はてなキーワード: 大学生とは
全然間違ったこと言ってるのかもしれないけどさ、多くの健常者ってアルバイトしたことがあって、接客業経験者多いじゃん。
最低賃金なのに理不尽な要求ぶつけられるって経験があるからさ、だから件の車椅子ユーザーの要求をムカついちゃうと思うんだよね。
なんか話を「障害者がみたい映画をみれないなんて」「障害者の苦労」みたいな方向に持っていこうとしてる人いるけどさ、違うじゃん最初から。
あの人って資格をもってない多分給料もそんな高くないであろう劇場の従業員に介助させててそれを断られたから晒して燃やそうとしてるんでしょ。
そりゃ接客で働いたことある人の反感買うでしょ。だって論点がおかしいもん。ただの従業員に何させてんの?何させたいの?
映画館って確かに最前に車椅子エリアあること多いじゃん。首疲れるのわかる。上の席への移動もステップが多いしさ。
スロープつけて欲しい、とか中の方の席にしてほしいとかもわかるよ(でも避難のときの動線確保を考えると各ブロックの最前とかがギリギリかなとは思う)
でも介助は違うじゃん。それはそっち側が用意すべきでしょ、だから安いんじゃんチケットが。
なんで従業員を守ろうとした支配人が叩かれる方向になるのかな。本気でわかんなくて。
ここまで読むと私が健常者みたいに思えるかもしれないけど、学生時代に信号に突っ込んできた車にはねられて
四肢のどれかがちょっと欠損してるのね(特定されないようにどの四肢かは伏せさせてね、といっても腕なのはわかると思うけど)
だから生まれつきの障害者の気持ちも、生涯健常者の気持ちもわかんないんだけどさ。
でも生きてきて映画館のスタッフが大学生のアルバイトが多いこととか見りゃわかるし、賃金が別に良くないこともわかる。
映画館の経営が苦しくなってるのもわかる(円安だと洋画上映するライセンス料も当然あがるだろうし)し。
民間の企業に求められる実現可能なラインって現実問題あると思うんだよ。
私たちが声をあげるべきなのって例えばこういう問題がある、というときにすぐヘルパーを派遣できるようなシステムを国に作ってもらうとか、
そもそも介護・看護の仕事の給料をあげて(国が補助して)人が集まるようにしてもらって、安価で手配できるようにするとか
そういう方向性であって、民間の企業のプロでもない従業員に介助をさせる、それを当たり前の権利として求めるのは求める先が違うと思うんだよ。
映画館行く時、ドリンク持ちながらチケット出せないから絶対友人や恋人、家族と行くんだけどさ
たま〜にスタッフさんがお席までお持ちしますよ、ってもってくれることあるけど、それを当たり前だなんて思わないもん。
もちろん、ドリンクを運ぶのと車椅子の介助だとまた違うんだろうけどさ。絶対車椅子の人たちより全然生きやすいから見えてる世界も違うんだろうけどさ。
でも「ああ今好意をもって接してもらったな」って感謝しかなかったんだよ。
今まで私を慮った、本来の接客マニュアルを超えた対応をしてくださった方々には大変感謝しています。
今後一律でマニュアル通りの対応しかできなくなったとしても私は文句は言いませんし、あのときいただいた優しさを常に覚えています。ありがとうございました。
私は野菜が大嫌いだ。
野菜なんか食べなくても大きくなれる。
現に、これまでの人生でまともに野菜を食べずとも生きてこられたのだ。
そう思っていたが、間違いだった。私は見てしまった。夕飯の準備をする母が、ハンバーグのひき肉に大量のすりおろし人参を混ぜているところを。カレーに大量の玉ねぎを混入する母の姿を。
私が今まで食べていたのはハンバーグではなかった。半分は人参だった。母の愛情のこもったカレーは、具として入っているのも含めると1/3は玉ねぎでできていた。
野菜を食べずとも大きくなれたのではない。母が私にバレないように大量のすりおろし野菜を仕込んでいたから、野菜を食べずとも大きくなれたのだと思い込んでいたのだ。
私は春から大学生になる。いずれは一人暮らしもする。いつまでも母がすりおろし野菜を入れてくれるわけではない。
私は野菜嫌いを克服することを誓った。大人になってから今までの習慣や癖などを直すのは困難だと言う。好き嫌いを直すチャンスも、ギリギリ10代である今が最後だろう。
あるとき、駅の構内にある喫茶店でパスタプレートを注文した。店内はオレンジ色がかった照明と、オシャレな音楽がかかっていて落ち着いた雰囲気。この落ち着いた大人のムード漂う空間ならば、野菜嫌いな子供の自分を克服できるかもしれない。
パスタプレートには、小さいサラダが一緒についてくる。緑の葉っぱの中に、なんか紫っぽい葉っぱと赤い玉ねぎみたいなのが入っている。植物なのに色がサイケデリック。勇気を振り絞って口に運んでみる。
シャキシャキ感がすごい。すごい苦い。水分がすごい。あとかかってるドレッシングが酸っぱい。ただただまずい。
小学校の担任に「野菜も食べろ」と言われて口に入れたものの飲み込めず、こっそりトイレで吐いた記憶が蘇る。
吐くことはなかったものの、全然だめだった。この時気がついたが、私は野菜を「食べ物」「料理」ではなく、完全に「植物」「葉っぱ」と認識しているっぽい。
新鮮な葉物野菜を噛んだ時のシャキシャキした感触が、中学生の頃顕微鏡で見た、植物の細胞壁の四角形を想起させてしまってダメだ。
3年ほど前から毎年誕生日プレゼント送り合ってる友人がいるんだけど、今年その友人から送られてきたのが缶ショートケーキ1缶だった。
大学生時代の友人でもうお互い32歳なんだけれど、私は毎回3000円前後の送ってて。
でも缶ショートケーキ1缶ってどう見ても1000円前後だよね…?
もちろんプレゼントって普通は金額で考えないけど、なんか、届いた時の見た目のしょぼさとか、お互いの年齢とか考えた時に「え…?」ってなってしまった。
貰っておいて本当烏滸がましいけど、これわざわざ送ってきたの…?って。
何か事情があってプレゼント代切り詰めたとかなのかなぁ…。ご結婚されててお子さんもいるから、お財布旦那さんに握られててギリギリの中で送ってきてくれたのかしら。
大丈夫かしら
けどね、32歳の友人が1000円前後の物を一つ同い年の友人宛に誕生日プレゼントとして送ってくるってのは、やっぱり少しズレてると思うのよ。
ただただ運がなかっただけだぞ
世界的に見ればそう言う例はあるかも知れないけど、日本に生まれ育った以上、その理屈は通らない
例えば私は氷河期だけど、氷河期は一部の氷河期が言う程悪い時代ではなく、優秀な人間には今よりも高収入で安定した職が豊富に用意されていた。大学生の時に、ちゃんと計画的に単位を取得し、締切を守って卒論を出せるような人間は、みなそのような企業から複数の内定を貰っていた。一方、4年生にもなって30も40も単位を取り残している人間は、全員非正規派遣にしか就けなかった。こんなものは運とは言わない。
結果として、今になって私は粗で月給15万を切る底辺だが、完全に私個人の責任であり、社会も時代も政府も企業も何も責められる義務はない。少なくとも、日本に生まれた時点で最大限の幸福を受け取っているので、そこから先は社会が保証する範囲ではない。それでは社会主義だ。社会が私のような底辺を支えてくれるのは善意によるものでしかなく、善意が途切れれば死が待つのみ。底辺は「努力もせずに生きさせて頂いている」ことへの感謝を忘れるべきではない。
お母さん曰く
兄ちゃんはギャースカ泣きわめく赤ちゃんだし生まれた時から歯が生えてておっぱい噛みまくって血まみれになりながら授乳して大変だったって
雪国だから冬はやめろといっても車道脇の雪の塊に突っ込むし凍った水たまり踏みに行って水浸しになってしょっちゅう風邪引く多動クソガキだった
ぼくは大人しくおっぱい飲んだらすやすや眠る手のかからない子だったって
兄ちゃんはやんちゃだけどぼくはいい子だなってみんなほめてくれた
でもみんな兄ちゃんの方が好きなんだよね
兄ちゃんは友達の知り合いがやってる伝統工芸をしたいって高卒で家を出て住み込み修行をはじめた
成績は良かったし大学行くものだとみんな思ってたのに家出同然でみんな怒ってた
でもいつのまにか「今の若い子は楽な仕事を選ぶのに厳しくされてもめげずに地元の伝統を守るとして偉い」って扱いに
たまに誰かに会うと「兄ちゃん伝統工芸の◯◯やってんだって?」と言われ〇〇やってる家の子と認識されてる
「やりたいこともないのに何となく進学する子より立派かもしれん」ってお父さんが言ったの忘れないよ
その時ぼく大学生だった
嫌味じゃなくてその瞬間はぼくが大学生なのも忘れて兄ちゃんしか見えてなかったんだね
兄ちゃんはお父さんもお母さんも見てなくて自分のことしか考えてないのに両親は片思いみたいで可哀想
でも親ってやつはそういう子の方が好きなもんかな
俺の場合。
【小学生】
本当に何も覚えてない。
【中学生】
好きな女子がいたけど陰キャな俺は当然一言も喋ることできず、一切関われることできず一年が終わる。
卒業式の日、会場の体育館に向かうときに偶然俺の目の前をその子が歩いていた。
テニス部だったその子の良い感じに焼けた小麦色のふくらはぎがセーラー服からちらりちらりと見え隠れするのを
穴開けるのかってほどガン見した。
それしか覚えてない。
【高校生】
本当に何も覚えてない。
【大学生】
式典が終わったあと、ゼミ生と研究室で打ち上げみたいなことをやったけど、
一年間一緒にいたにも関わらず誰とも仲良くなれなかった俺はいたたまれなくなって
3分くらいで退席した。
それしか覚えてない。
みんなも、そんな感じだよね?
数トンもあるといわれるほど大きな石だが,子どもの力でも,押すとゴトゴトと揺れるんです。落ちそうで決して落ちない不思議な石。願掛けに訪れる受験生や政治家も(?)。近くには山姥の滝があります。
イッテQだったっけ?
これか
「誰が押しても絶対に落ちない」
「押していい」「数人で押してもいい」「落ちても怒らない」
そんな話だったと思う
それを見て、どっかのバカが落としに行きそうだなって思っていたら
案の定、落とせはしなかったけど動かなくされたようだった
でもなんだろうなぁあれ
「落ちそうで落ちない石です」「全力で押してもいいです」
って言いつついざ落ちたら怒るんだろうなみたいな
そういう気持ち悪さあったんだよね
こういうのあるよなあ
「全力でやっていいです(全力でやっていいとは言ってない)」みたいな
空気読めみたいな
「許せない」「観光客が居なくなった」って
なんか草としか言えない
この少年と逮捕された少女は同じ中学校に通っており、付き合っていました。
美人局は二人によって計画され、同様の余罪がいくつもあるとか。
約2年前の時点で一番下は赤ちゃんで、その上はやっと小学校に入ったくらいの年齢でした。
お母さんは東南アジア系だと思うのですが、きれいな方で、いつも夜7時ごろに派手な化粧をしスーツを着て出かけていくのを見かけました。
お父さんは目にしたことがなく、よくおじいちゃんとおばあちゃんが出入りしていました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/34ab5e3915b964c84da94dcbcb82c43335fc05f2
また水商売の母と、父不在の家庭か。
いつも滅多に休まない元気っ子だったけど、ある時やたら休むようになってそのまま退職って流れ。
まあ、辞めたのは一年以上前の話で、オッサン増田とは連絡先とか交換していないので、偶然会えたことで少しお互いにテンションが上がった。かなり長時間話し込んでしまった。
オッサンは別にその子の上司ではないのだが、業務上たまに話すぐらいのちょうどいい距離感ではあったので結構話しやすかったんだろう。
で、彼女が辞めた後、なんで辞めたかとか噂になったりしてないですか?と聞いてきて、まぁ特になく。そもそもそんな噂を楽しめるほど正社員は若くはないからな。
特に何にもーと答えたら、実は系列から新しく入ってきた上司にセクハラ、痴漢されまくって辞めたという真実を聞かされた。
職場に小さい物置というか収納部屋がいっぱいあるので、なんか備品探してる時とか、同じ部屋の用の人とうっかり被ると密着せざるを得ない感じにはなる。
そしてその時、手の甲が当たるなくらいのことがあったらしいが彼女は考えすぎだとスルー。
その後一気にエスカレートしてその辺ですれ違うだけで乳やケツ掴まれたりさし飲み誘われたり、そして誘いを断るとどうせ誰かとファックしてんだろと捨て台詞を食らって、我慢の限界を迎えてバイトをブッチし始めたらしい。
で、その話をするときの彼女は触られた乳や尻を言うのが恥ずかしかったのかなんなのか、身振りで伝えてきたのだが、「その……(胸を寄せて)揉まれたり、あとこっち(と言いつつ腰に手を当てる)つかまれたり」という感じに伝えてくれた。
タイトルの通り。
現在33歳になって、いよいよ友人との関係が終わりを迎えつつある。
似たような内容の増田を数日前に見かけて、俺も少し書いてみたくなった。
元々高校の同級生で、同じ部活の4人でかなり仲良くしていた友人たちがいた。
仲のいい4人ではあったものの、成績は俺だけが学年でも下位30%程度で、残りの3人は上位10%に入るような成績だった。
結局俺は関関同立に進み、残り2人は京大に2人と国立の医学部に1人が進学した。
ただ、思えばその時点で軽いコンプレックスを抱くようになっていたと思う。
明らかに俺だけ大学のレベルが違ったし、会う都度、彼らの大学生活の話に出てくる同級生や先輩の質みたいなものが、俺の周りとは違うような感覚があって、表現し難い疎外感のようなものがあったと思う。
もう一つ、他の3人と俺との間の隔たりとして、実家の太さの違いがあった。
俺以外の3人はかなり実家が太く、いわゆる高級住宅街に住んでおり、それこそ家の床が大理石だったり、よくわからんけど高そうなステンドグラスがあったりした。
初めて友人の家にお邪魔した時にケーキとコーヒーが出てきて、心底驚いたのを今でも覚えている。友人を家に招く時は、ポテチや煎餅に、ファンタなんかを出すのが俺の中の常識だった。
俺はというと、地元でもあまり平均所得が高くない地域に住んでおり、2LDKで築年数もかなり経過したボロマンション住まいだった。家には呼べなかった。
そんなことを気にする様子もなく、3人とも本当にフラットに接してくれたが、その邪気の無さがかえって妙な居心地の悪さに繋がっていたような気がする。
卑屈なだけと言われればそうなんだろうが、それでもなんとなく恥ずかしいような情けないような気持ちは心のどこかにあったと思う。
大学に入学して以来も定期的に会っていた。卒業後の進路として、俺は公務員を目指しており、大学4年の夏に試験に合格し、無事公務員として就職した。
俺以外の3人だが、1人が司法試験の受験勉強に励み、1人はそのまま院進し、1人は医学部のため卒業時期が違うといった形で、俺だけが少し早く社会人になった。
定期的に飲みに行ってはいたが、やはり俺以外の3人の方が学生で時間が取りやすく、俺だけが参加できない会も増えていった。
参加しても、俺だけが仕事の話をしている中でみんなはまだ学生として話しているので、なんとなく噛み合わない感覚も抱いていたと思う。
それでも一緒に過ごした時間も長い大切な友人たちだったので、話を合わせながらみんなで学生レベルの安居酒屋でワイワイ楽しんでいた。と思う。
なんか当時は本当に楽しかったはずなのに、今思い返せばそうじゃなかったような気がしてきてしまうのが本当に悲しい。
俺と3人の差が顕著に現れ始めたのは、25歳になったあたりだと思う。
みんなそれぞれ社会人になり、それぞれ医師・弁護士・一流企業勤めと、同い年だというのに、俺が40代になってようやく辿り着けるかどうかというレベルの金を稼ぐようになっていた。
もちろんみんな良い友人ではあったので、年収の話になることは少なかったが、最近した買い物の話や住んでいる場所の話でなんとなく、経済的な格差を感じることが増えたように思う。みんなで行く店も、俺にとってはけっこう背伸びしたお店へといつの間にか変わっていた。
思えば年収の話なんかは、明らかに俺だけ水準が違うことを気遣って、あえて避けてくれていたのかもしれないな。なんかそうやって、友人同士なのに、薄ら弱者として気遣いを受けている状況が本当に耐えられないと感じてしまった。
年に数回会うような関係がずっと続いていたが、最近になって、旅行に行かないか?という話題が出た。
普通に近場の温泉なんかに行くイメージでいたが、話を聞くとシンガポールに行くとかいう話になっていた(たまたま2人で話していたらしい)。
旅費なんかも密に調べてくれていた。言っても目玉が飛び出るような金額ではないものの、妻子もいる中で、正直シンガポールに行くだけの金銭的な余裕は全くない。
が、妻子持ちなのは俺以外の3人も同じだし、おそらくお金のことを気にしているのは俺だけなんだろうなと思う。
なんとなくだが、今回の旅行を断ってしまったら、いよいよ3人と俺との関係はもう終わってしまうような気がする。
もう明らかに属している社会の階層が違うということは気づいているのに、それでも背伸びしてしがみつくべきなのか、正直言ってわからなくなっている。
ただただ一緒にいて楽しかったはずの4人なのに、どこで間違えたんだろうな。
私がまだ小学生だった頃、親同士が仲良くて、家に行き来している友達がいた。
私は一度もあったことがないが、その友達には年の離れた大学生のお兄ちゃんがいて、ある日その友達は「家のお兄ちゃんは絵が上手いんだよ!」と魔法少女のような絵を見せてくれた。
その子が言うには「お兄ちゃんは時々東京に漫画を売りに行っている」らしい。
私はその子に「お兄ちゃんは漫画家なの?」と聞いたが、漫画家ではないらしい。
「漫画家じゃないけど、お兄ちゃんは時々東京に言って、体育館で漫画を売っているんだ」友達はそう言っていた。
友達のお兄ちゃんは今でも東京の体育館で漫画を売っているのだろうか?
そうだったらいいなと私は思う。
友達がいる。小中が同じで、ずっと一緒にいた。いつも冗談を言って私を笑わせてくれた。鍵を忘れた彼女を、よく家に招いて一緒にゲームをしていた。母も彼女が好きで、たくさんのお菓子や果物でもてなした。暖かくて楽しい日々。
中3になって、私は塾に缶詰になって、遊ぶ時間が減った。彼女とはあまり将来の話をしなかった。彼女は勉強が苦手で、勉強しようと考えたことは無いようだった。それをハンデとは思っていなかった。そしてそのまま地元の荒れた公立高校に進学した。偏差値は40を切っていた。
私は必死に勉強して、憧れがあった少し遠い私立に通うことになった。卒業式の日、もう会わないかもね!とふざけ合った。これからもたくさん会えると思っていたからこそだった。
高校生になって、会うのは2.3ヶ月に一度くらいに減ってしまったけど、それでも定期的に出かけたり、私の家でのんびり過ごしたり、以前と変わらぬ尊い時間を過ごした。
この頃から、彼女は地面に尻をついて座るようになった。何がいけないのかわからないといった顔をした。ボディピアスが増えた。ごみを道に捨てた。深夜のストーリー更新が増えた。同級生との喫煙をインスタに載せて、別室登校になった。
私と離れている間、どんな場所で、どんな人たちと一緒にいるかわかるような気がした。それでも、暖かくて、明るくて、優しい彼女のままだった。寂しかった。
数年後、私は大学生になっていて、彼女は専門学校を卒業して、バーの個室で知り合ったというベンチャー企業に就職した。一般事務として採用されたと言っていたけれど、4月になると配属されたのは車で1時間半走らせたところにある契約先の店舗だった。
夏になって、彼女はうつになったから仕事を辞めたと言った。夜にドライブに連れ出してくれた時にそれを聞いた。彼女が働いている時に、飲酒運転がばれた、遅刻したら怒られた、眉ピアスを注意された、ちょっとくらいいいじゃん、と度々愚痴っていたので、いずれ辞めるのだろうな、とは思っていた。
仕事を辞めて時間ができた彼女を、一度大学にこっそり招いた。私の大学はお洒落して大学に通う学生が多いので、彼女にもそれを伝え、バレないように馴染む格好で来て、と言った。当日彼女は、毛玉だらけのスウェットで現れた。お気に入りだと言うドンキホーテの健康サンダル。禁煙の校舎内でタバコを吸い、講義中椅子に足を乗せる。注意しても、また何がいけないのと不思議そうにしていた。大学の同級生の、あぁ、そういう子ね。という目。友達を恥ずかしいと思いたくなかった。それでも彼女のことは大好きだった。
後から聞いたことだが、退職するにあたって、契約書が良くわからなかったが、100万くらい払わされた、と言っていた。父親が法学部だから、なんとかしてもらうと言っていた。でも結局、彼女は貯金を切り崩して、100万円ほど支払ったようだった。
クラブの男に性病をうつされたらしかった。病院には行っていないようだった。代わりに痩身エステを契約していた。
私はただ、大げさに普通を装った。彼女は私の事を何にも興味が無いやつだと言うので、そうするのが良いと思った。
最近、彼女はよくTwitterで死にたいと言うようになった。死にたいのか、現状を変えたいのかわからないから、いつも通り銭湯に誘った。