はてなキーワード: 退院とは
退院したって書いてるよ
リベラルさん、どうして、、、
ぬっちゃけ鳥山明の最近て本人脚本のドラゴボ超もフリーザブロリーもつまんなかったし絵もデジタルで劣化したし死んでも影響少ないよな [579392623]
https://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1709944868/
25 名前:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 1bae-XCmx)[sage] 投稿日:2024/03/09(土) 09:53:38.52 ID:NAjsFaCs0 [1/3]
中学生の時俺が階段降りてたらいじめっ子が背中から「かめはめ波ー!!」って突き飛ばしやがって勢いよく顔面打ち付けて顎と鼻の骨折れて前歯4本折れたこと忘れない!!
これって間接的に鳥山のせいだよな
早死にしてざまーみろだ
28 名前:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 1bae-XCmx)[sage] 投稿日:2024/03/09(土) 09:57:04.20 ID:NAjsFaCs0 [2/3]
いじめっ子がなんで悟空のフリして人殴ったり蹴ったりするんだよ
31 名前:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 1bae-XCmx)[sage] 投稿日:2024/03/09(土) 10:03:30.03 ID:NAjsFaCs0 [3/3]
病院退院した後もいじめっ子達は悟空やナルトのフリして殴ったりしてきた
タイトルの通り。末端のケースワーカーやってるけど最悪。そろそろ異動かなってくらいにはやってる。年度末を控えてるけど、正直今年で終わりじゃなかったら辞めてると思う。
何が嫌かって言うと、命を預からされるところとやりがいがないところ。あと制度が古過ぎるのが目につくところ。そこに付随する様々なイライラ。
人を見下しちゃいけないって道徳で学ぶけど、一人一人寄り添って真面目に対応してると持たない。最初は真面目に話聞いてたけど、酷い目に遭うことも多かったし気持ちの面で負担感があった。今はナマポほとんどをクズだと思ってるし、人生の価値は年数とかじゃないなって思った。あいつらが80年生きてこっちがその半分にも満たなかろうが、間違いなくこっちの人生の方が総合的な価値も世間への貢献も上だと思う。
配属されたらいきなり担当させられて、あれこれ相談に乗ったり時には厳しく赤の他人の生活のお世話をさせられる。100は行かないけどそのくらい。みんながみんな手取り足取り教えないとってレベルじゃないけど、一人で生きていけないような奴は全然いる。
そんなことする意味ないくない? 言うこと聞かないで好きに酒飲んだり勝手に退院したりして、それで死んだら公務員が悪いんだって。叱る以外になにしろってんだよ、20超えて自分で出来ない、理解しようとしない方が悪いだろ。親族も文句言う前に引きとって手前でやれよ。誤嚥で施設が訴えられてのあったけど、あんな感じのことなんかよくある。養えない支えられない、そのくせ一丁前に訴えはする親族。生きてるうちは親族の役に立たないし地域住民のお荷物だけど、せめて死後に親族のゴネる理由になれたのは生まれて来た意味があったのかもね。
なんで知らねえやつの人生背負うんだよ、金と介護とかの手間を消費するだけの人生なのに。
あとやりがいもない。大体のこっちがやるのは家に行って話聞いて、金出せる出さないの話するだけ。何でもかんでもとにかく金が出るか聞かれて、例えばテレビの修理代は出せないって言ったらすぐゴネゴネ。大人しく諦める人ももちろんいるけど、面倒臭いやつはとことんワガママ。議員連れてくる時もある。そう言う時はもっと面倒臭い。
楽だから金出すって言ったって税金なんだし、それに一回金出すとズルズル文句を言うから基本は渋る。でもまたゴネ始める。普通の人って欲しいものあったら働くなり節約なりすると思う。それをまず職員にゴネ続けて目標達成しようっておかしくね? 働けよ。仕事よりゴネるの楽なのは理屈はわかるけど、他の住民の皆さんは働いてそれを実現してんだよ。なんで当然のようにあれもこれも要求できるのか教えて欲しい。
引越し代、マッサージ代、タクシー代とかは自治体が待つことが多い。引越しはこの中だと要求されることは多くても金出すことはすくないか。
意味わかんねえ。引越しなんか普通の家はそうそうしねえし、マッサージなんて受けねえ。タクシー使わねえと病院行けないなら、入院かお看取りのある施設でもどうぞ。
あと制度の作りが甘い。と言うか性善説すぎるから悪いこと考えてる人に対して後手に回るし、古いから最近のお金の流れの実情に沿ってない。
て言うかみんな言えば働くって前提だから、病気ですって言われるとまた手間かかる。ちょっと腰が痛い、体がだるい、気持ちが乗らないですぐ病院の先生は診断書書くから、そうなるとこっちはお手上げ。病気ですって言われたらもう何も言えなくなる。
そんくらい通院して我慢しながら仕事してる人もいますやって言ってやりたい。でも言ったら揉めて面倒になるから任期ギリギリまで見逃すのが一個人から見たら一番楽、でそれが横行する。
不服審査とかも簡単にやれてスラップ訴訟みたいに出来るし、それでこっちの体力使わされるのもしんどい。制度の悪用に弱いのはどこもそうかもだけど、こっちは不正受給やらなんやらある上に、税関係みたいに本人の意思をガン無視して差押とかまだはできないのが歯痒い。
色々言ったけどセーフティネットに頼る人間がみんな嫌いなんじゃない。障害があっても出来るだけ働いてる人もいるし、高齢でフルタイムは無理だけど調整しながら頑張ってる人もいるし、シングルマザーで逃げて来た中仕事と子育てに奮闘してる人もいる。
自分にできることをやった上で、冷静にこっちに相談を投げかけて欲しいし、実際にあったこと、貰った金をちゃんと言って欲しい。これって無茶言ってないと思うんだけど。これが出来ないから社会の爪弾きなんだろうけど。
確かにこの制度がなくなると治安悪化ってのが見えてくるので、何かしらの形で必要なのはわかるけどもっと縮小していいんじゃないかな。それか事務系の公務員じゃなくて、警察とかそう言フィジカルに長けた人がやるのがいいと思う。言ってわからない平均未満の人間なんだから、暴力で躾をやってもおかしくないと思う。
先月まで子供関係の伝票処理してました! みたいな人がいきなり来て金返せとかヤクザ上がりと揉めるのってめっちゃ辛いと思うし辞める人がいても不思議じゃない。でもそれで辞めちゃうって生活保護の連中が生きてることによる外部不経済だろ。なんでこんな連中のせいで人生を狂わされるのかわかんねえ。
総じて気に食わないことばっかり。他の仕事も気に食わないなってことはそりゃあるけど、この仕事の不快感はまた別だなと思う。俺の税金がこんな無駄遣いされてるなってのを見るのはやるせない。その分社会保障費が減れば家計に余裕も生まれるし、子どもだってもっと持てたかも。貧困の問題で切り捨てるのか! みたいなこと言う人いるけど、こんな連中のためにみんなが共倒れする方が馬鹿らしい。こんな連中に税金泥棒って言われると鏡をくれてやってその分収入認定してやりたくなる。もっと金締め上げて生きていけなくするべきだ。
全体の割合でいくと年寄りばっかなんだけど、若い時備えてなくて死ぬ間際は生活保護って本当にムカつく。俺たちが老いた頃には亡くなってるだろう制度に乗っかってオムツ代貰って偉そうに。しかもたまーに仕事の仕方とかで説教してくるやついるんだよな。いやそろそろ人生の総まとめの時期だろうけど、人に説教できる人生じゃないじゃん。
障害に関しては一括りにすべきじゃないと思う。身体、知的と大体はそのお母さんの世帯とかは生活保護と別制度で手厚くして欲しい。知的の人ってすごい素直なんだよ。仕事をする意味が収入以外に日中活動の確保とか社会とのつながりとか、他の側面でやるべきって事情もあるけど、結構ちゃんと仕事してこっちに報告してくれる。普通に話して普通に言ったことを聞いてくれるから、話をしてて全く困らない。噛み砕いたりする時や、メモにまとめて渡す時もあるけど、別にそう言う個別対応は苦じゃない。あの時やってくれたとかでその後ゴネることはないし。
精神障害者はもっと働けって思う連中や、処方された薬を自己判断で飲まずに困ってるようなのが多くて最悪。ここの連中も割と職員からは嫌われてると思う。うつとかでも作業所に行くなりしてくれてればまだわかる。仕事をまだやろうって意思を感じるし。
後結構いるのは発達もあるのかもだけど、精神的に辛いですってゴネまくって仕事をしない若い奴ら。20代で家にいて、いざ訪問すると普通にゲーム機とかあんのね。こいつらゴミだなって思う。このまま一生制度に世話になるんだなって、何も生み出さねえ国民ガチャのハズレ。
あと人格障害の連中は本当無理。比喩じゃなく死んで欲しい。一番手間がかかるし、精神的にも負荷がかかる。無理と言って理由を述べても、自分の納得する答えが得られるまで延々電話したら窓口に来たりする。仕事もしないし友達も家族もいなくて暇だから。大体家族は手を引いてることが多い。病院やらも出禁になり、関わりがあるのが生活保護と障害の窓口だけになるけど、こっちは出禁までは出来ない。聞く価値のない話を丁寧に繰り返して時間を取られて残業する羽目になるのはもらえる金より精神的な負担が重くて辛い。
後ヤクザとかすぐ怒鳴るタイプの連中。こう言うのに性別関係なく担当をつけるのは社会の進歩だなぁと思ったのも束の間、お尻を触ったりするような奴がいるらしくそれじゃ意味ないなって思った。てかそんなのあったらすぐ通報したらいいのに。職員の尊厳の問題なのに何を躊躇ってるのかわからない。
実際こいつらも言い合いになると本当体力使う。たまに病院でもらった薬転売してるやつとかいるし。
普通の国民の生活とかなり切り離されてるし、他に色々日本に問題があるからこれも取り上げられないけどこれも早く直した方がいい問題だと思う。
父がボケてしまった。最後にあったのは1/1だった。急に足元がおぼつかなくなって、歩くのも大変そうだった。外出先で転んで立ち上がれなくなり、救急車を呼ばれたが乗車拒否したと言っていた。スマホも保険証もなかったから、と。故郷の地酒を私に飲ませてくれた。あと私が持ってきたビールをずっと飲んでいた。
先月の終わり、連絡があって、また外出先で転んで骨折して入院したと聞いた。それで、面会に先に行っていた母から「なんか様子が変」と聞いてはいたけど、お見舞いに行っておったまげた。どこのおじいちゃん?あなた?ってくらいボロボロで、言ってること意味不明で、酒の幻覚を見てるようだった。
脳外科および脳神経外科はないので、検査とかないんだけど、ボケてるとリハビリも難しいらしい。
一時的なものなのかなあ。それともずっとこうなのかなあ。脳神経外科には今の病院から退院してから行くんでいいのかなあ。
面会も週1だし、なんか落ち着かないんだよな。どうしたらいいの?何ができるの?
そもそも、心配するって選択肢でいいのかどうかも、よくわからない。
なぜなら父とはずっと関係が最悪で、結婚して子どもが生まれてなんとか盆暮れ正月に会うくらいの仲に回復した。
子どもの頃、寝てる私にスチールのゴミ箱投げつけたの一生忘れないからな(めっちゃ鼻血出た)。
でも、あんなボロボロになった姿を見ると、さすがに胸が痛む。あと、母へ介護のしわ寄せがいくから、それも不安だし心配。
とりあえず刺激になることを願って、しばらく面会には行こうかと思う。
入院中の父に電話もLINEも繋がらん繋がらん言うて心配していたけど、退院後に調べたら父のスマホの通信量の制限が原因だった。母が父のスマホに無断でかけてたやつ。
「普段は家に居て全然データ通信しないから、そもそも使わないでしょと思ってかけといたのー」じゃねえんだわ。だったら制限もいらんやん。
何かあったときに連絡取る用のスマホがガチの緊急時に繋がらなかったら意味ないと思うのよねえ。通信量制限するのも田舎で楽天モバイル使い続けるのもやめよーよー
しかし通信量の制限は取り払われたものの楽天モバイルからの切り替えはしないとのことであった。主義信条年齢の影響でLINE等使えない人への折り返しのために、電話回線への発信が定額の楽天を使い続けたいとのこと。それ主にスマホの電波が脳に悪いからって頭にアルミホイル巻いててスマホ持てない叔母さんのためのやつじゃんんんん
お父さんとどっちが大事なんよー。痛み止めに麻薬使うレベルの病状なんだからマジで後悔する可能性あると思うんよ。死に際の後悔と吝嗇を天秤にかけてケチを勝らせんなしー……
なんか婚活談義が人気なのでお前らにはどうせ不可能な方法で30歳無職でも年収1000万オーバーの女とハイスぺ婚活余裕だったから教えてやる
どれだけ終わってる奴でもどうせお前らにはムリだけどこういう方法もあるぞって教えてやる
まあ婚活余裕だったっていっても正直そういうのどうでもいいから複数人と付き合って結局結婚してないし辞めたけど。
結婚は安定で安寧で俺らみたいな天才からしたらそういう「幸福の沼」が一番怖いからな。沼がハチミツだったら俺らみたいな天才でも這い上がろうとと思わないからな。
スペックは首都圏有名国立大学理系院卒 年収1000万企業入社、ダサくてキショイから1年で止める
ずっと一軍。
正社員を1年やってクソだったので辞めてフラフラして24歳から音楽と絵を開始、自殺未遂で2回精神病院ぶちこまれてるけど基本明るいIQ120
要するに天才
ジャンルはオタクじゃなくて全部イケてる感じの奴な、勝手に色んな女や才能を見つけて支援したい奴らが色々来るのでそれで何とか。
以上終了
斜めに構えたお前らみたいな奴にはどうせ無理。誰が気取ったメガネの文字書くだけの奴を好きにもならん。ダセェから。
クソダサい眼鏡のお前らはnoteに文章を上げてダサい身内で「エモいンゴwww」とか言って身内でキショイことしてるだけ
そんなキショイ事おれはしない。そんなキショイやつダサい奴以外誰も好きにならない。
女子高生が放課後にスマホで見てるモンを作る奴が一番イケてるし偉いから。
終わってんならイケてろ。つーかスペックじゃないだろ。本来人を好きになるって、
それぞれの欠けた心の形をぴったりとはめ込んで結婚するものだろ。イケてるからそれの表現が出来るからみつけてもらえるだけ。
お前らみたいなスペック云々でやってるから誰もお前の事を好きにならねぇ事に気づけ
以上 終わり、
俺は天才なので勝手に人が寄ってきて、それで見つけられてモテてるが色々と思う所ある。
つくづく「才能というのは人に見つけて貰えるためにあるのだな」と思った。
仕事辞めてから俺には何もない。何の肩書も無い。ただ才能だけがあった。
ネットにアップし続ければ才能で見つけて貰えて勝手に人が寄ってきて見つけて貰える。
だから、現代において才能というのはきっと「人に見つけて貰えるための光なんだな」と思うようになった。
誰も見つけて貰えないくらい部屋で、蛾みてぇに部屋でずっと液晶に群がって音と絵を作る。おもしれぇモンを作る。
何もねぇけど確かに俺は輝いている。wifiにがんじがらめにされてる俺たちは身を寄せ合って光を見つけあうんだろうな。
婚活相談所で肩書しかないお前らと違って、俺は何も書く必要が無い。
ツイッターで必死にスラッシュで区切って「外銀だとかで人を集めてるダサい奴と違って俺は何も書く必要が無い」
ツイッターで何かラベル貼ってる「港区コンサル丸の内OL」みたいなクソキモイ奴らも俺を見つけて来てしてきてキショイからシカトこいてるけど
なんでそいつらに「そんなにペタペタとラベル貼ってんの?」って思ったけどさ、俺も元エリートだからやっとわかったは
お前らって才能無いから才能がない奴らってラベルを貼るしか無いんだなw
俺は才能があるからああいうのと違ってラベルを貼る必要が無いんだよね。
だってパッケージングしなくても勝手に才能で光ってるから見つけて貰えるもん。
お前らみたいなダサい奴はラベルを貼らないと人に見つけてもらえないんだなってやっとわかった。
さて、人を集めるための煽りもこれくらいにしといてさ。
スタンド使いとスタンド使いが惹かれあるようにイケてる物とイケてる物は惹かれ合うだなって思うんだよね。
「センス感じないな」って思う人たちって使う言葉もどこかで借りてきた言葉で、お手本の模倣の表現で、幸せそうで、やたらと勉強になったとか、
制作の事を大げさに実況中継してて、なんつーかポジティブを押し売りしてて丸いんだよな。
人間的に丸い奴にセンスを感じないというか、心という球体が何かを喪った経験があって欠けているからこそ他人の心に刺さる事が出来て、それを才能と感じる。みたいな。
あとセンス無い奴ってずっとネットでも他人の話をしてるよな。自分の人生なんだから自分の話をツイッターでしてほしい。俺はそういう人たちが好きです。
ロシアがだとか、男がなんちゃらだとか、そういう一生他人の話をしてるダサい奴ってセンスないよな。
なんだろう、なんていうか俺たちみたいな見えている天才は喜劇と悲劇のその両面が好きなのだ
コインの表裏のように世間はそれを分断したがって語りたがるが、
本質は一つ。表裏ではなく、コインは回転すれば球体となる。それが真実。みたいな。わかる???
まぁぐちゃぐちゃいったんだけどさー、別に才能無くていいんだよね。俺は才能あるけど才能がない奴らの事を見下してるわけじゃなくてさ
才能とか婚活とラベルとか正しいとか正しくないとかフェミとか色々あるけど「お前自身じゃん?」みたいな事がいいたいワケよ。そこに気づいてよ。みたいなね。
そこに気づかずに婚活しようとしてたり、他人の話ばっかしてるとさー、なんか病気になるから辞めろよなってっつーそういう話。
まー別に好きにすればいいけどな。ガチで。お前の好きなようすすればいいんだけどさ、お前自身じゃん、それを忘れんなよってことな。
色々さー、焦るとか云々あると思うんだけどまあ何を言ってもしゃーないし
とりあえず最後に俺が自殺未遂して退院した後に作った作品でも貼っておくわ
https://youtu.be/EeU4jiKJXdM?si=dvmezfYxIm5dMp5v
以上よろしく
2年前のクリスマス、深夜腹痛で目が覚めた。
今日これで生まれたらイエス・キリストと同じ誕生日かー、じゃあ名前はあれかな、とか考えて気を紛らわせた。
入院したまま年が明ける。
転院の可能性もあったけど何とか落ち着いた。
ほっとしたのも束の間、ある朝起きたら体重が1キロ増えていた。
手足もパンパンに浮腫んで血圧も高めで、なんとここに来て妊娠高血圧症候群を発症。
でも妊娠高血圧症候群を発症した頃からお腹も張らなくなってきた。
張り止めも徐々に減らしていき、1ヶ月ほどで退院できた。
でも出社は控えるように言われたのでそのままなし崩し的に産休に入ることになった。
1ヶ月ぐらい過ぎた日の朝、トイレに行ったら便器が真っ赤に染まっていた。
お腹も痛くなってきたし医師の判断でこのまま出産することになった。
なったんだけど微弱陣痛で陣痛が遠のいて痛くなくなってしまった。
なかなか破水しなくて医師が「じゃあ破水させます」と言った瞬間に破水した。
慌てて夫に連絡し陣痛に耐えながらその時を待っていたら胎児が降りて来られないとのこと。
去年のことを思い出したので記念に書いてみた。
・父
・母
・第一子 (以下,私)
・第二子 (以下,二号)
2002年生まれの大学3年生.幼稚園から大学の学科まで私と同じ.
・第三子 (以下,三号)
大学に行かせてくださいと私が頼んだ時,父は以下の条件を出した.
・理系の,
・国公立大学に,
・予備校などには頼らず,
・現役で合格すること.
これら全てを満たせば学部を卒業するまでの生活費も学費も払ってくれるという.
私の高校は進学実績が落ちてきてはいたけれど進学校で,教育費には糸目をつけない親を持つ同級生が多くいた.
同級生たちよりも厳しい条件で大学受験に臨むことを不満に感じなかったと言えば噓になる.
が,学費を払えなくなったり,子供ができたりして高校を中退した中学の先輩を数人知っていたので,彼らに比べれば自分はずっと恵まれた環境にいるということを私は知っていた.
そして私は父の出した条件に従うことにした.
・A大学
通学時間は片道2時間.興味のある分野について学べるが,定員が少ないうえに後期試験がない.センターリサーチではC判定.二次試験は苦手科目の配点が大きい.
・B大学
通学時間は片道2時間半.興味のある分野に関連する学科はないが,設備が充実している.センターリサーチではB判定.二次試験は苦手科目の配点が大きい.
・C大学
通学時間は片道1時間.興味のある分野に関連する学科はないし,設備も充実しているとは言い難い.センターリサーチではA判定.二次試験は得意科目の配点が大きい.
A大学にどうしても通いたかった私は,合格の可能性が低いことを分かっていながら前期試験はA大学を受けることにした.後が無いので後期試験は安パイのC大学に出願した.
私はC大生になった.
入学一週間後には,自分が大学の下調べをかなり怠っていたことに気づいた.
シラバスを読む限り1年生の講義は高校の復習と言って差し支えなかった.2年生以降も,うちの学科はさして専門的な講義はないらしい.
1年生の時点で,大学で新しく勉強を始めたものは必修でもないのにとった第二外国語くらいだった.
やる気を出さないまま1年生の前期が終わった.GPAは4だった.
私は頭が良いと同期たちがあまりにほめるので,「いやいや,センターの数学で65%しかとれないくらい勉強苦手だよ」と事実を言うと,めっちゃ頭いいじゃんと返された.
やる気を出さないでいるうちに色んなことができなくなっていった.オンラインなのに講義を毎日欠席し,部長まで務めていたサークルを無断で辞めた.
堕落しているのは自分なのにC大学を見下す気持ちが強まっていく.
その頃,高校1年生の三号が志望大学を決めた.東京で一人暮らしをして文学部に通いたいらしい.個別指導の塾に通うし,滑り止めで私大を受けるし,浪人も視野に入れているという.
一体どんな手を使ったのか,三号は頑固な父を説得して自分の望み通りの条件で大学受験をすることになっていた.
私は理解できなかった.親の方針って,絶対的なものではなかったのか.大学に入ってからの この3年の月日は何だったんだ.
親に制限されたからぱっとしない大学生活を送ることになったのだと,私はこれまで現実逃避してきた.本当は違ったのだ.
与えられた状況に流されるまま行動してきた結果がこれなのだ.
はっきり言ってこれは逆効果だった.
医者に,「私は学歴コンプがあるんです」なんて恥ずかしくてとても言えない.
結局2度目の3年生の春にまた自殺未遂をし,大学病院へ転院することになった.
だが,新しく処方された薬でやる気のなさが改善し大学へ通えるようになった.
真面目に大学へ通い始めて,うちの大学には親切な先生が多いことを知った.
通院でどうしても講義を受けられないときは代わりに課題を出せば出席扱いにしてもらえたし,語学試験を受けたいと第二外国語の先生に相談したら週1でレッスンをしてくれた.
特に親身になってくれたのが指導教員で,色んな学術書を貸しては解説をしてくれた.
進学の準備を始めた矢先,自分でもどうしてだか分からないのだが自殺未遂をしてしまった.入院しましょうと主治医が言った.
その部屋には布団とトイレと監視カメラしかなかった.部屋には何も持ち込めないので情報収集も勉強もできなくなった.
数日後に読書が解禁されて,父がたくさん本を買ってきてくれた.一日中本を読んだ.ただ本を読むことに没頭できたのは小学校時代以来かもしれない.
入院しているうちに気持ちが落ち着いてきて,2カ月ほどで退院することができた.
入院したことで準備が間に合わず,C大学以外の大学院は受験できなかった.学科内の同期で内部進学をしたのは私一人だけだった.
昨日の朝二次試験のために東京へ行く三号と両親を,二号が車で駅まで送っていった.飲んでいる薬のせいで私は運転できないから家に残った.
夕食後の薬を飲むといつもは副作用で起きていられなくなるのだが,今日は目がさえて眠れない.
二次試験を受けるのは私ではなく三号なのに緊張してしまっているようだ.
三号への感情は羨ましい妬ましいという気持ちと,私ができなかった分も大学生活を満喫してほしいという気持ちがないまぜになっている.
春からは三号に対して学歴コンプを抱くようになるのだろうか.今すぐにはできなくても少しだけでいいから,いつかは克服したい.
その昔、ある国にシンデレラ(灰被り)というクソ野郎がいました。どうしてシンデレラというのかと言いますと、彼女は母親の葬儀で自身の頭に遺灰をかけたのでありました、その様子から灰被りと呼ばれており、本名を失ったのです
妻に先立たれた夫もまたクソ野郎で、葬儀の翌日には三つ歳下の女を騙し、身体を重ね、結婚まで
血の繋がっていない姉と妹が出来たのです
数日経つや、「離れがあった方が便利じゃないかしら」と庭にあったシンデレラの母親の墓と墓のそばにあった樹齢何百年の木を伐採し、離れの建設を強行しました。
そんな、クソ野郎の一家にある日城から舞踏会の知らせが届きました。が、姉はシンデレラが読む前に「お前が行けるわけねぇだろ」と知らせを破いてしまいました。「最初から行くつもりなんかねぇよ。地獄にでも行った方がマシだ」とシンデレラも行く気はさらさら無かった様ですが…
そうして、出産のため母親が入院した日に姉は舞踏会へ行ってしまいました。庭では相変わらず、離れの建設が進んでいました。
そんな事も考えましたが、シンデレラは止めました。そこへ突如、魔女が現れました
「シンデレラよ、どうして舞踏会に行かないんだね?」魔女は聞きます
「てめぇに言ったとこで何になる?」
すると、シンデレラはなぜか宝石のようなドレスに包まれてしまったのです
「舞踏会に行かなければ、そのドレスがお前を殺すよ。さあ、行ってらっしゃい」
流石にこんな所で死にたくはないシンデレラ、しぶしぶお城へ行くことにしました
お城では姉と同じようなクソ野郎が一夜の出会いを求め、踊り狂っていました。誰一人として本心で他人を褒める者はおらず、内心は皆「自分が世界の中心だ」とばかり思っているようでした
シンデレラは踊らず、部屋の端でタバコを吸いながら時間を潰してました。そこへ、誰よりも派手で高級な礼服を身につけた男が「お嬢様、踊らないのですか?」と話しかけました
答えました。男はなぜだか一目惚れしてしまいまして「じゃあ、別室でもおっと楽しいことしましょうよ。ほら、来るんだ」と無理やりシンデレラを城の別室に連れて行こうとしました。しかし、シンデレラは咥えていたタバコを手に押し当て
「手が滑りましてよ」と笑いました
タバコを押し当てた時の声があまりに情けなかったものですから、誰もその男とは身体を重ねる者も踊る者もいませんでした。もちろん、そんな憐れな男がこの城の持ち主である王子さまである事も誰も知ろうともしません。
やがて、飽き飽きしたシンデレラは靴を階段へ放り投げ、素足で家へと帰りました。靴はガラスだったので、粉々に砕けてしまいました。
翌日、下人が城を掃除していると片方だけの靴を階段で発見しました。明らかにこれは変だなと思い、ひっそりと靴を調べてみるとなんと致死量の猛毒が塗られていたのです
これは王子を殺害するために違いないと城の中で噂が広まり、やがて大規模な調査が行われることになりました。調査と言っても、単純なもので
靴のレプリカを作成し、サイズがぴったり合った人を容疑者として投獄するというものでした
そして、次々にサイズの合うだけで人々が投獄されていきました。中には舞踏会に行って無かった人もいましたが、嘘に違いないと無理やり連れていかれてしまいました。
やがて、シンデレラの家にも調査がやってきました。それは退院した母親と子供を皆で眺めている時です、姉はもちろんサイズは合いませんでした
なので残りはシンデレラのみでした。そうして、シンデレラに姉は呟いたのです「あなたには現世より地獄お似合いなようね」と
が、私は舞踏会に行っていない、証拠に家のどこにもドレスが無いからと無実を訴えました
しかし、王子さまはゴミ箱に捨てられたタバコの空箱を見せ「これはあの時、犯人が吸っていたものと同じ銘柄だ、なぜなのかな?」と言いました
すると、シンデレラはニヤリと笑って
「やっぱりあたいは死神と踊りたくなっちまったよ。ね、王子さま」と言いました
王子さまたちが気づいた時には既に手遅れでした
足元に転がった手榴弾はシンデレラごと、王子さまを爆破したのです。
時刻は正午を回ったところでした。街に鐘が鳴り響き、住民たちは昼食に祈りを捧げていました
飛び散った靴の破片は凶器となり、やがて誰かを傷つけるだけの悲しい破片となり、誰もそれの元の姿など想像しませんでした
おわり
まず看護師さんたちが自分の身体のために気を使ってくれる、心配してくれる状態がサイコー
自己肯定感上がる
あと病院食美味しいし、ご飯もりもり食べて大小便もりもり出すだけで元気で素晴らしいと褒められる
それと私は年下の同性が苦手、反面おばさんという属性がうっすら好きなので、産婦人科病棟の看護師さんや患者がおばさんまみれでサイコーだった
手術後は流石に痛み+眠れない状態が12時間続いて拷問状態だったけど
退院までの2日間は元気だったのでアマプラで映画見まくったサイコー
またいつか入院したいなー
したくないけどしたい
【よくある話】
もうだいぶ昔の話。
小さい病院で働いていた時に自分より年上の人が「専門医取得のため」とその病院にやってきた。申請に必要な「論文が足りない」とのことだった。
他の科は指導医資格を複数お持ちで(ネットでの発信/配信も盛んにされているようなので特定回避のため書かない)それでは足りないのだろうかとも思うくらいだったが、そこは個人の価値観によるのですごいなあと最初は思っていた。
少し引っかかったのはマイナーな学会の資格や加入歴がとても多いことと職場を転々としていることだった。
結果的に半年で去って行ったのだが、昨今のいろいろな告発などを見かけて思うことがあったのでそれまでに起きたイベントを記録しておく(※自分の見聞によるものが大きいので証拠はない、中立性には欠ける)。
とにかく立場が明確に下の人間(患者や研修医)へのあたりはとにかく強かった。そうした人間への暴言や謎の自信あふれる上から目線の発言は事欠かなかった(録音などはなく伝聞)。
ただ正当性が全くないわけではないので完全に悪とまで言うこともできない。
ざっと挙げる
・喘息/COPDの吸入薬が余った患者への当たりはとにかく厳しい。「当院治療効果は期待できない」とカルテに書かれて紹介状も書かれず(書かれた人もいたが)一方的に通院中止になった人も多かった、気持ちはわかる。
・喫煙している患者も同様、まあこれも気持ちが分からなくはない。
だいたい「禁煙できないのであれば(吸入薬をきちんと使用しないのであれば)、治療効果が落ちてしまう」「治療しようとしている医師に失礼」「治療をきちんとしないのであれば、当院のような専門医療機関で見る意味はない」という意味合いのことをとにかく強く言っていた。気持ちはわかる。
・吸入薬で動悸が出るため自己判断で休薬していた患者も「自分のこだわりが強く自分の裁量で調整してしまうこともある」とカルテ記載し一刀両断して通院中止にしかけた(たまたま周囲が気を利かせてそっと主治医変更)、誰のこだわりが強いのか判断が難しいね。
・引き継いだ肺癌症例のPD時治療方針が患者希望と一致していなかったことに対して怒りを覚えたのか、患者希望でもなく一方的に転勤した前医(同じ県内)にPS2~3の状態で紹介していた。そこまでするんだとは思うが希望があったのかもしれないし詳細不明
・ガムを噛みながら外来に入ってきた患者に「ガムを噛んで相手に応対することは自分は不愉快だ。」と入室して早々に怒鳴る、これもわからなくはないけど怒鳴るメリットあるのかな
・ICU担当の循環器内科医のコンサルトに対して「こんな重症肺炎は高次医療機関に紹介すべきだ。ここで診るのは厳しいだろう。」と口頭でお返事。相手からの報告のみでカルテの返信記録もなく証拠はないが、ICU管理以上の高次医療機関あるのかな。
・自身が外勤で不在中に入院担当患者尿道カテーテルの自己抜去が発生、病棟対応をした初期研修医は止血が得られて尿流出もあることを確認し、院内にいた別の当科医師に報告して経過観察にしていたが、戻ってきて報告を受けるなり「なぜすぐに泌尿器科に紹介しないのか。」と激昂。止血が得られていたことなどを説明したが、舌打ち、「使えねーな」と言い放った。このあと指導医即変更。
・時間がずれ込んで当直帯に輸血することになった他科患者の輸血承認を研修医が依頼したところ「俺の仕事じゃない!」と激昂して研修医を電話で30分激詰め。院内のローカルルールでは時間外の病棟対応も当直医がすることになってはいたが特に明文規定もなくこの辺はどこまでを当直業務とするのか難しいなと思った。
記載がない
とにかくカルテ記載がほとんどない。オーダーは外来にしても病棟にしてもかろうじて出るが、ほとんどdo処方。方針も書いてないので誰も手を出せない。
外来では少なくとも10件以上が無記載で処方のみになっていて無診察処方ともとられかねない状態。入院になると下にいた研修医がかろうじてカルテを書いていたが、早々に下につかなくなったうえ、病棟看護師にも威圧的な態度なため早々に誰も方針確認を出来なくなった。
コンサルトの返事も紹介状も書かないので彼が担当の日は部長が代行していた。
手技ができない
何の手技が出来るのか最後まで分からなかった。少なくとも胸腔ドレーン挿入は出来なかった。ドレーンは入れられるし指導も出来るということで研修医もドレーン挿入介助についたのだが、全く入れられずある時は手技を別の医者に変更になっていた。手を代わった先生によると皮下組織の剥離が全然できないまま、ドレーンをペアンでつまんでひたすら押し込んでいたらしい。EとIDのAttendがあっても出来ない手技はあるんだなというよくわからない驚きである。あとアナログな水封のドレーンバッグを当時使っていたが、仕組みが分からず水封に出来ずに使おうとしていた。
Ⅲ度気胸症例のドレーン挿入も出来なかったが、若い人だったのもあり局麻も十分に使わなかったのか痛みのために手技中に意識が消失しかかっていたらしい(緊張性気胸のほんとうにまずい状況ではなかったようだが)。病状説明では「患者が喫煙をずっとしていたために胸腔ドレーンの挿入に手間取った。挿入時の疼痛についても喫煙の影響だ。」と発言(そもそも説明記録がないので証拠はない)、そんな事実は今のところ自分は知らないがひょっとしたらそういうエビデンスがあるのかもしれない。
点滴、採血は看護師がやっていたのでそのあたりはわからないが、抜鉤は出来なかった(縫合は不明、抜鉤器は病棟看護師が使い方を教えたらしい)。
連絡がつかない
報告しないと激昂する割に電話はとにかくつながらなくなることが多い。外来が終わると姿が見えなくなるので外食でもしているのではと言われていたがどこにいて何をしていたかはわからない。
何もしない
入院患者はとにかく増やす。「入院を増やして収益に貢献する」と息巻いてとにかく自分の担当で入院させるもののそのあと何もしない。検査や点滴、処方のオーダーもしないので研修医がオーダーを入れていて、指導がつかなくなったあとは自分でしていたが、病状説明も方針決定もしないので抗菌薬が延々行き続ける、入院日数だけ増えていき収益に貢献するどころか負債になっていく患者が積まれていった。結局別の医者に担当変更して退院調整せざるを得なかった。
人の話は聞かない/自分の非は認めない
外来患者には延々自分から話をしていて全く話を聞いてくれないと毎日のようにクレームが来ていた。その上外来の時間は長時間になり待たされる/話を聞いてもらえないの状態から激怒する患者も多かった。こちらから何を言っても非は認めないので周囲から指摘することはすぐになくなった。
結局この状態なので論文どころではなく病棟担当からも外れたので早々に転職活動をして去って行った。
それでも世間を騒がせる医師と異なったのはここが内科であったことだ。内科は直接手技で死なせる/後遺症を負わせることは外科と比べると少ない。内科の薬も手術よりはリスクが低いのでリカバーがきいてしまう。誰かが修正すればどうにかなってしまうのだ。
その場の犠牲は少ない代わりにそんな人間がどこかで医療をすることは続く。自分には良いのか悪いのか分からない。
SNSなどを見ていると感謝されたというような投稿も見かける。自分が見たのもだいぶ昔なので変わったのかもしれない。
世間をにぎやかしている医師もそうだが、患者側からみると一目見ただけではおかしいかどうかはわからない。特に紹介状なしで受診すれば医者が選べることはほぼない。そのなかで当たりか外れかなんて事前に誰も分からない。
紹介状で指名でもしない限り無理だ(指名しても当たるかはわからないが)。ソシャゲのガチャに等しい。
全員を知らないが、医者は基本的に話を聞くスタンスで外来にいるし、喧嘩をすることはメリットが少ないので好んでしない人は少なくない(と信じたい)。
いろいろ批判が来そうだが客商売の側面はどうしてもあるので、患者相手に普通はそうはならないのだ(時と場合にもよるが)。
話がかみ合わない。喧嘩になる。普段の外来でもないわけではないが、そうなることが多いなら担当変更など考えても良いのかもと場末の医者は思う。
誹謗中傷したいわけでもない。世の中極端ではなくとも危ない医者はいる。そうでないまともな医者もたくさんいる。
犠牲になる人が一人でも減ることを願う。
私は難病患者ですが、マッチングアプリで恋人を見つけました。結婚も考えてくれています。
避けては通れない結婚や出産の話題で、わたしが思うことを書きます。
まず前提として、SLE患者だけでなく難病患者の恋愛はかなり難しいものだと言えます。
わたし自身、マッチングアプリを使用している際に、病気であることを告げるとフェードアウトする男性がほとんどでした。
中には、「一緒に支える」と言ってくださる方もいらっしゃいましたが、それでもほんの少数派なのは確かです。
実際問題、介助者がいない状態での難病患者の1人暮らしは、不安が付きまといます。
体調を崩した場合も、家のことや入院する場合は手続き等、すべて自分でおこなわなくてはいけません。
両親もいつまでも元気ではありません。そんな時、近くで支えてくれる誰かがいるのといないのでは、全く心の持ちようが違うと思います。
わたしは幾度と入院と退院を繰り返して、1人で生きていくことの大変さを思い知りました。
人は、1人では生きていけない。
だから、結婚するためにマッチングアプリを使用し、恋人を見つけたのです。
もちろん、結婚がすべてではありませんし、1人で生きていけるほどの強い方がいるのも理解しています。
ここではあえて「結婚したいけどどうせできない」と諦めている方にお伝えしたくて書いています。
寝たきりの方でも、全盲の方でも、結婚している方はいらっしゃいます。
わたしはインターネットで知り合った男性と仲良くなり、次第に付き合うようになり同棲をした。彼は元々メンタルが不安定なこともあり、彼が仕事に行けない時は私も仕事を休んで一緒に寄り添うことをしてきた。しかし彼のメンタルは悪化の一途を辿るばかりで、休職を繰り返しやがて仕事を辞めることになった。彼の病名はぼやかすが症状や行動はいわゆるメンヘラと言われるようなもので、わたしが他の男性と連絡を取ったり話をしているだけで発狂するような人だった。彼が仕事を辞めてからはその度合いが高まり、私は仕事に行っている間以外は彼以外と接することはなかった。わたしが留守の間に何度も自殺未遂による警察沙汰を起こし精神病院への入退院も繰り返していた。いま思えばこの時にわたしは周りの誰かに助けを求めるべきだったがその時はわたしがこの人を助けるんだというような使命感に駆られていた。彼は働くことができないのでもちろん家賃や生活費はわたしがすべて負担することとなっていた。次第に貯金もなくなり、生活が困窮することとなった。ついにはいくつもの消費者金融からお金を借りることとなり借金はみるみる100万を超えた。ある時から彼は他に気になる女の人ができたようで、もう彼に好意などなかった私は同棲を解消し半ば強引に彼の好きな相手へと彼を押し付け、別れて引っ越しをした。しかし、別れてからも彼は何度も自殺未遂のようなことを繰り返しているようだった。もうこの時点で彼からの連絡を完全に無視すればこれ以上依存されることはなかったのだろうが、夜中に「今から死ぬ」などと電話が来てはどうしても見捨てることなどできなかった。それからずるずると彼の依存を受け入れ続けていたが、縁を切ることができればどんなに楽になれるだろうかと思っていた。神社に立ち寄るたびに縁が切れることをいつも祈っていた。それでも彼からの依存が断ち切れないのでついには有名な縁切り神社へと行きお参りをした。
それから半年ほどして私は逮捕された。特殊詐欺に加担したのだ。その頃のわたしは借金返済に追われ生活するのが苦しくなっていた。完全に自転車操業となり、どうにか一度にお金を手に入れられないかとインターネットで見つけた甘い話に乗っかってしまった。朝5時に警察はわたしの自宅に現れそのまま2週間留置所に入れられその間に会社をクビになり、前科がついた私は釈放後は強制的に実家に戻ることになった。わたしが逮捕され連絡を取れなくなった彼はニュースでわたしのことを知ったようで、ラインや電話が何度も来ていたがそのまま連絡を返すことはしなかった。こんな形で切れた縁だがもうあんな苦しみは味わいたくない。容易に人が人のことを救えるなんて思ってはいけないのだ。
青年向け漫画の編集者をしていた。といっても若い頃の話だ。都内にある編集プロダクションを辞めて田舎に帰ったのが36の時だから、おじさんの入り口に立った頃か。今では完全なるおじさんである。
働いていた会社というのは、講談社とか小学館とか秋田書店とか、そういう大手出版社ではない。あくまで編集プロダクションである。出版社と編プロがどう違うのかって……ざっくり言うと元請けと下請けだ。出版社が出版事業(今回だと青少年向けの漫画作りや商業展開)の企画をして、漫画家が作品そのものを作って、編プロは雑誌本体を作って、その制作過程で印刷所やデザイン事務所といった専門集団と関係することになる。
イマイチな説明になってしまった。一般社会の例で説明する。民法でいうところの委託(準委任契約)に当たる。公共建築の分野でいうと、公共機関の建築技師が新しい建築物のマンガ絵を作り、建築事務所が基本設計~詳細(実施)設計をして、出てきた成果物を元に大手建設会社が施工監理し、地元にある中小事業者が実際の土木建築作業をする。
自分が勤めていたのは、この例でいうところの建築事務所だ。受益者(国民=漫画読者)の希望に応えたい組織があって、そこから依頼を受けて動いている関係会社のひとつ。そういうアナロジーだ。
出版社との役割分担は、そこまで分離しているわけでもない。漫画編集者といえば、昔の手塚治虫ほかの自伝みたいに、漫画家とアツいやり取りをしているイメージがある。ああいう、企画経営と制作現場の間にあるような仕事は、出版社の社員が直接することもあれば、編プロが出版社(編集部)のオフィスを間借りして行うこともある。
前者の例だと、マガジン、サンデー、チャンピオンなどだ。コンビニや書店にほぼ必ず置いてあるレベルの漫画誌。大手出版社に総合職コースで入社した人が、(編集、取材、制作、資材、宣伝、マーケティング、総務経理人事その他事務)といった多くの部門のひとつである漫画編集部に割り振られて其処に居る。
後者の例だと、大手出版社が出している漫画誌でも、あなたが聞いたことのないやつもけっこうあると思う。そういうのは、編プロが出版社(編集部)の仕事を丸ごと請けて実施していることが多い。自分は、そういう会社で働いていた。職場自体は大手出版社の中にあるが、いわゆる委託先の社員だった。別の言い方をすると、親雑誌に対する子雑誌の関係。
ほかの長文増田の記事を見るに、あまりたくさん書けない仕様のようである。何文字までかは知らないが、文字数制限があると思う。本当は何万字でも書きたいのだが、あくまで自分が書きたいだけであって、あなたが読みたいとは限らない。一万字以内になるよう心掛ける。以下に、自分が関わった漫画家を2人だけ紹介しよう。最後に所感を述べて終わりにする。
その2人(A先生とB先生。どちらも若手)と私は、分水嶺のような関係(追記;わかりにくい表現ですいません。ブクマカのBuchicatさんのコメントのとおりです)だった。ある日、私が担当していた漫画家のA先生が新作の企画提案に来ていて、同じタイミングで別の編集者のところに持ち込みをしたのがB先生だった。その別の編集者が不得手なジャンルだったこともあり、A先生との話が終わった後で、私も一緒にB先生の作品を読んだ。
その後、編集部の責任者を交えた会議で、私が引き続きA先生の新作の担当者に決まった。新人であるB先生の担当になる可能性もあったが、そうならなかったのは、今の漫画界の一界隈にとって幸運なことだった。
A先生は、雰囲気が暗めだった。人間性まで暗いというわけではなく、心を開くと明け透けになるタイプだった。モードに入ると饒舌になる。
弊誌では、読み切りを何度か掲載したことがあった。アシスタント経験あり。小さい賞を取ったことがある。ヒット作はないが、若き漫画家としてはキャリアがあった。
画力が抜群だった。小学校や中学校で、学習ノートにフシギダネの絵とかをソラでゲームパッケージそのまんまに描く子がいただろう。とにかく天賦の才を持っていた。最小限の画量で、それでいて迫力と感情に溢れた1枚1枚を描く。そういう人だった。
難点は、マジメすぎるところか。少し前にやっていたアニメだと、チェンソーマンに登場するアキくんか(少し前……?)。とにかくマジメだった。いや、やはり『直向き』に訂正する。
A先生は、少年誌に見合わない重たいテーマに挑むことがあった。今でもそうだ。彼のマンガには『緩さ』がない。それもいいところなのだが。私は好きだった。はっきりいって。が、読者の傾向に合っているかは微妙だった。
子どもの頃から漫画が好きだったらしい。中学生の頃のイラストを見せてもらうと、俄然キャラクターへの愛に溢れる作画を見ることができた。中学生らしい、プロには程遠いクオリティなのだが、しかし見ていて違和感がないというか、自然にくっきり入ってくる。
私という人間は、具体例で物事を説明する癖がある。上の「中学生らしいイラスト」を別の事例で表現すると……「うるせ~!!知らね~!!FINALFANT ASY」(短縮URL:https://x.gd/L5cc4)だろうか。以前、いつぞやかのid=pptppc2さんのブックマークコメントがきっかけで元ネタを知ることになった。
あの時のA先生のイラストは、ベルセルクのセルピコだったと思うが、力強い表現だったのを覚えている。セルピコがファルネーゼを抱きかかえて、
「申し訳ありません 道案内を頼まれまして 少し席を外していましたもので」
と言うシーンの模写だった。
さて、そんなA先生だったが、ある時これまた重量級のテーマで描きたいものがあるという。先ほどの、編集部での新企画提案の話だ。
その際、A先生からプロットをもらい、私のデスクで拝見させてもらったところ……うちの雑誌では持て余しそうだった。作品の質が低ければ普通に打ち切りになりそうで、作品の質が高くても――弊誌の売上規模だと会社グループ全体の機会損失になりそうだった。私の前でパイプ椅子にかけているA先生は、不安げな面持ちだった。
内部の話で悪いが、例えば「甲」という雑誌の亜流の「乙」という雑誌があるとする。ビッグコミック(オリジナル、スピリッツ、スペリオール)みたいな感じだ。この時、甲と乙に明確な上下関係があった場合、乙誌に掲載された漫画が甲誌に引き抜かれることがある。その際、甲誌の編集部から言われるのが、
「なぜうちの編集部に見せなかった?」
という意見だ。これは、ストレートに言われる場合もあれば、暗に言われる場合もある。だが、事前に上流の雑誌に見せていたとして、多くの場合は玉虫色の返事があるだけだったりする。
話を戻そう。この時の自分は、編集部の自分のデスクのあたりでA先生の次回作を見せてもらっている。確か缶コーヒーを飲んでいた。
自分としては、A先生のマンガを弊誌に載せたいと思っていたが、先ほど述べたとおり、後ろ髪を引かれる思いもあった。社会派の少年漫画というのは扱いが難しい。その作品が「あしたのジョー」の影響を受けているのは明白だった。「A先生であれば、きっと面白い作品にしてくれるのだろうな」という期待はあった。
うーん、大いに悩むところだ。どうしよう。思いあぐねていたところで、別の編集者から声がかかった。要約するとこんなところか。
「持ち込みに来た人がいる。私の専門じゃないので判断が難しい。門前払いにするレベルではないので、あなたの判断を仰ぎたい。上の人間は今出かけている」
要するに、自分の専門外なので判断できないよ、と言っている。ここも会社なので、編集者の上には当然上司がいる。その人達がいなければ同輩に相談するのが基本だ(余談だが私は後輩だった)。こういう原則は一般の会社と変わらない。
その『別の編集者』というのは、儚い感じの純文系が得意なタイプだった。一番わかりやすい喩えは……『はちみつとクローバー』みたいなやつだ。ああいうのが得意な人だった。
その時は、A先生との話が終わったら行くと告げた。それで、しばらくそのまま話を続けた。
「この作品はいい意味で重たいね。ちょっと考える時間がほしい」
と言って、その日は解散した。A先生は、「お願いします!」と言ってパイプ椅子を立ち、そのまま帰っていった。いつもだったら喫茶店でご飯をおごっている。
A先生は、『いい子』だった。あまり感情は出さないけれど、人間に対する愛を持っている。そういう子だった。私が当時、A先生にご飯を奢って、彼がおいしそうな表情で食べている時、私は幸せだった。A先生が幸福だと、自分も幸福だと思えた。A先生が漫画という手段で自らを表現している時、まるで自分もそれに劣らぬような喜びを得ていた。
ヘンな表現かもしれないが、例えば読者がA先生を褒めている時、自分とA先生との区別がなくなっているというか。彼のことが、自分のことみたいに嬉しかった。これは愛なのだろうか。
持ち込み部屋に行くと、別の編集者と、持ち込みに来た子が対面で座っていた(ちょこんと挨拶をしてくれた)。自分が座る席には作品が置いてあった。綴じられていない原稿用紙がある。ページ数にして30枚ほどだった。もっと多かったかもしれない。記憶があやしい。
実際、B先生の作品は面白かった。コテコテの学園ものかと思いきや、登場人物それぞれに適度な制約があって、キャラクターも立っていた。これまでのキャリアを聞き取ったところ、作品が雑誌に掲載されたことがあるようだ。アシスタント経験もある。
絵の方は、自分がこういうのも大変失礼だが、上手な方ではなかった。どちらかというと、脚本や設定、キャラ作りが得手のように映った。当人が情熱を注いでいる箇所はすぐにわかる。キャラ絵が有名漫画家の影響を受けているとか、キャラクターの台詞回しがハリウッド映画風とか、背景や小物を手を抜くことなく全部描いているとか、そんな具合に。
光るものがある作家だった。これを見抜けないようなのはモグリ――そんなレベルで輝いていた。
私は作品を読み終えた後で、「ちょっと待ってね」と自席に戻り、少し残っていた缶コーヒーを飲み干して、思案を重ねつつ持ち込み部屋に戻った(どうするのが最良かわからないケースだった……)。
それで、テーブルではこういうやりとりをした。
私「イイ作品だと思います。特に、セリフ回しにセンスを感じます。掲載ができるとかここでは言えないけど、話は通してみますね」
B「ありがとうございます」
私「それで、担当はね……縁なので。あなたがするのがいいのでは?」
編「私よりもほかの人がいいと思います。もっと才能を引き出せる人が……」※小さい声で
私「いや、でも恋愛描いてるよ。エンタメだけどいいんじゃない」(こいつ、作家の前でアホなこと抜かしよって)
編「難しいです」
私「でもこれ、縁だよ」(意識が低すぎる……)
編「ほかの作家さんも抱えてるので。いっぱいいっぱいです」
私「わかりました」(トラブル回避のため後で編集長に説明しとこう)
B「すいません。僕の作品はどうなるんですか?」
私「後日連絡しますね。必ずしますから、それまでは他誌への持ち込みは待っていただけますか」
B「あの、はい。できればですが、早めでお願いします。一週間くらいでなんとかなりますか」
私「なんとかしてみます」
作品そのものと、作家プロフィールと、付属資料のコピーを取らせてもらって、彼には外で缶コーヒーを奢った。ビルの入り口まで送ったところまではいい気分だったが、正直、身に余る事態だった。
持ち込み作家の才能がありすぎるのも考えものだ。嬉しい悲鳴というやつ。誰が担当に付くかで今後の雑誌の売り上げに影響がある。重大な意思決定ということになる。
最悪、『進撃の巨人』の時みたいに優れた作家を逃してしまう可能性がある。あれも、実際は諌山先生は門前払いではなく、週刊少年ジャンプの担当が付くか付かないかの微妙なラインだったらしい。それで、誰が担当になるかを押し付けあっている間に諌山先生が他雑誌に持ち込んでしまった、という話が業界団体の公的な飲み会で囁かれていた。
B先生についてだが、一週間後に担当編集が決まった。「別の編集者」でもなく私でもない。当時、若手のひとりだった20代の子が任されることになった。編集部のトップを交えてB先生の原稿のコピーを読んだのだが、「若い感性が光る。年齢が同じくらいの人と組ませる方がいいのでは?」という結論になった。
その20代の子は、上の組織からこっちに出向してきている子で、いわば武者修行の身だった。一流大学出で、本社のプロパー社員。いわゆる総合職である。
最初は、私に選択権があった。B先生の担当になる道もあった。だが当時の私は多忙であり、月に何度も会社に寝泊まりするレベルだった。新人は抱えるべきではない。しかし、才能のある子だから迷いがある。
A先生のこともあった。彼のあの作品を世に出してやりたい。もっと有名にしてあげたい。そんな想いがあった。
私が悩んでいるうちに、例の20代の子が手を挙げたのだ。私としても、彼のやる気と知性と直向きさは買っている。諸手を上げて賛成した。
今思えば、正しい選択だった。もし私がB先生の担当になっていたら、面白い恋愛エンタメを楽しめる読者の数は減っていただろう。これでよかったのだ。
以後のB先生は、例の持込漫画のブラッシュアップを続けた。翌年には、晴れて弊誌に第一話が掲載されることになった。さらに以後は、担当編集とともに二人三脚で躍進を続け、イケイケドンドンの勢いを保ったまま、一度も息切れすることなくスターダムに上り詰めた。今では漫画家として世に知られている。
上で挙げたA先生の意欲作は、読者層に合っていなかった。それでも、高い画力とシナリオ構成の上手さがあったのだろう。その意欲作は、連載期間を積み重ねる度にファンの数が増えていった(業界的には、Amazonの第一巻のレビュー数が人気の代替変数になることが知られている)。
今では、A先生は親雑誌で連載を勝ち取るまでになった。去年だったか。彼の作品をコンビニで立ち読みする機会があったのだが、やはり突き抜けた画力だった。週刊連載であそこまでの画力というのはまずない。
2024年現在、私は東京を離れて田舎で暮らしている。地元の町役場にUターン就職して、実家の農業を手伝いながらスローライフに近い生活を送っている。
実は、編集者だった当時、働きすぎて病気になった。ある日、下腹部の辺りに違和感を覚えて、血の塊のようなものが血管を這っている感覚があった。病院に行くと、「遅くても明日中に入院しなさい」という医者からの指導があった。
それなりに重い病気にかかってしまった。一応は死亡リスクもある。数か月ほど入院した後、どうしようかと考えて、考えて、考えて……編集部に復帰後は、労働を最小限にしつつ転職活動をスタートした。
A先生については、幸いだった。彼の意欲作とは最終回まで付き合うことができた。私が退院した後、無事完結を迎えることができた。あしたのジョーに比べればハッピーエンドだった。
入院中に、A先生とB先生がお見舞いに来てくれたのを覚えている。ほかの編集仲間も来てくれた。A先生は、テンションが低めで、何を考えているのかわからないこともあるのだが、人間への基本的な愛というか、思いやりがある人だった。
もう40才を過ぎている。はてなユーザーの中では平均的な年齢か。思えば齢を重ねたものだが、当時の日々は今でも夢の中に出てくる。
若い頃から編集者をやってきた。身体を壊さなければ続けていたのかというと、多分そうだろう。でも、今の生活も悪くないと感じている。自分語りはここまでにして、締めにしよう。
もしあなたが、Webでも紙媒体でもいい。気になる漫画作品を見つけたとする。面白いものを見つけたと感じたら、ひとまず買ってみるのがいい。Webだと1話単位で売っている。
ひとかどの漫画家というのは、自らが産み出すモノを本気で高めにいっている。あなたのフィーリングが合ったのなら、ひとまず1巻だけでも読んでみる方がQOLが高まると思う。ハズレを引くことはあるだろうが、アタリだってちゃんとある。人生は運試しである。
しかしその後普通に目が覚めて(と思ってたのは私だけで24時間以上経ってたらしい)絶望して、さらに眠剤を数十錠、酒で流し込んだ。
体勢を保っていられなくなった。今ならたぶんドアノブで首が吊れるぞチャンスだ、と思い、ベルトを使ってドアノブで首を吊ろうとした。
しかしもともと手先が不器用な上にラリってる最中の人間がうまくベルトを結べるはずもなく、吊ったものの重さで解けてしまい、床にすっ転がった。
もう身体が動かないので、これ以上薬を飲めないし、首もつれない。どうしようか悩んだ。悩みながら#7119に電話をした。眠剤をODしたことを話すと救急車を呼ぶように言われた。でもあまりにも自業自得なので躊躇った。でも結局119した。体感としては30分くらい悩んだつもりだったんだけど、発信履歴を後で見たら#7119から119にかけるまでの間に6時間あった。
病院では何をされたのか覚えてない。管だらけになったのは覚えてる。手足の拘束もされていたらしいけどそれは覚えてない。何をしたか覚えているか聞かれた。時系列はともかく薬飲んで首吊ろうとしたことは話した。
なんとなく喋れるようになってから、家族に連絡を取りたいと言われたが、ばかすかに殴られ蹴られ詰られてきたので、万が一実家に連れ戻されたらそっちのが死に近いので、お願いだから誰にも連絡しないでくれと泣きながら頼んだ。結局、ふだん通ってるメンクリへの情報提供?みたいな封筒を絶対に主治医に出すことを条件に解放された。
2日間の入院を終えて一人暮らしのマンションに帰ってきた。上司にはメンクリ通いを話していて、ODして入院したことも(退院後に)話したので、ひとまず今は仕事を休まされている。来週のメンクリ受診に上司が付き添ってくれることになった。
仕方ないので、眠剤飲んで錯乱してた間に荒らしたらしい部屋を、淡々と片付けている。
これからどうしたらいいんだろう。
目の前のことを一生懸命頑張ってるだけじゃ駄目だったって話。
訳あって日本国外に住んでいる。
この国については、何となくぼんやりと、いつかまた住みたいという小さな願いを持っていた。
記憶にも残らないほど昔に、自分はこの国に住んでいたからである。
日本では普通に義務教育と高校、大学を出た。大学は中堅ランクで、就活で大勝ちすることもないが特に苦労もなく一部上場企業に入社した。
高校までの自分は全く海外志向ではなかった。私立の高校で留年して留学に行く子もいたし、2週間ほどどこかの英語圏に行く交換プログラムみたいなのはそれなりの倍率で卒業してアメリカの大学に進学する友人もいたが自分がそれに興味を持つことはなかった。
何となく海外に興味を持ち始めたのは大学に入ってからで、それも世界で仕事をしたいとかそういうのではなバックパッカーで世界一周ってかっこいいな。程度のものであった。
小中高と成績は良い方だった。頭が良かったというよりテストはできるタイプだったから。自分にとって80点台は残念で、ほぼ全ての教科で90点台を取れた。そんな自分の一番の苦手科目は英語で、唯一90点台を取れない科目だったのだ。
通っていた高校の偏差値は68とかで、このように表現すると単に自分にとって出来の悪い教科だった程度に思われるかもしれないが、TOEICは350点前後が普通で少し勉強したくらいでは500点を超えられない。大学の英語の授業では、テストをして出来ない順に受講資格が割り当てられるという超基礎的な、そして簡単が故に人気の英語の講義の受講資格を見事得ることができた。それくらい出来ないのだ。
大学の専攻科目の成績はそこそこで、上の下か中の上くらいだったと思う。
社会人になってから今まで、何度も英語学習にトライしたが都度続かなかった。何となく海外。程度のモチベーションでは何がわからないかが分からない自分を律して勉強を続けることができなかった。
社会人になって一部上場企業に勤めたが、勤続7年目くらいで退職した。原因は精神的にだめになったから。家庭環境があまり良くなかったからなのか二十歳過ぎたあたりから精神を病み始め、社会人になり遂に家庭の抑圧から開放されたら生きる道標を見失ってしまったように思う。それまでは自活して家庭と決別することが人生の目標だったからである。
大手を辞め、立ち上げたばかりで社員5人くらいの会社に入った。一社目の大手は私にとってぬるま湯で仕事に充実を得られないことが不全感の原因ではないかと考え、ワーカーホリックな生活をしようと思ったからだ。
200時間残業したり会社の床で寝る生活を2年続けたら30歳を過ぎておりこれを続けていけないと思って退職した。精神疾患の方もまた悪い波が来ていて、何も上手く行かない生活、もう全てに疲れて、誰も知らないところでゆっくり休みたくなり当時のかかりつけ医に相談して精神科に任意入院した。もう自分は二度と表街道で働くことはできないと感じで退院後は馴染客だけを相手にBarで働いたりしていた。
でもやっぱりそこから飲食業で生きる覚悟もできず、何となく再開した前職の先輩に紹介された会社に拾ってもらった。そこは絵に描いたような零細企業でどのような金回りで経営が存続しているのか最後まで不明だった。
でも社長が私を買ってくれて色んな仕事をしているうちに、普通に朝起きて、普通に食事をして、普通に仕事をして、普通に寝るという生活ができるようになり、死への執着が薄れ、一人の人間として生きていくことがあまり怖くなくなった。
それでもその意味不明な零細企業でずっと働いていくことにも充実を見いだせず、辞めて今の国へ来た。
この国は英語圏ではなく、主に現地の言葉で生活しているが日常会話は困りません。とは全く言えないレベルだ。そして英語もできないままである。
そろそろ滞在期限が近づいているが、もう日本で仕事をしたくない。日本のきっちりとした社会に馴染めないとかそういうことではなく、日本にいる限り、仕事だけを頼りにしていたのに、その仕事で満たされなかった劣等感と喪失感が消えることはないからである。
そしてこの国が好きだ。
外国人として私がここに居続けるためには、現地語よりも英語が必要である。
何とかして少しでもレベルを上げないと行けないが、今は英語できないんですけど頑張るので採用してください。みたいなアプライもできないし、何をどうすればいいのだろうと途方に暮れてしまう。
ただ目の前のことを頑張って生きてきた。しかしそれではだめだったのだ。地続きの未来のためにはそれでは足りなかった。これは自己責任だ。
だけれど、20代〜30代前半ををほぼ病気で何とか死なずに生きてきた身としては、そうじゃなかった20代を過ごしてきた人間と比べて明らかに不利だろうという不満がどうしてもある。
でも人生は理不尽なものだし、もっと大変でも生き抜いてきた人もいるし、いつだってこれからの人生で今日が一番若いのだからこれからどうにかするしか無いのは分かっている。
生きることは働くことだと思う。
それは労働対価を得るようなものだけではなくて、社会的なアイデンティティを獲得するという意味だ。
そのコミュニティの中で価値を提供し必要とされる。そこに自身の充足を見出す。
それなくして生きていくことはできない。
自分のIQの数値が統合失調症の状態によって変わるが、最低の時は90、最高の時は150ぐらいになる。
IQが低い時は確かに詐欺に引っかかりそうになるレベルでアフォになるが、世間についての認識が幼稚なのでやたらとハッピーな状態。
「ようし、精神病院を退院したばかりだし、気楽に構えるかぁ。そうだ、WordPressでも運用してみっかぁ」といった具合。
それで、インターネットを使うなどしてある程度世間の雰囲気がわかるようになり、知能も戻ってくると小賢しくなる。
「ブログ?そんなことに時間をかけても金と時間の無駄だろう。さっさとサイトを畳め」といった具合。
そしてSNSで他者から好感を持たれる頻度も変わる。バカになっている時は、意識しなくても人が寄ってきて友達になってくれる。
小賢しくなっている時は、人が警戒をして何も反応をしてこなくなる。だから高IQ時の方が実は孤独を感じていることが多い。
あとは知能が低い時は、ニュースの内容を理解できないので、不安を抱きにくくなる。経済のインフレが問題だとしても、インフレというものを理解できない。
しかし小賢しいモードの時はさまざまな文章を理解できるようになるので、不快感や不安感というものが増す。
要するに、
妊娠中も医師から特に問題を指摘されることもなく「順調です。」と言われ続けた。
出産してみたらエコーで見ていたより体重が小さく、身体的な異常もいくつか見つかり、母親が退院した後も子供だけしばらく入院していた。
退院して家庭で面倒を見るようになったけど、何か月たっても目が合わないし笑わない。
お腹が空いたら泣いて、それ以外がうごうご動きながら何もない宙を見ている。
人間らしさ、知性を感じられない。
知的障害が確定したのはこの数年後だけど、重度知的障害の赤ちゃんってこんな感じなんだなと思う。
普通のかわいい赤ちゃんと全然違うから愛着も湧かない。ただ、泣いたらミルクを飲ませるだけ。
将来体格だけ大きくなって、奇声を発する存在になるかと思うと恐ろしい。
障害児が産まれたことで夫婦関係も悪化し、結果として離婚した。
こんな人生になると思わなかった。