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はてなキーワード: 権化とは

2017-06-17

https://anond.hatelabo.jp/20170617065321

カレー屋の雇われ店長さんは母国語英語日本語話せる上にカレー以外もできる料理人なのに年収200で家族に送金してるらしいんだ

日本中華もできるスシ職人いて外国語2つマスターしてたら倍以上を稼いでると思う

国境線は悪の権化

2017-06-16

外国人をなるべく入居させたくないのは何故か? その理由

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.buzzfeed.com/jp/kylaryan/no-foreigners-allowed

騒音問題を起こす率が日本人と比べて桁違いだから

本人がおとなしくても、日本人じゃない友達が遊びに来て騒ぐ率も高い。 →ほかの日本人入居者が出ていく=中途半端な時期に退去されたらウン十万円以上の損失。

日本語がきちんとわかるか、日本人よりも不安感が大きい為。

日本司法制度運用実態からして、いったん入居しちゃったらなかなか強制退去は実際のところ難しい。日本語がわからないならなおさら困難。

指導しようにも日本語が伝わらないと話にならないし、伝わったとしても文化が違うので「え?なんでそんなことでダメ?」みたいなふうに従ってくれない場合も多い。その場では従っても2日もすれば同じことが起きてる場合も。

差別を盾に取って大家攻撃するようなのを入居させたら、それこそ大変だ。

入居したあとも騒音問題を起こさないように、共用部分にモノを置かないように、共用のところで許可なく料理をしないように、などと注意してもサベツダーサベツダーなんて言われて国際問題にでもなって、アパート特定されて悪の権化のように吊るし上げられたら?

最悪だ。

なので、外国人はなるべく早めのうちに弾く、というのが日本司法制度からして合理的になっている。へたに入れると、騒音問題等で現在入居している日本人が出ていってしまうような問題が起きたことが実際にあるので。

アパートの外で外国人がたむろするようなアパートは、日本人は非常に怖がる。

また、司法制度の他にも、外国人を入れたあとに問題が起きたとしても「入れた大家が悪い」「外国人文化尊重せよ」などとアホな擁護をする自称弱者の味方がギャアギャアわめくのも非常にめんどくさいから、余計に外国人入居は忌避される。

繰り返しになるが、外国人入居者が問題を起こしたとして、それがもとで中途半端な時期に日本人が退去されたらウン十万円以上の損失になる。

「あそこはヤバい外国人が多いアパート危険!」だなんてネットで書かれたら? 表現の自由だとか発言者保護だとかなんとかで削除が難しい場合だってある。

客を選べるなら、そりゃ外国人をなるべく入れないというのは、商売を考えたら当然のことだ。外国人擁護の奴らが基金でも作って、大家の損失をその基金で穴埋めしてくれるんだったらいいがね。

でも、だいたいの奴は口だけで外国人差別はいけないだのとギャアギャアわめくだけでカネは出さない。その程度の奴らばかりだからだ。

2017-06-14

前川氏は無能文科省権化みたいな男なんだが。

前川氏がいまメディアでいろいろやってるのは、

官邸文科省メンツと省益を潰された逆恨み


新国立競技場建設に関して文科省がまったくの役立たずで官邸に召し上げられた件、

高速増殖炉もんじゅ文科省の主導権を召し上げられ廃炉に追い込まれた件、

文科省天下りシステムがばればれすぎて官邸に刺された件、

獣医学部新設についても管轄である文科省戦略特区官邸に押し切られた件、

どれも前川氏本人を含む文科省トップ官僚たちが無能からこそ官邸にやられたわけで。


あれを有能だとか正義だとか持ち上げてるメディアアンチ安倍な人たちはどうかしてる。

2017-06-12

http://anond.hatelabo.jp/20170612135645

トランプポリコネに対するサイレントマジョリティ権化だろ

バカかこいつは

つーかアメリカって元々ポリコネと分権派で争ってる合衆国なのに何も知らないでイキってたのか

2017-06-07

アラフォー独身女性の先輩が怖い

バリキャリ普段「私は仕事がしたかたか結婚しなかった」が口癖の先輩。

月遅れ歓迎会で新しく入った20代前半の既婚の後輩に「ろくに仕事もできないくせに結婚するなんてお金どうしてるの?旦那に飯食わせてもらってんの?ありえな〜い」と酔っ払いながら話しかけていて、後輩涙目でなんとかなだめつつ席を離しつつで対応したけどなんというか嫉妬権化という感じで怖かった。

そのあとさらに酒は進み「私ほんとは結婚したいの〜」と愚痴りはじめた先輩。結婚選ばなかったならそれはそれでいいから後輩責めないでほしい。せっかくの歓迎会なのに以来後輩は萎縮してしまってつらそうにしている。なんで独身生活選んでおきながら嫉妬するんだろう。結婚が厳しくなる年齢になる前にちゃんと準備しておけばよくない?理不尽感情による暴力はまじで怖い。女まじ怖い。どんな子宮してんだよ。

2017-05-30

人の彼女を寝取ろうとした人間の戯言 1

あれは去年の冬、僕が22歳の時だった。大学が嫌になってしまって実家帰省していた僕は地元バイトをしたりしながら、フラフラしていた。課題もたまっていたしやるべきことが溜まっていたけれど、そう言うことから逃げるために実家に帰っていた。そして毎日毎日意味もなくバイトをする中でインターネットけが僕の癒しで、特にSNSを楽しんでいた。

そんなある日、僕の元に知らないアカウントから連絡が来た。なんでも自分高校の5つ下、17歳の後輩の女子しかったけども、プロフィール出身校など書いていない僕をどこで知ってなぜ連絡が来たのかはっきりわからなかった。けれども、とりあえず連絡を取り合って見た。

そして彼女から話を聞いていく中で、僕は驚きの事実を知った。高校の同期の非リア非モテ童貞だと思っていた友人が実はその5つ下の後輩と付き合っていた上にすでにセックスをしていたと言うことが明らかになったのだ。リア充童貞だったわけだ。ただ彼は彼女に対し自分高校時代について多くを語ろうとしなかった。だから親友である僕に彼の高校時代などについて一度話を聞いて見たいと連絡が来たのだ。

正直彼は容姿いいわけではなく、オタク権化みたいな見た目で、彼自身も非リア芸をSNSで展開していたし、それは疑うことのない事実だと思っていた。しかしそうではなかったんだ。正直裏切られたと同時に、やることやってんだな、とも思った。

高校の同期が女子高生交際している上にセックスまでしている、それだけなら同期で集まった時にみんなで話して盛り上がるゴシップの一つに過ぎなかったのかもしれない。でも話を聞いていくと同期のクズっぷりが少しずつ明らかになった。

初のセックスに関しても彼の童貞卒業、そして彼女初体験にもかかわらず全く愛がないセックスでげんなりしてそれ以来セックスはしていないと聞いたし、記念日プレゼントもなければ普段愛情表現もなくて、一方的彼女が彼に奉仕している、そういう関係だった。髪型彼氏指定する髪型強制させられていて、彼女はなぜ自分彼氏のことを好きなのか理解できないとすら言っていた。それを聞いた僕は奴隷だな、と言うのが素直な感想で、僕は義憤に駆られたけれども、どうすればいいかからなかった。そんな折、彼女から二人でカラオケにでも行って一度彼氏愚痴を聞いて欲しいとの誘いが来た。

行くべきか悩んだ末、興味本位で僕は行くことにした。

カラオケボックス彼女から話を聞くにつれ、彼女の健気さに僕は惹かれた。正直可愛かった。可愛いと言う感情は弱い生き物に対して抱く感情のそれであると以前聞いたことがあるんだが、まさにそれだ。それに僕と彼女は本当に馬が合った。本当に盛り上がって、かなり長時間カラオケボックスに居たものの全く飽きることなく、そしてカラオケにもかかわらず全く歌を歌うことなく終わった。

でもその中で、彼女と僕は盛り上がりすぎた。最初ソファの端と端に座っていた僕らは少しずつ距離が縮まっていって、いつしか隣同士になった。健気な彼女努力と、彼氏愚痴を聞いていく中で彼女努力を褒めるために彼女の頭を撫でると、彼女は甘えた声を出し始めて、一気に触れ合う面積が増えた。少しずつ彼女の息も荒くなって、彼女は「キスしよ?」と禁断の提案をして来た。

その頃僕は東京彼女が居た。でもその彼女とはただ単に互いに異性が欲しいから仕方なく繋がっていただけの、愛のない関係だった。実際実家帰省していたからといって寂しいと言う感情もなく、こまめに連絡を取り合うこともなかった。そういうある意味冷めた距離感というのが居心地が良かったのでもあるが、まあとにかくそういう関係だった。

それでも僕は彼女持ちだ。僕は迷うべきだっただろう。しかし僕は全く迷わなかった。正直に言うが全く迷うことなく、僕は彼女と唇を重ねた。彼女は小刻みに震えながら、僕と濃密なキスをした。いろんな女性キスをして来たが、今までで最高のキスだった。もう僕は止まることはできなかった。彼女の小さな体を抱きしめ、何度も何度もキスをした。

22歳にして、17歳の女子高生カラオケボックスで抱きしめ、キスをした。彼女親友恋人でもある。でも僕はもう、彼女が好きになっていた。たった数時間会っただけにもかかわらず。禁断の関係だった。もはや漫画小説かと言うレベルの話である

そして彼女も、「もし先輩に先に出会っていたら、先輩を好きになってたと思う」と言って来た。もう僕たちは停車位置を大きくオーバーランして、暴走していた。

最後彼女は「これは『共犯』だからね」と言って、互いに今日カラオケボックスで何があったかは互いの恋人に対してだけでなく、多くの関係者や友人に対しても秘密にすることを約束した。

そして僕たちは『共犯』という名の元に、互いに恋人がいるにもかかわらず、いわば「セックス抜きのセフレ」として、今後もイチャイチャして行くことにした。僕たちは互いに本命恋人いるから本気にならないようにしながらも、イチャイチャしていこうという約束だった。でも僕はすでに本気だった。しかし同時に彼女親友彼女でもある。

この感情相談するのに適切な人間はなかなかいない。高校同期の友人に相談しても手を出すことを制止されるに決まっている。そんなわかりきった綺麗事なんて僕は欲してないんだ。ただ、この複雑な状況において、この僕の走り出した熱情に対し、手を出しちゃいけないならなぜいけないのかを納得させてくれる、そう言う人間必要だった。

から僕は恋愛経験豊富な年上の知人男性にどうすべきかを聞いた。その時その人は「その女子高生を落とすしかない」と言った。その知人は僕と東京彼女の冷めた関係についても知っていたので、そこまで本気で好きになったのなら、いくところまでいくべきだと言った。そして両方を目指すのはダメだ、どっちかにしないといけないとも言われた。

僕はそれを聞いた数日後に、東京彼女に対して別れ話を提示した。色々あったけれども、互いに冷めた関係でもあったので大きく揉めることもなく、すんなりと別れた。

また同じ時期に東京飲み会に参加した時のこと。普段占いなんて気にしない僕だったけれども、飲みの席で占い勉強していると言うとある女性自分運勢を占ってもらった。すると、恋愛運はあまり良くない。そして運命の人とはまだ出会っていないと出た。ちょっと参ったな、と思いつつもその時はあまり気にしなかった。

そして実家に戻った僕は、「高校同期と彼女関係健全化を図る」という名目のもと、彼女会合を重ねた。その時の僕は同期との友情も維持しつつ、あわよくばJKと仲良くしたい、付き合いたい、そういう感情だった。ただ僕はまだ本気で彼女のことを狙っていることを明かしていないのでそこまでガツガツ行くこともなかった。

JK彼氏(そして僕の高校同期)のことをここでKと呼ぶことにする。

バイトの合間を縫って彼女の家に行ったり、カフェで待ち合わせしたりして僕は彼女愚痴を聞いたり、彼女がKにどういうことを求めているのかなどを聞いて、Kと彼女関係を取り持とうとした。とにかく僕は目的だけは真面目だったので彼女の家に行く際もマナーや態度にも最大限を気を使っていて、彼女のご両親からも認められていた。今の彼氏(K)よりも僕の方がいいんじゃないか、みたいなジョークすら言われていた。

そんな後ろ盾を得た状況だったので今思えばKに対してなかなかひどいことも言って、申し訳ないことをしたとは思う。でもあの時僕は義憤に駆られていたし、間違ったことを言ったとは思っていない。ただもう少し表現方法は色々あったかもしれないなと今反省している。

しかし僕はいずれ彼女のことを本気で好きであることを明かさねばならないとは思っていた。そして彼女もある程度察していたのか素直に自分欲求を言ってみて、と聞いてきた。だから僕は素直に彼女のことが好きであると言うこと、そして東京彼女と別れたことを説明した。彼女特に驚くことはなく、「それなら奪い取るために頑張ってみて」と、対立構造明確化させた。こうなった以上僕も男だ。やるしかない。

僕は彼女の家にしょっちゅう通った。行くのは彼女から来て欲しいと言う相談がある時だけで、僕から行きたいと言い出すことはない。もちろん目的彼女と話をしてKのどういうところが問題なのかを聞き、そしてより良いKと彼女関係の構築を目指してどこを着地点にするのかということを僕が第三者的視点から検討するという目的だった。

役人出会い系バーに行って問題になったりもしているけれど、僕の場合は本当に調査目的だった。それは事実

でもカラオケボックス燃え上がった僕と彼女関係簡単に消え去るほど弱い火ではなかった。

彼女と会うたびに僕は彼女を抱いた。とにかく抱いた。それは彼女から求めて来た。僕が先に手を出すのは良心の呵責に堪えなかったからだ。でも僕が彼女に求めていたことでもある。互いに『共犯』という名目のもと、とにかくイチャイチャした。それに僕は少なくともKよりはセックスが上手いという自信があった。実際彼女は僕とイチャイチャしてる時、ものすごく感じていた。そしてある時には一緒にホテルに泊まってイチャイチャすらした。

体の相性って存在するんだな、と思った。多分体の相性が良かったんだと思う。とにかく楽しくて、正直離れられそうになかった。

肉体関係だけじゃなく、普通に喋っていても楽しかった。しょうもないことから大事なことまで、いろんなことを話している中で僕と彼女の考えは非常に近かったし、話していて本当に楽しかった。ここまで女性と話していて楽しかったことはない。彼女は聡明で年上の僕の話にもついてきて自分なりの考えを臆することなく話すので、話していて楽しかった。女の子と話しているのではなく、一人の大人と会話している感覚だった。正直尊敬の念すら抱いた。

イマドキのJKみたいなくだらないこと、当たり障りのないことをグダグダ喋るようなタイプではなかった。例えるならPulp Fictionのミアみたいな女性だった。気まずい沈黙は嫌うけれど、それを回避するためのつまらない話も好まない。そう言う、少しめんどくさいタイプではあったけれど、考えが近かったぶん色々話しやすかった。

やがて僕は彼女とKと僕の3人で集まって話す機会を何度かセッティングし、関係改善突破口としようとした。表向き僕はレフェリーとしてその場に存在していた。その中でKは幾度となく彼女を泣かせた。僕の目の前で僕の好きになった女を泣かせるKという男が僕は憎かった。幾度となく傷つけ、そして傷つけたことへのリカバリーも十分ではなく、それがまた彼女を傷つけた。なんで、なぜ、そんなにも無神経になれるんだと。なぜわかってあげることができないんだと。本当に僕は怒りで体が震えた。

そんな状況だから僕と彼女は本当の意味で互いに好きになり始めていた。最初は僕が一方的に本気になっていただけなのに、彼女の方も本気になりかけていた。本当に幸せ時間だったし、僕は彼女のあらゆるものを欲した。

そうして僕たちは幸せイチャイチャし続けていた。でもそれと同時に僕はKと彼女関係改善のための努力も続けていて、Kは確実に良い方向へと変化し始めていた。僕は完全な悪にはなりきれなかったから、Kと僕との関係も守りたかったし、Kと彼女関係最初の対等じゃない関係を改めて改善するつもりだったし、僕と彼女関係に関してもこのまま幸せになりたいと思っていた。

しかしその3つは最初からどうあがいても両立できないものだと今ならわかる。でもあの時の僕はとにかく今Kと彼女関係マイナスになっているのでそれを僕の努力で0にまで戻してやり、その間に僕が彼女との関係で大きくプラスを稼げば彼女は確実に僕を好きになるだろうと。そしてその結果僕とKとの関係が多少冷え込んだとしても僕の努力についてKは僕に感謝するだろうし、長い付き合いだから関係が切れることはないと考えていた。それにもしKとの関係が切れたとしても彼女を手に入れることができればそれでいいとすら思っていた。

そうして僕の計画軌道に乗り始めたところで僕は年度末が迫って来て忙しくなり、東京に戻って大学職場関連の手続きなどに追われ、彼女にあまり会えなくなった。それでも僕はずっと彼女のことは好きだったし、片時も忘れることはなかった。

そして僕がつらい時期を乗り越えることができたのも、彼女のおかげだと今も思う。彼女からもらった励ましの言葉や時には彼女に叱責されたことも思い出して、そうして僕はつらい時期を乗り越えた。ただ優しくするだけなら誰にでもできる。僕のためを思って叱ってすらくれる彼女を僕は本当に心の支えにして、必死に生きた。必死だった。

僕はその頃メンタル面に問題を抱えていて、父からもそのことについてよく怒られていた中で、彼女が本当に僕のメンタル面の改善において決め手となる後押しをしてくれた。これが僕の中では本当に嬉しくて、Kも変わっただろうけども僕も変わったぞと、はっきり胸を張って言えると思っていた。

そうしていつしか冬が終わり、春になった頃。Kと彼女関係改善に関しては僕の努力によりある程度目処が立って、一時かなり冷え込んでいた二人の関係も多少回復していた。

それでも僕は絶対彼女が選ぶのは僕に違いないと信じていた。そこに根拠はない。でも僕は絶対にKよりも僕の方が彼女幸せにできると確信していた。それは内面もそうだし、就職も決まっていて収入もそこそこ確保されていて、より現実的選択肢だと自分のことを思っていたからだ。

しばらく会えなかった中で彼女3月末に久々に会うことになり、一緒に花見をしながら互いの話をする中で僕と彼女はやっぱり馬が合うなと確信したし、彼女公園であるにもかかわらず僕にすり寄ってきて、僕のことを好きだと言った。僕はほぼ勝利確信した。

そして新年度が始まり、ある程度忙しさの峠を越えて、先日僕が久々に彼女とまとまった時間話す機会を得た。と言うより彼女から話したいと言って来た。久しぶりだ。「今話しても大丈夫?」と聞いて来たので僕は少し嫌な予感がした。でも僕は大丈夫だと答えた。

内容はKと彼女と僕、3人の関係についてだった。

↓続き

http://anond.hatelabo.jp/20170530080621

2017-05-25

なぜこの世が弱肉強食である理解しないのか

概ねどの記事でもそうだが、「この世は弱肉強食である」とか書くと「適応云々~」だの「人間社会はああだこうだ~」というマウンティングをよく見かける(本人はこれで論破した気になってるのでマウンティングということにしておく)

しかし、現今社会アベ政治であろうがミンス政治であろうが、そこにあるのは強きものが弱きもの搾取して成立する社会であり、これを弱肉強食と言わないでなんと呼べばよいのか、低偏差値の私にはわからぬ。

そもそもの話、所得層のピラミッドを建てれば少なき富裕層が多き貧困層から回収するシステム経済システムは出来上がっており、これ自身が既に格差社会弱肉強食を産まんとする力学が働くだろう。

そうでないとして、これを上流から下流へ流さんとする力は明らかに弱い。なぜか。

貯蓄するからである

企業内部留保はよく批判されるが、これは言ってしまえば企業貯金である

これを切り崩すなり他からなんとかするとして個人に分配するとしよう。個人は消費するだろうか?

消費せず、貯蓄するのは想像に難くない。

結局、法人個人という枠で、どっちが貯金するんですか、というのが今の働き方改革含めての日本社会問題なのだ

まり総量は変わらず、バランス問題であるという。

では新たな問題だが、バランスのよい(良さは解釈によるが)社会弱肉強食は成立し得ないのか。

これは世界的な食糧問題とも直結するが、総量の少ない中でバランスを求めてもそこにあるのは全貧困という絶望だけである

倹しい暮らしなどと綺麗事はいくらでも吐けよう。しかし我々は、我々自身が、資本主義の門弟であり、快楽主義権化であり、自由主義体現である

これを否定して誰が満足しようか。しない。

満足を求めて、争う未来が待っている。

総量を増やさぬ未来平等な、あるいはそれに近しい幸福などありえない。

では総量を増やすにはどうすればよいのか?

一人あたりの総量を増やすために、必要な数を減らすのである

分子は増やして、分母は減らすのである

コレを否定するならば、たとえば一極に富を集めるなどして集積することで、見かけ上の平等を実現するのが適当であろう。

もちろんこれでは地球規模の平等たり得ぬ。あるのは一極を超えた格差であり、弱肉強食である

これを戦後実現せしめた国が存在する。

その国には、衰えを受け入れられぬ民が豊かさを求め、自らが争いの担い手になることを怯えながら暮らしている。

2017-05-16

痴漢被害痴漢冤罪被害についての解決

東京都、または国がなんらかの公式見解を行い解決策を述べない限り決して沈静化しない

なぜなら我々は双方ともに喉元に切っ先を押し付けられているからだ

痴漢被害に怯える女と、痴漢冤罪被害に怯える男が互いに罵り合うように仕向けられているこの負のらせんから抜け出したい

悪は痴漢男であり、悪は嘘告発女であり、

それらを生み出す悪の権化JR私鉄各社であり、

それらを許容しているのが東京都都知事であり、

それらを許しているのが日本国総理大臣安倍晋三である

2017-05-12

http://anond.hatelabo.jp/20170512231658

それでも蓮舫絶対に考えられないだろ

それが今の日本

政治に有能な人間スキャンダルで叩き落とす事しか考えてないマスゴミが諸悪の権化だと思うけどね

2017-05-02

まとめサイト批判してる奴等ってホント努力教権化だな

足を使っての取材なんて大変すぎて普通の人には無理だ。

そんなことをしていたら遅かれ早かれ体か頭のどちらかがイカれてしまう。

この社会人間らしい生活を保つたのに必要な糧を得ることに対して精神や肉体への負荷を過剰に求めすぎている。

楽をして稼ぐのはおかしいというまとめサイトへの批判の声は止まない。

しかし、おかしいのは人を労働力しか捉えず食い物にしている社会のほうだろう。

社員やら下請けから搾取して作らせている大手メディア記事を使って、本来人間が耐えうるであろう労力で利益化するってすごいことじゃないだろうか?

これこそ人間が目指すべきワークスタイルに違いない。

努力なんかでは本当に人が求めている記事を読者には届けられない。

現実がすべてを物語っている。

ゆとりにとっての世界

ネタバレ注意】

クリアの人はUターン推奨

FF15クリアしてから何となく思ってたことがやっと言語化できそうなので書いてみる。

個人主観から偏りとか間違いとかいろいろあるけど、あと長すぎるけど、暇な人だけ、広い心で読んでな。

FF15主人公ノクティスは、ゆとりここに極まれりとでも表現するべきゆとり権化たる20歳若者である

東京新宿モデルにしたインソムニアという小国の中の、都庁モデルにしたというお城が彼のおうち。

お父さんから借りた高級車を乗り回して旅をする。

道中その高級車はバカ息子(ノクティス)とその取り巻きDQN丸出しの改造を施され、当初の荘厳な姿は見る影もなくなる。

ノクティスは一国の王子様でかなり甘やかされて育ち、身近にいる同年代友達ともタメ語でしゃべるけど結局はおつきの人たちなので厳密には対等な関係ではない。

旅の道中、その友達悪態をついたりからかい合ったり、20代若者らしい他愛ない会話がものすごくたくさん出てくるのだが(終盤の急展開を際立たせるためにあえてそういう何気ないシーンを強調するという演出なんだけどそれはまあ今はいい)、ノクティスの口調がまあぞんざいなこと。

お前、神様から世界を救う役割を任された王子様じゃなかったらとっくに見捨ててるからな、と言いたくなるシーンが多々ある。

ノクティスはおつきの3人の男友達とともにずっと一緒に旅をするのだけど、4人の中で暗黙のうちに「父親」「母親」「きょうだい(弟?)」「主人公」と明確に役割が分かれており、母親役の友達への態度が特にひどい。

戦闘中に敵に襲われてしま

もっと敵の動きをよく見ろ」

母親から指摘され、その言葉が終わらないうちに心底ウザったそうに

はいはいはい

とか反抗期中学生でも今どきやらない返事。

今日の天気は?」

と、自分スマホ見りゃすぐわかることをわざわざ尋ね

快晴だ。気温も上がるだろう」

としっかり答えてくれたのに

「ほーん…」

と生返事。

うわ感じ悪い、ってちょっと引くレベルゆとりっぷりなのだ

すぐ

だるい」とか「眠い」とか「なんでこんなことやんなきゃいけないんだ」みたいな愚痴ばっかり言うし。

終始こんな感じなので父親役のやつからは何度かマジギレされるのだが、それにも「な、なんだよ…」と被害者みたいな顔をするか、もしくは「わかってるよっ!!全部わかってるんだよっ!!」と精いっぱいの虚勢を張った内容のない返ししかできない。

神様から世界を救う役目を任されたノクティスが、かように重度のゆとりであるがゆえに、悪者の悪だくみを食い止めるのに間に合わず世界ほとんど滅亡する。

町は廃れ、村は滅び、どこもかしこ魔物であふれかえり、わずかに残された人類が肩を寄せ合って細々と生をつなぐ世界

そこでようやく、ノクティスは覚醒する。

時間はかかった(10年かかっている。その間に多くの犠牲があった)が、ついに悪者を倒し、世界平和を取り戻したのだ。

これがFF15ストーリー

誇張でなく、ストーリーの半分ぐらいは、ノクティスのダメっぷりとそれをけなげに支えるおつきの3人の珍道中を描くことに費やされている。

残りのうち4.5割ぐらいは隠しダンジョンややり込み要素、最後の0.5割が覚醒ノクティスの無双シーンとエンディングエンディングは泣けた)。

「すでにほぼ滅んでしまった世界を救う」

というのがなんか不思議な感じがした。

まあFFはこういうの結構ありがちだし、FF6も一度世界崩壊してから後半のストーリーが始まるし、FF10も緩慢に滅びゆく世界を変えるっつー物語だし、だいたい「悪者が大規模な破壊行為を行って取り返しのつかないことがたくさん起こったが最終的にはそれ以上の被害が出るのを食い止めた」って感じで、世界結構な損害を被ってはいるんだよね。どの作品も。

…なんだけど、他の作品主人公一味がものすごい精鋭揃いで当事者意識も高いし自分がやらねば誰がやるって決意とか覚悟がわりと最初のころからしっかりある。旅のはじめの目的から世界を救うことになるまでは偶然や成り行きもあるんだけど、その成り行きを受け入れるのも早い。状況を理解してからよっしゃそういうことなら一肌脱ぎますか!!ってなるまでのタイムラグほとんどない。当たり前のようにみんな世界を救うという目的を共有し、それに向かって邁進する

みんな世界を救うことに一生懸命なので、守りたくても守れなかったものとかを前にして、すごい落ち込むし、あのときああしてれば、って後悔したりする。

ひどいのになるとクラウドみたいに自我を失うレベルまでそういう後悔とか罪悪感とかに支配される。

ノクティス一行はそのあたりが結構のんびりしている。

守れなかった存在を前に悲しむことはあっても「自分の力が足りなかったから…」と後悔するシーンはほとんどない。

敵軍に理不尽理由で殺された人さえも、どうかすると自然災害で亡くなったかのようなニュアンス追憶していたりする。

自分がみんなを救わなくちゃ、と力んだりしていない。

自分を過度に追い込まないのだ。

その結果、世界がほぼ滅亡する。

でも、他の作品みたく

「遅すぎたのか…」

と後悔するシーンとかもない。

なんかこう、滅私奉公じゃないのだ。

いつだってマイペース、主軸は自分

たくさんの人が死んだ。

けれども、それでノクティスが「俺が至らなかったせいで…」と自分を責めたりするシーンはない。

3人の仲間達もそうだ。

いなくなったノクティスが成長して再び姿を現すのを10年待ち続け、ついに戻ってきた彼に「遅かったじゃねえか」と言いながら再会を喜ぶ満面の笑顔

「早くしないと、この世界が本当に終わってしまう…」

とか誰も言わない。

仮に彼らに

「ノクティスが戻ってくるのがもっと早かったら、被害もっと少なくて済んだのでは?」

と尋ねたらこう答えるだろう。

「でもノクティスが十分に成長するのには、これだけの時間必要だったのだから

ふるさとインソムニア廃墟と化しているのを目の当たりにしても

もっと早く帰ってきていれば…」

と後悔するシーンはひとつもない。

たぶんだけど、FF15意図的

「後悔」「自責

という要素を徹底的に排除しているのだ。

責任感の強いヒーローほど、そういうのがついてまわる。

救えなかったあの人への悔恨の情がしばしば世界を救う原動力にすらなる。

ノクティスにはそういうのはない。

いや、設定上はあるんだろうけど、描写がないのだ。

10年経ってふたたび仲間の前に姿を現したとき、これまでのヒーローだったら「世界がこんなになるまで何もできなかった自分はなんと非力だったのだろう」とかひとしきり嘆いてみせると思うのだけどノクティスがそういうことをする描写はない。

でもきちんと悪者は倒すので、自分役割を忘れているというわけでもない。

そういう描写を見ていて、ああ、ゆとりって確かにこんなだよなあ、と思ったのだった。

決して頭が悪いわけではない。

社会貢献の意欲はある。自分役割もわかっている。

自分にできることを、できる範囲でやる。

できないことを無理にやろうとしない。

そういうメンタリティを突き詰めていくと、ノクティスになるのだ。

からほとんど壊れてしまった世界を目の当たりにしても、ノクティスが自分を責めることはないのだろう。

彼はそのときそのときの彼にとってのベストを尽くしたのだから

まあ、それはそれで、いいのかもな。と思った。

後悔したって、自分を責めたって、死んだ人が生き返るわけじゃないんだしね。

現実仕事だって、考えてみれば、それでいいんだと思う。

今日行ったとんかつ屋で、あちこちのテーブルの上の食べ終わったお膳が全然片付いてなくて何だろうと思ったんだけど、若いエイター男の子結構のんびりしてる子で、ひとつ配膳が終わって、周囲を見渡して、近くのお膳をひとつ片付ける、という場当たり的な対処しかしないのでなかなか片付かないのだということが少し見ているうちにわかった。

もっと全体を見て、機敏に動いて全部のお膳を素早く片付けてしまおうよ。自分飲食店バイトしていたときにはそうしないと怒られてたけどな」

最初わたしは思った。

自分バイトしていた店ではそれが当たり前だったので、頑張って慣れた。

できない自分を責めながら、早くできるようになろうと努めた。

でもまあ、なんていうか、そこまでしなくてもいいんだよね。

たぶん。

わたしもウエイターも同じ人間で、人間にとって仕事ストレスは少ないに越したことはないというのは真実で、まあ自分を追い込みながら余裕ない感じで片づけるだけが正義じゃないよね、とか思った。

そんで、そのウエイターみたいに、上の世代からの白い目もものともせずに、自分のペースで、できる範囲でできることをやる、自分を過度に追い込まない、というような働き方をする若者が増えれば、日本はだいぶ変わるんじゃないかな、とか思った。

うーん、やっぱりなんか言語化できてないな。

まあ、ゆとりも悪いことばかりでもないかな、と思ったんですよね。

長々とごめんなさい。

2017-04-27

部下が鬱で休職した

遅い昼時、流行っていない定食屋に入ると客はただ一人自分だけであった。ぼーとしていると、涙がぽろぽろ流れてきて驚いた。

何の涙かわからないが、ともかく原因はわかっている。

部下が鬱で休職した。手塩にかけたといっていいほどの部下だ。

うちの会社IT系)の立ち上げからの創設メンバーで、つい先日までバリバリコードを書いて、客との交渉要件定義をし、見積り必要工数計算までできる部下だ。

先日、突然ちょっとした言い合いか感情が爆抜したようになった後、「辛い」とだけ書かれたメールがきて休職となった。

なぜ、このようになったのか、何が起きたのかわからなかった。つい先日まで同じ部屋で同じ空気を吸っていたのだ。今年は確かに仕事の量は多かったかもしれないが過去これ以上の修羅場はいくつもあったし、乗り越えてきた。

しかし、数通のメールのやり取りと「辛い」メールの後、一回した面談で分かったのは典型的な鬱の症状だった。会社の最寄り駅の階段を上るときに動悸がする、手が震える、いっぱいたまったメールslackredmine自分を押しつぶそうとする、これらを泣きながら話す姿を見ていると鬱と思うしかない。

自分もこの会社の創設メンバーの一人だ。創設からずっと一緒だった。正直、ブラックな時もあった、いやこの春もそうだったのかもしれない。

しかし、できるだけ仕事を共有し、負担を軽減し、状況もみて「辛そうだったら、俺にふるんだぞ」と言い続けてきた。過去はくじけそうになる僕を部下が叱咤激励することさえあった。その叱咤で頑張れた。その後は社員の質の向上を会社が掲げ、仕事環境もずいぶんと向上しているはずだった。メンバー全員がよい職場づくりを考えて改善してきた。今年は例年と比べて仕事量を減らしたつもりだった。

思い当たるところはある。

一人前になるにしたがって部下に任せきりになり、安心していた。一エンジニア立場からマネージメントまでするようになって、僕の知らないところで客との交渉や調整で苦労がたまっていたのだと思う。忙しいときほどよく話すのがいつもだったが、今年は忙しくなって2人で話すことが少なくなっていった。

なぜ気が付いてやれなかったのか、どんなに辛かったのか、そんなことばかり思い浮かぶ。

電車の中、スターバックスコーヒーを飲んでいるとき帰宅途中の道で、ふと頭を空っぽにしたり気持ちが緩んだ時につい考えてしまう。そしてなぜか涙が出てくる。どうして、どうして、という思いと、こんなつらい気持ち以上に、当の本人が辛いと思うとやるせない気持ちになる。

相談してほしかった。力になれない自分が情けなかった。気がつけなかった自分が情けなかった。

周りは、直接の上司である僕がコンタクトはしないほうがよいという。だから今はメール電話もしていない。

僕はその部下にとって「過労を象徴する」者で、辛い会社代表する「悪の権化」となっているかもしれない。

今は部下が元気になれるように、休職制度手続き場合によっては転職によって仕事場環境を変えるときに不利にならないように交渉している。

定食屋の親父がこちらを見ていた。人前でいい歳の男が泣くなど自分でも思っていなかった。

僕でさえこんなに辛いのだ。僕以上に彼女はつらいだろう。そう思うとまた涙があふれてくる。どうしたらよいのだろう。

こんなことを匿名で書いていて、なんになるのだろうと思いながらも匿名ダイアリー吐露するしかない。

こんな光景3月4月日本では珍しくないのだろうか。







4/28 2回目の追記)

8時間ほど前に追記と誤字の修正をしたのだけど、後で見てなんとよい子で優等生的な追記だろうと自己嫌悪になったのでこの追記を編集する。

増田コメント優等生な追記をしてどこまで僕は馬鹿真面目なんだろう。

僕もそろそろ心療内科いかねばならない頃のようだ。いろいろなものを見直す時期だと思う。

今日、元社員に「〇〇さん(僕の名)はいいかっこばかりするんですよ」と言われた。かっこいい仕事ばかり取って金になる仕事をとらないのだという。

投資家VCの顔色を気にして、会社の業績としてぴかぴかのプロジェクトばかりとっていたのだ。金儲けする泥臭いプロジェクトを避けていたのだと思う。

ベンチャーとして頑張らなければという気持ちが強かったのだが、それは言い訳だろう。僕の頑張りは僕の自己満足でそれで他のメンバー犠牲を強いていたのだろう。

彼女は信頼できる友人、あるいは妹のような存在だと思っていた。そんな部下を犠牲にしてまでどんな業績があるというのだ。

匿名ダイアリーがいつまで保存されるか知らないが、自分への戒めのためこの日記をつけたことと今の気持ちをずっと忘れまい。

2017-04-21

覚り(さとり)

エゴがなければ、宇宙は一体であること、現実世界ひとつであること、つまり一如(真如)の現実が見える

けれども、ヒトは、異常に生存本能が発達することで生き延びてきた異常な動物であるから殆どの者はエゴが発達しており、現実が見えない。例えば、生き延びるために痛覚などの感覚が心身ともにあり、感覚のあるところを自分の一部だと認識するという、一種エゴがある。卑近な(身近な)ところほど重視し、敬遠なところは「カンケーない」と思う。そういう卑しく愚かな性質がヒトにはあり、ほぼ全ての者は、この性質自覚することを得ず、自律して自立することを怠る。よって、この自縄自縛呪縛から解脱することを得ない

こうしたエゴは、元来は生存必要であったから得た所謂進化であるが、ヒトのエゴは異常であり、すなわち例えば戦争を起こしてでもカネやモノを得ようとし、あまつさえその戦争にわざわざ大義名分まで付けて自己正当化しようとさえする。エゴ権化である

そもそもは為政者ノブレス古代ギリシアなどの俗に謂われる「市民」という特権層は、このように己のエゴを相対化し自己客観視をする才能をもつ特別な人々であるはずで、そうでなければならなかった。しかし実際にはそうした本来の姿は忘れ去られ、世襲と腐敗で自らエゴに堕ち、社会構造維持と既得権益保守に汲々とする詰まらない無智愚鈍支配する人類社会になって久しい

現実が見えず自然法則に反する、つまり滅法の世で、もはやこの疾患は治らないのだろうな、と思っている

2017-04-11

全知全能の限定性が権化神だと思ってるので、

「神はいつでも人間になれる」、は「なったら人間部分は全能ではない」、と言い換えられる。多分不自由なだけ。

眠る説に関しては、神としての有り様は全知全能であるので、起きている自分も同時に存在していると考えたほうが自然

要するに寝ずの番もっともそんな論理はどうでもよくて、モチベ湧きますかね。ほんと。

2017-04-05

しろ高能様は自らの蛮行をもって正体を明かし

トラバ応酬を止めさせる菩薩権化なのでは…?

2017-03-19

ひるね姫観た?

昨今の劇場アニメブームも落ち着いたかと思ったところに、先月公開した『劇場版SAO オーディナルスケール』がこれまた日本らしいエンタメ快作だった。伊藤智彦監督は、スポーツ紙にどうでも良いゴシップ解説してるだけの人じゃなかったんだと安心した。アインクラッド編以降のハーレムっぽい展開が好きになれなくて、監督代表作は『世紀末オカルト学院』(水瀬いのり新人)のデビュー作)と所在なげに言わなくて済むようになった。

それに引き換え神山健治の新作は、予告編をみてると、ヒロインの魅力が伝わってこないし、何より癪に障るのが主題歌の「デイドリームビリーバー」。

タイマーズやザ・モンキーズ神聖視するわけじゃないが、自分にとっては3度のCMソングは呆れるほどの商業主義権化みたいな存在劇場セブンイレブンCMで清志朗の歌声聴くたびに、おにぎりが上手いとか、鮮度管理がどうとか真面目にナレーション付けてる時点で、音楽に対してまともに向き合っているとは思えない。正気の沙汰じゃない。死者に鞭打っていると思わないのだろうか。期待値は下がる一方だった。


本当は『モアナと伝説の海』の字幕版を観たかったけれど、時間が合わなくて、何故か『結城友奈は勇者である。-鷲尾須美の章』と『ひるね姫 ワタシが知らない物語』を連続でみた。

偶然だったけれど、どちらも瀬戸内アニメだった。尾道舞台アニメはあるし、『この世界の片隅に』『うどんの国の金色毛鞠英語タイトル Poco's Udon World)』とか流行ってんのか?


鷲尾須美は、相変わらず結界封絶+エヴァ戦闘作画は良いけど、20年経っても日常パート戦闘パート整合性を考えることを放棄したセカイでおめでたいなという感じです、はい終了。

唯一良かったのは花守ゆみり演じる三ノ輪銀が予想を裏切ってきた。以下は声オタの戯れ事なので飛ばして良い。

(昨日もテレ東10時の『リルリルフェアリル妖精のドア~』第1期最終話直前の第58話「アンチューサの花言葉」で1年演じてきたりっぷ(花咲ゆみり)の集大成の泣きの演技がやばかった。三ノ輪銀は、デレマス佐藤心(しゅがーはぁと)や他の深夜アニメとは違って、完全にボーイッシュというかマニッシュな声だった。最近ポニキャン以外の作品が増えて推すのやめたのかと思ったけど、声オタなら劇場版はチェックしておくべき。)


それで本編のひるね姫。これは完全に申し訳ありませんでした。


予告編ミスリードだった。アレは一般向けにメカを見せずに毒を抜いてたと確信した。

途中3D映像が粗いところはあったけれど、現代日本2020年)をテーマにして、現実世界物語世界リンクさせる点、日本の各地を進むロードムービーな点、神山作品の特徴でもあるメカを動かして活躍させた点、そして何より自動運転というテーマですよ。


現代日本IT総崩れの中、日本が誇る最後希望である自動車メーカー(あと投資会社ソフトバンクくらい)の致命的な弱点である、オートパイロット表現することによって、嫌というくらい課題を突きつけてくる。あくまストーリー世代間や親子での話を軸に、オーソドックスにちゃんと動かしながら、ここまでロジカルストーリー映像表現できたのは神山監督ならでは。

個人的に『君の名は。』『この世界の片隅に』のあの暴力的な(ブルートフォース動画枚数によって、ロジカルよりも情動を刺激する感覚は確かに、日本的アニメ真骨頂ではあるけれど、そんなセンスオブワンダーにあまり頼ってほしくない。

そして主題歌デイドリームビリーバー」がちゃんと原曲と同じ意味作品に使われていて泣いた。

ヒロインの飾らない性格も本編見ると見方が変わる。


本当誰だよ。『ポッピンQ』並みだとか言ったやつ。

あれは最初予告編の想定から何一つ突き破らなかったよ。

(追記)

原画磯光雄かいたけど、確かに作画リソース勝負している感じじゃなかった。

あくま神山監督の画づくりというか、過去作品との演出比較で見る方が楽しい

2017-03-13

今のデジモン

アプリモンスターズっていうんだけど、これ、やばいよね。

自分小学校の時はギルモンが出てきた奴が小学校6年生あたりにやってた記憶があるんだけど、その時はレナモンに全然性的興奮を覚えなかった。

でも、先週は「ワルダモン」っていう悪の女幹部権化みたいなアプモン区別されて新シリーズデジモンは今こう呼ばれてる)が出てきて、これは、やばいなと一瞬で感じ取った。

レナモンというのは、女狐型のデジモンなんだけど、言ってしまえばこれはあくまでもケモナー向けなデザインなわけ。

でも、ワルダモンはもう、亜人系。しかも、肌がちょっと青いぐらいの。しか爆乳で足もエロい。顔にワンポイントタトゥーが入っていて、しゃべり方と能力も淫魔的でエロい平成の過大エロスといっても過言ではない。

こんなん、どう考えても小6ぐらいの子どもが見たら一般家庭のティッシュ使用量が増えるに決まってる。

これは危険ですよ。ほんと。

例えば、ポルノ性犯罪を高めているという話がある。にわかに信じがたい、むしろポルノで性衝動を抑えてるだろうと自分は思ってる。だからってポルノを全肯定するわけではないが。

しろ、こういう、青少年向けアニメ。これが危ない。

自分は気に入ったキャラが居たらpixivで「○○○○ r-18」と検索する。でも、このアプモンデジモンは知っている人でも知らない人が多いぐらいには人気がない。つまり、ワルダモン r-18検索して明確なポルノがでることはない。この性衝動はとどまることをしらない。

何が言いたいかって言うと、頼むから絵師と呼ばれる方々はアプモンをみてワルダモンのポルノを書いてほしい。

2017-03-10

デレステに癒されている&好きな楽曲

アイドルマスターシンデレラガールズ スターライトステージに癒されている。

アイマスは765が好きなんだけど、デレマスリリース当時からちょくちょくやっている。

MVクオリティが高いし、キャラ可愛いし楽しめる。

SSRほんと出ない

デレステで好きな曲を書こうと思う。

いっぱいあるし、難しいけど5曲選んだ。

私は藍子P、好みが分かりやすいとよく言われる。

1.ラブレター

可愛さの権化

個人的に最強のMV。うかつに見るとニヤニヤしてしま危険

学校舞台なのと、歌詞キャラクターの可愛さにノックアウト

ラブレター受け取りたい。


2.お散歩カメラ

藍子ちゃんの曲。

振りも曲調も明るく癒される。

是非ともお気に入りカフェに一緒に行きたい。


3.恋色エナジー

中野有香ちゃんの曲。

爽やかな中にも、彼女キャラが見えるような歌詞がいい。

日朝のオープニング曲みたいな気がする。


4.絶対特権主張しますっ!

星野源Pがラジオで流した曲。

プレイしてて楽しい。ポップで明るいけど歌詞結構…笑

越権行為しませんって所が好きだな

特権主張されたい〜〜


5.明日また会えるよね

たくさん楽しいことつくりたい!

この曲は本当に可愛くて好き。

曲調が少し切なげな部分もあるが癒される、現代社会には癒し必要なのである


実際どの曲が人気あるのか興味がある。

Tulipが人気あるのは分かる。

2017-02-27

ラブライブ!サンシャイン!!って本当に「こわい」

ラブライブ!サンシャイン!!ライブに参加したお話です。

昨日今日横浜アリーナで開催されたこのライブ、本当に素晴らしい内容でした。

私は2日目は残念なことに昨晩から体調を崩してしまったため、初日のみの参加でしたが、本当に満足のいく、多幸感の溢れるライブでした。

なかでも、アニメ劇中シーンを再現した「想いよひとつになれ

ステージ上部にピアノが設置され、桜内梨子さん役の逢田梨香子さんが懸命に目の前の88鍵と向き合う姿に心を揺さぶられました。

鍵盤を押す指が震えており、間違えないように慎重に…という心情が顔に表れており、それが大きなスクリーンを通して客席や全国の映画館へ流されているのかと思った時には、本当にこんなことしていいのかとも思いました。

ピアノ経験もなかったことでしょう。まさか、そんな自分横浜アリーナで1万人を越えるファンの前でピアノを弾かされるなんて思ってもいなかったことでしょう。

彼女が当初、この構成を発表された時にどんなキモチになったのか、そもそもいつどこでどんなふうに発表されたのか、1人のファンである私には想像余地もありません。

もし自分が同じ立場だったら、泣きながら拒否する以外に道はないと思います。怖いもん。

それでも、逢田さんは初日の公演で見事に弾ききりました。本当に心に訴えかけてくるようなパフォーマンスでした、ありがとうございました。

さて、本日の公演。

私は参加していない身分なので自分の瞳で確かめていないことなのですが、どうやら演奏途中で間違え、曲も止まってしまったんだとか。

肩を震わせる彼女のもとに、すぐに他のメンバーが駆け寄り、その後もう一度はじめからやり直したんだとか。

もしこれが本当なら、本当に頭が下がると同時にめちゃくちゃ「こわい」と思いました。

まずは逢田さん、本当にお疲れ様でした。頭が下がるばかりです。是非ともその場で応援させてもらいたかった。

そして、これってスゴくこわい問題だなって思いました。

奇しくも今日の公演でピアノを間違えて曲を止めてしまったこと、偶然です。

しかし、このハプニングがありライブは俗に言うエモい状態に入り、多くの観客の感動を呼び起こしたことでしょう。

よく「ハプニングを楽しもう」「ライブハプニングは付き物」と言われますが、毎回毎回こんなハプニングがあったんじゃ観てるこっちも仕方がないです。

うまく表現できないため言葉の綾があるのですが、それでエモさを感じるのってすごいこわい問題じゃないですか?

μ'sの3rdライブ体験した方なら同意いただけると思うのですが、個人的彼女たちの全てのライブを通して、最も印象に残っているMCと言われ、3rdライブアンコールでのあのシーンを挙げる方々が多いと私は思っています

端的に言えば「演者の泣く姿を垣間見たい」そして「頑張れ」って言いたいっていうエゴ権化みたいなアレ。

昨日の伊波さんのMCで印象的だったのが、多くの観客が執拗拍手をしていたのに対し、「泣かせようと思ってるでしょ!」とバッサリ切ったあの場面。

あの一言で、図星を突かれた方々もいたのではないかと思います

しかたから泣く、悲しかたから泣く…涙には様々な種類がありますが、感情の経過と変化の結晶が涙だと私は考えています

決して、私たちが左右できるようなものではない。しかし、それを意図的に求めようとしている、つまり多少のハプニングに姿を表してほしいと思っていること。(今回のピアノの一件では、流石に観客側も一瞬凍りついたと聞いていますが…)

それって不健全じゃないですか?

というかそもそも、ピアノ初心者ピアノを弾かされるってこと自体がスゴい異常なことだと思っています

これはAqoursや多くのアーティストパフォーマンス全てに言えることだと思います

私もいくつか楽器を嗜んでいるため、パフォーマンスをする側の精神をある程度は理解しているつもりです。私の場合、多い時には何百人以上の観客を前に演奏披露することがあるのですが、やはりライブをするというのは楽しいです。

一方で、練習はやはりストレスが重なりますあくまでも私の想像ですが、Aqoursダンスレッスンなどでも様々なストレスプレッシャーがあったかと。そして特に。今回のピアノ披露は何よりもまず、彼女プレッシャーが画面越しに伝わってきました。人ってあんなにも必死な顔をするものかと。

しかに感動は産んだかも知れませんが、私のフォロワーさんの言葉を借りれば、彼女を追い込んでいたのは言うまでもないと。

ライブで自他共に楽しむため、もっとライブを盛り上げるため…というのを重々承知の上で、それでもやはりあのピアノの一件は本当に大変だったんだろうなと感じました。そもそも、そんなこと本当にやらせていいのか。マジでわかんねぇ。書き掛けの文章な上に、自分でも言葉の綾が多く見受けられる文章なのですが、これ以上の表現が思いつかなかったため、ここで筆を置かせていただきます

ダンスの話になるのですが、あれだけの時間を掛けて、あれだけ完成度の高いステージ見せるのってラブライブ!くらいですよね。

以前、μ'sの飯田里穂さんが仰っていたことですが、ラブライブ!のリハは本当に長期スケジュールだったとのこと。おそらく、今回のAqoursもそうだったのでしょう。

そのせいか、他のライブでは感じられないような感動を覚えることが多々あります

このような完成度の他に、ラブライブ!ではなく、ラブライブ!サンシャイン!!だけで私が感じたイメージが2つあります

ひとつは、年齢が近いこと。

私は現在21歳で、Aqoursメンバーとも歳が違いのですが、本当に同年代なのかと頭をひねるくらい、彼女たちは本当に輝いている。

特に渡辺曜役の斉藤朱夏さん。彼女ダイナミックながらも指先まで繊細にコントロールされたダンスには本当に開いた口がふさがりませんでした。きっと、あのステージに上がるまで何年も何十年もの積み重ねがあったことと思われます

年齢が近いせいか、μ'sの頃は少しお姉さんくらいに見えていたメンバーも、Aqoursでは明らかに他人事ではない、自分のすぐそばの出来事のように様々な事象を感じるようになりました。

そしてふたつめに、ラブライブ!サンシャイン!!という作品が、ラブライブ!の頃よりもより観客をコンテンツに取り込もうとしている姿勢

ラブライブ!で散々言葉にされてきた「輝き」

この「輝き」の正体、物語を通して一度もそれが何なのか名言化されることはありませんでした。

一方、ラブライブ!サンシャイン!!では「輝くこと=楽しむこと」と第13話で名言化されました。この後に披露されるMIRAI TICKETの1シーンで、千歌さんが「一緒に輝こう!」と観客席(=いわゆる私たちの側)へと訴えかけるというものがあります

また、この傾向はAqours物語の根幹にも通じているのではないでしょうか。

Aqours自分たちの歩みを「0を1にする物語」と題しました。ここまで物語テーマを明らかにしたこと、当時の私には本当に驚きでした。

μ'sが「1を100にする物語」であれば、Aqoursは「0を1にする物語であるということ。μ'sの頃には明言化されていなかったことが、Aqours物語ではわかりやすく、伝わりやすく(そしてあえて伝えようと)私たち提示されたのでした。

この2点の結果、私はAqoursコンテンツに足を踏み入れることに、圧倒的当事者意識を感じざるを得なくなりました。

μ'sの頃はどこか他人事のように見ていたというわけではないですが、Aqoursライブを見て「自分も何かを始めたい」「何かやり遂げたい」と昨日のライブを見て強く思うようになりました。

これって、制作側のピンポイントな狙いに見事に食らいついた事例だと思っており、この2日間のライブでまさにAqoursライブを通して私たちに伝えたかったことだと感じています

以前よりも強く、当事者としての意識を持たざるを得なくなったAqoursライブ。このコンテンツを追い続ける限り、進めば進むほどその魅力に打ち負かされることが容易に予想できるのが素直に「こわい」と感じました。

最後になりますが、初日のみの参加ながらも、Aqoursライブ本当に楽しかったです。

一年前は「いや、μ'sがファイナルライブやるんだからAqoursの2ndシングルとかしらねぇよ!」とAqours関連の情報をぶった切っていた私ですが、幸か不幸か意志薄弱な私は、昨年夏にコロっと斉藤朱夏さんにヤられてしまいました。

先ほど、これほどダンスに鍛錬を重ねているのは極めて稀だと書きましたが、それもあってか本当にライブを観ることが楽しくて仕方ありませんでした。

今年の夏には神戸大阪西武ドームを巡るツアーもあるんだとか、また彼女たちの奏でる音楽身体を預けられる時間が来るという事実だけで、今から心が踊ります

これはまだ先の話だと思いますが、彼女たちもスクールアイドル。きっと終わりがあると思いますしかし、今この瞬間は本当に楽しい。その多幸感、際限のない底知れぬ多幸感こそが、私がラブライブ!サンシャイン!!のことを「こわい」と感じる一番の理由です。

なんだかんだ言いましたが、やっぱりラブライブ!ってスゴいです。ライブという空間が非日常的なものであるということを理解しつつも、やはりラブライブ!には何か他のコンテンツには無いものがあるのだと思います。あの4時間が本当に楽しすぎてこわかった、今後もコンテンツオタクとして心の扉を更に下へと開き続けさせられるのが本当にこわい。

ラブライブ!サンシャイン!!って、本当にこわい作品

そして、とても重いものです。

このコンテンツは本当に重い。あまりにも重すぎる。

本当に重すぎて、絶対にいつか自ら離れてしまう気がする。

まり多幸感は、ライブが非現実だと理解っていてもいつか何かで身を滅ぼす気がする。

その日が来るまで、せいいっぱい楽しみたいものです。

最後になりますが、Aqoursの18人のメンバーの皆様、2日間本当にお疲れ様でした、そしてありがとうございました。

花粉症でぶっ倒れている私が書くのもアレですが、もう少しだけ寒い季節が続きます。どうかご自愛ください

2017-02-25

森友学園国有地取得で会計検査

森友学園国有地取得で会計検査

https://this.kiji.is/207438898890506241

情報提供の受付

https://www.jbaudit.go.jp/form/information/index.html

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51052?page=2

二次創作」の愛国教育は、戦後社会に見られるひとつ伝統芸であり、サブカルチャーであり、この分野に詳しい者にとっては見なれたものである

戦前っぽいもの」のパッケージは、戦後長らくつづいた保革対立のなかで形成されたものである

保守勢力自民党文教族文部省など)は、教育の荒廃が叫ばれると、かならず国旗掲揚国歌斉唱、「教育勅語」の再評価修身の復活などを主張してきた。

国旗国歌問題に火をつけた第三次吉田茂内閣天野貞祐文相は、その嚆矢である内藤誉三郎(文部事務次官参議院議員第一大平正芳内閣の文相)のように、「天壌無窮の神勅」を学校で教えるべきだと主張した例もある。

教育機関国民国家歴史や意義を教えることは必要である国民国家は、現在国際政治基本的単位だ。これを否定するつもりはない。

グローバリズム時代国民国家というシステムいかに無理なく保守管理運用していくか。政府への盲従や排外主義などの欠陥は認識しつつも、こうした問題に取り組んでいくことは欠かせない。

パッケージを丸呑みするかいなかの二者択一は、あまりに単純すぎる。

ナショナリズムはいつどこで芽生えるか →戦争で負けている側である

あるいは学歴を誇る人間はいつ登場するか。→落ちぶれてそこしか砦がなくなった時である

東大卒のりょーすけさんなどは、もう道具として使う。ふつうはそういうものだ。

東大生かくあるべし、みたいなことを言い出すのはかなり痛い

今日ほど「君が代」に関する議論劣化した時代はほかにないだろう。

君が代」を歌うか、歌わないか問題はあまりに単純に二分化され、歌えば保守愛国であり、歌わなければ左翼反日である即断される。そしてこの単純な白黒図式に基づき、「愛国者」を自任する者たちが、気に入らない相手に食って掛かるしかも、驚くべきことに、この「愛国者」を自任する者たちの多くは、「君が代」の歴史意味をロクに知らないのだ。「君が代」は、敵と味方を判別し、敵を吊るし上げるための単なる「踏み絵」と化している

1999年に「国旗国歌法」が施行された

ネットモブ」が「ネット右翼」と呼ばれたために、その主張も「保守」や「右翼のもの勘違いされてしまった。この結果、昨今のナショナリズムの「再評価」とあいまって歴史的な経緯に詳らかではないネットユーザーのなかで、劣化した議論が急速に肥大化してしまった。

1890年2月帝国議会の開会を直前に控え、地方治安維持をつかさどる県知事(内務官僚)たちは、「文明と云ふことにのみに酔ひ、国家あるを打忘れた」自由民権運動抑制するため、「真の日本人」を育成する国民道徳樹立を求めた。

→とはいえ、当初の「教育勅語」の内容は、後世の文書などにくらべて、意外にも慎ましいものだった。

日本神の国であり、世界指導する権利がある」などという大それた神国思想は、「教育勅語」のなかに見られない。これは、『国体の本義』(1937年)や『臣民の道』(1941年)などで、教育界に広められたものである

しろ教育勅語」の内容はかなり抑え気味だった。たしかに、「我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ」「天壌無窮ノ皇運」など神話にもとづく記述もあった。だが、そこに掲げられた個々の徳目現実的で、日常的な振る舞いに関するものが多くを占めた。

当時の日本に、空想をもてあそぶ余裕などなかったのだ。

日本日清戦争日露戦争勝利し、帝国主義列強一角を占めるにいたって、かえって問題が指摘されるようになった。大国日本国民道徳として、「教育勅語」はあまりに物足りないのではないかと注文がつきはじめた

君主たるもの特定政治的宗教的思想的、哲学的立場に肩入れする言葉を使うべきではなく、またその訓戒も「大海の水」のごとくあるべきで消極的否定言葉を使うべきではない

また、井上帝国憲法の起草者として立憲主義尊重し、「君主臣民の良心の自由に干渉せず」と述べて、「勅語」を軍令のように考える山県の構想も牽制した。

もちろん、自由民権運動対策念頭にあったこともあり、独立自治などにつながる徳目が慎重に排除されていることは見逃せない。その一方で、その内容は、神国思想軍国主義権化のごとき過激ものでもなかった。

追加修正

西園寺公望は、明治天皇の内諾を得て、「第二の教育勅語」の起草に着手した。

1919年、『勅語衍義』の執筆者井上哲次郎によって「教育勅語修正を加へよ」という論考が発表された

この提言の背景には、同年に朝鮮で起きた三・一独立運動の衝撃があった。

結果的に、「教育勅語」の不足分は、ほかの詔勅の発布で補うかたちが取られた。1908年発布の「戊申詔書」、1939年発布の「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」などがそれにあたる。

1948年6月衆参両院の決議では、「教育勅語等」として「教育勅語」だけではなく「軍人勅諭」「戊申詔書」「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」などがセットで排除および失効確認されている。これらの詔勅が一体的に理解されていた証左

教育勅語」は、狂信的な神国思想権化ではないが、普遍的通用する内容でもなく、およそ完全無欠とはいえない、一個の歴史的文書にすぎない。その限界は、戦前においてすでに認識されていた。

2017-02-24

Amazon配送事業をやるよりヤマトネット通販を始めた方よい

配送事業重要インフラである

それを利益追求資本主義権化たるamazonに搔きまわされるのは真平御免だ

からいか明日で止めますでは困るのだ

全国津々浦々に配送網を構築するよりもネット通販事業を立ち上げる方が一億万倍簡単なはずである

黒船外資を蹴散らして今こそ大和魂を全世界に見せつける機運到来のときなのだ

2017-02-16

ブルゾンちえみのネタは働く女性応援歌になり得るか

ブルゾンちえみが好きだ。

ようつべで何度も何度も繰り返し見ては大笑いしている。

そんなわたしを、旦那はいつも不思議そうに見ている。

「ごめん、俺にはちょっとよくわからん

と言っている。

自分記憶の中では柳原可奈子がまず思い浮かぶけど、女性からこそわかる「いるいる!こんな女」という笑いは結構いろんな女性芸人がやっているけど(男性バカリズムがやっていたネタも大好きです)、ブルゾンちえみも大枠ではその中に入るのかなと勝手に思っている。ただの印象で語っているだけなので詳しい人間違ってたらごめんね。

彼女が受けているのは「キャリアウーマン」という言葉から大衆が想起する漠然としたイメージに、彼女ネタがよく合致しているからだと解釈している。自分は少なくともそういう動機で笑っている。もちろん現実にあそこまで振り切れた人はそんなにいないけれど、一人の女として、自分自身の中にもあの「キャリアウーマン」さんと重なる部分がないとは言えない。「男は手玉に取ってなんぼ」「自分らしく生きる」「周囲に流されない強いアタシ」みたいな、なんかそんなセルフイメージを大切にしたがっている部分。そしてそれを体現した彼女を見てなぜこんなにも笑えてしまうのか、ちょっと考えた。ほんとはわたし、そういうのあんまりきじゃないんじゃないだろうか。

あの「キャリアウーマン」さんは、女性誌をはじめとする昨今のメディアガンガン押し出している「あるべき女性像」の権化だ。

正直ね、もうそういうの疲れてるのよね。突っ張って、気合い入れて、周囲の人との関係性を巧みにコントロールしながら生きていくのって、大変なのよ。もっとのんべんだらりと、ときには流されたり、理不尽と戦わずして負けたりしながら、それでもえっちらおっちら、なんとかかんとか生きていくぐらいでもね、もういいんじゃないかと思うのよ。要するにメディアがあの「キャリアウーマン」さんのような女性像をゴリ押しするのは高い服やら化粧品やらをたくさん買ってほしいからだし、それに踊らされることに疲れた女性彼女の姿に癒しを見いだしているのではなかろうか、と、自分がそうだからみんなそうだとは限らないけれど、そんなふうに思う。

一方で、突っ張って、気合い入れて、まだまだ強い逆風と戦いながら働いている本物のキャリアウーマンに、彼女はどのように映るのだろう、とも思う。

一時期そのような生き方に憧れて頑張ってみた時期もあるけれど、わたしには無理だった。心も体もついてこなかった。

今は家事の傍ら、週2日もしくは3日ぐらいのペースで細々と自営業をしている。

から男性と肩を並べて大きな仕事に取り組む女性はすごいと思うし、そういう女性もっと働きやすい世の中になってほしいと常々思っている。

しかし、あの「キャリアウーマン」さんがネタとして成立するということは、正直まだまだ、真の男女平等には遠い世の中なのかなあ、と思ったりもした。

考えすぎなのだろうか。

ブルゾンちえみのネタは働く女性応援歌になり得るか

ブルゾンちえみが好きだ。

ようつべで何度も何度も繰り返し見ては大笑いしている。

そんなわたしを、旦那はいつも不思議そうに見ている。

「ごめん、俺にはちょっとよくわからん

と言っている。

自分記憶の中では柳原可奈子がまず思い浮かぶけど、女性からこそわかる「いるいる!こんな女」という笑いは結構いろんな女性芸人がやっているけど(男性バカリズムがやっていたネタも大好きです)、ブルゾンちえみも大枠ではその中に入るのかなと勝手に思っている。ただの印象で語っているだけなので詳しい人間違ってたらごめんね。

彼女が受けているのは「キャリアウーマン」という言葉から大衆が想起する漠然としたイメージに、彼女ネタがよく合致しているからだと解釈している。自分は少なくともそういう動機で笑っている。もちろん現実にあそこまで振り切れた人はそんなにいないけれど、一人の女として、自分自身の中にもあの「キャリアウーマン」さんと重なる部分がないとは言えない。「男は手玉に取ってなんぼ」「自分らしく生きる」「周囲に流されない強いアタシ」みたいな、なんかそんなセルフイメージを大切にしたがっている部分。そしてそれを体現した彼女を見てなぜこんなにも笑えてしまうのか、ちょっと考えた。ほんとはわたし、そういうのあんまりきじゃないんじゃないだろうか。あの「キャリアウーマン」さんは、女性誌をはじめとする昨今のメディアガンガン押し出している「あるべき女性像」の権化だ。

正直ね、もうそういうの疲れてるのよね。突っ張って、気合い入れて、周囲の人との関係性を巧みにコントロールしながら生きていくのって、大変なのよ。もっとのんべんだらりと、ときには流されたり、理不尽と戦わずして負けたりしながら、それでもえっちらおっちら、なんとかかんとか生きていくぐらいでもね、もういいんじゃないかと思うのよ。要するにメディアがあの「キャリアウーマン」さんのような女性像をゴリ押しするのは高い服やら化粧品やらをたくさん買ってほしいからだし、それに踊らされることに疲れた女性彼女の姿に癒しを見いだしているのではなかろうか、と、自分がそうだからみんなそうだとは限らないけれど、そんなふうに思う。

一方で、突っ張って、気合い入れて、まだまだ強い逆風と戦いながら働いている本物のキャリアウーマンに、彼女はどのように映るのだろう、とも思う。

一時期そのような生き方に憧れて頑張ってみた時期もあるけれど、わたしには無理だった。心も体もついてこなかった。

今は家事の傍ら、週2日もしくは3日ぐらいのペースで細々と自営業をしている。

から男性と肩を並べて大きな仕事に取り組む女性はすごいと思うし、そういう女性もっと働きやすい世の中になってほしいと常々思っている。

しかし、あの「キャリアウーマン」さんがネタとして成立するということは、正直まだまだ、真の男女平等には遠い世の中なのかなあ、と思ったりもした。

考えすぎなのだろうか。

2017-02-13

救い難き馬鹿どもについて

ネット上で誰かが言った、単純で力強くて、そして自分にとって都合のいい気持ちのいい言葉を、

そのまま絶対真理と信じ込み、オウム返しのようにそれを繰り返す。

あの便所に流すことも烏滸がましい汚物どもは、それが何故正しいのか何のために正しいのかなんて、

微塵も考えずにただただその陳腐言葉が正しいと盲信し続ける。

それは右翼にも左翼にもいる。相手意見に耳を貸す気も無ければ、自分意見を見つめ直す気も無い。

貪ることしか能のない痴の権化だ。そんな犬よりも知能の低い阿呆は、阿呆から違う結論を受け入れられず、

阿呆からまともな反論もできない。議論というものは通常

「A → Aに対する反論B → Bに対する反論C → ……」

と脈々と連なっていくものだが、阿呆から理解がBの時点で止まっていてそれが唯一無二の答えだと思っているのだ。

唾棄すべき愚劣の塊は、自分の信じる答え以外を示すものは全て愚劣だと思っているのだ。

愚劣に愚劣と思われることほど滑稽なことはないが、そこへの反論意味を成さない。

何故ならば、ナルキッソスよりも自惚れの激しい恥知らずには結論が先にあって、

その他は如何なる理屈も聞く気が無い。周回遅れの理屈論破出来てると思っているからだ。

ここまでこの話を読んでいるなら、君はこの文章対象者ではない。

あの道端に吐き捨てられた痰より価値の低いゴミ共は長い文章なんて読まない。

記事タイトル結論だけちら見したら、自分記憶にあるパターン合致した"正解"を見つけてきたら、

幼児玩具を並べるように並べ立てて、それで論破した気になっているからだ。

主にインターネットに生息する頓痴気を前提に話をしてきたが、同じような昧者は現実にも沢山いる。

現実には言われるがままに水素水を持て囃す"踊る阿呆"、

インターネットにはそれを馬鹿にする"見る阿呆"といった構図が最近の例だろうか。

無論冷静に物を考え自分で出した結論によって似た行いになることもあるため、

一部の言動だけで一概にあの畜生にも劣る痴人に分類することはできないが、

思考を捨てた人に似た粘土細工がこの社会に少なくない割合存在していて、

我々と同じ一票を持ち、ここから追い出すこともできないというこの現実が耐え難く苦痛だ。

しかし、如何に見下げ果てた愚昧の極みであっても、ここに存在する以上考慮せざるを得ない。

さて、どうしたら良いものか。

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