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2024-09-30

anond:20240930142028

じゃあ何で「冨永愛自伝の読者はモデル志望」想定なんですか?

anond:20240930140909

自伝を「先輩社員が残した手順書」くらいにしか思っていないのか

2024-08-26

聴覚障害の友人がいるのだが



 友人が、どうにもこうにもしんどくて仕方ない。どこにも書けないし、誰にも言えないからここに書き込む。本人や、知り合いがが見たら僕が書いたとバレる恐れがあるので所々ぼかす。

 友人・Nは、いわゆる大学の基礎ゼミが同じだったが故に知り合った。基礎ゼミ以外でも後述する理由で近くの席に座ることが多く、なるべくして親しくなったのだ。程々の仲でありたかったのだが。

 Nは聴覚障害者である。これを書くことにより彼にバレる可能性が飛躍的に上昇してしまうが、Nの話をするためにはどうしたって省く訳にもいかぬ。ともかく、そうした事情があるので、僕は彼の手助けを出来るだけ心がけている。手話挨拶程度しか出来ないが、筆談やらLINEやらでなんとか会話をしている状態だ。

 これがあることにより、嫌いだ苦手だということが健常者より複雑になるから困る。一歩間違えたら差別主義者と思われかねない。

 彼は講義のために文字起こし必要なため、ボランティアの手をかりている。そのため席は最前にならざるを得ない。そして僕はコンタクト使用しても視力が弱く、乱視もあるために最前席を取らざるを得ない。だから席がどうしても近くなるのだ。

 彼が苦手だ。なんならまあまあ嫌いだ。

 ひとつ断っておくが、障害があること自体理由では無い。あらゆる差別は根絶されるべきものだと思う。つまり、単純にNの言動が嫌いだ。ただし、障害があることにより発生してしまう彼の思考は苦手なため、事態をややこしくしている。

 しかし縁を切るわけにはいかない。大学毎日うからだ。フラストレーションは溜まるが、耐えてニコニコとし、大切なことは何も言わないようにしている。

 簡単スペック

 N

 ・男子大学

 ・二十歳越え

 ・重度の難聴

 ・意味わからんくらいポジティブ

 

 

 僕(K)

 ・男子大学

 ・二十歳越え

 ・耳が聞こえる

 ・ことなかれ主義

 


 █

 まず、とにかく話が合わない。というか、話が合わないとかい次元ですらないのかもしれない。

 彼の話はなんとなくスピリチュアルなうえにファンタジックで、その歳の人間が言ってると思うと薄ら寒い。幼い子供が言うならいいけども。そこまでガチモンのスピ系でもないが、割とうんざりする。

 一例を挙げる。自宅でLINEのやり取りをした際のNの言葉である。多少の原文はいじっているが、ほぼそのままだ。

 僕:そういやサークル合宿、めちゃくちゃ自然豊かな所行くっぽいよ

 僕:Nは合宿行かんよな?(サークル同じ)

 N:良いね自然

 N:何故か、時々、深呼吸したくなる。

 N:どうしてか、時々、走り出したくなる。

 N:なんだか、時々、宇宙と繋がってみたくなる。

 N:そんな時、あるよね?

 僕:あるかな~笑

 あるのかもしれんが、それを僕に言ってどうするんだ。話の脈絡特にない。無駄句読点も鬱陶しい。もちろんそれを本人に伝えると面倒臭そうなのであまり触れないようにして流す。

 次。その日は移動中にゲリラ豪雨に襲われたという背景を付す。これは対面でLINEしている様を想像してほしい。

 N:雨つよすぎ……

 僕:明日は晴れるらしいけどね~

 N:きっとさ、

 N:これは神様が「今日は雨降らそう」とかいう気分でそうしているんだよ。

 N:今日は機嫌が悪かったのかもしれない。

 N:きっと大きなジョウロを持っていて、それを俺たちに向けているんだ。

 これを聞いて、「少年の心を失わないピュア好青年」でも感じるべきだったのかもしれないが、僕にはそれが出来ない。ナチュラル宇宙神様ファンタジー的な話を持ち出されるのだ。結構辛いものがある。無論、大学である我らはとうの昔に成人済みの男である

 █

 そしてこれがかなり問題だと思うのだが、彼は物事押し付ける。これは断れない僕も悪いが、Nにも非があることは一目瞭然のはずだ。

 これは彼と出会った初期の頃の話。これも対面LINE

 僕:Nくんは好きな本とか作家いる?

 僕:僕は○○の『△△』が好き

 N:○○さんの作品全般好き!

 N:あとさ、

 僕:?

 N:くん付け要らないから。Nって呼んで。俺もK(下の名前)って呼ぶから

 僕:ずいぶん急だね

 僕:呼び捨て普段あんまりしないからさ

 N:Kの初めてってことだ! 呼んでね!

 これは特にNに伝えていなかったのでこちらも悪いが、僕は呼び捨てで呼ぶのも呼ばれるのも苦手な方だ。家族や幼馴染くらいしかしない。

 しかし、彼にとって友人になったら当たり前、みたいなことなのかもしれないとその時は受け入れることにした。価値観や考え方自体は多様であるべきである

 だが、まだNは友達になっていない人にもこれをやるのだから驚きである。基礎ゼミグループワークを行う際なども自分への呼び捨て強要。当然のようにメンバーを男女かまわず呼び捨てる。フレンドリーと言えば美点なのだろうが……僕には、距離感の詰め方が流石にバグっているように見える。

 ただし、これは障害があるというハンデがあるからこそ、距離ガンガン詰めて、避けられないように……という彼の生存戦略可能性もある。僕が価値観の違いで勝手不愉快になっているだけと考えればまだ許容範囲だろう。

 しかし、これは堂々と不愉快言動と言わせてもらう。

 大学主催ボランティア講習(Nのための文字起こしボランティア)があった時のこと。

 N:Kも来るよね? もう、Kは絶対参加だよー。

 僕:まぁ行くけど

 N:だよね! Kが来ないとかありえないから!

 行くのが嫌なのではない。友達なんだから来て当然みたいな雰囲気が嫌だ。ガクチカになるかもしれないし、困ってる人間は助けたい派なので行こうとは思っていた。それにしても、多分Nは僕をガッツリ頼る気満々である。僕と普段から仲がいい(と思っている)ため、頼りやすいからだとは思うが、初めから至極当然のようにアテにされるのは少々不満である

 そして、何より、「Nさんと仲のいいKさんは行くよね?」みたいな周りの目も嫌だ。これで行かなかったら薄情者と思われるのではないかと思ってしまう。

 図書館課題作成していた時のこと。Nは背後から忍び寄り、いくつか本を手渡してきた。

 N:オススメ! 

 N:俺の私物は借りたくないって言ってたか図書館ならいいかなって。Kって意外と潔癖? 笑

 僕:○○の本、前に好きって言ってたな

 N:あんまり読んだことないんでしょ? ここの図書館にあるやつだから読んでみて。

 僕:さんきゅー。でも、今日はとりあえずいいや笑

 N:良いの?

 僕:メモはとる

 僕:時間ある時読むわ

 彼の私物を借りるのがそもそも何となく嫌だった。既に彼を面倒くさがっていた頃のやりとりだ。そこでこのオススメ本の布教に来たのだろう。

 今ではない。確実に今やることではない。

 僕が今PCをカタカタやってるのが分かるだろう。机の上に資料があるのが分かるだろう。なぜ今渡すんだ?

 そして言いにくかったから言ってないが、僕はお前の好きな○○という作家にそこまで強い興味がない。すまないが、どんどん言いにくくなっていた。

 読書趣味だが、お互い好きな方向性が違うじゃないか触手をのばすのは悪くないが、押し付けられるからどんどん嫌になってしまうとなぜ気付けない。

 僕のオススメを聞いても、お前はお前で読まないしな。

 一年生の頃の夏休み直前のこと。

 N:夏休みってみんなどこ行くのかな?

 僕:海とかプールとかなんじゃね?

 N:調べてみる(Googleで『大学生 友達と出かける場所』と調べようとしているのを見せてくる)

 N:ボーリングとか買い物とかは手軽そうだな~。あと美術館とか博物館とかも面白いかもね

 僕:あ~定番っぽいね

 N:Kはどこ行きたい? 八月二十日!

 僕:え、二十日???

 N:俺と行けば博物館とかそういうの、同行者として割引とかあるよ。無料場合もある。

 僕:僕、同行者としてはあんま役立たんけど? 笑

 僕:手話分からんし笑

 N:俺がKと行きたい!

 知らない間に僕とNが出かけることになっていた。あれは仰天した。僕は一切こちらの予定など告げていない。同行者割引なんぞ要らんから、僕を誘う一言をくれ。予定を確認してくれ。僕はバイトもしている。流石にいただけないだろう。

 ちなみに彼はバイトをしていない。障害者がアルバイトをするのが難しいということだそうで、確かにそれは大変だとは思う。思うが、こっちの事情は考えてほしいものだ。実際その日が空いていたのも良くなかった。

 結局Nがその日は体調を崩し、なかったことになったため、内心ほっとしてしまった。その後にも何回か誘われたが、バイトやら他の予定やらが入っていたために事なきを得た。

 またある時は、

 N:俺のTwitterフォローしてないよね? 是非してね☆

 僕:してないけど……した方がいいの?

 N:して! これ俺のアカウント。(リンク貼ってある)

 僕:少し待ってくれる?

 僕はTwitterリア友を通したくない派だ。仕方なく新しい垢を作った。ほとんどその垢にログインしないが、Nはほぼ毎日何かしらスピリチュアルな何かや聴覚障害に関わるツイートをしている。

 N:Kの初めてのフォロワーじゃん! テンション上がる

 たった今作ったアカウントだって、見ればわかると思うけどな。

 ……もう、これ以上にも思い返せばまだまだあるのだ。僕のバイト先に押しかけて先輩に負担をかけるし、知らん障害者の自伝か何かを手渡して感想を求めるし、飲みの席では健常者同士でも全員筆談手話で話せと言い放ち、僕の着る服にまで口を出し、挙句には僕の一人称が「僕」であることにすら、幼く見えるからやめたら? などと言う。

 いくらでもある。こちらの話を聞かない。事情を考えない。自分の話ばかりする。とにかくゴリ押す。

 どうもこの辺りは見ている限り、ろう学校時代に培われたものらしい。というのも、こうした言動をしているのに対し、軽く非難にならない程度に指摘すると、「中高とか、みんな俺みたいな感じの奴らばっかりだったよ」と言う。中高とろう学校に行っていたそうだ。みんなNみたいなのか。しんどそうである

 でも、みんながみんなNのようであれば、意見が通るのが割と当たり前であり、言えば結構色々と叶ったのかもしれない。特別支援学校では、少しでも生徒が不便を感じたら、迅速に対応するべし──これは特別支援教育講義で学んだことである

 学問上、障害に関する勉強もしているためなんとなくは分かるのだが、彼は障害者の嫌なところの寄せ集めである

 先述のスピ系も同様だ。ろう学校のことを詳しく存じあげる訳では無いが、一般的学校に比べてこういう考え方が主流なんだろうか? ろう学校内でガラパゴス化しているのか? N本人も、一般的学校のことはよく分からないと言っていたことがある。

 彼はどうも、自分の主張はなんでも通ると思っているフシがある。

 耳が聞こえない不便さにより、周りを頼る習慣があるのは良い事だと思う。頼ってくれなければ助けようがないし、どう助けていいのかも分からいからだ。だから彼のためのボランティア講習に僕も参加した。彼に苦手意識はあるが、困っているのなら助けるぐらいの人の心はある。

 でもそれはあくまで誰かが厚意・善意でやっていることで、私的ワガママを通していいのとは違うのではないか? 必要な手助けと身勝手な振る舞いの許容は全くの別物だ。

 はっきり言って、Nは勘違いしているようにしか見えない。ワガママを言えば誰かが叶えてくれるという傲慢勘違いだ。そしてNにとってその"誰か"は、大学内においてはきっと僕だ。

 これを書いていたら、障害者に関わる機会が職業柄多い母が以前、「障害者は距離結構詰める人いるよ。見えない聞こえない動けない分からいから」と言っていたのを思い出した。だとしたら障害がある故にNはああなったのだろうか? だとすれば僕はそれを疎む差別主義者か?

 僕はNを心の中では信用していないので、これらの発言を嫌でも断れない。断ったら面倒なことになるのが目に見えるし、断ったところで彼の態度が変わるとは思えない。

 周りは僕を、「Nと仲が良く、Nと普段から行動を共にする人間」「Nに用があるなら耳が聞こえるKを通せばいい」と認識している。Nは他にも大学に友人はいるが、おそらく一番一緒にいるのは僕だ。周りにそこまでゴリ押し危害は及ばないのかもしれないが、だからこそ誰も僕を助けてはくれない。

 そして、これらのやりとりは当然筆談LINEを介する。会話にスピード感はない。更に当たり前だが可視化されてしまうため、Nのカロリー高めの発言言葉の端に上手く流すことは出来ずに僕に降りかかる。耳を介したやりとりなら、軽く笑ったり「まあまあ」とか言って、上手く話の流れを切り替えられるのに。

 会話に少しでもストレスを感じないために手話習得しようかとも思ったが、申し訳ないがそこまで彼のためにリソースを割けない。彼も本当は僕に手話を覚えてほしいらしいのだが、今は流石に無理だ。NHKの『みんなの手話』のテキストを定期的に貸してくれるが、無理なモンは無理だ。

 この夏休みが終われば、また彼に付き合わなくてはならんのかと思うと、正直憂鬱だ。

 もしここまで読んだ人がいるのなら、大変な乱文で申し訳ないと思う。書きなぐりであるゆえ、整っていない。

2024-08-24

anond:20240824122339

理解ある彼くん」の揶揄を見るに、男性にとって女性理解しないのが当然の存在なんだと思う。

これは障害理解があるという意味

ツイッターで挙げられてるような自伝漫画で女なら障害があろうと突然彼氏ができて幸せになりました

という展開を男女逆ならそうはならんやろと揶揄してるに過ぎないんだけどな

2024-08-12

[]【高橋源一郎にきく】今あえて社会内面化しない勇気

本書は、3年毎日に連載されている「これはあれだな」の中から選ばれた文章を集め、過失したエッセイです。

「これはあれだな」とはどのようなコンセプトのコラムでしょうか。

何か気になった事件や本、作品などがあったら、それについて書くのが普通ですよね。それだけじゃ面白くないので、過去に同じようなことがなかったかと探し当て、その二つを比べて何が変わって何が変わっていないかを考えるというのがコンセプトです。

まり、例えば文学作品であれば、文学作品と何かの映画とか、100年前に同じようなことがあったとか、こういう事件があったけど、50年前に全く同じようなことがあったよね、といったことです。だからジャンルが違う場合もあって、例えば映画と最新作のアニメでは、これどこかで見たことあるなと思ったら、80年前のあの映画と同じことをやってない?ということです。

パッと5、6個思いついて「これならできそう」と思って始めたんですが、途中で「大変だ」ということに気づきました。少なくとも二つは見つけなければならない作業であることに10回目くらいで気づいたんです。普通は一つの話題で済むところを、必ず二つ見つける必要がある。多ければ多いほどいいんですよ。例えば今と大正明治で同じようなことがあった、とか。

時代は変わらないね、というのは面白いんだけど、めちゃくちゃ手間がかかる。読み直しを結構確認しなければならないですからね。一応記憶に頼って「こんなことあったな」と思い出しても、記憶曖昧になってきます。でも、本当にこれ面白いんだと。途中からは大体ストックがあって、これは似てる、逆に今のこれがあれだけど、あれから発想する場合もあるんです。昔こんなのあって、こんな面白ものって今にはないかな、と。

そうやって見ていくと、最近若い人の旅に出た記録が1000年前の元神尚の記録に似てるとか、1500年前のものそっくりだ、とか。そういうふうにしていくと、結構いろんな時代に似たものがある。特徴性が被るものがある。だから時代にそういうものを生み出す必然性があるっていうことを考えると、話としては面白いんで、ただ手間がかかる。

今回本にまとめられたのも、別に今回が初めてではないです。これで3冊目です。毎週締め切りがあると憂鬱なっちゃう。まずこれを見つけるでしょ?で、あれがなきゃダメなので、どんなに面白くても「これ面白いんだけど、ペアになるものがいないよね」ってなると、できない。

そもそも、ご自身文学作品を作るっていうのも、アイデアを出さなきゃいけない。アイデアはひねり出すんですけど、あれを見つけるっていうのはなかなか難しい。でもやっぱりコンセプトが光ってますね。やっててうまくいったときは「これ、よく見つけたな、自分でも」って思います

あの、本書の前半では、2022年9月13日フランス映画監督ゴダールの死について書かれています高橋さんにとってゴダールはなぜこれほど特別存在なんでしょうか?

これは世代的なもので、僕の世代芸術音楽映画文学好きな人ゴダールに影響を受けていない人はいないと思います

皆さん結構しますね、やっぱり。

当時はSNSもないし、情報だって今ほどは入ってこなかったから、例えば映画ニュースもなかった。テレビニュースやらないから、どこで知ったかというと、映画雑誌とか、映画芸術とか、そういうところにちょこっと載っていて、新作が出たって今だったら全部SNSでお知らせが来るんでしょうが、そういうのがなかった。だから新作が出たって言っても、日本公開がいつかはわからなかった。

僕は映画だと、アートシアターというのに入っていました。60年代、相当幼い時から、そういう会の会員になって、中学入ってすぐそういう会に入った。だから映画クレイジーキャッツからゴダールまで一緒に見ていました。そもそもそれを分けて考えるのはダサいって感じだった。

しかも極端なことを言うと、芸術ばかり見ていると馬鹿にされるから、逆にクレイジーキャッツとかGS映画を見ないと恥ずかしいって感じだった。そういう背景の中で、ゴダール作品はかっこいいと思ってましたね。彼の即興スタイル特に印象的で、シナリオを書いていかないんですよね。当日、その場でセリフを持っていく。そして基本的編集映画を作るというスタイル

引用が多い。ゴダール作品は、引用が多くて、ただ引用しているだけのものもある。それはオリジナリティに対する嫌悪なんだと思うんです。オリジナリティではなく引用作品を作る。だから過去世代否定する度合が一番強いのが彼で、その影響を受けていると思います

最後作品についても書かれていますが、イメージばかりが連続してくる、写真バンバンバンと順番に来るような映画で、画質は必ずしも良くないのに、なんだか異様に綺麗な映像が印象的でした。

どうでしたか?その最終作に対する感想は?というと、ゴダール作品が好きだなって感じですね。もういい悪いじゃなくて、好きだって感じですね。ゴダールはずっと「映画テーマがどうとかじゃなくて、90分なら90分、じっとその映画館に座って見ていればそれでいい」と言っていて、ただ画面を見ていれば幸せ映画ってそれでいいんだ、という考え方を持っていました。

ゴダールは、自分映画自殺映画だと言っていて、主人公死ぬ映画が多いんです。「気狂いピエロ」もそうだし、「勝手にしやがれ」もそうだし、最後主人公自分で目を閉じて死ぬ。あれはすごいなと思う。しかも、あれがデビュー作なんですよ。最後自分意思表現する映画を撮るという意味で、彼の作品は一貫してそのテーマを持っているんです。

「映画史」という映画も撮っていますが、ゴダールという監督は、常に作品現実境界を取り払うことを考えていたんです。作品現実が別々のものではなく、その境界を取っ払って、映画館で観ている観客に語りかけるという姿勢がありました。

映画の中で、主人公が観客に話しかけるというのは珍しいことではないですが、それを堂々とやったのがゴダールアメリカでも10年くらい前に「ハウス・オブ・カード」とかで流行りましたけど、ゴダールもっとからそれをやっていた。それがかっこよかったんです。

また、魚くんの電気映画「魚の子」や、中村喜子の「女と刀」、植物学牧野富太郎の「牧野富太郎自伝」などについて書かれた箇所を読むと、一つの観念や興味に取り憑かれて、非論理的であろうが、非経済的であろうが、自分の道を進む人が高橋さんの好きなタイプなのではないかと思いました。そういう方にどんな魅力を感じるのですか?

いや、面白いですよ。単純に普通面白くないですか?ちょっと病的な感じさえありますが、頭おかしいんですよね。でも、そういう人は見ていて面白いですね。付き合いたいとは思わないけど。

でも例えば、魚くんだと、そこに書きましたけど、魚くんも面白いけど、お母さんがすごいですよね。僕も読んで「あ、そうなんだ」と思いました。魚くんの主人公はお母さんなんですよね。つまり、こういう人はいるんですよ、きっと。街を歩いても変な人はいます。変な人はいるけど、大体は困るんですよね。それが普通で、生きる人の知恵です。普通に生きてるとそうなるんですよ。

でも、時々そうは思わない人が出てくる。だから、変な人も大事なんだけど、その変な人を受け入れる人の方が自由だと思っています。お母さんがそうですね。お母さんは自分の息子だけど、そのおかしさを全面的に抱きしめる。

普通おかしいって言っても結局排除されるか、直されちゃう。「お前、おかしいか普通にしなさい」と。でも、そのおかしさを育てるというのがすごいなと思います。それは他者とか異業のもの尊重するってことなんですよね。つまりおかしくても存在意義がある。

これは結局、すべての人に存在意義があることにつながるんですけど、普通の人は存在意義があると認められている。でも、おかしな人とか、魚くんならいいけど、例えば身体障害者とか、知的障害者の人たちは見たくないと思うこともある。でも、それでも家族でも受け入れられない人もいる。

僕も色々調べました。障害ある子供が生まれると、受け入れられる家族と受け入れられない家族がいます時間をかけて受け入れられるようになる家族もいます特に父親最初は受け入れないんですよ。でも、母親はすごいなと思います。お母さんは何でも受け入れるんですよね。

魚くんも牧野富太郎も色んな人が出てきますけど、その面白さとは別に、それを誰が受け入れたのかが重要なんです。牧野富太郎変人だけど、奥さんが受け入れたんですよね。牧野富太郎植物愛に没頭する変人ですが、それを受け入れるのは大変なことですよね。

でも、それを受け入れたからこそ、彼の生存保証されたんです。だから、僕が書いた美方ククスとかも超天才だけど、あれ夫だったら困るよ。でも、受け入れた人がいたから、その生存保証された。

でも、どうですかね。例えば、牧野さんとか魚くんとか、みんな著名になって仕事に繋がって成功しているけど、そこまでお母さんが考えていたか奥さんが考えていたかは分からないけど、魚くんになれなかった魚くんや、牧野富太郎失敗版みたいな人も絶対たくさんいたはずです。

結局、成功者の影には1000人の失敗者がいると思います。きっとそういう人たちのところにも、お母さんがいたんですよ。でも成功しなかったけど、いいんじゃない、それで。

これでも、親もすごいけど、1000人の失敗した人を見守ってた親がいて、その人たちが不幸だったかっていうと、そうでもない。そういう人たちは必要なんですよ、ということをよく考えますね。

セコさんの漫画マダムたちのルームシェア」とか、信友直子監督の「ボケますからよろしくお願いします」、早川知恵監督の「プラン75」など、老いと向き合った作品が多数言及されています。今、世界で最も高齢化の進む国と言われる日本で、高橋さんは何を感じていますか?

自分が年取ってきましたからね。今年で73歳です。もうやばいです。あと2年で後期高齢者です。やっぱり、身体的な衰えを感じます。確実に老いていくのがわかります。それに対して色々と体に気をつけています

一つは、老いを新しい経験だと捉える感覚です。確かにそうですよね、経験したことないことですから、新鮮です。僕もそうですよ。ちょっと年を取ってきて体が辛くなってくると「こんなの今までなかった」と思うことがあります

例えば、鶴見俊輔さんという哲学者の方が「限界芸術論」を書かれたんですが、90歳を過ぎて、「今日1日転ばないことを目標に生きよ」と書かれていました。「あ、そういうもんなのか」と思って、わかりました。

転びそうになるんです。僕、スクワットして足腰を鍛えているから平気だと思っていたら、筋肉じゃないんですね。バランスが悪くなっている。神経が悪くなっていて、神経は鍛えようがないから転ぶ。僕は筋力鍛えれば大丈夫だと思っていたけど、そうじゃなかったという新しい発見がありました。

そんな老いを新しい経験だと思って、余裕を持って受け入れることが大事なんです。実際、この国、これは日本だけじゃないと思いますが、68歳、70歳、72歳になると社会の窓が次々と閉まっていく。つまり、色々なことができなくなってくるんです。

例えば、家を借りようと思ってインターネットを引こうとしたら「72歳ですか、ではご家族契約になります」と言われたんです。「70歳とインターネット契約ができないってどういうこと?」と聞いたら、「こういう決まりなので」と言われて、「おかしいでしょ」と思いました。これってちょっと差別的ですよね。

プラン75もそうですが、年寄り不要だという考え方があるんですよね。これが寂しいです。今「シルバーデモクラシー」と言われて、年寄りが恵まれていると言われていますが、それは嘘だと思います。年を取ってみたら、社会の窓が閉じていく。シルバーデモクラシーという言い方で、年寄りが恵まれていると若い人に思わせようとしているんです。

でも実際には、全世代がそれぞれ抑圧を受けている。70代以上はこういう抑圧があるけど、20代30代も年金の支払いなど、みんなそれぞれ抑圧されているんです。だから、全世代連帯しなきゃいけないと思うんです。分断が一番都合がいいから、それをやめるべきです。

僕は政治テーマとして、全世代連帯すべきだと考えています。知らないかもしれませんが、70歳になったらインターネット引けないんですよ。72歳になったらローンもできないんです。なのに恵まれているなんて、ふざけているとしか思えません。

これは、土線(映画)とかでテーマになってもいい話ですよね。でもそれはなかなか声になりにくいんですよね。40代50代の時には知らなかったけど、68歳70歳72歳で新しい抑圧が出てくるんだな、と気づくんです。

社会ってさ、普通のことは知らせないようにしているんですよね。それぞれの世代とかジェンダーで、社会から抑圧されていることをお互いに調べ合って、連帯しなきゃだめです。

ジャニーズ問題玉音放送について、高橋さんテレビ局の幹部たちに「ジャニーズ問題無視するのか」と質問した時のエピソードについて書かれています。昨年末ジャニーズの性加害問題が巨大なテーマになりましたが、この間、どう感じていましたか

あそこにも書きましたけど、僕がちょうどBBC放送した直後に番組審査員を辞めて、最後番組で「これはダメだよ」と言ったんですが、沈黙がありました。その後、某テレビ局が漫画問題で騒ぎになって、それを良かったと思って続けました。

でも、やっぱりテレビ局は商業放送から視聴率が下がることが怖いんですよね。だから視聴率が下がる可能性があることはなるべく避けたい。僕は怯えすぎだと思うんですけどね。もうそんなに怖がらなくても、普通常識でやればいいのに、忖度している。忖度しない方が視聴者の指示を得るんじゃないかと思いますが、なかなかそうはならないんですよね。

今と昔を比較して、昔の方が保守的だったかというと、そんなことはなく、テレビ全体は進化している。ただ、メディア動画サイトSNSに壊れていく時にどうするかを同時に考えなきゃいけなくなっているので、やることも多いんです。

から、僕も言ったんですが、面白動画サイト番組テレビより面白いですよ。テレビバラエティなんてやめたらいいと思います個人で作っているものでも、ものすごくよくできた動画番組があるんです。それを見たら、テレビお金も人もあるんだからもっとできることがあるはずなんですよね。

Netflixドラマなんかも面白いですよ。コンテンツの中身も含めて、やれることがあるのにやっていない。同じようなラブコメばかり作って、誰が見るんだろうって思います

江戸川乱歩の「芋虫」を現代では取り上げることがかなり難しいということについて書かれていますが、以前、マルキ・ド・サド作品を絶賛されていた話もあります。今の時代言論空気感についてどう感じていますか?

メディアテレビラジオだけじゃなくて、小説も含めて、僕がデビューした頃に比べると、だいぶ書きにくくなっています。例えば「ピエロ」って言えないじゃないですか。今では「ピエロレフ」って言われることがありますが、検索しても出てこない。

一番怖いのはこれですよね。こういう名詞ごと削除されること。ポリティカル・コレクトネスで、こういう言葉を使いなさいというのは一つの考え方としてあるかもしれませんが、元々あった言葉が使えないというのは、歴史捏造じゃないですか。

今、「ジプシー」って言葉も使えないんです。「ロマ」とか言いますが、これは歴史捏造であり、存在させないという方向に進んでいるんです。例えば、ゴダールの「気狂いピエロ」も、僕はそれを見ましたからね。でも、「ピエロレフ」って言われてもわからない。

ポリティカル・コレクトネスについては、理解できるところもありますが、理解できないところも多いです。多分、それを推進している人も、やっていて変だと思っているんじゃないかと思います定義や限度が確定していないのが問題で、空気みたいなものから

ポリティカル・コレクトネスの一つの問題点は、日本が元々空気社会から空気で決めるというのはやばいポリティカル・コレクトネス空気で決められるようになっているのが、日本事情なんですよ。

上辺だけの議論が多く、社会的な不正義の問題は見ないで、言葉だけで物事判断する。ポリティカル・コレクトネスは、社会的な問題言葉だけで覆い隠そうとしているだけです。

その辺が、日本という国は忖度する社会から空気を読めということがずっと言われてきて、変わらなかった。変わるかと思ったら、ずっと空気を読んでいる。片方では多様性を唱えているけど、それは言っているだけで、実際には何も変わっていない。

大杉栄についても言及複数見られます思想生き方性格、私には高橋さんと似ている印象を受けましたが、大杉栄をどのように見ていますか?

大杉栄は、日本でも代表するアナキストですが、やっぱり感じがいいですね。友達になりたいなと思う。問題はいっぱいありますが、女癖が悪いとか、迷惑な部分も多いけど、その一方で愛すべき点がある。だから、あの人は人たらしなんです。

例えば、子育てをしていたんです。普通政治的な人は政治活動はするけど、家のことは見ない。でも、大杉栄は、伊東のと結婚して子供が生まれたら、赤ん坊選択をしたり、オムツを変えたりしていた。嫌じゃなくて、それが好きだったんです。

彼の中では、夫婦や男女の形は形式じゃなくて、対等であって、子供から自分 Permalink | 記事への反応(1) | 08:25

2024-08-09

自分人生を振り返ろうとして幼稚園時代からひたすら棚卸ししているのだが全部足しても100kbもいきそうにない

文字数にして5万文字未満だそうだ。

本で100Pぐらいだって

凡人の人生ってうっす~~~~~。

意味不明自伝書いてるジジイ共のこと馬鹿にしてたけどさ、アイツら「俺マジ凄いよ本当ヤバイ。マジ強すぎでもたまにピンチ。でもマジで凄いよ。チンチンも元気。元気すぎてたまに失敗。でも若い子たちから尊敬されてる。俺サイコー」だけで300Pとか書くからほんま凄いわ。

2024-07-25

フィクションにおける「世界征服」の歴史を知りたい気分だ

いわゆる悪の組織が最終目標に掲げるような世界征服

この概念の形が定まったのはいつ頃のどんな作品群によってなのか

病院の待ち時間暇つぶしに調べるのにちょうどいいお題だ

世界征服目的とした組織自分がまず最初に思いついたのは仮面ライダーショッカーだな

さて、ここから過去に向けて掘っていくか

こういうときニコニコ大百科にだいたい独自研究がまとまっているから助かる

あー、サイボーグ009ブラックゴースト世界征服目的

おっと、仮面ライダーサイボーグ009のどちらも石ノ森章太郎作品じゃないか

じゃあ「石ノ森章太郎作風に影響を与えたものは何か?」のような路線で掘っていけば何か見つかるかもしれないな

そういった観点であれば何か参考文献も見つけやすそうだ

別の観点でも一旦調べるか……アメコミとかだとどうなんだろ

ファンタスティック・フォーに登場するヴィランドクター・ドゥームも世界征服目的として掲げている?

ドクター・ドゥームの初登場が1962年7月

サイボーグ009刊行がいつだっけ?1964年7月

ドクター・ドゥームの方が早いが……

ファンタスティック・フォーを読んだことないんだよな

登場してしばらくして世界征服とか言いだしたかもしれんし

判断できない

しかし興味深いな

確かドクター・ドゥームってのは何かの組織首領みたいな感じではないんだったか

それに対してブラックゴースト組織世界征服を掲げている

ヴィラン個人で掲げる世界征服悪の組織として掲げる世界征服という違いがあるのだなあ

サイボーグ009(というか石ノ森章太郎)が影響を受けている可能性がある作品として007シリーズがあるか

007世界征服を目論む輩はいたっけか

いるわ

スペクターですね

さて、これの初出は?

小説の『サンダーボール作戦』で1961年かな?

なんかこの時代らへんって世界征服をもくろむキャラクターが登場する有名作品が沢山誕生しているんだな……

冷戦下のスパイ小説とかが世界征服をもくろむ悪人キャラクターの源流なのかしら

もっと過去に遡れるのかどうか

ナチス崩壊1945年あたりまで遡れるかも、という勘がある

当時の人にとって「世界征服」はフィクションではなくREALに起こりうる危機という感覚があったのかしら

核戦争による終末はREALの感覚があったかもしれないけれど世界征服はREALだったのかNOT REALだったのか

こういう「当時の人がどのような意識でこれを読んでいたか」という肌感覚を知ることができたらなあ

石ノ森章太郎自伝だかルーツをたどるみたいな本は予想通りあるみたいだな

じゃあ病院帰りにジュンク堂に寄りましょうね……

国会図書館デジタルコレクションで「世界征服」で検索するとだいたい1890年~くらいの資料が見つかる

けれどモンゴル帝国世界征服だったりナポレオン世界征服だったりどこぞの国が世界征服をもくろんでいるので我が国富国していこう(←これ正しく読めてないかも)みたいな文脈での用例になる

今の興味はあくまフィクションでの世界征服なんでね

あー、「世界征服という単語がREALからフィクションでの出来事となったのはいつか?」というテーマにもできるのか

横道にそれた話→現実の話で「世界征服」と言ったとき、「世界」が「地球全土」とか「地球上に存在するすべての地域」とかを意味していない場合がある

1984』の刊行1949年

世界征服とはちょっと違うか?しかし少なくとも隣接ジャンル

石ノ森章太郎SFの人だから海外SF小説に源流を探しに行くのも面白そうだ

宇宙人による地球侵略も隣接ジャンルだけれど……探す範囲が広範になってしまうな

当時のトキワ荘メンバーに源流があるかどうか?も探すか

陰謀論世界征服にまつわる話があるかもしれんな

エンタメとしてフィクションの題材に用いられるような類の陰謀論ネタ歴史が古いモノが何かないか一応見ておくか

ある程度調べたら日記にまとめるか

一旦ここまで

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読む

黄禍論 百年の系譜

黄禍論日本人 - 欧米は何を嘲笑し、恐れたのか』

2024-07-21

ワンマン社長自分自伝書を書き(もちろんライター任せである)

それを社員強制購入させて読ませるようなクソブラックだったが

コロナ煽りを受けて倒産した

これはもう美しいザマア経験だった

2024-07-10

anond:20240710190131

週刊誌どうこう以前に本人が自伝で「女性を輪姦してきたから、自分の娘が輪姦されても仕方ないと思う」と書いてんだよな

松本支持者は輪姦ぐらい別にやってもいいし俺もやってるわーって奴なんだろうな

輪姦のしっぺ返しは自分で償うのではなく、娘を犯させればええねんって思想なんだろ

カスですわ

2024-07-05

anond:20240705182557

仮に世の中がゴミ本だらけになったとしても、読み手側もそれを選別するために賢くなるバランシングが働くだろ

意味不明すぎる。言いたい結論から逆算するんじゃなくて、ステップバイステップで冷静に考えてみて欲しい。

仮に世の中にしょうもない自伝スピリチュアルしか無くなったとして、今現在いっぱいいる世の中のバカがなぜか自発的に賢くなるなどということが起こると思うのか?

anond:20240705174807

本なんて研究者みたいな自分が書いたもの価値を信じてて自費出版も辞さない人だけが出すもんでいいと思うわ

自費出版を辞さない人なんてしょうもない自伝スピリチュアル本を出したいおっさん・おばさんしかいないので、世の中の本が全部それ系になって終わるだけだぞ。

百年の孤独関係なくただ逆張りがしたい奴に薦める海外文学5冊+α

https://anond.hatelabo.jp/20240703191053

https://anond.hatelabo.jp/20240704181200

岡田知子&調邦行 訳「現代カンボジア短編集2」(カンボジア)

早速だが大同生命がやってる“アジア現代文芸”シリーズマジですげえよ。インドネシアとかスリランカラオスイランみたいな東南アジアから南アジアくらいまでの、日本じゃ見過ごされがちな国の文学しか訳してねえんだからしか電子書籍として無料で読めるしな (https://www.daido-life-fd.or.jp/business/publication/ebook) この「現代カンボジア短編集2」なんかクメール・ルージュ以前から90年代まれまで、ガチ現代作家短編しか入ってねえ。マジでこんなん読んだことねえわ。将来、浪漫主義とかフランス現代思想とかじゃなくて「アジア現代文芸に影響を受けました!」って新世代の小説家、現れねえかなあ。

キンキントゥー/斎藤紋子「短編集 買い物かご」(ミャンマー)

同じく大同生命の“アジア現代文芸”シリーズからなんやが、今も大変な状況にあるミャンマー文学もこのシリーズでは10冊くらい読める。特にオムニバス短編集がかなり出てて「ミャンマー現代女性短編集」やら「二十一世紀ミャンマー作品集」やらオススメなんだけども、より読みやすくかつ俺が一番最初に読んだって意味思い入れあるこの「買い物かご」薦めたいね市場って空間と買い物って行為を通じて、ミャンマーに生きる市井の人々の息遣いを知れるんだ。ニュース報道見ると同時に、こういう文学を読むのも重要やね。

カルロスフランス/富田広樹「僕の目で君自身を見ることができたなら」(チリ)

これはアレや、男と男のチンコ比べ本や。そしてその男と男ってのがドイツ人画家のヨハン・モーリッツ・ルゲンダスとイギリス人生物学者チャールズ・ダーウィンで、それだけでもスゲーのに、そのチンコ比べでチリ大地震まで起こるから超壮大や。体長の何倍もデカペニスを持つっていうフジツボまで出てきて、近年稀に見るほどのチンコ本だよ、コイツは。正直ミソジニーキツくてそういう意味じゃアカンけども、流麗華麗な文体で男たちのチンコ比べが描かれる様は一読の価値ありや。読んでどんな思いを抱いても責任は持たんけどな。

ジェス・ウォルター/上岡伸雄「ザ・ゼロ」(アメリカ)

この人はどっちか言うと、サスペンス小説方向性で受容されてるんだが、俺はこの本を“ドン・デリーロが書かなかった最良のドン・デリーロ作品”みたいに思ってる。テロリズムパラノイア不条理……訳者上岡伸雄、実際デリーロ訳者だしね。デリーロの「墜ちてゆく男」とエイミー・ウォルドマンの「サブミッション」と、この「ザ・ゼロ」で上岡9.11三部作や。中でも娯楽作に舵切ってるからこれがいっちゃん読みやすい、分厚いのにリーダビティ満載や。だが「美しき廃墟」以降、ウォルター作品が訳されてねえ。

レーナ・クルーン/末延弘子「スフィンクスか、ロボットか」(フィンランド)

レーナ・クルーンの本はね、読んでると涙ちょちょぎれちまうのよ、これが。この子供たちに向けて書かれた本なんかは少年少女の瑞々しい姿を描いていて微笑ましい一方で、俺ら大人が読むと、こう大人になるってこと、成熟するってことで失われる何かについて思いを馳せざるを得なくなってさ、それで俺、涙ちょちょぎれるんや。3つの短めな中篇が入ってるんだが、中でも表題作の「スフィンクスか、ロボットか」が一番いい。ラスト、マジ残酷すぎやろ。読んで言葉失っちゃったよ。

にしても児童文学ってのは扱いがムズいよ。児童文学ってのは何よりも子供たちに真摯に向きあうからこそ生まれる素晴らしい存在だが、その児童文学って括りが大人にとって読むに値しないように思わせる。かといって、例外的大人がその素晴らしさを語る際に「これは児童文学以上に“文学”だ!」とか言いそうになるが、こりゃ結局児童文学を下位のカテゴリーに入れてるからこその物言いだよな。児童文学出版に関わる全ての人々、そして何よりも子供たちに礼を欠く態度や。俺はこういうのに陥らんように、児童文学オススメしていきたいよな。

http://iuraichiro.com/perkthim.htm

あとイスマイル・カダレ、とうとう死んじまってこれまた泣けたよ。そんな今だからこそぜひともアルバニア文学翻訳者の井浦伊知郎のサイトを見てくれ。カダレの自伝小説「石の町の記録」や代表作「大いなる孤独の冬」の翻訳がこっから読める。他にもカダレに並ぶ大小説家ドリテロアゴリの「裸の騎士」とかアルバニア文学の名著がめちゃ置いてある。マジで信じられねえよ、これは。

2024-07-01

anond:20240701022800

結局懐かしくてあのあと電子書籍で書い直して読んだ。

冒頭のお誕生会の話が切ない名作だと思った。

エピローグの締めは雑でワロタ

ブコメによると半自伝らしいので素直な気持ちを書きたかったのかな。

第二章の鬼教師の話は女王の教室酷似してるけどこっちが先なんだね。検索したら女王の教室永遠の出口のパクリやって言われてた。

anond:20240630120501

夫が真にエリートで偉大な人物であれば妻として名が残るだろうし、自伝でも書いたら様々なエピソードに登場するだろうからそれで満足しとけ

2024-06-28

anond:20240628120649

法廷でも自伝でも名器自慢やり出すような異様な女だよ、それに木嶋は投獄されてからもせっせと貢いでくる男が複数居るしその男達にも我が侭三昧してる。

しかも獄中で草薙剛似の妻子持ちイケメンジャーナリスト略奪婚した。

取材するためかと思ったけど未だに記事も本も出ないから本気で惚れたのかも知れない。

2024-06-27

映画フィリップ

面白い面白くないかと言われればうん…

これは上映館35館

でも「そもそも何を描写したいのか分からない・伝わってこない」瞬間は無かったかノットフォアミーだっただけかも

・でも観てる途中に暇になって推しカプの事とかこの映画感想何書こっかなとか思う時間精神ながら見時間が半分位だったのはそれはそう

そもそも何で見ようと思ったの?→

戦争って良くないよねのエッセンスを「女の人を取っ替え引っ替えして復讐」できる位の色男視点から

見るって今までなくて新鮮そうと思ったか

②ちょい前にハマってたキャラ解釈資料になるかと思ったか

③ここのところ見たいと思う映画無かったし小規模上映映画インディーズ空気を味わいたくなった

主人公ヤリチン君、会社での知人にあまりに顔が似すぎてて知人の濡れ場見てる感が最後まで拭えずそういう意味直視できなかった 「似てるけど動いてるとこ見たら違う人に見えるやろ」と思ったけど全然最後まで似すぎた

ピエール?君は脳筋みてえな顔して視聴者の心を代弁してくれるな…

ヒロインちゃんとくっついて何十年後「おじいちゃんとおばあちゃん戦争中に出会って大恋愛をしたのよ〜」「本当に〜?」の過去追想ものとして見てたからくっつかなくて驚いた 最後システマチックな進路仕分けよ…戦争ってよくねえ…

と思う心と昨日ハンス・ウルリッヒ・ルーデルwikiとか「戦争は楽しかった勢」話とか見たあとだったから「ザコ無力市民自分にとっては戦争はまっぴらごめんだが環境に適正を持ち偶然その時代に生まれその役割を与えられて開花する才能もあり… 人間環境と適正によって良いも悪いも変わるのだなあ」と思った 

・「ヤリチンが敵国女性を次々破滅させていくが運命女性出会い…」みたいな触れ込みだったから「メロらせまくって旦那の金貢がせまくって破産まで追い込むんやろなあ」と甘いマスク破産させる畜生業のコントラストを期待してたらただのヤリ捨てかい!!!

一番ヤリチン君にメロって破滅したのはパスポートおじ 

・ちょいちょいジョーカーよぎった

苦痛に押しつぶされそうなのを身体の動きで表出してたら傍からみたらダンスみたいとか極限まで追い込まれて銃発砲とか

俳優さんの演技は「なにを伝えたいのか」は伝わってくるし生でみたら目茶苦茶すごいんだろうが

正直画面越しで「この俳優さんからしか摂取できない滋味・観客を掴む天性の力」みたいなものはなかった この映画ヤリチン君役の魅力で引っ張る部分が大きい話の作りの映画だったかれ尚更そう感じた

でもそこについては地で北島マヤ並みの演技力を持つ3次元俳優たちのチート演技しかたことがないか感覚基準おかしくなってるのかも

・演技で「おっここは惹かれる」ってなったのは友達絞首刑にされるシーンで「ひどすぎて逆にもう笑みがこぼれるしかねえ」みたいな表情のシーン ここもジョーカー思い出した

空襲シーンが新鮮だった

空襲といえば東京大空襲イメージ和風家屋で夜空が爆弾?で赤く照らされ〜っていうのはよく見るけどヨーロッパの街並みでそれをみるのは初めてだったから新鮮だった

ガチノンケ男性同士のホモソっぺえ友情しか摂取できない栄養を的確に摂れる

ヤリチン君が本命ヒロインちゃん黄色いお花の花束を照れながら渡すシーンは萌え萌えだ…からシャア

空襲があった次の日に普通にパーティーやっとる…

電車いとる…人が突然ぶっ倒れまくってるのにそこそこまでダンスパーティー継続しとる…目茶苦茶偉い人が出入りするホテルドイツ人労働者でなくちょいちょいガサ入れされる感じの方々を雇うのはなぜ…?とか なんか初対面でもう好感を持たれやすすぎ主人公君…その誘い方で女の人ついてくるんです…?とか彼女友達も撃たれてから全く動かなくなるまで早すぎん?とか自分だったら最初彼女が撃たれたところで一緒に ねなかって悔やみとかがかなりデカうそっちに拗らせそうとかなんか色々ゴックンするところは無くもなかったけどヨシ!

・これ自伝ゆうけどこれは…

・木曜4人くらい

2024-06-22

マイ・インターン』観た

面白い

定年退職したおじさんが会社員生活人生を通じた経験を駆使して、新興企業で人気者!っていうプロットちょっとなろうラノベみがある

スマート気遣いなんかも所々で描かれる訳だけど、それ以上に基本的に善人しか出てこないから人望を集める過程がなんかあっさりしてるというか……

なんというか、天才キャラをその思考過程じゃなく名門大卒とか難関資格保有みたいな肩書だけで描くやつに近い

でもまあそれでいいと思う

フィクションなんだからそれくらいでいい

会社で上手い事立ち回る具体的な過程を見たいんだったら大企業創業者自伝でも読んでればいい

人間関係の描き方が過不足ない感じだし、ワチャワチャしたメール削除ミッションもあったりして飽きないテンポ

面白い

ただただ優しく紳士デニーロも悪くない

でもやっぱおれはスコセッシ映画の寄る辺ない鬱屈を抱えていたり、掴み所のないようでもありただ中身のないだけのようでもある青年を演じるデニーロが好きだぜ

2024-06-21

これがさす九なのかなと思った話

今までさす九にピンときてなかったんだけど、職場宮崎出身2x歳がそうなのかも

自分たち男性社員の中じゃ大人しいんだけど、女性の中に置くと延々自分オンステージやってるっぽい

聞く限り内容は経営者自伝か?ってノリの幼少期わんぱくエピソードetcらしい

あとなんというかいちいちの仕草が50代っぽいというか、若い子に怒られちゃったボク、みたいな茶目っ気仕草?伝わる?のロールプレイに見える。へらへらじゃなくてどっしりテヘペロ。でもシチュエーションは年長の女性社員指導される契約社員なのよ。これも相手性別で違うのに最近気づいてアハ体験

ここから余談だけど、職場女性は一人を除いて既婚正社員男性側も婚姻歴あり正社員過半数。本人の価値観的にもさす九ってキツいんじゃないかなーと外野は思う

2024-06-10

anond:20240610163227

世界的に有名な"伝説空手家"は出自・経歴を誤魔化し

戦後のドサクサ時代弱者を救うために憲兵隊(MP)やヤクザと命懸けで闘ったと吹聴しヒーローを気取っていたが 

真実はその空手家本人が愚連隊一味で強盗・略奪を繰り返してきた暴力クソ野郎だった

恥ずかしげもなく嘘だらけの自伝(エピソード)で神格化させて自分流派を大きくしていった

ハッキリ言って人間的にはクズの部類に入る

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