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はてなキーワード: 退院とは

2024-07-24

anond:20240724063055

出生届って父親が出すケースが多いと思うけど、母親退院して自力で届出たんか?

2024-07-22

1歳児入院記録

夏風邪をこじらせて肺炎になった我が子の入院に付き添ったので備忘録を兼ねて

夫は激務で毎日平日はワンオペなので今回の入院でも影は全くありません。一応聞いたけど急に休めない仕事らしい。仕方ない。

一週間だったので私と私の母で何とかなったけど、これが2週間3週間と続くようならさすがに夫にも代わってもらっていたと思う。

今は元気に家中ハイハイで練り歩いているから、もうなんでもいいや~。のきもち

入院前5日間

水曜日、なんとなく朝から顔がぽやんとしていたので、いつでも迎えに行けるように在宅ワークに切り替えていたところ、案の定14時ごろに電話でお呼び出し。

迎えに行ったところ、クラスRSウイルス罹患している子が出たと教えてもらい、その足で小児科へ。

のどに水泡ができていたらしく、このまま手足にもぶつぶつが出れば手足口病、出なければヘルパンギーナだろうとの診断を受ける。

保育園に連絡すると、感染病の場合、しっかり病名を診断されないと通園許可を出せないので、もう一度受診して確定診断をもらうよう要請される。

薬をもらったのでいったん自宅で看病。

月曜日自分の咳で目覚めてしまうほど咳がひどくなってきたので、再度受診を決意。(ヘルパンギーナ手足口病の割には熱が長引いており(この時点で5日目)、ご飯もパクパク食べていたので、正直RSウイルスの誤診ではないのか?という疑いをかけはじめる)

入院1日目(月曜日)

準かかりつけだった総合病院小児科受診したところ、このころにはのどに水疱は見当たらなく、聴診器ゼロゼロ音を確認したため、CT採血

RSからコロナインフルあらゆる感染症の検査をするもののすべて陰性、肺が白くなっていたため、夏風邪をこじらせた形での肺炎と診断。即日で入院の案内を受ける。

10歳までは24時間付き添い入院を推奨とのことで、着の身着のままで病室へ。小児病棟のないほぼジジババだけの総合病院だったため、病院都合での特別室への入院となる。

ぐるぐる巻きにされての採血や点滴処置より子供が泣き疲れてぐったりしており、熱も一気に上がって39度に。かわいそうで涙が出てくる。(小児科医をはじめ医療従事者の皆さんありがとうございます!)

熱でのぐずぐず、また慣れない環境に完全に抱っこマンになってしまい、寝ていない時間はすべてヒップシートで抱っこしたまま縦横にゆらゆら揺れ続ける私。(最終日まで抱っこマンは治らず、24時間10時間抱き続けることになります

取り急ぎ私の母に病院へ来てもらい、入院準備のため交代で帰宅。めぼしいものをすべて積み込んで夜逃げのような大荷物を抱えながら再度病院へ。

看護師さんに聴診器を当てられるのも鼻を吸われるのもすべて嫌なようで、先生看護師さんを見るとフニフニ泣くようになってしまった。

また私と看護師の間で話がすれ違う。吸引してほしい、という要望が私は鼻水の吸引、看護師さんたちは喘息の薬を白い煙にして吸うやつやつ?になっていて、初日からずっと「鼻水が詰まってそうなのが気にかかるので吸引をしていただきたいのですが…」と伝えるもののなかなか噛み合わず…結果この日は鼻水を吸ってもらうことはなかった。この白いやつ吸い終わったらしてもらうのかな?と思っていたらされず、もしかして吸引器自体病院にないのかも?と母親に家の吸引器を持ってきてもらうように連絡。

もっとうまく伝えられたら…と今でも反省している。

結局この日は熱が下がらないまま就寝時間へ。

深夜3時ごろに酸素濃度が一時80台まで下がり酸素マスクをつけることになる。

入院2日目(火曜日)

酸素が安定してきたのでマスクは外す。というより子供用マスクも小さすぎて全然嵌っていなかった。まぁパルスオキシメーターでの酸素濃度をずっとナースセンターでチェックしてもらっていたので、来なかったということは安定していたのだろうと認識している。

比較的ご機嫌ではあるものの熱は変わらず38度~39度をいったりきたり。

また、両耳が中耳炎になっていた。鼻水が耳に行っちゃったね…本当に申し訳ない…。母親にお願いして家から持ってきてもらった電動鼻水吸引器で吸いまくる。

しかし午後の体温チェック時に初めてお会いしたベテラン看護師さん(のちに師長さんと分かった)の「あら~!?鼻水すごいわね!お母さんこれ吸い出したほうがいいわ!」という一声で鼻水吸引の処置をしてもらえることに。あんのか~い!!!!!

でもオリーブ吸引管?という鼻に充てるガラスでできた先っちょ部分が死ぬほどでっかい普段小児科で吸ってもらうやつの3倍くらいある。もしかして本来はジジババののどの痰吸引のやつか?当然赤ちゃんの鼻の穴より先がでかいので取りにくそうで、看護師さんが数多挑戦していってくれたが結局最後まで師長さんくらいしかまともに扱えなかった。なんだか申し訳ないのでこっそり一人で羽交い絞めにしつつ自宅の鼻水吸引器でいつも通り吸引。

この辺、小児科病棟があるタイプ病棟ならもう少し疎通ができて器具もしっかりあったんだろうな~と思う。

入院3日目(木曜日)

急に平熱に下がる!入院からつけっぱなしの抗生剤の点滴がうまく体に入って行ってくれたようだ。

本人も比較的元気そうだった。その分点滴のチューブの届く範囲しか動けないのが窮屈らしく何度も「ん!ん!」と包帯で巻かれた点滴針を指さしていた。取ってほしいんだよね、わかるよ…。

今まで家じゅうハイハイで歩き回っていて、アンパンマンカーにつかまり立ちでよちよち歩いていた子の活動範囲がベッド内だけというのはそりゃしんどいよね。

この日は起きている間はとにかくお菓子をモリモリ食べて抱っこしてゆらゆら揺れ続けていた。

また、病院離乳食が口に合わないのかほぼ食べず。結局健康になってきても退院日でもあんまり食べてくれなかったな…。今家ではモリモリ食べてるんだけど…

入院4日目(木曜日)

平熱のまま。

点滴は今日までは続けることに。これで様子を見て明日退院OKとのことに。4日ぶりに娘がお風呂にも入れるとのことで、私がルンルンになる。無造作ごはんに手を突っ込んだりしてだいぶ汚れていて、娘の包帯のところから酸っぱいにおいがしていて抱っこしていたら地味にきつかったのでうれしい。

朝の抗生剤の投与以降に防水シートを張って看護師さん2人と3人体制シャワーへ。結局ビッチョビチョになって点滴は外した。これ以降飲み薬での抗生剤に変更。

また、病棟一定の箇所までは歩いてもいいとのことで、(禁止部分からコロナ等の感染病室になるらしい)ぐるぐるとひたすら散歩をする。

部屋に飽きているのか5分に一回ドアを指さされるのでそのたびに散歩タイムに。

入院5日目(金曜日)

退院

中耳炎はまだ治っていないとのことで、追加で抗生剤を処方してもらい、退院

血液検査の結果全く異状なしで、明日まで自宅で安静にしていたら来週の月曜から保育園に行って大丈夫らしい。

本当におめでとう!

退院

さすがに有給もきついので、お医者さんのお墨付きもあって月曜から保育園へ行ったところ、2日くらい楽しく通園していたが3日目に鼻水が出て咳をするように。

結局その週は休んだので有給さえ余裕があれば次の週一週間くらい休んだほうがよかったなと思った。免疫力が下がってたのかな。

2024-07-18

退院祝いでなにか送りたい

友達退院たから何か食べ物でも贈りたいんだでも、いわゆる「ギフト」系だとお返しを気にしそうなので、適度な値段で身体に良くて向こうが気を遣わないような贈り物ないかな?

無印レトルトカレー詰めあわせて贈るとか良さそうかと思ったけど、退院後に辛いものは体調的に合わなそう

進行した認知症患者誤嚥肺炎とは延期可能老衰である

誤嚥肺炎という病気がある。

ガイドラインでは、誤嚥リスクのある宿主に生じる肺炎、と定義される。

そのうち最も多くを占めるのは高齢かつ進行した認知症患者発症する誤嚥肺炎である

内科救急で最も多く経験する疾患で、入院で受け持つ頻度もかなり高い。

特異なことに、最も多く接する疾患の一つでありながら、専門家存在しない。

肺炎から呼吸器なのかといえば、呼吸器内科医は認知症への対応は専門ではない。

精神科認知症診療業務範囲に含まれるが、身体疾患が不得手である

神経内科医は嚥下認知症を専門領域の一つとするが、絶対数が少なく、専門領域が細分化されている。

そんなわけで多くの場合内科医が手分けして診療することになる。

そういうわけだから誤嚥肺炎に対する統一的な見解はない。ガイドライン2013年から更新されていない。また誤嚥肺炎に関する文献や書籍はあるし、質の良いもの出版されているが、多くは診断、治療、予防に重きを置く。価値観に深く踏み込んだもの殆どみない。患者自身が何を体験しているか推定している文章殆ど読んだことがない。

病状説明も僕が研修医でほかの様々な医師説明を聞いても、肺炎です、誤嚥が原因です、抗菌薬で治療します。改善しないこともありますし、急変することもあります、といった通り一遍説明以上のことを聞いたことは殆どなかった。

当然ながら国家試験の出題範囲にも入っていなかった。

もっともよく経験する疾患でありながら、どうするべきかの具体的な方針大学教育でも研修医教育でも提供されないのだ。

にもかかわらず、認知症患者誤嚥肺炎は最も多い入院かつ、その患者入院期間が長い傾向にある。入手可能データだとおおよそ一か月の入院となる。死亡退院率はおよそ15-20%で、肺炎としては非常に高い。疫学については良いデータがないが、専門病院などに勤務していなければ、受け持ち患者のうち5人から10人に1人くらいは誤嚥肺炎が関連している印象がある。

誤嚥肺炎は、進行した認知症患者ほど起こしやすい。そして、誤嚥肺炎を起こすことでさら認知機能が低下する。しばしば経口摂取が難しくなる。そして自宅や施設退院することが難しくなり、転院を試みることになる。

転院待ちのためにさら入院期間が延びる。

典型的には進行した認知症を背景に発症するので、意思決定を本人が行うことができない。患者施設入居者であることも多く、施設職員がまず来院する。その後家族が来院して、話をする。肺炎であるから治療可能な疾患の前提で話が進む。進行した認知症治療不可能な疾患があることは意識されない。

ここでは、進行した認知症、つまり意思決定能力があるとは考えられない患者、今自分がどこにいて、周りの人がだれであって、自分の状況がどうであるかを理解できないほどに進行した認知症患者、と前提する。

退院してもらうための手段、という意味では治療は洗練されてきている。口腔ケアを行い、抗菌薬を点滴する。嚥下訓練を含めたリハビリテーションを行い、食事を早期から開始し、食形態誤嚥しづらいものに変える。点滴を早期に切り上げて、せん妄リスクを減らす、適切な栄養療法を併用して低栄養を防ぐ…。

そういったことを組み合わせると、退院できる可能性は高まる身体機能食事を再開できないレベルまで低下することはあまりない。

しかしそこまでして退院した患者は、以前の身体機能認知機能を取り戻すわけではなく、少し誤嚥肺炎を起こしやすくなり、活動制限がかかり、介護をより多く要するようになり、認知機能さらに低下して退院していく。

から人によっては一か月とか半年後に誤嚥肺炎を再び発症する。

家族医師は以前と似たようなものだと考えている。同じような治療が行われる。

そこに本人の意思はない。本人の体験がどうなのかを、知ることはできない。

というか、進行した認知症で、ぼくらと同じような時間感覚があるのだろうか。

本人にとって長生きすることの体験価値があるのか、ないのかも知ることは難しい。

 というのは逃げなんじゃないか

状況認識ができなければ、そこにあるのは時間感覚のない快・不快感覚だけではないか。だとすればその時間を引き延ばし、多くの場合苦痛のほうが多い時間を過ごすことにどれほどの意味があるんだろうか。

なぜ苦痛のほうが多いかといえば、状況を理解できない中で食形態がとろみ食になり(これは美味とは言えない)薬を定期的に内服させられ(薬はにがい上、内服薬をへらすという配慮がとられることはめったにない)、点滴を刺され、リハビリをさせられ(見当識障害されている場合、知らない人に体を触られ、勝手に動かされる)、褥瘡予防のための体位変換をさせられ、せん妄を起こせば身体拘束をされ、悪くすると経鼻胃管を挿入される(鼻に管を入れられるのは、快適な経験ではない)

どちらかといえば不快であるこれらの医療行為は、治療という名目で行われる。

この治療は、肺炎治療するという名目の元に正当化される。

多くの医師は疑問を抱かずに治療する。治療される側も、特にそれに異をとなえることはしない。異を唱えるだけの語彙は失われている。

仮に唱えたとしても、それはせん妄認知症悪化としてとらえられてしまう。

老衰過程が長引く苦しみがあり、その大半が医療によって提供されているとは考えない。

 ここで認知症というのは単なる物忘れではないことを説明しておく。それはゆっくりと進行する神経変性疾患で、当初は認知機能、つまり物忘れが問題になることが多いが、長期的には歩く能力、座る能力食事する能力が失われ、昏睡状態となり最終的には死に至る疾患である

 多くの内科医はこの最後の段階を理解していない。肺炎入院したとき認知機能について評価されることは稀だ。

実際には、その人の生活にどれだけの介護必要で、どのくらいの言葉を喋るか、笑顔を見せることがあるか、そうしたことを聞けばよいだけなのだけど。

進行した認知症入院するのがどのような体験か、考慮されることはめったにない。

 訴えられるかもしれないという恐れの中で、誤嚥リスクを減らし、肺炎治療するべく、様々な医療行為が行われる。身体が衰弱していくプロセスが、治療によって延長される。

 医療において、患者権利尊重されるようになってきた。僕らは癌の治療を中断することができる。良い外科医を探すべく紹介状を書いてもらうこともできる。いくつかの治療法を考慮し、最も良いであろうと考える治療選択することもできる。

 しか患者自身認知機能を高度に障害されてしまった場合はそうではない。医師が何を希望するかを聞いても、答えてくれることはないし、答えてくれたとしても、状況を理解できないほどに認知機能が損なわれている場合は、状況を踏まえた回答はできない。

 そこで「もし患者さん本人が元気だった時に、このような状況をどうだったと考えると思いますか」と聞くこともある。(これは滅多に行われることはない。単に、どんな治療希望しますか、と聞くだけだ。悪くすると、人工呼吸器を希望しますか、心臓マッサージ希望しますか、と聞かれるだけだ。それが何を引き起こすかは説明されずに)

しか問題があって、認知症が進行するほどに高齢患者家族もまた、高齢であって、状況を適切に理解できないことも多い。また、記憶力に問題があることもしばしばあって、その場合は話し合いのたびに最初から話をしなければならない。このような状況は、人生会議の条件を満たしていない。もしタイムマシンがあれば、5年前に遡れば人生会議ができたかもしれない。

 親類がいればよいが、これからの世の中では親類が見つかりづらかったり、その親類も疎遠であったり、高齢であったりすることも多いだろう。

 そうした中では、理解が難しい場合も、状況を理解して改善しようという熱意に乏しい場合も、(本人の姉の息子がどのように熱意を持てるだろうか)、そして何より、医師が状況を正確に理解し彼の体験想像しながら話す場合も、めったにない。

 意思決定において、話し合いは重要視されるが、その話し合いの条件が少子高齢化によって崩されつつあるのだ。

 無益治療、という概念がある。

「同じ治療をしても100回に1回も成功しないであると推定されること」

「その治療を行っても、急性期病院から退院できないこと」

この二つを満たすことが無益治療定義である。この概念提唱した、ローレンス・J・シュナイダーマンと、ナンシー・S・ジェッカーは、脳が不可逆的に障害された患者対象としている。

彼らはいかなる経験をすることもないから、治療による利益を得ることもない、だから無益治療倫理的に行うべきではなく、施設ごとにその基準を明示するべきだ、というのが彼らの主張である

高度に進行した認知症患者誤嚥肺炎治療は、厳密な意味での無益治療ではない。彼らは何かを体験する能力があるし、半分以上は自宅や施設に帰るだろう。自宅や施設では何らかの体験ができる。体験を感じる能力も恐らく完全には損なわれていないだろう。

この完全ではない点が、倫理的な空白を作り出す。

痴呆から認知症/物忘れと名前が変化したことは一因だろう。

そこで死に至る疾患である印象が失われた。

専門家の不在は、価値の普及を妨げた。病状説明の型がある程度固まっていれば、それがどのような形であれ、専門家集団によって修正され得ただろう。ガイドラインは不十分である医療ガイドラインエビデンスのまとめと指針である。つまり誤嚥肺炎の診断・治療・予防であり、その価値に関する判断はしばしば言及されない。ガイドラインはないにしても、診断・治療・予防に関して役立つ本はある。ただ、価値踏み込む場合も、基本的にはできる限り治療するにはどうすればよいか、という観点である

人生の最終段階における医療ケアの決定プロセスに関するガイドライン人生の最終段階における医療ケアに関するガイドライン存在するが、そもそも高度な認知症合併した誤嚥肺炎が、人生の最終段階と解釈されることはめったにない。だからこのガイドラインを用いた話し合いができることは少ない。また、多くの医師は、押し付けられた仕事認識していることから、じっくりと時間をとって家族と話をすることはなかなか期待できそうにない。多忙であればなおさらである

さらに状況が不利なのは、個々の病院Key performance indexは、病床利用率であることだ。

認知症患者誤嚥肺炎は、しばしば酸素必要とし、時に昇圧剤やモニター管理を要するなど重症であることが多く、入院期間が長くなる。そのため、看護必要度を取りやすい。多くの病院は、その地域病院が不可欠であることを示す必要がある。不可欠であることの証明に病床利用率と、看護必要度使用される。そのため、誤嚥肺炎患者を引き受けない理由はない。救急車の使用率も高く、数値上は確かに重症であるので、病院経営上は受け入れておきたい。

 介護施設に入所した場合は、誤嚥肺炎の死亡で敗訴し、2-3000万円の支払いを命じられる訴訟複数あることもあって、搬送しないという選択肢は難しいだろう。

 介護施設から搬送された患者誤嚥肺炎であることは多い。その一方で、こういった場合家族が十分な話し合いの時間を割けないことが多い。片手間でやっている医師も、長い時間をかけて説明したくはないので、お互いの利益が一致して肺炎治療が行われる。

 一方、最近増えている訪問診療は、誤嚥肺炎治療を内服で行うとか、そもそも治療を行わないという選択肢を提案できる場である。そこには期待が持てる部分もある。定期的な訪問診療でそうした話がしっかりできるかといえば難しいが、可能性はある。ただ、訪問診療医になるまでに、誤嚥肺炎に関する専門的なトレーニングを受けるわけではない点が問題になる。しかし家での看取り、という手段を持てるのは大きいだろう。

 

訪問診療を除けば、医療の側からこの状況を改善することは殆ど不可能なように思える。

 病院経営構造施設訴訟回避医師不勉強説明不足、そしてEBM患者中心の医療を上っ面で理解したが故の価値という基準の不在、めんどうごとを避けたい気持ち多忙さ、患者自身自己権利利益を主張できないこと、家族意思決定能力の乏しさや意欲の乏しさ、こうした問題が重なりあって、解決は難しいように思える。

現在誤嚥肺炎入院担当する主な職種である内科医は、糖尿病外来診療を主たる業務とする内分泌代謝内科という例外を除いて、減少しつつある。

専門医制度煩雑になったからというのもあるが、ぼくは少なから認知症高齢者の誤嚥肺炎診療したくないから、希望者が減っているのだと思っている。確かに診療をしていると、俺は何をやっているのだろうか。この治療に何か意味があるのだろうか、と考えることがあった。同じようなことを考えている医師は少なからずいる。露悪的なツイートをしている。しか構造上の問題点について踏み込むことはそこまでない。

僕は構造的な問題だと思っていて、だからこういう文章を書いているわけだ。

進行した認知症患者誤嚥肺炎とは延期可能老衰である、という共通認識が広がれば、状況は変化してくるかもしれない。事実認知機能が低下していない高齢者で、延命希望しない方は多い。その延命意味は具体的に聞けば、かなりしっかりと教えて頂ける。

誤嚥肺炎診療は、所謂延命解釈することが可能範疇に入ると僕は考えている。

後期高齢者医療自己負担額一割と、高額療養費の高齢優遇の組み合わせを廃止することや、診療報酬改定によって、誤嚥肺炎入院加療の色々なインセンティブを調整することで、否応なしに価値が変化するかもしれない。そういうやり方をした場合、かなりの亀裂が生まれる気もするけど。

2024-07-17

突発自炊おばさんの調味料は4つだけ!

実家寄生しているタイプのこどおば、一人暮らしもせずだらだら実家暮らしてたら気付いたら親が高齢者。で、外で転んで骨折して入院。事前準備なしに自炊生活突入

増田スキルは米が炊けて味噌汁作れて枝豆茹でられるけど肉の調理レシピ必要レベル

冷蔵庫に肉や野菜買い溜めてあってなんとかする必要があり、とりあえず冷蔵庫の中身を確認しつつ1年以上の住民にご退去いただくなどで使い方の分からん肉を冷凍庫移住させることに成功、親の退院まで問題を先送りする。

宅食(※最重要)を頼みつつ、冷凍庫行きにできない食材……使いかけや食べ残し野菜などをなんとかするにあたり少し自炊した。

プロ料理増田がなんか言っていたが、急場(1ヶ月強)を凌ぐのに増田が使った調味料は4種類。

1.塩

野菜茹でたり枝豆茹でたりマグロ解凍したり。ほうれん草小松菜ブロッコリーアスパラはとりあえず茹でて食う。

2.油

フライパンと相入れないものの、どうしても肉の調理が発生するので炒め物するために油。我が家にあるのはサラダ油だった。テフロン加工? 知らん、多分ハゲてる

3.味の素ほんだし

→だし巻き卵風のなにかが作れるプラ容器のやつ作るのに必要。あと我が家味噌はだし入ってないタイプなので別で入れる必要がある

4.コンソメキューブ

脳死で作れる唯一の手持ちレシピ、鍋にカット野菜(八宝菜用がおすすめ)とコンソメキューブ2つ入れて水ヒタヒタにして沸かしたら終わり、な野菜スープ調味料。唯一の手持ちレシピというのは『親が二泊三日でお出掛け』『親が体調不良』みたいなとき何度でも縋りつく依存レシピなので常備必須だが、世間一般として常備すべきかと問われれば疑問。ヒガシマルうどんスープの粉常備してる人とカテゴリ的には同じだと思う

おまけ。なくても大丈夫だが、ある方が自分に優しい調味料:5.醤油・6.マヨネーズ

→主に味のない食材にかけて食べる。醤油はおかずが思ったより味薄かったりした時にもかけるとなんとかしてくれるスーパーマンマヨ生野菜を食う時に虚無(-_-)から美味しい(;ω;)にレベル上げしてくれる救世主

おまけ2。砂糖は実は使ったんだけど、パン作りに使ったので調味料というよりは材料。突発自炊としてはなくていける。パン自分普段はなんでもいいんだけど、親はショートニング嫌いなので退院直前のみホームベーカリーを稼働させた。バターバカ高くてビックリした

手術後に体が弱ったくらいじゃ訴訟に勝てないか

高齢母親(80歳)がお腹切る手術を受けたんだけど、2ヶ月経っても退院できないくらい弱ってる

手術前は普通に暮らしてたんだが…

主治医は手術前に「手術しても前と同じように過ごせる」と言ってたんだが、録音もしてないか訴訟しても証拠がないよな…

泣き寝入りするしかないのか、悔しい

2024-07-09

そろそろ小泉進次郎名誉回復すべきだと思う

同語反復的な、いわゆる「小泉構文」は、長らくネットオモチャにされて既成事実化しているが、実際には発言の切り取りや捏造しかない。

Pixiv百科事典掲載されている「小泉構文」のいくつかを検証してみよう。

https://dic.pixiv.net/a/%E5%B0%8F%E6%B3%89%E6%A7%8B%E6%96%87

楽観論が会場の中に空気が充満していたと思う、だからこそ楽観論が会場の中に空気が充満していたと思う

実際の発言確認すると「だからこそ」以降の繰り返しはない。

記者NHK杉田です。6条に関しては合意に至らなかったわけですが、どのような思いですか。

大臣)まあ、これだけ、日本として、今回交渉の成立に向けて積極的に主導したのは今まであまりなかったと聞きました。私もこの期間中30回以上のバイ会談を繰り返し行いましたが、特に国連事務総長とも3回、そしてキーとなるプレーヤーともかなりの数をこなした中で、一番ね、合意できたらそれは最善のことでしたけれども、会場の今日雰囲気を見てると、非常に楽観的でしたね。それは今回合意に至らなかったことの悲観よりも、来年グラスゴーにこれは必ずつながるというそういった楽観論が会場の中に、空気が充満していたと思います

https://www.env.go.jp/annai/kaiken/r1/1215.html

「楽観論が会場の中に、空気が充満していたと思う」だけでも日本語がおかしい、という指摘もあるが、話し言葉なので多少の乱れは仕方なく、「楽観的な空気が会場に充満していた」という意味普通に受け取れると思う。

約束は守るためにありますから約束を守るために全力を尽くしま

他と並べているかおかしく感じるだけで、単体で見て変な文章とは思わないだろう。

本当の意味でのトートロジー(強調のための同語反復)的ではある。

今のままではいけないと思います。だからこそ日本は今のままではいけないと思っていると

小泉構文の代表例として有名だが、「と…」で終わっていることからわかるように、こちらは発言の続きを省略した切り取りである

元の映像は残っていないものの、以下のような趣旨だったことがわかっている。

今のままではいけないと思います 今のままでいいなんて決して思っていないということをもっと言っていかなければならない

https://www.jijitsu.net/entry/shinjirou-koubun


退院後、リモートワークができてるおかげで、公務リモートでできるものができたというのは、リモートワークのおかげですから、それも非常に良かったことだと思っています

リモートワークの良いところを挙げていく流れでの発言である

リモート」「できる」が繰り返されるおかげで非常に冗長な印象だが、「リモートワークの体制が整ったおかげで、全てではないが公務リモートで出来たというのは、これはまさにリモートワークのおかげですから、それは良いところでしたね」くらいの趣旨だと思う。

繰り返すが、台本のない話し言葉なので冗長なのは仕方ない。

絶対できる、と言うことよりもできっこないことに挑むのは、チャレンジングでいいんじゃないですか

調べてもソースが出てこない。ただ「できっこないことに挑みたい」という趣旨発言は何度かしている。

反省しているんです。ただ、「反省しているといいながら、反省をしている色が見えない」と言うご指摘は、私自身の問題だと反省している

問題に対して反省した上で、「反省の色が見えない」という指摘にも反省している、という趣旨発言なので、別に同語反復ではない。

「本当に反省してるならぐだぐだわかりづらいこと言ってんなよ」という気持ちにはなる。

辞任するとは言ったが辞任するとは言っていない

コラ画像と一緒に拡散されているがソースはない。捏造だろう。

小泉さんは国政では水と油かもしれないが、水と油も混ぜればドレッシングになる

地元労組幹部に言われたことを紹介したもので、小泉自身発言ではない。

水と油を混ぜてもドレッシングにはならない」とツッコミが入っているが、油分と酢に含まれる水分とを上手く混ぜあわせるところにドレッシングの要点があるのだから、そこまでおかし発言でもないだろう。

育児休暇は)休みという言葉が入っているが、休みではない

育児は重労働なのでぜんぜん「休み」ではないよね、という趣旨の話で、まったく変な発言ではない。

ステーキやっぱり食べたいですね。毎日でも食べたいね

毎日でも食べたいということは毎日でも食べているというわけではないです

言ってる内容はともかく、論理的には正しい。毎日食べている人間は「毎日でも食べたい」とは言わない。

失言をしてしまったときに何とか余裕ぶってダメージコントロールしようとする感じが非常に悪印象ではある。

以上のように、「今のままではいけないと思います」などをきっかけに、それを面白がったネット民が、同語反復的に見える発言を無理やり探し出してきたり、あるいは「小泉が言いそうなこと」みたいな大喜利の答えを本人の発言として広めたりしているだけで、小泉自身はここまでネタにされるほど酷いことは言っていないのである

「こいつはネタにしていい」「こいつは叩いていい」という空気になったときに、とにかく相手の粗を探してくる、何でも悪意的に捻じ曲げて印象操作をする、というのはネット民の悪い癖である。そうした態度を反省するためにも、まずは小泉に謝ろうではないか

松木平優太 まつきひら ゆうた

インドネシア人の父と日本人の母との間に生まれるが、両親は本人が2歳の頃に離婚。その後は大阪市内の母の実家祖父母、1つ年上の姉と5人で暮らしていたが、小学2年の頃に入退院を繰り返していた母が肝臓がん他界。以降は祖父母に育てられるも、高校2年夏の大阪府大会初戦の2日前に祖父他界した[21]。

祖母が作る豚のしょうが焼きが大好きだったが、祖母は体調を崩し親戚の千葉県の家に転居している。「お金を稼げる選手になって、おばあちゃんと住みたいです」と夢を語っている

2024-07-05

舌がんになった男の一人語り

経歴

28歳。国立経営学部卒業新卒食品メーカー就職

およそ一年前に大腸がん罹患した疑惑が出るも、上下内視鏡超音波内視鏡超音波血液検査などあらゆる検査の結果問題なく、一年間のほほんと楽しく生活してきた。

舌癌に気がついたきっか

3日前、友人と飲食店唐揚げを食べた。

唐揚げを食べている時に「痛!」と痛みを感じていた。

唐揚げを強く噛み締めた時に舌の側面を強く噛んだので、その痛みだろうと思った。

実際にその時、口の中で血の味がしたのを覚えている。

一昨日と昨日もチクチクした痛みと違和感があったが放置

そして運命の今朝。

朝起きると口の中に強い違和感と痛み。

水を飲んでも痛い。口を動かしても痛い。飲み込みでも痛い。とにかく痛い。

恐る恐る痛い場所を見ると、下の側面に小豆のようなドス黒い腫れができており、その真横には小さい白い点ができていた。

少し触ってみた。ドス黒い大きな腫れは痛みがなく、痛みの原因は小さなさな白い点。

当初は口内炎思い込み安心しようとしていたが、ネットで調べてみたところ進行した舌がんの見た目が自分の口内の出来物とそっくりというかほぼ同じであった。

自分の症状

・舌の側面にできた異様でグロテスクなできもの

体重減少。社会人になって、一人暮らしを始めて食事がお粗末になったことがきっかけだと勝手に思い込んでいたが、進行した舌癌転移したことによるもの

・口の中の強い痛み。

・咳。職場流行っている夏風邪と思っていたが、肺転移の影響。

頭痛中学時代から頭痛持ちだったが、なんとなく昔から偏頭痛とは違う。脳転移によるものと思われる。

年齢、血の繋がった家族や親戚にガン罹患者がいないことなから最初は信じられなかったが、舌ガンについて色々調べていると二十代や三十代の患者の闘病記がXやアメブロなどでゴロゴロ出てきた。亡くなった方も。

対応

すぐに病院受診することも考えた。

しかし、もし進行していたらと考えたらいけなくなってしまった。病院のベッドに縛り付けられ、舌を切除され、全身を切り開かれ、その後効くのかどうかもわからない抗がん剤抗がん剤毒物と呼んで使用禁止を呼びかける医師がいることも知った)を投与されボロボロになって死ぬ担当医は高級キャバクラで俺が死んだことを電話で聞かされ「あーそう。死んだか。はいはい。忙しいから後でね」と電話を切って再び女の子口説き始めるんだろう。

仮に進行していなかったとしても、退院後一生再発の恐怖に怯えながら生きることになる。

実際に癌を経験した職場の人の親はいまだに倦怠感や水を触った時に「ヒャッ」っとなって手を引っ込める時があるという。

また病院のベッドで弱っている俺を女手一つで育ててくれた母や結婚の話もしていた彼女に見せたくない。

そう考えた結果、「もうあと一瞬で死ぬ」という所まで放置することに決めた。これから段々症状の悪化や痛みに苦しむのかもしれないが、俺が耐えれば良いだけだ。

「倒れたと思ったら、すぐに死んだ」

その方が母や彼女の心の傷も悲しみも少ないかもしれない。

これからのこと

舌ガンが発覚するまでは「これから先も毎日仕事して、彼女結婚して、子供が産まれて、あっという間に年取るんだろうなあ」なんて考えていた。しか現実は違った。俺は年を取る間もなく死ぬ

日常も将来も一気に崩壊した。とりあえずその時が来るまでは周りを心配させないように元気よく明るく生きていこうと思う。

親が体調不良の時の対応

母が救急搬送された。

人生初の経験で適切な対応がよく分からないまま行動してしまったので、日記に残しておく。

自分の行動をメモしておく。

・どうすれば良かったのか後で追記していく。

◎8:50

母が「眩暈がして食事もとれない」と言い布団から出てこない。

飲み物を飲むよう勧めるが「ペットボトルの水を枕元に置いといて」とのこと。

話し方はいつも通りハキハキしている。

心配だが、自分はいつも通りの時間に出勤。

→いつから悪いのか、どんな症状か、お医者さんごっこでいいから聞くべきだった。

→この時点で休みをとって病院に連れていくべきだった。金曜日の昼すぎに病院搬送しても、その後なかなか転院ができない。

12:00

母に電話LINEをするが返信無し。

寝てるかもしれないので12:30にもう一度連絡しようかと考える。

12:20

から電話

「かなり悪いか救急車呼ぶ」

「まだ搬送先も決まってないか仕事してて」

とのこと。

一度電話を切ったが、自宅はメゾネットタイプアパートなので、救急車が来た時に自力階段降りて鍵開けられるか…?と思い、再度LINE電話をするが、返事無し。

12:40

居ても立っても居られず、社用車を借りて帰宅することにした。

普段電車バス通勤しているが、車の方が早く家に着く。)

慌てて「私用ですが社用車借りていいですか?」とろくな説明もしない自分に「ほんとはダメだけど、今日だけだぞ」と快く言ってくれた社長感謝

→ここでちゃん社用車を借りたのは大正解だった。

◎13:05

自分が家に着くと同時に救急車も到着。

家の鍵は開いていて、母が玄関に座っていた。

まり用の荷物自力でまとめたらしく、複数のバッグが準備されていた。

グッタリして歩くのもままならない様子だが、救急隊員の質問はいつも通りの声でハキハキ答えている。

救急隊員の指示で病院へ向かう。

交差点に駐車してはいけない(車校で習ったかもしれん…)

◎13:25

病院に到着。

社長電話して事情を話し、社用車を引き続き借りる許可をもらう。

受付で案内された待合スペースで待機。

上司出張中)と先輩(別の出張中)に「親が救急搬送されたので病院に来ており会社を不在にしてます。」と連絡。

父(他県住み)にすぐ報告しようとしてLINEを打つが、

検査の結果出てから報告したほうがいいか?」「余計な心配をかけるか?」

「母はよく体調不良をあえて家族に話さない、とかしてるし自分ももっとそういうこと考えたほうがいいのか?」

などと考えて送信できない。

社長事情説明したのは良かったが、口止めすべきだった……たぶん、社員みんな知ってる気がする……やめれ……

→父には連絡しなくて正解。検査結果、今後の方針が決まってから報告したほうがいいということで母と意見が合った。

◎14:30

病院スタッフから

目眩止め、吐き気止めを投与したこと

MRIで脳の検査をしていること

を伝えられる。

待ち時間が長くなりそうなので、増田を書き始める。

救急車の中で母が話していたここ数日の体調不良のこともiPhoneメモに書いていく。 

→申込書?的なのを書かされたが、親の生年月日、覚えてないとサラッと書けない……!これを機にちゃん昭和〇〇年とか19〇〇何まで覚えようと思った……

◎15:10

処置室に呼ばれた。

母は起き上がれないがお喋りはできる。

MRI検査結果を聞くまで待てと言われる。

その間にここ数日の体調不良についてもう一度母に聞いておく。

誰に連絡したか、これから誰に連絡するか。

(父には慌てて連絡しなくて正解だった。)

それにしても待ち時間が長い。

→待ち時間、母と話したことはひたすらメモをとった。転院した時使えるかもしれんからこれは大事だったと思う。

◎15:50

MRI検査結果を聞く。特に異常なし。

医師から帰宅してよしと言われるが、目眩身体を起こせない母を連れて帰るのは難しい。

本人の希望もあって入院することに。

検査結果聞いたらすぐメモ。聞き慣れない言葉は一瞬で忘れる。

→お医者さんも忙しいので、「入院したいです」とかはすぐに言った方がよかった。

◎16:45

入院手続きのため受付に案内される。

緊急連絡先、部屋の説明必要もの入院費用のこと、上限額のこと、食事や小物の費用会計手続きについて、面会についてetc

→親の職場書かなくてよかったっぽい?でも書けって言われたし…うーん……これはどうしたらよかったのかまだ分からない

17:30

処置室に戻ると入院する部屋の準備は18:00頃になると告げられる。

また長い待ち時間だな。

入院するにあたり必要ものを聞く。

家のあそこに上着があるとか、おかゆが食べたいとか。

トイレに行きたいと言うので、看護師さんの手助けを受けて車椅子で移動。

上体は起こせるようになったみたいで良かった。

時間もったいないので、18時を待たずに一時帰宅

17:50

家に到着。大急ぎで必要ものを揃える。

まれてない物もついでに色々持っていく。

◎18:15

病院近くのスーパーで買い物。

紙皿とスプーンがどこにあるのか分からない。

◎18:40

病院に到着。

先に話を通してもらえてたみたいで、本来は面会時間では無いが病室まで入れた。

入院申込書(さっきも書いたけど)に記入して、

病室のどこに荷物を置いておくか一つ一つ確認

明日いつ退院になるかは未定。

迎えにいく時持ってきてほしいものが数点。

少しおしゃべりして、じゃあそろそろ、と言って19:30頃病室を出た。

職場の人が心配して「社用車今日返しに戻らなくても大丈夫そうだよ」と連絡をくれた。ありがたい。

でも自分荷物職場においたままなので、戻りますと返信。

20:00

職場に到着。

欠務届など諸々書いてメールチェックして退社。

社長に会ったので大事ではなかったことを報告とお礼。

→もうちょいしっかり喋れ。社会人やろ。

◎21:00

帰宅。どっと疲れた

母に頼まれた探し物してLINEを入れておく。

上司に連絡。明日は半休とる。

入院したけど心配しなくて大丈夫と父に連絡。

ご飯

風呂も入らず寝てしまい、次の日さらにしんどいのであった。

入院2日目だか退院の目処が立たない。

目眩の原因は①脳から来るもの②耳から来るものの2種類。

入院してる病院脳神経外科はあっても耳鼻科はないので、これ以上検査のできない。

以前から難聴だった。

最初から耳鼻科にかかるべきだった。

早く治してやりたい。

2024-06-28

日本政府はこの英霊公式対応をすべき

 中国スクールバスバス停にいた日本人親子が襲われた事件で、中国メディアによりますと、男を阻止しようとして刺された中国女性が死亡したことが分かりました。

 中国蘇州市24日午後、スクールバスを迎えに来た日本人親子と、バス会社ガイド役の中国女性が、刃物を持った男に襲われました。

 上海日本総領事館によりますと、中国女性バスに乗り込もうとする男を阻止しようとして刺されました。

 中国女性は重体で病院集中治療室に入っていましたが、28日の中国メディアの報道によりますと、死亡したということです。

 一方、日本人親子は命に別状はなく、1人はすでに退院しているといいます

 赤松秀一総領事事件翌日の25日に蘇州市を訪れ、親子と中国女性を見舞っていました。

日本政府はこの英霊公式感謝の発表と、遺族年金を向こう10年間毎月20万円、

それに加えて日本人から見舞金を集めて墓を作って残りを全額遺族に寄付しろ

見舞金は秒で数億円はいくだろ

2024-06-26

全国転勤はやはり「非人道的行為であると言わざるを得ない

デーモン閣下の発表を読みました。

かかりつけ医」を持つのって本当に大事ですね。

でもそこで改めて疑問に思ったのが「じゃあなんで厚生労働省かかりつけ医を持ちにくくなるような全国転勤を認めているの?」ってことです。

だってさ、厚生労働省かかりつけ医を持つことを推奨していて、その上で公式のがん検診啓発特使が「かかりつけ医を持つことががんの早期発見に繋がる」と言っているわけじゃん?

これってつまりさ、「全国を飛び回っていて長期のかかりつけ医を持つことが出来ない奴は、ガンの発見が遅れて死ぬ」ってことだろ?

んで当の厚生労働省は全国転勤に対してまともに規制もしないし、ましてや自分たち所属官僚を全国転勤させまくっては、長時間残業とのコンボでまともに人間ドッグも受けられずにガンで殺していってるんだろ?

悪魔集団じゃん。

以下、悪魔ソース

https://demon-kakka.jp/information/2024/06/post-64.php

弊社(株式会社パワープレイミュージック所属デーモン閣下悪魔アーティスト10万61歳)は今年2月に、日頃よりお世話になっているかかりつけ医に勧められて、内視鏡による検査を致しました。

その際、本来検査目的ではない部位において早期の癌を見つけることができました。

「なるべく早く専門医による治療を受けたほうが良い。」とのアドヴァイスを頂いたため、3/16(日)に開催された「ジゴロック大分地獄極楽ROCK FESTIVAL」の出演を最後に、既に決定していた仕事ほとんどをキャンセルさせて頂き、4月から5月にかけて検査入院と手術を致しました。

手術後も問題なく回復を致しまして、5月下旬退院を致しました。

現在は、体力を回復させるため、トレーニングをするまでに至っております

デーモン閣下は、厚生労働省「上手な医療のかかり方大使」を5年、広島県「がん検診啓発特使」を12年間務めており、その活動の中で「かかりつけ医を持つことの必要性」や「がん検診を定期的に受けて早期に発見すれば治る可能性が高い。」ということを訴えてきました。

そのため、実体験として「かかりつけ医の勧めにより受けた検査で早期のがんを発見できて、手術により完治できた。」ということを公表することで、より強いメッセージを伝えられると考えましたので、この度ご報告させて頂きました。

2024-06-07

手術したら尻の穴が2つになった

タイトル通りなんだが、肛門周囲膿瘍で手術して、出血多量で運ばれて尻の穴が一つ増えた。

もともと下痢気味体質なのが災いして、肛門の中に膿が溜まった。ここまでは仕方ない。問題はここから

まず排便が難しくなった。排便時にも当然痛みがやってくる。そして座る、歩くという普通動作すらできなくなってきた。

会社に這っていったのは良かったが、午前中で体力が尽きて帰宅。駆け込んだ駅前肛門科で初老医者に尻の穴をほじくられてついた診断名は「肛門周囲膿瘍」だった。しかもその病院では処置ができないから別の医者に紹介するという。

その日のうちに別の医者に行ったら、また尻の穴をほじられた。1日2回もほじられて、さらに痛みは増した。

言われたのは「ウチで手術できるかどうかはわからないけどとりあえず座薬抗生剤痛み止め出しておくわ」。

尻を抱えながら家に帰った。横になっても痛い。更に痛みが増した。痛みで眠れなかった。

翌朝、病院に駆け込んだらすぐ呼ばれて、尻の穴に麻酔を突き刺された。悲鳴を上げた。そして膿を破いて取り出してくれた。ついでにチューブもつけてくれた。

これでよくなる…と思ったら、今度は排尿ができなくなった。

力を入れても尿が出ない。

病院医者が顔色を変えて「夕方まで様子を見ましょう」とのたまう。そうこうしてるうちに尻から血を噴き出した。ケツから火ではなく血をふいた。

医者が再診したが時すでに遅し。止血剤も効果はなかった。再び激痛にのたうちまわる。

医者はとうとう治療を諦め、救急車を呼んだ。町医者から大学病院に運ばれた。

肛門出血という診断名で、緊急手術となった。

全身麻酔で切開され、排膿+チューブの除去が終わった。

翌日には退院することができた。

自分おしっこができた時は涙が出た。

そして数日後、尻の穴がもう一つ、側壁といえば良いのか空いていることに気付いた。

私の尻には二つの穴がある。

つの穴は排泄のため。

もう一つは膿をひたすら垂れ流す魔物となっている。

今日も私は二つの尻の穴を隠しながら会社に通っている。

終わりだよこの人生

2024-06-03

anond:20240603161930

何を根拠に僕が他責の人と思っているのか知りませんが、残念ながらご期待に添えられません。

僕は全く他責ができないタイプ自責自責の末に鬱になって仕事を失い2ヶ月入院して先月退院し今ニートだけど、

他責せず人として生きてきたおかげで、素晴らしい配偶者に恵まれたため、「わたしいるから無理するな。あと一年くらい休みな」と言われております

というわけで本日専業主夫立場から高みの見物で増田の憐れな独身男性方に有用アドバイス差し上げているのみです。

2024-06-02

anond:20240602093240

単なる思い込みか変な記事に騙されただけでは?

厚生労働省調査

精神心療内科 受診

(血管性と認知症由来の精神疾患除く)

外来のみ

男性 10万人あたり192人

女性 10万人あたり209人

入院も含めるともっと多い。

厚労省 令和2年(2020)患者調査の概況

結果の概要受診

p10 表5 傷病分類別にみた受療率

https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/kanja/20/index.html

追記:前提条件書き忘れがあったので、サイト見れば分かると思うけど念のため

調査の期日

 病院については、令和2年 1020 日(火)~22 日(木)の3日間のうち病院ごとに指定した1日 とし、診療所については、令和2年 1020 日(火)、21 日(水)、23 日(金)の3日間のうち診療所ごと に指定した1日とした。

  また、退院患者については、令和2年9月1日~30 日までの1か月間とした。

調査概要

https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/kanja/20/dl/gaiyou.pdf

2024-05-24

幸せ低酸素症

酸素血症なのにハアハアしない病気で、Spo2が65でも苦しく感じないらしい

ボーッとするがパルスオキシメーターでも正しく値が検出できないなど謎が多い

ただ、だちすればコロナは神経を麻痺させる生物兵器ということ

マンション等は各世帯空気水道管等で繋がっているし無症状コロナテロも怖いよな

知らないうちに陰謀的に感染することもありうる

「幸せな低酸素症(happy hypoxia)」

観察してると無呼吸症候群も同じ麻痺が原因ぽいんだよな

ウチのおじいちゃんがそうだった

ところがじいちゃん2018年から脳梗塞で9ヶ月間病院施設にいたあいだが、カルテには呼吸異常が何も書いてなかった

2019年退院してが帝人検査会社)と往診主治医等に異常が知れた

2年以上無呼吸症だったことも分かった(ババア無視してた)

しかし、前述の論文はずっとあとの2023年

しかすれば、ステルス軍事機関病院があえて無視する病気ということだ

酸素血症も認知症の原因になるだろうし、厚労省診療差別のクソ病院をどうするんだろう

2024-05-15

anond:20240514174139

3歳の子供が入院している

退院できるだろう病気だけど、退院できなくなることを想像するだけでつらい。

毎日お見舞いに行くけど、帰る時がつらい。お見舞いに行かない方がいいんじゃないかと思うくらい。よくお見舞いに来てもらえない子がいて、親は何を考えているんだみたいに言われるけど、行かない人の気持ちが少しわかった。

2024-05-13

実家の近所に住むじいさんを車に乗せて買い物に連れて行った三日後

そのじいさんが亡くなった。

昨年に父が亡くなり、私の実家は車を処分したので、実家帰省するときレンタカーを予約する。この連休もそうした。

安いので、地元自動車修理工場フランチャイズでやっているインディーズレンタカーにしてみたら、受付してくれた事務の親切な女性は、レンタカー約款を読み上げる間中修理工場から爆音で流れてくる演歌のUSENに向かって突然「ああうるさいっ!」とブチぎれ、「あなたもうるさいと思うでしょう!?」と私に同意を求め、同僚に修理工場につながるドアを閉めさせると、「最後に乗っていたのは平成15年式のbB(みんなの地元DQNがよく乗ってたやつ)です。令和になってもまだ乗ってました」というある意味SDGsでは? みたいなことを平気で言う私に、令和2年式フィットハイブリッドという、まさに隔世の感というほかない車の操作方法をとても丁寧におしえてくれた。

そんな調子で車を借りて帰ったところ、母に、「同じ町内会のじいさんと私を、車に乗せて買い物に連れて行ってほしい」と頼まれた。

正直、ちょっと嫌だった。母はよく知っている人に違いないだろうが、私はそのじいさんをほとんど知らない。まさにあいさつ程度のイチゲンじいさんであり、むこうも私を同じように思っているだろう。そのイチゲンじいさんを車に乗せて買い物に行く…気が重い。万一大事故になったらどうしよう、面倒だなあとか、そもそも知らない人が苦手…などと種々のことが頭をよぎったが仕方がない。年齢的にも立場的にもそんな子どもじみたことは言ってられないので、私は母の申し出を受け入れ、じいさんと母を買い物に連れて行った。母には一瞬「ええ…」みたいな顔をしてしまったが、じいさんの前では全力の快諾顔を心がけた。

実家所属する町内会は、会の中でまた数ブロックにわかれているらしいが、母らのブロックだけ会費が余りがちのため、いちど寄合(=飲み会)でぱっと使おうということになったそうだ。じいさんはブロック会計掛で、だから買い出しにゆくとのこと。90代のじいさんが町内会の財布のひもを握る、これが種々の法律目的条文に言うところの「少子高齢化の進展」ってやつだなと思った。なお、飲み会の予定は明日とのこと。何もかも急だ。

母とじいさんは、かごいっぱいに酒やつまみを入れた後になって、急に予算に収まるか心配しだし、その場で減らそうとするので、「レジ通して予算越えた時点で減らしてもらったらいいですよ」と私は横から口を出した。買い物は予算ぎりぎりにおさまっており、母は、じいさんのことを「さすが!」と謎にほめ、じいさんもまんざらでもなさそうだった。

じいさんは先述の通り90代、母は70代なので、畢竟ひとり30代の私が荷をせかせかとトランクに積み、これで一安心と思いきや、ついでに寿司の予約にも連れて行ってほしいというリクエストが出た。一瞬「マジか…」と思ったが、乗り掛かった舟というかもうすでに乗っている船なので、ニコニコ笑って「いきましょう!」とうけおい、ナビに寿司屋の住所を設定して寿司屋に向かう、その道々、寄合公民館ではなくじいさんの自宅でやることになっているという話になった。

じいさんは、「もう暑いから、たくさん人が入るとエアコンを入れないといけないかもしれない」と言い、私は「電気代とショバ代として、今日買った酒の数本くらいご自身晩酌にされても罰は当たらないと思いますよ。余っても最後みんなで分けちゃうんでしょうから今日先に飲まれたらいかがです? あ、私は絶対誰にも言いません」と真顔ですすめ、それをきいた母は助手席で、じいさんは後部座席で笑っていた。

寿司の予約がすんで車にもどったところで、私はじいさんに「ほかに寄りたいところはないですか?」ときいた。じいさんが大丈夫というので、家まで送っていき、大量の酒を玄関通り越して冷蔵庫の中までわっせわっせと運び込み、私はようやくそこでお役御免となった。

じいさんの家の下駄箱の上には「努力」と彫られた大きな飾り駒があった。それは木工をしていたじいさんが昔手ずから彫った工芸品だそうで、「努力」と書いた将棋の駒というまんがみたいな一品を掘れる人がこんなに近くにいることに、私はいたく感じ入ってしまった。マクロ組めるより努力って掘れるほうがぜんぜんいいな。

そしてその三日後、飲み会から数えれば二日後に、じいさんは亡くなった。布団の中で亡くなっていた。連絡がとれないことを案じた親戚がすぐにかけつけ、発見ははやかった。

その日にはもう私は実家から婚家に戻っていた。母から送られてきたLINEでじいさんの突然の訃報に接し、文字通りの突然の訃報ぶりにひどく衝撃を受けたが、母はLINEに「まあ~おとしにふそくはないでしょう」(原文ママ)とも書いて寄越し、その意外なドライっぷりにはちょっと笑ってしまった。

そうして私は、じいさんを買い物につれていくことを快諾し、道中ずっとにこにこして、精一杯ふたりを手伝ったことを、本当によかった…と思った。じいさんのために、というか、自分精神衛生のために、よかった。すげなくした直後に死なれたら、すげなくしたという自己責任良心の呵責と言い換えてもいいかも)を背負いきれない程度にはショックだったと思う。

それに、連休のよく晴れた日に、ちょっと妙な三人組ででかけたその買い物、なんだか私には結局楽しく思われたから。

死ぬということが、生きるということから決して遠くはなれてはいないように、死んでしまった人たちもまたそうである、と私は思う。つかずはなれず、なんとなく私の歩様にあわせて、今も隣を歩んでいるように思う。

最初に私をかわいがってくれた人を亡くしたのはまだ私が赤ちゃんの頃、母の親友のお母さん。とても愉快な人で、父との結婚を迷っていた母に、「母(はは)ちゃん、馬には乗ってみよ、人にはそうてみよ、よ」とはげました。そのうちこの世にやってきた私は、母以外の人に抱っこされると、せっかくやってきたこの世の終わりのように泣き叫ぶタイプの赤子だったのに、その母の親友のお母さんにだけはごく機嫌よく抱かれていた。そういう写真が残っている。私は、物心もつかないうちに、おしゃべりもできないうちにお別れした、母に伝えきいただけで自分では何にも覚えていない彼女のことを、いつもお守りみたいに心の中に持っている。赤ちゃんだった私に向けられたその無償の厚意を、つらいときの糧にしているようなところが今もある。

最初友達を亡くしたのは小学一年のころ、友達は前歯が抜けていて、永久歯が生えてくる前にいってしまった。その子のお母さんは今になっても私に会うと、生きてたらあの子もこんなふうだったのかと思うという。私の節目、節目に、そう思うという。そのとき友達わたしの隣にいないという人はきっといない。

父親は私のことが大好きだった。父と母と私の三人で、あるいは父と二人で、父の運転する車でいろいろなところに出かけた。ときには父にさそわれて、その仕事についても行き、こんなに大きな娘さんがいるのと客先に驚かれ、父はにこにこしていた。

父は死ぬ間際までほそぼそと仕事を続け、わたしは彼が亡くなる直前にアポをとっていた客先の数件に、父が亡くなったことを知らせる電話をかけた。はじめて話をした先方は、私が電話をかけてきたことによほど驚き、父が亡くなったとの知らせにしばし絶句した後、あなたのことを先生はいつも自慢そうにしていたと言い、最後には先生がいなくなったら誰を頼みにしたらいいか、本当にお世話になりました、と泣き出した。私は、涙する相手に、○○さんのおかげでほんとうに最後最後まで誰かの役に立たせてもらって、惜しんでまでもらえて、父はとても誇らしく、ありがたく思っていると思います、と言うしかなかった。でも父は、実のところ、そんなに殊勝な人間でもない上、けっこう変わってるよなというレベルでこだわりの少ない人でもあった。

父が亡くなる直前までLINEをやりとりしていた人たちに、そのままLINEで父の逝去を伝えようとしたのだが、父はLINEトークをある程度の期間が経つとかならず全削除するという、こだわりのなさを通り越して、ややサイコパスのような一面をもっていた。

亡くなるひと月ほど前、父は、免許を返納することにしたというLINEわたしに送ってきた。車というもの私たちの思い出の多くを占めており、驚いた私が父に電話をかけると、「薄暮時間帯に信号の見落としをした。今まで一回もそんなことはなかったんだから、もう潮時だと思った」と淡々と父は言った。あれだけ運転が大得意で、大好きで、アイデンティティの大部分をしめていたように見えたのに、引き際を悟ればもうしがみつない。その、ものに拘らない姿勢に私はいたく胸を打たれたし、これができない老人が多い以上、今もって、父の最も尊敬すべき美点の一つだとおもう。

ただ、電話を切ったあと、今までいろいろなところに連れて行ってくれて、たくさんの送り迎えをしてくれて本当にありがとう、と万感の思いをこめて送ったLINEも、父が、入院後(退院してくることはなかった)母とかわしあった感謝の思いを伝え合うLINEも、亡くなった時には父はすべて消しており、それを見て、私も母もあまりの父らしさに爆笑した。

(ついでに、父が亡くなる前々日まで、もはや執念のトークの削除を行っていたので、トークルームのどのあたりの人たちにまで逝去を伝えるトークを送るべきか見当もつかず、非常に頭を悩ませることになった)

そんな感じの人だったので、この世に未練というものがあったとは到底思えない。退院の手筈を整え始めていた日の深夜の3時過ぎという、家族がやや油断している上に一番身動きしづらい、マジでどうしようもない時間にいきなり息を引き取ったため、父の死に目にあえなかった母。父の逝去からしばらくして、急に「お父さん、最後に私に言いたかたことなかったんやろか」としんみり言い出したので、私は反射的にげらげら笑って「あるわけないやん」と言ってしまった。死ぬ間際まで律義にLINE全削除を続けた男にそんな情緒があるとはちょっと思えなかったのだ。母もすぐにげらげら笑いだし「そうやね」と言った。

こんなふうに父のことを思い出しているとき、私はやっぱり父がすぐ側にいるように思う、フロアシフトを挟んだスカイラインの、運転席と助手席くらいの距離のところに。

まれから今日にいたるまで、誰かの死はいつでもそばにありつづけた。だから死んでしまった人たちも、同じようにいつでもそばにいるように思う。

生きてとなりにいる人のように声をかければ答えるわけではない、電話をかければ出てくれるわけでもない。そうだったとしても、生きている人とはほんの少しちがう居方で、それでもわたしのとなりにいてくれているのではないか、と、わたしはいつも信じる。

じいさんは、私が買い物に連れて行った翌日の飲み会の日、つまり亡くなる三日前、近所に住むばあさんに、私のことを「車に乗せて買い物に連れて行ってくれた。あの子はとてもいい子だ」と言ったそうだ。

それを近所のばあさんから母は伝えきき、今度はわたしにそれを教えてくれた。じいさんがそう言ってくれたから、近所のばあさんは私に「会ってみたい」と言っているらしい。

ありがとうじいさん。よくわかんないけどばあさんも、私に会いたいと思ってくれてありがとう。会おう。

私は今、私に会いたいと思ってくれる人がいるなら、その人にとても会いたい。だから、次の帰省ときには、私は近所のばあさんに顔を見せに行くつもりでいる。

私の目にうつり、私が今生きている世界は、そのときには隣に、近所のじいさんがどうしたっていてくれる、そういう世界だ。

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6/22

朝はてぶ見たらこ記事があって、とても驚きました。

父の死は、私にとってとても大きな出来事で、父のことを書きたいと1年間思い続けているけど、整理がつかずになかなかかけずにいます。一部ですが少し吐出せて、それを読んでもらえてうれしいです。

私が書いた別の読みたいというブコメをみかけたので、かなり以前に書いた増田ですが、お年寄り話題・肉親の死が出てくるものを2つほど貼っておきます

※ビービーの車名直しました。廃車するとき泣きながら見送ったのに間違えてしまった、ご指摘ありがとうございました。

https://anond.hatelabo.jp/20200731173343

https://anond.hatelabo.jp/20200109011834

2024-05-12

入院中の脳バグ

精神科に5回か6回ぐらいは入院したが、その時の自分の行動の傾向についてメモする。

やたら勉強ボードゲーム卓球などをしたがる

暇で発狂するレベルなので、やたらとアクティブになる。将棋卓球をやる相手を探してひたすら声をかけたがる。

コミュニケーション障壁がなくなる

どういうわけか、コミュ症ではなくなる。女性とも平気で会話する。病院患者内のコミュニケーション支配することもある。

頭が悪くなる

投薬量が増え、頭が急激に悪くなる。IQテストみたいなのをやらされるが、全くわからなくなる。

超能力が発動する

これは妄想可能性があるが、保護室に入れられたときに、絨毯よ重くなれと念じたら持ち上げられないほど重くなった。

いびきが伝染る

他人いびきが俺に伝染する。その結果、呼吸ができなくて眠れなくなり、睡眠薬必要になる。

看護師がおかず

患者オナニーのおかずにすることよりも、看護師をおかずにすることが多い。たまに便秘になると、看護師お腹スリスリマッサージしてくれるので、それがネタになる。

一定確率患者喧嘩をする

被害妄想を持った患者一定数いて、俺の会話内容を横で聞いて誤解して喧嘩をふっかけてきたり、テレビの前を歩いたことに因縁をつけてきたりする。

殴られそうになったことが一回だけあるが、そいつは俺の個室に勝手に入ろうとしてきた。

ゲイ恋愛感情を持たれる

入院患者にはゲイがいて、一度いきなり抱きしめられたことがあった。看護師は「それは、友情の証なのか、それとも性志向なのか」とそいつに問いただしていた。

保護室の壁をぶん殴りたくなる

見られていないので、壁を思いっきりぶん殴る。ストレス発散になる。

保護室空間が徐々に狭くなっていくように感じる

保護室は殺風景な部屋なので、どんどん狭くなっているように見えてくる。部屋の空間の大きさを歩幅で確認するが、精神が異常なので歩幅の数を記憶できない。

保護室時間感覚がなくなる

時間カウントするために、トイレットペーパー丸め始める。時間が本当に流れているのか疑う。

精神回復し、暇すぎて退院したくなると、母のパワーが役に立つ

母がいなければ入院期間はもっと長引いていることだろう。電話を使う機会があるが、そのときに母に頼んで退院を早めるよう交渉してもらう。

高齢白血病肺炎ときたら覚悟するか…

私子供部屋おばさん。同居の父が白血病になって2年半ほどになる。この期間、有難いことに?治験対象になり抗がん治療費用は掛かっていない。

とはいえ月に10日の入院費はかかるので、年金暮らしの父とすずめの涙の手当ての私でお金がないね、どうしようね、なんて話をしていた。

先月の頭くらいに、貯金も底をつきそうになり父から治療を辞めようと思ってる、なんて話をされた。

お金さえあれば…と思いつつも貯金もない子供部屋おばさんの私は拗ねたように八つ当たりをし、最終的には父の思うようにして、なんて言葉で話を終えた。

一旦は先生に止められるまでは治療しましょうという流れにしたものの、咳が止まら治験入院自体ができなくなってしまった。薬を貰って自宅療養するも1日2日良くなっては咳が再発する状況に。状態が悪いので予約日よりも前に病院に行くも、特に気になる所はない、抗生剤も出せない(使いすぎると身体が慣れて効かなくなるため)と自宅療養に戻るもやはり状態は変わらず、眠れず咳に悩まされ辛そうだった。

今週木曜から治験の抗がん治療の為の入院となるが、金曜から高熱となり、肺炎になっていると病院から連絡があった。

先生からの連絡はどちらかというと、抗がん治療より肺炎治療を優先するから予定の入院日より伸びます、本人がご連絡できなさそうなので代わりに連絡しておきました、くらいの温度感だったが、同時に「体力もなくなってきているし、退院後の抗がん治療継続を考えた方が良いかもしれません」という言葉もついてきた。

とりあえずは治療を終えて家に帰ってきたらの相談になるけど、その前に家に帰ってこれるのかな…という不安もある。70代、糖尿病白血病肺炎、なんてリーチどころじゃない揃い方をしているので、今日からはいつ呼び出しがあってもおかしくない気持ちでいようと思う。

思い出したけど今年2月に1回狭心症で死にかけてはいるんだよな…本当に何があってもおかしくない。

ところで本当に貯金がないので死後のあれそれの為のお金はどうしようと思ってる。何か頼れる所はあるのだろうか、なんて調べたらいいのかな…

2024-05-08

父の声にすごく似てる叔父の声を聞く度にもしかしたらもう本物の父の声は聞けないのかもと思ったり、普段能天気な妹が集中治療室の前でぼうっと立って待ってる姿を見たり、そういうのがだいぶキツかった

あんまりこういう思いはしたくないので、父にははやく元気になって退院してほしい

2024-05-07

anond:20240507193121

18以上だったよ。母がニッセイで生保レディやってて契約実績のために契約したんだとさ。

姉には生命保険はかけられてなかった。精神科に入退院を繰り返してたか契約不可能だったとのこと。

ていうか人のサインを偽造して私名義の契約しちゃダメでしょ。生命保険を「無断で」「サイン偽造して」契約って普通にありえなくね? 犯罪だし。

2024-05-04

anond:20240504152341

お疲れ様です

以下追加しときます

2024-04-28

精神病院入院してきたけどさ

今までに会ったことないタイプ人達がたくさんいて驚いた。

まず、生活保護受給者

精神障害なり病気なりを理由として働けないらしいんだけど、ワガママで常に文句ばかり言っている人ばかりだった。

からしてもらう・物をもらうのが当たり前で、思い通りにいかないと不平不満のオンパレード

あと、やたら買い物好き。割と外出が自由にできる病棟だったんだけど、毎日近くのスーパー衣料品店に行って何かしら買ってくる。そのお金はどこから出てるんだ?

あと、現実的でないことをよく言ってる。もう還暦前で仕事もしてないのに「マッチングアプリ高学歴高収入の良い男狙ってるんだ〜!」とかるんるんした話し方で聞かされてゲッソリ。

そして、病状が落ち着いても退院したがらない。入院費タダだし(一般的収入がある場合精神病院入院費って結構高額)、3食勝手に出てくるし、構ってくれる看護師や他の患者いるから、自宅で一人で過ごすより費用もかからず快適なんだろうな。

他、

・異性の患者看護師から微笑まれたり優しく話しかけられただけで、相手自分のことを好きだと勘違いして暴走するおっさん

女性性交渉の有無を聞いたり、口を開けば下ネタばかり言っているおっさん

・毎回女性トイレに入るおじいちゃん

生活保護受給者可哀想からと身内でもないのに物を買い与えたり、現金を渡すおばあちゃん

・そんなに話したこともないのに生い立ちなど過剰な自己開示をしてくるおばちゃん(そして、こちらにも同等の自己開示を求めてくるのがしんどい。当然断った。)

・ボディタッチが過剰どころか、腕へし折られるんじゃないかと思うくらいの強さで掴んでくるおばちゃん

などなど。

ここに入院した時点で自分も同じ穴の狢なんだけどさ…

普通に会社員してたら出会わない人達ばかりで衝撃だったよ。

働きすぎて鬱が悪化して療養するための入院だったけど、上記人達に構ってたら悪化しそうで必死自衛して過ごしたよ。

これから精神病院入院する予定のある方、ご参考まで。

2024-04-27

今際の際の妻の言葉

妻が、もう危うい。

年明けに倒れて胃がんが発覚し、既にステージ4で胃全摘

一度退院するも、転移と進行が早く、再入院でもう点滴で辛うじて命を繋ぎ止めている状態

妻の「最後のお願い」で「家に帰る」方向で話を進めていたんだけど、昨日になって余程辛い状態で「もう家には帰れない、このまま病院で楽になりたい」と言ったんだ。

妻が今が辛いと訴えているのに頑張れとは言えず、かと言って肯定すると妻の存在が消えてしまう。

どちらをとっても辛い選択で、悩んだ挙句、妻の意向尊重しようと決心した。

妻が倒れてから、妻の状態に関する不安と、慣れない家事多忙仕事で強いストレス感じていて自分も少し精神状態おかしくなっていたのかもしれない。

そして、つい、て言ってしまったんだ。

「僕は貴女結婚できて幸せだった。一緒に過ごした時間は宝物だ」

「僕は、いい夫だったかな?」

妻の答えは

「悪いけど、そうではなかったわ。自分勝手だったし。今、色々ここまでやってくれるから感謝はしているけど」

おいおい、そこはせめてギリ合格点ぐらい言ってくれても良いだろう。

今際の際でそれか。

なんか、スッっと冷静になった。

ある意味、おかげで心の防護壁みたいのが張られた感がある。

むき出しの感情で「これからのこと」に対応しないで済むかもしれない。

でも、25年以上結婚生活過ごしてそんなこと思ってたのかと思うと、これから先生きていくのにトラウマになるかもしれない。

ひでぇな。

いや、でも、自分勝手な夫でごめんな。

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