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2017-12-12

どーせ勉強しても無駄なんでしょ

という感覚があった、というか今でもある。

オタメゴカシを抜きに言えば、大学というのは就職のために入る場所だ。

まり就活ウケしなければどこに入っても意味が無く、だからこそ就職率の良い大学だとか、難関大なんかをこぞって受けるわけだ。

文系よりも理系数学よりも工学、といった具合に。

そりゃあ各々の適性に合った場所に入るのが一番だろうが、大抵は偏差値とか景気を見ながら「これなら就活で困らないかもしれない」とか考えて大学学部を選ぶ。

そんな調子で選んだ本命大学にも落ち、浪人の末、そんな調子で選んだ滑り止め大学に入った。そこで強い学歴コンプレックスを抱えた俺は4年くらい鬱屈していた。

バイトはやらず、サークル就活ウケしそうな電子工作関連のサークルに入った。(ろくに活動はしなかった。どうせ面接じゃ嘘八百が通ると分かっていたため。事実就活では通っていた。)

大学下宿を往復するだけで、友達彼女も出来なかった。

講義オートマトンだとか増幅回路なんかをやっている中で、俺は「結局就活じゃ大学しか見られないのに、今更何しても無駄評価されない。終わりだもう…」という思いで一杯だった。

TOEICを頑張っている連中を見ては、「いい会社に入ろうとでも思っているのか。どうせ就活じゃ難関卒が優良企業内定ガッポリ攫っていって、俺たちにはクズみたいな求人しか残らないんだぞ。」と思っていた。

インカレにでも入ったら」とか言ってくるとしあきを見ては、「インカレなんて難関大人間と難関大彼氏が欲しい女と財布役しかいないんだぞ。」(偏見だが…事実だろう)と思っていた。

「向こうで友達は出来た?」と聞いてくる親には「全然。行きたかった大学じゃないし、毎日まらないよ」と答えていた。

そんなわけで、タイトルのようなことを常々考えていた。4年間。

実際に就活が始まると、英語を頑張っていた奴が速攻で楽天から内定を貰った。(あん会社???ナン???とか失礼なことを考えていた)

一方で、誰よりも早く就活を始めていた俺は、半期留年の末、誰よりも遅く内定を貰った。

留学生向けの9月卒業式を終え、退去の日。

思い返せば…何も思い返すことはなく、本当に無駄な日々を送っていたな、とか、かと言ってこんな大学に入った時点で何をしてもどのみち無駄ではあったな、とか考えていた。

結局就職したのはよく分からない会社COBOLを内製する仕事。今どきCOBOLだぞ。笑えるな。

はっきり言ってつまんねー仕事。30年も前のプログラム弄ってる20代なんて日本でも俺くらいのもんだろう。

やりたい事見つかったら即転職してやろうと考えていたが、何も見つからず…給料は少ないものハラスメントが無い環境だもんで、なかなか辞められずにいる。

何より、今更この環境で何を勉強したって無駄なんだ。

求人を見りゃ分かる。「実務経験」が要る。つまるとこ、「勉強しました」だけの奴はいらないってわけだ。

ネットじゃしきりに「日本リーマン勉強しない」とか「日本大学生勉強しない」なんて煽ってくる。

だが、現実としてどうせ今更なにを勉強してもムダで、結局学歴コネのある奴が全部持っていくわけで…だから誰も勉強なんかしない。

から人生仕事好転しない。だからといって勉強したところで誰にも評価されず、何も変わらないという現実も確かにある。

書いていて本当に徒労感しかない。

俺の人生は一体なんだったんだろうな。

無気力人間記憶を辿る

最近仕事をやめた。

8時間労働と1時間の休憩、少しの残業と1時間通勤、それと出社準備の1時間

合計11時間が週5日あるのに耐えられなかったからだ。

一月に16万円ほどもらっていたが、溜まっていく一方で何に使えば良いかもわからなかったし使う気力もなかった。

人達給料をもらってエンジョイしているのに自分はどうもそれが不可能だった。

どうしてこんな人間になったんだろうか

自分記憶を改めて整理したい

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保育園時代

ほとんど記憶がない、踊りを披露する場があってそのときに着た衣装がとても寒かったこと、保育園に新しい園庭ができたこと、その園庭に蜂の巣ができてしばらく使えなかったことは覚えている。

小学校時代

3年生になったら強制的部活に入るのだが、習い事があるので入部を拒否した、しかし1年経って周りとの疎外感を気にされたのか強制的に入らされた覚えがある。

自分には合わないと言い続けたが辞めることが出来なかったので、習い事の日を多くした記憶がある。

体育や運動行事はとことん苦手だった、よく貧血で倒れていた、ヘラヘラしながら誤魔化していたが、実際はなんで自分はこんななのだろうと思っていた。

この頃から体育や体を動かすことが苦手になったと思う。

暗記するテストが苦手だった。10個の漢字を暗記して書く問題はいつも4個ぐらい間違えていたと思う。これで暗記が嫌いになった。

厳しい先生が居た、よく怒って棒で生徒の頭を叩き授業放棄する先生だった。待ってる時間は退屈だった。

美術の授業は苦手だった、何を書けば良いかからないし思った通りに絵を書いていくことができず苦痛だった、特に版画は最悪で居残りでなんとか仕上げさせられた。

友達関係はまあまあ良好だったような気がする、地元では珍しくPCネット環境を持っていたのが大きかったと思う。

PCのやり過ぎで親に何度も怒られた、その度にPCを取られていたのだが、自分友達を繋ぐものが取られて居るような気持ちで非常に辛かった。

中学校時代

この時も厳しい先生が居た。自分は字が汚いことでよく怒られていた。どんなに時間を掛けて書いても何も褒めてくれないので怒られるギリギリの字で出すようにしていた。しかし日によって怒られたり怒られなかったりしたのでもうどうでも良くなった。

部活吹奏楽をやっていた。練習ときはまあまあ上手い方だったと思う。肺活量の問題か音が小さいとよく注意されていたが適当に誤魔化していたと思う。

コンクールの後に反省会をするのだが、本番が終わると何も覚えていなかったので適当なことを言っていた。

音楽で歌う事があったのだが皆と音程が合わず口パクで歌っていた、大きな声で一人ずつ歌ってと言われたときは最悪だった。記憶から消したいぐらい。

木材で何かモノを作る授業があった、皆はうまく組み立てていく中、自分全然釘が刺さらず遅れすぎたためボンドでくっつけていた思い出がある。

普通の授業は良いのだが、体育音楽等が苦痛でついに不登校になった。

親や先生には理解されないだろうと思いながらもそれとなく言ってみたが良い反応が得られなかったのでとにかく行きたくないで押し通したと思う。

学校から厳しい先生が自宅に来て「なんで来ないの」とか聞かれてたけどお前に答えるわけはないだろって思ってた。

中卒は厳しいからとりあえず高校に行こうと言われたので教室には行かず勉強をして、自宅に一番近い高校入学した。

高校時代

普通に合格した。英語絶望的だったが…

特進クラス入学しないかという案内を受けた。部活に入らなくてもいいのは魅力だったが、放課後に補修があるというのでお断りした。

一瞬だけ部活に入った、同学年の人がほぼ居なかった上女子ばかりだった、1年目は雑用しかできないらしい、毎日ランニングして基礎トレーニングで終わったので1週間ほどでバックレた。

普通勉強は出来た方だと思う。歴史とか社会とかの暗記系は苦手だったがそれでもまあまあ出来ていた。しか英語絶望的だった、1年生の頃はまだなんとかなっていた。

2年生になると同時に自分は特進クラスクラス分けされた。補修が無理やり入る、課題が今までよりも多い、非常に辛かった。

数学教師も字に厳しい人だった。普段はある程度丁寧に書くのだが、定期テスト時間がないので適当文字になる、それに全てバツを付けられた。

数学は得意だったのに一気に嫌いになった。

模試の結果、英語さえできれば東大ラインが見えるとのことで英語教師がよくせっつきに来るようになった。

補修の回数も増えた、授業中当てられる回数が増えた。英語の苦手意識が高まっていった。

長期休みも補習があった。

合宿があった、朝から晩まで勉強だった。

嫌になった自分は2年生の途中でまた不登校になった。

また中学と同じ言い訳をした、担任にも学年主任にも平気で嘘がつけるようになって自分進化したなぁと思った。

単位制の高校だったので留年か出席かを迫られた。

から中退ではどこにも就職できないぞと言われた。

自分は退学を選んだ。

高卒認定を受けた。

専門学校時代

高卒認定かつ自分の体力で就職できるところがなかったし就職する気も無かったので、地元情報関係専門学校に行くことにした。

自分はわりと詳しいこともあり知ってるところも多かったし勉強は楽に出来た。

専門学校だけあって就職についてのサポートは充実していた。

自分は今までPCを触ってきたこともありなんとなくプログラマーになりたいと考えていた。

しかし具体的な会社を決める段階になると、本当の自分が働ける職場が無さそうな事が分かってきた。

先生説明する中で一番楽そうな会社に入ることにした、そこは8時5時で残業殆どないらしい。

筆記テスト小論文面接を受けた、適当な受け答えをしていたら内定を貰うことが出来た。

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本当のことを言って周りに相談していたら自分はどんな人間になってどんな人生を歩んでいたんだろうか。

2017-12-11

留年させればいいのに

https://togetter.com/li/1179589

校則問題は色々な観点から言うべきことがあって一概に言えないのはわかってるけどめんどくさいか網羅的な話をするつもりもないんだけど、とりあえずこのフィンランド人の考える「学校勉強をするところ」ってのは、勉強できなければ卒業できない場所でもあるってことじゃん?

日本公立高校では、留年なんて欠課時数オーバーとか、赤点救済措置課題をしつこく迫られても無視するとか、「よっぽどのこと」がない限り起きない。

そしてこの「よっぽどのこと」は風紀指導における「よっぽどのこと」と同じで、「言われた通りやっていれば許される(進級できる)のに、それをやらないって…アホなの?」という目線によって判定される。

「アホで結構しかバカは進級できないよ」というのがフィンランド人だとしたら、日本人バカでも言うこと聞いてたら進級できるとでもいおうか。

まあ、留年しない制度の原因も入試就職等出口の問題から現場・周りの「かわいそう」とか事勿れ主義まで色々だろうけど、乱暴に一つにまとめれば、そもそも社会学校に何を求めてるかという問題なんだよね。

結局勉強じゃないんでしょ。勉強できなくてもいいと思ってんだよな。多くの人は。「勉強できるのと本当に頭がいいのとは違う」とか「テストでいい点数とるよりも大切なことがある」とかそんなヤフコメよくあるじゃん。「だから学校はそれを評価すべき」まで来たらもうそから風紀指導までの距離ゼロですよ。

言い方変えれば、いま留年してる奴らは言わば教科における風紀指導に逆らう奴らで、現状日本学校はそこを評価する場所なんだろうな。

勉強評価する場所てある以上は、一定数は勉強留年してもしょうがないという含みを持った制度じゃなきゃおかしいよね。でもさあ、本当にみんなはボコボコ留年させる可能性のあるシステムを支持するのかな。

疑問だなーと思うよね。支持してほしいんだけどさ。

2017-12-09

留年しそう

北海道大学に通っています

このままでは卒論が書けずに留年しそうです。

今までそこそこに努力して、親にも迷惑かけずに生きてきましたが、ついにダメかもしれません。

そこそこにサボっていたので仕方ないのかもしれませんが、運も悪かったです。

最近死にたいと思うようにもなってきました。

でも落ちこぼれにはなりたくないし、大学はちゃんと卒業したい。

もうむしろ明日にでも「お前は留年だ」と言ってくれた方が開き直れるのに。。

胃が痛いし、薬でも貰った方がいいのかな。

2017-12-03

僕とアイマスとおじさん


先日いつものようにМマス(7話)を見ていた時、偶然おじさんが居合わせしまい仕方なく一緒に見た話

あくまネタとして読んでもらいたいのでガチファンとか夢とか腐の方は読まない方がいいかも。

まずは自分のМマス歴

1話〜3話 ニコ生

4話 初のリアタイ

5話 録画

6話 リアタイ

7話 リアタイ(おじさん初参加)

8話 リアタイ

9話 リアタイ

元はゲームを少しやってたくらいの知識で見始めたМマス

EoJは放送存在さえ知らなくてこの前ブルーレイ買って見たくらいの自称新参Pです。

おじさんのコメント(抜粋)

7話のおじさん

新入生歓迎会の場面を見て高校生か〜とつぶやく

OPを見てこの衣装〇〇(忘れた)とつぶやく

・補習してる場面を見てこいつ留年してるのか…とつぶやく

以下退場

9話のおじさん

・Pとチャオの人がバーみたいなところにいる場面でなんだこのアニメは…とつぶやく

OPを見てこれかラ〇ライブどっちか見なきゃいけないならやっぱりラ…かな…とつぶやく

・みんながダンスをしているところでガチホモかよ…とつぶやく

・途中に入った銀魂CDCMを見て、お…と言う

北斗ラジオの場面でゲストだ…!と言う

とにかくおじさんはぼやいているのである

見るなら静かに見てくださいよ!!!と言いたい気持ちもあったがまあ後でネットに書いてやろうと思ったら楽しくなってきた。

他にもあまとうとてるさんが2人でステージの上にいる場面では

なんかこう…2人とか3人でシーーーンってなった後ワハハハってなるのって実際なくない?俺は…まあ四十何年生きてるけど1回もこんなのないな…とわけのわからないコメントを残した。

友達がいないからじゃないですか!!と言ったらいるよ〜〜と言い返された。

そしておじさんは北斗が1人で語りすぎて先生達が全員寝ちゃう場面を見て

さみしいな…と言いつつ帰っていった。なんだそれ。

結論としてはおじさんにМマスはウケないということだろうか。

まあ自分が観察したМマス(を見てる)おじさんはその人1人しかいないので他のおじさん(40代〜)でМマスにはまりそうとかはまっててやばいというおじさんが知り合いにいる場合はご報告よろしくお願いします。

今頃気になってggったりしているのか…それとも興味ないふりをしてゲーム始めてたら面白いな…

来週はどうなるかな…と気になります明日バイトあるのでもう寝ようとは思います

(続かない)

2017-11-25

高校中退しようかと

今は高校3年の少年です。3年前にプログラミングにハマって2年前からハッカソンとかコンテストで受賞しまくっていろんな企業から仕事をもらうようになった。

今年に入ってからは多くのベンチャー企業新規事業にも携わったりして、新卒以上の月収はある。放課後や土日で仕事を熟してる。

学校ではどうかというと小学校の頃から勉強の才能はあって授業を一切聞かないでも定期テストでは高得点を取れていた。

しか中学の頃から荒れ初めて中高は問題児扱い。勉強はできるので留年はしなかった。

そして先月、教師に蹴られたので軽くやり返したら対教師暴力として扱われた。

自主退学か処分を受けるか選べ」と言われ迷っている。

処分を受けるとしたら恐らく謹慎数ヶ月。うちの高校基本的に登校謹慎なのでこれを受けると卒業まで別室に監禁されて謹慎課題をやることになる。

自主退学をしようと考えたが、高校中退による青春コンプレクスを抱えそうで怖い。

どうしよう。

2017-11-23

共働きなどの理由で両親が家にいない時間が多く、

子供から目を離しがちになると問題になるのが、

ごっこ遊びがなかなかやめられないことだと思ってる。

普通は親に見られて恥ずかしいから、自然卒業していくんだけど、

見られてなければ、恥ずかしくないしやめる理由がなくなる。

 

かくしてぬいぐるみに布団掛けて会話した後

一緒に寝るオッサンが出来上がる。

ぬいぐるみに声当てるときは変な声出すんだけど、

それ以外で人と喋るのが困難になったりと

ごっこ遊び留年弊害はかなり大きい。

2017-11-13

出産クラウドファンディング(笑)

たくさんの方々からの理路整然とした、あるいは心のこもった助言、問いかけ、ヒントに対して正面から回答をしない石井氏は、「出産クラウドファンディング成功させた第一人者になりたい」という絵に描いたモチ固執する自己顕示欲モンスターしか思えない。

さも立派な事業のように謳っておきながら、その実は自分たちの不始末の尻拭いのために他人になんとかしてもらおうというさもしい発想。プロジェクトうそぶいておいて財務の状況や計画のいい加減さ。だらしなさ。無責任さ。言い訳ばかりの見苦しさ。不誠実さ。親が自分誕生に際し乞食よろしく他人の金あてにしていたと知った時の子供の気持ち想像できない、父親予定の成人男性(※留年しそう)。

これだけの輝かしい炎上案件、彼が批判を押し切ってクラウドファンディングを立ち上げれば物好きな人お金を出しますよねきっと。増田の中にもいらっしゃった。そりゃあ個人お金の使途は個人自由なのはわかってます。でもすごくやるせない。

声がでかいだけの厚かましい恥知らず人間に捨金を恵んでやるのはなぜ?

五体満足で働ける体と二度の中退にもかかわらず私立大にいかせてくれる両親もいて、

海外旅行ブランド品、自分誕生日祝いにお金を使い、挙句カードローンを返済しているような夫婦あなたお金をほどこしてやる理由はなんですか?

自分ではどうしようもない抗いがたい理由経済的に困窮している子供はいくらでもいる。一家の稼ぎ手を事故自死などで失い、進学をあきらめざるを得ない子とか。

震災虐待などで保護施設に入り、何一つ新品のものを使えないでいる子とか。

ちょうどクリスマスも近いです。ネタ同然のクラウドファンディング(笑)に突っ込む前に、自力で稼ぐ力もまだない子たちのためにそのお金を使うことを少しだけでも考えてみてほしい…

なんかとてもやるせない。

11/14修正しました

2017-11-11

懐風館高校訴訟の件では疑わしい点があります

まず、毎日新聞さんの記事では「懐風館高校は地毛登録制度を導入していなかった」とありますが、私は入学後の初めての頭髪検査で地毛登録されました。流れとしては、これは地毛?と聞かれ、暗いものから明るいものエクステの髪色見本を参考にどれ程

の明るさかを調べて登録され、その後の頭髪検査では登録されているから黒染めは強要されませんでした。ですが入学時の頭髪検査での登録をされていない生徒には、髪が傷んで茶色くなっていたら毛先を切るように指導していました。度々バレない程度の茶色に染める生徒もいましたがその場合は直ぐにバレる

と黒染めを強要されていました。それに記事女子生徒側の主張しか載せていません。学校側の主張はどうなるのかと思います

@Kirenenko__04 Nさんの3年になってからクラスはどこか分からないです。でも2年から不登校になってたら単位取れないし進級出来ないんで留年の扱いやと思います

https://twitter.com/x7QK108Zxn5USGG

2017-11-03

教師に「お前は変人だ」と言われた日

地元底辺私立高校に通っていた俺だが、小説にハマりすぎて学校に行ったり行かなかったりを繰り返していた。

成績はそこまで悪くは無かったと思うが、このままだと出席日数が足りずに留年必至だった。

流石に留年はしたくない俺は気合を入れて学校に通い始めた。

その影には担任教師が家にまで来て学校に来るように諭してくれたというものもある。

その教師40代ぐらいの女性国語教師で、40代なのに白髪がまじり、目にクマができていていつも眠そうにしており、とても老けて見えた。

ある日、俺がいつものように何かの書類を忘れた日、その教師に呼び出されたのだ。

教師疲れた様子で

「いつっつも忘れてるのね。お母さんに書いてもらった?」

「いやーまだ書いてもらってないっす」

「ちゃんと書いてもらって。あなた、ただでさえ変人なんだからそういうの気をつけないとこの先やってけないよ」

しかこういう会話だったと思う。

まあ俺が変人だというのは自分でも自覚していたが、人から直に言われるのは中学生とき以来だった。

その教師は徐々に学校を休むようになった。

そしてある時、俺達のクラス担任が隣のクラス担任兼任になった。

そう、その女教師は辞めたのだ。風の噂によると何も言わず蒸発してしまったらしい。

思えば生徒たちともうまくいっていなかった気がしないでもない。俺もうまくいっていなかった

俺はその後その高校中退し、高卒認定を取って大学に行った。

思えば、あの教師は鏡だったのかもしれない。彼女は今どこで何をしているだろうか。

俺がいま幸せになっているように、彼女にも幸せになっていてほしい。

2017-11-02

医学部生とその彼女

恋人医学部生だ。

人達がそれを知ると羨ましがられることも少なくないし、将来への安定やら実家の太さについてあれこれ言われる。

2年以上浪人して留年もしている、発達障害を患っていて精神状態不安定。家庭に問題あり。ここまで聞いても本当に羨ましがられるのだろうか。入学する前から付き合っているが私自身、彼が大学に入れるとは思っていなかった。そんな彼なのだ

私は社会人で彼の家事を手伝っている。

正直楽なことではない。

それでも羨ましいと言われる、将来頑張って貰いたいねと。

社交事例なのかもしれないけれども分からない、私にはわからない。

2017-11-01

大学に行けなくなってしまった

今期取らないと留年が確定するのに

どうしても朝起きられない日が続いて学校にいけなくなった

就活始めてるのに卒業できるかわからない

親が喧嘩したり

説教ばかり、またはもう片方の親の愚痴ばかりで

家にも居場所がない

つらい

バイトはいけるし

面接とか、企業の人と話すのはできる

開発とか企画が好きでアプリ作るのが楽しい

勉強テストだけの科目ならちゃんと点数取れるくらいには取り組める

でも今日どちらも取り組もうと思ったらそれすらできなくなった

ひたすら寝ている

寝ているだけなのに疲れました

友達相談しようにも友達ふつうに出来てることだし家族は話す以前の問題なので

ここに書きました

どうしてこうなっちゃったんだろ

追記

トラバ(?)ありがとうございます

  • 就活終わってるでしょ?

18卒ではなく19卒です、逆求人系のサイトにいくつか登録してるのでそれ経由で面談をしています

  • まだ始まってない気がするけど

19卒の就活解禁が12月からなのですが経団連スケジュールに乗るか乗らないか企業次第らしく

また、面談選考じゃない(らしい)ので就活と言うのはちょっと語弊があったかもしれません。

ただもう某逆求人サイトからオファーだったり面談しないかという連絡をいただいています

それをいくつか受けて面談しています

2017-10-31

就活怖い

俺はとある国公立大学情報科にいる者なんだが、就活が怖い。

一応エンジニアとしてIT企業就活を予定しているが、上を見ればプロが沢山いる。そういう奴らと闘って勝てる気がしない。

例えば、俺の場合Webサービスを作ることが好きなので、PHPだろうがPython3だろうがRubyだろうが、状況によって使い分けている。しか就活となると、ある一つの言語に特化している方が受かるらしい。ソースは俺。人事から聞いた。大体それなりの学習度なので、より奥まった、例えばこの言語言語仕様がこうで云々、みたいな話にはついていけない。

夏にインターン行ったところの早期選考を受けたら落ちた。インターン中も面接中も、ずっと良い感じで穏やかに話が進んでいたにも関わらず、だ。

もういっそ留年して、儲かるサービスを作って、それで飯を食いたい。一応案はあるし、その需要も十分にある。あとは作るだけだ。。。

2017-10-29

anond:20171029145207

職業科の高校高卒人材をって中卒時に将来の職業決めないといけないってことでしょ?15歳にそれはキツイだろ。

飛び級をまず認めて小中高大年齢のバラつきを日常化してから中学校でも留年ありにするほうが最低限の教育が確保されていない人材が外にでず、かつ、高卒でも就職していいやって年齢になる+有能な人は早く高等教育受けられていいと思う。

2017-10-25

anond:20171024212735

自分感覚だとそれはあり得るような気がしてしまうのだけれど、凄まじく政治に無関心なのは自分世代だけなんじゃないかという気がしないでもない。

地元市議会だよりに、議会を傍聴しに来た一般人年代円グラフにまとめられているんだけど、僕の年代(30代~40代)は0人だったりする。

人生のうちで一番忙しい年代から仕方ないのかもしれないけど。僕自身だって行ったことないしなぁ。20代以下の傍聴者は結構いるんだが、どうせ学生だろう暇なんだよって事?だったらいいけどいや別によくはない。

話は脱線するけれども、僕の世代子供の頃から安定して意欲が低くて大人しい。

小学校中学高校大学と、

部活動サークル活動が僕の学年で甚だしく没落していた。

技量が低いとか以前にまず出席率が異常に悪い。何かをしない・出来ない言い訳をする時は驚く程口が回るのに、何か発言を求められると完全に沈黙。人の為に何かしようという気は更々ないし、自分の為にも何もしない。とにかく受け身で、お口に誰かが美味しいエサを入れてくれるのを待っているだけ。

そういう自世代の謎の特性をとりわけひしひしと感じたのは大学時代ちょっと卒業するのが難しい学科だったので、僕が一年生の時は同学科留年しまくってる先輩達がサークルに沢山いた。

歳の離れたOB上級生と僕らを比較すると全然様子が違っていた。先輩方は元気でパワーに溢れていて活動的で、常に何か面白い事をやろうとし、サークル活動でも業績を残すし、論文はすごいのを書くし、留年だってもっと勉強したいからとか何かしら明確な理由があった。期末試験前には皆で助け合って単位を取ろうとしていた。

僕の同期は皆目が死んでた。勉強もせずバイトもせず、かといって遊びもしない。皆それぞれ自分の部屋に引きこもり、長期休暇は丸々実家に帰って過ごす。そんな人達ばかりだった。

何か、楽しい事をしようとすれば、別にこちとら強要どころか誘ってもいないのに、足を引っ張る発言をされる。課題はやってない前提、休日は一日中寝て過ごし何もしていない前提の会話に、こちらまでエネルギーを吸い取られる気がした。

あの同期達の淀んだ空気感が僕は嫌で、同期達には極力寄り付かず、講義の無い時間自分の部屋で黙々と勉強し、アルバイトにも精を出し、学外で知り合った異性と遊んだりもした。

別にすごくキラキラした大学生ライフを送りたかった訳ではないんだけど、あのどうせ何やっても無駄っていう、どんよりと淀んだ空気は本当に辛かった。

今僕は危機感を覚えている。社会人になってからは、ずっと年上の上司や先輩達にもまれほうほうの体で過ごして来ていたので、僕の世代体たらくを忘れがちだったけれど、そろそろ僕達もそれなりに責任あるポジションに着いていかなければならない頃合いだ。

けれども、やっぱり同期やほぼ同年代はこの間の選挙前、「選挙なんて行かないでしょ?」なんて言っていた。僕らは相変わらずやる気がなくいろいろな物事に無関心で無責任で、黙って動かずにいても誰かが何とかしてくれると思い続けているのではないか

僕達の代で世の中はすごく悪くなってしまうのかもしれない、という事はさすがにないか。一つの世代だけで世の中を引っ張る訳じゃないし。ただ僕達は先輩からも後輩からもあきれられ軽蔑され、居ない者として静かに忘れ去られるだけだろう。

                                                    

    

2017-10-23

死にたいと思ってる人へ

世間衆院選挙の話題で一色ですね。

世の中が大きく動く時ニートの人たちは自分の現状と比較して死にたいと感じている人もいるのではないでしょうか?

僕はニートです。

なんとなく大学に入り、なんとなく留年して、なんとなく就職し、なんとなく退職して、かれこれ4年ぐらいニートやってます

親の金でご飯を食べて生きています

世の中にはニート絶対さなマンがいて、「働かないで食う飯は美味いか?」「早く死ねよ。」とか言っちゃう人もいます

働いてなくてもご飯は美味しいし、働くのも死ぬのも怖いのでニートのままでいます

そんな事を言っちゃう人たちも働かなくても十分に暮らしていけるのならば、働かない選択をする方が大半です。

皆、辛いことを我慢して生きているなんて言葉も聞きますけど、辛いこともその耐性も人それぞれです。都合の悪い現実は見ないことにしましょう。

ニートやっていると自己否定を強くしてしまうのですが、これは避けましょう。やめてください死んでしまます

今日早起きが出来た、ご飯を食べた、う○んこがたくさん出た、そういう些細なことでも出来たら自分を褒めちゃいましょう。今日も1日ニートでいてやった俺すごいの精神です。

たくさん外の空気を吸いましょう。玄関先でも部屋の窓からでもいいんです。

台風一過空気が澄んでいます

秋晴れの空から降り注ぐ日の光が紅葉を迎える木々の揺れる葉の隙間からゆらゆらとこぼれ落ちる様は絶景です。

人の目なんて気にしてはいけません。所詮他人です。その人たちは自分に何もしてこないし、何もしてくれません。だから無視します。やりたい事をやって、やりたくない事はやらなくていいです。

嫌なことは全部無視して生きましょう。生きてるだけで丸儲けです。

世間が、親が、近所の目が許さなくても僕が許します。一緒にニートでいましょう。

そろそろ外に出てやってもいいかなと思えたら外に出ればいいんです。傷ついたらまた部屋に戻ればいいんです。

毎日生きているだけでいいんですよ。自殺は駄目、ニートも駄目とか善人ぶったクソ野郎無視です。我々は高等遊民なのです。

生きて生きて、生き抜いて、周りの人に迷惑かけまくっちゃいましょう。

人間生きていればなんとかなるもんです。

から今日も図々しく生きましょう。

ニート以外にやりたい事ができたらとりあえずやってみましょう。

そしたら教えてください。

同志の旅立ちを心から応援します。

2017-10-22

死ななきゃいけない気持ちに振り回されていた僕のお話

内面の整理のために吐き出しています、その関係上乱文になってると思います

僕の中学時代地獄だった。

間違いなくあそこに地獄があった。

少なくともあの時の僕にとっては地獄だった。

虐められた、とても虐められた。誰も味方がいなかった。

虐められるターゲットだった。友人は居なかった。一人だった。

家の中にも安らぎはなかった。家もまた気を張る場所であった。信頼ならない場所であった。

母は精神障害者だった。弟は知的障害として小学校の時分から養護学級の者として生きていた。父はそんな二人の世話に明け暮れていた。

とても頼ることなど出来なかった。

学校では「死ね」「キモイ」そんな言葉がずっと浴びせかけられていた。常に居場所がなく、昼休みは別の校舎の廊下音楽室の陰といったひと気のない場所避難する時間であった。

とても辛かった。そんな場所だった。

部活小学校の時にサッカーが好きだという理由サッカー部に入った。大失敗だった。

部活にも勿論居場所はなかった。選ぶ場所を間違えた。

部活中にも時折、野球部の方からボールが飛んできて僕に当たっていた。たぶん、ぶつけられていたのだと思う。頭に何度も当たっていた。とても辛かった。

中学校1年の2学期から休みがちになった。1学期でも体調を崩しがちであったが、休むために休んでいたのはこの頃だったように思う。

とても行くことが嫌だった。そんな風に休むものから勉強も遅れがちになった。宿題が溜まったのもより行きづらさに拍車をかけた。

英語がついていけなくなった。

家は貧しかった。貧しいが故に常識も知らなかった。小学校宿泊研修で初めてリンス存在を知る程度には貧しかった。

とても閉じていた。服もなく、娯楽を知らず小学校夏休みの絵日記に苦労していた、そんな記憶が残っている。

旅行に行く人達を羨ましく思いながら、隣町の祖父母の家に行く位が一番の遠出だった。

どんどん私は中学校に行けなくなっていた。田舎中学校故だろうか、治安もよくない学校であったのも一因だったとは思う。

通学の自転車指定自転車だったが、指定の物ではないものを買い与えられ、そのことがまた虐めの原因にもなっていた。

通学することが苦痛だった。

家の中では良い子でなければ、迷惑をかけないようにしなければならず、学校には居場所がなく、そんな状況が続いていた。

中学1年の三学期にはほとんどいけなくなっていた。ひたすら虐めの恐怖に怯えていた。布団の中でまるまって何故虐められるのか分からず、相談できる相手もいない、一人で苦しみ続けていた。

家の外に出るのが怖くなっていった。休んだことを揶揄されることもまた恐怖だった。ひたすらに家の中で時間を過ぎ去るのを願っていた。夜になってようやく少しだけ外に出られるような有様であった。

中学2年には全く通うことができなくなっていた。申し訳ないと感じつつも動くことができなかった。昼に父が職場から帰ってきてお昼の支度をしてくれる時間が僅かばかりの気晴らしといった毎日であった。

中学3年のころには少しだけ保健室登校のようなことをしていた。それでもほとんど休んでいた。勉強についていけなくなっていた。将来の恐怖に押しつぶされていった。

受験があった。とてもできず、また遠方へ通えるような財力はなかった。地元の県立高校に進学した。

高校に入った。周りは大人になっていたからか、虐められることはなかった。だが、僕自身人間不信になっていた。やはり一人だった。

そして、とても落ち着かなくなっていた。

授業中に突然笑いだすようなこともあった。エア友達脳内会話して笑いがこぼれていた結果だった。

ギャップを感じていった。普通が分からなくなっていった。休むようになっていった。精神科へ通うことを勧められた。ここで初めて通うようになった。

月イチでの通院の日々だった。それでも行けないことには代わりはなかった。

出席日数が足りなくなっていった。補修を受けるようになっていた。補修にも行けなくなった。単位を落としてしまった。通わなくなった。

単位複数落ちてから、一つだったら頑張ればなんとかしてあげれたと言われた。もう遅かった。手遅れだった。

留年するか転校するか退学するかの選択肢となった。金銭上、転校することは出来なかった。そのまま退学することになった。

高校に入ってからしばらくしてから与えられた携帯ネット依存するようになっていった。

普通じゃなくなっていく苦しみを誤魔化していた。なんとか逃れようとしていた。

ネットに居場所を求めるようになっていった。その間は少しだけ救われていた。

現実は苦しかった。

将来への絶望は消えなかった。

父母弟の介護をしつつ、田舎から出られず永久にそのまま終わるようにしか思えなかった。

ネットへの依存は加速していった。

17になった。心を誤魔化すためのゲームで繋がりができていた。オフ会に参加することになった。

オフ会に参加するのが唯一の遠出だったと思う。

隣の県まで電車で行った、少しだけその時は救われていた。

18になった。早く頑張らなければ、何かしなければという焦りと苦しみがちりちりと焦がしていたが見ないようにしてゲームに没頭していた。

19になった。オフ会で会った友人たちが大学生になっていった。僕は一人取り残されていった。

また一人になった。

一人の時間が長くなった。その分だけ余計に焦りと苦しみが増していった。向きあおうとして、オフ会の友人との繋がりを控えた。

より苦しくなっていった。薬に甘えないようにせねばと思ってあまり通院してなかった時期でもあった。

夜に原付飛ばしてみたり、自分なりの反抗をしていた。それでも苦しさは消えなかった。

夏の終わり、自殺を図ろうとした。海の近い町だった。このまま砂浜から海に入っていけば泳げない自分死ぬのではないかと感じていた。

服が海水を吸って重くなっていった。明確に死の恐怖を感じた。このまま自分が死んでいなくなる恐怖だった。この世から消え去りたくないと感じた。

砂浜へ引き返した。びしょ濡れのまま、一人家に帰った。自殺しようとしたなんて打ち明けることなど出来なかった。

死ななきゃいけないという感情はそれでも消えなかった。僕は考えを捻じれさせていった。

死ななきゃいけないなら、自分自身死ぬことを納得できる人間になろうとすればいいじゃないかと考えるようになっていった。

当時のニュースの影響もあって、大量殺人者に憧れるようになっていった。ああすれば死ねる!と。

30になったら行おうと思っていた。そこまでの命ならと思って、散財するようにもなっていった。

課金ゲームにハマっていった。諫められても、助けてくれなかった親への恨みから正当化していった。

深みにはまってどんどん続けていた。

20になった。成人式を迎えた。流石に焦りを迎えた。

バイト探しをするようになっていった。田舎から求人は貴重だった。

毎度のごとく落ちていった。

21になった。レンタルショップバイトに受かった。バイト代はすべて課金ゲームにつぎ込んでいった。

22になった。僕はバイトのままだった。世間就職にまた焦っていった。

23になった。友人の誘いで地元原発作業員になった。入ってウキウキ気持ち原発への嫌悪感がごちゃ混ぜになっていた。

半年で辞めてしまった。よりヤケになっていった。クレカ借金を作れば自分死ぬことに納得いくだろうと破滅的な行動が増えていった。

24になった。転職サイトで中途で入社した。ネット販売員だった。営業だった。件数全然取れなかった。頑張っても取れなかった。

頑張ることの意味が分からなくなっていった。努力しなくなっていった。ネットへの依存は深まっていった。

グループ内で転籍させられた。借金は増えていった。死にたくてたまらなかった。

25になった。課金ゲーで出会った友人に職に誘われた。僕は後先考えずに飛びついた。殴られるような営業から逃げられると思った。

転職先は良いところだったが付いていけなかった。そのころにはもう考えてもストレス意識が飛ぶようになっていた。

転職先を辞めてしまった。

無職になった。生活保護を受けるようになった。治療を受けても、あまり合わなかった。借金は残ったままだった。

四か月経ち、今日バイトを始めた。あまりのおぼつかなさに愕然とした。

死ななきゃいけない声が聞こえていた。今までは、周りを批判的に見たり、自分の実力を弱く見せたりして補助を貰おうとして誤魔化していた部分も遂に終わりを迎えた。

虐められていたときに亡くなった祖父母へのお別れの気持ちも1週間ほど前に整理がついた。

中学のころからの死ななきゃいけないを外すときが来た。そんな風に思えた。

借金は今、自己破産手続きが進んでいる。

2017-10-18

がっこーのせんせーです2

朝の日記に予想外にコメントがついていて驚きました。

個人の雑感に反応していただいてありがとうございます

拝見していていくつか気になった事を。

高校の少人数化について

現在高校進学率は100パーセントに近い状況ですが、

正直なところ、教員からしてみても高校の授業内容は万人に必要ものではありません。

しろ中学レベルのことがしっかりできていれば社会に出ても困らないと思います

しかし、現状では中学レベルのこともままならないまま高校に進学し、

高校の内容などとてもついていけないという状況が、下位校といわず中堅校でもままあります

個人的には中学留年制度を設けて、中卒認定統一試験を設ける方が

学力向上には効果的だと思っており、高校大学の進学率も今の半分でいいと思います

そうすれば、高校大学はおのずと淘汰され、そこに投下される予算

高校の少人数化や高等教育無償化などに回すことができるでしょう。

また、中卒で働くことが一般化すれば、労働力不足の解消にも寄与すると思います

ただ、そうなっていくと、戦前旧制高校のような超エリート養成コース

義務教育修了コースの間で格差が生じるので、その点、給与体系などに一考の余地があります

教員待遇について

冗談だとは思いますが一応(苦笑

修学旅行は言い方が悪いですが最も憂鬱行事の一つです。

もちろん、生徒たちにとっては最大の行事ですが、

それだけに教員の緊張感は並々ならぬものがあります

昨今はホテルの予約合戦も熾烈で、生徒の入学時には動き出さないと間に合いません。

業者見積もりをとり、行程を精査し、事前学習の準備だけでも重い負担です。

また、現地に行くにも教員の集合時間は早いので自腹で駅や空港に前泊することもあります

いざ現地に行けば、生徒の体調不良や負傷、他校や現地の方とのトラブルに神経をすり減らします。

私の学校の生徒は聞きわけが良くて手がかからない方ですが、

現地で他校の先生方を見ると大変苦労されているご様子です。

また、以前は夜の飲酒くらいは認められていたようですが、昨今は深夜の体調不良対応などもあり、

飲酒禁止です。24時間体制での勤務が4日、5日続いて本当に辛いです(苦笑

昔の感覚ですと楽そうな仕事ですが、昨今は一般企業出張よりも厳しいでしょう。

また、給与に関してですが、基本的残業代は発生しません。

休日の出勤には手当が出ることもありますが、1日勤務して2~3000円程度です。

以前、私よりも給与の高い管理職冗談半分で時給換算したら1カ月平均が時給300円ということもありました(苦笑

>授業の動画

これは簡単なことではありません。

最難関校から指導困難校まで同じ教科書を使っていても指導内容はまったく異なります

また、同じ学校の中でも習熟度が必要なくらい授業内容は異なってきます

そうなると、授業動画10段階や20段階の世界では無く相当細分化して制作する必要があります

例えば私は社会科教員ですが、私大志望者と国立志望者では授業内容を大幅に変えています

また、年度によって生徒のレベルにも差があるので、その都度、レベルを調整したり、

映像教材や演習、雑談比率まで変えてカリキュラムを組みます

それから指導要領が大幅に変わることは頻繁では無いですが、

教科書記述は思っている以上にコロコロ変わります

そうなってくると教科書会社統一動画と言うのはかなり非現実的になってきます

蛇足ですが教科書会社というのは大手でも本当に少人数でやっていますし、

執筆している大学教授の方はあくま研究者なので授業がうまいというわけではありません(苦笑

このあたりを踏まえると実現は難しいかもしれません。

また、これは現代日本ではあまり考えられませんが、

時の政権意向で全国の学校の授業内容をすべて統制できるというのは極めて危険です。

右でも左でも偏った考え方の授業が全国で画一的に行われるとしたらそれは民主主義国家の根幹にかかわると思います

長くなりましたがご意見を拝見した上で私見を述べさせていただきました。

もし、ご不明な点や指摘事項がございましたら是非拝見して、今後の仕事に生かしていきたいと思っております

長文失礼いたしました。

2017-10-13

大学で「授業成績の「秀」をn%以内にする」とすることの支離滅裂

先日,相対評価で授業成績をつけろというガイドライン無視したらお叱りを受けたのだが,

納得がいかなかったので論理を整理するために書き散らす.

曲がりなりにも教鞭を執る立場ではあるが,高等教育は専門ではないのであしからず

今日日本大学教育は,文部科学省中央教育審議会大学教育部からガイドラインとして打ち出されている3つのポリシー

すなわちディプロマポリシーカリキュラムポリシー,アドミッションポリシー大学ごとに作成した上で,体系的に行われることが求められている.

少なくとも建前上はこれらのポリシーに基づいてシラバス作成され,個々の授業における成績のつけ方等が定められる.

この成績のつけ方だが,基本的には到達目標という,当該授業を通じた目標を明確に設定し,

その目標をどの程度達成したかに応じて決定する,ということになっている.

まり,到達目標と比べてどの程度の知識技術を身につけたかという一点で

授業成績はつけるのであり,当然ながらそれは絶対評価であるべきだ.

すなわち,仮に受講生の全員が素晴らしい結果を出したのであれば全員「秀」にすべきだし,

目標にかすりもしないのであれば全員「不可」にすべきだ

(実際にはあまり留年されても困るので,多くの教員学生レベルを見てからハードルを上げ下げする).

しかし,どういう論理かはわからないが,現実には相対評価を行って「秀」や「不可」の割合

コントロールしろという謎の内規が出回っている.

ちなみに私の授業ではレポートで成績評価をしているが,

採点したレポートは採点基準つきで必ず返却するようにしている.

評価における透明性の確保と受講生へのフィードバックをつきつめると

このような手法にいきつくと思うが,この場合,当然ながら相対評価不可能である

毎年改革しているようにも思える大学教育だが,

立派なシラバスに正しく対応するように単位厳格化すること,

すなわち学位にただの大卒という就職のための資格以上の意味を持たせるため

今すべきことは何かを考えるべきではないだろうか.

2017-10-12

高専卒業してデリヘルスタッフになった

身バレを防ぐために少し事実と異なる点があります。ご了承ください。

高専卒業して風俗で働いている

正確に言うと、元風俗嬢で今はデリヘルスタッフをしている

そのことについて後悔はしていないが、私のことを反面教師にしてほしいので文章を書くことにした

高専X年

留年しました

(身バレ防止のため学年や回数は伏せさせていただきます)

高専4年

・友人がクラスにいなくなってしま学校がつまらなくなった

単位を落とした授業のみ出席すればいいという制度によって、学校に行く日が非常に減った

という点から学校以外で人と会話をする機会を作るためにバイトをしようと考えた

そのときV系にハマっていてたくさんお金を稼ぎたかたこともあり風俗嬢になった

種類はオナクライメクラホテヘルデリヘルをやった

風俗嬢感想なんてネットで調べればすぐに出てくるので、高専生らしい視点感想を何点か書く

イメクラ可愛い制服を着ることが出来て、JKの見た目になれた。楽しかった

本籍記載住民票をお店に提出するが、寮に住んでいたため、面接の際にスタッフ学校がバレた(寮生やったことある人は気をつけよう!笑)

プロフィール考える時に趣味悩む(趣味:電子工作って書いたら、スタッフによって読書修正されてた)

他人と会話するの苦手だったけど、多少会話ができるようになった

これくらいだと思う

とても楽しい生活だった

今でも風俗嬢天職だったと思っている

高専5年

デリヘル1本におちついた

就活のこと

留年したとか成績が悪いとかコミュ力がないとかで落ちまくった

コミュ力は、0が1になってもまだまだ社会生活を送れるレベルではなかったようだ

就活キツすぎてV系のおっかけしてる場合じゃなくなった

デリヘル嬢やらなくてもバイト代が足りるようになった

からデリヘル嬢辞めた

でも、辞めますって言ったら、デリヘルスタッフやらない?って言われた

高専生ならプログラム書けるよね?ってことでデリヘルwebサイト更新とかをすることになった

内定は夏頃に取れた

内定先決まったので、来年からデリヘルに行きませんとの連絡した

一応、留年せず卒業しました


社会人X年目

仕事を辞めようと思った

主な理由休みがなかったか

ちゃんと土日が休める仕事に変えたかった

なかなか休みが無い中でも、数ヶ月に1回程度デリヘルスタッフとしてwebサイト更新はしていた(辞めようと思ったが時給が良くって…)

デリヘルで、仕事辞めたいんですよねーだから転職先探してるんですよーと言ったらデリヘルスタッフになった


デリヘルスタッフやってます

webサイト更新からバナー作り、デリヘル嬢の宣材写真の加工などなど、パソコン関係全部やってる

ときどきドライバーしたりもしてる

デリヘル嬢とか、他のスタッフの話し相手になったりもする

とても楽しい

しか給料はとてもいい

でも、福利厚生とかが何も無い

病気したらどうしようとか、将来が不安

ある日突然閉店するかもしれない


この仕事は何年も続けるものじゃないと感じている


ということで、現在転職活動をしている

これが私の数年間です

高専を出てもこんな人もいるよっていう特殊な例だと思う

特殊な例であって欲しい

最初に書いたように後悔はしていない

だが、あまり人に自信を持って語れるような過去ではないので、これを読んだ現役女子高専生は真似しないようにしてほしいです

(途中送信してしまったために追記しました)

2017-10-10

anond:20171009233953

毎日3時間勉強してるってすごいなあ・・・

単位ぎりぎりだったのに家でエロゲとかアニメばっかだったわ・・・

卒業ぎりぎりで留年するかと思った

2017-10-04

anond:20170604012351

少し追記:大学に入って二年。なんだかとってもつらい。

 6月頃にお世話になった増田です。記事への反応ブックマークコメントをくれた方々、本当にありがとうございましたコメントがもし来るのであれば、もっとt〇getterやYah〇〇!のコメント欄のような魑魅魍魎の類を想像していたので、予想以上の優しい言葉にびっくりしました。というかこんなにたくさんの人が見てくれるとは思っていなかった…とにかく、本当にありがとうございました。嬉しくて5周くらい読んで、今でもたまに見返しています。なんとなくお世話になった人に近況報告する気分で、書こうと思います

 結局、とりあえず大学一年間休学して実家に帰ることにしました。後期を休学するかどうか決断しないといけないのが7月ごろで、そのときはまだ躁鬱が安定していなかったので休学を決めました。その後8-9月頃にようやくいい感じの薬の組み合わせが分かったので今はだいぶ死にたいと思うこともなくなりました。でもまだ躁鬱の波を感じる状態です。

 もうこれで通算3年も無駄にしてしまったのでこれからどうなるかは自分にも分かりません。経済的にもアレな感じで復学できるのかも微妙、かといって留年してしまったのでよくあるタイプ奨学金は使えない。バイトなどで働こうにも長い間躁鬱に悩まされてきたせいで体力や対人スキルゴミのようになっているなど、考えれば考えるほどつらくなりますそもそも躁鬱で心がやられて今自分が何がしたいのかもよく分からなくなってしまった…

 それでも親に許してもらってとりあえず一年実家ゆっくりさせてもらえることになったので、躁鬱をなんとかしたり、将来のことを考えようと思います。とりあえずは運動食生活からですね。地道にできることからひとつずつやっていきます

 6月アノニマスダイアリーを書いたときは本当に追い詰められていたので、頂いたコメントを見ることで一度自分の中で思考をぐるぐるさせるのを止めることができたというか、客観的に考えてまぁ、地道にやるしかないな、という気分になれました。なんというか、ほんとうにありがとうございました。またなにか愚痴を言いたくなったら書き込みに来ようと思います

2017-10-03

高専童(こうせんわらし)

中島み○きの曲に合わせて歌ってね。いい曲だよ

痛いオタクけがゆく もしくは入学する

ゆかずに済めば関(かかわ)りたくない それが高専

「きっと今年も進級してね」「きっとまともに卒業してね」

言うほうも言われるほうも なかなかせつない

高専戦場だ 病院外国だ(日本語の通じない同級生

まさか過ぎる学生が 行ったり来たりする

叶(かな)うものなら 密(ひそ)やかに学寮の片隅で

日曜日も寄り添ってる 童(わらし)になりたいわ

きっと就職してね きっと編入受かってね

ここで出会たことなんか忘れてしまってね

高専戦場だ 病院外国だ(言葉の通じない教員

急ぎ過ぎる留年が 行ったり来たりする

高専で産まれて 大学で育った

この頃は 掘削油のあの匂いが やや物足りない

高専戦場だ 高専外国だ(法律より学則が重要

普通地方都市から さほど遠くない

所詮1人であることを ここでは知らされる

元気ならば越えられる単位が 身に刺さる

「何んだおまえまだ居たのか」と笑ってもらえたらうれしい

単位ぽっちで泣く人の居るのは悲しい

高専戦場だ 高専外国

心細い学生が 行ったり来たりする

高専戦場だ 高専外国

高専童(こうせんわらし)になりたい 切実な願い

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