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はてなキーワード: 退院とは

2017-11-13

どこにでもある、ただの世間話

おととい金曜から実家母が、肺炎で2週間の緊急入院してしまった。

最初はただの風邪かと思い耳鼻科へ行ったら、いつまでも熱が下がらず、たまたま通院予約を入れてた別のかかりつけ総合病院で、肺炎と診断されてそのまま入院、という流れ。

報せを聞いた金曜からずっと、自分んとこの家事用事をこなしつつ、実家家事と父の世話を、姉弟相談して役割分担してたら、週末があっという間に終わってしまった。自分実家の水回り家事担当として、明日から自宅仕事の合間に見舞いもしつつ、1-2日おきで実家洗濯掃除をすることになった。

実家の父は、自分では家のことを絶対に何もしない、やらない、全てを母に任せっきりの、昔気質典型的昭和偏屈男で、母の作った料理しか食べない、でも母が倒れても看病すら一切しない、定期的に服用しないといけない薬は全部母に管理させている……といった具合で、むしろ入院中の母の世話よりも、家でテレビを鳴らしてる置物化した父の世話のほうが壮絶で大変そうだ。おまけにいま、我が家は全員風邪気味ぽくてヤバい。もうこれ以上倒れられない。これ書き終えたらハチミツ湯飲んで通院する。

母が倒れて寝込んでも「大丈夫か?」の一言もなかったという父のことを、もう面倒見なくてもいい、もし母がいなくなったら施設に入って、とすら思ってしまった。とはいえ、どちらも自分たち子どもら3人を育ててくれた大切な両親なので、しっかり役割分担して、母が戻ってきても家の中がめちゃくちゃになってると落胆しないように、これから2週間、母の退院後もしっかりサポートしたいと考えてる。

しかしこれ……一時的ものはいえ、たとえば両親の介護を家庭&仕事を両立してる家のひとなどは、本当に想像以上の負担を抱えながら、壮絶な日常生活を送っているのか、と身をもって痛感してる。うちは実家姉弟も近くで仲は良いので何とか乗り切れそうだが、実家が遠かったり兄弟間の仲が良くなかったり一人っ子のひとなどは、それぞれケースも異なりだいぶしんどそう。父的には、自分らの世話は子どもに全部面倒見てもらって当然、の考えはこんな事態になっても到底変わらないらしく、このたびよい反面教師となってくれた。

先のことなど正直わからんけども、どんな家族構成であっても、老後や万が一の自分のことは自分で面倒を見れるよう、今のうちから考え方やイメージプランだけでも漠然と持ってたほうが良さそうだよねーと。現場からは以上です。あと喉の痛みにはハチミツ湯、最高です。

2017-11-10

骨髄提供をしてみた【追記/ 11/16さらに追記】

もう1年以上前になるが、骨髄提供をしてみたのでその感想をつらつらと書きます

そもそも献血が好きだったので、骨髄バンク登録もそのついでにした。登録はしたけど5年くらい音沙汰はなかった。

適合のお知らせは、オレンジ色のでっかい封筒で送られてきた。

「あ、これ、いつもの骨髄バンクニュース送ってきただけじゃないな」ってすぐにわかった。

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ここから先、■は個人的にめんどくさいこと、★はマジでデメリットだなって思ったことですので、面倒な方は■は読み飛ばしてください

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提供する意思骨髄バンクに返信するまで

最初に返信する書類の多さにもうめんどくさくなる

患者さんに提供する骨髄液だから健康面について聞かれるのはしょうがないなと思いつつ、読むだけでも結構多い。

貧血最後になったのはいつか」とか覚えてない。己の記憶力のなさが憎い。

はいえ、基本的健康優良児なのであんまり気にせず進む。


■当たり前だが親から許可めんどい

家族同意必要なので、親と話し合う。母親がメッチャ反対する。まぁでも「反対された」っていうのは、それだけ大切に思ってくれてるんだなと思い、なんだかありがたい気持ちになった。両親ともに「いいよ(適当)」だったら嫌だったかもしれない(し気楽だったかもしれない)。


■当たり前だが会社にも説明しなきゃいけない

一応正社員で働いている身としては会社への説明責任があるわけで、上司はとばして突然社長に直談判した。

社長めっちゃ理解があり、爆速許可下りた。

でも許可下りたのは繁忙期じゃなかったからだろう。

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提供する意思が固まってから

弁護士同席で説明を受けてハンコを押す(親同席)

家族の同席必須なので、父親に頼んだ。うちの父は自営業なので時間が取れたが、平日のクッソ昼間に社会人2人が病院に出向いて説明を聞いて、弁護士の目の前でハンコを押す。「弁護士とコーディネーターがうちの近くに来てくれるんじゃだめなん?」って思った。医師必要からしょうがいか



■使っている薬の申告をする

これもしょうがないとは思うけど、提供前にちょっと風邪ひいたとか、目が疲れたとか、薬を使うときは「これ使っていいですか」って連絡しないといけない。時間時間だと「明日にならないとわからない」ってなった。「とりあえず使ってもらって、だめだったら明日中止させてもらうかも」っていう対応だった。私はセーフだったが、安くないお金を使って薬を買って、それを1回しか使えなかったってパターンもあるんだろうな。



検査血液を抜くために会社中抜けをする

これは入院前にもっとも面倒だった。先生が緊急手術で不在の時、時間通りに行って1時間待ちとかね。必要な骨髄液の量が多いと、事前に血液を抜いておいて、手術中に戻すための自己血が必要なのよ。他人の輸血だと、献血できなくなるしリスクも高いからね。わかっちゃいるが面倒。


旅行死ぬ

実は手術前、友達スカイダイビング付きの旅行に行く計画を立ててた。

でもけがリスクが高すぎるということで、(遠回しに)スカイダイビングをやめてほしいと言われた。正直、骨髄バンクキャンセル代は払ってほしかった…


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入院・手術

パジャマ代は実費

手術や入院費は患者さんの保険負担だが、パジャマ代は実費負担だった。何だか知らんがパジャマが1回300円以上する病院だったので、家から持ってきてもらった。普通病院って1着80円とかじゃないの?

全身麻酔とその副作用

人生初の全身麻酔をした。麻酔か、事前に飲んだ薬の影響下はわからないが、手術後吐き気がとまらず、おなかはすいているのに食べたものは全部戻す状況に追い込まれる。これが一番きつかったかもしれない。

■個室ではない

場合によるんだけど、私は4人部屋だった。目の前の入院患者さんがずーっとうんうん言ってて、なんか不安になった。

パケット死ぬ

暇つぶしスマホと本しかないが、本は読み終わったのでスマホゲーに移動。wi-fiとんでないので、パケットが死んだ。はじめて通信制限くらった。次回から3DSを持ち込むことを誓った。

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退院後とそのほか

お金はもらえない

みんなが骨髄提供を嫌がるとしたら、これが最大の理由ではないだろうか。

入院をし、会社中抜けし、「名前も顔も知らないだれか」のために健康な体の背中に穴をあける。これだけのことをして報酬がないのだ。

ほぼないとはいえ死亡リスクもあるのに。

報酬ゼロ

ちなみに私は医療保険生命保険にも入っていたので、問い合わせてみたけど「病気治療のための入院ではないので入院給付金下りない」と断られた。

なんのための保険だよ!!!背中注射器6回刺されてるんだぞ!!!

(ちなみにだが、私の住んでいる市区町村は骨髄提供をした人への助成金があり、それはもらえた。総額10万以上非課税。骨髄提供を考えている人は、自分の住んでいる市区町村助成金をやっているか調べた方がいいと思う)


■お礼もあるかわからない

じゃあ骨髄提供をなんでやるのかっていったら、「自己満足人助け」のためだと思う。

人助け」ならこれでいいのかもしれないが、私は「自己満足」もほしかった。

なんで献血するかって言ったら「献血ありがとうございます!」の一言無料でもらえてお菓子が食べられて「いいことしたなぁ」って気持ちになりたいからなんですよ私は。リストカットするよりは健全血液の使い道だと思う。自己承認欲求の強いメンヘラオススメ

医者さんに「うちに入院してくれてありがとう」っていう一生聞くことがないであろうセリフはきいたが、

一番ほしいのはなんといっても「骨髄をくれてありがとう」の一言である

私には手紙が来なかった。

ご本人の治療がつらくて、文字が書けないなら、近親者の方が代理でもいいから、とも思った。でも来なかった。

手術後、私から手紙を出した。やっぱりそれにも返事が来なかった。

「なんのために骨髄提供をしたんだろう」と思ってしまった。

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私には、2回目の適合通知が来た。

でも、今回はお断りした。仕事が繁忙期だったのが最大の要因だが、正直「提供先が(病気の再発等で)同じ人だったらやだな」って思ったのも事実だ。

ももう一回、適合通知が来たらその時はするかもしれない。

久々に行った献血で、「骨髄提供をしたんです」と言ったときに、お医者さんが「あなたがした最大の功績は、患者さんの家族の救いになったこと」と言ってくれたからだ。

骨髄提供を受けられないまま弱っていく中で、「適合する方が見つかりました」の声は、病室の時間を一瞬とめて、途端に涙であふれさせ、結果がどうであろうとも「最後まで治療をしてあげられた」という患者さんの心の支えになるからだ、という。

まぁ、それならいいのかな、と思えてしまったのだ。







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2017/11/10 17:48

まりコメントの多さに驚いています。興味を持っていただきありがとうございます

あと、誤字脱字が多くてすみません

一番ひどいのは

最後まで治療をしてあげられた」という患者さんの心の支え

→「最後まで治療をしてあげられた」という患者さん【とその家族】の心の支え

ですね。前半の文章主語が違いますね。見逃してください。


から説明不足で、追加しておきたいことがいろいろ。

病院までの交通費は支払われます

いくらだったか思い出せませんが、「入院に伴うお金」は少しいただけますので、そちらでパジャマ日用品は買ってくださいとのことでした。3000~5000円だったかな?1万円はなかった気がする。まぁそれにしたってパジャマ高すぎる

手紙は、「もらえないかもしれないし強制もできない」ということも事前に説明されていました。理解したうえで「手紙しかった~~!!!」とダダをこねています人間としての器が小さくて…すいません。我欲を捨てられるように、来世の自分に頑張ってほしいです。


・あとみなさんが知りたいであろう手術について書くのを忘れてました。

なぜならあんまり痛くなく、尿道カテーテルのほうがよっぽどイラついたからです。

私は麻酔が効きすぎるタイプのようで、手術室に入った途端寝たからなんにも覚えてないんだなこれが。麻酔解けるのも予定時間を3時間オーバーしました。

退院日翌日には会社に行き、2週間後にはプールに行っちゃうくらい健康だったからです。参考にならず申し訳ない…


なので現金的な持ち出しはあまりありませんし、少しばかりプラスかもしれません。

なお、この骨髄提供を経て失った有給は持ち出しに加算したら大変そうですよね。融通が利く会社でよかったなとつくづく実感しました。おかげで私の有休消化率は110%です(未来から借りました…)





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2017/11/16 18:13

こんばんは増田です。たびたび文章を長くしてすみません

あと、「つらつら」の使い方が違う、というコメント、ほんとすみません。恥ずかしいです。ご指摘ありがとうございます

さんざん愚痴っぽくなってしまったんですが、ブコメ等すべて拝見して、うれしくて涙が出てきました。

みなさんがこんなに褒めてくれるのに、なんで拗ねた態度をとってしまったんだろうと改めて反省しました。ありがとうございます


・傷跡について

お察しのとおりきれいさっぱりないです。2週間後のプールでも誰にも何も言われなかったです。

でも残ったとしてもあんまり気にしなかったと思います

まれつき背中にでっけぇアザがあるんですが、「お、あるな~~~」くらいにしか思わないので…。

あと、「人を救ったかもしれない証」が背中にあるってオタク的にはかっこいいです。ごめん私思考回路おかしいから…参考にしないでください…


この記事コメントくださった、「骨髄提供は最高だった」っていう方すごくない?この方こそ聖人君子じゃんって思いました。親にひどい目にあわされながらも人を恨まずに救うことにためらいがないって…すごい…器が違う…この方、もしもお子さんができたら「私を母親にしてくれた」って子供をすっごく大切にしそうだなって思ったんですが、結婚に興味なしなのか~~


後日談ですが、この記事かいたの友達にバレた(ちなみに、この子は私の2度目の提供に反対した。1回で十分じゃないか、と泣かれた。私より私を大切に思ってくれてる…。)新聞投書欄テレビ番組の「この話題を扱ってください」の要望欄に投げたと言われた。行動力ありすぎかよ。

P.S.

ごはんをおごってくれるとかいて下さった方、日本中のおいしい茶わん蒸しのお店を書いておいて。行くから

2017-11-07

私の貯蓄額は470万でした

大学の頃から20代折り返しの今までコツコツ貯めて今年の冬のボーナスで貯蓄額500万行くな!とウキウキしてたら独り身の血縁者が突然病に倒れた。健康診断をきちんと受けていなかったこ親族、病状が悪く行政制度を利用しつつもそれなりに高額な医療費が掛かった。親族でこの医療費出資出来るのは貯蓄のある私だけだったので、貯金から払った。今後も通院が続くというのでお金を少しでも親族の手元に残させる為に、退院親族会社に持って行く菓子折り代も払った。借りているという駐車場代も払った。そういえば病院で使うタオルパジャマ、下着、洗面用具その他全てに掛かる費用も払ってる。

父親祖母が死んだ。幼少期散々母や私を虐げて来た祖母に対し払う金は鐚一文ないと思っていたが、祖母と一緒に私を虐げて来た父親は「俺の給料から天引き祖母葬式代を出す。嫌なら家から出て行け」と母に宣った。父親給料から月々祖母葬式代を出すと家計費は一万円しか残らない。母も働いているとはいパートタイマー、そう高い稼ぎは望めない。葬式代を払い終えるまでの二年間、母の支援の為に生活費を払う。

私には10歳上の姉と2歳上の兄、一つ年下の妹がいる。それぞれフリーターニートフリーターという肩書き実家寄生しており生活費けが掛かる。収入源にはなり得ない。家計は上記の通りなので生活費を払うが、私が必死に働いた金がこいつらの衣食住になると思うとこんな静かな夜なのにとても穏やかではいられない。

貯金残高がみるみる減っていく。今年中に500万到達なんて夢のまた夢だ。しんどいお金が減ることではなく「自分に原因がないのに、苦労して築いたもの他者によって崩されること」が苦しい。何で私がこの理不尽を負うのか?という気持ちが拭えない。私はケチなのか?金の亡者なのだろうか?ちゃんとした人は病気親族を労わり亡くなった方を悼み兄弟を我が身のように想うものなんだろうか。どれにも当てはまらない自分自己中心的なのだろうか。

今後も貯金残高が減ることが予想されて気が滅入る。こんなことのために貯めたんじゃないのに。自分の為に貯めたのに。

お金の話だしこんな内容だし、友達にも誰にも言えなかったからこうして吐き出せて良かったし反応まで貰えて嬉しかった。ありがとう

姉は以前外で借金作って、ヤクザ引き連れて母の職場に乗り込んできた前科持ち。借金作って借金取りに追われるまでの流れをもう数回繰り返してる。兄は母から貰った大学教科書代や定期代を全部趣味にぶっこみつつ、大学に通ってるフリを一年か二年し続けてその間母からずっと「教科書・定期代」を貰い続けてた。大学中退三十路間近の今までヒキニートニートだけど飯と風呂は人並み以上。

妹は就活時代説明会で頷いてる奴ら全員赤べこww馬鹿みたいwww」とイキッた結果フリーター。全員いつ他所様に迷惑を掛けるか分からんから監視下に置いておくというのが母の方針座間市の件が全く他人事じゃない、この三人は何をしでかすか分からない。生活費が足りなくなった母親キャッシングに手でもしたらそれこそ後が厄介なので足りないお金は私の貯金から出すのが一番平和ルートとして確立されてしまっている。本当は出したくない。でも職場に乗り込まれたりするのはとても困る。

父も姉も兄も妹も全員明日辺り不慮の事故で死んで欲しいと願わずはいられない。

こうしたあまりに不出来な親族は本当に、本当に呪いだと思う。私は前世放火殺人レベルの重罪を犯した罪を今償わされているのか?と思ってしまう。他にも更に苦労してる人は沢山いるだろうけど今夜くらいは苦労人としてその頭数に入れて欲しい。

増田達の家族ってみんなまともな人ばかりなんだろうか。自分もまともな親族に恵まれたかった。兄弟の人数だけは多いし、心強さを感じてみたかったな。

2017-10-24

ふだん行かないところに行く

先日、うつ入院した話を書いた。

意外にブクマされていて驚いた。

退院してから復職はできる状態になく、

引きこもって一人ぼっちで居た。そしていまもそうだ。

実家に帰ると、田舎すぎて辛いので便利な都市部一人暮らししている。

最初のうちはすごく辛かった。

働いていた頃は職場ストレスに耐えていて、

入院中は頭のネジが飛んだ人たちに常に警戒していたし、

ナース医者の顔色をうかがいながら、

常に誰かが周りに居たから、本当にひとりぼっちになって初めて、

自分に話しかけてくれる人が誰もいない」状態に怖くなった。

二週間くらいして、ようやく一人で起きて、

誰とも話さないまま眠ることも慣れた。

一応、病院には通院しているし、カウンセリングも週に一回あるとはいえ、

それだけだ。

なんだかいろいろ涙もろくなって、ツタヤで借りてきた映画でボロ泣きしたり、

アベマTV放送されていた昔のアニメを見てガン泣きしたりしていた。

ひぐらしのなく頃にで泣くとは思わなかった。

Facebookには入院していろいろあったことを書いた。

そしたら、そんな僕を見かねてか、

Facebook高校時代部活仲間から連絡があって、

久々に飲もうよという話になった。

場所彼女の勤務先近くで、

ふだん行かないちょっとオシャレな街へ行った。

家とスーパー駅前くらいしか行かない僕からしたら、すごく新鮮だった。

彼女は既婚者だし、僕も恋人を亡くしているし、

そういう関係ではないからこそ、気を遣わずに昔話をしたり、

同じ分野の仕事をしているのでAdobeソフトの話で盛り上がったりした。

うつときの暗い話とか病院の話はしなかった。

医師や親や周りの人は、

「焦らずゆっくり治していきましょうね」

と口をそろえていうけれど、

僕は自分が嫌いで嫌いで仕方がなく、なんにも生産性がなくてテレビ動画を見てるだけのクソ野郎から死んだほうがマシだという思いは、入院する前から変わらなかった。薬を飲んでもその想念は取り払われない。せいぜいよく眠れるようになったくらいだ。

話を戻して、僕はその部活仲間と飲んだ後、

「またね」と別れた。

たったそれだけのことなんだけど、

「僕はここに居ていいんだ」

と思えた。

彼女は、周りの人を笑顔にできる立派な人だ。

そういうちゃんとした人とコミュニケーションをすると、うつが治る。

「〜〜だと辛いでしょう」「〜〜は闇だからなあ」とか、

ネガティブ話題を引き出すことにかけては天才的な人もいるが、

逆に、その人の前にいるだけで、明るい考えになる、そんな人もいる。

そういう人から順番に、きっと幸せになっていくし、

幸せからこそ余裕があって、そのおすそ分けをうけているんだと思う。

仕事現場で常に感じていた「出来ないやつは切る」という緊張感。

パーティーに見せかけた戦場みたいな営業活動

ほめられてもプレッシャーしか感じない日々。

僕がうつになってしまったのは、フリーランスになって、

利害関係のある人としかコミュニケーションを取っていなかったからだと思った。

利害関係のない人間が、いま、

僕のことを気にしてくれていたという事実が、本当に救いになっている。

あれからも僕は一人暮らしで、基本的スーパーと自宅の往復だけど、

少しずつ前を向けている気がする。

今は一人ぼっちでもへいきだ。

ふだん行かないところに少し足を伸ばしたら、自分が少し誇らしくなる。

他人から見たら些細な事だと思う。

でも、自分のだめなところを探し続けていたらきりがなくて、

いいところを探して、ささやか幸せに元気になっていきたい。

次にまた部活仲間や友だちと会うとき

その人に笑顔を引き出せるような人になりたいなあと思った。

anond:20171024183717

社会性が著しく欠落してるのが一番きびしいです

おとなしいタイプ統失の方もいらっしゃると思うのですが、うちの統失は興奮攻撃迷惑行動系の統失でしてね……

自分の意に沿わないことがあると大声で叫ぶ、暴言を吐く、物を破壊するなどの行動が見られ、さら他人に対して何時間でもウザ絡みし続けるという、社会ゼロ人間に仕上がっております

こういう、いわば知的障害者のなかの強度行動障害のようなタイプ統失ってどうやっても地域で暮らせないと思うんですが、なにせ長期にわたる入院はできないとのお国方針がありますので、入退院を繰りかえせざるをえないんですよね

もう本当にこの世から消えてくれないかなと思ってますよ、本音では

おやしゅみ〜

エスタゾラムブロチゾラムを飲んで寝るぞーと思ってこの増田を書いていたら、またもや家族精神科スーパー救急病棟入院するとの連絡が入った

普段から○にたい○にたい言ってる統失の兄が、つい先日退院したと思ったらまた入院らしい

そんなに○にたいならもう勝手に○んでくれ

周りはもうそ統失に振り回されて辟易している

訪問看護も受けてデイケアも通って週1で外来通って、その費用はすべて生活保護から賄われて至れり尽せりなのに、社会絶望たから○にたいとか抜かしてることにイラついて仕方がない

その統失が○にたいと言い始めてから、はや18年である

ほんとになんで生きてるのか分からない物体として彼は生きている

みんな貴方迷惑している

いい加減にしてほしい

2017-10-22

精神科閉鎖病棟入院したときの話

うつおかしくなって自殺しようとしたとき

警察保護されて入院することになってしまった。

措置入院っていうやつで、自治体から強制から

医者がいいよって言うまで出してもらえない。

精神病院なので、もちろん閉鎖病棟。鍵がかけられていて、外に出られない。

ぶっちゃけ、悪い意味で、自殺したいという気持ちがなくなった。

まず、ほかの患者がヤバすぎた。

うつの人はほとんどいなかった。8割方統合失調症だった。

認知症か何かで意味のわからないことをブツブツいってるおばさん。

カーテンをめくって何してるか覗いてくるおじさん。

突然怒鳴りつけてくるおばさん。

全身に墨入れたおじいさん。たぶん元893

保護室という外から鍵のかけられた部屋では、「ここからだせー!!」って顔を窓に押し付けて怒鳴ってる奴もいた。

基本的に誰が暴れたりしてようがナースは我関せずで、通報すると「またかよ」って顔をしながら部屋に連れ帰って眠くなる注射を打って寝かしつけるだけ。

みんな、同じ病人同士なんだけど、頭がオカシイ同士だから

しょっちゅう凄まじい大喧嘩かになるし、

排泄がまともにできない人も含まれてるからトイレもすごく汚い。

犯罪歴があったり、大麻覚醒剤経験のある人が居たり、

話してて普段絶対知り合わないような人とLINEの交換をした。(退院後即、全員ブロックした)

たまーにまともな人もいるんだけど、突然なにもないところで大泣きしたり、やっぱり幻聴とかひどいんだろうなと思った。

聞いてる限りだと、家で面倒見きれないような人が長期間押し込められてるって感じだった。

当たり前だけど、措置入院患者医師許可がないと、

部屋に携帯の持ち込み、携帯の充電器の持ち込みなどの許可がおりない。

刃物NGはわかるけど、最初はコップと歯ブラシNGだった。

嘘でもなんでも良いから、元気で病気が治ったふりをして、医師の前では猫をかぶって入院して一週間で携帯を取り戻した。

措置入院の人は、自分意志では退院できないし、病棟から出ることが出来ない。

大体1ヶ月位で措置解除という手続きがあって、

任意入院という自分意志入院している形になり、

自宅外泊や外出をさせてみて、問題を起こさなかったら

退院許可が降りたら退院、という感じ。

どうやってこのやばい空間から抜け出すかだけを考えてたら、あっという間に退院にこぎつけた。

1ヶ月と3週間かな。

相変わらずうつだけど、もう閉鎖病棟には戻りたくない一心で、絶対自殺だけはしないって思ってる。

2017-10-19

幸せになるチャンスから逃げてしまった

昨日、気になっている人から告白された。

相手大学生。頭がわりと良くて何より優しい。

当方20代前半。高卒フリーター現在無職+鬱(入院中)。

「なんで私なんかのこと好きなの?」と何度も聞いた。

でも納得出来なかった。

どう考えても釣り合わない。相手の人には絶対もっといい女性がいるはずなのだ

自分には何も取り柄がない。経歴もしょうもない性格だって特別良いわけじゃない。家事も得意じゃない(練習中)。

何より相手のご両親に申し訳が立たない。愛情をこめて育てた立派な息子がゴミみたいな女を連れてきたらがっかりだろう。

「私なんかと付き合ったらいけない。絶対もっと素敵な人いるから。自分価値を下げちゃだめだよ」

なんか私はそんなことを言っていた気がする。

その後、相手に「もしこのまま一人になっちゃいそうだったら貰ってくれる?」と聞かれたけど、

絶対にそんなことありえないから!大丈夫から!!」と言い放ち、逃げてしまった。

幸い、まだ相手との関係が切れたわけではないのだけれど、某掲示板で内容を書き込んだら「もったいない!」と言われた。

幸せになれるチャンスだったかもしれないのに、と。

けどどうしても自分に自信がない。どうやったら自信が持てるのだろう?仮に退院して就職出来たとしても、同じことを思っている気がする。

以前、元彼の実家に訪れたことがあるのだが、その時元彼のご両親に「そんなんじゃ就職面接通らないよ」と言われた。これも自信がない一つの要因かもしれない。

幸せになりたい。努力し続けたらいつか自信が持てるのだろうか。でも幸せになるのも怖い気がする…

そんなことを考えて頭がぐちゃぐちゃしている。だめだ。とりあえず不在者投票行ってくる。

2017-10-18

この間子どもを産んだよ。

新しくてきれいな病院で産むつもりだったよ。

でも、なんか突然破水して救急車総合病院に運ばれて出産する羽目になっちゃったよ。

早産だからって子どもNICUに入ったよ。新生児集中治療室って言うんだって

なんでだろうね。産む3日前の妊婦健診では「順調ですね」なんて言われたっつーのにね。

まれ子どもを見て、

うちの子めっちゃ小さいw管だらけw超かわいいwww

なんて思いつつも、なぜこうなった!?って思ったよね。

私の入院中、退院後のうんたらかんたらなんて話を聞くために

同時期に子どもを産んだお母さんたちが集められたよ。

そこで助産師さんが

「どうせだから自己紹介しましょうかー。

どんなお産だったかとかお話してくださーい」

なんて言い出して、おいおい私救急車で早産でーす、なんて恥ずかしくて

言いたくないわとか思ったよ。

でも話し出したら、その場にいた全員トラブル抱えた出産だったわ。

前置胎盤帝王切開、切迫流早産で5ヶ月以上管理入院、五十路間近での出産

私と同じく突然破水救急車のお母さんもいたよ。

あー、そりゃそうよねー、ここ総合病院からねー。

逆に元気に何事もなく産む人のほうが少ないんだねきっと。

っつーか、何事もなく普通に産めると思っていた自分は思い上がりも

はなはだしかったのではないかと。

何を持って十月十日お腹の中で育てて、ひっひっふーで安産で埋めると思っていたのかと。

とりあえず子どもの命があってよかった。

早く家に連れて帰りたい。

2017-10-11

死んだら褒めてくれる?

何年も鬱病で苦しんだ。

数年前にそれが行き着くところまで行って、まあ初めてではなかったけれども、自殺未遂救急車で運ばれて気が付けば集中治療室、その後入院、と、散々迷惑をかけ心配をかけ。

退院はなんとなくヌルッと決まったような感覚だった記憶があって、その後どうなるんだ自分人生、と思ったけれども、失業給付アルバイトで食いつないでいる間にたまたま決まった仕事が妙に性に合ったようで、働き始めて二年を待たずに服薬が必要なくなるところまで回復した。病院に通わなくなったのは十年以上ぶりのことだった。とてもラッキーだったと思う。

もともと創作活動が好きだったのだけれども、鬱病が酷い時には創作どころではなかったので、何年も遠ざかったままだった。でも回復するにつれ自然創作に向かうエネルギーも湧いてきて、たまたま外的なタイミングも合って、創作活動を再開し細々と行うようになった。

才能が無いなんてことはとうの昔に痛感していたので飽くまで趣味としてではあるけれども、趣味なりに本気で何かを創る感覚は久しぶりで、刺激的で、仕事プライベートでうまくいかないことがあっても、創作自分の支えになりつつあった。

評価全然されなかった。自分の力では無理も無いと思う。年齢的な面もあって、年甲斐もなく何をやっているんだと思われていた節もある。でも本当に近しい人たちには、自分にとって創作が如何に大事ものかはわかってもらえていると思っていたし、そのうち少し良い作品ができたら、それなりに喜んでもらえるんじゃないか、なんて甘い考えを抱いていたりした。

とある賞で、予選を通過した。それなりの規模で行われている賞で、そういった機会で選ばれた経験自分には無かったので、予選通過者なんて他にたくさんいたのだが、それでも嬉しかった。励みになった。それなりに浮かれてしまって、今となってはとても恥ずかしい。

そんなに盛り上がるなんてことを思っていたわけでもないけれど、七転八倒していた自分を知っている古い友人、近しい人々は、喜んでくれるんじゃないかと思っていた。でも甘かったらしい。

何の反応もなかった。何も。無理もないか、予選を通っただけだものね。作品クオリティ方向性だって、まるで誉められたものじゃなかったのかもしれない、こんな自分の創ったものから

それでも、そうかここまでちゃんと形にできるところまで回復したんだね、今はやりたいことをやれてるのか良かったね、って喜んでくれる人もいるかと思っていたんだ。作品はまだまだ全然だけど、創れるようになったってことは本当良かったよ、なんて言ってもらえるんじゃないかって、思っていたんだ。

創る側の人間からしたら、ネガティブ評価もそれは勿論怖いけれど、評価が無いこと、誰から無視されることがどれだけ恐ろしいか、身に染みてわかるんじゃないかと思う。それをわかっているはずの友人たちも、何のフィードバックもくれなかった。

コメントすることも憚られるほど作品が酷かったのか、気を遣って労いの言葉をかけることも煩わしいほど自分が嫌われていたのか、それともその両方なのか。何にしろとてもショックだった。とても。

他にすることも大してなかったんだけど、でもそれなりに色々なことを諦めたり犠牲にしたりしてなんとか形にした作品が、手元にある。でも結局誰にも届かないんだろうな。酷評にも値しない作品

それでも自分が今死んだら、友人たちは葬いとして一応は作品に触れてはくれるだろうか?それなりに美化して、通り一遍でも褒めてくれるだろうか?

そんなことばかり考えている。作品が認められないこと、無視されることの苦しみに耐えることが出来ないなら、創作なんてする資格も無いのだろうけれどもね。そもそもちゃんと力があって、評価に値する作品が創れるならこんなことにはならない訳で、文句を言う筋合なんてない、こんなことは言ってはいけないんだろうなってこともわかっています。だから自分は駄目なんだ。趣味でこんなに消耗するなんて、バカだなあ。本当にバカだ。人生にはもっともっと大切なことがたくさんあるはずなのに。でもバカから、もう死んでやろうかという気持ちになる。バカだなあ。

2017-10-09

いま入院してる。2日目。火曜に手術がある。ひますぎる。自覚症状が有る病気苦痛があるなら現実味もあるんだろうけど、自覚症状もないので自分では健康な気がしてるので入院が暇すぎる。

幸い個室なのでテレビ自由に見れたりスマホ自由に触れたりするけど、限度があるので看護師さんが部屋に入ってくるのを怯えている。

中学生の時に夜更かしして布団の中で漫画を読んでたのを親に見つかって注意されないかソワソワしながら過ごしてたことを思い出す。

早く手術が無事終わって退院して、一人暮らしの家に戻りたい。

2017-10-07

父親大腸がんになった

父親大腸がんになった

まだ正確なことは何も分からない。

父が大腸検査のためにクリニックにいった。内視鏡カメラで様子を見ようにもポリープがS字結腸のところで5cm程度に膨らんでいて詳しくは見れなかったらしい。

結局そこの小規模クリニックでは検査を受けることができなくて私立の大きめの病院で無理やり検査をして貰った。

ポリープは1cmを超えるとほぼガンらしくて、今がステージ3か転移しているステージ4なのかはまだ分からない。週明けに入院をして詳細な検査をするらしい。

 

父の自営業のことやら、親が死ぬのか?とか、自分は今年から無職をしているので今度を継ぐのかとか、別で就職するかとか、考えることがいっぱいだな

たぶん継がないけど、いや、今は上手く考えが纏まらない

 

 

2017-10-18追記:

追記してコメントをくれた人に通知が行くのかとか、よくわかりませんが追記します。

検査の結果としては、他の箇所への転移はありませんでした。一部肺に怪しい箇所もあるそうですが、腫瘍かどうかは分からないそうです。職業柄で粉塵を吸ったりするのでその影響でしょうか・・・わかりませんが。とりあえずは静観して後の抗がん剤治療で無くなるかもしれないとのことです。

今週手術をして、もう翌日には歩く訓練をするそうです。今は手術後歩かせるみたいです。

今後なんどか通院する必要はあるそうですが、早ければ今月末~来月初に退院予定です。

とりあえずは、無事のようです。

 

もちろん、開腹手術中に何かあるかもしれないし、大腸部分の転移侵食?が強いかもしれない。まだ分かりませんが、とりあえずは一安心というか落ち着けます

 

検査の結果が出るまで短い間でしたが、色々考えました。

事業を継ぐ気は元々ありませんでしたが、癌といってもすぐに死ぬわけではないので、事業収縮・廃業するのか、もしくは父の遺志を継いで仕事をするのか。

継ぐというのは会社従業員の事とかもありますが、父が病魔に侵されながら最後の、何か形に残せる、もしくは目に見えないけど本当に遺せるものだとしたら、継いだ方が良いのか?とかも考えました。

親は死ぬんだ、それが改めて感じられたと言いますか、僕らが成人した時には親は50~60程度だと思いますが、そこで突然死しても「そんな、まだ若いのに。早かったね」程度でいつ死んでも可笑しくないですからね。

 

困ったときに神頼みと言いますが、本当に祈ってしまった。

何もできないし、結果を待つことしかできなくて、祈ったところで検査の結果なんて変わらないと分かっているのに祈るしかありませんでした。

 

手術の成功と、術後の転移がないように。

健やかに人生を過ごして欲しい。

もっとしっかりしないと。しっかりします。

 

 

 

2017-11-03追記:

手術は成功しました。

ステージは2でした。ですが大腸がん以外にも膀胱がんも見つかりました。他の部分にも癌があるのにステージ2なのか?と疑問が沸くかもしれませんがリンパ経由で癌が増えると?ステージ4となるそうです。今回は大腸がん細胞が侵出して膀胱がんになったのでステージ2とのことです。

実は術後すぐの報告の際に膀胱がんあるのでステージ4ですと伝えられました。その後大腸がん細胞病理に出してリンパ転移がないと判明した訳です。

これは医者側の話術というか、希望を持たせて落とすよりは、一度落として上げてからの方が本人や家族安心するからだと納得しています

 

あとは人工肛門ストーマ)を設置することになりました。腸の手術をすると一時的ストーマを設置する事があるようですが、父の場合永久ストーマになります

2日に一度程度の周期で糞便が収納される袋を交換する必要があります死ぬまでです。何とか人工肛門を外せないかとも思いましたが神経に触る?て間違えてしまうと糞便垂れ流しになってしまうようで、自己排便は難しそうな雰囲気を出していました。

 

今後は放射線治療抗がん剤の投薬で残った膀胱がん寛解させていきます

最初の一ヶ月は入院をして、その後は容態を見て入院して治すか通院で治していきます

 

父は大酒飲みで毎日お酒を飲んでいました。その結果がコレです。もしかしたら膀胱がん駆逐できずに他に転移して死ぬかもしれません。もしくは膀胱がん寛解した後に再発するかもしれません。膀胱がんは再発し易いそうなので。

自分は大酒飲みではありませんが飲み過ぎることがママありました。今後気をつける、というよりお酒を飲みたくなくなりました。翌日残りますし。

 

 

これを最後更新します。

以降は放射線治療抗がん剤投薬で治していくので辛そうとか、癌が小さくなった・ならないとかの報告しか出来ませんので。

コメントをくれた方々、ありがとうございました。

2017-10-06

たまに入院したくなる

自分が何もしなくても朝昼晩ごはんが出てくる

ずっとベッドで寝てていい

というかむしろ寝てることを推奨される

シーツは週一で交換してくれるし、空調は完璧

病院ホテルじゃないから好き勝手入院はできないけど

からこそたまに昔を思い出して入院してみたくなる

あの非日常空間が懐かしい

でも実際に入院すると3日くらいで退院したくなるんだよね

2017-10-05

忘れられないことを書いてるだけ

妹の体育祭におばあちゃんと行くけど一緒に行かない?

面倒だから断った

当日は母と祖母だけ2人で暑い中妹の体育祭に行っていた


その数日後祖母が倒れた。脳卒中だった。

母が言った言葉が今も忘れられない。

あの日体調が悪そうだったんだよね。気づいてあげられたら

母が後悔してるように私も後悔した。元気な祖母と出かける最後の機会だったのに。もしかすると私が気付けてあげられたかもしれないのに。

家の事情退院した後は施設転々としていた祖母

会いに行くといつも泣いてた祖母。帰るときには麻痺が残って上手く動かない口で寂しい、寂しいと言っていた。元気なときには祖母のそんな姿みたことが無かった。

祖母の前ではできるだけ笑顔でいようとしたけど涙が止まらなかった。

祖父だけでは祖母介護は難しいから私が祖父と一緒に住んで一緒に介護することも考えたが両親に反対された。


何もしてあげられないまま祖母がいなくなった

私は出張中で死に目にも会えなかった

飛行機に乗って急いで戻ったときにはもう棺桶の中にいた

フィクションの中では寝てるみたいだろ?なんて台詞があるけど、そこにいた祖母が亡くなっていることは一目瞭然だった

祖母の手を握りながらひとしきり泣いた後は変に冷静になってこれが死臭なのかな、なんて考えてた。

火葬した時は大人のくせに小さい従兄弟たちと床に突っ伏して一緒にわんわん泣いた。

そのあとは祖父の事が気がかりでずっと祖父の側にいた。


祖母が亡くなったか祖父も急に弱り始め、また家庭の事情から祖父施設に入れられた。一緒に住みたいという私の希望は叶わなかった。

祖母四十九日が終わったあと、祖父施設に送る時、施設に戻ることを嫌がり、怒鳴り、泣き、宥めようとした私を叩いた。

両親が反対する中一緒に施設に行って泊まろうとしたのに祖父必要としていたのは祖父の家と祖母だった。

ただただ悲しかった。

今も祖母のことを思い出して泣くし、祖父のことを思って泣く。

泣くことしかできない自分が嫌になる。

どんなに願っても祖母は夢の中にすら出てきてくれない。

本当は祖母にも必要とされてなかったんだろうか

今日祖母に会いたいと思いながら眠りにつく。

2017-09-28

結婚する為に利用された話

完全に愚痴

去年、病気になった。

内臓疾患で、そのまま入院

長期治療必要なのと症状の重さから仕事も辞めなくてはならず、なんとか退院はしたが外出もままならなくなり、家にこもって治療薬を飲む日々。

ただでさえ滅入ってる中、「病気になった」と友人達に言うのもなんだか億劫でずっと周りには黙っていた。

それに気を使われる事がわかっていたので、そういう事に申し訳なくなってしま自分としては一番楽な道でもあった。

そんな折に、一人の女友達から連絡があった。

久々に会わない?最近どう?なんて言われて、まあ言わないだけで隠してる事じゃないしと病気である事を打ち明けた。

そうすると物凄い勢いで心配され、そして力になれる事があれば言ってね、と告げられた。わたしもその病気について調べてみるから、出来ることがあればやるから、と。

その勢いに呑まれ、感化され、この時には「人に心配されるのも、それを素直に受け止めるのも悪くないものなんだな」なんて思っていた。

そこまで心配してくれるなんて、って少し感動したり嬉しく思っていた。

それから週に一度、彼女から連絡が来るようになった。

規則正しい生活が一番なんだよ、とか、刺激物は食べちゃだめなんだよ、とか話してくれた。

正直それらは殆どがどの病気にも言えるような事でもあったけど、ありがたく聞いていた。

けれど、いつしか電話彼女愚痴が主になっていった。

頑張ってるのに職場理不尽な扱いを受けてて、実家暮らしで家にいれるお金が少ないと親には文句を言われ、元カレは長く付き合ったのに結婚してくれなかった、みんなみんな酷い。

だいたいがそんな感じで、一回に二時間ほど喋り続けていた。わたしが発した言葉は相槌のみだった。

さすがにわたしも「あっこれサンドバッグ代わりにされてるやつだ!」と思いそれから距離を置くようになった。気付くのが遅い。

時折やっぱり粘着されつつも気合いで引き剥がし、さすがに次は着信拒否かな…と辟易していたところ共通の友人から色々な話を聞くことが出来た。

曰く、わたし病気を打ち明けた直後に合コンで初対面の人達相手に「友達病気なっちゃって、わたし凄く心配でなにかしてあげたいの」と猛アピールしまくっていたらしい。

そして連絡先を交換した人達相談という名目で会っては「友達思いのわたし」を演じきり、なんならわたしの病状を盛りに盛って盛りまくり、見事「そんな優しい子なんだね」と引っ掛かった人と先月結婚したと。

いやいや待ってなにそれ知らないっていうか知らん人達わたし病気を吹聴して回ってたの?え?バカじゃないの?引っかかる奴もバカじゃないの?初対面でそんな話題ドン引きじゃんっていうか正直もう死にたいくらい辛かったのにそれをネタに使われてたって普通に胸糞悪いんだけど人の不幸を利用するってお前人でなしかよああ人でなしだったな病気人間愚痴サンドバッグにしてたもんなこんちくしょう!!!!!

なんて事が一瞬で頭を埋め尽くした。

更に聞けば、人に言いふらしていた病名が全然違うものだったり、わたし料理下手で、だから定期的にごはん作りに行ってあげてるの!なんて真っ赤な嘘をペラペラ喋りまくったり、あげくにはわたしが話せば一発で嘘がバレるような共通の友人界隈にも話を広めてここでもいい人アピールしまくっていたらしい。

そしてこれは友人の憶測だが、自分人間性や嘘がばれる前にと結婚を急かしたんじゃないか、と。

もう、そうとしか思えなかった。

詰めは滅茶苦茶に甘いけど、計算高く、ちゃんと自分のやってる事を自覚してるタイプなんだろうと確信した。

友人にはこれまでの事を説明し、なんとなくおかしいと思ってたけど完全にダシにされたね、と同情された。

そしてなんの因果か、先日その合コン居合わせた人と会ってしまった。

最近では病状もよくなってきて出掛けられるようになり、久々の友人たちとの食事の席だった。

挨拶をするなり驚かれ、病気大丈夫なのかと聞かれた。

彼女かば義理はないので、事の顛末を話したところ神妙な面持ちになってしまった。

まあ顔見知りだろうと予想はしてたが、引っ掛かった旦那の友人だった。

そして、さすがに旦那側も好意があってきちんと考えて結婚したんだろうし、新婚で浮かれ上がっている今は水を差すようなその話を旦那側に打ち明ける事は出来ないけど、今後彼女問題を起こしたり旦那が悩むような事があれば即座に話して決断させる、と約束してくれた。

なんだかその言葉を聞いて、胸のすく思いだった。そして少し泣きそうにもなった。

自分で思っていたよりもダメージを受けていたらしい。酷い話だと認めてもらえてちょっと心が軽くなった。

ただ、目下の悩みは早く彼女問題起こさないかな、なんて考えてしま自分がいる事だ。

わたし自身もそれなりに性悪だから、仕方ないのかな。

2017-09-23

高校生の時に親が死んだ

良かったと思っている。十分に看取ることが出来たから。学生時代時間は存分にあったから。社会人だったらそれは叶わなかっただろう。もちろんもっと長い時間を共に過ごしたかったけど、でも仕方ない。別れが早くても最期は良かったと思いたい。ただひとつ心残りがある。母は無くなる1年前、一時退院した。季節は春。母が俺を花見に誘った。でも高校生だった俺は親との行動を恥ずかしがり、それを断った。それから10ヶ月後、母は息を引き取った。母の最期病院のベッド。あれは朝9時過ぎくらいだったかな。俺は朝飯をその病室で食べた。近くの吉野家で買ってきた牛丼。それを母親のベッドの脇で食べた。しばらくして母の呼吸が静かに絶え絶えになった。担当医を呼んだ。しばらくして担当から「ご臨終です。」

母が亡くなったのは1月。その日はものすごく風が強かったなぁ。快晴の寒空。それから2ヶ月後、桜の季節が来た。1年前に断った花見を思い出した。今でも春になると思い出す。ごめんな、母ちゃん。

痛みで人生が返ってこない

去年の秋からずっと腰痛に苦しめられている。

それからというもの人生が止まっている。

入院もした。退院後は働きながら必死で痛みと戦った。半年耐えたけど悪化しただけだった。椅子に座ることですら痛みを助長した。地獄のような毎日で、自分が生きているか死んでいるかも分からなかった。

からずっと幸福感のない人生だった。過去記憶を捨てて幸せになろうと単身上京した。一年と少しが経ち、転職先での仕事もやっと軌道に乗ってきたところだった。上司にも信頼されていたと思う。頑張っていたし、もっと頑張りたかった。初めて自力で手に入れた平穏人生毎日が楽しかった。なのに、仕事で腰を痛めた。女なのに重い物を運びまくっていた。疲れの蓄積も自分のせいだと思って気付かなかった。

春には地元に帰ってきた。仕事とはお別れになった。痛みに全てを奪われた。

最初はすぐに治ると舐めていた。なのに全然治らない。あれから10カ月も経つのに治らない。

まだ二十代後半なのに、身体不自由なお年寄り感情移入してしまう。酷い時は足先から肩まで痛みがあった。杖をついて歩いていたら、おじいちゃんおばあちゃんに抜かされたことも何度もある。情けなくてショックで悔しかった。

いろんな病院鍼灸整体に行った。必死毎日バカみたいにストレッチをしている。試せることはみんな試した。MRIなどの画像診断上は原因が見つからないので治療も見付からなかった。

本や論文を読み漁り、筋肉由来の痛みだと突き止めた。一カ月ほど前、自分で探した薬を処方してもらったらよく効いた。先生も驚いて喜んでくれた。今までの苦労が嘘みたいに痛みが楽になった。嬉しくて早く治りたくて、リハビリもいっそう頑張った。

そんな矢先、先週くらいからだろうか。今度は脊柱仙骨のあたりに鋭い痛みが走るようになった。患部から脳天まで貫くような激しい痛み。立っていられない。気にせず暮らせば大丈夫かと思ったけど、今日は家の中を歩いただけで同じ痛みがやってきた。

なんで。なんで。今までこんな痛みはなかったのに。傷めた最初の時もこんなとこ痛くなかったのに。半年も無理して働かされてこんなとこまで悪くなってしまった。それでも頑張ってやっと良くなってきたと思ったのに。こんなに頑張ってるのにひどい。神様なんて絶対にいない。なんでこんなに貧乏くじばっかり引かないといけないの。みんなこんなに辛い人生送ってるの。

物心ついた頃から毒親で、小中と何度もいじめられて、もう性格なんてひん曲がってしまっていた。自信もないし酷い人見知りで、生きるのなんてなんにも楽しくなかった。大学卒業してやっと、自分を変えようと頑張って、見た目も考え方も変えた。だけど就職先はブラックばかり引き当てて身体を壊して苦しんだ。

それでも、それでも負けないと思って、過去なんて全部チャラにできると思っての上京だったのに、結局こんなことになってしまった。

惨めでたまらない。なんでこんなに痛いんだろう。身体が動かないことは本当に辛い。どこにも行けない。何も出来ない。社会が遠くて、毎日が寂しい。働けないことへの罪悪感だってある。最初は周りもみんな心配してくれたけど飽きられたみたいだ。みんな恋愛仕事結婚出産人生が進んでいるのに、私は家から出ることすら出来なくなってしまった。辛いよ。SNSを見てこんなに辛いなんて。健康な人が正直妬ましい。元気な身体がほしい。

一生こんなんだったらどうしよう。どうすればいい?どうすればいいんだろう。神様、本当にいるんだったら少しくらい優しくして下さい。私を解放して下さい。普通身体に戻して下さい。普通人生送らせて下さい。

2017-09-01

引きこもり

から数十年も前の話、当時は引きこもりと言うような呼び名は無かったように思う。

なんて呼ばれていたのかも不明だが、「黙って家の中にいる。一歩も外に出ない。」くらいに言われていたように思う。

それが、案外身近にいたようだ。

叔父祖母の弟の家に、一度だけ遊びに行ったことが有る。

酷いぼろ屋だった。

叔父とその妻だけの暮らし

食事質素な物で、我儘(好き嫌いが多いだけ)な俺には食べられない食事だった。

それでもなんとか一日を過ごし帰宅した。

それから暫くして、「大叔父の家に誰かいなかったか?」という話になり、

「いや誰も!?」と言う返事でその場は終わってしまった。

またそれから暫くして、祖母と母の会話を耳にした。

「あの子はどうしたんだろう?」

「ずーっと家にいて、部屋から一歩も出てこないらしいよ」

...

!?かいたの?全然気配が無かった、と思ったが、

そういえば叔母さんが誰かとぼそぼそっと話をしているような、声がしたことを思い出した。

叔母さんの声も、こもっていたような遠い声だったから、外で誰かと話をしているのだと思っていた。

あれがそうだったのか!

婆さんの弟の息子となれば、かなり歳も行っているはず。

...

それから何年も経って、大叔父病気となり入院したものの、変な話だが、

叔母さんが病院迷惑を掛けるから退院させると言って、無理矢理退院させたらしく、

その後暫くして、亡くなったと聞いた。

家の婆さんも寝たきりで施設に入っていたので、亡くなったことも知らせなかったし、

誰も葬儀に呼ばれる事も無かったように思うし、行ったという話も聞いたことが無い。

その後、叔母さんとその息子がどうなったのかは誰も知らない

何年か後、俺が車の免許を取って、自分の車で大叔父の家の前を通過した時には、

家は解体され更地になっていた。

しかしたら何らかの障害を持っていたかもしれないあの息子はどうしたんだろう。

取り留めもない事を書いてしまった。

2017-08-29

喘息話題になると思うこと

羽生くんの喘息の話が話題になっていて思ったこと

重度ではないんだけど、少し走ったり、朝早くに活動したり気候が悪いと症状が出ちゃったり…などの中程度な喘息の人はどう健常者に混じって生きていけばいいのかわからないなぁ、と思う。

どちらかというと、どうしたら健常者と同等の社会生活が送れるのか?ということ(大げさかもしれないけど)

中程度というのは、発作が起きても、頓服を飲んだり自宅で気管支拡張剤のネブライザ吸入したり、病院処置とかしたらその日のうちにおさまるレベルの人の想定。

自分も含め周りの喘息患者から聞いた中で、体を動かさな仕事でも労働に支障が出る一例として書いてみようと思う。

まず、中程度となると本当に体が悪い人のような社会的に手厚い保障は受けられない。

梅雨とか冬場にはどうしても発作が起きるから遅刻することが頻繁になってしまう。

発作で息苦しくて薬吸って電車の乗り降りを繰り返しているうちに落ち着いてきて、デスクに着く時間にはチアノーゼも治って見た目が健常者だから(ちょっと顔が白いくらい?)周りに仮病だと思われてしまう。

俗に言う自治体ぜんそく認定が認められる企業というのは聞いたことがない。

発作が起きてしまうと午前中は薬で手が震えて頭はぼーっとして眠気があって、の状態で使い物にならない。

頻繁に休むからもちろん上司に嫌われ評価が下がって賞与も下がる。

喘息ってストレスの蓄積で自律神経が乱れて大きい発作が起きるので、仕事が過度に忙しいことはもちろん、上にあげた例による精神的な重圧で余計に体調が悪くなる。

こう羅列していくと悪循環しかない気がする。

実際、自分も発作が起きて遅刻するのが怖くなり眠れなくなったことと、自律神経の乱れのおかげか知らないけど軽い鬱になった。同じような人は多いと勝手に思っている。

それでも自分救急車で運ばれても経過観察とかでその日のうちに帰れるレベル。幼少期は入退院ばかりで、人生の全てを喘息と生きている。体が大きくなるにつれて今の具合に好転してきた。それでも自己管理できるほど軽くはならない。

主治医からはこの歳できちんと治らないのだから付き合っていくことを考えよ、とのこと。幼少期に喘息患者向けキャンプみたいなもので知り合って未だに親同士の付き合いのある友人も同じことを言っている。

自分の体と仕事スピードが追いつかないんだろうか。

言い訳や甘えだって口にされてしま病気なのだから、やはり普通社会で働けているだけ、言い訳しかならないのかな。

2017-08-27

摂食障害の現状を書くよ

私は摂食障害になって20年の中年おばさんです。

18歳位から摂食障害になり、今は30半ばです。

18歳くらいでなりというのも、その頃は病識もなく今思えば摂食障害になっていたんだなと思う。

その日は、すき家に行って牛丼15杯食べた。

その後ものすごい恐怖感が襲ってきた。

とんでもない物を食べてしまった。

これでは太っちゃう

よし、一週間食べることをやめようと。

水だけで翌週は過ごした。

妙に達成感があった。

やれば出来るじゃん。

他は何も出来ないけど、これなら自信を持って他の人より出来ることだって思った。

その後、本格的に食べなくなり、53キロが25キロになり入院した。

入院ですることは、高カロリー輸液をIVH挿入して太らせること。

これがきつい。

摂食障害は太りたくないのに、治療は太らせること、命をつなぐことだった。

太れば痩せようとするので、三食の食事を付き添いの親の目を盗んで点滴をひきずりながらトイレに捨てに行かなくてはならない。

ベッドからほとんど起き上がれない状況なのに、捨てに行くことに全ての体力を奪われた。

なんとか大部屋に移動できたが、ここからがまたきつい。

摂食障害入院するのは精神科で、同じフロアにいるのは当然精神領域の疾患を持っている人が多い。

躁鬱病統合失調症認知症などと同じフロア摂食障害入院する。

摂食障害とそういった病気対応は全く違うと思う。

でも、今は摂食障害対応をできる看護師はほぼいない。

摂食障害が食べるのが怖くて、

看護師さん、怖くて食べられません。」

と言うと、

「駄目です。食べてください。美味しいから。それだけじゃ太らないから。」

という回答になる。

いや、まずいから食べたくないとか、太りたくないから食べたくないのではなくて、食べることがすごい怖いから食べたくないんですよ。

というと、先生を呼ばれてでは薬を変えましょうかとか言って安定剤が追加されるパターンとなる。

こうなると、恐怖があっても誰にも言えないという感じになってしまう。

摂食障害がこの状況で健康保険でできることは、三食食べさせる事と行動制限

同じフロアに同じような摂食障害がいっぱいいる。

摂食障害が集まると、自分の「食べない」自慢が始まる。

私はこんなに食べてるのに痩せてるよという話を一日中話す。

すると、自分が食べるのが怖くなる。

みんなでその人の食事しているところを見に行って本当に食べているか確認する。

実際には食べていなくて、ゴミ箱に捨てていたり、トイレに捨てに行ってたりするのを見つけたり、トイレで吐いていたりする。

ベッドでギッギッって音がずっとなっているのはほぼ筋トレしている。

食べたことを恐怖で一日中腹筋やら腕立て伏せをやるタイプ

大量の下剤を服用するタイプもいる。

本当にご苦労さんだねw

こんな事を24時間やらないといけないのがとても疲れる。

自分の好きなものも当然食えないから早く退院したいって気持ちもあるけど、退院したら痩せる食事しか選べないからまたいずれ入院することになる。

入院している間は、自分でご飯を選ばないで済むから安心だけど退院してご飯の選択が無理って思っちゃう

スーパーでガリガの子が、何時間パンヨーグルトカロリーを見ながら厳選していたら100%摂食障害です。

時間もかけて、このカロリーならきっと大丈夫!と自分に暗示をかけている状況です。

最近話題の盗んで食べちゃう系の摂食障害もそう。

入院している間は万引きする心配がないけど、退院したらまたしちゃうんじゃないかっていう心配しか無い。

から退院が怖い。

そっち系摂食障害結構いて、一緒に入院していた摂食障害の子が数日後万引きで捕まったと新聞で知ることもある。

犯行を侵さないための入院とか、退院したら自分でご飯を選ぶことが出来ないので入院しているって人がほとんど。

太ったら退院、痩せたら入院っていうのをかれこれ8回も繰り返してる。

普通食事をするなんて、一生かかっても絶対に無理としか思えない。

自費の施設なんて到底払える値段ではないし、今後も入退院を繰り返す事になりそう。

皆さんの大事医療費をこんなことに使ってしまって本当に申し訳ない。

2017-08-25

病室の消灯時間が21時って早くない?

初めて増田投稿するよ。

ちゃんとに匿名になってるのかな?

投稿の仕方あってるのかな。

入院中だよ。咽頭浮腫と舌根扁桃だって

少し前も別件で入院たから何が必要かなんとなくわかって、

高熱でフラフラながらも入院準備はすぐにできた。

病院の消灯時間が21時ってとても早いと思うんだよね…

眠れない人が集まる談話室で打ってるよ。

同じ病室にはおばあちゃんたちしかいないから、20時半には大体いびきかいて寝ている。

はいつもハズレというか、入院すると静かに寝ている人の集まった大部屋になることはまずない。

今回の大部屋メンバーも、夜中に起きるくらいいびきがすごい。本当にすごい。

でも自分いびきかいてるかもしれないし、お互い様かな

ちなみに同室のおばあちゃん2人は耳が遠いから、大声で話さなくちゃいけない。

どっちのご家族がお見舞いに来ていると、賑やかでなかなか楽しい

前の入院は手術入院だったから、何日退院かってはっきりわかっていたけど

今回は自分の体の回復次第だから、いつ退院できるのか不安

というかい仕事に復帰しなければならないのか、どんな状態から再開するのか

考えるだけでも恐ろしい。

まあそんなこと考えてもどうにもならないので、

今は回復することを考えて、持ってきた積みゲーを消化することに専念する。

2017-08-19

父親余命宣告された

入院したと母親からメールがあり、その数日後、退院予定日とともに余命宣告されたことを知らされた。

体調が落ち着いていれば2〜3ヶ月。急変すれば、いつまで持つか分からない。会いたい人には知らせてと医者が言ったらしく、父さんが元気なうちに帰って来て、という内容だった。急な話ではなかった。父親平均寿命に達しているし、数年前に癌で手術をしたこともあり、心の準備だけではなく、墓や葬儀などの物理的な準備もできているように思う。

父親について考えると、いつも子どもの頃を思い出す。母親が私へと買って来たシュークリームを欲しがった日のことだ。外は雪が降っていた。夜になって、喜んで食べようとしたら、ひとつくれと父親テーブルの向こうから手を伸ばして来た。母親シュークリームしまった後で風呂か早く寝てしまたか、覚えていないが、部屋にいなかった。多数あるわけでもないし、私のために買って来てくれたものだ、冗談だろうと避けると、立ち上がって追いかけて来て、テーブルのまわりをぐるぐると追いかけられ、最終的に頭を殴られて怒鳴られた。シュークリームを持ったまま自分の部屋に戻ったが、なんでこんなもので殴られなければいけないのかわからず涙が出て、結局一口しか食べられず残りは全部少しずつちぎって窓から捨てた。ずっと雪が降っていたので埋もれて、両親は知らないだろう。そのときの、窓から見た光景を今でも覚えている。もう20年以上前の話だが、そこからずっと父親が嫌いだ。

実家を出た後、母親からは何かと父さんが会いたがってる、父さんが喜ぶ、と連絡があった。それを聞くたびに帰省する気が失せる。今回もそうだ。別にこのまま顔を見せず死んでも問題ない。余命宣告で誰しもが神妙な顔で相手のために動くわけではない。父親というだけで飛んで帰ると思うな。育ててもらってと言うなら、何千万だ返してやるよと思う。金で縁が切れるなら大歓迎だ。私を育てたのは母親だ。結婚絶望的だが馬車馬のように働いてるので金はある。父さんの妹にそっくりだの、父親はやっぱり娘が可愛いんだねだの、ずっとまっぴらだった。兄にきつく当たるくせに私の機嫌を取ろうと様子を窺ってくる父親がずっと気持ち悪かった。父親の兄への態度のせいで、母親は私よりいつも兄を気にかけていた。父親の猫なで声を聞くたびにずっと恨んでいた。父親死ぬ間際にシュークリームの話をして殴られてからずっと嫌いだったと言ってやると思ってたが、30も半ばでその場が近づいてくるとさすがにそんな考えはなくなった。なくなったが、なんで自腹で高い飛行機代出して、貴重な休暇使って、嫌いな相手を喜ばせに帰らなきゃいけないんだ。単純に面倒臭い母親心配なので、母親の顔は見たり助けたりはしたいが、父さんが、を頭に付けられらるともう駄目だ。嫌いだとは母親にも最後まで言わないつもりだが、それ以外に死ぬまで帰省しない言い訳が浮かばない。

2017-08-14

人は死ぬんだ

人間っていつかは死ぬ

それは僕も知っていた。


1週間前の事。

親戚のおじさんが入院したと聞いた。

入院理由は「歩けるようになるまで検査をかねて入院する」という話だった。

お世話になっていたので、次の日病院に行くことにした。

会ってみると、呼吸するのも苦しそうな位、変わり果てた姿だった。

しかし、僕に気遣ってくれたのか、おじさんは「俺の予定だと3日で退院すると」


その3日後、おじさんは亡くなってしまった。

突然の死に、僕は現実を受け入れられなかった。

通夜でおじさんの顔を見ようとしたけど、僕にはできなかった。

何故?急に死んでしまったのかと言う現実を受け止め切れなかったからだ。


つい一週間前は会話できてたのに・・・


お葬式火葬炉に入る瞬間、堪えていた涙がどっと溢れてきた。

これが本当のお別れなんだと。


「腹いっぱいくって寝ろ」

「それが一番の幸せだ」

と教えてくれたおじさん。





本当に本当に

辛かった。

この時、僕は人は死ぬんだと実感した。

今更の話になってしまうけど、

僕がお見舞いに行った時点で、詳しい検査すら受けてなかったらしい。

あの時、容態の変化を察して、病院側にもっと口を出してもよかったかも知れない。

後悔しても後悔しきれない。

ごめんね。

2017-08-05

人工妊娠中絶を受けた話

妊娠7週で中絶手術を受けた。

初期なので麻酔をかけて数分でおわり。特に痛くはなかった(前日の処置子宮口にラミナリアという線香状の海藻を突っ込むのだがそれはちょっと痛かった)。

数ヶ月たってやっと体験を思い出にできそうなのでまとめてみたい。

■手術当日までに必要な通院と費用

かかりつけの産婦人科妊娠の確定診断を受けて、中絶希望する旨を伝えるとその場で最短の日程(翌週末)の予約をとってくれた。週二回で一日四名だかなんだか枠の決まっている手術日は、半月先までほとんど埋まっていて、妊娠週数が増すと人工妊娠中絶費用身体的な負担も増える形式の手術になってしまうので、自分は最短の日程で予約を入れた。

かかりつけの病院HP中絶費用を明示していて、初期の場合の手術費用は22万円だった。妊娠の確定診断の際に中絶手術の希望を伝えたので、手術前の血液検査もしてこの日の支払いは1万円だった。

産婦人科医は(どこもそうなのかもしれないけど)「中絶を選ぶのも女性の権利」という態度を一貫していて、中絶を選ぶことに葛藤があるのかないのかはカウンセラー(その病院では中絶手術を受けるのにカウンセリング受診必須だった)が確認するらしかった。

妊娠確定の診断とカウンセリングと手術前日の処置と手術と、二週間で合計4回通院した。

幸い職場遅刻・早退・休みがとりやすかったのだが、つわりの症状がひどくて直属の上司にばれてしまうのが嫌だったのと、中絶というネガティブ選択について個人的見解を持ち込まなさそうな上司だったので正直に話した。しかしそれでもそんなに休むのかという印象を与えた感は否めない。

■なぜ妊娠たか

そもそもなんで妊娠してしまたかコンドームを使った避妊が嫌で(擦れて痛かったりする)排卵日と予想される前後以外は使っていなかったからだ。排卵付近コンドームを使ってはいたが、その他受精や着床を防ぐ物理的な手段は講じていなかった。

周期を読んで避けるというのは試したことがあって、効果のある避妊方法に思えた。そんなやり方を続けているうちに、周期的にアウトかも知れない日に膣内で射精してしまった。アフターピルの処方もうけなかった(たぶん仕事が忙しくて忘れていた)。

それとパートナー性器が大きくて普通サイズコンドームがキツそうだった。大きいサイズのものを私が探せばよかったのだが、さぼってしまった(ちなみに後日聞いたところによると、本人は自分が大きいサイズを使うべきと気づいていなかったらしい)。使用は最低限にして負担を減らしたいと私が思っていた。

私の考えは、特定パートナーしかセックスしないのであれば性感染症の予防(コンドーム使用)には注意を払わなくていいというものだ。昔は低用量ピルを使っていたが、体質的NGになってしまいこの数年は選択肢に入れられなかった。殺精子剤を使っていたこともあったが、かゆいのと発がん性があるらしいという情報が怖くてあまり積極的に手を出せなかった。IUDリング)は形態気持ちわるいのと、一度相談した産婦人科医が「避妊成功率は8割」と言っていたのでそんなに低いのなら避妊効果がないようなもんだと入れていなかった(今回婦人科でもらった資料によれば実際はもっと高かった。この時冊子とか公式数字の載った資料をもらわなかったことが悔やまれる。)

■なぜ中絶を選んだか

積極的避妊手段を取り入れていなかったのは、身近に中絶手術をしたことのある人がいたことも影響していると思う。失敗したら中絶してもいいのだ、と考えていた。中絶したことのある友人はひとつ体験として消化しているように見えた。今回中絶するかどうか悩んでいた時に意見を聞いてみたが、罪悪感は不要から子供のためとか言わないで自分の好きにしなと教えてくれた。

そもそも妊娠したくてもできないという場合も少なくないだろうし、昔そういう経験があったので(といっても半年ほどだが)、危機感もうすかったかもしれない。万が一避妊に失敗したら産むか産まないか考えよう、と思っていた。セックスした相手のことを大事にしたいと思っていたので、彼が出産を望むかどうかの意見考慮しようと思っていた。

妊娠が確定したので、彼と話し合い、彼が望まないとわかったので、それならばおろそうと決めた。自分一人でやっていくには経済的に苦しかった(といっても私は中小企業会社員なので、生活の水準を下げて子育てすることだけを自分時間の全てとすればやっていけるのかもしれない)。彼は、もし彼の意見を聞いてそれでも私が産むというのであれば、経済的にも物理的にもサポートするといった。しかしそれは自分の望むものではないと話すので、私は彼にそんな思いで支えてもらうのも、彼と絶縁して子供を産むのも嫌だと思った。

そうして「今回の妊娠は」なかったことにしようと、中絶をすることに決めた。

■手術当日の流れ

朝9時に病院に行った。手術は13時頃らしかったが後ろにずれる場合もあると言っていた。出産管理入院の方と同じフロアの個室を用意されていた。

彼は手術の日は一緒にいるといって病院には来ていたが、特に何を話すでもなくぼーっと座っていた。私は下着をはずし病院着に着替えてベッドに座ったり寝転がったりしていたが、一度彼が横に来て、何をしたらいいかからない、点滴の管にぶつかりそうで怖いというので、むかついて蹴飛ばしてその後は同じ空間にいたが接触していなかった。

途中看護師がやってきて、彼に席を外してもらい話をするといい(中絶を強いられているのではないかという確認だと思う)、今回なぜ中絶を選ぶのか質問された。産んで欲しくないという彼の意見尊重したいので、と答えた。今後交際を続けるのか、避妊方法は考えているのか、決して責めるような口調ではなく質問され、子宮内に装着する避妊器具ミレーナを勧められた(今はそれを利用している)。

中絶してみてどうだったか

手術は冒頭にも書いたが身体的に大きな負担は感じなかった(前日夜から絶食麻酔から覚め落ち着いた午後3時ころまで水分も口にできなかったのはつらかったが)。

でも手術台に上るのはつらかった。これでお腹中の人と別れると思うと悲しかった。悲しくて、麻酔をかけられながら大泣きしてしまった。看護師は、つらいよねといって手を握ってくれて、自分で決めたことなのにつらいとか思っていいのかと思うとすごく心が救われた。

麻酔科医は私が泣いていることに特にコメントはなく、私の目を見て麻酔のかかっていくとき感覚麻酔にかかっている時間、目が覚めるとき感覚について説明をした。麻酔が入っていくときには針の先に痺れる感覚があるらしく、先ほどとは別の看護師が皮膚をもんでくれていた。手術は婦人科医師麻酔科医師看護師2名の体制だった。

麻酔から覚めるとやっぱり嗚咽が止まらず、ベッドに乗せられて個室に戻った時にはすっかり過換気になっていた。看護師にビニル袋をもらい、彼には会いたくない旨看護師から伝えてもらい、夕方退院した。

産褥シート(夜用ナプキンもっと大きいやつ)をあてがわれていたのでどれだけ出血するか不安だったが、普段生理出血が多いのもあり、大した量には感じなかった。

その後いろいろ思い出しては悲しくなる期間を経て、4ヶ月たった今は、思い出しても泣かないようになった。過換気になったのは手術の日だけだった。最初毎日通勤電車で思い出して泣いていた。数日に一回、彼を責めるようなLINEを送っていた。一人でお酒を飲んでたバーでさめざめ泣いてしまったこともある。

今は彼と結婚することにして(いつとはまだ決まっていないのだけど)また子供を作りましょうという話をしてあるので、心が落ち着いているのだなと感じる。あの日私の内側から取り去られてしまった人の魂が、もう一回来てくれるといいなと思っている。

ゼミの入室試験

大学ゼミに入るって、まあ、大学生活の目的の一つじゃないですか

んで、ぼくは希望するゼミ見学をしたわけですよ

そしたら教授に「あ、キミはあの講義の時の。発表良かったよ、うちに興味あるの?」

といわれて、結構話し込みました

人気のゼミでしたが、その教授講義プレゼン大会で一位を取っていたりして、実績はあったのでまあ入れるだろう、と高をくくっていたわけです

んで、入室試験の前日、ぼくはバイト終わりに、ゼミ面接の準備をして疲れ果て、やれやれ、一息つこうとカップ麺でも食べようと思ったわけです

おもむろにティファールをセットし、湯を沸かす

朦朧とした意識のなかで、「カチッ」というティファールの音で目を覚ます

寝ぼけ眼で湯をカップ麺に注ごうとした瞬間、悲劇は起きた

手が滑って、沸騰したお湯を自分の股間にぶちまけました

「ああああああああああああ

ぼくは一瞬何が起こったのかわかりませんでしたが

次の瞬間とてつもない痛みに襲われました

皮が白く縮まり、湯引きした鶏皮のようです

痛みで意識が飛びそうになりながらも、ロキソニン適当に掴んで飲み込み、痛みをちらし

すべての恥を捨て、親に事情を話し、夜間外来へ送ってもらいました

今思うと救急車を使うべきでしたか

死ぬ思いで診察を待ち、おそらく皮膚科女医に湯引きされた陰部を診てもらうのはそういうプレイかと思いました

股間を見た瞬間の先生の「うわぁ。。。」の声と表情は忘れられません

どうしまたか質問にはどう答えたらいいかわかりませんでした

結局、病院での処置も痛み止めを飲んで、陰部に薬を塗るだけでした

朝の回診のときに、看護婦のお姉さんに薬を塗ってもらうのは、はずかしかったけど、うれしかったです

でも、痛みで僕の息子はピクリともしませんでした

けっきょく、ゼミ試験受けられなかったせいで、僕はゼミに落ちました

退院して、そのゼミ教授講義に行ったときは合わせる顔がなかったです

だいいち、理由なんていえません

しばらくは、排泄時の陰部の痛みと、ゼミに落ちた心の痛みに耐えながら過ごしました

たったいちどのあやまちで、僕の大学生活はぶちこわしになりました

みなさんは、くれぐれも熱湯にはお気をつけください

そして、試験頑張ってください

こんなことをかけるのは増田ぐらいです

誰にも言えない話しですけど、自分ひとりでは処理しきれない出来事でしたので

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