「退院」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 退院とは

2018-11-21

anond:20181121000749

生保中の人だけど

独身なら県民共済+がん保険とかで充分。

健康保険組合国保保険料納めてたら、高額療養費制度が使えるから、それだけで大体の病気けがはまあまあカバーできる。

だけど、がん、これだけはダメ

ただでさえ治療費は高額だし、近頃はすぐ退院させられるから、通いで放射線治療を受けることになりがち。そうすると通院費が大変なことになる。

からアフラックとかで通院保障付きの「がん」だけの保険には入っておいて欲しい。

死亡保険とかは結婚して子供できてからでおけ。

2018-11-19

anond:20181119231623

数か月前から分かっている事でも一日やそこらの休みが取る為のスケジュール管理が困難なくらいのブラック仕事なら

さっさと里帰りするだろ

そうでなくても里帰りするか里(親)が来る方が多いし

つーか父親の手が必要だとしたら出産日より退院日だよね

出産日は全部病院スタッフが世話してくれるから別に父親いらないし

(急変時の家族同意が、とか言うのも多いけど家族誰もいなけりゃいないで病院側でちゃん対処するわ、家族来るまで何もせず放置する訳ないだろアホ

出産に限らず単身者救急車で運ばれるなんてケースも家族すぐに来れない事多いしな)

そういう発想が無い辺り、結局「妻子の世話をしたい」ではなく「子供の顔が見たい」だけなんだろうな

入院してる所に見舞いに行くだけなら気楽だしな

2018-11-16

夫の祖母は歩かない

先日、夫の祖母入院中の病院から大事お話がある」と義母が呼び出されて、夫は義母に付き添って行った。

大事お話の内容はというと、祖母入院費用を出来るだけ抑える為のあれこれ。

祖母の月々の入院費用は、義母パート代を大幅に上回っている(最低でも十五万はかかると義母談)。だから削れるところを出来るだけ削って費用を抑えようっていう事なのだけど、結局がんばっても10000円くらいしか安くならないそうだ。

今、祖母退院に向けてまた新たにリハビリを始めようとしているところなのだそうだ。

しかし、祖母は数年ほど前から自分意思で歩くのを止めていて、自宅で介護されている時はほんとうに全く歩かないでいた。トイレにすら自分の足で歩かず、実の娘である義母を呼びつけこきつかう。怒った義母に介助を拒否られると、誰かが助け起こしてくれるまで、廊下に寝そべっている、そんな人なのである

歩くだけでなく、食べる事も、義母介護士のちょっとした態度が気に入らなければ全拒否する。

今回の入院だって、やっと入れた老人ホーム介護士のやり方が気に入らなかった事でハンガーストライキをしたところに風邪を引いて拗らせたのが原因だったりする。

祖母お嬢様育ちでプライドものすごく高いが、生きる為にごくごく基本的な事を他人にベッタリ依存している。

赤ん坊よりも手がかかるこの人の為に、お金がどんどん奪われていく。

もう、お望み通りプライドの為に寝たきりでも飢え死にでもさせてやったらいかがかと思うくらいだが、死にたい訳ではないらしいので、どうしようもない。

いずれ義母は無一文になるか最悪多額の借金を抱えて我が家に転がり込んで来ることになるだろう。

2018-11-12

anond:20180306125540

大変でしたね、何よりお母さんが退院できてよかった

2018-11-08

anond:20181108222641

元増田です。

書いてて、気持ちがまとまりました。

言及ありがとうございました

①わざとじゃない

②来てもらって、嬉しい。感謝

③快気はしないとおかしいよね。でも、額も判らんし、少なすぎると非常識じゃない?

④お見舞いの袋が空だったけどノリで閉じてあって、名前は書いてあったこと、告げられるかな?

⑤空の袋だった、と告げたら、きっと「送るはずだったお金」を、書留で送ってきそう!

なので、

退院したら

「いただいたお見舞いが、入ってなかったので、正確なお返しが出来ずすみません」と書いて

タオルでも贈っときます

それなら軽い返しでも、しょうがないな、と思って貰えそうだし、お返しはしたことになります

(お返しはちゃんとしたいのです。)

今、「何も入ってないお見舞い袋でした」と告げたら

現金書留が飛んでくる可能性大なので、

💡それを明かすのは退院時にします。

もう退院するのに、お見舞いを送ってはこないでしょう。

anond:20181108225223

私がもし相手なら、絶対見舞いになんて行けないと思う。

それほど疲れた感じだったの。

一目見て「めっちゃ無理をおしてお見舞いに来ました!」というのが判る。

同じ親戚でも、「お見舞いが名目だけど、実は**観光も兼ねてます♪」みたいな

身内もいるんだけど、(それはそれで気楽でありがたい。)

心配しょうがなくて駆けつけました」系。

もう「善意しかない感じ。

善意すごい」けど、「超ドジっ子属性

相手がせめて同年代ならいいんだけど、親年代

「お見舞い封筒になんも入ってませんでした」言えるかなぁ。

そんな事言ったら現金封筒がきそう。

来てもらって、すごく有難かった、身内も嬉しそうだった。

普通退院したら快気祝いはしますよね。

そのときお礼状でも書いてみます

退院したら

「いただいたお見舞いが、入ってなかったので、正確なお返しが出来ずすみません」と書いて

タオルでも贈っときます


いま言ったら送って来そうなので。

2018-10-31

谷垣って退院してたのな

一生寝たきりだと思ってた

こういう低賃金劣悪環境のところを辞めなかったら何が起こるか

答え;延々とこき使われる。慈悲はない。

こういう企業がある日突然覚醒してよくなることはない。よくなるとしたら、お尻に火がついたとき

 

俺の友人の話だが同じく似たような業種でパートをしていた

増田のように、次の仕事を探す時間がないとかなんとかかんとかうだうだいいつつ全然辞めなかった

俺含め、家族もみんな、そんなところは辞めろといったのだが、でもでも、仕事もいいのがあるとは思わないし、とか言って最低賃金で頑張っていた

もちろん友人より後に入った人はみなさっさと見切りをつけて辞めていった

友人は給料以上にこき使われ、どう考えても時給に見合っていない働きをしていた

友人のようなまじめで責任感が強い人間は、いい鴨にされる

友人は入社1年で最古参になった

そして、そのタイミングでほかの人間が一斉に辞め、とうとう友人ともう一人だけになった

その瞬間、会社危機感を持ったようだ

あんだけこきつかっていたのに、無理はしなくていい、何かあったら呼べとか正社員様が言い出した

それもそうだ、求人は出し続けているが条件が悪すぎるので誰も来ない。人数は最低限の二人。この内一人辞めたらもう、この会社は店が開けられないレベルになっていた

とにかく残った二人に出て行ってもらっては困る、だが給料はあげられない、ということで、同じ会社か?と思うくらいチヤホヤされるようになったそうだ

そして友人は全然別の理由で結局そこを辞めた

ものすごい慰留されたらしいが、そもそも入院するからなので、無理だった

退院したらまた来てくれとか言われたそうだが、そんなのはしばらく無理だと答えて去った

もう一人も「一人じゃ休めないし」ということで辞めた

結局会社は、その店を閉めた。求人は出し続けているので、人が来たら復活させるようだが時給は変わってないので多分再開することはないだろう

なお友人は元々まじめで頑張り屋のため、退院後に今度は時給の高そうなところに行ってみたらあまりに快適すぎて感動している

時給を上げる余裕がある会社なのだから待遇はそこまで悪くない

時給と待遇は比例する

まり、こういう会社我慢して働く人がいる限りは待遇を変えることはない。本当に立ちゆかなくなってから態度を変える

よって増田がそこで我慢をしても今よりいい状況になることは絶対になく、辞めた方が状況は好転する

増田がつとめることで、その悪徳業者は生き残り新たな被害者を出すだけだ

さっさと辞めよう

2018-10-27

さらだけど双子育てるのって大変なことだと気づいた

1〜2歳ぐらいまではちょっと目を離したらどっちがどっちか分からなくなっちゃうよね

とくに病院から退院した直後とか見分け方とか考えずに二人同時に裸にしちゃったりしたらもう無理でしょ

10組に1組ぐらいは本当の名前が逆になってる双子いそう

2018-10-21

あいはふかくておもかるい

夫が昨年倒れてからもうすぐ一年が経つ。

今は手術もして、成功して、退院して、休職中で自宅療養しながらもリハビリ出勤の話も出てくる、そんな回復度合い。

死んでてもおかしくなかったので、今こうして家にいて、無理はしちゃいけないにしろお酒飲んだりご飯を食べたり外を歩いたり車を運転したり旅行に行ったりできてること自体、小さな奇跡の積み重ねなんだと思う。

それでも、病気の段階によって人の抱える悩みは少しずつ変わってゆくのだな、ということが実感として感じられる。私は聞いていることしかできないのだけど。

最初からずっと夫の意識はあるので(手術のための麻酔時と就寝時以外は入院中もずっと普通に話せた)、未だにそんな大病だったのかしら…と思うときもあるのだけど、6時間にもおよぶ手術をしたんだから軽い病いではないことは確かだ。

入院当初はなんでこんなことに…からはじまって、今は仕事に復帰することへの不安と、昼間ひとりでいることで外とのつながりがないことをとても不安がっている。

私はただ聞く。

私はもともとただ話を聴くことがすごく苦手で、アドバイスをしてしまっては「そういうことじゃない、解決策なんか自分でも分かってる!」と怒られた。私の周りには似た者が集まるせいかアドバイスして欲しい時しか愚痴らないので、しばらくただ話を聴くということが難しかった。

食事も多少塩分に気をつけるくらいなので、調味料を全部減塩にして、野菜意識的にとって…といろいろ工夫はしているけど、そんなに厳しい制限ではないのでゆるゆるとやっている。

私には趣味があって、それでかなり発散しているところはあるんだけど、病気の段階によって変わってゆく夫の不安を聞いて、貯め込む自分が時々しんどくなる。世の中にはこんな程度どころでない悩みの人々がいることは重々承知しているが、軽い悩みをたくさん抱え込むことによってだんだん重くなってくることもあるのだと知る。

仕事から早く帰りたいのに遅く帰りたい。

寄り道がしたい。

もちろんどこそこで買い物して帰るから遅くなる、と言えばいいよ行っておいでよという答えが返ってくることも分かってるし、それは病気でなくても同居人がいるのなら事前に伝えるのは当然のことなので当たり前なのであるが。

(つづきは後ほど)

と書いたもののそんな大した話ではなくて。

今までも普通に仕事帰りに予定があれば伝えていたし、ふいに寄り道したくなればそうメールして伝えれば特に制限されたこともない。

でもここまで回復するまでに、私は彼からいくつかの本音を聞いてしまっている。

手術後に原因不明利き手のしびれと痛みが取れなくて、しばしばイライラしていた。しかし私は無事に夫が退院できて、生活ができていることが楽しくて、少し浮かれていた。ちょっと調子にのっていたのだ。

そしてイライラした夫から、元気だった頃に私が趣味遠征していたことをよく思っていなかったのだと言われた。

反対されたことなどほとんどなく、いつも笑顔で送り出してくれていたのだが、そうではないときもあったと知った。夫はそれを言ったあと、しまった、という顔をした。今でも時々思い出しては「イライラしてたからってあんなこと言ってごめんね」と言われるし「これからも気にしないで行きたい時は行っておいで」とも言ってくれる。

言葉に甘えて一度、行ってみた。

それは思っていた以上に楽しくて、ひとりで眠ることもふいに予定を変更することも、夜ちゃんホテルに着いてこんなことやあんなことがあったよと夫に電話で話すことも、すべてが楽しかった。調子に乗ってまた行こうと思うほどに。

それでも彼から本音を聞いたことはたぶん忘れないだろうし、それを根に持ってどうこうしたいわけでもない。

ただ、そう思っていたということを覚えているだけだ。

からなんだよ、とこれに目を留めた人は思うだろう。

ただ、今私に溜まっている小さな愚痴の数々のかたまりを、ポロッと出しておきたいだけです。

回復度合いで変わっていく小さくも大きな不安を、ただ聞くことしかできない私が、抱えきれなくなってすべてが嫌になる前に、ただ出しておきたいだけ。

夫を好きな気持ちが変わってしまわないように。

病めるときも健やかなるときも、変わらずあいしつづけられるように。

2018-10-14

好きな絵描きさんでもあるリア友

はじめまして

インターネットの片隅に私の吐き出すものを留めておきたいけど、支部に書くのもなぁと思ってここに書きにきました。

私は趣味Twitter自分が描いた絵を呟いたり、あるいは友達空リプ(くうりぷ)するだけの垢で時々話したりする人間です。

自己紹介はこれぐらいにしておいて、本題に入ります

私は中学生の時、部活学校の事で精神的に辛すぎてメンタル系の病院入院したことが何度かあります

当時は唐突死にたいとさえも思いました。

絵を描く事が唯一の救いだったのですが、部活美術部で、絵を描くと部活の事を思い出してしまうと主治医に話したことで、初めての入院3ヶ月のうち、はじめは絵を描く道具の持ち込みは禁止されました。

しばらくして、持ち込みの許可が出ると私は自分が考えたキャラクターを沢山描きました。

見回りに来た看護師さんに描いた絵を見せると上手だね、と言われる事がとても嬉しかたことを覚えています

そして、入院生活に完全に慣れた頃。

タイトルの通り、そのリア友出会いました。

私が記憶している中では、作業療法活動に初めて参加したリア友が描いたぬり絵を見て、話しかけたのが最初だと思います

そのぬり絵を見て、私は驚きました。

リア友が描いた鳥の絵はとても質感と量感が表現されていて、まるで動き出しそうな絵でした。

さらに驚いたのは、その子が同い年だということです。

同じ年齢で同じ絵を描くという趣味で、私達は個室のホールで一緒に毎日絵を描きました。

私は毎日驚きました。

ある日は漫画扉絵の模写をし、ある日はイラスト資料集に載っている洋服を使った全身の女の子の絵を描き...。

驚いたのは彼女の模写をする量とスピード分析力、そして正確さです。

私の周りにいる中学生ではそのような子はいませんでした。

私もリア友を真似て、退院してからも模写をしてた時期がありましたが、今も模写も絵も上手くありません。

きっとこの人は将来、大物になる。

そう確信した私はやってもいなかったTwitterを親からバレないようにこっそり始め、リア友IDを交換し、外泊の時にフォローしました。

そして、私は3年ぐらいリア友の成長を見守りながら、自分も絵を描いてきました。

リア友は今、中学生の私がほぼ予想していた未来の途中にいます

よく、Twitterではフォロワーステータスでは無いし、フォロワーファンではないという見方もあるとは思いますが、私はリア友の1ファンとして、多くの人がその子の絵に共感し、拡散されている事がとても嬉しいです。

しかし、私は心に何処か引っ掛かりがあります

それは、県の高校美術展についてです。

私は制作したい作品顧問先生相談した結果、作品上、いきなりB1サイズで描くのは厳しいという事で、最終的にパソコンで合成する形となりました。

その場合、数少ないCG作品として出品することになります

しかし、リア友CG作品として出品する事を知りました。

私はCG作品審査の目が何故か厳しいらしい事を知っていました。

今年こそ、審査の票を入れて貰いたいと気合いを入れて描いていたものでした。

非公開の垢で見たリア友CG作品はとても綺麗でした。

他人所為にしたくはないけれど、私は落ち込みました。

あの綺麗な絵に勝ち目なんかない、

あの作品より私の作品は劣っている、

私の作品は恥ずかしい。

もし、あの子作品が賞を貰えたとして。

私はリア友の絵を沢山拡散してくれた時と同じように、喜べるのか...。

私がずっと溜めていた事を文章に起こせて、少し楽になりました。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

2018-10-09

ノーベル賞とった薬

父親大腸ガンで余命いくばくもない。

まだ63歳で、自営業だしで、本人も家族もなんとか治って欲しいと思っている。

そこに降ってわいたノーベル賞ニュース

あのニュースで新しい薬のことを知り、翌日には先生に嘆願した。

先生ははじめ、そんな簡単な話じゃないだのなんだのと難しいことを言って難色を示していたが、

私たち必死懇願についに折れて、そんなにいうならと、新しい薬を出してくれた。

あれから1週間。父親は目に見えてメキメキよくなり、来月には退院できるかもしれないという話にまでなっている。

ありがとうございます、本庶先生感謝気持ちでいっぱいです。

いい薬です。プラシーボ

2018-10-08

パパの子育て早くも挫折しそうで辛すぎワロタ……

子供が生まれてまだたったの2週間なんだけど、ここまでですでにパパがやる気出して頑張ったけど全然ダメだったことがけっこうあったので思ったことを書き記しておく。

まず一つ目は検診での婦人科。まず病院の待ち時間が長い。これは仕事への支障を考えると辛い。男性としては「妻の検診なんで休みます」というのは言いにくいところ。しか時間が読めないので午前中の診察でも午前半休ではダメ可能性もある。病院によるのかもしれないけどなんとかしてほしいところ。

んで、長い待ち時間のあと、「先に奥さんだけどうぞ」とか言ってくるの。俺の出番はというとそのあと「ご主人どうぞ」なんて言われて、エコー見せられて「ここが目ですねー」とかやって終わり。

いや、そこじゃねーんですよ。妻の体調がどうとか、体重がどうとか、そういうところですよ。こっちはつわりで偏ったものしか食べない妻に対して毎日栄養価と食べやすさ考えて食事作ってんですよ?まあいろいろ恥ずかしいところもあるからかい配慮なのかもしれないけど、もうちょっとなんかないんですかね。

お腹も少し大きくなってきた頃。住んでいる自治体にあった母親学級両親学級。妻しか参加しない母親学級のほうで妊婦食事はなにを食べたら良いとか、栄養士の人がきて教えてくれたりするらしいじゃないですか。いや俺にも参加させてよ。沐浴の仕方も両親学級ときより詳しく教えてくれたらしく、いや俺にも教えてよ、そういうところで夫婦の持っている知識に差つけようとさせるのなんなん?って感じ。

出産時。自然分娩なので予定が見えない中、出産はやはり立ち会いたいので会社陣痛始まったらすぐ休みとって行ったんですよ。これも調整がけっこう辛い。まあ予定見えないから仕方ないねこれは。

まれた後。翌日から赤ちゃん同室。まだ体力の戻っていない妻に対しても「おっぱいさないと張っていたくなりますから」とか言って預かるのを渋る看護師。眠くて辛そうな妻。何もできない俺。もうちょっとなんとかならないんですかね?何か手伝いたかった。

入院中にまず抱っこの仕方からミルクのあげ方、ゲップのさせ方、沐浴のさせ方、オムツの変え方、全部母親にだけ教えるんで、俺は何も知らぬまま。。。

退院退院後に里帰りをさせる予定だったのだけど、妻の実家がいろいろあってすぐには里帰りできないとのことで、とりあえず頑張って1週間休みとったんですよ。

家に帰ると早速うんち。妻に両親学級でやったよねって言われてオムツ替えしてみるんですよ。で、当然うまくできない。連日の寝不足もあってキレる妻、泣く我が子。そしてこれが何かあって泣くごとに俺がやる全てのことにキレる妻。そして紙おむつの外に漏れるうんち。さらにキレる妻。夜泣いても起きない俺。猛烈にキレる妻。仕事休み取るために俺も残業しまくったんだよとは当然言えず謝る俺。泣く我が子。俺も泣きたい。

キレられてもめげずに頑張って、5日後にようやく妻の実家に里帰りさせ、妻も少しは寝れるようになってよかったねという話なのだが、これでまた会わない間に妻の方が赤ちゃんの扱いうまくなっちゃうんかなぁ。はあ。。。

2018-10-04

じいさんが死んだ

平均寿命をとっくに越してるのに、死因が老衰でないのに血というか家系を感じる。

父は「もう苦しまずにすむから良かったね」って言ってた。父がそう言うんだからそうなんだろう。

さっき亡くなったじいさんは母方なんだけど、我が家祖父母の中で一番乗りになった。

父方母方の祖父母計4人は皆揃って平均寿命をとっくに越していて、そして何故か揃って調子が悪い。皆入院中だ。

人生ってプラスマイナス、凹と凸がなんだか噛み合うようになっているなぁとなんだか思う。

私は今ニートみたいなものである仕事で体と心を壊して休職中と言えば耳障りはいいが、家で寝て起きてスマホしかできないどうしようもない人間もどきだ。

どうしようもないのは兄弟も同じだ。

兄は一番早く産まれてきて、期待もお金もたくさんかけられた。でも全部上手くいかなかった。兄は全てを放棄して飛行機距離へと逃げた。自分はめんどくさい親と兄の橋渡しをし、関係一人暮らし実家程度の距離感くらいになった。兄は自分が見てる限りはほぼ無職であった。今何してるか知らないが、いとこ→おばさん経由でFBハッチャケてるのを知るのはマジで恥ずかしいのでほどほどにしてほしい。仮想通貨もほどほどにね…

姉は重い統合失調症だ。私が小さい頃からずっと。思春期からずっと統合失調症の人と思春期統合失調症家族に潰された人はどっちが辛いだろうか。私にはわからん。わからないが、今現在は姉の方が確実に辛い。姉は今二度目の精神病院入院中だ。前に警察経由で入院したときは3ヶ月で退院したしそれくらいで普段レベルに戻るかなと軽く考えていた。半年以上経つ。他の統合失調症患者さんから苦情が来て個室になった。母も姉の担当医兼自分担当医も「良くない」と言う。姉の前では私のうつ病はかすむ。姉もどうしようもない。どうもできない。

実家にいるのは私と両親だけになった。田舎の大きな家は3人には広すぎる。

私はこれからしばらく頑張らなければならない。お通夜お葬式に出ること、両親のフォロー家事等々。普通の人より頑張らないと私はできないから、頑張るよ。

家にいない兄と姉の代わりにずっと家にいる私に役目が出来た。仕事一人暮らししてた時には出来ない、今の私に出来ること。それがじいさんが亡くなったことによってもたらされた。不謹慎だけど、自己中だけど、ありがとうおじいちゃん。頑張らせてくれてありがとう

頭でまとめないでザカザカ書いてたら次の日になってしまった。熱まで出てた。本当どうしようもないグズグズの人間もどきだな。

2018-09-19

健やかな精神を得ることと『子ども』の存在価値無関係

https://anond.hatelabo.jp/20180918120625

親権押し付け離婚した元増田に、私もひとつ話を添えようと思う。

私の両親は若い内の恋愛結婚で、結婚後三人の子どもを生んだ。

だが、三人目が二歳になろうか、というところで父親浮気発覚。相手は当時女子学生留学のために暫く日本をはなれるから、それまで付き合わせてくれ、というのが、発覚した時の父の言だったそうだ。

もしその言い訳

はいそうですか、わかりました」

と言えるほど彼女が『母親』という生き物だったなら、こじれなどしなかっただろうが、そうじゃなかった。

本来なら唯一女性として見てくれる対象人間がそっぽ向いているんだ。屈辱にもほどがある。

父は仕事仕事の日々。

三人目の子病気がちで入退院を繰り返していたし、上二人は小学生に上がって間もないがまだ手はかかる。

その上で発覚したそれは、一人の女性から気力という気力を奪い尽くしただろう。

離婚騒動はなかなか揉めたらしい。

双方両親、兄弟仲人浮気相手家族も巻き込み、色々な人が、思い直せとか三人も、とか、別々には…とか好きに言ってくる。

しかし母は、離婚離婚を父に突きつけ、慰謝料を断り、三人のそれを全て父に押し付けた。

「こいつらを簡単幸せにして堪るものか」

母が27の時の決意だった。

自身はとても子ども好きだ。近所の子や親類の子など、分け隔てなく可愛いがる。

それでも、親権より、自身が健やかに過ごせる手段をとった。

とはいえその先の生活自暴自棄で、夜中の一般道を120km/hで走るとか、一人で踏切傍に佇んだりとかしてたみたいだけどね。

就職して海外で働いたり、なりふり構わず色々して気を紛らわせてたらしい。

さて、晴れて独り身になった母だったが、意外なことに、時折離婚した父に会っていた。

そのときできたのが私になる。

それでようやく、『この子を生かすために生きよう』と思えるようになったそうだ。

私がこの話を母から聞いたのは16歳の時で、当時とても物分かりよくませた子で。

子どもながらに、何を選んでも大変だったことが想像ついたんだよね。

ついでに父が100%悪いとも思えなかった。それは母にもちゃんと原因の一部があると思ったからだった。

実はこのあと、私が成人してから父と兄姉と会うことができた。

母も一緒に。

会うことが叶ったのは、父が母の悪口子どもたちに吹聴しなかったからだと思う。

父は当時の相手再婚して、更に下に子どもも設けてた。私の存在は今後も公にはならないけど、別にいかって感じ。

何が言いたいかなんだかわからなくなったけど、案外ある話だってこと。

幸せを望んで何が悪いの、自分を追い詰めた人間に対してその不幸を望んで何が悪いのってこと。


元増田の人、どうか健やかにね。

そして幸せになってください。

あなたは母でも女でもある前に、一人の人間なんだし。

2018-09-18

二年連続誕生日前にフラれた話

二年連続誕生日前にフラれた話

去年、ひと回り年上の男性と付き合っていました。彼は当時42歳独身で、私の誕生日には沖縄旅行プレゼントすると言って飛行機ホテル全て予約済みでした。しか誕生日2週間ほど前から突然連絡が途絶え、それまでは毎日のように写メ付きの連絡があったのにおかしいな?と思い何度か返事を催促すると、「忙しいから落ち着いたら連絡する」とだけ返事がありました。今思えばそれでおとなしくしていれば良かったのですが、旅行には行けるのかが不安で、その後も何度か連絡をすると、多分それがうざかったのか「今一緒に行っても楽しくないだろうから」と言って誕生日旅行キャンセルと同時にフラれました。誕生日の予定がなくなったので、一人で過ごしました。

その後、私もも31歳なのでいちいち恋愛で傷付いてメンタルを消費したくなくて、恋愛するのはやめようと思いました。今年に入って、今度はひと回り年下の二十歳の男の子からアピールされました。遊ぶくらいなら良いけど、傷付くのはもう嫌だから恋愛はしないでおこう、と思っていたのに、彼の純粋な姿に気付けば恋をしてました。彼の誕生日の際はまだ付き合っていなかったけど、会いたいと言われたので予定を空けて、手ぶらダメだと思ったのでプレゼントを買いました。一人暮らしの彼に、グラスをプレゼントしました。彼と付き合うようになり、彼は毎日写メ付きのLINEを送ってくれました。朝から夜まで、まるでブログツイートのように、その日の出来事を私に連絡してきました。嬉しかったです。でも、心のどこかで「でもきっと、そのうちしなくなるんだろうな、その時は悲しくなるな」と考えていました。

彼は仕事とは別に夜にバーバイトをしています。顔が良い彼はそのお店でそこそこモテているみたいで、それは彼女としては嬉しいことなので応援していました。でも夜の付き合いは面倒で、会う約束をしてた朝方まで飲みに連れ回されたりしていて、私と会う時はすごくお酒くさかったりする時もありました。それでも彼は私に真摯に向き合ってくれてました。なるべく週末は空けてくれていたし、一人暮らしの部屋も私に自由に使わせてくれました。旅行も連れて行ってくれました。誕生日も楽しみにしていてねと言われていました。

また、彼はまだ若いので、私のワガママで交友関係を縛るのは嫌だったので割と自由にしていました。夏は海とかBBQとか、彼はバーの交友関係のほうで毎週のように行っていました。

しかし、ある時彼が私との約束ドタキャンしました。店で酔いつぶれていたそうです。身体心配して、ゆっくり休むように伝えると、その後に「友達に誘われたかご飯に行ってくる」というLINEが入りました。馬鹿正直というか、、、私との約束ドタキャンして、埋め合わせの件よりもほかの人との予定を優先するのかと少しムカつきました。その次の日は、彼は夜の仕事仲間とBBQがあると聞いていたので連絡などしてなかったのですが、いつもマメに連絡してくる彼がついに夜中になっても一度もLINEをくれなかったので、少し心配になって「今どこ?」とLINEをすると、写メが送られてきました。写ってたのは、夜の仕事仲間と、いかにも夜のお仕事お姉さんたちの楽しそうな写真でした。女性がいるのは想像ついていたけど、終電のない時間に、酒も入っているし、あれこれと最悪な状況しか連想できませんでした。まぁ、やきもちです。呆れた私は「もういい」と言うと、「これからは土曜も仕事入れるからもっと会えなくなる。でもどっちも大事にしたいから」と言われました。土曜も仕事をするということは、日曜の朝方までの勤務なので、実質会える時間はなくなります。(彼の休みが日曜しかなくなるので、私と会うと彼の睡眠時間がなくなります)それに、生活の為とはいえ、昼も夜も働いてるのだから割に収入はあるはずです。それなのにバイトを増やすのはなぜなのか?どちらも大切にしたいと言って、こんなふうに女性と夜に会うことと、私と会うことを天秤にかけて、私が優先されないことが今後増えていくのか?不安でした。夜の世界にこれ以上染まって欲しくないと私は思っていたので、それもショックでした。色々と把握できなくて、「距離を置きたい」と言ってしまいました。そのあと連絡が途絶えて、翌日の夜くらいに、彼が血まみれでベッドで点滴を受けている写メが送られてきました。

「(夜のお店の)店長ケンカしちゃった」との事でした。私は血の気が引きました。同時に、血まみれの人間をあまりたことがなかったので恐怖で涙がこみ上げました。すぐに電話をして、理由を聞いたけど濁されました。店長は50代で、大の大人なのに、まだ二十歳の子にこんな傷を負わせるなんて本当に最低だと思いました。病院にだれか一緒にいるのか聞くと、独りぼっちだと言うので、彼が心配になり、私は行ったこともない駅の病院まで向かいました。先日の台風の日でした。私の方がそこそこ危ないんじゃないかと思いながらもなんとか病院まで辿り着きました。面会時間外と言われましたが、緊急患者だったのでベッドまで案内してくれました。彼は眠っていましたが、服にも腕にも顔にも血がついていました。死んじゃったらどうしようと思って、また涙が出てきました。包帯が巻かれていない方の手を、そっと握りました。彼はゆっくり目を覚まして、私の顔を見た後に泣き出しました。貰い泣きしそうでしたが、我慢して、寝たまま身体を動かせずに涙がぽろぽろこぼれる彼の涙を拭いてあげました。面会時間外でしたのであまり長居できずに、着替えの下着だけ置いてその日は帰りました。それから、彼は退院しましたが利き手を使うことが出来ず、日常生活が困難だったので、なるべく仕事の後に彼の家に通うようにしました。食欲もないと言っていたので、フルーツとか簡単フォークで刺して食べれる物などを買ったり、痛み止めや胃薬を買って持って行ったりしました。

日経ってから、彼が店の店長と話すと言うので、話し合いは必要だと思うので快く送り出しました。そしたら、彼から「しばらく店長の家に泊まる」と連絡がありました。私は正直、今まで私がしてきた事は、彼にとってなんだったんだろう?と思いました。二十歳の彼にとって、バイト先の店長存在は大きいのでしょうけど、怪我を作った原因の人でもあります店長にすれば、彼は若くて顔も良くて女性客にも人気があるので、手放したくないのだろうと思います。結局のところ、彼が頼るのはそこなのか、と。私はまた少し不機嫌になってしまいました。そして、この一連の出来事は私の誕生日の一週間前の出来事でした。去年のことを思い出しました。直前に別れて、またあんなにつらい思いをするのは嫌だと心の底から思いました。彼に、私の誕生日の予定を聞くと、「可愛がってもらってるママさんに誘われてるからご飯に行ってくる。でも次の日は空けてる」と言われました。これは結構きつかったです。私も相当彼のことを可愛がってきたつもりでしたが、彼には届きませんでした。悲しみに悲しみが重なりました。せめて電話がしたくて、その旨をLINEで送りましたが、一日中既読がつきませんでした。なので、危機を感じて欲しくて、お別れの意のメッセージを送りました。これが一番の良くないんだとわかってはいるのですが、予防線を張りたくて送ってしまったのです。今朝、彼からラインが届いていました。「別れよう。今までありがとう」と書かれていました。

二年連続で、誕生日前にフラれました。もはやネタです。私なりには努力したつもりでしたが、進歩がありませんでした。とにかく今はなにも考えられないのですが、まさか本当にフラれると思っていなかったので今週仕事がギッチリ入っていて、放心にもなれません。なのに週末の誕生日は予定が入ってません。こんな悲しい人生、なかなかありませんね。来年彼氏を作って、誕生日前にフラれるか検証してみようかと思うレベルです。嘘です。本当に、落ち込んでいます。彼の部屋に置きっぱなしの物がたくさんあるし、家具なども私が買ったのに捨てられるのかなとか、めそめそしています。もはや、30歳を超えた私が一回りも下の可愛い男の子なんかと付き合えて良い夢見せてもらったと思うしかないですね。

2018-09-15

1ヶ月ぶりに会った事務女性

病院入院退院したけどまた検査で、と先月言っていた

事務所に入って、声は聞こえる 元気そうだ

挨拶をすると 元気に返してくれる

けど退出前に顔を出したのに彼女は机でパソコンに向かったまま 決して振り返ってくれない

いつも笑顔で愛想良くあれこれ話してくれる彼女なのに違和感

ちょっと声かけてそのまま事務所を出た

なんだろう、と思い返す

先月 頭にバンダナを巻いて青白い顔で それでも笑顔で話しかけてくれた彼女

私はその時 もう大丈夫なんですかと努めて冷静に聞いたつもりだったが

内心 彼女の顔を見て かなり大変な病気のようだ、と不安気持ちで気まずくなっていた

あの時の気持ち、表情に出て伝わってしまっていたんだろうなあ

申し訳ないことをしてしまった

今日は声を聞く限り、遠くから様子を見る限り 前回よりずっとお元気そうでよかった

彼女と顔を合わせて、もうすっかり良くなったようですね良かった、と本心で言える日が早く来ることを祈る

から大事な話があると連絡があって

父が白血病らしい。

母は電話口で泣いていた。


私はまだ全然何も分からなくて分からない。

何となく良くない病気であることは分かる。

昔読んだヒロシマ悲劇白血病少女物語イメージ


白血病の疑いが出たのも今週頭の話で、今日になって明確に白血病であること、思っていた以上に良くない状況であることが分かったらしい。

すぐに入院することになって、無事に退院することが目標になるらしい。

え?目標そこ?そんなレベル


母は白血病の疑い段階をあえて私に伝えておらず、結果いきなり動揺させることになってごめんねと私に対して泣いていた。


もうすぐにでも治療が始まり、まず強い抗がん剤を打つ。

その抗がん剤はかなり強力で、2週間続けられる人はあまりいないらしい。

この2週間という表現はよく分からない。2週間続けることに意味があるのか、当て続けることに意味があるのか、耐えれなくなったらどうなるのか、そこまでは聞けていない。


結局のところ深刻さやそもそも病気について私は何も知らないので、とりあえずググってみた。

あるガンの研究機関サイトに色々説明があったので読んでいたのだが、その結びに「どうか希望を棄てずにがんばってください」とあった。

やっぱりそんなレベル??絶望感を味わうのがスタンダードな状況??


こんな状況なのに私はまだ実感も何もなく、今ものすごく冷静だったりする。

びっくりもあまりしていない。

ただええ?ほんとに?と自分の中に入ってこない。イメージがわかない。

私はまだ身近な人の死を経験していないし、本当にまだ何も感情がわかない。

でも何とかなるでしょ?と思っている。

抗がん剤でお父さん大変だろうな、お母さんも憔悴してないかな、大丈夫かな、とはぼんやり思うが、でも何とかなるんでしょ?大変さの先に元どおりがあるんでしょ?って。


朝一で実家に向かうので、洗濯が回せないな、荷物再配達が受け取れないな、みたいな考えも同居している。


えこれってやっぱりそんなにやばい状況なのかな?そうなんだろうな。でも何も想像がつかないしわからないよ。

2018-09-13

だれか

父が肝臓がんの症状によって脳症になっていると診断された。

がんはもう手遅れ。高齢のため本人に告知もしていない。

って言うか、自宅で1人でフラフラになってトイレにいくにも困難な状態だったのに、病院に行くことを拒んだらしい。

なんとなく、自分で体調を把握していたのかも知れないと思ってたけど、入院して少しすると家に帰りたいと言い出す。

ちなみに、衰弱しており、酸素も、カテーテル?も手放せない。寝て自分で歩いたり起き上がることもできない。

こんな状態で、連れて帰ってくれと言われる。

まだ、本人がはっきりしているなら、少しは考えられる。

だけど、妄想のようなまざった出来事を話して、私と母に殺されると、言われてしまう。

つらい。

ここ数日は、連れて帰る気がないなら、殺してくれ。早く殺せと、小さな声で恨み言を言われる。

介護タクシーがあるとも聞いたが、家には起き上がりベッドもないし、家についたとたんに病院に帰るしかないように思う。

それでも、まともに考えられない状態になっている父の希望に答えるべきなのか。

冷静に病院で、このまま恨み言を言われたほうが良いのかな。誰だって、家で安らかに死にたいよね。わかってるけど、わかってるけど、肝性脳症ってこんなにもイライラ攻撃的になるのかな。

しんどい

追記

ありがとうございます。確かにメリットデメリットしか考えられていないですよね。

8月末に余命は数週間と、言われ介護認定にも間に合わないようなことを言われました。

改めて主治医に聞いたところ、口から栄養が取れないため退院も無理。今は車イスにも乗れずストレッチャーでの移動も体力的に厳しいため、本当なら一時外出も賛成とは言えない。と言われました。

またホスピスでも、今の病院でもターミナル期は過ごせると聞くことが出来ました。

ただ、本人の強い希望なら命の限界が来ても家に少しでも帰してあげたいと言う気持ちになりました。急いで家に電動ベッドをなんとか用意したいと思います

ありがとうございました。

2018-09-01

猫死んじゃった

この場があるのを感謝して、書きなぐらせてもらう。

仕事から帰ったら部屋の片隅で硬くなってた。

最近便秘で入退院繰り返してたけど、便秘気味なのは前々からから深刻になってなかった。

しろ食欲もちゃんとあって、うんちもきちんと出たからほっとしていた矢先だった。

最近、土日も仕事が多くて、振替休日も私が暑さでダレきってて、一緒にぼーっと寝てるだけだったから、

明日からは久々にゆっくりできるからブラッシングしたりシーツ洗ったりして

ちゃんスキンシップとりながらゆったりいちゃいちゃ(表現キモくてごめん)しようと思ってた。

から今日の朝にシャワー浴びてるときに構え声(誤字にあらず)で鳴いてても

「あー、もう明日ゆっくり付き合うから」って邪険に扱ってて、出かけるとき

「行ってくるね」くらいしか言わなかった。遅刻しかけてバタバタしてたかちゃんと振り返りもしなかった。

いつもはもう少し丁寧に「行ってきます留守番よろしく」くらいは言ってたのに。

で、今日も遅くなってしまって、帰ってきたらいつもの通りに「帰るの遅っ」って鳴きながら出てくるはずなのに

出てこなくて、嫌な予感で部屋に入ったら、冒頭の通りだった。

かかりつけの病院が夜中も対応してくれて、取り乱して電話したけど、「とにかくすぐに連れてきなさい」って言ってくれて

キャリーに入れようとしたら硬くなってるから入れられなくて、隠れ家用においてた段ボールで運んでいった。

便秘も良くなってたし、毛づやも悪くないかたから、突然の心不全じゃないかって話だった。

慰めで言ってくれたかもしれないけど、どの時間に私が帰っててもどうしててもどうしようもなかったんじゃないかって。

健康若い猫でもたまに見られる話だって

里親ボランティアさんから我が家に来たのがちょうど10年前。

その時に推定3~4歳って言われたから、今は13~14歳しか猫エイズキャリアだったか

発症または老化での介護問題を今後いろいろ考えとかないとなあ、とは漠然と考えていた。

でも、こんないきなりのお別れは全くゼロだった。

とにかく、獣医さんで処置してもらってドライアイスもらって、家帰って

病院に連れて行くときに使った箱に入れたまま、通夜

よく見たら箱はキャットフードまとめ買いした時の箱だった。もう嫌だ。

この気候もあるから明日には火葬しないといけない。ペット葬儀会社の見当をつけた。

で、誰かに吐き出したいんだけど、友人とカニ夜中に電話するのは迷惑だし、メール送るのもなんか違うし

ここに吐き出させてもらう。

猫、ごめん。一匹で逝かせてごめん。ズボラな飼い主でごめん。

なんだよ、やっと振替休日取って三連休決めたらこれかよ。

そういえば体調崩すのも給料日直後とかボーナス直後とか変な空気読むやつだった。

私が親知らず腫らして寝込んだときは、腫れたほほにそっと肉球を添えてくれた。

合成肉が嫌いで、ウェットフードの時は見事にそれだけ残してた。

ブーツから脱ぎたての足の臭い大好きで、冬場は帰宅の都度私の足にしがみついてうっとりしてた。

カメラ嫌いで写真撮ると大体怖い顔だった。寝顔撮りまくりできるのが今っての何これ。嫌だ。

愛しさと申し訳なさとでもうぐちゃぐちゃだ。



追記2018年9月2日

コメントくださったみなさま、経験談やお悔やみや励ましの言葉ありがとうございました。

エントリでその後とお礼を書きました。

「猫死んじゃった」のあとのこれから。(お礼とかコメント返し的な)

2018-08-31

かつて同僚だった若手が亡くなっていた

 他に書くところがないので、ここに書いてみる。わかりずらい文かもしれない。

 私は3年前に転勤したんだが、転勤する前の職場で一緒に働いていた30歳代前半のヤツが亡くなっていた。心を病んで休職し、この春に自殺していたらしい。この夏に他の元同僚に合う機会があり、そこで初めて彼が亡くなっていたことを聞いた。ショックだった。

 私が転出した翌年にそいつも転勤したんだが、彼が希望した部署への転出だったので非常に喜んでいたようだ。彼の転勤後、一度だけ会ったことがあるのだが「あれ?こいつこんなに明るいヤツだったかな」と思うくらいはしゃいでいた。その後風の噂に仕事休み始めたと聞いていはいたが、まさかこの春に亡くなっていたとは。双極性障害入院していたそうだ。退院直後に自殺したそうだ。

 実を言うと今の職場でも休職する若手が出てしまった。今は私のかつての同僚のようなことにならないよう祈るばかりだ(いや、祈っていてはダメか。復帰したら皆でサポートしないと)

 それにしても、改正労働衛生安全法によりストレスチェックを毎年しているのに私のかつての同僚が自殺してしまったし、私の身近で心を病む者が出てしまった。

  本当にあの、自己回答形式ストレスチェックって意味があるんだろうか?

 もちろんチェックの結果は職場には知らされないらしいのだが、少なくとも今の職場の若手が心の病を抱えていることは職場の誰も把握していなかった。急に仕事休み始めて初めて気がついたくらい。

 身近な範囲で不幸なことがあると、繰り返しになるが、果たしてストレスチェックなんて意味があるのだろうかと思う。自分ストレスを隠そうと思えばいくらでも隠せてしまうのではないか

 どうして血液や唾液の成分の計測等の客観的指標ストレスを計るような制度設計しなかったのだろう。

 またストレスの度合いが高い高ストレス者と検査した医師等が判断すると、医師から本人に面接などを受けるように指導が行き、その本人(労働者から事業者雇用側)へ申し出があれば医師から面接指導等を受けさせる、という流れだと思うが、高ストレス医師が判定したら、本人からの申し出がなくても医師による面接指導ができるようにしたらどうたったのだろう。制度悪用を恐れたのかもしれないが、高ストレスと判定された者が正常な判断ができなくなっている可能性(できるだけ知られたくないと隠してしま可能性)もあるのではないだろうか。

 杞憂かもしれないがストレスチェック制度に疑問を覚えた。

2018-08-19

これからがようやく本番

そのことに気づける人はそんなにいない。

救いたかった自分はもう死んだと思って、

それでも残ってるなにかをもう一度見つめ直してみれば、次に進む道が見つかるかもしれない。

https://anond.hatelabo.jp/20180819132725

https://anond.hatelabo.jp/20180819110324


自分自分いじめの原因を地域社会にもとめて、地域研究の道を進もうとした。

大学院まで進んだけど、結局いじめられた自分を生み出した犯人をみつけたいだけだった。

その事に気づいたら、研究する目的も見失ってしまった。


退院してから、昔取った杵柄を生かして、文系エンジニアの道に進んでなんとか真っ当な道にたどり着けた。

ただ、研究しよう向き合ったことで、いじめられていた頃の自分成仏させられたんじゃないかなと思う。

20歳までの育成は、親や周囲の環境にしても、ほぼ運次第。遺伝環境かって2択だも、本人の意思関係なくなってしまう。

20歳超えたら、多少の勇気があえれば、自分がいる環境を選べるようになる。

これからでも十分、間に合う。これまでの道のりは無駄じゃない。

この手に残ったものをもう一度見直せば、次の道は自ずと見えてくるはず。

2018-08-17

お母さんありがとう

わたし、30歳になる独身女性

もう、大人になってからずいぶんたつ。

 

独身で、「親」になるという気持ちは実感できないまま大人として過ごしている。

そんな私、生まれた頃は保育器に入っていて、退院してからしょっちゅう病気していて、

命の危険性がある難病を抱えているとかではないけれど、月の半分は熱を出したり、

肺炎にかかったり、喘息っ気があったりと、とにかく病弱な子だった。

中学に上がった頃から随分丈夫にはなったけれど、今でも抵抗力などは弱めで、よく体調を崩す。

  

なので、ニュースなどで感染症病気流行しているなどのニュースを見かけると、

少し不安になって母に「私って○○の予防接種したっけ?」とラインなどで聞くことがある。

母は母子手帳確認せずに「したよ」「してないと思う」とすぐに返事をしてくれる。

 

30年ちかく前のことを、時期や病名までしっかり覚えてくれているのだ。

から返事が来るたびに、ものすごい大きな愛情を感じて、泣きそうになる。むしろちょっと泣いてる。

 

母にとって私は第一子で、最初の子育てがそんな気の抜けない感じで、きっと大変だったんだろう。

実際、私が覚えている小さい頃の記憶は、外で遊ぶよりも病院の待合室で過ごしていることの方が多いし。

 

いろんな病気をした。

小学校の授業などで同級生母子手帳を見る機会があったのだけど、

私の母子手帳は、他の人よりぼろぼろで、ふくらんでいたように思う。

 

どんな症状が、どんなときに、何をすると出てくるのか。

ぜんぶ書いて、ぜんぶ覚えてくれてたんだろうな。

今でも覚えてるぐらい、何度も何度も考えて、見て、比べて、病院を回ってくれたんだろうな。

 

私は父が頼りないというか、あまり家にいない人だったので、余計に気が張ってたんだと思う。

物心ついた頃から、「熱が出る=38度後半」というイメージが出来上がってたけど、

からしたら、小さい子どもしょっちゅうそんな熱出すなんて心配だったよね。

 

母は今でも、私のことをすごく心配してくれる。

遠く離れて暮らしていても、ちょっとの変化を聞きつければ、すぐに医者に診るよう促してくれる。

ありがとうお母さん。

私は、本当に母の愛を感じながら生きている。

 

この、涙が出るほど素敵な愛情を、私も誰かに注いでいきたいものだけど、

本当に申し訳ないけど今のところ兆しなしで、今後もそろそろ厳しいかもしれない。

 

私も、お母さんのような、素敵な母親になりたいな。

そんな風に思ってたんだけど、ついつい、仕事に没頭してしまったよ。

 

こんなに元気に働けるようになったのは、お母さんのおかげだよ。

愛情いっぱいに育ててくれて、本当にありがとう

2018-08-16

[]

明日医者に親もついてくるだと

ついてくるのはこないだの退院したときだけだと思ってたのに

クソうざい

ODなんかしたらまだついていくにきまってるとかえらそうに いってたけど

そもそもODする原因つくったのお前だよくそオヤジ

2018-08-15

親の本棚で思い出したこと

親の本棚子供読書に影響うんぬんという話が盛り上がっている。

それとはあまり関係ないが、人間の本の趣味というのは大きく変わってくるんだなぁという話。そして再度交われるんだなぁというお話

自分父親歴史ものとかノンフィクションであれば政治、国際情勢の本を昔から読んでいた。

高校生くらいの頃はたまに自分も読んでいた。

大学に入ると、自分理工系に進んだこともあり、あまり本の趣味が合わなくなってきた。

たまに実家に帰ったとき父親が「この本面白かったぞ」と紹介してくれるのだが、政治家のルポだったり、アメリカ情勢だったりで読み始めても数分で本を閉じてしまう。

自分は専門分野だけでなく、どちらかというとサイエンス寄りの本を読むことが増えていた。

もちろん一般書で、例を挙げればHONZサイエンスで紹介されるような本。

昔は父親が勧めてくれた本を面白く感じてたが、いろいろ知ると父とは好みがずれてくるんだなぁ、感慨深いなぁなどと思ってた。

それから10年以上経ち、自分博士課程まで進んでしまい、その後しばらく働いていると父が倒れた。

入院中で元気をなくしている父にお見舞いする際に、読書が好きだから、なんか本を持って行ってあげようと思った。

父の好きそうな本を持って行ってあげたいが、もう好みはわからない。

仕方ないか自分の手持ちの本の中から、がんばって父にも読みやすそうな本を3冊くらい見繕ってもっていった。

自分が帰った後、母の話によると父は食い入るように本を読んでいたそうだ。

無事手術が終わり、父と話したら、そのときに持って行った菌世界紀行という本が大層お気に入りだったようで、

岩波科学ライブラリーって面白い本いっぱいあるんだなぁ、岩波新書くらいしか読んでなかったよ。退院した後にいっぱい買ったよと笑っていた。

60過ぎた父親に、新しい面白さを見つけてもらってすごく嬉しかった。

次は、大学生のときに勧められた本を自分が読むべきだな。

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん