はてなキーワード: 塩梅とは
ついこないだ自分で使うために自分の絵柄loraを一応ライセンスの事も考えてanimagine使って作ったのよ。
実際使ってみるとテキトーに学習させた割にマジで自分が描いたことのない自分が描いたようなイラストが出てくる。スゲーな…っての同時にコレを他人に勝手にやられたらまあ嫌だよなあとはやっぱり思ってしまう。でも無断学習なんてのは流石に無理筋だよなあとも思う。たったの数行のプロンプトから俺の絵柄の癖と同じ癖を余裕で読み取れるイラストが出てくるのは、やっぱり変な気持ちにもなる。きっと便利に使えるはずだと思っていてもそう。
ちゃんと触ってるのはstablediffusionだけだからその話になるけど、一応1.xのcontrolnetが出る以前からなんか上手い事使えねえかなぁと思ってアレコレ試してはいたんだよね。
controlnet以前は案出しとか色を適当に選ぶとかなら使えなくもないか……?位だったけどcontrolnetの登場でかなり流れが変わった感じだった様な思い出。当時特にあぶぶ氏のnoteが大変参考になった思い出。
実際に線画を与えて自動着彩とかラフを渡して自動線画とかはこの時点でローカルで出来るようになってた、手直しはいるけど。あと背景生成も、適当にアタリをとって雰囲気掴む用の仮背景とかはまあボチボチ実用的だったかなぁ。
それでSDXL出てすぐ位はなんだ重い割に微妙だなあとか思ってたけどその後、animagine、pony、そしてつい最近illustriousと来て精度が割に高くて自由度もあるようなのが出揃った。もちろんXL用のcontrolnetの存在は欠かせない。
1.xの時点でもパッと見きれいな塗りは得意だったし、更にそれもよりコントロール出来るようになったと思う。
それで更に自分の絵柄loraが加わってより自分にとって使いやすいモノが生成出来るようになったと思いたい。
そんな風に画像生成AIを実用的に使う事を模索していた身でもAIが吐き出す絵の手軽さとクオリティの塩梅に喰らってしまう時もあって、若干メンタル崩しかけたタイミングもあった。絵もAIもモノにしてやるつもりでいると思って居ても喰らった。そんなだからAI嫌がる人らの気持ちもわからんことはないんだよね。
でも絵描きを煽るような真似をする過激な親AI派もちょっとでもAIが関わるとキャンセルを始める反AIもそれに便乗して火に油を注ぐイナゴ達にもウンザリしてるんだよね。
生成AIをうまく活用して工数減らしたりクオリティアップに努めたりしたいって所は沢山あるだろうにと思うとともに、ガッカリな感じの雑にAIを使った仕事を表に出してしまうのはもう少しどうにかならないのかなとかも思う。
今のツイッターがAIがどうのこうのでやれ削除だウォーターマークだ垢消しだとアレな盛り上がりかたしたのもなんだかなあ。
せっかくAIで自動線画とか自動着彩とかも出来るようになってきたのにあちらこちらで煙が立って余り気持ちの良くない話題が目につく。
久々にブコメ見たな
ちなみにTCGという単語を使わないのは、遊戯王にもTCGが存在するからで混同を避ける目的があるよ
もっと具体的に頼むは
出身だからなんて理由じゃないし、デザイナーが元遊戯王プレイヤーだから遊戯王に似せているってのなら、あんなデザインやルールにならんでしょ
kazumi_wakatsu ルールがほぼないのに裁定は大量にあるって、他に模倣が現れないのは単に運営コストが高すぎるからでは…
いまでも一週間で数個の新規裁定が出ているし、過去の裁定がブラッシュアップされている
それに大会が行われるときは電話は大体埋まっているわけで、こんなの普通の新規ゲームでやろうなんて無謀だよ
コナミが運用コストをかけても総合ルール作らないのは、作りたくても作れないからだと思う
akihiko810 ブコメ。「Force of Will」というMTGライクTCGでは、土地デッキという第2デッキを使うことによって、MTGの「肝心なときに土地を引く可能性(何もできない」というデメリットを克服してて、よく考えてるなーと思った。
だいたいはデュエマ方式だったり、ヴァンガやエヴォルみたいになってるし
ただ、共通しているのは共有リソースが常に見える状態になっていることだよね
土地自体はマイナスのデザインだったけど、現在もきちんと運用されているMtGはすげーとも思う
構造の話をしているのに対してミニマムな話だが、エクストラデッキは遊戯王の大きな発明だと思う。mtgの相棒(失敗作)なんかはエクストラデッキからの逆流アイデアじゃないかな。
エクストラが発明かはあんまりわからないが、その後のカードゲームに大きな影響は与えたかもね。ちなみに相棒システムは失敗だったが大本はEDHだと思うよ。俺はヨーリオンが好き
複雑さだけならMtGがダントツだと思う。遊戯王は複雑かというとそんなことはないよ。見たままのテキストの動きをするだけだからね。なれれば問題ない。
テキストが冗長で、1ターンで動けるだけ動けるという異質な挙動が難しく感じるのと、結局のところルールの厳密性に欠けるので裁定しか頼りになるものがないという点が複雑に見えるのかな。
裁定たくさんみてきたけど、じゃあその裁定が本当にルールとして正しいのかは実はわからないんだ。
evamatisse 裁定を覚える記憶力すご……ってなるけど、実は大会で使われるデッキの種類は数種類なのでそんなに必要ない。 “常に最新のものしか遊ばれない” / フリーだと細かい裁定は気にせずやる。知ってたら知識自慢になる。
時と場合に寄るからね。ここに書いたことなんてだいぶ抽象的だから。
murlock "遊戯王の悪い部分をよけつつ、良い点もほとんど受け継いでいない" というからにはよそに参考にされていない独自の良い点を挙げてほしい。いや書いてあるかもしれないけど見出しでまとめてくれないと読んでられない
良い点
悪い点
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遊戯王の悪い部分をよけつつ、良い点もほとんど受け継いでいない
この界隈、ほぼ遊戯王を避けて通れないんだが、遊戯王は完全にカードゲームという遊び方から外れているんだよ
野球って他の球技と比べても独自ルールや様式ばかりだし、試合展開も全く違う
たいていがサッカーのようにボールをゴールさせるか、テニスのように互いに打ち合うスタイルの中で、野球って1回ごとに攻守入れ替えるし試合自体が滅茶苦茶長くて動きもルールもわかりにくい
仮に新しい球技やスポーツを考えるってなると、間違いなく野球をベースにする人はいないだろう
カードゲームにおける遊戯王の立ち位置もそんな感じで、プレイヤー層も遊び方も価値観もルールもカードゲームという枠ではないんだよ
他が真似しようにも真似ができない
まず試合運びが異常だ
1ターン目から動けるってのは常識として、1枚が2枚3枚になるという動きは普通のカードゲームなら絶対にしてはいけない禁忌だ
それを可能にしているのがいつでも触れられる手札ことエクストラデッキ
昨今はこいつを媒介になんでも1枚初動がかなえられる
マナコストが存在しないというだけでどう考えてもおかしいが、1ターンに1度という制約がほぼ無意味なくらいには何でもできるのが遊戯王
現代カードゲームでマナに相当するコストを設けていないだけでも少数派だが、さらに1枚で複数のアドを稼ぐとかやってはゲームとして成立しない
それをしているのは遊戯王だけなんだよ
このゲームは徹底して他のカードゲームでは禁忌とする過剰な展開をする
それ自体が遊戯王の魅力ともいえるので、それに魅了されたプレイヤーは絶対に遊戯王を肯定し続ける
普通は総合ルールを設けて、補えきれない細かい部分や独自ルールとする場合に裁定を作る
遊戯王はそもそも総合ルールが存在せず、簡易的ルールの寄せ集めでしかない
「いやパーフェクトルールブックがあるじゃん」という人は総合ルールを理解していない
総合ルールは単に箇条書きではなく定義や意味が記され、各々の項目の関係性が書かれている
抽象的で網羅的に書いてあるので読みづらいが、それは暗黙の了解による解釈をできるかぎり排除する必要があるからだ
遊戯王をみればわかるが、ちゃんとした定義や意味が不明瞭なまま「こうなると思う」という暗黙の了解を元に裁定が決まっている
明確なルールに基づきつくられるはずの裁定が、裁定があるからこういうルールだという逆転現象を引き起こす
例えば「特殊召喚できない」という永続効果があるときに、未開域の共通効果は発動できるが、なぜ発動できるかは実はわかっていない
また、特殊召喚とそれ以外の処理を実行する効果に虚無空間をチェーンする場合には、カードごとに処理の仕方が変わってくる
では「カクリヨノチザクラ」のよる除外は行うのに融合召喚における素材の墓地送りはできない、という違いは明文化されていない
融合は融合召喚として定義されているからいいものの、なんで「カクリヨノチザクラ」は除外できるのか理由が見当たらない
理由付けはいくらでもできるが、結局それはプレイヤーが「そう感じているから」としか説明ができないのだ
一つ一つは理解できても、では根底でどういう区別をしているのかは何も明らかにされていない
この原因は、他のカードゲームでは「処理できない部分以外は原則処理する」というルールの黄金律が根底にあるのに対し、遊戯王はそういう思想がないままやたら裁定だけが細かく作られているからだ
明確な理由を示すことがないなら、事例をたくさん作って既成事実にしちゃえってのが遊戯王のやり方
裁定の良いところはフレキシブルに各カードに対応できることだが、そもそも総合ルールで問題ないようなものにすら裁定を作らなければならず、結局裁定だけでは総合ルールに足りない
最近は関連するカードを箇条書きにしているので非常にわかりやすくなっているが、それでもそこまでのことをしなければ成立しない手間があるのはちょっと異常だ
遊戯王は長い年月の中で裁定がルールであるという文化が築かれてきたから、こんなことができる
なので裁定をどれほど知っているかで遊戯王のルールに詳しいかがわかる
だが、結局どんなに詳しくとも本質的なルールはどこに行っても不明瞭なままだ
昨今のカードゲームは1試合の時間をある程度抑えることを前提にしている
なので1ターンごとの動きはシンプルであることが多く、ターンを進めるうちにできることが増える
この利点はターン経過とともにプレイヤーの主導権が変わり、初心者でもある程度の動きをできる点にある
けれど、最初の方は数秒で終わることも多いため、ターン数があっても試合時間はそれほどかからない
特に1ターン目は徹底した展開やサーチなどをするため、デッキや手札の入れ替えが大量に発生するしモンスターは場を行ったり来たりする
よって1ターン目なのに5分近くかかるなんてのも一般的だ
そしてようやく後攻に回っても、さらにそこから展開、妨害と続いていく
遊戯王は1ターンで他のカードゲームの5ターン分以上のことを平気でするからこうなってくる
こうなってくると初心者がカードを触れる時間は本当に限られてくる
理解している人には楽しいのだが、結局楽しさが初心者に伝わるまでに試合は終わってしまうのだ
ターンプレイヤーは常に展開をぶつぶつとつぶやき、片方にとっては退屈な時間が初手から流れる
正直、遊戯王プレイヤーはコミュニケーション能力がほぼ欠けている
ゲームがうまい下手より、むしろこういうゲーム性を否定する人の方が遊戯王プレイヤーから攻撃を受けるケースが多い
対話をしないことが標準の遊戯王では、対話をするかどうかに関して本当にもめる
これは一定期間で区切り、その中で発売されたパック等だけを使う遊び方だ
そうではなく昔からあるカードを使えるのは、レガシーなどとも呼ばれる
もちろん多くのカードゲームがずっとカードを使えることはユーザーにとってメリットになるとはわかっている
しかし、最新カードを売りたいのと、インフレを抑制して初心者にも入りやすいようにスタンダードなどの名称でフォーマットを区切ることが多い
遊戯王にこう言ったフォーマットの概念がないことは明確なメリットである
例えば昨今は禁止制限が目まぐるしく変わるが、禁止から復帰したカードで活躍しているものはどれだけあるだろうか?
あれだけ伝説級の活躍をした「ドラグーン・オブ・レッドアイズ」は制限復帰後は一切見かけることがない
もちろん使うデッキが強いからこそ活躍できたのだが、だとしてもこの状況は元禁止カードとは思えないし、なんなら明日から3枚使えたとしても誰も使わないだろう
ようするに現環境はドラグーン・オブ・レッドアイズが活躍できた環境をとっくに飛ばした高速環境だ
恐らく3年くらいたてばあのティアラメンツが全て戻ってきても、環境には入らないと予想される
そのくらいに遊戯王はインフレをインフレでカバーする運用がされている
本来、スタン落ちなどのフォーマットの細分化はこういった環境のインフレを抑止して誰でも楽しめる一定のレベルを確保する目的で作られる
そうすれば「最新パックを買えばとりあえずみんなと遊べる」安心感が得られるのだ
もしもフォーマットが1つなら、過去の強力なカードがなければデッキとして成立せず勝つ楽しさが味わえない
しかし遊戯王は強力なインフレによって最新カード=環境ともいえるくらいになっている
事実上、ここ数年に発売されたパックだけでも十分に環境入りしている
インフレをハイパーインフレが超えるから常に最新のものしか遊ばれない
とはいえ、古いカードすらカテゴリー化して新規を加えることでハイパーインフレの波に乗せてしまえるので、本当にフォーマットが1つだけでよい
こんなことをできるのは遊戯王くらいだ
それは25年以上かけたつくられたカードプールとインフレの流れがあってこそだ
普通のカードゲームはインフレが始まるとユーザー離れをおこし、それを調整しようとしてさらにユーザーが減ってしまう
だからこそ、一般的なカードゲームは禁止制限一つとってもユーザーへの配慮や説明を怠らない
ときに「○○はデザインを失敗しました」と言い切ることも必要だ
何の説明もなく制限リストだけ出して終わるなんて特級呪物級は遊戯王以外にはありえない
もし、遊戯王がフォーマットを分けていれば「〇〇フォーマットが死んだ」 などと「あのフォーマットはオワコン」と内部分裂しているだろう
適度なブレーキと毎年加速するハイパーインフレは1フォーマットだけで完結する遊戯王のスタイルでしか成立せず、それ以外のゲームが真似することは不可能だ
けれど他のカードゲームからすれば見えている地雷を踏みつけてジャンプしているようにしか見えないのだ
大抵のカードゲームがMtGのやり方を学んでいるのは、遊戯王を見ても何一つ真似できるものがないからだ
MtGも多くの失敗と成功を重ねているが、そのどれもが時系列で並び明確化している
最近だとナドゥやモダホラの失敗もあるが、これ自体も公式がきちんと見解を出している
こういったものが良くも悪くもカードゲーム全体に影響していることであろうことは明白だ
いったいどれだけのゲームが遊戯王のルールや裁定のみの運用をしていると思っている?
例えば「特殊召喚」という言葉を使ってるのはゲートルーラーくらいだし、あの大ヒットしたワンピカードにも Permalink | 記事への反応(14) | 02:13
前から非モテ論とか、最近でいえば弱者男性論とかよく読んでいた。
その中で、フェミニスト系の論者が良く言っていたのが、「モテないことが辛いなんていうのは『女を獲得して一人前』という価値観に囚われているからだ。それを捨てれば治る」とか、あるいは「結婚したらエラいという男社会の価値観から自由になりましょう」というものだった。
一見、もっともらしいのでそれを受け入れて生活することにした。
「結婚して子供をつくらなければならないなんて決まりはない。そうしたって別にエラいわけではない」 「誰かと付き合うことは必須ではない」と自分に言い聞かせながら毎日のイライラをやり過ごそうとした。
だがすぐ無理だと悟った。
理由を一言で言うと、「私個人がその価値観を捨てたところで、社会は結婚して子供をつくるのがエラいという価値観で動いていて、その前提のもとに福祉や支援体制をはじめとした社会構造が構築されているんだから無理、というか激しくムカつく」である
具体的に書く。
「男社会から自由になった価値観」に基づいて社会を見てみると、まず子育て支援というものにイラつくようになった。
子供をつくって子育てするのも、結婚も子供もつくらずに一人で生きるのも、生き方が違うだけで対等であって上下の差はないはずである。なのに、前者の方は国家と法体系によって手厚く保護され、孤独な人間にはなんもないのである。社会的リソースの元手は税金なのにだ。
それはつまり「結婚して子育てするのはエラいし、皆そうするものだ」という男社会伝来の価値観があるからじゃないか。社会をそういう価値観が貫いてる以上、それは「非モテが自由になった姿」と衝突する。
不思議なのは、そのような価値観を捨てさるように言ってたフェミ系の人達はどうも、子育てを手厚くすることには反対してないようだったことである。なんだそりゃ。
次に福祉というものがそんなにいいものではないと思うようになってきた
だって、「福祉社会」の中で、独身で一人で生きてる層と、子育て世帯と、どっちが優遇されるかなんて論じるまでもなく明らかじゃないか。
独身だと持病でもない限りはセーフティネットくらいしか福祉を利用しないんだから、だったら反福祉の新自由主義社会の方が得である。
前に反自民の政治系の知り合いと話したときに「なんで若者は貧しいのに福祉国家を志向しないで自民党みたいな弱者切り捨て政党を選ぶんだろう」と嘆いていたから、私が「だってあんたたち子育て支援とか障害者支援とかしかしないじゃないですか。独身で健康ならそんなんされても得しないですよ」と言ったらガッカリされた。
次に独身税のような、もっと強力な圧力に晒されるという点である。
なにも子育て支援とか福祉とかの社会資源の分配の話だけじゃなく、独身子無しには独身税・子無し税という直接的な政治的弾圧が課されるという恐れが常にある。
罰金を取られながら自由なんてことは絶対にありえないわけで、つまり独身税が課された時点で「モテという価値観から自由になって楽」なんてルートは永久に閉鎖される。「モテない奴はスタートラインから負け組確定」である。
そうすると、モテという価値観から自由になるために必要なのはそのような弾圧に抗する闘争力なのではないか。
これだけコンプライアンスだのうるさい世の中なのに独身へのヘイトスピーチなど問題にもされないのも不自然である
本当に「自由になる」ためには、その辺を糾弾して是正するような活動を行う権利団体が必須不可欠なのではないだろうか
そんなこんなで、「男社会の価値観から自由になった状態」から社会を見ると衝突することばかりで、これを解決するためには独身の権利を社会に主張し、団体をつくり、差別撤廃に向けて動くような、そういう方向性になっていくのでないかと思われる。それは個人的にモテないことを克服するよりもはるかに巨大な社会的コストがかかりそうな塩梅である。
そんな無茶な、と思われるかもしれないが、実社会はもうすでに闘争する方向に行きかけているのだろうと思う。この価値観の闘争は非モテ男よりは女の間で勃発しており、離乳食を提供したスープ屋が炎上したり、反出生主義だの男児ママ叩きだの、つまり「子供をつくるのはエラいんだし、社会の皆で助けようね」的な価値観を打ち砕こうとしているのだろう。
しかしその先に行きつくものが全員が幸福になるものとはとても思えない。
あのフェミ系の人たちが「モテという価値観を捨てる」ことを説いたときに、そんなことまで見通して言っていたようには見えなかった。
多分、女を獲得して一人前という価値観から自由になった非モテは、未練を解消した亡霊のように消え去って、それ以降は自分の前には永久に現れないとでも思っていたと思う。新しい価値観に基づいて社会構造を俯瞰したらどうなのかとか、そのまま権利を主張しだすとか、社会の変革を求めるんじゃないかとか、そうしたら福祉が成り立たないんじゃないかとか、そういう社会的な方向での発想は何もなかったんじゃないだろうか
私は旧来の「男社会の価値観」を維持したほうがずっと平和でいられると思う。
みんなのコメントを読んで返信を書いていく。
1 30歳は高齢じゃない
はいそうですね。この記事タイトルの元は「高齢童貞」だったんだけど、タイトルに「童貞」があったら性的な記事だと認定されていろんなとこから弾かれるかもしれないとか思って「高齢非モテ」にしたんだ。流石に30代童貞は「高齢童貞」でいいだろう
これすごく多かったのは意外だった。この記事は「こういう価値観をアンインストールして社会を眺めてみたが、社会制度はその価値観をインストールして動いていたんで、社会に生きる以上は個人的なアンインストールは不可能もしくは無意味でした」という、ある種の思考実験の結果発表のつもりで書いた。
だから、反響が、内容の論理そのものよりも書いている人間へのアドバイスや心配が多く来るというのは予想外だった。気にしてもらって悪いが、ただの思考実験を試行してみただけの人みたいなもんだと思ってもらっていいよ。
3 福祉がいらんとは何事だ。お前も老人になったら子供の世話になるんだぞ。生まれてくる子供が国家や社会を維持するんだから優遇されて当然
どうも記事を読んだ読者が一番頭にきたのがこの部分らしい。この種の話題は福祉や反福祉、子持ち子無しの論争の時の定番ネタだからここで内容には触らないが、
だったらなおさら、フェミ系の人達のいう「男社会の価値観から自由になる」というのは不可能じゃないかな。別の理由があるにせよ、男社会の価値観に沿った人間の行動が前提にある社会構造だというのならその価値観は捨てられないじゃん。むしろこの意見は私の結論を補強するものとして受け取った。
あと(こういう意見もあったが)本当に「子育てを大事にしてるのは未来の人口と労働力を再生産するため」でいいのか?それはファシストもびっくりの生産力主義、富国強兵主義じゃないか。「子供や子育ては尊いものである」という価値観ナシで福祉を成り立たせようとして平気なのか?それはとても殺伐とした、恐ろしい世界認識のように見える。
それなら多額の養育費・教育費が必要になる子供よりも、すぐ労働力になる移民の方が遥かに尊い存在ということにもなる。いいんだろうかそれで。今すぐ子育て支援廃止して同じ金で移民入れりゃいいのでは。
あとさ、蛇足ながら、これは独身子無しへのよく聞く脅しだから書くけど、30代の人間に「老後」のことを盾にしても効かないよ。30年も未来の話のことで感謝するには流石に先すぎて無理。まあ、30年後には感謝すると思うからそれで許してもらうしかないね。そもそも現行の年金制度がそのまま残ってるとは信じがたいけど。
「福祉に文句いうなら病気やケガになっても保険使うなよ」みたいなのもあったが、ほら、独身への福祉の恩恵としてセーフティネットしか挙げられないじゃん。セーフティネットはどんな新自由主義社会にだって用意されてるんだから、別にそこまで捨て去れとは言ってない。
うん。そこ誰も否定してないけど。なぜそんなことを自慢げに言うのか分からん。そっちの方が価値観闘争などはじめるよりは平和だよねって書いただけだよ。
5 別に社会から優遇されたり金や社会リソースをもらわなくてもいいのでは?そんなこと気にするなよ
それは女性が社会的地位が低くて給料も低くても、気にしなければいい、別の楽しみを見つけようで解決しろというのと同じですね。
流石に社会構造が自分の属性に不利にできてるのにそれを見ないフリしろというのは無茶だと思う。まあ、個別的には皆実際にそうしてるんだろうけど、これ社会構造と価値観がテーマの記事なんで。
6 その他雑感
子育てについて「エラい」と表現したせいで、そこで引っかかって語弊が生まれた気がする。「価値がある」とか「尊いとされている」とか書けばよかったかな。
非モテ論や弱者男性論が論じられる際に私が気になっていたのは、「非モテや弱者男性が生まれるのは社会的な要因があっても、それを解決するのは個人的な精神の問題であって、社会的に救うもんじゃない」と思っている人が多いことだった。フェミ系の人が言っていた「女を獲得するという価値観を捨てれば楽になる」もその一つだろう。個人の精神改革で対処しようという思想だ。別にフェミだけでなく、弱者男性本人も個人的にどうするかしか考えてないようだった。もっと独身の権利を主張したり、差別撤廃運動したりしてもいいと思うのだが、そんな方向には向かいそうにない。それに私は前からずっと違和感があって、いや社会的な方向でできることいっぱいあるでしょ、というか、大勢の非モテが価値観を変えたら社会も変わっちゃうよ、と思っていた。
それは女たちの間で流行っている反出生主義や、「子持ち様」論争とも関連するものだろうと思う。ただし彼女らは、「非モテ」で「弱者女性」だろうが、そこから生まれる不満は社会的方面で解決させようとしているわけである。あくまで個人問題にしている男の非モテとは違った。だが問題は通底してるんじゃないか。
この記事はそういった面での問題提起がしたいという動機もあって書いた。
反響を見ると、やっぱり誰も非モテや弱者男性を社会的なリソースの分配という問題としては捉えてなかったというのはよくわかった。
ただ私は今後はそういう流れで論じられるようになっていくと信じている。
https://anond.hatelabo.jp/20241021225653
https://anond.hatelabo.jp/20241022103413
おれがぶつかりおじさん化するのは、いわゆる歩きスマホとか女性にとかではなく、会社の廊下である。
150cm幅ぐらいの二人が対面通行するには十分だが、3人にはちょっと狭いという塩梅で通行ルール(左右)が決まっているタイプの廊下。
そこを歩いているときに、対面から二人組(男性二人とか)が話しながら歩いてきたときに発動してしまう。
発動すると、こちらは視線を相手に向けず、スマホや別の方向を見ながらまっすぐあるく。
そのまま相手も向かってきたら確実に当たる状態のまま歩いていく。
10回は行かないまでも、いままで何度かこういったことはあるが、
今のところ本当にぶつかったことは一度もない。
こちらが複数人とかならそれこそ面倒ごとを起こさないようゆずるが。
上記の状況で真ん中歩いている人がもしいるなら、その時の心情を教えてほしい。
こんばんは!
そろそろ選挙が近づいてきて
「なんか今回は投票してみようかな〜」
【小選挙区】
これはすげぇ単純!
あと、死票っていって当選者以外に投票した有権者の意思が通らないマジぴえん🥺
そもそも投票したい政党から候補者が出ていない地域もあるのでダブルぴえん🥺
それと例えば10人の選挙区が10個あって、A党の候補者たちが各選挙区で6票獲得で当選。
100人の選挙区が1個あって、B党の候補者が60票獲得で当選。
でも全体でみるとA党支持者は100人。
対してB党支持者は100人。
【比例代表】
だから
そう昔の偉い人は考えたってワケ。
A党150票、B党60票、C党50票として…
とりあえず数字の①と②と③と④と⑤で割ると
A党…150,75,50,37,30
んで大きい順に5個取っていくと
A党…150,75,50,
B党…60,
C党…50,
んな訳で、
A党3議席、B党1議席、C党1議席で、なんかいい塩梅やん??
な?なんかいい感じじゃん?
比例代表は「政党(または政党に属する候補者)」しか選べないから、無所属はそもそも立候補出来ないのよ。
国民の代表なのに、政党に関わらず議員個人を選べないってまずいじゃん。
あと小党分立しやすいから、連立政権で不安定だし政府にまとまりも一貫性も欠けやすい。
ベルギーなんか小党分立しすぎて2年近く無政府だったことがあるんだぜ?ワロリンヌ
小選挙区だけだと過半数を取る大政党が出来るので政治は安定しやすいけれど、死票めっちゃでる。
比例代表だけだと死票少なくて意見を広く拾えるけれど、個人は選べないわ小党乱立して政治が安定しない。
…!!
両方つかえばいいんじゃね!🤔💬
そう昔の偉いひとは考えました。
今が褒めて伸ばす時代というのはわかっている。私も後輩にはそのように意識して接している。 だが。
後輩に対しては一人ひとりのタイプや特製を見つつ褒めて、でも褒めすぎにもならないようの塩梅をしっかり考えながらやっている。
「すごいじゃん!」「おー!よく頑張ったね!」「前より断然良くなってるよ!」などと言うと後輩たちは嬉しそうにして自分の席に戻っていく。自信がついて、次の仕事も張り切ってのぞんでくれる。非常にいいことだ。気軽に質問に来てくれる雰囲気や、日頃のコミュニケーションの内容からも、人望はある方だと思う。彼らが成長をしている様子を実感すると嬉しく感じるし工夫して伝えた指導によって「なるほどこういうことか」という表情を見せてくれるとそれが仕事のやりがいにも感じる。いいことだ。
一方で、私はどちらかというと必ずしも褒められたいタイプではない。いやもちろん、褒められたら嬉しいよ。でも、それがなくても全然やっていけるというか。例えば、「今日の服ステキだね!」と言われたらもちろんテンション上がる。でも、「私がステキだと思って選んだ服」なのだから誰かの褒めがなくたって別に何とも思わない。
だが、当該の上司は違う。「その服ステキだね!」と人から言われたくてたまらない。「ステキだね!」と言われたくて着てきた服が誰からも反応されなかったら、わざわざアピールしてくるタイプ。「このスニーカー、先日○○さんにもステキって言われたんだよね。新宿の古着屋でビンテージって言われて買ってさ(チラッ)」「今日の鞄はインスタでフォロワー何万人の○○さんに選んでもらっただよね(チラチラッ)」みたいなことを、プライベートの話題でも仕事の話題でもしてくる。「今日の服気に入ってるんだけどどうかな?イイ感じ?」とかじゃなくて、ちょっと胃もたれや胸焼けする感じのアピールが多い。(服の話は例であって実際にそういう会話をしたわけではないよ)
赴任してすぐの頃は素直に褒めていたが、ずっととなると結構しんどいので最近はチラチラされても「そうなんですね」で済ますようになった。「え!?あのインスタグラマーとお知り合いなんですか!?すごいですね!?その服も超ステキ!」みたいなことは言わない。言われたそうなのは伝わってくるけど。
また、その上司は仕事はできるがぼんミスが多いため、私は彼に注意喚起することが多い。「あんぱんを買ってくる要件であめ玉を買ってくる」ような感じ。「あ」しか合っとらんがな。こちらは残念ながらスルーはできない。でも、そういうのを後輩たちに任せるわけにもいかないので私が率先して言い続けていたら、あるとき「もっと褒めて欲しい(シュン)」と訴えられた。
上司を敬う気持ちは大事だ。彼が我々に変わって取ってくれる責任のおかげで、私たちは働きやすくなっている。有り難い。感謝の気持ちは当然あるし感謝の気持ちも述べている。でも、「もっと褒めて欲しい」と言われたときは思わず鳥肌になった。もちろん、冒頭で書いた通り人は褒められることで伸びることがたくさんある。後輩だけでなく、上司だってそうだ。厳しく注意喚起ばかり言われ続けても萎縮してしまうばかりだ。よくない。わかるけど、繰り返すが「え?私が????????」。
ちなみに私と後輩の多くは数歳差で、私と上司はひとまわり以上年齢が離れている。ひとまわり以上年上のおっさんに求められているのが褒めだ。
じゃあ彼は私を褒めてくれるのかというと、褒めようというスタンスは感じる。が、ここ最近は「オレも優れているということを知ってほしい」という感情を受け取ることが圧倒的に多い。胸焼け。互いの関係がもはや悪循環の沼に落ちていっている感じもする。
はー。「褒めて欲しい」か。そう言われてから数ヶ月が経ち、なるべく肯定と感謝を伝える機会を増やしているが、鳥肌は立つしなんかだんだん疲れたし、それでも多分まだ「ほめが足りない」と思われているのですごくしんどい。「わー!すごいですね!」「いつもありがとうございます!!」「あなたのおかげでチームが成り立っています!!!!!」とか言えればいいんだろうけど、胸がつかえて上手く言えない。客とか後輩には素直に心から言えるんだけども。
関西弁に書き換えてみた。
ほな、行くで~!
おつかれさん!
ESってほんま大変やんな~!
わいから見たらな、ちょっと考えすぎちゃうか?wwwって思うねん。
会社が欲しがってる人材って、言うたら自我のないロボットやねん。
そのロボットに、自己PRで自我出せって言うてくるの、不思議すぎひん?
これ、罠やで。
たとえばな、ナオン(女の子)を口説くときに、「俺、下心ありまくりやでwww」って言わへんやろ?
下心ないやつは、下心あるともないとも言わへんもんや。
でもな、あんまり大人しすぎるとヌイペニ現象(空気読めへん感じ)になるから、微妙なバランスが大事やねん。
あるかないかって言うたら、ギリギリない方に近い「あり」を見せるねん。
ほんでやな、ホテル行ったら「ありよりのあり」を求められるやろ?
ほんまに自我のないロボットみたいなやつは、なぜか採用されへん!
せやけど、自我マシマシでクリエイティブの獣みたいなんも、採用されへん!
出題者の意図を汲み取って、先回りして答える、これがコツや。
2割は自分を出すねん。
ちなみに、2割自我出そうとしたら、せいぜい1割しか入らんねんけどな。
それでええねん!
とりあえず提出してまえ!
読むほうも毎日ES読みすぎて壊れかけとるから、評価基準なんか揺れまくっとるんや。
その上振れしたとこに、自我1割を入れたらどうなる?
2割に見えるねん!!
動いた先に先回りしてシュートや!
これが極意やねん。
「いやいや、ゴールがどっちに動くか分からんやん」って思うやろ?
その通りや。
上下左右どっちにブレるか分からんゴールポストやけど、ブレ方にはパターンがあるんやで。
それは、しっちゃかめっちゃかにブレるっちゅうことや!
そのしっちゃかめっちゃかを集計したら、ガウス分布になるねん。
これ、分かるか?
つまり、こっちがどう頑張っても完全にコントロールできんっちゅうことや!
飛び込み営業行ったら、たまたまムード最悪で追い払われるとか。
そういうときどうする?諦めるんか?
否!!!
撃ちまくれ!!!
これやねん。
どこにゴールがあるか分からんかったら、撃ちようもないけど、自己PRに2割自我を入れるってのが分かってたら、ゴールは見えたんや!
あとは、その方向に撃ちまくればええだけや!
そしたら、運が向いてきたら勝ちやで。
絶対に勝てるで!
切り替えていかんと落ちるで。
でもええねん。切り替えさえすれば、問題を「分かってる」ことを示せたらそれでええんや。
自我2割以上ならなんでもええねん!
近所の神社に行って、手水の作法から二拍一礼一拍まで覚えて、「なんかいけそう」な気分を手に入れるんが一丁目一番地や。
グッドラックやで~!
おつかれおつかれ。
ESね~大変なんだよね!
おれから見るとね~考えすぎじゃねwwwって気がするよね。
その人材に、自己PRで自我みせな?って言ってくるの、意味不明に見えるよね。
これ罠。
例えばね~ナオン口説くときに、「俺下心すっごいスよwww」とは言わないわけよ。
下心ないものは、下心あるともないとも言わないのよ。
あるかないかっていうと、ギリないよりのありってところを示すわけよ。
そんでもって、ホテル行ったらありよりのありって役割が求められるわけよ。
一方で、自我マシマシの、クリエイティブの獣みたいなやつも、なぜか採られない!
出題に対して、出題者の意図を汲み取って、先回りして答えるわけよ。
ただし100%コピペはだめよ。
2割。
2割自我入れる。
これなのよ。
ちなみにね、2割自我入れようとすると、せいぜい1割しか入んないんだわ。
いいんです!!!
提出してください!!!
読むほうも毎日ES読みまくってもう壊れかけてるから、評価基準が上下左右に揺れ動いてるわけですよ。
その、上振れしたところに、自我1割を入れるとどうなるか?
2割になる!!!
動いた先に、先回りしてシュート!!
これなんですよね~~~!
これ極意です。
いやいや、ゴールがどっち向きに動いてるか、わかんないじゃないですかって、思うじゃん?
いいですよ、その通りなんですよ。
それは、ずばりしっちゃかめっちゃかにブレる!!
このしっちゃかめっちゃかのブレ方は集計すると、ガウス分布になるんですよ。
飛び込み営業したら、たまたまムード最悪で追っ払われた~とか。
取引先に向かう営業車が、たまたま渋滞に巻き込まれちゃった~とか。
そういう時どうするか?諦めるか?
否!!!!
撃って撃って撃ちまくれ!
これなんですよね。
どこにゴールポストあるかわからなかったら、撃ち込みようもないわけですが、自己PRに含めるべき自我の割合が2割って、お伝えしました。
これで、ゴールポスト見えました。
あとは、この方向に、撃ちまくれ!!!
これで、運が向いてくれば勝ちです。
ESは、会社の数だけ撃てる!
そういうことなんですよ。
ES通過することを、祈ってます!
でもいいの。切り替わりさえすればいいの。
近所の神社行って、手水の作法から二拍一礼一拍から、覚えるまで参拝して、「なんか行けそう感」を獲得するのが一丁目一番地です。
グッドラック。
彼氏さんは、日常的に風俗店を利用しています。「会社の人に連れられて」という部分は、より正確に表現するなら「どう?今日、行っとく(あの手)」「よござんすなあ!」と、このような塩梅です。また、「一度だけ」という部分は、「この日は一度だけ生で」といったところでしょうか。
たくさん調べられたとのことですから、釈迦に説法ではありますが、梅毒が蔓延していると言っても、一回でバッチリもらう確率はそう高くありません。よくゴルフのホールインワンに例えられます。あり得なくはありませんが、統計的に考えて、彼氏さんは3回から9回行った勘定になります。
それから、「なぜ男性は」という語り口でおいでですが、重要なことですが、人生で一度も風俗店を利用しない男性の方が多いのです。よく本屋さんに例えられますが、書籍を1ヶ月間で1冊以上購入する人は、日本では人口の1割と言われます。この1割の人が出版業界を支えているのです。
同様の構造が風俗業界にも当てはまります。1年間で1回以上風俗店を利用した男性は、1割程度と言われます。ネットで検索すると大きな数字が出てきて驚きますが、何が真実なのか、ご自身で考えてみてください。
重要なことは、あなたが風俗利用者層の男性とお付き合いしているということなのです。風俗利用者と交際している限り、いつか必ず経験することなのです。今の層から脱出したいと思うならば、世間を知り、賢く考え、主体的に選択しなければなりません。恋人をつくるとき、アプローチしてきた男性から相手を選んでいませんか?ご自身で判断して、アプローチしていますか?流れに身を任せれば、「1割」が圧倒的に有利な世界です。なにせ経験知が桁違いですからね。素敵に振る舞う術も熟知しているのです。あれよ、あれよという間に…なのです。その先幸福になるか、不幸になるかは相手の男性次第です。あなたの幸福を、あなたがコントロールする余地はありません。裏を返せば、あなたがご自身を責めても無意味ということにもなります。
幸い、まだ傷は浅いです。今回のことは残念でした。今はショックでしょうけれど、やがて立ち直れる時が来ると思います。その後には、ご自身の信頼できる男性を観察してみてはいかがでしょうか。例えばお父様。ご一緒に繁華街を歩いてみて、知っていること、知らないこと、聞いてみてはいかがでしょうか。
繰り返しになりますが、大切なのは主体性です。真面目で風俗通いしない男性は大勢います。女性がウェイwの世界から脱出するためには、賢く考え、主体的に選択することなのです。
まず中高大一貫校の関東学院で中学から大学までを過ごしている。
高校での募集は行って居らず、大学の偏差値は40台前半といったところ。所謂F欄。
関東学院大を卒業した進次郎氏は東京大学よりも格式が遥かに高い、ニューヨークのコロンビア大学大学院に入学するのである。コロンビア大はアイビーリーグの一つ、という説明も不必要な程の名門校である事は言うまでもない。日本人留学生の受け入れも多く、明石康氏も同校出身だ。(実は大島てるも出身)
関東学院からコロンビア大学院。すごい努力だ。すごい努力が見える。
しかも知日派、ジャパンウォッチャーとして名高い保守系国際政治学者、ジェラルドカーティスゼミを指名。カーティスに師事した。
卒業後はCSIS(戦略国際問題研究所)の研究員として就職。ここも保守系シンクタンクの名門で、日本などの金融系シンクタンクが分析に留まるのに対して、アメリカの政治に影響を与える力を持つ。ぶっちゃけ、ここが「ここは戦争をした方が良い」と意見を出したら西側諸国は戦争を始めるのである。
そんな世界を動かすトップレベルなところに研究員として就職したのだ。
そしてこれが唯一の職歴だ。エリート中のエリートの仕事、世界を動かす仕事以外した事が無い。因みにCSISは1年で退職した。
関東学院卒なのにこんなすごい経歴なんだが、週刊新潮がそのからくりを説明している。
「小泉進次郎、名門「コロンビア大学院」留学は「特別なプロセス」 関係者が証言」
https://www.dailyshincho.jp/article/2021/08200557/?all=1
つまり、カーティスゼミに入る事を前提に、関係者が色々手を回した。
そのキーマンがマイケル・グリーンであったと。グリーンはジャパンハンドラー(日本転がし/日本の飼い主)の代表的人物だ。ブッシュ政権ではNSC(国家安全保障会議)の日本朝鮮担当部長を務め、その後はCSISで上級顧問日本部長を務めている。日米関係の超重要人物だ。
こうして進次郎氏はコロンビア大学院に入学出来、卒業も出来た。
更にCSISにも入社出来た。マイケル・グリーンが東亜担当部長やってるんだからそりゃ通るし部下として配属されるわな。
新潮の記事ではビクター・チャ氏が骨を折ってくれたと書かれているが、この人は記事にある通りに後にNSCアジア部長となり、トランプ政権ではトランプの北朝鮮限定戦争を抑止した人物である。
なんともすごい人物が続々登場して努力した結果、進次郎氏はコロンビア大→CSISの学歴職歴をゲットした。
CSISで進次郎氏のような人材が必要だったんだろうか?普通に考えたら判るがそんな訳がない。
つまりはコネだ。それまでの自民党総裁は米側の要求はなんだかんだと有耶無耶にして結局日本が大損ならやらないし、吉田茂や角栄を筆頭に憲法9条があるからと再武装を有耶無耶に断って出兵もしないし、経済成長に全振りするから低価格高品質化した日本製品に北米市場を喰われてしまう。米企業には、軍事機密に属する技術のコピーは出来ないという縛りがあるのに、軍事産業が無いという建前の日本は、新技術が軍事技術に属するかとか気にせず、それどころか米軍の装備の実物が無いのに機能だけから脳内逆アッセンブリして応用技術として製品に組み込んでしまう。汚いな、流石日本汚い。
だが小泉純一郎総理は比較的アメリカの要求を聞いてくれるし、革新的であり、その革新さはアメリカのネオコンサバティズムに立脚している。
一般企業で数年以上働いてしまうと、経験と思想のすり合わせが必要だ、とか直線的に目標達成すると周囲の環境を折り込めていない天ぷら的なものを作ってしまって全体としてはコストが余計に掛かったり、パイを縮小させてしまう、といった事を覚えてしまう。
進次郎氏も実質的な「一般的に認識される職歴」というのはゼロなので、全アイデンティティであるコロンビア大→CSISコースをやるしかない。これは歴史と思想とアイデンティティの問題であり、進歩主義の一つである。
ただ、ネオコンサバティブで問題となる、戦争を引き起こす問題は現在封印されてはいる。イラク戦争で大失敗して「change」を旗印にしたオバマ政権が誕生し、色々妨害したがオバマは8年務め、足元の共和党はトランプに塗り替えられてしまって居場所がない。
でもそれ以外のアメリカの要求が来た時に、それが日本の国益を著しく損なわないか、国際社会で受益する以上甘受すべき不利益なのか、Winwinなのか、構造改革なら先行の効果測定結果があるのかという判断はどうせ進次郎には出来ないだろう。
この辺の魂胆は党内でも同じなんだろう。
岸田のように、カルト議員のパージを行うかも?という不安、裏金問題で公正や法治の方に舵を切るのでは?という不安を抱えなくて済む。
顔もいいので国民からの批判も緩む。例えば大阪知事の吉村洋文は株券印刷業と揶揄されるアンジェスの人間をすっかり信用して「大阪の会社が初のワクチンを供給する」と考えてしまい補助金を出した。製薬業に無知過ぎた。するとそれを見たイソジン製造元の営業は怪しい話を吉村に吹き込む→信じて記者会見でイソジン治療法を発表→イソジン爆売れというのをやらかした。明らかに製薬業周辺の知識がない所をつけ込まれているいるのだが、顔がいいのでスルーされてしまった。イケメンはバカを超えるのだ。
これは利用しない手はないな。って事で、イケメン、バカ、純粋培養、社会人経験なし、世襲という条件がたまらなく利用価値があるって事なんだろう。
コネは普通は仕事回して貰えるとかの限定的な利益だが、進次郎さんのコネはもっとスケールが違うので、実質はリモコンだと思われる。
すごく失礼なこと書くけど、あれ、CGとかAIでも同じことできちゃうよね
そういう問題じゃないのは分かるけど…😟
まあ、人力白黒判定だから、閾値を人間の塩梅で、場所によって微妙に変えることができるわけで、そこに個性は表れるとは思う
それから、お年寄りを描くときはほうれい線手加減してやれ、とも思ったけど、敢えて年齢を意識させる方向性もあるだろう
ほうれい線とか頬の骨の下にできる影を強調して黒くしてしまうと、アメコミっぽくなっちゃうんだよね
バットマンの絵とか、まあ、アメコミは日本の漫画と違って、ペンシラーとかインカ―とか色々いるから統一されたものではないけど、
X-MENのペンシラーのジム・リーとか明らかにそうだよね、ジム・リーのウルヴァリンとか見てもらえれば分かる
頭の上側から光が当たって、頬骨の下が真っ黒とか、カッコイイよね
まあ、自分も障害者だし、絵もちょっと描くから、失礼ながら観ていてちょっと元気は出たけど
俺もなんか頑張らないとな、とは思った
というか、韓国人で超絶絵が上手い人、多いよなぁ…😟
何がって、カイロソフトの新作ゲーム『ドラえもんのどら焼き屋さん物語』だよ。
カイロソフトの連中フツーじゃねえぞ。ユーザーが死ぬまでプレイをやめさせる気がないんじゃないかってぐらい、作り込みが本気だ。
「夜通しプレイして気づけば朝」なんて生ぬるいモンじゃない。俺は無職だから、深夜にプレイを初めてしまうと気づけば翌日の昼になっている。勘弁してくれ。
まず次から次へと課される低難易度のタスク。こいつがやばい。クリア→報酬→クリア→報酬……を超短いスパンで繰り返させてくる。なめてかかると生活リズムが崩壊し、いずれ死ぬ。絶対にユーザーのドーパミンを途切れさせてやるものかという鉄の意志を感じる。
そして全編にわたってほとばしる強い“藤子・F・不二雄作品”へのこだわり。
2011年にリリースされ、アニメ『ドラえもん』のエンディングとしても使われた『F組あいうえお!』という歌がある。曲に合わせてやっつけ気味にドラえもんだのパーマンだの藤子・F・不二雄先生の代表作を列挙していく内容で、マイナーキャラといえばモッコロくんぐらい。
ちょうどあれぐらいの塩梅で、藤子・F・不二雄キャラオールスターを謳いつつ、最大公約数が楽しめるように配慮されているんだろうなとプレイ前は思っていたが、侮るべきではなかった。
ゲームには歴代劇場版のゲストキャラが登場するが、扱われるのは96-97年の『のび太のねじ巻き都市冒険記』までだ。
藤子・F・不二雄先生の没後、つまり『のび太の南海大冒険』以降の原作者不在の作品は一切取り扱われない。
没後の劇場版に登場する使い勝手よさそうな人気キャラは出ず、代わりに出るのは未来デパートのウランカナのようなマイナーキャラ。
わかるか、このこだわり。
・インテリアの苗木に植物自動化液をかけるとキー坊になる。ロケット発射場建設後UFOの離着陸ができるようになると留学し、しばらく待つと『のび太と雲の王国』で再登場したのと同じ大人の姿で戻ってくる。
・同じようにインテリアの石にタイム風呂敷を使うとピー助が生まれるが、一旦はビニールプールで育てる。時間経過で池を作ってやるイベントが始まる。
・名無しのモブとしてマニアックなキャラが出てくる。社員旅行の下見をエサに好き放題したハッピー商事のおっさん(『21エモン』)、SF短編『創世日記』の怪しいおっさん、あの作品のおっさんにこの作品おばさんと、中年の多様性が保たれている。
・なんでも空港を作るとエスパー魔美やウメ星デンカ、ペガ・グリ・ドラコを連れたククル(『のび太の日本誕生』)など、飛ぶキャラはみんな降りてくる。特定のアイテムを渡すことで飛ぶキャラもいる。ミツ夫たち→パーマンセット、てぶくろてっちゃん→手袋など。
・オバケのQ太郎は登場しない。藤子不二雄A先生と藤子・F・不二雄先生の共作であるため、権利関係がややこしいのだろう。が、ジャングル黒べえはちゃんと出る。赤べえも出る。
・基本的に原作設定準拠だが、『キテレツ大百科』だけは例外的にかなりアニメ色が濃い。
・チンプイとウメ星デンカの遭遇イベントがある。(原作にもあるから)
・ひろった鉄人(『鉄人をひろったよ』)とザンダクロス(『のび太と鉄人兵団』)を並べて飾れる。
・つづれ屋(『21エモン』に登場するホテル)の一室をゴンスケ(藤子・F・不二雄作品ではお馴染みの芋掘りロボット)に貸すと芋を栽培される。
・ミノア(『ミノタウロスの皿』のヒロイン)にステーキをあげられる。
・エステル(『カンビュセスの籖』のヒロイン)にミートキューブ(『カンビュセスの籖』に出てくる人肉を加工した食品)をあげられる。サルク(『カンビュセスの籖』の主人公)は出ない。あいつはお菓子で満腹になってる場合じゃないので。
・牛丼屋の看板に見覚えのあるズン類(『ミノタウロスの皿』に出てくる二足歩行の牛型異星人)の顔。
・うさぎ(『ヒョンヒョロ』に出てくるうさぎ型宇宙人。物体を別の次元にテレポートする能力を持つ)に拾ったヒョンヒョロ(『ヒョンヒョロ』に出てくる宇宙最高最大の価値があるもの。ビー玉のような形をしている)をあげられる。どら焼き屋の近隣住民は別次元に誘拐されたのかもしれない(『ヒョンヒョロ』を読んでください)。
・コールドスリープ室では翻訳機(たぶん『カンビュセスの籖』)や三次元クロスワード(『イヤなイヤなイヤなやつ』で船長が解いているパズル)、ゼム油(『イヤなイヤなイヤなやつ』で主人公たちが輸送している資源)などと一緒に、アルタイル犬(『イヤなイヤなイヤなやつ』に登場する生き物)を販売できる。隣に試食ルームを作ったら、キンダイチに嫌われる準備は万端だ。(『イヤなイヤなイヤなやつ』の登場人物キンダイチは宇宙船内でアルタイル犬のムックを飼っている。ムックがトラブルを起こしたため、同僚のミズモリにアルタイル犬の試食会をやろうと嫌味を言われる)
・映画館では十甲田山やうる星ケニヤ(ともに『ドラえもん』の劇中劇)などが上映できる。
・お化け屋敷に人が入ると短編『なくな!ゆうれい』のゆうれいが出てくる。
・カメラ屋を作るとヨドバ氏(短編ヨドバ氏シリーズの登場人物。不思議なカメラを売る)の各種カメラを販売できるようになる。
・絵画教室のデッサンモデルは石にされたドラえもん像。(『のび太の魔界大冒険』)
・ビンテージ雑貨店に、のび太のおばあちゃんが繕ってくれていたくまのぬいぐるみがある。(『おばあちゃんの思い出』)
・藤子・F・不二雄先生の机や鉄道模型の部屋が設置できる。落語部屋も作れる。落語や鉄道は藤子・F・不二雄先生の趣味。
・和菓子検定の最終審査員は藤子・F・不二雄先生のアバターキャラ。
・やりこみ要素としてキャラの銅像集めがあるが、お馴染みのキャラと並んでポンチ(『みきおとミキオ』)、宙ポコ(『宙ポコ』)、Uボー(『Uボー』)など、ドラえもん目的のキッズが喜ぶとは思えないラインナップ。すきだ。
こんな感じで、寄せては返すタスクの合間に、絶妙なネタを忍ばせてくるので、次は何がくるのかと手が止まらなくなってしまうわけだ。
この題材ならコマーさる(『コマーさる』に出てくる不思議な猿っぽい生き物。コマーさるが持ち歩いたものはたちまちバカ売れする)も出して欲しかった、なんて欲が引っ込むくらいネタ盛り盛り。
人体への有害度で言えばパチンコより邪悪。生活には閉店がないから。
というわけで、これを読んだ藤子・F・不二雄ファンは即刻どら焼き屋を開業し、やりこみ系ゲームのこわさと時間の大切さを学んでください。
例えば子どもを産むだけで生活できるくらいの社会保障を作るとして、多くの家庭がその制度にぶら下がると原資がなくなり成り立たなくなる
だいたい、子どもを生み育てるだけで生きていける社会で親が子どもに十分な教育をし、将来の労働者として活躍できるように育てるかは微妙なところ
なので支援はするけど、子どもを産んだくらいで生活まで保障されるとは思うなよ、という姿勢が必要になる
でも生活が保障されないのに子どもなんて産めない!って言ってる層が生まなくて困っている
あくまで子育ての責任を親に持たせつつ、親が潰れない程度の支援を提供しなければならないが、その塩梅はとても難しい
SNSの普及によって「子どもを底辺にしたくない」と考える親が増え、中間層の出生率も芳しくない
いま子どもを生んでいるのは、子どもを底辺にしない自信のあるハイクラス層と、将来のことなんて考えられない底辺層がほとんどだろう
底辺層は最悪、福祉の世話になって生きればいいやというくらい将来性がないので、増えてもあんまり嬉しくない