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はてなキーワード: 留年とは

2023-06-03

当時彼氏と別れ大学留年し、一応卒業したもの仕事が続かずフリーターやったりやらなかったりした時期。

自分ドン底にいると思いながらも大学の先輩が立ち上げた劇団に入って芝居をやっていた。

劇団と言っても商業でなく数人しかおらず、舞台を打つときは色んな人に声をかけ客演で出てもらっていた。

その時の打つ舞台は人数が多く、やっぱり外からきた人が多かった。年上の人もいたがだいたい20代が多めだった。

市民会館を借りて練習をしていて、ある時「月が綺麗」とみんなで外に出て見に行った覚えがある。

その時、「ああ、青春してるな」と思った。

大学時代は私の全盛期だったが、最後はクソだった。

最後がクソだと人間関係も進路もすべてクソになるなと絶望していたが、学生を過ぎても青春はできるんだなと感じた。

あの時一緒に眺めたメンバーとはもう誰とも連絡はとってない。でもいい。ありがとう

2023-05-29

優しい笑顔文章

先日なんとなくSNSを眺めていたら、友人の投稿が目に留まった。

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「身内です。このアカウントの持ち主は A月B日に永眠いたしました。生前のご厚誼に感謝申し上げます。」

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彼女との出会いは、200X年だった。趣味関係彼女ブログを見つけた俺は、彼女ブログコメントをした。その後コメントを返してもらったり、mixiアカウントを教えてもらったりして、コミュニケーションの頻度が上がっていった。連絡先を交換して電話もした。「おはようからおやすみ」まで、ガラケーで連絡を取り合う感じになった。

お互いの写真も交換して、会ったこともなかったのに電話告白をして付き合うようになった。お互い大学生で、相手首都圏在住、俺は地方在住だった。遠距離のもどかしさがあったけど、俺は大学卒業就職して首都圏に引っ越すつもりだった。

俺は大学4年になると、就活とか何かしらのタイミング夜行バス新幹線首都圏へ行き、彼女に会った。最初会う時は、本当に不安でいっぱいだった。思ってた感じと違うと言われたらどうしようと。彼女は、俺のスーツメガネ容姿を褒めた。それまで容姿を褒められた経験のなかった俺は、褒められたことを単純に受け入れる事ができず、嬉しさよりも恥ずかしさの方が優った。

彼女は、派手な感じのない小綺麗な人だった。背が俺より高くて175cmくらいあった。コンプレックスを感じる必要は全くないのに、「高いヒールを履きたいけど、自分の背が高いのが嫌なんだ」と言った。ネイルをしたり、コスプレをしたり、カメラマンの人に容姿を撮ってもらうことが好きみたいだった。

まり俺の意見や話に対して自分の考えを述べたりせず、基本的に良く相槌を打ち、よく笑う人だった。いわゆる聞き上手な人のように見えた。家庭問題学校問題等によって鬱病なんだと聞かされた時は、人に攻撃されないようにとか、嫌われないようにするための処世術?として聞き上手なのかもしれないと思った。

鬱病が本当に辛そうだった。体調のいい時に始めたバイトも、体調が悪くなると寝込んで欠勤が続き、辞めることになった。「パン屋バイトに受かった、楽しみだ」と言っていたが、最終的にそれも辞めることになった。大学も然り、留年中退となった。「どうして、自分はこんなに他の人ができることができないのか」と悔しがった。

俺は大学4年生の夏頃までに就職内定をもらった。でも、周りの友達ほとんど大学院に進学予定で、自分就職選択が正しいのかどうかよくわからなくなっていた。そして、大学院に進学すると遠距離恋愛をさらに2年続けることになる。彼女電話で悩みを打ち明けると「試験、頑張りなよ!」と応援してくれた。後2年待ってくれそうな気がした。大学夏休み院試勉強に充てて、試験合格をした俺は、彼女に結果を伝えた。喜んでくれた。内定していた会社には、内定辞退の謝罪をしに行った。

その年の暮れ、俺は年末年始首都圏の親戚の家で過ごさせてもらえることになり、どこかに遊びに行こうと彼女を誘った。俺はインドア派でどこかに行きたいとかはなかったから、行きたいところはないか彼女に聞いた。彼女は「109正月セールに行きたい」と言った。初めて入った109想像していたより狭かった上、外は大行列で中は大戦争だった。朝からセールにいき、昼に食事をしながら「正月セール、やべーw」と2人で笑い合った。

つのからか、「(俺が学部卒業して就職したら)もうすぐ頻繁に会えるようになるね」という話題もなくなり、二人の会話がトーンダウンし始めて、とうとう「別れよう」と言われた。院進学の判断をしたのは俺だったし、彼女は明確な意思を持って何かを話す時、結構頑なな人だったから、あまりとりつく島がなかった。そして別れることになった。

それからも俺は彼女と連絡をとった。2年間の博士前期課程を修了後、就職首都圏引っ越した時も、一緒にどこかに遊びに行った帰りに「もう一度付き合わないか?」と聞いた。でも、断られた。それから、お互いに新しいパートナーができたりして、少し疎遠になった。ご飯を食べに行こうと何度か誘ったこともあったけど「行きたいんだけど、体調が悪くて」と断られた。「流石に空気読めよ」って話だったのかもしれないし、本当に体調が悪かったのかもしれない。今から思えば体調は悪化していたのかもしれない。でも、もうわからない。

彼女は、口数が多い方ではなかった。でも、話せば沢山考えていることがわかった。人を蔑んだりすることなく、性格は優しかった。笑顔は素朴で屈託がなかった。俺は彼女の書く文章も好きだった。memorizeとかを昔やっていて、ブログとかでは読みやすくて書き慣れた感じの文章を書いた。何よりこんな俺の稚拙増田とは比較にならないくらい筆に勢いがあった。

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闘病生活お疲れ様。あの頃、俺は君に夢中だったし、手を繋いでデートできるのが本当に幸せだったよ。優しい笑顔文章ありがとう

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合掌

anond:20230529132332

附属校の留年率はガチだよ。口先で上級国民の裏口だの言ってる平均レベル学力しかない輩は、入っても卒業出来ないだろうな。

anond:20230529014120

付属校、大学受験レベルで考えるとまあ馬鹿なんだけど、それでも県立のトップ高校に入れる程度の地力はないと、留年して放校になると思う

母が死ぬまでは死なないという確約が欲しい

俺は30代なりたての男なんだが、大学生の頃から死恐怖症(特に癌恐怖症)が治らない。

きっかけは大学時代病院に行っても解決しなかった謎の膝痛に数ヶ月近く悩まされたこと。レントゲン撮ってもMRIやってもわからなかった。

色々調べてた時に見つけたのが骨肉腫という病気。そしてYouTube骨肉腫を再発し当時の自分と同じ年齢で亡くなった女の子の闘病ドキュメンタリーを見たことがきっかけだった。結果的に膝痛はなくなり今ではなんともないが、それ以来俺は癌恐怖症になった。

記憶にないアザや怠さ、歯茎出血があれば白血病しこりがあれば悪性リンパ腫、ほくろがあればメラノーマ下痢になれば大腸がん、幼少期からの鼻炎持ちで鼻くそに血が混じれば副鼻腔癌などなど。

何か一つの症状がある癌に当てはまれば癌だと思い動悸や立ちくらみに襲われ「ついにか…」と倒れそうになる。バイトもあり、思い立って翌日に病院に行ける訳ではないため病院に行き検査結果が知らされる不安で何も手につかない。総合診療医では信頼できず各専門クリニックに行くのでセカンドオピニオン含め財布には12枚の診察券、そして4つの病院電子診察券を持っている。

「30歳でバイト?」と思っただろうが、この性格なので癌に当てはまる症状が出ると何もできなくなる。留年もしたし、就活も失敗したし、公務員試験も失敗したので現在バイト暮らしだ。県立中高一貫校から一橋商学部卒業しているので、幼少期からの親の教育投資を随分無駄にした。

死への恐怖は癌だけではない。電車では後ろに人がいたらホームの先頭には立てない。強盗が怖く、自宅を買い集めた防犯グッズや自作防犯システムで完全防御。大通りや赤信号も常に警戒。

俺は自分死ぬのが怖いわけではない。

俺の両親は俺が幼稚園卒園前に離婚しており、以来母が看護師として育ててくれた。自称経営者の父は養育費大学学費用なども「無い袖はふれない」と一切出さず、母は実家とも疎遠なので大学卒業するまでにかかったお金は全て母が稼いでくれた。

俺は母に「母よりも長生きする」「立派になった姿を見せる」「妻と孫を見せる」という3点を誓っていた。しかし、この死恐怖症によりレールから脱落し立派になった姿を見せることも結婚も孫を見せることも不可能になった今、俺が母のためにできることは母よりも長生きし母を看取るということだけである

から俺は何があっても母よりも先に死ぬことができない。先ほど言ったように母は独身実家とも疎遠で俺は一人息子なので俺が先に死んだら母は一人になってしまう。

それなのに、常に俺に忍び寄って来て隙があれば俺の命を狙おうとする癌や突然の事故犯罪に対して俺は極度に恐怖し強い怒りを感じる。

永遠の命はいらないから「母が死ぬまでは死ぬことはない」という確約が欲しい。

2023-05-24

anond:20230408130122

就職先無いにとどまら思想も拗らせちゃうんだから自分の子供が文系院(特に文系)行くって言いだしたら全力で止めるわ

大学生続けたいなら留年しろって言うわ

2023-05-22

統失職歴ボロボロ無職32歳女(80kg)が8年ほど経った今

時々こういうの言いたくなることあるんだ。

名前出してはとても言えない内容だから増田に書くんだけどさ。

私はそこそこ貧乏な家に生まれて、両親は私が高校卒業したら腰掛け就職して適当なところにお嫁に行って欲しいと思ってたみたいなのよ。

でも、フェミニストじゃないけど両親が用意したそのレールが嫌でさ、手に職をつけたいこれからプログラミングだと思って、バイトしながら自腹で通える理系情報処理を学べる大学に進学した。

だけどそこで精神病になったのね。最終的な診断名は統合失調症結構酷かったよ。四六時中首を切れっていう何者かの考えが頭の中を支配して、講義に集中できないどころか走ってくる車に気が付かなくて事故に遭いかけるくらいメンタルが削られて。

そんな中で留年しながらもなんとかバイト卒研をこなして卒業にまで漕ぎ着けたんだけど、その頃には手に職をつけたい独り立ちする人生を送りたいって気持ちはとっくに擦り切れてて、新卒カードも使えず実家引きこもりをするようになったのね。

それから数年は定期的に精神病院に行ってお薬を飲んで寝る以外のことはしない生活を送ってた。その間にぶくぶく太っていったけど、ダイエットしたりとかの対策は取らないでいた。というか、そういうことを頑張れる状態じゃなかった。

んで、社会復帰目指してパート仕事から始めて徐々に仕事量を増やそうとしたんだけどうまくいかずに1年前後退職するのを繰り返して、気がつけば統失職歴ボロボロ無職32歳女(80kg)が出来上がってしまったわけだ。当時は今でいう子供部屋おばさんだったわけで、もちろん当人としても親が死んだら詰みだろうというくらいの事は見通していた。

それが今から約8年前のこと。

ここから先はどう説明してもあらゆる方面に反感を買うと思うので、嫌な予感がした人はここで読むのをやめるのをお勧めする。

まず、そんな状態だったけど結婚できた。

この8年前はそこそこどん底だったと思うのだけど、そこで大学時代の先輩と再会して人生相談。それでなんやかんやあって再会から1年も経たないうちに結婚することになったのだ。

結婚だけで全てが解決するわけじゃなくてメンタルの厳しさはまだ残っていたのだけれど、それも夫の元で専業主婦をさせてもらいながら年単位で療養してたら少しずつ解決していって、今はあんなに聞こえていた何者かの呪い言葉は滅多に聞こえなくなった。

それから大学時代に覚えたプログラミング。これを活かす仕事に就いたことはなかったけれど、運よく見習いの扱いで雇ってくれるところが見つかった。この職場には、本当に感謝している。

なので、詰んだと思っていた現実が思いっき好転したんですな。しか結婚きっかけで。

なんでこんな話を書いてるんだか、自分でもよくわからない。

再現性が低すぎて誰かの役に立つ話じゃないし、端的に言って自慢話だし。でも、時々心の棚卸しをしたくなるのかも。

事実だけど非常に釣りであるタイトル申し訳ない。これが私なりの承認欲求の発揮の仕方っぽいです。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

ちなみに、環境は劇的に改善しましたが体重だけは変わりません。

2023-05-20

自分ニートになるとは思わなかった

小中高での引きこもりいじめ大学生活での留年ギャンブル沼なども全て回避したのに、まさか就活に失敗してニートになるとは思わなかった。

なんかすごい悔しい。

2020年4月を思い出す。新生活希望を膨らませながら、必修落とさないように微積分復習して、線形代数ミクロ経済学の予習して、料理洗濯を身につけたりしてた。一人暮らし始めて一週間後には高校から付き合ってた彼女が泊まりに来てそこで童貞卒業した。4月下旬5月には色々なサークル新歓行って、アルバイトも始めた。その後の生活もあっという間だったけど楽しかったのに。

親はニートを許してくれるだろうか。我が家始めての学士様にバイトしろとかなんでもいいから働けなんて言わないことを祈る。

2023-05-18

anond:20230518041802

似たような境遇だったので過去自分アドバイスする気持ちで書くと

もっと他人を頼ることや、頼り方を覚えたほうが良かった

 ・20前半の学生なんて周りの大人からしたらクソガキなんだから、可愛く頼られて邪険にする大人はいない。

留年や休学しても人生においては大したことはない

留年して研究室を変えても学部を変えても人生において大したことはない

研究がしたいのか、就職がしたいのか、ちゃんと考える。アカデミック以外の道も視野を持つ(退学も視野に入れて)

 ・研究の道で生きていきたいなら研究室変えてでも学部変えてでも研究の道を諦めるべきじゃない

追記あり自分支配するにはどうすればいいのか

全部自業自得なのは分かってるけど、今後の為に振り返りというやつをさせてくれ。

私は現在進行形でここ数年、メンタルが弱い。

どのくらい弱いのかっていうと、やりたくないこと(研究ゼミ自分の番など)が近づくと、○にたくなる。(行動に移したことはないし、せいぜい方法を調べるくらい)

朝は当然のように起きられないし、飯も丸1日食べずに寝て次の日にようやく食べるみたいな時期があった。

最近はマシになったけど部屋も荒れていて、軍曹とか呼ばれてる蜘蛛と同居していた。

当時は何とも思わなかったけど、今思うとそれなりにおかしい。

なんでこんなことになったのか。

昔はもうちょっと出来たはずと思ったけど、そもそも昔は環境強制されていたし、親に支えられていたから出来ていただけで、あの時から何も変わってないか

自分強制してこない環境で、自分支配できるのかが大人になるってことなのかな。

もう20年以上に生きてるはずなのに、未だにそんなことも出来ずに甘やかしているのが情けない。

それでも現状維持でいいじゃんって甘やかす気持ちがあって、本当に何なんだろうな、一生こんなのなのかな、それは良いのか悪いのか。

頭ではそれは悪いと断言できるんだけど、心が全く追いついてない。

こうやって書き出すと、今の私が抱えている問題輪郭が分かってきた。

まだグチャグチャしてるので更に書き出す。

前まではカウンセラーに定期的に話を聞いてもらっていたけど、今は頻度が下がったので調子が悪いのは、それも影響してるかもなあ。

問題

・朝起きられない

→早く寝る

→8時間は寝ないといけなさそうだから、0時には布団に入る

健康的な食生活をする

→起きたら音楽を聴いて気分を上げる

研究が面倒くさい

→正直今更で恥ずかしいし、馬鹿にされそうだけど、研究背景・目的をはっきりさせる

→壁にぶつかっても、逃げずに細分化することで取り組みやすくする

先生研究関係ないことや悩み事も相談して、仲良くなる

→なるべく早く来て気まずさを減らす

・悩みを打ち明けられない

→ここに書き込む

先生に話す

カウンセラーと会う頻度を上げてもらう

・深く考えず反射的に行動してしま

→これはどうしたらいいんだ?

→誰かに話してアイデアを貰う?

→なんかこれが根本的な問題な気は薄々していたけど、本当にどうすればいいんだろう。ずっとここで思考停止してる。後天的に獲得出来るのか?それとも考えてるように見えるだけで、実際は場数踏んでるかどうかの違いだったりするのか?

最後問題だけ解決策が全く分からん

これは一般化せずに局所的に対応するしかないのかな。

毎日朝起きて、先生と話すことが解決の鍵っぽいことは分かった。

実践が1番難しい。

けど、やらなきゃ今以上に悪化する。

論理で行動を矯正出来る大人になりたい。

ここまで読んでくれてありがとう

追記

みんなトラバありがとう

“そういう不安を違う経験で薄めて誤魔化して生きてこ”

→それはそれで解決策ではあるんだけど、今抱えてる問題はほぼ避けられない類の問題から、どうにかして解決していきたい

“似たような境遇だったので過去自分アドバイスする気持ちで書くと

もっと他人を頼ることや、頼り方を覚えたほうが良かった

 ・20前半の学生なんて周りの大人からしたらクソガキなんだから、可愛く頼られて邪険にする大人はいない。

留年や休学しても人生においては大したことはない

留年して研究室を変えても学部を変えても人生において大したことはない

研究がしたいのか、就職がしたいのか、ちゃんと考える。アカデミック以外の道も視野を持つ(退学も視野に入れて)

 ・研究の道で生きていきたいなら研究室変えてでも学部変えてでも研究の道を諦めるべきじゃない”

→頼り方かあ、先生と仲良くなるくらいしか思いつかないや

→今の専攻を修了したら就職するつもり、アカデミック世界で生きていける気は全くしないし、申し訳ないけどそこまでのモチベがない。学会発表もした事がないかなりショボい学生なので

留年・休学はなるべくしないようにしたい(今年度で一応修了予定なので)


“まずは規則正しい生活をすることだよ”

→これは本当にそうで、前よりかはいくらかマシになってる

“ いっぺんに全部やろうとすんな。ひとつずつやれ。達成しようと思うな。頑張ろうが頑張るまいがそれなりにしか直らないから。それでいいから。”

→頑張っても頑張らなくてもそれなりにしか直らないか

→言っていることを私なりに解釈すると、自身が変化を止めに入ることは、間違いなく起きる

→だからあんまり変われないということかな?

計画立てて、頑張らなくてもそれを実行していけるようになれば、多少はマシになるのかなあと思っていたりするんだけど、やっぱり私には難しいのかなあ

2023-05-17

から、日プ3に応募しないことに決めたと聞かされた。

もう22歳。世間では十分に若いけど、アイドルデビューには少し遅すぎる。

小学生の頃に少女時代を好きになってから、ずっとKPOPを追いかけていた。

ただのアイドル好きだった私と違って、妹は本気でそうなりたいと憧れていた。

両親は妹の夢をあまり真に受けていなかったようだったけど、せめて私だけでも本気で応援しようと心に決めて数年間過ごしてきた。

一度、韓国アイドル日本アイドル区別がついていない父親AKBオーディションを受けてみたらと言っていたことがあった。

妹は呆れた顔で断っていたが、そのしばらく後にプデュ48が始まり、IZ*ONEデビューした。

あの時お父さんの言うとおりにしておけばよかったのかなと後悔する妹を見て、こちらまで悔しい気持ちになった。

妹は色んなオーディションを受けていたけれど、練習生にすらなれなかった。

落ち込む妹を励ませば励ますほど、悪循環のように感じた。

妹は、本当に頑張っていた。努力の人だ。

歌もダンスも上手だし、いつの間にか英語韓国語も話せるようになっていた。

アイドルになるのだから彼氏も作らなかったし、SNS清廉潔白だし、体型維持のためにとお菓子ジュースを摂っている姿はもう何年も見ていない。

それでもだめだった。時間けが過ぎて努力だけの22歳になってしまった。

まだ手遅れな年齢ではない。でも、大学4年生だ。

卒論就活、色々なものの兼ね合いをたくさん考えて、悩んで、諦めることを決断したんだろう。

そう決めた妹の意思尊重したいけど、諦めないでほしいと思ってしまう私のエゴもある。

大学なんて留年しても良いし、就活なんてどうにだってなるよ、と言いたいけど、無責任に妹の人生を振り回せない。

でも、もし、本心では諦めたくないと思っていたら?アイドルになれるとすれば、今回の日プ女子が妹にとってラストチャンスだと思う。

それなら背中を押したい。

他薦してしまっても良いのだろうか。

anond:20230517164645

小中不登校児だった(単に面倒だったから)けど勉強は得意だったし放課後休みの日は友達は遊んでくれてたからなんも苦労してない

高校は内申見ない進学校に進学して大学までストレート卒業したので履歴書ノーダメージ

高校自由なとこだったし大学試験だけで単位くれる学部だったか留年しない程度にしか登校しなかった

しろ不登校で面倒ごとや嫌な人からは逃げてもいいって学習してしまったし努力する習慣もないか就職してからめちゃくちゃ苦労した

結局サボったツケって払わされるんだな〜って思ってる

2023-05-16

ニートだけどニートだったことを後悔していない話

俺は元ニートFラン卒だ。現職はソフトウェアエンジニア収入はそこそこある。

親は元生活保護で、俺を養うために仕方がなく婚活をして結婚をした。

俺は中学を出て働く予定だったんだけど、労働への反骨精神があまりにも強すぎて高校に行くことになった。

高校を出たら働く事になっていて、危険物取扱者試験を取らさせられた。

だが、働きたくないので就職活動は全くせず、ニートになった。

ニートの時にあまりにもやることが無かったのでひたすらプログラミングWebアプリOSS競技プログラミング)をしていた。

それが親からすると勉強熱心に見えたようで、大学に行くことになった。

大学では勉強自体はしていたが、あまりにも怠惰すぎて必修を落としてしまい、1年留年した。

このあたりでようやく、自分忌避していたのは肉体労働であり、ホワイトカラー仕事苦痛に感じないことが分かったので就職をした。

もし俺に労働への反骨精神が無ければ、今頃中卒の肉体労働者になっていたんだろうなと思うと、感慨深いものがある。

2023-05-15

謝って許しを請うのが下手くそ

謝るのが下手すぎる。謝って許してもらおうとできない、胡麻化して後ろ倒しにしてうやむやにしてしまおうと動いてしまう。明確な私の欠点だ。

しかし、落ち着いている今そう思ったとしても何かやらかし問題が起きたときに、謝って許してもらおうという発想がないので、何度も繰り返してしまう。そうして、謝りの経験値がなさ過ぎて、確実に謝る以外に手段がなくなったときどうやれば謝罪の意が伝わるのか、わからない。謝るのが下手すぎる。

もし、貴方就活で対面面接の日程を忘れていて、スーツではなく私服で街に出てきたとしよう。面接はあと30分後、家に帰る時間はない、スーツ私服かの指定はなかった。そんなとき、どうするのが正解なのだろうか。そもそも忘れるなというごもっともな指摘はとてもごもっとなのだけれど、問題解決にはならないので除けさせていただく。多分、会社に尋ねて、「間違えて確認もせず私服で来てしまった。それでも面接を受けさせてもらえるか」と尋ね、駄目だった場合お願いするのが正着なのだと思っている。しかし、パニックになった私は、その場でスーツを買った。三万円。ぱっとだすにはでかすぎる金額のそれを、私は10分で用意した。

それも一つの解決方法だけれど、多分私は極端にそうである自分だけで解決できることは誰にもばれないようにムチャをして解決する。馬鹿である。そうして、謝ることのできない大学生が出来上がった。

先日、入構の申請が遅れたことがあった。それを私であれば、おそらく何とかして胡麻化すだろう。後輩ちゃんは、申請先に謝り、事情説明して、ぎりぎり許してもらえたらしい。それを聞いて私は、初めて「謝れば許してもらえることがあるのだ」と気が付いた。こういうことを書くと親や教師のしかり方云々と言われそうだが、別に親や教師が悪いわけじゃない。私が、とことん隠ぺいとごまかしに意識が向いた人間なのが悪いのだ。そもそも、今までの人生で怒られたことはほとんど隠蔽がばれたときだった。

今、謝る以外に解決方法のない問題を抱えている。重大な一番大切な課題の提出が遅れたのだ。これは100%私が悪い。計画性のなさ、突き詰める力のなさ、そういうのが露呈した課題の提出遅れである。謝って提出するしかない。担当教員にはとても的確なお叱りのメールをいただいた。今日ゼミできっちりと取り返し、謝罪をするほかないだろう。しかし、実は私は体調不良でダウンしている。これは事実なのだ。だからゼミに行けない。私にできることは謝罪しかない。体調不良の欠席の連絡と、お叱りのメールへの返答を書いた。担当教員失望されておかしくない、否もう失望はされているだろう。なんていったって課題の提出遅れ留年している。それなのにまたやるのか?という話だ。もう面倒みきれないといわれても、おかしくなんてないのだ。私のこんなの、言い訳しかない。

どうすればいいんだろう。

2023-05-14

中学受験かわいそうだから受験勉強うまい子はすぐに医学科に入れてあげなさい

さっさと医者になってもらわんと困る

5、6年程度の飛び級くらいいいやろ

受験勉強できてるなら留年もない

国家試験対策心配なら予備校に行けばいい

2023-05-09

anond:20230509201948

地域進学校の中でも進学クラス入学して、そこで比較的成績上位をキープして、旧帝大入学したオレだけど、遅刻はどうやっても直せなかったし履修登録はめちゃくちゃ苦手で2年留年した。

いまは仕事IT やってて年収1000万円近くもらってるけど、いろんな期限管理とか勤怠登録にいつも遅れてしまってる。

ある程度知能があっても直すのは無理なものもあるのは理解してほしい。

プログラミングとか得意でずっとやっていられることで成果を出して、ダメなところを誤魔化せるように頭を使ってるけど、しょせん誤魔化しなんだよね。

理解してもらえる(というか諦めて受け入れてもらってる?)までは、本当にだらしないダメな奴だと思われて就職も苦労した。

進学校に入る程度の努力で直せるなら直したいよ。

2023-05-04

anond:20230503021511

ノーベル賞田中耕一先生大学生の時に養子であったと知って

ショックを受けたこともあり留年してしまったらしいけど

子供たちが田中先生のようにショックを受けたとしてもきっと時間解決してくれると思う

少なくともあなた子供たちを立派に育てた事実は変わらない

2023-04-30

母親知的障害者だった

10歳のときに両親が離婚し、母方に引き取られた。

以来、就職まで、祖父人間のクズを煮詰めたようなDVセクハラジジイ)、祖母、母、きょうだい1人、私の5人で暮らしていた。

私の母親は、昔から「何か他の家のお母さんとは違う」と思っていた。

私が小さい頃、私の素行を注意した老夫婦に「うるせえジジババが」と言い返したり、中学生の時の塾の進路相談祖父クズだが金だけはあって塾に行けたのは幸運だった)を、ろくに話もしないで終えてしま先生を困らせたり、騒がしい近所の家に対し抗議の意として化粧品の瓶を投げ込んだり。

DVを働く祖父に対して「クソジジイ」などと罵り、事態悪化させるのも困りものだった。

一番印象的だったのは、私が高校生の時の出来事

当時はまだガラケーの世で、月額315円の占いサイトとかそういう有料サービスがたくさんあった。母親は知らないうちにそれらに多数登録してしまい、解約方法が分からず月に何万も携帯料金を払い続け、それを家族に隠していた(知的障害があると、問題が生じていても誰かに相談できず放置し続けてしまうことがある)。

携帯料金の明細を見た私はすぐに有料サービスを全部解約させ、二度とこういうことがないようにと、有料サービス誘導画面の説明をした。

「まるで親と子が逆みたいだ」と思った。このあたりからなんとなく「うちの母親には知的な遅れがあるのではないか」と考えるようになった。

また、きょうだいにも、母親より少し重いが軽度の知的障害があった。

しかし、祖父は「障害者一族から出たら終わり」という考えの上、自分大学に進学できなかったコンプレックスもあり、きょうだいは無理やり名前を書けば受かる大学に進学させられた。

必修科目をシステム登録できず留年仕掛けたり、コンビニカラオケバイトも数日で退職勧奨されたり、見ていられない状況だった。

どうにかきょうだい療育を受けさせられないか居住自治体に問い合わせたこともあったが、母親に反対されて断念した。母親は私が通っていた中学特別支援学級にいたダウン症の子を引き合いに出し、「あんなのと一緒にするのか」と宣った。ちなみに、福祉業界の知人いわく、「障害者が他の障害者差別するのはよくあること」らしい。

私の就職が決まり大学4年の終わりになるころ、祖父経済的精神的・身体DVが極まり、家の中はめちゃくちゃだった。

ある日、母親が半ば錯乱状態で「お前らみんな包丁持ってきて殺してやる」と繰り返し叫んでいた。それを聞いた私は「この人はやりかねない」と恐ろしくなり、そこから半年くらい死恐怖症に苦しんだ。このとき出会った禅の思想は今でも心のお守りである

就職後、結婚したことを期に実家とは縁を切った。

祖父に関しては悩みもしなかったが、母親については何年も逡巡した。母親の知能だと、「なぜ子どもから縁を切られ、会えない状況が続いているのか」、一生理解できない可能性があるからだ。

しかし、3年、5年と絶縁している期間が長くなるにつれ、「これが私と母親との適切な距離なんだ」と感じるようになった。今では母親のことは「支援必要他人」として認識している。何かあったら、行政の然るべき部署につなげることはやぶさかではない。

ここまで書いてきて意外かもしれないが、私は知的障害者が育児することについて全く否定しない。

子育てをしてはいけない人間」を指すとき、そうである者と、そうでない者の境はなんだろう?明確な線を引けない限り、それを誰かにあてはめることはしないというのが、私の立場だ。私自身苦労は多かったし、支援が欲しかったとは思うが、母親のことは、今となっては全く恨んでいない。

今後知的障害の子育てについて支援する動きが増えるなら私も応援したい。自分がしてほしかったように。

anond:20230429085544

わかる。

俺は公立通信制高校だったんで、そこに高校生妊娠して転校してきたって子とかいたよ。

通信制と言ってもスクーリングと言って、一週間に1日程度登校するんだけど、そのスクーリングの時、旦那さん(大学生)がついてきてお世話をしていたりとか(学校内に託児所はあるんだけど、当時は保育士さんは駐在していなかった)

で、そこに、学生時代妊娠して退学せざるを得ず、その後子育てが一段落たから改めて高校入学した、という先輩ママもまざって、みんなでお世話していたみたい。

今では、月曜日スクーリング限定で、近所の保育所から保育士さんが派遣されてくる仕組みになっているらしい。

それはダイバシティ最前線のような通信制高校特殊事例だよね。

そこで聞いた話は、一般高校で現役で子どもを作ると、学校は退学させるように動くのだとか。そこで通信制に転校させる。

多くの大学もそう言うことを想定した仕組みになってないよね。一応、託児所があるところはあるようだが、現役で子どもを作る仕組みにはなってない。

これを整備するだけでだいぶ違う気はする。例えば妊娠きっかけに1年か2年、ペナルティなく留年してその間フォローする仕組みとかやっちゃいかんのか?

学生産休育休時短勤務あってもよいやろ。

本人が希望するならオンライン授業とかできるんだし、他校単位認定制度通信制学校単位を認めるとかさ。

2023-04-28

仮面5浪旧帝医学部志望だけど結局4月勉強できなかった

結局統一選とかジェンダー問題のせいで嫌儲ヤフコメはてブ増田ネトウヨレスしまくって全然勉強できなかった

留年して色々バカにされて履修やり直しでペースも乱れた

でも5月になったら本気出す

絶対はてブ増田嫌儲4chanやらない

東大医学部入って人生勝ち組になる

高学歴はてブ増田勉強教えてください

絶対後悔しない絶対合格する

2023-04-27

明晰夢の醒め方

夢だと気づいてえろいことしまくる

意識たかまるとめがさめるとわかっているか

とにかくえろいことしまくる

でもどうていだから何をしてもスカスカ感触しかないのがむなしくて悲しい

留年しそうになるゆめ(出席必須講義に間に合わない感じ)もたまにみるけど

きのうははじめてそこから明晰夢になった

あれ、でももう働いてるし卒業してるよなってことは夢か、みたいな感じで

ほっとしたけど夢でもストレスためたくないわ

みるならエロい明晰夢のほうがいい

スカスカでも

スカスカでも

2023-04-25

美容分野の医師の質は他の診療科と比して玉石混交です。

基本的医師として一つの診療科で一人前になるには、経験年数10年は要します。

概ね、卒後6から7年後に受験する専門医試験合格してようやく半人前といった感覚ですし、非専門医ではただ医師免許を持ち少し研修しただけのレベルに近いです。

しかし、美容分野に進む医師の中に、他科で専門医を取得すら出来ず所謂ドロップアウトした方が多く含まれているのが現実です。

もちろん、誰しもが初めから名医ではないですし、専門医学位がその医師能力の全てを表す尺度ではありません。

しかしながら、美容医院受診する際には他の診療科以上に担当医師の年次や経歴を十分に確認することが重要です。

実際、年次が低すぎる、専門医未取得、40代からの転科などは避けた方が無難です。

一般的保険診療での研修通用しない特殊な分野です。

美容分野の医師やばいのがいるのは同意です。一昔前までは別の科で何年か医者やってからドロップアウト組、一般形外科研修を積んでから異動組のどちらかが多かったですが、最近研修終わりにストレート美容就職して、はなから院長みたいな子達が結構ます合併症アレルギー対応等は医師としての経験重要なのにこんな若くして美容では何も対応できないでしょう。病院選びはほんと大事だと思います。ただ、今回の脱毛クリニックは雇われ院長で運営が酷いだけだと思います

高校時代の友人がまさにコレ!

周りが国立医学部行って1人だけ多額の寄付して聖なんたら大学行って落ちこぼれて5回留年、国試も3回目でようやく受かった。特に目標がないか専門医も取らずにのらりくらり。気付いたら美容外科に転科してたけど怪しくてしゃーない。

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