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はてなキーワード: 武蔵とは

2019-04-25

箕輪厚介さんに「武蔵」とあだ名を付けてしまったのは私かもしれない話

これは編集者 箕輪厚介さんが2004年河合塾横浜校で浪人生活を送っていたら真(まこと)となる話です。

私が記憶の断片を繋ぎ合わせてしまった話である可能性もあるので、箕輪さんのアンサーがあると嬉しいです。

私がハッとなったのは箕輪さんのこのインタビュー記事

予備校時代あだ名は“武蔵”だった。箕輪厚介が卒業文集を見て振り返る「熱狂」の源泉

https://r25.jp/article/668021893052168737

箕輪さんの存在を知った数年前から、遠い昔に会ったことがあるような気がしていた。

箕輪という苗字と顔のセットが頭のどこかに残っている。

私は箕輪さんと同じ1985年まれ2005年入学早稲田大学出身

そのため、大学の授業やサークルなど何かのコミニュニティで一緒だったのではないかと思い、幾度も記憶を掘り起こしてみた。語学の授業で一緒だったのではないか学生会館にいたのではないか

記憶の糸を辿ったが今いちピンと来るものは無かった。

Facebookにも共通の友人が2人いたが、どこかで繋がりがあるようにも思えなかった。

そんな折に、あのインタビュー記事を読んで記憶の点と点がビビッと線になった。

毎日サンダルボロボロジーパンで、ヒゲ伸び放題で教室の一番前の席に座ってたから、予備校有名人になってたみたいで。

陰で「武蔵」って呼ばれてたらしい。大学新歓で「キミ武蔵ってあだ名つけられてたよ」って言われた。

武蔵だと...?あの、武蔵

2004年河合塾横浜早慶クラス

月曜日英語早川先生火曜日英語里中先生水曜日英語伊集院先生

確かそんなだった気がする。私の知る武蔵はどの授業でも黒板から向かって右側の前から1番か2番目にいた。

武蔵は授業が終わると、ざわつく周りにわき目もくれず、

やや前傾姿勢リュックサックを背負い、早歩きで教室を出て行く様子が印象的だった。

そして、なぜか少しいつもにやけていた気もする。

予備校学校的な馴れ合いは無いものの、夏過ぎくらいには、

多くの人が周りの人と二言三言の会話を交わすような関係になっていた。

けれど、武蔵はいつまで経っても、1人で教室を駆け抜けていった。

そんな物静かな彼が気になる存在になるあまり、仲間の2〜3人の間であの人武蔵っぽくない?とあだ名を付けてしまった。

K-1ファイター武蔵に似てると言うのもあった気がするが、はだけたシャツや色落ちしたジーンズが、何というか全体感無頼派武蔵だった。

何度か接触を試みようとも思ったが、“ケガ”をしそうなので辞めた。

意地っ張りでどこかで声をかけてもらいたがっている一人ではなく、ナチュラルに一人でいることを好む雰囲気があったからだ。

あの武蔵果たして箕輪さんだったのだろうか。仲間内あだ名が広まっていたのかな。

もし、私の知る武蔵箕輪さんでも、そうじゃなくても、陰であだ名を付けてしまたことは申し訳ございません。

ただ、事後弁護させてもらえるなら私も箕輪さんと同様に予備校で悪意たっぷりあだ名を付けられていたと言う話を後で聞いたので、当時の予備校はそんな空気だったと言うことでイーブンにしてください。なんだイーブンって?

追記銀髪女性キャラって増えたよね

艦これも思いつくだけでも武蔵鹿島野分、響、天津風雲龍、叢雲、Pola、かもかも、とかなり多い。

そういえば 同じ DMM の千年戦争アイギス秘書官で実質上主人公の嫁キャラ銀髪だったな。

あ、お城Project:RE の嫁キャラ銀髪だ。

まあ薄い水色や紫とか銀髪なのかどうか微妙なことも多いけど

むかしだと

1970年

ドロロンえん魔くん 雪子姫

1980年

ああっ女神さまっ ウルド

イース フィーナ

1990年台前半

天使の詩 クレア

ロードス島戦記 ピロテース

くらいしか思いつかないな。

90年台後半は、ナデシコホシノ・ルリやらフルメタル・パニック!テレサ・テスタロッサとか一気に増えてきてる気がする。

いったいどうして銀髪キャラ増えたんだろ?男キャラなら渚カヲルセフィロスかいたけど

追記

まもって守護月天ラムネ&40炎、セイバーマリオネットJは90年台後半作品やで。

地獄先生ぬ~べ~ゆきめはさすがに水色かなーという気はする。

まあゲームだとフィーナ青髪だし、ゲームに関しては技術的な発展で銀髪を髪の色として使いやすくなったってのはあるかな

アニメセル塗りのデジタル化は1997年東映動画によるアニメ版『ドクタースランプ』らしいので、ちょっと時期がずれるんだよね。

あと、漫画などでも薄めの青や紫で銀髪表現って感じはなぜなんだろう?

漫画なんか一々髪の色を書かないだろうけど、ラノベとかだと「銀髪」と描写されたキャラが実際どう塗られてるか調べると面白いかも。

しかフルメタル・パニック!千鳥かなめは本文では黒髪なのにイラストなどでは青で表現されてるよね。

うーん。髪の色の描写や、実際の「絵」での塗り方とかについてまとめてある文献ないものか。

こういうの、実際のアニメ屋さんやゲーム屋さんや漫画家さんの間では「これこれ、こういう理由でこうなんやで」みたく常識だったりするのかな?

2019-04-23

箕輪厚介さんに「武蔵」とあだ名を付けてしまったのは私かもしれない話

これは編集者 箕輪厚介さんが2004年河合塾横浜校で浪人生活を送っていたら真(まこと)となる話です。

私が記憶の断片を繋ぎ合わせてしまった話である可能性もあるので、箕輪さんのアンサーがあると嬉しいです。

私がハッとなったのは箕輪さんのこのインタビュー記事

予備校時代あだ名は“武蔵”だった。箕輪厚介が卒業文集を見て振り返る「熱狂」の源泉

https://r25.jp/article/668021893052168737

箕輪さんの存在を知った数年前から、遠い昔に会ったことがあるような気がしていた。

箕輪という苗字と顔のセットが頭のどこかに残っている。

私は箕輪さんと同じ1985年まれ2005年入学早稲田大学出身

そのため、大学の授業やサークルなど何かのコミニュニティで一緒だったのではないかと思い、幾度も記憶を掘り起こしてみた。語学の授業で一緒だったのではないか学生会館にいたのではないか

記憶の糸を辿ったが今いちピンと来るものは無かった。

Facebookにも共通の友人が2人いたが、どこかで繋がりがあるようにも思えなかった。

そんな折に、あのインタビュー記事を読んで記憶の点と点がビビッと線になった。

毎日サンダルボロボロジーパンで、ヒゲ伸び放題で教室の一番前の席に座ってたから、予備校有名人になってたみたいで。

陰で「武蔵」って呼ばれてたらしい。大学新歓で「キミ武蔵ってあだ名つけられてたよ」って言われた。

武蔵だと...?あの、武蔵

2004年河合塾横浜早慶クラス

月曜日英語早川先生火曜日英語里中先生水曜日英語伊集院先生

確かそんなだった気がする。私の知る武蔵はどの授業でも黒板から向かって右側の前から1番か2番目にいた。

武蔵は授業が終わると、ざわつく周りにわき目もくれず、

やや前傾姿勢リュックサックを背負い、早歩きで教室を出て行く様子が印象的だった。

そして、なぜか少しいつもにやけていた気もする。

予備校学校的な馴れ合いは無いものの、夏過ぎくらいには、

多くの人が周りの人と二言三言の会話を交わすような関係になっていた。

けれど、武蔵はいつまで経っても、1人で教室を駆け抜けていった。

そんな物静かな彼が気になる存在になるあまり、仲間の2〜3人の間であの人武蔵っぽくない?とあだ名を付けてしまった。

K-1ファイター武蔵に似てると言うのもあった気がするが、はだけたシャツや色落ちしたジーンズが、何というか全体感無頼派武蔵だった。

何度か接触を試みようとも思ったが、“ケガ”をしそうなので辞めた。

意地っ張りでどこかで声をかけてもらいたがっている一人ではなく、ナチュラルに一人でいることを好む雰囲気があったからだ。

あの武蔵果たして箕輪さんだったのだろうか。仲間内あだ名が広まっていたのかな。

もし、私の知る武蔵箕輪さんでも、そうじゃなくても、陰であだ名を付けてしまたことは申し訳ございません。

ただ、事後弁護させてもらえるなら私も箕輪さんと同様に予備校で悪意たっぷりあだ名を付けられていたと言う話を後で聞いたので、当時の予備校はそんな空気だったと言うことでイーブンにしてください。なんだイーブンって?

箕輪厚介さんに「武蔵」とあだ名を付けてしまったのは私かもしれない話

これは編集者 箕輪厚介さんが2004年河合塾横浜校で浪人生活を送っていたら真(まこと)となる話です。

私が記憶の断片を繋ぎ合わせてしまった話である可能性もあるので、箕輪さんのアンサーがあると嬉しいです。

私がハッとなったのは箕輪さんのこのインタビュー記事

予備校時代あだ名は“武蔵”だった。箕輪厚介が卒業文集を見て振り返る「熱狂」の源泉

https://r25.jp/article/668021893052168737

箕輪さんの存在を知った数年前から、遠い昔に会ったことがあるような気がしていた。

箕輪という苗字と顔のセットが頭のどこかに残っている。

私は箕輪さんと同じ1985年まれ2005年入学早稲田大学出身

そのため、大学の授業やサークルなど何かのコミニュニティで一緒だったのではないかと思い、幾度も記憶を掘り起こしてみた。語学の授業で一緒だったのではないか学生会館にいたのではないか

記憶の糸を辿ったが今いちピンと来るものは無かった。

Facebookにも共通の友人が2人いたが、どこかで繋がりがあるようにも思えなかった。

そんな折に、あのインタビュー記事を読んで記憶の点と点がビビッと線になった。

毎日サンダルボロボロジーパンで、ヒゲ伸び放題で教室の一番前の席に座ってたから、予備校有名人になってたみたいで。

陰で「武蔵」って呼ばれてたらしい。大学新歓で「キミ武蔵ってあだ名つけられてたよ」って言われた。

武蔵だと...?あの、武蔵

2004年河合塾横浜早慶クラス

月曜日英語早川先生火曜日英語里中先生水曜日英語伊集院先生

確かそんなだった気がする。私の知る武蔵はどの授業でも黒板から向かって右側の前から1番か2番目にいた。

武蔵は授業が終わると、ざわつく周りにわき目もくれず、

やや前傾姿勢リュックサックを背負い、早歩きで教室を出て行く様子が印象的だった。

そして、なぜか少しいつもにやけていた気もする。

予備校学校的な馴れ合いは無いものの、夏過ぎくらいには、

多くの人が周りの人と二言三言の会話を交わすような関係になっていた。

けれど、武蔵はいつまで経っても、1人で教室を駆け抜けていった。

そんな物静かな彼が気になる存在になるあまり、仲間の2〜3人の間であの人武蔵っぽくない?とあだ名を付けてしまった。

K-1ファイター武蔵に似てると言うのもあった気がするが、はだけたシャツや色落ちしたジーンズが、何というか全体感無頼派武蔵だった。

何度か接触を試みようとも思ったが、“ケガ”をしそうなので辞めた。

意地っ張りでどこかで声をかけてもらいたがっている一人ではなく、ナチュラルに一人でいることを好む雰囲気があったからだ。

あの武蔵果たして箕輪さんだったのだろうか。仲間内あだ名が広まっていたのかな。

もし、私の知る武蔵箕輪さんでも、そうじゃなくても、陰であだ名を付けてしまたことは申し訳ございません。

ただ、事後弁護させてもらえるなら私も箕輪さんと同様に予備校で悪意たっぷりあだ名を付けられていたと言う話を後で聞いたので、当時の予備校はそんな空気だったと言うことでイーブンにしてください。なんだイーブンって?

箕輪厚介さんに「武蔵」とあだ名を付けてしまったのは私かもしれない話

これは編集者 箕輪厚介さんが2004年河合塾横浜校で浪人生活を送っていたら真(まこと)となる話です。

私が記憶の断片を繋ぎ合わせてしまった話である可能性もあるので、箕輪さんのアンサーがあると嬉しいです。

私がハッとなったのは箕輪さんのこのインタビュー記事

予備校時代あだ名は“武蔵”だった。箕輪厚介が卒業文集を見て振り返る「熱狂」の源泉

https://r25.jp/article/668021893052168737

箕輪さんの存在を知った数年前から、遠い昔に会ったことがあるような気がしていた。

箕輪という苗字と顔のセットが頭のどこかに残っている。

私は箕輪さんと同じ1985年まれ2005年入学早稲田大学出身

そのため、大学の授業やサークルなど何かのコミニュニティで一緒だったのではないかと思い、幾度も記憶を掘り起こしてみた。語学の授業で一緒だったのではないか学生会館にいたのではないか

記憶の糸を辿ったが今いちピンと来るものは無かった。

Facebookにも共通の友人が2人いたが、どこかで繋がりがあるようにも思えなかった。

そんな折に、あのインタビュー記事を読んで記憶の点と点がビビッと線になった。

毎日サンダルボロボロジーパンで、ヒゲ伸び放題で教室の一番前の席に座ってたから、予備校有名人になってたみたいで。

陰で「武蔵」って呼ばれてたらしい。大学新歓で「キミ武蔵ってあだ名つけられてたよ」って言われた。

武蔵だと...?あの、武蔵

2004年河合塾横浜早慶クラス

月曜日英語早川先生火曜日英語里中先生水曜日英語伊集院先生

確かそんなだった気がする。私の知る武蔵はどの授業でも黒板から向かって右側の前から1番か2番目にいた。

武蔵は授業が終わると、ざわつく周りにわき目もくれず、

やや前傾姿勢リュックサックを背負い、早歩きで教室を出て行く様子が印象的だった。

そして、なぜか少しいつもにやけていた気もする。

予備校学校的な馴れ合いは無いものの、夏過ぎくらいには、

多くの人が周りの人と二言三言の会話を交わすような関係になっていた。

けれど、武蔵はいつまで経っても、1人で教室を駆け抜けていった。

そんな物静かな彼が気になる存在になるあまり、仲間の2〜3人の間であの人武蔵っぽくない?とあだ名を付けてしまった。

K-1ファイター武蔵に似てると言うのもあった気がするが、はだけたシャツや色落ちしたジーンズが、何というか全体感無頼派武蔵だった。

何度か接触を試みようとも思ったが、“ケガ”をしそうなので辞めた。

意地っ張りでどこかで声をかけてもらいたがっている一人ではなく、ナチュラルに一人でいることを好む雰囲気があったからだ。

あの武蔵果たして箕輪さんだったのだろうか。仲間内あだ名が広まっていたのかな。

もし、私の知る武蔵箕輪さんでも、そうじゃなくても、陰であだ名を付けてしまたことは申し訳ございません。

ただ、事後弁護させてもらえるなら私も箕輪さんと同様に予備校で悪意たっぷりあだ名を付けられていたと言う話を後で聞いたので、当時の予備校はそんな空気だったと言うことでイーブンにしてください。なんだイーブンって?

2019-04-21

箕輪厚介さんに「武蔵」とあだ名を付けてしまったのは私かもしれない話

これは編集者 箕輪厚介さんが2004年河合塾横浜校で浪人生活を送っていたら真(まこと)となる話です。

私が記憶の断片を繋ぎ合わせてしまった話である可能性もあるので、箕輪さんのアンサーがあると嬉しいです。

私がハッとなったのは箕輪さんのこのインタビュー記事


予備校時代あだ名は“武蔵”だった。箕輪厚介が卒業文集を見て振り返る「熱狂」の源泉

https://r25.jp/article/668021893052168737


箕輪さんの存在を知った数年前から、遠い昔に会ったことがあるような気がしていた。

箕輪という苗字と顔のセットが頭のどこかに残っている。

私は箕輪さんと同じ1985年まれ2005年入学早稲田大学出身

そのため、大学の授業やサークルなど何かのコミニュニティで一緒だったのではないかと思い、幾度も記憶を掘り起こしてみた。語学の授業で一緒だったのではないか学生会館にいたのではないか

記憶の糸を辿ったが今いちピンと来るものは無かった。

Facebookにも共通の友人が2人いたが、どこかで繋がりがあるようにも思えなかった。

そんな折に、あのインタビュー記事を読んで記憶の点と点がビビッと線になった。

毎日サンダルボロボロジーパンで、ヒゲ伸び放題で教室の一番前の席に座ってたから、予備校有名人になってたみたいで。

陰で「武蔵」って呼ばれてたらしい。大学新歓で「キミ武蔵ってあだ名つけられてたよ」って言われた。


武蔵だと...?あの、武蔵

2004年河合塾横浜早慶クラス

月曜日英語早川先生火曜日英語里中先生水曜日英語伊集院先生

確かそんなだった気がする。私の知る武蔵はどの授業でも黒板から向かって右側の前から1番か2番目にいた。


武蔵は授業が終わると、ざわつく周りにわき目もくれず、

やや前傾姿勢リュックサックを背負い、早歩きで教室を出て行く様子が印象的だった。

そして、なぜか少しいつもにやけていた気もする。

予備校学校的な馴れ合いは無いものの、夏過ぎくらいには、

多くの人が周りの人と二言三言の会話を交わすような関係になっていた。

けれど、武蔵はいつまで経っても、1人で教室を駆け抜けていった。

そんな物静かな彼が気になる存在になるあまり、仲間の2〜3人の間であの人武蔵っぽくない?とあだ名を付けてしまった。

K-1ファイター武蔵に似てると言うのもあった気がするが、はだけたシャツや色落ちしたジーンズが、何というか全体感無頼派武蔵だった。

何度か接触を試みようとも思ったが、“ケガ”をしそうなので辞めた。

意地っ張りでどこかで声をかけてもらいたがっている一人ではなく、ナチュラルに一人でいることを好む雰囲気があったからだ。

あの武蔵果たして箕輪さんだったのだろうか。仲間内あだ名が広まっていたのかな。

もし、私の知る武蔵箕輪さんでも、そうじゃなくても、陰であだ名を付けてしまたことは申し訳ございません。

ただ、事後弁護させてもらえるなら私も箕輪さんと同様に予備校で悪意たっぷりあだ名を付けられていたと言う話を後で聞いたので、当時の予備校はそんな空気だったと言うことでイーブンにしてください。なんだイーブンって?

箕輪厚介さんに「武蔵」とあだ名を付けてしまったのは私かもしれない話

これは編集者 箕輪厚介さんが2004年河合塾横浜校で浪人生活を送っていたら真(まこと)となる話です。

私が記憶の断片を繋ぎ合わせてしまった話である可能性もあるので、箕輪さんのアンサーがあると嬉しいです。

私がハッとなったのは箕輪さんのこのインタビュー記事


予備校時代あだ名は“武蔵”だった。箕輪厚介が卒業文集を見て振り返る「熱狂」の源泉

https://r25.jp/article/668021893052168737


箕輪さんの存在を知った数年前から、遠い昔に会ったことがあるような気がしていた。

箕輪という苗字と顔のセットが頭のどこかに残っている。

私は箕輪さんと同じ1985年まれ2005年入学早稲田大学出身

そのため、大学の授業やサークルなど何かのコミニュニティで一緒だったのではないかと思い、幾度も記憶を掘り起こしてみた。語学の授業で一緒だったのではないか学生会館にいたのではないか

記憶の糸を辿ったが今いちピンと来るものは無かった。

Facebookにも共通の友人が2人いたが、どこかで繋がりがあるようにも思えなかった。

そんな折に、あのインタビュー記事を読んで記憶の点と点がビビッと線になった。

毎日サンダルボロボロジーパンで、ヒゲ伸び放題で教室の一番前の席に座ってたから、予備校有名人になってたみたいで。

陰で「武蔵」って呼ばれてたらしい。大学新歓で「キミ武蔵ってあだ名つけられてたよ」って言われた。


武蔵だと...?あの、武蔵

2004年河合塾横浜早慶クラス

月曜日英語早川先生火曜日英語里中先生水曜日英語伊集院先生

確かそんなだった気がする。私の知る武蔵はどの授業でも黒板から向かって右側の前から1番か2番目にいた。


武蔵は授業が終わると、ざわつく周りにわき目もくれず、

やや前傾姿勢リュックサックを背負い、早歩きで教室を出て行く様子が印象的だった。

そして、なぜか少しいつもにやけていた気もする。


予備校学校的な馴れ合いは無いものの、夏過ぎくらいには、

多くの人が周りの人と二言三言の会話を交わすような関係になっていた。

けれど、武蔵はいつまで経っても、1人で教室を駆け抜けていった。


そんな物静かな彼が気になる存在になるあまり、仲間の2〜3人の間であの人武蔵っぽくない?とあだ名を付けてしまった。

K-1ファイター武蔵に似てると言うのもあった気がするが、はだけたシャツや色落ちしたジーンズが、何というか全体感無頼派武蔵だった。

何度か接触を試みようとも思ったが、“ケガ”をしそうなので辞めた。

意地っ張りでどこかで声をかけてもらいたがっている一人ではなく、ナチュラルに一人でいることを好む雰囲気があったからだ。


あの武蔵果たして箕輪さんだったのだろうか。仲間内あだ名が広まっていたのかな。

もし、私の知る武蔵箕輪さんでも、そうじゃなくても、陰であだ名を付けてしまたことは申し訳ございません。

ただ、事後弁護させてもらえるなら私も箕輪さんと同様に予備校で悪意たっぷりあだ名を付けられていたと言う話を後で聞いたので、当時の予備校はそんな空気だったと言うことでイーブンにしてください。なんだイーブンって?

箕輪厚介さんに「武蔵」とあだ名を付けてしまったのは私かもしれない

これは編集者 箕輪厚介さんが2004年河合塾横浜校で浪人生活を送っていたら真(まこと)となる話です。

私が記憶の断片を繋ぎ合わせてしまった話である可能性もあるので、箕輪さんのアンサーがあると嬉しいです。

私がハッとなったのは先日の箕輪さんのこのインタビュー記事

予備校時代あだ名は“武蔵”だった。箕輪厚介が卒業文集を見て振り返る「熱狂」の源泉

https://r25.jp/article/668021893052168737

箕輪さんの存在を知った数年前から、遠い昔に会ったことがあるような気がしていた。

箕輪という苗字と顔のセットが頭のどこかに残っている。

私は箕輪さんと同じ1985年まれ2005年入学早稲田大学出身

そのため、大学の授業やサークルなど何かのコミニュニティで一緒だったのではないかと思い、

幾度も記憶を掘り起こしてみた。語学の授業で一緒だったのではないか学生会館にいたのではないか

など記憶の糸を辿ったが今いちピンと来るものは無かった。

Facebookにも共通の友人が2人いたが、どこかで繋がりがあるようにも思えなかった。

そんな折に、あのインタビュー記事を読んで記憶の点と点がビビッと線になった。

武蔵だと...?あの、武蔵

2004年河合塾横浜早慶クラス月曜日英語早川先生火曜日英語里中先生水曜日英語伊集院先生

確かそんなだった気がする。私の知る武蔵はどの授業でも黒板から向かって右側の前から1番か2番目にいた。

武蔵は授業が終わると、ざわつく周りにわき目もくれず、やや前傾姿勢リュックサックを背負い、早歩きで教室を出て行く様子が印象的だった。

そして、なぜか少しいつもにやけていた気もする。

予備校学校的な馴れ合いは無いものの、夏過ぎくらいには、多くの人が周りの人と二言三言の会話を交わすような関係になっていた。

けれど、武蔵はいつまで経っても、1人で教室を駆け抜けていった。

そんな物静かな彼が気になる存在になるあまり、仲間の2〜3人の間であの人武蔵っぽくない?とあだ名を付けてしまった。

K-1ファイター武蔵に似てると言うのもあった気がするが、はだけたシャツや色落ちしたジーンズが、何というか全体感無頼派武蔵だった。

何度か接触を試みようとも思ったが、“ケガ”をしそうなので辞めた。意地っ張りでどこかで声をかけてもらいたがっている一人ではなく、ナチュラルに一人でいることを好む雰囲気があったからだ。

あの武蔵果たして箕輪さんだったのだろうか。仲間内あだ名が広まっていたのかな。

もし、私の知る武蔵箕輪さんでも、そうじゃなくても、影であだ名を付けてしまたことは申し訳ございません。

ただ、事後弁護させてもらえるなら私も箕輪さんと同様に予備校で悪意たっぷりあだ名を付けられていたと言う話を後で聞いたので、

当時の予備校はそんな空気だったと言うことでイーブンにしてください。なんだイーブンって?

箕輪厚介さんに「武蔵」とあだ名を付けてしまったのは私かもしれない話

これは編集者 箕輪厚介さんが2004年河合塾横浜校で浪人生活を送っていたら真(まこと)となる話です。

私が記憶の断片を繋ぎ合わせてしまった話である可能性もあるので、箕輪さんのアンサーがあると嬉しいです。

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予備校時代あだ名は“武蔵”だった。箕輪厚介が卒業文集を見て振り返る「熱狂」の源泉

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箕輪さんの存在を知った数年前から、遠い昔に会ったことがあるような気がしていた。

箕輪という苗字と顔のセットが頭のどこかに残っている。

私は箕輪さんと同じ1985年まれ2005年入学早稲田大学出身

そのため、大学の授業やサークルなど何かのコミニュニティで一緒だったのではないかと思い、幾度も記憶を掘り起こしてみた。語学の授業で一緒だったのではないか学生会館にいたのではないか

記憶の糸を辿ったが今いちピンと来るものは無かった。

Facebookにも共通の友人が2人いたが、どこかで繋がりがあるようにも思えなかった。

そんな折に、あのインタビュー記事を読んで記憶の点と点がビビッと線になった。

毎日サンダルボロボロジーパンで、ヒゲ伸び放題で教室の一番前の席に座ってたから、予備校有名人になってたみたいで。

陰で「武蔵」って呼ばれてたらしい。大学新歓で「キミ武蔵ってあだ名つけられてたよ」って言われた。


武蔵だと...?あの、武蔵

2004年河合塾横浜早慶クラス

月曜日英語早川先生火曜日英語里中先生水曜日英語伊集院先生

確かそんなだった気がする。私の知る武蔵はどの授業でも黒板から向かって右側の前から1番か2番目にいた。


武蔵は授業が終わると、ざわつく周りにわき目もくれず、

やや前傾姿勢リュックサックを背負い、早歩きで教室を出て行く様子が印象的だった。

そして、なぜか少しいつもにやけていた気もする。


予備校学校的な馴れ合いは無いものの、夏過ぎくらいには、

多くの人が周りの人と二言三言の会話を交わすような関係になっていた。

けれど、武蔵はいつまで経っても、1人で教室を駆け抜けていった。


そんな物静かな彼が気になる存在になるあまり、仲間の2〜3人の間であの人武蔵っぽくない?とあだ名を付けてしまった。

K-1ファイター武蔵に似てると言うのもあった気がするが、はだけたシャツや色落ちしたジーンズが、何というか全体感無頼派武蔵だった。

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あの武蔵果たして箕輪さんだったのだろうか。仲間内あだ名が広まっていたのかな。

もし、私の知る武蔵箕輪さんでも、そうじゃなくても、影であだ名を付けてしまたことは申し訳ございません。

ただ、事後弁護させてもらえるなら私も箕輪さんと同様に予備校で悪意たっぷりあだ名を付けられていたと言う話を後で聞いたので、当時の予備校はそんな空気だったと言うことでイーブンにしてください。なんだイーブンって?

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これは編集者 箕輪厚介さんが2004年河合塾横浜校で浪人生活を送っていたら真(まこと)となる話です。

私が記憶の断片を繋ぎ合わせてしまった話である可能性もあるので、箕輪さんのアンサーがあると嬉しいです。

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予備校時代あだ名は“武蔵”だった。箕輪厚介が卒業文集を見て振り返る「熱狂」の源泉

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そのため、大学の授業やサークルなど何かのコミニュニティで一緒だったのではないかと思い、

幾度も記憶を掘り起こしてみた。語学の授業で一緒だったのではないか学生会館にいたのではないか

記憶の糸を辿ったが今いちピンと来るものは無かった。

Facebookにも共通の友人が2人いたが、どこかで繋がりがあるようにも思えなかった。

そんな折に、あのインタビュー記事を読んで記憶の点と点がビビッと線になった。

毎日サンダルボロボロジーパンで、ヒゲ伸び放題で教室の一番前の席に座ってたから、予備校有名人になってたみたいで。

陰で「武蔵」って呼ばれてたらしい。大学新歓で「キミ武蔵ってあだ名つけられてたよ」って言われた。


武蔵だと...?あの、武蔵

2004年河合塾横浜早慶クラス

月曜日英語早川先生火曜日英語里中先生水曜日英語伊集院先生

確かそんなだった気がする。私の知る武蔵はどの授業でも黒板から向かって右側の前から1番か2番目にいた。


武蔵は授業が終わると、ざわつく周りにわき目もくれず、

やや前傾姿勢リュックサックを背負い、早歩きで教室を出て行く様子が印象的だった。

そして、なぜか少しいつもにやけていた気もする。


予備校学校的な馴れ合いは無いものの、夏過ぎくらいには、

多くの人が周りの人と二言三言の会話を交わすような関係になっていた。

けれど、武蔵はいつまで経っても、1人で教室を駆け抜けていった。


そんな物静かな彼が気になる存在になるあまり

仲間の2〜3人の間であの人武蔵っぽくない?とあだ名を付けてしまった。

K-1ファイター武蔵に似てると言うのもあった気がするが、

はだけたシャツや色落ちしたジーンズが、何というか全体感無頼派武蔵だった。

何度か接触を試みようとも思ったが、“ケガ”をしそうなので辞めた。

意地っ張りでどこかで声をかけてもらいたがっている一人ではなく、ナチュラルに一人でいることを好む雰囲気があったからだ。


あの武蔵果たして箕輪さんだったのだろうか。仲間内あだ名が広まっていたのかな。

もし、私の知る武蔵箕輪さんでも、そうじゃなくても、影であだ名を付けてしまたことは申し訳ございません。

ただ、事後弁護させてもらえるなら私も箕輪さんと同様に予備校で悪意たっぷりあだ名を付けられていたと言う話を後で聞いたので、当時の予備校はそんな空気だったと言うことでイーブンにしてください。なんだイーブンって?

箕輪厚介さんに「武蔵」とあだ名を付けてしまったのは私かもしれない話

これは編集者 箕輪厚介さんが2004年河合塾横浜校で浪人生活を送っていたら真(まこと)となる話です。

私が記憶の断片を繋ぎ合わせてしまった話である可能性もあるので、箕輪さんのアンサーがあると嬉しいです。

私がハッとなったのは箕輪さんのこのインタビュー記事


予備校時代あだ名は“武蔵”だった。箕輪厚介が卒業文集を見て振り返る「熱狂」の源泉

https://r25.jp/article/668021893052168737


箕輪さんの存在を知った数年前から、遠い昔に会ったことがあるような気がしていた。

箕輪という苗字と顔のセットが頭のどこかに残っている。

私は箕輪さんと同じ1985年まれ2005年入学早稲田大学出身

そのため、大学の授業やサークルなど何かのコミニュニティで一緒だったのではないかと思い、

幾度も記憶を掘り起こしてみた。語学の授業で一緒だったのではないか学生会館にいたのではないか

記憶の糸を辿ったが今いちピンと来るものは無かった。

Facebookにも共通の友人が2人いたが、どこかで繋がりがあるようにも思えなかった。

そんな折に、あのインタビュー記事を読んで記憶の点と点がビビッと線になった。

毎日サンダルボロボロジーパンで、ヒゲ伸び放題で教室の一番前の席に座ってたから、予備校有名人になってたみたいで。

陰で「武蔵」って呼ばれてたらしい。大学新歓で「キミ武蔵ってあだ名つけられてたよ」って言われた。


武蔵だと...?あの、武蔵

2004年河合塾横浜早慶クラス

月曜日英語早川先生火曜日英語里中先生水曜日英語伊集院先生

確かそんなだった気がする。私の知る武蔵はどの授業でも黒板から向かって右側の前から1番か2番目にいた。


武蔵は授業が終わると、ざわつく周りにわき目もくれず、

やや前傾姿勢リュックサックを背負い、早歩きで教室を出て行く様子が印象的だった。

そして、なぜか少しいつもにやけていた気もする。


予備校学校的な馴れ合いは無いものの、夏過ぎくらいには、

多くの人が周りの人と二言三言の会話を交わすような関係になっていた。

けれど、武蔵はいつまで経っても、1人で教室を駆け抜けていった。


そんな物静かな彼が気になる存在になるあまり

仲間の2〜3人の間であの人武蔵っぽくない?とあだ名を付けてしまった。

K-1ファイター武蔵に似てると言うのもあった気がするが、

はだけたシャツや色落ちしたジーンズが、何というか全体感無頼派武蔵だった。

何度か接触を試みようとも思ったが、“ケガ”をしそうなので辞めた。

意地っ張りでどこかで声をかけてもらいたがっている一人ではなく、ナチュラルに一人でいることを好む雰囲気があったからだ。


あの武蔵果たして箕輪さんだったのだろうか。仲間内あだ名が広まっていたのかな。

もし、私の知る武蔵箕輪さんでも、そうじゃなくても、影であだ名を付けてしまたことは申し訳ございません。

ただ、事後弁護させてもらえるなら私も箕輪さんと同様に予備校で悪意たっぷりあだ名を付けられていたと言う話を後で聞いたので、

当時の予備校はそんな空気だったと言うことでイーブンにしてください。なんだイーブンって?

箕輪厚介さんに「武蔵」とあだ名を付けてしまったのは私かもしれない

これは編集者 箕輪厚介さんが2004年河合塾横浜校で浪人生活を送っていたら真(まこと)となる話です。

私が記憶の断片を繋ぎ合わせてしまった話である可能性もあるので、箕輪さんのアンサーがあると嬉しいです。

私がハッとなったのは箕輪さんのこのインタビュー記事


予備校時代あだ名は“武蔵”だった。箕輪厚介が卒業文集を見て振り返る「熱狂」の源泉

https://r25.jp/article/668021893052168737


箕輪さんの存在を知った数年前から、遠い昔に会ったことがあるような気がしていた。

箕輪という苗字と顔のセットが頭のどこかに残っている。

私は箕輪さんと同じ1985年まれ2005年入学早稲田大学出身

そのため、大学の授業やサークルなど何かのコミニュニティで一緒だったのではないかと思い、

幾度も記憶を掘り起こしてみた。語学の授業で一緒だったのではないか学生会館にいたのではないか

など記憶の糸を辿ったが今いちピンと来るものは無かった。

Facebookにも共通の友人が2人いたが、どこかで繋がりがあるようにも思えなかった。

そんな折に、あのインタビュー記事を読んで記憶の点と点がビビッと線になった。

毎日サンダルボロボロジーパンで、ヒゲ伸び放題で教室の一番前の席に座ってたから、予備校有名人になってたみたいで。

陰で「武蔵」って呼ばれてたらしい。大学新歓で「キミ武蔵ってあだ名つけられてたよ」って言われた。


武蔵だと...?あの、武蔵

2004年河合塾横浜早慶クラス

月曜日英語早川先生火曜日英語里中先生水曜日英語伊集院先生

確かそんなだった気がする。私の知る武蔵はどの授業でも黒板から向かって右側の前から1番か2番目にいた。


武蔵は授業が終わると、ざわつく周りにわき目もくれず、

やや前傾姿勢リュックサックを背負い、早歩きで教室を出て行く様子が印象的だった。

そして、なぜか少しいつもにやけていた気もする。


予備校学校的な馴れ合いは無いものの、夏過ぎくらいには、

多くの人が周りの人と二言三言の会話を交わすような関係になっていた。

けれど、武蔵はいつまで経っても、1人で教室を駆け抜けていった。


そんな物静かな彼が気になる存在になるあまり

仲間の2〜3人の間であの人武蔵っぽくない?とあだ名を付けてしまった。

K-1ファイター武蔵に似てると言うのもあった気がするが、

はだけたシャツや色落ちしたジーンズが、何というか全体感無頼派武蔵だった。

何度か接触を試みようとも思ったが、“ケガ”をしそうなので辞めた。

意地っ張りでどこかで声をかけてもらいたがっている一人ではなく、ナチュラルに一人でいることを好む雰囲気があったからだ。


あの武蔵果たして箕輪さんだったのだろうか。仲間内あだ名が広まっていたのかな。

もし、私の知る武蔵箕輪さんでも、そうじゃなくても、影であだ名を付けてしまたことは申し訳ございません。

ただ、事後弁護させてもらえるなら私も箕輪さんと同様に予備校で悪意たっぷりあだ名を付けられていたと言う話を後で聞いたので、

当時の予備校はそんな空気だったと言うことでイーブンにしてください。なんだイーブンって?

2019-04-20

箕輪厚介さんに「武蔵」とあだ名を付けてしまったのは私かもしれない話

これは編集者 箕輪厚介さんが2004年河合塾横浜校で浪人生活を送っていたら真(まこと)となる話です。

私が記憶の断片を繋ぎ合わせてしまった話である可能性もあるので、箕輪さんのアンサーがあると嬉しいです。


私がハッとなったのは先日の箕輪さんのこのインタビュー記事


予備校時代あだ名は“武蔵”だった。箕輪厚介が卒業文集を見て振り返る「熱狂」の源泉

https://r25.jp/article/668021893052168737

箕輪さんの存在を知った数年前から、遠い昔に会ったことがあるような気がしていた。

箕輪という苗字と顔のセットが頭のどこかに残っている。

私は箕輪さんと同じ1985年まれ2005年入学早稲田大学出身

そのため、大学の授業やサークルなど何かのコミニュニティで一緒だったのではないかと思い、

幾度も記憶を掘り起こしてみた。語学の授業で一緒だったのではないか学生会館にいたのではないか

など記憶の糸を辿ったが今いちピンと来るものは無かった。

Facebookにも共通の友人が2人いたが、どこかで繋がりがあるようにも思えなかった。

そんな折に、あのインタビュー記事を読んで記憶の点と点がビビッと線になった。

武蔵だと...?あの、武蔵

2004年河合塾横浜早慶クラス月曜日英語早川先生火曜日英語里中先生水曜日英語伊集院先生

確かそんなだった気がする。私の知る武蔵はどの授業でも黒板から向かって右側の前から1番か2番目にいた。

武蔵は授業が終わると、ざわつく周りにわき目もくれず、やや前傾姿勢リュックサックを背負い、早歩きで教室を出て行く様子が印象的だった。

そして、なぜか少しいつもにやけていた気もする。

予備校学校的な馴れ合いは無いものの、夏過ぎくらいには、多くの人が周りの人と二言三言の会話を交わすような関係になっていた。

けれど、武蔵はいつまで経っても、1人で教室を駆け抜けていった。

そんな物静かな彼が気になる存在になるあまり、仲間の2〜3人の間であの人武蔵っぽくない?とあだ名を付けてしまった。

K-1ファイター武蔵に似てると言うのもあった気がするが、はだけたシャツや色落ちしたジーンズが、何というか全体感無頼派武蔵だった。

何度か接触を試みようとも思ったが、“ケガ”をしそうなので辞めた。意地っ張りでどこかで声をかけてもらいたがっている一人ではなく、ナチュラルに一人でいることを好む雰囲気があったからだ。

あの武蔵果たして箕輪さんだったのだろうか。仲間内あだ名が広まっていたのかな。

もし、私の知る武蔵箕輪さんでも、そうじゃなくても、影であだ名を付けてしまたことは申し訳ございません。

ただ、事後弁護させてもらえるなら私も箕輪さんと同様に予備校で悪意たっぷりあだ名を付けられていたと言う話を後で聞いたので、

当時の予備校はそんな空気だったと言うことでイーブンにしてください。なんだイーブンって?

2019-04-05

犯罪エンタメ自粛について

ピエール瀧のこと嫌いじゃないしむしろ好きだし好きなんだけど

なぜピエールが払った金が悪いことに使われてると考えないんだろう。

和月もそうだった。和月のこと嫌いじゃないし本人はともかく漫画面白いんだけど

和月したことは結局未成年女児被害者を増やすことと同義だった。

反社会とかかわると言うのは、自分犯罪出資するということだ。

決して本人がやってない加害者が居ない…という話では無いと思う。

法律的にはそこで減刑があるかもしれないが心象的には…。

その上で最近自粛風潮はおかしいだろう。これいからなの。

2004年公開の三池崇史監督作品IZO」があるけど主役がは中山一也だ。

83年、当時主演に選ばれた映画降板させられた逆恨み原作者監督芥川賞作家高橋三千綱果物ナイフで刺したあと現行犯逮捕された。

その4年後、今度は特に面識のない倉本聰の自宅の前で刃渡り5センチナイフ自分の脇に刺し割腹自殺を図った。

倉本に見つかって未遂になった。

その1年後、映画館に自動車突入器物損壊逮捕された。なおこれについて中山

自分のような有望な俳優を使わない日本の駄目な映画界に一石を投じるため、もっと若い元気ある役者を使おう、というキャンペーンで突っ込んだ」

などと言っており…。

その後オーディション会場で黒澤明暴言を吐いたり安岡力也喧嘩したり税務署暴力沙汰を起こしたりしたが

2004年三池映画で主役をした。ちなみにIZOキャストはこれだ。


中山一也 - 岡田以蔵 (イゾー)

桃井かおり - サヤ

松田龍平 - 殿下

美木良介 - ハンペイタ

高野八誠 - 男蝶

ボブ・サップ - 門衛の怪物

松方弘樹 - やくざボス

石橋蓮司 - 壱番の男

魔裟斗 - 浪人

片岡鶴太郎 - 軍閥将軍

ビートたけし - 宰相

内田裕也 - 弐番の男

緒形拳 - 剣豪

原田芳雄 - 茶室の老主人

篠田三郎 - 学界のドン

勝野洋 - 土方歳三トシゾー)

大滝秀治 - 茶室の老人客

山本太郎 - 鬼二

遠藤憲一 - 刑吏一

寺島進 - 刑吏二

松田優 - SAT隊長

夏山千景 - 女蝶

中山麻理 - 参番の女

及川光博 - 沖田総司 (ソウジ)

山口仁 - 門番

本宮泰風 - 門番

TEAH - 僧兵

村上竜司 - 僧兵

ミッキー・カーチス - 重鎮の老人一

長門裕之 - 大僧正

樹木希林 - イゾーの母親

原田大二郎 - 判事

加藤正人 - 判事

塩田時敏 - 判事

小林滋央 - 新郎

天手千聖 - 新婦

夏樹陽子 - 女教師

秋野太作 - 地蔵菩薩

力也 - やくざ貸元

原田龍二 - ヤンキーのアタマ

ERIKU - ヤンキーのサブ

山口祥行 - 雑兵

古井榮一 - 雑兵

ジョー山中 - 執事

武蔵拳 - やくざ

田島好人 - やくざ

内山仁 - やくざ

菅田俊 - 僧兵

石山雄大 - 重鎮の老人二

高瀬春奈 - ラッキーマザー

曽根晴美 - 財界ドン

岡田眞澄 - 官僚の長

大橋吾郎 - 鬼一

須藤雅宏 - 与力

友川かずき - 友川かずき

そうそうたるメンツだ。なお内容はキャストほとんどが大体IZOにバッサリ殺される。

今まで見た映画でもトップ3に入る頭のおかし映画なので是非見てほしい。ボブサップの名演を見逃すな。

そうだこの記事はただのIZO宣伝である

あの何を見ているのか分からなくなる感覚…クソ映画…クソオブクソ映画…。

でも作ってる方も分かってる…これはクソ映画だと…出ている方も分かってる…これはクソ映画だと…そうポプテのような感覚で。

最初こそえぐいと思うような映画かもしれないが、きっとそのうち慣れて笑ってることだろう。カメ止めのように!(なお劇中にそんな仕掛けは一切ない)

三池は多分本当はこういうのがとりたいんだ…とあれを見たとき強く思ったのだ。

あいつはクソ実写を引き受けることで、こういうどこからも金出てないような映画を撮っているんだよ。なんという監督

なにを思ったのかその3年後、また中山一也で『探偵物語』を撮っている。まじ何を考えているのだろう、この頃の三池

ゼブラーマンも同時期に撮っているから、いろいろ嫌になっていたのかもしれない。

中山一也はこの翌年にも「JONEN 定の愛」という映画杉本彩相手役をしている。

どうだ、映画業界は狂っているだろう。

と思ったが2004年2008年にはテレビドラマ相棒」にも中山は出ているのだ。

ちなみに2013年にも出ているぞ。そんな名俳優なのか?いや、ここで言うのはよそう。IZOを見ろ。

まぁようするに、エンタメはそんなに過敏でしたかい?って話だ。

和月だって連載してる。もう許されてるんだ仕事的には一応。

いちいち騒いでるのは、お馬鹿なエンタメらしくないぞ。

突き詰めたらワイドショーに顔出すのだってどうなんだ?って話になるから気をつけろよミヤネと坂上

なおミヤネは隠し子がおり、坂上飲酒カーチェイスで逃亡の前科である

2019-04-03

anond:20190403141216

「新しい武蔵指令官を起動させます」「お待たせ!! 前任の俺の間違いは二度とせぬ!!」

微妙に違うか…

2019-03-30

anond:20190330164721

個人だと背負えないだろうが日本全体なら背負える

キラキラじゃなくても武蔵とかついちゃったら悲惨

2019-02-27

宇宙三大RPG決めよう

こういうスレがたくさん立っていたのが武蔵ニュー速なんJだったんだよ。

今のはてなは完全にそれ

衰退は近い

しろ嫌儲に近い

ちょっと待て

今「けんもう」で「嫌儲」出てきたぞ

最近IMEはどうなってんだ

日本語崩壊してるな

こんな世界もう滅ぼすしかない

割れメサイア 明日世界震撼する

2019-02-08

格闘技漫画でつまらなくなる展開

素手格闘技だったのが武器ありになる展開。

格闘技トレーニングとかやってないで、ピストル射撃練習でもしたほうがよくねって感じになる。

バキは連載初期のころは、オーガとかガイアとか、武器より素手のほうが強いって世界観だったけど、死刑囚編や武蔵編では結局武器有が強いってことになってるし。

武蔵編はまだ刃物や古風な武器縛りがあったけど、死刑囚編は普通にピストル使ってたし。

花山が膝を撃たれてたけど、胸や頭部を撃ってたらそれで終了だったよな。

喧嘩商売とか、毒を盛っても不意打ちで切り付けても勝てばクレバーって価値観からさら主人公ってなんのために格闘技やってんだろうって感じになる。

暗がりで後ろから襲って刺してもクレバーな勝ち方みたいな価値観だし、実際そうすれば格闘技の技とか練習する必要ないよな。

2019-02-02

刃牙を読むと日本ってやばい国だったんだなってわかる

刃牙といえば国民漫画といっていいほど知られてると思うが、今読むとこの漫画はかなりやばい

死刑囚はみんな武器もって口から手榴弾とかだすし空手家は手刀でピアノ線切るし、仕事暴力の解消が不可分になっている。

これがある種の世代メンタリティになってると思う。公園いればそれが免罪符になって本部以蔵が強くもいいだろうと。

というか、前シリーズにおける強キャラがカマセ的な扱いになっていて、仕事ストレスは草や木(愚地独歩です・・・なんだァ?てめェ・・・)で発散、みたいな構図になっている。

刃牙漫画だけど、でもこれってある種の現実を反映していると思うんだよね。最強の受刑者であれば、刑務所をどう出入りしていいと思っている人って、いるでしょう?

だって力士中国拳法に手を出したり、武蔵イタコで復活させ対戦相手にしたりといった話はいくらでもあるのね。で、昭和もっとやばかったんだよね。

昭和日本ってやばい国だったんだよね。地上最強の男がセクハラして愛人作って、それでジャック・ハンマで、アメリカ大統領が宣誓だぜ、ってとんでもないアナーキーな国だったんだよね。

ストリートファイター ザ・ムービー』って映画があったけど、かつての日本って国全体があの映画みたいな状態だったわけだよね。

刃牙って今後はそういう風に読まれるようになると思うよ。経済成長していたころの日本いか無秩序だったか、って。極東アジアに、とんでもない国があったんだよね。

https://anond.hatelabo.jp/20190201142916

2019-01-24

anond:20190124225641

何かうまい返ししようと思って元ネタ調べたりしたんだけど、このセリフって武蔵小次郎巌流島の戦いなんだな

知らなかった

まりうまい返しは思いつかなかったという話です

2018-12-17

忠臣蔵の弱点は漫画になってないこと

だよな。

たぶん時代漫画の一番人気は新撰組

二番目は宮本武蔵とか柳生一族とかだと思うけど、

比べると忠臣蔵って不思議なほど漫画になってない。

ググっても土山しげる漫画しか出てこない(正直知らなかった)。

考えるに、新撰組武蔵・十兵衛が「若き天才剣士」のようなイメージを持っているのに対し、

忠臣蔵は(中には若者もいるとは言え)中心人物オッサン少年漫画主人公しづらい、ということがあるのだろう。

2018-12-05

anond:20181204174850

開成麻布武蔵」を指してフツーに御三家』って言うの、すんげー方言だと思うんだけど(九州出身者の感想)

御三家自体標準語だよね

2018-11-13

やったらええやん

やったらええやん

2018-11-07

anond:20181106222714

その三県って、江戸時代武蔵三藩と呼ばれた川越藩・忍藩・岩槻藩と実質同じものですか?

2018-11-05

じいさんの経験した太平洋戦争

太平洋戦争最中、じいさんは広島県の呉にいた。海軍パイロット養成校(予科練と言っていた)に所属していたじいさんは、パイロットではなく整備工になるために入ったらしい。

呉は今では見る影もないが、当時は軍港としてかなり栄えていた。有名な大和武蔵もその目で見たらしい。建造していることは内緒だったが、あんなでかいんはバレバレじゃ、と笑っていた。武蔵山口の沖ですぐ沈んでのう、と目を細めながら言っていた。何人か、同期も武蔵と一緒に沈んだとも。

整備工になるために予科練に入ったじいさんだが、残念ながらじいさんが最高学年に上がる頃には戦況は悪化していて、訓練機すら飛ばせない状況だったらしい。

じいさんはその頃から毎日毎日軍事工場飛行機を作っていた。

元々、機械弄りは好きだったじいさんは飛行機を作るのは楽しかったらしく、メキメキと腕をあげたようだ。あまり戦争のことは話したがらない人だったが、海軍飛行機いかに苦心されて作られていたかは楽しそうに喋っていた。

戦争に負けるな、とは何となく感じていたが、上官が怖かったし、そんなことを口に出せる空気ではないころ、呉にアメリカ飛行機が不時着してきた。

勉強がてら、じいさんは同期と連れだってアメリカ飛行機(グラマンといっていた)を見学に行った。

そこでじいさんは「あぁ、この戦争は負ける。」と確信したそうだ。

「わしらはな、飛行機を手でネジを締めて作る。アメサンのはどうじゃ。リベットうちじゃ。ダダダダダ、と作るわけじゃ。作る数がそもそも違う。こんな戦争、勝てるわけがない。」

グラマンそもそも内地まで飛んで来とる。本土決戦で、みな死ぬ

それが、17歳のじいさんの太平洋戦争に対する結論だった。死にたくはないが、死ぬしかない。

昭和20年8月6日、じいさんは工場でいつも通り、朝の体操をしていた。突如として、工場ガラスが、ビリビリ、と音をたてて鳴った。なんだなんだ、と外に出ると、有名なキノコ雲が広島の街のほうにあがっていた。

原爆だ。

じいさんの生死を分けたのは、宇品工場に配属されなかったことだ。宇品に配属されていた同期は救出隊として投下直後の市内に入り、黒い雨を浴びてその後の10年でバタバタと死んだらしい。

運の悪い事にたまたま休暇で広島の市内に戻ってしまった同期は、大火傷を負って呉に帰ってきた。1ヶ月もしないうちに亡くなったそうだ。

そうして、知り合いや同期が死んでいく混乱のうちに、戦争は呆気なく終わった。

じいさん達の基地には進駐軍がやって来てキャンプをはったので、仕事もないじいさん達はキャンプに忍び込んでは物資をかっぱらい、闇市でさばいていたらしい。「あそこは元々わしらの基地じゃしのう。」とあまり悪びれずに言っていた。

実家に帰ってこないじいさんをひい祖父さんが連れ戻すまで、そうやって生計をたてていたらしい。

戦後予科練学校としては認められず、じいさんは小卒の学歴になってしまい、ずいぶんと苦労したらしい。職を転々としながら、職業訓練校に通って資格を手にし、最終的には水道工として定年まで勤めあげた。

飛行機を作っていた頃の経験が生きたのかは分からないが、子どもの頃のじいさんは自転車草刈り機の発動機やら、何でも直せる人だった。

じいさんは戦争によって勉強することも出来ず、学歴も手にすることが出来ず、戦争を恨んでいたのだろう。戦争の話はしたがらず、呉には生涯、足を運ばなかった。

本当は、京都大学物理学勉強たかったじいさんは、自分学歴の無さを生涯恥じながら、87歳でこの世を去った。

苦労しながら水道工として定年まで勤めあげ、身の回りのものは何でも修理できたじいさんは、恥ずべき事なく、立派な人生を歩んだと思う。

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