかマッサージっぽいことをして、ベッドでキスして、フェラして、セックスしてもらった。完璧サービスでした。パイズリもキスフェラセックスも上手で、コンドームを口に含んでフェラをするように伸ばしてつけるのには感動した。コンドームで中断してしまう間をどうもたせるか困ることが多かったのだが、こういう方法があるのか。

特にフェラは上手だったのでその話をする。僕もフェラはずいぶんやってきたけど、いか射精させるかを考えて、つばを多めに、カリへの刺激を強めに、亀頭を強く吸って、ずっと口だと疲れるから根元を手でしごいて、相手を上目づかいに見る。あと、動きが単調だと飽きる気がするのでときどきたまたまの裏や蟻の門渡りをなでる。まあ、こんな感じである

嬢のフェラは手をあまり使わず、舌使いも優しく、しめつけて射精させようとする感じがまったくなかった。あたたかもので包まれているという感じだった。くわえるまえに睾丸や根元を舐めるのが丁寧だった。

あと、僕はくちゅくちゅ音を出すようにするんですが、嬢は蕎麦を吸うみたいなずっずっという音を出すようにしていた。こういう音の方が受けるんだろうか?

ということで嬢のフェラをほめちぎる。「男の方が自分もついてる分上手なのでは?」と当然の質問を受ける。オナニーとかけっこう強く握るし、激しくこするので、それと同じようにやってしまうのではないかと思った。

はいえ全体的に緊張しっぱなしで、ちゃんと勃つようにと2日オナ禁してきたのだが、いろいろ話し込んだこともありフェラときくらいしか勃たなかった。とうぜん射精もできなかった。まあでもいちおう膣の中に入れたので、童貞は捨てたのではないか。もうよくわからん

途中で、初めて売り専仕事をしたときに途中で萎えしまたことを思い出した。あれはきつかった。動揺した。今回はお金を払う側でよかった…。

はいえ、相手が勃たないとうまくサービスできているかからなくて嬢はしんどかっただろう。僕もお客さんが勃たなかったら焦る。ちんこを思い通りに勃たせたり萎えさせたりすることが、なぜこんなに難しいのか。まだ経験が足りないのかもしれない。それにもう一度行ったらふつうに勃つ気がする。行かないけど。

名刺はもらわなかったが、楽しかたことは伝えたし、アンケートもいろいろほめておいた。アンケートもそうだが全体的に、男が女を買って性的奉仕させる空間だということは伝わってきた。お風呂があってマットがあってベッドがあるのだから本質的には異性愛男性リラックスして射精する場なのだろうが、エンターテインメントとしても楽しめるほどの「男らしさ」が僕にはなかった。

…たぶん、今までの話は読者の予想をいろいろ裏切ったと思う。そこでこれから、男体持ちの僕のめくるめくセックス遍歴について、けっこう書きます。おつきあいください。

はじめての恋愛について

僕がはじめて女性と性関係をもったのは22歳の大学四年生ときだった。

同い年の女性告白された。

その女性とは学園祭で知り合った。あるサークルたまたま哲学の話になった。僕は哲学は多少身に覚えがある。なにしろ論理哲学論考中学生から読んでいた。その話をした。その人は小学生から論理哲学論考を読んでいた。なんじゃそりゃ。僕たちはウィトゲンシュタイン推しで気が合い、あとでgoogle:哲学宗教日記を貸してもらったりした。

そのあとデートに誘われた。街角喫茶店お茶をした。そのころの僕はいろいろ精神的にきつくて、大学の授業にずっとでていなかった。留年も確定して、そのことを両親にこっぴどくなじられていた。そんな話を少ししたと思う。その人も家庭のなかの問題がいろいろたいへんだと話していた。僕の両親もおせっかいだが、それと比較しても過度に束縛的だと思った。親の期待する「大人の女性」になれないことをその人は気に病んでいた。

しばらくして、その人からメールが来た。大事要件だという。その人に会うと、他の人にあまり聞かれたくないから僕の下宿に行きたいというので、そうした。たいして片づけもしていない薄汚い部屋に入って、そこでその人は僕に告白した。とても劇的で、すごく大胆で勇気のある告白だったと思う。

その頃の僕は全ての牛が黒くなるほどのブラック夜勤バイトを週4で入れ、頭がまともに働くときSTAP細胞真相究明に熱中していた。自分は忙しいんだ、こんなに大変なんだ、ふつう大学生とは違うんだ、と思い込むために必死だった。

典型的非モテだったと思うけど、僕はその苦しみを異性に向けず、そういう興味をひた隠しにしていた(周りからオナニーなんかしなさそうと言われるタイプ)。もちろん女性自分の部屋に招くというのが「どういうこと」なのかわかっていなかった。その人が告白しなければ、ウィトゲンシュタインの話でもして指一本ふれずに帰したと思う。この心境は、恋人で一発逆転を狙うタイプの人には理解してもらえないかもしれない。

そのあとふたり散歩して、人気のない公園で夜が更けるまで話し込んだ。僕が提案して、別れ際にキスをした。「唇を奪ってほしい」というので、僕から口づけした。そのとき相手の唇がぬれていたのと、いきなり勃起しかけことに驚いて、あわてて(軽く突き飛ばすような感じで)唇を離した。キスに動揺して勃起までしたことを気づかれたくなかった。

後日、その人がふたたび下宿に来た。とはいえ、僕はコンドームの用意もなく、セックスについての具体的なイメージもできていなかった。

僕もそれなりに性教育を受けて、コンドームの付け方や性感染症のことを知識としては知っていた(男子校だったこともあり、保健体育の教師ディルドにコンドームをつける実演までさせた)。それでもどうしていいかからなかった。主体的に取り組まなければどんな知識もうわすべりになる。それはセックスも同じだ。

上半身だけ服を脱いでベッドに入った。そのとき、その人はパニックになり、ふとんをかぶって部屋の隅でうずくまってしまった。僕は落ち着いてほしいと真剣にお願いした。その人は小学生の時ひどい性暴力を受けたことを話してくれた。あまりの衝撃に僕は声を上げて泣いた。お前が泣くのかよ、と思うかもしれないが…。

その一方で、僕もネット女性エロ画像動画を何時間検索することがあるし、セックスへの興味を押さえられない衝動というのがわかる。僕は自分にそんな(女性を辱める)汚い欲望があることをオナニーを始めたときから気に病んでいたが、なくそうともがいてもなくすことができずにこの歳になっていた。その欲望をどこかで肯定できたら…と思っていた。でもやはり許されないのかと思った。

その日から上半身だけ裸で抱き合うのが暗黙の了解になった。キスしてお互いの身体をなめたり噛んだりし合う「だけ」だったけど、文字通りいつまでも続いてほしい素敵な経験だった。その人はときおり、まんこちんこをいれるセックスができないこと、「傷物」の体であることを気にして申し訳なさそうにしていた。ペッティングだけで僕はオナニーする必要がないほど性的に満足していたので、それを気に病む必要はまったくなかったのだが。そのことを伝えればよかったのに、僕は好奇心から一度下まで脱いでいいかどうか聞いてしまった(もちろん拒否された)。

結局、その人とは別れることになった。僕なりに整理すると、一番の要因は僕が結婚に対して本気にならなかったからだと思う。その人は僕が立ち直り、大学卒業することを期待していた。僕はやっぱり大学に行けずバイトを止められず、その人の頼みで試験には出たものの2単位しか取得できなかった。

しかも、僕は「彼女」の存在を公にすることができず、両親はおろか友達にさえも、というかだれにも切り出せず、彼女のいない人が招待される「ぼっちクリスマス会」すら断れなかった。ひどい話だ。

結婚に対して前向きに努力してほしいという彼女要求に僕はどんどん防衛的になっていき、敵意さえ感じさせることがあったかもしれない。そのひとは僕に見切りをつけ、別れ話を切り出した。僕は強がって「わかった」と応じたものの、一週間食事がのどを通らないほどショックを受けた。遠ざかって行く彼女の夢を何度も見た。

…そして、別れてから半年以上たったのに、その人の誕生日メールをして、電話をかけてしまった(もちろん出なかった)。

バンクロフトgoogle:別れる? それともやり直す? カップル関係に悩む女性のためのガイドを読むと、その人の決断が正しかたことがわかる。僕は二人の将来について責任のある態度をとらなかった。それにしても、その人は自分から告白し性関係に負い目さえ感じながら、別れることをよく自分の力で決めることができたと思う。

つづきます

2018-05-03

留年生の卒業率が知りたい

それはドロップした学生フォローできているか指標になるから

昨今は学力の足りない学生に、情状酌量単位を与えることもなくなったので

留年した学生卒業できたということは、つまずいてもキャッチアップできたことに他ならない。

留年生の卒業率が高いということは、再チャレンジできる環境があることの証左である。はず

2018-05-01

大学時代から人生を転がり落ち続けてきた大馬鹿者のはなし

これから書く記事は、以前ここに似たようなものを書いたことがある。だから本当は違反行為に近いのかもしれないけれど、前の記事妄想だと受け取られてしまって、どうしても納得できなかったからもう一回書かせてもらうことにした。妄想だと思われたのはおれに非があって、たぶん時系列錯綜した書き方が無用な混乱を与えることになったのだと思う。だから今回は単調かもしれないけれど、時系列の古いものから、つまり過去から順番に並べるやり方で行くことにする。ようするに自分語りなわけだけど、タイトルにあるようにとにかくおれが馬鹿なので、「おれの人生はこいつに比べたらだいぶマシだな」と思ってもらえる効果はあるかもしれない。

話は13年前にさかのぼる。おれは入試方式多すぎるやろ!とツッコミを入れたくなる関西の某マンモス大学意気揚々入学するも、出だしからいきなりつまずいてしまう。クラスで友人が1人もできず、桜が舞うころに開かれたコンパでは、桜の下でぼっち飯するおれは教育係の先輩から情けで声をかけられるありさまだった。

自然、人恋しさからおれの足はクラスから離れサークル活動に向かうことになった。そのサークルの同じくコンパで、スパゲティ屋で食事をしているとき、「どこ出身ですか?」と声をかけてくれる男がいた。それが1年前あまり行動を共にすることになるXだった。Xとはしょっちゅうカラオケに行ってガンダムの曲を一緒に唱うなどしたいたのだが、当時おれはカラオケで98とか出るのをいいことに(そんなやつはゴロゴロいるのに)、プロ歌手になれるんじゃないか勘違いして、レコード会社デモテープを送ったりした。しかもその曲が倉木麻衣Secret of my heartときていたのがもう・・・・・・。当時、おれは自分中性的女性的な魅力があると勘違いピンクの服を着るなどし「3次元クラピカ」を自称していたのだった。そんなうぬぼれたふわふわした気持ちもあり、授業からはどんどん足が遠のいていく。1年時の前半にとった単位は4くらいだったと思う。秋になるとサークルもやめ、もっぱらXとつるむようになる。毎晩のように親から仕送りお金レストランでの食事につぎこみ、Xが行きそびっているときはおれがXの食事代も出すようになっていった。そのうちXは交換条件のように、「食費を出してくれるなら(レストランに)行ってもいいよ」と言ってくるようになった。でもおれはじゃぶじゃぶ出した。1人自分の部屋で食べるということが考えられなくなっていたのだ。結局のところ、Xとの関係はおれにとって、1人暮らしさびしさや心細さを埋めるものしかなかったのだと思う。1年たった頃には1人暮らしにも慣れてきたのか、それまでスルーしていたXの1人よがりなあつかましさが目に余るようになっていた。「おまえには社会経験がないかバイト必要だ」とか、「おまえは友達が少ない。友達もできないやつに彼女ができるはずがない」とか、そんな自分意見一方的に押しつけて反論をさせない態度を受け流すことができなくなったおれは、ある日意を決してメールを送る。これまで一緒にいてくれたことに対する感謝を述べたうえで、しか性格根本のところで合わないところがあり、それはどうしようもないからもう関係を終息させたいと。すると笑いながらの電話がかかってきて、「彼女に言ったらありえんって言っとったよ。恋人が別れるときに」するような行為やって」と鼻で笑われ、おれたちの関係は終わった。

さんざんな顚末とはいえ、1歩引いて見るなら人生はまだまだこれから、おれに必要なのは地歩を固めるための1歩を踏み出すこと、つまり授業に出ることだった。しかしおれの人生はここから急速に転がり落ちていくことになる。

授業に出ようとするものの、1時間半受け身の状態で座りつづけるのが耐えられず、教室を途中退出して図書館に行くことが増え、そのうちもっぱら図書館に籠もるようになった。そして図書館PCルームネットに耽溺するようになるのもあっという間だった。友人のいない1人暮らしさびしさを埋めるためではなかったと思うけれど、おれはネットにほのぼのとした暖かいものを求めていた。もっといえば居場所を求めていた。そのことがあって、あるいは元々のどうしようもない性質のせいかもしれないけれど、おれはちょっとした冷やかしやスルーに対してキレて粘着するようになった。糞コテと呼ばれるまでそう時間はかからなかった。活動していたのは2ちゃんと某有名大学の掲示板で、ある日そんなおれの傍若無人ブーメランになって返ってくる。ある日、おれの使っていた数々のコテを1つにまとめた上におれの本名を記したレス2ちゃんに書き込まれしまった。本名検索するとすぐにそのレスが出てくるようになり、おれは事の重大さを悟った。特定された理由は、おれが調子にのって掲示板のEメールリンク先に本名を書いたからだけど、それをコテの数々と一緒にして晒されるなんて思いもしなかった。

そんな惨状にあってもおれは能天気なところがあって、ネットからは遠ざかりつつあったものの相変わらず授業には出ずにぶらぶらする生活を続けていた。いまだに自分を「3次元クラピカ」だと思いつづけていて、そんなキャラクター気分でいるからか、最後自分の思うようになるみたいな根拠のない楽観的気分でふわふわしていて、青春の倦怠を気取って、19世紀の文学作品をかじったりひとカラに行きまくってソファーに寝そべりながらアニソンに浸ったりしていた。食事はさすがに1人買ったものを部屋で食べたり学食を利用したりして落ち着いていたものの、食材を買いに行く店の人に「おひさしぶりですね」と笑顔で言われてこのお姉さんおれに気があるのかなと勘違いしたり、ナンパブログを真に受けてふるえる声で街を歩くお姉さんに声をかけてガン無視されたり、アニメキャラみたいなスタイルのお姉さんの後ろをつけつづけて感づかれて、店の男に告げ口されて男ににらまれたりと奇行が出始めていた。努力むなしくもちろん成果はゼロ、友人もゼロの極寒生活のなかだれつづけ、単位10程度のまま4年生、留年が100%決定していた。親に説得され、なんとか授業に出ようとするも、今度はマイクの音がうるさくて耳が痛いという症状に悩まされる(あれだけカラオケ行ってたのに)。どうしても苦しいなら耳栓するなりすればいいのにみみせんのみも思いつかず、といって親に相談することもなくずるずると授業から逃げつづけ、気がつけば5年生になっていた。5年生のしばらくたった夏ころ、もう単位をとれる見込みはないと親に電話し、退学させてほしい旨を伝えた。そのときも親からも1言も耳栓案が出なかったのは不思議だが、いまさらそんなことを言ったって仕方がない。

退学して田舎実家に帰ったおれは、今度は公務員学校に行き始める。でも相変わらず奇行はおさまらない。電車のなかで見かけたセクシー女子大生をガン見しまくり、友達と一緒に笑われていた。大学中退なのに、ほとんど大学卒業者が受験する地方上級を目指したものの、ここでも根気がつづかず授業に出なくなり、電車に乗って百貨店ケーキを食べて帰ってきたり大型書店で延々と立ち読みして帰ってきたり、もう何をしに行っているのかわからなくなっていった。

公務員学校をやめひまをもてあますようになったおれはまた馬鹿をやらかす。リアル顔をうpして知恵袋評価を聞くという暴挙に出た。しょうゆ吹きそうな顔だったから予感はしてたけど、超ブサイクって返ってきたときはおれのなかでクラピカが音をたてて崩壊していくのが聞こえた気がした。

実家2年目くらいからは聴覚過敏がひどくなり半狂乱になってきて、家の前を車が走るたびに「うるせーっ!」とか「コラぁ!」とか怒鳴るときもあるようになっていた。対人的にも過敏になっていて、母と折り合いの悪い父方の祖父が母に陰険な感じに当たったりすると、祖父がいなくなった後にわめき散らしたりしていた。

3年目のある日堪忍袋の緒が切れたようになって、実家を飛び出すようにして大阪で1人暮らしをはじめた。頭が常に高揚しているような状態大学掲示板演説調の文章をかきなぐり、もはやネット上でも誰ともまともなコミュニケーションをとっていなかった。1人暮らしをしたらすぐアルバイトをするという父母との約束もやぶり本屋立ち読みしまくっていた(図書館のとも思いつかず)。それでも勇気を振り絞って、わざわざ女性募集と書いてあるところに申し込んだら、面接中にひじをついてキレられた。

ある日スマホ書店に忘れて2日後に戻ってきたのだけど、なくしている間に何かをされたらしく、なにも押していないのに勝手意図しない操作をされるようになっていて、そんなのすぐにスマホを破棄するの1択なのにずるずると使いつづけて、結局それから2年くらい使っていた。

そのストレスがあったのかどうか、また実家に戻ってすぐに興奮がおさまらなくなり、精神科に行くと発達障害と言われてエビリファイという薬を出された。

いまはそれを最低量のみながらアルバイトに行っているけれど、アルバイト先に1日数回、2回のコールで切れるいたずら電話がかかってくる。アルバイトに行くまでは実家にかかってきていて、まず同じやつ(ら)の仕業だと思う。悔しいけれど、ネットで暴れていた自分自業自得でもある。いまだ友人はいない。もちろん彼女もいない。でも1日1日生きていくしかない。

2018-04-30

anond:20180430171815

素晴らしい。

じっさい健康と体力に比べたら浪人留年なんか屁でもない。

エリート街道まっしぐらでも下痢ばかりしてる東大生のような悲しい生き物もいるのだ。

うんこも満足にできない生き物になるくらいなら留年したほうがましだ。

2018-04-23

かに僕の文章を好きだと言って欲しいときに僕の語ること

最近、新しいパソコンを手に入れた。

影のように冷やりとしたそれは、彼女が僕にプレゼントしてくれたものだ。

「進級祝いに」と彼女は言った。

僕はほんとうは留年をしたのだけれど、そのことには触れなかった。

いくら真実を言っても、人はどこにもいけないのだ。

そうして、僕は彼女と寝た。

この無口な新しい同居人に慣れるためにも、これからは、鳩時計のように定期的に日記を書き続けていきたい。

そんなわけで、僕は時の淀みの中ですぐに眠りこもうとする意識ビール煙草で蹴とばしながら、この文章を書き続けている。

ここで文章が終わってしまうのは、いかにもハンバーグの下に敷かれたスパゲッティのようで、味気ない。

自己紹介も兼ねて筆を進めて行きたいと思う。

僕の性別男性、歳は二十代前半、大学生をしている(授業にろくに出ずに籍だけを置いている人間大学生と呼んで良いのであれば)。

僕の不徳の致すところにより、これから先数年は学生身分を続けなければいけないことになっている。

単位から逃げられないし、逃げるべきではないのだ。

僕は、文章を読んだり書いたりする事が、春の熊くらい好きだ。

もっとも、僕の作文能力や長文に対する集中力は、近年流行った短文型SNSにすっかり毒されてしまっているみたいだけれど。

それに対して、言語を介さな思考というものには、滅法弱い。

図や数式といったものを、そのまま扱って思考することが出来ないし、スポーツをするときも、身体の動きを文章理解しないと再現できない。

言葉を介さな思考をするくらいなら、ボールベアリング歴史とか、ウクライナ鉱物資源分布状況とか、そんな話をしていた方が、まだましだ。

なんとも生き辛い脳の性質をしている。

文章であふれた場所は、冷えきったビールと同じくらい好きだ。

疲れている時は、幼稚園児が春の昼下がりに書いたような文章に浸り続けるに限る。

Twitter最高、Instagramなんて「クソ喰らえである

大学になる前の憧れは、モノ書きになることだった。

もう少し今よりも若者らしい服を着ていた頃の僕にとって、大学生とは、ヒマな時間を腐るほど持て余し、自らの趣味に没頭するものだった。

から大学生になった自分は、上質な文章に触れ続け、いつかは自分自身で上質な文章を生み出すようになると信じて疑わなかった。

しかし、実際の大学生は、勉学、部活動やその他の雑務(そう、そこにはもちろん、女の子と寝ることだってまれている)に忙殺されてしまものであり、とても自らの趣味を極める余裕などないのである

少なくとも僕には、デレク・ハートフィールドの墓を見つけるよりも難しい。

この話を聞くと、趣味時間も十分に取れないほど勉学や部活動に熱中することが出来て幸せではないか、と考える人もいるだろう。

オーケー、いいかい?

「忙しいという感情は充実の証明だ」

そのように考える人間は、思春期ハムスターみたいに、回し車を回し続ければ良い。

きっと、焼きたてのパンを日だまりで食べている人のように幸せになれるだろう。

忙しさというものは、時間を圧迫するだけではなく、ヒトが自由時間創造的な行動をする気力を奪う悪魔なのだ

今日からの僕は、隠し味を入れたパスタのように一味違う。

このはてな匿名ダイアリーという戦場で、忙しさという悪魔に打ち勝って、自らの創造性を再獲得するのだ(僕がかつて創造性を持っていたかはともかくとしても)。

これくらい文章を書くと、生まれて初めてパソコンに触っても、丑三つ時のコウモリのように自在タイプすることができるようになることが分かった。

今日は、この辺りで筆を置きたいと思う。

(そろそろパスタが茹で上がった頃だ。)

これからは、気が向いたら何かしらのテーマを持った文章を書きたい。

二日酔い迎え酒をしながら書いたようなこの文章にも、ブックマークしてくれると嬉しく思う。

anond:20180422154919

2018-04-22

anond:20180421010539

中学のことができない状態高校に行ったら、高校留年しないのか?という素朴な疑問がある。

70代くらいの人たちの頃は高校留年しまくって退学になってしまった人が居たらしいけれど、今もそういう人は居るんだろうか。

2018-04-21

https://anond.hatelabo.jp/20180421113835

中退学する理由積極的理由をもって説明できるのであれば、退学してもそれほど問題ない。例えば現時点でライターとして収入があり、生活費を稼ぐ目処がある上で本業に力をいれたいからという理由で退学するとか。

「飽きたから」という消極的理由だと「こいつ飽きたら仕事しねえな」と思われる。ライターのように様々な題材を文章にする職業ならなおさら学歴なんて留年でも2社目以降は殆ど言及されないが、途中退学なら別。お前の履歴書を見る奴誰もがそこを攻めてくるぞ。

とは言えあまり現状を悲観する事は無い。少なくとも根本問題は「講義内容が分からない」の1点でしょ?

講義内容がわからないのであれば何が分からないのか先生個別相談すれば良い。「先生の教え方だと自分が何が分からないのか分からいくらい難解です」くらい挑発してもいい。

教室の後ろで騒いでいる奴らは友人と交代で板書してたり、騒ぎながらも講義を聞いて講義内容の不明点を仲間同士でシームレスに潰してるのかもしれない。そういったチームワークを使われたらソロプレイヤーでは太刀打ちできないのは当然。プライド無駄使い。

講義ノートを売っている業者もあるから、それも利用しろ。これについては大学によって違うから、やっぱりそういうお得情報収集するために学内で友人を作った方が良い。ぼっちならネット上の学生掲示板Twitter学内の事をツイートしてる学生探して捨て垢フォローすれば良い。

ブログ見た。内容は興味ない。お前をライターとして扱い仕事を振る人間も同じ意見だろう。とにかく読者数増やせ。まだ2人だぞ。誰も読んでないブログなんてチラ裏ゴミカスしか無い。少なくとも商業ライターにとっては。体裁無視し読まれるためにあらゆることをしろ

2018-04-17

地獄就活新卒非正規に使った話

就活精神病み、結局新卒カードでの正社員を諦め、非正規で働いてる者です。

エントリーのみも含めれば、軽く50社以上受けました。100はないと思うけど、途中から数えてない。面接も少なくとも3、40社くらいは行きました。でも、私は結局新卒カード非正規に捧げました。

そろそろ就活マジで精神を病む学生が出て来る頃だと思うので(私もこの頃からおかしくなっていきました)体験談と恨みつらみを書いていこうと思います

◾️スペック

地方公立 文系

キツい顔系のブス

ボランティア活動あり

ブラックバイトを4年間務め上げる

SPIはたぶん7割くらい

長所コミュニケーション能力系のこと、ガクチカアルバイト経験を話していました。ごく普通だと思います

◾️なんで就活を失敗したか

結論から言うと、私は新卒採用に向いていませんでした。

新卒採用企業がみているのは、伸び代だといいます。私は、それに加えて、「扱いやすさ」、そして女の子は「可愛げ」を求められていると感じました。

私には、可愛げも、育てる余地もないように見えたんだと思います。正直それなりに仕事勉強もできるし、受け答えもしっかりしているので、そう見えても仕方ないかなとは思いますが。

面接練習でも、履歴書でも、ESでも、特に大きな問題を指摘されたことはありません。企業研究もきちんとしてましたし、企業高望みもしていないと思います

でもとにかく最終面接が通らない。

お祈りしてきた企業はその理由を教えてくれないけれど、恐らくは「新卒っぽくないから」。

就職課やハローワークで、「中途だったらどこでも受かる」と言われた時にはもう笑うしかなかったです。ほかに指摘された点は直せましたが、こればっかりはどうしようもありませんでした。生まれ持った雰囲気問題じゃん。

◾️就活について

以下は完全負け組からのご意見なので、暇つぶし程度に聞いてやってください。

まず、SPIは早めにいい点を取っておいてください。

精神疲弊すると能力は下がります。私は集中力の欠如から、夏頃には文字が全く読めなくなりました。ツイッターすらまともに読めなくなっている状態で、まともな点数が取れるわけがないので、ある程度指標になりそうな点数を取っておくことをおすすめします。また、就活は後半に進めば進むほど中小企業を受けることになります。そうなってくると、SPIはまず行いません。別の対策必要になるので、その意味でも早めにSPI時間をかけるタームを終わらせるべきだと思います

合同企業説明会意味がありません。

非常に混む上、玉石混合すぎて効率が悪い。あと寒い暑いクオカードだけもらって帰宅するのがいちばんです。もし、顔を覚えてもらいたい企業出展しているなら、行くのもいいかもしれませんが、そうでないなら学内説明会に絞った方が絶対効率が良いです。結局私がそれなりに選考を進んだのは、学内説明会で知った企業ばかりでした。ただ時期的に学内説明会は終わっているでしょうけど…

やばいと思ったら早めに病院に行ってください。

長引くと就活どころじゃなくなります。もし病院に行くのに抵抗があるのなら、ハローワークでは就活生を対象としたカウンセリングを行なっている場合があります。調べてみてください。私は実際に受けましたが、愚痴の吐き場所としては非常に有効でした。

年明け前までには就活をひと段落させてください。

卒論で詰みます。私は詰みました。

教授に泣きつきなんとか卒業させてもらいましたが、本当に留年すれすれのところまで追い詰められました。秋頃になったら、一旦就活ではなく卒論に集中した方がいいと思います。もうその時期の新卒採用は、たまの掘り出し物を除いては、正直ハロワで年中採用を探しているところと大差ありません。ハロワ就職課に行けば、2月3月でも求人はあります留年してもう1年学費を払うのが嫌であれば、先に卒論にかたをつけるべきです。

就活エージェントは信用しないでください。

彼らにとって私たちは客ではありません。企業という顧客に流すためのただの商品です。もちろん全てが全てそのような人だとは言いません。ですが相性の悪いエージェントに当たってしまったが最後、余計に精神を病んで終わりますあくまビジネスだということを忘れないでください。学生気分でいると、いちばんダメージを受けるのはここだと思います

就活には理不尽なことが多いです。本当に多い。

面接の後、社員愚痴に数時間付き合わされて、帰宅したらお祈りが届いていたこともあります。こっちはキャバ嬢じゃねえんだよ。

あと、女の子就活はやっぱり厳しいです。

後半戦になればなるほど、女の子比率は上がっていきます。私が就活後半で出会ったのは、だいたいがちょっと地味で、真面目で、それなりの大学を出ている女の子でした。知ってどうなるということではないかもしれませんが、覚悟はしておいてください。

◾️今後について

とりあえずのところは、今働いている会社で、正社員として拾ってもらえるのが目標です。先日、周りに比べてひと回り少ない初任給いただきました。少ないとはい学生時代とは雲泥の差で、380円しかなかった口座が一気に何倍にもなってびっくり。

でもやっぱり、貯金をしてさら一人暮らしができるような額ではないので、正社員になりたいという気持ちは強まりました。今は新卒入社ではないという立場を活かして、システム諸々の効率化を上に提案したいと考えています非正規雇用では長くても数年しかいられないので、早く結果を出したいところです。

就活を乗り越えて(結果的に逃げたので乗り越えてない)、もう二度としたくない、というのが本音です。就活地獄です。

正直まだ長い文章を読むのは苦痛ですし、疲れているとすぐにメンタルにきます。一度折れた金属は元に戻らないと言いますが、メンタルもおそらくそれに近い。

から、なにかがおかしいと思ったら、寝てください。面接をさぼってください。好きなものを食べてください。それすらできなくなったら、病院に行ってください。

就活生の7人に1人は鬱状態だといいます体感もっと多かったように思います

就活おかしいし、理不尽だし、歪んでいます。みんな知っています

からやばいと思ったら逃げてください。死なないでください。非正規もわりと気楽で楽しいですよ。給料は少ないけど。院に行った知り合いもいます公務員浪人する知り合いもいます新卒カードは3年は使えます。まだなんとかなりますだって若いから若いだけでなんとでもなります

この春から就活スタートした皆さんが、少しでも穏やかに次の春を迎えられますように、願っています

anond:20180417133258

氷河期世代1975年以前が入ってるけど、これは正しいの?私の先輩は1973年まれで、就職バブル期だったって言ってたけど

有効求人倍率が1を切っていたのは1993年から2005年までで、この期間を一般就職氷河期と呼ぶ。

そして大卒就職活動時に就職氷河期だった世代就職氷河期世代と呼ぶ。

1973年まれ留年などが無いなら大学1996年卒業したことになるので氷河期

高卒就職したなら1992年卒なのでギリギリ氷河期は避けているがバブル期とも言えないかも。

中卒で就職したなら1989年卒なのでがっつりバブル期

2018-04-16

卒業認定単位が足りなくて内定取り消し

あのクソ教授

たったの2単位やろが

教授「貴君の状況は良く事務や他の教授から耳にしている。しか単位というもの試験によって獲得するものであり我々が差し上げるものではない。」

そもそも、そういった措置を施すことは不正行為であり、教員たるものそういった行為に関与することは出来ない。授業の教授は追加課題を認可しようとしたが、私は決してそういった行為を許すことなど出来ない。

「小生としても君の留年は非常に残念に思うが、そのことと卒業の手助けをすることとは何の関係もない。」

「何もかも貴君が勉学を怠ったことが悪い。小生は不正行為が大嫌いである。先程貴君に救済措置を与えようとしたけしからん教授を声を荒げて叱責したばかりである。」

「小生は今までこうしたことに関し常に厳格に対処してきた。私情を絡めたことはこれまで一度もないしこれからも決してしない。それこそが小生の存在意義なのだ。」

「それとも貴君は小生に、首を吊って死ねというのか。」

2018-04-10

anond:20180410211013

子供養っていくのに中卒より高卒の方がいいに決まってるんだから、何年留年しようが休学しようが高校卒業しておく価値はあると思うけどね。

まぁ高校生で妊娠する奴はそんなことまで思い至らんのだろうけど。

anond:20180410210343

0歳保育で預けて学校にこれるならそれでいいんじゃない

誰が金出すか知らんけど

ついでに言うと友達のいないクラス卒業して嬉しいのかという問題もある

在学中に孕むようなアホなJK留年して卒業、なんて望むかね?

2018-04-08

初期研修を終えてのもやもや

医学部卒業して初期研修(いろんな専門科を数ヶ月単位でぐるぐる回る)を終えた。

不勉強学生だったし、研修先は無名病院だったか一般化できる話じゃないけど、もやもやしたこと

1.医者能力に差がありす

簡単のため、一般外来診療に話を絞ってみる。直感だけで、何も考えずに診断をくだしている医者は本当に多い。田舎開業医が出してるわけわからない薬とか本当にたくさんある。でも慢性期疾患とか適当に薬を出してもすぐに結果が変わるわけじゃないから、漫然と経験を積んでも自分診療内容を洗練させていくのは難しい。外来診療ちゃんフィードバックをもらいながら教えてもらえることはあまりないし、適当にやっても結果が大きく変わるようには見えないし、診療内容よりも態度や人柄で患者コメディカル評価は決まってくる。だから、高い信念を持ち続けていないと、診療技術を向上していくモチベーションがなくなっていってしまう。

外科医なら下手くそだとメスを置かざるを得ないような圧力がある程度働くかもしれないけど、内科医はそういう圧が働きにくいから、ヤブ医者自分がヤブであるということに気づくことも排除されることもされないままになっているのかなと思う。

2.医学部での教育もっと教えることあったのでは?

重箱の隅をつつくような基礎医学試験問題で、留年させていくことに一体何の意味があったんだろう?精神修行

そもそも論だけど、実臨床で重要なのは病態生理より疫学データじゃないのかなと思ってしまう。

病態生理から色々考えて独自かつ複雑な治療をやっている医者もいるけど、本当にアウトカム改善しているのかなと思ってしまう。

まだエビデンスが無いような専門性の高い領域では考える必要あると思うけど、大抵の患者はそんな複雑な病態じゃないんじゃないかな。

UpToDate通りにやっていけばそれで十分なのではないかなと、むしろ専門家以外がUpToDateから逸脱したことをやるのは悪い方に傾くことの方が多いんじゃないかなと思う。

であれば、基本的な症候へのアプローチを反復させて学習させて、徐々にpit fallを教えていくみたな教育プログラムをやったほうがいいと思う。あったらいいと思う。

不確実性が高い領域なので、結果で評価するのではなくて、決まった診断治療アルゴリズムに沿っているか評価されるべきだと思う。それって楽しくは無いけどね。機械にやらしとけって気持ちになる。

3.ジェネラリスト厳しいです

基本的アプローチ定型化していく中で、人間に残されている領域直感と広範な背景知識かなと思ってしまう。

専門領域を絞らないとどっちも得るのは厳しい。

マルチプロブレムに対処するには専門家じゃ厳しいというのには同意するけど、プロブレムリストたくさんある人はもはや寿命なのではと思ってしまう。冷酷ですかね?

エビデンス大好きで論文オタクみたいな先生はすごいなあと思うけど、論文って嘘ばっかりなわけで。自分が会った基礎系の研究者は、論文を出した研究者ラボが信頼できるかどうか、データ自分経験から逸脱しているものではないかどうかなど、メタ情報を駆使して読んでた。本当に批判的に読むには近い領域論文を書いている必要があるのでは無いかと思う。RCTがいくら出ようと結局信頼できるのはエキスパートオピニオンなのではないかな。

4.電子カルテダメすぎ

ひどい。Windows98みたいなUIしている。電子カルテがまともになったら無駄時間エラーをどれだけ減らせるかを考えると恐ろしい。

5.医療って人を幸せにできてるのかな?

生活習慣病ほとんど寿命超高齢者への医療見てると、今の医療ってマクロに見て人を幸せにしているのかなって思ってしまう。野菜食べて運動して自分がやりたいことやって満足な時間の使い方をする、ってことにお金を使ったほうがみんな健康幸せに生きられるんじゃないかな?そもそも皆さんそんな長生きしたいですか?ぼーっとテレビ見たりゲームやってる時間って生きてる時間ですか?その時間を充実させられたら、その分寿命が縮んでも構わんくないですか?とかね。いってそんな充実した人生を送れていないですが。

嫌な部分ばっかり見てしまっているのかもしれないけど、医療希望がまだ見いだせてない。見つけていきたいな。

2018-04-06

anond:20180406212510

留年したのは単位数え間違えたからです……

やっぱなんか完成させてからのほうがいいのかな

C++で書いてるソフトが完成するの待ってたら卒業しちゃいそうなんだけど

インターンC++書かせてもらえるとも思えないし

anond:20180406200332

留年した理由を知りたい。

プログラミングをしたいなら、作品を見せてから

20代若造自分おっさんと言わないほうが良い。

プログラマーの人っていうのは、それなりに自分にこだわりをもってやっている。

自信がないような素振りはせずに、俺はすげえくらいの勘違いしているような考えの持ち主のほうが成功してるよ。

anond:20180406200332

Web系とかアプリ作ってるようなところは大学生いくらでも群がってきて、人手があまりまくってるから留年してるおっさんは無理

組み込みとかの斜陽産業ならどんなアホでも採用してくれるんじゃん?

知らんけど

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