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2018-09-19

健やかな精神を得ることと『子ども』の存在価値無関係

https://anond.hatelabo.jp/20180918120625

親権押し付け離婚した元増田に、私もひとつ話を添えようと思う。

私の両親は若い内の恋愛結婚で、結婚後三人の子どもを生んだ。

だが、三人目が二歳になろうか、というところで父親浮気発覚。相手は当時女子学生留学のために暫く日本をはなれるから、それまで付き合わせてくれ、というのが、発覚した時の父の言だったそうだ。

もしその言い訳

はいそうですか、わかりました」

と言えるほど彼女が『母親』という生き物だったなら、こじれなどしなかっただろうが、そうじゃなかった。

本来なら唯一女性として見てくれる対象人間がそっぽ向いているんだ。屈辱にもほどがある。

父は仕事仕事の日々。

三人目の子病気がちで入退院を繰り返していたし、上二人は小学生に上がって間もないがまだ手はかかる。

その上で発覚したそれは、一人の女性から気力という気力を奪い尽くしただろう。

離婚騒動はなかなか揉めたらしい。

双方両親、兄弟仲人浮気相手家族も巻き込み、色々な人が、思い直せとか三人も、とか、別々には…とか好きに言ってくる。

しかし母は、離婚離婚を父に突きつけ、慰謝料を断り、三人のそれを全て父に押し付けた。

「こいつらを簡単幸せにして堪るものか」

母が27の時の決意だった。

自身はとても子ども好きだ。近所の子や親類の子など、分け隔てなく可愛いがる。

それでも、親権より、自身が健やかに過ごせる手段をとった。

とはいえその先の生活自暴自棄で、夜中の一般道を120km/hで走るとか、一人で踏切傍に佇んだりとかしてたみたいだけどね。

就職して海外で働いたり、なりふり構わず色々して気を紛らわせてたらしい。

さて、晴れて独り身になった母だったが、意外なことに、時折離婚した父に会っていた。

そのときできたのが私になる。

それでようやく、『この子を生かすために生きよう』と思えるようになったそうだ。

私がこの話を母から聞いたのは16歳の時で、当時とても物分かりよくませた子で。

子どもながらに、何を選んでも大変だったことが想像ついたんだよね。

ついでに父が100%悪いとも思えなかった。それは母にもちゃんと原因の一部があると思ったからだった。

実はこのあと、私が成人してから父と兄姉と会うことができた。

母も一緒に。

会うことが叶ったのは、父が母の悪口子どもたちに吹聴しなかったからだと思う。

父は当時の相手再婚して、更に下に子どもも設けてた。私の存在は今後も公にはならないけど、別にいかって感じ。

何が言いたいかなんだかわからなくなったけど、案外ある話だってこと。

幸せを望んで何が悪いの、自分を追い詰めた人間に対してその不幸を望んで何が悪いのってこと。


元増田の人、どうか健やかにね。

そして幸せになってください。

あなたは母でも女でもある前に、一人の人間なんだし。

2018-09-18

二年連続誕生日前にフラれた話

二年連続誕生日前にフラれた話

去年、ひと回り年上の男性と付き合っていました。彼は当時42歳独身で、私の誕生日には沖縄旅行プレゼントすると言って飛行機ホテル全て予約済みでした。しか誕生日2週間ほど前から突然連絡が途絶え、それまでは毎日のように写メ付きの連絡があったのにおかしいな?と思い何度か返事を催促すると、「忙しいから落ち着いたら連絡する」とだけ返事がありました。今思えばそれでおとなしくしていれば良かったのですが、旅行には行けるのかが不安で、その後も何度か連絡をすると、多分それがうざかったのか「今一緒に行っても楽しくないだろうから」と言って誕生日旅行キャンセルと同時にフラれました。誕生日の予定がなくなったので、一人で過ごしました。

その後、私もも31歳なのでいちいち恋愛で傷付いてメンタルを消費したくなくて、恋愛するのはやめようと思いました。今年に入って、今度はひと回り年下の二十歳の男の子からアピールされました。遊ぶくらいなら良いけど、傷付くのはもう嫌だから恋愛はしないでおこう、と思っていたのに、彼の純粋な姿に気付けば恋をしてました。彼の誕生日の際はまだ付き合っていなかったけど、会いたいと言われたので予定を空けて、手ぶらダメだと思ったのでプレゼントを買いました。一人暮らしの彼に、グラスをプレゼントしました。彼と付き合うようになり、彼は毎日写メ付きのLINEを送ってくれました。朝から夜まで、まるでブログツイートのように、その日の出来事を私に連絡してきました。嬉しかったです。でも、心のどこかで「でもきっと、そのうちしなくなるんだろうな、その時は悲しくなるな」と考えていました。

彼は仕事とは別に夜にバーバイトをしています。顔が良い彼はそのお店でそこそこモテているみたいで、それは彼女としては嬉しいことなので応援していました。でも夜の付き合いは面倒で、会う約束をしてた朝方まで飲みに連れ回されたりしていて、私と会う時はすごくお酒くさかったりする時もありました。それでも彼は私に真摯に向き合ってくれてました。なるべく週末は空けてくれていたし、一人暮らしの部屋も私に自由に使わせてくれました。旅行も連れて行ってくれました。誕生日も楽しみにしていてねと言われていました。

また、彼はまだ若いので、私のワガママで交友関係を縛るのは嫌だったので割と自由にしていました。夏は海とかBBQとか、彼はバーの交友関係のほうで毎週のように行っていました。

しかし、ある時彼が私との約束ドタキャンしました。店で酔いつぶれていたそうです。身体心配して、ゆっくり休むように伝えると、その後に「友達に誘われたかご飯に行ってくる」というLINEが入りました。馬鹿正直というか、、、私との約束ドタキャンして、埋め合わせの件よりもほかの人との予定を優先するのかと少しムカつきました。その次の日は、彼は夜の仕事仲間とBBQがあると聞いていたので連絡などしてなかったのですが、いつもマメに連絡してくる彼がついに夜中になっても一度もLINEをくれなかったので、少し心配になって「今どこ?」とLINEをすると、写メが送られてきました。写ってたのは、夜の仕事仲間と、いかにも夜のお仕事お姉さんたちの楽しそうな写真でした。女性がいるのは想像ついていたけど、終電のない時間に、酒も入っているし、あれこれと最悪な状況しか連想できませんでした。まぁ、やきもちです。呆れた私は「もういい」と言うと、「これからは土曜も仕事入れるからもっと会えなくなる。でもどっちも大事にしたいから」と言われました。土曜も仕事をするということは、日曜の朝方までの勤務なので、実質会える時間はなくなります。(彼の休みが日曜しかなくなるので、私と会うと彼の睡眠時間がなくなります)それに、生活の為とはいえ、昼も夜も働いてるのだから割に収入はあるはずです。それなのにバイトを増やすのはなぜなのか?どちらも大切にしたいと言って、こんなふうに女性と夜に会うことと、私と会うことを天秤にかけて、私が優先されないことが今後増えていくのか?不安でした。夜の世界にこれ以上染まって欲しくないと私は思っていたので、それもショックでした。色々と把握できなくて、「距離を置きたい」と言ってしまいました。そのあと連絡が途絶えて、翌日の夜くらいに、彼が血まみれでベッドで点滴を受けている写メが送られてきました。

「(夜のお店の)店長ケンカしちゃった」との事でした。私は血の気が引きました。同時に、血まみれの人間をあまりたことがなかったので恐怖で涙がこみ上げました。すぐに電話をして、理由を聞いたけど濁されました。店長は50代で、大の大人なのに、まだ二十歳の子にこんな傷を負わせるなんて本当に最低だと思いました。病院にだれか一緒にいるのか聞くと、独りぼっちだと言うので、彼が心配になり、私は行ったこともない駅の病院まで向かいました。先日の台風の日でした。私の方がそこそこ危ないんじゃないかと思いながらもなんとか病院まで辿り着きました。面会時間外と言われましたが、緊急患者だったのでベッドまで案内してくれました。彼は眠っていましたが、服にも腕にも顔にも血がついていました。死んじゃったらどうしようと思って、また涙が出てきました。包帯が巻かれていない方の手を、そっと握りました。彼はゆっくり目を覚まして、私の顔を見た後に泣き出しました。貰い泣きしそうでしたが、我慢して、寝たまま身体を動かせずに涙がぽろぽろこぼれる彼の涙を拭いてあげました。面会時間外でしたのであまり長居できずに、着替えの下着だけ置いてその日は帰りました。それから、彼は退院しましたが利き手を使うことが出来ず、日常生活が困難だったので、なるべく仕事の後に彼の家に通うようにしました。食欲もないと言っていたので、フルーツとか簡単フォークで刺して食べれる物などを買ったり、痛み止めや胃薬を買って持って行ったりしました。

日経ってから、彼が店の店長と話すと言うので、話し合いは必要だと思うので快く送り出しました。そしたら、彼から「しばらく店長の家に泊まる」と連絡がありました。私は正直、今まで私がしてきた事は、彼にとってなんだったんだろう?と思いました。二十歳の彼にとって、バイト先の店長存在は大きいのでしょうけど、怪我を作った原因の人でもあります店長にすれば、彼は若くて顔も良くて女性客にも人気があるので、手放したくないのだろうと思います。結局のところ、彼が頼るのはそこなのか、と。私はまた少し不機嫌になってしまいました。そして、この一連の出来事は私の誕生日の一週間前の出来事でした。去年のことを思い出しました。直前に別れて、またあんなにつらい思いをするのは嫌だと心の底から思いました。彼に、私の誕生日の予定を聞くと、「可愛がってもらってるママさんに誘われてるからご飯に行ってくる。でも次の日は空けてる」と言われました。これは結構きつかったです。私も相当彼のことを可愛がってきたつもりでしたが、彼には届きませんでした。悲しみに悲しみが重なりました。せめて電話がしたくて、その旨をLINEで送りましたが、一日中既読がつきませんでした。なので、危機を感じて欲しくて、お別れの意のメッセージを送りました。これが一番の良くないんだとわかってはいるのですが、予防線を張りたくて送ってしまったのです。今朝、彼からラインが届いていました。「別れよう。今までありがとう」と書かれていました。

二年連続で、誕生日前にフラれました。もはやネタです。私なりには努力したつもりでしたが、進歩がありませんでした。とにかく今はなにも考えられないのですが、まさか本当にフラれると思っていなかったので今週仕事がギッチリ入っていて、放心にもなれません。なのに週末の誕生日は予定が入ってません。こんな悲しい人生、なかなかありませんね。来年彼氏を作って、誕生日前にフラれるか検証してみようかと思うレベルです。嘘です。本当に、落ち込んでいます。彼の部屋に置きっぱなしの物がたくさんあるし、家具なども私が買ったのに捨てられるのかなとか、めそめそしています。もはや、30歳を超えた私が一回りも下の可愛い男の子なんかと付き合えて良い夢見せてもらったと思うしかないですね。

2018-09-15

1ヶ月ぶりに会った事務女性

病院入院退院したけどまた検査で、と先月言っていた

事務所に入って、声は聞こえる 元気そうだ

挨拶をすると 元気に返してくれる

けど退出前に顔を出したのに彼女は机でパソコンに向かったまま 決して振り返ってくれない

いつも笑顔で愛想良くあれこれ話してくれる彼女なのに違和感

ちょっと声かけてそのまま事務所を出た

なんだろう、と思い返す

先月 頭にバンダナを巻いて青白い顔で それでも笑顔で話しかけてくれた彼女

私はその時 もう大丈夫なんですかと努めて冷静に聞いたつもりだったが

内心 彼女の顔を見て かなり大変な病気のようだ、と不安気持ちで気まずくなっていた

あの時の気持ち、表情に出て伝わってしまっていたんだろうなあ

申し訳ないことをしてしまった

今日は声を聞く限り、遠くから様子を見る限り 前回よりずっとお元気そうでよかった

彼女と顔を合わせて、もうすっかり良くなったようですね良かった、と本心で言える日が早く来ることを祈る

から大事な話があると連絡があって

父が白血病らしい。

母は電話口で泣いていた。


私はまだ全然何も分からなくて分からない。

何となく良くない病気であることは分かる。

昔読んだヒロシマ悲劇白血病少女物語イメージ


白血病の疑いが出たのも今週頭の話で、今日になって明確に白血病であること、思っていた以上に良くない状況であることが分かったらしい。

すぐに入院することになって、無事に退院することが目標になるらしい。

え?目標そこ?そんなレベル


母は白血病の疑い段階をあえて私に伝えておらず、結果いきなり動揺させることになってごめんねと私に対して泣いていた。


もうすぐにでも治療が始まり、まず強い抗がん剤を打つ。

その抗がん剤はかなり強力で、2週間続けられる人はあまりいないらしい。

この2週間という表現はよく分からない。2週間続けることに意味があるのか、当て続けることに意味があるのか、耐えれなくなったらどうなるのか、そこまでは聞けていない。


結局のところ深刻さやそもそも病気について私は何も知らないので、とりあえずググってみた。

あるガンの研究機関サイトに色々説明があったので読んでいたのだが、その結びに「どうか希望を棄てずにがんばってください」とあった。

やっぱりそんなレベル??絶望感を味わうのがスタンダードな状況??


こんな状況なのに私はまだ実感も何もなく、今ものすごく冷静だったりする。

びっくりもあまりしていない。

ただええ?ほんとに?と自分の中に入ってこない。イメージがわかない。

私はまだ身近な人の死を経験していないし、本当にまだ何も感情がわかない。

でも何とかなるでしょ?と思っている。

抗がん剤でお父さん大変だろうな、お母さんも憔悴してないかな、大丈夫かな、とはぼんやり思うが、でも何とかなるんでしょ?大変さの先に元どおりがあるんでしょ?って。


朝一で実家に向かうので、洗濯が回せないな、荷物再配達が受け取れないな、みたいな考えも同居している。


えこれってやっぱりそんなにやばい状況なのかな?そうなんだろうな。でも何も想像がつかないしわからないよ。

2018-09-13

だれか

父が肝臓がんの症状によって脳症になっていると診断された。

がんはもう手遅れ。高齢のため本人に告知もしていない。

って言うか、自宅で1人でフラフラになってトイレにいくにも困難な状態だったのに、病院に行くことを拒んだらしい。

なんとなく、自分で体調を把握していたのかも知れないと思ってたけど、入院して少しすると家に帰りたいと言い出す。

ちなみに、衰弱しており、酸素も、カテーテル?も手放せない。寝て自分で歩いたり起き上がることもできない。

こんな状態で、連れて帰ってくれと言われる。

まだ、本人がはっきりしているなら、少しは考えられる。

だけど、妄想のようなまざった出来事を話して、私と母に殺されると、言われてしまう。

つらい。

ここ数日は、連れて帰る気がないなら、殺してくれ。早く殺せと、小さな声で恨み言を言われる。

介護タクシーがあるとも聞いたが、家には起き上がりベッドもないし、家についたとたんに病院に帰るしかないように思う。

それでも、まともに考えられない状態になっている父の希望に答えるべきなのか。

冷静に病院で、このまま恨み言を言われたほうが良いのかな。誰だって、家で安らかに死にたいよね。わかってるけど、わかってるけど、肝性脳症ってこんなにもイライラ攻撃的になるのかな。

しんどい

追記

ありがとうございます。確かにメリットデメリットしか考えられていないですよね。

8月末に余命は数週間と、言われ介護認定にも間に合わないようなことを言われました。

改めて主治医に聞いたところ、口から栄養が取れないため退院も無理。今は車イスにも乗れずストレッチャーでの移動も体力的に厳しいため、本当なら一時外出も賛成とは言えない。と言われました。

またホスピスでも、今の病院でもターミナル期は過ごせると聞くことが出来ました。

ただ、本人の強い希望なら命の限界が来ても家に少しでも帰してあげたいと言う気持ちになりました。急いで家に電動ベッドをなんとか用意したいと思います

ありがとうございました。

2018-09-01

猫死んじゃった

この場があるのを感謝して、書きなぐらせてもらう。

仕事から帰ったら部屋の片隅で硬くなってた。

最近便秘で入退院繰り返してたけど、便秘気味なのは前々からから深刻になってなかった。

しろ食欲もちゃんとあって、うんちもきちんと出たからほっとしていた矢先だった。

最近、土日も仕事が多くて、振替休日も私が暑さでダレきってて、一緒にぼーっと寝てるだけだったから、

明日からは久々にゆっくりできるからブラッシングしたりシーツ洗ったりして

ちゃんスキンシップとりながらゆったりいちゃいちゃ(表現キモくてごめん)しようと思ってた。

から今日の朝にシャワー浴びてるときに構え声(誤字にあらず)で鳴いてても

「あー、もう明日ゆっくり付き合うから」って邪険に扱ってて、出かけるとき

「行ってくるね」くらいしか言わなかった。遅刻しかけてバタバタしてたかちゃんと振り返りもしなかった。

いつもはもう少し丁寧に「行ってきます留守番よろしく」くらいは言ってたのに。

で、今日も遅くなってしまって、帰ってきたらいつもの通りに「帰るの遅っ」って鳴きながら出てくるはずなのに

出てこなくて、嫌な予感で部屋に入ったら、冒頭の通りだった。

かかりつけの病院が夜中も対応してくれて、取り乱して電話したけど、「とにかくすぐに連れてきなさい」って言ってくれて

キャリーに入れようとしたら硬くなってるから入れられなくて、隠れ家用においてた段ボールで運んでいった。

便秘も良くなってたし、毛づやも悪くないかたから、突然の心不全じゃないかって話だった。

慰めで言ってくれたかもしれないけど、どの時間に私が帰っててもどうしててもどうしようもなかったんじゃないかって。

健康若い猫でもたまに見られる話だって

里親ボランティアさんから我が家に来たのがちょうど10年前。

その時に推定3~4歳って言われたから、今は13~14歳しか猫エイズキャリアだったか

発症または老化での介護問題を今後いろいろ考えとかないとなあ、とは漠然と考えていた。

でも、こんないきなりのお別れは全くゼロだった。

とにかく、獣医さんで処置してもらってドライアイスもらって、家帰って

病院に連れて行くときに使った箱に入れたまま、通夜

よく見たら箱はキャットフードまとめ買いした時の箱だった。もう嫌だ。

この気候もあるから明日には火葬しないといけない。ペット葬儀会社の見当をつけた。

で、誰かに吐き出したいんだけど、友人とカニ夜中に電話するのは迷惑だし、メール送るのもなんか違うし

ここに吐き出させてもらう。

猫、ごめん。一匹で逝かせてごめん。ズボラな飼い主でごめん。

なんだよ、やっと振替休日取って三連休決めたらこれかよ。

そういえば体調崩すのも給料日直後とかボーナス直後とか変な空気読むやつだった。

私が親知らず腫らして寝込んだときは、腫れたほほにそっと肉球を添えてくれた。

合成肉が嫌いで、ウェットフードの時は見事にそれだけ残してた。

ブーツから脱ぎたての足の臭い大好きで、冬場は帰宅の都度私の足にしがみついてうっとりしてた。

カメラ嫌いで写真撮ると大体怖い顔だった。寝顔撮りまくりできるのが今っての何これ。嫌だ。

愛しさと申し訳なさとでもうぐちゃぐちゃだ。



追記2018年9月2日

コメントくださったみなさま、経験談やお悔やみや励ましの言葉ありがとうございました。

エントリでその後とお礼を書きました。

「猫死んじゃった」のあとのこれから。(お礼とかコメント返し的な)

2018-08-31

かつて同僚だった若手が亡くなっていた

 他に書くところがないので、ここに書いてみる。わかりずらい文かもしれない。

 私は3年前に転勤したんだが、転勤する前の職場で一緒に働いていた30歳代前半のヤツが亡くなっていた。心を病んで休職し、この春に自殺していたらしい。この夏に他の元同僚に合う機会があり、そこで初めて彼が亡くなっていたことを聞いた。ショックだった。

 私が転出した翌年にそいつも転勤したんだが、彼が希望した部署への転出だったので非常に喜んでいたようだ。彼の転勤後、一度だけ会ったことがあるのだが「あれ?こいつこんなに明るいヤツだったかな」と思うくらいはしゃいでいた。その後風の噂に仕事休み始めたと聞いていはいたが、まさかこの春に亡くなっていたとは。双極性障害入院していたそうだ。退院直後に自殺したそうだ。

 実を言うと今の職場でも休職する若手が出てしまった。今は私のかつての同僚のようなことにならないよう祈るばかりだ(いや、祈っていてはダメか。復帰したら皆でサポートしないと)

 それにしても、改正労働衛生安全法によりストレスチェックを毎年しているのに私のかつての同僚が自殺してしまったし、私の身近で心を病む者が出てしまった。

  本当にあの、自己回答形式ストレスチェックって意味があるんだろうか?

 もちろんチェックの結果は職場には知らされないらしいのだが、少なくとも今の職場の若手が心の病を抱えていることは職場の誰も把握していなかった。急に仕事休み始めて初めて気がついたくらい。

 身近な範囲で不幸なことがあると、繰り返しになるが、果たしてストレスチェックなんて意味があるのだろうかと思う。自分ストレスを隠そうと思えばいくらでも隠せてしまうのではないか

 どうして血液や唾液の成分の計測等の客観的指標ストレスを計るような制度設計しなかったのだろう。

 またストレスの度合いが高い高ストレス者と検査した医師等が判断すると、医師から本人に面接などを受けるように指導が行き、その本人(労働者から事業者雇用側)へ申し出があれば医師から面接指導等を受けさせる、という流れだと思うが、高ストレス医師が判定したら、本人からの申し出がなくても医師による面接指導ができるようにしたらどうたったのだろう。制度悪用を恐れたのかもしれないが、高ストレスと判定された者が正常な判断ができなくなっている可能性(できるだけ知られたくないと隠してしま可能性)もあるのではないだろうか。

 杞憂かもしれないがストレスチェック制度に疑問を覚えた。

2018-08-19

これからがようやく本番

そのことに気づける人はそんなにいない。

救いたかった自分はもう死んだと思って、

それでも残ってるなにかをもう一度見つめ直してみれば、次に進む道が見つかるかもしれない。

https://anond.hatelabo.jp/20180819132725

https://anond.hatelabo.jp/20180819110324


自分自分いじめの原因を地域社会にもとめて、地域研究の道を進もうとした。

大学院まで進んだけど、結局いじめられた自分を生み出した犯人をみつけたいだけだった。

その事に気づいたら、研究する目的も見失ってしまった。


退院してから、昔取った杵柄を生かして、文系エンジニアの道に進んでなんとか真っ当な道にたどり着けた。

ただ、研究しよう向き合ったことで、いじめられていた頃の自分成仏させられたんじゃないかなと思う。

20歳までの育成は、親や周囲の環境にしても、ほぼ運次第。遺伝環境かって2択だも、本人の意思関係なくなってしまう。

20歳超えたら、多少の勇気があえれば、自分がいる環境を選べるようになる。

これからでも十分、間に合う。これまでの道のりは無駄じゃない。

この手に残ったものをもう一度見直せば、次の道は自ずと見えてくるはず。

2018-08-17

お母さんありがとう

わたし、30歳になる独身女性

もう、大人になってからずいぶんたつ。

 

独身で、「親」になるという気持ちは実感できないまま大人として過ごしている。

そんな私、生まれた頃は保育器に入っていて、退院してからしょっちゅう病気していて、

命の危険性がある難病を抱えているとかではないけれど、月の半分は熱を出したり、

肺炎にかかったり、喘息っ気があったりと、とにかく病弱な子だった。

中学に上がった頃から随分丈夫にはなったけれど、今でも抵抗力などは弱めで、よく体調を崩す。

  

なので、ニュースなどで感染症病気流行しているなどのニュースを見かけると、

少し不安になって母に「私って○○の予防接種したっけ?」とラインなどで聞くことがある。

母は母子手帳確認せずに「したよ」「してないと思う」とすぐに返事をしてくれる。

 

30年ちかく前のことを、時期や病名までしっかり覚えてくれているのだ。

から返事が来るたびに、ものすごい大きな愛情を感じて、泣きそうになる。むしろちょっと泣いてる。

 

母にとって私は第一子で、最初の子育てがそんな気の抜けない感じで、きっと大変だったんだろう。

実際、私が覚えている小さい頃の記憶は、外で遊ぶよりも病院の待合室で過ごしていることの方が多いし。

 

いろんな病気をした。

小学校の授業などで同級生母子手帳を見る機会があったのだけど、

私の母子手帳は、他の人よりぼろぼろで、ふくらんでいたように思う。

 

どんな症状が、どんなときに、何をすると出てくるのか。

ぜんぶ書いて、ぜんぶ覚えてくれてたんだろうな。

今でも覚えてるぐらい、何度も何度も考えて、見て、比べて、病院を回ってくれたんだろうな。

 

私は父が頼りないというか、あまり家にいない人だったので、余計に気が張ってたんだと思う。

物心ついた頃から、「熱が出る=38度後半」というイメージが出来上がってたけど、

からしたら、小さい子どもしょっちゅうそんな熱出すなんて心配だったよね。

 

母は今でも、私のことをすごく心配してくれる。

遠く離れて暮らしていても、ちょっとの変化を聞きつければ、すぐに医者に診るよう促してくれる。

ありがとうお母さん。

私は、本当に母の愛を感じながら生きている。

 

この、涙が出るほど素敵な愛情を、私も誰かに注いでいきたいものだけど、

本当に申し訳ないけど今のところ兆しなしで、今後もそろそろ厳しいかもしれない。

 

私も、お母さんのような、素敵な母親になりたいな。

そんな風に思ってたんだけど、ついつい、仕事に没頭してしまったよ。

 

こんなに元気に働けるようになったのは、お母さんのおかげだよ。

愛情いっぱいに育ててくれて、本当にありがとう

2018-08-16

[]

明日医者に親もついてくるだと

ついてくるのはこないだの退院したときだけだと思ってたのに

クソうざい

ODなんかしたらまだついていくにきまってるとかえらそうに いってたけど

そもそもODする原因つくったのお前だよくそオヤジ

2018-08-15

親の本棚で思い出したこと

親の本棚子供読書に影響うんぬんという話が盛り上がっている。

それとはあまり関係ないが、人間の本の趣味というのは大きく変わってくるんだなぁという話。そして再度交われるんだなぁというお話

自分父親歴史ものとかノンフィクションであれば政治、国際情勢の本を昔から読んでいた。

高校生くらいの頃はたまに自分も読んでいた。

大学に入ると、自分理工系に進んだこともあり、あまり本の趣味が合わなくなってきた。

たまに実家に帰ったとき父親が「この本面白かったぞ」と紹介してくれるのだが、政治家のルポだったり、アメリカ情勢だったりで読み始めても数分で本を閉じてしまう。

自分は専門分野だけでなく、どちらかというとサイエンス寄りの本を読むことが増えていた。

もちろん一般書で、例を挙げればHONZサイエンスで紹介されるような本。

昔は父親が勧めてくれた本を面白く感じてたが、いろいろ知ると父とは好みがずれてくるんだなぁ、感慨深いなぁなどと思ってた。

それから10年以上経ち、自分博士課程まで進んでしまい、その後しばらく働いていると父が倒れた。

入院中で元気をなくしている父にお見舞いする際に、読書が好きだから、なんか本を持って行ってあげようと思った。

父の好きそうな本を持って行ってあげたいが、もう好みはわからない。

仕方ないか自分の手持ちの本の中から、がんばって父にも読みやすそうな本を3冊くらい見繕ってもっていった。

自分が帰った後、母の話によると父は食い入るように本を読んでいたそうだ。

無事手術が終わり、父と話したら、そのときに持って行った菌世界紀行という本が大層お気に入りだったようで、

岩波科学ライブラリーって面白い本いっぱいあるんだなぁ、岩波新書くらいしか読んでなかったよ。退院した後にいっぱい買ったよと笑っていた。

60過ぎた父親に、新しい面白さを見つけてもらってすごく嬉しかった。

次は、大学生のときに勧められた本を自分が読むべきだな。

2018-08-09

医者増田を書いてわかったこ

東京医大の女子減点問題について、いち小児科医が思うこと

優秀な医者とそうでない医者の違い

を書いた増田です。すいません、この2つですが、書いたのは実は同じ増田です。


どのくらい反響があるかを前の増田の影響がない状態で見てみたかったので、2つめはあえて文体を変えて書いてみました。

ばれるかなと思ってドキドキしていたので、今のところ同一人物じゃないかという指摘がなくて良かったです。


今回、東京医大事件によって、医療界が抱えている大きな歪みが一般の人の前にも明るみに出たので、いい機会だと思って普段なんとなく考えていることを文章化してみました。

読み返してみると2つとも無駄に長いですね。

現代医者の性かもしれませんが、できるだけ状況を丁寧に説明して相手選択してもらうような考えが染みついてしまっているので、ぐずぐずまとまりのない文章になってしまいました。

まぁ、もともとまどろっこしい性格なのですが。

こんな長い文章なのに、多くの人に読んでブックマークしてもらってうれしかったです。

あんなにたくさんの増田がある中で拾われるなんて、増田ウォッチャーの方は本当にすごいですね。


たくさんいただいたブックマークコメントを読んで感じたのは、やはり医療現場の外にいる人に医療現場のことをわかってもらうのは難しいということです。

別にすべての人にわかって欲しくて書いた訳ではないですが、中にいる人間としては、そんなに単純な話ではないんですと思うコメントもたくさんありました。単純に私の伝える力がヘボいだけかもしれませんが。

その現場の中にいる人にしかからない空気感があるというのはどの分野でもある程度同じだとは思いますが、病院はどうしても病気の人と病気を治す人という特殊かつ閉じられた環境になってしまうので難しいです。

風通しを良くするために、他力本願で大変申し訳ないですが、こうすればいいという考えを持たれている、他の分野、特にはてなユーザーに多数いらっしゃるであろうITエンジニアの皆様におかれましては、ぜひ病院という環境に飛び込んで、自分の分野を活かした医療環境改善プラン提案していただきたいものです。

ニーズは非常に高いので、ビジネスチャンスはたくさん転がっていると思いますし、なにより実際に環境改善されれば現場人間に非常に喜ばれると思います

さらに、現場環境改善はそのまま患者さんに提供する医療の質の向上につながります

みんな大喜びです。

可能であれば医師から何か提案したいところなのですが、医師特にマネージメントに関わるような立場にある医師は、結局その技術で何ができるのかと言うことまでキャッチアップできていないことが多いので、そもそも活用法を思いつきません。「IT活用して何とかして」とか言われたらみんな困るでしょう。

医療者がAIも含めたITリテラシーを高めるのと合わせて、IT側もビジネスチャンスと考えて積極的医療に関わり、その高い技術力を活かしてもらいたいものです。


偉そうなこと言ってないでお前も何とかしろよと言われそうですが、卒後10年弱で中堅に入りかかった程度の小児科医としては、増田を書いて少しでも理解裾野を広げることと、自分の周りの環境を何とか良くする程度しかできることがないのがつらいところです。

早く偉くなって自分の影響力が及ぶ範囲を広げたい。


最後に、前2つの記事ではできるだけフラット立場で読んで欲しかったので、自分の考えをあまり書きませんでしたが、「結局増田解決法についてどう考えるの?」というコメントをいくつかいただいていましたので、自分の考えを書いておきます

前もって断っておきますが、例のごとく非常に長いです。すいません。


医学部入試について>

今回の事件に限らず医学部入試に黒い噂がつきものなのは大学医学部医学科に入学した人のほとんどが医者になるという現状が原因で、これが諸悪の根源です。

まり入試不正をなくすためには、ほぼ入学ゴールという現状を変えなければいけません。

すなわち、医学部入学者を増やして医師教育入り口である医学部入学の門戸を広げて、代わりに国家試験という出口で医師の数を調整する、という方法です。

大学医学部に入れたところで医師になれるかどうかはその後の自分次第なので、不正をしてまで入学するメリットは大幅に減ります

出口を国家試験にしてしまえば試験による不正基本的には起こらないはずです。(このご時世なので何があるかはわかりませんが)

現行のペーパーテストのみの国家試験をより実践的なものに変更する改革と合わせれば、現場に出る医師レベルもある程度保証できるはずです。

国家試験受験者の大多数が合格できる試験でなくなり、さらにより実践的なものになれば、各大学間で合格率に大きな差が出ることになると思いますし、大学間での競争活性化されて問題のある大学は淘汰されていく流れになるかもしれません。学生競争さらされてしっかり勉強するようになるでしょう。

さらに、医学教育の出口で医師の人数を調整することにより、入り口で調整している現在より速いスピード医師需要の増減に対応できるようになります


問題点としては、医師になる教育を受けたのに医師になれない人が多く発生することです。タイミングによっては、氷河期みたいな現象が起きてしまうかもしれません。

医学生にとっては、大学に入ってしまえばほぼ医者になれる現状に比べてかなり厳しい状況ですが、世の大学生や大学院生たちは、就職においてかなり熾烈な競争を行っているようですので、現状が甘やかされすぎです。

ただ、医師になれなかった学生の受け皿は必要です。医師に準ずる知識技術を持った非医療職というのはある程度の需要があるとは思いますが、どこまで一般企業などがそういった人材を、しか国家試験に落ちてしまった人材を欲してくれるかは疑問です。

医師みたいな資格を作って病院で働くというのも一つかもしれませんが、どういった制度設計にするかは十分な議論必要です。

とにかく、国家試験に落ちてしまってもすべて自己責任としてしまうのは今の日本ではちょっと受け入れ難いと思いますし、この辺りは検討余地が多数残っています

他の問題点としては、やはり大学負担が増えることでしょうか。

大学時代によく言われたことですが、医者を一人育てるのにはお金を含めた莫大なコストがかかっているそうです。

国公立大学言わずもがなで多大な税金が投入されていますし、私立大学でもある程度は学生授業料でまかなわれているものの、少なくない税金が投入されています

その税金を、医師教育として医者にならない(なれない)人のために払うべきなのかというのは議論が分かれるところだと思います

国公立大学でも学生負担を増やすのは一案だと思いますが、結局お金持ちしか医師になれなくなっては本末転倒ですし、アメリカのように借金してでも大学に入ったのはいものの、最終的に医者になれなかったのでは救いのかけらもありません。

つの時代お金の話は悩ましいものです。

また、お金だけでなく人的なコストも増大します。

現状では大学教員診療教育研究を一手に引き受けており、学会活動なども含めて多忙を極めています

ただでさえ手薄な教育なのに、これ以上にリソースを割けと言われると行き着く先は地獄です。

解決策は大学教員を増員して診療教育研究のうち得意な分野に専念させることですが、そんなことができるお金のある大学日本には存在しないでしょう。

やっぱり先立つものは金です。

国民の皆さんに納得していただいて増税するしかありません。


医師労働環境改善について>

最初増田に書いたように、医師労働環境改善女性だけの問題でなく、今後は男性医師にとっても重要問題となってきます

特別女性が働きやす環境を作る必要はなく、性別関係なく医師が働きやす環境を作れば、その結果として女性もあまり無理なく働ける環境になると私は考えています

そのためには、賢明なるはてなユーザー諸氏と同様に、医師の数を増やし、医師業務を他の職種移譲できるもの移譲し、病棟業務については複数主治医制にすることが基本的には必要だと思っています


この3つのうち根本的かつ最も強力な改善策は医師の増員だと思うのですが、いかんせん現在制度では増やそうと思ってもどうしても10年近いタイムラグが生じてしまます

軍隊みたいに予備役みたいな制度があればいいんですが、医師に関してそんなバッファーを用意できるほどこの世の中に余裕はありません。

増えた頃にはAI進歩によって劇的に医師業務スリム化されていて、既に多くの医師が用なしになっているという未来も想定しておかなければいけないことを考えると、現実的には、今から医師を増やすよりはAI進歩を待つ方が良いのではないか個人的には思います。非常に悩ましいところです。

また、医師を増員する場合は、増員した医師診療科と勤務先が偏ってしまうと増やす意味がないので、国家試験の成績など何らかの形でそれらを制限する仕組みが必須です。

しろ医師を増やさな場合でも、今後の医療においてこの仕組みは必須になってくる可能性が高いでしょう。

これから医師を目指す学生諸君にとってはこれも厳しい話ですが、医者が好きなように診療科と勤務地を選べる時代は終わったと諦めるしかありません。


医師の増員についての問題点は、やはり人件費です。

業務量の減少に合わせて個々の医師給与は減ることになると思いますが、総量規制で「人数を倍にしてやるから給料半分な」というのはさすがに厳しいですし、それなりの人件費の増加は免れないでしょう。

また、上にも書いたように医師を増やすことで大学の育成のコストも増加します。

やっぱり先立つものは金です。

私の給料が減ることについては生活に困らない程度までは我慢しますので、国民の皆さんにも納得していただいて、増税のうえ健康保険料の値上げと医療費の自己負担割合を上げさせてもらうしかありません。


医師業務を他の職種移譲することについては、現在も徐々に進んできていると思いますが、現在既に忙しく働いている医療者に業務移譲しても仕方ないので、やはり追加の人員を確保することが問題となります

医師を雇うよりは人件費は抑えられると思いますが、日本全体で考えれば結構人件費の増加になるでしょう。

また、処置にせよ事務仕事にせよ、医師負担を減らせる程度までの業務移譲するためには、相手にもそれ相応の医療知識技術必要です。

その教育や育成にも金銭的・人的コストがかかります。やはり先立つものは金ですね。

カネカネ言い過ぎて、賢明なるはてなユーザー諸氏に「医療現場問題は放っておこう」と思われないか心配になってきました。

とは言え、退院マリを書けるくらいの医療知識と高い事務能力を備えた人材がいれば、病院においては引く手数多だと思うので、そういった人材を育成して派遣する会社を作れば儲かりそうです。実はビジネスチャンスなのかもしれません。


複数主治医制についても基本的に賛成です。医師がある程度安心して病院を離れるためには必要制度だと思います

ただ、患者さん側の理解必須です。

主治医団のメンバーすべてが同様の能力を持っている訳ではないこと」、「チームのメンバーのうちA医師にはできることがB医師やC医師にはできないこともあること」、「緊急時を始めとして常に望む相手診療が受けられるわけではないこと」。

理性的はてなユーザーの皆様には理解しがたいことかもしれませんが、この当たり前とも思えることを納得して受け入れてもらうことすら難しいのが医療現場の現状です。

2つめの増田に書いたシチュエーションはほぼ実話で、同じようなことは重症度は違えど年に数回は起こります複数主治医制での別の主治医とではなく、当直医との間においてですが。

もちろん、実際の状況はあんなに単純ではないので、自分主治医側の場合もあれば当直医側のこともあります

私は小児科医なので、実際に起こっていると言うことは、あの場で急変しているのは子どもです。生後1ヶ月に満たない赤ちゃんのこともありますし、中学生のこともあります

いずれにせよ、急変した我が子を見て、このまま我が子が死んでしまうかもしれないと言う状況で「これも運だから仕方ない」と冷静でいられる人はいません。A医師を呼んで状況が改善する可能性があるのだったら「A先生を呼んで!」と言わない親は現実はいません。そんな親はみたことがありません。

別にそれが悪いと言っている訳ではありません。自分がその親の立場だったら言ってしまうと思います

ただ、その希望が常に叶えられるものではないことくらいは理解して受け入れてもらうのが、複数主治医制が根付くために必要な前提条件だと思っています

簡単そうに思えるかもしれませんが、現場においては本当に難しいことです。

患者さんやその家族が、多くのはてなユーザーの皆さんのように、正しさのためならC先生我慢するか、と思える方ばかりならいいのですが。

この前提条件が成り立たない状態複数主治医制を実施すると、前の増田に書いたようなことになって、優秀な医師病院を離れられない空気感ができあがりA医師疲弊するだけです。

また、複数主治医制を機能させるためには、どうしても1つの医療機関にそれなりの数の医師を集めなければいけません。

上にも書いたように、医師の増員にはどうしても時間がかかるので、さし当たっては医療機関の集約化を行うしかありません。

中規模の病院を中心に統廃合が行われた結果、中規模以上の医療機関へのアクセス悪化し、患者さん側にはご負担をおかけすることになると思います


医師労働環境改善のための患者さん側の理解という点では、医師時間外の仕事を増やさないように協力していただくことも重要です。

夜間・休日不要不急の受診を控える、平日の日中以外に病状説明求めない、この2点で小児科医の労働環境結構改善すると思います

子ども医療費の自己負担額は多くの自治体でただ同然なので、その受診人件費を含めてどれくらいのコストがかかっているか無頓着な方が少なからずおられます

金銭的・時間的にアクセスが容易だから夜間・休日でもとりあえず受診しておこうという姿勢は、上に書いたように医療費の高騰や医療機関の集約化を通してその容易なアクセス崩壊させ、結果的に自らの首を絞めます

もちろんどうしようか非常に迷った上で受診して、ひどく申し訳なさそうに診察室に入ってこられる保護者の方もたくさんいますし、小児科に関しては子どもことなので、もちろん心配であれば夜間でも日曜でも受診してもらったらいいのですけどね。


AIについて>

AIは将来的に医療の様々な分野において医師業務を助けてくれる存在になると思いますしかAIの素晴らしいところは、いったん開発してしまえば計算機電気さえ食べさせていれば文句を言わずに働いてくれるところです。もちろんメンテナンス必要ですが。

上に何度も書いたように、先立つものは金というこの世知辛い世の中において、人件費がネックにならないのは非常にありがたい存在です。

咽頭画像撮影して、その画像からインフルエンザかどうかを診断するAIを作っているベンチャー記事をどこかで読んだ気がしますが、そういった特定の疾患かどうかを診断するようなAIは実現が間近のようです。

一方で、多くの人がAI診療と言われて思い浮かべるような、患者情報インプットすることで自動的に診断や治療法などをアウトプットしてくれる夢のようなAIはまだまだ実現は遠そうです。

そういったAIを実現するための最大の課題は、我々医師が診察の現場において収集している情報のうち数値化や言語化が難しい情報を、どのように計算機 このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2018-08-06

anond:20180806070816

落とすな、と言われている「医療の質」ってのは

24時間365日誰でも簡単に安く診て貰えるし緊急手術もして貰える」って所なので。

海外崩壊していない、とか言ってるバカ多いけど

日本人基準じゃどこもとっくに崩壊してるんだよね。

海外紹介状無いと専門医に診て貰えないのが普通だろ。でなきゃ馬鹿高い金払うか。

日本がそんな国になったら医療崩壊と言うだろうさ。

日本みたいに、24時間365日誰でも簡単に安く診て貰える国なんか他に無いよ。

よく「アメリカ出産後1日で退院させられる異常な国」とか言ってる奴いるけど、

安い金で1週間も入院させて貰える日本の方が異常な国なの。他にそんな国ないの。

それもこれも医師低賃金過剰労働のお陰で、それを支えてるのは彼らの「やりがい」のみ。

2018-08-03

[]

オーバードーズから救急搬送入院退院してきたよウェーイ

しんどかった

最近の薬は多量摂取してもそうそうひどいことにはなんないって思ってたけどそれは市販薬に限った話か

処方されたものなら危険もの簡単に手に入っちゃうんだな

カテーテルで胃液抽出されたのは入れるのも出すのもいれてる間もずっとしんどかった

尿道カテーテルは出し入れするとききつくて入れてるときは割と平気だった

要注意患者ってことでナースステーション近くのベッドにいたけど、そばのジジババがボケててうるさくて全然寝れなかった

父方の祖父ナースコールオオカミ少年化して本当に大事ときに駆けつけてもらえなくて死んだらしいが、

隣のばーちゃん絶対そうなりそう

というか普通病院のはずなのに老人ホーム精神病院にいるみたいで発狂しそうだった

すでに精神病んでるはずなのに

入院はじめてしたけど病院食まっずい

唯一の楽しみだったのに一番おいしかったのはプライベートブランドのりたまふりかけ

保温しすぎた松屋朝定のごはん食ったときレベルのまずさだった

松屋ゆるさんもう二度といかんと誓ったあの日

オレソーセージエッグ食べるのっつーか朝定食べるのはじめてでワクワクもんだぁって思ってたのにその期待をあっさり裏切りやがって

医者会社ヘラヘラした人事に似てて原辰徳

点滴と尿カテでずっとベッドにいる

ひたすらipodマンガ読んでた

老人ホーム疑似体験スタッフ不足をありありと実感した

でもなんとなくみんな活力があっていきいきしてる気がした

死んだようにデスクワークしてたオレとは大違いだ

隣の芝生理論なんだろうけど

30分、下手すりゃ10分ごとにナースコールされたらたまったもんじゃないしな

隣できいててほんといたたまれなかったわ

さびしーんだろうなあ

おじーちゃんがきてるときはそれなりにしっかりしてるようにみえるし、毎日こなくていいのよなんていってるのに

さびしいのはわかるけどスタッフはずっと相手してるわけにはいかんしなあ

年取ったらどんどん赤ちゃん返りして1対1のコミュニケーションがまた必要とされるようになってる気がするわ

寂しくなったおばーちゃんがおじーちゃーん!って叫ぶのにたいして、そばのベッドのおばーちゃんがハーイ!って変死するのは少しフフっwてなったけど

でもナースコール無視されるようになったからって戸棚の引き出しや扉をバンバン開けしめするのはやめてくれよ

ほんと発狂しそうだったわ

それに味をしめて常習化する前に退院できたからよかったけど

なんか地獄垣間見た気がするわ

全然マシなんだろうけども

病院老人ホームの違いがわかんなくなる光景だった

とにかく退院してまたいろいろあってやっぱり死んだほうがよさそうだから片付けして死ななきゃ

やるなら絶対くびつり

オーバードーズによる自殺がきつすぎることは身にしみてわかったか

というか今回のオーバードーズはまったく死ぬつもりなかったからほんと失敗した

2018-07-28

43歳ロスジェネ普通人生が歩みたかった。

43歳独身独身派遣普通人生が歩みたかった。

普通恋愛して、結婚して、子供を作って、頑張ってローンで家を買って、いいパパになりたかった。

でも、そうすることは出来ない。

新卒入社したブラック企業で5年間潰れるまで仕事させられた。

自殺未遂して閉鎖病棟入院

病院から退院したら会社首になっていた。

退院して見た週刊誌には「過労死自己責任」と書いてあった。

その後は生活するために派遣で働き、解雇され、派遣で働き、解雇されの繰り返し。

生活費を工面するために数百万の借金まで出来た。

気がついたら43歳。

もう恋愛結婚子供も無理。

借金けが残った。

お見合いとかしてもこの身分借金がある限り無理。

そもそも年齢的に無理か。

どこで人生を誤ったのだろうか。

早く死にたい

2018-07-21

anond:20180721110356

退院後は普通に捨てていいんじゃないの。

あげる方だってしばらく飾ったら捨てられる事前提だよ。

それで文句言うような奴もいないだろうし、いたらそんな頭おかしいのとは縁切りゃいいだけ。

避難所とかの公的場所だとそういう頭おかしいのが沢山出て来るし拒否しにくいけど、個人同士なら問題ない。

anond:20180720234650

普通に病気入院中の相手などにお見舞いの趣旨で送るものだと思うけど、現地が災害などで混乱のさ中にあるときに送ろうとすると迷惑扱いされる。

個人的には手間がかかりすぎていて重いと思うけど、グループでお見舞いの意を表したいときとか、現金などを送るとかえって失礼と思われるケースには良いんじゃないのと思う。でももらった人は退院後に始末に困りそうだけどね。

2018-07-18

精神病んでるときってこんなもの

友人が鬱だか適応障害だかで仕事を辞めて通院、薬も飲んでいたみたいだ。

当時自分妊婦だった。仕事もしていなくて暇だったので、よく相談に乗っていた。

その友人に呆れた出来事がふたつ。

1つ目。

妊娠中、一時期状態が悪くて自分入院することになった。

その友人も見舞いにきてくれた。

来てくれたのは嬉しいが、友人の同居している家族インフルエンザの人がいたらしい。

それを見舞いに来てから話された。一応マスクはしていた。

家族インフルエンザじゃ感染ってる可能性があるんだから見舞いになんかきちゃダメだよ」という内容でなるべく責めないように注意した。

せっかく見舞いに来てもらったし、しばらく話していたら、途中からマスクを外していたのに気付いた。

注意したのに…せめてものマスクも外すんか…と思った。

2つ目。

その後自分退院して、臨月を迎えた。

ある日の夕方に「明日遊びに行きたい」と連絡がきた。

暇だったし特に何もなかったのでオッケーした。

ただ、お腹が急に張ったときに等、「自分相手できなくなった時に友人が手持ちぶさたになると悪いので、〇〇ちゃんでも呼んだら?」と説明ちゃんとして、気が利く別の友人も誘ったら?と言った。

「わかった、誘ってみる」と返事がきた。

その後グループラインに「明日パーティーするけど来る人〜!」みたいなノリのことが投下されていた。

自分は慌てて「大人数は無理!入院した時にあまり動けないことも説明したでしょ?できるのはせめてふたりちゃんと訂正して!」とラインで叱った。

〇〇ちゃん指名した説明ももう一回した。

そして「誰と来るか、何時に来るかを報告してね。こちらも用意等があるので」と言った。

友人はわかったゴメンと、グループラインに「今のナシ」と投下したので大人パーティーはなくなって安心した、が以降友人からの連絡が来なかった。

その時は〇〇ちゃんを誘っているんだろう、〇〇ちゃん仕事かなんかで忙しいんだろう、と思って日付が変わるあたりまで待っていたが連絡はこなかった。

しかしたら叱ったことで割とションボリしてたみたいだし明日は来ないことになったんだろうか、どちらにせよ連絡のひとつくらいほしかったな…と思いながら寝た。

朝遅くラインの音で起きたら「今から行く、××時に駅につく。車のお迎えよろしく」という内容。

入院中に運転禁止されてることも話したのにな、それに臨月なのにな、結局誰が来るのかも聞いてないのに、山ほど文句があったがとりあえずもう余裕がないのでタクシーか歩きで来いと返信しておいた。

〇〇ちゃんはいなかった。友人ひとりで来たようだ。

今度ばかりは正直迷惑だったのでためておいた文句を並べた。

なんていうか一瞬しょんぼりするだけで、本当に理解してんだろうか?ぬかに釘のような気分だった。

〇〇ちゃん来れなかったの?と聞けば誘ってないという。

グループラインでは繋がっているが、個別だと繋がってないから。そんなことを言い出した。

じゃあ繋がればいいじゃん!

何で何時に来るかとか何人で来るかとか教えてくれなかったのかと聞けば、ラインで叱られた後しょんぼりしてたから。

もう意味がわからなかった。

過ぎたことはしょうがいから、こちらも色々用意があるんだから今後はしっかり連絡してと言えば、ともだちを家に呼んだことがないから知らなかった。家にともだちをあげてはいけないと親に言われていた。だからそんな配慮はできなかった。親のせいだ。

そういう家庭の事情があったとしても成人の口から出てくる言葉か?と呆れてしまった。

ラインで叱った内容をもう一度繰り返して叱っておいた。

精神病んでるときってこんなもの

もっと優しくするべき?

自分妊婦様すぎ?

あそこまで説明したのにわかってもらえないものなのかな?

もう成人してるんだからわかるもんじゃないのかな?

2018-07-10

点滴異物混入事件で思い出したこと

かなり個人的感想だけど、患者不審死事件を初めてニュースで見た時から犯人はその病院勤務看護師しかいないだろと思っていた。

数年前、たまたまあの病棟みたいな終末期医療患者さんばっかりのところに一ヶ月ほど入院してた事がある。そこは救急も受け入れていたので突然の大怪我で運ばれてそのまま入院になったんだけど、退院する前に耐えられなくなって転院した。

とにかく病棟雰囲気殺伐としていた。看護師ヘルパーが無愛想なだけならまだいい。

仕事殆どが寝たきりのお年寄りの世話のせいかスケジュール通りの仕事以外は面倒って感じを隠そうともしない。何か頼みたくてナースコールしてもまともに来てくれた記憶がない。日々の処置も乱雑でモラハラに近いものがあった。看護師全員がそうじゃないにしても誰かに何か頼むのがすっかり嫌になってしまった。

病院じたいもあまり良くなかった。病室は狭く設備も古くて食事の内容もいくら病院食といってもこれはないわと思うぐらいの粗食。担当医師暴言多いし勤務時間の合間に病院の裏口で医師同士が喋りながらタバコ吸ってる(家族が何度か見たらしい)。

でも何より毎日世話になる看護師たちのやる気のなさが一番きつかった。看護師同士の仲もあまりよくないのか、引き継ぎの連絡もうまくいってなかった。

こっちは思うように体動かせないし立場が弱いか我慢してたけど、最後はもうこれ以上は無理ってなって泣きながら訴えたら旦那理解してくれた。

転院先のごく普通の小さな総合病院天国に感じた。

私のはやや極端な例かもしれないけど、事件看護師本人の資質に加え、その病院全体の雰囲気経営方針とかも関係あるだろと思う。自分の勤務時間中に亡くなると説明が面倒とか言ってたらしいし。

あの時大勢入院してた終末期の患者さんたちのご家族はどう感じてたかはわからない。寝たきりの祖父母や親を預けるだけなら問題は感じてなかったかもしれない。でも入院してた患者立場からするとただでさえ憂鬱入院が更に憂鬱になるような、かなり殺伐とした場所だった。今回の看護師逮捕ニュースを見て久しぶりにまたそのことを思い出した。

2018-07-07

元カレが死んだ

わたし人格形成の一端を担う人だった。

喧嘩ばかりして、怒られて、ぶちギレて、苦しくて、どうしようもないくらいすきだった。どうにもならなくて、ひどい別れ方をして、死ねばいいなんて思っていたらほんとうに死んでしまった。

実感があるようでまったくない。

死んでから1ヶ月以上が経ち、

折り合いはある程度ついた気はするけど

これからまだもう少しかかるんだろうな。

心の真ん中でさよならを言えるようになるまでには。

彼と別れてこの2年間、ひとりで生きていける人になりたいと思ってがんばってきたけど、いろいろなタイミングが重なって最近付き合い始めた人とも別れて、もう身体が動かなくなってしまって入院していた。

退院してある程度回復はしたけど、今もひとりじゃ夜あまり眠れないし、ごはんもひとりじゃ食べられないか友達に付き合ってもらっている。

グレそう。

さびしい。誰かにそばにいてほしい。ひとりでがんばれると思っていたのに、自分がこんなに弱い人間だと思ってなかった。

もうどうにでもなれ、という気持ち

彼がいなかったら2年間がんばれはしなかっただろう。

から感謝してる。

このがんばりは無駄じゃなかった。きっと。

今は休憩する時期なんだとぼんやり思っている。

近しい人が亡くなった経験のある方、体験談聞かせてほしい。

anond:20180706031659

昔何年間か毎年沢山猫拾って10匹育てて貰い手探したけど、変なのしか残らないのはわかる気がする。

貰い手探しポスターを頼むと優しい人も多いけど「そんなので譲ってもまた捨てられるだけじゃないの」「寺に猫捨てる人多いかポスターなんてお断り」「当店は動物禁止ですので」等々結構厳し目の対応も受ける。

一度だけポスターを見て変態電話をかけてきた人もいた。

何より困ったのは意外と皆捨て猫を押し付ける先を探しているので、猫を拾う人だと近所や友達家族の知り合いから広がって毎年捨て猫を持ち込まれるようになった事だ。

私に押し付けなくても普通に広報に載せてもらえば2、3匹はすぐに貰い手見つかるし余裕だよ?と思うが、何故かみんな私が引き取らなければ保健所に連れて行くと言い出す。

子猫可愛いし貰いに来る人と話すのも結構楽しいしそこまで嫌でもなかったけど、母が癌になり泊まり込みで付添をして一時家に帰りバタバタしている時に、事情を知ってるはずの近所のおばちゃんが捨て猫を抱いて泣きべそ顔の娘を連れてきた時にもう限界だと思って捨て猫引き取るのを止めた。

でも母が退院後に妹の友達が捨て猫を押し付けてきて、母が猫がブサイクすぎて絶対に貰い手見つからんし飼いたいと主張し貰い手探す余裕もなかったから飼う事になった。

しか最近子猫を引き取って虐殺する人も居るらしいしやってられんだろ。

テレビで不潔な猫屋敷の婆さん番組を昔見た時に「皆家に捨てていく」と婆さんが言ってて、何か動物虐待するゴミ屋敷住人みたいな取り上げられ方だけど、捨てていく人が悪いよ気の毒だなと思いながら見た。

2018-07-05

恋愛は少なくともメンヘラとは両立できなかった話

 本文をうっかり読んでしまうのは時間無駄なのでいくらか前置きで警告をしておく。

 これは一人のクソ女の自分語りだ。

 多分恋愛をしている人にもメンヘラをやっている人にも響かないと思うので、ノンフィクション小説好きな人とかが読んで哀れむなり蔑むなりネタにするなりしてくれたらいいと思う。

 文章にすると落ち着くたちなので、一回字に起こして整理したかっただけだ。

 特に意見アドバイスを期待してはいないけれど、私が想像も出来なかったような現実を打開する魔法があるなら教えて欲しい。

 そうじゃないなら今はほうれん草を沢山使うレシピくらいしか知りたいことはない。

 石を投げたりして気持ち良くなるなら好きにこの文章の私を罵ってくれて良い。もし肯定したいとか共感したとか優しい言葉を掛けたいとか思ったら、それは上手く受け取れないので胸に仕舞うか何かしておいて欲しい。言って満足するなら言って満足して欲しい。

 それから、ぼかしたりフェイクを入れてはいるけれど一応念のため。私の彼氏さん。あなたがこれをもし読んでいたら、私にいい加減愛想を尽かして下さい。メールもしなくていいし、顔も合わせなくていいです。ここにはあまり書いてないけどあなたはすてきな人なので、きっと可愛くて気立てが良くて知的趣味の合う恋人や奥さんがそのうち出来ると思います。私抜きで幸せになって下さい。でも今までありがとう

 さて、数えてないけど多分これ五千字くらいある本文。

 私には彼氏がいる。中学生の頃男女混ざった仲良しグループに居た同士だったが、彼は当時テンプレ中二病クソ女であった私に親切だった。私はいわゆる愛情に飢えたメンヘラであり、被虐待児でもあったので親切な彼を好きになった。

 親に無理矢理突っ込まれ進学塾、殴られたくないから沢山勉強して、私が目指した志望高校は彼と同じ学校だった。志望理由は、当時不良やヤンキーが苦手だったのでそれでもやって行けそうな校風であることと、私のやりたい部活の成績が良かったこと。通える範囲で目指せる偏差値勝手に割り出されたその高校を志望していると自分に言い聞かせるために、彼と一緒に高校に通えるかもしれないことを考えていた。彼は頭が良かった。彼の頭が良いところにも好感を持っていた。

 結果として高校受験は失敗だった。兄弟が多い我が家は長子の私の滑り止めを用意出来なかった。模試きれいな紙に印刷された合格する確率が70%まで落ち込んだ。挑戦は許されず漫画のように家庭の都合で通いやすくそれなりの偏差値の親が決めた高校受験して合格した。

 妥協のご褒美に私は携帯電話を買い与えられた。猿のように熱中した。友達とひっきりなしにメールをするのが楽しかった。そんな携帯中毒に付き合ってくれたのが彼だった。

 彼は愚痴をうんうん聴いてくれた。肌寒い日にはコートをかけてくれて、雨の日は傘を差して家まで送ってくれた。

 彼は誰にでもそうする人間だ。

 そういう人間を私は好きだと思った。

 高校一年の夏、好意を伝えた。彼はいわゆる恋愛恋愛した面倒は嫌だけど、と前置きした上で私と付き合う返事をくれた。友達にも家族にも内緒だった。私はおおっぴらに恋愛満喫して盛大に恋心に振り回される友人たちのようになりたかったが、その夢は絶たれたと言ってもいい。

 彼は時折、家族が留守にしている放課後休日、私を自宅に呼んだ。彼の家は急な坂の向こうにあり、私は暑い日も寒い日も自転車こいで彼の呼び出しに応じた。二人でカーペットの床に並んで座って、他愛もない話をするのはとても楽しかった。彼はキスがしたいと言ったので応じた。こんなもんか、と思った。彼は私の胸や下半身に触れたがった。胸は触らせたが、下半身他人に触られるのは嫌だったので精一杯かわいこぶって断っていた。

 彼が満足そうで良かった。私にかわいいとか偉いとか頭が良いとか言ってくれるのは彼だけだったからだ。

 たまにデートなるものもした。彼は共通の友人にばれたら面倒だから地元ではないところで待ち合わせて、博物館などに行った。博物館が好きなので楽しかったが、多分一人でいても楽しかったとは思う。彼は理系なので解説をしてくれて、知らないことを知れたのは楽しかった。

 いわゆる中学生ぐらいのいじましいお付き合いは高校三年生になるまで続いた。

部活大会模試で顔を合わせたら、こっそり示し合わせて抜け出して会って話したりしていた。

 関係が、と言うよりも私が変わったのは高校三年生の秋頃だっただろうか。

 私は学校へ行けなくなったというより、身体が動かなくなった。

 鬱を発症していたと知るのは年明けに通院をはじめてからだ。高校卒業も危うくなった。彼のメール無視し続けた。友人たちのラインブロックした。手首を切った。酔い止めを何箱も一気に飲んだりした。苦しかった。とにかく早く死にたかったが、癇癪を起こすと椅子を投げてくる母親から兄弟を守らなければならなかったので死ねなかった。

 音信不通を続け、両親の説得も不登校支援センター保健室も諦め、私は精神科に通院することになった。

 高校三年生の一月、私はセンター試験どころか学校へも行かず精神科に通った。薬が効き始めるまでが地獄のように長かった。向精神薬睡眠薬がなんとか効力を発揮する雰囲気を醸しはじめた頃には、卒業はほぼ絶望的だった。

 私は主治医から診断書をぶん取り、校長などのお偉方と交渉を重ね、補講を組んでもらうことでなんとか、卒業から数日はずれが生じるものの年度内に卒業出来ることになった。周りの大人は私の想像はるかに超えて優しかった。同情し、時には私の身の上話に涙ぐんでくれた。そんなことで悩んでいたなんて知らなかった、と口々に言った。進学校だったので不登校前例が無かったのが幸いした。先生方は私一人のために会議室卒業式をやってくれた。

 さて、話を恋愛に戻そう。私はなんとか卒業証書をぶん取り、彼は第一志望の難関大学合格していた。サイゼリアで久し振りに会って彼は「元気そうで良かった」と言った。

 私は全くもって元気では無かった。

 恋愛どころじゃない、何度も死にかけた。

 人に説明する元気もあまり無かったので、かなり端折って私はことの顛末説明した。ずたずたの腕を見せて「メンヘラと付き合うとろくなことがないって言うから、別れるなら今だと思うよ」と彼に提案した。彼は「それは別れる理由にはならない」と言った。

 そういうことでお付き合いは継続されることになった。

 彼は大学入学した。私はそれを祝福した。彼が受験勉強を頑張っていたのを知っていた。とても尊敬している。

 私はといえば、自分を殺そうとする自分に耐え、病状を必死家族説明し、ひたすら精神科に通った。

 彼は以前と変わらず家族が留守の合間に私を家に呼んだ。私は行かなかった。外に出る元気も無かったし、当日朝「今日家誰もいないよ」と言われても動き出す頃には翌日の昼間だ。

 彼はサークルが忙しかった。理系から男ばかりで可愛い子いないよ、と言っていた。

 私達はあまり会わなくなった。

 彼は学業を、私は治療を、お互い頑張っていた。

 彼は私が死んだら悲しむだろう。優しくて弱い人だから自殺だけはしてはいけないと自分に言い聞かせた。

 色々なことがあった。

 死なないために意識を失うことが必要だった。私は酒浸りになり、睡眠薬はどんどん強いものに変わった。早朝起きて、Amazonで買ったウォッカを水で割り、それで頓服を服用して眠り、昼過ぎに起き出して母に罵倒されながら(これは10年来の日課だ)食事をとり、薬を飲んでまた眠った。眠れない夜は頓服を酒で服用した。そうすれば眠れる。眠っている間は死にたくならないので楽だった。

 私某居酒屋で酒を飲みすぎて意識を失い救急車に乗った。倒れたはずみに骨折もしていたのでそれを治療するため更に入院した。入院中は母に罵倒されず三食昼寝付きだったので手術の痛みを差し引いてもお釣りが来るくらい快適だった。

 退院してからはまた酒を飲んで眠るだけの生活をした。

 そんな状況を医者は許さず、私は精神科閉鎖病棟入院することになった。彼は見舞いに来たがったが、私は断った。誰にも会いたく無かった。自分自身と二人きりになりたかった。何もかもに疲れ果てていた。

 入院生活幸福だった。

 看護師さんは優しい。変な人が沢山いるけどそれぞれが自分のことで精一杯だから誰も干渉してこない。

 母の罵倒が無いなら、現実逃避するためのスマートフォンは要らなかったので無くても困らなかった。

 少しの本、ポータブルCDプレイヤーと何枚かのCD。それだけで完結した生活は確実に私の心を癒した。

 これが人生の正解だと思った。誰も、何も要らない、天国だと思った。

 あらかじめ定めていた期間が過ぎ、私は退院した。

 閉鎖病棟入院したことがあるレッテル付きの私は母から罵倒が少しは薄まったと感じた。もう死にたくならないために一人で十分だった。

 そして同い年の彼が大学二年生になると同時に、私は大学一年生になった。

 母が勝手に推薦入学に出願して受験料も払い込んでいた。仕方がないので面接に行ったら大学に受かった。入学した。

 彼はおめでとうと言ってくれた。

 新調したスーツきれいなキャンパス、好きな学問、新しい友達

 私はまともな人間に戻れるかもしれないと期待した。

 アルバイトもはじめた。友達徹夜で飲み明かしたりした。

 しかし、ゴールデンウィークが明けた頃には既に私はくたびれていた。夏休みが明けて、大学へも行かなくなった。アルバイトはクビになった。

 主治医からストップがかかり、休学する事になった。

 私はただ家で時間を潰し、母の(以前よりはマシな)罵倒に耐え、薬を飲み生活していた。もう死のうと思っていた。

 大学で新たな人間関係を築いた彼は、私の死を受け入れるキャパがあると思った。

 そういえば私は彼とセックスしていなかった。

 呼ばれても家に行かない、共通の友人たちと遊ぶ以外では会わない、そんな恋人であったから、私はなんだか彼に申し訳が無かった。

 セックスすることでそれを清算できると思った。

 セックスする前に私は酒を飲んだ。

 薬の副作用で性欲は無く、彼とキスしても気持ち悪いと思ったからだ。

 彼が取ったホテルで私は彼と昼間からセックスした。

 こんなもんか、と思った。

 彼は別にセックスたからといってこれまでより優しくなる訳でも冷たくなる訳でも無かった。

 その日私からやや強引に誘い、夕食を食べながら話をした。私は彼と話がしたかたからだ。彼と話すのは楽しかった。

 それが数ヶ月前のこと。

 それ以降、私は彼と一度も顔を合わせていない。

 なんだかひどく億劫で、気の許せる女友達しか話したくない。

 精神科に通い続けて、自傷行為をやめられた。アルコール中毒も治った。睡眠規則的になった。

 兄弟が進学と同時に一人暮らしを始めた。もう自分の身を自分で守ってくれる。

私の生きる価値は無くなった。

 ある夜母が癇癪を起こして私に出て行けと怒鳴り、私を家から蹴り出そうとした。

 終電が無かったので私はははに頭を下げて「一泊止めてください、明日出て行きます」と言ってその場をおさめた。

 翌朝、私は最小限の荷物だけを持って逃げるように家を出て、何度か遊びに行っては掃除をしてやったりしていた兄弟一人暮らしをしている家に転がり込んだ。

 それから紆余曲折あり、結局兄弟仕送りで私は生活している。兄弟大学に行き、私は自分兄弟の二人分の家事をしている。おそらく幸せなのだろう。私が欲しかった暮らしは手に入ったのだろう。

 もう死んじゃおっかな。くたびれた。もう何も要らない。

 今死んだら同居している兄弟がショックを受けるだろうから、死んでないだけ。

 彼と連絡を取っていない。

 これが自然消滅と言うのならそうなのかもしれない。

 私は多分もう駄目だ。大学は妹宅から距離的に通えないので中退する。アルバイトでせめて食い扶持を稼ぐのが目標だが、達成出来るのはいつになるやら。

 こういう駄目な人間恋愛などしても彼に何の得も無いだろう。

 だから自然消滅であってもさよならを言っておきたい。

 もう恋愛感情がどういうものなのか思い出せないのだ。

 自分異性愛者ではないのかもしれないとも思ったが、同性も好きにならないのでたんに今恋愛をしたくないだけだと思う・

 彼は人間としてすてきだから好きだけれど、セックスはしたいと思わない。それじゃあ社会的地位の高い彼にぶら下がりたいだけの厄介メンヘラだ。しかセックスさせてくれないときた。そんなクズになってまで恋愛かいフィールドに立っていたくない。情けないし申し訳ない。

 友達に戻って彼と飲みに行きたい。手を繋がないで一緒に博物館に行きたい。一緒に食事がしたい。でも今は会いたくない。

 さよならを言うために約束を取り付けようと思って、彼が通う大学夏休みの期間を調べている。

 でも何だか会うのも連絡するのも嫌になってきた。

 こうやってぐずぐずしたまま、付き合い始めてこの夏で四年。嫌だ。

 生活が忙しくて、朝起きて夜寝るのが精一杯で、恋愛なんかやってる場合じゃない。

 そろそろ死んじゃおうと思っている。

 メンヘラはよく人生を虚無虚無言うけど例に漏れず私もやはり虚無を感じている。

 恋愛には向いてなかった。

 多分健康でいることが出来なくなった段階で恋愛なんかやめにしておけばよかったのに、彼の優しさでそれは人工的に延命措置を受け続けている。

 罪悪感はそれだけで健康を害するから排除しなければ、と、病気治療する上で判断出来る。だからさっさと別れようってメールを打てば良いのだ。

 参ったなあ。

 

2018-07-03

歩道ではなく車道を歩く歩行者は何を考えているの?

たまに車道を歩いている人を見かける。

「車にひかれたら危ないので、歩行者歩道を歩けば良いのにね?」「何でわざわざ車道に出てくるんだろ?」と不思議に思ってた。

道路各部位の名称

車道外側線がある車道歩道場合

歩道|路肩|車線|路肩|歩道

という構造になっている。

(参考)

説明http://blog.livedoor.jp/ashitanoplatform/archives/20518574.html

図解:http://livedoor.blogimg.jp/ashitanoplatform/imgs/6/4/64a571c6.png

 

上図で言うと、歩行者歩道を歩けば良いのに、路肩を歩いている歩行者がたまにいる。

車線には車がビュンビュン走ってるし、自転車も路肩を走っている状況なので、結構危ないし、車道を走る車や自転車から見ると、車道に出てくる歩行者は通行の邪魔

 

理由の予想

なぜ、車道を歩いているのか?理由を知りたい。

 

今度声をかけて、理由を聞いてみようかな?(別にわざわざ知りたいとは思わないけどw)

 

ファッション誌などで活躍する人気モデルの赤谷 奈緒子さんが事故に遭った。

赤谷さんは5月3日東京港区で歩いていた際に、走行中のタクシーと接触したという。

事務所によると、赤谷さんは軽傷で、検査のために一時入院したが、現在退院している。

赤谷さんは、「事故の瞬間のことは、よく覚えていない」と話しているということです。

発言を見る限り、歩きスマホといったあたりかな

どこを歩いてたらタクシーと接触するのかね?横断中?

 

anond:20180701174111 歩道を走る自転車私人逮捕する活動のススメ

2018-06-24

母の作ったからあげが食べたい

私の母は3年前にがんで亡くなった。まだ50代半ばだった。

ヘビースモーカーだった母が肺がんを患ったのは、まあ仕方ないことだったのかもしれないが、

驚くべきスピードでがんは進行し、病名告知からわずか1年も経たずに、母は逝ってしまった。

余談だが、母は病気がわかってから煙草を吸いたいと言っており(禁煙はしていたが)、

喫煙の習慣性、あるいは依存性は恐ろしいと思った覚えがある。

当時は正直あきれてしまった。

これは私が喫煙者でないから、彼女の心情はあまりからなかったのだろう。



病名告知の時点で、種々の抗がん剤が効かなければ、手術の適応にすらならないと言われていた。

がんだとわかった時点でもう左の肺はレントゲン上で真っ白、ほとんど機能していなかった。

この時から、本当は近い将来母が死ぬことはわかっていたのに、わたしはこのことについてきちんと考えることすらしなかった。

残された時間が短いことはわかりきっていたのに、5年後、10年後も母は生きていると信じていた。



亡くなる2か月前、母は治療してもらっていた病院退院し、自宅療養となった。

母が言うに「医者に見放された」ようだったが、これは現在のがん治療方針を考えるとしかるべき流れだったのだろう。

わたしとしても主治医に思うところがなかったわけではないが、それも仕方ないことだろうと納めていた。

とあるごとに、母はこのことについて主治医に恨み言のようなものを言っていたが、そうだね、としか返せなかった。

一人暮らしをしていたが、父や兄弟からヘルプがあり、仕事を辞め、実家に戻って母の介護をすることになった。

少し回復しては悪化し、またそれを繰り返し、だんだんと母はできることが少なくなっていった。

呼吸が乱れて大好きだったお風呂に入れなくなった。

歩けなくなった。立てなくなった。座れなくなった。

トイレにも行けなくなり、オムツになった。

スプーンすら持てず、自分では食べられなくなった。

オムツを変えて、体を拭いて、食事の介助をして、いつも母の隣にいた。

浮腫がひどく、水分出納バランスを見なくてはならないときにはバルーンカテーテルも入った。

私は看護師だが、所属が全く違うために寝たきりのバルーンはすぐ詰まることすら知らなかった。

母はバルーンが嫌で、少しでも違和感があると、流出問題なくてもカテーテルの交換をしてほしがった。

ほぼ1~2日おきだったと思う。

訪問看護師さんに頼んで、バルーンキットを何個か家に置いて行ってもらっていた。

母にバルーンを入れるなんて、看護師になった当初は想像もしなかった。

夜中は背中が痛むといって隣で寝ている私にさすってくれないかと頼んだ。一晩に何度も何度も。

さすがに私も眠くて、いら立って「もういい?」と言ってしまう夜もあった。

はいつも「ありがとうね」と言っていた。



でもそんなこと、何度だってしてあげればよかった。

死んでしまったらなにもできない。

母が好きだったもの、したかたこと、なんでも話せばよかった。

母の声はどんなだったかときどき思い出さないと忘れてしまうのが怖い。

母が何を好きだったのか、どんな夢があったのか、なんとなくしか知らない。

できないことが増えていく母がどんな思いだったのか、きちんと聞けばよかった。

あんなに一緒にいたのに、看護師なのに、

母に何もできなかった。

本当に親不孝な娘だ。



私は小さいこから母が作るからあげが大好きだった。

そのレシピは、地元スーパーにおいてあったチラシに書かれていたもので、

中濃ソース醤油ケチャップなどで味付けがしてあった。

一人暮らしをして以降、実家に帰ると必ず母はからあげを作ってくれた。

母が自宅療養となって、あるときこのからあげのレシピを教えてあげる、と言った。

自分はもう作ってあげられないだろうからと。

縁起でもないといって私は聞かなかった。

あのとき素直に聞いておけばよかった。

もう母はいない。

夢に出てくる母はいつも病気になる前の、元気で働き者の母の姿をしている。

病気になったのは夢だったんだな、よかった、と思ったところで起きる。

そして、もう母に会えないことを思い出す。

もう一度母が作ったからあげが食べたい。

時間が悲しみをいやすというが、あれは嘘だ。

いつまで経っても悲しいままだ。

2018-06-22

https://anond.hatelabo.jp/20180622220341

国立がんセンターの大部屋は、日々人が死んでいくんで地獄だって

異ガンで死んだ奴が、自主退院したあとで言ってた

医者生活保護のための病院かねぇ

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