はてなキーワード: 価値観とは
既婚子持ちではないが、学生のころからの友達はだんだん価値観が合わなくなって疎遠になっちゃったな
社会人になってからは友達作ったりしないし、今じゃ普段遊んだりする人は1人もいない
このまま行くと老後やばそ〜と思うけど、どうする気力もないのでそのまま
他に5人くらいにお手紙して、5人とも親が阻止してたんだけどね😅このことから当時の価値観でもロリコンは論外なのは間違いないわ
まあ止めないうち親もやばいのは本当にそう、でも告白の手紙寄越す時点でロリコンだよ…しかも不特定多数に渡してるから幼女なら誰でもいいってことだよ?怖いわ
前の職場でお世話になった人から突然コロナのワクチンに注意した方が良いというメッセージが届いた。
実はコロナワクチンの危険性がよくわかってないとかじゃなくて、コロナワクチンは闇の政府による人口削減のための策とかそういうやつ。
別に医学の専門知識を持ってるとかではないけど知的な人だという印象だったのでまず驚いた。でもそこそこ知的好奇心があって情報収集にも意欲のある人がかえってはまったりするんですかね。
で、これ送ってきた人はまあまあ年配の人で職場ではそれなりの肩書きがある人なわけ。自分はそもそも直接の上司ではなかったし、今後会うこともまあそれほどなさそうだし「勉強になりました!」でなんとか乗り切れると思うけど、これもし部下とかにもやってたらきつくない?
前にまったく別のつながりの飲み会で突然911陰謀論について語り出した人がいたんだけど、ああいう陰謀論て「なるほどー」「そうかもしれないっすねー」とかでけっこう流せる。でもワクチンだと打ったかどうかの話がその後に出てくる可能性があるよね。打ってても「いや打ってないです」って言えばいいのかもしれないけど副反応で発熱したりすることを考えるとその人だけじゃなくて職場の関係者全員にワクチン打ったって言えなくなるよね。実際にやるの意外に難しそう。
いやーやっぱり医療系の陰謀論はきついっすよ。日本じゃもうHIV陰謀論なんか知ってる人の方が少なそうだけど実害につながる可能性が高すぎる。でもたぶんそういうことを教えてくれる動機は善意なんだよね。「気付けない人たち」を馬鹿にしてくれても良いから、頼むから陰謀論者だけで盛り上がっててくれないかな。
で、ちょっと心配になったんでつながりのある人にそれとなく聞いてみようかなと思ったんだけど、これが意外と難しい。「○○さんも聞きました?ワクチンこわいですよね!まさか打ってませんよね?」とかなったらやびへびだもの。
実はこれ増田に書こうと思ったのも意外とこういうのって誰かに愚痴るの難しいなと思ったからだ。適当な人に愚痴ってその人も陰謀論者だったらややこしいからね。
口・股間・胸への接触というと性的な意味合いを見出しがちだが、それを自明のものとしていいのだろうか。
キスは離乳期にかみ砕いた食べ物の口移しに由来しており、その経験がないとうれしくもない。
股間も生殖器というより排泄器だ。お母さんが拭いてくれるんだ。(動物なら舐めて)
だから肛門に興奮するやつもいる。それはウンコ拭いてくれるのは幸福だからだ。
おっぱいはお母さんだ。乳だ。食事だ。愛情だ。生きていていい印だ。
頭をなでられても幸福感を持つやつが多いが、逆にワキや足の裏などはくすぐったいばかりで不快だ。
そもそも性犯罪ってなんだろう。タブー視されるのは現代的価値観だ。
動物の性交は強引だ。でも自殺はしない。(性被害を軽視するつもりはない)
魂の殺人というのは、個人主義的・道徳主義的・民主主義的な社会規範への罪である。
イジメや失業で、人間は自殺する。それは直接的な死を意味しないが社会的な死である。
社会からの蔑視が個体を死に追いやる。その社会の価値観が内面化し、自分を責めるのが性被害意識である。
いくつかの要素が絡み合ったのがこの手の問題なんだろう
日本の場合、学校教育で得られる数理国等に関してはずっと優秀なんだけど、公共心や正しい心理的規範をインストールする機会が全くないのが問題だと思う
仏教やキリスト教は功罪あっても普遍的な善を幼い子供にインストールしてくれるし、儒教は微妙でイスラムもまあ…罪も多いけども…
翻って我が日本は宗教による普遍的な善的価値観を養う機会が無いし、「善悪は立場によって変わるから『正』なんぞどこにもない」とかいう反知性原始人主義が大手を占めているから割と多くの人間が悪行為を悪だと認識すらできないことになる
止まらないかどうか,漏れ出るほど作ってるかどうか,これは大切なことである.この世界を生きてることに興味があるか,一瞬一瞬を集中して楽しんで生きているか,寝るときには限界を迎えているか,その繰り返しを生きているかがとても重要だと思う.その中に研究やものづくりがある人なら,「すでにやっている」のである.逆にそれ以外の人々とはどうしても研究のずれが生まれる(そもそも目指しているところが違うのだと思う)
「この世界に生きることに興味がある?」という言葉にちょっと痺れた。
前にヨーロッパ旅行に行ったときに散歩しながら、今後生きていくときの指針について考えていて、技術を愛しながらまずまず仕事をして、芸術を嗜んでささやかに生きていこうと考えて帰ってきた。自分の時間を現代の常としてお金を稼ぐために働くことは妥協して、人類の暇の使い方として時の試練の中で精錬された芸術にせっかくだからほどほどに触れ、自分も拙く芸術の制作側(自分の中では音楽)もやろうと考えた。なんにも目標がないふわふわした未来をどうやって生きるか、生きる価値があるのかを考えて、せっかくなら人生の楽しさや人々の過去の営みの中で生まれた大切なものを摂取して生きようと消費者的な思考を持った 。(生産者側の視点として、他人の生活に影響を与えることを目標にするような人生を考えたが、自分はそういう価値観は持ち合わせていなかった。まだ若いだけかもしれない)
「この世界を生きることに興味があるか」はこれに似ている。落合さんもせっかく生きるなら興味のあることを、楽しいことをやろうと思っているようである。しかし、自分と違うことはここでさらに「熱中」という概念が入っていることにある気がする。自分はなにかに熱中できるほどの熱量と矛先は持ち合わせていなくて、熱中することがある人は(退屈や空虚)を忘れられて幸いだねという斜に構えてしまうスタンスだ。人生は根本的に退屈と空虚でできているのだ。熱中できることがある人は、それは幸いなことだ。
中高のカトリックの学校で、その時の先生が「人はひとりひとりが使命を持っていて、人生のある時に天からの掲示のように心の中に現れる。そこでそれを自分が受け入れられるかどうかが問題で、一度受け容れられなかった使命はもう二度と同じものはやってこないのだ」(意訳) と言っていたことを思い出す。熱中できることがある人は自分の使命にしたがって生きている人なのだろう。そういう人が身近にいると羨ましいなと思ってしまう。
とはいえ、ほどほどに生きていくこと。それだけでも生きる価値があると思う。今日は帰りにデパートに寄って、美味しい和菓子屋さんの店 (榮太樓總本鋪)を知ったのだ。これを知らずに死ぬなんてもったいない。
善は、「51%以上個人的に同意」、悪は、「51%以上個人的に不同意」に置き換え可。
「対立しているのを見聞きしたことない。」項目や追加すべき「重要な対立価値観」があれば、コメントをください。
1.株の売買…善
2.売買春…悪
3.民族差別…悪
4.外国人労働者…悪
5.同性婚…悪
6.夫婦別姓…悪
14.原発新設…善
15.山林メガソーラー…悪
3️⃣実際にソシャゲを複数プレイしててその体感と合う増田が書かれたら
いい加減に価値観をアップデートしろ最新ゲームはそんなんじゃない、って的外れに絡み続けてるやつを何度も見かけて辟易している。
比較的裕福に育って生まれてから今まで実家暮らし、地元のバカな女子大出た後、親の会社にコネ入職。
見合い相手は全員30代後半の金持ち。医者とか一流企業会社員とか。
いや、ハイスペックでこの年まで結婚してない人ってまあやばい人が多くて。親も蓋開けてみたらやばいやつだらけでびびってて。
そんな中、医者30代後半が候補にあがってきた。まともだし初婚だし、清潔感もある。相手もこっちを気に入ってる。
別に私は親の近く(相手も同じ地方の人)で今まで通り暮らせるなら、なんとも思わん。今飼ってる猫と暮らせれば最高
てなことで今婚約まで秒読みなかんじ。出会ってから3カ月くらい。
ここからが本題
可愛いか可愛くないかと言われれば可愛い。街ですれちがったら可愛いし癒される。
別にでも自分の生活を我慢してまではいらない。犬カフェならぬ赤ちゃんカフェでもあればなーて思う。(最低でごめん)
まあ仕事だし産みますよ、みんなそれだけで喜ぶわけだし?私も自分の親みたいにフルタイムのシッターとお手伝いさん雇うから負担はそんなないだろってね。
親も私のこと興味なかったし、私も一番の仲良しは小さいことからいたお手伝いのおばちゃんだし。
そんな時相手の親に「かたわじゃ困りますからね」て言われたのね。意味わからなくて調べたらまあ差別用語だった…
それでいろいろ調べてたら両親の年齢差が10歳以上だと自閉症の確率高いよーって記事を読んだのね。
まじかーってなった。相手の親はともかく、私も悪い意味でこどものこと2匹目の猫だと思ってるからさ…
みんなに責められないための最強魔法くらいにしか思ってないからさ、普通に困るしそれはいらないんだよね。
こんなやつ子供を産むべきじゃないって思うよね、私も思うよーーーw
遠い親戚の自閉症の子にはあったことないし、親戚の集まりにも来たことないし。
田舎の古い価値観の家だからさー、その子のことに関しても平気でお嫁さんの血筋が悪いとか言うわけ。
責められないための魔法なのに、追放されるおそれがあるのは納得できないなーって。
で、親に聞いたの、私がもし障害もってたらどうする?って。
そしたらお金積んで人にあげて、事故にあったことにするわよーって言われた。笑いながら。(養子縁組とかじゃなくて、金積んで知らない人にあげて厄介払い)
最低で申し訳ないんだけど、まじでこんな感じなの。冗談かもだけど。体裁が大事だから。
このご時世でそれはうまくいかんだろって思って、養子縁組調べたら、今の日本てそういう制度ないんやね。
こちらに育てる能力があれば拒否される?て見て、じゃーむりじゃーんてなった。
何回も謝る、最低でごめん。
根っからの陰キャで生まれてから16年間一度も恋人ができなかった。
田舎のデカい中学によくある苛烈なカーストで溺れ死ぬことを防ぐべく無理して作った友人はみんな陽キャで当たり前のように恋バナをしていた。
いや陽キャじゃなくたって陰キャは陰キャ同士でよろしくやっている。私に恋人ができないのは私が陰キャだからではなくて、私がちょっとおかしいからだ。私は人間として失格に違いない。みんなが当たり前に他人に恋をして、距離を詰めて、付き合って、デートしているのに私にはその当たり前のことすらできないんだから。
口には出さなかったけどそういう気持ちで中学生活を送っていた。
息苦しい中学を卒業して高校に入り、生まれてから16年と1か月たったころ。中学の同級生だった男友達から毎日LINEが来ていて、私もその子のことは趣味が合う貴重な陰の友達として大好きだったから返事を返すのが楽しかった。ゲームのこと、勉強のこと、Twitterのこと。
でもやりとりを続けているうちに、あれ?と思った。もしかしてこいつ、私のことが好きなのか? BL小説ばかり読んでいて恋愛の実践経験ゼロの残念な私にでもわかるくらいあからさまな好意だった。
コンプレックスが溜まって恋に恋する状態だった私は必死に相手から告白の言葉をひきだした。これで私にも彼氏ができる! 人並みの高校生になれるチャンスを逃してなるものか! 今思うと本当に失礼だな。自分のコンプレックスを解消するために友達を完全に利用している。アクセサリーじゃねえんだぞ。
交際関係にある人間たちは密に連絡を取り合ってイチャイチャするっていうのが当時の自分にはイメージとしてあったから、5日間くらいは毎日夜遅くまでLINEをしていた。こっぱずかしいやり取りをしていた気がする。でも1週間たつと、友達時代は楽しめていた毎日の連絡がなぜかちょっと面倒になってきた。結局6か月後の別れる直前には、LINEは週一で会うのは月一くらいの頻度になっていた。とにかく相手から熱量のある感情を向けられるのがつらかった。同じものを返せないし、重荷だし。
ここで恋愛経験値が0から1になった私は学んだ。お付き合いっていうのは相手との関係を維持するために努力する意気がある人どうしでするものなんだ。当たり前のことだけどどんな人間関係でも築くにあたっていろんな制約が生まれるわけで、その中でも恋人関係なんていうトップクラスに密な関係を築くなら心身にそれ相応のコストがかかる。私のような自己中でちゃらんぽらんな女は恋人を作るなんて人並みの生活にふさわしくないんだ。
それからしばらくは恋愛向いてないからしょうがないよねとわかったようなふりをして生きていたけど、身をもってお付き合いの大変さや世のカップルたちが他人に費やすエネルギーの大きさ尊さを知ってしまった分、それができない自分に対するコンプレックスはどんどんどんどんふくらんでいった。
次の転換期は大学に入ってからだった。上京してきた私はさまざまな人の新しい考えに触れて、地元にいたころより視野が少し広がった。その恩恵かはわからないけど、どうやら自分は男性より女性に性欲を抱くらしいということも分かった。
で、相変わらず本当にバカなんだけど、今まで恋ができなかったのは対象を間違えていただけで女性なら好きになれるかもしれない! とか考えて、2丁目通いだのLGBTサークルだの始めてみた。どれもそれなりに楽しく過ごせるんだけど、一回会ったらもう次はいいや、相手に会う時間より自分の時間が大事だし……と思って2回目には続かなかった。問題は対象の性別じゃなくて出会いより自分を優先しちゃうその態度だろうが。
しばらくしたら大学のサークル(LGBTではない普通の課外活動)ですごく気になる子ができた。趣味も価値観も合って、一人暮らしの私の家によく泊まりにくる子。運動してるからきれいに筋肉がついて引き締まった体をしてるけど、太股はむちむちしててかわいい。いつもその子のことをつい目で追ってしまって、なにしろ今までそんな経験なかったからもうこれが恋なのね!! って信じてしまい、私も恋ができるんだ、他人に熱烈な懸想ができるんだとすごく救われた気持ちになった。我ながらばかばかしいと思うけど本当にこれだけで自分が真人間になれたと本気で思っていた。相手はノンケだから付き合えたりはしないけど、一番近い友達でいたい。結婚式でこの子の友人代表としてスピーチができたら幸せだなぁなんて完全に自分に酔っぱらっていた。
でもそうじゃなかった。初めて女の人と寝てからわかった、私があの子に抱いているのは恋心なんかじゃなくてただの性欲だ。性欲を視線に乗せてあの子の身体を追っていただけだったんだ。それに気づいて、しょっちゅう泊まりに来てくれるような大事な友達に性欲を抱いていた自分を心底気持ち悪いと思った。それと同時にやっぱり私は恋ができないんだなあと実感して、もういいかげん人並みであることを諦めて欠陥品の自覚を持たないといけないと思った。女性に性欲が向く人間であることについては臓腑にストンと降りてきてなんの葛藤もなかったのに、恋愛ができないことについてはめちゃめちゃしんどい。
これ読んでる人は恋愛ごときで人間失格とかバカじゃねーのかって思ってるよね。私もそう思う。アセクシャルの人にも怒られそう。
でもコンプレックスってそういうものじゃない? 他人の意見なんかどうでもよくて、私個人の劣等感で完結してる。理性では取るに足らない差異だとわかってても心がそれを受け入れられるとは限らない。
寂しいから恋人がほしいとか、生活の中にウキウキができるように好きな人がほしいとかじゃなくて、みんなが当たり前にできていることを全くできずむしろ苦痛にすら感じるのがほんとうに恥ずかしくて悲しくて、悔しいから恋をしたい。片思いでも何でもいいから人を好きになってみたい。友達として大好きな人は何人もいるけどその先のときめきを感じられたことが一度もない。恋バナを聞いていても相手の感情が想像できなくて退屈にすら感じる。他人なんか面倒なら縁を切ればいい、つらいなら二度と会わなければいいと思うんだけどきっとみんな「そういうことじゃない」って言う。
失恋した友達は私のことを「恋愛に左右されずに生きててかっこいい、うらやましい」って言うけど、私は能力的に劣ったかっこ悪い人間だよ。私からすれば失恋して泣いちゃうくらい他人を真摯に愛していたあなたのほうがかっこいい、うらやましいよ。
正直親元からも切り離され兄弟も少なく祖父母も働き出してて、男の年収が少ないから共働きせざるを得なくなってるなどの子育て環境自体が大幅な悪化してる
・親元からも兄弟からも切り離されご近所づきあいもろくにない都会のマンションの核家族、実家は遠方
・当然専業主婦だが今のような便利な子育て支援サービスの類はろくになく全てワンオペ、子供を言い訳にした家事の手抜きなど許されない
・便利な育児グッズも皆無、布おむつを洗濯して家中に干す日々(勿論乾燥機なんかない)
・そもそもネットが存在しないので情報も少なかっただろうし他人とコミュニケーションもろくに取れなかったと思われる
・夫(父親)は今の価値観からしたらモラハラのクソ(団塊ならごく当たり前だろうけど)
・夫実家は近隣だったが当然の如く嫁いびりされまくり、でも逆らえない
なので今の子育て環境の方が遥かに恵まれてるよなあ…としか思えない
「昔の恵まれてた子育て環境」って三丁目の夕日的なファンタジーじゃね?実際虐待も子殺しも多かったわけだし「育児ノイローゼ」が社会問題になってたわけで
ポリティカルコレクトネスが世界を戦争に向かわせるとしたら、今これを書いている俺や読んでいるあなたも日本社会の一員として戦争に向かっていると言えるだろう。
世界秩序の安定のためにロシアや中国のような社会主義国の価値観を認めるとしたら、いくばかの人権侵害や政治体制について傍観しなければならない。こちら側の価値観では不当な事実だとしても、彼等にとっては正当な理由があるのだから。
しかし、西側諸国や同一の価値観を共有する日本において、これらの社会義国の論理を多様性の一つとして許容することができるだろうか?
現代のポリティカルコレクトネスを強烈に重視する社会において、市民と政治家、国もその決断はできないはずだ。その決断の積み重ねが社会主義国との摩擦を生み、結果として世界は社会主義国の脅威ともう一度対峙することになるだろう。市民のポリティカルコレクトネスという意識の高まりによって世界はじわじわと世界大戦に向かっているのである。
そしてそれはつまり、いまこれを書いているおれと、これを読んでいるあなたが戦争に向かう推進力となっている、という意味である。
両者を暴力って言葉で一括りにして、核ミサイルとかを引き合いに出してグーパンもダメだよねって言うような典型的なアレが嫌い。
少なくとも死んじゃう暴力、死なないけど不可逆的なケガを負う暴力、死なないし原状回復は可能だけど重いケガを負う暴力、痛いだけで済む暴力の4段階くらいには分けられるだろって思う。
何言っても殴られないと思ってつけ上がって、他人に無礼な言葉を吐きまくる奴は殴ってスカッとしたい。
そしてそれは妥当な仕返しであって、相手が殴り返してきたとしたらそれは憎悪の連鎖ではなくただの逆恨みだ。
別に失礼な事を言われた所でムカッ腹が立つだけではあるけど、ブン殴るにしても別に痛いだけで済むんで。
でも殴るからには殴られる可能性もある訳で、それらが全部適性な場面で行われるには、敬意の表明方法や規範意識が常に共有されてないといけない。価値観の統一、多様性から逆行だ。