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はてなキーワード: 文学とは

2018-01-12

増田文学があるなら

ブックマークコメント文学ブコメ文学があってもいいんじゃないか。

それを集める人がいてもいいんじゃないか。

僕は面倒くさいのでいいんですが。

2018-01-09

身体的特徴にポジネガもない

ハゲコンプレックスの人もいればスキンヘッドに自信持ってる人もいる

デブコンプレックスの人もいれば巨漢が売りの人もいる

身体的特徴はあくまでただの特徴であり、そこにポジティブ評価ネガティブ評価も周囲が下す必要はない

目をひく自分の特徴を生かして仕事に結びつけるのは、モデルスポーツ選手もそうだし、ハゲ芸人ブサイク芸人もそう

それはそれで、本人の特徴として認めるべきことと思う

世間が褒め称えるモデル体型も、本人からすれば長身小顔、手足が長いことがコンプレックスであることもある

冨永愛も、宇宙人と言われてよくいじめられた、とか話していたことがある

当たり前のことなんだけど、

ブサイクブサイクですね、と言うのは褒め言葉にも傷つける言葉にもなる

モデル体型に足長いですね、と言うのは褒め言葉にも傷つける言葉にもなる

今のネット議論の流れからすると、ブサイクブサイクいじりはしちゃダメだけど、モデルの体型は褒めてもいい、みたいな変な方向にいきそうでちょっと危機感を持っている

一番大事なのは本人の主観で、本人が傷つくならしない、本人が嬉しいなら言う、でいいと思う

ただ、相手本心でどう思うのかなんてわからないし、センシティブなことは無難に触れない、というのが多くの大人のたしなみではあるよね

そして、テレビ広告場合、言われる本人は嬉しくとも、見る人が不快に思うなら、ちょっと微妙、というのが今の流れなのだと思う

やめるべきとは言わないけど、なるべく好き好んで探さないと目にしない媒体しかすべきでない、というのがベターなのでしょうかね

映像化されたコンテンツでの出来事を語るには、作者の死ではないけど、本人の気持ちはもはや関係ないところにいってしまうから

これはもう、正しい間違っているではなく、表現当事者以外は、リスクマネジメントとして受け入れるべき時代な気がするよ


文学なんか、かなり過激奇人変人多いし差別も多い表現があるけど、文学芸術であり意図があり、さらには映像ではないのでマイルドで、見たくない人が見てしまうという件数が圧倒的に少ないのが問題にならないポイントなのかな、とも思ったり

2018-01-08

ほとんどの文系は使えない

理数が出来なくて逃げたやつが大半だから

自ら文学ってやつはほとんどいない

2018-01-06

古文漢文教育必要なのだが現状全く足りていない

古文漢文が読めなければ日本の歴史文化自分で把握することが出来ず、これは大きな問題となる。しかし今の日本古文教育では「日本の古い文学」「漢代のころの中国文学」「唐のころの歌の歌詞しか教えていない。これでは日本の文化理解する多少の助けぐらいにはなるかもしれないが、日本の歴史理解することは全く無理な話だろう。

せっかく古文漢文教育をしているのだから室町時代行政文書だとか、江戸時代一揆訴状であるとか、そういうものの読解というのを高校教育ぐらいで導入する必要があるんじゃないの。こういうことまでちゃんとやらないならやるだけ無駄でしょあんなもん。これは真面目にそう思っています

2018-01-05

anond:20180105232902

キモくて金のないオッサン日本のどっかに居ることはもちろん疑ってないんだが、それが社会として解決しなればならない、解決できる問題だという実感がないんだよ。黒人差別も、黒人がひどい扱いを受けているのはみんなが知ってても、「それはそういうもんだから仕方がない」とみんなが思っている内は前に進まなかったと思うんだ。

俺は普通に暮らしていく金には困っていないがコミュ障オタクキモいオッサンなんだが、基本的社会にはほっといて欲しい。たまに寂しいとは思うけど、結婚とか友だちづきあいとか面倒くさくて無理だし。キモい状態放置してくれるのであれば、他に社会的要求がない。

金のないという部分はもちろん改善する必要がある。俺は生活保護を誰でも気楽に受け取れるような制度にして、BIに近づけるような形が良いと思う。

もちろんみんな俺のような考え方をしろとは言わないけれど、キモいオッサン社会に何かを求めたり、逆に社会キモいオッサンに何かをしなければならないのかというと、ちょっとよく分からない。

考えてみれば、そこら辺に理論を与えるイデオローグがまず必要なのかな。告発者や文学はその後に一般化する役割だろうし。

俺は無神論者なんで、信仰自由配慮して留置所とかがハラル用意しなきゃいけないとか絶対に間違ってると思うんだが、実際には配慮されてる。だからどうにか理屈を付けて共感されれば、キモいオッサンをどうにかせねばならぬという風潮になること自体は、そんなに無理のあることではないとも思うんだよ。

こちらこそ真摯に返してくれてありがとう。良い自省の機会になった。

anond:20180104132743

かに個人レベルでみた場合には大半の人にとっては不要でしょう。一方で国レベルでみた場合には自国歴史文化研究・伝達するための人的資源を確保するための施策として、古文漢文という教科を高等教育の前段階である中等教育カリキュラム組み込み入学試験科目として設定すること(を促すこと)には一定妥当性があるように思います元増田は「国家レベル失恋引きずるな。」と書いていますが、むしろ増田国家レベルでみた場合必要だという認識です。

また、大学入学試験入学後の専攻に対しては極めて大雑把に粗い科目設定しかできないという実運用上の理由もあるでしょう。古文漢文は「専門的な学問の内容」というよりは「専門的な学問のためのツール」として重要であるため、そういった古文漢文必要とする分野に進む「かもしれない」人材に対して、その学習要求するのはそんなにおかしなことではないように思います特に東大進学振り分け関係上、古文漢文必要とする分野に進む権利を認めているわけですから入試科目に設定していても何らおかしな話ではないでしょう。他の大学に関しては各校の方針または事情で設定したりしなかったりでしょう。実際のところ、当該分野を持たない大学では入学試験科目にしていなかったりすると思います(持っていてもしていないところもあるでしょうが)。

あと、反論として「大学に入ってからやればよい」という意見はある程度、首肯できます。ただ、それに対する再反論として「それだと時間が足りない」というものがあります。実際のところ、古文漢文必要となる大抵の場合において「ツール」でしかありませんから、それを学習することは主目的にならないのが大半のケースです。

このあたりが元増田認識のズレがあるところだと思います元増田が「おれは別に面白いとは思わなかったが、漢文出会い興味を持った学生古典研究者の道に進むことだってあるだろう。」と書いているように、古文漢文高等教育段階での必要性について実際よりも狭い範囲しか認識できないというのは高校生レベルではありうる話です。そういう視野の狭さに対して「入学試験科目」という強制力対処するというのは一つのやり方なのではないかなと思います

ちなみに古文漢文と同じような位置付けにあるにも関わらず、「大学に入ってからやればよい」という意見のとおりになっているのは、日本語英語以外の言語学習でしょう。これは東洋史西洋史・その他の地域史や文学思想などの研究には必要な「ツール」ですが、一般的には「大学に入ってからやる」ことになっています。ただ、これらの分野については本気でやるなら留学必要になってくるものなので、日本史日本文化研究の「本場」としての優先順位の違いとみなせるように思います

ちなみに個人的な話でいえば、古文漢文受験科目として勉強たことは結果的には時間無駄だったという認識を持っています個人的には増田意見には共感できます

2018-01-04

anond:20180104132743

必然性については感覚問題数学はもちろん人によっては英語ですら必然性を感じない人もいる。

日本高等教育を受ける人間に対し最低限の古典文学知識を求めることの妥当性が教育関係者、ひいて言えば高等教育を受けんと欲する学生感覚的に広く受け入れらているか現在センター試験の科目として残っている。この妥当性(必然性)の理解は、説明しようとすれば「文法知識を元に文章を読む論理的読解力を養う」「日本人としての必須教養」みたいな話になると思うが、数学必要性を問う人に「論理的思考力、問題解決能力養成」みたいな説明をしても理解されないのと同様、理解できない人には理解できない、感覚的な話になるということだ。

要するに日本大学で学んだ/学びたいという人に徒然草源氏物語に触れた経験がなかったら嫌だよねっていう感覚理解できるかどうかの問題かな。

https://anond.hatelabo.jp/20180104132743

東大院卒。なぜ日本国語の授業に古文漢文が入っているか教えてやろう。理由は、簡単にいえばディベートや作文の穴埋めだよ。

欧米国語の授業じゃ、ディベートや作文の授業がたくさんある。企業での報告書企画書の書き方とか、日本じゃ入社してから習うけど、向こうだと中高の国語の授業で習う。

日本じゃ、ディベートや作文の授業の割合を低くして、そのかわりに現代文文学鑑賞中心。そうすると国語の授業が文学鑑賞だけになっちゃうから古文漢文やらせて穴埋めしているのさ。

なんでそんなことしてるかって?国民ディベートや作文がうまくなると、政府批判がうまくなって、政府に歯向かうようになるからさ。

今の受験生にはピンとこないだろうけど、今から40年ぐらい前、1960年代には、そうやって知恵をつけた学生が実際に政府に歯向かおうとしたことがあったんだよ。それで、日本学生日本政府に対して起こしたテロ事件が多発したんだよ。

今はスマホ議論できるだろうけど、当時は通信手段新聞ラジオのような一方向のものしかなかったから、一人、政府批判うまいつがいそいつが一度、記事を書いたりラジオで話したりすれば、そいつの考えに一斉に皆が同調してしまう。

そういうのを防ぐために、論述とか作文の授業は、もちろん禁止はしないけど必修じゃないようにして、政府批判されないように制度を作ったんだよ。

そこで、穴埋めに使われたのが古文漢文

2018-01-03

anond:20180102180831

ところがどっこい、そういう自分が知ってる学問知識を知らない奴が、異性や上司取引先とのコミュ力には長けていてどんどん出世して結婚してそこそこ良い地位に就いたりもすることもある。

優劣の基準は非常に多い。いっくら歴史文学とかの役に立たない人文系知識豊富で俺は面白い奴と思っていても、ネクタイ背広で延々と金融や証券数字の話をするビジネスマンの前では、ただの童貞臭いお子ちゃましか見なされないこともある。

2018-01-02

anond:20180102165925

黒人は実際に差別されてきた歴史があり、実際今だって差別はなくなっていない。日本人自分としては肌の色なんかに優劣はないし黒塗りを問題だと感じていなくても、世界認識あるいは建前としては黒塗りは差別だと判断されうるだろうということは容易に理解出来るという話かな。

雑に黒く塗りたくって面白おかし変装することによって、これが黒人なんだといって笑いを取る文脈個人的にはかなり相手侮辱してると思うし、それを差別だと受けとる黒人がいるのはべつにそんなに不思議なことでもないと思う。もちろん何も感じない黒人もいるだろうけど、一方で差別だと受け取る黒人もそれなりの数いるだろうということも当然予想ができる。

肌の色というのは黒人白人黄色人種わず生来染みついているものなので、簡単に洗い落とせる安物の塗料かなんかで雑に真似てみせるっていう行為は軽薄だと思うし、あまりリスペクトを感じないかな。雑な黒塗りをして、それを見て笑ってくださいって文脈では、黒い肌を持つひとたちが自分たちの背負ってきた歴史を軽いものだと揶揄侮辱されたと受け取るのは十分理解出来る。まあだから個人的には黒人感情忖度して、彼らが嫌がることはやるべきじゃないという態度を取るかな。なんというか、生まれ持ったものを笑い物にされるのはとても悲しいし屈辱的だし理不尽だと思う。自分はそんなことはしたくない。

ただし、文学でも芸術でもエンターテインメントでも差別的表現などは出てくるものだし、覚悟があって表現者としての信念を貫いてやってるんだというのであれば、どうぞという感じでもある。絶対的禁忌というわけでもない。ただ、絶対的禁忌というわけでもないというだけで、当然それで批判もうける。黒塗りをしてこれが黒人だぞ笑ってくれという表現をしても、「これは差別じゃない」「肌の色には優劣はない」「黒がダメというのはそいつが黒いものを下に見ているからだ」という主張があるなら、堂々とすればいいんじゃないかな。ただしその主張もかならず世間に受け入れられるというわけではなく、批判されたりもする。

でもとにかく現実問題として、黒人モノマネ(笑い物にする意図)として顔を黒塗りするということは、一部の黒人侮蔑的差別的だと解釈される可能性があるということ。それを分かった上でも、これは差別じゃないからといって黒塗りしたいなら自分責任でやってればいいんじゃないかな。

2017-12-30

anond:20171230194553

日本人有利な領域なんだから優先されるのは仕方ないでしょう。

それこそラテン文学なんか、大学で興味ある人だけで何ら問題ないじゃん。

2017-12-29

62: 名無しのひみつ 2017/12/27(水) 08:40:27.87 ID:J+p84EDQ

「お前は見られている」が宗教

「見られていなくても」が道徳

「どう見ているか」が哲学

「見えているものは何か」が科学

「見えていたものは何だったか」が史学

「見えるようにする」のが数学

「見ることが出来たら」が文学

「見えている事にする」のが統計学

「見られると安定する」のが絶縁体と変態

2017-12-28

童貞というかそもそも言うほど恋愛したくない

30代童貞だけど、なんかよく「童貞であせりまくって恋愛できないのが怖い」という文章見るが、

あれが理解できないんだよなあ

というかそもそも恋愛なんてそんなしたいものなの?って思ってしま

恋愛したいという欲が起きないんだよね

から童貞文学(笑)とかで恋愛できない悲哀、みたいな童貞マインド、とか言うのにくだらねぇ~と思ってしまうんだよな

これって少数派な考えかなあ?

いや、昨今の成年童貞が増えてるのはこういう考えが増えてる、ってのもあるとは思う。

単純に「童貞恋愛できない→悲哀」という三段論法首をかしげる、という感じ

anond:20171227085551

バッドエンドはシリアスなのでしょうか?そこに疑問を抱きました。

serious とは

https://dictionary.goo.ne.jp/word/en/serious/#ej-75884

フィクションにおけるシリアスとは下記のことではないでしょうか?

2 〈文学演劇音楽などが〉(内容において)堅い,まじめな,深く[深刻に]考えさせる,シリアスな;〈作家などが〉堅いものを書く[扱う](⇔light);〈学問研究などが〉本格的な;((米俗)) まじめな印象を与える,体制に順応した

これを見ると、ハッピーエンドでもシリアスとか、バッドエンドだがシリアスではないという事も有りうると思います

私が感じた例ですと、工画堂スタジオ白衣恋愛症候群というゲームです。

このゲームはバッドエンドが衝撃的なことで有名です。

しかし、バッドエンドではどうも物語が繋がっていない・・つまり無理矢理だと思います

雰囲気は重いけど、その内容は取って付けた軽いものというべきでしょうか。

2ちゃんねる書き込みに、「バッドエンドは物語整合性をとることよりもプレイヤーを驚かすことを優先したのだろうと思う」というような内容の書き込みがありました。

これこそ私が言いたかった事だと感じました。

結局、ハッピーエンドやバッドエンドを初めから求める事が奇妙であって、エンディングは(1)作風合致し、(2)物語整合性がある、(3)多少はリアリティがある事が大事だと思います

白衣恋愛症候群自体は好きです。しかし、強引につけた落とし穴的バッドエンドなら初めから存在しない方がマシです。

2017-12-27

文章が非常に読みづらかったのでhagex氏を見習って朱を入れてみた

いつも未来に驚かされていたい:『WIRED日本版プリント刊行休止に関するお知らせ

コンデナスト・ジャパンが発行する雑誌WIRED日本版は、2017年12月9日発行のVOL.30を最後に、刊行を休止いたします。読者の皆さま、定期購読者の皆さまへ、編集長若林から休刊と退任のご案内です。

──『WIRED日本版プリント版はどうなるのでしょうか?

少なくとも2018年3月発売号は刊行いたしません。その時点で定期購読も終了し、定期購読いただいている読者の皆さまにはは返金させていただきます。現時点では、プリント版の継続については白紙となっています

──なぜ休刊するのでしょうか。

ぼくが編集長を退任することになったからです。

──退任されるんですね!なぜ編集長の交代ではなく、休刊なのでしょうか?

会社判断です。

──編集長を退任する理由は?

ぼくが短気を起こしました。

──短気を起こして編集長を辞めるなんて……。

ぼくは子どものころから癇癪(かんしゃく)もちで、40歳を超えたあたりから、その沸点がどんどん低くなってきて。とはいっても、クオリティについて真剣に考えると怒らないわけにはいかない。相手が誰であれ。そうしたら、なぜか最近、やたらと「アンガーマネジメント」に関するメールが来るようになりました(笑)

──40歳を超えて短気というのも困りものですね。

この間「おっさんの話」というテーマウェブ記事に書いたんですが、あの半分は自分の話です(笑)

──いきなり休刊とは、急な話ですね。

外資会社ですから契約が切れる5営業日前に通達があって、休刊が決まりました。とはいえ、プリント版の一時休止と定期購読の停止については、なるべく早く読者の皆さんにアナウンスしなければならないので、急いでこの原稿を作ることになったんです。「最後おつとめ」ですね。

【一周した感じ】

──最終号はちょうど30号できりがいいように感じますね。

ぼくが編集長として携わったのは、30号のうち実質28号分ですね。結果としては良い区切りだったのかもしれません。最後特集は「アイデンティティ」で、自分の役目はおしまいです。特にこの2年くらいは、特集がそれぞれ単体として存在するというよりは、「一連の流れ」のようになっていて、どんどん深みにハマっている感じはありましたし、途中からは『WIRED』のテーマであるはずのテクノロジー話題ですらなくなってきていましたし(苦笑)。

──確かにアイデンティティ」という特集デッドエンドのような趣があります

そう設計したというよりは、どんぶらこと流れに乗っていたら流れ着いてしまったという感じなんですけどね。

──次号以降の特集ラインアップなどは既に決まっていたんですか?

もちろんやりたいことはいっぱいありました。次号は「発注」というテーマでやろうとしていましたし、その後は「ロボット」「物流」「ニュー・アナログ」というテーマプロットはしていました。あと、2017年に「アフリカ特集でやったようなことを、コーカサス地方に置き換えてやれないかな、と。

──突然「コーカサス」ですか?

他にはアルメニアジョージアアゼルバイジャンなどですね。テクノロジー面でも進んでいると聞きますし、地政学的にも面白いエリアから、取り上げたいと思っていました。

──雑誌としては売れ行きがよくなさそうな特集ですね(苦笑)。

そうですか? 定期購読も順調に増えてきていましたし、広告もうまく回り始めて、全体としてビジネスのものはかなり好調になっていたんです。

──新事業にも取り組んでいたように思います

2017年から本格的に始めた旅のプログラムWIRED Real World」というものがあるんですが、これは本当に面白いんですよ。参加してくれるお客さまも面白い。お客さま同士で新たなプロジェクトが生まれたり、参加してくれた方々からお仕事をいただくようになったり。かなりグルーヴ感がありました。それをちゃんと育て上げられずに終わるのは、残念といえば残念です。そういう面白い人たちと一緒にコーカサスに行ったらきっと面白くなると思っていたんですけどね。とはいコミュニティは残るので、継続してみんなでわいわいやれるといいなと思っています

──コンサルティングスクール運営していましたね。

はい。どの事業もお客さまは本当に面白い方ばかりでした。そういう方々のために、結構苦労してノウハウを積み重ねて、やっとビジネスとしても芽が出るところでしたね。毎年秋に実施していた「WIREDカンファレンス」も、年々企画の精度が上がっていて、自分で言うのもなんですが、2017年は驚くくらい面白い内容にできたんです。

──ただ、いわゆる「テックイノベーションからは外れている感じですよね。

周りから唐突に見えたかもしれませんね。そうはいっても、「注目のスタートアップ情報」などを最初から重点的に掲載してきたわけではありません。「死」「ことば」などの切り口は継続して存在していましたし。

──そうですね。

その上、ある時期からスタートアップわっしょい!」のような気分も収束し始めて、面白い話も大して出てこなくなってきていたと思いますシリコンバレートランプ米大統領就任以降、完全に逆風を受けてしまっているし、AI自律走行車などの話も、いよいよ実装の段階になってくると、完全に政治法律の話になってしまうので。

──それで飽きてしまったということでしょうか?

そうではなくて、時代が大きくまた変わろうとしているということだと思います。おそらく『WIRED』の発行元であるアメリカのコンデナストを見てみても、時代フロントラインにいるのは『Teen Vogue』なんですよね。LGBTQメディア『them.』がローンチされたり、『Vogue』が『VICE』と組んだり。それ以外でも、「アイデンティティ特集でも紹介した『Refinery29』のようなファッションカルチャーメディアが旧来のメディアエスタブリッシュメントを圧して、新しい言論空間になり始めているという、面白い状況にあります

──なるほど。

デジタルイノベーションデジタルメディアのダウンサイドが明らかになってきた中で、それを突破するために必要なのは、やっぱり新しいカルチャーをどう作っていくのか、という話じゃないかと。そういう意味でいうと、結局いま面白いのってインディーズブランドミュージシャンクリエイター同士のオーガニックなつながりみたいなことだったりするわけです。技術がどうこうという話だけではどこにも行かない、という感じが、もうここ3年くらいずっとありますね。

──AIだ、ロボットだ、ブロックチェーンだ、VRだって、だいぶ前から要件は出揃っていて、それではそこからどうするのか?という感じでしょうか。

そう思いませんか?

──何かが一周した感じはあります

2017年は、SXSWTwitterが「アプリ大賞」を取ってからちょうど10年目です。その間、いろいろな期待、それこそアラブの春や、日本でも東日本大震災を経て、デジタルテクノロジーによって民主化された「よりよい世界」が夢見られてきたわけですが、そう簡単世界は変わりません。むしろ、新しい困難が出てきてしまった。しかもそれは、テックでは解決できない困難だということも明らかになってきています。問い自体が、より複雑な人文的なものになってきているから、哲学アートファッション音楽文学などは、いまの時代本当に大事だと思うんです。

──『WIRED』では「テクノロジーだ」「未来だ」と取り上げていませんでしたか

でも、そう言ってきたのと同じ分、「テクノロジー」という言葉も「未来」という言葉も好きじゃないということも言ってきたつもりです。「未来」というコンセプト自体が、いか20世紀的なものか、ということについてもずいぶん語ってきました。

──それは冗談だと受け止められていたんじゃないでしょうか?

変な言い方になりますが、「未来」というもの捉え方を変えることでしか、新しい未来は見えてこない。それが、端的に言うと『WIRED』で考えようとしてきたことだったはずだったんです。

──お疲れ様でした。

anond:20171227190811

あんリアル歌詞じゃないっぽいんだが

作詞作曲者の窪田聡は、1954年昭和29年)に開成高校卒業した後、合格していた大学に進学せず、文学を志して家出埼玉県うたごえ運動の中心として活動した。

この歌は1956年昭和31年)窪田二十歳の時に発表されたもので、家出当時、次兄を通じて居所を知った母から届いた小包の思い出や、戦時中疎開していた長野県長野市の旧信州新町地区の情景を歌詞にしたものとされる。

ポモで埋まった異世界生活

https://twitter.com/shinkai35/status/945771033696509952 へのリプライです。書くところが無いので、ここに書きます。この話は全てフィクションで、実在人物組織には一切関係ありません。

1.ブラウン管に広がる世界

その日、文筆家しんかいはPCから出るピピピ・・・と言う異音で目を覚ました。翌日が休日である事に安心しきって、ついついツイッターリツイートされてきたポストモダニスト著作いかおかしい話であるかを語っていたはずなのだが、顔にキーボードの模様をつける結果となっている。実感は沸かないが寄る年瀬には勝てない。相対主義が何を主張しようが、ヒトにはその限界がある。そんな事を思いながら、テレビスイッチを入れようとしたとき、しんかい異変に気づいた。

部屋に置いてあるそれは、平面的で画面が大きな液晶テレビではなく、画面は小さいが奥行きのある立方体、昔懐かしいブラウン管のもので、ダイアル式のスイッチチャンネル選択するそれだ。電源のオン/オフ金属トグルスイッチがついており、もしかしたら産まれから実際に目にしたテレビの中でもっとも古いものかも知れない。背面から出て壁につながっているテレビ線のコード同軸ケーブルではなく、平たいプラスチックの両端に二本の細い線があるものだ。もう平成も終わろうとしているのに昭和過ぎる。が、昭和であってもテレビの裏の埃は変わらない。くしゃみが出てきた。

パチンと電源を入れる。ヴォンと音を立てた後、数秒の間を置いて粗い絵が映し出された。4Kや8Kのテレビ宣伝をみるたびに、もう走査線の本数を向上させてもと思うが、いやおう無しにでもその重要性を認識せざるを得ない絵だ。北朝鮮テレビよりひどい。2017年12月27日、朝7時のニュースが始まった。アナウンサーの「おはようございます」は、普段通りの番組だが、他は普段通りとは言い難いものであった。見慣れたコンピュータグラフィックス今日見出しが、アナウンサーの横の黒板に置き換えられている。ボードですらない。何より、国家放送第一と言っている。

しんかいチャンネルを回してみた。チャンネルはかくんと90度づつ回転し、四つしかチャンネルが無いことがわかる。ぐるっと一回転させる。四つあるチャンネルのうち、一つは白黒の画素が激しく入れ替わるノイズが流れていたが、三つは使われていた。国家放送第二、国家放送第三、ノイズ最初国家放送第一。どうやら、国家放送しかないようだ。第二はこの時間帯なのに正しい文学について解説し、第三は老人が正しい体操実践している。しんかいは、この時点でテレビ登場人物全員が、カーキ色の上着を着ており、一列に並んだ大きめのボタンをきっちり留めていることに気づいた。

チャンネル国家放送第一に戻す。国民服のようなものを着たアナウンサーが読み上げるのは交通事故気象情報と言うところは、公共放送ニュース番組と同じだ。しかし、一つ一つについて解説を丁寧に与えていく。しばらく唖然としながら番組を見つめ、思わず「何だ?」とツイートした。ニュース解説があるだけであったら、驚かなかったかも知れない。しかし、先々月の災害被災者感情を、微分可能多様体と言う単語を持ち出して説明しようとしている。そう、ポストモダンだ。ポストモダンについては日本有数の知識を有すると自認しているが、寒気についてのポストモダン解釈は初めて聞く。

はっきり認識はできているが、全く理解ができない状況。自らの視覚聴覚を信じることができない。思わず、「テレビポストモダンになっている」となっているとツイッターに書き込む。「え、愛知だけでは?」「柄谷行人が死んだりでもした?」「ポストモダンに“なる”はおかしいだろう」とリプライが返って来る。誰もこのポモな国家放送を観てはいないようだ。ブラウザーポータルサイトニュースを見ても、特段、テレビ放送に関するものはない。ツイッターフェイスブック検索でも、しんかいと同じものを見ている人はいないようだ。

このブラウン管テレビけが、ポモな国家放送を流しているのであろうか。アンテナ線は壁につながっているが、これはモックなのであろうか。手の込んだ悪戯しか考えられない状況ではあるのだが、手の込みすぎたところが気になった。目の疲れを感じる。気づくと一時間国家放送を観ているのだが、同じ内容が繰り返し放送されているわけではない。チャンネルは三つ。ブラウン管テレビ昭和風ではあるが、チャンネルスイッチは特製だ。粗雑な出来とは言え、かなりの労力だ。現実とも夢とも断言できない。

しんかいは電器店にいって、他のテレビを観ることに決めた。冷静に考えればテレビを摩り替えられたとしか思えないわけで、窃盗警察に届出を行なうべきだが、この国家放送が持つリアリティがそれを躊躇わせた。無理な体勢で寝てしまったので二度寝の誘惑もあるが、“ブラウン”管からの一つの連想が心をざわめかしていた。ブラウン管発明者はフェルディナントだが、ポストモダン思想批判者にも有名なブラウンジェームズロバートブラウンがいる。

著作「なぜ科学を語ってすれ違うのか」でブラウンは、国家などの社会的構築物が必然ではなく、人々の考えの偶発的な結果によるものと考えると、社会が人々の考えを統制しだしてファシスト国家に陥る危険性を指摘していた。また、ポストモダン科学方法への懐疑は、科学の進展を阻害し、技術進歩を阻害する事になる。つまりブラウン管に映し出される世界徹頭徹尾ポストモダン支配された世界と言える。

ポモの危険性を指摘してきたしんかいにとっては悪夢しか言いようが無いのだが、しんかいは心踊っている自分自覚していた。日常からにじみ出る不穏な世界兆候アニメでは親しんだ別世界がそこにある。「けものフレンズ」は好物だ。このときしんかいは、柄谷行人の『日本近代文学の起源』の結核の話をすっかり忘却していた。ポストモダン思想支配された世界であれば、繁華街の電器店がいか危険場所であるかは、最もしんかい理解しているはずであるのにである

2.服装以外は昭和40年

テレビに見入っていたので気づかなかったが、家を出る前に、アパートの部屋が狭くなっている事に気づいた。振り返れば玄関が見える狭さなので迷子にはならないが、間取りも見覚えが無い。六畳一間と台所、バストイレ付きではあるが、便器和式である。昨夜、帰宅する家を間違えたのであろうか。しんかい映画パトレイバー the Movie」の帆場のアパートしか、似たような物件を見たことが無い。

机の上のPCの下には、書きかけの原稿用紙が散らばっていた。題は「科学のためのポストモダン思想からの脱却」とある。見覚えのある字ではあるが、自分のものを含めて久しく手書き文字を読んでいないので、誰のものかは思い出せない。大判封筒も置いてある。宛名は、自分であった。送り主は「鈴木幸子」とある。中はゲラ刷りで、赤が入っていた。出先で原稿を読もうと封筒を手に取る。

ポストが大きい金属製の重い扉をあけると、アパートの外側の廊下に出た。二階だ。表札は確かに自分名前が書かれている。鍵がないので施錠できないがやむを得ない。ところでここは一体どこなのか。スマートホンを出して地図アプリ位置検索をかける。すぐに「こんな所でスマホが使えるわけが・・・」と思うが、現在位置はあっさり示された。GPSの電波は届いている。インターネットも使えた。自分場所が異世界なのか、そうでないのか、明らかになってきた状況を元にしても判断が出来ない。

かなりの資力が必要になるが、古いアパートの部屋に自分を押し込む事は可能だ。しかし、衛星測位システム電波までは防ぐ事ができなかったのであろう。聖戦士ダンバイン以来、主人公が異世界に飛ばされる娯楽作品に親しんできたしんかいは、密かに期待した状況が否定されて落胆する。まだ十分な確信が持てないが、これは壮大な仕掛けの悪戯だ。街の中心部に向かえばはっきりするであろう。しんかいは、金属の音を響かせながら階段を降りていった。

5分後、しんかい自分が異世界にいる事を確信した。悪戯とすれば、神の仕業であろう。スマホ地図アプリ位置情報は機能していたが、道路の舗装が汚く、空気が汚れていて、高いビルが無いので空が見上げやすい。そして、旅行先でしかたことが無い路面電車が走っていた。しんかいの知る名古屋市には市電が無い。しかし、ベージュと赤と緑のカラーリング路面電車が走っている。地図アプリ位置情報は、間違いなく名古屋だ。

道を歩く人々の服装は、男性国家放送局アナウンサーが着ていた国民服女性もんぺ姿である。しんかいは人々が自分凝視するのが気になって仕方が無かった。しんかいの格好はPコートチノパンである。この世界では明らかに浮いている。この恥ずかしさをツイートして紛らわせたい衝動に駆られたが、文章だけでは何を書いても気がおかしくなったと思われるであろう。国民服もんぺ女性市電が映った写真を撮って、「ここはどこ?」とつけてアップロードをした。「戦時中名古屋市」とリプライがつく。

戦時中なのであろうか。朝のニュースではそのような事は一切言っていなかったし、テレビ戦後で、カラー化は高度成長期最中だ。昭和40年代ぐらいが相場に思える。状況を把握するために、一日中テレビを観ていた方が良かったかも知れない。古くて小さな家電店が目に付く。中に入ると、期待通りテレビが置いてあり、放送を見ることが出来た。店主は商売っ気の無い老人で、都合が良いことに客に関心がないようであった。テレビ出演者は全員、国民服もんぺであり、ドラマですらそうであった。アパートの部屋のテレビけがおかしいと言うのは否定された。

しばらくテレビに見入っていたが、空腹を感じてきた。何かを食べたいと思うが、この世界食事をとる方法が思いつかない。飲食店はあるようだが、市電で使われている硬貨は見かけないものだった。この世界で使える金を持ち合わせていない。このままでは行き倒れ、帰宅をしても孤独死になってしまう。途方に暮れたところで、家電店に若い痩せた男が入ってきた。肌が白い。「単一電池・・・」と言ったところで、ゴホゴホと口を押さえて倒れこむ。指の隙間から見える、鮮血。小説の中でしか知らないが、即座に結核と言う単語が思いつく。店主は男の様子を気にせず、「ろうがいかい。向かいの店のホメオパシーが効くよ」と電池を出してくる。これは、不味い。

しんかいは、危機を感じて慌てて電器店の外に出た。ドンと人とぶつかる。「ごらぁ、前を見て歩け!」と旭日章のついた帽子かぶってサーベルをつけたおっさん、明らかに警官に怒鳴られる。反射的に「すいません」と謝るが、警官はしんかいを上から下まで舐めるように見ると、「おまいさん、なんちゅー格好をしている。ちょっと署まで来い。三日はぶち込んでやる」と言い出した。その瞬間、中で物が落ちて割れる音がした。「お客さん、ちょっと、しっかり」と言う店主の声がする。警官はそちらが気になったのか、店の中に入った。

しんかいは、その隙を見逃さず走り出した。一瞬「逮捕されれば食事は出るかも知れない」とも思ったが、この体制国家的な異世界では逮捕されれば拷問を受ける可能性もある。どこにも行く宛てが無いと言うわけでもない。持って来た封筒の裏側には、住所が書いてあった。何者かは分からないが、「鈴木幸子」を頼る事にしよう。少なくとも、この世界のしかいを知っている人物である事は確かだ。

2017-12-26

アマチュア文学の悲哀

カクヨムができたとき、私は真っ先に文学カテゴリ作品を読んだ。

いくつかの上手くて面白い作品出会えたが、それらの作品にはどうも垢抜けないところがあって、

プロ作家に比べて物足りなく感じられた。

 

文学書き手たちは、出版化を勝ち取ったラノベもどき書き手たちよりもあきらかに実力がある。

それでも文学ジャンル要求水準に達してしないため、彼らは日の目を見ることができない。

凡人にも才人にもなれない人の不幸が、そこにはある。

2017-12-24

俺の好きな場所が次々と日本凄いポルノ汚染されていく

もうダメだ。

どこもかしこ日本凄いポルノの魅力に抗えないんだ。

それと巨乳凄いポルノっていうのも厄介だ。

ストロングゼロ文学ポルノにはまる奴らもいる。

どいつもこいつもお手軽に承認されたくてお手軽に承認されることだけを目的としたポルノに手を出しやがる。

きっと人間関係根底にあるのはポルノなんだ。

他人と関わりたいという感情根底にあるのはお手軽に自分存在価値確認したいというポルノなんだ。

雑談ポルノなんだ。

薄汚い。

2017-12-22

ネット上で有名になりたければ私小説を書きなさい

あ? 私小説? どうせ、実生活体験の幅が狭い作家が、どうでもいい身辺雑記を延々と書いた文学のことだろ? くっだらねぇ。

というふうに自分は思っていた。

で、私小説をいくつか読んでみた。

食わず嫌いの先入見は、まちがいだった。

私小説面白い

下手なエンタテインメント小説より、全然面白い

なにが面白いか。

私小説は、主人公馬鹿で、下衆で、これでもか、これでもかというほどに生活がどんどん下降していくさまが、ある種爽快なほど露悪的に書いてあること、

そしてこれが事実であるかもしれないという期待を読者に抱かせながら、虚実入り混ぜて物語が展開されること、

ではないかと思う。

主人公失業して貧困に陥ったり、男女関係で泥沼にはまったり、酔っ払って人に迷惑をかけ、誰から相手にされなくなっていくごとに、読んでいる側としては、変なカタルシスを感じてしまうというか。

で、ネット上で有名になって、お金も欲しいという人は、もっと私小説的な文章を発表してけばいいと思う。

ネット上で炎上してきた(している)話題は、当事者主人公にして、私小説仕立てにしてみると、もっと面白くなりそうなものばかりだ。



ネット上の有名人が、ネット以外でブレイクすることを妨げているのは、彼ら(彼女ら)が、小賢しいことだ。

小賢しいとは、自分の失敗や品性の低さを指摘されると、取り繕ったり、反論したりして、自分を分相応以上に賢く見せようとするということだ。

こうすることにより、彼ら(彼女ら)は、いっそう小者に見えてしまう。

まりコンテンツとしてつまらないものに見えてしまう。

コンテンツとして自分価値を最大化したければ、大正昭和私小説作家のように、あるいは現代西村賢太のように、卑小さを卑小さのままに、破綻破綻のままに描き出し、そのことから生じる業を生きるほうが、じつは戦略としては賢いかもしれないのだ。

私小説は儲からないのだろうか。

では、私小説芥川賞を取った西村賢太の近作を見てみよう。

サッパリ自著は売れないながらも、昨年の彼の税務署への申告額は、小説関連の収入と、作家肩書あっての各種アルバイトで、それでもx千x百万円になっていた。汚ねえ身なりをしているからと云って、そう容易く浮浪者を見る目で眺めて欲しくはないのである

(「芝公園六角堂跡」)




これをフィクションと受け取るかどうかは、読者次第だろう。

炎上芸人炎上芸人のままで終わる必要はない。もっとコンテンツとしてのポテンシャルがある。金銭的に報われる可能性がある。自分人生コンテンツとし続けることの業を生き続けるだけの覚悟があれば。

おすすめ私小説


葛西善藏 『浮浪』

http://www.aozora.gr.jp/cards/000984/card3212.html

「近所の借金がうるさくて仕様が無いので、どこかに行つて書いて来るつもりだ。……大洗の方へでも行かうと思ふ」と言い残して主人公東京を出て茨城に行き、知人のつてを頼って旅館に逗留するが、そもそも宿代を持ってきていない。知人が何とか融通してくれるだろうと最初から当て込みながら、居座る。

知人は当然のことながら激昂し、旅館からは宿代をつけにしたまま追い出される。

有り金がないまま次々と宿を変えながら茨城をさまよう話なのだが、最初はちゃんとした旅館だったのに、しだいに宿のグレードが下がっていって、最後ドヤ街の宿のような木賃宿で弟の送金を待ちながら、身につけたものをどんどん質に入れて裸になっていくところが笑える。

嘉村磯多 『途上』

http://www.aozora.gr.jp/cards/000249/card49655.html

馬鹿不細工貧乏であることに強い劣等感を持っている主人公中学時代を描いた作品。恥ずかしい過去を思い出して悶絶するときのシーンはとくに秀逸。

「あツ、あツ」と、私は奇妙な叫び声を発して下腹を抑へた。両手の十本の指を宙に拡げて机の前で暴れ騒いだ。

「何を気狂ひの真似をなさるんです。えイ、そんな気狂ひの真似する人わたし大嫌ひ」


私淑していた葛西善藏の気狂いっぷりを書いた『足相撲』もあわせて読みたい

http://www.aozora.gr.jp/cards/000249/card1337.html


西村賢太 『蠕動で渉れ、汚泥の川を』 『(やまいだれ)の歌』

ミハイル・バフチンカーニバル文学と読んだドストエフスキー作品のように、これ以上ないほど気まずく不謹慎破綻の場面を職人的な巧みさで書ききるようになった著者の近年の作品はすべて必読。

anond:20171222212848

君の答えは文学哲学世界にあるよ。

地獄への道は善意で舗装されているのよ。

いらっしゃい正さがない世界へ。相対化の極北へ。

……なるほど

個人的には、童貞問題ってまだ解決していなかったのか、と少し感慨深くなってしまった

 

単なる個人的見解だが、要するに、童貞問題というのは、オールミス問題に近いのではないだろうか

まり、「異性に対して縁が無い(故に、性的魅力が無い)」というからかい方かなと思う

 

無論、「自分意志童貞を貫いている」あるいは、「自分意志結婚しない」という人が多数いるとしても、世間の目には一般論としてそう映る、という話だ

 

他にも例えば、男性が「ジジイ」と言われるよりも、女性が「ババア」と言われる方が辛いと思う

これもまた一般論として、男性場合、力を持っていれば女性は集まってくるが、女性場合若さ性的魅力と結びついていることが否定しづらく、個人的にも言うべきで無い言葉だと思う(はあちゅうさんも「ババア」と言われたら、結構グサリとくるのではないかと思う)

 

ただ、一方、そういう差別問題というか格差問題というかグサリと来る現実を描いていくのが、文学でもある

 

名作「赤毛のアン」にしても、マシュウマリラの兄妹のように、高齢童貞問題オールミス問題も入っている訳だが、それでも、後味が悪くない、というか、非常に爽やかな作品

 

では「問題は何か?」と言ったら、「悪い大人」というか、「大人がいない」ということなのかも知れない

米国がまだ日本より大人の部分があるとすれば、例えば、映画40歳の童貞男」では、当然、40歳童貞の男がからかい対象になる訳だが、それでも周りの人間は何とか「一人前にしてやろうと(この表現議論が分かれるのは分かるが、これも社会的一般論として考えて頂きたいが)」、その男応援する、だから後味は悪くない

多少、足りない部分があるとしても、許容し、何とか社会的に一人前に育てようとする社会機能している、という話だ

(これも一般論だが、そうしないと、社会は存続できない訳だが……なので、現代日本社会は「非常に存続の危機に瀕している」と個人的には思う)

 

日本場合童貞問題が立ち上がると、それを商売にする大人が出てきたりするのは良いのだが、後味が非常に悪い

童貞達は利用されるだけ利用され、食い物にされて、いつの間にか話題に上がらなくなる、つまり使い捨てられる

もちろん、童貞問題だけではなく、セクハラ問題も、むしろ問題だけですらなく、ギャル言動ネット議論ですら、広告として消費され、全てが無意味化していく訳だが

(所で、そう言えば、シリコンバレーセクハラ問題を取り上げたハリウッド映画って作られてないな)

というか、早稲田慶応電通マスコミ業界、大体の問題の根源はある程度は推測はつくのではないか

 

そして、「大人がいない、大人がいない」と言うが、「ではあなたはちゃんと大人をやっているのか?(20歳を過ぎたら一応、大人のはずだが)」ということにもなる

教育が悪い」「団塊世代が悪い」みたいな指摘も出来るだろうが、誰もあなたをそうした責任を取ってくれない

結局、自分でやるしかないのでは?と単純に思う訳だが

2017-12-19

しろ今は一周回ってわかりやすいのがすべてって言ってる文学気取り多いよ

そこで評価するやつって例外なくバカだと思うけど

anond:20171218183242

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