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2019-04-25

anond:20190425022235

地方高専から関東国立大編入です。

周りで設計部に入ったのがいないので、状況が分からないのですが、やはり扱いとしては不当ですよね?

絶賛転職活動中でもう設計技術職は嫌なので事務営業になろうと思っています

給料は安くていいから、残業がないところにしたいです。

日が暮れたら帰れる生活に憧れます

2019-04-18

オタクワンピースを嫌う」という認識はもう古くて、特に新世界編入ってからワンピース友情とか仲間とかよりもむしろ世界観と設定の濃さで魅せる漫画になっているので普通にオタク受けするのである

2019-04-17

きょうだいコンプレックス、持たれる人間もつらいという話

2歳年上の兄と折り合いが悪い

というのも、昔は明確に「暴力」という形で兄の絶対的支配の下に入っていたけど、もう20歳も超えてそんなこともなくなって、むしろそのころから兄の人生と私の人生社会的評価のされ方が変わってしまって今となってはただの折り合いが悪い兄妹になってしまった。

いや思えば昔から兄は口下手で滑舌が悪く、口達者でよく舌のまわる妹(私)に口喧嘩では勝てず、暴力支配していたのだ。

それこそ骨折するとか縫うみたいなケガをしたことはない。それは兄が優しかったとかじゃなくて、今ならわかるわ、大きいケガさせてもっと強大な権力であるところの父に叱られたくなかったんだろうな。

小中学生くらいの私はまぁまぁ勉強ができて、学級委員とかをやりたがるタイプで、図書委員長とかもやってて、運動は全くできず、50m走したら10.2秒かかって先生に「まじめに走りなさい」って怒られてた。マジ全力で走ってたんだけど

友達はいた気がするけど、私が人間として生まれたのは18くらいの時なので記憶はないです。

対して兄はサッカー少年で、成績がどうだったかは覚えてないし学校でどうだったかとかは覚えてないけど、同じ中学校に通ってた時、吹奏楽部の子がみんな「あんたが○○っていうの?兄ちゃんいるでしょ」って言ってくるからどうしたことかと思ったら兄は同級生吹奏楽部サックス吹きの、私からしたら先輩と付き合ってたんだそうだ

いや知らんけど

まぁいろいろあって、高校生の時に兄はどっかから金を工面してきて某英語圏に行った。7年くらい?8年だったかな?金の仕組みがよくわかってないけど、両親は兄が金をかけずにうまくやったことを喜んでた。

うちはハイパー貧乏だったけど子供が5人もいて、生活が本当に苦しかったのだ。ちなみに兄と私は長男長女。マジこれ最悪なんだわ。

そこからまたいろいろあって、私は現役で某地方国立大学に進学した。奨学金は2つ借りて、当時は神の子だったし家がハイパー貧乏だし当時小学生の弟とかもいて余裕で無利子だった。20年間返済するぜ

ここから一人暮らしスタートして、私の物心がつき始める。これが…自我…!って感動した。18歳の目覚め

ちなみに父実家がクソ男尊女卑思考から兄は海外で羽伸ばしてんのに私は「うちの女の子がそんな遠くで一人暮らしなんて認めません」みたいな態度だった。ゴミ思考。一応有名大学だったので蹴っ飛ばした。両親は応援してくれてたのが幸い、最高両親ありがとう

私が大学3年のとき、兄が日本に帰ってくることになった。向こうで通ってた大学留年して、除籍になったっぽかった。

兄は「日本教員になりたい」と言って、大学に3年次編入することになった。

23大学浪人生の兄に奨学金を貸してくれるまともなところなんてないから、両親がお金を工面した。ここでももっといろいろクズ伝説はあるけど、今は関係いからまあいいや

問題浪人生時代インターン実家に帰っていた私にとって兄がとんでもないモンスターモラハラ兄に変化していたこ

兄が3年次編入を狙える大学は私が通っていた大学よりランクとしてはずっと下で、サッカー少年ですらっとしていた兄は目測20キロは増えて帰国しており、暴力による支配もできなくなった兄は私を以下項目において貶めることでしか関係を築けなかったんだろうね、かわいそうなひと

そもそも大人きょうだいに力関係って必要?その辺も考えが貧しいというか子供のまんまなんだろうな、かわいそうなひと

まずは容姿

かに美人じゃないけど、どんな話してても最終的には「お前はブス」「お前の顔だとほかの人間に許されることも許されない」みたいな小学生みたいなことを言う

次に恋愛

当時彼氏はいたが、実家ではそんな話もしなかったしいないと思われてたほうが都合がよくてわざわざいるとか言わなかった。そしたら兄はさっきとの合わせ技で「お前みたいなブスは結婚とか恋愛とかあきらめたほうがいい」「お前はブスなうえにオタクからモテない」「ブスは一人で生きるしかないんだから」とかまぁ本当にいろいろ言われた。

毎日深夜のマックでその元カレに泣きながら電話してた。早く大学に戻りたくて仕方なかった。

実は、モラハラが始まるまでは私は兄のことが本当に好きだった。

よくわからないけど遠い国で頑張ってるし、どっかからお金も見つけてきてすごいなって純粋尊敬していた。本当に本当に、嘘かと思われるけど、兄の美しい面しか記憶になくて、兄みたいに頑張ろうって思ってた。

でもこんなことになっちゃって、大学生になった兄はさらゴミみたいな人間になっていくし、教員免許取るのもやめて大学意味感じられなくなるし、大好きなおばあちゃんお葬式で私に「ブス」って言いすぎて叔母たちに超説教されたりしてもやめないし、どんどんコンプレックス拗らせてった。哀れだよね人間って

コンプレックスを持たれている人間、私もそんな兄の攻撃に耐え兼ねてできるだけ兄とは会わないように生活してきたし、今後もしていく予定

いやごめんどんどん長くなるけど、これから自分いかに立派な人間かを語っていくわ。わたし立派な人間から


私は大学ストレート卒業して趣味のもの作ってるメーカー営業職で就職も決めて、おばあちゃんお葬式とき大学3週間休んだけどなんとか卒論も完成させて一緒に卒業旅行行ったり遊んだりする友達もいて、マジ平凡の中の最高ランク人間なんですけど、一度もモラハラ兄に「いやブスでも大学4年で卒業するし」とか「結婚できなくても安定した職はあるし」とか「てめぇがブスって言ってる顔でも学歴社会じゃ関係ねえし」「てめぇとは語彙と愛嬌で差がありすぎて話にならん」とか、反撃したことないですからね。

私は大学入ってから仕送りもしてもらってない実家の両親に誕生日父の日母の日プレゼント買ってるけどお前は?

自動車学校に通うからってバイトしてたお金、全部使い切って結局家に一円も入れずに親に金出させて通った自動車学校、楽しかたか

お前がストレス発散のために怒鳴り散らしてた受験生の妹を慰めて勉強見てやって国立大学入学したときにお祝いあげたの誰か知ってるか?

お前は学生の妹から金借りてたけどその妹に仕送りしてんの誰か知ってるか?

女の子に学はいらん」ってマジで身内に言われたことあるけどお前は?

金がないか就活できないとか言って父に金出させてたくせに香港旅行行ってたの誰だっけ?

就活できないとか言って留学先に残してきた彼女に会いに行ってたの誰だっけ?

お前が毎日ご飯食べさせてもらってたおばさんの家にお礼送ったの誰か知ってるか?

全部言ってない、飲み込んでる、偉すぎる

大学受験期、どうやったら一番金がかからいか考えて予備校にも通わずに現役合格した神の子の長女と両親に湯水のように金を使わせる長男、どっちが立派ですばらしい人間かわかりますね?

ここまで金にこだわる私がどんな貧乏暮らしをしていたかわかります???

学生の時も金がなくて超つらかったな~~早朝5時半とかからバイトしてた。

全部全部兄に頼まれてやったことじゃないけど、私は私が正しい大人としてやるべきと感じたことを兄がおろそかにしていることに関して補っているという認識普通毎日ご飯食べさせてもらってたらお金払うとかお礼の品持っていくとかするでしょ。なんでお前にはそれができないの。

最後時事ネタ入れるけど、上野千鶴子がどういう人間かとか著書にどう書いてたとかよく知らないけど、あの東大祝辞はよかったと思う。

ただの地方国立大の私でさえ「そんな学つけても子供産んだら役に立たんぞ」とか言われるわけ。いやてめーらみてえな思考にならないだけ役に立ってるわ。

本当に性差別も感じる、一介の営業マンでさえ感じる、これはそのうち。

かつて兄が好きで、兄のことを心の底から尊敬していても、兄が拗らせたコンプレックスでぼろぼろに言われる、まだ兄を好きな私が心の片隅に生きていて毎日ブスって言われるたびに泣いている。せめて私は妹や弟をかわいがりたいと思う。心の底からかわいがって、彼らの翼が折れないように守りたいと思う。私がしたような苦労はしてほしくなくて一人暮らし学生の妹には仕送りをする、受験生の妹は親と相談させて予備校に通わせる、弟には部活で使う高い道具をじゃんじゃん買ってあげる。みんなかわいいよって言ってあげたい。私は誰かのかわいくて仕方がない妹にはなれない、一生なれないから、私は私のかわいくて仕方がない妹と弟がいらないコンプレックスを抱かないように尽力したい。

てゆーかブスでもよくない?お前とおんなじ親からまれてんだから

おんなじ親からまれてるのに私より子供のまま26歳になっちゃった兄、かわいそう

2019-04-15

今年、第一志望だと周りに言い張っていた大学に進学した。

同じ学部に進む同級生が4人いて、全員違う学科。他の3人は友達ができるか不安だとか常に言っていたが自分は全く心配していなかった。高校で友人に恵まれていたから。同じ高校ほとんど同じグループにいて一緒に騒いでいたのに不安だという彼らに疑問しか抱いていなかった。

入学式後、身体測定やらガイダンスやらの予定表を配られ、ここかもしくは名前だけは知っている学科歓迎会なるもの友達作りができるだろうと考えていた。

だが、ガイダンスで集められた部屋ではすでにグループがいくつかできていた。これはまずいぞと感じ取って一人で座っている人に話しかけたが反応は薄かった。その日は座って説明を受け、軽く大学内の説明を受けて解散したがその間に声をかけてきてくれた人、話しかけに行った人と何となく話してみたが何というか、ノリが誰一人として合わなかった。初対面だし、まだ緊張しているんだろうなと思っていたが、ガイダンスが終わり、授業が始まっても変わらなかった。冗談も、ノリも、何もかもが合わなかった。話題を出してもすぐに終わり、続けようとしない。自身問題があるのかと言われれば断言はできないが、おおむね無いだろう。コミュニケーションをとるのは得意な方だし、人との接し方でなにかを言われたためしはおそらくない。

このグループワークが重要視される大学で、毎日気を使いながらコミュニケーションをとることを4年間続けるの無理だ。

話題や話し方、言葉遣いをどう努力してみても無理なのにさらに気を使うなんて。

しか歓迎会はうちの学科だけ行われなかった。例年は開催されていたらしいが今年はない。どうしろと。

毎日泣いている。家へ帰る途中で、家についてからも、大学から離れて同級がいないところへ行くと、勝手に涙が流れてくる。泣いてしまう。泣こうだなんて全く思っていないのに。

編入学も今この時点で考えたが、学費を考えると親になんか言えない。ただでさえ高い学費を払って入学させてもらい、パソコン定期券スーツ大学へ来ていくための私服やバッグ、教科書、体育費用、ほかにも支払ってもらっているのに。自分バイト代だけではどう頑張っても編入先の初年度の学費なんか払えない。

もう、死ぬしかないと思った。自殺するにしても、だれにも迷惑はかけたくない。樹海に行って死のうと思った。だけど、自分がただ死ぬだけでは支払ってしまった学費もったいないし、申し訳ない。

から生命保険下りるように死のうと思った。なのに生命保険自殺だとダメなんだって迷惑はかけるけど、交通事故で死のうと思った。でも、ちょっと注意すれば起きなかった事故とか、保険金のためだけに死ぬお金くれないんだって。じゃあ自分はどうすれば親に迷惑をかけないの。大学を続ければ費用はまだかかる。し、自分はもう大学には行けない。何かがおかしくなりそうだ。毎日泣きたくないし親にも迷惑をかけたくない。19が書いたぐちゃぐちゃな文章なんて意味なんてないのにな。大学エピソードがうっすらとしか書いてないけどきっと事細かに書いたらばれるし、書こうとすると嗚咽が止まらない。ごめん。誰にもどこにも言えないから書いちゃっただけなんだ。ごめんなさい。

高校友達と会って遊ぶのは楽しいのにな、この先だって仲良くしたいし、友達でいたいし、結婚式だって出たいのに、でも死にたいって思っちゃうんだよな。死にたいなんてファッションだったのに。今は真剣死ぬ方法を調べながら、ずっと死にたいって言ってる。今も涙なんか止まってくれないし。将来の夢もあるしやりたいこともまだちょっとあるんだけど、いまもちゃん死にたいよ。

自分が死んだら兄弟自殺した人の兄弟になっゃうのか、やっぱりそしたら生命保険金くらい降りてくれないといけないのに。臓器とか皮膚とか眼球とかって全部売ったら大金になるんだろうか。処理もしてくれるだろうし。ちゃん家族お金振り込んでくれるのかな。臓器って全部売ったらしねるのかな

2019-03-27

高専から編入生が優秀だと言われる理由

卒論を早めに経験できたからだと思う。優秀な卒論を書けた人は言わずもがなだけど。

高専卒論に失敗しても、失敗を学部卒論に活かせることができる。内部生は新規性などの概念が薄くてサーベイをせず炎上する人も多いけど、高専卒だとそこらへんを弁えていて、研究作法に則った卒論を書くことが可能だ。

修士まで行けばその差はもっと広がるんじゃないかな。

2019-03-21

あれから5ヶ月経った

anond:20181014140033

アズレン開始から5ヶ月ちょっと、ようやく一区切りと言われる8章をクリアし、現在安全海域にするための消化試合中。

イベント開催のたびに攻略そっちのけで取り組んだこともあり、結果的に随分のんびりしたペースでここまで来た。

ここまで遊んでみて、今まで遊んだオンゲの中ではかなりきちんとしているというのが一貫した感想かな。

「いいんだよこういうので」と率直に思わせる造りは嫌いじゃない。

明日かなりデカいアプデがあるけど、この調子で続くことを願うばかり。

そして今ある懸念

そんでこれから上級者向けと言われる9章を始めるんだけど、敵戦艦の耐久が15000もあって、しかもほっとくと後方の主力に榴弾打ち込んでくるとか、自爆ボートを素通りさせると1000ダメージとか、相当に物騒な話が聞こえてくる件。

それでさしあたって不安なのは認識覚醒・育成艦の選別・装備強化・スキル強化


ちなみに主力ともいうべき海域攻略艦隊の陣容は以下の通り。

このうちLv100に到達したのは今の所エンプラだけなんだけど、認識覚醒しちゃっていいのかな?

認識覚醒には結構コスト掛かりそうで、攻略艦隊であっても全艦覚醒はキツそうなのが気になる。


それとここまでレベルが高くなると、新しく誰かを育成するのが地味に面倒になりつつある今日このごろ(汗)

結果、クイーンエリザベスサンディエゴレンジャーアークロイヤル、モントピリア、フェニックスヘレナオーロラ、リアンダー、ハムマンシグニットなど、準主力として海域攻略以外のデイリーや周回やイベントガンガン出撃させていて、いざとなればいつでも主力に編入可能な子がいる一方で、入手したはいいけどその後塩漬け状態になってる子が結構いるんだよなあ(一航戦とかデューク・オブ・ヨークとか)

からってわけじゃないけど、もし上述以外で「持ってたら育てるといいよー」って子がいたら教えて欲しい。


装備は、主力に限っては消化器以外は金と紫のみで、それらのうち主砲副砲魚雷艦載機に絞って+6まで強化してるけど、やっぱ9章までに設備も含めて+8くらいまで上げないとキツい?

それやっちゃうと多分パーツが不足するので、集めながら強化になるが…。

ちなみに+6まで上げたのも最近だけど、その結果、色々と軽巡に見劣りしていた重巡勢が普通に軽巡より高火力を叩き出すようになり、強化の効果に驚いた件(もちろん軽巡装備も+6に強化した上での比較)。


あとはスキルか。

大体Lv5くらいまでしか上げていないけど、これもLv7くらいに上げるべき?

そうなると教科書(ry

その他気になる点

特にヘルキャット、これが揃えば5章で就役以来、文字通り不動のスタメンとなったエンタープライズ黄金聖衣を纏った黄金聖闘士状態になってヒャッハー!なので、結構切望している(他の装備はデストロイヤー、バラクーダ、カタパルト×2、全て金)

でも5-2回ってるけどめったに設計図落ちないから、これも黒箱頼みだろうか…。

2019-03-18

早稲田大学芸術学校について入学検討する際に知っておくべきこと

この記事について

 インターネット上に早稲田大学芸術学校についての情報が少なすぎるため、数年間当校に在籍した経験を基に入学検討している人に向けて情報提供をしたいと思い記事を書くことにしました。いくつかの夜建築学校などを検討している方などに向けた記事ですが、当校の入学決定者にも役に立つところがあるかもしれません。

また、当校は体制改革最中ですので、もしかするとこの記事は古い情報である可能性もあることをご了承願います

目次

入試について

入学者の半分が2年以内に自主退学するということ

入学するなら絶対に2年コースで出願すること

教育の質について

最後

入試について

 インターネットを見ていると入試の内容、難易度に関して疑問や不安を感じている方が多いように感じますが、まったくもって心配する必要はありません。

 入試の内容は、詳細には覚えていませんが、私が受けたときには「好きな建築(あるいは建築を学ぶきっかけとなった建築)を挙げ、その建築について述べなさい。」といったような内容だったと思います。これに加え講師との面接があり、その後入学が決定します。合格率は年によって異なるかもしれませんが、基本的には全入であると思われます(定員割れしていることが多いので)。ですので、入試に関しては特に心配はいりません。

入学者の半分が2年以内に自主退学するということ

 これはもしかすると私の学年だけかもしれませんが、かなり多くの生徒が自主退学をします。退学者理由を聞いて回ったわけではないので詳細な理由は知りませんが、おそらく日中職業との両立の難しさ、そして建築を学ぶことへのモチベーションの低下などが主たる理由であると思われます

日中職業との両立

 カリキュラムについてはホームページシラバスで十分な情報があるのでそちらを読んでいただければ問題ありませんが、率直な感想を言うと週5回の夜間学校は予想以上にしんどいです。これを読んでいるあなた学生社会人である場合、両立にはかなりの忍耐力が必要です。おそらく入学前向きに検討している方はそのような覚悟もできている上で(私もそうでした)この記事を読んでいるかと思われますが、実際のところ本当にきついです。

 まず平日18時過ぎに毎日必ず西早稲田に移動することができない方はまず入学を再検討したほうがいいかもしれません。授業開始時間に間に合わない社会人学生も多いため、遅刻自体には寛容(成績的な評価で言えばほとんど影響はない)ですが、そもそも授業に途中参加することは確実にあなたの意欲を下げます大学高校でもそのような経験があるのではないでしょうか。授業の導入部分を聞けないということは、その授業全体の理解度に大きな影響を及ぼしますし、その授業についていけなければ当然次回以降も理解が難しくなります。また、欠席に関しても、シラバス上では全出席が基本とされていますが、実際のところはそこそこ寛容です。ですが、欠席を重ねていくうちに授業についていけなくなったり、本来は出席できるがサボってしまう「だらけ」が発生します。おそらく誰しもが平日に残業飲み会、友人との食事などの機会があると思われますが、本校に通うとこれらへの参加と授業への参加を天秤にかけるようになります。強い意志で毎回授業に参加できる方は全く問題いかもしれませんが、やむを得ないこともあるでしょう。しかし、いかなる理由でも欠席は建築を学ぶ意欲を削ぎ、モチベーションを失って惰性で学校に通う、または退学する原因となります。(実際にこのような人はたくさんいました)

 生活リズムについても結構厳しいところがあります。18時15分に授業が始まり、21時25分の授業終了まで、休憩はわずか15分程度しかありません。その間に食べれるものといえばせいぜいコンビニ軽食ぐらいであり、これが週5回続きます普段からコンビニ飯がメインな人にとっては大した問題ではないかも知れませんが、料理が好きな方や食事管理をしている方にとっては大きなストレスになります。もちろん食費も余計にかかります

 以上のように、想像以上に当校のカリキュラムは厳しく、ストレスを伴うものです。これらに耐える自信がない方は今一度入学検討し直してみてください。

入学するなら絶対に2年コースで出願すること

 本校では「建築設計科」と「建築都市設計科」があり、それぞれ2年コースと3年コースがあります。3年コース入学しても、2年間の授業は2年コースと全く同じで、2年コース+1年という授業形態です。2年コースと3年コースでは卒業後の建築士の受験資格や得られる学位に差がありますが、なぜ私が2年コースを勧めるのかと言うと、2年コースから3年コースには編入制度があるためです。仮に2年間建築を学び、やはり違うと思って建築の道を辞める場合でも、単位を取得していれば2年コースでは当然卒業になりますが、3年コース選択場合は退学になります。3年コースから2年コースへの編入はできません。つまり建築に進まないと言う選択をするリスクと考えると、わざわざはじめから3年コース選択する理由は全くありません。2年間学び、やはりもっと建築を学ぼうという気になれば3年コースへの編入をすれば良い話です。編入審査形式的ものでほぼ確実にできます

 このように、入学するなら絶対に「建築設計科」を選択することをおすすめします。

教育の質について

 本校の教育は、基本的にはハイレベルで質の高いものだと思います。著名建築である校長を始め、大手ゼネコンの上流社員早稲田大学理工学術院の教授など、錚々たる講師陣が揃っています。また、副業として講師をしている熱心な若手建築家の方も複数人ますしかし、経歴の立派さが教育の質の高さにつながるとは限りません。実際のところ、実績はあってもあまり教育には熱心ではない(ように伺える)方もいらっしゃいましたし、生徒が必死に製図する中大声で談笑する講師陣の姿も見えました。また、自立した社会人過半数を占める学校ということもあり、面倒見の良い学校であるとは言えません。そういう点を求めるならば別の学校検討するのも一つだと思います

 少々棘のある内容となってしまいましたが、基本的にはやはり教育の質は高いと思います。仮にも歴史のある早稲田大学の関連組織ですし、実際に活躍されてるOBOGも多くいらっしゃいます。ただ一つ重要なことを補足しますと、当校は実用的なCADスキル建築士の資格試験対策に重きをおいた学校ではなく、むしろ建築を中心とした芸術的センス教養を育むことを重視しています。そのため意匠に興味がない方には非常に退屈に感じるかもしれませんし、最速で建築資格の取得を目指しているような人には向いていないかもしれません。

最後

 以上が早稲田大学芸術学校について私が持っている情報です。ご参考になれば幸いです。

 また、建築を学ぶということについては以下の記事が参考になります。ぜひ読んでみてください。

http://www.3bouz.com/entry/2016/04/18/205759

2019-03-11

anond:20190309162857

看護師めざすなら聖路加の学士編入がある。専門学校だとたぶん40代男性には過酷世界が待ってると思う。実習に出してもらえない可能性もある。介護とやってることかわらないからまず施設ヘルパーに応募してみて、死にそうな人みてビビらないかオムツ交換や排泄物の扱いが大丈夫か(病院だとこれに血液汚染感染も加わる)、認知症の人とコミュニケーションとれるか、やってけるなと思ったら看護学校受ければいい。学校は行ってから無理とかなったら、すごい無駄から

2019-03-04

姪を嗜めてくれと言われたので説教した

この春から大学入学する姪が、「大学に入ったらお化粧しておしゃれする」「友達とたくさん遊びたい」などと浮足立っており、祖母である俺の母から嗜めてくれと言われたので、以下のメールを送った。

「この4月から大学入学だね。おめでとう。わくわくしているところに悪いけど、現実を伝えるよう、君のおばあちゃんからお願いされたのでメールを送ります

僕には君の未来が見えます風俗に堕ち、シングルマザーになり子殺し懲役をくらい、出所後は中年とは思えないほど老け込み、体も売れずラブホ住み込み掃除婦としてなんとか食いつなぐも、過去犯罪がバレるたびに追い出され、北へ北へと点々と居場所を変え、やがて冷たい雪の降る夜、公園トイレの隣のベンチで汚物にまみれて凍死する。新聞の片隅にも載らないその死骸の老婆が、あなたです。

なぜこんな未来なのか。あなた実家は太いですか?遊んで暮らせますか?違いますよね。そうです。4年後には、あなた徒手空拳残酷極まる世の中に出なければならない。

その点では、この未来あなた責任ではない。生まれの不幸が大きいでしょう。しかし誰も救いはしない。あなたあなたが救わなければならない。

4年後、社会に出てどう生きるのか、その戦略はありますか?それがなければ、卒業後ほどなく、その後の人生を不幸のどん底で常に死を願いながら生きることになる。

それが嫌ならば戦略を練ろう。すでに「内外の一流大学か、一流学部医学理工学部)」は失敗しています。なので私から提案できるのは以下の4つ。

1)大きな会社に入って40代までに独立できるよう資産と人脈を作る

2)太い家柄の相手結婚する

3)太い学歴を作れる大学編入できるよう受験勉強を始める(仮面浪人

4)40代独立を目指し、就職できるよう学生のうちに士業の資格を取るため勉強する

僕はバカからこんな提案しかできない。もっと良い戦略を立てられればそちらを実行するのが良い。

あなた資産があれば、実家が太ければ、太い相手と繋がっていれば、時間をカネで買えます。買えないあなたは、就職したら詰みです。勉強時間はなくなり、社畜に堕ち、風俗堕ちしなかったとしても、いいところDV男に人生収奪されて終わりでしょう。

から戦略をもった勉強です。結果を出すための努力です。遊んでいる暇など無い。あなた青春はない。青春とは、太い親のカネで買うものです。

化粧は武装です。華やかさは男に貢がせるための飾りです。あなたが楽しくなってどうするんですか?

この社会は、どんどん残酷になっている。収奪できる人間のみが、人間らしく生き残れるようになっている。あなたはそれに適用し、収奪する側、勝ち組に入って初めて、人間らしいワクワクとした人生を送れるのです。

頑張ってください。あなた未来に幸がありますように」

2019-02-28

任期付きバイオ助教最後

題名にある通り私は某旧帝大で特任助教バイオ系)をしており、今年の3月末で任期が切れますアラフォーです。

4月からの勤務先はまだ決まっておりません。

ここ二年の間アカデミア、民間企業等多岐にわたって職探しをずいぶんやりましたが、結局就職先は一つも見つかりませんでした。

アカデミアに関しては南は沖縄から北は北海道まで日本全国で様々な大学バイオ研究職に手当たり次第に応募しましたが、全て落ちました。面接では練に練った研究計画を余すことなく熱意を持って伝え、面接からもお褒めの言葉を頂いた事も何度がありましたが、結局全滅しました。

民間企業に関しても軽く30社は応募しましたが、面接に辿り着けたのが数社で、全て不採用でした。

もうここまで来ると職探しをする気力は消え失せてしまいました。

もうアカデミアも民間企業も持ち駒は一つもなく、今はただ来月末の任期満了日を怯えながら待つのみです。

4月からどうすればいいんだろう。。。どうしよう。。。私は独身で、頼れる身内も一人もいません。人生つみました。

世間では研究者はすごく大変だけどやりがいのあるかっこいい仕事だと思われてるようです。昨今の日本ノーベル賞受賞者の影響もあるでしょう。しかし、研究者は能力がなければ目も当てられないくらいに悲惨です。(私です。。)素質に恵まれた極少数の研究者は非常に良いですが、大半の研究者はそうではなく、早晩窮地に追い込まれることになります。(私です。。)

思い返せば、私は小さい時から研究者に憧れていました。高校では必死勉強して、現役で東大理一に合格し、その後も理学部を経て理学研究科で博士号を取得し、自分は将来東大教授になるんだと信じて疑いませんでした。しかし、今思うと、理学研究科で大学院生をやってた時既に自分研究者に向いてないという事に気付くべきタイミングが少なからずあったように思えてなりません。詳細は省きますが、当時の指導教諭や先輩(今は某旧帝大准教授です。。)から私が研究者を目指すことをやんわりと否定するようなことがあったことを思い出します。結局研究者としてやっていけなくなっていまこのようなにっちもさっちもいかない状況になってしまったので、やはり彼ら(研究者としての素質を持ってる人たち)の指摘は正しかったし、素直に彼らの指摘を受け入れて、大学院生時代キャリアチェンジを図るべきだった(就職医学部編入とか)と意味のない反省をしてます博士時代の同期は何人かいましたが、途中で中退して、医学部編入したり、民間企業官公庁にでていった人が結構いました。今思えば彼らの選択が正しかった思います。素直さのなさと視野の狭さが私の欠点であり、その欠点のせいで人生がこうなるとは予想してませんでした。

博士号取得後は別の研究室に移りポスドク(激務薄給労働者)として一日も休むくことなく馬車馬のように働きました。ポスドクをしてた時にも今思うとやはり研究者としての限界を思い知らされる様な出来事がありました。(ご想像のとおりです。)この時も現実を受け入れる事なく、そのままポスドクとして残ってしまいました。ひょっとしたらくだらない自尊心のせいで、自分研究者としてやっていくのは無理だという残酷事実から無意識的に逃避していたのかも知れません。

数年に渡るポスドク生活の後、運良く(今思うとここで自分人生の運を全て使い果たしのかも知れません。)今の特任助教の職にありつく事ができました。しかし、研究世界非情もので、才能のない人がいくら努力しても上手く行くことは決して無く在任中にたいした成果も出せずに気が付けば任期満了まで一ヶ月というところまで来てしまいました。

昨今大学研究者を取り巻く環境悪化の一途を辿っており、任期無しの研究職がどんどん少なくなり、その一方で任期付きの研究職の割合が日に日に高まっています。このような状況のせいで自分研究者になれなかったのだと不平不満を述べる人が多数いますが、私はそうだとは思いません。やはり研究者になれない人(私も含めて)には素質がないのです。素質が何なのかは難しいところですが、結局任期無し大学教員という職を巡る椅子取りゲームで勝つのはやはりふさわしい人なのです。終わりのない椅子取りゲームに見えますが、研究者として生き残る人はなんとなく決まっているように思います。(ここらへんは私自身の勝手想像です。自分研究者になれなかった脱落組なので。。)

繰り返しますが、研究者は素質がないともうほんとに悲惨です。自分に素質があるかどうかは割と早い段階で分かるはずなので、いま大学院等で研究者を目指して奮闘している方達(特にバイオ系)には時期を逃すことのないよう気をつけてほしいと思います

また、アカデミアのよろしくないところは、成功者経験ばかり語られて、落伍者の声は闇に葬り去られてしまうところだと思います成功談も大事ですが、それ以上に失敗談にこそ学ぶべきところがあるのだと悟っています

ああ、4月からどうすればいいのやら。今後の人生はどうなることやら。任期満了日が過ぎたら、その後は社会底辺彷徨いつついつか年老い死ぬ日をひっそりと待ち続けるのみです。

2019-02-21

高専から大学編入失敗記

最近高専から大学編入した人の記事流行ってるらしいので、逆のアプローチから

私は、高専の5年生である、そして大学編入に失敗した、所謂敗北者だ。

要するに「勉強不足」と言える状態にあった。

大学ならもしならず、滑り止めに据えてた"専攻科"という謎機関にも落ちてしまった。

同じ学科大学編入できないのが自分だけと知ったとき普段何も感じない僕でもショックを感じた。

ショックから起き上がれず、何日か酒とパチンコに溺れる日々が続いた。

高専の5年生という立場であるため、こんな気持ちの中で卒業研究をやる日々が続いた。

そしてそれと並行して、就職先を探す日々も続いた。

今思い出すと、クソみたいな日々だったなぁと感じる。

そして今、無事に就職先も決まり卒業研究発表会も終わった、とても清々しい気分でいる。

今日も1杯飲むとするか。

2019-02-14

anond:20190206125826

高専卒の方のエントリーが上がっていたので,レア存在である高専について私も語ってみる.何度目の焼き直しになるかわからないが.

お前誰

中堅高専→Bラン大卒リーマン

15年前に卒業化学学科情報としては古い点も多々あるかと思う.ただ学生会長で全国高専につながりを持っていたので、情報ソースは1校のみではない.

メリット

①進学が容易

 後述する.

②早期から専門教育を受けられる

 高校1年次から専門教育を受けられる.全過程専門教育ではなく,高校大学で履修する一般教養とのミックスになっている.年次が低い段階では一般教養比率が高く,年次が上がるにつれ逆転する.まともに単位を取っていれれば5年次は週の半分は研究だった.

デメリット

①進路が固定されやす

 大多数が工業系の道に進む.進まざるを得ないといっても過言ではないだろう.感覚的に同級生の9割はメーカにいる.世界技術系一辺倒なので,その他が見えにくい.入学時点で15歳なので、染まりやす視野を広く持つことも難しい.教員普通研究員なので,理系アカデミアで純粋培養されたような癖が強い人がごろごろコースを変更しようとしても,マイノリティになるため後押しもロールモデルが少なくハードルが高い.

ドロップアウトやす

 専門性が高い故、入学後に技術に興味がないことに気づいてしまった場合モチベーションが下がりついていくのが困難になる.高専受験日が普通高校に比べて早いので,度胸試しで受けてみたら受かってしまった,偏差値が高いのでなんとなく来た,という層の一部がこの状態に陥る.一念発起して3年次にセンター試験を受け大学に進学、文転したものもいた.これはレアなケース.

恋愛チャンスは共学に比べ少ない.15-20歳という多感な時期に恋愛経験はまあ一般的重要だろう.女性が少ないので競争は激しい.勿論立地や当人キャラ次第でもある.化学専攻などは女性比率が高い,それでも半分程度だろうか.

教育課程

授業時間は90分.1年次から週1-2回のペースで半日かかる実習or実験があり,1年次から毎週毎週濃密なレポート提出を課せられる.締め切りや採点も厳しく,図書館での追加調査を含め毎週5-6時間レポートだけで費やしていた.科学文章の書き方の下地はここで醸成されたと感じる.専門科目が入っている分,一般教養が割かれている.歴史はなく,地理も確か1年前期しかなかった.その他普通高校と比べて色々なものが削られていたに違いないが、よく分からない.

また,数学が難しかった.入学後すぐに三角関数確率,2年次に上がる前に微積線形代数.2-3年次で重積分偏微分,常微分・・・.4年次以降で複素関数,曲面,群論ラプラス変換ベクトル場等の応用数学に入っていく.他にも電磁気化学,熱力,固体物理・・・気分が悪くなってきた.

進路

就職

就職率100%.求人倍率10~20倍.県内の有力企業大手現業職現場職長候補)に比較的楽に就職できる.ただ高専生は世の中のことをよくわかってないので,企業業態研究をせずに適当就職してしまい数年後に後悔する同級生はそこそこいた.先生技術バカが多く,経済的リテラシー教育はほぼなかった.私のころはインターネット情報量も多くなく,現在はまた違っていると思われる.

②進学

大きく2つに分かれる.専攻科か大学か.

専攻科:

自校に残り,2年間の延長教育を行う.大卒資格を得られる.ほぼ研究メインの生活を行う.研究8割,授業2割くらいか卒業後は旧帝や技術大学院(奈良先端科技大/豊橋技科大/長岡技科大)などに院進する人が多かった.就職する場合世間的にはレア存在であり,専攻科?そんなのがあるんだ?という反応をされ,研究漬けで辛い生活を送ってきたのにも関わらず就職アピールとしては弱いと友人はボヤいていた.

進学(3年次編入):

ここが最大のうまみであろう.

①いくつも受験可能大学毎に試験日程が統一されていないので,費用と日程確保さえできればいくらでも.自分場合は4大学に出願し,3大学目で決めた.偏差値が低いほど早めに行う傾向があった.

受験科目が少ない.例えば東大数学英語だけだった.(東大のみ2年次編入だったが)問題奇天烈ものでなく,真面目に授業を受けてしっかり対策していれば十分に解ける範囲である

高専によっては提携大学がある.私が卒業した高専では所在県の大学提携私立大学関関同立など)は指定校推薦でほぼ全入していた.高専から私立大学に行く人は少ないので,競争率も低かった.就職したくはないが勉強も好きではない下位層は延命策としてこの選択肢をとっていた.大学編入後は一般教養はほぼ単位認定(=免除),専門教科も高専で齧っていることが多く,比較的楽.実験研究発表においては経験の差が歴然学部レベルでは専門を変えない限り大きな問題はないだろう.彼女が欲しくてテニスサークルに入ってみたが,雰囲気についていけなくてすぐ辞めたというオチ

レベル

ピンキリトップレベル明石高専豊田高専などは偏差値60後半でそこらへんの進学校を超える難易度だが,商船高専などは50前後学科としては電気がいつも大変そうだった.数式だらけで理解するのが大変.材料土木環境,その他新興分野はおぼえればいい科目も多く,比較的楽.

寮生活

全寮制の高専は確かなかったと思うが,大概他県や遠隔地から学生用に寮が用意されている.寮ではゲーム相手に事欠かない,発売日に漫画がすべてそろう,ありとあらゆるジャンルのエ〇本を閲覧できるなどのメリット(?)もあるが,大きなデメリットとして私が通学していた20年前では上級生による「しつけ」という名の体罰が行われていた.木曜日の夜に1年生を呼び出し,暗闇の中で数時間正座をさせて悪事を白状させるというもの.(風呂掃除に数分遅れたとか,寮の敷地内で先輩を発見した際百m離れていても90度おじぎをして挨拶を”叫ぶ”必要があるが,そのお辞儀角度が足らなかったなど)一定数白状しないといつまで経っても終わらないため,どうでもいい些細なことを報告するのが常であった.正座のみならず1時間両手を上げっぱなしにさせるなど.終わった後は体が痛んだ.脚が痺れを通り越して暫く立てないレベル.なぜ木曜の夜かというと,金曜になるとみんな帰省してしまうため.

さすがに今はもうないだろう.今の価値観だとありえない.しかし,中学校を出たばかりの小僧大学1-2年生相当の先輩たちはとても怖い存在で,且つ退寮して親に金銭負担をかけられないため多数は我慢選択する,という構図だった.私の親も鍛えられてこい,という感覚だった.家が比較的近いやつは馬鹿馬鹿しくて通学に切り替えていた.私のころはなかったが,以前は先輩から達しが出るや否や吉野家の牛丼を30分以内で代理購入してくるという「吉野家ダッシュ当番」なるものもあったそう.尚,年次により寮内でのルールは緩くなっていく.年次による権力揶揄した称号があり,1年次から奴隷」,「見習」,「平民」,「貴族」,「神」.1年次においては共有スペースの炊事禁止テレビ閲覧禁止風呂掃除や朝食準備などの各種当番,祭りでの汚れ系出し物など.2年次になると共同場のテレビ閲覧可,3年次から個室があてがわれ、テレビも自室に設置が可能となる.今思い返せば,異常に陰湿日本文化如実に体現しており,乾いた笑いが出る.私は上級生になった際このシステム廃止しようと試みたが、全体的にそれを維持したいという空気が流れており結局叶わなかった.ただ親元を離れて集団生活を送ったことで自身も随分たくましくなったと思う.

今私は何をしてるか

メーカを何社か転職し,現在ITデータ解析職.製造業に興味がないことに気づくのに大分時間がかかり,また気づいてから収入を維持しながらも他業種へ脱するまでが大変だった.現在は34歳で年収950万円.奨学金は500万ほどあったが30歳前に完済することができた.

所管

総合すると高専おすすめ.ついていければ就職には楽にありつける.ただし癖が強いので人を選ぶ.

2019-02-08

anond:20190208154641

ググればすぐ分かる話だが、新潟県刈羽郡千谷沢村のことな。今は長岡市編入されている。

2019-01-10

人生を狂わせたいじめっ子芸能人になってた

小学生の時に転校した転入先の学校で、いじめにあった。

きっかけは些細な事で、クラスを仕切っていたいじめっ子と仲が良かった友達と私が仲良くなったことが原因だった。

最初無視や陰口といったものだったが、だんだんプリントノート教科書にまで死ねと書かれる様になり、見えないとこを殴られるなった。被害は私と仲良くしてくれた友達や話した同級生にまで及んで、中には不登校にまでに追い込まれ、そのせいで転校してしまった友達もいた。

高学年になるとクラスメイトの前で、パンツを下ろされたり、全裸にされるなど性的嫌がらせもされた。いじめっ子は担任にも気に入られてたため、担任からも私は無視をされ、クラス全員からいないものと扱われたこともあった。

家族にも言えず卒業まで耐え忍んでたけど、最後最後で体を壊し、卒業式は体調不良理由に出ないまま卒業した。

それから中学高校と別の学校に行くも人と話すことが出来なくなり引きこもりになった。意を決して、編入した高校出会った人達のお陰で外に出れて、働けるようになった。

ようやく人生を立て直してきたなと思った頃、いじめっ子が芸能人になりテレビに出るようになった。

いじめを受けてた当時から芸能事務所に入ってたことを自慢していたので、テレビで見たときは、まだ続けてるんだと思ったが、だんだん人気が出ていじめっ子は有名になっていった。

それからいじめっ子が出てるTV雑誌は見れなくなったし、TVラジオから声が聞こえるだけで胸が苦しくなる時もあった。

また、友達や知り合いが、いじめっ子のファンだと言うと、本当はこいつは人の人生をめちゃくちゃにしたんだよ。と教えたくなったし、その友達や知り合いとはうまく付き合うことができなくなった。

いじめを受けてから数十年が経って、私はそれなりに幸せに生きてきたけど、いじめっ子をメディアで、見かける度に受けた仕打ちを思い出す。

私に死ねといった声で歌い演技をし、私を殴った手でファン握手し、私を見て笑った目でカメラを見てる。

私や不登校になるまで追い込んで、転校していった友達を傷つけたいじめっ子が今では、誰かを笑顔にしてると思うと滑稽すぎて笑える。

された方は忘れないんじゃない、忘れたくても忘れられない。

ましてや、芸能人なんて嫌でも思い出す。

でも、いじめっ子はきっと私のこともその転校して行った友達のことも忘れて、今も誰かを幸せして今を生きてる。いじめっ子はきっとこの記事も読まないし、興味もないと思う。

悔しすぎるし、ここでいじめっ子のことを恨んでる自分にも腹が立つので、私もいじめっ子に負けないくらい誰かを幸せにして今を生きようと思う。

このブログはそんな私の決意といじめっ子との思い出にけじめをつける為に書いた。

もし私と同じ様な境遇にあってる人達いじめにあって今も苦しんでる人たちがいたら、その人達に届くといい。

2019-01-04

大学 3年次編入試験の思い出

anond:20190102063518

anond:20190102174908

anond:20190103131014

高校時代

同じく地方出身者はなんとなくわかると思うんだが、高校は「地元では自慢できる」レベルのとこに通っていた。

県下一、というわけでもないけど、地元で一目置かれるようなそんなところ。東大学者を毎年1名出したり出さなかったりするような。

自分はというと文化系運動系狭間みたいな部活にがっつりのめり込みつつ、子供の頃から親の影響で続けていたとある楽器寺社仏閣が好きな、自他ともに認める「変わった子」であった。学力でいえば中学までは特に勉強しなくてもまあまあいい成績が取れる、中途半端に器用な子だった。

親は勉強については大してうるさくなかったが(むしろ楽器練習をしない方が厳しく怒られたし、数学10/100点をマークしようが音楽の成績が満点じゃない方が嫌な顔をされた)、お金には厳しく、「大学は国公立しかさない」と宣言されており、真に受けた私は私立すべり止めも一切受けなかった。だが高校3年間を部活に捧げた、数学テストで毎回赤点叩き出すような人間にそのルートは厳しかった。見事に滑りおち、進学先を失った。進学校に通っておきながらこの体たらく

これから1年浪人するしかない、と思ってふさぎ込んでいたが、そこで偶然にも某専門学校の「大学編入コース」なるものを知る。専門に2年通った後、大学へ3年次編入するというコースだ。ははぁ、よくできてるなあ、と思いながらも学校担任と両親に相談し、その専門学校へ進むこととなった。

専門に入る

正直入試はあってないようなものなので割愛する。学力レベルからペーパーテスト免除され、英語面接だけだった。まあまあ緊張したが絶対かると半ば解っていたので強気でいった。ちなみに高校時代苦手にしていた教科は数学英語だ。瞬間的な暗記力となんとなくで世界史及び国語高得点を叩き出す完全なる文系である。妙にコアな知識を植え付けてくれたラノベ推理小説たちとヘタリアには今も感謝してる。日本史文化史だけ異様にできた。

学校生活

身バレが怖いので色々伏せるが、駅チカでこぎれいなビルキャンパスだった。キャンパスと言っていいのか?

専門学校内での大きな学科のくくりとしては「英語学科」に属することになり、その中で「英語を使った仕事に就きたい人のコース翻訳通訳など)」と「海外大学に行きたい人のコース」、あと「大学編入したい人のコース」に分かれる。

なんで大学編入英語学科に属するかというと、ほとんどの大学編入試験の科目が「英語」「小論文」「面接」のみだからである。(学科によっては専門科目の試験がある場合もある)

授業は9割は英語の授業だった。ネイティブ講師日本人講師もいたが、とにかく英語リーディングリスニングライティングスピーキングの授業がそれぞれあり、それ以外に大学編入のための英語試験対策授業がある。少人数にこだわってて、基本の4つの授業はそれぞれTOEIC学内試験の結果から5段階にレベル分けされていた。私は入学時のペーパーテスト免除しか学費も一部免除特待生扱いで入学したので、「は~やっぱこの程度か専門」とか思っていたが、最初TOEICテストで300点台叩き出して5レベルあるクラスの下から2番目に入れられる。「出身校」の学力が高かっただけで「私」の学力はクソだった。ただ真面目に授業を受けていればクラスはすぐに上にあがり、最後は一番上のクラス所属していた。この基本の4つの授業は大学編入以外のコースの人もいた。

残りの1割は資格の授業(英検、ワー検、秘書検、漢検など好きなもの選択できる)の他、第二外国語小論文対策PC(というかOffice)など……まあ大学1年生の一般教養と似たような感じだろうか。選択教養の授業もあったが種類は2,3種類しかない。しかも大して面白くない。

大学1年生と違うのは、自分で授業を選ぶ幅がとても狭いところ。というのも学年によってどの授業を受けるか、カリキュラムが既に綿密に組まれており、「朝ゆっくりしたいから1コマくそ~」というのは全くできない。選択授業も「とってもとらなくてもいいよ」ではなく「この中からどれか選べ」という選択。なので学期はじめにコース人間全員集められてHRみたいなことをして、時間割を配られたりしていた。

学生

上記の通り様々なコース人間が入り混じって授業を受けていたので、通っている人は本当にいろんな人がいた。アンタこんなしょぼい専門いていいの!?っていうような頭のいい人から、クソほど簡単テストを「難しくてヤバかった~」という人まで、本当に様々。Lv.2→Lv.5まで駆け上がるといろんな人と話した。超絶パリピ野郎もいたし、内気で根暗で今にも引きこもりになりそうな人もいた。

同じ大学編入を目指すコースの中だと、まあまあ頭いいけど大学入試では一歩及ばなかった、みたいな人がほとんど。大体がプライド高くてそれを一度へし折られてしまった人、という印象。(私もだけどさ)すべり止め私大に受かってたけど行きたくなくてこっちを選んだ、という人もいるにはいた。あとは行ってた大学が嫌になってやめて再チャレンジしたいとか……。比較的頭のいい人は多かったけど、それでもやっぱ学力でいうと「まあまあできる」か「いまいちできない」のどちらかだった気がする。コース内で一緒に行動していた友達は国公立に受かっていった人から最後最後どうにか推薦で滑り込めた人までいた。

コース人間の数は結構多かった。高校の一クラスくらい……?もっと少ないと思って入学したので意外だった。やっぱり学力レベルでつるむグループが分かれる。男女比は男子の方が圧倒的に多かった。3分の2くらい。でも学年全体で見ると女子の方が多かった気がする。

あと意外といろんな地方から集まってた。やっぱり学校周辺の人が多いのだけど、隣県や新幹線帰省するくらい離れている土地から来る人もいた。私はかろうじて同じ県ではあるが学校までは通学に2時間かけていて、隣県出身学校近くに一人暮らししている友達がうらやましかった。

学費

高い。私大に2年行くとのかわらん。でも高校時代まあまあ成績取れてたら学費免除簡単に取れる。(模試の点数とかセンターの点数を基準学費免除とかしてくれる学校もあると聞く)

本来公立しか行かせてくれなかったはずの両親があっさり行かせてくれたので、絶対学費無駄にすまいと2年間は真面目に必死に授業や資格取得に打ち込んだ。その後まあまあ就活に有利そうな資格とかちょいちょい取れたので、短大とか他の私大行って仮面浪人するよかよかったなあ、と思った。けどその辺って結局当人努力次第なので、学校の授業の時間を使って資格取得や受験対策に打ち込める環境お金払ったと思っている。払ってくれたのは親だが。でも無利子の奨学金も2年次から勝ち取って少し貢献できた。と思いたい。今返済しんどいけど。

編入試験を受ける

編入試験

1年間みっちり英語を叩き込まれたあと、2年生からいよいよ編入試験が始まる。

3年次編入試験は多くの大学がやっているが、大学によって受けられる条件は様々。私が行きたかった大学は他の4大からの受入のみで、専門卒は受け付けていなかったので諦めた。(でもそういう学校の方が少ない印象)

編入試験の日程は学校によってかなりばらつきがある。早いところだと6月くらいで、遅いところだと2月くらい?私は全部で3つ受けたが、ひとつ8月で、残りのふたつは12月だった。やっぱ秋~冬にかけてが多い。

面接練習なども授業でしながら、それぞれの試験日に向けて準備を重ねていく。8月試験を受けたところが第一志望にして最難関の大学だったが、ものの見事に落ちてしまい、泣きながらそのあと友人らとカラオケに行った思い出がある。編入試験受験科目が少ない分やりやすいと言われるが、その門はかなり狭く、私が受けたところも倍率は5~10倍くらい(だったと思う、もう記憶あいまい)最終的に編入浪人の道を選ぶ人もいる。専門→大学編入のいいところは浪人などの1年のロスを出さずに大学卒業できる所だが、結局編入試験の壁が高くて編入浪人したりレベルを落としてD~Fラン大学に入ったりと、メリットが活きないことも多い。でも努力してそれが実ればいい大学に入れるのも事実なので、そこは編入チャレンジする人次第なのかな……とも思う。専門入って遊んでしまった人たちは上位クラスの人でも結局ランクの低い私大に行った人が多く、しっかり努力し続けていた人は国公立偏差値高い私大に進んでいった。英検1級取得したり、TOEICマックススコア出した人もいる。

あとTOEICスコア試験免除がある学校とかあって、TOEICマジもっと気合入れてやればよかったな、と思った。試験免除にならなくても入学後の単位に換算してもらえたりした。

試験対策

英語はもうとにかく授業をガンガンうけてガンガン問題解くだけ。喋る・聞くは捨てて、ひたすら読むにステータスを振り続けていた。(書くは申し訳程度にやった)9時半から15時まで授業を受けた後、18時まで学校に残り友達と多少ぐだりながらも勉強(というか課題)、家に帰ってから英語の長文読解とひたすら向かい合う日々。

小論文は書き方の作法を徹底的に叩き込まれ、あとは個人文章センス知識量がモノをいう感じだった。国語世界史、そしてラノベから影響を受けた文化史系に強かった私には最高の科目だった。

編入試験過去問も一応あって、見せてもらうためにその大学に足を運んだこともある。(コピーはさせてもらえないので、目で見て出題傾向を把握するのが精一杯だが)あと学校過去問を回収して過去問集みたいなのを作っていたので、行きたい学校が人気校ならそんなことしなくてもコピーできたりした。英語試験はどの学校も長文読解系が多く、TOEICをそこそこにして英検受けまくっていた自分にはありがたかった。

面接指導就活とほぼ一緒、だと思う。なんでこの大学に行きたいのかをはっきりさせろ!と言われ続け、「御校に在籍の〇〇先生研究室で●●について研究したいです!!理由としては!!」みたいな答えをガチガチに固めていった。これはのちの就活に活きたと思う。

試験

どの大学小論文は楽勝だった。8月に受けたところは英語で予想外の作文が出て動揺し、読解問題では時間が足らず、涙を呑んで不合格覚悟した。翌日即結果発表だったが、当然私の受験番号はなかった。

第二志望の大学の前に第三志望の国公立を受けにいったが、家から遠く深夜バスでの移動となった。しかバスからまた電車で移動するが乗換をミス試験遅刻。席に着くために荷物通路に置いたら試験管に怒られ、萎縮しながら受験したが英語は予想できたレベルでむしろしかった。1週間後には結果が開示され、無事合格

そして満を持しての第二志望。同じ学校から他にも2名受けることになっており、一緒に移動。英語試験はやや苦戦した覚えがあるが、それよりも面接がしんどかった。大学に、特にその学校に入りたい理由を述べ(行きたい研究室があるでゴリ押しした)、なぜそれに興味を抱くに至ったかなどを話したが、とにかく緊張して噛みまくり面接官に不審な顔をされ落ちたと悟った。しかしその試験当日、夜から私の受験期を中学から支えてくれた某バンドライブがあり、普通に間に合わなさそうだったので走って会場を後にした。ライブギリギリ間に合った。そして入試も無事にパスできていた。

大学編入

進学先が二つ用意されたわけだが、もちろん第二志望を選択。一応国立大なのと、高校時代から学びたいと思っていた専攻があったのが決め手だった。思う存分研究に打ち込めたと思う。嘘。2年では足りない。もっとやりたかった。でも取りたかった単位や聞きたかった講義はほぼコンプできた。

上記でも少し触れたが、入学時に専門学校の授業の単位大学単位へ変換してもらえるため、本来4年で取る卒業単位を2年間で全部とれ、ということにはならなかった。特に私は人文学系だったので、変換がスムーズにいったというのがある。法律経済系の学科は専門科目の変換が難しく、卒業単位を取れなくて留年した人が多かった。(と後に聞いた)

1年大学ライフ満喫したのちすぐ就活なのはきつかったが、興味のあったサークルにも在籍し2年間最初から最後まで活動できた。でもいくら単位変換してもらったとはいえ他の3年生に比べると圧倒的に単位は足りてない(その上私は卒業単位にならない資格系の講義も取っていた)ので、ほぼ毎日1~4コマ、そのあとサークルバイト!みたいな生活をしていたし、就活の時期は本当にしんどかった。英語資格TOEICスコア700前後英検準1級)と進級のために取らざるを得なかった数々の英語以外の資格、そしてあの日面接対策小論文対策が活きたのだろう……と思うと私はこのルートをたどってきてよかった。他の短大や4大出身編入生は就活で軒並み苦労していた。でも専門より大学の方が圧倒的に楽しかったです。普通に1年生から大学入りたかった。

大学編入後で一番しんどかったのは、3年生でありながら1年生に交じって体育やらされたことかなあ。


色々書いたけどあくま文系の話です。理系編入もっと大変と聞くし、そもそも専門→理系学部編入というルートが恐らくない。

東大京大に比べたら底辺もいいとこだけど、こういう抜け道もあるよっていう話をしたくて。でも根っから文系だった私だからこそうまくいった裏ルートみたいな感じではあるんだけどさ……。うまくいかなくってせっかく編入した大学やめて引きこもりになってしまった知り合いもいるし、正直この専門→大学編入というルートを誰にでもお勧めできるかというとそうでもないけれど。

あと社会人なってから編入大学入って、教員免許だけ取って中退した編入生の知り合いもいる。社会人なってから大学で学びたいという人で4年は長いという人にもいいんじゃないかな。あと大学とりあえず入ったけどつまんなくて他の学科行きたいとか他の環境行きたいって人。

私は本当は大学院に進みたかったのだけど、やっぱり学費関係で諦めて就職した。研究してた分野とも全然違う仕事をしているけれど、趣味としてまだその分野についての情報収集勉強は続けている。なお英語をかなり使う仕事だし専門時代に取った資格もそれなりに活かせてはいるので業務内容には満足している。

いよいよセンターが近づいてきて、不安受験生たくさんいると思うけど、どうかここだけが人生の決め手とは思わずに気楽に頑張ってほしい。案外人生どうにかなることの方が多い。

2018-12-18

anond:20181218135021

んなこと言ってると、琉球独立中華編入派諸氏が勢いづくぞ。ヤマト札束自治を奪われてるってな。

中華札束もなく自治を奪われるのがお好みとは恐れ入る。

基地返還後のほうが雇用も税収も増えたってさ。うるま市の北のところなんかは。選択肢もないのに一方的道理作られてもなあ。

選択肢がない」と言う前にプランぐらい提出したら?

反対派の道理を見せてみろよ。基地無き後の沖縄社会いかにして発展しうるのか。

信頼がないんだよ。基地なくして、振興予算なくして、国に泣きつく。そんな風に見られてる。

違うってんならプランを建てよ。国の予算なくしても自治体としてやっていけるって示せ。

anond:20181218134413

んなこと言ってると、琉球独立中華編入派諸氏が勢いづくぞ。ヤマト札束自治を奪われてるってな。

基地返還後のほうが雇用も税収も増えたってさ。うるま市の北のところなんかは。選択肢もないのに一方的道理作られてもなあ。

anond:20181218134413

んなこと言ってると、琉球独立中華編入派諸氏が勢いづくぞ。ヤマト札束自治を奪われてるってな。

基地返還後のほうが雇用も税収も増えたってさ。うるま市の北のところなんかは。選択肢もないのに一方的道理作られてもなあ。

2018-12-17

糸偏がヘタクソだった(追記

社会人になってからめっきり字を書く機会が減ってしまたから忘れていたんだけど、子供の頃私は糸偏が綺麗に書けなかった。

仕事上なにかを書くときアルファベットなことが多くて、丁寧に字を書くことなんて滅多にないから忘れていた。さっき珍しく部署内の人への書き置きを書いていて思い出した。

小学生の頃、フランス日本人学校に通っていた時期があった。駐在年数の長い子が多い学年で、みんな少し日本語おかしかった。いろんな地域方言や、英語仏語独語単語が滅茶苦茶に混ざったニホンゴで会話していた。珍しく出入り(転入帰国)の少ない学年だったこともあって、とにかく言語への頓着が薄かったんだと思う。

「書き」に関しても同じで、綺麗に文字を書こうという意識が、少なくとも私にはあまりなかった。高学年になれば「日本にいた頃習字教室に通っていました」というような子がひとりふたりいたんだろうけど、残念ながら低学年のクラスには母国スキルを蓄積している子はいなかった。両親がこどもちゃれんじと青い鳥文庫を根気強く与えてくれなかったらどうなっていたんだろうと思うとゾッとする…高かっただろうにありがとう。まだ英語和訳みたいな文章書いちゃうけど、なんとかなってるよ。

小2の春だったかな、そんな学年に日本から転校生がやってきた。訛りのない標準語を話す、おっとりした女の子だった。口数の少ないおとなしい子だったけど、私たちにとって彼女台風みたいな革命児だった。

彼女私たちに「日本」をたくさん持ち込んでくれた。まず、たまごっち。誰かの誕生日パーティーの席で耳慣れない電子音にざわつく私たちの前で、彼女は恥ずかしそうに「ごめん、私のたまごっち…」とポシェットからさなおもちゃを取り出した。衝撃だった。彼女がそれを操作するのを、みんなで息を潜めて凝視した。平城京スマホをいじったらあんな感じの視線を浴びると思う。彼女まさか同い年の子供がたまごっちを知らないとは思いもしなかったみたいで、徐々に衝撃から解放された同級生たちから質問攻めにされて目を丸くしていた。その日から彼女たまごっちは学年中(2クラス35人くらいだったかな)の関心の的で、毎朝進化たかおやじっちは来たか、何か変わったことはなかったかと聞かれていた。私は彼女と同じ通学バスだったので、朝家まで迎えに行くついでに、玄関で見せてもらっていた。いま思うとまじでうざいな。

次に衝撃的だったのが、あたしンち海外生活する子供にとって、日本漫画はとてつもなく貴重だった。小説日本語の発達を懸念した親に買ってもらえるけど、漫画はなかなか入手できなかった。誕生日や、一時帰国中に買ってもらった子はヒーローだった。数少ない母国の娯楽なので、家にある漫画は片っ端から共有した。ガッシュコロッケNANAGALS!犬夜叉コナンボーボボ神風怪盗ジャンヌ、ケシカスくん、フルバナルト、もうとにかくなんでも読んだ。

でも所詮小学生不条理ギャグ漫画とマセた少女漫画ファンタジーバトル漫画しかなかった私たちラインナップに、彼女のお母様が好きだという「あたしンち」が加わった。

ただの日常漫画だけど、それが私たちには衝撃だった。なんせ、知らないのだ、日常を。スーパータイムセールも、放課後の買い食いも、制服給食も、私たちにとっては未知の世界常識だった。おしゃれな少女漫画じゃ描写されない日常ネタは最高のエンターテイメントだった。ディスカバリーチャンネルでも見てるみたいだった。

レモン石鹸ミックスベジタブル、二枚組のトイレットペーパーなんて概念は完全にあたしンちから学んだ。お子さんを連れて海外赴任されるご予定のある親御さんは、日常漫画アニメにすぐアクセスできる環境を整えておくといいと思う。本当にどんな教科書よりためになった。

最後、本筋からだいぶ逸れちゃったけどこれが一番書きたかたことで、彼女は硬筆の書写がとても上手だった。小学校入学から教室に通っていたらしい。

先述の通り「綺麗な文字」という概念がすっぽ抜けてた子供だったので、彼女漢字練習帳はあまりにも衝撃だった。で、「組」だったか「紙」だったか忘れたけど、びっしり並んだ完璧な糸偏を見たとき彼女への憧れがMAXになった。大人みたいな字を、同い年の子が書けるんだ!すごい!かっこいい!私も書きたい!それと同時に、もしかして日本を離れている私は母国の子供に比べて知識技能に遅れを取っているんじゃないか不安にもなった。その日家に帰って最初に両親にその目標を伝えて、大喜びの2人に日本スーパーで小さな漢字ドリルを買ってもらった。糸偏だけじゃなく、苦手だった「女」も「海」も「方」も「子」もたくさん練習した。

日本語を書くことに抵抗がなくなったのはあれがきっかけだったと思う。周りの同級生彼女の綺麗な書き文字オーソドックス標準語に感化されて、国語学習に意欲的になった。本当に、彼女私たちに大きな革命を起こしてくれたんだ。

他にもナルミヤの子供服とかプロフィールシートとか、転校生ちゃん私たちに教えてくれたものはたくさんあったんだけど、どれもあの日本人学校っていう特殊コミュニティにいた私たちには衝撃だった。これが生まれたのが全部自分母国なんだって思うとゾクゾクした。いつか帰るのが堪らなく楽しみになった。そんな8歳の思い出である

………なんてことを、久しぶりにペンで丁寧に文字を書きながら走馬灯のように思い出していた。細田さん、締切日変更の連絡がありました。お席にお戻り次第メールボックスをご確認ください。



12/19 追記

たくさんの反応をいただいて驚きました。訥々と昔語りをしてしまって今更ながら恥ずかしいです。目を留めてくださってありがとうございました。

以下、だらだらと長い蛇足になります。まとめるのが下手でごめんなさい。

日本人学校について

紛らわしい書き方をしてしまってすみません。ひと学年ふたクラス、合計して35人弱でした。正確な人数は覚えていません…というか、何ヶ月かに一度は転校生の出入りがあるので常に変動的でした。日本人学校の規模としては大きい方なのではないかと思います

これは余談なのですが、フランス日本人学校はかなり郊外にありまして、在籍する小学1年生から中学3年生までのほぼ全員がスクールバスで通学していました。大型バスで、人数の多い地域複数台。あんなに大きな国なのに日本人学校は一校しかなくて、かなり遠くから通っている子もいました。渋滞で遅れて3限目にやっと到着、なんてのはしょっちゅうだったように記憶しています

これは後に両親から聞かされた話なのですが、「自分の国の学校があるんだからうちに来なくてもいいでしょう」と日本人の編入拒否する現地校が多かったようです。生徒数が多かった理由ひとつかもしれません。

漫画について

漫画は片道1時間以上の通学バスの中で読みました。先述の通り乗車している児童生徒の年齢幅が広いので、有象無象ジャンルが飛び交います。…飛び交うというのは言葉通りで、読了後は座席に膝立ちをして、「愛してるぜベイベ2巻読みたい人!」と叫ぶとどこかの座席から返事とともに頭がひょっこり出てきて、その子目掛けて投げる、という方法漫画の貸し借りをしていたんです。自分のものですらない漫画を。今思うと血の気が引きます子供とはいえ酷い扱い方…猛省です。何十人規模での読み回しに耐えた漫画は手元に戻ってくるときにはボロボロでした。高学年の男の子たちはアドバンスパワプロやってたなあ。

私が渡仏していたのは2001年から2005年頃までなので、その間もしくは以前の漫画は幅広く読みました。素敵な体験でした。

・現地での生活について

日本人学校に通っていると、現地の子供と接する機会はほぼありません。現地の習い事等に通っていれば別かもしれませんが…。地元サッカーチーム水泳クラブに入っている子もいたような気がします。フランス語の授業もありましたが、あくま第二外国語的扱いで、あまり熱心な内容ではありませんでした。

転校生ちゃんについて

まさしく、私のヒーローヒロイン)です。近所だったこともあってとても仲良くしてもらいました。私が先にフランスを離れてしまい、年賀状のやり取り程度はしていましたが、いつの間にか疎遠になってしまいました。当時の友人たちとはSNSで繋がって十数年ぶりに再会して飲みに行ったりすることもありますが、残念ながら彼女の話は聞いたことがありません。元気にしているといいな。

・不肖、私自身のことについて

渡仏前後に別の国で生活しましたが、それぞれ現地校へ通う機会に恵まれたので日本人学校で過ごしたのはフランスだけでした。あの日々がなければミックスベジタブルどころか起立、気をつけ、礼すら慣れない状態帰国していたことになります。本当にありがたいことです。親からもこどもちゃれんじから漫画からも学ぶことのできない日本独自学校文化、たくさんありますよ…前へならえとか体操隊形に開けとか…。逆上がりや二重跳び、跳び箱なんかは日本人学校の体育でできるようになっておいて心底よかったと思います

それなりの年齢で帰国して普通に大学まで卒業させてもらい、今はメーカー海外営業をしています。いろんな国に住んだし、仕事海外へ渡る機会も多いですが、私には日本が一番合っていると感じています

細田さんの締め切りについて

部署での案件が絡み、1週間後ろ倒しになったとのことでした。優しい先輩ですよ。

2018-12-14

学歴厨は俺だった

 周りの人間高学歴すぎて勝手コンプレックスを覚えていたのだが、高学歴をひけらかすようなクズは居なかったし、俺も対等に渡り合えているように思っていた。俺が大学に行かなかったのはめぐり合わせの問題であり、平均以上に稼いでいて知的な会話の楽しめる友人がいる以上、コンプレックスを持つ必要は全くないのだ。

 だが増田を見返していて驚いた。学歴に関するエントリが半数近くを占めている。大半は怨嗟だ。日常ではほとんど話題にもならないというのに、俺は一人でコンプレックスを抱えていたらしい。

 こうして他人事のように語れているのは、俺は今大学であるからだ。もちろん大した大学じゃない。文字通りに誰でも入れる通信制大学だ。対面での講義はなく、講評を得られるのはレポート試験についてのみ。だが、入ってみて良かったと思う。大学での学び、考え方とはこうしたものか、ということの何割かが知れただけでも学費を払った甲斐はあったと感じる。

 結局のところ、正体が分からいかコンプレックスを覚えていたのだと思う。恐怖や不安が湧き上がる構造と一緒だろう。

 大学生活的へのコンプレックスも持っていたのだが、学生たちの動向を観察する限り、どうやら俺は大人になってから大学生のように遊んでいる存在であるらしい。モラトリアムのような仕事をしているしな。

 正体を知ってしまったところで、今後も学業継続すべきだろうか。知らなかったことを知り、考えを巡らせ、文章にするのは楽しいしかし、俺本来の興味の方向と、ここで学べることとは少しだけズレているような気もする。まあ改めて別の大学に入り直してみたって良いだろう。4年くらい仕事を休んだところで貧乏学生よりも金はあるし、仕事に復帰することになっても困らないという自信はある。しかし、そこまでするほどにはコンプレックスは強くないんだよな。もう少し続けた上で、何かどうしても研究したいことができたら、例えば編入検討しても良いだろうし、在野のまま研究する方法も、今はきっと沢山あるだろう。

 あるいは俺は近い将来に、またどこから高学歴との違いを見出しコンプレックスを形作り始めるのかもしれない。それでも一時的にでも気持ちが開放されたこと、新しい可能性が拓けたことを、とても嬉しく思う。

2018-12-13

女子校なんて無理


女子高校女子大学なんて絶対いきたくない。

私の母は中高大と女子校に通っていたらしいけど、「もっと男の人と遊んでおけばよかった」と還暦間近のくせに愚痴ってる。大学ではなかったらしいけど中高時代はいじめや陰口が当たり前だったという。とにかく聞いていて嫌だったのは教育実習生と生徒が付き合うとか、講師と生徒が付き合うとかいう話。卒業たか問題ないでしょ?ってスタンスであったと。

...察しの良い方はお気づきかもしれないが、うちの両親がまさしくそなのだ。私は狭い男女の環境だけでおさまるなんてまっぴらだ!しかも母は愚痴を言うわりに「他の女生徒ではなく自分先生に選ばれた」という点にプライドを持っている。その話を聞くたびに私は絶対共学に行って、普通に男女問わず交友関係を保ちたいと思っていた。中学公立に行きたいとゴリ押しして、勉強を頑張ってMARCHレベル大学に行ける見込みのある高校に行けなければ両親のいた中高一貫校に行かなくてはならなかったので、勉強はとにかくひたすら頑張った(私がいたときには中学入学と、高校編入のどちらのパターンもあったので気を抜けば入学させられる状況だった)。

晴れて志望する共学校に通うことになった私は楽しくはつらつと通学した。共学に行けてほんとによかった。

そんな自分なので女子校に対するネガティブイメージ半端ない女子校なんて無理、絶対無理。ドロドロした陰険なとこなんて誰がいくか!異性への自意識ばっかり高めてさ。絶対いきたくないんだ。

2018-12-12

あなたへ手紙

お元気ですか?

元気なら何よりです。

12という数字を見ると不思議あなたのことを思い出してしまますね。

大学楽しいですか?

たまに他の子ブログなんかで、元気そうな姿を見ると楽しそうで嬉しくなります

さて、誠に勝手ながらこの1年、私はあなたを励みに頑張ってきました。

あなたが「短大卒業後は4年制の大学編入したい」と話してくれた時、それはそれはもう驚いたものです。だって、私はその第一報を自らの編入試験勉強中に聞いたのですから

決してあなたみたいな前向きな理由ではありません。むしろ、底がない真っ暗な沼に引きずり込まれているような絶望の中、半ば不本意ながら編入学をしてなんとか学位をとろう、などという褒められた理由ではないのですが、私も大学編入を志していました。

大学の友人にも教授にも誰にも言えない状況はひどく孤独ではありましたが、そんな折のあなた告白にひどく勇気付けられ、唯一の仲間だとすら思っていました。

あなたも頑張っているのだから、私が頑張れない理由がない、と励みにしておりました。勝手ですよね。本当にごめんなさい。

結果としては、無事、来年の春より第一志望の大学学生として勉学に励む予定です。

あなたがいなかったらここまで頑張れなかった。本当に本当にありがとう感謝してもしきれないほどにあなた存在が私にとっての光でした。

このありがとうだって、直接言えなくなる日が来るだなんてまさか思ってもいなかった。

私というのは本当に勝手な生き物で、1000円で8秒ほどの券を握りしめて会いに行けば、いつだってあなたが白フクロウのような笑顔で笑ってくれて、柔らかな関西弁名前を呼んで、褒めてくれる。そう信じてしまったのです。友達でもないのにね。バカみたいだよね。

今ではその笑顔を見ることも叶いませんが、いつまでもそうやって笑っていてくれたらいいな、とただそれだけを願います

ストーカーみたいな文章申し訳ありません。アイドルに「元」が付くだけでこんなに簡単私たち関係は危ういものになってしまう、とこの半年で痛いほど思い知らされました。

だけど、これだけはどうしても伝えたくて、誰が読むともわからないインターネットの終着点のような場所に書き捨てさせていただきます

最後とはなりますが、尾形春水ちゃん、今まで本当に本当にありがとう

私は頑張るあなたが大好きでしたが、そんなに頑張り過ぎなくても良いのにな、と心配になることも多々あったので、どうかほどほどにね。

明日からあなたに嬉しいこと・楽しいこといっぱいありますように。

そう願ってこの拙い手紙を終わらせていただきます

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