はてなキーワード: 事なかれ主義とは
例えば IT リテラシーの場合は、IT リテラシーの低い親が子に与える情報のコントロールをすることができない。よって全面的に禁止するか野放しのどちらかになる。
同時に、倫理リテラシーと教育リテラシーも無いと何を制限して何を放念していいかの分別がつかない。また情操リテラシーが低い親は「全てコントロールすれば解決」というブス親ムーブに行き着く。
国語能力が低い親(片方だけ低いなんてことはだいたいなくて、親同士の知能レベルは大体一緒になっているもの。これも仮説だが。)は、その人達の会話が論理的な情報交換で成り立っているのではなくて、感情表現の応酬で成り立っている可能性がたかい。
あくまで可能性といっているのは、理解度を外から解釈しづらいから。論理的な表現が双方でなされている場合は第三者から観察可能だが、そこから外れていくと観察不可能になっていく。客観的に判定できない非言語のコミュニケーションによっていくのだから当然である。
そのコミュニケーションを正とみなして、その両親の子は育つ。最も身近な手本が両親なのだから当然である。
手本をもとに、手本より良い結果を出すことは難しい。学校での国語の成績はどうだろうか。母親が感情表現のみでコミュニケーションしていないだろうか。論理的なコミュニケーションを見せているだろうか。
論理的に通じる国語表現がなされた口述で、コミュニケーションがなされているのであれば、子もそれに沿った表現がなされるものである。
ある親子がいた。母親、娘(5)、息子 (4) という構成で娘は言葉が達者だった。息子もしゃべれはするがいくらか問題があるように思えた。
というのも、息子は「ん〜!!」とか唸り声と怒りの表情でコミュニケーションをしていたからだ。
そして母親は察しがよくやってほしいことを汲み取り、行動してフィードバックを与えていた。
当然のように息子は誰に対しても「ん〜!!」という唸り声で他人に迫り、動いてくれない相手が大半なのだからより一層鬱陶しい行動である「泣く」に進化させる。だいたいの大人は息子を疎ましい印象を持つ。
親のコミュニケーション能力が子のコミュニケーション能力を最低限に止めた良い事例だと思う。
ある家族がいた。父親は田舎出身で言語能力が低く表現が稚拙なうえ、暴言が多い。母親は東京出身だが事なかれ主義でわかってないことでも「はいはいわかったわかった」と話を終わらせがち。
この二人は端から見ていると会話が成立していない。が日々の営みにコミュニケーションを必要としない。共働きで経済的には独立しているし、兼業農家なので食料の備蓄や買い出しも雑で構わない。ミスコミュニケーションが起こっても問題が顕在化しにくく、修正もなされないためずっとその調子なのである。
この家庭で育った3人は当然のようにコミュニケーション能力が低かったが、進学先や受験勉強で常人並のコミュニケーション能力を獲得するに至った。
どちらの視点の方が楽しいだろうか。どちらの視点のほうがよりチャレンジするだろうか。
怒られてばかりいる子は当然チャレンジしなくなる。怒られて終わったイベントは二度とそのイベントを行いたくなくなる。学習とはそういうもので、どういう「結末」だったかで記憶は締められる。
良い結末ばかりで構成された世界はやさしく映るだろう。嫌な結末ばかりの世界は絶望にあふれるだろう。
ある親子が居た。母親が娘に対してよく叱っているシーンに出くわす。黙って涙をながし立ちつくす。感情的な母親は怒りがおさまるまで立たせておき、そして無視する。
母親は謝ってくるのを待っているのである。娘が「察する」まで何もフィードバックしない。
原因は、料理のお手伝いをすべく生卵をボールでわろうとしが、手を滑らせて生卵をラグの上に落とし、黄身でシミを作ってしまったことだった。4歳の子供なのだから手を滑らせることくらいするだろう。子育て環境でシミを作らないほうが無茶だ。子育て帰還中は可能な限り洗濯して良い製品で揃えておくものだ。
そうでないなら、ただのエゴだ。ノーヘルで自転車に乗せるようなもの。10cm ヒールを履いて子を抱えるようなもの。エゴを満たすだけのリターンを天秤にかけてリスクを取りに行ってるのだから覚悟して然るべきである。
話を戻す。娘にとっては生卵を割って叱られて終わったイベントだ。この調子で様々なイベントが怒られて終わっていく。かんたんなことさえビクビクしてやりたがらない、何でも避ける子の出来上がりだ。
生卵を落とし泣いてる娘に声をかけ、何が起こったかを聞いている。生卵を落として怒られたと言っている。これではまずいともう一度卵を割らせる。失敗して卵の殻の大半をボールに入れてしまう。
殻が入ってしまったことでグズりだすが、殻を除けば良いことを教える。
さらにもう一個の卵を割らせる。今度は小さな殻だけが入った程度だ。上手くいったねと伝える。
よくできたね、成功だねと伝える。
これについては成功エンドに寄せて終わらせることができたが、彼女にとってのイベントは大半失敗エンドだろう。この積み重ねで世界はどう見えるのか。
もっと色々あったけどなんか長文書いてスッキリしたかったんです。読んでくれてありがとう。
言うて俺の親は低スペックでかなりしんどい思いしてきたし、心肺機能系の一部に問題あるし大腸がんと緑内障の家系だけど、まぁ五体満足だしいいかなって思っている。子供の当時はクズ親だって思ってたし当時は恨んでたし、今でもそう思うところあるけど、おとなになって触れたもっとやばい家や親に比べたらまだマシだったなって。
元増田です。
が、ごめんなさい。身バレを危ぶんだばっかりに元同期から聞いた話をそのまま載せました。(元会計科ではないです)
なのでなんで給与計算かはわかりません。(聞いたときは給与計算大事だしなと納得して終わった)
デスクワークがメインと思われてるところでも、野外演習、行軍、穴掘りはどこに行っても大体ついて回ります。
そんなところです。
iroha2_hohe 自衛隊の彼氏がいた友人の話を聞く限りクズばかりの印象があったので、セクハラとかすごくありそうなイメージではあった/部署が違うと天地が変わるほどの違いがありそうだし被害は事実なので参考程度かと
これは本当にそうで戦闘職種か非戦闘職種かや勤務地など諸条件で全くちがってくるので私の話はあくまでも20年前の1/15万の話です。
非戦闘職種でおじさん比率が高く、勤務もそこまで激務じゃなくてそこそこ余裕があったからそういうのが発生しにくかったのかなと。
r_riv “あそこにいた大多数の人たちは、まともで普通の人たちだったと思う。”かもしれない。が、少数のまともじゃない人たちを律する(罰する)機会を組織が当初は放棄したことこそが問題だと思ってる。
sippo_des そんな昔から対策されてる部署もありながら、ですね。トップの問題なのでは。なんで加害者は公表されないんだろね。あんな稚拙な文さらされるのもなかなか読む方にもメンタル来るけど。
幹部も上に行けば行くほど、事なかれ主義になっていくので上の問題が大きいと思います。(2-3年で異動していくし)
駐屯地全体の行事で部隊関係なく作業に駆り出されるとたまに無能オブ無能みたいな幹部の下につくこともあり
ああいう人ばっかりなら問題は先送りもしくは握りつぶすのは当然かもしれない。
(余談だけど無能オブ無能の下についたときは作業員全員がいらいらがたまりすぎて途中から
指示を仰ぐことなく勝手に行動しだして、反乱とはこういう風に起こるのかと思った記憶)
駐屯地で一番偉い人(駐屯地司令)は1等陸佐で、兵卒からみたら雲上人だけど
市ヶ谷にいけば1佐はうようよいて、さらに陸将捕やら陸将やら超えらい人もいるけどそんなに途方もなく偉い人も
防衛省というくくりでみれば背広組からみたら全然偉くなくてと、現場ではどうしようもないところで
田母神さんとかみてると偉くなりすぎるとやばくなっちゃうの?とピラミッドの上の人が心配になる。
あとは、仕組みで防ぐなら人を固定させすぎないことかな。ずーっと同じところにいると権力ができて腐敗していくので。
そこで当たり前になってる感覚を他に行って披露すると周りがドン引きして自分のおかしさに気づくとかあるだろうし。
自衛隊の特性上、あまり盛んに人事交流はできないだろうけども。
自分で書いておいてなんだけども、これは長いものには巻かれろ的な非常に日和った意見で現状を仕方ないと
本当は、どこにいこうがそんなことおかしいといえてやばいやつをちゃんと正しく処分できる組織じゃないといけない。
exciteB この人大卒だから士官(幹部候補?)なのでは。兵卒の現場とはぜんぜん違うだろう。/軍隊の経理補給の漫画なら「大砲とスタンプ」かな
就職氷河期真っ最中で民間企業の内定はもらえず、一般(任期制)で入りました。なので陸士でした。
大卒で一般ではいったので逆差別みたいなのはありました。「さすが大卒様は言う事が違いますね」みたいな。
tetsu23 「先輩女性隊員がきっぱり守ってくれたので」という言葉にちょっと引っかかりを感じてしまった。守らなければいけない状況はあったということかな、と。
上からの理不尽に対して守ってくれたという意味です。仕事を押し付けられそうになったりとか。
私がうけたのはどこに発注して作ったのかよくわからない俳優さんたちが上官役、下士官役を演じる再現ドラマをみながら
講師役の教育担当が適宜、一時停止しながら「はい、ここアウトです。まずい点が3つあります。」みたいな形式でした。
上意下達においては当たり前だけどすごく丁寧でした。
あ!ほんとだ。ご指摘ありがとうございます。
私がいたところは本当に平和だったけど平和な自衛隊生活でも色々とあった。
一番大変だったのは営内(寮)で共有の冷蔵庫にいれたお菓子とかの盗難事件。
でかく名前書いてあるのに盗られたり、飲みかけのジュースがなくなったり、物がなくなる頻度が
やばすぎてみんなが疑心暗鬼でピリピリしているなかそれでも盗ってく犯人が怖かった。
犯人は判明せずいつの間にか、物が盗られるのはなくなったけど。
五ノ井さんの件はせっかく憧れて自衛隊に入って、がんばってやっていこうとしてる人をこういう形で失うのは
元いた人間として情けなく思う。
私が入隊したころは自衛隊に対する印象って悪くはなかったけど「人殺し集団」みたいに言う人もいて
↑の増田。
追記↓
文章中で結構疑問文あるけど、それらはお互い面倒くさいだろうから全く答える必要なし。なんなら返信自体くれなくていい。それよりゆっくり考えて。善人を騙るのであれば全部読んで端的に反論して俺を納得させろ。
個人的に、善人って名乗る奴は荒らしとか誹謗中傷する奴より苛つくんで、つい噛みついた。悪かった。
俺以外の誰かが漫画とかで正義感養うこと自体は否定しない。ただ「完全に理解した」で思考停止するのはバカのやることなんで、気をつけて。
追記↑
ちゃんと律儀に返すのは誰にでもできることじゃない。
さんざん小馬鹿にしてくる俺のことを本心でどう思ってるかはともかく、そこは元増田の美徳だと思うわ。
あえて断言するけど、元増田は善人ではない。
これから結構キツいこと言うけど、善人でありたいと願うなら、俺がこれから偉そうに言うことを肝に銘じとけ。
ちなみにかなり長いから、あんま傷つきたくないなら最後のまとめだけ読んで。
1つ目に関してはまあ善行でいい。
3つ目は正直、俺からすると「いただきます」「ごちそうさま」並に当たり前で日常の行為だ。自ら善行と宣言するにはいちいち覚えてられないほど小さい。
追記↓
感謝って何か分かるか?
感謝ってのは、相手が先に何かしてくれた結果、それを得難いものだと思ったから出てくる気持ちなんだよ。
つまり、「相手が先に何かしてくれた」の時点で相手にとってはマイナスで、感謝の言葉を伝えたところでマイナスが精々プラマイゼロにはなっても、善行と呼べるほどプラスになることはない。
この場合善行と呼べるのは元増田の行為じゃない。先に施してくれた相手の行為だ。
そこに気づいてない時点で考えが浅い。
追記↑
重要な情報が2つ抜けてる。「誰に譲ったか」と「席を譲るまで元増田がどのように席を確保していたか」だ。
情報を補足して、たとえば「電車で席に座っていた元増田は、目の前にいた高齢者を見て席を譲った」だとする。
このような場合だと、やっぱり自ら善行と宣言するには弱過ぎる。
別に高齢者じゃなくて妊婦でも子連れでも障がいのある人でもそうだけど、大抵の人は一、二回遠慮するもんだ。そういうやり取りによるストレスが、座れたことによる安心感を上回る場合もある。
さらに、目の前に席を譲る対象がいなかった場合、元増田は「誰に席を譲ろうか」と考えて車内を見回すだろう。その選択はどのようにしている?自分の中で優先順位があるんじゃねえの?見た目じゃ分からない辛さを抱えてる人だっているだろう。ホントにそれは善行なのか?
俺からしたら、席を譲るというのは独善的な行為だ。譲らないよりはよっぽどマシだけど、「不良が子猫を拾う」みたいなもんで自ら宣言するほどのものじゃない。
それに比べたら、「電車ん中?譲ったりすんの面倒だからずっと立ってる」って奴の方がよっぽどまともだ。
元増田自身が普段は座ってないと辛いタイプの人間だったらすまんけど。
てか、それくらいのことしか挙げられないの?本当に小さすぎる。それくらいならいくらなんでも俺だってするぞ。
駅構内で明らかに困ってる男性外国人に声かけて乗るべき電車教えたらめっちゃ感謝されて無理矢理駅構内の回らない寿司奢られたとか普通にある。いやこれは俺的にすげえ対価貰ってるし、善行じゃねえけど。
追記↓
ちなみに上記以外にも道案内したことが何度かあるけど、俺は八方美人しがちで「人助けしてる俺カコイイ」って欲がある。だから俺の道案内は善意じゃないし善行でもない。自慰行為にたまたま近くにいた他人を巻き込んだだけ。
追記↑
「良い結果」ってのはその他人にとっての良い結果なの?それとも元増田にとっての良い結果なの?
元増田の善意による「良い結果」が人を殺したら、元増田は事後的にその善意についてどう考えるの?反省するの、しないの?
「良い結果」と、「良い結果が人を殺した」って事実とをどう(追記:「どう」っていうのは、「人を殺したり、他人に迷惑をかけた」以外にもどこかに影響が出てる可能性があるだろ、その影響範囲の内外を線引きする覚悟は出来てんの?みたいな意味)天秤にかけて、誰が(追記:どちらがより悪いかを)判断するの?
考えが浅すぎる。善人を名乗る決意が安っぽすぎる。むしろ一周回って悪人に見える。鱗滝左近次だって色々言ってるだろうが。漫画からなんも学んでないじゃん。鬼滅読んでないなら知らんけど。
学の無さや配慮の無さ、怠惰性がたたって良い結果にならない事があるのは自分でも認めるところですが、基本的に他人には善意を持って接したいと思っていますし、自分に関わった人間には良い気持ちでいてほしいと心から思っています。
と言ったな。
これを俺は、元増田が「俺は基本的に善人である」と個人的に思っているのだなと捉えていた。
で、俺の質問「元増田の思う『善人』の定義は?」に対する回答はこうだ。
上記のような想い(善意)を持っている人間は「善人」かなと思います。
おいおい。
それ最初(追記:元記事の時点)に言わないといけないやつだろ。
元増田は以下のどっちなんだよ。
どちらにしろそれ以外にしろ、善人でありたいなら「善人」って言葉に対するそのクソ甘い認識は改めろ。
「自分は善人である」、そう思うのは自由だ。自己暗示かもしれないし。
だけどそれを人前で言った瞬間に、その言葉は元増田自身の定義「二分されるものでなくその時の状態を表す」をもって矛盾か、嘘か、傲慢になる。
その矛盾や嘘や傲慢は、自覚のありなしに関わらず、少なくとも俺にとっては悪意以外の何物でもない。
かろうじて元増田にとって悪意ではなくても、その矛盾や嘘や傲慢は、善人であろうとすればするだけ元増田自身を苦しめるだろうが。
その定義に沿うなら、せめて「俺は常日頃からできるだけ善人の状態を維持したいと思ってます」と言え。
明文化するのは難しいですが「社会で生きていく中で他人とのトラブルを避けることができるような考え方、マインドセット」という感じですね。
でもそれ(追記:元増田の定義)、元記事の「善意を良しとする考え方(正しい正義感)」と何か関係あるんか?
要は事なかれ主義ってことだろ?そうとしか読めねえよ。(追記:元増田の言う)善意だとか正義感とかと全く関係ない。
長い追記↓
いやも〜、この言葉がまじで意味分かんなすぎて、俺、あんま考えずに強い言葉で断じちゃったよ。
お互いの認識に齟齬があるかもしれないから、修正するために補足する。修正できるか分からんけど。ややこしいし。
まず、「善意はその主観的な〜」の「その」ってのがどれを指してるのかすっげえ分かりにくい。
指示語(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/指示語)の多用は読者に要らぬ誤解を招きやすいから気をつけた方がいいよ。俺も気をつけるわ。
で、今んなってよ〜く読むと、なんとな〜く「その」は「誰か」のことで、「その主観的なハッピーエンド」は「誰かの視点で納得のいく、モヤモヤとしたものが残らない結末」のことなんかな〜ということがかろうじて分かる。
すなわち「善意はその主観的なハッピーエンドの押し付け」を読み替えると、「善意とは、『対象自身が納得でき、かつモヤモヤとしたものが残らない結末』を、同対象に対して押し付けることである」ってことになる。
いやいやいや、分かりづれえって。
俺はさあ、この記事を書いた当時、「え、意味分かんね」ってなった後ちょっと考えて、「その」は直前の「善意」のことなんかなと思ったんだよ。
そうすると、「善意はその主観的なハッピーエンドの押し付け」って言葉は、「善意とは『元増田が主観的に考えたハッピーエンド』を『誰か』に対して押し付けることである」って読める。
違うんだな。やっと分かった。あ〜疲れた。
以上の追記と、元増田が思うハッピーエンドの定義を総合し読み直して、ついでにちょっと言葉遣いもアップデートして俺の主張をあらためると、以下のようになる。
ハッピーエンドを押し付けるとき、対象が善人の状態か悪人の状態かは気にしねえの?「善人悪人は二分されるものでなくその時の状態」なんだろ?
押し付けるときに善人か悪人かで結末が違ってくるかもしれないし、同じ結末でも善人か悪人かで納得したりしなかったりするんじゃねえの?
元増田は対象に、ハッピーエンドを押し付けることの合意を事前に取るの?取らないの?
合意を取るのであれば、ハッピーエンドを押し付けるのは元増田であるって情報は対象に知らせるの?知られないようにするの?
合意を取らないのであれば、どうやって対象が求めるハッピーエンドを導き出すの?
ていうかそもそも「結末」ってなに?どの時期・どの場所・どの目標にゴールポストを置くの?置くところは誰がどういう基準で決めるの?
たとえば、一旦元増田の善意でなんらかの形で結末の位置が決まってハッピーエンドを迎えた善人が、後の人生でバッドエンドを迎えたらどうすんの?心を痛めるの?反省するの?あるいはバッドエンドを迎えないようにその善人の一生をずっと見守るの?それともハッピーエンドの後については関知しないの?
もうね、いくらでも出てくる。正直ツッコミどころが多すぎてキリがない。
「あっ、元増田はハッピーエンドが好きなんだね〜良かったね〜」ってことしか分からない。
なんで俺がわざわざネチネチこんなにツッコんでるか。
ツッコミの回答がどうあれ、元増田の善人を標榜した上での態度は無責任なんだよ。
対象が考えるハッピーエンドが「人類滅亡」とか「不老不死」とか「異世界転生」とか「世界平和」とかだったらどうすんの?
一応元の主張も残しておく。
追記↑
誰かって誰?特定の第三者?ランダムに選んだ第三者?元増田?その人自身?それとも不特定多数の人?
モヤモヤとしたものが残らなければ良いんだったら、バッドエンドだってそうなり得るだろうが。その「誰か」が具体的に誰を指すかは知らんけど、いずれにせよ元増田の定義により、「善人の状態」とは限らないんだから。
主観的なハッピーエンドの押し付けは、それはもう全くもって善意じゃねえ。
全体的に考えが浅い。徹頭徹尾、自己中心的で曖昧模糊で矛盾が多すぎる。
ただただ黙々と善人で「あろうとして」、何かに尽くした元増田の言動を、元増田の意志とは関係なしに「たまたま」見た「誰か」が判断するんだよ。
だから「誰かにとっての善人が、他の誰かにとっての悪人」ってことが起こる。
善人ってのは、自分で名乗るもんじゃねえんだよ。んなもん、言った瞬間に、元増田の想定しない「誰か」にとっての嘘になる。想定してる「誰か」だって幻滅するかもしれない。「森羅万象にとっての善人」なんてあり得ねえんだから。どっかにいるんなら具体例を挙げてみろ。
誰かにとって嘘と判断されることを受容できてなお善人を自ら名乗るってんなら、元増田はもはや善人じゃない。いつでもどこにでもいくらでもゴキブリみてえに湧いてきやがる、クソったれな偽善者だ。
んでもって善意とは何かと考え続けろ。
これは漫画百万冊読んだくらいじゃ到底解決できない。ひたすら長くて、複雑で困難で苦しくて、だけど唯一真っ当で、一生つきまとう課題だ。
会社辞めて縁が切れるわけだ
嫌いだったクソ上司とも、事なかれ主義の更に上の上司たちとも、気にかけてくれた先輩や同僚の人々とも
綺麗さっぱりなくなっちまうんだ
清々しいな
寂しい
半分復讐みたいな辞職だ
縁を切ることが俺の最大の攻撃手段だ
で、その拍子に周りの縁も全部切ってしまう
行き当たりばったりに暮らすから余裕もなくて
人の善意を啜り倒して
逃げるように消える、そんな生き方は
木のように根を張って生きたい
昔はこんなんじゃなかった気がするんだ
いつから逃げる癖がついた
思春期の、一番成長する時、ずっと逃げたい逃げたいと思ったから
大人になって、逃げられるようになって、逃げる目処が付いたとき、すごく安心するようになった
俺は俺をいじめる全てから逃れて古巣が滅亡する様を眺め、優越感に浸りながら高みを目指す
俺との別れを惜しむ人がいる
社交辞令か?
だけども連絡先を交換したりして
一言二言やり取りするんだが
その人の属していた組織を否定した俺はその人も否定していたような気がして
あと単純に興味がなくなっていって
連絡は途絶える
中身が詰まった人間がその向こうにはいるのに、俺はその人のことをほぼ忘れている
俺の中にその人の居場所がない
俺は常に反射神経だけで接している
仲良くなれたのに忘れている
そうして空っぽになっていく
過去をただ思い出にして
友人だった人はまだ生きているのに
知り合いになって、他人になる
他人だったはずの人が
時々、抜け殻の宛先の向こうから言葉を投げかけてくることがあり
その時、そこには人がいたのだと
一人の人がいたのだと思い出し
忘れていた自分の虚しさと、虚しい自分に触れる相手の温かさに泣いている
何度も泣いたが、やはり俺の中に人は住まない
孤独が苦ではない
ただ、人一人の価値を簡単に忘れてしまう自分の愚かさが情けなくなる
それが対等だ
本当にそう思う。部下でも同僚でも上司でも。
でも辞めされられないんだ。
やる気はあるけど出来ないってのならまだ分かる。
単に手を抜いてるとかサボってるとか、そういうのは許せない。
俺が雇用主ならなんとかできるけど、それが出来ない。
歯痒い。
だから辞めさせんじゃなくて、あの手この手でやらせようとする。
でもさ、なんで俺がこんなことしなきゃいけないんだ?
部下なら分かるけどさ、同期の奴とか上司とか、なんで俺が管理しなきゃいけないんだ?フォローしなきゃいけないんだ?
他の奴らはやる気のない奴に何も言わない。
そういう奴らは、事なかれ主義で自分の仕事さえやれてりゃいい、無用な風を立たせないよう、異動するまで耐え抜けばいい…そう思ってるんだろうな。
あー腹が立つ。
https://o-itoma.jp/zyoshi-kirai-genkai/
などを読んでみたが、上司の上司は社長しかおらずあてにできない(基本的に自己保身を優先する事なかれ主義だから「下から不満が~」なんて事実は何としてでももみ消そうとする)し、人事部門に相談しても、人事部門からはその嫌いな上司を通って社長に必ず話が行くので、同様にあてにできないか、人事部門が面倒事を忌避して動くこと自体を拒否する可能性もあり、やはりあてにできない。
よしんば配置換え検討となっても、小さな組織だからそもそも配置換えできる余地もない。
社内に私の味方というか、話を聞いてくれるくらいの人はいるが、具体的に直接間接に何かできるわけでもなく、過剰に頼ることもできない(逆に相手にとって負担になりかねない)。
有休は取っても仕事がたまるだけで根本的な解決にはならないし、退職しても収入が途絶えるだけ。
心療内科は既に通っているが、診断書をもらって休職などできたとしても、有休同様仕事がたまるだけで根本的な解決にはならない。
本人に直接…下手なことを言えば言質や揚げ足を取られて吊し上げにされることは火を見るより明らかだ。
パワハラと言えるほどのことは…俗にいう「梯子を外す」(一旦指示・命令・承認はするが都合が悪くなると保身のために「知らない、聞いていない」などと言って逃げる)のはパワハラに該当し得るのか。