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[B! 大学] 東京電機大学生、生協で取り寄せたらどんな本も1割引きになると凌辱物のエロ漫画を購入→大学「学内で調査を行っております。調査後、大学として厳重に対処いたします。」
いちいち引用しないが、事実を誤認した大量のゴミブコメがトップに並んでいる。
「生協でエロ本を買うのは制度の悪用であり、お目こぼしがなくなりルールの厳格化を招く」? 全くのデマである。
書店でなぜ原則本を値下げできないのかというと、日本には「再販制度」、製造元である出版社が決定する定価を書店は変えてはならない、という業界慣行があるからだ。
だが、この形態の取引方法は、独占禁止法において明示的に禁止されている。
第二条⑨ この法律において「不公正な取引方法」とは、次の各号のいずれかに該当する行為をいう。
四 自己の供給する商品を購入する相手方に、正当な理由がないのに、次のいずれかに掲げる拘束の条件を付けて、当該商品を供給すること。
イ 相手方に対しその販売する当該商品の販売価格を定めてこれを維持させることその他相手方の当該商品の販売価格の自由な決定を拘束すること。
ロ 相手方の販売する当該商品を購入する事業者の当該商品の販売価格を定めて相手方をして当該事業者にこれを維持させることその他相手方をして当該事業者の当該商品の販売価格の自由な決定を拘束させること。
我々の生きる資本主義社会というのは、市場での公正で自由な競争を大原則とするものであって、価格決定権は小売業者が持つべきものである。価格統制を行い、小売業者同士の競争を禁止するなぞ以ての外である。
このような掟破り行為が出版業界でおおっぴらに行われているのは、独禁法の23条4項に、著作物の発行事業者による正当な行為であれば、独禁法を適用しないという例外が定められているからだ。
なぜこのような特権が認められているのか? 独禁法の教科書を開いてみよう。
著作物に係る法定再販制度の趣旨は,必ずしも明らかではないが,戦前からの定価販売の慣行を追認したものとされている。また,著作物の種類ごとに,例えば,新聞については戸別配達の維持,書籍・雑誌については多様な出版物の発売や書店での展示販売の確保といった説明が後付け的になされているが,再販行為の必要性とは必ずしもつながらないと思われる。(『条文から学ぶ独占禁止法 第3版』p271)
「趣旨は必ずしも明らかでない」「戦前からの定価販売の慣行を追認したもの」「説明が後付的になされているが、再販行為の必要性とは必ずしもつながらない」なかなかボロクソな書きぶりではないか。
当然「商慣習の追認」なる貧弱な理由で、大原則を曲げていいはずがない。再販制度廃止の動きはこれまでも何度もあった。今もなお現存しているのは、廃止の動きがあるたびに既得権益を守りたい新聞業界が大々的に抗議キャンペーンを行い揉めに揉めたからである。政治的駆け引きの末の「お目こぼし」によって成り立っている制度なのだ。
新聞業界という第四の権力がバックにある以上、既得権益を廃止するのは難しい。されど、お目こぼしをいいことに既得権益を拡大しようとする、出版業界のイキり行為には公正取引委員会は否を突きつけ続けてきた。
1990年代を通して喧喧諤諤の大戦争となった再販制度廃止論争は、2001年公正取引委員会による「当面再販制度を存置するのが妥当」という停戦宣言により一応の終結を迎えた。
事実上の勝利にイキった出版業界が次に目をつけたのがポイントサービスの禁止である。
確かに、再販価格維持契約で定価販売を義務付けても、ポイント還元がOKであるならば、事実上値引きと言っていい。「本はどの本屋でも同じ価格」というカルテルを侵す存在であり、再販制度に当面のお墨付きを得た出版業界が禁止を目指すのは当然の成り行きであった。
されど原理原則に戻れば、現状の再販制度さえ、政治的判断による苦渋の決断として認められているにすぎないのである。
出版業界の舐めた振る舞いに激怒した公正取引委員会は、ポイントサービス禁止運動を行う業界団体に対し、「事業者団体による共同行為を禁止する」独占禁止法第8条違反を宣告。
結果、業界団体の会長は責任をとって辞任、クビを差し出して詫びる羽目になった。
ポイントサービス禁止論争で争点となったのは、1%程度のごく低率のポイントサービスであったが、
現在では、アマゾンやヨドバシなどの大手通販サイトを見れば、条件付きではあれど12%ポイント還元だとか10%ポイント還元だとか、大幅な値引きを行っている。再販価格維持契約?なにそれおいしいの?の域である。
しかし再販制度自体がお目こぼしの例外である以上は、再度「ズルいからやめろ」とヤブをつついて蛇を出したくないというのが業界の考えだろう。
再び公正取引委員会の逆鱗に触れ、今度はアマゾンの政治力を背後に一気に再販制度廃止まで持っていかれるかもしれないのである。
この事例からわかるように「イキり行為」に気をつけなければいけないのは消費者である大学生ではなく、売り手である出版業界側であって、ブクマカの認識はまったくあべこべなのだ。
ここまで述べた再販制度の縛りを、大学生協は負っていない。これは独禁法第23条5項が生協を例外の例外の1つとして指定しているからである。
つまり、書籍は例外として再販売価格を拘束する契約を結んでよいが、その例外として生協には通常の取引と同様に、再販売価格の拘束契約を結んではならないということである。
ブクマカが勝手にでっち上げていう「学業目的の特例」とかそんなものではない。実際、書籍の割引は一般の生活協同組合(例えばコープこうべ)でもおこなわれていることだ。
再販制度という大本の例外が設けられた理由を再確認すると「商慣習の追認」が定説である。ただこの理屈では再販制度は生協のみならずすべての事業者において廃止すべきという結論しか導かれない()。
なので百歩譲って少数説である出版業界のポジショントークを参照すると、再販制度なしには、書店が理念を見失い利益至上主義に陥り売れ筋の俗悪本のみが蔓延る世界になるから、らしい。
しかしこの捏ねくりだ出した理屈ですら生活協同組合に適応することはできない。生協は、利益を目的としない消費者どうしの相互共助団体であるからである。
利益の追求のために消費者に不利益を与える行為は法律で禁止されており、また組合員が持つ平等な議決権及び選挙権によって効果的に阻止される。再販制度の容認などという副作用の大きな例外を認めるだけの意義はどうあがいても見出すことができない。
前節では、大学生協で書籍が割引が「可能」である理由を述べたが、愚かなブクマカは「大学生協は学生の学業を支援するためにあるのだから、制度上可能であってもエロ本については割り引くべきではない」などと言うかもしれない。
しかし大学生協の目的なぞをでっちあげたいならば、まず定款を見るべきだ。
第1条 この消費生活協同組合(以下「組合」という。)は、協同互助の精神に基づき、組合員の生活の文化的経済的改善向上を図ることを目的とする。
(事業)
第3条 この組合は、第1条の目的を達成するため、次の事業を行う。
(1)組合員の生活に必要な物資を購入し、これに加工し又は生産して組組合員の生活に必要な物資を購入し、これに加工し又は生産して組合員に供給する事業合員に供給する事業
(2)組合員の生活に有用な協同施設を設置し、組合員に利用させる事業
というか名は体を表すというように、大学生協とは生活、「大学に属するすべての人つまり大学生/大学職員/教職員の生活」を共助する団体である。役割は学業に限られない、当然娯楽を提供することも含まれるのである。
書籍の割引販売は、それが教科書であろうと、学術書であろうと、コミックであろうと、エロ本であろうと
に一律で含まれるであろう。
(追記:id:worris 氏のブコメより、誤りの指摘があった。書籍は第3条第1号「組合員の生活に必要な物資」である。つまるところ、生協の言う「生活に必要な物資」とは日常用語の生活必需品より広い概念であり、娯楽を含むのだろう。論旨の変更は必要ない。)
もちろん、娯楽の提供は大学生協の役割に含まれると言っても、程度問題は存在する。
生協の資金力にも労働力にも限界は存在するのだから、何にリソースを投じれば「組合員の生活の改善及び文化の向上」を達成できるか、取捨選択が必要になる。
決めるのは、一人ひとり議決権あるいは選挙権を持つ、組合員である。
ブクマカは「イキるとお上のお怒りを買うぞ」という論調であるので、決定権が生協のおえらいさんとか大学経営陣とかにあるように勘違いしているように見受けられるのだが、事実は全くの逆なのだ。
組合員自治の原則を念頭に置いた上で、なぜ本が一律割引されるのかを考えてみよう。
大学生とは多くの人にとって人生で一番本を読む時期である。これは今年『何故働いていると本が読めなくなるのか』という新書がベストセラーになったことでもわかることである。
そして生協は再販価格拘束契約で縛ることのできない例外的な存在として、彼ら組合員に独自の価値を提供できる。
そう考えると書籍の一律割引販売で、組合員の合意がまとまるのは、ごく自然ななりゆきである。
仮に「娯楽本は除外」とか「教科書のみ割引」とかいう制度になったならば、利益を得る層が組合員の中で偏ってしまう。みんながWin-Winになる制度こそが、民主主義的な議論で選ばれるものである。
紙の本をほとんど買わない組合員からすれば、事業資金は「書籍を10%引きで売る」ことより「生協食堂のメニューを1品増やす」方に費やしてほしいことだろう。
「学術書読んでる同級生は応援したいけど、エロ本はな……」と彼らの票が離れることは、あり得る展開ではあるかもしれない。
しかしエロ本を割引販売することで、大学生協は何ら損をしていないことにも留意が必要である。むしろ、大学生協は新たな顧客層を開拓することで利益を得て、他の事業へ投資可能な資金を増やしたと言える。
「割引率が10%であるべきか5%であるべきか」は難しい経営判断であり組合員間での真摯な議論が求められるところであるが、割引中止とか販売停止とかになると誰のトクにもならない論上に上げるまでもない愚論なのだ。
なお大学生協に客を取られなければ、定価でエロ本を1冊売ることができたであろう一般書店は損をしたといえるが、再販制度というお目こぼしに守られているものが「ズルイ!」なんて言える立場にないことは先に述べたとおりだ。
大学生の行為を「バカッター」とか「バイトテロに等しい」だとか意気揚々と名誉毀損行為を行うブクマカたちは、
実際は、自分たちがこそが大学生協の役割を勝手にでっち上げたイキりバカブクマカであり、はてなというプラットフォームの名誉を大いに傷つけるブコメテロであることを認め、真摯に謝罪すべきである。
そして、大学生協の役割を学業目的だと誤解する人がここまで多いという事実は、「生協ではどんな本でも割引される」ということを声高く啓蒙する意義を証明している。
セックス・ストライキ(英:sex strike)は、ストライキや非暴力的抵抗の手段の一つで、一人または複数で、ある目的を達成するためにパートナーとの性行為を拒むことである。一時的な性的禁欲という形をとる。セックス・ボイコット(英: sex boycott)ともいう。
植民地時代以前のナイジェリアでは、イボ人の女性コミュニティが、定期的に女性による労働組合の一種である「評議会」を形成した。評議会は「女神アイデミルの寵愛を受けた者で、彼女の化身」とされるアグバ・エクウェに率いられた。彼女は職杖(英語版)を携えており、公の集会や会合における最終決定権を持っていた。なかでも彼女の仕事は、男性のハラスメントや虐待を罰することで、男性の善良なふるまいを〔女性に〕保証することであった。そして男性らが最も恐れたのは評議会のストライキ行動の力だった。イボ人の文化人類学者であるアイファイ・アマディウメ(英語版)は次のように論じている。「男性に対して評議会が持ち、そして使った最強の武器は、全ての女性に大規模なストライキとデモを命じる権限だった。ひとたびストライキが命じられるや、女性は自分たちに期待されている義務と役割を果たすことを拒んだ。そこで拒絶されたのはあらゆる家事であり、性的奉仕であり、母親としての仕事であった。彼女らは乳飲み子だけを抱え、列をなして街を去ることもあった。あまりに怒ったときは、出会った男性みなに襲いかかることで知られていた」[2]。
ネットで頻繁にそういう話題に接するたびに驚くし辟易とします。
何より当人にとって大変みじめなありようじゃないですか。
誰かに何かをやってもらわないと達成できないって
とんでもないカタワじゃないですか?
本当に特別な病気や障害で強力なケアが必要なのでそうしてもらっている
ということならそれについて何か言う気はないんだけれども、
ネットで見掛ける事例はどうもそういうことでもなくて
特別な事情もない健康・健常の範囲の人が日常生活上でそういうことを周囲に要求しているっぽく、
それはちょっとどうなんだろうか。
それって身体障碍でいうなら
毎回の排泄に介助が要るとか数時間ごとに痰の吸引が要るとか
そのレベルの一人で生存が困難な重度障碍者ですと言ってるに等しいと思うんですが
そのような自覚やどうにもならなさがあったうえで周囲にケアさせているんでしょうか?
それは身体健常な成人がずーっと家族にトイレ付き添いを要求して
家族にチャックおろしてもらってようやく排泄して、「これが当然」みたいな顔してる感じでしょ?
みっともないし、家族を何だと思ってるんですかね?
当人の不幸について言えば、
「自分の心を治すためには自分以外の誰かの奉仕や賠償が要る」という認識は
もうどうしてもそのままじゃ生きていけなくて、
轢き殺した老人の収監や反省、老人の息子との対話を必要としてしまうとか、
そういうのと心の構造は同じでしょ?
彼等は大事な家族を突然奪われた強烈な衝撃で不可抗力でそうなっちゃってる。
けどそのようなあまりにも衝撃的なフィジカルな事件があったわけでもないのに
日常生活のちょっとした不満とか自分の中でくだらないことを考えた憤懣とかで同じ構造の心を作るの、
それって自分で自分の心を呪ってるだけのものすごくだらしないただのバカじゃないですか?
以上のように、周りに迷惑、自分も不幸、悪い了見のせいで害しか生んでないわけです。
「私は可哀想なんだ、
こうやってケアしてもらわないと生きていけないんだ、
こうやってケアされるのは当然なんだ、周囲の配慮が足りないんだ」
みたいな考えでいることこそ
その人の心の中を可哀想な状態に追い込んでる元凶じゃないですか?
きちんと自覚してそういう性格をやめる努力をした方が良いと思います。
そして、
腹が立ったり落ち込んだりするたびに
配偶者に当たり散らしたり何かをさせたり格ゲーにつき合わせたりという人やその症状は
その人のためを思うなら
実際そういう一人でおしっこできない系の人は
相手を選んでやっているからこそ選ばれた(狙われた)側の責任は重大だと思います。
その人の病気を治すか助長するかはよりかかられた側の対応次第ですから。
これほどみじめな状態はないですよね。
その実自分の一生を棒に振るぐらいの不幸の始まりであることをよくよく理解すべきだと思います。
完全なる自爆だよな。
バレないように悪事を働くという政治家として当たり前のスキルもない無能な味方をスッパリと切り捨てなかったのが悪い。
国政という舞台をくだらん親分子分ごっこをする場所だと勘違いしたのが全ての間違いだった。
アベがそれを可能にしたのは強烈なバックボーンから産まれる財力と権力があったからであって、それを持ってない奴らのおままごとでは意味がない。
この後に及んで堂々と事務所に金を送りつけて開き直れるという公算自体が甘ったれとも言える。
やるんだったらもっと徹底して裏から個人に金を渡すべきだったのに。
それを知らん顔されたりバラされた時に割り切れないぐらいなら一切何もするべきではなかった。
確証性バイアスに振り回された前例踏襲主義をやるような官僚じみた政治家なんぞになんの価値があるのかという話だ。
官僚に出来ないことをやるのが政治家の役目だということが分からないらしい。
それもこれもアベノムラ社会の中でアベに奉仕することを目的とするシステムに飲まれたのが問題だった。
政治家はそれじゃいけない。
ボス猿の群れでなければ。
高度に組織化されたことで政治家それぞれが自分たちの持つボス猿性を失いただの働き蜂に堕した。
その結果がこの敗北なんだよな。
少子化対策って意見ががっつり分かれてて、こういうものこそ選挙で決定すべきだって思うじゃん?
1. 結婚は墓場。結婚したくない自由のため少子化は受け入れるべき
1.1. こんな地獄に子を作らなかった私は善。作った奴らは悪であり悪のなした子は責任を取って善なる老人のため奉仕
1.2. こんな地獄は次世代に残すべきではない。世の中に貢献できなくなったら安楽死する選択肢を
1.3. こんなヘルはジャパンだけ。いつか他国が盛り返すからその時は外国の傘下となって生きる。日本全国オスプレイ飛びまくり
2. 結婚が墓場かどうかは個人の判断。産む人は産み、産みたくない人は産まない。少子化対策は産みたい人にがんばってもらう
2.1. 産みたい人は10人でも20人でも産めるよう再配分強化。子なしは個人の選択の結果なので育休で頑張っていただいてる子ありに奉仕しブラック残業
2.2. 産みたい奴は国内に限らない。意欲のある移民を呼んでとにかく外人と結婚しろ。多産の南米母とインドネシア母がPTAで宗教戦争しても耐えろ
2.3. 結婚制度は自由主義に反する。婚外子同性婚(Lは精子バンクGは代理母)多人数婚何でもござれでとにかく子を増やせ。10代でシングル出産?国の宝だ不幸にならんよう全力で援助
3. 家族は社会の最小単位。少子化は皆が平等に結婚し子を産み育てることで対策すべき
3.1. 自由主義は失敗した実験。地域親戚の紹介でお見合いして嫁をあてがえ。引き籠ってパソコンいじってる場合じゃねえ町内会で爺に酌しろ
3.2. 今さら地域社会の復活は不可能。国策マッチングアプリでやり手婆の代替を。市民、家族生活は義務です
明日はどっちだ
日本人が働かなくなったのって
2世代前「必死に働いたら働いた分の正当な報酬がある(当然)」
1世代前「おかしい…必死に働いてるのに正当な報酬がない…(困惑)」
現世代「必死に働いてもどうせ正当な報酬は受け取れない(諦観)」
って流れを経た結果なので労働者のせいにされても困る
なんてのを見たんだけどさ
典型なやつよね
世間が好景気だと、俺のことは俺に決めさせろ、未来じゃなく「今の」俺に金を渡せとやるわけ
んで、不景気になると、俺のために社会は奉仕・還元しろ、俺の「未来を」保証しろってなるのな
若者の稼ぎはてんで少なかった
でもこれのいいところは、ある程度「未来」は明るいと思えるところなのよ
「今の」俺に金をよこせってやった、俺は会社に縛られないってやった
転職が当たり前になって、企業は人を使い続けることの意味を変えた
派遣を政治のせいにするやつ結構多いんだけど、その前に労働者側が信頼を喪ってたんだよ
年功序列は消えた
年取ると稼ぐのきつくなるんだよ
当然に消費が抑えられる
婚姻家庭の出生数はそれほど劇的に落ちてない
結婚しなくなったのな
イエやトナリキンジョやコソダテに縛られてくないよね
で、ぼやくわけよ
じみんとーがわるいーィィィィイイィィィって
子どもという扶養分が増えたのに、以前と同じ暮らしなんて出来るわけ無いじゃん
そんな暮らし、今はできないでしょ?
いいから黙って働けよ
口を開けて餌を待ってても、もうお母さんは餌を運んでくれないんだよ
https://b.hatena.ne.jp/charun/
なんかこう、妄想上でも一本理屈が通って、完結してて、単純に信じれるものがあると、人生充実した気持ちになれるんだなって感じた
これが三大宗教とかだと、奉仕活動とか寄付や草の根の親切に派生して、実際人が助かって、感謝されて、本物の充実になるんだけど
この人の場合、人の健康を害する活動に全身全霊捧げちゃってるから、何も残らないんだろう
どうして10代から20代まるまる勉強に費やして、ものすごい学費をかけて、自分の数百倍の知識と現場経験のある医師より
その頃普通の未成年として過ごして女性ならおそらく数学3Cは一度も履修しなかったような、英語の本一つ読めない自分のほうが
正しいことをしてると思えるんだろう
医者達が叩き込まれたことを中学の化学から1回自分も学び直してみればさすがにわかると思うんだけど
そういう難しくて大変で尊敬されることをついぞ出来ないから、簡単な反ワク活動に承認欲求を見出すんだよね
矛盾の定義を詰めようが詰めまいが議論の本筋に影響しないってことでいいのか?
それなら「そんなことは、どうでもいい!」が大正解じゃん
バカかよお前はw
俺はこの立場に立っていて、お前からも反対意見がないから、合意が出来ている事実と扱っていいな?
俺はこの立場に立っている
一方で、お前は「事実のつもりの感想」でしかなく、個人の勝手であって「客観的事実」ではないとしている
でもな、今更「事実のつもりの感想」なんて本気で通用すると思うか?これお前の文章だよな?
これはもちろん「物語の登場人物が単一機能を背負った「装置」でしかない」という事実を根拠にして
「話として幼稚で出来が悪い」という客観的事実としての評価を下してるわけだ
単なる感想であって個人の勝手でしかないとしたら、そんな話をしても無意味だからな
こんな文章もあったな
あるべきシナリオの流れというものが主体としてあって、登場人物は「一貫性」のある振る舞いによってそれに奉仕しなければならないと。
まったくそのとおり、一般的に通用する「客観的事実」として「安っすいドラマ」だよ
そのつもりで書いたんだろ?
繰り返しになるが、単なる感想であって個人の勝手でしかないとしたら、そんな話は無意味だからな
で、その基準なら寅子の描写も「安っすいドラマ」になるぞと指摘されたら