はてなキーワード: 傲慢とは
「俺は町医者なんかじゃなく大病院で診てもらうに相応しい」(傲慢)
「俺は分かる、これは大病院で診てもらわなければいけない病気だ」(素人の謎の自信)
こんなブクマが賑わっている。
はてな民のために球技の意味について政治的かつ実効的に語りたい - メロンダウト
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/plagmaticjam.hatenablog.com/entry/2022/05/23/222507
いくつものコメントが指摘している通り、これは徹頭徹尾〈できる側〉の理屈であり〈できる側〉の見ている景色であり〈できる側〉の自己弁護であり〈できる側〉の正当化でしかない。
体育の授業でさせられる球技に屈辱と惨めさの思い出しかない人間だって実際には山ほどいるのだが、まるでそんなやつは存在しないはずだと言わんばかりの口ぶりである。もはや呑気なのか傲慢なのかわからん。
そもそも球技の必要性が理解できたところで、〈できない側〉の屈辱や惨めさは何も変わらない。
筆者さんはこれを書いて何がしたかったの? 〈できない側〉の僕たちに何をわからせたかったの? 何を変えたかったの?
球技くらいしか選択肢がないという部分には百歩譲ってうなずけても、「だって楽しいじゃんほら球技って!だろ?」と言わんばかりの中盤以降は死んだ目で読んだ。俺には球技が楽しかったためしはない。
ポンコツぶりを見せて冗談関係を築くって? そのポンコツ理論が冗談だろ? しらんけど
女子が放ったスパイクを顔面レシーブしたあの日、俺の人生が1mmでもいい方向に転がったと思うか? 最悪だった人生がさらに最悪になっただけだ。壊れた俺のメガネは地面に転がったがな。
こういうのをね、屈辱って言うの。惨めって言うの。辛酸って言うの。
この鬱屈した感情を知らねーなら黙っててほしい。この件については一生口をつぐんでいてほしい。
運動神経はほぼ天賦の才能だ。生まれながらにそれを持ってるやつに、生まれながらにそれを持っていない俺たちの苦しみ悲しみがわかるもんか。
そういう奴らに俺たちの苦しみ悲しみに口を突っ込む資格はこれっぽっちもないの。君には私に救いを与えることはできない。
いいかよく聞けよ、運動音痴ってのはな、「ノンバーバルコミュニケーションの語彙すら乏しい者たち」なんだよ! なにしろ運動ができないんだからな!
君たちは君たちの言葉で意思を通じ合ってればいいさ。だが俺たちはヘブライ語が話せないのにユダヤ人の討論会に放り込まれた日本人なんだよ!
どんな体育の授業も業火の煉獄でしかなかった自分だが、まあまあ楽しかったなという経験も少しはある。
まず柔道や剣道。ほぼ全員がド素人からのスタートだったし一歩間違えば大怪我をするので、本当に基本中の基本からゆっくりと駒を進めていく授業だった。
基本的には個人種目で気楽だったし、団体戦でも先鋒あたりで出してもらえば自分が負けても気が楽だった。
全員がド素人からのスタートという意味ではラグビーもそうだった。もちろん能力差はあるものの、教師の指導がどちらかというと基本技術や戦術・戦略に振ったものだったおかげで、運動神経だけで明暗がくっきり決まってしまうようなつまらない授業内容にはならずに済んでいたように思う。少なくとも、ウォーミングアップしたらすぐにガチ勢天国の試合が始まってしまうサッカーやバスケとは気分がぜんぜん違った。
そういうこともある
自分は、とある分野のマニアやオタクの類になるのだと思うが、改めて気をつけようと思うことがある。
だが、それによって変な傲慢さまで染みついてしまっていないだろうか?
まるで、その分野の中の人、つまりプロフェッショナルにでもなったかのような振る舞いをしていないだろうか?
こうなるんじゃないか、あぁなったらいいのにな、と個人的に妄想して、あるいは、同類の方々とその妄想の話をするのは、マニア・オタクならではの楽しみでもある。
しかし、自分の妄想が絶対的な正解であると思い込み、他のマニアに対してマウントを取ったり、度がすぎるケースだと、その分野のプロフェッショナルに対して、自分の方が詳しい・正しいと言わんばかりの発言をしたりするのは、周りから見ていて実に痛々しい。
※同じマニア度ぐらいの仲間同士がマウント取り合うのは面白かったりもするけれど。 問題なのは、歴が長いマニアが、初心者マニアにマウントとるケース。
マニア・オタクは、どんなに知識・経験値があっても、所詮は素人なのだ、ということを忘れずに、これからもマニア道を進んで行こうと思った。
気にしなくていいよ、と言ってほしいんですかね。
うん。あたしは疫病神、という悲劇のヒロイン感。教授のために滅私奉公、という押し付けがましさ。私は傲慢だからと言う割に、開き直って傲慢に我が道を行く勇気もないところ。
そういうのって10代後半〜20代前半の不安定な時期にはよくある事だから、気にしなくていいよ。
社会人になって数ヶ月。環境変わって疲れが出てくる頃だから、ネガティブになってるんじゃない?もう変えられない過去を見て悩むより、少し休んだ方がいいよ。
もう数ヶ月も前なのだが、修論を書いていたころのことを思い出すと今でも涙が止まらない。
本当は私なんか研究室に入らない方が研究室のためだったのだけど、でも私修士号欲しかったから、普通の就職よりは内定の貰える技術職で就職したかったから、だから傲慢にも在籍していたの。許して。
教授は私のことをもう許してくれないのでしょうけれど、私は教授に好かれたかったよ。教授のために滅私奉公する私が好きだったよ。
卒業式にも出てないし、大学から卒業証書を事務室に取りに来いと言われているけれど平日しかだめらしいし新入社員は有給取れないし難しいな。卒業証書とかいらないから大学側で破棄してくれよ。そういうわけにもいかないのでしょうけど。
そんな、まるで教授に砂かけて卒業したような私が、大学院の専門ど真ん中での業界職種の仕事を始めるのに罪悪感がある。そういう学生って多い?そういうもん?気にしなくていい?
【戦国こぼれ話】惨殺された兄弟姉妹。なぜ豊臣秀吉は厳しい処罰を下したのか?
豊臣秀吉像。時代劇では明るくひょうきんな秀吉だが、実は残酷な男だった。(写真:アフロ)
現在でも隠し子なるものが存在する。隠し子がいた場合、亡くなった親の遺産をめぐって争うことは決して珍しいことではない。非常に厄介な問題である。
豊臣秀吉といえば、弟の秀長などが有名であるが、知られざる兄弟姉妹が突然姿をあらわしたことがある。秀吉はどのように対処したのだろうか。
秀吉の兄弟姉妹については、以下に示す興味深い史料がある(フロイス『日本史』第12章より)。
1人の若者が、いずれも美々しく豪華な衣裳をまとった2、30人の身分の高い武士を従えて、大坂の政庁(大坂城)に現れるという出来事があった。この若者は伊勢の国から来たのであり、関白(秀吉)の実の兄弟と自称し、同人を知る多くの人がそれを確信していた。
時期は、秀吉が関白に就任した翌々年の天正15年(1587)のことだ(秀吉は51歳)。この若者に関しては他に史料がないものの、秀吉と兄弟であることを周囲の人々が確信していたとの記述は、興味深い。
秀吉は実の兄弟と称する若者に対して、いかなる対応をしたのだろうか。
関白(秀吉)は、傲慢、尊大、否それ以上の軽蔑の念をこめて、自らの母(大政所)に対し、かの人物を息子として知っているかどうか、そして息子として認めるかどうかと問い質した。彼女(大政所)はその男を息子として認知することを恥じたので、デウスに対する恐れも抱かず、正義のなんたるやも知らぬ身とて、苛酷にも彼の申し立てを否定し、人非人的に、そのような者を生んだ覚えはないと言い渡した。
若者が秀吉と面会した際に、何らかの身分的な保証を求めた可能性がある。秀吉があえて母・大政所に若者のことを問うたのは、当然「知らない」と言わせるためだったに違いない。
大政所も秀吉との暗黙の了解のうちに、「若者のことを知らない」と答えた。大政所も後ろめたいところがあり、何かと不都合なことがあったのであろう。
■残酷な結末
母・大政所が知らないとなれば、若者は権力者・秀吉に嘘をついたので、苛酷な運命が待ち受けていた。続けて、同史料を引用しよう。
その言葉(大政所が知らないと言ったこと)を言い終えるか終えないうちに、件の若者は従者ともども捕縛され、関白(秀吉)の面前で斬首され、それらの首は棒に刺され、都への街道筋に曝された。このように関白(秀吉)は己の肉親者や血族の者すら(己に不都合とあれば)許しはしなかったのである。
母の大政所には、3回以上の結婚歴があったといわれている。貧しい大政所が生活を維持するためには、仕方がなかったのだろう。大政所は不特定な男性と関係を持ったのは確実で、当時としては珍しいことでなかったのかもしれない。
■姿をあらわした姉妹
無残な最期を遂げたのは、この若者だけではなかった。次に、史料を挙げておこう(フロイス『日本史』第12章より)。
その(若者が殺されてから)後3、4ヵ月を経、関白(秀吉)は、尾張の国に他に(自分の)姉妹がいて、貧しい農民であるらしいことを耳にした。そこで彼は己の血統が賤しいことを打ち消そうとし、姉妹として認め(それ相応の)待遇をするからと言い、当人が望みもせぬのに彼女を都へ召喚するように命じた。
「己の血統が賤しいことを打ち消そう」としたとあるのは、血のつながりのない兄弟姉妹を根絶やしにすることを意味する。秀吉は自分の知らないところで、血縁者を名乗る人物を消したかったのだ。
■惨殺された姉妹
さらに話は続く。
その哀れな女は、使者の悪意と欺瞞に気が付かず、天からの良運と幸福が授けられたものと思いこみ、できるだけの準備をし、幾人かの身内の婦人たちに伴われて(都に)出向いた。(しかるに)その姉妹は、入京するやいなやただちに捕縛され、他の婦人たちもことごとく無惨にも斬首されてしまった。
この姉妹はあまり気乗りがしなかったようであるが、最終的には使者の甘言にそそのかされたようである。秀吉に会うためにふさわしい服装を整え、来るべき輝かしい未来を信じて入洛したのであった。しかし、結果は史料にあるとおり、無残なものであった。おそらく首は晒しものにされたに違いない。
秀吉といえば、明るくひょうきんなイメージがあるが、実は大変残酷で怖い男だったようだ。https://news.yahoo.co.jp/byline/watanabedaimon/20201110-00207204
結局女可愛さ母親可愛さで動いてるだけで、経済的格差には実際のところ全然興味ないって、もうとっくの昔に見透かされてるんだよね
それならそれでアイデンティティ政治だけやって、金持ちのゲイや実家ごんぶとのフェミニストでも持てはやしてればいいじゃんって思うんだけど
関西ではエリート階層が嫌われるから、むしろそういう人たちのほうが謙虚に振る舞うし面白くていい人が多いと思う。
一方、貧乏から成り上がった人とか被差別階級の人は弱者びいきから支持されやすくて、だから、そっちのほうが偉そうで傲慢なんだよね。
本当に必死で生きたいなら、自動車が不要なように、老人がある地域に集中して住めば良いだけなんだけどね
砂漠ならオアシス周辺に集まって暮らせって発想なだけなんだけど、それを自分の意思でしないのは自殺ってだけ
飢えて死ぬというなら、どうぞ飢えて死んでください、もしくは死んだ事例を見せてください
そういう努力も全く無しに、自分のわがままで人と離れて暮らすために自動車が必要って言い訳して人殺すのは傲慢の極み
だいたい自動車事故起こすなら、地元で崖から自動車ごと落下して死ねば良いだけだろ?
必ず他の土地に来て、小さな子供に向かって突っ込む例しかないのな
たまには黒塗りの高級車に突っ込む奴がいてもおかしくないのにな、都合良すぎだろ
本当に必死で生きたいなら、自動車が不要なように、老人がある地域に集中して住めば良いだけなんだけどね
砂漠ならオアシス周辺に集まって暮らせって発想なだけなんだけど、それを自分の意思でしないのは自殺ってだけ
飢えて死ぬというなら、どうぞ飢えて死んでください、もしくは死んだ事例を見せてください
そういう努力も全く無しに、自分のわがままで人と離れて暮らすために自動車が必要って言い訳して人殺すのは傲慢の極み
だいたい自動車事故起こすなら、地元で崖から自動車ごと落下して死ねば良いだけだろ?
必ず他の土地に来て、小さな子供に向かって突っ込む例しかないのな
たまには黒塗りの高級車に突っ込む奴がいてもおかしくないのにな、都合良すぎだろ
本当に必死で生きたいなら、自動車が不要なように、老人がある地域に集中して住めば良いだけなんだけどね
砂漠ならオアシス周辺に集まって暮らせって発想なだけなんだけど、それを自分の意思でしないのは自殺ってだけ
飢えて死ぬというなら、どうぞ飢えて死んでください、もしくは死んだ事例を見せてください
そういう努力も全く無しに、自分のわがままで人と離れて暮らすために自動車が必要って言い訳して人殺すのは傲慢の極み
だいたい自動車事故起こすなら、地元で崖から自動車ごと落下して死ねば良いだけだろ?
必ず他の土地に来て、小さな子供に向かって突っ込む例しかないのな
たまには黒塗りの高級車に突っ込む奴がいてもおかしくないのにな、都合良すぎだろ
本当に必死で生きたいなら、自動車が不要なように、老人がある地域に集中して住めば良いだけなんだけどね
砂漠ならオアシス周辺に集まって暮らせって発想なだけなんだけど、それを自分の意思でしないのは自殺ってだけ
飢えて死ぬというなら、どうぞ飢えて死んでください、もしくは死んだ事例を見せてください
そういう努力も全く無しに、自分のわがままで人と離れて暮らすために自動車が必要って言い訳して人殺すのは傲慢の極み
だいたい自動車事故起こすなら、地元で崖から自動車ごと落下して死ねば良いだけだろ?
必ず他の土地に来て、小さな子供に向かって突っ込む例しかないのな
たまには黒塗りの高級車に突っ込む奴がいてもおかしくないのにな、都合良すぎだろ