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2019-01-21

クズ

中高帰宅部地頭は悪くはなかったかさらっと勉強して某旧帝大には合格

ももから気力があるような人間ではないから家に引きこもってばかり。

実家通いで小遣いも貰えるし、趣味もない友達もあまりいないから金を遣わずバイトもやらない。

もちろんサークルもやっていないので、単位取れるギリギリラインでサボってばかり。

20卒だから就活開始してるんだけど何にもしない。やらなきゃと思うのに体が動かない。

ただだらだらと本を読むかゲームをして一日を潰す。

もっと他にやるべきことがあるのに。

別に家庭に問題があるわけじゃない。父も母も立派な人だし、裕福。

甘やかされているというよりは、きちんとやるべきことをやれと言われているのに俺がなあなあでごまかしているだけ。

妹がひとりいるが、俺とは対照的に活発でしっかりしてる。

結局俺自身精神性と甘えが何もかも悪い。

やらない言い訳ばかり探している。就活関連で探しているのはどこがブラックだとか労働基準法がどうかとかそんなのばかり。

俺にはそれ以前にするべきことが山積みなのに。

同期はきちんとやっているからどんどん差がついていく。当然の結果。

どんどん投げやりになっていく。首を吊ろうとして紐が切れた失敗した。跡はつかなかったから親にはバレていない。

親はこんなクズでも死んだら悲しむに違いない。紐が切れたことは、自殺を選ぶ権利なんて俺にはないことを象徴してるんだろうと思った。

朝起きるのは得意で、いつも必ず6時に目を覚ます。でも、どんどん起き上がるのが苦痛になっていく。甘えている。

中学の時、仲が良かった友達高校中退してフリーターになった。大学受験を控えていた俺は正直彼を見下していた。

最近見なくなったと思ったら、一念発起してイギリスに行き、そこでフォトグラファーになったと、去年の成人式で聞いた。少し田舎学校から大学に進むやつはほとんどいない。良いとこ高専。でもみんなしっかり働いていた。自分の面倒を自分で見ていた。そういうことを妙にはっきり思い出す。

苦しい。そんなことを訴える権利はないのに。やるべきことをやらなければならないのに。

体だけ大きくなって、中身は何にも変わらないままのおこちゃまが、小難しい本ばかり読んで悦に浸って生きている。自分の面倒を自分で見られない癖して。

今日、授業をサボった。まだベッドから体を起こせない。声だけ元気に作って仕事に行く親と学校に行く妹を見送った。

何をするでもなく、スマホを手にとってだらだらやっている自分がたまらなくなって、誰もみやしないまとまりのない長文を無意味に書き連ねている。

家族夕方まで帰ってこない。いい天気だ。コードなら簡単には切れないと知った。それにしてもよく晴れている。

2019-01-20

なんとなく生きてきたけど

今までなんとなく生きてきた。

なんとなくでもそれなりにこなすのは得意だった。

ただ、それなりにこなすことができれば満足して、それ以上の努力はしてこなかった。

いや、努力が苦手だった。楽しいことだけを好んでやっていた。

漫画だと一夜漬けのシーンは数コマで終わるのに、学生時代に真似したところで一夜漬けを始めて1時間で眠りこけてた。

から将来の夢を見つけることもできなかった。

ただ、なんとなく生きていた。

小学校の頃は勉強しなくてもテストは満点近かった。

この頃から目立ちたがりだった気がする。

中学校では生徒会長もやっていた。

テストの点数は右肩下がりだったが、問題のあるレベルじゃなかった。別に焦りもしなかった。

面白そう、という理由総合学科高校入学した。

そこには確かな夢を持った同級生がたくさんいた。

きっと自分高校の3年間でやりたいことを見つけられるんだと信じていた。

3年間で彼女がいた時期もあった。自覚は無かったけど、所謂青春がそこにあったんだと思う。

ただ、将来の話題になると、具体的には何も思い浮かばなかった。

卒業前に題材自由ミニ卒論を完成させなければいけないんだけれども、題材を考える時間が一番長かった。

大して時間もかけずに、陳腐な内容で適当お茶を濁して終わらせた記憶が残ってる。

学科柄、就職を進路に決めている人が多い中、なんとなく進学を決めた。

成績も優秀では無く中の下に成り下がっていたので、推薦入試も使えなかった。

やりたい事がみつからいからこそ、少しでも有名な大学に進学しなければと考えていた。

そんな後ろ向きな目標必死勉強することも出来ず、受験勉強もなんとなくだった。

一般受験をする生徒は珍しいので、同級生先生応援してくれた。

ありがたかったけど、反面全然勉強してない罪悪感も辛かった。

結局第一志望のMARCHは落ちた。

現役時代ですらまともに勉強できないのに、浪人が出来るとは思えなかった。そのまま第二希望で1ランク下の大学入学した。

就職した同級生は皆輝いていた。何とかして自分も輝きたくて焦った。

でも、何となくで入った心理学科の授業はまったく面白くなかった。興味も持てなかった。

時間だけは沢山ある中、ネットゲーム実装されたばかりの対人コンテンツランキングに入ることが出来た。

ゲームのフレンドから賞賛された、知らないプレイヤーに声をなんどもかけられた。

そしてなにより、自分名前ランキングボードに載っている事が最高だった。

一度ランキングに載ってからはそれまで以上に時間を費やした。

ただ、それも長くは続かなかった。

コンテンツ人口が増え、コミュニティや戦い方が成熟し、要求されるスキルが上昇していくのについていく事が出来なかった。

声をかけられることもパタンとなくなり、かといって追いつこうと練習することもなかった。

ゲームですら努力はできなかった。

ランキング上位への熱意も冷め切って気づいた頃には、単位の全く取れてない留年確定の大学生がそこにいるだけだった。

留年して通学する貯金もなく、そもそも心理学への興味が一切なかったので大学中退した。

兎に角働かなければ食っていけない状況に追い込まれて、SIer就職した。

面接で「君と是非働きたい」なんて言われて浮かれたけど、今思えば誰にでも同じことを言ってるに決まってる。

最初に配属された現場プログラミングのプの時も無い倉庫整理だった。

中高と体育会系部活所属していたので、上下関係には慣れてたし、挨拶や体力に問題はなかった。

それなりにこなすだけで雇用元の社員にも気に入ってもらえた。

「直接雇いたいから連絡をくれ」と言われたが、22歳の自分にはこれからずっと倉庫整理で食っていくなんて考えられなかった。

何と言えばいいのか、変なプライドがあったんだと思う。

小中高と目立ちたがりだった自分がそんな誰にでも出来る仕事をこなして爺ちゃんになるなんて考えたくもなかった。

契約期間も終わり、次の現場通信系の検証業務だった。

プログラミングのプくらいはあるかもしれないが、

メインはExcelに書いてあるように操作して、PASSかFALSEをつけていくだけだ。

これもそれなりにこなすだけだったけど、最初倉庫整理よりかは給料がよかった。

今まで買えなかった漫画ゲームを買える経済的余裕もでてきて、

毎月の給料で今まで金銭理由で楽しめなかったコンテンツを味わって2年が経った。

ゲーム漫画楽しいけど、仕事は相変わらずそれなりにこなすだけだった。

それなりにこなして、小さなチームのリーダーにもなった。

といっても特段業務内容に変化は無かった。

このまま何となく勤続年数に応じて給料が上がっていき、何となく生きていくんだろうかと不安になったし、まあそれでもいいかと思うようになっていた。

けど、変わった。

年末山手線高輪ゲートウェイ駅開通のテレビCMを見たときに急に何かに気づいたような感覚に襲われた。

テレビCMを見てそんな感覚になったのは初めてだった。

「あ、これがやりたいことだ」と感じた。

これ、というのが簡潔にいうと「自分が関わったのがわかる形で"何か"を作り、残したい」だった。

言い換えれば、自分存在を認めてもらいたい、つまり承認欲求が溜まりに溜まったものなんだろうか。

から目立ちたがり屋だった事、ネトゲランキング名前を残すことに躍起になっていたこからも、人より承認欲求特に高いのかもしれない。

"何か"は別に高輪ゲートウェイ駅みたいに実体である必要もない。

なるべく多くの人にこれは自分が作ったんだといって見てもらいたい。

具体的ではないけど、夢に近いものテレビCMを見て気づいた。

義務教育プログラミングカリキュラムが導入されているこの時代スタートは遅いけど、まだ諦めるには早いのかもしれない。そう思った。

どうすれば「"何か"を作る事」に近づくことができるかを考えて、開発側の業務に移れるようPythonの勉強を始めた。

Progateでチュートリアルやった後に何に手を付ければわからなくて、既に壁にぶつかってる。

きっとここから努力するってことなんだろう。

特にスキルも身につけずアラサーを迎えたITエンジニアだけど、この気持ち言語化してみたくて書いた。

やりたい事が見つかったからなのか、敬遠していたFaceBookを見ることができた。

文化祭映像を作ってた友人はYoutuberになってたし、高校卒業前に惚れてた笑顔が素敵な女の子舞台俳優になってた。

Facebook自体がそういう場所から、というのはあるかもしれないけど、いまだみんな輝いている。

もし、何かみんながわかるようなものを作って残せたら、またここで報告したい。

2019-01-19

anond:20190118175554

大学時代鬱だった、と思う。

クリニックには一度行ったことあるけど、行ってもあんまり喋る気しなくて、特に診断もされずに終わった。

から鬱病認定されたことはないけど、明らかに抑うつ状態だった。

今は鬱じゃないとハッキリ言える。主観だけど。

どうやって治すことができたのか。説明できない。自分でも理解できてないんだから

しかしたら大学生活というストレスのもとを取り去ったことで直ったのかもしれない(中退)。

どちらにせよ。他人アドバイスできるレベルではない。

からもしも自分友達が鬱になったとき自分が鬱経験者で、しかも完全に治ったのに、なにをアドバイスしていいのかわからないんだ。

あんなに苦しんだのに、もうあの時の苦しみを忘れかけてる。

あの時、鬱で寝てないで、ああい勉強こういう読書やればよかったなとか考えてる。

うつ病患者へのアドバイスって難しいね

でもすべては結果だから、どんな良いアドバイスでも、アドバイスだけじゃ鬱病を治すことはできないかもしれないね

しかしたら、くそみたいなアドバイスと強引な環境移転がよかったりする可能性もある。

2019-01-15

失恋が僕を追いかけ回している

少し前、増田で上がっていた失恋ダイアリーを読んで色々と思い出したか自分語りさせてください。

まず登場人物紹介から

25歳 男 痩せ型 Fラン大学中退

彼女

23歳 女 元気で明るい人って感じ

1年ほど前に4年付き合っていた彼女と別れた。

理由価値観の違い、になるのかな。

友達恋愛経験なんかが人より格段に少ないからか、彼女が他の異性と仲良くしているのに対し不安になり、

口を出して揉めてしまった(ザ・モテない男って感じで我ながら引く)。

彼女は決して浮気なんかしていなかったし、今思い返すと過剰なほど仲良くはしていなかったのだろうと思う。

例えば毎日友達と連絡をとったり、たまにモーニングコールを頼まれ電話で起こしていた程度。

過剰に反応して色々と考え込ませてしまったらしい。

あとすごく頭のいい大学卒業していたからなんだか自分コンプを抱いていた感は否めない。

自分彼女より数段(もっとかもしれない)下の大学ですらうまく学習を続けることができず中退してしまった。

教養の差、家系の差、彼女入社した大企業自分会社を比べたり、収入の面でも負けていたことも余裕がなかった一因だろうと思う。

まあそんなこんなで彼女就職して少ししてから別れてしまった。

別れ話をしているとき彼女ものすごく泣いていた。

しきりに「ごめんなさい」と口にしていたことを鮮明に覚えている。

僕としては本当に好きで別れたくなかったので「なんとか改善するから」と提案したが、駄目だった。

どうも、それで改善しても無理させることになるから、らしい。

その場は「仕方のないことなのかな」と割り切ったつもりで了承した。

「相性がよくなかった」「そうなる運命だった」なんてありきたりのよくある言葉で納得させようとしたけど、なぜだかどうしてうまく心が静まらない状態が1年間続いている。

失恋を忘れるには新しい恋」を信じ様々な女性食事に行ったりしてみたが、どうも「やっぱり元彼女がいいなあ」なんて考えてしまい、先に進めない。

未練タラタラものすごく気持ちの悪いことをしている自覚はあるが、この間元彼女に連絡をしてみた。

僕がいなくなってすごく気持ちが楽になったらしい。彼氏はまだできていないようだが、あの明るい話ぶりだといい人と巡り会えればすぐできるだろう。

僕の時間けが別れ話の日で止まってしまったように感じる。

きっと僕は元彼女と付き合っているとき元彼女に対しても不満は持っていたのだろう、とは思うものの、今では綺麗な思い出となってしまい他の誰かと恋愛する気になれない。

あと、また壊れてしまうのが怖いのだと思う。僕の心の狭さが露呈し、愛している人に愛想を尽かされることが怖いのだ。

ちっとも緩和されず毎日を過ごしている。また恋愛がしたい。

2019-01-12

朝が弱くて生きづらい

もう20代後半になるが、早起きというか、社会的に望ましい時間に起きられる自信が生涯で一度も付いたことがない。

ちなみに目覚まし時計はセットしているし、隣の部屋まで聞こえるような音量ではあるが自分では一切聞こえていないことが多く、壊れたのかと思って何度も買い足しているほどである

今では振動式の目覚まし時計を使ってたまに起きられるようになったが、たまにである

飲食小売店バイト派遣会社を通しての工場勤務や、IT系会社にてSESで働いた経験もあるが、大半の職場寝坊が続き退職に至っている。

寝坊というのも始業時間に30分や1時間遅れる程度では済まない事が多く、9時始業にも関わらず午後の3時に目が覚めた経験も多い。

そうした朝の弱さも今に始まったことではなく、記憶の限りでは幼稚園児の頃から親に起こされても起きられず、幼稚園を休む事が頻繁にあった。

その後もそのまま歳を取り、小4の頃までは休みがちながらも通学をしていた。しかし、小5で転校をした時から完全に不登校になったのだ。

別にクラスの誰かにいじめられたとかそういう事もなく、転校先の学校に初登校した始業式の日を最後小学校へは一度も足を運んでいない。

不登校になった理由・当時の自信の気持ちは正直よく分からないが、人前に出たり目立つのが嫌いな自分にとって登校するのを恐ろしい事のように感じていた。

その不登校になっていた時期に自然昼夜逆転が始まった。ただただテレビを見たり同じゲームを繰り返し遊んだり、ネット世界に潜り込んでいた。

とまぁ、こんな調子幼稚園から今に至るまでを書き連ねても冗長なだけなのでなるべく掻い摘んでいくと、中学時代はかなり休んでいたが時々通っていた。

不登校でも入れるようなちょっと特殊高校中学と同様であったが、ベッドから起き上がれないなどの鬱病のような症状を自覚しながらもなんとか卒業できた。鬱症状は卒業する直前ぐらいに考え方を丸々変える事ができ、それによって解消した。

その後は専門学校に入ってC言語の基礎だけ習った辺りで寝坊が頻発し中退フリーターと化した。

その後は最初に記した通りであり、現在退職して無職

20代で持っていれば就職やすいらしいIT系資格を取っているが、これから先もこんな感じで職を見つけては寝坊して上司に怒られ、周りから冷たい目で見られながら切られるまで仕事をするような事を繰り返すのかと思うと憂鬱で、就活をする気が起きないでいる。

合理主義的で何をするにしてもどう動けば効率的作業出来るかを考えたり調べる癖も手伝って、新しい仕事を始めると最初は周りから期待を持たれるが、全て寝坊でパーである

一度、睡眠専門の医者に見てもらった際には睡眠相後退症候群と診断された。

一度無職からまたフリーターになった際に半年程通院して治療をしていたが自堕落生活習慣を改善しきれなかった為か、結局薬を飲まないと望ましい時間眠る事はできず、診察が平日のみであったのもあってIT会社に入る際に通院をやめた。

結局のところ通院を再開して今の状態矯正することがベストだと思うが、それが途方も無い道のりのように思えて、どこか楽な抜け道を探したくなる。

無理に朝から仕事をしなくても夜勤をやれば、と思われるだろうが、夜勤も概日リズムからして合わないというか始業時間に合わせてリズムを変えるとまたリズムが遅れていってしまう。

本当はただただ自堕落なだけなのか、睡眠相後退症候群のせいなのか分からないが、診断を受けた事で気持ちは楽になった。気持ちだけは楽になった。

そして何度も繰り返した退職によって批判へのストレスコントロールは上手くなった。というか気にしてたら生きていけないんだけども。

これまで経験した事・思った事を書き並べただけの文章力のない増田だけど、はてなーの反応が見たいのと、こういう睡眠障害があるっていうのが社会に知られて次の世代の為になったらなって大それた気持ちで書きました。

自分場合睡運瞑菜を始めるのも理にかなってる気もする。いやでも瞑はいらんか。

2019-01-10

anond:20190110232307

これが大学生の話なら普通に留年中退コースになるので考えさせられるものがある

大学中退したい

行きたくなさすぎて気が狂いそう

anond:20190110005824

普通高校って留年するぐらいなら中退するもんなの?ドロップアウト組でそういう話をよく聞くんだけど。

高専留年しても何とか卒業したゎぃには分からん感覚

2019-01-08

anond:20190108114526

ジョブズカリグラフィーの話は

大学中退して必修の講義をとる必要がなくなったか

「興味のある」講義にでたことで

将来、役に立った話で

から外れても自分の関心や本能に従うことの大切さ

という意味合いが込められてるから

その議論で引き合いにだすのは不適切

2019-01-06

まり優秀な女医はいいけど高校中退/浪人するような馬鹿が執刀医は嫌ってことだろ?

ほらやっぱりそうじゃん

結局みんな優秀な医者にみてもらいたいのは当たり前だし高校三年間まともに通えずば中退するようなやつを落とすのは差別でもなんでもなく区別にすぎない

綺麗事言ってても本当はみんなそう思ってるから問題にならなくて当然

https://anond.hatelabo.jp/20190106213225

anond:20190106192900

なんで生まれたのが早いというだけで大学無償化対象外なわけ?

真面目にやってるやつが損して底辺クズが得するとか結局逆差別じゃん

よくわからんけど、

そもそも中退者とかでない人はこれから無償化されるという前提があった上で、中退者も加えるかどうかって議論になっただけで

早く生まれたばっかりに支援が受けられないってのは真面目にやってるかどうかと関係ないのでは、少なくとも大元の話においては。

それなら俺みたいな真面目に中退浪人もしなかったやつから先に大学無償化して再分配しろ

再分配するってんならそうしろ

なんで生まれたのが早いというだけで大学無償化対象外なわけ?

真面目にやってるやつが損して底辺クズが得するとか結局逆差別じゃん

https://anond.hatelabo.jp/20190106190932

2019-01-04

大学 3年次編入試験の思い出

anond:20190102063518

anond:20190102174908

anond:20190103131014

高校時代

同じく地方出身者はなんとなくわかると思うんだが、高校は「地元では自慢できる」レベルのとこに通っていた。

県下一、というわけでもないけど、地元で一目置かれるようなそんなところ。東大学者を毎年1名出したり出さなかったりするような。

自分はというと文化系運動系狭間みたいな部活にがっつりのめり込みつつ、子供の頃から親の影響で続けていたとある楽器寺社仏閣が好きな、自他ともに認める「変わった子」であった。学力でいえば中学までは特に勉強しなくてもまあまあいい成績が取れる、中途半端に器用な子だった。

親は勉強については大してうるさくなかったが(むしろ楽器練習をしない方が厳しく怒られたし、数学10/100点をマークしようが音楽の成績が満点じゃない方が嫌な顔をされた)、お金には厳しく、「大学は国公立しかさない」と宣言されており、真に受けた私は私立すべり止めも一切受けなかった。だが高校3年間を部活に捧げた、数学テストで毎回赤点叩き出すような人間にそのルートは厳しかった。見事に滑りおち、進学先を失った。進学校に通っておきながらこの体たらく

これから1年浪人するしかない、と思ってふさぎ込んでいたが、そこで偶然にも某専門学校の「大学編入コース」なるものを知る。専門に2年通った後、大学へ3年次編入するというコースだ。ははぁ、よくできてるなあ、と思いながらも学校担任と両親に相談し、その専門学校へ進むこととなった。

専門に入る

正直入試はあってないようなものなので割愛する。学力レベルからペーパーテスト免除され、英語面接だけだった。まあまあ緊張したが絶対かると半ば解っていたので強気でいった。ちなみに高校時代苦手にしていた教科は数学英語だ。瞬間的な暗記力となんとなくで世界史及び国語高得点を叩き出す完全なる文系である。妙にコアな知識を植え付けてくれたラノベ推理小説たちとヘタリアには今も感謝してる。日本史文化史だけ異様にできた。

学校生活

身バレが怖いので色々伏せるが、駅チカでこぎれいなビルキャンパスだった。キャンパスと言っていいのか?

専門学校内での大きな学科のくくりとしては「英語学科」に属することになり、その中で「英語を使った仕事に就きたい人のコース翻訳通訳など)」と「海外大学に行きたい人のコース」、あと「大学編入したい人のコース」に分かれる。

なんで大学編入英語学科に属するかというと、ほとんどの大学編入試験の科目が「英語」「小論文」「面接」のみだからである。(学科によっては専門科目の試験がある場合もある)

授業は9割は英語の授業だった。ネイティブ講師日本人講師もいたが、とにかく英語リーディングリスニングライティングスピーキングの授業がそれぞれあり、それ以外に大学編入のための英語試験対策授業がある。少人数にこだわってて、基本の4つの授業はそれぞれTOEIC学内試験の結果から5段階にレベル分けされていた。私は入学時のペーパーテスト免除しか学費も一部免除特待生扱いで入学したので、「は~やっぱこの程度か専門」とか思っていたが、最初TOEICテストで300点台叩き出して5レベルあるクラスの下から2番目に入れられる。「出身校」の学力が高かっただけで「私」の学力はクソだった。ただ真面目に授業を受けていればクラスはすぐに上にあがり、最後は一番上のクラス所属していた。この基本の4つの授業は大学編入以外のコースの人もいた。

残りの1割は資格の授業(英検、ワー検、秘書検、漢検など好きなもの選択できる)の他、第二外国語小論文対策PC(というかOffice)など……まあ大学1年生の一般教養と似たような感じだろうか。選択教養の授業もあったが種類は2,3種類しかない。しかも大して面白くない。

大学1年生と違うのは、自分で授業を選ぶ幅がとても狭いところ。というのも学年によってどの授業を受けるか、カリキュラムが既に綿密に組まれており、「朝ゆっくりしたいから1コマくそ~」というのは全くできない。選択授業も「とってもとらなくてもいいよ」ではなく「この中からどれか選べ」という選択。なので学期はじめにコース人間全員集められてHRみたいなことをして、時間割を配られたりしていた。

学生

上記の通り様々なコース人間が入り混じって授業を受けていたので、通っている人は本当にいろんな人がいた。アンタこんなしょぼい専門いていいの!?っていうような頭のいい人から、クソほど簡単テストを「難しくてヤバかった~」という人まで、本当に様々。Lv.2→Lv.5まで駆け上がるといろんな人と話した。超絶パリピ野郎もいたし、内気で根暗で今にも引きこもりになりそうな人もいた。

同じ大学編入を目指すコースの中だと、まあまあ頭いいけど大学入試では一歩及ばなかった、みたいな人がほとんど。大体がプライド高くてそれを一度へし折られてしまった人、という印象。(私もだけどさ)すべり止め私大に受かってたけど行きたくなくてこっちを選んだ、という人もいるにはいた。あとは行ってた大学が嫌になってやめて再チャレンジしたいとか……。比較的頭のいい人は多かったけど、それでもやっぱ学力でいうと「まあまあできる」か「いまいちできない」のどちらかだった気がする。コース内で一緒に行動していた友達は国公立に受かっていった人から最後最後どうにか推薦で滑り込めた人までいた。

コース人間の数は結構多かった。高校の一クラスくらい……?もっと少ないと思って入学したので意外だった。やっぱり学力レベルでつるむグループが分かれる。男女比は男子の方が圧倒的に多かった。3分の2くらい。でも学年全体で見ると女子の方が多かった気がする。

あと意外といろんな地方から集まってた。やっぱり学校周辺の人が多いのだけど、隣県や新幹線帰省するくらい離れている土地から来る人もいた。私はかろうじて同じ県ではあるが学校までは通学に2時間かけていて、隣県出身学校近くに一人暮らししている友達がうらやましかった。

学費

高い。私大に2年行くとのかわらん。でも高校時代まあまあ成績取れてたら学費免除簡単に取れる。(模試の点数とかセンターの点数を基準学費免除とかしてくれる学校もあると聞く)

本来公立しか行かせてくれなかったはずの両親があっさり行かせてくれたので、絶対学費無駄にすまいと2年間は真面目に必死に授業や資格取得に打ち込んだ。その後まあまあ就活に有利そうな資格とかちょいちょい取れたので、短大とか他の私大行って仮面浪人するよかよかったなあ、と思った。けどその辺って結局当人努力次第なので、学校の授業の時間を使って資格取得や受験対策に打ち込める環境お金払ったと思っている。払ってくれたのは親だが。でも無利子の奨学金も2年次から勝ち取って少し貢献できた。と思いたい。今返済しんどいけど。

編入試験を受ける

編入試験

1年間みっちり英語を叩き込まれたあと、2年生からいよいよ編入試験が始まる。

3年次編入試験は多くの大学がやっているが、大学によって受けられる条件は様々。私が行きたかった大学は他の4大からの受入のみで、専門卒は受け付けていなかったので諦めた。(でもそういう学校の方が少ない印象)

編入試験の日程は学校によってかなりばらつきがある。早いところだと6月くらいで、遅いところだと2月くらい?私は全部で3つ受けたが、ひとつ8月で、残りのふたつは12月だった。やっぱ秋~冬にかけてが多い。

面接練習なども授業でしながら、それぞれの試験日に向けて準備を重ねていく。8月試験を受けたところが第一志望にして最難関の大学だったが、ものの見事に落ちてしまい、泣きながらそのあと友人らとカラオケに行った思い出がある。編入試験受験科目が少ない分やりやすいと言われるが、その門はかなり狭く、私が受けたところも倍率は5~10倍くらい(だったと思う、もう記憶あいまい)最終的に編入浪人の道を選ぶ人もいる。専門→大学編入のいいところは浪人などの1年のロスを出さずに大学卒業できる所だが、結局編入試験の壁が高くて編入浪人したりレベルを落としてD~Fラン大学に入ったりと、メリットが活きないことも多い。でも努力してそれが実ればいい大学に入れるのも事実なので、そこは編入チャレンジする人次第なのかな……とも思う。専門入って遊んでしまった人たちは上位クラスの人でも結局ランクの低い私大に行った人が多く、しっかり努力し続けていた人は国公立偏差値高い私大に進んでいった。英検1級取得したり、TOEICマックススコア出した人もいる。

あとTOEICスコア試験免除がある学校とかあって、TOEICマジもっと気合入れてやればよかったな、と思った。試験免除にならなくても入学後の単位に換算してもらえたりした。

試験対策

英語はもうとにかく授業をガンガンうけてガンガン問題解くだけ。喋る・聞くは捨てて、ひたすら読むにステータスを振り続けていた。(書くは申し訳程度にやった)9時半から15時まで授業を受けた後、18時まで学校に残り友達と多少ぐだりながらも勉強(というか課題)、家に帰ってから英語の長文読解とひたすら向かい合う日々。

小論文は書き方の作法を徹底的に叩き込まれ、あとは個人文章センス知識量がモノをいう感じだった。国語世界史、そしてラノベから影響を受けた文化史系に強かった私には最高の科目だった。

編入試験過去問も一応あって、見せてもらうためにその大学に足を運んだこともある。(コピーはさせてもらえないので、目で見て出題傾向を把握するのが精一杯だが)あと学校過去問を回収して過去問集みたいなのを作っていたので、行きたい学校が人気校ならそんなことしなくてもコピーできたりした。英語試験はどの学校も長文読解系が多く、TOEICをそこそこにして英検受けまくっていた自分にはありがたかった。

面接指導就活とほぼ一緒、だと思う。なんでこの大学に行きたいのかをはっきりさせろ!と言われ続け、「御校に在籍の〇〇先生研究室で●●について研究したいです!!理由としては!!」みたいな答えをガチガチに固めていった。これはのちの就活に活きたと思う。

試験

どの大学小論文は楽勝だった。8月に受けたところは英語で予想外の作文が出て動揺し、読解問題では時間が足らず、涙を呑んで不合格覚悟した。翌日即結果発表だったが、当然私の受験番号はなかった。

第二志望の大学の前に第三志望の国公立を受けにいったが、家から遠く深夜バスでの移動となった。しかバスからまた電車で移動するが乗換をミス試験遅刻。席に着くために荷物通路に置いたら試験管に怒られ、萎縮しながら受験したが英語は予想できたレベルでむしろしかった。1週間後には結果が開示され、無事合格

そして満を持しての第二志望。同じ学校から他にも2名受けることになっており、一緒に移動。英語試験はやや苦戦した覚えがあるが、それよりも面接がしんどかった。大学に、特にその学校に入りたい理由を述べ(行きたい研究室があるでゴリ押しした)、なぜそれに興味を抱くに至ったかなどを話したが、とにかく緊張して噛みまくり面接官に不審な顔をされ落ちたと悟った。しかしその試験当日、夜から私の受験期を中学から支えてくれた某バンドライブがあり、普通に間に合わなさそうだったので走って会場を後にした。ライブギリギリ間に合った。そして入試も無事にパスできていた。

大学編入

進学先が二つ用意されたわけだが、もちろん第二志望を選択。一応国立大なのと、高校時代から学びたいと思っていた専攻があったのが決め手だった。思う存分研究に打ち込めたと思う。嘘。2年では足りない。もっとやりたかった。でも取りたかった単位や聞きたかった講義はほぼコンプできた。

上記でも少し触れたが、入学時に専門学校の授業の単位大学単位へ変換してもらえるため、本来4年で取る卒業単位を2年間で全部とれ、ということにはならなかった。特に私は人文学系だったので、変換がスムーズにいったというのがある。法律経済系の学科は専門科目の変換が難しく、卒業単位を取れなくて留年した人が多かった。(と後に聞いた)

1年大学ライフ満喫したのちすぐ就活なのはきつかったが、興味のあったサークルにも在籍し2年間最初から最後まで活動できた。でもいくら単位変換してもらったとはいえ他の3年生に比べると圧倒的に単位は足りてない(その上私は卒業単位にならない資格系の講義も取っていた)ので、ほぼ毎日1~4コマ、そのあとサークルバイト!みたいな生活をしていたし、就活の時期は本当にしんどかった。英語資格TOEICスコア700前後英検準1級)と進級のために取らざるを得なかった数々の英語以外の資格、そしてあの日面接対策小論文対策が活きたのだろう……と思うと私はこのルートをたどってきてよかった。他の短大や4大出身編入生は就活で軒並み苦労していた。でも専門より大学の方が圧倒的に楽しかったです。普通に1年生から大学入りたかった。

大学編入後で一番しんどかったのは、3年生でありながら1年生に交じって体育やらされたことかなあ。


色々書いたけどあくま文系の話です。理系編入もっと大変と聞くし、そもそも専門→理系学部編入というルートが恐らくない。

東大京大に比べたら底辺もいいとこだけど、こういう抜け道もあるよっていう話をしたくて。でも根っから文系だった私だからこそうまくいった裏ルートみたいな感じではあるんだけどさ……。うまくいかなくってせっかく編入した大学やめて引きこもりになってしまった知り合いもいるし、正直この専門→大学編入というルートを誰にでもお勧めできるかというとそうでもないけれど。

あと社会人なってから編入大学入って、教員免許だけ取って中退した編入生の知り合いもいる。社会人なってから大学で学びたいという人で4年は長いという人にもいいんじゃないかな。あと大学とりあえず入ったけどつまんなくて他の学科行きたいとか他の環境行きたいって人。

私は本当は大学院に進みたかったのだけど、やっぱり学費関係で諦めて就職した。研究してた分野とも全然違う仕事をしているけれど、趣味としてまだその分野についての情報収集勉強は続けている。なお英語をかなり使う仕事だし専門時代に取った資格もそれなりに活かせてはいるので業務内容には満足している。

いよいよセンターが近づいてきて、不安受験生たくさんいると思うけど、どうかここだけが人生の決め手とは思わずに気楽に頑張ってほしい。案外人生どうにかなることの方が多い。

2019-01-03

日芸受験の思い出

高校は毎年、東大数名、早慶に数十名合格するそこそこの進学校だった。しかし俺は受験勉強がめんどくさくて、試験簡単で他とあまり比べられることのない大学を調べた。

そこで見つけたのが日本大学芸術学部通称日芸」。

受験科目は一次試験英語国語二次試験が作文と面接だった。しか英語国語は4択のマークシート式。ここなら簡単に受かると思った。

受験勉強方法。筆記が必要問題集はまったく手をつけなかった。日芸赤本選択式の問題集をひたすらにこなした。なぜか国語日本文学史がやたらマニアックだったことをおぼえている。文学史だけはしっかりと暗記した。作文は予備校論文コースを受講したが、あんまり役にはたたなかった。

半年間、マークシート問題集だけを解いていたらだんだんとコツがつかめてきた。予備校模試日芸志望の中で全国3位になった。

日芸複数学科受験できる。ラジオに興味があったので放送学科受験した。日芸受験者数だけは多く、俺が受験したときは確か倍率が23倍だった。

一次試験を受けた。自己採点で英語100点、国語は95点だった。ここで得点を稼いでおけば、二次試験の作文と面接適当でも受かる。とにかく英国マークシートえこなせば受かる。

日芸は受かったからといって就職がしやす大学ではない。ただ、特殊学部なので学科によっては技術が身につけられて専門職につける可能性はある。俺はあまりに授業がつまらなかったのが理由一年半で中退したので、大きなことは言えないが、放送技術写真映画撮影ノウハウを身につけたい人なら行ってみる価値はあると思う。

ただし、これは二十年前の話なので今でも日芸ブランド通用するのかはよく知らない。

文教大学までの受験の思い出

私は高校中退のあと大検を取って、二浪してたまたま受かった文教大学に入りました。

高校受験

ADHDの症状のためかなんなのか自宅ではまるで勉強ができず、三年間で家でやったのは県立高校過去問だけ。

ただ知能テスト?の結果は学年で一番とかだったので授業態度や提出物等はボロボロものの、なんとか偏差値60ぐらいの県立高校入学

最近親に「勉強のやり方がわからなかった」という話をしたら、どうも話が噛み合わないのでよくよく聞いてみると塾とかで丁寧に指導してもらえばもっとできたのではと思っていたらしく、「いやいや毎日コツコツ机に向かって勉強するっていうのができなかったんだよ」と言ったら少し驚いていた。

そんなんで入った高校適応できるはずもなく1年で中退大検予備校には通うもまたもや家では過去問だけをやってなんとか合格

大学受験

しか大学はそう甘くはなかった。現役の年齢では手も足もでず、一浪するも全滅。親から圧力とかの恐怖心もあって予備校に通う電車の中で「試験にでる英単語」だけはやり、例によって赤本アタック

正直もう体力も精神力限界に近かったが、5校受けた中で「こりゃダメだな」と思った文教大学情報学部になぜか受かっていた。合格発表も見に行けず家でゴロゴロしていたのだが、親が「大学から何か来てるわよ」というので見てみたら、入学書類だった。

最後に】

運かなぁ。

受験失敗の思い出

https://anond.hatelabo.jp/20190102063518

https://anond.hatelabo.jp/20190102203653

彼らとは全く違う、良い思い出なんか一切ない失敗談。

時代ごとに語る事なんて全然いね。進学系の中学高校に入ってたが、順位は下から10番目とかそんなもの。ハッキリ言って頭が悪かった。

数学だけ異常にできなかった。難し過ぎて定期テストの平均点が50点を割るタイプ学校ではあったが、ベクトルの時なんて100点中4点。

この頭の悪さのせいで、中学の時から通う近所の個人塾では酷い目に合った。高3にもなると、塾でも過去問を解きつつわからない時だけ先生を呼んで個人的に解説してもらうだけになっていたんだが、問題ごとに先生解説してもらう私と、一回の授業で一度呼ぶか呼ばないか程度のみんなで露骨に別れた。

成績良い奴からの「こいつ頭悪いな」って視線は、気遣って隠そうとしてもすぐわかるんだよ。

ただでさえ数学ヤバい自覚があるのに、仲の良い友達中学の時からずっと気になってる人も同じ空間で静かに勉強してるのに、問題に詰まる度にその静寂を破り、みんなの前で「私は何度解説されてもわからないバカです」と表明しながら先生を呼ばなきゃならないのは本当にキツかった。緊張と混乱で塾ではろくに集中できなくなり、3年の夏前に個人塾をやめた。塾のメンバーとはすぐ疎遠になった。別に珍しい話でもなく、受験が近づくにつれ成績に差がある者同士では日常生活でも距離ができるものだった。

予備校サテライン校でやっと自分レベルにあった数学の授業を受け始めたが、当然ながら遅かった。センター模試ではギリギリまとも認定される8割の成績を取れるようになったが、数学だけは最後まで改善せず、本番のセンター試験でさえ80点くらいだった。80点と言っても1A・2Bの合計で80点だから、ヤバさがお察し頂けるだろう。

結局、みんなが受ける滑り止め、志望校に落ちたなと哀れまれ関関同立のうちのひとつに進学した。

塾のレベルが合ってなかったのも大きいんだが、ちょっとした病気にかかり症状も結構出ていたのに、受験の緊張で痛みにも身体の異常にも一切気づかなかった事や(病気大学進学後即深刻化し、大変だった)、志望校が「東京近辺の大学」という曖昧ものだった事も良くなかった。家族との関係が悪かった為、とにかく実家から遠くて卒業後も帰らない言い訳が立ちやす東京に行きたくて、首都圏大学ばかり受けていた。親は上京に反対していたが、親が書類を書いてくれなくてもお金を出してくれなくても、祖父母を言い包めて何とかしていた。ホテル新幹線も何もかも全て自分で手配し、早稲田慶応など成績的に受かるわけもない大学を受けまくった。

明確な目標設定やスケジュール設計ができなかった私は、成績以前に根本的にバカだった。良い思い出なんてひとつもない受験だった。

しかし、「どう頑張っても及ばない」「自分は選ばれた人間ではない」と痛感する経験はなかなかないなと、呑気にも当時から思っていた。それに、進学後のレジバイト四則演算暗算が高速・正確化し、塾講バイトをした時には1Aまでとはいえ数学を教える立場になれたり、元々頭が悪いからこそ勉強が出来ない子の気持ち脳内想像できた為になかなか良い仕事ができたりと、だめな経験ではなかったとは思う。

     

と、少し良い話風にしてみたが、今のところ結果としては最悪だ。

病気の深刻化が影響してろくに勉強も出来ないまま逃げる様に大学中退家族とも縁を切った30過ぎ職歴無しの無職が現状。

受験の失敗が今の状況の原因ではない。大学中退無職も、ほとんど自分怠惰努力不足のせいなのだが、失敗し更に底辺に落ちた敗者の話が聞きたい人もいるだろうと書いてみた。今思えば、失敗しようが成績悪かろうが、ひとつの明確な基準の中でただ頑張っていれば良しとされ、その上努力が結果に結びつきやす環境幸せだったと思う。何だかんだで守られた環境にいる間に、もう少し将来の道筋を具体的に建てられていれば良かったのかもしれない。

もう試験直前の受験生が読んでも、あんまり為にならないかもね。

創価学会を辞めました

誰に話していいのかわからず、悶々としている間に10年も経ってしまったがようやく心の整理ができたので書き記しておこうと思います

表題通り私は、創価学会を辞めました。

ネットを調べると辞め方というのがあったんですけど、住所を記入して送ることや彼らと再び関わりを持ってしまうことが怖くて提出することができませんでした。

もう一切信じてはいないし、誰も自宅に尋ねては来なくなったので籍が残ってしまっているのは癪だけど辞めたということにします。

ちょっと前向きに描きたいので退職エントリ風に書きます(笑)

どんな人物なのか

私は創価学会員の二世でした。生まれた時から親が勝手に入会させており学会員です。(酷くありませんかw)

母は熱心な学会員でした。父は特に信じてはいませんでしたが、学会員になっていました。

下の兄弟創価学会二世でした。弟は生まれながらに知的障害者で途中から大学中退してしまいました。その頃からなぜか創価学会を盲信し始め、私はなぜか今も嫌われています

裕福な家庭ではないことは物心ついた瞬間から理解した。

生い立ち

物心ついた時から創価学会自分のすぐ近くにありました。

学会」「勤行会」「勝利」「池田先生」などの文字が並んだ新聞を読まされ、家には仏壇がありなぜか母親は毎朝毎晩何かをつぶやき祈っていました。

私はこれが普通のことだと思っていました。

新年には必ず新年勤行会という行事に行き初詣には中学まで行ったこともその文化があることも知りませんでした。

私は体が弱く、学校休みがちでした。しかし、勉強人一倍でき、小学校の頃から特に苦もなく高得点を取り続けました。

得点の高い友達はそれだけ御本尊様に祈りを捧げたんだと信じていました。

しかし、小学校の高学年になり創価学会信者である自分マイノリティーだと知りました。そして宗教のことを口にすることはよくないのだと思いました。

中学になると少し勉強自分でしないと上位に上がれなくなった。部活を始めたが、なかなか難しかった。

勉強しつつ部活をやりつつ祈りを捧げると成績は良くなるのだと信じていました。しかし、ある日気づいた。「この時間勉強部活をしたほうがいいな。」と

親になぜ祈りを捧げるのか聞いても意味全然からず、なぜ信じているのか不思議でした。

でもきっと理由があるのだと思っていました。これだけパワーを注いで時間を割いているもの意味を私は知りたかった。

任用試験という試験があるらしいことを知った。今はあまり覚えていないが、創価学会検定みたいなもんで上の位を受理されていると教えることができる資格っぽかった。

あっさり試験に受かってしまった。

でも全くわからなかった。

なぜ時間を割いて勉強したのかもわからなかった。それくらい当時の自分にとって理解不能で単純なテストだった。

私は可愛くない子供だった。

クラスメイトが信じている朝の占い大人たちが適当にそれっぽいことを書いているため信じなかった(今だに12星座がわからない)。

人造人間18号はなぜ後継機なのに16号に劣るのか理解不能だった。

でっち上げられた歴史教科書パチモンみたいなので勉強させられた。

要するに、創価学会を盲信し続ければ幸福になるということがあの手この手で書かれているらしかった(詳しく覚えていない)

私は「なぜ信じるのか」を知りたかっただけなのに誰も知らないらしいことに愕然としてしまった。

それから創価学会は親との付き合いのためだけに仕方なく行くことになった。

親をがっかりさせたくなかった。常に良い子でありたかった。

私を創価学会二世にした親は何の疑いもなく登録して何の疑いもなく、幸福になることを望んだのだから裏切ってはいけない。

創価二世はつらい「誰が生めと頼んだ! 誰が造ってくれと願った!」というミュウツーセリフが心に沁みた

なぜやめるのか

努力価値を知った
不信感が湧いた

努力価値の話

創価学会はだいたい謳い文句が決まっている。

要約すると「○○さん大勝利勝利の裏には1日○時間唱題をしていた!」ということがあの手この手で毎度出てくる。

ちょっと待って冷静に考えてほしい。

「その時間別のことやったらもっとすごい成果が得られるのではないか

目的に向かう努力をした方がいい。

唱題(御本尊に向かって題目を唱えること)の時間も半端じゃない!一日10時間

ちょっと待て!と普通なら思う

創価学会努力をあまりできない人が努力した気になるシステムがある。

題目という祈りだ。

時間が長ければ努力したとカウントされる。失敗しても責任自分にはないので楽なのだ

本気で努力する必要がない。

そこで得られる報酬や結果の理由は「題目をたくさんあげたから」となる。

私は中学の頃テスト100点をとった。親はこう褒めるのである「よく頑張ってお題目たくさんあげたね。次も頑張ろうね」

この100点は自分努力をした結果なので素直に褒めて欲しかった。

子供にとって親に自分努力が褒められないことほど悲しいことはないと思う。

そこから私は猛烈に努力した。自分努力証明たかった。

部活も、勉強も猛烈に頑張った。

高校は猛烈に勉強県内トップ3に入る高校に行った。

部活全国大会に行き大学国立大の行きたい学科合格した。

裕福な家庭ではなかったので学費バイトで稼いだ。

祈っている時間は1秒もなかった。祈りに屈する自分も悔しかった。

仕事もめちゃくちゃ頑張って同世代の平均年収を抜いた。

特にお金のことを心配しなくても一人で生きていけるようになっていた。

不信感の話
不信感1

創価学会員はなぜか引越し後の住所を知っている。

ある日見知らぬ人間が知り合いのような口ぶりで尋ねて来るのだ。

そこまで冷酷ではないので口ぶり合わせて軽くあしらっていた。

大学の頃アパートの1階に住んでいたんだけどなぜか窓から間取りややっていることを見られていた。

現場は見ていないけども、訪問時見られているとしか思えないような話をよくされた。

見知らぬ土地自分が知らない人が自分生活を見ているのだとしたら怖すぎる。

不信感2

選挙の前親から毎回電話が来る。

公明党をひたすら勧めて来る。

他党と比較して何がいいのか教えてくれない。なぜいいのかも説明してくれない。

とにかく勧めて来る。謎

勧め方が露骨すぎやしないだろうかと毎回笑ってしまった

「なぜ信じているのか説明できない信者」と「わかりやすい組織の利益」わかりやすくて大変よろしい

そんなこんなで努力して自分目標を見つけることが大事なんだなぁとか普通によくわからないという感想が出てきて自分には必要なくなっていった。

これから

でも創価学会を一概に悪だと言えないことも最近気づいてきた。

人間努力して努力してどうにもならないときどうするのかというと、祈ります(笑)

神社に行ったり、神棚に祈ったり、そのとき信じるもの祈ります

宗教ってこのためにあるんだなって思ったりしました。

今私は世界中を飛び回り、いろんな国の人と話して物を作る仕事をしています

いろんな価値観の人がいます

宗教もいろんな人がいて、そういう人の境遇や想いを理解してあげるのは大切なんだと思いました。

人生何があるのかわからないので、今後私も宗教に入ることがあるのかもしれません。

でも大切なのは事実自分で見極めて、自分で納得することだと思います

悩み続けた信者生活でしたが、常に自分がどうあるべきかを考えさせられ勉強になりました。

これからどうするのか何も決めていません。結婚もどうしていいのやら

でも正しいことは自分で見極めてしかるべき努力を重ねていきたいと思います

幸せってなんだろうって思うことも多々あります

親は創価を盲信するあまり認知症の初期症状っぽいの幻覚ならぬ幻臭を感じているようです。

それを聖教新聞で抑えられるみたいなことを言い始めていますが私は元気です

みなさん幸せですか?私は初期ステータスの割にはそこそこ幸せです。

2018-12-28

オレが屑なのは分かってるから

 思いを吐き出すと楽になると思って書く。自分のことは肯定したいと願ってるけど、どうしようもなくクズ自分。でも、客観的見て屑なんだと思う。

 大学を2留して最近中退を決意した。理由は、精神的に参ってしまたから。でも、本当はずっと辞めたいと思っていたんだろうな。

 早秋から研究室へ行こうとすると、体が拒否反応を示すようになった。少し休めば解決すると思っていたけれど、時間が経つにつれて、大学の事を考えるだけで汗がふき出し、嘔吐するようになった。悪化してるじゃないか。結局、大学へ行けないまま今に至っている。不登校ってこんな感じで発生するんだな。

 病院に行こうと思った。でも、自分精神であることを診断されたくない。”精神異常者”であることを受け入れることが嫌で行けなかった。もちろん、そんなことにこだわって居られないし、精神的に参ってしまうことは人間だれしもあるのだから、今はそのようには考えていないけど。

 寝起きの顔が凍えはじめた頃。小さな葛藤の後、決心して病院の予約を取ろうと、近所の良さげなクリニックへ電話した。年内は予約でいっぱいだそうだ。案外忙しいんだな。出鼻をくじかれた感じはあったけど、年内は行かなくていいのだと安心してしまった。探せば他の病院もあるだろうにね。この辺ほんとくずっていうかぐず。

 なんでこんなことになったのか、色々と考える。結局の所、良い循環が上手く回らなかったというか、イニシエーションに失敗した感じがある。もちろん、元来の怠け癖が大きい。危機感を抱きにくい性格とでもいうのかな。そんな欠点を始点に、大学生活という本来は前に進むべき螺旋的な循環が、差し引いてマイナスになって逆回転して地面を掘っている感じ、あります。墓穴でないことを願う。

 両親に申し訳ないと思う。中退など、世間体が悪い。せっかく大学に通わせて、留年して、もう少しで卒業というのに大学を辞めるなんて。できの悪い息子に失望することだろう。いや、2留した時に「お前には失望した」と言われたか。本当なんだと思う。でも、心配もしてくれているのも十分わかってる。世間体なんて二の次にしてくれているのも分かってる。だけど、「好きにやってみろ」の一言が欲しい。心配されているというのが、精神的に負担になるから、もう心配しないでくれないか。いや、心配はしてほしいけど、生きているだけでおーけーと思ってほしい……難しいな。勝手な言い分だよな。クズ思考だと思う。ほんとに。

 自分自身は、大学中退という経歴をそこまで深刻に思っていない。高卒でも正社員の人はいるし、非正規でも働き口は色々あるだろう。貧困になるかもしれないけれど。それでいい、それでいいから。今はそれでいいと思ってるから。後悔はあとでさせてくれないか中退を後悔することになる、なんてわかってるから。いま、辛いから。いまはその選択をしたいんだ。その選択肢を取る自由を奪わないでくれないか

 オレが屑なのはわかってるから。屑だけど、クズみたいに好きに生きるのを許してほしい。あなたから見て不幸で度し難い生き方でも、貧困でも、本人にとってはそんなに不幸じゃなくって、なんだかんだのらりくらりと生きるのを許してほしい。

 たぶん、両親に許し乞うているんだろうな。なんで自分人生許可がいるのか。許してほしいなんて言葉、使いたくない。と思ってしまう。屑の思考だな。わかってる。わかってるけど。

 大学生活は、あまり楽しいものでは無かったけれど、得たものが何もないとは思わない。学問を学び(意欲も成績も低かったけど)得た知見、少し大人人間関係を学び、本当にやりたいこととか、好きなことも見つけられた。趣味範囲を超えないけどね。方向性は違うけれど、良く言えばインド映画の”3 Idiots”的なね。美化しすぎだな、これは。馬鹿かよ。

 同じ境遇の人への助言を書いてみたけど、馬鹿かよと思って消した。人それぞれ固有の問題を抱えているから。オレはこうする。君はどうする?ただそれだけに集約されるから

ここまで書いてみたけど、結局は開き直りなんだと思う。けど、閉じ壊れよりもマシだと思う。

オレが屑なのは分かってる。わかってるから、分かってくれないか

2018-12-25

anond:20181225212241

ワイのパッパは大学中退してずっとニートで金借りれるはずがないか破産もしてへん

大学に400万払った高卒が思うこと

マジでな。

人生無駄だったわ。

6年の空白期間けが残った。

6年だぜ?

6年。

そのうち1年は中退後に疲れきってニートしていた時間だけど、6年の空白期間ってほんとヤバイぜ?

なんとかかんとか就職は決まったけど、恐ろしいほどのハンディキャップだったわ。

結局希望職種には就けなかったし、入った会社ブラックだったけど、転職活動しようにもハンデが大きすぎて中々決まらんのよね。

マジで大学は俺の人生破壊してくれたわ。

後悔しかない。

2018-12-21

その人は「僕は東大の院まで行ったんだ」というのが口癖だった

そして「だけど中退してエンタメ業界に入った変わり者なんだ」という言葉がその後に続いた。

面接受けると絶対『なんで東大の院まで行ってこんなとこ受けるの』って聞かれまくって落ちまくった」

と少し自慢げだった。

同期はみんな高級官僚か一部上場企業にお勤めらしい。

「親に強制されて東大まで言ったのにそんなことになって肩身が狭い」

ということを常々言っていた。

大学自体の思い出」や「友達と会った」という話は一度も聞かなかった。

その人は

「やっぱり漫画がやりたくなったけど、画力がないか原作担当になった。近々連載を開始する」

と言っていた。

そして

お仕事ものだし、主人公おっさんにしたいんだけど担当がどうしてもショタにしたいって言う、わかってない」

愚痴っていた。

ある日

「これで編集会議にかけることに決定した。アニメ化も狙ってる」

第一回のネームを見せられた。

詳しい内容は伏せるが、ジャンル区分すると「エロコメ」としか言いようのないものだった。

外見が少年ならギャグ範疇ですむだろうが、おっさんならどう見てもただのセクハラ行為しか見えないだろう。

私は「主人公ショタにしてよかったと思いますよ」

と言ったがその人は不満そうだった。

そのネーム編集会議を通らなかった。

担当編集から

編集からこのジャンルカテゴリーエラーと言われた。他社に持ち込んでもらって構わない」

と言われたのだ、と肩を落としていた。

その日の飲みは荒れた。

一年以上かけて打ち合わせをしたのに、本当は王道バトル少年漫画をやりたかったのを方向転換したのに、そもそもエロに寄せることもなかったのに、など。

「こんなだったらやっぱりおっさんで押し通せばよかった」

どうやら「主人公ショタにしないと編集会議に持って行きません」くらいのことを言われて泣く泣く主人公を変更したらしい。

バトル漫画の方はやらないのか、と聞いてみると「担当が乗り気じゃなかったし、会議にかけた方がウケると言われて無理だった」、と。

そしてその人はベテラン少年漫画家の名前を挙げ、「僕の目標はこの人の作品から。本当はそういうのがやりたい」と言い出した。

私はその漫画家のファンだったので「今ちょうど原画展やってますね」と少し前のめり気味に言った。

もちろん愚痴をそれ以上聞きたくないという計算もあったのだけど。

その人はきょとんとした顔で「そうなんだ、別に行かないけど」と返事をした。

そして「話は目標にしてるけど、絵は興味ないし」と続けた。

その後も「その連載は途中で読むのをやめた」「最近漫画自体読んでない」などと続けられ、その話は終わった。

別れ際、「今回のネームは別の出版社に持ち込む。アニメ化後に頭を下げてきてももう遅い」というようなことを言われた。

そして「そうなったら今度こそ自分の一番やりたい王道バトル少年漫画を連載する。僕は東大の院まで行って物語について研究してるから」とも。

そうですか、としか言えない私にその人は「僕は本気だから」と親指を立ててみせた。

私はただ手を振って、その場から背を向けた。

2018-12-18

大学院を考えてる学部生に届け



多くの院進を考える人間に届け。

最初結論から話すけど、

院進はやめておいたほうがいい。

ってかやめろ。

やめろとか突然強い口調で言って何様だよこいつって思いましたか

でも心から願ってるんです。

時間無駄になんてしてほしくない。

自分と同じ間違いを踏んでほしくない。

居酒屋説教垂れるおっさんと一緒だと思う。わかってる。

でも、自分と同じ目にあってほしくない。

それがこれを書こうと思った動機です。

現在修士学生です。

ぶっちゃけ修士に行こうと思ったのは自分意思じゃない。

から、上の一文を読んで、「お前が自分意思で決めなかったせいだろ一緒にすんな」って思うと思う。

し、それもかなり大きいと思う。

修士にいった友達かに聞いたら、

大体が「まだ就職したくなかった。学生でいたかった」からだっていう。

院進を考える人って大体そうなんじゃないかなとも思う。

でも、安易学生でいたいからって理由じゃ挫折する。

少なから研究が苦じゃない人間がいくべきだ。

しかも、研究するって本質理解できてない学部生が多すぎる気がする。

学部生のころの卒業研究とかって先輩とかが指導してくれる場合多くない?

少なくとも自分学部生のころはそうだったんです。

でも、当たり前だけど研究自分でするもので、教授とかは全然指示とかくれない。

駄目なときだけ駄目とかいって、進捗が悪いと凄い言ってくる。

研究室によるところが大きいとは思うけどね。

でも大体修士ってそういう感じなんですよ。

あと、研究室の雰囲気とか同期とか、大事

熱意に差とかあって、研究進捗悪いと最悪。

もう入ってすぐ辞めたくなること間違いなし。

大学院 中退」「大学院 つらい」とか検索すれば、

わんさかそういうブログ出てくるし、「就職したくない」「学生でいたい」って安易理由だけで

大学院行かないほうがいいです。やめてください。

あなた人生無駄にしないでください。

大学院、つらいです。

辛くて辛くて辛くて辛くてどうしようもないです。

いじわるとかじゃなくて、

本当に大学院研究好きな人が行くべき。

熱意に負けて、研究が嫌いになって、人生無駄にしたって後悔する前に。

どうか、もう一度だけ考え直してください。

支離滅裂でごめんなさい。

でも本当に心から願ってます

2018-12-17

噛ませ犬キャラたちの個人的ベストバウト

噛ませ犬キャラたちがいとおしい。

バトルの最後でいいところを持っていく、フィニッシュを決める、そんなキャラたちも大変魅力的でカッコいいとは思うのですが、それを上回って私の心を強く惹き付けるのは、下手したらバトルの途中で脱落していく噛ませ犬キャラたちです。

とは言え、ただ弱いだけじゃ噛ませ犬にもならない。噛ませ犬になるためには、そこそこの実力を兼ね備えている必要があるのです。

それなりに強くて、かつぶっ飛んだ強さでもない。その中途半端さが魅力的なバトルシーンを作るのでは?と言うのは私の持論です。

とにかく、噛ませ犬キャラたちのバトルは魅力的なんだ!!

そんな衝動が沸き上がり、文に認めたくなったので筆(キーボード)を取った次第です。お暇な方はお付き合いいただければ幸いです。

あと、私が勝手に噛ませ犬認定したキャラたちが数名出てきますが、異論はもちろん認めますあくまで私個人意見ですので、異論反論はいつでも受け付けますが、「わかる~~!!」という同意意見ももちろん受け付けます。わかってくれる人がいてくれると嬉しい。

噛ませ犬キャラなんて星の数ほどいますが、とりあえず天下の週刊少年ジャンプから有名どころを数名お呼びして語りたいと思います

追記:気付いたらコメントいくつか貰っててありがとうございます。みんなが噛ませ犬キャラ好きでうれしい。




ロック・リー vs. 我愛羅NARUTO

これ。

リー君ほど見事な噛ませ犬、いる?

いやまあNARUTOそもそもキャラも多くて、その分噛ませ犬も多いんですけどカカシ先生とか。

一応、ロック・リーというキャラについて簡単にご紹介しておきますと、一言で言えば熱血努力バカです。あと体術がすごい。

リー君は主人公ナルトたちの1つか2つ上の学年?の先輩忍者で、中忍試験の際に、ナルトたちと初顔合わせします。

色々な事情がありまして(その辺りはどうぞNARUTO本編をお読みください)、リー君は突如、ナルトチームメイトでもありライバルでもあるサスケ喧嘩を売ります

この時のサスケと言えば、ナルトたちの学年の中ではトップの成績、実力も才能も申し分なく、主人公ナルトの目指すべき、倒すべき目標でした。つまり強い。

そんなサスケを、さして歳も変わらないリー君が手玉に取ったのです。

あのサスケが手も足もでない。インパクトは充分でした。ロック・リー、こいつはつえぇぞ。

そんな、我々読者にリー君の実力を印象づけてから迎えた、vs.我愛羅戦。

我愛羅もすでに相当な実力者として描かれていました。というか強い通り越してヤバいヤツ扱いでした。実際ヤバかった。

そんなヤバいヤツ相手に、どうするリーくん!

と思いきや、なんと中盤まではリーくん優勢で勝負が進みます

我愛羅の砂の鉄壁防御を、スピード主体体術で追い詰めるという、体術を極めたリーくんにしかできない攻略でした。我愛羅の頬に傷をつけたあの踵落とし最高。めっちゃカッコいい。

そして確かに我愛羅をあと一歩のところまで追い詰めたのです。

しか相手は尾獣持ち。そのタフさに加え、体に多大なる負担をかける攻撃をしてしまったがゆえにリー君に生じてしまった隙をつかれ、リー君は四肢を砕かれ敗北してしまうのです。

我愛羅の強さと残忍さを印象付けさせられ、リー君は途中退場と相成りました。

尾獣ってなんだよチートだろ。ずるいやん。

その後も色々エピソードがあるので是非本編を読んで頂きたいのですが、ともかくリーくんは、相当の実力者として描写されながらもラスボスには勝てずに敗北を期したのでした。てかあの当時の木ノ葉の下忍の中じゃ最強なのでは…?

でもこのバトルは熱かった。リーくんが我愛羅を追い詰めた展開には拳を握った。文句なしベストバウトでしょう。

でも負けてしまう。噛ませ犬だからね、しょうがいね

余談ですが、このロック・リーvs.我愛羅戦は、アニメ版の出来も大変に素晴らしいので是非見ていただきたい。アニメスタッフに愛される男ロック・リー


クリリン vs. マジュニアドラゴンボール

国民作品と言っていいでしょう、ドラゴンボールからこのバトル。

てかこのバトル覚えてる人いる?

ドラゴンボールなんてベストバウトいくつあんだよってレベルでいい勝負だらけなのですが、ここはあえてこの勝負を語りたい。

まあまずクリリンマジュニアについて簡単にご紹介。いや紹介いるか?あ、ちなみにマジュニアピッコロです。まだイキってたころのピッコロ

クリリンはいわずもがな、主人公悟空チビハゲ親友ですね。髪は剃ってただけらしいんで後期にはフッサフサに生えてますが。一説によると地球人最強とも言われる男です。幼少期から悟空と共に修業し、実力が悟空を上回ったことはないものの、トリッキーな戦法や素早さを活かした機動力等を持ち味に、人造人間編くらいまでは前線で戦ってました。地球人なのにようやる。

映画の出演率も結構高かったと思いますクリリンの「なんでオレだけこうなるの…」はもはや悟飯危機に駆けつけるピッコロさんと並んでお約束

そしてマジュニアことピッコロさん。今でこそ仲間面してますが、そもそもピッコロさんは最初敵でした。今回語りたいのは、この敵だった頃のピッコロさんとのバトルです。

ピッコロさんは、先代が一度悟空に敗北しています(この辺りの展開についてはいいかDBを読め)。その雪辱を晴らすべく、というか世界征服するのに明らかに障害になるであろう悟空大衆面前で八つ裂きにすべく、律儀に天下一武道会エントリーしてきたのでした。ピッコロ、という名前は世に知れ渡っているから、マジュニア(魔Jr.)として。その気遣いかわいい

天下一武道会なんで、試合形式でバトルが進みます。第何回戦か忘れましたが、得体の知れないマジュニアと当たったのが、修行を通して若干背と実力の伸びたクリリンでした。

ぶっちゃけ悟空たちも読者も、こんなん負け試合だろとは思っていたと思いますだってクリリンが噛ませ犬だから悟空なんか「死ぬんじゃねえぞ」的なことを言ってた気がします。負けは確定かよ。もっと別の応援の仕方あんだろ。

そして始まる試合。もちろんマジュニアが優勢ではありましたが、クリリン、粘る、粘る。これほんと、私の文章じゃ全く表わせないんで漫画を読んで欲しいんですけど(あと今手元にコミックがなくて細かいところを確認できない)、いい勝負をするんです。確か14,15巻くらいの話だったと思います

マジュニアが、「少し驚かせてやるか」とか言って、伸びーるアームを披露するのもこの試合が初めてです。てかそれまでデコピンくらいしか披露してなかったからね。クリリンもどちらかと言えばスピードと手数で勝負する系のキャラなので、攻めて攻めて、最後とっておきとして、かめはめ波を食らわせてやれるチャンスまで生み出しました。

結果としてそれは避けられ、「クリリン後ろだーっ!」というお手本のような台詞悟空が吐いたとおり、背後に回ったマジュニアによってクリリンは上空から地面に叩きつけられました。ダウン。そして審判によるカウント

マジュニアはこの時点で「勢い余ってうっかり殺してしまった」的なことを宣っていますマジュニア的にも、手加減する余裕がなかったこと、そして殺す勢いの攻撃を繰り出されていることがわかる台詞です。まじ?クリリンまた死んだの?もうドラゴンボールでも生き返れねえんだぞどうしてくれる!!

しかし、カウントの途中でなんと立ち上がるクリリン!!マジュニアもめちゃくちゃびっくりしてますしかダメージは大きく、クリリンは降参宣言をし試合としては敗北してしまいました。

いやこれめっっっちゃくちゃ大健闘でしょ。最後クリリンの、へにゃっとした笑みからの「まいった」も最高。ある意味カッコいい。この試合以降、マジュニアことピッコロさんも、何かとクリリンの実力は認めている素振りを見せます悟空以外の人間をザコだと思っていたピッコロにひと泡吹かせた瞬間でした。

熱くない!!!???この試合

ドラゴンボールにおけるバトルの中では地味な方だと思いますが、個人的にはこれをクリリンベストバウトに挙げたい。異論は認める。

ちなみにドラゴンボールキャラが多いんで噛ませ犬はたくさんいますが(ベジータとか大人トランクスとか)、ドラゴンボールの噛ませ犬は全体的に退場早すぎると思う。かなC。


サンジ vs. クリーク海賊団(ワンピース

 ド ン !

というわけでもはや国民作品と言っていいでしょうワンピースからはこれ。結構初期のバトルです。

ワンピもめちゃくちゃキャラが多いから噛ませ犬だらけなんだけど、その中でもサンジは一貫して噛ませ犬な気がする。最高。

まあ紹介するまでも無いと思いますが一応サンジについて説明しておくと、主人公ルフィ船長の麦わらの一味における戦うコックさんですね。コックだから手は料理をするためのもの、というポリシーのもと、戦闘は全て足技のみで行う蹴り技主体キャラです。ごく稀に包丁で戦うけど。

特殊能力キャラだらけのワンピにおいて、未だ身一つで戦うキャラであるところはもっと評価されていいと思う。去年と今年あたりで連載20年を迎えてようやくサンジフルネームが明らかになるなど、何かと話題の渦中にあったキャラでしたが最近ようやく落ち着いてきたかな。

一方、敵側のクリーク海賊団は、サンジ初登場エピソードの時に出てきた海賊団。首領クリークルフィ相手したとして、サンジ相手したのは鉄壁パールさんとかいう防御特化キャラと、鬼人のギンとかいトラファルガー・ロー前身みたいな目つきの悪い隈キャラ。二連戦になりましたがここはまとめて一つのベストバウトとして見ようかなと。

パールさんは正直ぽっと出キャラですが、ギンは戦闘に入る前に1エピソードあります。腹減って死にそうだった時にサンジ海鮮ピラフ?を作って食わせてやった、つまり命を救ってやったと言う展開があります。つまりギンにとってサンジさんは命の恩人。その辺りも込みでこのバトル好き。「クソうめェだろ」は名言

第一回戦はサンジ vs.パールさん。サンジの働いていたレストランを襲ってきたクリーク海賊団を追い払おうとして、サンジが初めて戦闘を読者に見せます

今まで一度も傷付けられたことのないらしいパールさん相手に、優勢なサンジ鉄壁パール鉄壁を崩して2回くらい鼻血吹かせます。素早い動きで懐に潜り込み、的確に相手を蹴り飛ばす!てか、サンジスピードと手数勝負キャラだよな。そう言う戦闘スタイルキャラが好きなだけかもしれんと言う気が若干してきた。

このまま楽勝かと思われたところで、ギンがサンジの恩人(ジジイ)を人質にとります抵抗の出来なくなったサンジパールさんにボッコボコ。いやずるいやんけそれ。そしてこの辺りですでに漂ってくる噛ませ犬臭。

まあでもそのあと色々あって(この辺りは本編読んで)、パールさんはギンにトドメを刺され、選手交代サンジ vs.ギンになります

いやサンジさんすでに満身創痍やん。ギンもそこそこ弱ってるけど。命の恩人に向かって「あんたはおれが殺る」みたいなこと言うギンのヤンデレみがすげえわ。

んで、今度はサンジさん普通にボコボコにされますボコボコにはされるけど、ここの戦闘がな~良いんですわ…!!パールさんとの戦闘もそうなんだけど、足技キャラというのが前面に出てて、多彩な足技を駆使してくるのと、一つ一つの流れるような動きが丁寧に描写されてんな~って思う。最近ワンピ大技ドーン!!って感じの戦闘が多いから…それでもいいんだけど別に…

サンジ戦闘に関しては、初期アニメOPとかでやってた逆立ちからの回転蹴りとか踵落としとかそう言う感じの技の方が好きなので、なおさらこの vs. クリーク海賊団の時のバトルが良いなと思ってしまう。特に、ギンに一撃かますときの拘束から抜け出してからの蹴り落としまでの一連の流れがめっっっっちゃ好きカッコいい。

ぶっちゃけサンジはギンには負けるんですが、まあ、命だけは助けてもらうと言うか、その辺はもう漫画読んで。

そんなわけで、サンジの足技が丁寧に描写されているのと、二連戦の間に挟まるゼフとサンジ師弟愛というか親子愛的なものが素晴らしいので、個人的にはこれをサンジベストバウト推したい。次点でvs.ボンちゃん

なんで最近サンジライダーキックみたいな蹴りしかしなくなってしもたん…?あの逆立ちしてぐるぐる回るキックめちゃくちゃ好きだったのに。

ペドロ vs. ターちゃんジャングルの王者ターちゃん

コメントターちゃん話題が出てたんで、個人的にターちゃんならこれだろうと!

わかるよ、アナベベも好き。ユンケル帝国最後試合マスク取るアナベベほんとカッコいい。わかる。今度一緒に酒呑んで語ろう。

しかアナベベは噛ませ犬とはまた違う立ち位置じゃないですか。半ばコメディリリーフというか。後半ほとんどバトルには絡んでこなかったし。

ターちゃんという作品内で言えば、そりゃペドロカズマイヤーが噛ませ犬キャラだろうと。異論は認める。認めるけどあんまり異論ないのではこれ?

まずペドロについて説明しておきますと、主人公ターちゃんの一番弟子です。空手の達人。確かフランス人だったかな?大学生くらいの歳だった気がする。たぶん。その辺の情報曖昧ですまない。

アフリカサバンナで暮らす格闘の達人であるターちゃんの噂を聞き付け勝負を挑みに来たんだけど、負けてそのあとなんやかやあって弟子入りしたという感じのキャラです。そのあとターちゃんファミリー居候させてもらってて、家事とか手伝いながら時々ターちゃん稽古付けてもらってる、熱血というか真面目系キャラかな?ターちゃんのことは「先生」と呼んで親っています

ちなみにターちゃん作品主人公で、サバンナに捨てられた赤子がチンパンジーに拾われ野生の中で育てられ、アフリカ野生動物を狙うハンターたちを倒してるうちに強くなったという、戦闘に関しては天才タイプです。あとたまきんの皮がやたら伸びる。たまきんの皮広げてムササビみたいに飛ぶ図くらいは知ってる人も多いのではなかろうか。

で、今回語りたいのは、そのターちゃんと、弟子であるペドロとの一戦。

そもそもなんでこの二人が戦うことになったかというと、とある格闘トーナメントに二人で出場してて、普通に試合で当たったからです。まあ敵の策略でもあったんですが、トーナメントに出場してて二人とも勝ち進んで行ったならいつかは当たるだろうとも思うのでそんな不自然でもないかな。ちなみにこの時点で、ターちゃんにおける人気キャラの一人でもある梁師範試合中に下痢便漏らして負けて退場してます(嘘は言ってない)。詳しくはコミックス読め。章で言うとクローン編です。

まあ、負け試合ですよこんなん。読者も皆そう思ったんでしょう。私も思った。ペドロは好きだけど、ターちゃんには勝てない。

いや、ペドロも強いんだよ。「並みの格闘家じゃ相手にならない」「ペドロスピードについて行けるのはターちゃんか梁師範くらい」「素晴らしい空手家」等、数々の高評価を受けています。大体その評価を下すのは梁師範な気がします。梁ちゃんいつもありがとう

実際、モブ格闘家たちはペドロ相手にもなりません。瞬殺です。ターちゃんのとこで常日頃鍛えてることで普通の人より格段に強くなっているのに加え、この一つ前のエピソードで、吸血鬼に噛まれパワーアップというイベントがあったので、マジで人外の強さを手に入れてます

それでもターちゃんには勝てないんですけど。主人公からね、しょうがない。

そしてこの試合の何がいいかって、師弟対決なんですよね。師弟対決に外れってある?ないでしょ(林修

己の全てを出して全力でかかってこいというターちゃん。それに応えるように、全力で向かっていくペドロ!でも中々攻撃が当たらない。そりゃそうだよターちゃんから相手は。

一般人では動きすら見えない応手の中、ついにペドロパンチターちゃんの頬を掠めます。それに対して、ターちゃんの言った言葉!!

ナイスパンチ!」

先生いいいいいいい!!!!!!!!!

いやこんなん感極まって泣くわ。実際ペドロも大号泣だったわ。まあその隙をついて、ターちゃんが背後からきゅっと締めてペドロをダウンさせて試合は終了なんですが、これね~~~~!!!ほんっといい試合!!!!!見ろ!!!!!(命令

そんなわけでペドロベストバウトにはこの

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