「距離感」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 距離感とは

2019-03-24

Twitterトラブル

ゲームを1年半やってた。

全然うまくならないけれどTwitterでつながりでフレンドがちょっとずつ増えてボイチャしたりDMで中若男女ワイワイたのしくやってた。

オフ会みたいなのにも参加して、そのゲーム以外に他のゲームをやったりするフレンドも増えて、ともかく毎日お気楽ゲームしていた。

ある日フレンドのフレンドつながりでフォローした人が「年いくつ?」ってきいてきた。その時点で?って思ったんだけど普段からタメ語なのかな?と思いつつ答えてしまった。これがやばかった。とんでもない地雷だった。

結果的相手は異性の学生だったんだけど、めちゃくちゃDMが頻繁にくるようになって他のゲームをしたり寝ようとすると引き止められたりと、ちょっと鬱陶しいことになった。その子は同性より異性と遊ぶ方が好きらしく同性とは遊びたがらない。

一度、自分配偶者と一緒にやってるとき遊んだんだけど配偶者は「なんか礼儀がなってない子だね、嫌だ、自分はもうこの子とは遊ばないかな」って言われて今思うと配偶者の慧眼!ってかんじなんだけど「まあ相手子供だしな…」とイヤイヤながらも相手してた。今思うとするんじゃなかった。

自分の子供でも親戚でもなかったらほかの人に「年いくつ?」って聞きまくってるのを見て「そういう質問他人にしないほうがいいよ」とか思ってもいちいち注意しないじゃん。

家庭環境があまり良くないみたいで、いろいろ相談されて当たり障りのない対応してたつもりだったけど、どんどん距離詰めてきて怖くなってきた。

「なんか買ってよ」とかいうの。冗談でも不快だよね?

自分と同じく連絡の頻度に困ってた人に相談したら被害妄想全開で「なんで誘ってるのに二人で遊んでるんだ、自分を避けて二人でコソコソと自分の陰口をいっているだろ」って詰め寄ってきたり。周りを巻き込んでのゴタゴタしはじめた。

結局相互ブロックしたけど、事情を知らないフレンドに「仲良くしてたのにあいつらは急に自分に冷たくなって悪口をいって拒否された」とか言われてるだろうなっていうのヘコむ。まあ事実なんだけど被害者ぶるなよ。

また次のターゲット探しに行くんだろうけど。怖かった。距離感だいじ。

Twitterでのトラブル

ゲームを1年半やってた。

全然うまくならないけれどTwitterでつながりでフレンドがちょっとずつ増えてボイチャしたりDMで中若男女ワイワイたのしくやってた。

オフ会みたいなのにも参加して、そのゲーム以外に他のゲームをやったりするフレンドも増えて、ともかく毎日お気楽ゲームしていた。

ある日フレンドのフレンドつながりでフォローした人が「年いくつ?」ってきいてきた。その時点で?って思ったんだけど普段からタメ語なのかな?と思いつつ答えてしまった。これがやばかった。とんでもない地雷だった。

結果的相手は異性の学生だったんだけど、めちゃくちゃDMが頻繁にくるようになって他のゲームをしたり寝ようとすると引き止められたりと、ちょっと鬱陶しいことになった。その子は同性より異性と遊ぶ方が好きらしく同性とは遊びたがらない。一度、自分配偶者と一緒にやってるとき遊んだんだけど配偶者は「なんか礼儀がなってない子だね、嫌だ、自分はもうこの子とは遊ばないかな」って言われて今思うと配偶者の慧眼!ってかんじなんだけど「まあ相手子供だしな…」とイヤイヤながらも相手してた。今思うとするんじゃなかった。

自分の子供でも親戚でもなかったらほかの人に「年いくつ?」って聞きまくってるのを見て「そういう質問他人にしないほうがいいよ」とか思ってもいちいち注意しないじゃん。

家庭環境があまり良くないみたいで、いろいろ相談されて当たり障りのない対応してたつもりだったけど、どんどん距離詰めてきて怖くなってきた。

「なんか買ってよ」とかいうの。はあ?

自分と同じく連絡の頻度に困ってた人に相談したら被害妄想全開で「二人でコソコソと自分の陰口をいっているだろ」って詰め寄ってきたり。

「あの大人達が自分悪口を言っている」とか「しらばっくれんなよ?笑笑」とか周りを巻き込んでのゴタゴタしはじめた。

結局相互ブロックしたけど、事情を知らないフレンドに「仲良くしてたのにあいつらは急に自分に冷たくなって悪口をいって拒否された」とか言われてるだろうなっていうのヘコむ。まあ事実なんだけど被害者ぶるなよ。

また次のターゲット探しに行くんだろうけど。怖かった。距離感だいじ。

2019-03-23

[]3月23日

○朝食:朝マクド

○昼食:豚汁定食ご飯豚汁冷奴、焼き鯖、だし巻き卵)

○夕食:ピーマン人参ほうれん草手羽先うどん味噌で煮たもの

調子

はややー。

ひっさびさに、休日と晴れの日が重なってくれたので、洗濯をさっさと済ませてからは、ひたすらにひたすらに散歩散歩散歩散歩散歩

グーグルマップによると、10km歩いたみたい。

あ、あれ? これだけ? 久々だからあんまり距離感がわかってなかったけど、まあ途中でお昼ご飯食べたり、ブックオフ寄ったりしてたから、こんなもんか。

グラブル

ガチャピン20連で、特になし。

すっかり忘れてたけど、撃滅戦ですね。

ゼノイフ武器もゼノサジ武器も全部持ってないので、かなり頑張らないといけない……

かなりっていうか、これはさすがに無理じゃないかとはいえ、ここが頑張り時っちゃ頑張り時なんだよね、ゼノ武器は強くて戦力がかなり上がるし、なによりゼノイフ斧はメイン武器としても優秀で、四天刃以外の優秀なメイン武器ってほとんど持ってないから今回は頑張りたい。

ので、明日は朝からグラブろうと思う。

スケジュール的には、来週の土曜日までだけど、明日中にある程度の目安は付けられるよう頑張ろう。

(ただまあ、こういうの僕めちゃくちゃ苦手なんだよね。数をこなす周回ゲーは好きでも嫌いでもないんだけど、期限を決められて周回ゲーをするのは、割と真面目に嫌い。なんていうか、多分仕事の予定があまり自分では立てられない勤務形態からだと思う。はあ…… やだやだ、やっぱやめようかな、朝からグラブるの)

今日やれた楽しいこと

×1.ポケダン時:シナリオを進める

散歩疲れたのと、グラブル期間限定イベントを優先した。

OK2.グラブル:島Hとマグナ周回

明日やりたい楽しいこと

1.グラブル撃滅戦でゼノイフ武器を作る。

2019-03-22

そこそこ仲良くて、そこそこ近めの距離感で話せる巨乳な友だちっている?俺はいる。

お酒飲んでるときとか、そこそこの近い距離で話してるときろくろ回したり、ツッコミ入れるふりをしたり(実際に触れはしない)、身振りを大きめにしとくと、あちらの身動きとの関係で不意に事故的に胸に手が当たってしまうことがあるんだよ。

こっちはそれなりにそれを期待していないといったら嘘なんだけど、これはセクハラなのかな。

2019-03-21

二十過ぎてるけどコミュニケーションの取り方教えて

ADHD当事者(あるいは周囲に該当する人)に聞きたいことがあって、人間との距離感を適切に保つ方法を教えてほしいんだけど。

本当にどうやってコミュニケーション取ればいいの? どうやれば抜け出せるの? お前ら、誰にでも好意差し出してくるくせにこっちから人間らしさ見せると、なに? 

どうして幻滅しただの気持ち悪いだの好き勝手言うのさ。

自分の殻に閉じ籠もっているのが嫌だったから、自分の醜さをちょっとだけ晒しただけなのに、本当に羨ましいな、、、、

今にして思えば正常なコミュニケーションを取れた試しが無い上に、自分と接点を持った人間はすれ違っていくばかりなんだよな。

特定個人はどうでもいいよ、お前がどんな人間でもいいからごく普通に誠実にコミュニケーションを取らせてお願いだから。それがないと、なんにも始められない。

相手立場に立って物を考えられないのがいけないのか?

かに私は独りよがり肥大した塊だけど、他の人間だって打算的な何かでその場をやり過ごすように生きてんじゃないの?

あーもう笑えてくるよ。いや、笑えてこないよ。二十過ぎてるのにガキみたいなこと言って疲れたな。

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/yujinfuse/status/1108056956529340416

戦争は避けなければならないのか?

いや、分かりやすく言えば、侵略を、侵略こそ避けなければならない。

侵略協調とは違う。相手合意がない。だから避けなければならない。

侵略をしない手段と、侵略をされない手段は違いがある。

侵略をしないためにはガバナンス必要

軍と産業距離感を適度に離さなければならない。

民主的政府が金の流れを管轄することが必要

協調合意を方々から取り付けることが必要

侵略をされないためにはデメリットを強調することが必要

まず継戦能力を高めること。自己完結能力の確保。

安全保障といっても軍備だけではない。

最低限の衣食住の自給自足地産地消。食料、燃料の自立が必要

軍備の自立には製造維持コスト削減のために戦争材の輸出が必要

しかしながら国際社会から孤立は避ける。

まり東シナ海日本海オホーツク海太平洋のいずれかに

腹を見せなくてはならない。

現在日本政府政権運営能力ですべてを上手くこなすことができるか。

自衛隊に、日本技術者に、技術者をまとめる日本組織に、核兵器管理がまともにできるのだろうか。

完全な自立独立にはコストがかかりすぎるので、無理そうに思える。

しわ寄せは民間に降りてくる。確実に仕事家計も厳しくなる。

社会保障年金傷痍軍人?働かざるもの食うべからずの自己責任

米中どちらに付くかのほかに選択肢がなくはないが、無理そうに思える。(大事ことなので)

沖縄含めたアメリカへの朝貢は、それでも安い。

丸腰になんてなれない。

2019-03-20

着たい服を着てもいい

「着たい服がある」

という漫画を読んだ。

着りゃあ良いと思う。

着りゃあいいじゃないか。おわり。

…で済むくらいには社会がまだ成熟していないか

そういう問いかけが成立してしまうんだな。

もっと社会成熟してそんな問いかけは成立しなくなればいいと思う。

個人が着たい服を着てもいいし

TPOなんて陳腐なことをいうつもりもない。

自分表現してくれてありがたい…。

まー、じっさい身近に居たら

避けちゃうだけど…

(「なるべく接触しない」と

いじめ無視」の境界はよくよくデリケートにあつかわねばならないが)

みんな最初から好きな服を着ている状態で遭遇したら、互いに避けやすい。

ロリータは、自分から見たら

機能性とか悪そうだし

通気性も悪そう

事故とか多そう。

ここからは少し偏見なんだが、

かわいいから身につけたい」が度を越して

服で自分個性表現せねばならないほどの人は、なにかをある種の不安を抱えていそうな気がする。

総合的になんだか厄介な目に遭う確率が高そうだ。

(すまない。書き手人間から、どうしても偏った見方からは脱却できない。自覚はあるから増田に書くわけだ)

このきもちをもう少しフラット表現すると、

ロリータ自分の好みとは合っていない。」

ちょっと知人の友だち」ぐらいなら一緒に接することができるだろうけど

それより身近な距離感に入ってしまうと…無用の争いが生じそうだ。

(「なるべく接触しない」と

いじめ無視」の境界はよくよくデリケートにあつかわねばならないが。二度目。)

おたがいなるべく寛容でいたいか

気が合わないのが最初からわかっているならば、遠ざかっていたほうがよい。

これ(ロリータに対する感性)に対して、

自分サイレントマジョリティみたいだ。

リアルで会ったら「個性的な服ですね」とコメントして終わるし

ネットならそっとミュートするタイプ人間みたいだ。

万が一これを読んだロリータの人も、気に病む必要はない。

Anonymousがふと感じた独り言的な感想であって

誰か個人に向いたりしていない。

異世界に転生した人が充分な知識があれば現地にあるものメートル定義できるだろうか?

【前提】
物理法則は我らの世界と等しい
・ この転生者は物理定数なども含めて物理の詳細な知識を持っている
・ この異世界一見して地球に似ているが天体生物の成り立ちは異なる経緯をたどっているので大きさの指標にならない
・ この異世界文化水準は原始時代並みで、自然物、またはそれをひとりで加工できる程度の道具・設備のみしか使えない
・ 誤差 ±1cm 程度は許容可能とする

【ここでの転生の定義について追記】 (2019/03/20 17:06)
転生というのは知識だけを持って別の存在として生まれたことを意味し、肉体的には異世界環境に適合した何かです。
本人の自覚としてはほぼ地球上の人間と同じような感覚器官を備えていますが、色、音、匂いといった感覚地球人間と同じとは限りません。
たとえばこの転生者にとって青に見えていても地球人間感覚で見ると赤であるかもしれません。
低い音に聞こえていても地球人間にとっては高い音に聞こえるかもしれません。
ただし、目視物体の形状を把握する能力地球人間とおおよそ同程度ですが距離感はあてにならないとします。

2019-03-18

私はファンではなくオタク

よく若手俳優好きな人たちはファンではなく、オタクと名乗る。その一方で俳優は、自分応援してくれる人のことをオタクではなくファンと呼ぶ。

両者に違いはあるのだろうか?

高校の頃に某テニスミュージカルにはまった。

舞台に行くのは1つの公演につき数回で、SNSで同じ俳優や同じミュージカルファンと繋がって楽しく過ごしていた。

好きな俳優ファンクラブが出来ると開設日に入った。

初めてのファンイベントに胸をときめかせて、普段舞台と客席という距離感しか見られない好きな俳優が目の前にいることに、彼と話が出来て写真が撮れることに感動した。この時は彼を見られることが、彼の話を聞けることがただ楽しかった。

私は彼のオタクと名乗っていたものの、極めて善良なファンだった。

彼のことは結局5年くらい応援していたのだが、段々と熱が冷めて降りてしまった。


かにハマっている時の何とも言えない充実感というのは一度経験すると忘れられない。

次に好きになった俳優は、彼が出ている舞台に出演していた俳優だった。彼のことをBとする。

Bとの出会いが私を変えた。

Bを好きになった舞台はかなり大きな舞台だったのだが、彼はデビューしてすぐの俳優で、その後の舞台小劇場と言って良いのかもわからいくらい規模の小さなものだった。そこでは舞台の後にお金を払えば写真が撮れて、話せて、手紙プレゼントが渡せた。

舞台初日写真を撮る前に手紙を渡す私にBは言った。

イベントにもきてましたよね?いつもありがとうございます。○○さんって言うんですね」

この舞台の前に事務所イベントがあり、そこではお見送りハイタッチがあったが、流れ作業で覚えられてる訳がないと思っていたから驚いた。しか手紙確認して名前まで読んでくれた。

嬉しくなってしまってチケットを増やした。

毎回写真を撮ってるファンはいても、毎回手紙を渡すファンはいなかったらしい。

Bは必ず前日に渡した手紙の内容に触れてくれた。出演者全員との写真撮影の時も「○○さんは僕の隣ですよね?」と言ってくれた。

好きな俳優自分のことを個として認識してくれることの嬉しさ。これは経験したことのある人にしかからない嬉しさだと思う。

まり詳しく言うと誰を応援していたのかバレそうなので控えるが、ある事情でBのことは応援することができなくなってしまった。(炎上で降りたとかではなく)

その後は気になった舞台適当に見ていた。

格好良いなと思える俳優、凄いなと思える俳優はいても、応援したい、推したいと思える俳優には出会えなかった。

しかし、ある人気舞台を観に行った時Cという俳優一目惚れした。

彼のパフォーマンス笑顔に釘付けになり、気づけば次の舞台チケットを集めていた。

Cはこの舞台きっかけにかなり人気が出たため、接触に来るファンの数は凄まじく、積んだところで対応が変わりはしなかった。

それでもCのパフォーマンス笑顔が大好きだから出る舞台には行けるだけ行った。全通とまでは言わないが8割は行っている。その度に手紙を書いた。

SNS手紙プレゼントに対してお礼を言う俳優ではなかったので、何の意味があるのだろう?と思うこともあったが、とにかく彼の演技が好きだからその想いを手紙に書いた。

しかし、物足りなさも感じていた。

Bの時に好きな俳優に個として認識される嬉しさ、見られることの嬉しさを体感してしまっていたから、ただ見るだけでは満足できなくなっていたのだ。

Cの舞台端境期、友人に誘われあるスポーツを観に行った。

メジャースポーツではあるが2部リーグの観客は少なく、最前列プレーを見ることができた。

最前列で見るスポーツの迫力は凄まじかった。

その中で1人目を惹かれる選手Dがいた。プレーも勿論素晴らしいのだが、俳優顔負けのルックスだった。

どうしても忘れられなくて次の週Dのチームが出る試合を観に行った。

やっぱり彼のプレーは素晴らしく、そして格好良かった。

その日はファンサービスの日だったらしく、会場の中にはファン対応を待つファンが多くいた。(といってもチーム全体で数十人)

勇気を出して選手に声をかけてみる。

彼はびっくりするくらい良い人で、沢山話をしてくれて、写真を撮ってくれた。

家に帰っても熱が収まらず彼の過去試合ファンがあげた写真などを片っ端から調べた。

Cの舞台に通いながらもDのことが忘れられなかった。

しばらくCの舞台がない期間があり、そこがちょうどDのリーグ戦の時期と重なっていたので、行ける限りDの試合に行った。

試合を見に行くほどチームや競技のことも分かるようになり、試合を見ることもどんどん楽しくなっていった。

そして試合終わりには毎回出待ちをして差し入れ手紙を渡しDと話をした。

Dのファン遠征をするほどの熱心なファンはおらず、Dはあっという間に私のことを個として認識するようになった。

前に話したことも覚えていてくれてそれについて向こうから話題を振ってくれたり、髪型を変えれば気付いてくれたり。

他のファンに対する優越感が生まれた。

私はDのことをこんなに知ってるし、Dも私のことをこんなに知ってくれてる。チームメンバーにもDのファンの子だと認識されている。会場内で会うと(選手結構うろうろしてる)向こうから挨拶をしてくれる。

追っかけやオタクと無縁な人にとっては、くだらないと思うかもしれないが、これがすごく嬉しいのだ。


Dに熱を上げている状態でCの舞台を観た。

舞台の上でのCはやっぱり輝いていたし、好きだ、応援したいと思った。でも、Cにとって私は何万人といるファンのうちの1人でしかないのだとも思った。

ある日CのCD発売イベントが発表された。どうしてもスケジュールが確保できず、必要最低限の枚数だけ買って、イベントはいかなかった。

CはCD発売イベントの後あるブログ更新して議論を読んだ。

その内容をざっくり言うならファンの力は凄く助かっているが、オタクになられると困るといったものだった。いくらまれてもそれによって対応を変えるつもりはないと。

そのブログを読んで正直萎えた。

Cの接触いくら積んでも個として認識される事はない、あっても向こうはそれで態度を変えたりしないのでは意味がないと思ってしまったのだ。

私は接触イベントで、一方的俳優を見るだけでは、一方的に想いを伝えるだけでは満足できなくなっていた。

今でもCの舞台には行っている。

ただ自分面白いと思う舞台だけ、自分の見たい回数だけ、見るようになり、接触イベントにはきっぱり行かなくなった。

Dの試合には全て行って、毎回差し入れをしている。

結局のところ、自分の好きな存在を見るだけでは満足できない、見られたいと思ってしまう限り私はファンではなくオタクなのだろう。

彼女ってどうやって作るんだ

SNSで知り合った女さんと付き合ったら性欲は底なしだわホテル代毎回負担させられるわ借金あるわ仕事辞めるわ車で事故起こすわで散々な目にあった

普通の人ってどうやって知り合うんだ

趣味あんまりない、出かけても1人でうろつくのが好き、身長もやたらでかくて怖がられるしどうしたらいいんだ俺は

でも彼女作って何がしたいって聞かれても何も答えられないんだよな

何かを共有したいとも思わないもしかして彼女はいらないのかもしれない

いやでもやっぱり彼女ほしいわ

適度な距離感保ってくれて人のことを所有物扱いしない人がいいな...

2019-03-17

anond:20190317202111

けもフレは一期二期通して、きほん一話ずつ景色が変わるよね。旅行してる感の一助になってる気がする。

二期になって冒険っぽさは減ったかもしれない。モノレールを割とあっさり乗り捨てたのがよくなかったか。あるいはビースト探偵ふたりが神出鬼没すぎて、主人公勢があまり移動してないように思えてしまうのかも。その点、一期の追跡者ふたり組はピッタリ後をつけてくるので、距離感が狂う怖れはあまりなかった。そうだ、アライさん&フェネックの追跡劇が何度も番組の締めになっているのが緊張感を高めているってのはありそうだ。

一期二期共に地図は出てくるが旅路の経路はわからないので、冒険らしさにはあまり貢献してないように思う。他方、ケムリクサでは移動の様子はずっと明示的だ。一島から十島まで。ナンバリングの形であからさまにデフォルメされた道程は、旅の進行を意識させることを意図したものに思える。減っていく水。定期的に現れる"ボス"。切迫感と達成感は、ケムリクサでは計算されて配置されている。題材は剣と魔法ではないけれど、指摘は当たっていると思う。監督RPG由来の冒険の楽しみを前面に押し出している。

決定打はわからないが、仮説2の「先の見えなさ」はかなり大きいでしょう。図書館や赤い木の根など、大まかな目標はあるものの、次の話では何が起こるかは判らない。これが次回予告をしないスタイルとも相まって、ワクワクを高めていると思う。

(話が逸れるが「ストレス回避欲求」に応えたことがけもフレ一期の人気の最大の要因だったのではという定説に、改めて頷いている。毎週安心して視聴できて、しか冒険楽しい。二期とケムリクサ。あえて挑戦したんだろうか。どちらも視聴はストレスフルな作品になった。)

私は人見知り強く外ヅラも良いので

薄い知り合いのうちは相手はとても扱いやすいんだと思う

けどだからといって従順でおとなしい性格なわけではなく、むしろ真逆なので

付き合ううちに私の方が相手を面倒になってしま

私は人と関わるのは接待だという意識がある

交友という距離感を持てていない

2019-03-15

日記

どうするのがベストなのか。改めて妻のことを理解するのが難しい。結婚からわかってはいたことだが、子ども教育を考えるとルームメイトのような関係というのはどういう影響を及ぼすのだろう。

1 現状維持(最低限の会話のみとし、娘とは十分なコミュニケーションを取る)

2 離婚(親権自分が取ることが大前提)

3 嫌がられるのを気にせず娘の前だけでも話しかけ続ける。


1は遠からず父母の間で会話があまりないことに娘が気づく。自分の両親も特別仲睦まじいわけではなかったが自分との会話があるかどうかのほうが重要だったので、個人的には別にいいというかむしろ父が母に話してほしくなかったような覚えもあるくらいだ。父母に会話があるかは最重要ではない。

だが、ロールモデルとしては厳しいものがある。親のことを客観的に捉えられて自分で考えられるほど成熟する前に結婚でもした場合に困る可能性も。まぁ、相手によるか。


2は養育の実態自分が担えないなら婚姻継続することを前提に交渉することになる。親権という言葉より実態を死守する。妻と娘を二人きりにし続けるのは二人にとってマイナスしかないと確信している。気質が僕と似ているがゆえに娘は母親から拒絶されたように感じる可能性が高い。逆に妻は娘を持て余す。体罰というか暴力に発展する可能性もままある上に娘の能力は引き出されないままになる。義母とは衝突しつつも落とし所が見つかるだろう。義姉とはかなりうまくやれるはずだが向こうも子育てが忙しいから娘の身近な理解者にはなりえない。

自分が育てる場合時短勤務と養育費が鍵になる。娘にはちゃん対話できる相手必要だ。収入的にひとり親向けの手当は受け取れない。可能なら時短勤務より出勤退勤を1時間早めつつ、繁忙期にひとり親向けのヘルパーを依頼、スポットで両親及び姉を呼ぶ感じか。住宅ローン控除や保険所得の控除および還付は使い切ってるので控除額が増えても効果はない。

結婚後に築いた資産負債収入及び家事子育ての貢献度を勘案して分割し養育費相殺することになる。場合によっては家を売却するのもあり。相場を見れば手数料差し引いてもほぼプラマイゼロになるはず。

娘用の積立は引き続き問題ないが自分の老後資金および運用には影響が出る。年金についてはもともと扶養には入っていない。個人年金については割譲を求められる可能性はあるが、退職金を前もって運用しているので年齢的に分割の対象になるかは争えると思う。


3はコミュニケーションにならないこと前提に話を続けることになる。無視嫌悪感を帯びた表情に折れない精神力必要。まぁでも多分娘が割って入ってくる。また、話しかけているという事実が残るだけで共感できるようになる可能性は考えづらい。それに言葉を返すことが苦手な相手に話しかけ続けるというのも残酷な面がある。一方で違う意見を言えばまた不機嫌になる。無難話題といえば子供健康、今後の予定に関すること程度か。



よく見聞きする話として、子供のために仮面夫婦を続けるなんて子供のためになっていない、というものがあるが、まさか自分がその立場になるとは思っていなかった。心理的距離感物理的な距離が違いすぎて戸惑う。妻と娘の関係が良好と言えるなら仕事に逃げるなども可能だがこの関係こそが最大の問題で、今後さら悪化していく予感もある中ではそれも不可能だ。動くなら一気に決めたい。

2019-03-14

anond:20190314075647

ポーのような距離感になったらわかるけど

目っつか瞳をみようとしたらどうやっても片目ずつしかみつめられんし

それはそれでちょい間抜けなんよ

眉間のあたりみとけばいいんよ

2019-03-12

けものフレンズ2の9話のみを見た人間感想

 まず、本編途中でやべえな…と思い、ツイッター検索をした結果イエイヌ不憫などという話が持ち上がっていたが、突っ込みどころが多すぎてそこにしか焦点が向けられないのってすげえアニメだな…

サーバルちゃんが連れ去られた後に突然おうちを見つけた~のくだりを話し始めるのがよくわからなかった。何の脈絡もなくそこにたどり着けるだけの知識サーバルちゃんに備わっているわけもない。例えばかばちゃんとの記憶を失ってなんちゃら~というのも今調べて発覚したが、おうちという知識かばちゃんとやりとりしたわけでもない。それと、サーバルちゃん友達自分より家を優先させる人だと思っているドライな所が悲しかった。一緒にここまで冒険してきた(見てないから知らんけど)筈のキュルルちゃんがおうちを見つけて、だからもういいんじゃないかなくらいの割り切り方…けもふれ1話のさ…かばちゃんについてきたあげたサーバルちゃんじゃない…声が一緒なはずなのに抑揚の付け方が、台詞回しのせいで今の方が淡々としていて優しさが現れなくなっている…

サーバルちゃんならいなくなった後「どこ行っちゃったんだろ。でも、頑張って二人で探そうね!きっと元気にどこかでやってるだろうし、ボスいるか大丈夫なはずだよ!」とか、カラカルを元気づけるくらいしただろ…

ますだろ…いくらでもそういう言葉選びが出来たんじゃないか…おうちというワード固執させたかったんだろうけどそれだったら「もしおうちが見つかってたら、やっと帰れるんだね、キュルルちゃん!でも心配だし、早く探してあげたいな」とかで充分いけただろ…

キュルルちゃんがさ、サーバルちゃん呼び捨てしているのも強烈に違和感があった…サーバルちゃんって、呼び捨てちゃん付けも色んなフレンズにしているけど、かばちゃんにはかばちゃんだし、サーバルちゃんサーバルちゃんってお互いに呼んでいて。キュルルちゃん呼び捨てにしてたら自分もキュルルって呼び捨てにしたんだと思うんだ…その微妙な二人の距離感がすごくどちらとも可哀想…と思ってしまった

カラカルがキレている所らへんも、イエイヌに対しての言い方とかもう少しあったと思う。いや怒るのは正論なんだけど「遊ばない」とか、言うにしても…というかけもフレ一期ならキレるキャラとしてツチノコとかが居たけどアレは知識が無い事と勝手に色々かき回すってところにキレていたわけで性格とかそういう考え方を否定してたわけではないので、嫉妬しているから怒っているという風に見えるカラカルがとてもメンドクサイ女子のように表現されているのがモヤモヤする…ただ単に心配してて上手く言えなくて、だったらそれをサーバルちゃんがそこで…賢いなら…察してほしかったのと、追いかけ回してた子たちは関係ない悪くないって言うなら、イエイヌに対しての態度がただ悲しい…カラカルがあそこで一緒に遊んでたらあそこまで胸糞悪くなかった…キュルルちゃんはただほんともっとかばちゃんより幼いってことでもあるのかもしれないし、能天気だし、おうちを探すってこととかそう言うのが意外と希薄で、カラカルが一番真剣に考えてあげてるのに空回りで伝わってないのも悲しい…カラカルが悪いわけじゃないので…

 キュルルちゃんが勧められたお茶を飲まないのを見ていて気がついたけど今回だけかわからんけど「~しない」っていう行動の拒否否定ものすごく多いよな…けもフレ一期は「わからないことがあっても、それにみんなで立ち向かう」だけの団結力とか、こういう否定をするときも「ごめんね、今気持ちが一杯で…」みたいな表現で言うと思うんだ…そもそも一期なら紅茶飲むと思うけど……

そんでここまででいったん中断して調べ回ってから本編を見始めたらサーバルちゃんが「これでよかったのかな、ほんとうのおうち…」って言い出すの「は?」としか言えない。いや最初におうち見つけたんじゃないって言ったの自分だよね?というか何でそこはカラカルに言わせないの?ここサーバルちゃんなら「寂しいけど、キュルルちゃん幸せになってくれるなら…」とかっていうタイプなのになぜカラカルに問いかけるんや…それと、サーバルちゃんはここでカラカルに行くって言わせないで「カラカルも一緒にいこ!キュルルちゃんと仲直りしたいでしょ!」って連れていくタイプだと思うのにそこをカラカルに言わせてどないすんねん…「ちょっと、私は!」って言えたならそこで「さ、サーバルが無理矢理!」っていうカラカルちゃんの心の中の体裁を保てたんだよ……

なんでそこまで助けてくれたのに「イエイヌさん」なんだ…何でさん付けしてるんだそこ…

「頼りないわね!」って言うよりもキュルルに対して「もう、弱いのになんで外に出てるのよ!」って言えばまだよかったな…って…結局イエイヌ嫉妬していることがわかってしまうこの台詞悲しいわ…

わかったことがあるんだけどキュルルちゃんは多分5歳くらいなんだと思う…(あくまでも小学校に入る手前の年齢という解釈なので何となくで5歳というしかないだけだけど)…だから守ろうとかそういうワードになってくる…けもフレ一期のかばちゃんの成長と違って、キュルルちゃんは目の前で見たことに対しての反応しか出来ない…だからイエイヌに対しても煮え切らない態度しかとれなかったし…

 今回の序盤の「鋭い爪~」とかそういうくだりがあるせいでイエイヌがそういう特徴があるのに実はたいしたことないみたいな描写しているのがすごくやるせない…目に迫力があってすごいんです!とか言わせておいて、その最後泥だらけになっている所でビーストを睨みつけて撃退してたらすごくきれい伏線も何もかもまとまっていたんだけどな…

イエイヌが一人で自己完結してしまうところで5歳児のキュルルちゃんに何も言える筈はなかったんじゃ…それはそうとしてカラカルちゃんが嬉しそうってなってるところがまたイエイヌちゃんがいなくなってよかったみたいに捉えられかねないやり方やめろ…もうここで一期の人間は一期におかえりって言われてるのと同じだから何とも言えない、もうけもフレ2は一挙放送があっても見ることはないでしょう…この量の文字数だけ毎回違和感出るんだなってわかったし苦行以外の何物でもない…

イエイヌを汚れたままにしてるのもキツイあんなに可愛いのに薄汚れたままにしておかえりはないでしょ…水浴びとかちゃんとさせるかあそこまで泥だらけにする必要がない…イエイヌちゃんがまるでおうちを無理矢理キュルルちゃんに押しつけて結果役に立てずに汚れて戻っていくっていうストーリーをこんだけ嫌味にして引き延ばして一回の登場だけで終わらせるの勿体ないとしか言えない…

なにやってんの?」ってスケッチブックの事忘れてたのに怒る五歳児…仕方ないね五歳児は幼稚園鞄を持ってもらうことが前提なので怒るしかない…

 ココに出てくるキャラみんなご都合展開で喧嘩して仲直りということがさせたいしワードをいくつか出して終わらせておけばみたいなのが見え透いているのが耐えかねる…キャラクター自体はいいのにそれの使い方が全部間違っている……キャラは悪くないと思う。問題は動かし方と考えさえ方…っていうかビーストを早く解放してあげて…かばちゃんサーバルちゃんなら「フレンズを助けなきゃ!」ってなるでしょうが……今まで一回も観なくてよかったし感想だけ読んでればいいよ皆…

anond:20190311003622

自分語りになってごめんなさい。

昨年の今頃に6歳の文鳥を亡くして、ひどいペットロス経験しました。

4月12日に生後一ヶ月で迎えた文鳥だったので、一ヶ月引いて3月12日誕生日にして毎年祝ってました。

心境や文鳥との距離感増田と似てて、思わず書いてしまいました。

心の風穴が楽しかった思い出とこれから楽しいことで埋まることを祈ります

ゆっくり寝たり思い出したり心穏やかにすごせますように。

我が家文ちゃんは一度も夢枕には立たず、不思議現象も起こさずだったけど、天国があるなら楽しめてますようにっていまだにお供えの水は毎日変えてます

2019-03-10

anond:20190310221320

どうせこれからしばらく生き甲斐絶つなら、これまで抱えてきた感情とその感情を向けてきたあらゆる対象もろとも心中するくらいの心づもりでいようと思ったので巨大感情をぶつけてから一時撤退することにしました。

誰が見てくれなくてもいいけど見てくれた誰かが刺されてくれたら、それで好きだったその人から嫌われてももう良いやという気持ち文章します。

遺書かな。もうそれでもいいや

後を濁す気満々で申し訳ない。

私としては巡り巡ってファンレターだと思って書きます

(一部方々におかれましては重複してお伝えしている内容ではありますが良かったら今一度受け止めて下さい。)

(一度鍵垢でべらべら喋って怒られたことをまた喋ってるのでいよいよ距離を取られたら寂しいなあと思っていますが極力これきりにしたいので許して下さい、出来ればやっぱり嫌われたくないです)

私は根本的にSNSに向いてないと常々思っていました。

というのも数値や関係が一目で可視化されている文化圏の中で交流を兼ねながら創作活動をするということが自分には致命的に向いてないと思ったからです。

数値が見えるというのは時として嬉しいものなんですが時としてすごく残酷だと思います

とりわけ数値で自己他者とを比較できてしまうという点においては自身の実力を図る手段であり、時として自信になり得る要素でもありましたが、交流していくにあたっては自分にとってはデメリットしかありませんでした。

まず、自分創作物というのは贔屓目も謙遜も抜きに見ても、描けない人から見たら描けてはいもの、絵の上手い人から見たら稚拙だと思われる傾向のものだったと思っています

なまじ創作物解釈感情を埋め込む行為に関しては長けている方だと思ってはいたので、そのときジャンルCPによっては目に留めてくれる人が多く、その中にはとても絵の上手い方もいらっしゃった、くらいの。

その辺りの側面はひとまず抜きに、「好み」とかの話でなく、絵の技術的な側面において「絵を描いている人込み」で比較的誰が見ても「絵が上手い」と思われるものを生み出せる技術を私は持っていませんでした。

主観的ものなんだから一概にそんなことはない、なんて言い出せばそうなんですが創作活動を続けていく中で「絵を描く層」を限りなく客観視したとき自分が感じた自身立ち位置は少なくとも「どちらかといえば上手くない」というものでした。

(「上手くない」「どちらかといえば上手くない」「「どちらかといえば上手い」「上手い」の4段階として)

私が今から話すのはフォロワの中でも上記4段階において「上手い」に属する人=神絵師の方々に対しての感情です。

「神絵師」という判定こそその人の主観いくらでも変わる認識ですがpixivで1千ブクマを安定して得てるとかフォロワが何万居るとかそういう数値的なものでなく、此処で記す「神絵師」というのはあくまで『絵の技術的な側面において「絵を描いている人込み」で比較的誰が見ても「絵が上手い」と思われるものを生み出せる技術を持てていると私が判断している人』というものであることをまず始めにご理解下さい。

前述の通り、私は自己脳内ヒエラルキーにおける絵が上手い人種ではありませんでしたが、

前述の通り、なまじ創作物(主に漫画ことなんですが)に解釈感情を埋め込む行為に関しては長けている方だと思ってはいたのでそこを見てくださった方であったりあるいは横の繋がりであったりで神絵師の類にあたる方々との繋がりがそこそこにありました。

絵がどうとかどうでないとかありにしても無しにしても、とにかく自分と繋がって関係を築くことを良しとしてくださった方なわけですから、その時点で神絵師だとかそうじゃないだとか抜き交流していければ完結する話なんですが、自分に関してはそれができなかった為しちめんどくさいことになりました。

好きな作品についてや日常雑談について語るにあたっては「同じ路線感性」があれば絵の良し悪しとか関係なく楽しめます

でも、関係を持った人たちが「絵を描く人」である以上、日頃の会話の中にはどうしても「自分たちの作品について」の話題が時として出てきます

特に女性間で顕著なんですが作品を作る人という括りであればどっちにしろこういった話題が出てくる瞬間が私はとにかく苦手でした。

「Aさんは本当に絵が上手い」「そういうBさんの絵に私は憧れてるんだよな」

フォロワの間でそういう話になる度に私は心底しんどくてたまりませんでした。

そういう流れになるたびに身を潜めて出ていかないようにしました。

実際Aさん、Bさんは自分の中では神絵師で、私自身本当に大好きな作品を生み出す方々ではありましたがその流れで私が「わかる、AさんもBさんもどっちも最高なんだよな」とか話題に乗るなんて死んでもできませんでした。

万一にでも「そういうムツさんだって漫画上手いじゃん」とか言われたらそれがその人にとっての本心であろうと私は本当に死にたい気持ちでいっぱいになるからです。

それがその人にとっての本心であろうと。

何でしょう、流れの中とかでなくふと出てきた言葉だと真に受けられるんですけど。

万一にでも気を遣われたという可能性が拭えない流れの中で褒め言葉を貰うのは作品に限った話でなくて苦手なんですけど作品に関しては過剰になってしまいがちです。

というのも私は自分の中で完全に勝手に「神絵師」と「そうでない自分」とを区切ってしまっているからだと思います

はいくら親しい人であったとしてもその人が自分の中で神絵師という括りとして認識されているだけである一定話題に対してはその人達に対して勝手距離感を感じてしまっているように思います

そういう垣根抜きに自分作品を良いと思って下さってる方に対してその認識が失礼なことなんだと分かりながらも区切らずにはいられませんでした。

自分のことを目に留めてはくれない神絵師が多いのは自分が神絵師ではないから、という落とし所が必要だったからです。

…例えば、金銭的な問題を考えなくて良いものとするのであれば安くて味はそこそこのものより高くておいしいものばかり食べていたいと思うのは普通感覚だと思います

性格が同じような人であれば顔が普通の人より良い人を選びたいと思うのも普通感覚だと思います

自分の絵は誰が見ても上手いものではないから絵の上手い人が自分作品を見てくれているというのは基本的にすごいことだと思っていて、ありがたいことだと思っています

(絵を描く人描かない人関係無しに、自分作品を見て下さってる方々には感謝しかないのですが「顔の良い人達とばかり付き合いのある顔の良い人が普通自分と付き合ってくれている」ことが特にすごいという話です。)

普通、神絵師はそうでない自分作品をまず目に留めようとしないんだという当たり前の現実をそれでも私には受け入れて納得するための理由必要でした。

作品柄であったり人脈であったり、万人が見てくれる創作物なんてまずありません。

ただ、割合的な問題としてやはり「自分と繋がりのある神絵師達」と繋がりのある神絵師には私は見て貰えない傾向にあったなと思うので。

尚、ここまで誰がどうとかそういう話でなく自然の摂理の惨さを私が受け入れるのが下手くそという話です。

誰も悪くはなくて強いて言うなら勝手意識している自分ただ一人が悪いです。

作品を見てくれる人が一定数いる」という事実がまず本当にありがたいことでその点については本当に本当にありがたいと思っていて、

正直、神絵師でない括りの中で自分作品を見て何かを感じて下さった方は本当に多い方だと思えていて、自分はむしろ贅沢な類なのだと思っています

贅沢な類だと思えていたからこそ神絵師の括りには居なくても自分創作者としての現状にはとても満足していました。

それでも自分が神絵師の括りには居ないことで発生する「見て頂ける人の母数・持てる関係性の上限」に対する現実は神絵師とそうでないもの区切りがあるという根拠を踏まえておかないと納得しきれませんでした。

から私は神絵師になりたいとかそういうわけでなく(いや朝起きて気付いたらなってたとかならなりたいですけどそもそもとして私は絵を描くのが好きなわけでなく自己解釈アウトプットする手段として絵を描いてるタイプなので絵を描く努力とかしたくないか結論として「なりたいわけではない」になるんですが)、それでも「見て頂ける人の母数・持てる関係性の上限」が自分より大きいという意味で「神絵師」という人達が羨ましいと思っています

(ある神絵師に先日とうとう「神絵師になる努力もしてないのに羨ましいって感情一方的にぶつけてくるのはずるいと思う」的なことを言われてしまいましたが神絵師になりたいわけでもない(=厳密にはなるための努力を諦めきっている)のに一方的理不尽感情をぶつけるのは確かにずるいなと思いました。本当にごめんなさい。)

そんな具合で、私は自分の中で持てているものを見て頂けてることを最大限ありがたいと思いながら、それでも自分では持てないものを持てる人達を私は心底羨んで憧れていて、大好きだと思いながらも一線を引いてしまっていてそんな一線が交流をすると、時々とてもめんどくさい感情自分の中で生み出していました。

完全に特定できる物言いでめちゃくちゃ申し訳ないんですけど、

最近だと神絵師分類のフォロワ2人と限界さぎょいぷで盛り上がっている最中「次のイベントどうする~~申し込もうぜ~~」みたいな流れでやいやいするまでは良かったんですけど

「隣接しよう~~~」ってなったとき正直私は心底死にたいと思っていました。

そこで嫌と言えば良かったのかもしれないですけどフォロワ2人的には「仲の良い人が隣に居て欲しい」以上も以下もない感情から出た提案しかなくて、そこに自分みたいな神絵師だとかそうでないだとかの汚い区切りとか全然加味されていないことが完全に分かっていたので自分の薄汚い感覚でNOとは言えなかったし言ったとしてその理由が「神絵師の隣は現実を思い知らされて嫌だから」だとか完全に「えっ…」て感じだと思うし自分自身、垣根抜きに親しい付き合いをしてくれる二人と気の合う関係を築けてることが何より嬉しかたからNOなんて言いようがなかったんですけど。

絵師サンドされた日には死ぬと思っていましたが実際サンドされて死にたいと思っていました。

ジャンルでの活動が長く、自分の本を楽しみにしてくださってる方が一定数いてくださったことは知っていたので両隣は大盛況で自分のスペースだけ閑古鳥なんて事態にはならないことは分かっていたんですがそれでも胃は少し痛かったです。

実際、両隣のフォロワと繋がっているもの自分とは繋がっていない神絵師の方が自分のスペースを避けて両隣に挨拶しているとことか見えたりしたので。

よく見てるなって感じですけど私はたまに神絵師フォロワのフォロワを覗いてわあ、こんなに神絵師からフォローされてる…とか思いながら薄暗い感情になったりとかする性悪自滅くそ野郎なので

(いやでも必要なんですよ…とある絵師(私は一方的に好きなだけ)の作品についての話を神絵師フォロワ(神絵師とは相互)とするにあたって相手相互フォロワの気安さとして喋るけど私は一方的好きな人としての温度差がそこにあることを予め認識して精神を防護しておく必要があるから…)

この辺りをくまなく喋ると大体「見なくて良いとこまで見て、考えなくても良いとこまで考えすぎてるところが生き辛そう」って言われます

本当にその通りだと思います

いやそれでもそうやっていろんなところに目を向けるからこそ自分を見てくれる一人一人に対する有り難みを感じられているとも思っていて、だからこそ持てる力の範囲でも自信を持てているとも思っているので私は一長一短なんだと思っています

逆に自分なんかよりよっぽど「見て頂ける人の母数・持てる関係性の上限」が遥かに広い神絵師のはずなのに自己肯定感の低い人達見ると本当に嫌になります

大体そういう人達って軒並み「ネットの外のリアル自分人間的に問題がある」ところを引きずってるんですけど、そうでなくて、少なくともネットにおける「絵が描ける」ことそれだけで「描けない人」がどう逆立ちしても手に入らない沢山の自信の種と関係の間口がごろごろしてることに気づいて欲しいなあと常々思います

いやまずフォロワの多さといいねの多さとブクマの多さに目を向けて欲しい。

あいつら大体「カップリングの力だから」「旬のジャンルから」「女の子から」とか何とか言うんですけど、過大評価を真に受けない保険にしてるんだか知らないですけど、私からしたらその発言は軽はずみだとしても本当に好きな人も多くて付けてくれてるであろう何百何千の人達からいいね蔑ろにしてるようにも取れるから私はそうやって付けられる自信を一向に付けない人を見るのが腹立たしくて嫌いです。

(と思う感情すら自分劣等感正当化するためのエゴだと言ってしまえばその通りだとも思うので押し付けるのは良くないですよね、本当に各位には申し訳ない。でも言わなかったとしても内心そう思ってることには変わりなかったです。)

でも気の合う話ができて一緒に居て楽しいと思う人達だってその人達です。

私はその人達の人柄が好きで作品が好きで絵柄が好きで、何より一緒に居て楽しいと思えるからこそ、少しでも自信を持って欲しくてついついそういう感情吐露しがちなんですが先日いよいよ怒られました。

そういう感情ネット上では見せたくなくて、少しでも信頼してる自分からこそ打ち明けた部分だったのにSNSで鍵垢で、主語こそださなかったもの特定されかねない形で引用してしまったので。

本当に申し訳ないことをしてしまったなあと思うと同時、それでもやっぱり私は大好きなその人がいつまでも持てる自信を持てないままでいることが嫌で嫌で仕方なかったです。

という感情だけ主張しておけば何かまだ良い感じな風に見えなくもないんですけど私そこに対して「自分の持てないものを持ってる人が自信が無いと惨めな気持ちになる」ってろくでもない私情までぶつけてるから駄目なんですよね

すいません、ごめんなさい、結局私は自分感情エゴ込みで吐き出さずにはいられない性分のクソ野郎でした。

でも本当に、もうどうしたら伝わるのか私には分かりませんがそういう感情を吐き出した人達のことが、自己肯定感が低いところを除けば私は本当に大好きです。

前述したようにその神絵師当人にとっては「親しい人との関係」の中に自分の神絵師物差しみたいなくそ概念を突っ込まれ区別した上で会話をしてしまうから、私個人が抱く劣等感由来のあらゆる感情って本当に仲良くしていく上で心底不要ものなんだなと痛感しています

それでも私にとっては自信の糧になった部分もある切っても切り離せない要素です。

そこを踏まえない友達付き合いを私が徹底できれば何よりなんですけど、付き合いを続けていく中でどうしても一方的劣等感押し付けしまう場面というのは今後どうしたって出てきてしまうように思っています

冒頭で述べたように極力これきりにしたいとは思いますけど性根としてそういう感情根付いてることには変わりないです。

ああ、なんか、そういう見方をされていたんだなあと感じてしまったらどうしようもないのかもしれませんがこんなくそみたいな性根を抱えた自分とも、また喋ったり遊んだりして頂けたら嬉しいなあと思います

本当に一方的で身勝手感情だとは思いますが。

自分のことだと思ってる思ってないに関わらずとにかく私というろくでもない人間関係を築くことを良しとしてくださってるあらゆる方々、本当にいつもありがとうございます

本当にろくでもない性悪なので自分から遊びに誘うことも憚れる上、実際これからしばらくイベントを断つ身の上でお会いできる機会なんてフォロワが関西に遊びに来てくれるときくらいしかないと思いますが遊びに来た際には誘って頂けたら喜びます、と誘い受けをして締めたいと思います

あと良かったら前述の記事同様に拡散の上、思ったこと述べて貰えたら嬉しいです。

賛否や縁を切りたい等内容は問いませんのでご意見感想お待ちしております

最後最後までろくでもないな

ここまで吐き捨てきってしまって、またSNSというかツイッターフォロバする形で性懲りも無く再開するかは正直ちょっとからなくなってきましたが、ひとまず今まで本当にありがとうございました

またお会いできたら嬉しいです。

それでは。

交流してくださっていた神絵師の皆々様へ

どうせこれからしばらく生き甲斐絶つなら、これまで抱えてきた感情とその感情を向けてきたあらゆる対象もろとも心中するくらいの心づもりでいようと思ったので巨大感情をぶつけてから一時撤退することにしました。

誰が見てくれなくてもいいけど見てくれた誰かが刺されてくれたら、それで好きだったその人から嫌われてももう良いやという気持ち文章します。

遺書かな。もうそれでもいいや

後を濁す気満々で申し訳ない。

私としては巡り巡ってファンレターだと思って書きます

(一部方々におかれましては重複してお伝えしている内容ではありますが良かったら今一度受け止めて下さい。)

(一度鍵垢でべらべら喋って怒られたことをまた喋ってるのでいよいよ距離を取られたら寂しいなあと思っていますが極力これきりにしたいので許して下さい、出来ればやっぱり嫌われたくないです)


私は根本的にSNSに向いてないと常々思っていました。

というのも数値や関係が一目で可視化されている文化圏の中で交流を兼ねながら創作活動をするということが自分には致命的に向いてないと思ったからです。

数値が見えるというのは時として嬉しいものなんですが時としてすごく残酷だと思います

とりわけ数値で自己他者とを比較できてしまうという点においては自身の実力を図る手段であり、時として自信になり得る要素でもありましたが、交流していくにあたっては自分にとってはデメリットしかありませんでした。

まず、自分創作物というのは贔屓目も謙遜も抜きに見ても、描けない人から見たら描けてはいもの、絵の上手い人から見たら稚拙だと思われる傾向のものだったと思っています

なまじ創作物解釈感情を埋め込む行為に関しては長けている方だと思ってはいたので、そのときジャンルCPによっては目に留めてくれる人が多く、その中にはとても絵の上手い方もいらっしゃった、くらいの。

その辺りの側面はひとまず抜きに、「好み」とかの話でなく、絵の技術的な側面において「絵を描いている人込み」で比較的誰が見ても「絵が上手い」と思われるものを生み出せる技術を私は持っていませんでした。

主観的ものなんだから一概にそんなことはない、なんて言い出せばそうなんですが創作活動を続けていく中で「絵を描く層」を限りなく客観視したとき自分が感じた自身立ち位置は少なくとも「どちらかといえば上手くない」というものでした。

(「上手くない」「どちらかといえば上手くない」「「どちらかといえば上手い」「上手い」の4段階として)

私が今から話すのはフォロワの中でも上記4段階において「上手い」に属する人=神絵師の方々に対しての感情です。

「神絵師」という判定こそその人の主観いくらでも変わる認識ですがpixivで1千ブクマを安定して得てるとかフォロワが何万居るとかそういう数値的なものでなく、此処で記す「神絵師」というのはあくまで『絵の技術的な側面において「絵を描いている人込み」で比較的誰が見ても「絵が上手い」と思われるものを生み出せる技術を持てていると私が判断している人』というものであることをまず始めにご理解下さい。

前述の通り、私は自己脳内ヒエラルキーにおける絵が上手い人種ではありませんでしたが、

前述の通り、なまじ創作物(主に漫画ことなんですが)に解釈感情を埋め込む行為に関しては長けている方だと思ってはいたのでそこを見てくださった方であったりあるいは横の繋がりであったりで神絵師の類にあたる方々との繋がりがそこそこにありました。

絵がどうとかどうでないとかありにしても無しにしても、とにかく自分と繋がって関係を築くことを良しとしてくださった方なわけですから、その時点で神絵師だとかそうじゃないだとか抜き交流していければ完結する話なんですが、自分に関してはそれができなかった為しちめんどくさいことになりました。

好きな作品についてや日常雑談について語るにあたっては「同じ路線感性」があれば絵の良し悪しとか関係なく楽しめます

でも、関係を持った人たちが「絵を描く人」である以上、日頃の会話の中にはどうしても「自分たちの作品について」の話題が時として出てきます

特に女性間で顕著なんですが作品を作る人という括りであればどっちにしろこういった話題が出てくる瞬間が私はとにかく苦手でした。

「Aさんは本当に絵が上手い」「そういうBさんの絵に私は憧れてるんだよな」

フォロワの間でそういう話になる度に私は心底しんどくてたまりませんでした。

そういう流れになるたびに身を潜めて出ていかないようにしました。

実際Aさん、Bさんは自分の中では神絵師で、私自身本当に大好きな作品を生み出す方々ではありましたがその流れで私が「わかる、AさんもBさんもどっちも最高なんだよな」とか話題に乗るなんて死んでもできませんでした。

万一にでも「そういうムツさんだって漫画上手いじゃん」とか言われたらそれがその人にとっての本心であろうと私は本当に死にたい気持ちでいっぱいになるからです。

それがその人にとっての本心であろうと。

何でしょう、流れの中とかでなくふと出てきた言葉だと真に受けられるんですけど。

万一にでも気を遣われたという可能性が拭えない流れの中で褒め言葉を貰うのは作品に限った話でなくて苦手なんですけど作品に関しては過剰になってしまいがちです。

というのも私は自分の中で完全に勝手に「神絵師」と「そうでない自分」とを区切ってしまっているからだと思います

はいくら親しい人であったとしてもその人が自分の中で神絵師という括りとして認識されているだけである一定話題に対してはその人達に対して勝手距離感を感じてしまっているように思います

そういう垣根抜きに自分作品を良いと思って下さってる方に対してその認識が失礼なことなんだと分かりながらも区切らずにはいられませんでした。

自分のことを目に留めてはくれない神絵師が多いのは自分が神絵師ではないから、という落とし所が必要だったからです。

…例えば、金銭的な問題を考えなくて良いものとするのであれば安くて味はそこそこのものより高くておいしいものばかり食べていたいと思うのは普通感覚だと思います

性格が同じような人であれば顔が普通の人より良い人を選びたいと思うのも普通感覚だと思います

自分の絵は誰が見ても上手いものではないから絵の上手い人が自分作品を見てくれているというのは基本的にすごいことだと思っていて、ありがたいことだと思っています

(絵を描く人描かない人関係無しに、自分作品を見て下さってる方々には感謝しかないのですが「顔の良い人達とばかり付き合いのある顔の良い人が普通自分と付き合ってくれている」ことが特にすごいという話です。)

普通、神絵師はそうでない自分作品をまず目に留めようとしないんだという当たり前の現実をそれでも私には受け入れて納得するための理由必要でした。

作品柄であったり人脈であったり、万人が見てくれる創作物なんてまずありません。

ただ、割合的な問題としてやはり「自分と繋がりのある神絵師達」と繋がりのある神絵師には私は見て貰えない傾向にあったなと思うので。

尚、ここまで誰がどうとかそういう話でなく自然の摂理の惨さを私が受け入れるのが下手くそという話です。

誰も悪くはなくて強いて言うなら勝手意識している自分ただ一人が悪いです。

作品を見てくれる人が一定数いる」という事実がまず本当にありがたいことでその点については本当に本当にありがたいと思っていて、

正直、神絵師でない括りの中で自分作品を見て何かを感じて下さった方は本当に多い方だと思えていて、自分はむしろ贅沢な類なのだと思っています

贅沢な類だと思えていたからこそ神絵師の括りには居なくても自分創作者としての現状にはとても満足していました。

それでも自分が神絵師の括りには居ないことで発生する「見て頂ける人の母数・持てる関係性の上限」に対する現実は神絵師とそうでないもの区切りがあるという根拠を踏まえておかないと納得しきれませんでした。

から私は神絵師になりたいとかそういうわけでなく(いや朝起きて気付いたらなってたとかならなりたいですけどそもそもとして私は絵を描くのが好きなわけでなく自己解釈アウトプットする手段として絵を描いてるタイプなので絵を描く努力とかしたくないか結論として「なりたいわけではない」になるんですが)、それでも「見て頂ける人の母数・持てる関係性の上限」が自分より大きいという意味で「神絵師」という人達が羨ましいと思っています

(ある神絵師に先日とうとう「神絵師になる努力もしてないのに羨ましいって感情一方的にぶつけてくるのはずるいと思う」的なことを言われてしまいましたが神絵師になりたいわけでもない(=厳密にはなるための努力を諦めきっている)のに一方的理不尽感情をぶつけるのは確かにずるいなと思いました。本当にごめんなさい。)

そんな具合で、私は自分の中で持てているものを見て頂けてることを最大限ありがたいと思いながら、それでも自分では持てないものを持てる人達を私は心底羨んで憧れていて、大好きだと思いながらも一線を引いてしまっていてそんな一線が交流をすると、時々とてもめんどくさい感情自分の中で生み出していました。

完全に特定できる物言いでめちゃくちゃ申し訳ないんですけど、

最近だと神絵師分類のフォロワ2人と限界さぎょいぷで盛り上がっている最中「次のイベントどうする~~申し込もうぜ~~」みたいな流れでやいやいするまでは良かったんですけど

「隣接しよう~~~」ってなったとき正直私は心底死にたいと思っていました。

そこで嫌と言えば良かったのかもしれないですけどフォロワ2人的には「仲の良い人が隣に居て欲しい」以上も以下もない感情から出た提案しかなくて、そこに自分みたいな神絵師だとかそうでないだとかの汚い区切りとか全然加味されていないことが完全に分かっていたので自分の薄汚い感覚でNOとは言えなかったし言ったとしてその理由が「神絵師の隣は現実を思い知らされて嫌だから」だとか完全に「えっ…」て感じだと思うし自分自身、垣根抜きに親しい付き合いをしてくれる二人と気の合う関係を築けてることが何より嬉しかたからNOなんて言いようがなかったんですけど。

絵師サンドされた日には死ぬと思っていましたが実際サンドされて死にたいと思っていました。

ジャンルでの活動が長く、自分の本を楽しみにしてくださってる方が一定数いてくださったことは知っていたので両隣は大盛況で自分のスペースだけ閑古鳥なんて事態にはならないことは分かっていたんですがそれでも胃は少し痛かったです。

実際、両隣のフォロワと繋がっているもの自分とは繋がっていない神絵師の方が自分のスペースを避けて両隣に挨拶しているとことか見えたりしたので。

よく見てるなって感じですけど私はたまに神絵師フォロワのフォロワを覗いてわあ、こんなに神絵師からフォローされてる…とか思いながら薄暗い感情になったりとかする性悪自滅くそ野郎なので

(いやでも必要なんですよ…とある絵師(私は一方的に好きなだけ)の作品についての話を神絵師フォロワ(神絵師とは相互)とするにあたって相手相互フォロワの気安さとして喋るけど私は一方的好きな人としての温度差がそこにあることを予め認識して精神を防護しておく必要があるから…)

この辺りをくまなく喋ると大体「見なくて良いとこまで見て、考えなくても良いとこまで考えすぎてるところが生き辛そう」って言われます

本当にその通りだと思います

いやそれでもそうやっていろんなところに目を向けるからこそ自分を見てくれる一人一人に対する有り難みを感じられているとも思っていて、だからこそ持てる力の範囲でも自信を持てているとも思っているので私は一長一短なんだと思っています

逆に自分なんかよりよっぽど「見て頂ける人の母数・持てる関係性の上限」が遥かに広い神絵師のはずなのに自己肯定感の低い人達見ると本当に嫌になります

大体そういう人達って軒並み「ネットの外のリアル自分人間的に問題がある」ところを引きずってるんですけど、そうでなくて、少なくともネットにおける「絵が描ける」ことそれだけで「描けない人」がどう逆立ちしても手に入らない沢山の自信の種と関係の間口がごろごろしてることに気づいて欲しいなあと常々思います

いやまずフォロワの多さといいねの多さとブクマの多さに目を向けて欲しい。

あいつら大体「カップリングの力だから」「旬のジャンルから」「女の子から」とか何とか言うんですけど、過大評価を真に受けない保険にしてるんだか知らないですけど、私からしたらその発言は軽はずみだとしても本当に好きな人も多くて付けてくれてるであろう何百何千の人達からいいね蔑ろにしてるようにも取れるから私はそうやって付けられる自信を一向に付けない人を見るのが腹立たしくて嫌いです。

(と思う感情すら自分劣等感正当化するためのエゴだと言ってしまえばその通りだとも思うので押し付けるのは良くないですよね、本当に各位には申し訳ない。でも言わなかったとしても内心そう思ってることには変わりなかったです。)

でも気の合う話ができて一緒に居て楽しいと思う人達だってその人達です。

私はその人達の人柄が好きで作品が好きで絵柄が好きで、何より一緒に居て楽しいと思えるからこそ、少しでも自信を持って欲しくてついついそういう感情吐露しがちなんですが先日いよいよ怒られました。

そういう感情ネット上では見せたくなくて、少しでも信頼してる自分からこそ打ち明けた部分だったのにSNSで鍵垢で、主語こそださなかったもの特定されかねない形で引用してしまったので。

本当に申し訳ないことをしてしまったなあと思うと同時、それでもやっぱり私は大好きなその人がいつまでも持てる自信を持てないままでいることが嫌で嫌で仕方なかったです。

という感情だけ主張しておけば何かまだ良い感じな風に見えなくもないんですけど私そこに対して「自分の持てないものを持ってる人が自信が無いと惨めな気持ちになる」ってろくでもない私情までぶつけてるから駄目なんですよね

すいません、ごめんなさい、結局私は自分感情エゴ込みで吐き出さずにはいられない性分のクソ野郎でした。

でも本当に、もうどうしたら伝わるのか私には分かりませんがそういう感情を吐き出した人達のことが、自己肯定感が低いところを除けば私は本当に大好きです。

前述したようにその神絵師当人にとっては「親しい人との関係」の中に自分の神絵師物差しみたいなくそ概念を突っ込まれ区別した上で会話をしてしまうから、私個人が抱く劣等感由来のあらゆる感情って本当に仲良くしていく上で心底不要ものなんだなと痛感しています

それでも私にとっては自信の糧になった部分もある切っても切り離せない要素です。

そこを踏まえない友達付き合いを私が徹底できれば何よりなんですけど、付き合いを続けていく中でどうしても一方的劣等感押し付けしまう場面というのは今後どうしたって出てきてしまうように思っています

冒頭で述べたように極力これきりにしたいとは思いますけど性根としてそういう感情根付いてることには変わりないです。

ああ、なんか、そういう見方をされていたんだなあと感じてしまったらどうしようもないのかもしれませんがこんなくそみたいな性根を抱えた自分とも、また喋ったり遊んだりして頂けたら嬉しいなあと思います

本当に一方的で身勝手感情だとは思いますが。

自分のことだと思ってる思ってないに関わらずとにかく私というろくでもない人間関係を築くことを良しとしてくださってるあらゆる方々、本当にいつもありがとうございます

本当にろくでもない性悪なので自分から遊びに誘うことも憚れる上、実際これからしばらくイベントを断つ身の上でお会いできる機会なんてフォロワが関西に遊びに来てくれるときくらいしかないと思いますが遊びに来た際には誘って頂けたら喜びます、と誘い受けをして締めたいと思います

あと良かったら前述の記事同様に拡散の上、思ったこと述べて貰えたら嬉しいです。

賛否や縁を切りたい等内容は問いませんのでご意見感想お待ちしております

最後最後までろくでもないな

ここまで吐き捨てきってしまって、またSNSというかツイッターフォロバする形で性懲りも無く再開するかは正直ちょっとからなくなってきましたが、ひとまず今まで本当にありがとうございました

またお会いできたら嬉しいです。

それでは。

これ男が言ったらセクハラになるのにってたまに聞くけど

なるとしたらそれは男性差別による部分じゃなく言ったやつの相手への距離感おかしいからだと思う

同じ言動でもちゃん関係性を理解して言う人のはセクハラにはならない

だってそういう事を相手が受け入れる関係性をちゃんと作り上げてそれを分かった上で言ってるから

そこの過程気遣い飛ばして同じ言動して同じ反応が返って来ないだとか態度が違う事を一方的理不尽に選り好みしているかのように言ってそちらに原因があるかのように言うのはストーカー気質があると思う

それは相手によって贔屓してるんじゃなく公平に関係性によった言動になってるってだけの普通の話だから

でも外見なんかでその関係性の進度に差が出るっていうのは現実としてある事だと思う性別関係なく

男女差があるように見えるのは男性側の女性への距離意識関係でおおよそ男性側の方が女性より異性からの色んな距離感に対して受け入れる傾向があるからだと思う

男性女性より割合としてセクハラ指摘される方向にあるのもそれが理由だと思う

男性側が思ってるより実際は距離詰まってないっていう齟齬

男性問題とかじゃなく単純にハラスメントはされる側の印象が尊重されるから比較した場合男性側の方が女性から発言許容範囲が広いために女性発言ハラスメントとされにくくまたそれが関係性を誤解する結果にもなり易いという事なんだと思う

それを何か発言においての性別による社会的絶対的許容度の差が原因の結果だとか女性が許される発言でも男性だとハラスメント扱いみたいに言うのはそもそも色んな事を理解してないんだと思う

言動自体によってハラスメント定義されるものじゃないのに

当然男性も気の合う女性ならOK話題でも違う相手にはなんやこいつって思う事もあると思うし

そもそもハラスメント性別関係ないし

同性で下心的な含みなんてなくても立場利用して性的話題に関して色々言ってくる人間はいるし

あと勝手に代弁するようにこれセクハラでしょ、ってやる人はおかしいのかなって本当に思う

何で自分ハラスメント基準他人に強いるんだろうって思う

グリンピース嫌いだから人のチキンライスからも除けてあげるべきとか言う人なのかな

いや知らんやんてなる

自分がされた時はセクハラって言えばいいけど今あなたはされてませんよ大丈夫ですかってなる

私もグリンピースきらいだから除けたいけど出来ないって言われたら除けてあげるのも私もきらいなの最悪だよねって言うのも解るけど

セクハラって定義出来る言動自分主観的基準に沿って存在すると思ってる認識の歪み感がすごい

そんなものはないのに

かわいいね、もプライベートの話も見た目の話も年齢の話も肩組むのもハグ関係によっては職場だって相手が異性だって受け入れられるよ当たり前じゃんて思う

そしてそれを受け入れる人がいるからってその行動自体が受け入れられるべき行動って事にならないのもそうだし

距離の取り方や受け入れられる言動範囲は人それぞれだなんて当たり前の話だし

そんなの普通の事じゃんって

何で普通の事なのに急に職場だとかハラスメントって言葉になるとそれが非難する方もされる方も理解できなくなる人が続出するんだろうか

それを男尊女卑女尊男卑性別理由を求めるようやったり

普通に考えればいいだけなのに

意味分かんないわほんと

2019-03-07

anond:20190307195012

なんでも持っていき方だろ。こんにちはのご挨拶

いい被写体ありましたか

旅行ですか

桜がお好きならあっちにいいポイントありますよと。

これを立ていたに水にしないようにな。

距離感図り相手気遣いする。

まあ、カメラもって公園に出てくる女性の八割は旦那の影響だとおもうけど独身も0ではなかろうし。

あと自称従軍カメラマンとかで素人女性学生相手強姦した事件は当然相手が知ってるとおもえよ、警戒されるべき職業バンドマンこえたからなカメラマン

2019-03-06

anond:20190306184641

友達いないと妻/夫に依存するだろ?するとゴミ扱いされるだろ?

まず同性の友達でも作って人と人との適切な距離感を知ろう

2019-03-05

バカみたいだけど、弟と俺は違う人間だと気づいた

自分語りしたくなった。

親共働きで、ベビーシッターの人によくお世話されてた。それが普通だった。お世話になるのだから行儀良くしなさいと言われてたし、実際他人だ。冗談も言い合うし頼りもする、無理も言った。でも、それなりの距離感を取って暮らしてた。

他人が家にいるのもそれほど苦じゃなかったんだな。

暫くして弟ができた。俺が小学校にあがってすぐ産まれた。その数年はホント幸せだった。帰ったら家に親がいて、色んな事を話したりした。

母のお腹がおおきい時は、一緒に名前を考えて、呼び掛けたりした。今の子はヒョンタなんて呼び掛けるのかな。俺の時代はそれが普通だった。

まれたらオシメも替えた。うんちだったとき俺もビビって泣いたよ。小学生にうんちのショックは大きかったんだ。

成長して、母も仕事に復帰した。シッターさんと俺と弟で夕方まで一緒にいて、遅くに両親がそろう日常に戻った。

俺には日常だったが、弟には違った。オネショをしたり、シッターさんに癇癪起こしたりしてた。親は特に問題視してなかった。夜グズっても構わず寝るし、躾たり叱ることはあっても、一度も声をあらげたことはなかった。もっぱら俺の役目で、いつも「お母さんたちこまるでしょ」と言って宥めた。

弟は小さいうちから、見てわかるくらい落ちこぼれた。それを咎める人は誰も居なかった。勉学もそうだが、素行が悪く、しょっちゅうシッターさんが謝りにいった。親じゃなかった。

夜更けになるとみんなそろう。そこで俺は幸せだった。でも弟はどうやらそれも耐えられなかったようだ。親の前でイライラした態度が増えた。

親は特に咎めもしなかった。「そう」とだけ言って不機嫌さを受け流してた。

俺には昔からの弟だった。自然体で接してたと思う。

俺も大学生になって、弟は中学生になった。俺にはずっとそのままの態度だった。オネショが止まったのを俺はからかった。

家で吠えずに、外で発散したらしい。家は一見平静になった。授業もサボるようになってたが、俺も含めて咎めはしなかった。自由にすればいい、彼の人生なんだから。ポツリと父が言ったのを覚えてる。

この頃は家政婦さんって呼ぶ方が正しいのだろうけど、俺にはずっとシッターさんのイメージがある。補導された弟の迎えはいつもシッターさんだったから、子供の世話をしてたと言える。親は来たことなかった。

弟の誕生日に、両親共早く帰れるから、皆で家族ご飯食べようと言った。弟は表情を押し殺して「気が向いたら」とだけ言った。

母は急な仕事ダメだった。弟は無表情に「そっか」と言って、俺のカレーと親父の買ってきたケーキ食った。

暫くして、大学友達と飲んでたら、電話があった。知らない番号だったけど。どこかの店舗らしい。弟が万引きしたと。

補導はされてたけど、深夜にうろつくとかが理由で、ホント犯罪って初めてだったとおもう。飛んでって、道中で親へ連絡した。

「知ってる、連絡が来たけどいけないから、シッターさん呼んで」怒りがわいたが、そんなもんかとも思った。

店に行くと、事務室に案内された。

「ご家族が来ましたよ」

弟の顔がパッと明るくなったのを良く覚えてる。俺の顔を見て、ばつの悪そうな顔になったが。

盗もうとしたのはガム一個らしい。今回だけはと言うことで、二人でペコペコ謝って済ませてもらった。

帰り道、店から出たら、即座に怒りに任せて一発かました。弟は痛そうに頭を抑えて聞いてきた。「怒ってる?」

当たり前だ、と怒鳴り付けた気がする。そっかぁと言いながらぼんやり俺の顔みてた。

「お母さん怒ったかな」と恐る恐る聞かれた。なんて答えたらいいかからなかった。

「怒ってないよ」と言った。「怒らないよあの人は」

弟は苦笑いしてた。「そうだよなぁ」小さな声で「ありがとう」と言った。俺は聞こえないふりした。

そのあたりから、急に弟の素行が落ち着いた。高校卒業して、家を出た。結婚して、この間子供ができた。

俺は全く作る気になれない。良い家庭が想像つかない。でも弟はたぶん違うっぽい。

なんか違って、たぶん良かったんだとおもう。

2019-03-03

大雑把に言うと、愛とは相手理解し赦すことだと思っている。

結婚当初は愛していたし愛されていた実感があったが、ここ2、3年は理解し合うことも赦し合うことも難しくなった。

また、相手の「愛」が、支配し利用することを意味していると気付いた。

何を買うにも買ってもいいか許可を求められる。好きなの選んでと言いながら自分の好きなものを選ぶ。

日常の細々としたものなら別にどうってことはない。ここ2、3年は支配欲が逞しくなったのか、くだらないことや個人的な嗜好にまで口を出してくるようになった。嫌気がさして距離を取り、支配の呪言を拒否したので会話が減った。

普段から情報の取り方に差があったので、会話が減ったことで互いの前提知識の差が広がり、日本語話者同士のはずなのに言葉が通じないことが増えた。

私は俗に言う毒親の下で主に肉体的な虐待を受けて育ち、金銭的な自立を模索して高校生の頃からバイト漬けで家に寄り付かず、5年ほど親と付かず離れずの距離感を保って自己形成をした経緯がある。相手もまた、毒親の下で精神的な虐待を受けて育ち、共依存のような関係性で、結婚をしてから徐々に親から自立し始めたようだった。

しかしながら、長年受け続けた親から虐待共依存関係は、遂に今に至るまで、愛の形は虐待共依存であることを覆さなかった。

無知を過剰に恥じるために知ってるふりをし、正誤を説かれると感情失禁を起こす。虐待じみた要求をしたかと思えば慇懃土下座をする。意見を求めたかと思えば全否定した上で謝罪要求する。脈略なく数週間前のことに怒り、謝罪要求する。事実誤認を指摘すると人格否定だと拡大解釈する。人を敵か味方か決めつけた上で、敵のものは悪いもの、味方のものは良いもの確信する。敵と判断すると人格攻撃を厭わない。見た目を蔑み、その家族嘲笑し、敢えてわざわざ傷つけようとする。

情報分別する技術を持たない。先入観検証する技術を持たない。観測者によって見え方に差があることを理解しない。無闇に肩書きを好む。ゆえに、判断力が非常に低い。当人意識俎上ではこれを漠然とした不安と感じているらしく、埋め合わせとして激烈な感情を充てているという自覚があるようだ。

正直なところ付き合いきれない。私が上記のように扱われることが心底嫌になる。敵認定した人の陰口を嬉々として喋っている姿はおぞましくさえ思う。

早く別れたい。

anond:20190303032220

ああ、私に対して怒っているのではなくて、「断捨離」という言葉を使ったことに対して心に引っかかった故に、上記の様なコメントを残されたのですね。ともあれ、私は「断捨離」ではなく冷静に「適度な距離感」を今後は取っていきたいな、と思います関係を凍結するのではなくて、あまり「関わらない」、そういう女性だと悟りドタキャンされても「いちいち傷つかない」こと。本当に社会勉強になりました。色々ありがとうございます

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん