はてなキーワード: 政治活動とは
家計簿創始者で自由学園作った羽仁もと子は古い主婦には影響力あり、婦人之友にもキリスト教的かつ左翼的な文章も多かった。教会に属しないので、聖書を読んで祈る。羽仁五郎はマルクス主義。
政治思想は教皇フランシスコが出したもののトップダウンなので、ミサで神父が公式見解以上に政治思想暴走して語ると怒られる。高齢化がひどい。カトリックはシスターがいるがこちらも高齢化がひどい。役員や聖歌隊の人員確保に忙しい庶民が多く政治活動どころでない
が大きくて、プロテスタント系の矯風会はネットでは存在感あってもリアルで関わることはほとんどなかったな
これは結構難しい話な気もする。
まず、ゼロ年代までの日本において、政治組織は主婦層の奪い合いを行っていた。
数が多く、政治活動を行う暇があり、組織に拘束されておらず、思想的に特定の傾向がないが横のつながりはあるという、まさに格好の動員対象だったからだ。
ただし当たり前だが動員というのは上から自由に政治的思想を植え付けられるわけでなく、自由なタイミングで動員できるわけでもない。
比較的どうでもいい案件については積極的に下から吸い上げて常に運動欲を満たし、「自分たちが動かしている、声が届いている」という実感をもたせるのが重要。
主婦層に共有された嫌悪感があり、社会悪だという方向に持っていきやすく、婦人会による規制運動を展開することで低コストで定期的に運動実績を満たしやすい。
要するに叩くのに丁度いいから自民も公明も各種の野党も性表現規制論をだし、逆に政敵の手柄になりそうな風向きのときだけそれを批判してきた。
矯風会もこのころ潜り込んでいろいろやっているが、別に思想的には主体性を発揮したわけではない。
あくまで普通の女性が、「素朴な感性」を運動で増幅させた結果に相乗りしただけだ。
大半の政治家にとっては「自分の票にならなければどうでもいい、だがある程度便利使いするため風向きを読んでたまにコメントする」程度の話題だった。
リベラルと呼ばれてるが中身は様々な人々にとっても大半は同じだろう。
しかし、ネット時代で性表現市場が拡大し、規制論者もオタクの声もでかくなったことで、この話題はそれなりのネタに昇格した。
ただ、山田太郎はうまくやったが、ワン・イシューで国会に1議席確保できるぐらいというのは、小さくもなく大きくもない、なかなか微妙なラインである。
これも基本的には思想や強力なトップダウン利権があるわけではない。
普通のオタクが「素朴な感性」を運動で増幅させた流れをうまく利用したということになる。
こういうネタは言論屋や政治プレイヤーとしては非常に扱いが難しい。
「普通の人々」の「素朴な感性」というのは、たいてい思想的にはメチャクチャであり、民主主義にも自由主義にも完全に敵対している。
なんとなく思ってるだけならまだしも、運動で増幅させるとカルトの原理主義と対して変わらない。
それでいてカルトと違って思想的核のない多数派だから、批判にも難儀する。
山田太郎も統一教会と絡んだりしているが、こういう連中がオタクを「操って」いるというのはいろいろな意味で間違っている。
オタクの普通の言動に素直に乗っかれば自分の主張が認められる部分がありそうだから、のこのこやってきたというだけだろう。
矯風会が政治に熱心な主婦層によってくるというのも、主流はあくまで強大で消し難い「素朴な感性」のほうで、矯風会なんてのは張り付いた雑菌の如き存在だ。
「素朴な感性」に公然と敵対する人間は、たとえ理屈の上で正しいことを言っていても、政治レベルではあっさり抹消される。
逆に、そうなってない人間というのは、理屈以前の話で、「素朴な感性」にうまく忖度しているからこそ生き残れている。
だから、問うべきは、リベラルの人々は、一般人の、あるいは自身の中の「素朴な感性」と自由主義が対立する事実にどう向き合うか?
という話だが、これに真剣に答えること自体も「素朴な感性」への敵対の一種であるから、政治プレイヤーとしては公然と議論することは難しいだろう。
正確には表自でTwitterで目立ってるヤツらね
自分はリアルでは政治活動として表現規制反対を表明して政治家のところに顔出したりしてる
長いこと通ってるから政治家とももう結構懇意だしほかの支持者とも話するけど、まー評判悪いね、表自
東京都条例問題の時とかはまだ言葉遣いに気を付けてたり過剰な侮辱をしないように気をつけてたりする層が来てたからよかったけど、山田太郎以降は調子乗りまくっててまじで嫌われている
政治活動て人間関係の構築がキモだから「無礼で、性格が悪い」と認識されると本当に話聞いて貰えなくなるし、支持者に評判悪いと普通に政治家も離れていくわけよ
フェミ叩いてるつもりでピンポイントでフェミ叩けてるわけじゃないし、まあ悪態のつき方が下品だから擁護もできない
理屈はこっちが正しいとか関係ないんだわ、それを聞いてもらえる土壌を自ら破壊してるので
山田太郎とか藤末とか赤松とかはTwitterパフォーマンスは上手いんだろうけど政治的調整能力が皆無だから肝心なとこで政策をどうにかできる力はないよ
自分たちに気持ちのいいパフォーマンスしてくれる政治家に傾倒して調子のって焼け野原にしてるの率直に言ってやばいよな
こんなこと書いても届かないだろうし長く活動してるひとがいくら忠告しようがフェミがーフェミがーって言って聞かないんだからもう救いようがない
馬鹿なんだよな
そろそろ潮時だと思うので頑張るのは辞めることにするよ、尻拭いも限界だし
国民は「王様と貴族のために死ぬまで働かされる奴隷以外の何者でもない」のが当たり前だったが、
国民がフランス革命を起こし、王をギロチンにかけ、貴族も処刑し、
1792年、世界初の「普通選挙」がフランスで実現した。ただし選挙権は男性のみが獲得した。王を殺したのは男性だった。
1871年にはパリ・コミューンにおいて世界初の女性参政権が実現したが、
パリ・コミューンの政権が72日間という短命に終わったことにより、女性はすぐに選挙権を失った。
女性が初めて恒久的な参政権を得られたのは1893年、ニュージーランド。
ニュージーランド政府が1888年に選挙権から女性を排除し続ける選挙法案を導入し、
ケイト・シェパードという女性活動家が、排除の削除を要求する請願を組織した。
ケイト・シェパードの粘り強い政治活動により、女性に完全な投票権を付与した1893年の選挙法案が、
男性による妨害も数多くあったものの、賛成20票・反対18票で可決された。
日本においては、男性は1925年に選挙権を獲得し、女性は1945年に選挙権を獲得した。
現在の当たり前も、過去の当たり前が政治活動により覆されたことによる当たり前。
明治維新のタイミングや、GHQに支配されたタイミングで、欧米の思想コピペが行われたことにより、
ちょっと前に野次と言う表現の自由を勝ち取ったと喜んでた人々が居たけど、人として良識を疑う
いかに不快でも理解できないものでも表現の自由は守られるべきだと思うけど
野次はなんか違くない?
表現の自由と言うより、人の主張を妨害すると言う攻撃性があるよね
どんな政治主張にしてもそれを表現する自由、そして聞きたい聴衆はいるわけで、それを妨害してしまう野次と言うものは表現の自由と言うよりむしろ表現の妨害こそが正しく、規制されて然るべきものだと思う
それに、妨害というのは単に反発を生む
この反発から転向する人間など居ないだろう、無駄に溝が深まるだけだ
また第三者的にもそんな攻撃性を見せられてもそんな政治活動そのものに引くだけだろう
野次が全てとは言わないが、その野蛮さは投票率の低迷、政治への関心の低迷の一端くらいは担ってるだろうと思う
次世代にどんな世の中を残して行きたいのか、私は人の話を嬉々として妨害し話を聞かない聞かせない文化など残したくないと思っている
というか政治活動板を作って全部閉じ込めてほしいわ
国はスト権を認め、労組を認めて労働者自身が交渉する環境を整えてる。
雇用主が労組との交渉に応じないなら責任を果たしてないから国に訴えろ。
交渉する権利を放棄しておきながら「賃金が上がらない」は無理筋だぞ。
自分の会社が儲かってんのに賃金が上がらないならお前が交渉しろ。
他企業が儲かってるかどうかはお前の賃金には関係ないし、その企業が労働者に還元してるかどうかは
労組が政治活動をするのが気に食わない、と考えるのは自由だが、
雇用主側は団体を作って政治活動して雇用側が有利な施策を実施させているぞ。
交渉相手がそういう行動をとってる以上、同じ手段で被雇用者側も立ち向かわないと
いいように食い物にされるだけだぞ、今のように。