はてなキーワード: 進歩主義とは
この人が言いたいことは分かりすぎるくらい分かる。自分の配属先は割とモダンでイケイケな感じ(詳細は末尾※)だったけど、元記事の人と同じくつらい境遇にいる同期もいたので。
自分の場合は配属先の居心地が良かったものの、当時の会社全体に対するイメージは「現状維持してるだけの会社」って感じで、将来は暗いなと思ってた。
自由で進歩主義的な感じになった。まず、服装が自由になった。社員の自立性を尊重したいという社長の意思をビデオメッセージで聞いた時、私は心の中で拍手した。スーツを着るのは、会社からモノ扱いされてる感じがしてキラいだったから。
そして、ジョブ型が導入されて、給与は年齢ではなく職責に基づくようになった。これで、年齢だけで年功序列ピラミッドの上位に居座ってる非管理職は実質降格になったらしい。ジョブ型の関連で社内異動・マッチングの仕組みも導入され、目指すキャリアを実現しやすくなった。自分の部署にも年に数人社内異動でやってくる。
あと、エンゲージメントスコアが計測されるようになった。これは、従業員がどれだけ楽しく働いているかというメトリクスであり、四半期ごとのアンケート調査によって計測される。この値はマネージャーの評価に直結するから、マネージャーはチームの働きやすさを改善するためにチームとディスカッションして具体的なアクションを取るようになった。
このディスカッションは結構良くて、意味がわからんルールを廃止したり、新しいツールを導入したり、フルリモートの中でコミュニケーションを図るためのアイデアを出し合ったり、結構有意義な時間になってる。
という具合で、富士通は時田社長の強力なリーダーシップのもと改革を断行しており、現場レベルでもその改革の効果を感じている。4年前に比べて富士通の株価は2倍以上になったが、市場の受け止め方も私の感覚と一致している。
まだまだレガシーな部分はあるし、SI中心のビジネスモデルに未来はあるのかなど色々思うところはあるけど、これからも改善していくだろうなという感覚はある。
いろんな考えを持った社員がいると思うけど
以上、一社員の声でした。
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(※)
もとの記事では Git 使ってないとかマシンが貧弱とか色々書かれてたけど、完全に配属ガチャだなぁ...と思った
私の配属先では、GitOps し、CI/CD し、スクラム開発し...と(社内では)比較的モダンな開発をやってたり、業務時間に社外のカンファレンスを聴講しにいったり、勉強会があったり、クラウドの GPU インスタンスで遊んでよかったり...と、元記事の方とは真逆の環境だった。
元記事の人が言いたいことは分かりすぎるくらい分かる。自分の配属先は割とモダンでイケイケな感じ(詳細は末尾※)だったけど、元記事の人と同じくつらい境遇にいる同期もいたので。
自分の場合は配属先の居心地が良かったものの、当時の会社全体に対するイメージは「現状維持してるだけの会社」って感じで、将来は暗いなと思ってた。
経営層が自由で進歩主義的な感じになった。まず、服装が自由になった。社員の自立性を尊重したいという社長の意思をビデオメッセージで聞いた時、私は心の中で拍手した。スーツを着るのは、会社からモノ扱いされてる感じがしてキラいだったから。
年齢だけで年功序列ピラミッドの上位に居座ってる非管理職は実質降格になった。ジョブ型の関連で社内異動・マッチングの仕組みも導入され、目指すキャリアを実現しやすくなった。自分の部署にも年に数人社内異動でやってくる。
これは、従業員がどれだけ楽しく働いているかというメトリクスであり、半期ごとのアンケート調査によって計測される。このスコアはマネージャーの評価にも関わるらしく、マネージャーはチームの働きやすさを改善するためにチームとディスカッションして具体的なアクションを取るようになった。
このディスカッションは結構良くて、意味がわからんルールを廃止したり、新しいツールを導入したり、フルリモートの中でコミュニケーションを図るためのアイデアを出し合ったり、結構有意義な時間になってる。
富士通は時田社長の強力なリーダーシップのもと改革を断行しており、現場レベルでもその改革の効果を感じている。4年前に比べて富士通の株価は2倍以上になったが、市場の受け止め方は妥当だと感じる。
一方、まだまだレガシーな部分はあり、部署によっては元記事同然のところもあるだろうし、改革は道半ばだとは思う。
いろんな考えを持った社員がおり、私のこの投稿も生存バイアスがかかってるんだけど、一社員の声として。
(※) もとの記事では Git 使ってないとかマシンが貧弱とか色々書かれてたけど、完全に配属ガチャだなぁ...と思った
私の配属先では、Git を使い、CI/CD し、k8s でマイクロサービスしたり、スクラム開発し...と(社内では)比較的モダンな開発をやってたり、業務時間に社外のカンファレンスを聴講しにいったり、勉強会があったり、クラウドの GPU インスタンスで遊んでよかったり...と、元記事の方とは真逆の環境だった。
ディラン・マルヴァニー、バド・ライトのフラップの後、トランスジェンダーの議論に驚くべきひねり
トランスジェンダーリズムに関する意見は、政界の両側で変化しています
トランスジェンダーリズムの問題に関する全国的な会話は、私たちの目の前で変化しています。先週、民主党の大統領候補ロバート・F・ケネディ・ジュニアはCNNに、生物学的に男性が女性に対してスポーツをすることは不公平であると語り、共和党の穏健な大統領候補であるVivek RamaswamyはNBCニュースで、男性に対する彼の二元論に自信を持っていると語った.そして女性。
これらはどちらも、わずか 1 年前でさえ、左寄りの主流メディアで公正な公聴会が行われそうになかった立場です。ジェンダーの根本的な問題が、スポーツ、女性のシェルター、刑務所、そして私たちの教育システムにおける公共政策に真っ向から突っ込んでくると、ジェンダー論争の両側に突然、率直な議論と妥協の機会が与えられます.
2022 年の 世論調査によると、アメリカ人の 60% が性別は出生時に固定されていると信じており、前年から 4 ポイント増加しましたが、依然として 38% が性別は流動的であると考えています。はっきりしているのは、この問題についてコンセンサスにはほど遠いことであり、妥協の選択肢しか残されていません。
そのような妥協の第一歩は左翼から来なければならない。なぜなら、この問題に関するほとんどすべての合理的な会話を止めたのは左翼だからだ。それは今変えなければなりません。
過去 10 年間、進歩主義者たちは、男性が女性になれるかどうかについて議論することさえ、トランス コミュニティに害を及ぼす暴力行為であると主張してきました。「ハリー・ポッター」の作者であるJKローリングのように、あえてジェンダーのイデオロギーに疑問を投げかけたものは、議論されず、中傷され、取り消されました。
この極めて非自由なレトリック上の立場は、何よりも、トランスジェンダー コミュニティに関する公共政策や社会規範を効果的に作成する私たちの能力を妨げてきました。合理的な配慮を求める代わりに、一方が他方を強引に強引にセックスとジェンダーに関する形而上学的な考えを受け入れさせたのです。
しかし、妥協は双方向の道であり、最近では、生物学的性別の優位性について正統なスタンスを取っている右派の人々と、左派の人々がジェンダー曲げに向かっている.
編注)そもそもトランスに熱を上げているアメリカ人はバカ。なんの必要があるんだ。
Matt Walsh や Michael Knowles などの保守的な批評家は、トランスジェンダーリズムは精神障害であり、Walsh の言葉で「嘲笑されている」、Knowles の言葉で、それは精神障害であるに違いないと主張することで、一種の囚人のような態度を採用しています。 「公の場から抹殺されました。」
編注)実際に性犯罪者ばかり。更に自閉症とかコミュ障を無理遣りトランス扱いする。この弊害がフェッターマン。記憶障害で
まともに喋れない。
右側のほとんどが許容できないことがいくつかあります。彼らは、自分が信じていないことを言わざるを得ず、女性専用の空間で女性に危害を加えるリスクを受け入れず、子供、特に幼い子供が自分の性別を選択できることを受け入れません。
同様に、左翼にも交差できない線があります。最も重要なことは、彼らは、トランスジェンダーであると自認する人々に、自分の人生を生きさせ、出生時に割り当てられた生物学的性別として自分自身を提示することを強制する法律や社会規範を受け入れないということです.
と言ってるけど、現実に一切社会の障害にしかなっていない。トランスはクズだ。大人しく生きていればだれも何も言わない。受容なんて期待する方がおかしい。GIDでもなんでもない。
https://www.foxnews.com/opinion/dylan-mulvaney-bud-light-flap-surprising-twist-transgender-debate
最近の言論が非生産的とされるのは、政治に対する考え方が敵味方と関係していると判断されることにある。社会はどのような立場をとるかによって左右のスペクトルに位置づけられるという感覚に陥っている。
左端は「共産主義者」、左中央は「進歩主義者」と「リベラル」、中央は「穏健派」、右は「保守派」、そして右端は「ファシスト」である。従来の常識では、政治にはいろいろな立場があるように見えるが、その根底には「変革」「現実主義」「社会正義」など、一つの理念や主義があり、それを束ねるイシューがあるということだ。
多くの人がこの「スペクトル」モデルの政治を信じているが、左派や右派のあらゆる政治的立場が、根底にある一つの根源イシューから生じていることを示す証拠はあるだろうか。政治には、他のあらゆる複雑な領域と同様に、何千もの問題があり、それらについて考える方法はたくさんある。
では、一次元のモデルに魅了され、多次元的な政治的現実を見ることができなくなっているのだろうか。それともそのような一次元化がまさに本質なのだろうか。
例えば共和党が何をやっても、たとえ正反対の政策をとっても、必ず "右傾化 "と呼ばれる。自民党でも同じである。では、「右翼」というレッテルは、共和党の政策について何を伝えるのだろうか。まさに何もない。しかし、共和党を嫌う人々は、共和党をヒトラーと一緒にすることでレッテルを貼れるのである。
「左翼」あるいは「右翼」と呼ばれる一連の信条の背後には、統一的な原理や哲学が存在しないため、この左・右のイデオロギー観から生まれる用語(「進歩的」「自由主義」「保守」「反動的」)は、部族の意味以外には意味をなさないと心理学者は考える。ある人が保守派に属していると言うことはできても、それが政策的に何を意味するかは、その部族がある文脈で何を支持するかに完全に依存する。
では、なぜ「リベラル」や「保守」が信じていることの背後に単一の哲学や世界観があるという集団妄想が蔓延しているのだろうか。一部の人はある人を「ネトウヨ」と呼ぶかもしれない。それは、教育に対する不信感を表明するような態度から「低学歴」を想像するからかもしれないし、中国の脅威を叫ぶことが「差別主義」と同じように見える人もいるのかもしれない。「イデオロギーとは、ナルシスティックな時代における自己満足の道具なのだ。」という言葉そのものが、イデオロギー対立をする人々を敵と見做したナルシストであることは興味深い。
心理学者は長い間、人間には帰属意識と意味のあるコミュニティが必要であることを理解してきたが、イデオロギーのおかげで、我々は自分たちの部族が信じていることすべてに賛同し(それが常に変化しているとしても)、自分たちの部族が支持していることが実は「保守主義」や「進歩主義」の哲学に縛られていることを事後的に料理して説明できるのだ。このような話術は、占星術師が誇りに思うだろう。
二項対立のレッテル貼りはドーパミンを放出し、部族を結びつけるが、民主主義の健全性にとってはどうだろうか。スペクトルの観点から考えることは問題を通して考えたり、別の視点を考慮したりすることをできないようにするだろうか。
「もし二項対立のレッテルを貼るのをやめ、他のあらゆる複雑な領域でそうしているように、粒度の細かい説明を使うことができれば、現代の公的生活を特徴づけている混乱と敵意を払拭するために大きな前進を遂げることができるだろう。」と希望的観測を述べる人もいるが、部族主義よりももっと根本的なことがある。
それは、緊縮財政に陥った社会のゼロサムゲームがスタートしていることが挙げられる。その場合、「どうやってパイを分けるのか」についての騙し合いが始まり、その騙し合いこそが「イデオロギー」という最大の綺麗事に変換されるのである。
自称教養人は「スペクトル」を包括的に考えることを笑い飛ばすだろうが、そのスペクトルの背後の経済学(つまりゲーム理論)について真剣に考えるべきだろう。部族主義、なんて怪しい言葉を使うのは胡散臭い心理学者だけで十分である。
会話型AIの政治思想:ChatGPTの親環境、左リバタリアン志向に関する収束的証拠
https://ui.adsabs.harvard.edu/abs/2023arXiv230101768H/abstract
前半→https://anond.hatelabo.jp/20220615180702
こんな形でソ連という敵を喪失してなおアイデンティティの為に日教組を叩いていた人らが居たのだが、社会的には全然相手にされていなかった。
そこでこの批判を既存のコードを使ってアップデートしたのが小林よしのりだった。
左翼や進歩主義者ににとって社会は変革されるべき客体である。人間は変革を担う主体である。
だが、最初に大事なのはその主体が社会的矛盾や疎外に気付く事だ。それによって「変革の主体」との主体性を得るようになる。
だから、大学などに進んでも尚主体性を得ずに高校の延長で勉強しているような学生には「君達は教育による馴致によって自分が何か、何がしたいかの動機が予め奪われてここに居るんです」というような事が言われる。説得でもあり扇動でもある。
ルソーの『エミール』等の自然状態礼賛がベースになった考えで、本来人は高貴な野蛮人として生まれるのに教育を受ける間に躾けられ、個性を封じ込められ主体性を発揮する動機さえ喪失してしまう。
君たちは既に侵され殺され抑圧されているがそのことすら気付いていない。卵の殻を破壊せよ世界を革命する為に、とそういう具合である。
だがこの主体性への気付きというのは進歩主義者の専売特許ではない。帰国子女は異文化経験によって「今ここ」が異化されており概ね主体的でありそれにより成熟している事が多い。私学エスカレーター組と比べると大人とガキの違いだ。
また就職活動で仕事について真剣に考える期間を経ると顔つきが大人びてくる。
そこで小林がやったのは「君たちは教師によって騙されていた。君の本来性は殺されたままだ」という扇動だ。その騙しとは真実である歴史修正主義言説を隠蔽していたというものだ。
今ではこういう覚醒の物語というのは「レッドピル」として一般に認知されている。マトリックスでモーフィアスに「今までの生活がいいなら青カプセル、覚醒して世界の真実が知りたいなら赤を飲め」と言われるアレだ。
この扇動が奏功するには条件が必要だが、その前に指摘しておきたいのが、90年代末当時に流行していたアダルトチルドレン言説である。
アダルトチルドレンとはアル中に育てられた人間が自分の子供にも暴力をふるってしまう現象の事だ。
だがこれが「親の教育のせいで大人になれないガキ大人」という風に俗流解釈されてこれが流布して問題を起こしてしまう。
米国で弁護士事務所が営業をかけて「自分が大人としてうまくやっていけないのは親の教育のせいだ」として親を訴える事例が続出したのだ。
元の意味では自分の問題行動が幼少期のトラウマにある事を発見して自覚し克服するのが目的になっている。
対して俗流では自分の人格の問題は教育のせい、と問題を固定化するのが目的化しているのだ。訴訟を吹っ掛けるのが目的なんだからそうなる。
さて小林の日教組被害論はどっちだろうか?後者であろう。そして小林は当時この言説を知っていたはずである。ビル・クリントンが「僕もアダルトチルドレンだ」なんて言ったニュースが流れたのだから。
まず最初は
1.主体性棄損論がリベラル教師らによって唱えられ受容されていた
これは既に言った通り。
就職面接対策がマナーや受け答え型の技術的なマニュアルから主体性探求型へと移っていた時期である。自分が何故この会社と職種に賭けたいのか、自分を探求して経験者が起業する時のような事を語るのを求めれた時代である。今の洗脳型ブラック研修のオリジンはこの頃にある。
格別に強度がある自分探しの経験をしたとアピールする為に東南アジアの奥地で死にそうになったエピソードを語る学生が沢山居た頃である。
日教組被害論が端的に奇妙で揶揄の対象となるのは経験で上書きされていないという事だ。普通は大学や社会での経験で上書きされて中高の頃の事などいつまでも覚えていない。
上書きされないのはレッドピルだからなのだが、それ以外にも当時は社会経験で上書きされないという条件が揃っていた。
当時の新卒就職率は大学でも5割程度である。高校卒なら殆どが就職できていない。
「学校の上書き」がされずに経験の類型を話す時に仕事じゃなくて学校での事で話してしまうような者が半分以上居たのだ。
みなバイトや派遣してるうちに社会が変わって何とかなると考えたが何ともならなかった。
小林はリベラル界隈で活動している時に薬害エイズ訴訟の支援をしていたが、菅直人が厚労大臣になり原告の請求是認して謝罪し一応の解決を見ても運動に参加した学生がいつまでも新たな課題に飛びつき運動から離れないので嫌気がさしてしまった。
運動で正義を追及する自分がアイデンティティになってしまうからである。
更に運動に参加した学生が一律同じことを言うようになる。戦後に天皇が存続しているのもおかしい、自衛隊が存在しているのもおかしい、と。
明らかに左翼運動家に「世界観」を吹き込まれているのだ。レッドピルである。それらのパッケージの全体性は自己のアイデンティティの保持の為に支持されている。これに「汚ねぇやり方だ」と感じるのは正当であろう。
こういう運動のイヤな面を見て嫌気がさして辞めたのに、その方法論を覚えて転籍先で援用したのだ。
世界観提示による実存囲い込みの方法もその効果も、経験が少ない若年者を囲うと世界観の保持の為に経験での上書きを避けるというのも知っていた。就職しないで運動を続けたいというのがこれだ。
異論は個々の方法には許されるが、世界観を構成する箇所への異論はNGだ。その世界は積み上げたものではなくてパッケージ全体性が担保されねばならないものでそれを棄損するものだからだ。
小林はこんな風に左翼の思想/行動的に拙いところの要点を教示されるなどで認識しているのにそれを後に右翼扇動に使うという事を沢山していて例えば橋爪大三郎が後に口の端にも上げないのは小林の転向の為ではない。自分が説明した事の悪用のせいだ。
まとめると、社会が安定した日教組衰退期にソ連が敵性を喪失した為に敵の乗り換え先としてテーゼとなったが世間では相手にされていなかった。左翼運動の方法を知る小林が若年者の実存囲い込みの方法をこのテーゼにコピーして実行したところ社会情勢がマッチして成功した。
日教組被害論者があり得ない条件を言うのでツッコミ多数で、いやあったんだ北教組は…などという話によくなっているが、日教組は実在するのはみな知ってる。
そうでなくて日教組によって自分の主体は棄損されて間違った世界を見せられていたというのが訴えたいことだったのだろう。あれはマトリックスに封じ込めるブルーピルだったと。
だから揶揄している人は実在を問題にしているのではなくて中高の経験をいつまでも語るおかしさを揶揄している。思想的な事を多少知る人はその日教組の存在は世界の全体性パッケージの外郭を保持する為のアプリオリな仮想経験だという事に気付いている。
ネットでの対話なら揶揄して終わりだが、身近に居る人なら「それに拘泥している間は経験を擦り合わせて積むことが出来ない」「自由世界の住民の自我は小傷が多いがそれで壊れたりしない」と忠告してくれるはずだ。
冷戦と社会党瓦解の影響で日教組が協調路線に転じたのが1995年頃なのでもう30年近く前なのだよ。その当時の中高生はもう40代半ば以上なのだ。
【シン・ウルトラマンのネタバレあり というかネタバレ気にせず話す】
現在公開中の『シン・ウルトラマン』を2回見てきた。あまりにも良かった。感想をどっかで書きたい。
ところで、その感想や叫びを漁る中で見かけた勘違いが「リピアくんが『野生の思考』って本を読んでる!」→「リピアくん地球人類のこと野生動物か何かと思ってる?」というもの。
別に誰がどんな感想を持とうが、或いはその人やそれに近しい観点を持ってしまった人が何をどう勘違いしていようが、それ自体は全然どうでもいいのだけれども、リピアくんとこの本の著者(レヴィ=ストロースの名前は聞いたことある人多いだろう)の名誉のためにもツッコミの言葉をネット上に残しておきたい。ついでに、この映画にこの本が登場した意味の考察をちょっぴり披露させてほしい。
1950年代までのフランスをはじめとした西欧に多かった(今でもかなり多い)哲学や思想が「西欧の文明における思考と、アジア・アフリカ・中南米の未開文明の思考とでは根本的に違う」という考え方で、主に科学技術や文化の面での進歩史観や優越感、啓蒙思想や資本主義と結びついて植民地主義や覇権主義の土台の一つになっていた。それに異を唱えたのがフランス出身の人類学者レヴィ=ストロースの『野生の思考』という書。特に文化人類学者やリベラル系の人に言わせれば「戦後の思想における最大の転換点」となっており、いわゆる人文系に広げてみても、構造主義を生み出し、更にその後のポスト構造主義などの思想にもつながる端緒となったという点ですごく重要な一冊になっている。
内容をものすっごく要約すると「『事象の切り取り方』『概念の置き方』ひいては社会秩序の維持や幸福追求に対する考え方はどの文化においても根本的な構造は変わらず、表出の仕方、あるいは社会が持つ興味の向かう先と取捨が違うに過ぎない。あらゆる文明が進歩史観的考え方を持つわけではなく、発展を望む文化もあれば安定を望む文化もあるというだけ。栽培思考(=科学によって裏付けられ、概念を用いて行われる文明的思考)と野生の思考(=記号によって行われる思考。「野蛮な思考」ではない)との間に優劣があるわけではないし、一つの文化の中で両方の思考は両立しうるし、実際個人の中ですら両立している」といったもので、その歴史的意義は「20世紀半ばの西欧にはびこっていた進歩主義、特に西欧の文化を中心とする思考、科学技術を背景に自分達を上位に置こうとする考え方への批判を行ったこと」「しかし、だからといっていわゆる”未開文明”や自然主義を礼賛するわけではないこと」「文化を『仕組み(構造)』に置き換えて分析するツールとして学問の場に登場したこと」あたり。
「文化を構造的に捉え、それぞれの要素が社会の中でどう表出しているかを研究する」という所から後に『構造主義』と呼ばれる思想を生み出したことで有名。更に言えば西欧の奢りや発展途上国(昔は「後進国」と言われてたよね)への見下しを批判する流れを生み出したという点でも評価を受けている。
ザラブにしろメフィラスにしろ、コミュニケーションの初手は「自分の科学力、技術力を地球人類に見せつける」事から始まる。その科学技術力の差を背景に、劣等感と焦りを刺激して地球人同士を争わせようとするのがザラブであり、劣等感と無力感……謂わば絶望によって人類を心理的に支配し最終的に兵器として利用しようとするのがメフィラス。それらに抗うのがウルトラマンたるリピアくん、というのが中盤の流れだった。
物語の序盤で、わざわざ観客に見せつけるようにリピアくんがこの書を読んでいた(演出しての)理由はここにある……気がしなくもない。16世紀から20世紀……あるいは紀元前から現代に至るまで、我々地球人類が奴隷、植民地、後進国、押し並べて言うなれば『未開人(文明人/強者たる自分達とは構造的に違う考え方をする者)』である他者に対する接し方は、ザラブやメフィラスをそこまで強く批判できるような立派なものではなかった。
宇宙人ゾーフィもそう。彼が裁定を行使できる者・絶対者としての力を行使したのは「『未開人』である地球人類が、未開人のまま我々『文明人』並みの危険性を持つ可能性が出てきた」からじゃん。
使用を思いとどまったのも、リピアくんもといウルトラマンの意思や感情を汲んであげたのもあるけど、基本的には、地球人類がβシステムを自力で解析・利用し、グリッチじみた手法ではあるがゼットンを無力化せしめたことで「『未開人』から『文明人』に格上げされた」だけに過ぎない。
そんなゾーフィにもリピアくんは抗う、というのが終盤のストーリー。もちろん滅ぼされる我々としてはたまったものではないけれど、じゃあ地球人類の歴史において、他人、他国人、あるいは他の生命に対してゾーフィと似たようなことをしてこなかったか、を考えると……やはり「滅ぼされるのは困るからやめてくれ」くらいしか言えない。
逆に言えば、あの外星人や地球人の中でリピアくんだけが”変”なのよ。我々が他者と相対する時、普通はザラブとはいかんまでも、マイルドなメフィラスかゾーフィくらいの扱いになるし、そうでなくとも暴力や政治で言う事を聞かせてその力を利用しようとする各国政府みたいな事をする。地球人類とリピアくんとの科学技術の差や大きさの比で考えれば、虫か何かを前にした人間、の方が理解として近いかもしれない。
しかし、リピアくんは(各国政府ひいては人類の歴史の悪辣さを知りながらも)、あのネロンガ戦のたった一度、リピアくんの足下でただ一人リピアくんだけに見えた星のような輝き、小さな他者のために命をかけられる個、そういう価値観を共有できる群体のために命を張った。そういうことをできる生命体のことを知りたくて、知り続けるために守りたくて、学んで、感じて、支えて、何度か支えられて、それでも分からなくて、その果てに見つけた『他者のために命を賭けられる自分』。虫のような他者のために、ネロンガの電撃や、ガボラの激ヤバ光線や、メフィラスのグリップビームや、1兆度の火球の前に身体を晒せる者。ザラブにもメフィラスにもゾーフィにも、あるいは普通の地球人類の日常の中にもない”変”な価値観を持つ、だからこそ『ヒーロー』、ウルトラマン。
自分が今回の『シン・ウルトラマン』に感動したのはまさにここで、「ウルトラマンとはこういうヒーローなのだ」「我々がウルトラマンをヒーローだと感じてしまうのはこういう理由なのだ」を2時間かけてぶつけられたのがあまりにも気持ちよかったからなのだ。
結論から言うと「わからない」。それはリピアくんに対してという意味でも、『シン・ウルトラマン』という作品に対してという意味でも。
というのも、リピアくん、地球人類のことをめちゃめちゃ頑張ってお勉強してて(かわいいね)、ものすごい量の本を超速で読んでるわけで、『野生の思考』だけがリピアくんの人格形成や思想信念の確立に寄与しているかと言われれば、まあもちろんそんなことはないだろうという演出はなされてる。レヴィ=ストロースの思想だってその後にやって来たグローバリズム等の思想史において批判を受けてきたわけだし。
そもそもリピアくんがザラブやメフィラス、あるいはゾーフィから地球人類を守ろうとしたのは「我々と彼らの文明は構造的に違わない」という計算、あるいは知識を基にした思想や信念からではない。「彼らの事を知りたい」という知的欲求から来る寄り添い、ゾーフィが言うところの「好き」、米津玄師が言うところの「あこがれ」という感情こそが、リピアくんの力の根本なわけで。
文化人類学の中でも大きな意味を持つ書でもあるし、作中においても先の展開を示唆しかねないアイテムでもあるけど、知らずに見ていた人なら分かる通り、別にこの書が作品全体に超大きな影響を与えているかは正直微妙かもしれない。でも、知っておくと↑のような考察も楽しめるという点では面白いよ。
・本の内容は『シン・ウルトラマン』という作品に意味を落としているかもしれないし落としてないかもしれないよ
・それはそれとして読んでおいて損はない本だよ
以上
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/gendai.ismedia.jp/articles/-/84256
jamira13 根本的になんで自分が何十年とやってる専門家より知識があるなんて思えるんだろう?
2021/06/27
えっマジ?
あらゆる政策とか、
「何十年とやってる専門家」に反論したりなんなら上から目線で説教したりしまくってますよね????
あいつは御用学者だから、あいつはネトウヨだから、あいつは狂ってるから、
結構色んな専門家や学者に対してその主張どころか背景たる知識も専門性もはては人格までも否定して、
「自分の方が優れている」「自分の方が正しく考えられている」という趣旨のブコメしまくってますよね?
jamira13 根本的になんで自分が何十年とやってる専門家より知識があるなんて思えるんだろう?
2021/06/27
ねえ、これ書いた人と☆付けた人、
その肩の上の帽子掛けちょっとでも動かしてみてからやってんの?
それ書いたり☆付けたりする前にちょっとでも色んな事例に当てはめて検討してみた?
極端な例で言えば近藤誠も内海聡も「何十年とやってる専門家」なんですが、それはどうすんの?
お前等は「何十年のキャリアがあって自分より知識がある専門家」であるところの近藤誠や内海誠の意見に従い反論しませんってことでいい?
すげー反論してるしなんなら上から目線でバカにしてる様子をちょくちょく見た気がするけどな。
たとえば中国とか北朝鮮の歴史学者は当局の方針に合わない学説や発見なんか絶対発表できてないけど、それはどうすんの?
戦前のドイツが盛り上がってた頃は「ドイツ人はアーリア血統のウンタラカンタラ」っていう説を「何十年とやってる専門家」が言ってたんじゃねえの?
専制国家じゃなくても世の中の風潮や価値観がバイアスになって特定の主張や説が過小評価されたり黙らされたりなんてこたーざらにあるじゃん。
星の観察データは誰でも取れたのに長らく天動説が主流だったのはなんで?
思い込みや当時の社会の価値観がバイアスになってたからでしょ。
何十年もやってる先輩や何百年も決まってきた相場を疑ったやつがいたからでしょ。
ナチスがどうだこうだの話してんでもねえぞ。
お前等の脳味噌の快適性の話だよ。
俺はホメオパシーを信じてないけど、お前等のバカ丸出しの判定基準なら信じてもいいことになっちゃうな。
だって「何十年とやってるホメオパシーの専門家」はいるわけじゃん。
一方で俺らはその専門家ほどホメオパシーについて知ってるわけじゃない。
jamira式の理屈なら、専門家の方が「効果はある」と言っておられるんだからホメオパシーの効果を信じるべきってことになる。
でも信じねえだろ?
あいつらを簡単に一掃出来ないのは精神病的な問題だけじゃない。
「何十年とやってる専門家が言ってることだから正しい」と言い切れないのは確かだからなんだよ。
ちっちゃい可能性の話まですれば、いま陰謀論やキチガイと言われてる奴が後世で正しかったと言われるかもしれない。
トランプが光の使徒でありオバマやクリントンは謎の島で誘拐されてきた子供とセックスしながら生き血を啜る悪魔崇拝主義者かもしれない。
(あれは設定のぶっ飛びぶりとディテールの細かさが確かに面白いのが不味い。面白いから読んじゃった奴が相当いると思う。)
我々は結局無数の不確かさから出来る範囲の情報収集をしたうえで自分の頭を回転させてどれか選ぶしかないわけじゃん。
そこの点を切り取って言えば俺達もトランプ信者も変わんねえよ。
その時々出来る範囲でデータを集める、自分の利害や好みを抑えて考える、というていどのことしか言えない。
人間が特に間違いやすい時ってのはデータが足りない時か自我が強まった時だから。
で、お前等の「何十年とやってる専門家より~」はここまで見たように1ミリも論理的じゃねえのよ。
お前等はまさに陰謀論の奴等と同レベルで、陰謀論の奴等が批判対象にしてるレベルの人種。
定説に逆らうとはけしからん、近代の価値観にいたずらなバックラッシュしてる低能な陰謀論者けしからんという好みが先にあって、
その自我と感情に導かれて「「何十年とやってる専門家より~」という論理的に成り立たない言い回しを口走ってんの。
これまるっきり、誰のことも見下せない最低レベルのアレだろ?
民主党やリベラルが気に入らねえ、アメリカの伝統的価値観に無考えな攻撃を加えてる間抜けな進歩主義者けしからんという好みが先にあって、
その自我と感情に導かれてはちゃめちゃな陰謀論楽しんでトランプ崇拝したQアノンとどう違うの。
つまりお前等も陰謀論者も根本的に頭使うのが大っ嫌いなんだよ。
感情のままにものごとを見たい。自分のグループを愛したいグループじゃない奴をバカにしたい。
お前等が陰謀論じゃない側につけてるのは本当にたまたまのことで、まるっきり偶然の幸運だよね。
izumiya1948 専門家の中でも内海・近藤・武田のように逆張りやってるようなのはおかしいと分かるだろが。 増田
2021/06/27
それを考えてみたことがねーならお前は陰謀論君とどう違うんですかと言っている。
「分かるだろが」じゃねーんだよてめえがわかってねえんだから。
duedio 知識の問題じゃなくて信頼できるかどうかみてるんじゃないの。
2021/06/27
ボクチャンは「しんらいできるかどうか」を何によって判断してるんでちゅかー?
っていうことを聞いてる話でちゅよー?
言われてることも理解出来ねえのに返答っぽい音を出すな
cartman0 ホメオパシーが支持されてると思ってる時点で話にならんな
2021/06/27
な?これだよ
もうこいつが何言ってんのかもわかんねえ
俺は支持してねえ、はてな民も支持してねえってベースで話を進めたつもりだけどな
こいつなどはもう問題文をどう読解してんのかすらわかんねえ
どうしたらいいのか教えてほしいこういう奴の対処って
会話にならない
それも含まれる、程度だと思う
人間味を欠いたグリフィスの人間的な弱さによる崩壊と、いつまでも正気を保ち続け、いつまでも人間だったガッツの対比がある
だから描きたかったのはあるときは欠け、あるときは野心に燃え、しかし中心は人間でしかなかった人たちの群像劇だと思う
全体のテーマ性で言えば上の通り
グリフィスが人間を捨て、まさに非人間的な存在になったことで、(ある意味では気が狂ってしまった)グリフィスの頬を張るためにガッツがいつまでも食い下がってゆく、という古典的な熱さはなぜにあったか
それはガッツが欠けてしまったグリフィス自身を信じていたからこそいつまでも食い下がったのだ、と言ってもそれほど間違ってないと思う
ガッツの妄執はゴッドハンドに鷹の団と自分の青春をめちゃくちゃにされたゆえの怨念もあろうが、グリフィスへの郷愁というか、望郷というか、そのような懐かしむ念も強くあったと思う
そしてスキあらばはっ倒したいと、目を覚まさせたいと思っていた
自分の彼女をレイプした親友に正面から向き合ってはっ倒したいだとか
これはすごい話だと思う
人間性の対比で言えば、グリフィスは進歩主義者で常に自分自身を別のものへと変化させようとした過去を持つ。これは彼自身が下賤の出自を持つからで、いつでも逆境にあって自分自身で有り続けたガッツと、自分から逃げ続けて涼しい顔をしていたグリフィスという対比なんだ。つまりその根底にはやはり人間回帰へのテーマ性が見え隠れする。
グリフィスはどこかで深く傷ついているので、フェムトになった際にも嫉妬や憎悪などが渦巻いて素晴らしい云々と他のゴッドハンドの蛇女に評されている。グリフィスはガッツという人間が羨ましかったのに、その羨ましさをガッツを保持する、という手段で止めようとした。しかしガッツは決闘のち彼の手から離れる。これはガッツにとっていつまでも自分であり続ける旅の始まりであったと同時に、グリフィスの自分でない何かになるための焦りを加速させてしまった。同じ人間としてもがいていた二人のベクトルが真逆に向いた決定的瞬間がスムーズに描かれている。
この筆力は漫画家としても、あるいは文章として書き直しても色褪せないまとまり方だ。
オレもツイフェミ、ラディカル・フェミニズム、フェミニズムという感じに区分けされるべきフェミニズムの分野がぐちゃぐちゃで混同されている状況は良くないと思うが、何故かどれも自分たちの区分をかっちり決めないんだよね。
そもそも「フェミニズム」には「女性の自己決定権を認めよう」という話なのであって、何かしらと敵対する方向に論が進むならそれはすべて「嘘」で良いと思うんだよね。敵対関係からはコンセンサスは生まれない。
進歩主義とかリベラリズムに話が進んでしまうと、結局「なんでもグラデーションがあってそれで良い」っていう話になっちゃうので、定義自体不可能になるし、目的もふわっとせざるを得ず、最終的にツイフェミ、ラディカル・フェミニズム、フェミニズムはお互いを「それは違う」ということはできなくなってしまう。
海外のフェミニズムを勉強することで、どうして日本ではここまでフェミニズムがこじれているのかというのもよくわかるんじゃないかな。フェミニズムの本質(単純な女性も社会の一構成員として振る舞えるように色々認めようと言うだけのもの)を理解しないままに運動だけ暴走しているからこうなるって言うことなんだけどね。
ただ、この中で一番損しているのはフェミニズムだと思う。フェミニズムは要は「性別を理由に権利に差をつけることは許さない、義務に差をつけることも許さない」というはないであり、性別にかかわらず同一の義務を課して同一の権利を付与すべき、というところから話が始まっていて、被害者も何もない話だった。
例えば「女性にこの権利がない理由が兵役の有無なら女性にも兵役を課して権利を付与しなさい、もしくは兵役を性別問わない志願制にして全員に権利を付与しなさい」という話だ。
ここには「支配する社会手強者である男性と不当に支配された女性」という文脈はない。ラディカル・フェミニズムはこの本来ない文脈を「男性による女性のリプロダクションの支配」という方向から付与した。そして幸いなことに例えば日本では堕胎には配偶者の同意がいるとかそういうのがあって、実際法体系も残念ながらそうなっている。
ラディカル・フェミニズムはこういった「女性が自分だけで決定できないところをやめろ」という話をしていることだろう。ここも理解できる。
最後にツイフェミだ。こういったフェミニズムやラディカル・フェミニズムの流れを受けているかはしらんが、そこに「女性が持つ男性への差別感情に限っては正当化されるべきであり、それは差別と呼ばれるべきではない」というよくわからない論理をねじ込むことに成功した、大声と数の論理とポリコレで。ここが一番得していると思う。
要は男女の闘争でしかないものを差もフェミニズムっぽい論理で正当化しているわけだから。革命闘争軍男女戦線とでも呼んだほうが良いだろう。
科学技術やITの発達で、社会が変わるとかITで夢のような時代が来るっていうけど悪い方にしか変わってないじゃん
金融工学はリーマンショックを生んで、金融が一瞬で凍り付いてとんでもないショックが経済活動に起きて、ITなら大量のITエンジニアが一瞬で無職になって、フリーランスは全滅とかの阿鼻叫喚の地獄絵図になったし
科学技術やITが発達しても経済は今よりもっとひどくなって、各国の想像もつかないようなエリートや天才学者たちが知恵熱絞って対策を考えても一向に良くならない経済や内政とか、ボロボロで有効な対策を誰も打ててないから匙投げまくってるし
戦争に至っては、ロマンの入る余地もないSF技術みたいな最新技術が投入されて戦う戦争になった結果、もはや国際法無視してテロリストが町中で非戦闘員狙って無差別殺人やテロ起こして抵抗する泥沼の状態になってるじゃん。
SNSは不毛なマウンティング合戦はマシなほう、中世よろしく魔女狩りや吊し上げが横行し、SNSで弱ってるところをつけこんでオッサンやモテない男やDQNたちが女子高生を誘拐して毎日のように警察に逮捕されてんじゃん、つまり、未成年誘拐が多発しているということなわけで。
慶応ボーイや東大ボーイや一流総合商社や芸能人でさえ、捕まって当然とはいえ酒のまして準強姦やJKにお金払ってまでしないと付き合うとか恋愛もままならない時代だし
女は1日1日と老けていく自分の体と時間との恐怖で攻撃的になって、酷いマウント合戦や、詐欺同然の方法で上流階級の男に寄生しようと蠢いて蟲毒にようになってる時代だし
ついには、ありもしないSNSでのデマや幻想にエコーチャンバー状態になって、モテない男はインセルと化して学校で銃乱射事件を起こし、モテない女はポリコレ棒振り回して狂った主張でビラ配りや市民政治活動をし始めたり、SNSで内ゲバを始めたり、全方位にポリコレ棒で殴りかかる時代だ。
国民同士の縦も横もつながりは分断され、お互いが相互不信で憎しみあう、まるで地獄そのものな社会が先進国のあちこちでできてる。
いくら何でもおかしくないか、一番おかしいのは、これっておかしいだろうという奴こそ反進歩主義だとか旧世代の思想だとか叩かれるところだよ
小児性愛を内心の自由うんぬんで論じるべきではない、という「子供を性的にみる内心の自由はない」(anond:20200609071250)の冒頭部分はそのとおりだ。
これは性指向に基づく差別に反対という話であって、本来は内心の自由とか表現の自由とかは二の次の問題だからだ。
たとえば、この記事を読んでみてほしい。
LAタイムズの小児性愛についての記事を翻訳しました | 包帯のような嘘
読むのがめんどくさいという人のために説明すると、小児性愛は生まれつきのものであり、多くの小児性愛者はそれを変えられずに苦しんでいること、それでもなんとか現実と折り合いをつけて生きていこうとしていることが書かれている。
つまり、小児性愛は、それを持って生まれた人にとっては変えがたい性指向だということだ。
性指向という、本人の責任ではなく、また変更も困難なものに基づいて人を差別することは許されない。
小児性愛者を治療しろ? 百年前に同性愛者も同じことを言われていた。小児性愛者は性的モンスター? 「ゲイが同じチームにいたらロッカールームでケツを掘られる!」というのとどう違うのか?
もちろん、小児、すなわち性交同意年齢に達する前の子供と性行為をおこなうことは許されてはならない。あるいは、実在する子供を性的に虐待することで生み出されたコンテンツは、厳しく規制されるべきだろう。
だが、それはあくまでも行為であって、性指向の問題とは別だ。性指向が子供に向いていなくとも子供を性的に虐待することはありうるし、性指向が子供に向いていても実在の子供の人権を侵さずに生きていくことは可能である(架空の子供を描いたイラストや漫画、あるいは今回問題になっているようなラブドールを消費している分には、実在の子供の権利は損なわれない)。
性指向に基づく差別に反対することと実在の子供の人権を擁護することはまったく矛盾しない。
増田は「同性愛」と「同性間での性行為」を、「小児性愛」と「小児との性行為」を混同している。
同性愛も小児性愛もその人の持つ性指向の問題であり、それ自体が犯罪となるような性質のものではない。
逆に、性行為を問題とするのであれば、同性間での性行為に同意が伴っておらず強制性が存在した場合、当たり前だがそれは犯罪である。同性愛のすべてが犯罪でなくなるわけではない。たとえばゲイが嫌がるノンケを押し倒して事に及べば強制性交罪だ。
もしも小児との性行為が犯罪であることをもって小児性愛を犯罪だというのであれば、同性との性行為の一部は犯罪になりえるのだから同性愛も犯罪的だし、異性との性行為の一部も犯罪たりうるのだから異性愛も犯罪的な性指向である。唯一犯罪と無縁でいられる性指向は無性愛しかない。
「ある性行為が犯罪である」ことと「ある性指向が犯罪である」はまったく同一ではないことが以上の例示でわかるだろう。
幼少時に性的虐待を受けた可能性がそれなりにある人たちに向かって、別に本人たちが興味があるわけでも、知識があるわけでもない、児童性愛を擁護する言葉を声高に発する人たちは、控えめに言って、人でなしだと思う。
小児性愛者と児童虐待者はイコールではない。仮に性指向が成人に向いている人間であっても、「身近にいて、非力で、手を出しやすい存在」である子供に性的虐待を加えることは十分に起こり得る(これは児童虐待を論じる上での常識だ)。
児童への性的虐待は痛ましく、許されてはならないことだが、それは小児性愛者を差別する理由にはならない。
そもそも論として、児童への性的虐待が小児性愛者によって行われていたとして、それは一部の小児性愛者の行為にすぎず、それをもって全体を犯罪者と罵るのは典型的な差別主義である。
あなたは9・11テロの犠牲者の遺族に向かって、イスラム教を擁護する言葉を声高に発することができるのか? もちろん声高に発するべきであり、遺族の気持ちを慮って差別主義に屈するのは間違いだと言わなければならない。たとえ遺族の気持ちを傷つけたとしてもイスラモフォビアには反対すべきである。それが市民としての倫理的な義務だ。
人でなし? それはこちらの台詞だ。私から見れば、変えられない性指向に基づく差別を正当化する連中の方が、よほど人でなしに見える。
犯罪を好む特殊な性癖を持っている人たちの権利を擁護したいのであれば、自分の言葉が多数の性的虐待被害者を傷つけることを理解した上で、それでも主張したいことを、十分に勉強した上で注意深く主張すべき。
性指向に基づく差別を正当化したいのであれば、自分の言葉が性指向に基づく差別で苦しむ性的少数者を傷つけることを理解した上で注意深く発言すべきだ。というか、少なくとも自分が差別主義者であるという自覚は持ってほしい。それはそんなに難しいお願いだろうか? だって言ってることは一昔前にホモフォーブが言ってたこと――あるいは今も言ってること――と同じじゃないか。
私は、「性指向という、本人の責任ではなく、また変更も困難なものに基づいて」人を犯罪者予備軍扱いしたり(それ自体が誰の権利を侵害しているわけでもない)オナニーの道具を取り上げようとするのは差別だと思うんだけど、それは差別じゃないって言いたいのかな?
差別主義者はいつだって「これは差別じゃない」と言う。どれだけ明々白々な差別をしていたとしても。
子供の姿をしたラブドールでどう子供の安全が脅かされるんだ……?
そんなに子供の安全が気になるなら、小児性愛者よりも先に家族に目を向けるべきではないか。児童への性的虐待は見ず知らずの小児性愛者によってなされる事例よりも家族・親族あるいは見知った大人によってなされる事例の方が多いのだから。
小児性愛者を怪物に仕立て上げたところで、子供が安全になりはしない。それで安全を得たと思えるのなら、それは本当の安全ではなく心理的安全に過ぎない。あなたがラブドールを愛好する小児性愛者を槍玉に挙げる横で、今日も義理の父親が義理の子供に性的虐待を加えているかもしれないのだ。
内心は誰にも分からないけど、欲求を公言したら批判や忌避される対象となるのは仕方ないと思う。/ 臨床現場で現在ペドフィリアに行われている治療は、薬物療法のほか、認知行動療法やグループミーティングが中心。
前段。同じことを同性愛にも言えるか? 仕方ないとか寝ぼけたことを言ってないでそれが差別感情だと認めるべきだろう。差別感情を認知しなければあなたは一生差別主義者のままなのだから。
後段。それって性指向を変えるような治療じゃなくて、性指向を抱えたままでこの社会に適応できるようになるための治療ですよね。
彼らが法を犯さないように生きていくためにその種の助けが必要であるなら助けを求めればいいと思うけど、そもそも論として社会が彼らを差別しなければ彼らの社会適応への苦しみはもっと軽減されていたはずだろう。自分の性指向を公言したら差別され排斥される社会で自分の性欲との適切な距離の取り方を自然に見つけられるわけがない。
そういう人は一定数この社会には存在していて、そのセクシュアリティは実行に移されない限り誰にも否定されるものじゃない、あなたたちはこの社会の一員だ、と啓蒙していくことが必要なはず。LGBTと総称される人たちに対してはそういう啓蒙が徐々になされるようになってきて、彼らの悩みを軽減して社会の一員として包摂する流れになってきているのだから、同じことを小児性愛に対してもすればいいだけ。
一昔前のイギリスでは同性愛は犯罪で、アラン・チューリングは犯罪者扱いされたすえに自殺に追い込まれた。今、イギリスでは同性愛者は堂々と街を歩き結婚もしていて、彼らに対して侮蔑的な言葉を発した者こそが差別主義者として非難される。隣国アイルランドでは同性愛者が首相になりさえした。彼らは胸を張って通りを歩けるのだ。
小児性愛者には愛する人たちとの結婚はできないが、せめて堂々と胸を張って歩く権利くらいあってもよいだろう。
持って生まれた性指向で批判されても仕方ない、なんて、これほどおぞましい主張があるだろうか。私は成人を対象とする異性愛者だけど、思春期からお前の性欲はおかしいと言われ続けていたら発狂していただろう。そんな酷い扱いを受けてしかるべき存在なんてこの世のどこにもいない。いていいはずがない。性指向に基づく差別は間違っている。
公的機関ならともかく、私人は全員に全く同じ取り扱いをすることはできないので、あらゆる差別を禁止することは不可能で、どの区別が禁止されるべきで、どの区別が禁止されるべきでないかの検討が必要。
私人は全員に全く同じ取り扱いをすることはできない? 別に小児性愛者と友達になれとか家に上げろと言っているわけじゃない。侮辱するな、迫害するな、彼らの権利を奪うなと言っているだけ。それってそんなに難しいこと? 他人をいじめないと社会生活を営めないの?
子どもは圧倒的に守られなければいけないのがなあ。/「われらの権利を擁護しろ」と少し大きな声で言うことは、純粋な「内心」から少しはみ出してしまう行為で、小児性愛の場合はそこに多くの人の目が行ってしまう。
子供を守ることは誰も否定していないのだが……小児性愛者を差別するなと言っているだけで……
というか、思春期に入ってはじめて自分が小児性愛者と気付き苦悩する少年は守るべき子供じゃないの? 18歳になる前に自分の性指向に気づいた小児性愛者のことは守らなくていいの? どうして守るべき「子供」から小児性愛者を無条件で除外できると思えるの? それが差別意識ってやつなんじゃないの?
これは余談というかお気持ちだが、昨今の小児性愛者をめぐる議論において本気で悲しいのは、かつて私に差別とは何なのかを教えてくれた進歩主義陣営の人たちの多くが、小児性愛者への差別を扇動する悪質極まりない差別主義者に成り果てている姿を見てしまったからだ。
あなたたちから教わった差別の考え方であなたたちを叩き斬らなければならない日が来るなんて考えたくなかった。
J・K・ローリングがトランスジェンダーへの差別に加担している姿を見ることも辛ければ、反差別を訴え続けてきた人が小児性愛者へのヘイトを垂れ流している姿を目にすることも悲しい。かつて私の蒙を啓いてくれた反差別陣営が、こんな露骨な差別に加担している光景なんて夢か何かだと思いたい。
そーす
古代ギリシャや日本の「ぺデラスティ」(成人男性と10代の少年の社会的に認められた恋愛関係)を研究する教授を解雇しろとの声が高まる [377482965]
https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1577736060/
1 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 44c5-bVs5) 2019/12/31(火) 05:01:00.01 ID:29JPDHLA0 BE:377482965-2BP(1000)
Students Want Thomas Hubbard Fired for Work on ‘Pederasty’ but University of Texas Says It’s Protected Speech
2 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 44c5-bVs5) 2019/12/31(火) 05:01:11.87 ID:29JPDHLA0 BE:377482965-2BP(1000)
テキサス大学の学生グループは、古代ギリシャの「ぺデラスティ」(成人男性と10代の少年たちの社会的に認められた恋愛関係)について広範囲に渡って書いた古典教授の解雇を求めています。
学生は、Thomas Hubbardの学術研究は「10代の少年に対する暴力犯罪の擁護者」であり、小児性愛を促進するオンラインコミュニティで称賛されていると主張しています。
衝突について最初に報告したThe Austin American-Statemanによってレビューされた文章の中で、UTの教養学部の古典学教授は、古代社会の男性と少年の肉体関係を「適切な学習経験」と呼びます。
それとは別に、2010年に、Hubbardは、古代の若い男の子の性的同意を分析する記事を書いたと伝えられており、現在の同意年齢法は禁止に匹敵する「素朴で独善的な時代」の「悲しい副産物」と呼んでいます。
Hubbardは査読雑誌「Thymos: Boyhood Studies」に「現代アメリカ法は、後期ビクトリア朝時代と進歩主義時代の思想的先入観と時代遅れのジェンダー構造に由来する『性的関係に対する子どもの無能力』に基づいている」と書いたと報道された。
「私たちは少年と少女の「同意年齢」は異なる事を考慮する必要があります」
3 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 44c5-bVs5) 2019/12/31(火) 05:01:22.18 ID:29JPDHLA0 BE:377482965-2BP(1000)
Students for Safetyと呼ばれるグループは先月、Hubbardが「未成年の少年を捕食することを望んでいる人たちのコミュニティを促進するために彼の立場を利用し」彼の著作が「これらの違法行為を奨励している」と主張するプレスリリースを発行しました
「10代の少年に対する暴力犯罪を擁護する者には、明日の指導者に教える権利はない」とこの発表は述べています。
「テキサス大学は、学生の安全、健康、福祉を念頭に置いていないことは明らかです。」
「私たちは、この男性が小児性愛を促進するために彼の地位を使用している間、我慢することを拒否します」とグループは言いました。
Hubbardに対する告発を率いる学生の1人であるSarah Blakemoreは、The Austin American-Statemanに、教授の「アカデミックライセンス」は「法律違反」を促進するため、公立大学では容認されるべきではないと語った。
Hubbardの研究は、North American Man/Boy Love Association (NAMBLA) を含む男性と少年の関係を促進するオンラインコミュニティで好意的に受け取られていることを引用して、Blakemoreはこう付け加えました。
「世界最大の小児性愛者擁護グループが私の本を支持するなら、私は人生を再考します」
4 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 44c5-bVs5) 2019/12/31(火) 05:01:31.38 ID:29JPDHLA0 BE:377482965-2BP(1000)
Hubbardは、The Daily Beastのコメントのリクエストにすぐに応答しませんでした。
The Austin American-Statemanへの声明の中で、古典教授は「少数の学生」の懸念を却下し、「この主題に関する私の執筆の全範囲の慎重な調査に基づくものではない」と述べた。
彼の作品は、NAMBLAの「法改正への特異なアプローチ」を実施せず、メンバーの性的指向を共有していません。
Students for SafetyのプレスリリースがソーシャルメディアでUTの学生に配布された後、Hubbardは書面によるQ&Aで自分の研究を擁護し、ぺデラスティは小児性愛とは異なると主張し、「同意年齢がより低年齢の国で精神的健康への悪影響の証拠はない」と示唆しました」
Hubbardは「私は主に古代ギリシャ、「小児性愛」(精神医学の診断および統計マニュアル第5版で定義)が文化記録の一部ではない、について書いています」とハバードは言いました。
「古代ギリシャ、漢王朝中国、ルネッサンスフローレンス、サムライ時代の日本、同様にメラネシア、アジア、アフリカの部族文化などの複雑な歴史文化で実践された、思春期の男性の恋愛的交際「ぺデラスティ」の非常に異なる現象について議論します」
さらに、「10代のセクシュアリティをどのように規制し、法律違反を処罰すべきかは、研究者と公共政策の専門家の間での正当な研究と議論の分野です。
そのような議論には、歴史的および異文化間の証拠がある」と加えました。
(以下略