はてなキーワード: 奉仕とは
日本人が働かなくなったのって
2世代前「必死に働いたら働いた分の正当な報酬がある(当然)」
1世代前「おかしい…必死に働いてるのに正当な報酬がない…(困惑)」
現世代「必死に働いてもどうせ正当な報酬は受け取れない(諦観)」
って流れを経た結果なので労働者のせいにされても困る
なんてのを見たんだけどさ
典型なやつよね
世間が好景気だと、俺のことは俺に決めさせろ、未来じゃなく「今の」俺に金を渡せとやるわけ
んで、不景気になると、俺のために社会は奉仕・還元しろ、俺の「未来を」保証しろってなるのな
若者の稼ぎはてんで少なかった
でもこれのいいところは、ある程度「未来」は明るいと思えるところなのよ
「今の」俺に金をよこせってやった、俺は会社に縛られないってやった
転職が当たり前になって、企業は人を使い続けることの意味を変えた
派遣を政治のせいにするやつ結構多いんだけど、その前に労働者側が信頼を喪ってたんだよ
年功序列は消えた
年取ると稼ぐのきつくなるんだよ
当然に消費が抑えられる
婚姻家庭の出生数はそれほど劇的に落ちてない
結婚しなくなったのな
イエやトナリキンジョやコソダテに縛られてくないよね
で、ぼやくわけよ
じみんとーがわるいーィィィィイイィィィって
子どもという扶養分が増えたのに、以前と同じ暮らしなんて出来るわけ無いじゃん
そんな暮らし、今はできないでしょ?
いいから黙って働けよ
口を開けて餌を待ってても、もうお母さんは餌を運んでくれないんだよ
https://b.hatena.ne.jp/charun/
なんかこう、妄想上でも一本理屈が通って、完結してて、単純に信じれるものがあると、人生充実した気持ちになれるんだなって感じた
これが三大宗教とかだと、奉仕活動とか寄付や草の根の親切に派生して、実際人が助かって、感謝されて、本物の充実になるんだけど
この人の場合、人の健康を害する活動に全身全霊捧げちゃってるから、何も残らないんだろう
どうして10代から20代まるまる勉強に費やして、ものすごい学費をかけて、自分の数百倍の知識と現場経験のある医師より
その頃普通の未成年として過ごして女性ならおそらく数学3Cは一度も履修しなかったような、英語の本一つ読めない自分のほうが
正しいことをしてると思えるんだろう
医者達が叩き込まれたことを中学の化学から1回自分も学び直してみればさすがにわかると思うんだけど
そういう難しくて大変で尊敬されることをついぞ出来ないから、簡単な反ワク活動に承認欲求を見出すんだよね
矛盾の定義を詰めようが詰めまいが議論の本筋に影響しないってことでいいのか?
それなら「そんなことは、どうでもいい!」が大正解じゃん
バカかよお前はw
俺はこの立場に立っていて、お前からも反対意見がないから、合意が出来ている事実と扱っていいな?
俺はこの立場に立っている
一方で、お前は「事実のつもりの感想」でしかなく、個人の勝手であって「客観的事実」ではないとしている
でもな、今更「事実のつもりの感想」なんて本気で通用すると思うか?これお前の文章だよな?
これはもちろん「物語の登場人物が単一機能を背負った「装置」でしかない」という事実を根拠にして
「話として幼稚で出来が悪い」という客観的事実としての評価を下してるわけだ
単なる感想であって個人の勝手でしかないとしたら、そんな話をしても無意味だからな
こんな文章もあったな
あるべきシナリオの流れというものが主体としてあって、登場人物は「一貫性」のある振る舞いによってそれに奉仕しなければならないと。
まったくそのとおり、一般的に通用する「客観的事実」として「安っすいドラマ」だよ
そのつもりで書いたんだろ?
繰り返しになるが、単なる感想であって個人の勝手でしかないとしたら、そんな話は無意味だからな
で、その基準なら寅子の描写も「安っすいドラマ」になるぞと指摘されたら
結婚して5年ほど経つが全く妻に勃たなくなってしまった。前戯の時には一応勃つのだけど、いざ挿入しようとすると一気に萎えて終わる。そのあと何とも言えない微妙な空気感の中、俺の勃ち待ちタイムがあり、俺もひたすら手でシゴいて、勃ったらいざ挿入に臨むけどやっぱりすぐに萎える。結局、ここ1年くらいまともにセックスができていない。
以前、妻にはこの事態に「私に魅力がないから」と泣かれたが、別にそういうわけではないし、多分精神的なものと思うからと説明して、とにかく妻だけでも気持ち良くなってもらおうと最近は奉仕に専念するようにしている。
しかしながら、やはり正直に言えば妻の身体に興味が持てなくなっていることは事実だと思う。俺は性欲は強い方だと思うし、何なら30代後半の今でも毎日オナニーができる。AVを見ている時はギンギンに勃つし、勃起力が落ちたような気配も全くしない。
それでも、妻には勃たない。困った。
最近は色々なことを試している。禁欲する、精力剤を飲む、おもちゃに頼る、行為中にAVを見る(これは妻からの提案)。全部ダメだった。
性生活は夫婦生活の要とよく聞く。確かに夜の生活が充実していれば、夫婦仲も自然と良くなると言うのは当然のように思う。我が家は子供が産まれてから喧嘩が増えた。人格否定のような言葉を妻から浴びせられることもある。そうしたあれこれが巡り巡って、俺のちんこが勃たないと言う問題に帰着しているのかもしれない。そうして、負の悪循環は続いて行く。
このままどのようにお互い性生活を営んでいけばよいのだろうか。もはや、無理してセックスをする必要などないのだろうか。何なら妻が耐えられないなら、誰かと発散したって俺は何も言えない。旦那が不能なのだから。あるいは俺自身も割り切ってプロにでもお願いするべきなのだろうか。
同じような悩みのある増田はいるのだろうか?そして、ここから解決することができた家庭はあるのだろうか?教えて欲しい。
【追記】
妻が妊娠してからは、完全にレスになって、子供が産まれてからも何だかんだいたせず、再開しようと思ったのが子供も少し大きくなったこの一年くらい(2年くらいレス)。
正直、俺もセックスをめちゃくちゃしたいのかと言われると自信が持てない。レス期間にはオナニーで事足りてたわけだし。ただ、夫婦関係の潤滑油的なものとしてセックスに期待しているところはある。やっぱり、年取ってもセックスできるような仲の良い夫婦に誰もが憧れるじゃないですか……。
妻はかなり真面目なタイプで子供が産まれてからはとにかく色々なことで一喜一憂するから、その反動で俺に当たるようになったところはあるのかもしれない。それはまあ、ある程度はどこの家庭も同じなのではないかと思うし、辛いと感じる時もあるけど仕方ない。子育てをメインでやってくれている妻には本当に感謝している。
別にセックス以外もデートとかするんだけど、何よりセックスにおける奉仕先が欲しくて仕方ない。奉仕欲求が無駄に溢れ出てくる!!
信頼できる相手が欲しいだけなんだけど、この信頼できるかどうかを調べるためにとんでもない回り道がいる。めんどくせえ、ハメ撮りとか性行為の内容の口外とかヤバすぎる性癖開陳とかマグロ待機とかしない人で同年代で見た目に多少は気を遣ってる人なら誰でもいいのにな。意外と条件多かったわ。こりゃ大変だ。
絶対権力者がどんな人間を幹部に取り立てるかって言ったら、そりゃあ自分に従うやつでしょ。組織全体の最適人材なんかじゃない。権力者にとって都合がいい、心地よい人材が登用される。
どうして民主的な社会なのに、ほとんどの会社で上を向いて仕事するやつが偉くなるのかというと、トップは民主的に決まるわけではないから。
サラリーマンだった時に、上司は社長が出席する会議をそれはそれは重要視していて、部下である増田にも最重要視するように求めてきた。
理屈でそう動いているというよりは、偉い人と直接接することができる機会が嬉しくて仕方がない様子だった。
一方、増田にとって会議なんて不毛で、現場の専門性を知らない社長なんて誰でも良かったし、現場の都合で会議に出ないことが多かった。
社長が殊更に嫌いだったわけでもないし、会議の必要性もある程度理解していたし、増田がプレゼンするような時はしっかり資料を作って出席していたけれど、置物でも構わないような時は目の前のお客さんを優先した。
上司のような人達は心から権力と権力者が好きであり、理屈ではなく感情で上を向いて仕事をしている。自分が現場よりも上が好きなのでそれが当然であり、現場を優先する一般人の行動を理屈では理解できても感覚や感情として感じることはできないのだろう。
だから結局権力層には、上を向いて仕事をする人間だけが集まる。自分は上が大好きなので、部下がそうでないと理解できずパワハラになる。自分にとっての当たり前ができていないんだからイライラするだろう。目の前のお客さまより会議が大事なのなんて管理職なら当たり前でしょってこと。それを理屈じゃなく当たり前の感覚でないとダメなんだろう。
維新の斎藤元彦への評価が高いのはそういうことでしょ。上司のために最大限奉仕する人なんでしょう。評価は高かったんじゃないの。まさかこんなことする人には見えなかったのでは。
でも元彦は知事になり、元彦の中では絶対権力者になったはずだった。
何で絶対権力者である自分に部下が最大限奉仕しないのか肌感覚で理解できないのでは。自分は当たり前に奉仕してきたのでしょう。
「上には弱いクセに」ってよく言われるけど、「上に弱いからこそ」なんだよね。全ての人間が自分と同じで上に弱いのが当然の世界観だから。
舞台を現世にして書くとそこにウソを含めちゃいけないような気がしてくる。たとえば駅の中から外へ移動するシーンだけをとっても改札の名前や駅の構造や駅前にある店の位置などを間違えてはいけないような気がする。仮に新潟駅について考えると私は新潟駅のことなんてまるで何も知らないので今即座に新潟駅について書くことはできないなと思う。北側にあるのが新潟駅北改札で南側の長い長い通路を抜けた先にあるのが南改札でその向かいにはスターバックスがあってその隣にドンキがあって、などと適当なでっち上げを並べることはまるで禁忌を犯しているような気分になる。たまたま現実と一致していればいいのかもしれないが現実はそう甘くない。実際に調べてみたら新潟駅前のスタバは駅の北側にあるらしい。
だから私は異世界を書くほうが向いているのかもしれない。何を並べても自由。どんな法律や国や言語や人種が存在していても自由。アホみたいにデカいモグラが人々の生活を脅かす世の中に転生していともたやすくモグラを退治して以来「モグラ勇者」という名で民衆から慕われて毎日街の美女を一人ずつ部屋に連れてこさせて奉仕活動をさせるような極楽生活を書いても誰も文句は言わない。ニュートンを捻じ曲げアインシュタインを粉砕し私だけの異世界の異世界のための法則を敷設する。想像力の羽ばたきをもってどこまでも自由に書くことができるというのは素晴らしいことのように思う。
といっても、月に一度あるかどうか程度。
妻とのセックスライフにはさほど満足していません。もう少し回数もしたいですし
また妻の性癖というか、やってほしい事を伝えてほしいと思ってます。
自分のセクシャルな興味をお伝えするのは良いことだと思います。
夫さんの事が好きだ、エッチなことは好きだけど、、、と前提情報をお伝えすると
絶対に嫌な気持ちにはならず、もっと深く仲良くなれると思います。
それにしても、夫さんはマグロさんですね。そんな男性がいるとは。
仮に夫さんが、性欲が薄く淡白すぎる相手ならば、いくら積極的になったとしても
暖簾に腕押しで、マスダさんが違う相手を求めていくのかもと思います。
そうならないということは、すれ違いはあれど、2人は互いを求めている証拠です。