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2021-05-09

ある氷河期世代の妄言

いつも自分に何かが足りないような気がしている。

高校入試ときも、終わってすぐに、もっと勉強しなければと思っていた。

大学に入ってからも、トップ学校に入れなかったことで、自分には何かが足りないと感じていた。

その一方で、努力をしてこなかった。

頑張らなければと思うわりに、適切な努力をしてこなかった。

高すぎる目標をかかげ、目標を達成するための計画を立てても実行はしなかった。

図書館で本を借りても、読まずにそのまま返していた。

計画を立てるだけで満足し、本を借りるだけで満足してしまっていた。

実際の行動に移すのをさぼっていたし、本を読みとおす努力をする根気もなかった。

何も積み上げられないし、努力が足りていないのを誰よりも自分でわかっていて、だから自分に何かが足りないという感覚は増すばかりだった。

社会人になってからも同じだ。

学生時代に抱いていた夢や目標に近づくにはあまりにも辛いいばらの道を歩かなければならないと知り、断念した。

もともと何かを達成するために、すべてを投げうって努力できる性質ではないらしい。

医者になりたいとか、建築家になりたいとか、小説家になりたいとか、身の程知らずの憧ればかりが心に浮かんでは消えた。

ただ、まったく努力をしなかったわけではなく、ちょっとした挫折ですぐに諦めてばかりというほうが正確かもしれない。

成功した人たちは多分、挫折を知らないのではなく、挫折したとしても、少なくとも諦めなかった人たちなのだろう。

とはいえ成功したと思われている人たちの中にも、何かが欠けているような感覚に呪われている人もいるのかもしれないが。

自分社会に出てからこれまで二回、大きなキャリアチェンジをしている。氷河期世代ということもあるかもしれないが、あまりまれ職業人生とはいえない。それでも正社員として働けた時期もあったし、なんとか食うに困らず生きてこられたのは運が良かった部分もあったのだろう。

だが、仕事があることに感謝し、多少嫌なことがあろうと耐えて同じ仕事を続けるということが自分にはできなかった。家庭の事情で辞めたこともあるが、それも、必死になって続けようと思えば続けられないこともなかったかもしれない。ただ、目の前の仕事に対する執着が足りなかったように思う。

自分にとっては、どの仕事も、いつかたどり着く最高の仕事への踏み台に過ぎないという感覚が続いていた。今でもその感覚がなくならない。いつか、今よりももっといい職場でいい仕事に就けるんじゃないかと期待してばかりいる。

仕事を見つけるにしても、自分就職できる先がいつも限られていて、妥協するしかいからこんなことばかり考えるのかもしれない。新卒のころから、未経験お断りと言われ続けてきて、最近では年齢で切られることが多い。そんな自分でも雇ってくれるところがあるのはありがたいが、そういう職場はそれなりに難ありだ。

フリーランスになるとか、起業するとかにも憧れるが、自分には手に職もないし、アイデアもない。どこかに雇ってもらって時間を売る以外に、生活の糧を得る方法はない。健康で働けるうちはそうやって仕事を続けるしかない。

それなのにいつも夢を見てしまう。

実は最近もまた大きな夢を見始めてしまっている。いい年なので、これはミッドライクライシスなのだろうか。いや、自分はずっとクライシスからこれは違うのか。

それはさておき、その夢とは何かというと、博士課程に進学したくなってしまたことだ。

いい加減に落ち着けばいいのに、諦めがつかない。

自分人生はこんなもんだと、得られたもの感謝して生きることができない。

今とは違う景色がどこかにあるんじゃないか

そういえば、あの坂を登ればって国語教科書で読んだな。

あれはこんな感じなんだろうか。

あの話がミッドライクライシスの話だなんて先生は教えてくれなかった。

研究したい内容はある。といって学者になりたいわけではない。もともとは進学が目標だったわけじゃなくて、やりたい仕事必要な専門知識がまったくないことから進学を考えたんだが、これもまた、なんでこの年で、と自分で激しく突っ込みを入れているところだ。

なんでこんなに年寄りになってから、専門外の分野に手を出そうとしてるんだ。

頭も若くないし、体力も落ちる一方だろう。さらに言えば、大して頭脳明晰でもないだろう、自分

そう思うと不安で胸がいっぱいになって動けなくなる。もう何もできないような気がしてくる。

後悔だらけの人生で、後にも引けない、前にも進めない。

どうすりゃいいんだ。

こんなこと、親には言えない。誰にも相談できない。こんな話をまともに聞いてくれる友達もいない。占い師にでも相談するしかいか

もし運よく入試がうまくいって、新たに学業をおさめられたとしても、進学を志すきっかけになった仕事に就けるかはわからない。その仕事に就けたとしても、そのとき自分はそれを本当にやりたい仕事と思えるのかもわからない。

なんなんだ自分

本当に馬鹿だな。

こんなに先が読めないやつ、ほかにいるんだろうか。そのとき一生懸命考えて将来を見据えて動いたつもりでも、結局は暗闇で手探りをしていただけだと、あとからわかる。

どうして自分ことなのに、こんなにわからないことばかりなんだよ。

これでも、昔に比べると自分のことがわかるようにはなってきた。学生時代なんて、本当に悲惨自己認識で、現実が少しも見えてなかった。理想自分が本当に求めてるものがずれているのに気がついてなかった。失敗を繰り返して、やっと少しずつ自分価値観みたいなものがわかってきたときにはもう遅かった。もう20年ぐらい前に自分のことをわかっていたかった。

人生100年という説もあるが、実際のところ人生って期限がわからないのが辛いところよね。わかればもう少し計画的に生きられたかな。

どうだろうな。

何かを成し遂げた人が羨ましい。自分は何もかも中途半端で何も成し遂げられないまま人生を終えそうな気がしている。

だけど、やりたくない仕事をずっと続けるのは耐えられないんだ。

今の自分に足りないものを補えば、いつか満足のいく職場幸せに働けるって思っていたいんだ。

適切な努力はしなかったものの、それなりに頑張ってきた自分が、こんな職場で腐っていくなんて思いたくない。全然共感できない経営者のもとで、都合よく使われるだけなんて嫌だと思ってしまう。

どこかに自分理想職場があって、理想仕事がある。自分天職がある。いつかそういう仕事に就ける。そう思っていたいんだ。

仕事に多くを求めすぎているんだろうな。そうそ理想仕事なんてないんだから仕事仕事と割り切って、私生活を充実させるようにするのがいいのかもしれない。

でも、なんで自分人生時間をやりたくない仕事にとられないといけないんだと思ってしまう。幼稚でナイーブでどうしようもない。いつまでたっても大人になれない。自分自分を不幸にしている。

頭ではわかっているのに、現実を受け入れられないまま、この漂流人生は続くんだろうな。

いい加減、落ち着かないと、もうどこも雇ってくれなくなりそうだ。そうなったらどうしようか。迷惑かけないようにひっそり死のうか。

2021-05-08

かつて恋愛弱者だった者が弱者男性議論を眺めていて思うこと

一連の議論を眺めていて、弱者男性定義不明なままだが、多分いかなる定義にも今の自分は当てはまってないと思う。一方、非モテ方面議論であれば、かつての自分非モテだったと思うし、おそらく弱者男性とされる者の一部の人が感じている生きづらさには共感できるであろう。これは、そんな人間視点からの雑感と一連の議論にかこつけた自分語りである

自分非モテだという自覚が生まれたのは、小学校低学年の頃だったかな。その時、仲のいい男友達がいたのだが、ある日、放課後クラス女子の家にその男友達を含む、今の言葉でいえば、スクールカースト上位の何人かで集まって遊ぶというイベントが発生していたらしいのである。当たり前のように私に声がかかることはなく、その後もそのような会合に呼ばれることは一度も無かった。男だけで遊ぶ場合には誘われるのだが、女子の家で集まるというところには明確な線引きがあったらしい。この時に、男子には女子の家にお呼ばれされるグループと、そうでないグループ存在し、どうやらそこには越えられない壁がありそうだと理解した。

これはまだ良くて、子供時代非モテに最も残酷だと思ったイベントバレンタインデーである。こんなこと学校禁止しとけよ、と思うのだが(当時もオフィシャルには禁止されてたのかも)、女子学校チョコレートを持ち込み、ある種の男子に配るというアレだ。必ずしも意中の人だけに渡すわけではなく、何人かに配っていたようで、これも貰える男子とそうでないグループに分かれ、それは概ね固定されていたようだった。俺は一度ももらったことがなくて上記は伝聞情報ではあるのだが、その日は男女とも何か浮足だっているので、貰えないとわかっていても、毎年心のどこかで期待して、ガッカリしながら下校するという経験が毎年積み重なった。これは子供心に自分非モテ=低価値であるという劣等感を植え付けるのに十分な出来事であった。この劣等感は種々の経験に伴ってさらに強固に積み上げられていった。種々の経験というのは、彼女いないのか、結婚しないのかという質問だったり、飲み会でのみんなの恋バナだったり、童貞ネタにされることだったり、まあ良くあるやつだ。

こういう劣等感子供時代からの成長過程で強烈に植え付けられてしまうと、これをどれだけ理性で抑えようとしてもどうにもならなかった。昨今のモテないことは人間として価値が低いことを意味しないだとか、男性も男らしさから降りて良いんだという言説は、将来自分のような者を産み出さないために重要で盛り上げていかなければならないと思う。しかし、今現在かような劣等感や生きづらさを抱えている人にはもう遅すぎたとも思う。上記のような言葉では、そういったいわゆる男性弱者を救うことは難しいだろう。

自分子供時代から呪いから解き放たれたのは、身も蓋もない話だが、女性と付き合うことになった時だった。あの瞬間自分の心の中のもやもやがスッと晴れたように感じたのを鮮明に覚えている。人生で唯一遊びに誘った女性結婚にまで至った。今でも自分はこの人以外の誰ともここまでの関係性を構築出来たとは思えず、こればかりは運が良かったとしか言えない。しか呪いが解けたと言っても、これまでに構築された規範から自由になったという意味ではなかった。子供のころから積み上げられた、恋愛価値を見いだす、そういう価値観はむしろこの頃にはさらに増強され、多分もう自分の頭から消すことはできないのだろうという思いがある。

自分が結局女性と付き合い始める以外でかつて感じていた生きづらさから逃れることができたのかと考えると、それは難しかったように思う。今更断っておくが、これは全部主観の話であって、他の人はそうでないことも往々にしてあるだろう。しかしまた、私と同じような思いの者だってそれなりにいるのでは、と思う。男友達は割と多い方だったと思うし、親友のような存在もいた。ある時はその友達彼女から増田くんの方が彼の彼女みたいだよね、などとも言われ、まんざらでもない気分だったが、それで女性からモテない自分無能感が消えることは無かった。小学生経験以降、自分にはモテない自分は何か欠陥を抱えている不完全な人間なのだという気持ちが常にあった。

だが、昨今語られているような、あてがえ論など自分たちの様な者を救うとは全く思わないのだし、そもそも自分に欠陥があると感じているので、それを社会や、ましてや女性から救ってもらおうなどと考えたことがなかった。むしろ誰にも我々は救えないのだ、くらいのことを思っていた。生きづらさのピークを迎えていたかつての自分が、一連の議論を見て、何か思うことがあるとしたら、うるせえ放っとけよくらいだ。男性の中にも弱者がおり、それを救うための前向きな議論は大いに進めていくべきだと思うが、今のはてなでの議論はどうだろうか? みんなはてブ増田で何か言葉を発してるやつだけが当事者だとでも思っているのか。議論に参加していないROM専にどういう属性の人がいて、彼彼女らがどういう思いでその言葉を受け取るのかとか考えているのだろうか。ムカつくやつがどこの陣営にもいて、そいつらをやっつけたい気持ちはわかるのだが、そのために生きづらさを抱えている人間を巻き込んで属性でまとめて攻めるのはやめてほしい。みんな強い言葉を使いすぎているし、この議論の中では今の自分にも刺さるようなコメントが多数あった。かつてストロングゼロを常飲してやさぐれていた自分だったら発狂して、自分自身も誰かを叩きにいったのかもしれない。何も発言していないような人間にも刺さるような属性攻撃はやめません?

長くなったし、結論も話の筋も無い駄文になってしまったが、我慢出来ずに書いてしまった。

結局オリンピックというものピュアな夢を見ている人らがオリンピックに反対している。

スポーツイベント感染症対策をしながら

世界中実施されているのに

何故かオリンピックだけは

ワシントンポストまで反対する。

君らの国ではメジャーリーグバスケインディも全部中止しとるのかいな?

オリンピックが金儲けの道具となって四半世紀以上が経過している。

アマチュアの祭典なんてことを信じている人はいないだろ?

なのに、いつまでもオリンピック精神のようなものだけは信奉されていて価値観アップデートが出来ていない人たちがたくさんいる。

アスリートってのは結局河原乞食なんだよ

スターを気取っちゃいるが、「感動()」とかいメディアでっち上げイメージしか売り物がない虚業に過ぎんのさ。

冷静に考えてみてくれよ。

9回裏2死満塁でホームランを打ったとして、それで誰かの飢えがなくなるか?社会は便利になるか?病人は救えるのか?街に落ちてるゴミの数一つ減らないだろ?

いじめられっ子勇気を貰ってどうこうなんてお決まり大嘘があるが、生まれつき才能がある筋肉ムキムキの連中がチヤホヤされるのを通して与えられるのなんて虐める側に都合がいい優生思想の方じゃねえのか?

スポーツを通して世に振りまかされる試合で負けたやつは何をされても文句は言えないって価値観が、世の中にいる弱者に対して与えられるはずだった優しさをむしろ奪っちまってるようには思えないか

負けた奴には何をやってもいい。

勝てなきゃ意味がない。

そういった考えがパワハラを産み、モラハラとなり、そして皆で苦しめあって、弱い人間同士ですら更に弱い相手攻撃する原始時代のようなもの世界に広げているのがスポーツ実態じゃないのか?

結局スポーツマンってのは、一瞬の快楽提供した対価として金をもらっている大道芸人河原乞食一種に過ぎないのさ。

結局はスポーツメーカーテレビ宣伝に使うためのピエロだな。

ケンタッキーの前のカーネルサンダースだ。

そういや「e-sportsスポーツかどうか」っていうウンコに含まれコーンイカの骨はウンコの重さとして数えていいのかみたいなクソ議論がたまにあるが、何が違うのか俺には全く分からんね。

どっちも金の稼ぎ方は一緒だろ?

インストラクター大会賞金、器具宣伝費、広告塔としての直接契約投げ銭乞食、まあどれもこれも見事に社会を直接豊かにする実用性の面ではイマイチピンと来ないものばかりだねえ。

巨大な一大虚業業界だよ。

そんな連中が大手を振って我らこそ最も優れた人類なりって面をするのを許してきたのが、オリンピックという大間違いがここまで拗れちまった原因だよ。

現代社会よ、スポーツマンというモノの価値の低さをもう一度見つめ直したらどうかね?

2021-05-07

anond:20210507171517

???

差別主義者、不寛容人間社会から排除されるべきなのは当然の話なのですが。弱者男性全体がそうではなく、攻撃的な弱者男性弱者であっても排除されるべきという話です

犯罪者も更生すれば(刑罰社会的制裁を受けることを経れば)救おうという扱いをされてるだけなのですが?


しかも、犯罪者に並列すること自体弱者男性馬鹿にしていませんか?中には犯罪相当のひどい言動をしてる人もいるかもしれませんが、大部分はそうではない。

また、「貧困」を救ったところでここにいるような弱者男性様が納得しないのは彼ら自身が語ってることなのですが。彼らが必要としてるのはお金ではなく(年収は平均以上に持っていると自称している)愛情なのですからしか愛情提供する弱者支援など存在しえないのが事実です。




そして、「セーフティネット」とやらを作り、それを担当するのを率先する義務女性にはありません。むしろ弱者男性搾取し、利益を独占してきたような(強者)男性がそうするべきなのです

男性同士が連帯することから社会は変わります

男性同士で承認欲求を満たし、差別的価値観を打破することからはじめてください。

anond:20210507163650

同程度の状況でも男は公助を受けにくい行政上問題社会的価値観問題弱者男性問題の原点だろ

「構ってほしいか弱者自称しよう」って馬鹿が喚くと、本当に公助必要としてる人たちが公助を受けられなくなるからやめてほしいなと思う

社会からドロップアウトしても凍死や餓死しなくて良い社会のほうが良くないか

20代年収800万や資産千万円ある男も弱者ですか?

anond:20210507162513

同程度の状況でも男は公助を受けにくい行政上問題社会的価値観問題弱者男性問題の原点だろ

「構ってほしいか弱者自称しよう」って馬鹿が喚くと、本当に公助必要としてる人たちが公助を受けられなくなるからやめてほしいなと思う

社会からドロップアウトしても凍死や餓死しなくて良い社会のほうが良くないか

コロナ以上に反出生主義が最強すぎる件

フェミオタクが唯一共闘できる

・下級国民ノーダメージで、上級国民だけを確実に痛めつける

・「子供を持つコスト」という経済的理由から、どんな人でも出産というライフイベントで必ずこの思想に触れてしま

出生率経済状況と連動してるため、日本がV字回復するまでずっと続く

資本主義先進国社会では少子化合理的家族構成なので、この思想がなくとも結局は同じ道を辿る

・「子持ち」VS「独身」という新たな分断が更に両者の対話を難しくする

大日本帝国100代聖天皇 安倍・ディ・ミン・トー・晋三 も反出生主義者

・例え無理やり子供を産んでも、その子貧困経験するので出産に後ろ向きな価値観が強化される

・出生主義者は宗教的権威しかすがることが出来ず、当然宗教はほぼ復権不可能

・出生主義者は現状論拠が無い(一切ない) 輪廻転生だのの非科学で納得させるしかない

・男が女に無理やり子供を産ませるため、ミソジニーを強化するほど恋愛のものへの嫌悪感発声する

 

 

あえて論拠そのものを出さずとも、これだけ周辺の状況が有利なんだけど

もうこれ国解体まで行くんじゃねえの? 割とマジで

anond:20210507121823

立ち行かない自分人生を、社会の変革による価値観変化の一発逆転に賭けてるだけだよな

世代間の共通の思い出・価値観喪失

自分自身ギリギリ若者に括られる年齢だけど、テレビの影響力が激減したせいで

世代間の共通の思い出・価値観が完全に喪失したように思われる。

いや、具体的に言うとミーハー層とそれ以外の分断が著しくなったような気がする。

去年は香水・鬼滅、今年はうっせえわ・呪術廻戦が流行ってるとのことだがほぼ実感がない。

テレビが無い自宅でリモートワークしており、更に類友流行に疎い限られた友人に

まれているせいでこれらに一切触れることなく、生活できてしまっているからだろう。

YouTubeSNS自分の好みに特化した情報のみがサジェストされている。

たまに同世代と話しても、共通話題入り口が無くてそこそこ苦労する。

「あの時代男子はみんなドラゴンボール見てたな・・・

「あの頃の女子はみんな小室ファミリー聴いてた・・・

みたいな状況はもう完全に消え失せたのやな、と。ビバ多様性

個人的には生きやすくなるけど、同時代感の共有みたいなものが若干羨ましくもあり。

2021-05-06

anond:20210506140734

その論でいく91と92の差を認識して評価できる人間から見れば30と31を「おなじ1の差でまずいが普通になるよ」なんていわれると

「お前どんな生活してるんだ」と経済観や価値観を疑ってしま

元々今日ファミレスいってメシくおうぜって話をしてるならともかく、突然そんな店連れて行かれたらこいつは自分と違う世界に住む人間として措置考える

父親がセクハラする場に居合わせた

ちょっとした契約関係で、同席してほしいと父に頼まれ、その場に参加をした。契約相手女性で(Aさんとする)、非常に仕事のできそうな人だった。

契約が一段落つき雑談している中で、父がごく自然に「女より男のほうが心が強い」と言い、その上で「でもAさんはしっかりしてるし仕事もがんばってるし立派だ。お前もAさんのような嫁さんを早く見つけろ!」と言ってきた。

Aさんは笑って受け答えていたし、父に悪意が無いことはわかるので、僕は何も言わなかったが、内心失礼と思えてならなかった。性差別発言は勿論、初めて会った男と結婚を絡めた話をされるというのは自分女性なら嫌だと思う。

セクハラというと言い過ぎかもしれないし、気にしすぎかもしれないけれど、性的役割の話をすることも、結婚して当たり前という価値観も、どうにもモヤモヤしてしまう。

敢えて世代差別をするけど、昔の年代の人にはなんてことのない話なのだろう。しかも父は森喜朗の一連の発言に怒っていたので、かなりマシな方。それでもなー

anond:20210506142915

家事は分担するものなので

パートナーは家政婦じゃない

時代的な価値観捨てて意識アップデートしてください

anond:20210506151939

弱者男性論って「モテなくていいし結婚もしたくないのに恋愛価値観ジャッジしたり"結婚してこそ一人前"みたいな規範差別するな」って考えも含まれてるんじゃないの? 非モテ男性だけのものだったのか

アンチ体育会系正義になる時代がついに来た!!!

嬉しくてたまらない。

私は匿名ダイアリーで人の悪口を書いたり読んだりするのが大好きな暗い暗い人間だ。

こういう性格になった原因の一端は、私が「体育」が苦手だったことに間違いなく起因している。

そもそも体育=いわゆる「体錬」なんていう、本来近代日本の強兵政策に基づく「国民を使い勝手

いい兵隊にするため」の科目を戦後にきちんと潰しておかなかったGHQが悪い。

日本の多くの子供たち(おそらくはどこの国もそう大差あるまいが)が「体育の授業」と「体育会系部活」で

植えつけられるのは、「集団利益第一義であり、〈和を乱す者〉〈足を引っ張る者〉は散々叩かれパージ

されねばならないし、保身のためにはそういう者になってはいけない」という同調圧力自己責任論、

そして、「絶対的上下関係のもと、〈下は上に逆らってはならない〉というシステム」だ。

すなわち、汚職癒着不正隠蔽内部告発への圧力ブラック労働やりがい搾取パワハラセクハラ……

この社会の「生きづらさ」の原因となる諸問題の根には「体育」がある。

(「諸問題」と私が呼ぶのは私が一市民であるからで、為政者にとっては素晴らしい「美徳なのだろう)

オリンピックなどというのは、「体育」的価値観諸国民が疑問を抱かないようにするためのプロパガンダ装置だ。

アスリートへの礼賛と神聖視。彼らの人生感動ポルノとして消費する報道。「オールジャパン」なんて

空虚言葉で飾り立てた同調圧力奨励。「コーチ監督団体から言われたことを唯々諾々と受け入れ、

疑問を抱かない思考停止」は「ストイックプロ意識」となり、「体を壊してでも試合に参加する無計画

自傷行為」を「尊い自己犠牲」と呼ぶ『1984』ばりの欺瞞に満ちたレトリックが何をもたらしたか

無数のアスリート死体と、自浄作用に欠いたクソみたいな社会だ。

私は体育が嫌いだ。体育会系が嫌いだ。体育会系価値観に染まった、自分脳みそものを考えられない

馬鹿が嫌いだ。私を見下し、自分が何か特別な「許された」人間のようにふるまってきたあいつらが嫌いだ。

そしてそれを許してきた社会が嫌いだ。

私は嬉しくて仕方ない。ツイッターを開けば。ヤフーコメントを開けば。オリンピックへの罵詈雑言が読み放題だ。

テレビではオリンピック内定選手が、もはや自分たちがパブリックエネミーとなったことにも気づかずに、

自分たちが頑張る姿を見て感動と希望を与えられれば」なんて上から目線のどうしようもないコメントをしている。

燃えろ燃えろアスリートたちよ自身特権意識と、偉い人がやる気なら逆らえない風通しの悪さを晒し炎上しろ

ピンチをチャンスに」なんてクソくだらない不謹慎言葉を使うつもりはない。

だが、夢見てしまう。

「なんで、たかだか『体を動かすのが他人より上手い』ってだけの連中があんな偉そうな顔できてるんだ?」

「上の顔色と周りの視線を慮って誰も何も言えないような、体育会系価値観蔓延した社会って危険なんじゃないか?」

そうした価値観が、コロナを、東京オリンピック批判を機にこの国のマジョリティになることを。

現代貴族であった体育会系クソ虫共が、断頭台に引き立てられる日を。

anond:20210506121108

結婚しても今のオタ趣味最優先生活を全く変えなくても怒らずに稼いできて家事育児やってくれる嫁が欲しい」は新しい価値観ではないぞ

anond:20210506120744

まあ婚活っていうのが最初からそういうとこって了解もあるだろうから

あれだけ自由恋愛を持ち上げておいて、結婚となると結局古い価値観に落ち着くのがなんとも笑えるとこなんだけど

高齢独女結婚なんて古い価値観だとアピールしてるのが悲しい

老齢独女なんて地域社会核兵器みたいなもんやで

ある種の弱者男性のはなし

ある種の弱者男性

弱者男性の指す範囲が広すぎる」という意見も目にしたから、「ある種の弱者男性」としておこうか。

 

ここで言う「ある種の弱者男性」というのはいわゆる非モテ男性、そのなかでも容姿等の外面的な要素で女性から嫌悪排斥され、そのぶつけられた嫌悪内面化した人達のことだ。

 

容姿キモい、喋り方がキモい動作キモい、、、、女性はまあカジュアルに言い放つ。

そしてそんな言動は一切咎められず、むしろ不快にさせられた女性こそ被害者」として正当化される。

この時点で、「ある種の弱者男性」は呪いをかけられる。

 

女性は正しいので悪いことをしないだろう、女性弱者から男性というだけで恵まれているだろう、

女性被害者から男性に対して加害者にはならないだろう、女性にとって好ましいものこそ善だろう

 

こうした世の中のリベラルな通念が呪詛となって、後々「ある種の弱者男性」を苦しめることになる。

 

キモいジャッジされた事が正当化されることで、

言われた側の男性自然と「自分キモい」「女性にとって不快」、果ては「自分は世の中の害悪」と自己規定する。

 

なぜか?女性不快な思いをさせ嫌悪させるもの「悪」からだ。

(そうでしょ、フェミニストのみなさん?)

社会正義に沿おうと真面目に考える男性ほど、こうしてより深く罠に嵌る。

「おまえは『悪』だ」と判定を下されたら、もちろん返上しようとする。だがその成否を判定するのも結局女性でなければならない。

まり男性が「善良な存在」であろうとすると、必然女性ウケ(モテ)を意識せざるをえなくなる構造になっている。

だが、キモい男性アプローチしても害悪扱い(セクハラ、告ハラetc…)されるだけなので、

多くの場合は徐々に恋愛女性から承認、すなわち「善良」であることを諦めていく。

それでも女性ジャッジからは逃れられない。

女性男性人格を、外面的な要素から正しくジャッジできる」という信仰のもとに、

清潔感」という言葉で包められ正当化されたルッキズムさらされ、(努力も虚しく)女性に好ましい容姿を実現できないというだけで

「不潔で不衛生」「人格が劣悪」のレッテルを貼られては正当化され、それをまた内面化していく。

そもそも女性ジャッジ次第で人格までレッテル貼りされること自体が不当なのだが、そう思うことも難しい状況にある)

そして「ある種の弱者男性」は、「自分害悪だ」と思ったまま、自信も自己肯定感も失っていく。

女性のいる場所はもちろん、女性に(人によっては同性にさえも)話しかけることを恐れて所謂コミュ障になっていく。

 

自信も自己肯定感も物怖じしないコミュニケーション能力も、男性が豊かに生きるには非常に重要だ。

しろそれらが欠如するのは致命的とも言える。

女性場合なら自信なさげな態度と言動は奥ゆかしさとも捉えられることもあるだろうが、男性、それも容姿が悪いともなればどうか。

例えば一般的企業入社面接想像してみてもらえばその悪影響の大きさがわかると思うが。

 

そして流れ着くのは薄給バイトブラック企業危険を伴う肉体労働

 

こうして、学校女子キモいと罵られた少年は、弱者男性となっていく。

 非モテへの人格否定

女性たちからキモい害悪レッテルを貼られ拒絶され、女性との交際を諦めた弱者男性は、

それでも大抵は「害にはなりたくない」と願い、女性を避けるように生活する。

だが、彼らが尊厳回復することはない。

 

弱者男性の多くは、女性から承認されない、恋愛できない自分ダメな奴なんだろうかと不安を抱え、SNSgoogle検索をする。

すると遅かれ早かれこうした文が目に入ってくることになる。

 

性格が悪いかモテないんだよ」。

 

言い換えれば、「(異性愛者で)女性に選ばれない男は人格的に劣っているに決まっている」

あるいは「女性にとって好ましい男性人格面も優れているに決まっている」、ということになる。

そしてそんな類の暴論が数百、時には数千単位の「いいね」を集めている。

 

さら社会正義を謳うリベラルフェミニストは、非モテ男性を敵視し、口を極めてその人格貶める

 

曰く、非モテ男性甘ったれている。曰く、非モテ男性は性欲の権化である

曰く、非モテ男性は誠実さがないかモテない。曰く、非モテ男性の悩みなど低レベルだ。

曰く、非モテ男性女性搾取しようとしている。曰く、非モテ男性・・・

 

他でもない反差別を掲げるリベラルからすら平然と差別をされることで、ますます自己肯定感を失っていく。

 

―――女性たちに外面的な要因で拒絶されることで同時に人格まで否定されてしまうなんて、

それが正当化されるならば、払拭するには女性承認されお墨付きをもらうしかないじゃないか―――

そのような指摘は、今度は「女をあてがえということか!」と歪められる。

 

「女をあてがえ論」の他には「ありのままの僕を受け入れて論」なんて言い方もしたりして、

とにかくあたかも自堕落自分本位な男性が主張しているかのようなイメージを擦り付け人否定が行われる。

 

それが例え「同じ人間として扱ってほしい」「外面的な部分だけで排斥しないでほしい」「あなた達と恋愛できないからといって人格を貶めないでほしい」という

いから出たものであっても、女性に対して批判的だからというだけで「ミソジニー」果ては「インセル」呼ばわりされ邪悪レッテルを貼られる。

 

挙句の果ては、「男性というだけで恵まれているんだから被害者面をするな!」と遮断され、

人格否定たっぷり浴びせられたまま放り捨てられる。

 

女性ジャッジは正しい。)(男性なんだからまれていると思え。)

女性は加害をしない、お前に落ち度がある。)(女性に嫌われるなんて悪に決まっている。)

 

フェミニストたちが形成するこうした世の中の通年は、人格否定された「ある種の弱者男性」をさらなる自己嫌悪と自信喪失自暴自棄へと追い込み、その人生を淀ませていく。

女性たちはこの呪いのもたらす苦しみと構造の強固さを知ってか知らずか、今日も気に入らない男性へ気軽に「キモい」と言い放つ。

女性の加害性とはこういうものだ。

 

さいごに 

キモい男は害悪」、そんな女性たちの価値観正当化され力を得る世の中では、

善良であろうとするほど「キモイ男性」は何もできなくなっていく。

 

すこし思考実験と言うか、考えてみてほしい。

普段あなたの行動範囲のなかで、女性(とくに若い人)に遭遇することがどのくらいあったか

そして女性と遭遇するたび、それだけで自分がその人を不快にさせ、害を与えているとしたら。

場合によっては「キモい!」と面罵され、それに対して異議を唱えることはおろか、反感を抱くことさえ許されない、そんな価値観が正しいと思い込まされているとしたら。

あなたはまともな精神社会生活を送れるだろうか?程度の差こそあれ、概ねこれが「ある種の弱者男性」の見る光景、生きる世界だと思ってほしい。

 

おそらく、俺たちのような人間ほとんどのリベラルの人たちの観測範囲には入っていないだろうと思う。

 

女性からいじめハラスメントを受けて人生舞台から転落なんて、そんな少数のレアケースの問題など、いちいち考えてられないと思うだろうか?

念の為に言っておくと、「ある種の弱者男性」は決して少なくない。少なくとも、リベラルの人たちが考えるよりはずっとずっと多い。

全国の学校ひとつにつき数名はいるんじゃないか。心当たりがある人も多いんじゃない?

 

まあ数が少なく見えるのも当然ではあるかも知れない。彼らは大抵が、社会の下層で怯えながら隠れるように暮らすから

 

リベラルたちの視界から外れた社会のはずれへ疎外され、自分は世の中の害悪だとひたすら信じ込まされたまま、

ろくに声もあげられずに死んでいく。俺が同じ境遇ということで交流してた人たちはみんなそうだった。

 

「ひっそりとオナニーしながら死ね」だったかフェミニストの偉い教授が言ったそうだが、「望み通りだ」と彼らの末路を見て笑うのだろうか。

 

正義がほしい。尊厳がほしい。

女性好き嫌い正義を切り離してほしい。

女性にとって好ましくない外面というだけで人格まで否定しないでほしい。

同じ人間として扱ってほしい。

 

こんな願いはそれほどまでに分不相応高望みなんだろうか。

anond:20210505235832

リベラル差別を無くすためにあるんじゃない。

差別によって今まで労働力から弾かれていた層を労働力として取り込み、賃金水準を下げることが目的なの。

少なくとも賃金水準を下げるからこそ、資本主義社会においてリベラル的な価値観正義だとして扱われてきていることは認識してもらいたい。

2021-05-05

何故、差別が悪なのか分かってない奴が多すぎる

差別がない方が、自由主義資本主義的に都合がいいか差別が良くないこととされてるだけ。

労働者の中の特権的な扱いをされる連中を排除し、女や差別されていた連中も労働力として駆り出して労働者を増やした方が賃金水準が下がるから差別撤廃すべき」なんだよ。

その労働力の低廉化を図るために、リベラル的な価値観採用されてきたわけで、リベラルってのはそもそも資本主義ドライブさせるための思想バックボーンしかないんよね。

そのあたりの関係性も弁えず、「弱者男性差別するな」とか言い出しても、それは本質的リベラルに求められている反差別ではない、としか言いようがない。

女子供に手を出すやつは許せねえ…!」→弱者男性差別を無くすなら、まずこの台詞共感しちゃいけないって話

弱者男性周りって、正しく価値観アップデート必要になる案件なんだよね。

基本的弱者とされてきたのって女子供なわけで、これはもう覆しようのない事実なわけじゃん。

だってタイトルみたいな台詞を言ったら大多数の人間共感するじゃん?

因数分解していけば、儒教だの仏教だのっていう宗教から社会やら歴史の話になるんだろうけど、

とにかく、今この時点で「女子供に手を出すやつは許せねえ…!」って台詞があったら、常識人は「その通りだ!」って思うわけですよ。

その常識を変えなきゃいけない。これは大変なことですよ。

もうすこし拡大すると、「女子供、お年寄り、犬や猫に手を出すやつが俺は嫌いなんだ!」って台詞なら共感できるよね。

だってそれは、女子供、お年寄り、犬や猫はか弱い、守るべき対象だってみんな認識しているから。

それが常識ってやつだ。

でも、弱者男性という存在を認めるとすれば、

女子供、それに弱者男性に手を出すやつは許せねえ…!」って違和感バリバリ台詞に、みんなが共感するようにならないといけない。

というか、「女子供に手を出すやつは~」って台詞のものが、意図的に成人男性を除外しているような発言から所謂ポリコレ的に正しくない発言になってしまう。

これは大変なことだよ。「なにそれめんどくさい」ってなる話なんだよ。そういう根本的な、我々に遍在する意識を変えていこうって話なんだよな。

ロビー活動の一環として、創作物ケチつけたりする必要すらあるかもしれない。

フェミニズムってのは、そういうめんどくさくて厄介な行動をし続けたからこそ、現在問題になってるわけだ。

からこそ、この話は所謂フェミ含む弱者ビジネスへのカウンターとしても機能してしまう。ややこしいね

まあ何が言いたいのかっていうと、話が大きくなったらどんどんめんどくさい方向にしか転ばないと思うけど、みんな頑張ってねってこと。

場所や人脈によってバイアスすごく大きいよねっていう話

当たり前なんだけど

不動産の知り合いは不動産多いし

メディア関係の知り合いはメディア関係多いし

芸能関係の知り合いは芸能関係多いし

プログラマーの知り合いはプログラマー多いし

エステティシャンの知り合いはエステティシャン多いし

美容師の知り合いは美容師多いし

 

それで自分らの業態しか知らないとそれが基準なっちゃ

正社員が当たり前のところがあったり

非正規雇用が当たり前のところがあったり

独立してフリーランスになるのが当たり前なところがあったり

経営者になるのが当たり前な業界と、全然当たり前じゃない業界があったり

外国人が沢山いる業界全然居ない業界があったり

 

そういう少しずつのバイアスが積もり積もって、何か選択したときに似たような人が集まっちゃうみたいな現象がある

例えば同じ地域に似たような業種の人が集まるとか、似たような趣味の人が集まるとか

それで地域の色が出て、余計にその濃度を増していくみたいなことがある

形のない村みたいな

 

自分とぜんぜん違う村にうっかり足を踏み込むととんでもない別世界感があってすごい

しかもその村の人たちはそれが普通だと思っててビビる

でもだんだんそっちの方が普通で今までの自分特殊だったのではないかと思うようになってしま

それで統計を持ち出して自分のほうが多数派だと思って安心するんだけど

その村にとっては世間的に多数派なのかどうかは関係ないことだから特になにもできなくなる

 

例えば男女の平等セクハラボーダーラインとかも、村によってぜんぜん違う

ハグが当たり前の村もあれば、少しでも女性扱いしたらNGな村もある

美男美女の村と、ブサイクだらけの村では恋愛に関する価値観もぜんぜん違う

 

この国は法治国家だけど、法に反しない限りでは自由なので価値観多様化するし

多様化した上で村を形成する

ミクロで見ると非常に偏ったバイアスを持つ世界形成される

 

人は自分にとって居心地の良い村に属せば良いんだろうけど

色んな村に触れてると徐々に自分にとって居心地のいい村というモノ自体がよくわからなくなる

ちょっと疲れた

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