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2017-06-23

アトピー性皮膚炎のある赤ちゃんの卵スタート時期と食物アレルギーに関して

http://women.benesse.ne.jp/article/002322.html?sns

なるほど。

うちの子、いくつか食物アレルギーある(あった)けど、結構病院に振りまわされた感がある。

うちの子は「乳児湿疹」からあと「アトピー疑いあり」でずっと塗り薬処方されてきてる、いま1歳半。お肌はきれいだけどやっぱりアトピーなのかもしれない。

イギリスでは区別されていないという文章をみて、なるほどやっぱりそうかと思った。日本呼び方区別しない方が良いのでは…。乳児湿疹だと赤ちゃんはなるもの、1ヶ月〜3ヶ月ぐらいで治るよっていう感じで皮膚、アレルギー問題を軽視してしまう。

思い返すと退院した生後1週間頃からポツポツ湿疹できてきてた。

母乳ミルク与えた後とか顔をママの服にすりつけてきてたけど、今思えばあれは痒かったんだろうなと思う。痒くても手を動かせないから…。

1ヶ月検診で小児科乳児湿疹が多いと相談してもプロペト処方されただけ。

その後、産後ケアセンター滞在してたときたまたま助産師さんに皮膚科行ったほうがいいと評判よいところを教えてもらって生後1ヶ月過ぎにこの記事にある成育医療センターの元皮膚科医長さんのクリニックに通いだした。区では一番有名な小児皮膚のクリニック。

生後5ヶ月頃に離乳食始める前にアレルギー検査していこうと考えて(アトピーだと食物アレルギーある場合が多いという情報を本、雑誌ネット記事をみて知ったので)、この皮膚科で5大アレルゲン血液検査をうける。結果はすべて陰性、問題ないですといわれる。

安心して6ヶ月頃から離乳食はじめるも、なす、かぼちゃきゅうりバナナなどで口元が赤くなる。皮膚科相談するとヨダレかぶれでしょうと食事前に口元にプロペト塗ってくださいと処方される。

次に白身魚の鯛でアレルギー反応がでる(唇がはれる)、この時はすぐ小児科にいき食物アレルギーでしょう、1歳まで魚、鯛はひかえたら良いと指示される。反応でた食物は1歳までひかえたらいい、1歳こえると体の機能が強くなるから食べれるようになるよと。

その後も、離乳食定番クタクタうどん与えると首から耳が赤くなる。→小麦粉控えるなどをしていた。

8ヶ月の時に勝手卒乳になり(子供母乳を全く飲まなくなった)、粉ミルクに切り替えたら口元が赤くなる。

これもヨダレかぶれ??おかしいなぁ、牛乳アレルギー血液検査でなかったはずだったけど。粉ミルクの種類の問題かな?メーカーをかえてみる。e赤ちゃんという粉ミルクだと反応でなくなった。ということはやはりアレルギーか?ということでここで皮膚科小児科ではなくアレルギークリニックにはじめて子供をつれていく。

血液検査ですべて陰性だった件を伝えると月齢が低いとき血液検査より皮膚スクラッチテストの方が正確な結果が出やすいんだよと。

皮膚スクラッチテストすると卵反応が強く出る。

牛乳も少し反応がでる。5大アレルゲンすべて反応がでる。

大豆もでてる、毎日トウフ食べてて問題ないですが何故でしょうと聞くと偽陽性といって問題なくても少し出る場合あるからねといわれる。ミルクは少しだしいま飲ませてるe赤ちゃん問題でてないならそれでいい。ただ卵は強くでてるから1歳まで与えない方がいいと指示される。

70歳過ぎてる先生だが著名な方ではあった。

指示通り過ごし、1歳過ぎに再度電話で再検査の件を相談する。

先生曰く「血管細いか血液取りにくいし無理にする必要ないよ、1歳半まで食べさせなくてもいい」と指示される。

また指示通り過ごすが、1歳5ヶ月で保育園入るにあたって(近所の小児科で卵食べさせたことないならアレルギークリニックで接種してもらってくださいといわれ小児科では接種拒否された)麻疹風疹ワクチンを打つために行くとワクチン使った皮膚スクラッチテストで皮膚反応が少しでたので2歳まで打たなくていいと言われる。

保育園入園前検診で他の病院にきいて打ってもらった方がいいといわれ、保健所相談して他の少し遠い場所にあるアレルギークリニックに行った。

すると「いまは遅らせるより少量を与え続けるの治療法がメインだよ」といわれ…、血液検査で高い数値も出てたけど与えて問題ない分量を指示されずっと与えてる。

あと3ヶ月したら再度血液検査して下がっていれば全解放する方針らしい。

ちなみにこの先生もも成育医療センターアレルギー科の先生

先の老医師はこの方の大先輩。

成育医療センター先生曰く、老医師はすごい先生だけど少し持ってる情報が古いのかもね。

皮膚科で受けた血液検査も時期が早過ぎ、6ヶ月以降でないと母親から免疫が残ってるから数値が出てこないんだよ。

皮膚科のあの先生は知ってるし、非常に優秀だけどアレルギー専門医ではないから知らないんだろうね。

今度受診したらあそこの先生がこう言ってましたって伝えといてよといわれる。

なんだか振りまわされてる。

いま通ってるアレルギークリニックは元成育医療センター医師で最新情報治療に反映させているようなのでこのクリニックに通って完治させたいと思う。

病院が通える範囲にあり、そこのOB独立して界隈に小児皮膚、小児アレルギー、小児眼科などのクリニックがいくつかある地域でよかったとも思える。

実は成育医療センター紹介状がないと受診できない。

紹介状もらってもそこから診察まで数ヶ月待ち。

ただ紹介状書いてもらえるほどの症状(血液検査)が出てなかったか結果的に行けなかったかもしれない。血液検査を6ヶ月以降にしてて高い数値出てたら皮膚科から紹介状書いてもらえたかもしれないが、皮膚科相談したら血液検査は全部陰性だからかけないといわれた。

どこかで紹介状書いてもらって数ヶ月待ってでも成育医療センターアレルギー科に通ってたら違った結果になってたのかも…残念。



以上、こういうケースもありました的なお話でした。

2017-06-19

麦麦麦麦2017

加計学園問題学生教室のある5,6階にBSL3バイオセーフティーレベル3施設

 WHO基準では交通遮断されてない場所には作っちゃいけないとされている施設

 工事を受注した建設業者BSL関連の実績が無いらしい2017年6月13日参議院厚生労働委員会質疑

 ちなみに京都産業大学は地下1階にBSL3の施設がある

BBCのfitzjerald船フィッツジェラルド事故報道crazyひどいフィッツジェラルド側の航路を書いてない偏向報道2017年6月19日

大洗原子力機構燃料研究108号室の2017年6月6日プルトニウムウラン混合燃料MOX粉末あるいは原子炉内定点検除染粉末

 封入缶点検確認作業ビニール袋破裂事故プルトニウム239アメリシウム241を飛散肺鼻腔に検出し6月7日放射線医学研究所

 体内除染のため入院しており6月12日あたりに退院した作業員5名が2017年6月19日に再入院したらしいと言う速報あり

2017-06-13

今までで一番痛い

やっと退院できた。

12日間の入院は辛かった。

44年間生きてきたが、今まで経験した中で

1番痛かった。

  

1ヶ月前からお腹調子が悪くて

正露丸を飲みまくってた。

  

20日前に、友人の誕生日を祝うために一緒に食事してたけど

鈍いお腹の痛みと吐き気であまり食べれず

プレゼント渡して早めに帰ってきた。

その夜、痛みがひどくなり夜間病院・・・

痛み止めの点滴を2時間してもらい楽になり自宅へ戻った。

その時は軽い腸炎って言われた。

次の日もまた痛みだしたので、昨日と同じ病院の午後の診療へ。

痛み止めの点滴をしてもらい帰された。

ちなみに病院ではレントゲンなどせず、触診だけで終わり。

  

とりあえず、痛み止めの点滴をすれば痛みがなくなるので

胃腸が疲れてるのかなと思った。

  

でも、次の日も痛みが・・・

前日行った病院は午後からしかやってなかったので

馴染みのクリニックへ行った。

ここ数日痛みの話をして、同じように痛み止めの点滴をした。

いつもなら痛みが引くはずが、点滴が効かない!!

痛みが引かないので先生が再度診察すると

腹膜炎かもしれないから本院に行ってレントゲンとってもらって」

タクシー呼ぶから。本院に連絡しとくから

など、色々言われクリニックからタクシーで5分の本院へ。

  

本院についた頃には痛みが酷くて、車椅子に乗せられ即レントゲン

痛すぎてお腹を抱える格好で「ウーッ」って唸ることしか出来なくて

まっすぐになってレントゲン撮影ができなかった。

まりにも痛い時は自然に涙が出てくるんだね。

  

クリニックの先生が言ったとおり腹膜炎で即入院

その本院の先生に「来るの遅かったら、臓器切除や死んじゃうかもしれないか

もっと早く来ようねー」ってにこやかに言われた。

  

病名がわかってホッとしたが、入院したらしたで大変だった。

炎症を抑える点滴を24時間退院するまでしてた。

炎症がおさまるまで、絶食9日間。

寝れない痛みと38度台の熱が一週間。

寝不足のせいで偏頭痛

老人ばかりの大部屋しか空いてなかったので夜中に

「息子が蛇に食べられる。誰か助けて。」と叫ぶ、おばあちゃん。

2017-06-12

私に子供が出来るまで

元々は子供は要らなかった、つーか喪女結婚も出来ないと思ってたしどうでもよかったが妹が子供を産み、その赤子が超絶可愛かった。

の子の為なら死ねると言ってたら妹から「そういうのは親がやるからおばさんが重い愛をそそがんといて自分の子供を作れ」と言われた。

それもそうだ子供が欲しいと思ったのでギリギリ二十代で結婚する事にし、幸い母親の新しい友達お見合いおばさんがいたので紹介してもらい結婚相手高齢童貞だった。

新婚当初は処女童貞だった為にセックスが出来なかった。

毎晩頑張ったが痛そうな顔をすると夫が萎えて終了を半年ほど毎晩続けた。

子供はまだなの?若いから気楽に思ってるかもしれないけどそろそろ孫が見たい。と言われる度に処女懐胎は無理と思ったが高齢処女旦那高齢童貞なのでやり方が解らないのは人には言えない話題だった。

やっと成功して子供が出来たがいわゆるぶどう子で流産した。

一人で行ったそうは手術の麻酔からさめたら、カーテン越しに妊婦さんが血液検査で明るく「血管には自信があるんです」と笑っている声が聞こえて辛かった。

最初は辛い程度だったのがぶどう子で異常に分泌されてた妊娠ホルモンが一気に消えた影響と流産のショックでその晩から不眠に苦しみ鬱のようになり、死ねお前のせいで子供が死んだと夜中に幻覚幻聴が聞こえ気絶するように眠り朝起きたら絶望を感じ地獄だった。

悪阻がきつくて妊娠してない体に戻りたいと思っていた事を思い出しては泣いた。

旦那の親に妊娠を伝えた直後の流産だったので旦那流産を伝えるように頼むと「病気流産した」と電話で話しており、その言い方だと性病勘違いされるだろうが!!!と腹が立ったのを覚えている。

その後ガンになる危険があったので検査のために医者に子作りをしばらく止められ、やっと出来たがまた流産をしてと数年経った頃に旦那睡眠時間も足りない程の超激務になりセックスが出来なくなった。

親は孫を見たそうだったが、セックスせずに子供は出来ないとは言えなかった。

その後運よく正月休みに体力回復してやったセックス子供を授かったが、ある日夜中にトイレに行くと真っ赤な血が大量に出てきた。

旦那過労死心配になるレベル睡眠時間だったので伝えてから家で寝かせて、母に電話をして泣きじゃくりながら病院に行きそのまま入院看護婦さんがお腹を温めるカイロを持ってきて聴診器赤ちゃん心音を聞かせてくれた。

数週間寝たきりになり退院したその日の晩にまた出血した。

また長期の入院になり今度は退院したらそのまま私の実家で寝たきりになるように指示された。

薬は飲んだら冷や汗が出るくらい副作用が強い、横向きになったら腹がはるので上向きで姿勢が固定され、トイレ食事風呂以外ずっと寝てるので大きな腹に圧迫されて背中やお尻は真っ赤に腫れて痛かった。

ギリギリ子供が逆子になり帝王切開出産、顔を見た瞬間に幸福ホルモンが脳に溢れて物凄い愛しさと幸福感に包まれ涙が出た。

出てくるまで生きているのかずっと不安だったが腹から五体満足な赤ちゃんが出てきた人体の神秘を感じた。

子供が居ないなら居ない幸せもあると思っていたけど今は居ない幸福想像できない。

2017-06-11

まさか私が…」突然の発覚から3年、絶望から這い上がった私の乳癌

40歳の節目。私は乳がんになった。

素朴だけど優しく私を愛してくれる夫と2児に恵まれ、幸せな人生を手に入れてそれなりに満足感のある日々だった。

幸せな日常を一瞬にして真っ暗な絶望に追いやった乳がんの発覚。

乳がんは罹る人も多い病気負担はあるけど、治療なんてさほど難しくないと思っていた。

でも全然カンタンではなかった。

家族、友人、そして自分自身多くの人を深く傷つけ、心身共に疲れ果て全てを失う寸前まで追い込まれた。

判断ミスもあり、軽度とは言えない状態までいってしまった私だが、良き出会い、周りの人の支えに助けられたことは幸運だった。

手術、抗がん剤治療を行い私は今、再発の不安は抱えながらも元の幸せな生活を取り戻すことができた。

今思えば、「知らないこと」が理由で失ったものが沢山あった。

もっと早く気づくことができれば・・・
「あの時あの治療選択していれば・・・
「友人家族もっと接するべきだった・・・

いろんな後悔が今も心に残っている。

こんな思いをする人を一人でも減らせたら。そう思って私の体験を伝えてみたくなった。

興味があったら読んでみて下さい。

ピンク東京タワー、突然の不安

ほんの些細なこと。

10月1日、夫と食事に出かけた帰りに見かけたピンク色にライトアップされた東京タワーだった。

私:「綺麗だねー。今日はなんでピンクなんだろうねー」

携帯検索をする夫。

夫:「今日ピンクリボンデーらしいよ。乳がん認知を上げる目的だって
私:「乳がんねー。」

その時は何も思わなかったが、少しだけ「乳がん」という言葉が頭をよぎった。

それから1ヶ月が経った頃、

朝、着替えの時に左の胸に固い感触を感じた。

???

違和感を感じ指でふれた。コロコロとした1cm程度の小さなしこりを感じた。

まさか。。。乳がん?」

ピンク色の東京タワーピンクリボン、その記憶が私にそう思わせたのかもしれない。

ただし、その日は家事に忙しいこともあり、夜にはしこりのことは忘れていた。

夜の入浴時にもう一度触ってみた。朝のしこりはもちろん、あと2個程度小さなしこりを指先に感じた。

大きな病気をしたことが無い私は些細なことでもすぐ心配になるタイプだった。不安かられ、髪も乾かさずインターネットで幾つかのサイトを調べた。

しこりがある=乳がんというわけではない。40歳未満の場合は良性のしこりの方が多いらしく乳腺線維腺腫の可能性が高いと書いてあった。

人間不安ときは都合のいい方の考えに飛びついてしまものだ。

私は、

「なんだ大丈夫だ。良かったー」

と勝手に安心し、「こんなものはそのうち消えてなくなる」なんて、根拠もない解釈をしながら、眠りについた。

翌朝、しこりは消えていない。やはり気になる。「もしかしたら」が再び頭をよぎる。

考えないように過ごそうと思ったが、家事が何も手につかない。

今まで感じたことの無いものが私の胸に存在している。その事実から目をそむけることができなくなっていた。

一刻も早く安心したい。その一心で私は病院を探し始めた。乳がん検査してくれるのはどこか?今まで考えたこともなかったか検討がつかない。

よくわからないが、とにかく近くの産婦人科に行ってみることにした。

サイズも小さいし、しこりも動くから問題はないと思いますよ」

そういって若い女性医師は近所の外科への紹介状を書いてくれた。

その翌日は外科の診断へ。私は一日がかりで色々な検診が行われることを想像したが、触診だけだった。

診断は

「乳腺線維腺腫」

違和感があった日に確認した見解と一致していたため、その診断を疑うこともせず飛びついてしまった私がいた。

乳腺線維腺腫は放っておけば3ヶ月程度でしこりはなくなってくるとのことだった。私は安心して、日常生活に戻った。

大丈夫でしょう」という自分安易判断と、夫に相談せず自分で納得してしまったことがあんなことを引き起こすなんてこのときは思いもしなかった。

大いなる油断、取り返しのつかないミス

それから2年、私はしこりことなどすっかり忘れて平穏な生活を続けていた。

日々の家事、娘息子の世話、当たり前のことを当たり前にこなす。傍からみれば退屈かもしれないけど、愛のある満たされた毎日

その日もいつもと何一つ変わらない一日だった。

しかし、その夜、全てが一変する出来事が起こった。

夫と同じベッドで寝ていると、寝返りをうった夫の手が私の胸に当たった。すると夫が「え?硬っ!」驚いた様子で声を上げた。

暫く自分の胸に意識が向いていなかった私は自分の胸を触り、全身から血の気が引き、突然得も言われぬ恐怖感が襲ってきた。

しこりが大きくなっている。。。」

私がもらした一言を聞いた夫の青ざめた顔が今でも印象に残っている。

夫はすぐに「明日会社を休むから、一緒に病院に行こう」と言ってくれた。

とにかく早くということもあったが、2年前にいった病院は割けるため、隣町の女性クリニックへ診断に行った。すると「確かにしこりがありますね。技師が3日後に来るのでエコー取りましょうか」

との回答。

しかし、今すぐにどうなっているか知りたい。不安が募りの募った私達夫婦は待つことができなかった。

乳がん専門医でなくてはわからないのでは?」と夫の意見採用し、インターネットで調べ最も近くにあった乳腺外科のある病院へ行った。

大学病院では当日は難しいため個人病院だった。

まずは触診。先生の無表情さが不安掻き立てる。その後針生検へ。これは正直かなりの痛みがあり、辛かった。

終了後、先生は「結果は一週間ほどで出ます検査結果によっては大きい病院を紹介する形になります。」と。

もはや1週間を待てる心理状態ではなかった。一刻もはやく白黒を知りたい。先生にお願いをして大学病院への紹介をすぐにもらった。

幸いにも大学病院ではすぐに乳腺外科の診断ができた。

視触診
マンモグラフィー
乳腺エコー
CT
血液検査
マントーム生検

これらの検査を一気に検査を行うことができた。これで自分乳がんなのかそうではないのか、ハッキリと分かる安心感はあった。

「これらの検査結果は来週に」と先生。

この一週間は今まで感じたことのない長さだった。

死への恐怖心
来ることが当たり前に思っていた未来が来ないかもしれない喪失感
気を使わせてしまっている夫、子どもたちへの罪悪感
不安なく健康暮らしている人たちへ理不尽嫉妬心
色々な感情が目まぐるしく移り変わり心身ともに疲弊していた。

加えて、2年前、なぜしこりが気になった時点でもっと詳しく調べなかったのか、夫に相談しなかったのか、激しい後悔にも襲われた。

神さまはいないのか・・・

疲れ切った私たちにやってきた結果は優しいものではなかった。

「左胸に3cmの悪性腫瘍。99%の確率乳がん

診断結果を聞かされた瞬間、私は頭が真っ白になった。

先生が言っている言葉は聞こえるが頭に入ってこない。隣の夫も呆然としていた。同じ状態だったのだろう。

何も考えられない、何も声発せない状態が3分は続いただろうか。

我を取り戻した私は、

「どうすれば治りますか」と先生に聞いていた。

結論は手術。

私は家族と一日でも長く幸せにくらしたい。その思いが人生の最優先だと強く認識した。

女性として葛藤もなかったと言えば嘘になるが、全摘選択した。

その日から長い闘病生活が始まった。

入院の前に待っているもの

医師から告知を受けると今度は身内や親しい人に話をする必要が出てくる。

まずは娘と息子に12歳の娘、10歳の息子。

ともに私が大変な状況にあることは理解してくれたようで、神妙な顔つきをしていた。こんな状況だが「泣いたり喚いたりせず立派だな」と成長を感じ少し嬉しい気持ちもあった。

次に両親へ説明をした。福岡に住んでいるのでまずは電話で話をした。母が出た。

母とは昔から何でも話し合える仲だ。あまり回りくどく説明しても仕方がないと思い、率直に「乳がんになった。手術をする」と伝えた。

母は言葉を失い、暫く無言が続いたあと母自身を責めた。

「ごめんね・・・、ごめんね・・・、ごめんね・・・

と私に声をつまらせながら何度も何度も謝った。

親の前ではやはり自分子供に還るのだろうか、今まで必死に堪えていた恐怖心や悔しさ、絶望感があふれ、私も涙が止まらなくなった。

でも悲しみのスパイラルに入るわけにはいかない。

絶対に治すから

できるだけ不安を与えないように力を込めてシンプルに伝えた。

友人関係の難しさ、心無い一言、ひび割れ関係

仲の良い友人にも伝えておく必要があると私は考えた。

私のこの考えは安易だったのだろう、結果闘病前に友人関係で心のダメージを負うことになった。

仲が良いと思っていた主婦仲間、ママ友に告知をすると

「大変ね~、大丈夫??本当に心配だわ」

という反応。

「え?それだけ?」

特に親身になって欲しいとかそういうわけじゃない。何が欲しいのかもわからないけど、何か嫌だ。そんなダダっ子みたいな自分も嫌になった。

更に追い打ちを掛けたのは「親友」だった。

中学校からの友人、由美とは今でも週に一度は会う仲で、何でも話せる間柄。

私と由美はまるで姉妹のように、同じような進路を辿り、同じようなレベル男性結婚し、同じように幸せな家庭を育んでいった。

から進路の話、異性の話、結婚してからはお互いの家庭の話、旦那愚痴家族ぐるみでも付き合える最高の友人だった。

由美になら何でも話せる。親兄弟よりも私の気持ちをわかって親身に寄り添ってくれるそんな勝手な期待をしてしまったのだろう。

由美にも率直に

乳がんになった。これから長い治療に入る。手術は正直こわいけど頑張る」

と伝えた。

ただ、由美にだけは同じ女性、同世代ゆえに全摘によって片胸が失われることに関しての悲しさがあるという話をした。

するとA子は

「なにも腕や足がなくなるわけじゃないんだから胸くらい良いじゃない。」

と言い放った。

彼女は明るい性格だ。彼女なりに私を励まそうとしたのかもしれない。

死を意識する日々、あまりに多くのものを失っていく毎日、私があらゆるものに敏感になりすぎていたのかもしれない。

ただ、この一言はどうしても受け入れることができなかった。

私が置かれていた状況は私の平常心を奪っていたんだろう。滅多に感情的になることがなかった私が怒りを抑えきれず、由美に対して激しい言葉をぶつけてしまった。

これまで長年にわたり育んできた暖かな友情に大きなヒビが入ってしまった。乳がんはまた一つ私から大切なものを奪ってしまった。

遂に手術

家族不安、両親の涙、友人との離別、多くのネガティブ感情を抱えながら私は手術に挑む。

スケジュールが出た。

手術は診断結果が出た日から20日後に決定。全摘選択したために術前の化学療法はなし。

手術2日前から入院となった。前日から食事も取れない。当日は朝から各種検査を行い以異常がなければ全身麻酔をして手術開始。目を覚ませば手術が終わっている。

手術は予定よりも2時間遅れて終了。遅れた理由リンパ節への転移が見られたから。麻酔が切れて朦朧とした中で、病室で夫がずっと手を握ってくれていたことは記憶の中にうっすらと残っている。

乳がんが発覚し自分の信じていた世界が全て崩れてしまったと思っていた。

でも夫だけはどんな状態の私も暖かく包んでくれていた。こんな時だからこそ夫の愛情を強く感じることができた。手術が終わった安堵感と、愛を感じられたことによる充足感か、そのまま深い眠りに就いた。

翌朝の目覚めは心地よかった。起きたら包帯でぐるぐる巻きだ。まあ夢ではない。現実だ。左のおっぱいないよなー。と思って触ってみるとやはり・・・ない。

わかっていたけど、現実を突きつけられると涙がこぼれた。

術後に体内にたまるリンパ液や血液を出すためのドレーン管が二本入ってたが。ここから液がでなくなれば退院だ。

7日後、遂に退院が出来た。退院時の値段は50万円だった。私はがん保険には入っていなかったので正直この金額は厳しいものがあった。備えあれば憂い無し。

そんな言葉が頭をよぎったが、今は無事に退院ができたことの喜びの方が勝っていた。

抗がん剤治療・・・これから始まる本当の治療

左の胸がなくなってしまったことへの喪失感はあった。お風呂に入るときなど自分身体から目を背けたくなる時期もあった。

でも、疑似おっぱいの性能が以外と良く、服の上からでは見た目にわからない状態になった。そこからはだいぶ気分が楽になった。

気分は元に戻ってきたが、治療はまだ終わりではない、手術から30日経過した時点で今度は抗癌剤治療が始まった。

期間は3週間を1クールとして、8クール複数抗がん剤を組み合わせての実施

抗癌剤治療と言えば、ドラマでも度々その様子が描かれる。そのためわずかに恐怖心があった。でも生きるため。

ここでも家族存在が私の心を強く支えてくれた。

抗がん剤治療想像していたよりはキツくはなかった。最初の一週間は特に異変もなかったけど、8日目辺りから吐き気貧血が出始めた。割りと調子が良くなってきた17日後に遂に髪の毛は完全に抜けてしまった。「あー、やっぱこうなるのねー」と思った。

覚悟は出来ていたので、思っていたよりはショックは少なかった。

クール目は特に問題なく過ごすことができた。まあ抗がん剤の点滴の際は気が重いくらいかな。

クール目に入る前にはかなり抜け落ちてきた髪が目立つので、ウィッグを買いに行った。季節をまたいでの治療なので冬用と夏用を両方買った。

それにしてもケアグッズも高い。

まり大きな声で言う人はいないと思うが、乳がん治療以外にかかる金銭負担も大きい。

クール目に差し掛かる頃には髪の毛は全て抜け落ちた。髪だけでなくまつげ、眉毛、体毛全てが抜け落ちた。顔色も悪く自分を鏡で見るのがちょっときつくなった。

いつも看病してくれる。夫も私の姿をみてどう思っているのかな。。。と少し気になる時期だった。

こうして、長かった化学療法も遂に8週で無事に終わりを迎えることができた。もう吐き気に悩まされることもないと思うとかなり気が楽になった。

楽しい時期は2ヶ月なんてあっという間だが、治療となると1年間のような長さに感じる。

抜け落ちた髪も徐々に生えてきて、昔に戻れるのかな-と淡い期待を抱かせてくれた。

化学療法を無事に終えた私は最後治療放射線治療に入ることになる。

永遠に続くと思われた治療・・・遂に・・・

放射線治療は、全部で30回。毎日通院が必要で、一ヶ月半ほど平日は病院通いが必要になった。経済的負担も引き続き大きかったが、仕事の調整をして一緒に通院してくれた夫に負担をかけているという罪悪感も多くあった。

放射線治療にも副作用がある。軽い火傷のような症状だ。熱い、かゆい、痛い。放射線を当てている患部は赤黒くなってしまい、見るからに痛々しい感じだ。

ただ化学療法と違い体外的な副作用しかなかったので、辛さで言えば全然問題なかった。

手術をしてから半年が過ぎて、ようやく私の乳がん治療は全て終了した。

毎日毎日通った病院乳がん発見してもらった病院にそのままお世話になって本当に良かったと思う。

検査ときは無表情で怖かった先生も病に真剣に向き合って時には優しく、時にはハッキリと私が不安にならないように、また過剰な期待を抱かないように上手に説明をしてくれた。

この先生に出会えたことは私の幸運だったと思う。

お陰で私は現実と向き合い、治療目的を正確に理解しながら集中して治療を受けることができた。先生本当にありがとう

「これでがんは完治」

そう言えればどれだけ幸せだろうか。

がんとの戦いはここからが始まりといってもいいかもしれない。

一般的ながんは5年再発しなければ完治と呼ばれるが、乳がんは10年後20年後も再発の恐れがあるために、ほぼ一生に渡って再発の恐怖との戦いになる。

「一生がんに怯えて生きていく」

こんな人生を送ることはまっぴらごめんだ。

「がんをうまく扱って生きていく。」

家族献身的な支え。そして我慢我慢を重ねた闘病生活

そのなかで私の心は強くなっていた。がんを再発させないように生活改善していけばいいじゃないか。そうポジティブに捉えることができるようになっていた。

最初からこの心があればなぁと今では思うけど、

乳がんによって手に入れられたこともあるのかなと思うと、最悪なことばかりではないかと思った。

がんで失ったものを取り戻す旅

手術が終わって一年が経った。本当に激動の一年だった。

今の私の生活はどうなっているか

幸いといっていいかな。見た目以外は正直、乳がんが発覚する前とあまり変わらない状態だ。

リンパ節を取った左手は、日常生活にはなにも支障はない。

抗がん剤副作用だった爪の異常や関節の痛みも治まった。

ただ髪の毛はやはりなかなか生えてこずまだ5cmほどしかない。出かける時、来客のとき帽子を被るようにしている。

左胸がないことにはさすがにもう慣れてしまった。残念に思うのは大好きだった温泉に行きたくなくなっちゃったことかな。

胸のコンプレックスが薄くなった今なら親友言葉も笑った受け流すことができたのになーと思うと少し心が痛む。

変わった事と言えば、食生活生活習慣が改善したこと。

以前は特にお肉が大好きでカロリーは紀にしながらも好きなものを食べていたけれど、今は野菜を中心とした食事抗酸化作用の高い食品をメインにしている。

そのおかげもあってか、再発は今のところなく、検査結果も良好。適度な通院も生活リズムを整える意味で意外と気に入っている。

家族との結束は乳がんによって以前より固まった気がする。長女は14歳になったが私の身体を察してか、家事積極的に手伝ってくれるし、反抗期の気配もない。12歳になった長男もだいぶ私を労って自分のことを自分でやるようになった。時々一緒にお風呂に入るが胸のことには触れてこない。なかなか優しいやつだ。モテる男になるかも。

夫は病気の前から優しい人ではあったが以前に比べて、私を心の底からいたわってくれている。先週末、酔って帰ってきた時に話していたが、乳がん告知の際、私を失うかもしれないと思った時に本当の愛が溢れてきたそうだ。

先日からかったら、覚えていないと本人は言うが、どうだかは知らない。

親友との関係は残念ながらまだ修復には至っていない。先日スーパーで顔を合わせたが会釈程度で終わってしまった。今の精神状態なら素直に私から謝ることができる。彼女との関係修復は今の私の一番の課題だ。

こんな感じで意外と悪くない日常を過ごすことができている。

「私から全てを奪った乳がん

手術前後治療中は頭の中にはこの考えしかなかった。

でも、今こうして、振り返ると悪くないことも多いなと思うに至った。

あなたには絶対に「この後悔」はしてほしくない

どうしても後悔はある。それが今回私が体験談を語ろうと思った理由。いまでも本当に後悔していることは一つ。

乳がん発覚の2年前、最初に気になった時点で乳がん早期発見の機会を逃したこと。

もしここで、私の治療をしてくれた大学病院までたどり着くことができていたら・・・

早期発見というくくりの治療となり切除も再発のリスク存在しない状態治療が終わっていたと思う。

親友との離別も家族への過度な負担。これらも起こることはなかっただろう。

私の弱さゆえの判断ミス。これに尽きる。

10月1日ピンク色に染まった東京タワーを見た時にもっと深く乳がん自分ごととして考えられていればな-なんてことまで思ってしまう。

乳がん女性の12人に1人がなる病気と言われている。確率は高い。あなたもなる可能性が十分にある。正直発生自体を防ぐことは生活習慣などにもよるし、生活習慣を気をつけていても病気はいつ襲ってくるかわからない。

2017-05-29

法的には問題ない

A太「取引先の会社に出向いたらこんな時間になった。明日休みだし帰りに飲んで帰るかな」

A太「お、こんなところに居酒屋があった。個人経営かー。入ってみよう」

A太「めっちゃ美味かった。ツイッター宣伝しよう」

数ヵ月後

A太「また取引先に行って遅くなった。丁度いいから前行ったお店にまた行ってみよう」

A太「えっ 閉店してる……?」

B介「あれ、あんたそこの店の客かい? そこはこないだ潰れたよ」

A太「何があったんですか?」

B介「なんでも客の誰かがネットで店の紹介したらしくてね、そこから客が増えたんだが」

A太「(オレのことかな?)いいことじゃないですか」

B介「とんでもない! あそこは女将さんが一人で切り盛りしてたのに、客が増えすぎて仕事がおっつかなくなったんだよ」

A太「えっ」

B介「しかもガラの悪い連中までやってくるようになってね。一人娘のためにどうにか頑張ってたけどある日とうとう客が揉め事起こして、止めに入ったら巻き添えで殴られて病院行きさ」

A太「」

B介「心労もあったんだろう、そのまま入院することになってね。一人でやってんたんだから店なんか続けられるわけがない。娘さんは田舎の爺ちゃん婆ちゃんに引き取られたらしいよ。女将さんも退院したらそのまま里にひっこむだろうな」

本人に悪気はなく、法的にも問題がなく、公になっている情報拡散しただけのことだけどそのせいで不幸になる可能性はある、という話。

もちろん実際にはここまで極端なことはそう起こらないだろうし、あくまで極論オブ極論だけどこれを女将さんの自業自得とは言わない。

そしてこのたとえ話とはもちろん一致しない部分は多々あるけれど、情報拡散をすることになるならその対象への配慮はあった方が皆幸せになれるよね。

2017-05-22

http://anond.hatelabo.jp/20170522075152

病院で働いてます

入院中の患者さんがよく読んでます

スマホ派が多いですが、未だに根強い人気を誇っています

退院の時に置いていくので待合所にはこの系の本がいっぱい並んでいます

私も夜勤暇つぶしに読みますが、あまりもつまらないので

仕事への影響がでなくて済みます

2017-05-10

http://anond.hatelabo.jp/20170510152617

 措置入院を減らすべき、というのはもう何十年も言われていて、治療者側からは、治療のための要求として、地域治療への移行を求めてきたのに対し、おっしゃるとおり、行政側は医療費削減の文脈で、医療保護入院等への移行を進めてきたので、措置入院が約10分の1になっても、その分以上に医療保護入院が増えているので結局措置入院を減らす、という数値目標のために治療性格無視した措置入院、そこから拙速退院となっているのでしょうと思います

 イタリアだけでなく、基本的精神保健支出入院医療から地域治療へと変更していく方向はオーストラリアカナダでも勧められているようです。オーストラリアのMental Health Strategyによって、地域治療への支出入院治療への支出がほぼ均衡するようになって、利用者満足度が大きく向上したというような報告がでているようですね。(National mental Health report 2013)

 アメリカは州によって大きく異なるようですが、少なくともカリフォルニアフィラデルフィアニューヨークなどの主要な州では、措置入院のような入院(involuntary treatment)を2週間とか1ヶ月とか継続するには、医師裁判所に出向いて、人権抑制必要性説明せねばならないというような制度が整備されているようです。しかしそれでも、必ずしも患者家族QOLが低下しているということもないようですし、実際に人口あたりの精神病床数はドイツイギリスよりも相当低くなっているようです。。

 措置入院件数の違いは精神保健指定医の偏在ももちろんそうでしょうし、彼らのポリシーによっても大きくかわるだろうということはそのとおりだと思いますが、他の先進国と同様に、精神治療に関わるケアワーカー等への投資を進めていくべきなんだろうと思います。もちろんリソースの拡大も必要でしょうし、病院(1兆円)から地域ケア(500億円)へと移行していくべきだと思いますオーストラリアでは、配分を変えたことで、ケアワーカーの数は2倍以上になったようですし、イギリスでも医師よりも患者家族ケアワーカーがより多く増加しているようです。海外先進国にできて、日本にできないということはないように思うんですが。

卵巣のう腫の手術から1年経ったから、経過と感想をダラダラ書く。

卵巣のう腫は、卵巣の中になんか出来ちゃうやつ。

中身はまちまち、人によってはお腹がぽっこりするくらい大きくなったりする。

気付かないことも多いけれど、大きくなった卵巣がコロンとひっくり返って卵管が捻れたり、破裂したりすると一大事

詳しくは専門家HP読んでね。

https://jsgo.or.jp/public/ransou.html

私の場合はこうだった、というのを書く。

婦人科系の症状は個人差大きいので、あまり参考にならないと思う。気になることがあったら病院へどうぞ。

※後半に摘出した部位を食べ物に例える描写があるから、苦手な人は気を付けて


1.発覚

社会人なりたての頃に「自治体から子宮頸がん検査無料チケットが届いたから」とか「生理痛しんどい」とかそんな理由で近所の婦人科にかかった時に、ついでに発覚。

「片方の卵巣デカいですねー。卵巣のう腫でしょう。現状問題ないので年1回くらい様子見ましょう。」とのこと。

この時、痛いとかお腹出てるとかそういう症状はなかった。全然気が付いてなかった。生理痛はそこそこ重かったけど、のちにチョコ菓子を控えるようになったら軽減されたので卵巣のう腫とはあまり関係ないと思っている。


2.手術を決めたタイミング

時は流れて30代手前、「年1で」と言われていた検査のこともすっかり忘れた頃に結婚が決まり、別の病院ブライダルチェックを受けた。

特に問題はなかったけれど、そこでも言われる「片方卵巣デカいですねー」。

近所の病院に通ってた時よりも少し大きくなっていた。この時で6cmちょっと。通常は2〜3cmで、大体クルミと同じくらい。

このままにしておいても問題はないけれど、妊娠出産を考えるなら早めに取っちゃった方がいいですよ、とのこと。

やっぱり捻れたりするのが怖いし、妊娠にのう腫を取ることも出来るけど、今の内の方がリスク少ないし楽なんだって

それまで手術も入院もしたことがなくて好奇心はあったし、その場で手術が出来る病院を紹介してもらった。


3.手術の内容

私の場合腹腔鏡下手術と呼ばれるものだった。

へそとその周辺数ヶ所に開けた穴からガスとカメラ器具入れて患部を切ってもらうタイプ。術中は全身麻酔入院トータル1週間。お腹を切って開ける開腹手術よりも、術後が楽で回復が早いらしい。

「のう腫部分のみ切除します。術後の生殖能力には影響はないですよ」の言葉安心したのをよく覚えている。

ちなみにこの時点ではのう腫が良性か悪性か分からない。

担当医曰く「検査した結果を見ると良性っぽいけど、のう腫を摘出して中身見ないと分からない」らしい。

なんとなく、生理予定日を避けて手術の日程を決めた。


4.手術前に検査説明を受ける

入院の少し前、採血・採尿・心電図・肺気量・MRI……色々やった。

クリアファイルを片手にスタンプラリー気分で大きな病院内をウロウロ。

その後、手術を担当してくれる先生から説明を受けた。

みなさん手術や業務の合間を縫って時間を作ってくださったようで、とても忙しそう。

麻酔担当・手術の際立ち会ってくれる看護師さん・病棟でお世話してくれる看護師さん……他にもいらしたかもしれない。

「こんな手術します、こんなケアします、これ準備してください、もしもの場合も一応覚悟しておいて下さい、質問ありますか、では書類サインを」大体こんな感じ。とにかく書類が多い。

麻酔先生イケメン、眼福。


5.手術当日

前日夜から食事抜き。

当日朝に浣腸をした。初体験

浣腸の後、出来るだけトイレ我慢して下さいね。5分頑張って!」と言われたものの、1分で脱落。今入れたものがそのまま出てきた。無力。

病室で手術着に着替えてから、歩いて手術室に向かう。

手術室は予想に反して朗らかな雰囲気で驚いた。

ベッドに横になり、手術担当看護師さんとおしゃべりしている内に麻酔が始まり、気付いたら病室に戻っていた。2時間は経っていたらしい。

夫と親の顔を確認して、その後は丸一日眠った。

時折、看護師さんが私の股座をゴソゴソと開けてチェックし、時に拭い、そっと戻して去っていった。事前の浣腸もっと頑張ればよかった。

からは点滴、腰付近からは痛み止め用の管、尿道からは私が麻酔で眠った後に入れたらしい管がそれぞれ出ていた。

から出た管は小振りな筒に繋がっていて、痛みで辛い時に自分でその筒のボタンを押すと痛み止めを注入出来る。幸い使う機会は無かった。

点滴のおかげで喉の渇きや空腹感はないけれど、口が渇くので看護師さんが様子を見にきてくれる度にうがいをさせてもらった。


6.術後1〜2日目

手術から丸一日経つと、自分で歩いてトイレに行くくらいは出来るようになった。

多少下腹に痛みがあったけれど、それ以上に丸一日寝ていたせいで体力が落ちたのがしんどい

まり寝っぱなしでいると臓器が癒着するからどんどん動けと言われたので、トイレの他にも病室近くの談話スペースで漫画借りて読んだりテレビ観たり、ベッドから出てる時間を増やした。

食事も徐々にあからさまな病人から普通食事に変化していった。

シャワーは術後2日目頃から自分で浴びられるようになった。


7.退院

手術したのが月曜日退院予定は金曜日だったが、木曜の朝に「元気そうだから後で診察して問題なければ今日退院していいよ」と言われた。

執刀医2人と面談、診察してOKが出たので会計を済ませて退院した。こうもアッサリ終わるものなのかと大層驚いた。

退院後1〜2日はゴロゴロしていたが、3日目から散歩に出て、4日目には仕事に復帰した。元々暇な座り仕事なのですぐ復帰出来たけれど、そうでなければもう少し自宅で安静にしていたかもしれない。

執刀医と面談した際に確認したところ、のう腫は良性だった。

摘出したのう腫の写真には、髪の毛がピンピン飛び出した鶏皮の塊のようなものが写っていた。

中身は歯・骨・髪・脳・脂肪等。

流石は人間の素が入ってる臓器、中身のバリエーションに富んでる。実物は見せてもらえなかった。残念。


8.手術痕

私の場合は腹の4ヶ所に穴を開けたらしい。

へそ・へその下・そこから拳1つ分を空けて左右2ヶ所。

さな穴ではあるけれど、放っておけば勝手になくなるタイプの糸で縫合されていた。

術後数週間で穴の一つから糸が出てきて抜けた時は驚いたが、あとで正直に担当医に報告したら「別にいいですよー、また出てきたら抜いちゃって下さい」と言われてホッとした。糸が残っている間は少ししこりのようなものがあるが、気付いたらなくなっていた。

傷口の赤み・痒みは時間と共に薄れて、今では乳首色で小指の爪サイズの痣が3ヶ所あるだけになった。

いちばん大きな穴はへそに開けたそうだが、見た目は全く分からない。


9.費用

手術前が決まった頃、会社に指示を仰いで「健康保険限度額適用認定申請書」なるものを用意した。

医療費めっちゃかるというのが事前に分かっていれば、最初から自己負担限度額で請求してくれるらしい。

これを出さな場合は、かかった費用を一旦自分で全額支払い、後日全額から自己負担限度額を差っ引いた額を戻してもらう為の申請必要になる。

どっちにしろ、支払う額は変わらない。

詳しくはこのあたりを参考にどうぞ。

https://www.kyoukaikenpo.or.jp/g5/cat550/1137-91156

私の場合、通院から手術まで全部合わせてトータル10万行くか行かないかくらいだったかなぁ……


10.生命保険

もちろんおりた。

それなりに女性特約をつけた生命保険だったので、今回の治療費をペイ出来るどころかあと2回同じ手術受けられるくらいおりた。月々安くない金額払っているだけある。

今回の費用を余裕で払える程度の貯金はあったのでお金については心配していなかったけれど、入院手術で心身しんどかった後にちょっとしたお金が貰えたことで少し気持ちが上向いたのはありがたい。

書くまでもないと思うけれど、貰える金額は各々の契約内容次第なので、私のもらった額は全く参考になりません。


11.その他

意外なことに、術後割とすぐ子作り可と言われた。人によるかもしれないので、同じ手術を受ける人は担当医にちゃんと確認してほしい。

生理周期もズレたりするかと思いきや、変化なし。

変わったことと言えば、他に要因があるのかもしれないけれど、おりもの臭いが軽減され、へその臭いがキツくなった。なんで?


以上です。

最初に書いたけど、あくま医療無知個人の感想なので「そんなパターンもあるのねー」くらいに留めておいてほしい。

http://anond.hatelabo.jp/20170510152617

措置入院に至るような精神障害者病識のない人が多いです。

故に、本人意思や本人の代理人による権利擁護担保された状態での選択性にしたら制度実効性がなくなるし、実効性のない制度意味をなさないでしょう。

日本精神病院他国とくらべて圧倒的に平均入院日数が高いということも問題だと思っています

これはもうすでに対策が進んでいて、退院したくても地域に受け皿がなく退院できないような長期入院高齢患者なんかを除けば、新しく入院した患者はだいたい3ヶ月未満で退院させられます。まだ治ってなくても。

イタリア基本的入院治療は行わない、という制度意向によって、地域社会でのインクルージョンが大幅に進んだ

でた!イタリア

この手の人って本当にイタリア大好きだよね。私はイタリア実態について詳しくないので踏み込んだ意見は言えないのですが、イタリアについては「いい話しか聞こえてこない」のと、その素晴らしいイタリア追従する国が出てこないことに懸念を抱いていますアメリカとかならやりそうだけどね。主に医療費削減のために。

措置入院可能な限り減らしていくことが望ましいのではないかと思っております

そうですね、措置入院公費負担ですし、国としてはできる限り措置入院制度よりも医療保護入院制度活用してほしいところでしょうね。

ちなみに年間措置入院件数都道府県格差精神保健指定医の偏在とも大いに関係してると思いますが、いかがでしょうか。

参考人質疑の中でも、障害者権利を専門とする弁護士が、強制的医療によって、患者治療拒否状態になり、治療効果がでない、というようなこともおっしゃっておりました。また通院を義務化したことによって、自殺者も顕著に増えたとおっしゃっておりました。

強制的移送治療トラウマになり、その後のスムーズ治療につながらなくなるケースは多々あるようですので、強制的治療介入が必要になる前に早期に手を打てればいいんですけど、それが出来たら苦労しませんよね。ちなみに通院義務化で自殺者が顕著に増えたというのは何かソースがあるのでしょうか?

リソースを増やそうよというのは大正論だと思うんですけど、今後の情勢的にはどう考えても厳しいですよね。精神科入院治療で最も手厚い人員が確保されてるのが精神科救急病棟スーパー救急病棟)ですけど、あれ入院10割で月額100万円近くかかるんですよ。

措置入院するようなタイプ精神障害者を、隔離ではなく地域生活させるために増税しますっていって国民の支持が得られるとはちょっと思えませんけど、まあ希望を持つの自由ですからね。

http://anond.hatelabo.jp/20170510140257

元増田ですが。

 大変なご苦労をされているのはよくわかりましたが、あなたがそうしてほしいということと、情報の共有等を選択性にすること、本人意思確認が困難な場合弁護人が陪席すること等を整備することが、同時に成り立てないとは思いませんが。。

 警察が介入することによって、日々警察による監視等の妄想をもたれている人が悪影響を受ける、という精神科医療者の意見陳述がありましたし、警察が介入することが、症状の改善社会復帰就労支援の促進に資するというのならば、当然それは疫学的に、社会学的に検証されるべき性質のものなので、エビデンスを出せ、といわれるのは当然ではないですか。あなた措置入院経験者とはしていませんよ。あなた犯罪抑止に期待しているのでないのならば、まったく見当違いの意見でしたが、あなたもそうであろう、健常者がそうであるのとまったく同様に、措置入院経験者がすべて他害の恐れがあるわけではないので、プライバシーはまったく同等に尊重されるべきだという話ですよ。ですので、もし犯罪抑止がご希望なのでしたら、健常者であろう、あなた自身プライバシー差し出す運動をなされればいかがですか、と申し述べた次第です。

 追記

 読み直すと、他害のおそれがあれば、プライバシー尊重がなされなくてよいと読めそうに書いているので、補記させていただきますが、私は他害のおそれを理由にした、隔離、拘束自体をなくす方向での法改正を進めるべきだと思っておりますよ。投入されるリソース問題でもあるので、この分野、特に精神病院に集中的に投入されている(およそ1兆円とのことですが)だけの状態から、その20分の1もかけられていない退院支援(約500億円とのことです)を充実させる方向に法整備をしていくのが、あなたのご家族などの当事者にとっても望ましいのではないかな、と思っていますよ。当事者団体もそのような方向を望んでいる旨の声明をだしていますしね。

嫁がカクヨムデビューしたいらしいので全力で止めて欲しい

メルカリタンスにあった服をあらかた売ってしまったので今度は小説家になりたいらしい。

ただ、俺にはこれが良いものかどうかわからないが、嫁はけっこう大病をして入退院したこ

ともあったので小説家とか、不規則仕事を専業にしなくても、俺がもっとしっかりすりゃ

いいんじゃ無いかと思う。

つきましては増田の目の肥えた皆様に、とくに「この話は○○に似てる」とか、

これで食っていけるなんて修行不足とか言ってもらいたい。

文中出てくる「アルマジロ本」は、どうもITの小説資料として古本屋で買ったらしい。

ISBN:4873111382

すがすがしい一週間がはじまろうとしている、月曜の朝7時。

 

むぎゅっ、むぎゅっと、本の表紙に描かれたアルマジロは、紫の髪の毛を生やしたおばさんのタイトなお尻に、いままさにつぶされようとしていた。

「うおおおうこの本高いんだって! あああぁ」

本の持ち主は、糸井ヨシヒコ。もうすぐ40才、小学生の一男一女がいるパパさんであるしかし平日昼間は、しがないサラリーマンしかも、先月急に異動を命ぜられ、今は会社の一番隅っこの席で本ばかり読まされている。

前はお客様会社に車で直行直帰だったから、こんな満員電車でのバトルはもう何年ぶりのことだった。会社でも肩身が狭いっちゅうのに、ここでも隣のお姉さんに手が触れようものならチカン扱いだ。しかも。

ちょっとアンタ! 何アタシのカラダ狙ってんのぉ!?

と、ぜんっぜんアウトオブ眼中のおばさんにまでニラミをきかされる。思わず手先がふるえるけど、この本はまじで6000円くらいしたもんだから、手放すわけにはいかない。

「いや違うんです! ボクはこの本が……あ、いや、すみませぇん……いやこの本……」 

 

とりあえず糸井のチカン疑惑は晴れ、なんとか始業までに会社--システムビッグ略称SB社)にたどりついたものの。さてこれからが大変だ。糸井は眼鏡にくっついていたまつ毛を2本爪で飛ばして、デスクにあの『アルマジロ本』をバタンと立てる。

SB社とは(決してポテトスナック販売元ではない)、名前はなんだか壮大そうだが、単に社長カタカナ好きだっただけである。もともとは”永島帳票印刷”--といういかにもな社名で、小さな工場商店で使う専用帳票を作ってきた。最近は、大のパソコン好きの社長の息子(いま専務)がはじめた事業パソコンの使い方を教えたりとか、客が出す電子メールがちゃんと届くように『サーバ』を管理することとかの方が売り上げが多い。糸井もこの前、『帳票課』からシステム管理課』へ異動したばかりなのだ。--人手が足りないらしくて。

 

おはようございますぅ(はぁと)」

さっきのおばさんもともかく、庶務の新田ヒカリも、糸井の”どうにかしてほしい人リスト”の筆頭である。たしか年は27か28だったと思うのだが、制服に某ネズミとか某犬のバッジつけまくったり、真っ赤なマニキュアに砂粒乗せたり、それでもってその言葉遣いもそろそろやめてぇな、と思っている。そのうえ、目当ての男にしか丁寧な言葉が向けられない。

「さ・さ・き・さぁ~ん、どうぞ~ん(らぶらぶ)」

ほどよい熱さのコーヒーを、こん切ゆっくり丁重に、その男デスクに置く。すでに朝の作業を始めている佐々木カナメは--「ああどうも」と短く切って、パソコンモニタに流れる文字をじっと見ている。

佐々木は実にクールガイだ(死語?)。必要最低限のコトしかさない。タタタンタタタと、やせた指でコマンドを打ち続けている姿は、まるでピアニストだ。糸井とは同期だった。(佐々木高校を出てすぐSB社に来たので、年は4~5才離れているが。)同じ『帳票課』から異動してきたメンバーの一人ではあったが、入社から機械いじりが好きだったらしく、専務ともよく話が合うらしい。異動してきてからは、ずっとSB社自体メールサーバ管理する仕事をやっている。

それに比べて自分はどうだ? 糸井は”ふせん”のいっぱいはさまった、『アルマジロ本』を見つめた。新田がその様を気持ち悪そうにいちべつして、プイと給湯室に去ってゆく。糸井にお茶挨拶もくれない--いるもんか、あっかんべー。と舌を出したら、ちょうど目の前に課長がいた。

 

「ほほう。糸井、いい度胸だな。朝一番から

「あがっ」

 

「そんなにオレのワキガが気になるか」

「誰もそんなことツッコんでません……」

糸井や佐々木新田所属するシステム管理課の課長、進藤ユウジロウは、頭を9:1に必死で分けていることよりも、ワキガを持病と認定していた。夏場は近寄りたくないが、めちゃくちゃ気にしなくても、と糸井はため息を吐く

「ほら、ほら、臭いんだろ?」

「違いますって!」

ベタン。『アルマジロ本』が、倒れた。

 

システム管理課に異動が決まった時は、係長昇進か?! と焦って特上うな重と松の寿司セットを家族全員でおいしくいただいてしまったが、フタを開けてみれば、”もうすぐ”どこかの会社からサーバ管理する仕事が入るから、それまで勉強しててくれ、わかんないとこは佐々木に聞いてね状態で、まったく後味の悪い出前だったなと糸井は振り返る。

しかしほんまにこのまま、100円寿司にも行けなくなって、子ども誕生日駄菓子すらも買えなくなったらばどうする? めくったページはずしりと重く左手首にのしかかる。この腕時計は--あかん、これは親父の形見から絶対質屋には入れないぞ。

 

たばこを吸いに喫煙室へ、あるいは数回トイレに立ちながらも。ほぼ1日じゅう、糸井は『アルマジロ本』をずっと読み続ける。たぶんこの本とはお友達になれるかもしれないくらい。(表紙のアルマジロはけなげなまなざしをたむけるだけで、糸井のことをどう思っているかなんてわからないが。)そして、わきのパソコンを使って、本に書いている文字--コマンド、を指一本で打ってみたりする。しかし本の通りに文字が出てこないことがたいていだ。その度たびに、糸井は佐々木にそっと手で合図を送り、「これ打ってみたけどアレがコレと同じようにならないんだ」と困ってみる。たいてい佐々木は「デストリビューションが違うんで」とまだ理解できない返答を一言だけつぶやく。デストリだかデスティニーだかよくわからんので、糸井は適当にふむふむと無茶にうなづいて、また椅子を鳴らす。以下、繰り返し。

 

 

15時過ぎには新田が何かしらの手作りおやつ佐々木にふるまい、16時台は眠気と戦い、そして17時になるとまず新田が「おつかれさまでしたぁ~、さ・さ・きさぁ~ん、また明日もよろしくおねがいしますぅ(ウインク)」と去ってゆく。糸井も残業申請できるような仕事をやっていないのでいちおう定時で帰ることはできるが、良心がとがめてもうちょっとだけ『アルマジロ本』にマーカーで線を引く。佐々木ネットワークトラブルが無いことを確認したら18時くらいには席を立つ。

今日は、課長の進藤は客先での打ち合わせが遅くまであるので、ここには帰って来ない。--糸井は頃合いを見計らって、カバンの口を開けた。

 

 

夕方のけん騒がやけに背中にしみる。駅は徐々に帰宅ラッシュ客を迎え入れていた。駅前本屋に寄りたかったが、またアレなおばさまとかにめぐり会うかもという不安トキメキの方が大きくて、急いで定期入れを胸ポケットから取り出す。

ちょうど、東側の窓際の横椅子に座ることができた。向かいから、まんまるな夕日がきれいにきれいに、通り過ぎる電線の上をはねたり転がったりしていた。あああ、きれいな夕日だなぁ、と、鼻の脂がちょっと残ったレンズからあかね色のそれを吸収した。

 

から家までの間に、1本でも、とたばこを取り出したら、あららとはじき落としてしまった。しかもそれは、どこからかたまった水たまりの中にダイブした。--くしゃり、とつづきのたばこはもう箱になく、握りつぶしてから気づいてまたため息をひとつのばした。

 

慣れちゃいけないとは思いつつも、充実感の全く無い日々が、彼の血管をひとめぐり半はしていた。

しか家事の傍らいつ書いたんだろうか。。。

追記 いちおう掲載許可はもらった。

追記の追記 でも、カクヨムまったりマイペースで書いて、楽しんでくれるなら、彼女身体にもよいのかもしれないな。カクヨムって絶対みんなプロになるために登録してるものなの?

2017-05-09

[]精神保健福祉法改正案は廃案にすべきpart2

http://anond.hatelabo.jp/20170509180609

つづき

石橋議員無双状態

 これ気持ちええやろなっていうぐらいズバズバ切られていく大臣副大臣障害保健福祉部長

石橋

「(略)改めてお伺いするが、大臣はこれまでの答弁で”本人や家族が入るのは当然のことである”、とこう言っている。それまでは一切言ってなかったのに、なぜか途中からこう言い出した。堀江部長、これ本人の参加、47条の2(退院支援計画作成を、関係者が、措置入院中に行わなければならないとする文)、これ条文上本人の参加がどこに担保されていますか。教えてください。」

堀江

改正案47条2の退院支援計画作成は、本人の社会復帰支援するためのものですから個別ケース会議は、本人が参加すべきものと考えてございます。これは精神保健福祉法第1条において、”この法律は、略 を目的とする。”とされていることにも明らかでございます。これに基づきまして、退院後の支援ガイドラインに明示いたしまして、支援趣旨理解の徹底を図ってまいりたいと考えてございます。」

石橋

堀江部長法律のどこに根拠がありますか」

堀江

「この第1条に()目的とされていることからも明らかだと考えております。」

石橋

「わけがわかりません。47条の2、退院後の支援計画策定に、本人の参加がどこに担保されていますか」

堀江

「47条の2は、支援計画につきましては、措置入院者が退院支援計画によって、社会復帰の促進、自立の促進の支援をを円滑に受けることを目的として行われることと、第47条2、1項に書かれていることからも明らかであります。」(野党失笑

石橋

「まったく答弁になってませんよ、堀江部長、みなさん笑っちゃってるじゃないですか。じゃあ1項のどこにかいてあるんですか」

堀江

「47条2、1項は(上述の内容を再度読み上げる)医療機関等に作成するものこと、また第1条に示されているとおり、明確に示されていると思います。」

石橋

「(苦笑)答弁になってませんよ、書いてないなら書いてないでちゃんとここで発言を残してください(この発言が出せる議員は好きよ、国会意味がわかってると思える)。条文上、本人の参加を担保するものはない、と政府の答弁として。本人の参加の権利は、条文上担保されていない、これでいいじゃないですか。大臣そうやって答弁してください。」

塩崎

「ご指摘のですね。この47条の2のどこに、本人の参加が書いてあるのか、でございますが、条文上明示的に書いているわけではございません。しかし、部長から答弁したとおり、そもそもこの法律自体が、社会復帰、または自立のための援助をすることを目的としているわけですから社会経済活動への復帰を促す、というこの第1条に明確に書いてございます。そこから考えれば、支援計画はもちろん本人の、社会生活のためであって、本人とご家族の納得の行く話し合いが行われるのは当然であって、これは私は立法事実となっているだろうとこう考えております意味フ)」

石橋

大臣まったく説明になってませんよ、でも認められましたね。法律上担保されていない、書かれていないということを答弁されました。法文上かかれていないということは、法律上権利として保障されていないということなんです、大臣。もしこの法律全体で保障されているのであれば、本人不在で、支援計画策定された場合、本人は権利侵害訴訟を起こせますか、答えてください」

橋本

「47条2、で規定されているものは、自治体に対して、退院した人に支援計画作成しなさい、という義務を課すものであります患者のほうが訴訟ができるのかというお話でございますが、患者さんのほうに何らかの義務を課すものはございません。患者さんに作成された支援計画を行う義務はない、わけでありまして、計画の実行を行わない、とすることもできるわけでございます。ですから訴訟ができるかということですが、何かしらの義務をかける、ということで、異論があればそれに対して訴訟等に訴えるということになるんだと思いますが、今回の場合患者さんには義務がないので、そんなことはないと考えております。」

石橋

副大臣、完全に履き違えておられますよ。義務の話じゃないんです、患者さんの権利の話なんです。退院支援計画策定について、どこに本人参加の権利保障されているのか、されていない、と先ほどの答弁で認められた。つまり権利保障がないわけです。本人の支援のためだといわれているけれども、本人が参加しなくても勝手に誰かが作成してしまう。これ権利侵害じゃないですか。でも権利侵害として、法律に基づいて訴えることができないのであれば、権利保障されていないということになるでしょう。だから欠陥法案だと申し上げているわけです。

 今言われた点、矛盾があると思うので、重ねて聞きますが、これ47条の2、第1項は、自治体作成義務を負わせています。そして第5項は自治体に、実行の義務を負わせています堀江部長、この理解で良いですね」

堀江

「今回の法案におきまして改正後の47条の2につきまして、その一項において、措置入院患者社会復帰就労支援等を強化するために、都道府県等に対して、退院支援計画策定等を義務付けております。具体的には、措置入院者の入院中に、精神障害者地域支援地域協議会における協議を行ったうえで、退院支援計画作成する。作成した支援計画当事者交付するとともに、個別ケース協議会で、構成するもの(これに警察が入りうる)に対し情報の通知を行い、作成した支援計画に基づいて、患者ならびに本人に対して、相談指導を行うこと、措置入院者が、転居した際にその情報相手自治体に通知することを義務付けているという内容でございます。」

石橋

「聞いていることに的確にこたえてください。繰り返しますが、第一項は作成義務を、第5項は実行の義務を負わせている、これでよろしいですね」

堀江

「そのとおりでございます

石橋

「そこには本人の参加、法律上担保がない、これは答弁されたとおり。つまり本人が参加しようがされまいが、都道府県には義務が課されるわけです、これによって。そうですね。本人が参加してなかろうが、やらなかったらむしろ自治体不作為になるわけです。そういう理解ですね、堀江部長

堀江

「そのとおりでございます

石橋

「これすごい話ですよ。さきほどから大臣、本人の参加は当然だとおっしゃっているが、法律上都道府県には本人の参加不参加は関係ないんです。法律上義務付けられちゃうんです、これによって。本人が嫌だといっても、都道府県はじゃしません、というわけにはいかないでしょ。」

法制局にもこのことを確認して、そのとおりと思うとの答弁を得る。

石橋

「大変重要な答弁を頂きました。法制局も認められました。都道府県には本人の参加不参加関係ないんです。どこに本人の権利が確保されてるんですか。法律上まったく穴が開いちゃってますよ。都道府県は、ですね義務があるんですよ。これ第5項は書きっぷりもすごいですね、指導させなければならない、これ指導対象なわけです、法律上は。計画作成主体じゃないんです。本人は指導されるんです。そういうおそろしいたてつけになっているからこそ、皆さん心配されているんでしょ。

 もう一つ恐ろしい話を聞きますが、先ほど部長からも答弁がありました、第3項で、協議会に、本人も参加するべきだと答弁されましたが、これ、措置入院中の、ご本人が、協議会に参加するんですか。3項で、個別ケース検討会議で、本人が協議に参加する、だから人参加が担保される。ほんとにそうなんですか。じゃ、措置入院中に、ご本人が、個別ケース検討会議に出かけていくんですか。堀江さんこれそういう意味ですか。」

堀江(もうアップアップになっている)

「あの、あ、本人の参加というのは、あの、協議会に参加していただくということになっている、います意味フ)。ですから、ですから、あの検討会議ーが、あの会議ーの、あの参加できるように環境を整える、とーえーいうことになると思います。」

石橋

「これ、大事な点ですから部長、明確に答えてください。そちにゅういんちゅうですよ!措置入院中にご本人が協議会に参加するんですか。それで、ご本人が、退院後どのような支援希望し、ご本人の意思尊重し、それを正しく反映できるんですか。問題は結局、第2項に入院中に作成せよとなってるからまずいんですよ。これが問題でしょ。結局、もともと本人の参加は想定してないからこんな条文になってるんじゃないんですか(そりゃそうだろーなー。)。入院中に作成すること自体が、本人が参加する環境を作るということになるんですか。そんなことできないでしょうよ。堀江さん、明確に厚労省として、入院中に正しくできるとお思いですか答えますか。」

堀江

「あの、措置入院中ですので、あの、病院関係者が集まって協議会を開くということを中心に考えております。」

石橋

病院協議会開くんですね。そして措置入院中の方、そこに参加をいただいて、協議会開くんですか。今考えられたこと?もともとそういう想定で作られました?今ぽんと考えられたものじゃないですか。本当にそんなこと想定されていたんですか。それで正しくできるんですか。本人は47条の2に、第4項、交付を受ける、これだけなんです。これしかご本人は出てこないんです。そもそもご本人の参加は想定していなかった。想定せずにこの法律作った。大臣お認めになりませんか。」

塩崎(当然答えられないから煙に巻きにかかっている)

「(意訳)措置入院後は消退届が出されるが、そこに何もかかれずに地域に帰されていく、そういうケースが2割も3割もあるということがわかった。だから退院支援必要から自治体義務付けた。当然ご本人の納得は必要であるしかし、退院時に何の支援計画もないというのは問題からこの法案を出している」

石橋

大臣、完全に論理破綻してますよ。冒頭申し上げたとおり、ではその支援計画エビデンスを示してくださいよ。地域ごとに対応がばらばらである比較検討されて、支援有効性について議論されたんでしょう。兵庫方式については参考人からマイナス面があると指摘されて、それに対してどうやって議論したのか、示さない。(譲って)この支援計画有効だとしましょう。じゃあその策定にご本人の参加はどこに担保されているのかと問題にしているんです。それがないままに、この法案策定だけ義務付けられている、それが問題だといっているんですが、大臣今もそこはお答えにならなかった。法律上権利として保障されていないものは、保障されないんです。だから多くの当事者団体の皆さん、こりゃだめだといってるんです。これこのまま通したら、自治体も大混乱しますよ。義務付けられちゃうんだから。これは(障害者権利条約にも逆行する話。これは大事なことだから指摘をしておきます

 さら問題があります(まだあんのか)。当事者団体が大変不安をもたれている。47条2の6項、転居後の自治体自動的な通知が義務付けられている。これ個人情報保護法の要配慮個人上との関係どういう整理されていますか」

堀江

継続性が大事から転居で必要支援継続できるように自治体に通知を義務付けている(ただし中止する手段はない)ものであります。一方で個人情報保護観点から重要問題なので、秋ごろにだすガイドライン方針を示したい。」

橋本

個人情報保護法で補足させていただきます。あの、計画を作るのは自治体主体となっております自治体は、個人情報保護法対象になっておりません。各自治体の個人情報保護条例によって扱われることになっております。そして、条例各自治体ありますが、個人情報保護法場合は、一般には法令に基づく個人情報提供が明記されているとその対象とならないとされていて、今回の法案ではその旨明記されていますから法令上の問題は生じないと考えております。」

石橋

「今副大臣が答弁されたことが大事なことですよ。これ本人の同意なく、個人情報は通知をされる。これ、本人がやめてくれ、といったらやめてくれるのか、そういう法律ですか」

堀江

法律上自治体にそれを義務付けています

石橋

「みなさんわかりました?これ本人がNOとはいえないんです。自治体には義務付けられちゃってますから。本人の権利はないわけです。とんでもない話じゃないですか。これ自治体支援計画策定しなければならない、そして、それを本人に指導しなければならない、そしてどこに転居しようがそれを自治体に通知しなければならない。こういう法律なんです、どこに本人の権利尊重があるんですか。とんでもない話ですよ。障害者権利条約、逆行してます。笑いものになりますよ(そもそも本人の自傷他害を理由としても、身体拘束をすることはダメだとされて、何度勧告されてもも守ってないかカエルの面にションベンではとおもうけど)。これ塩崎大臣、どうやって説明するんですか。安倍総理海外しょっちゅう法の支配といっています。どこが法の支配ですか。これ改めて指摘しておきますよ。やめるなら今ですよ。これこのまま通せばますます国際社会から指摘されますよ。個人情報保護法の話はまたやりますが、一点大事なことを確認します。これご本人が退院支援計画に異議があるとき、これどうやって申し立てるんですか。」

堀江

退院支援計画自治体に対し策定義務付けるもので、患者はそれに従う義務はありません。計画同意できない場合は、計画を受けないことを選択もできる。それで、まぁあと計画作成する段階で、えーこの、意見を聞いていただいて、それを反映していくことが大事だとは思いますが、最終的に計画に従う義務はないということでございます退院支援計画は、退院後確実に支援を受けることを目的にしていますので、本人が拒否していても、準備をしておくことで、本人が希望に至ったり、家族希望した場合にはすぐに対応できるようにすることを目指しているといえます。」

石橋

「どんどん深みにはまってますよ。大丈夫ですか。これ本人が拒否した場合、うけない選択もできる。自治体には策定義務、実行の義務もあって、転居の通知もしなければならないが、本人はそれも拒否できる、というこういう法律ですか。」

橋本

「(意訳)本人の希望策定段階で、反映されるべきだし、それをできるだけよいものにする必要はありますし、丁寧に説明する必要がありますが、支援関係者も、本人が嫌がることをわざわざはやらないので、本人が嫌がる場合には、本人がやりたいといったときにどうするかという内容になるだろうと思いますし、ガイドラインでそのような内容を示していきたいと思う。」

石橋

「思うとかそういう話をしてるんじゃないんですよ。法律上人参加の権利はどこに担保されているのかという話をしているんですよ。本人が嫌だといったって、あなたいなかったけど、我々これ作ったから、どうぞ従ってねって説明して、うまくいくと思ってるんですか。うまくいくわけないじゃないですか大事なこと答弁されていません、本人の異議申し立て修正要求、できるようになっているんですか」

堀江

「意訳)ガイドラインで示したい」

石橋

「またガイドラインですか。法律義務付けているものガイドラインで覆す、そういう変な法律なっちゃてるんですよ、大臣これは理解してくださいね。もうひとつ確認しないといけないのが、ご本人が参加したくても病状の問題で参加できない、そのような場合でも、権利条約で、権利擁護者、弁護士のような、これをしっかりと確保すべきだと書いています。これ法文に明示しませんか。措置入院になった、これ強制入院です。だったら、措置入院の際、必ず、権利擁護保障する、弁護人を選任する、本人がいなくても、本人の権利擁護を働いてもらう、支援計画についても意見を述べてもらう、これが人権を守るための措置になるんじゃないですか、どうですか(もはや天晴れ)」

塩崎

「(権利条約について述べるもの法令上の明記をするとはけっしていわない答弁)」

この法律もし廃案にできたらMVPは間違いなく石橋議員だよ。めっちゃがんばってると思う。

2017-05-07

マッチングを終えて初期研修が始まって

去年マッチング関東方面病院採用試験をうけ、無事第一志望の病院に受かり、

今年の三月国家試験合格の通知をうけて4月から無事第一志望の病院研修中。

なんとなく安泰っぽいように見える人生だけど思うことをつらつら

関東方面マッチング(いわゆる医者最初の二年という「初期研修生活をどの病院で送るか、という就職活動)

が盛んで志望者も多い。そんな関東方面を行く人達は各病院を「ハイパー」「ハイポ」といって分類する。

ハイパー」は凄く忙しい病院(hyperは病名で「過剰」を意味する接頭語) 「ハイポ」は仕事が少なく暇な病院(hypoは病名で「低下」を示す接頭語)

私の働かせてもらっている病院はいわゆるハイポに属する病院と言われている。

けれど、この二ヶ月で回ってる科が問題なのか、全くハイポとは言えない

一応医療関係でない人にも読んでほしいので軽く説明するが、医師免許を以って最初の二年間は初期研修医と言われ毎月のように様々な科を転々として回る

(つまり自分の専門を持たずに取り敢えず幅広く経験する二年間である)

最初に回った血液内科内科で最もハードと言われる科だった

なぜハードかは詳しくは言わないが、抗がん剤をフルに使う科であること、他の内科と比べ重症なのに治療積極的に行う患者さんが多いこと、

血液病気にかかると感染症などの厄介なトラブルが他の科よりも圧倒的に多いこと などが挙げられるが

とにかく内科志望の学生が「血液内科志望です」というと周りの見る目が変わるくらいハードで有名な科である

所詮ほぼ見学実習生と同じレベルのなりたて研修医の私がその科ですることと言えば、

日々の塗り薬や切れそうな薬剤の補充処方箋を出し、担当患者四人分の朝と夕方カルテ作成程度である

(まぁ担当患者が他の科に診察を依頼したり、検査をするときの依頼は(いわゆる「オーダー」)はやったけど)

それでも先輩医師について回って、自分の最低限のタスクをこなそうとすると、毎日七時半には担当患者の居る病棟に到着し、

帰りは19時が早い方、遅ければ22時にもなる

勿論ほぼ働いていない自分がこうなのだから

周りの常勤の先輩医師もっと凄い。カルテを見ると6時半には病棟にいて帰りも平均で21時とかそんなレベルである

いくら近くに家を構えているとは言え、どの先生も片道30分は通勤時間がありそう。

単純に考えても家にいる時間は夜10から朝6時までの8時間やそこらだろう。

人間にとってベストと言われている睡眠時間が7時間であることを考えると

日々の余暇は1時間程度しかなく、しかもこの1時間風呂・朝夜の食事を済ましている計算だ。

これだけでも恐ろしいが、医者にとって土日のサービス残業はほぼ当然だ

土日のどちらかは必ず病院に出向いて少なくとも12時を越えるまでは病棟に待機する

まりこれだけ平日が忙しい上に、土日は普通の人の3/4ほどしか余暇がない

勿論「会社員だって若いときはそれくらい忙しいだろ」という意見もあると思うが、

私が恐ろしいのはおよそ多くの医者は「引退するまで」この激務が続くという点だ。

当然、毎日カルテ記載や日々のいざこざの対応は若手の担当で、それが忙しくはあるのだが、

医者場合経験が増えて序列が上になるとそれはそれで別の仕事が追加される

一番わかり易いのが外来担当で、入院患者退院したあとも定期的に様子を見る

作業の多くはベテラン医師担当している

(一見重症患者の居る病棟診療より軽症患者の多そうな外来のほうが簡単そうだが、

短い時間患者状態判断し、返していいか入院させるかを判断させる外来

のほうが熟練経験知識必要である)

それに加えて、若手医師数人分の担当患者を広く把握し、治療などの全体の方向性

が正しく向かっているか判断指導する仕事などもある。

結果として指して年をとっても楽になることはなく、下手をするとベテランほど

最後まで病院に残っている気配すら私は感じた。

よくこんな毎日を続けているな、というより、よくこんな生活国民社会人としての義務を全うできていると思う

独身医者が、いつ、身内の冠婚葬祭税金年金手続き・その他諸々の手続きをやってのけるのか単純に疑問である(市役所とか平日しか空いていないし)

よく「医者世間をしらない」だとか「常識知らずだ」とか言われることがあるし、自分もそうであると思う

学生だった頃、実習中に部長先生と飲みにいったとき料理の話になり「~合」とお米の量を表現したら、その単位部長先生が知らなかった時があった

あのときはなんて常識とか生活力に欠けた人だろう と思っていたが、その日々を目の当たりにすると、こんな生活をしていたらそうなるのも仕方ない という気がする

医者の不養生」もよく言ったもの

こんだけクソ忙しいとまともに医者にもかかれない。

そして、自分病院だけかもしれないがサービス福利厚生が余りにも酷い

特定されるのでハッキリとはいえないが、 入職前の健診がない まだ保険証が渡されていない 

これほどリスクの高い仕事をしているのに訴訟賠償保険提供されない 当然、残業ボーナスもない

あと、これはどうでもいいかもしれないが病院職員食堂メニューが余りにも酷い。 お米が多すぎるし揚げ物が多すぎる。野菜足りなすぎる。

こんなにプライベート時間がない上に病院から福利厚生がここまで欠けていて、養生できるのなら逆におかしいくらいだ。

医者様とか先生 とよく言われるが、あれはただ単に「人を助けてくれる尊い人」というだけではないように思える

これだけリスクが高く、プライベート時間も少なく、それでいて実は給料も飛び抜けて高いわけではない(恐らく王手企業で同じ時間働いたら倍は貰える)

こんな職業 まともな人間ならやっていられない。「よくそんな職業やってられるね 尊敬ちゃうわ」みたいな意味もあの「先生」には込められている気がする

ここまでグチグチと言っているが、実はこれでも自分血液内科は恵まれている

他の病院血液内科では「土日毎日来い」だとか「平日は3時間くらいしかねれない」という話もよく聞く

それに、うちの病院関東方面ではそれでも給料の良い方であるようだ

とまぁ、最初の科だけで話が膨れてしまったのでそれ以降のことはまた今度にするが

そんなこんなでおもったよりもハード毎日を送るはめになっているのである

実は私は就職活動とき、今自分所属している病院よりも名声が高く、給料診療実績の高い病院も幾つも受けていた

それにも関わらず今の病院に勤めているのは 決してそれらの病院不合格になったのではなく

自分が自らの意志で今の病院第一志望としたからだ

理由自分が目指す分野だけなら今の病院が一番であること、 忙しい毎日に耐えきる自信がなかったかである

しかし私が夢見たほど現実研修医生活ハイポとはならなかった。 それに研修医人員補充の目的もあるため

自分が行きたい科以外の診療科にも何ヶ月も所属させられる部分もあったりして自分のこれからの二年に少なからず不満はある

「どうせ忙しいなら全部の科が有名なあの病院第一志望にしときゃよかった あそこなら給料倍だし」 なんてことも 正直毎週のように思っている

でも今の病院先生はちゃんと教えてくれるし、 勉強になることも沢山あるので 決して満足してはいないが嫌いでもないし完全に後悔しているわけでもない

(大体、 この程度で音を上げているのだからハイパー病院にいったらもう仕事やめてるかもしれないしね)

いずれにしても毎日のように思うのは「こんなタフな体に産んで育ててくれた親のありがたみ」である

こんなキツイ職業 体の弱い人は絶対にやってられない

そんなことを思いつつ 明日からフライと米ばかりの病院食堂の飯を糧に働いていく

忙しいのに なぜか太る そんな研修医生活

2017-04-26

http://anond.hatelabo.jp/20170426151818

おれも30年ぐらい前にそんな状態で5年近く勤め上げたよ。

モチを保つために定時外に副業やって、副業を楽しみに仕事してたな。

社長入院したんで、それを期にやめる決心をし、退院して復帰するまで会社を一人で支えてから辞めた。

若いからできたんだと思うな。

2017-04-24

http://anond.hatelabo.jp/20170422041028

一応新卒上場企業に入ったけど、入社直後に社内がリストラの嵐になってブラック企業になってしまった俺が来ました。

ブラック企業になったら案の定うつでダウン。閉鎖病棟送りになりました。

退院後は窓際送りになって実質的退職勧奨を受けて退職

奇跡的に上場企業転職できたが、入社して半年粉飾決算が判明して倒産

社長逮捕。全国ニュースになって、社長はその後実刑判決を受けて刑務所行き。

ホリエモンのような重箱の隅をつつくような法律違反ではなく、今の東芝もびっくりするような堂々たる粉飾決算でした。

その後は何社も転々として、履歴書を汚すばかり。

上司も年下になって、年収は倍以上貰っているらしい。

まれ世代でこの差って何だろうね。

2017-04-21

80を超える祖母とうまくやっていけない


自分は、大学生自分祖母と一緒に住んでいる。

平日週五で大学に通っている。一緒に住んでいる祖母脳梗塞を一度患い、

言語障害がある状態比較ボケてはいなかったのだけどボケも始まってきている。

一緒に住み始めてのころは買い物行ってきてーと言われて行ったりしてたんだけど、

しばらくして、ベッドから二・三歩のトイレまで歩けなくなり転倒をするほど悪化した。

結局入院をすることになったが、一ヶ月で退院できた。

体に異常があるのではなくて、日常的な運動が少なくて再発すると医師に言われたので、

家族デイサービスを探して週五回(平日5日)運動するようにしようとみんなで決めた。

ただ、やはり週五回のリハビリ自由がかなりなくなってしまうので本人はかなり苦痛らしくしばしば休んでいた。

それでもなんとか週四回ぐらい行くように話をしていたし、退院してから治らないと嘆いているのを見ていられなくて、

公園リハビリに一時間連れ出したりしていた。

本人は嫌がったんだけど良くならないと嘆いていたデイサービスのほうで

初めて下肢筋力がついてきたと報告されて効果が出始めたんだな…と思っていたし、本人にもそう話してはいた。

ただ、リハビリデイサービスをこなすのは相当しんどいようでものすごい暴言を言われてしまった。

効果が出れば少しでも減らせると思ったのだが、話しても伝わらなくなっていった。

その後、言われたことに耐えられなくなってしまったので実家に戻った。

一ヶ月ほど自分が家を空けたがその時は週三回しか行かなかったみたいだった。

帰れと繰り返し言われたので、帰るからと言って準備をし、

これ以上はお互いのためにならないから一旦帰るねと冷静に伝えたが、

さっさと帰れという素振りを見せるだけで話を聞いてはくれなかった。

その後に母とデイサービスの視察にまた行き、細かくどれくらいの距離をやってるのかを記録して欲しいとお願いしにいったり、

風呂が狭くて嫌だと聞いていたので別の所に行けないか?と自分と母とケアマネージャーと話をしたりした。

その間も、しばらく帰らない方がお互いの関係のためでもあるし、自分の体は自分が一番わかっていて管理ができているというのが口癖だったので

しばらく経過を見ておこうと思っていたので二週間ほど戻らなかった。

その後、母と一緒に祖母の元に行く機会があったのだけど早く戻っておいでと言われた。

その時に、以前の暴言を言われたことを忘れられないのでもうしばらく戻らないと一度断ったが、

それから二週間後に新学期を迎える時期に戻ることになって

その時にお互いに尊重しよう、酷いことお互いに言わないようにしよう、週4回とりあえず行って少しずつ減らしていこうと話をした。

お互い納得の上生活してたんだけど、自分大学が始まってバタバタし始めた。

帰ってきて行ってるかどうか忙しくて聞けなかった。

月曜日は行ったのだけど、こけてあざができたらしく火曜日水曜日と休んでいたので

木曜日は行くように話をした。しかし、デイサービスの人が迎えに来なかった。

落ち着いてなぜ木曜日に行けなかったかを聞いたら、

ヒステリックになりながら何故かわからないわたしが知りたいと言ったのだけど後々調べてみると

こけてあざができたから今週は行かないと電話をしていたというのを後で聞いた。

金曜日はなんとか行ってくれたけど、週二回になってしまった。

今まで、祖母に寝たきりになって欲しくないし、入院の時はずっと弱気なことを言っていたので入院もしないようにと思ってきた。

ただ、何を言っても用事がある、血尿が出た、腎臓の石が痛い

(血尿入院していたときに一度だけで二度病院に車に乗せて行っている。

腎臓の石は年による小さいのがたくさんあって、直ちに問題はないとのことだった。)

と言って休み、それを言うとお前たちに言われたくないやここを往復している(狭い家の中を数回)と言うだけで全く聞いてくれなかった。

困り果てていたのですが、衰えを実感したのか話を聞いてくれる傾向が出てきていた。

そこで話をして母とも連携し、お風呂を変える、ヘルパー(家事をやってくれる家政婦さん)を週一回呼ぶという話が進み始めた。

その矢先に気が大きくなったのか私のことをグチグチと言ったり、行かないと駄目だよという言葉反論しだしたりして正直困り果てている。

祖母負担が大きいのは理解しようと努めていますし、大学にも毎日通っている。しかし、落ち着いてから仕事をしようと考えていても

仕事をしないことをなじられたりすることに関してはやはり納得が行かない。

効果がないとデイサービスに関して文句を私に言うのですが、その割には他のデイサービス体験や話を熱心に聞いたりもせずなのでこちらも

口調が荒くなって喧嘩になってしまう。

母はもう言わなくていいよ。自分しんどいことと嫌われる役をやるからと言ってくれるのですが一緒に食事する際にずっと愚痴を聞かされてしま

リハビリに行かないのでどうしても話をせざるを得ない状況が続いている。

どうしたらうまくやっていけるでしょうか。正直2日に一回ほど1時間話をしたりして疲弊しています

言ってもわからないので入院して歩行が回復してから戻ってきてもらうのが最善策なのかなとも思っています

アドバイスを頂けると嬉しいです。

追記 2017/04/22 4:39

もう見てる方いないとは思いますコメントブックマークありがとうございました。

しんどいなと感じていたので助かりました。

コメントに関して


親に任せて親の愚痴を聞いてあげるのがベストだね → はい言葉はきついですが言ってることは正論だなぁと。

最善策 → 自分は母と意見交換しますが自分意見100%通るわけでも何でもないので勝手に思ってるだけですね。

親が無能自分よりはるかに立ち回りと関係性作りがうまく、自分とは考えのプロセスなども違うので正直ものすごく尊敬しています

後々、母の言葉を思い返してみると祖母との関係などに関しても適切な視点対処策打ってるので自分とは比較にならないです。

まだ中学生兄弟関係が冷え込んだ父がいるので少しでも母の力になれたらいいなと思ったのですが、

自分が何かしても力になれないどころかこじれさせてしまうだけかもしれません。

悪化した時点で気づいてあげるべきだった → 本当にそのとおりなのですが、悪化し始めたときに気づくのって難しいと思うんですよね。

自分専門家でもないですし、祖母病気も全ては把握できていませんでしたし。

80代とうまくやっていける大学生の方が普通じゃねーわ 生きた時代が違いすぎるやん → ほんとにそうなんですよね。話題が乏しくなって愚痴を言ってたのかなぁとも考えています

id:aoi-sora ありがとうございます。認めてもらえたのは率直にありがたいなと。

id:takamurasachi 施設入所はかなり現実的になりつつありますはい自分人生優先で行きます

2017-04-18

黒字結婚式に行ってきた

数ケ月前に、前の職場の知り合いA子(アラフォー)の結婚式(+披露宴+2次会)に出席した。

招待された時は、事故で手術して退院した直後だったので、「今は経済的に余裕がないか申し訳ないですが…」と正直に断ったのだけど、「(式から2次会まで)どうしても来てほしい...来てくれないと困る…」と言われて出席することにした。

数年間疎遠で、当時でもそんなに仲が良いわけでもなかった自分を招待するということは、A子にもよほどのっぴきならない事情があるということなのだろうと思って。

出席するために仕事も休んだ。

今思えば「まぁ、お祝い事だし、困った時はお互い様から(しょーがないか)」って、甘くなってたんだと思う。

当時はあまり交流はなかったけど、結婚式に呼んでくれるほど、好意的に思っていてくれたんだってちょっとしかったし。

最近結婚式に出席した他の友人経由で、A子が「最初から結婚式は)黒字になる計画だった」と、話していたと聞いた。

祝儀費用すべてを賄えた上に、プラスがでたらしい。

確かに、当日は食事引き出物、会場の飾りつけなどはかなり質素だった。

今まで、結婚式は人を呼べば呼ぶほど赤字になると思っていたので、A子の発言は衝撃的だった。

当日は往復の交通費(帰りはタクシー)と、3万円のご祝儀、2次会費用で5万円近くの出費。

正社員から派遣になって、お金なくて~っていつも倹約しているシングルマザーの友人も断り切れずに出席していたから、彼女の感じた経済的負担は私より重かったはずだ。

「このお金があれば、子供においしいものを食べさせてあげられるのに」って、彼女が思ったかどうかは知らないけど。

結婚式披露宴)って日ごろお世話になっている人への結婚挨拶を兼ねた恩返しの場だと思っていた。

人を集めれば集めるほど集金できるのが当たり前になって、結婚式だらけになったら、呼ばれる方は破産してしまうよ。

自分たちのやりたいことの為に、ゲストの都合はお構いなし、ゲストへのもてなしも削って、何故そこまでして結婚式がしたかったのだろうか。

いや、ブライダル会社にまんまと乗せられたんじゃないかと思う。

自己資金無くても結婚式できますよ~」って。

結局、新郎新婦が周囲の人からどう思われようと、ブライダル会社の儲けは変わらなくて、金銭的なしわ寄せはゲストに行ってるわけだから

結局は業界全体が衰退するやり方だと思うけど、そうでもしないと結婚式をする人がいないんだろう。

予想はできたけど、黒字発言は知りたくなかったな。呼ばれた経緯が経緯だから養分にされた気分。

2017-04-15

鬱病になったときのこと

あなたの周りに鬱病の方はいます

鬱を患ってこれを読んでいる人もいるかもしれません

自分鬱病発症し今ではどうにか過ごせています

ただここで一つ強く言っておきたいのは個人個人によって適切な対処は違うと言うことです

ここに書かれていた対処をしたからと言ってうまくいかないこともあるでしょう

参考記録としてでも聞いてください

私は第一志望の大学に落ち、滑り止めに受けていた遠くの大学に進学しま

初めての一人暮らしということもあり少し気持ちは浮ついていたような気がしま

サボりぐせはあったもののある程度は授業に顔を出していました

五月になりバイトを始めます

そこでは店長理不尽文句に腹を立てながらも同じバイトの人がいい人だったので続けていました

そんな中私の元彼女が、私と付き合っていた頃にすでに二股をしており、私を彼氏と笑い者にしていたことを知ります

よくわからない感情が込み上げてきて、テスト勉強をしていたにも関わらず1週間ほどあった期末試験を全て休みました

そのまま夏休みに入りバイト漬けの生活が始まります

当然のように店長理不尽文句を投げかけ続けていました

寝ようとするとどうしてもその元彼女のことが頭をよぎり眠れない日が続きます

起きているときは何か別のことを考え続けていればそのことから逃れられました

寝ようとして頭を空っぽにした瞬間そのよくわからない感情がわきあがってくるため、眠さの限界が来た時に気絶するように眠っていました

そのため昼型も夜型も無いような不規則生活になっていきます

ご飯も食べる気が起きず、このままだと死ぬなぁ、それはやだなぁと思った時に食べるのみでした

3日に一回ぐらいの食事はとても疲れるもので、食べることが嫌いになりました

もともと吐きやすい体質だったのもあり、度々戻していましたが3日に一回しかない、苦労して飲み込んだ食事を吐き出してはいけないと思い、口腔まで上がって来たものをまた無理やり反芻してました

陰鬱な気分は当然心地いいものではなく、好きだったことをして気を紛らわせようとしますが、以前は大好きだったことがこの時はまったく楽しくありませんでした

長い夏休みが明け、授業が始まります

高い学費を出してもらっている以上行かなきゃならないという義務から講義開始から嫌々数日は通いました

しかしここで初めて違和感を覚えます

自転車通学だったのですがペダルを漕ぐ足に鉛が乗ったかのように重くなり動かなくなります

大学に通うという行為苦痛を覚えその日は家に帰りました

そもそもろくに食べていなかったため当然だったのかもしれません

その後も大学に行く気は起きずバイトだけをしていました

家に引きこもりバイトの時だけ外出をし、ご飯もその時に買ってきたもので済ませていました

このままじゃいけないという思いと、それでも何をする気にもならないという思いがぶつかりあい続けていました

自殺願望もありましたが何をする気にもならないという気持ちにまだ押されていました

そんな中このままじゃだめだいつか死んでしまう、逃げようと思い、親に連絡を取ります

から帰っていい?という私のなんとか涙まじりに絞り出した言葉にただならぬ気配を感じ取ったのか、理由も聞かず、良いよ、迎えに行ったほうがいい?と返答してくれました

その親の答えを聞いてもなお、他人迷惑をできるだけかけたくないと思っていた私は自分で帰ると言います

バイト先に急用が入ったとだけ連絡し帰ると、駅まで親が迎えに来てくれていました

家に着き、車の中で私は今までの心情を吐露しま

好きだった人に裏切られたこと

バイトが唯一自分必要としてくれているように感じて、店長が嫌いでもやめられなかったこと

大学に行けず単位も取れず罪悪感で満たされていること

死のうと思ったこともあるが死ぬ気力も出ないこと

他の細かいことも伝えました

親は何も言わず相槌をうってました

実家に帰ったもの基本的には前と行動は変わりません

何をする気にもなれず睡魔限界に寝る

違うところといえばかろうじて出て来たやる気をふり絞らずともご飯が三食出てくることでした

1週間ちょっとして病院に連れて行かれます

様々な検査を受けました

そこで自律神経失調症、それに付随する症状を診断されました

精神だけでなく、肉体にもガタが来ているとのことで入院措置を取られます

寝て起きて寝るを繰り返す私の生活自体は何も変わりませんでしたが、大学バイトを休んでいるという罪悪感から入院理由づけすることで解き放たれた気がしました

退院した後は大学の学期が始まるまで実家休み、始まってから自宅に戻りました

雨が降っているときや、大学に行かなきゃという義務感に駆られた時点で大学に行くのはやめ、大学に行こうという気になった時だけ行ってました

ですから復帰した最初の学期は授業も数回しか出ていません

この頃にはカウンセリングや、すでにもう一年休んでいるのだからここで半年増えたところで変わらないという思いから、罪悪感なしに休んでいました

こうして時が経つにつれ大学に行こうと思う日も増え、今ではある程度通えています


私が今思い返してありがたかったのは、親が自分特に何も言ってこなかったこと、しかし私から何か話しかけたときは手を止めて対応してくれていたことです


あなたは一辺があなた身長よりちょっと大きいぐらいの立方体の中にいます

ストレス耐性がある人は一辺が身長より割と長いかもしれませんし、ストレス耐性がない人は身長ギリギリかもしれません

この中に何か嫌なことがあるたびに水がたまっていきます

定期的に排水もされますが、これも人によって期間や量が異なってます

排水がうまくされなかったり、排水よりも速いペースで水がたまって足首まできました

ここまでならまだ普段運動能力も変わらず自由に動ける気がしま

じゃあまだ大丈夫だと思っているうちに水位が膝まできました

運動能力制限され、水がない状態と比べ動くのに体力を使います

胸まで来るといよいよ動くのが難しくなってきます

水によって体温が奪われて行くという、不安によって不安が生まれ悪循環も発生しま

口元まで来るといよいよ水で立方体がいっぱいになるのも近いです

頭まで水が来ても顔を上にあげて立ち泳ぎをすればまだギリギリ息はできるかもしれません

しかしこうなったら体力が尽きるのが先か、水で満たされるのが先か、酸素がなくなるのが先かという状況になってしまっており、どうにか排水をするしかありません

逃げて別の方向に進むことで私はどうにかなった気がしま

本当はなってないのかもしれません

だけどもこうして記録を残すことで誰かの役に立つこともあればと思い、こうして文字に起こしました

2017-04-14

法案審議進行中だけど立法事実として維持できそうにないから消しま

国会ウォッチャーです。

うざいといわれても書くよ☆

なお保守の人が保守観点国会を見て、その感想解釈を書くのはぜひやるべきだよ、どんどんやってほしい。

偏ってる批判もどんどんやればいいし、偏ってない人もどんどんやればいいですよ。みんなが国会に関心を持つことが重要ですよ。

はっきりいってショーとしても面白いですしね。

さて毎日毎日めったにみないものを見させていただいております

今日共謀罪法務委員会もあって、この話題共謀罪関連での山尾さんの議論を追うのにも役立つかと思います

昨日の参議院厚生労働委員会で、精神保健福祉法改正案の審議中ですが、社民福島瑞穂議員、民進石橋通宏議員らが激怒されておりました。

昨日突然「法案改正趣旨最初の二行が削除された」というのです。

http://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/index.php

の4月13日、厚生労働委員会

特に見て欲しいのは、参考人意見聴取桐原さん、池原さん、参考人質疑、福島さん、牧山さん、通常の質疑、石橋さん、倉林さんあたりでしょうか。

朝日記事

http://www.asahi.com/articles/ASK4F7DNJK4FUBQU014.html

このニュースを見てもその重要性がすぐわかる、という人はほとんどいないのではないでしょうか。私もよくわかりませんでした。

精神保健福祉法改正案が出た背景

昨年の津久井やまゆり園での殺人事件を防ぐためにはどうすればよかったのか検討を進める、という安倍総理の指示から始まったものです。これ自体妥当だと思います。あのようなヘイトクライムを防ぐためにどういう法整備必要か、という視点は当然重要です。そこで、政府が出してきたのは、やまゆり園の事件被疑者が一時措置入院を受けていたこから病院福祉事業者自治体警察)らが措置入院退院後の情報の共有をする、という改正案でした。

立法事実

法律を制定する、という行為は、一般にさまざまな権利抑制する可能性があることから、どのような現実問題についての解決のためなのか、ということをしっかりと整理します。このような現実問題立法によって解決できるという一般的事例を立法事実といい、もののほんによると

法律を制定する場合の基礎を形成し、かつその合理性を支える一般的事実、すなわち社会的経済的政治的もしくは科学事実」(芦部信喜)

ということになっているのですが、この立法事実が、現実社会と合わなくなってきたときには、違憲判決根拠になることも多いそうです。

今回の立法趣旨とされてきたもの

相模原市障碍者支援施設事件では、犯罪予告どおり実施され、多くの被害者を出す惨事となった二度と同様の事件が発生しないよう以下のポイント留意して法整備を行う。」

医療役割を明確にすることー医療役割は、治療健康維持推進を図るもので、犯罪防止は直接的にはその役割ではない。

精神疾患患者に対する医療の充実を図ること-略

精神保健指定医指定不正取得の再発防止ー略

ということで、塩崎恭久大臣もやまゆり園の事件立法事実だ、として説明を繰り返したほか、本会議における趣旨説明(経読みといいます)でもやまゆり園の事件の再発を防ぐことをあげていました。

野党側の批判

やまゆり園の事件措置入院時の支援計画の欠如が原因ではなく、また被疑者自己愛パーソナリティ障害措置入院にいたった妄想事件因果関係も明らかではなく、なぜ措置入院中に支援計画警察を介入させる根拠になるのか、と批判してきました。

立法趣旨説明資料からの削除

相模原市障碍者支援施設事件では、犯罪予告どおり実施され、多くの被害者を出す惨事となった二度と同様の事件が発生しないよう以下のポイント留意して法整備を行う。」の一文が削除されました。つまりこれを立法事実として維持するのは難しいと政権側が判断したということでしょうか。

石橋議員の指摘

この石橋議員の質疑を見る前に、ぜひ弁護士の池原さんの参考人意見をご覧になって、この措置入院制度自体問題点を把握されておくとよいかと思います

池原さんのお話はめちゃくちゃわかりやすかったので、聞けば一発なのですが、一応整理しておくと

日本精神医療国連から人権観点から強く非難されている

障害者権利条約においても、現状の自傷・他害を根拠にした強制入院措置禁止されている

措置入院を受ける人というのは、実はDVなどの場合もあるし、一般イメージされる精神疾患とは異なる。相模原の例はむしろ例外的警察の介入はこういった人たちに無期限の監視をつけかねない。

・本人の意思に反した入院は、反治療性格があり、措置入院経験者が、治療拒否に陥るケースが多い。本人の意思を抜きに治療計画を決定できる今回の制度問題が大きい

・通院を事実上強制する措置治療効果はないのにも関わらず、この通院義務化を法制化した後、患者自殺既遂が数倍に増えている。

現在まで医師判断を行うことになっていたもの行政を参画させたところで、行政は現状で精神疾患患者へのフォローができていないので、医師隔離拘束への責任感を軽いものにする効果しかない。

権利条約の制定過程で「自傷・他害の危険性"のみ"での強制措置禁止にできないか」という日本政府提案却下から漂うアレ臭よ・・・

 福島議員石橋議員も、立法事実撤回したのにも関わらず法案を維持するのはおかしいでしょう、ということで、法案撤回を求めています。私は素人なのではっきり断言はできないですが、もし他にも立法事実があることをはっきり示すことができるのであれば、複数ある立法事実のうちひとつ撤回することで、すなわち法案撤回すべきかどうかはわからないですが、少なくとも今まで立法事実だとしてきたもの撤回した以上、新たに提示する必要性は当然あるだろうと思います

 

 しか塩崎大臣の答弁では、やまゆり園を契機に全国での状況を調査した結果、措置入院後の治療計画がはっきり立てられていないことがわかった。兵庫県担当者治療計画を立てることが大切だといっている、ということにとどまっており、ちょっとこれは無理だろうと、私感では思いました。ただし、この措置入院周り以外の改正については、スケジュールにのっとった改正なので、個人的にはここを除けば、法案を出しなおせば、問題ないのかなとも思いました。この辺りは法曹関係の方のご意見が聞きたいと思いましたね。

しか措置入院から退院後の計画を立てることそのもの改正案によって何がどう改善するのか?という説明はまったくされていないので、やはりこの部分は削除するしかないんではないかな、とは思いますが。

石橋議員の質疑は問題点がよくわかりました。

都道府県等は、措置入院者が退院後に社会復帰の促進等のために必要医療その他の援助を適切かつ円滑に受けられるよう、原則として措置入院中に、精神障害者支援地域協議会において”関係者と”協議の上、退院支援計画作成」する、ということになっている、この関係者に本人を含むのではなく、「本人と関係者」に変えないと、本人の意思提示できない場合、本人意思に関わらず、協議会の決定によって病状等の個人情報警察提供されてしまう恐れがある、という懸念は極めてもっともでしょう。完全に人権問題だと思いますので、確たる立法事実提示できないとするのであれば、憲法との整合性はどうなるのでしょうか。

塩崎大臣は「関係者は当然本人を含む」という答弁をしていましたけれども、じゃあ明記しろよというのは当然の主張ではないでしょうか。

われらがはてなブロガーでもあるlawkus先生ツイートに強く共感しましたが、

これはどういう法律にもいえるよね。

何で明記すればいいだけのことをやらないかというと、まず精神疾患のある人が転居したときなどに、自治体間での情報共有をしたいという欲求ストレート差別)、本人の意思確認が困難な場合などに、予防拘禁措置としての、措置入院継続警察主導でやりたいのではないか、という疑問がぬぐえないです。

立法事実希薄立法はこの法案だけではない

共謀罪に関する山尾議員と金法務大臣議論2月9日衆院予算委員会など)で、共謀罪立法事実としてだしてきたもの現行法律で対応できることを示し、立法事実がないのではと問いただしておりますし、先年の平和安全法制議論でも、さまざま話題になったところです。

絶対アメリカ戦争に巻き込まれることはない」発言の正否が問われそうな状況にもなっておりますが、共謀罪に関しては、安倍総理金田大臣がなんと答弁しようが、全部条文に基づいて議論すべきだろうと思いますし、そうとしか読めないように書いてあるか、というポイントで見て欲しいなと思います

id:c_shiikaさん

これでいいのかな?

ごめん、やっぱやめました

2017-04-06

自分自己肯定感が低い理由の一部がわかった

お花見でもして浮かれているんじゃないの?」と母親留守電メッセージを入れていた。

物凄く腹が立ったが、冷静に考えて納得したことがある。

こういう性格の親に育てられたら、そりゃあ自己肯定感なんて持てる筈がないという事に気付いたのだ。

統合失調を患い入院してた母が、病棟から電話を掛ける様になってきた。

入院当初は文法もまともじゃなく、四六時中幻聴に取りつかれていたようだが、

最近は薬の効果があるらしく、比較的会話が成立するようになってきた様だった。

しかし相変わらず病識はなく、会話の中で彼女の敵が現れ、悪い事をされている妄想がたまに出る様だが、

数年前の最低限の社会生活ができていた頃の状態にまでは戻っている様な印象を持った。

先日「春物の服が無いから持って来てくれ」という要求があった。

多少の回復を喜びつつも、男の見立て申し訳ないが、女性用の服やら、見舞いの品を持って行った。

見舞いの際は服も差し入れもとても喜んでくれ、会話も比較的まともになりつつあり、それなりに喜ばしい時間を過ごして戻ってきた。

医師ケースワーカーさんとも話したが、やはり今後も病識をもってもらう事は難しそうという見解だった。

しかし、入院時の完全なる狂気状態は脱している様で、これからどうするか、という事も徐々に考え行きましょう。

という事でその日は帰った。

そして今日留守電に入っていたのが、冒頭の言葉だ。

なんでも持って行ったパンツやらスカートサイズが合わない、気に食わないという不満の表明と文句が延々と入っていた。

そして最後に「お前は、花見でもして浮かれてるんじゃなの?」だからからまともな服を買ってくることもできないんだろ、

という趣旨の吐き捨てる様な言葉が入っていたのだ。

私は彼女妄想の中で花見でもしていたのだろうか?

先日は花見話題は全くしていなかったのだが。

自分意図に沿わない服を届けられただけで、その相手に対し「花見でもして浮かれてるんじゃないの?」と言い放つ。

病気の症状が軽減されて現れたのは、かつて自分が嫌った親の姿だった。

ああそうか、そうだった、こういう人だった。

こちらの苦労や意図など全く無視して、自分の都合でしか物事を考えず、自分が常に正しいと考え、

自分省みる事がないから、周囲の人間を傷つけ、呆れられ、孤立する。

元来の性格狂気を呼んだのだなと改めて思わされた。

何かをやろうとしても、母の意図に沿わないと否定され、激高し、ののしられる。

そのようにののしられて育った記憶がよみがえり心がざわついて仕方がない。

そんな親に育てられた子どもの頃の自分は、きっとけっこうかわいそうな部類だったのだろう。

でもだからこそ、今、自分を認めてくれる人を大事にしようと思うし、

自分必要以上に否定する必要もない事に改めて気付く事ができた。

母との溝は絶対に埋まることはないだろう事を改めて予感しながら

退院後、どう接して行けば良いかを考えて行こうと思う。

スカートやらパンツは改めて郵送でもしてやろう。

2017-03-27

好きだった同人作家さんが亡くなっているみたい

おねショタ最近商業書いていた作家さん

最近同人誌もだしてないなと調べたら、

入院して退院しました!ってツイートの後、ここ半年どこにも活動がない

好きだったんだけどな

2017-03-09

父のその後

http://anond.hatelabo.jp/20170206191552 の続き。

あしかけ3ヶ月、実質1ヶ月と10日で父は退院した。退院と言っても回復リハビリ病院への転院でもある。

あれを書いてから3日後だか5日後だか7日後くらいに父の目は開いた。最初の数日は目の焦点が合ってないような感じだったがその後7日くらいでだんだんしかけた人の目を見るような感じになった。

目が開いて少ししたところで転院の相談はあった。この辺で回復リハビリ病棟のある病院は5つか6つあるそうなんだが、その中でも父の症状にあったと言うところを2つ3つ挙げてもらって検討した。

最も実家に近いところを母は希望していたのだが、そこは父の症状に合うリハビリ要員がいないとのことで却下となった。自分仕事場に近い病院については、母は(私の)祖母を預けたことがあってあまりいい印象を持っていなかったのだが、今回改めて見学してその印象を払拭したらしい。そこと、義理の母が回復リハビリを行った別の病院(そこは推薦されていなかったのだが、調べたら父の症状にあったリハビリ要員がいた)を第1希望、第2希望とした。

結局第1希望病院3月にベッドの空きができた、ということで転院が可能になった。話はまあまだまともに出来ないのだけど、左足は必要以上に動かせるし、それなりにリハビリは進むのかもしれない。

ここから愚痴だ。

病院スタッフ自分が思っている以上に分業化しているのだが、母にはそれがイマイチ理解できないらしい。

しょうがない。自分自分病気入院するまではあまり区別がついていなかった。看護師医者秘書じゃないし、会計のことは会計担当におまかせだし、実際に1Fで金銭をやり取りしている人はその会計を把握していない。医療相談室は病室とは離れたところにあるけれど、「外部に秘密漏れません」と言っていても相談員はその病室担当看護師だとまでは見抜けなかった。それならその場で相談したのにわざわざ遅いエレベータで移動させてスマンカッタ。

ただ、それがわかっていないと、病院スタッフのお願いとか質問とかに適切に応えられない場面が多くてキツい。健康保険関係でかかりつけ病院の診察や医療相談は無断では出来ないのだけど、その説明をする際にその話しかしないから母は混乱した。父のかかりつけは母のかかりつけでもあるのだ。母が通院する度に自分の診察より父の話を聞かれるのに「相談等は許可を得てからしてください」では何を言いたいのかわからない。その説明をしているのが経理担当職員だとわかれば「金のかかることはするな」で済む話なのだけど、それで結構混乱した。

前の病院で新たにでた薬がおくすり手帳に書かれなかったのもアレだ。薬そのものは渡されたので持ってきたのだけど、結局アレは新たに判断して使うことになるらしい。調べたら院内処方の薬はおくすり手帳に書かないことがままあるらしい。退院証明書の方にその辺が書かれていることを期待するしかない。

退院証明書と言えば、転院と新規入院書類が違わないのが微妙につらかった。既往歴とか書かされるのだがそれがどこまで大事かわからないのだ。あとで退院証明書を見たら自分が知っているより詳しく既往歴が書かれていた。向こうはカルテから転載しているのだから当然といえば当然なのだが、薬のアレルギー(納豆がどうとか、グレープフルーツ食べちゃだめとかあのへんね)はおくすり手帳判断するほうが確実なんじゃないだろうかとか思った。

リハビリについては承諾書署名を日付なし具体的内容なしでした。白紙委任状みたいなもんだがそこはしょうがないと思った。

遠くの親戚にメールアドレスを教えたら、1日おきに脳梗塞に関するサイトとかテレビ情報とか送ってくるのが地味につらい。善意でしているのはわかるのだが、その情報はいらない。善意といえば、何度も来てもらっているのだけど、やってるマッサージが「効果がなさそうでつらい」と言ってくるのがさらにつらい。ダメ元なんだから効果がなくていいし自己満足なんだからそれでいいじゃん、と言いたいのだがそれはそれで「お前のやってること無駄だよな」と煽っているように聞こえかねないので言えない。

まあ、仕事が忙しいのでメールはあまり読めないことにしている。LINEと違ってメールでは既読マークが送られないのはありがたい。

2017-03-03

恋人の日

職場女性片思いをして3年ほどになる。

向こうはマーケティング部、こちらはIT部。IT部っていっても、主な仕事社員が使うPCのメンテナンス。「何もしてないのに動かなくなった」って言うから見に行ったら明らかにエロサイト経由で感染したトロイの木馬がいっぱい入ってたりしてたりとか、まあろくなメンテナンスでないのは確かだ。

正直非コミュ気味だし、顔にも特徴がないらしい。数年働いているのに会社警備員には不審者扱いされるし、毎日焼きそばを食べてる食堂のおばちゃんにも客扱いされてなかった。久しぶりにFacebookにきた同級生のお誘いはマルチ商法勧誘で、なんだかよくわからない化粧品を山ほど買わされたりもしている。

そんな中、IT部以外で唯一名前を覚えてもらったのが彼女だった。名札ぶら下げてるから読み上げられただけなんだけどね。それでもこんな扱いばかりの毎日にはけっこうな潤いだったんだ。

職場ガラス張りで、自分の机から彼女の机はよく見通せる。ネットラジオ聞いたり、Farmvilleでこっそり遊んだりしているのを黙認したりしているうちにすっかり好きになった。寿司が好きで、ハマチも好物だが特にウニ軍艦巻きに目がないとか、興奮しすぎるのが嫌でインスタントコーヒーは倍に薄めて飲むとか、どうでも良いけどなんか人のなりがわかりそうな話も聞いた。

そんな彼女社長不倫関係にあると知ったのが半年前。マーケティング部の別のPCメンテしている時に噂話を聞いてしまった。打ち合わせと称して週に何度も社長と2人きりで社外に出ているとか。先日あった忘年会コスプレも見る人にはそれとわかるペアルックだったらしい。部内では公然の秘密だったらしいのだけど、社内に友達がいない自分には知る由もなかった。

まあ社内不倫とかしている社長だけど、食品ビジネスに関する能力はすごい。今年度はほぼ過去最高レベルの売上達成ってことで、お祝いに社員ほぼ全員で社員旅行に行くことになった。行き先は北海道。そう言えば彼女も「雪まつりを見たい」って言ってたなと思い出して、ああこれ不倫旅行の一環かとちょっと気になったけど、自分も雪は見たかったし全部会社持ちだし、ってんで断ることなく同行した。

本当に社長はチャラい。さり気なく彼女のそばにいて「魔法を使えるんだ!」とか言って、オルゴール館の前にある汽笛を鳴らしてみせる。あの汽笛、定時に鳴るやつだから、それに合わせてカウントダウンしてるだけなんだけどね。それを疑うことなく喜んでみせる彼女もどうかと思うんだけど、でも「そのうち結婚しようね」とか言ってるのを聞いて喜んでいるのを聞いた時には、ああ僕もその話が本当になる魔法が使えたらと思ったんだ。経験なしに30越えてるから自分魔法使いになってるはずなんだけどね。

泊まったのはキロロだったかキララだったか。そこでスキーをしようと上司ゲレンデに出たら、なんかオシャレな鐘があった。上司によると「あの鐘を鳴らすと恋がかなう」とかで女性に人気らしい。「お前も鳴らしてみろよ、嫁が出来るぞ」とか言われたけど余計なお世話だ。余計なお世話だけど言われてしまえば気になる。なんとなく「彼女と1日だけでいいかデート出来ますように」とか思って鐘を鳴らしてしまった。

翌日は雪まつり。ここで事件発生。社長の奥さんと子供が突然合流したんだ。なんでも取り掛かっていた仕事が早めに終わったんだとか。社長があれだけ稼いでるのに共働きってのもスゴイけど、あれ社長不倫に薄々気がついて釘を差しに来たんじゃないかな。彼女は察して、頭痛を口実に雪まつり行くのをやめた。その日のカニ食べ放題夕食も社長婦人マーケティング部の席に座って第2子妊娠を高らかに宣言したりしてた。空気を読まないふりをして僕は彼女の席に座ったんだけど、あれ僕の代わりに端の方に座った彼女にも聞こえていたよな。

翌日、買い物と家族サービスを口実に社長は全くの別行動になった。僕らは僕らで別のところにいく予定だったのだけど、彼女が部屋から出てこない。心配だったので僕もホテルに残ったら、スキー装備の彼女が出てきた。そのままリフトで頂上まで上がっていって、追いかけたけどどうにもスキーの苦手な自分ではすぐに見失ってしまった。彼女スキーは不得意だったのにね。

夕方になっても帰ってこないので、僕はレスキューに捜索依頼をかけた。緊急事態ということでけっこう大事になって、彼女はなんとか夜中に山の奥の方で見つかった。救急搬送されたはされたけど、特に体に異常はなかった。体にってところが問題で、目が覚めたら自分がなんで北海道にいるのかわからなくなっていた。医者によると「一過性全健忘」というらしい。治療方法はないけれども、放っておけば1日かそこらで治るとも聞いた。

めでたく即日退院とはなったものの、4年前より新しい記憶のない彼女片思いの僕の記憶はない。ありがたいのは自分不倫していて自殺未遂したって記憶もないことで、そこで例の鐘が鳴るのが聞こえた。僕は「僕が君の恋人だ」「僕は社長だ」「社員旅行の延長で2人別行動してる」って嘘をついた。ひどい嘘だ。信じない彼女に僕は「君の胸の下にはアザがある」とまで言ってしまった。これは本当だ。本当だけど別に恋人同士だから見たわけじゃない。例のコスプレ忘年会の時に彼女衣装が一瞬はだけた時に見えただけだ。ここまでしらを切るのはものすごいストレスで、トイレで胃の中のものを全部吐いてしまったけど、それでも彼女は信用しなかった。そりゃそうだ。3年付き合っているというのに2ショット写真1枚ない。彼女によれば僕の顔はタイプじゃないらしい。彼女iPhoneが寒さその他のショックで起動しなかったのは幸いだったけど、僕のスマホ実家電話をかけて母親確認していた。社長名前だけは母親に言っていたらしくて、それで一応僕は彼女恋人だってことになった。

僕は彼女スキー行方不明になる前にやぶり捨てた「北海道旅行で行きたいところ」リストを持っている。気乗りのしない彼女をなんとか誘って、まずは小樽寿司屋に連れて行った。ネット掲示板でも話題の隠れ家的名店だ。ウニハマチのCセットを頼んでお腹がいっぱいになるころには彼女も少し気分が変わって、リストのところに日帰り旅行することになった。

登別地獄谷、猿の温泉、そして函館函館山ロープウェイで登って、レンガ倉庫。なんとか昼過ぎにまでこなして、札幌に戻ろうとしたところでまたトラブルが発生した。吹雪電車が止まったのだ。その日は雪まつり最終日でもあった。夜までに札幌に戻れなければ、雪まつりは見られなくなる。彼女は「来年また見に来ればいい」と言っているけど、僕には来年はないのだ。願いが通じたのかどうかは分からないが、数時間遅れでなんとか電車は復旧して、少し夜は遅くなったが札幌にはたどり着けた。

北海道旅行でやりたいことがもう1つあった。フチ子さん集めだ。彼女はフチ子さんの雪姿バージョンが好きで集めていた。あと1つ、シークレットだけを残して全て集めていて、最後の1つをこの北海道旅行にかけていた。社長は「ガチャごと買い占めればいいじゃん」とか言ってたけど、そういうものじゃないってことは僕にもわかる。あちこちにあるガチャを回して、やっと見つけたシークレットはメガネをかけた雪だるまを抱きしめるフチ子さんだった。「この雪だるま、君に似てるね」とか言われたけど彼女はフチ子さんよりキレイだと思った。思ったけどそういうのを言えないのが僕の悪いところだ。

雪まつりを堪能して、ホテルに戻った。チャペルに忍び込んで告白したり、部屋に戻ってなんというかそういう雰囲気になってキスしたところで我に返った。僕は本当の恋人じゃないのだ。「だって恋人同士だからそういうところも見てるんでしょ」という彼女真相を語った。彼女激怒した。それ以上の言い訳も聞こうとせず、窓から僕の荷物を投げ捨てられて僕は部屋から追い出された。

からぶちまけられた荷物の雪を払って片付けているところに、彼女がやってきた。復活したiPhoneにあった「社長」に電話したら、社長一家団欒のまっ最中だったというのだ。彼女だって記憶喪失だがバカじゃない。自分がどういう恋愛をしていたか悟ったんだ。そしてあの「事故」が、本当の事故ではないことまで理解してしまった。

彼女は「あの家庭は私には壊せない」と言った。僕らは立場こそ違え、叶うはずのない恋をしていた同士だったわけだ。ただ、明日になって記憶が戻ったら、逆に僕のことは忘れてしまうだろう。社長が翻意すれば、離婚して一緒になれるかもしれない。そのことを考えて話したら彼女は「あとでそれを見れば思い出せるはず」と、二人の自撮り動画撮影した。「こちらのほうが真実の恋」とか言われたのは恥ずかしかったが嬉しかった。

彼女が眠り込んだあとでその動画は消した。翌日空港に行くバスに乗ったが、案の定彼女は僕に気が付かなかった。大通公園雪像重機で壊されている最中だった。旅行から戻ってから会社には辞表をだした。上司は「お前がいないと仕事が回らない」と引き止めてくれたが、もうこの会社はいられないと思ったんだ。

2017-02-20

病気の世話から逃げているうちに祖父が亡くなった。

祖父が亡くなった。

数年前から退院を繰り返しており、たまに発作も起きて、病院迷惑を掛けていると聞いていた。

また入院することになったから、見に行ってやってくれと親から言われていたが、何かと理由を付けて行くのを先延ばしにしていた。

体調が落ち着けば行くつもりだった。何より、入院している祖父の姿を見たくなかった。

何かあったところで、自分には何もできず足手まといだ。荷が重い。そう思っていた。


祖父はそれほど遠くないところに住んでいて、行こうと思えばすぐ行けた。

最後に会ったのは正月明けだった。

ただなんとなく顔を見せて、お菓子を食べながら夕方ニュースを見て、すぐ帰った。

「またおいで」と言われたのが最後だった。

数日前まで、あんなに会うのをためらっていた自分を恥じた。もっと会って、いろいろな話をしておくんだった。

「おじいちゃんはあなたを一番かわいがっていたんだよ」

葬式で何人かにそう言われるたび、自分を責めた。

つい先日、出張に行ったとき、なんとなく手ぶらで帰ってしまった。お土産を買って、仕事は嫌々ながらも、何とかうまくやっていると言っておけばよかった。


出棺のとき、棺に思い思いの品が入れられた。何も持って来られなかった自分に後悔した。

棺に寄せ書きの手紙が入れられた。控え室にメッセージを書くよう置かれていたものだ。懺悔言葉しか思い浮かばなかった。どう書いていいかからず、やがて式が始まってしまった。

自分名前すらも書けないままだった。最後手紙でさえ、自分言葉を綴れなかった。また一つ後悔をした。


俺は馬鹿だ。こんなことを増田に書いてどうなるっていうんだ。自分言葉ネットに流したところで、じいちゃんには届かないのに。

たまの休日なんて、大したことはやっていなかった。休みの日に部屋にこもってダラダラとネットを見て過ごすぐらいなら、もっと会いに行けばよかった。

ネットよりも、リアル大事にすべきだった。


(追記)

ブコメ>narukami 人から「かわいがっていた」と聞かされたところで特にここに書くような思い出もないのでしょう?

長くなるし、まとまりがつかないので省略しているが、幼少の頃から祖父は近くに住んでいてよく遊んでいるので、たくさん想い出がある。

亡くなってから日経つが、昔一緒に遊んだ想い出ばかり蘇ってくる。


進学をして、社会に出ていくうちに自然と絡む頻度は減っていって、ここ最近は親戚付き合いが面倒に思っていたところだった。

まだ介護までには至っておらず、これから覚悟を決めていく前に、あっという間に逝ってしまった。お礼の一言も言えなかった。

それまでの自分のぞんざいな考えや行いが、これほどまで後悔を生んで自分を苦しめると思わなかった。

残された祖母と両親へは、もう二度とこういう気持ちにならないよう、意識的に付き合いを増やして、介護にも逃げずに最期まで向き合いたいと思う。

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