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はてなキーワード: トレーニングとは

2018-07-19

マッチョ生き方

マッチョ生き方」というものがある。

意識が高く、向上心があり、常に自分を磨くトレーニングをしている人のことだ。

私のSNSタイムライン過半数は、インフルエンサーたちの筋肉で蒸し暑い

最近こんな仕事をした。こんなものを作った。

自分は世の中についてこう思う。

他の人になにを言われようが気にしない。

などなど...。

自分筋肉他人に見せびらかすことは自己顕示欲が強くて気持ちが悪いと、

一時期そんなマッチョたちに嫌気がさしていた。

会社で行っている仕事自分の鍛えたい箇所が違っていたからなので、自分に合わない仕事で疲れていた。

他の人のことが気になり、自己否定を繰り返す毎日で、彼らの「マッチョ生き方」は息苦しかった。

私の周囲は会社仕事自分の鍛えたい箇所がマッチしている人が多い。

次元の話だから多少きつくてもやっていけるのだ...。自分はなんてダメなんだ。

当初はただ不貞腐れ、ダラダラ過ごしていたのだが、途中で疲れがピークに達し心療内科へ行った。

その疲れは私の現在抑うつの診断と紐づいていることが分かり、自分の鍛えたい箇所に改めて向き合う必要があると実感した。

診断後だいぶ苦しい思いをしたのだが、吹っ切れたお陰で最近休日自主学習自主制作がはかどっている。

仕事でもちゃん自分を磨くトレーニングができ、多少の嫌な作業でも栄養と考え取り入れる思考ができた。

今では、マッチョたちのツイートを見ても邪険に感じなくなり、むしろ自分の成長に活力を与えてくれるものだと感じている。

話は変わり、仕事求職者と会う度に感じたこととしては、

転職に期待することとして待遇が良いこと、福利厚生休日の量、やりがいなど(大切なことだが)表層的なことばかりで、控えめに言っても頭を使っている転職活動とは思えない。

私自身も鍛えることは嫌であった。

でもそれは自分に合わないトレーニングをしていたからに他ならない。

きっとユーザー自身も疲れているのだ。

栄養を取らず、ガリガリになった求職者にとってマッチョ生き方はきっと以前の私と同じく別次元の話だと思うだろう。

不貞腐れ、ダラダラしたままで、仕事を移っても良い結果は得られないのではないだろうか。

現在転職サービスは、転職の間口を広げ、限界寸前のガリガリ求職者転職市場に放り込まれている状態だ。

結論として「マッチョ生き方」は社会を生きるうえで必要であると私は感じている。

その目的自分他人を早く切り離し、己の成長にのみ向き合うために他ならない。

己の成長の結果の対価として、報酬のアップや仕事業務内容や環境改善などを転職ではじめて求めることができる。

転職理由他人を持ち出した時点で、急務であるべきは転職ではなく休職だと私は思う。

無理して筋肉痛や肉離れ(心が壊れた時)の状態活動するべきではない。

まだ世間は強いもの以外に優しくできてはいないのだから

2018-07-18

anond:20180718155958

へええ、最近はこういう「コーチデリバリーサービス」みたいなのもあるんだな。参考になるわ。

トレーニング1回ごとにトッパライなら分かりやすいし、こういうシンプルに「頼んだらやってくれる」仕組み、嫌いじゃないわ。

anond:20180718082807

当人知らないのに無責任ジム行けとか言う人は気にしなくていいと思うよ

最終的にジム行くのは自分で決めるべきだし、行くペースや強度もトレーナーの助言あっても最後には自分で決めるべき

他人の薦めるトレーニングと周期じゃ長続きしないし、体壊す。もしかすると言ってるやつは体脂肪率一桁の変態かもしれないしね

とりあえず貴方場合は、体質を変えないといけないし、筋トレ等で筋肉が水分溜め込んでいる可能性もあるんで、ウォーキング連続で1万歩、つまり7kmくらい毎日歩くのが良さそう

他の人も言ってるけど、合計1万歩じゃ健康維持くらいでダイエットには効果ないよ。1回で1万歩なら効果あるよ

2018-07-15

本当の意味で体力をつける方法はあるのか

週3で10km以上走ってた時も

大して体力がついた感じがしなかった

もっとトライアスロンみたいに総合的にトレーニングをするべきなのか

持久走重視で鍛えればいいのか

でもそれをやってもデスクワークの体力はつかない気がする

疲れない体が欲しい

2018-07-14

トレーニング中に観るとやる気が出る映画教えて

初代『ロッキー』は殿堂入りなので除外として

知り合いにマネートレーニングかいう講座に誘われたんだけど、ネーミングからしてあぁーーという感じで悲しい。

2018-07-13

学校の授業にeスポーツ

なんというか、学校の授業になったら一気にやりたくなくなりそう。

FPSの授業になったらひたすらAIM練習とかさせられるんでしょ?

部活FPSするとしても、まずは基礎が大切ということで、目のトレーニングとか、反射神経を鍛える練習とか、使った道具に感謝をっていってコントローラー毎日10分ぐらい磨けっていわれそう。

しかAIM合わせるのが遅かったり、ゲームスコアが低いと通知表でひどい評価をつけられたらゲームが嫌いになっちゃいそう。

 

体育嫌いだったけど、たまーに昔の仲間と集まってやるバスケとか楽しいんだよな…

anond:20180713095032

ジムって再来週とかそういうスパンで行くものではないのでは。

ブリデイエブリナイスで通って日に30時間位のトレーニングをするために行くものだろ。

そんなんじゃ痩せへんで。

2018-07-12

革靴スカート女子部員が伝令した件

審判員困惑よそに珍事、革靴スカート女子部員が伝令

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180712-00265421-nksports-base

日刊スポーツ記事では「女子」が試合中にグラウンドに上がったことがいかにも異例で問題のあることのように書かれているが、

女子部員制服姿で伝令に 福島大会で珍事、高野連が注意

https://www.sankei.com/sports/news/180712/spo1807120036-n1.html

”県高野連規則では伝令は選手が行うと定められており、高野連側は長沼に「次からは特例として捕手をベンチ前に呼んで伝えるように」と注意。”

産経新聞記事を読んでわかるように今回の件は男女問わず選手ではない記録員が伝令を行ったことが問題とわかる。

ブックマーカーたちの野球嫌いは今に始まったことではないが、他人糾弾したきゃ事実ぐらい確認してからにしないと恥かくだけだぞ。

追記

ちなみに福島県大会規則では女子でも試合前のノック等でグラウンドに上がっていいことになっている。

( 3 ) 各種県大会のシートノック時の、ノッカー補助員を3名まで認める。ただし、

きちんとしたユニホーム姿であること。(シューズ並びに自チームヘルメットを

着用する。)

また、女子マネージャーについてはトレーニングウェアであること。

http://www.fks-kouyaren.com/renmeikankei/kisoku/taikaikitei.pdf

2018-07-11

「同じ日本人として嬉しい」という努力搾取

日本代表が史上最多のメダル13枚を獲得した平昌オリンピックが終わって5ヶ月程、現在進行系で開催中のワールドカップでも日本代表ベスト16という結果を残した。

ワールドカップオリンピック期間は、まだまだネット配信が普及していないこともあり、普段テレビを見る習慣のない筆者もテレビを見てしまう。

インターネット上では昨今マスコミ特にテレビ)の報道への糾弾が絶えないが、それでもなお力を持っているメディアであることを実感する。

ここで表題であるのだが、世界規模の大会日本代表が結果を残すと街頭インタビューを行い、その様子をワイドショースポーツコーナーで流すという光景を見たことがある人も多いのではないだろうか。

この街インタビューでのお決まりセリフは「同じ日本人として嬉しい」である

もちろん、この言葉は結果を残した選手たちへの祝福であり、そこに深い意味が込められているとは考えてはいない。

だが考えても見てほしい。たとえばオリンピック場合、彼ら選手たちは我々が普通に生活している時間殆どトレーニングに当てているのである

その辛く厳しいであろうトレーニングを経てオリンピック舞台へ立ち、結果を残したのだ。

勝利を得たのは我々でなく、彼ら自身である

もちろん彼らの努力勝利は称賛されるべきだと思う、だが我々が「同じ日本人として嬉しい」というのは傲慢では無いだろうか。

私はそれを「努力搾取」ではないかと考える。

日の丸を背負っているのだから当たり前だ」という意見もあることだろう。

だがその「日の丸を背負う」という行為にも意義を唱えたい。

オリンピック憲章には、オリンピック個人団体間の競技であり、これは国家間競争では無いと明記されている。

よくあるフレーズ「国の威信をかける」という行為否定されているのである

まり日の丸を背負うという行為自身が、オリンピック憲章に反しているのでは無いだろうか。

大半の日本人は「同じ日本人として嬉しい」という言葉にも「日の丸を背負う」という言葉にも何ら疑問を感じていないことは事実である

だがしかし、このような考え方の人も私の他にもいるのでは無いだろうか。

間違った文章知識等ありましたらご指摘のほど宜しくおねがいします。

男性に助けて欲しかった」

痴漢云々で男性に助けて欲しかった」っていうのが話題になってたけど、

女性が何か被害を受けているのを見かけた時、出来るなら男性はどんどん助けてあげて欲しい。

自分もどんどん助けたいと思っている。

でも助けられなかった男性がいた場合、一概に責めないで欲しいなとは思う。

(助けないどころか女性を責めるようなウンコ死ねばいいと思うけど)

男性とて、「男性に注意して対峙する」というのは緊張を伴うものです。

緊張どころか恐怖感だってあります

僕はかれこれ20年近く格闘技経験もあり、今でもトレーニングを続けていますが、

それでもいざ男性相手にする場面になったら緊張もするし、恐怖感もあります

どんなに鍛えてたって、腕っぷしに自信があったってナイフ一本で死ぬんです。

僕の格闘技の先輩(人間凶器と呼ばれた)も、飲みの席で女性に絡んだ男性に注意した際、

後ろから椅子で殴られて、片目が飛び出す寸前の大けがを負いました。

僕が実際に電車痴漢を取り押さえた際、顔面を3発殴られました。

カッターナイフを突きつけられた事もありました。

男性だって怖いものは怖いのです。

そこだけは分かってあげて欲しいと思います

そして女性子供に対して暴虐を振るう男性が一人でも少なくなりますように。

anond:20180711092011

なぜなぜトレーニングをするんだ

なんでも良いけど1つの事柄に対してなぜそういう仕組みや作りになっているかを仮説立てる

その仮説がなぜ立てられたのかを考える

その答えにまたなぜそうなったかを考えるってのをずーっと繰り返す

で、最後にそれ以上なぜを繰り返せなくなったら振り替えって

前後がきちんと繋がっているか検証する

この時注意が必要なのは必ずしも正解である必要はないってこと

たとえ不正確でも前後論理的につながっていればよしとする

これを習慣付けると論理性はかなり育まれ

2018-07-10

滑舌が超悪い整体師が居た。

骨盤直すとか言われていて効果がありそうな整体の回数券を買った。

2人の交代制で、他の人がいつも整体担当してくれていた。

その日はいつもと違って、滑舌悪い子が来た。

さしすせそ」「はひふへほ」がいえない。

常に口を開いて話している感じだった。

入れ歯外れちゃってないか!?」というレベル聞き取りづらさだった。

「はひめふぇの、ほんはのこふぁんでぇふはー!?

(訳:初めての女の子なんですかー)

これは聞き取りやすレベルだった。

話し始めて5分、注意深く聞かないといけないの辛いって思ってた。

他の人達は楽しそうに会話している中、私の中ではサバイバルだった。

相手のいう事を予測し「たぶんこうだろうな」と話すこと10分。

だいぶ慣れた。何となく何を言っているのか分かった。

飲み物を持ってきますね」すら聞き取れなかったというのに

ジェスチャーも無くなんとなく理解できるようになっていた。すごい。耳すごい。

整体に来たのにどっと疲れてしまったけど良い子だったなぁ。

滑舌を良くするトレーニングとかして欲しい。あの滑舌はヤヴァかった。

2018-07-08

三島由紀夫金閣寺」について


金閣寺』という小説が何を表しているのか、単刀直入に語るとすればどのような言い方になるだろうか? それについて敢えて率直に語る事はすまい。

 とは言え、勿論その文章の中心的な部分は割に簡単言葉で表す事ができる。つまりは「美しさ」と「地獄」という二語によってである。ただし、これだけだと余りにも簡単説明でき過ぎてしまう。実は、金閣寺はこの二語のみによって説明できる小説なのであるが、それではあまりにもざっくばらんすぎて、説明が詰まらなくなってしまいかねないのだ。その為、少しだけ読者を焦らす事にする。


 金閣寺1956年雑誌新潮』に掲載され、年内に単行本化し15万部のベストセラーとなった――また、現在に至るまで文庫を中心に300万部以上を売り上げる日本の伝統近代文学の内の一つである海外においては複数言語翻訳され、日本文化を緻密に描いた三島由紀夫文章は各地で絶賛を浴びた作品でもある。しかし、無論この小説には難しい部分がたくさんあって、一朝一夕で読み解くにはハードルが高い。

 しかし、繰り返すようにこの小説は二つのポイントをさえ押さえるならば十分に理解することができる。

 つまりは「美しさ」と「地獄である

 この言葉はあまりにもこの小説を語る際に便利過ぎる。

 金閣寺は美しさの象徴であると同時に地獄象徴であった。これが三島由紀夫がこの小説において語ろうとしていた全てである小説金閣寺』は1950年に発生した、青年僧侶による「金閣寺放火事件」を下敷きにしており、三島由紀夫はこの青年僧の犯行根底に「美への反感」があることを読み取った。そして、そのコンセプトを元に書き上げられたのが、当の大作『金閣寺』なのである


「美への反感」。

 つまり、人は美しいものを時に憎むのである。そのような感情一言に言って地獄の現出に他ならない。

 何故ならば、人は美しいものに中々なれないかである

金閣寺放火事件」の主犯となった青年は幼少より吃音の症状を呈しており、恐らくそ吃音症は彼の人生に薄すらとした重たげな影を投げかけていた。

 吃音症は美しいか否か、と語るとするならば、恐らく人は吃音症を称賛するよりも嘲笑するだろう。いや、これもまた偏見なのかもしれないが、少なくとも三島由紀夫はその吃音の症状一つ取るに、青年僧の人生に降りかかる薄すらとした影の姿をまざまざと感知したのであった。そして、青年僧は自身が美という観念からはやや隔たった存在であることを自覚すると共に、美に対する拭い難い憎しみの存在を抱え続けることになるのである。――自身の美への憧れの象徴として、自身父親から長く「美しい」と語られていた金閣寺存在を、憧れと同時に、憎悪対象とし始めるのである。やがて、青年僧は最終的に犯行に及ぶ――金閣寺放火し、その美の象徴たる美しい建造物を、焼き払ってしまうのであった。

 美に対する憧れ、そして憎しみ、そのような薄すらとした影が、青年僧の人生には降り掛かっていた――これが、この金閣寺という小説を書くに至って、著者である三島由紀夫本人が青年僧に対して抱いていたイメージ重要な箇所であるだろう。そして、もはやこれは自明のことであるとは思うのが、その薄すらとした影――つまりは「美への反感、憎しみ」――とでも言うべき影は、三島由紀夫人生のものをも固く包み込んでいたのである

 三島由紀夫本名平岡公威(ひらおかきみたけ)は1925年に父、梓。母、倭文重(しずえ)の元に生を享ける。

 幼い頃は虚弱体質であった三島が、長じてからは肉体強化のトレーニングに励んでいたことは周知の事実であろう。

 三島心中いかに「美」に対する執着と、そして同時に反感とが存在していたか推して知れることである小説仮面の告白』においても語られていた通り、三島由紀夫心中には鬱々たるものがあった。そして同時に、そこには複雑な、文章によって表現することの憚られるような感情が幾つも幾つも存在していた。恐らく、彼はそのような歪な感情存在する理由を、人生において追究していたに違いないと思われる。

 でなければ誰があん小説を書こうとするであろうか?

 ともかく、三島由紀夫はその人生において複雑な美意識を持っていたし、同時に、その美意識に対する反感を抱き、自分自身感情を飼い慣らすことに苦労していた――そこには美に対する憧れと、同時に美に対する反感、そして美を中心とした地獄があった――これはおおよその三島由紀夫研究者が抱いている彼に対するイメージであろうと思う。三島由紀夫は彼の小説において、彼の人生のものを率直に表そうとしていた。彼の人生というものは、恐らくは彼の書いた小説以上にわかやすものだったのかもしれない。


 金閣寺の作中において、柏木という名の登場人物が現れる。この人物は跛足であり、つまりは歩行に困難を抱える身体障害者であった。

 そして、小説金閣寺』においては明確にこの人物が、当小説における極めて重要な部分を語る鍵となっているのである

 作中における柏木キャラクターについてはここでは敢えて詳細に語らないが、しかし彼が主人公青年僧に対して口にしていた、『金閣寺』という小説の根幹を成す極めて重要台詞について語ることにする。それは、以下のような台詞であった。

地獄の特色は、すみずみまで明晰に見えることだ。しかも暗黒の中で!」(文庫金閣寺、p.129)

 柏木というキャラクターはいわば「地獄」に関する伝道者としての役割果たしている。「地獄とは暗闇の中で一切が明晰に見えることである」。この言葉意味曖昧模糊としている。そこには、語るまでもなく明らかな矛盾がある。暗闇の中では一切が曖昧で、決して明晰になど見えはしないのだ。しかし、このような矛盾物語の後半において一挙に解消されることとなる。そう、ここにおいて柏木の語った一節は、当小説重要テーマである金閣寺の「美的側面」、ひいては、金閣寺の「地獄としての側面」に対して、判明な解答を与える重要キーワードであるのだった。


 飛んで、物語の後半。主人公青年僧は、ついにその目的を実行に移そうとしていた。

 彼の中にある美への憧れの根源――金閣寺存在のものを一挙に焼き払おうというのであるしかし、時刻は夜であった。そこは全くの暗闇であり、暗黒であった――。しかしそれでも主人公の目には、暗闇の中にある筈の金閣寺がまざまざと視認され始めるのである

 そう、正に「暗黒の中で」「すみずみまで明晰に」金閣寺が浮かび上がったのだ。

金閣寺は雨夜の闇におぼめいており、その輪郭は定かではなかった。(p.318)

が、私の美の思い出が強まるにつれ、この暗黒は恣まに幻を描くことのできる下地になった。(p.319)

ついには昼とも夜ともつかぬふしぎな時の光りの下に、金閣は徐々にはっきりと目に見えるものになった。これほど完全に細緻な姿で、金閣がその隈々まできらめいて、私の眼前に立ち現れたことはない。(同)

 そう、ここで暗闇の中で明晰に知覚できたのは、美の象徴として語られる金閣寺の姿そのものだったのである

 金閣寺はここにおいて、彼の記憶に根差した「美」の象徴として語られている。そして、同時に、かつて語られた柏木警句が浮かび上がらせるのは、金閣寺の「美」としての側面と同時に立ち上がってくる「地獄」としての側面だったのである


 小説金閣寺』は、青年僧の中に存在する「美」への屈折した感情を描き切った名作であった。そして彼はその「美」をも、「地獄」をもまた共に焼き払ったのであった。

 そこには、純粋な憧れと同時に、地獄としての大きな側面が描かれていたのである

2018-07-04

anond:20180704012053

最近温泉が付いてたり。

タオルもウェアも貸してくれるから選択いらず。

トレーニング器具をどれでも好きなだけ使えるのはやっぱり悪くない。

プールも併設してあるから泳ぎ放題だ。

難点は老人が占拠してる時がある事ぐらい。

2018-07-01

部活ヤバいところって

スポーツ選手を育成するそぶりをしておきながら、実際はスポーツ選手の育成にふさわしくない方法をとってくるところ。

毎日全力でプレイしたら故障するでしょ。

プロアスリートって、筋力トレーニングイメージトレーニングにも時間を使ってると思う。

しかも、メニュー理論的に組まれてる。

なのに、奴らは監督のさじ加減と欲望で、厳しいことを根拠もなくやらされてる。

日本部活で潰れていく天才達が可哀想

今年外科には誰も入局者がいなかった

嘘のような本当の話だ。

俺は呼吸器外科を専門にしていて今年で医者19年目になる。

昨日の人気エントリーに入っていた研修医2年目の子の話https://anond.hatelabo.jp/20180630150652を読んで俺も書こうと思った。これは俺個人意見から外科先生みんながそう思っているわけじゃない。だから批判するなら俺だけにしてほしい。

俺のころはまず初期臨床研修制度ってものがなかった。2年間いろんな科をローテーションするってやつがなかった。だから当時俺たちは卒後すぐに診療科を決めなくちゃいけなかった。俺は家が病院ってわけでもなかったから、何科に行くのも自由だった。だからこそ悩んだよ。だってまだ俺その時25才だぜ?25才で一生やってく仕事なんてそんな簡単に決められねーよ。学生時代に2週間ぽっち診療科グルグル見たってさ、たった2週間だぞ、そんなんで決められねーよ。

でさ、悩んだ挙句俺は呼吸器外科に入ったよ。入った理由はさ、バスケ部の先輩にグイグイ引っ張られてっていうただそれだけ。2個上の可愛がってくれた先輩が「外科はおもしれーぞ。俺んとこ来いよ」って飲み会の席で肩に手を回してきて「外科はいいぞ、毎日楽しい」って言うもんだから酒の力もあって俺は入局宣言した。でも別にこれは今でいうパワハラなんかじゃなかった。嫌ですって断ったらきっとすぐ解放してくれたろうし、何よりその外科を語る先輩がすごく楽しげだったんだよ。

入局してからはさ、毎日しかったよ。でも楽しかった。最初のころは丁稚奉公みたいな感じで上の先生アシスタントとしてちょこちょこ術野を動き回ってた。外科系は体育会系の熱いやつらが多くていっぱい叱られたよ。でも仕事が終わった後医局でたまに開かれる飲み会はいつもベロンベロンになっていた。みんな外科が好きで、いつもこの前ああ切った、あの時もっとああすればってのを酔っぱらいながら話すんだ。うちのとこは教授ガンガン術野に入った。雲の上の存在だと思ってた教授だったけど術野で隣にいると不思議距離が近いように感じたよ。教授大事にしている日本酒をこっそり講師先生が出してきて飲んだのもいい思い出だ。

外科のいいところは昨日出来なかったことが努力次第でできるようになるところだ。最初は教えられた外科結びを先輩に遅せぇなぁとからかわれながらやっていた。でもやればやるだけ少しずつ速くなる。今ではすっかり俺も教える側でからかう側だ。

術式もどんどん新しくなっていく。より侵襲が少なく、より速くに進化していくんだ。今は開胸よりも今は胸腔鏡手術が主要になってきた。胸腔鏡手術…VATSっていうのは胸に2,3cmくらいの穴あけてそこから細長い鉗子やカメラを突っ込んで、画面見ながら手術するんだよ。すげぇよな、胸開かなくていいんだぜ?俺も初めてやった時、すげぇな、本当に面白れぇなって思った。群馬大の腹腔鏡手術の件は医局でも結構話題になった。やっぱり腹腔鏡とか胸腔鏡ってのはすごく難しい。一朝一夕でどうにかなるもんじゃない。俺のいる大学病院は週3回、大体一日2件手術があるけど、自分が入る手術はその半分くらいだ。それだけの手術じゃ上手くなりようがないか時間外にトレーニングルームに籠って練習する。でも努力した分今日やったことが明日もっと速く、正確に、できるようになる。だから俺は結構好きだし他のやつらも結構好きなんじゃないかと思う。

たださ、若いやつらはどうなんだろうな。外科系は肉体的にキツいってのは本当だからさ。俺の所属する呼吸器外科はまだ手術時間は短い方だと思う。大体3~4時間だ。胸膜癒着とかあれば6時間かになることもあるけれどそんなのはしたことじゃないさ。心臓血管外科脳神経外科なんて1日術野に籠りっぱなしだ。中には椅子がなくて座らずにサポートする先生もいる。昼食休憩や交代はあるところはある、ないところはない。だから外科先生基本的に痩せているよ、食う暇がないから。

実習生研修医はそれを見て外科に入りたいって思うのか、心配だった。俺のころとは随分違って彼ら彼女らは吟味する時間が十分に与えられている。外科を選ばなくていい理由なんか山ほどあるんだ。眼科耳鼻科皮膚科泌尿器科のようなマイナー科の誘い文句は「内科系の管理外科系の手術もうちの科は出来ますよ」だ。内科業務の合間にちょっとした手術もなんてまさにいいとこどりで魅力的な話だと俺も思う。眼科白内障の手術なんて30分ごとに患者交代で1日10件もやれる。

次に俺たちは思っている以上に開業が難しいってことだ。体力が落ちてきたら町医者開業って未来がない。いくらVATSが出来るようになっても医局や大病院を出てしまえばそんな手術できない、器具設備もオペ看もないからな。その点内科マイナー科は忙しい業務が辛くなれば辞めて開業して悠然と働けるじゃないか。賢いというか自分の将来を見据えている学生研修医ほど外科を選ばない時代がきているのだと思う。

俺の奥さんは専業主婦で家のことは全部やってくれている。俺はひたすら手術に打ち込んでて家事育児をそこまで手伝ってあげられなかった。それでもうちの奥さんは優しくて毎日アイロンの効いたシャツを渡してくれるし、息子は息子で部活のことをそこそこ話してくれる。家族に恵まれたと思う。本当に感謝しているよ。だから、もし俺がもう少し忙しくなかったら家族もっとしてあげられることがあったんじゃないか、と考えることがないわけじゃない。

成績順で上から決まってくアメリカと違って日本医師自分希望する診療科に就くことが出来る。だから一回「辛い、キツイ」って印象がついた科は敬遠される。敬遠された科は残された人の業務が増えますます「辛い、キツイ」の印象が強くなる。このまま外科に入局する研修医がいなかったら、外科世界はどんどん高齢化していく。農業伝統工業のように継承していく若者がいなかったらきっと衰退していく。内科が行う内視鏡カテーテルで診断はつきました、ただ切って治す人はいませんの時代が来るのかもしれないな。

「これ、いくらだと思う?」

術野に入る学生にはこうしてVATSの自動縫合器を見せるようにしている。一緒に入るオペ看や助手にはまたその話かって目で見られるけれど、この機械カートリッジだけでなく本体すら使い捨てで数万円~数十万だと言うと彼らは驚いた顔をする。その顔を見るのが好きだ。そうだ。俺たちはここで、最新式の機械で最新式の術式で最高の医療を届けているんだよ。こんな些細な会話が彼らの胸のどこかに刺さって、外科に興味を持ってくれたらいいと思う。俺も教授や先輩から教えられた技術経験もお前に教える、何よりさ

外科はおもしれーぞ。俺んとこ来いよ

物語」の共有

サッカーの日本代表見てて思うんだけど、ハリルホジッチの頃に比べると戦術面では後退してるけど意思統一は出来てるように見える

それはなぜかって考えてたんだけど、ハリルホジッチ選手達は「物語」を共有できなかったのかも、と思い至った

多分、ハリルホジッチ戦術など論理的な「思考」を共有する事で、価値観を共有しようとしたなんじゃないかと思う

それに対して選手達はハリルホジッチと、「物語」を共有する事を無意識に望んでいたんじゃないかと思う

目標にたどり着く為の方法ではなく、目標へと自分達がたどる「物語」が欲しかったんだと思うんよ

でも、そんなのハリルホジッチからしたら想像埒外で、多分説明されたところで理解できないだろう

背景にある文化、習慣の違いがこのすれ違いを生んだ可能性がある


仮にこの考えが合っていると仮定する

とすると、海外のやり方を日本に持ち込む際に、一旦「物語」に変換するという行程が必要なんじゃないだろうか

ヨーロッパ戦術トレーニング方法を持ち込もうとして、上手く行ってない人の愚痴ネット上にはよく転がってる

抵抗勢力のせいでそうなってるっていう人が多い

でもそれって考え方が古臭いとかそういう事じゃなくて、海外のやり方をそのまま持ってきちゃってるからなんじゃないだろうか

共有できる「物語」を描いてそれを共有していけば、案外すんなり浸透していくんじゃないかって気がするんよね

多分、この国はまだまだ物事説明するものとしての「神話」が有効な国だと思うんよ

遅れてるって批判する人も多いだろうけど、現状がそうである以上はそれでやっていくしかないんじゃなかろうか

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