はてなキーワード: 一人称とは
XX年、ずーっと大好きだったゲームのリメイクが出ることになった!
……中国で……っ!
正直、とても複雑なきもちで、
「10年以上も経って、公式に動きがあってうれしい」っていう気持ちと、「もう原作は”母語”じゃなくなるんだ……」というガッカリがあります。
表では「うれしい」ということしか言えなくてしんどかったので
つらみのほうを吐き出すためのチラシの裏です。
(これだけでジャンルがわかる人にはわかっちゃうと思うんですが、それでもいいかなーと思っています。)
公式も、開発の人も、ファンにも一切悪いところはないんですが、
どこそこの国が嫌いとか、
そういうものではなく、
単純に中心地が地元から遠ざかったのでくそーっと思っています。
補足すると作中の世界観的には、日本も中国も関係ないと思います。
日本人じゃないと「誰がわかるんだよ」ってパロディはたくさんあるけれども……。
当然のことながら、SNSで回ってくる情報がぜんぶ中国語となりました。
開発をチラ見せする進捗のスクリーンショットとともに、説明文は中国語です。
もちろんこんな時代ですから翻訳ボタン一つで翻訳できるわけですが、
「さて、〇〇はどうなったでしょうか? 今後の開発に乞うご期待!」
しんどーい!
丁寧に原作を拾ってくれる様子が見られていい感じです。
それでも、それでも!
それでもなお、
それでもなおだぞ!
「クイズです!」って(日本語ではあんまり)ピンとこないクイズにされて、
プロモーションPVでは性別を確定させる人称になってて(彼とか彼女とか)
で、いったん「いや、そんなつもりはなかった」
それは、ぜんぜん、大丈夫!
そういうこともあると思う!
仕事が雑とかではないと思う!
ただ、その流れが、プロセスが、
思ってた以上にしんどかった……。
一番力を持つ公式な原典がある→日本語への翻訳→どうしても読み落とすニュアンスが発生する
の流れが本当につらかった~~~~~~!
これからたぶん
零れ落ちてくんだと思うと、つらい。
とか、
日本語だといまいちピンとこない謎解きとか追加されないでくれーっ!
とか、
変なパロディ入らないでくれーーーっ!
例えば日本製のゲームにスラムダンクの「諦めたらそこで試合終了ですよ」
みたいな有名なセリフが出てくるとして
まあ、それはぜんぜんわかるし……
(好きってわけでもないけど/世代が違いすぎるとわからなくなるかもだけど)
もとから海外製のゲームに、なんだ。海外のミームが入ってても気にならないけど、
リメイクでこっちじゃ通じないパロディを付け足されたりしたら、
いや……いやだなあ。
実はUndertaleのSwitchの追加のおまけちょっとわけわかんなくで、
ちょっと毛色の違うおふざけをされたらくぅう~っとなるかも。
なるだけなんだけどね。
10年以上を経て作中の悪童と同じ年齢だったクソガキもなりに大人になりました。
そもそも日本で作る余力がないから海外になってるんだろというのもすげーわかる。
でも、
本音を言えば、
私の好きなゲームの原典は、ずーっと日本語であってほしかった!
どうしてかってーと、
っていう主張ではありません。
せっかく中国だし、
人たくさんいそうだしさ、
たくさん売れたらいいなー。
それで、おいといて、
どれかというと、良質なコンテンツのチャンスなのに、
国内でつくれない状況が
一番のしんどさかもしれない。
数年前の話になるが、増田(一人称)は学生時代から長く付き合っていた相手とお別れをした
別れた直接の原因は相手の浮気で、自暴自棄になって週1で風俗に通うようになった
増田は顔とかテクニックはどうでもよくて性格のいい子とイチャイチャするのが一番楽しいと気づいた
とはいえ金を払って数時間一緒にいるだけの関係はどこまでいっても虚しい
やはり心の通じ合う人がいないと精神的に満たされないと考えて結婚相談所に登録してみた
性生活を重視する増田が結婚相談所で相手を探すのは完全に頭がおかしい判断なのだが結果的には良かった
何人かとお見合いをし、ピュアな交際をしていくうちに一生一緒に居たいと思える人に出会えた
また、結婚相談所では珍しいことかもしれないがお互い恋愛感情を持てる相手だったのも幸運だった
出会った経緯もあり性生活については期待していなかったのだが致してみるととんでもなく相性が良かった
嫁の感度が非常によく、増田が攻め好きなのもあって、前戯だけで毎回1時間は使ってしまう
嫁が毎回工夫して増田を興奮させようとしてくれるのも本当にありがたい
結婚相談所に使った金はとっくに取り返したと言っていいだろう
言われたことも出来ないやらないなら正直居て貰わなくていいです。
外面発動してキラッキラした後、秒でスン…てなるのマジなんなん?不気味の谷なん?サイコパスなん?
36は四捨五入して30って言い出したのマジびっくりしたわ、算数出来ねーのかよ大卒のくせに。
自分をよく見せたいならこだわるのはそこじゃねぇ。
そんだけ外面取り繕うのに当たり前の日常業務、戸は開けたら閉める位当たり前の事をやらないのはあなただけです。
別に引き戸をドアに付け替えろって言ってる訳じゃない、何も難しいことは言ってない
マルチタスク出来ないなら出来なくていい、一個片付けてから次にとりかかる←なぜこれが出来ない?
その当たり前の事をやれって注意、新人でもないんだから言うのもバカバカしいんですが
見かねて言った人に対して「他の人もやってないことあるから困ってるんです、気をつけましょうね〜」じゃねんだよー己の事言われてんだよ責任転嫁すな。
そもそも他の人が30回に1回忘れるかどうかの所、お前30回に1回やればいい方じゃん。
しかもその閉めた戸もちゃんと閉めないで隙間開いてたりする始末だからね?それこの国じゃやってる内に入んねんだよ
そのケツを誰かが拭いてても感謝もねぇ、別に感謝が欲しい訳じゃないが人としてどうかと思うよ?
その事を知人に言ってどう思うか聞いてみたら「その人障害者枠かなんかなの?」って言われたよ。
でーすーよーねー???やっぱりそう思うよねー?
あんまりそういう目で人のこと見る事はしないようにと心掛けてたけど、いやもうそれならそれで割り切って見れるからまだ優しくなれるんだけど
あなたそうじゃないもんねー?流行りの大人の発達障害云々とかで、ASDだのADHDだの診断ついたらそれ傘に着られんのも違うしなーと思ってたけど
一回然るべき所でそういう診断とか受けたら?サイコパスなのは性格だとしても、その他の行動見てると多分まんまソレだと思うよ?
一回、何でその開けた戸を閉められないのかと聞いたことがあって、それについては「やろうと思えばやれるけどその行動に納得がいかないから出来ない(意訳)」みたいな事を言っていて
いやテメェが納得出来るかどうかじゃねぇんだ、当たり前のことはとりあえず四の五の言わずやれ、御託はそれからだって話なんだけども、それやんねぇと仕事してるって言わねんだわー
そもそも呼ばれたら返事する、何か問いかけられたら簡潔に答えるのは当り前、小学一年生でもやってるわ。
別に仕事すんのに仲良しこよししろって言ってる訳じゃねぇンだ、しかし最低限のコミュニケーション取れないんなら本気で辞めっちまえ(2回目)
特定の人を好き嫌いであからさまに態度変えてくるとか無視するとかやってる事小学生かよ四十路のくせに。
てかお前前のポジションでもそれやって干されたんだろ?
視野が狭いとかじゃなくてシャットアウトしてるから穿った見方どころかほんの一部分しか見てないし聞きもしない
肝心な事までシャットアウトしてるから、みんなが置いてってる訳じゃなくて、ひとりで取り残されてるの気付いてないのに
別にここがお荷物部署って訳じゃないんだけど、お前のせいで周りまでお荷物と見られるのマジたまったモンじゃねぇからな?
色々尽きないけど何で本人にこれ言わないかって?
みんな優しくていい人なのに、そうやって避けて遮って自分の居場所なくしてる
しかしここ追い出されたら次はないと思ってるのかしがみついてはいるけど、そのしがみついてる綱、よく見たら上の方腐りかけてるぜ?っていうオチ。
あなたとかお前とかテメェとか、呼び方コロコロ変わるけどアレね
こういう意味での使い分け。
読んでて混乱したわ。
不正確な記憶でブコメ書いた上に、憶測を加えてしまったが、それが違っていたようだ。
Ciniiで役割語、老人などで出てきた論文にちょうどそのことを論じているものがあったので勉強もかねて増田に書いてみた。
論文1本だけで断言的なことは言えないかもしれないが、参考にはなるんじゃないかと。
『「役割語から考える自称詞 「わし」 の方言性と出現時期』黒崎佐仁子 (2011)からの孫引きになるが、以下のような理由らしい。
金水(2007)は,「そうじゃ,わしが知っておる」のようなアニメやマンガに登場する博士および老人の言葉の特徴を以下のようにまとめている。
⑸ 「A=B」の関係を表すとき,標準語では B の後ろに「だ」をつけるが,老人語・博士語で は「じゃ」をつける。また否定を表す表現として,標準語では動詞の後ろに「ない」をつけるが,老人語・博士語では「ん」をつける。さらに,一人称代名詞として,老人語・博士語ではよく「わし(博士語では,さらに「吾輩」)を用いる。(p. 98)
金水(2003:4)は「これらの特徴の対立は,実はそのまま日本の東西方言の対立に重なる」として,以下のような表を提示している。
博士語 標準語 西日本方言 東日本方言 断定 ~じゃ ~だ ~じゃ、~や ~だ 打消 知らん、知らぬ 知らない 知らん、知らへん 知らない、知らねえ
西日本方言の断定表現として「じゃ」と「や」が挙げられているが,このうち「じゃ」のみが博士語として認識される。この理由は,真田(1990)が述べているように「や」が「じゃ」の変種として新しく生み出されたものであるため,「や」が西日本方言として認知されるより前に「じゃ」が 博士語・老人語として定着したからだと考えられる。
江戸時代の言語使用特徴に関しては,佐藤(2002)が分かりやすく解説している。
(略)
当時の人々は「上方語的な言い方が伝統的に正しい」(小松 1985:21)という意識を持っていた。そのため,「若年・壮年層の人物が,いち早く江戸の新共通語である東国的表現を自分たちの言葉として駆使していた時点で,老年層は未だ上方語的表現を規範的な言葉として手放さなかったというような構図が,江戸においてある程度現実に存在した」(金水 2003:26)と考えられ,「明治期に入ると,江戸語の文法を受け継いで新しい〈標準語〉が形成されていく。
ところが文芸作品,演劇作品の中では,伝統的に「老人」=上方風の話し方という構図がそのまま受け継がれていく」(金水 2003:27)という過程を経て,アニメ・マンガの博士語・老人語が確立していったのである。
西日本方言のじゃ→やの変化とマンガの成立の時期からして、老人役割語ができたのは大正・戦前くらいかな、と想像していたが、どうやらもっと古いらしい。
江戸時代に老人役割語の原型がすでにあったらしいのはびっくりだ。伝統の慣性の力の大きさを感じる。
○ご飯
朝:なし。昼:玉ねぎ炒め。焼きそば。夜:だし豆腐納豆。ピーマンとシメジと玉ねぎのスープ。魚肉ソーセージ。ブルーベリーヨーグルト。間食:オーザック。豆菓子。ハチミツ味のポテチ。ばかうけ。(お菓子食べ過ぎ)
○調子
まあ休日だし許して欲しい。いや内臓に休日の概念はないし、許してくれないのだけれど。
・はじめに
陰気で友達が少ない女子高生のスバルと、その数少ない友人で正反対な陽気な性格のミスカの友情と断言しがたい歪な関係が、お人形さんの様と評される美少女転校生ルウの登場で変化していく様を楽しむノベルゲーム。
だけでなく、混沌が蔓延ってきて日常を侵略するホラー要素もあるのだけど、そちらは元ネタありきの展開が多くそういうものとしてふんわりとしか理解できる読んだので感想が特にないためこの一行以降はふれないことにする。
学校という閉じた人間関係と、思春期らしい自己の有りように悩む様とが、ある場面では丁寧に、別の場面では幻想的に描かれていて、この二点が文量の多くを占めている。
甘い恋愛的なイチャイチャする読んでいて楽しい気分になるシーンよりも、関係性に悩み他人を気遣うがあまり自傷的に自己言及を繰り返す辛くて悲しいエピソードが多め。
そんなこと一人で考えても答えは出ないし一生悩んだり楽観的になったりを繰り返すしかないよ、と大人になった今でこそ思うものの、自己と他者の関係性の有り様を悩む様は読んでていて共感する場面が多かった。
そんな辛い中でも食事のシーンは彼女達の悩みも何処へやらで舌鼓を打ってくれるので、夕飯の時間が待ち遠しくなったりもした。
陽気で友人が多く、テストの成績こそ悪いものの教師からの覚えもよく、容姿も可愛いと褒められ、前向きで良い子なミスカ。
しかし、スバルの方はミスカから向けられる好意を素直に受け止めない。
それどころか、些細な表現や物言いをどんどん悪意を膨らませてしまうスバルの生き方は苦しそうだった。
ミスカの一人称と、スバルの一人称を行き来することになるのだけれど、二人はすれ違い続ける。
ミスカは衒いがあるわけでなく、本当にただの根明で、楽しいことが好きなだけの普通の子。
ところがスバルはどこからでも悪意を見つけ、彼女の好意を受け取ろうとしない。
この関係値の噛み合わなさは読んでいて本当に辛かった。
ミスカが友情でなく恋愛としても惹かれていて、その理由もスバルの言う悪意のあるものでないにも関わらず、それが本当に一切伝わらない。
誕生日にケーキをご馳走するという、善意100しか考えられない行為ですら、スバルは穿ったものの見方をし、ミスカからの気持ちを真っ直ぐ受け止めない。
ペットボトルの回し飲みでミスカが間接キスにドキドキするも、スバルは喉が渇いたとしか思っていないシーンなんかは、もう読んでて可哀想だった。
空回りするミスカの好意が、物語的な意味でも何も前進させないのも読んでいてしんどかった。
献身的にスバルに尽くすミスカと、自分の内面世界のことでいっぱいなスバルのすれ違い。
スバルが素直になれば、開幕5分でハッピーエンドまっしぐらなぐらい、ミスカの好きは真っ直ぐで一貫してるのがもどかしい。
そして何よりスバルの素直な気持ちはミスカではなく、転校生のルウに向けられてしまう。
そんな端的に言ってしまうと性格が悪いスバルが、海外から転校してきたルウと交流することで変わっていく。
ルウは箸の使い方を知らず、麻婆豆腐や唐揚げやメロンパンを食べたことがない程に無垢な存在。
危うげというわけではなく思慮深いのだが、学校という枠組みからは大きく外れたような物言いもする。
そんな無垢さがスバルの悪意増幅センサーを回避するのか、ミスカからの好意を悪意に変換し距離を置こうとしていたのとは対象的に、ルウとはドンドン距離を詰める。
ミスカの好意が一方的なものだったのに対して、スバルの好意はルウに受け止められ、スバルとルウはドンドンと関係を深めていく。
ルウの方も、スバルのことを深く知りたい、会話したいと甘えるように距離を詰める。
手繋ぎデート、夕飯を一緒に作るなどの高校生らしいそれもあれば、添い寝や過激なスキンシップなどもあり、CERO Cとしてはそれなりに攻めたシーンも。
ルウとスバルがイチャイチャすればイチャイチャするほどに、ミスカは空回り続ける。
こうなっても客観的にはミスカはオカシイことをするわけではなく、ひたすらに良い子なのが可哀想さが増す。
ミスカは僕が先に好きになったのにと反転するでもなく、転校生の面倒を見れるスバルの成長を喜ぶ良い子なのだ。
ミスカからの好意は悪意に変換するのに、ルウからの好意はそのまま受け止めるのか。
ということは、スバルの精神世界を幻想的に描くシーンで抽象的に描かれる。
まだ人権の概念が無く子供を産むことだけが女性の価値であった時代を生きていたとある女性のエピソード、他人がおらず四季の移ろいをただ楽しむだけの世界などの、夢のエピソードと共にスバルの内面がゆっくりと掘り起こされていく。
一人で無限に牛乳と果実を食べ続ける生活が示唆するスバルの本音は、納得できるところもあったが、だからと言ってミスカの可哀想な空回りが救われるわけではない。
ここが本作の賛否別れる大きな箇所だろう。
スバルにはスバルなりの理由があるとはいえ、ミスカの気持ちはどうにもならないのは、正直僕はあまり好みではなかった。
あんなにも根っからスバルのことが好きで純粋にそのために良いことだけをして来たミスカが、フラれるとか、恋愛対象として見れないとかじゃなく、嫌われるのは、辛い。
ただこのミスカの好意の空回りの先が知りたい気持ちの牽引力は凄く、楽しいとか面白いではない、マイナス方面の感情で読ませる物語はよく出来ていた。
・さいごに
スバルを好きだけど見向きもされないミスカの空回りと、スバルとルウのイチャイチャという三角形の一辺が欠けた歪な関係に着目して感想を書いた。
ミスカの一人称ではスバルのことが大好きで一生懸命善意で良いことをする前向きさが、
ルウの無垢さに惚れていく展開は、辛いけど読み進める手が止まらなかった。
ミステリやコメディといったわかりやすいハッピーエンドが好きなので、好みとは大きく異なっていたが、終わってみるとコレはコレで好きな作品だった。