はてなキーワード: 小作とは
ボクサーを撲殺したのは僕さ
これから満で数つけるわ
ナンを何枚も食べるのなんて、なんでもないよ
新患の新幹線に関する新刊に新館を立てて震撼し信管が作動する。
ケニアに行ったら生贄や
柑橘類の香りに歓喜し、換気を喚起したが乾季が訪れたので、寒気がした。
塗装を落とそうか。
観光客がフイルムに感光させた写真を刊行することが慣行になった。
サボってサボタージュ
景気が良くなりケーキを食べる契機を伺う徳川慶喜(とくがわけいき)
夫を成敗するオットセイ
つまらない妻の話
竹の丈は高ぇなー
餅を用いて持ち上げる
ロストしたローストビーフ
サボテンの植え替えサボってんな
過度な稼働は可動範囲を狭める
伯爵が博士の拍手に拍車をかけて迫真の爆死をし白寿の白人を白紙にもどす。
紅葉を見て高揚する
甲子園で講師をする公私混同した孔子の実力行使には格子窓も耐えられない。
死んでんのか?「心電図を取ってみよう!」
夜祭で野菜を食べる。
信玄餅を食べながら震源を特定するように進言する新元素を発見した人。
蜂の巣(honeycomb)を見てはにかむ
五反田で地団駄を踏む
ようやく要約が終わった
海溝で邂逅
豪華な業
甲板で甲板をかじる
甲板で乾パンをかじる
店頭で転倒
大枚をはたいてタイ米を買う
醤油をかける人「えっっ?」
神田でした噛んだ
少食な小職
牛の胆嚢の味を堪能する
あの娘にはどう告っても(どうこくっても)慟哭する結果に終わるだろう。
キーンという高音の起因が掴めない。
こんな誤謬は秒でわかるだろ
壊疽した箇所が治るというのは絵空事だ
経口補酔液
痴的好奇心
セントーサ島に行くのは正恩が先頭さ
軽微な警備
冬眠する島民
ベットは別途用意してください
The deserted desert in desert desert.
九尾のキュービズム
罹災者へのリサイタル
画家の画架
不納が富農になるのは不能だ
理工がRICOHに利口な履行
I sensed tha it is in a sense sense.
私はそれをある面では扇子だと感じた。
鯖を食べている人と、それを見ている人の会話
鯖 ça va?
ça va 鯖
ça va
ゆめゆめゆめをみるわけにはいけない
早漏で候
凪に難儀
東上線に搭乗した東條が登場
高校を後攻で煌々と口腔で孝行
蝉が転んでセミコロン
道徳をどう説く
写真はフォトんど撮りません
ダリ「絵ぇかくのだりぃなあ」
華美な花瓶のカビに過敏に反応
檻に入っておりいった話をする
夏のおサマー
夜は寝ナイト
渦中のカチューム
渦中のカチューシャ
リスボンでリスがborn
どうないはどないなってんねん
苫小牧でてんてこ舞い
市内を復旧しないと
石狩の石を借りる
おが置いてあるのを見た人「おはおっかねぇーから置かねぇ方がいいぞ」
砂がどしゃーw
東上線に登場した東條が登場
飽きない商い
おなか吹田市
観劇で感激する
側転に挑戦し即、転倒
別件を瞥見
凹地のお家
魚を初めてみた人「うぉー」
カラヤンの頭の空やーんw
豚をぶった仏陀
只見線をタダ見w
菊名でそんなこと聞くなよ
五秒で死んで御廟に埋葬
がらんとした伽藍
有給を使いすぎて悠久の時が流れた
長谷に想いを馳せる
Thinkerの真価
不具の河豚
暗記のanxious
半世紀にわたる半生での藩政を反省
タンチョウが単調増加
ショック死内親王w
カルカッタの石軽かった
天皇のこと知ってんのー
蒋介石を紹介した商会を照会した商會の船で哨戒する
其方のソナタ
先王に洗脳される
防潮堤で膨張した傍聴人
砂漠で鯖食う鯖を裁く
筒に入った膵島
サイコロを使った心理テスト(psychological test)
カラシニコフが辛子個踏んだ
皇帝の高弟が公邸の校庭の高低差を肯定する工程に拘泥した記録を校訂
にようかで酔うか?
うるさい人が売るサイ
どんなもんだい、を、どんなムンバイ、と言い間違える人
透徹した饕餮の眼球
チャカで茶菓を破壊
slimyなすり身
ゆうほど広くない遊歩道
いにしえのイニシエーション
コーランをご高覧ください
K殻の傾角を測定する計画
協賛した共産党員に強酸をかける
負けたのは聖者の静寂のせいじゃ
裏地見るウラジミール
カミオカンデの上に紙置かんでw
県大会がおわり倦怠感を感じる
夕暮れのユーグレナ
ストライキをする公務員に呼びかける人「 Stay calm(公務)」
エド・はるみの穢
祭壇を裁断
腐卵ダースの犬
全然人が集まらないクラブの人「参加数人は我々の十八番ですから。だけに。」
四苦fuck
都バスが人を跳ね飛ばす
怒るカロテン「なにカロテンねん」
嫌がる慰安婦「いやんっ」
かえるがえる帰る蛙
沈厳な青梗菜
トリコロールの虜
布陣を組む夫人
栗けっとばすクリケット🦗
婉容と遠洋漁業
アマルガムで余るガム
ハラスメントの疑いを晴らす
滋賀を書けない人を歯牙にも掛けない
他意はないタイ人の鯛の態度
鯛が蛇足
ダジャレではない↑
割と面白い
ハラッパーの原っぱ
紫に関して思案を巡らす
Huluが夏の風物詩だと思っている人「Huluですなぁ」(風流)
下調べのムニエル
わからないので
意味ない諱
よく分からんリポーター「うわぁ〜美味しそうですね!少なくとも不味そうには全く見えません!」
どうしても下がりたくない人「黄色い線の内側は、境界を含みますか??」
計算ができない人
着ていく服を決めた高橋是清「これ着よ」
enough、enoughは工夫がenough
負け負け山(カチカチ山)
薬師丸せま子
トーマス・マンの書いたふるさと「うさぎ〜おーいし、魔の山〜♫」
その心は
焼結が猖獗を極める
これはstaleだから捨てるか
衒学的な弦楽を減額
完全な勧善懲悪
イボ人の疣痔
イブに慰撫
(訳 ぬるぬるしてるありふれた魚)
盲いるのに飯いるの?
アーヘンで阿片を吸った人「あー変」
毒吐く独白
明借りるアスカリ(車)
丁寧な砂浜「Could you九里浜」
ゴーンと奉公
その心は
サンクチュアリに山窟あり
熟れたウレタンは売れたんか?
清澄な声調を静聴し成長
プエルトリコで増える虜
象さんを増産
兄弟が今die
Dose heで始まる疑問文に答える京都人、Yea, he どす
ソフィカルのソロカル
美人局に筒持たせる
十把一絡あげ
篤信な特進が涜神を得心
これは何という植物かな?ムユウジュでは?あそっか、なるほど。
クートゥを食うとぅいいよ
マイソールで昧爽に埋葬
ドクサは毒さ
暗殺で朝死んだ
クラシックについて語る人をそしる人「弦楽なんてペダンチックだなあ」
凛々しいリリシズム
衛生的な俳人
御髪も亂とはオクシモロンだ
コロナ後の世界を分析する学問→postcoronialism
影響が色濃いイロコイ諸族
あてのあてないアテナイ
ほんそれ。「ここでは稼げないから出て都会に出ろ、帰ってくるな」って教育してるんだぜ。
そんな教育が最も激しかったのは、高度経済成長期に親をやっていた世代。で、その団塊世代のちょっと上が今過疎地の最もボリュームのある世代になってる。そりゃ衰退するだろjk。
歴史的経緯はあるから、仕方が無いんだけども。なんとかせんとまずい。
その世代は戦前・戦中派を親に持つ。その世代までは、実家は兄弟のうち誰かに集中的に相続させる。
一方、そうでは無い兄弟には外に出す代わりに、教育を施すという習慣が残っていた。
当時は、実家を継ぐ長兄は高卒だが、次男以下は大卒という様なことも普通にあった。家は継がせてやれんが、その分大学にはいれてやる、と言う思想。
そうして教育を受けた兄弟達が、都市部に労働力として送り出された。文化的には丁稚奉公の時代からの流れではある。
それは、江戸時代から続く、地方で生み出される富を都市に集中させて国全体の発達を促す、という流れだ。このとき、地方から都市に出てきた者たちは、平均寿命から見ても決してよい生活ができていたとは言えない。そもそも、小作以下は、貧しい世代が喰わせる事ができず、外に出していたと言うところもある。
その頃は、地元の実家を継いだ者が一族の要になって、外で安い賃金で働く兄弟の後ろ盾になっていたわけだが、戦後からそれが変わってくる。
戦後、高度経済成長期。国全体は生産性を上げ、どんどん工業的に豊になっていくが、物価上昇も激しく、従来は土地という確実に富を生み出す資産の価値が急速に衰えていく。
そこで、低学歴の農山漁村民は収入が増えず衰退していった。一方、都市にいった兄弟はしっかり収入を得て故郷に錦の旗を飾りに来るという構造になったわけだ。
さらに、地方それらの世代は思春期は日活時代全盛期、加山雄三が出てきて、おら東京さいいぐだ、で吉幾三(よし、いくぞう)がヒットした世代。
そりゃ、そういった世代はその子供世代に「都会に出ろ」と言うよな、と言う感じはする。
そして、そうして送り出された世代のさらにその子供が子育てをしているのが今。子供は親世代がやっていることならおかしいかどうかを考える事ができるが、同じ事が二代続くともうそれが当たり前になってしまう。
それが続いた結果、誰も地元に戻ることがなく、衰退しているのが現状。
自営業の若旦那とかもそれなりにいるんだけど、彼らは都会に出ろと言われたけど、それには必ず、都会で修行して、いつかは帰ってきて家業をつぐんだぞ、と言われていて、それが当たり前だと思っていた、と言うから、裏返しだよなあ。
どうすりゃいいんだろうなあ。決定打は無い。
とりあえず「ここは駄目だから都会に行け」というのも「お前は必ずここに帰ってくるのだ」というのも同等程度に呪いだと思う。
まずはそこはやめようと言う話は、総論としては同意ができるとは思うんだけど、典型的なミクロとマクロが相反している問題なので難しい。
今やってるのは、関係人口作りという安易な方面。せっせと公園を整備して、遊びに来てくれたよその人と話をして大事にする。
けど、関係人口なんてのは国が人口衰退の中でなんとか体裁を整えるためにぶち上げた幻想で、こんな緩いもので過疎地が救えるのかよと思っている。
今は、放置集落をまるごと借り上げができないか、地権者をまわって話をしてる。買取はしない。あくまでも借り上げ。そして、趣旨を話して、ほとんどタダ同然で貸してもらう。
そうして、集落まるごと基本的には何をやっても良い会員制の遊び場を作ろうとしてる。イメージとしてはかつてのダッシュ村と、プレイパークを足したような存在にしたい。
同時に、土地を借り上げた地権者の方々には、今どのように使われているかをちゃんと手紙で知らせることで、我が郷里を忘れないでいてもらおうとしてる。
これはもうやってるけど、暖かい手紙をもらったりして家宝にしてる。
放置集落が長かったので、そこにあった放置果樹園で飯が食える事を学んじゃったんだよな。それで群れが居着いている。
ほんと、なんで猿ってぶっころがしちゃいけないの????(過激派
しかしだね、俺は女性向け創作作者たちに直接話を聞いたことがあるのだが、
「地雷認定女から粘着嫌がらせをされる」のは日常茶飯事とのことだった。
「〇×を書いてた~~さんですよね?なんで〇×民の地雷である△□を書いてんの?嫌がらせですか?」「△□キモイ」「どうなるかわかってる?」という粘着を延々繰り返され、6回はアカウントを転生したそうだ。
思わず「こえー」と言ったら、
「粘着されて転生6回はむしろ少ない」「こんなの普通やで」「当たり前」と、その場にいた作者たちからあっけらかんとした感じで言われてしまった。
「そういうもんだから」というのが、またなんとも凄味があった。
また、数千フォロワーの作者曰く、
サークルが大きくなるとそれはそれで「信者」がつき、この信者がなぜかデカい顔で自治や学級会をしはじめてうざい、という話をしていた。
勝手に自治をはじめるだけならまだしも(それでも相当なストレスだとは思うが)、
「積極的に他サークルに喧嘩を仕掛ける」から困る、と語っていた。
なにやら、そういうロールプレイをするもの、と強く思っているフシがあるらしい。
その場にいた人たちはまた同意で、
「好きだった作者が信者のせいで活動を自粛した」「信者に乗せられて他作者の製本をあてこすったり、上から目線の言動をするようになった」「限定本をやたら出すようになった」等、いろいろな証言を聞いた。
色んな証言と言っても、
これがまたネットでよく見る「女オタ界隈ってやばいよね~」という「噂話そのまんま」のありきたりな事例ばかりで、
それに二重にビックリした。
ああいうのは大袈裟な悪口だと思ってたんだが、そうじゃなかったんかい。
こういった連中が「地雷認定」をしたり、「あいつは検索避けをしていない」「金儲けしか考えてない」「他人様に迷惑をかけてるからあの作者はクズ」という足の引っ張り合いの場外乱闘をしていて、
やりたくてやってるわけではないが、ルールを明文化したり警告を時折出さないと、ファンが暴走するそうだ。
一番いいのは、信頼のおける「委員長」みたいなファンに、その他のファンを仕切ってもらう事らしい。
そのために、知り合いに「重鎮ファン」のふりをしてもらって、SNS上でアピールしてもらってる、という人もいた。
ちなみに、学級会でよく言われる「一般人に迷惑をかけるから」という感覚は、おそらくみんなないだろうとのこと。
「専門ショップであんなに堂々とBLコーナーや○○作品特集!ってやってるんだから、そういうのは元々薄いよ」らしい。
本心としての「地雷」というより、党派性や政治的アピールでの「地雷」なのだろうし、
「実際にサークル活動してたら絶対に出会う」という話を聞いたので、一応書いておく。
ちなみに、この話は俺から聞き出そうとしたわけではなく、同人作者たちがいる場で突発的に女性作者たちの愚痴大会がはじまって、それに合わせて質問していった形である。
香川照之と比べるとブクマ数3桁止まりの割合が多いんだけどなんでだろう(3桁以下と4桁以上で半々)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/bunshun.jp/articles/-/57263
id:abr_h 親友の情報売って金稼ぎしてるっていうことだよねこれ。坂本もだけどこの親友もどうかと思うわ。 371件
id:ashitaharebare 不倫じゃないし、レイプしてるわけでもないし、恋人同士がどういう性行為をするかはお互いの関係性にもよるしで駄目と言えるかどうか。773件
id:listeningsuicidal 程度の差はあれ、よくある話。こういう男は酷いけど、惹かれる女もなあ。 538件
id:yahoo7979 ピルは要らないよな。せっかくの坂本の精子なんだから、ピル飲んだフリして中出しされて妊娠してこどもを生むべき。坂本なら1000人は小作りできるだろ。スポーツマンはどんどん小作りすべき。 2件
id:nnn7kun 本当ならどっちもどっちだなという感想 19件
id:madomad ひでーなと思うけど好感度で売ってる芸能人でもないし結婚もしてないし、当事者同士で終わってるんならそれで終わりでは。A子さんが無理やり付き合わされてたわけでもあるまいし。坂本の好感度は下がるが。 387件
祖父は田舎じゃ規模のでかい建設会社の創業者で叔父と叔母の婿がそこの社長、父は地方銀行員って感じの家庭で育った。小さな頃から祖父の家に行くとよくヤクザさんが来てた。ヤクザって言っても三次団体の小さな組。祖父が満州から引き揚げて建設会社を起こす前に、土地を失った地主たちのために元の小作人から無理矢理小作料を取り立てる仕事をして稼いでおり、その時からの付き合いらしい。
親分さんと祖父は県会議員や地元選挙区議員の後援会の人、県庁の職員や父の上司の銀行の人を連れてきては両脇から肩を組んで酒を飲ませ、色々困らせていた。
俺が好きだったおじちゃんはそこのヤクザだった。小さな頃はよく祖父や叔父、親分さんにからかわれて泣かされていたんだけど、そのおじちゃんは物静かで「これ食べるかい?」と刺身なんかを食べさせてくれた。話し方とかも子供扱いしてこなかったので好きだった。そのおじちゃんの「親分どうも」という挨拶と独特のおじぎが好きで小さな頃からよく真似していた。祖父や親分さんは笑っていたが、父や母は良い顔をしなかった。大人になってから知ったが賭場開帳や強盗殺人未遂の前科があったそうで、そりゃ両親的には子供が懐くのは嫌だったのだろう。
俺が中学受験のために母と上京するタイミングで組が解散した。親分さんが高齢になったのと、ヤクザへの締め付けが厳しくなり始めたタイミングだった。
それ以来おじちゃんは親分さんから譲ってもらった喫茶店と雀荘をやりながら独りで暮らしていた。奥さんと子供はいるけど何年も会っていなかったらしい。
大学に入った最初の夏休み、帰省した際にその雀荘に地元の友達と行った。アルバイトのお姉さんだけがいて「店長来ないんだよね」と言っていた。心配になってお姉さんとアパートに行くと、そこで亡くなっていた。着替え中に脳梗塞で亡くなったようで、服を脱ぎかけたまま倒れていた。
お通夜とお葬式には行けなかった。両親からダメだと言われたし、その頃は祖父も叔父や父から強く言われてヤクザとの関わりを絶っていたから。葬式のあった夜はとても悲しい気分で過ごした。それから雀荘で両親には内緒でこっそりお別れ会をした。祖父、俺、友達、バイトのお姉さん、元親分さん、元組員さん、おじちゃんの恋人だったスナックのママなどが集まった。それからしばらくして親分さんも祖父も亡くなった。
最近地元の繁華街で覚醒剤を巡る半グレの乱闘騒ぎが起こったそう。祖父が親分さんに「そろそろ引退して解散しろ」と言った際に親分さんが「この辺でシャブ売り出すやつが出てくるぞ」と言っていたが、その通りになったんだなと複雑な気分になった。
牛に鋤を引っ張らせて、田おこしをする風景は、
ここでは、「トラクター耕」。
トラクターも大半が乗用で、
出番が少ない。
いつも、
作業も大変だ。
時間もかかるし、
畑の仕上がり具合にも差が出てしまう。
ちなみに、インドネシアで牛耕(馬耕)と
それを羨ましいとは一切思っていない。
そのどちらでも僕は大変な失敗をし、
技術力だった。
日本にはある、とのこと。
技術が無いのか?と聞くと、そんなことはない。
本当???
同じくらいの値段のオートバイは、
村の中でも何軒も見受けられる。
その代り、牛に投資する人が多い。
僕が居たスラウェシの村でも、
牛は「歩く財産」と呼ばれていた。
牛は子供を産めば増えていくし、
放牧しておけば、餌の世話もあまりない。
急なもの入りの時には、売却すれば良いし、
そういって、僕に牛を自慢してくれた
インドネシアの友人も多かった。
「だから、お前も牛を買え」と強引に進められたけど。
なので、
最後に絞り出すように、
「教育」を挙げていた。
ノタマフのだ。
では、学校教育の中で、
トラクターの使い方を教えているのか?
ちなみに大学の農学部でもトラクターの使い方なんて講義は無いぞ。
もっとも忌まわしきモノだ。
そんな議論をしていた時に、
「インドネシアでトラクター耕にしたくても、畑までの農道が無いので、無理です」
と話してくれた。
そう、畦しか通れない場合、棚田が多いインドネシア(特にジャワ)では、
(アレジャン集落で無理やりトラクターをかけた話は、こちらのリンク)。
土地改良事業として、行われてきた。
牛耕からトラクター耕に変われば、農業労働者もそれほど必要なくなる。
耕作面積も牛耕では間に合わなかった分も、
耕作地の貸し付けも当然減る。
同時に無ければ、失業者が増えるだけになる。
コミュニティーを自立して維持していくことを困難にしてしまった。
つまり冬は外出すら困難になる
ただ単純に「先進的」と言って良いのかどうか、
その取り組みが、僕らの福祉(welfare)に直結しているのかどうか、
僕には疑問に思う時がある。http://tayatoru.blog62.fc2.com/blog-entry-1292.html
自分の先祖は高祖父が林業家で、祖母は小さい森林を相続していたので、やはり伐採と杉植林をしていた。でも60年以上伐採してない。1ヘクタール未満では補助金も出ないので手が付けられない。今や花粉症の元だ。
ところが2015年に国交省が再測量した結果、面積は2ヘクタール近くだったことが分かった。幸い土地評価額は30万円以下で固定資産税がかからないギリギリの面積だったので税金問題は生じなかった。
しかし誤差程度の数字ではない。祖母もその次世代も補助金が出ないと勘違いしてて伐採しなかったことになる。
測量の錯誤が戦前戦後のいつに行われたか知りたいが、これが閉鎖登記簿も見つからない(小作制度廃止時代の土地の接収はおおむね閉鎖登記簿に記録されているのだが)。こうして面積を「錯誤」されていたために杉や檜を伐採しなかった山林所有者は他にもいるはずだ。
つまりかつての法務局や国交省、あるいは農林省は、花粉症源の植林を推進したうえ、あちこちの土地面積を補助金対象以下に錯誤することで伐採を妨害し、花粉症源を維持したのだろうか?
いずれにせよ彼らは地積情報を仕切っている。霞が関の裁判所が土地譲渡を受けたときは面積は「大きめに錯誤」されている。売り主はさぞ税金を得たことだろう。
1日ありゃ小作りできるべ
両者は2本別々の作品だが、文庫化された当時、一冊にまとめられたもの。
共通するテーマは旅。いずれも見開き2ページで一話完結。さまざまなエピソードを収録している。
高度経済成長を経て経済大国となった70年代半ば、ブームになったのはハワイや香港などの海外旅行。
おりしもジャンボジェット機が就航し、高価だった海外旅行が庶民の手に届くようになった時代。
それまでの日本人の旅行といえば、熱海など温泉旅行。そして企業など慰安旅行が当たり前で、宴会どんちゃん騒ぎに温泉コンパニオン。
そんな温泉社員旅行のノリで、庶民たちが海外ツアーに出かけると、一体何が起こるのか。。。
バスタブを初めて使い、トラブルになる場面、当時のお土産の定番だったジョニ黒をネタにした作品、常磐ハワイアンセンターにダンサーを引き抜かれて本場のハワイではすっからかん、お土産にアロハシャツを棚ごと買い占める成金、といった当時の世相をユーモラスに描いている。
こんな客もいた。
英語をしゃべってみたくて、外人のスチュワーデスをコールするが、全く通じない。ワンスカッッチャンドワーラープリーズ!などと必死に連呼するも歯が立たず、添乗員を呼びつける。
スコッチの水割りを頼んでるのに英語が通じないんだと添乗さんに話すと、そばでその日本語を聞いていたスチュワーデスがオー!スコッチ・エンド・ウォーターのことね、とはじめて理解した、という。
全く英語のわからない外人スチュワーデスも困ったもんだねえ!と添乗さんに文句をいうオチ。
こういう人、いるよねぇ。。
安孫子先生の人間観察とそのユーモアあふれる描写の仕方は本当に好きでした。
海外旅行ツアーが大ブームになった70年代、一方、国内では、一人旅がブームとなっていた。
当時の日本の歌謡曲も、心の旅(1973)、岬めぐり(1974)、いい日旅立ち(1978)など一人旅をテーマにした曲が流行していた。
こちらの作品ではサラリーマン生活に疲れ、癒しを求めて一人旅にでた孤独な青年の旅先での小話が描かれている。
添乗さんが日本人の集団心理を切り取ったものだとすれば、こちらは日本のそうした組織風土に疲れて旅に出た青年を描いている。
モーレツ、と言われた時代が去り、しらけ世代という言葉が登場した70年代半ばというのは、どこかに誰も知らないところへ出かけたい、そういう時代だったのだろう。
なかでも印象深いのは、寝台列車に乗って、普段通勤していた駅に到着した朝、カーテンを開け、ホームで通勤列車を待つサラリーマンにわざと、お酒を飲んでくつろぐ姿を見せつけるエピソード。
線路わきでのんびり昼寝をしていたら、蒸気機関車の音にむっくり目が覚まし、
いまどきSLなんてめずらしいねーなどと、近くでのんきにSLを眺め、見送るエピソード。
驚愕したのは、朝からポジションを決めて待っていた撮り鉄たち。
線路わきから突如、人がにょきっと立ち上がって姿を現したため、予想外の出来事に動揺。邪魔だ、どけー!と叫んでも機関車の音で聞こえない。
「添乗さん」では、ホンモノをゲットすること、象徴的な意味での旅の証明としての戦利品を収集したり体験することが旅の重要なアジェンダとなっている。
例えば、マカオでニセモノに騙される日本人や、ビーチでナンパを試みたツアー客が間違えて日本人女性に声をかけながらも外人女性だけを探し求める姿などを風刺している。
一方、「さすらいくん」のほうでは、旅の目的は疲れ切った日常から逃避する場所を求めた癒しであり、ぬくもりだ。旅先の情報など何一つ収集しないし、旅の思い出を語る誰かもいない。
どちらも哲学的な意味での旅の本質をさらっと描いているのが秀逸だ。
この2作品は、旅というテーマを通じて、当時の日本人が何を思い、旅先にどんな夢を描いていたかを、
藤子不二雄Ⓐ先生にしかなしえないユーモアでもって簡潔に描写している、という点で同氏の傑作のひとつ。
どうもありがとうございました。