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はてなキーワード: 文学とは

2018-06-24

ある短編が忘れられない

小学生の頃に父の寝床にあったミステリ短編アンソロジーひとつ

小学生の頃にはこれに恐怖しながら頁を繰っていたものだが、そんな感性を持っていれば読書は楽しくて仕方ないだろうと思う。

作者もタイトルも覚えてないので、もう二度と会えない作品でもある。

今読んでも、作品のアラを見つけてしまうだろう。

ネタバレも糞もないけど以下あらすじ。詳細はたぶん色々と違ってるはず。

ある文学新人賞をある大学文学部に通う女子大生が受賞した。

ビジュアルのよい若い女性である事もあってマスコミは色めき立ち、連日週刊誌ワイドショーで引っ張りだことなる。

当人キャラクターと裏腹に作品の内容は重く暗いものだたが、選考委員を唸らせるだけの内容のあるものだった。

狂言回し編集者マスコミに出る女子大生の軽い言動作品乖離違和感を覚える。

一方、彼女が写ってる写真取材映像で高頻度である男が背景に写り込んでいる事に気付く。

そんな事をしているうちに、彼女は受賞後第二作を発表、これも受賞作ほどではないが高い評価を得る。

このペースで内容の伴う作品連続で書くのはベテランでも無理だろう、

何かあると調べて行くと、文藝マニアの知人が、彼女の二作品戦後まもない頃にデビューして注目されつつも病か何かですぐに姿を消したある新進作家作品との類似点に気付く。

その作家デビュー作はそれなりに注目されたため巻頭で近影が掲載されたが、その顔は彼女の背景に写り込んでいる男の顔そのものだった。

そこに辿り着いた時点で、彼女交通事故に遭い意識不明の重体とのニュースが飛び込んできた。出版社に第三作の一部を届けに行く途中の事故だった。

同僚の担当編集と共に彼女搬送された病院に行き、ICU前で彼女家族から聞いたその作品の内容は前二作と文体も内容もかけ離れたものだった。

「ある文学部に通う女子大生が授業のレポートで、何の気なしに戦後の頃のあまり知られてない作家を取り上げてみる事にした。

それから暫くしたある日、彼女の元に差出人不明手書きの古びた原稿用紙の束が届く。どうやら文芸作品のようだ。

原稿と一緒に「これを世に出して欲しい」とのメッセージも入っていた。訝しんだが文芸方面で名のある出版社投稿すると、その女子大生の素性も相まって大々的に売り出される事になった。

そこからしばらく、差出人不明で礼を述べる手紙等が届き、次に発表する用の原稿も届く。

しかし、彼女とその送り主との良い関係は長くは続かなかった。

女子大生世間からちやほやされて浮かれてたが、送り主からメディアに出過ぎるな」「露出を控えろ、喋り過ぎるな」と警告されるようになる。

彼女は常に監視されている事に恐怖を覚え、この事を世間に発表しようとする。」

話はその書き掛けで止まっていた。

これは恐らく、志半ばで倒れたある作家復讐なのだろう。

そんな事を編集者たちが考えていると、ICUの扉が開き、そして告げられた。

彼女が息を引き取りました」

2018-06-23

中身がないものをあるように見せるのが技術

ミステリ絵画も歌も文学も全部ウソ書いてるだけじゃん。

嘘をどれだけ上手に見せるかが腕の差じゃん。

ジェンダーがらみでなんで炎上するのかわからないし自分やらかし

ここではリスク回避の話だけをします。あなたが内心どう思っていようが関係ありません。

女性蔑視だろうが男性蔑視だろうがなんだろうが、そういったもの矯正啓蒙しようというのは時間と労力の無駄です。省力化していきましょう。

しかし何が問題となりうるかを把握する必要はあります

危ない話題:性

性、特に女性にまつわる話題は悪気がなくとも燃えやすいです。実際に女性にチェックしてもらってその人からOKをもらったとしても燃えますし、事前にチェックしてもらって問題ないとのコメントを得たといっても火に油です。

そんな理不尽な、とお思いかもしれませんが、発言小町で「年収」というワードを出したら「私の夫の年収は〜」といった文脈でなくとも炎上不可避なのと同じです。そういうものなので仕方ありません。

よほどうまくやる自信がない限り触れるべきではありません。

いっぽう男性については言いたい放題に見えるかもしれません。旦那がどうこう、男はおごるべき、年収家事イクメンがと好き放題言ってるように見えていることでしょうし、それで炎上というのもあまり馴染みがありません。

これもそういうものなので仕方ない、と言いたいところですが、ワイドショー(平日昼に放映しているテレビ番組一種)でそのようなノリが定着しているがために、その空気を引きずった場所ではなんとなく許容されているだけに過ぎません。

男性話題についてもまったく安全だというわけではありませんので避けたほうが無難です。

危ない話題人種国籍など

から差別といえば人種、それも黒人というのは常識といってもいいくらい広く知られています

これが拡張されるというか、より広範囲になって、今では自分以外の国籍人種について語るのも危険度が増しています不用意に外国人の話などをするのはよしましょう。

ありがちな例としては「日本語がカタコトでかわいい」といった発言がありますが、これはかなりの危険を孕んでいます。少なくとも公の場ではこういった発言を控えるべきです。

危険話題全体主義的なもの感想を結びつける

少しふわっとしていますが、いわゆる「主語が大きい」とされるやつです。例えばこれと性の話題が結びついて「男性共感力に劣る」といった発言をすると、たとえ自虐であろうと炎上危険度が倍加します。

自虐なら主語自分しましょう。「僕は共感力が低いので云々」のようなものであれば、「男性」の話題ではなく「あなた」の話題なので、燃料になるものがないので燃えようがありません。

重要なこととして、たとえ否定的でないことであっても主語が大きい発言炎上します。「専業主婦家事をしっかりやってて偉い」といった発言は「専業主婦じゃないけど家事はしてますが?」「謎の上から目線がムカつく」などの反応を引き出してしまます

不要属性を省いて「友達家事をしっかりやってて偉いなあと思った」などとするか、「近所のマック専業主婦だという2人が熱心の家事の話をしててすごかった」のように主語を「専業主婦から専業主婦だという2人」まで狭めましょう。

安全話題古典故事引用

女性が居ないのでやる気が出ない」、まあそういうこともあるでしょう。しかしそれをそのまま発言するのは上に挙げたリスト抵触し、非常に危険です。

しかしそういった気持ちを表明したい、あるいは女性が居ればもっと職場なり何なりが良くなるはずだ、という話をしたい。

そういうとき歴史文学を紐解いて似た事例を引っ張ってきましょう。歴史文学は(ナチスが絡むような危険ものもありますが)概ね安全といえます

『収容所の架空少女』の原典 - Togetter

こういう有名な話を持ってきて「同様のことをやってみたい」くらいの感想をつける程度であれば、少なくとも生の気持ちを出すよりは安全になります

安全話題タバコ批判(番外)

世の中にはしていい差別と怒られる差別がありますタバコ喫煙者現代において貴重な前者です。

タバコはいくら殴ってもいいと信じられているのでどれだけヒステリックにわめいても炎上することはありません。むしろ同調者が現れて盛り上がれることでしょう。

あなた喫煙者なら複雑な心境かもしれませんが、これもそういうものなので仕方ないです。あなた非喫煙者なら日頃の鬱憤をすべてぶつけましょう。

しか安全はいえ、品位を欠いた発言を公にするのは差別炎上とは関係なくレピュテーションリスクに関わるので注意しましょう。

危険話題に触れたい・触れなければならないときにどうするか

不要であれば触れないのが最善です。また「触れなければならない」という状況はそんなに多くないでしょう。

例えば「部下の女性の働きぶりに不満があるんだから女性について触れないわけにはいかないだろう」と考える人が居ることでしょうが、その話題に「女性」というキーワード不要です。そういう発想をしたまま女性話題をすると高確率炎上します。黙っておきましょう。

女性エンジニアが居なくてやる気が出ない、なので機械学習を使ってこうした」という話題は、まあ、触れざるを得ないかもしれません。しかし本題はあくま機械学習で何をしたかであり、それ以外は話の枕でしかありません。そんなところで炎上するのは馬鹿らしいので、上に挙げた一覧を使ってリスクを低減してみましょう。

例:「女性エンジニアが居なくてやる気が出ない、なので機械学習を使ってこうした」をより安全にする

まず「女性」は「男性」より炎上やすいので、主語男性します。「職場男性だらけなので」となります

次に同様の既知の事例と結びつけます。面倒なので先ほどの架空少女の話と繋いで「職場男性だらけで牢屋フランス兵みたいに殺伐としている」とでもしましょう。

ここで「フランス兵」という新たな危険要素が追加されてしまいました。削りましょう。「職場男性だらけで刑務所みたいに殺伐としている」。「刑務所」も無難といえるほど安全ではないですが「フランス兵」よりはマシです。

最後の本題をくっつけて完成です。

職場男性だらけで刑務所みたいに殺伐としている、なので機械学習を使って架空少女でっちあげてみた」

盛り込んだ要素をよりわかりやすくするために長くなってしまいましたが、これなら聴衆は「ああ例の牢屋の話の再現をしたってことか」と解釈し、ポリコレと結びつけて考える人が減ります。そういう人が現れても勝手に「いやフランス兵の有名な話があって…」と説明して沈静化してくれます歴史故事などを使うメリットはこの効果を期待できるからです。

まとめ

ヤフー社のチェックしたやつ仕事しろ

2018-06-22

幸色のワンルームって何がそんなに魅力で、何がそんなに問題なんだよ

これ「https://note.mu/amakara_no_tare/n/na4eb53fb6768」を受けて書きたいと思ったこ記事

自分は今回に関してはテレビ局に慎重に取り扱ってほしい旨をメールで送った、ドラマ実写化に関してのみ規制賛成派。

該当作品ツイッター投稿リアルタイムで見てて、その後ピクシブのぶんだけ読んだ。

ここまで前提。

幸色のワンルーム少女にとって魅力的なのは「性」の扱い方にもあるんじゃないか

クロスメディア展開がへたくそなのと制作側が色々甘く見てそうで怖い

■実写ドラマ反対したい理由は色々だけど、私個人に関しては”自分のため”だったと思う

の3本です。長い。一番最後に3行でまとめたから忙しい人はそれ読んでくれたら嬉しい。

幸色のワンルーム少女にとって魅力的なのは「性」の扱い方にもあるんじゃないか

幸色のワンルームは単なる誘拐の話ではなく、ただの男女の逃避行でもなく、

理不尽にただ蹲って耐えるしかなかった少女が守るべきもの(=居たいと思える居場所、人)をはじめて得て戦うことで少女から大人へと羽化する話であり、

リアルの男女の性に絶望した読者に対して「男と女ではなく、大人子供でもなく、ひとりとひとりの人間として関係性を結ぶ」という夢を与える物語

と捉えることができる。できるんですよ。傍から見たら犯罪だけど。

問題誘拐ストーカー設定なくてもこれを描けたことだけど、その設定のおかげで(いろんな意味で)バズってるから  うん…)

「男とか女とか性とか支配支配とかラベルだけの話ではなく、ぜんぶひっくるめて、私という人間あなたという人間の話であり、救いの話」というふうに見たとき

正直、読み口としては2000年代商業BLブロマンスに近いなと私は思った。

少女漫画系譜だ。

実際幸色のワンルームの幸とお兄さんの関係は決して恋愛感情だけにはとどまらないという風に描かれています

加害者被害者であり、無自覚的な搾取する側とされる側であり、姫と従僕であり、ナウシカ王蟲の幼生であり、友情であり、慈愛や同情であり、恋愛感情もうっすらあり、依存であり、共闘関係であり、勘違いであり、共犯者であり、そして全てを肯定し合う関係である

から人気が出た。

恋も愛もべたべたラベルが付いてひと山いくらで売られていることを、十代の少女たちはとっくに気づいている。そんなふうに安っぽくない、けれど十代少女たちに門戸を開いているフィクション作品をもとめている。それがどれだけ過去文学映画漫画でありふれてやりつくされてきたものだとしても、「いま」「ここ」で「私たちに対して」向けられている作品に惹かれて何がおかしいのだ。

たこれは重大なポイントだが、お兄さんは性のにおいがしない。

デフォルメされた世界で成人男性記号ほとんど持たない、いってしまえば無性の存在メンタル的にもそう。

その上、精神年齢少女とほぼ変わらないため、罪の意識を持った姿は読者にはどこか可哀想うつる過去の傷があるらしく年下の幸が守らねばと思うほどいたいけでたよりない。幸に都合の悪いこともしない。

けど、男。

という風にドリームカスタマイズされてるキャラ

「そんなやついねえよ」だ。だからこれはファンタジーだし理想たりえる。リアルと切り離せる免罪符でもある。

ひと山いくらラノベに出てくる都合のよいヒロインから性の匂いをひっぺがしたようなものだ。少女にとって男の性は不要もの、というか幼いころから自分を脅かしてきたものしかいから、無い方がいい。幸の安心できる居住空間提供する為にも。

からストーカー誘拐犯の男、というショッキングスキャンダラスな設定はあるものの、それは今やおにいさんと幸が法を犯したことをしても問題ないというハードル下げのための設定になり下がっており、基本「ある日突然(可愛くて自分が居ないと生きていけない(A))女の子が空から降ってきた」と同義なのだ。ぺらっぺらだが、それこそが求められている。「怖くないから」だ。

(A)には「やんごとない身分の」「血のつながらない妹/姉である」とか、あと「大量殺戮生体兵器の」とか「妖怪の」とか「暗殺者の」とか「殺人鬼の」とか「サイコパスの」とか入ったりする。よくあるやろ。そういうのを①男女逆にして②リアル現代の③クライムフィクションチューニングすると

ついこないだあった事件そっくりで笑えなくなる、みたいなの超あるあるなんすわ…

からまあ、あるある作品なのだ正直。

そんなもんがあるあるになる現実の方がクソというだけだ。



クロスメディア展開がへたくそなのと制作側が色々ガバガバで怖い

はいフィクションだし少女漫画だし、問題ねーじゃんと思うだろ?私も思う。お兄さんは捕まるか虐待親に突撃して共倒れして死んで美しい思い出になって欲しいけど(どうせやるなら徹底的に幸に都合よく退場して欲しい)。

これが少女漫画カテゴリで人気がある分には。

あと作者と制作側がゆるゆるかつタイミングが最悪でなければ。

ツイッターへの最初投稿とか現実事件に対してタイミングが最悪すぎる件に関してわざとかどうかはもう「関係ありません」で貫き通すだろうし実際分かんねえからいいわ…。マジでインスピレーションさえ受けてないとしてももう運が悪かったと思ってほしい。というか当時あれだけのトップニュースすらチェックしてなかったなら作者はうかつだし、チェックしてても特に何も考えず出したならそれはそれで大変アレなのでそれは怒られても仕方ないんじゃねーかと思う。

特に問題に思うのは、クロスメディアするとしたら慎重にやるべき題材だったということだ。

先生!」「PとJK」の実写化の時も同じこと思ったけど(あれも「少女漫画なら素敵だがリアルに考えるとわりとやばい案件)今回は格が違う。なんせ誘拐犯でストーカーだ。どれだけ気を使っても使いすぎるということは無いだろうに…と思う。

後ろめたさも、退廃的なことも、この作品の魅力と分かちがたく結びついている。伝え方を一つ間違えたら倫理観を疑われる作品なのは変わらないのだ。

このへんは制作側の、なかでもプロモーションの腕が必要作品だろうなと思う。

たとえば、この作品ギリギリまで性のにおいを消臭できているのは、絵柄の影響が大きい。デフォルメが強く、リアルさは無いティーン向けの絵。虐めのシーンにも性的ものは見受けられず変態教師とのバトルでさえ匂わせる程度だ。

性も犯罪も、それが主題ではないのだと、なによりも絵が主張している。

また、この作品家族で見てやいやい言いながら見るより、一人で集中して見たいものじゃないだろうか?ターゲット現在テレビを良く見る層と被っているか?いないんじゃないかティーン原作ファンがこの作品を見て語り合うなら、家族よりも、同性で趣味の合う友達とではないか

からメディア展開を思い切り間違えてる気がしてならないのだ。

テレビでやるならアニメ作品にすべきだったと思う。その人気に火を付けた一端でもあるキャッチーな絵柄を生かし、フィクションであることを最大限利用すればよかった。あくまでこれは夢物語で、リアルとは違うのだとアピールすればよかった。それでも非難は受けただろうが実写化よりはましだったはずだ。「誤解されやすいけど本来こういう話ですよ」と12話でも24話でもかけてやればよかった。

実写化したいなら、この退廃的な作品映画の方が合うだろうと思った。それに映画館でしか見れない、というフィルタリングは大きい。実写化することでどうしても露悪的に、生々しい匂いになる画面をテレビから無作為にまき散らすのではなく、納得して料金を払い席に着いた観客にだけ誠心誠意向き合う形をとれば良かった。観客を巻き込んで二人の世界に浸れる場所を作ればよかった。

広告展開で規制派の火に油を注ぐ可能性は大いにあっただろうが、中止よりはマシな結果になったんじゃないか

なんで再現が難しい絵柄を実写で、なんでナイーブかつ視聴者を選ぶであろう題材を全国放送の誰でも見れる割にメインターゲットを逃しまくるであろうテレビで、やろうとしたのだろう。やはりコスト問題だろうか。

プロデューサー編集部も何考えてたんだろうな。

いや本が売れたらいいなと思ってたんだろうけど炎上商法やった割にリターンがアレ過ぎない?そうでもない?わからんけど

正直、ドラマ制作側も作者の方も編集部も、「現実にある犯罪を扱った現代である」という認識が甘すぎたのではないかと思う。

それも、未成年被害者がいる事件を、「犯罪としてではなく救済として描く」というひねりを売りにした作品でだ。

カリオストロの城」でも撮っている感覚だったのかもしれない。モニタ解像度低いわ。

もしくは、とてもリアルだと思ったから実写にしよう!と思ったのかもしれない。

そのリアルさは虚構で夢でしかなく、それでいてとてもありふれた現実だ。

だって、実際の誘拐幼児への事案はひっきりなしに起こっていて(マジでひっきりなしに起こっている)。

ストーカー誘拐犯の脳内で、自分被害者と愛し合っていたという美しい物語が展開されているのは決して珍しくないのだから

その恐ろしさを無視して、リアルに寄せる実写化をするのは賛成できなかった。

苦言を呈す派に対して作者からコメントは「実際の事件とは切り離してみてください」これだけだ。たったこ一言で全て免罪されるなら表現の自由とはなんとも気楽で無責任ものではないですか。いや作品内で色々ファンタジー要素盛って免罪符切ってるしあれこれ言及するより作品に集中するのは良い手だと思うけど無責任だとは思うぞ。

だって「世の中いろんな人もいる」と、これが現実でもありえるかもね、とでも捉えられるコメントを付けて世に送り出したのは、他ならぬ作者自身なのだ

ドラマにしても、女優に「実際にこういうこともあるかもと思う」というコメントを、編集もせず流してしまった。(これで規制派の使命感に火を付けたようなものだと思っている)。制作側止めろよ…

現代クライムフィクション作品でこのコメントが出るときは「だから怖いなって思いました」くらいのことが続くはずが、「実際あったら素敵」と続いてしまうような。

作品のものというよりもその周りの倫理観ガバガバなのだ現実ガバガバ

そうでなくても今現在、長年沈黙されてきたハリウッドやら世界的に女優性的搾取告発が起きてて転換期で、それでも搾取する側の擁護をやめない(「いや、でも女性側も望んでたんじゃないか」みたいなのワイドショーで沢山見ましたね!)、日本テレビ業界をつい最近私たちは見せつけられているのだ。そもそもの信頼感が地に落ちている時に「地獄の真ん中で搾取されてるけど女の子ハッピーです」みたいな作品作ってもそりゃ倫理観が疑われるだろという話だ。

フィクションはいだって現実と地続きなのだ

不倫ドラマももちょっと気を使ってるんじゃないのかな。

■実写ドラマ反対したい理由は色々だけど、私個人に関しては”自分のため”だったと思う

お兄さんと幸の間にある感情はとても純粋もののように描かれる。

それは憂いを帯びて美しい。破滅に向かっているからだ。地獄の上にある安息からだ。あかるい太陽ではなく、暗闇の中の星。

薄汚く、ふたりを虐めるものばかりの世界でここだけは綺麗であるように感じる。実際そうだからなのだろう。未来なんて考えたくもないし過去の事は忘れたい。いまここにある、おにいさんと幸のあいだにある、形容しがたいなにか、それだけが全ての世界でいたい。

それは読者の心を掴むだろう。特に、十代の少女にとっては。

この作品メディア展開が一つ潰れることで、悲しく思うファンもいるだろうなと思う。恨まれるだろうなとも。

つーか私も十代の時に、リアルで起きた殺人事件(娘が父を鎌かなんかで…)をうけて「ひぐらしのなく頃に」のメインキャラが義父を鉈で殺す回の放送が見送られた時「いやリアルとの区別くらいついてますけども~~~~~????」って怒ってたよ。

でも今(アラサーだよ)、もし「新幹線で鉈をふるう殺人事件が起きたけど、犯人は実は悪い人ではなかった」みたいなフィクション作品テレビで予定されてるとしたら…今の私は、「それは見送った方が良いのではないか」と思う。

区別がつかないのは、つけられないのは、大人のほうなんだ。

大人になるにつれて、想像力は広がりだけではなくリアルさを増していった。経験知識が増えたからだ。

「これのせいでちいさい子供や、少年少女が酷い目にあうかもしれない」と思うと、耐えられなくなってくる。大人になれば強くなると思っていたのに、陰惨なフィクションも年々見れなくなっている。それは、年を重ねた分現実に起きる陰惨な事件を、それに対する酷い言説を、これまで見過ぎて、現実を見過ぎて、どうしても思い出すから、なんだか嫌になっちゃうからだと思う。大人になるにつれて、後からまれてくる子たちが傷つかない世界になればいいと、祈るようになってきたからだと思う。

フィクションなのに、現実被害に遭って泣いていた子や、かつて嫌な思いをしたとき自分を、思い出す。被害者の絞り出す様な言葉や、それに向けられた酷い言葉の数々を、理不尽を、やたらと思い出して、想像してしまって、苦しいときがある。

子供の時はフィクション作品メディアの力を舐めてたし、大人になればもっと区別がつくようになる、

なんならフィクションを見てリアルを思い出すなんてオタク失格だとすら思っていた。

でもそうじゃなかった。

倫理観スイッチ切って倫理観ゼロ作品を楽しむには、TPOがある程度大事だと知った。自分家族を亡くした直後に、家族を殺す話を楽しく読めないように。

倫理観ゼロ作品は、倫理観ゼロ現実世界では楽しめないと分かった。楽しめるならそれは娯楽である以上に、麻酔や薬であり、治療なのかもしれないと思った。生きるための救済。

作品の影響力を舐めたらダメだと思った。面倒なオタクである自分偶像フィクションに命を救われてなんとか生きてきた。

ならば人の命を奪う作品が無いなどとどうして言えるのか。

から今回の幸色のワンルームへの規制は、わたしは(あくまで私はな)、

これを見た「大人」がリアルに起きた事件や今までの経験フラッシュバックに耐えきれなくて「やめろ、せめて少女漫画カテゴリなかにいてくれ。そうでないなら無作為にまき散らす前に対策してくれ無作為にまき散らされて何が起こるか分かってんだおれはくわしいんだ(※嫌なことを沢山思い出しながら)」

って言ったんだと思う。

そういう側面は大いにあると思ってる。

「それでも僕はやってない。」が公開された以降から痴漢被害者への二次加害が酷くなったって話聞いてワァーってなった。

そんな変遷を見てきたら「こういう作品が公開されたら、また…」というフラバもそりゃ起きるよと思った。

直前に現実誘拐事件があり被害者バッシングを見てるんだから余計に「あれが、また…」ってなるよ。(だから本当にタイミングが悪すぎたんだよ…)

からといって作品自体消したいわけではなかった。

というかそれはダメだ。現実がこうだから配慮して作品自体消そうみたいなのは私が一番やりたくないことだった。だからゾーニングフィルタリング推進派なんだけどさ。

そしてゾーニングフィルタリングメディアの差でも実施できると思う。その作品に触れるまでのハードルの差があると考えているから。テレビ特にハードルが低い。例えば映画館での上映や本屋で棚が分けられパッキングされた単行本等とはそれだけでも違う。同列に語れないと思う。

からってガチガチにこの本は誰向け!この本はこの性別この年齢このカテゴリ!とかマジ誰もやりたくねーよ。なにそのディストピアだよ。

ネックは「現実事件に対する二次加害が野放しなこと」だから、ここがマシになれば結果的表現の自由も守られるんじゃねーかなと思うけどどうですかそのへん。

ほんとね現実クソだったよ。現実誘拐事件おこす犯人マジでクソだったし被害者に向ける目も相当クソ。二次加害を大量に見過ぎて本当にメンタル削れたし、なによりオタクリアル事件に対する大喜利に慣れ過ぎて、被害者がいるっつーのに自分も一瞬「あっそんなひどいことされてなかったのかも?」とか思ってしまったのがめちゃくちゃ自己嫌悪で死にたくなった(自分ネットアイドル二次オタクカルチャー10数年どっぷりなんですよ)。「そんなわけねーだろ」と思った。被害者の苦しみをも加害者のやったことも軽視出来るもんじゃない。絶対

この感覚のままでいるのはやばいと思った。でもこれは曲りなりにも女体持ちで嫌な思いも散々してきたから「そんなわけねーだろ」と思えた部分はあるだろうなってのもあるし、「そんなわけねー話」をいくらでも茶化せる人がいるのも知っていた。

誘拐ストーカー盗撮被害者叩きも遠い世界の人にとってはそれはファンタジーだろうしな。

でもファンタジーじゃねえんだよな。

私が生きていく現実に影響があるんなら、私は私のために戦わないといけないと思ったんだよ。

あのとき誘拐犯を擁護して被害者売女扱いしたアカウントほんとめちゃくちゃあって「で

ノーベル賞再編したぞ~

ノーベル物理学賞化学賞、医学生理学賞、文学賞平和賞、(経済学賞)

の6つだったのを

ノーベル化学医学生理学

ノーベル数学物理学

ノーベル応用科学

ノーベルプロダクト賞

ノーベル表現

ノーベル人文社会科学

の6つに再編する

 

再編のポイント

平和賞かいゴミを消す(異論がある奴はいないだろう)

医学生理学共通の部分がそれなりにある化学賞は医学生理学と無理やり合併。かなり化学分野に近いのに医学生理学賞になっている研究はわりと多いし、逆も多い。

・恋敵が数学者だったからとかいノーベルのしょうもない私怨で実現されなかった数学賞を追加。

・とはい数学って、毎年のようにバンバンものすごい功績が出るような分野だとも思えないし、いっそ数学賞は物理学賞と一緒でよくね?って思ってまとめた。でも本当にそんなことになったらキレる人うじゃうじゃ湧くんだろうなあ。俺もキレるだろう。

ニュートリノ発見みたいな実験科学物理学数学を同じ土俵勝負させるのは個人的にも嫌だけど6個のまま再編しようとすると他に手段がないかしょうがない。

応用科学賞の創設で、工学環境科学も受賞対象とする。現代における社会的インパクトが大きい情報工学環境科学等の分野についても受賞の機会を与える。ほぼ工学なのに青色発光ダイオード研究物理学賞になっている等、工学の賞がないことの弊害結構かい

プロダクト賞創立で、優秀なプロダクトに賞を与える。iPhoneみたいな民生品だけでなく、発電機軍用機のような一般人が扱えないようなものコンテナ輸送とかPOSみたいなシステムや、ワタミありがとう集めの精神のようなサービス体系にも賞を与える。アカデミックな賞ではないけどあったら俺たち小市民絶対楽しいよな?

文学賞の代わりに、文学だけでなく絵画映画音楽などのあらゆる表現を受賞範囲とした表現賞(名前ダサいので誰か考えてほしい)を創設。

経済学はより範囲が広い人文社会科学賞に変更。経済学って、化学物理学なんかと違って、社会的インパクトが大きい重大な発見が毎年のようになされる分野じゃなくね?と思ったため。詳しくないので異論は受け付ける。特に功績が顕著な思想等についても受賞のチャンスを与えることで、平和賞のうちのまっとうな部分をカバー

 

以上。やっぱり数学物理学を一緒にするのは無茶かなと思う。6枠だとキツい。

○○賞とかいって特定の分野から1テーマだけ表彰するのは不条理なので、賞の枠組み自体撤廃して、あらゆる分野から特にインパクトがあったものについて6テーマ選ぶ、という方式のほうが絶対いい気がする。

やっぱり、世界的な賞なのに、ノーベル時代重要視されていた学問以外には賞をやらないというのはもったいない気がする。

人文社会科学って範囲広すぎるからなんとかしたいところ。とはい文系学問理系ほど功績がはっきりとわからいからなあ。

あと平和賞はいらないけど平和を乱そうとした人物を吊るし上げる賞はほしいかも。

2018-06-21

文学だの教養だのうるさい女が何読んでたかっていうとせいぜいソフィーの世界とかだからな…

anond:20180621165820

文学教養もないマンさん乙

勝手自分の都合の良い男像を信じて羊水腐らせててください(笑)

anond:20180621165338

文学教養って大事だね?

知性が低い男は、「女を見たらセックス対象と思え!」という消費社会宣伝洗脳されていて、他の対人関係を構築ができなくなる。

シェークスピアとか知らない日本人男性結構増えているのかもね?(愛読書ジャンプとか?)

ゲンロン8が熱いっ

東浩紀さんが中心となって出した「ゲンロン8」ゲーム特集の内容について、主にゲーム開発者の方々が批判して炎上している件。

ざっと見た限り、電ファミニゲーマー編集長の平信一さんのtwitterFacebook周辺が一番熱いようです(東浩紀さんご本人の他、イシイジロウさん、米光一成さん、大前広樹さん、濱津英二さん、島国大和さん、多根清史さん、清水亮さん、川上量生さん、やまもといちろうさんなどもコメント。平さんご自身は、ものすごく冷静ですが)。

中でも、痛烈に批判しているのが、ゲーム開発者岩崎啓眞さんのようです。

Facebookの公開投稿検索して見てみたのですが、岩崎さんの以下のコメントが箇条書きでまとめられていて、わかりやすい。

https://www.facebook.com/jun.okada.906/posts/2082518138456655

岩崎 啓眞 今回、ゲンロン8を読んだことで本当に思ったこと。

1)ゲーム技術と複雑に絡み合ったプロダクトであり、フルタイム仕事にしている人間とそれ以外でとんでもない差がある。

2)特にスマートフォンになってからは出る数も膨大になり、そもそも調査の段階からフルタイムVSアマチュアでは差が出てしまう。

3)技術を知らず、調査しきれない人間と調べないとリングに上がることもできない世界で生きている人間では「基本のラインが違いすぎる」

4)結論:作り手と同じレベルの話を出来るようになってから来い。

最初は怒ったけど怒る気すらなくなった。

なかなかすごい。

以上を一言で要約すると「素人は口出すな」ですね。

しかしこれはどうなのでしょう?

銀座のいろんな寿司屋にけっこう通ってる客が「サーモンはA店、まぐろはB店が旨い」などと語っていたら、

寿司屋大将が「サーモンは輸入なンだからどこの店だって同じでぃ。素人寿司を語るな」と言っているようなもののような気がします。

サーモンに関しての事実誤認に関してはそうなのでしょうが、だからって寿司を握った人でないと寿司を語ってはいけないというのは言い過ぎではないでしょうか。

岩崎啓眞さんがふだんどのようにゲームを語っておられるのかと思って、ググってみて、最初に「「レベルを上げて物理で殴る」の素晴らしさをゲームデザイナー視点で語ろう。ドラクエで学ぶ「RPGメカニクス」の3大メリットゲームの話を言語化したい:第四回】」という記事を見つけました。

その中に、以下のように書いてあります

http://news.denfaminicogamer.jp/column05/170905b

プレイヤーがバトルに敗北したとき、『ドラクエ』は経験値キャラクターをロストせず、所持金を半分にして、最後に訪れたリスポーンポイントから復活させるシステムなのだ

これはドラクエシリーズ全体ではなく、ドラクエ1の話です。

最後に訪れたリスポーンポイント」と書いていますが、ドラクエ1のリスポーンポイントラダトーム王の1マス下のひとつだけで他にありませんので、「最後に訪れたリスポーンポイント」の部分は正確な表現ではありません。

同じ記事の続きで、ドラクエ2に関して、

http://news.denfaminicogamer.jp/column05/170905b/2

1. プレイヤーはひとりで旅を始める

→これは『ドラクエ』と同じ構造にしてプレイヤーの負荷を下げるため

2. アイテム・装備・魔法の使いかたを覚える

→ここも『ドラクエ』とほぼ同じ構造になっている。なお『ドラクエ』というゲームの偉大さのひとつは、このチュートリアルを30年経ってもやることだ

3. 敵が複数出現し、だんだん戦闘がつらくなってくる

4. ふたりめの王子パーティに加わる

とありますが、ドラクエ2の1人目のプレイヤーキャラローレシアの王子)は魔法(より正確には呪文)は使えませんので、4の「ふたりめの王子引用者注:=サマルトリアの王子)がパーティに加わる」前の話なので、「2. アイテム・装備・魔法の使いかたを覚える」の「魔法」の部分は事実誤認です。

このように、ゲーマーの基礎教養であるドラクエ1・2に関しても事実誤認があります

実はやってないのでしょうか? うろ覚えなのでしょうか?

いえいえ、岩崎氏をdisろうという意図ではありません。

このような事実誤認によって、この記事全部が意味がないものになるかというとそんなことはなく、変わらず大変興味深い指摘だと思います

私が言いたいのは、このように誰でも事実誤認はありますので、

事実誤認を見つけたからこの本・記事意味がない」という姿勢はいかがなものか、ということです。

https://www.facebook.com/TAITAI999/posts/1982545055148919

岩崎 啓眞 僕は今回のことではっきりと思ってますが、雑な語りをされるぐらいなら「ない方がましだ」ですね。

そんなことはないのでは。

事実誤認があれば指摘して、著者も素直に訂正し、それとは別に議論を深め、ゲームに対する言論を高めていく、というのが健全ではないでしょうか。

だってゲームを本気で語ろうなんていう人たちの規模はこんなにちっちゃいんですから

ゲーム開発者が、ゲームの遊び手がゲームを語るのを弾圧するっていうのは本末転倒では。中国政府ですか?

ゲーム開発者の方は映画アニメを語るのが好きな人も多いですが、「映画アニメ)作ってないお前に語る資格はない」って言われたら嫌でしょ?

あとオンラインゲームオープンワールドスマホブラウザゲームなどはメジャーものだけでも全部まともにやるのは、一般社会人にとっては時間的不可能現実もありますので、「このゲームすらやってないのか」的な言いがかりも、いまの時代、やめた方がいいのかなーと。

全部やるのは無理だから、教えあうしかないんじゃないですかね。

電ファミニゲーマー編集長の平信一さんが

https://www.facebook.com/TAITAI999/posts/1977782982291793

じゃあ一方で、ゲーム業界側(ゲームメディア含む)が、その”正しい認識歴史”とやらをきちんとまとめるなり、伝えるなりしてきましたか?というと、少なくとも僕は見たことがないんですよね。(…)

まり、いわゆる“ゲーム業界人”(あるいはコアゲーマー)は、長年の経験を踏まえて正しい文脈を知っているかもしれないけど、それを整理して残す努力はしてないんじゃないかと思うのです。それって、僕からすると「ゲーム業界側の負い目」に思えてしまう(少なくとも、ゲームメディアがやれてこなかった仕事だと思う)。そりゃ、業界の外の人が分からなくて当然だろうと思うのです。

とおっしゃっているので、平さんあたりが音頭を取って「ゲーム業界から見たゲームデザイン史」的なものを作ってくださるのも素晴らしいと思います

今回の議論でもある通り、ゲームには作り手でないとわからない高度な技術的な側面がありますので。

あ、ただ、それを「正史」にする、という発想はまた違う気もしますけども。

映画業界人が作った「映画正史」とか、小説家組合が作った「文学正史」みたいのはあまりいたことないので。作り手が主張する歴史正史だ、っていうのも、なんか中国政府っぽくないですか?

そして最後ゲーマー日新聞J1N1さんのこの部分を引用しておきたいです。

http://arcadia11.hatenablog.com/entry/2018/06/20/%E7%A9%BA%E6%B4%9E%E5%8C%96%E3%81%97%E3%81%9F15%E5%B9%B4%E3%81%AE%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%E6%89%B9%E8%A9%95%E3%81%A7%E3%80%81%E3%81%84%E3%81%BE%E6%9C%AC%E5%BD%93%E3%81%AB%E5%BF%85%E8%A6%81%E3%81%AA

そこで自分が言いたいことは一つだけ。自分たちのゲーム自分たちで語るべきだということだ。

自分たちのゲームを語り、周囲の人や後世の人に伝えるのは、自分たちしかいない。批評家評論家肩書を持った偉い人たちや、経済的課題を常に抱えるメディアに、全て丸投げする程期待してはならない。

今後のゲーム言論の発展を祈って。

anond:20180621103236

粗悪品が世に出回ると粗悪品が世のデファクトスタンダードになったりクオリティ基準になったりするからな。

そうなった時点でもうそれは「粗悪品」とは言えない。

それと同じことで、本来そうでは無いはずなのにラノベに学園が登場することになったり異世界転生が登場することになったりすることで「ラノベ」の定義のものがレッサー文学って扱いになっている訳だろう。

そう、界隈全体のクオリティを変化させてしまうのだよ。

それの何が問題

「レッサー」だと思うやつには思わせておけ。

からこそ、市場を守ろうとする人々はクオリティやらを制御したがるのさ。

そう設計してる。角度とかをな。

これこそ傲慢

自分市場を操ってるという思い込み

表現に限らず、世界は動いてるということがわからない人種

anond:20180621102311

まあ、増田の考え方も嫌いじゃないけど悪化が良貨を駆逐する的なやつで

粗悪品が世に出回ると粗悪品が世のデファクトスタンダードになったりクオリティ基準になったりするからな。

例えば増田が今履いてるダメージジーンズ(股間に茶色いしみがある)なんかが分かり易い例で、ジーンズってのは本来ダメージに滅茶苦茶強い素材と染料で出来ているから、ダメージを与えることすら本来は難しい代物なんだ。

でも増田が履いてるダメージジーンズはそうでもないよな。

それはなぜかって言うと、UNIQLOで買った2980円くらいの中国製ジーンズからだ。

20年くらい前はジーンズは1本1万円が当たり前だった。

その代り耐久性では他のボトムズとは比べ物にならない位丈夫で、ジーンズを履いて炭鉱採掘作業することすら可能だったわけだよ。

それが、ジーンズっぽい素材のジーンズっぽい染料が安価で出回ることにより「ジーンズっぽいボトムズ」が大量生産できるようになった結果UNIQLOなんかにジーンズっぽいジーンズじゃない少しジーンズジーンズ」が並ぶようになり、

それを増田が履くようになり、世のジーンズ定義が変わるようになった。

それと同じことで、本来そうでは無いはずなのにラノベに学園が登場することになったり異世界転生が登場することになったりすることで「ラノベ」の定義のものがレッサー文学って扱いになっている訳だろう。

そう、界隈全体のクオリティを変化させてしまうのだよ。

からこそ、市場を守ろうとする人々はクオリティやらを制御したがるのさ。

そう設計してる。角度とかをな。

2018-06-20

anond:20180620083646

でも正直

専門書>大衆文学思想

の順だと思ってる

「昔は小説夏目漱石など)も低俗と言われていた」などと言って、まるで現代では低俗と言われてないなどと主張しているが、現代でも小説なんてのは低俗なんだよ。教養のない人たちが「本読んでる。すごい!」とか言ってるだけで、小説なんてのは子供の読み物だってのは今も昔も変わってない。

ラノベオタクは昔低俗と言われていた小説現代では高尚なものと言われているのだから現代低俗と言われているラノベも将来は高尚なものと言われるだろうと主張している。

ほんとにそうなのか。現代で高尚なものとされているというその主張が謎である。まともな大人文学なんて読まない。

あるいは漫画アニメも昔はこんなもの読んでる(見てる)と馬鹿になるなどと批判されていた、とか、テレビばかり見ていると馬鹿になると批判されていた、とか。まるで現代では批判されていないかのような主張である。が、実際に漫画アニメばかり摂取してきた人間はやはり馬鹿になっているし、テレビばかり見てる人間もやはり馬鹿になっている。

主張としてはラノベもやがてこれらと同じく世間に受け入れられるだろうということだが、漫画アニメ別に今でもそれほど世間に受け入れられてはいない。実際漫画の売り上げは下がっているし、アニメが受け入れられていると言ってもそれはジブリなどの映画アニメであって、オタクが好きな深夜アニメが受け入れられているわけではまったくない。テレビに関してはたしかに受け入れられてはいるが、若者のテレビ離れも言われていて、もはや時代テレビではないことは明らか。

さらに言えば、ラノベは何も新しい表現ではなくただの小説であるという問題がある。漫画アニメは初めの頃は確実に新しい表現だった。しかラノベはただの小説である。どこにも新しい要素はない。19世紀で完成した大衆文学現代オタク流にアレンジしているだけの作品である

そして小説ラノベ以外にもたくさんあるということ。なぜラノベだけ特別視しているのかが謎である。大量にあるくだらない小説の一部にラノベというラベルを貼っているだけ。何も特別ものはない。大量にあるくだらない小説からラノベけが生き残るなんてことがあるんだろうか。

しかにくだらない大衆文学は残るかもしれない。未来においてそういったもの教養のない人たちから高尚な読み物と言われるかもしれない。しか教養ある人たちはそんなもの相手にしないし、くだらないと思っている。ただ、わざわざそう主張しないだけだ。敵を増やすだけだから

2018-06-19

いい年して小説なんか読んでるおっさんってのもな。それだけでもう危ない人という感じ。別にラノベに限ったことではなく。高齢文学オタクのめんどくささもはんぱないから。しかあいつら小説しか読んでないから頭悪いという。

2018-06-17

文学ってなんだろう

あの150選ある100選を読んで、今まで自分が「文学」とやら何なのか今まで全く気にしていなかったことに思い至った。


目の前の便利な板曰く、「文章を使った芸術作品」「表現が内容より秀でている文章」ということらしい。

相変わらずインターネットすげえ。

馬鹿な俺にも一発でわかる明確な答えを端的に示してくれる。


凄いことを凄いと書いてしまっては文学にならないんだろう。

それは説明であって文学ではない、ということか。


「不意の土砂降りで、長年使っていた腕時計が壊れた」

より

「未練がましく乾かしていた腕時計を、結局捨てることにした。8年前に死んだ父が、大学卒業の記念でプレゼントしてくれたものだ」

の方がきっと文学なのだ。たぶん。


でも、だとしたら文学は「何を書くか」より「何を書かないか」の方が大事なのではなかろうか。

何かを書かないために、別の何かを書いている、とでも言おうか。

そうなると、読むときも「何が書かれているか」ではなく「何が書かれていないのか」を読み解くほうがきっと楽しいに違いない。


あの100選、上から読んでいくと「ちょっと不器用な人が自分なりに頑張っている話」の陳列になっているように見える。

俺にはいまのところ文学を読み解く力がないけど、今度から面白そうなエントリーは「何が書かれていないのか」を読むようにしてみよう。

2018-06-15

anond:20180615123543

個人的になろうは「○○ポルノ」って呼ばれる類のブツだと解釈している

からお決まりパターンで良いんだよな、手っ取り早く気持ち良くなれればいい

文学ノベルに満たないゴミだとは言わないが、それらとは区別すべきものだと思うわ

2018-06-13

定義」を絶対視するラノベオタク陳腐科学主義に染まっている

 アフィカスがまとめたくだらないまとめをまた読んでしまった http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1236466

 ラノベオタクはすぐにラノベの「定義」がどうのと言うけど、このことこそ彼らがいかに無教養かということを示している。「定義」を絶対視し厳密に議論しようという科学的態度の自分たちこそ教養ある人間だと思っているかもしれないが、実はそれは単なる盲目的な科学主義にすぎず、文学(もちろんラノベも含まれる)という現場とは相性が良くない。いかにも中途半端理系が多そうな発言ではある。

 本来言葉定義というもの存在しない。辞書に書かれてあるのは編纂者が勝手にまとめたものにすぎない。彼らは神ではない。権威ある辞書存在しない時代にも言葉はすでに存在したなんてことは誰にとっても明らかだろう。

 言葉というのは使い方によって意味が決まってくる。言語使用こそがすべてである辞書に書かれた定義という閉鎖的な意味だけを持つのではなく、言葉というのはもっと開放的自由ものだ。もっといえば創造的なものだ。それこそが詩というものであるわけだし。極端なことを言えば、同じ言葉でも発されるたびにすべて意味的にも差異がある。本質的言葉というのはいつもアドホック意味を持っている。辞書定義のもので厳密に語られるということは実はそれほど多くない。

 文脈を共有し言葉アドホック意味を込める、そしてその意味を共有しあう、そういうのが人間同士のコミュニケーションだ。定義通りにやり取りするのはAに対してはBという動作で確実に反応するようにプログラムされたロボットだろう。ラノベオタクはこういうロボット的なコミュニケーションこそ科学的で崇高で尊敬されるべきだと考えているのかもしれない。しか現実はそうではない。むしろ逆だ。冗談を言い合うとき無意識のうちに通常の辞書言語使用とはずれた使い方をするし、そういうずれをお互いがすぐに理解して笑いあう。そんなことは日常生活に当たり前に存在する。「定義」がどうのと言っているのはそれこそ文字通りにしか文章を読めない人たちであり、彼らはたしか科学者ではあろうが、文学者ではない。ラノベオタクにはそういう科学者的態度の人が多いというのが不思議だ。彼らは文学愛好家ではないのか。

 件のまとめも、定義がどうのと言わず意図を読み取ろうとすれば読み取れるわけで、またつまらない揚げ足をとって、他者発言理解しようとしていないではないかラノベオタクというのは基本的他者に対する興味が乏しい。世間の人々は平凡な言葉アドホック意味を込めて使うが、ラノベオタクはそういった辞書定義から外れた言語使用嘲笑して、そんなものは厳密な言語ではないからと認めようとしない。これは他者理解しようという意志がないということを意味する。要するにラノベオタクにとって世界他者存在せず、自分しかいない。だから自分攻撃性には無自覚で、簡単に人を傷つけ、ひどい差別語で罵るようなことを毎日やっている。

 ラノベオタクはたくさん読書をしているのに、想像力貧困で、人文科学蔑視し、科学主義に凝り固まっている堅物でしかない。そして彼らは自分たちこそ真に教養ある知識人だと思っていて、自分たちのやり方以外のもの自分たち思考様式を外れたもの非科学的で嘲笑すべきと思っている。これによって出来上がるのは他者に対して不寛容な厄介なおっさんなのである

2018-06-12

ラノベ読んでる40代おっさんは、すぐ他人に「死ね」という。40代おっさんが「死ね」ってどうなんだ。幼稚すぎるというか、あまりにもグロテスクじゃないですか。

しょうもない青春小説もどきを読んで「いい話だなあ」とか言ってるんですよ、彼ら。萌えラノベバカにしながら、そういう似非青春小説がすごい文学だとでも思っているみたい。感動が好きなんだよね。ピュアなんだよね。40代になっても。でもそんなピュアおじさんたちが「死ね」という。自分の好きなもの批判されると「死ね」という。自分の大好きな感動できるラノベは崇高なものなので批判など死に値するというわけ。このピュアさ。ろくに人生経験読書経験もないから本当にいいものがわからない。陳腐で幼稚な感動ストーリーを本物だと思い込んでるんだよね。そんなの普通の人は20代のうちに卒業するんだけど。

まあラノベ読んでる40代おっさんピュアなのはいいや。そういう人はまあ見下される対象なのかもしれないし、個人的にもグロテスク存在だとは思うけど、まあそこはいい。とにかく他人に「死ね」とか簡単に言わないでほしいね。きみたちが「死ね」と言ってしまうのは単に想像力がないからだ。きみらはラノベ読んでる俺たちは想像力が豊かと思っているだろう。でも実は逆なんだよ。

anond:20180612144242

小説文学の一部だろ。「現代文学」ではないけれども。

anond:20180612143044

文学が無いなら書店で売られてる文字で書かれたあの書物はなんなんだよ。

anond:20180612142703

日本に限って言えば、そもそも現代には文学がないっていうのが定説な気がする

そこそこ名の知れた文学部に入って複数大学で授業受けたけど現代文学否定から入る先生が多かったのが印象的

でも世間一般感覚で言えば村上春樹はもう文豪なんじゃないか

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