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はてなキーワード: 傲慢とは

2020-06-07

pixivで2000ブクマを超えた

絵をちゃんと描くようになって5年、最新の投稿で2000以上のブクマを貰うことができた。もちろんブクマ数がイコール絵の良さというわけではないし、pixivも人が増えたため2000ブクマ程度では数字価値も無いとは思うが、5年前と比べれば格段の進歩だと思うので、備忘録もかねてこの5年の間にしたことを書いていくこととする。

描き始めた当初は右も左もわからず、高校日本史で習った秘伝口授かなんかかと色々悩みもしたし、いろいろと回り道もあった。最近では絵の上手い人が増え、しかも様々な講座や動画が容易にみられるようになったため価値はないかもしれないが、当時の僕と同様右も左もわからず喘いでいる人の参考になれば幸いです。

描き始め当初及びそれ以前

描き始めた年齢は26歳と遅い。尤も高校時代からオタクであったし、落書き程度なら頻繁にしていたため、絵を描けるようになりたいという欲求は以前から強くあった。しか高校時代にintuos4を買ったものの全く使いこなせず挫折したこと大学受験大学生活の諸々で忙殺されたこから自分で描くということを次第に諦めるようになってしまっていた。だが、その後性癖を拗らせた結果自分の趣向に合うイラストが少なすぎることに欲求不満を感じるようになり、友人がAmazonでintuos5がセール中だぞと言ってきたことをきっかけに、再度挑戦することにした。

最初にやったこ

高校時代挫折したのは、intuos4を使いこなせなかった、すなわち思うように線が引けなかったためである。なので、まずはその克服のため、板タブで線を引くことになれることにした。その際最も意識したのは、tablet driver をしっかり設定すること。多くの人にとっては当たり前のことかもしれないが、高校時代の僕はその意識が欠けていたため、ドライバが反応していないのにそのまま描こうとするなどして結果失敗したのである。なのでその轍を踏まないよう、tablet driverには気を付けるようにした。

そのうえで、とにもかくにも線を引くことに慣れるために、下手でも雑でもたくさん絵を描くことにした。絵をたくさん描くにはしかモチベーション必要である。誰にも見せず描き溜めるのも良いが、やはり公開したほうが達成感がある。そこでイラストサイトといえばpixivということで、どんどん投稿していった。この時期はいいね10とかでも評価されると嬉しかった記憶がある。コメントではなくタグで体の構造おかしさなどを指摘するような嫌味な人もいたが、反応があるというのは励みになるものだ。

ただ、そのうち自分イラストpixiv投稿するにはふさわしくないのでは、という感覚が芽生えるようになった。やはりpixivに上げるには塗りまでしっかり終わらせた、完成されたイラストが望ましい気がした(もちろん塗っていなくても素晴らしいイラストはたくさんあるが、力量も無く手間もかけていない自分のような屑がいていいのかという思い)。しか自分計画では塗りは「まだ」である。そこで次に目をつけたのがTwitterだった。twitterならごみのような落書きを上げても流れていくだけだから許される気がした。しかtwitterには tegaki.dt http://www.kannagi.net/TEGAKI/ というツールがある。tegakiはまさに落書きのためのツールであり、しか手ぶれ補正がないので線の練習にはうってつけだ。僕は毎朝起きたらtegakiをし、帰宅したら寝るまでtegakiをするようになった。

この時期は自分の絵の下手さに鈍感であり(雑だけどきちんと仕上げれば結構いけるんじゃね?という傲慢な思い)、描き散らし公開することになんの躊躇もなかった。そしてその増上慢の鼻っ面をさらにつけあがらせるようなできごとも起きた。先ほど自分が再び絵を描こうと思ったきっかけは性癖をこじらせたためと書いたが、そのようなニッチ性癖をしていると、自ずと世間は狭くなるものらしく、なんと界隈の大御所である方にフォロー&コメントしてもらえるようになったのだ。やはり憧れの人から反応されるというのは嬉しさも格別である最近も「以前から見ているけどかなり上達しましたね」「塗りもかなりきれいになった」等など言ってもらえて大変ありがたいかぎりでした。

何事につけ初めのうちは褒められてこそ伸びるものだと思う。「天才は叱って伸ばし、秀才は褒めて伸ばす」のような言葉があるが、友人がこれについて言ったことがまさしく目から鱗だった。曰く、「天才とか秀才とかではなく、初めのうちは指導してもその意味が分からないことが多いので、とにかく褒めてモチベーションを上げることが大切。そうして慣れてきたら自分でも不満点が見つかるようになるので、欠点を指摘する「叱る指導」が有用になる」。全くその通りだと思う。はじめのうちは細かい技術的な指摘をすることに何の意味も無い。自分でも描いたもの違和感を覚えるようになってから、そしてそのことに悩むようになってから欠点の指摘が意味を持つようになるのだ。なので、今思えば恥ずかしい僕の落書きたちに、いろいろと不満もあったろうに褒めてくださったことは本当に感謝しかない。そしてその恩恵に与れたのはニッチ性癖のお陰である。これこそまさに「狭き門より入れ」というやつであろうか。

中期

只管tegakiする毎日を通じて思うように線を引けるようになった(ちなみに一時期滑らないからと板タブの上に紙を置いていたことがあるが、効果のほどはよくわからない)。そこで次はちゃんとしたイラストステップを踏むことにした。多少とも書けるようになるとやはりtegakiだと物足りなくなるのだ。もはやお前は用済みだ。

ちゃんとしたイラストを描くにはちゃんとしたイラストソフトを使うべきである。僕はとりあえずSAIしました(安いから)。その後クリスタも購入したが、諸事情により最近に至るまでろくに使えなかった。SAIの良いところはとにかく動作が軽いことである。糞スペックPCしか持っていない人はこれ一択でしょう。それから線が描きやすいというメリットも良く言われるが、個人的にはあまり差がわからない。

さて、イラストを描く手順には色々とあるが、やはり一番オーソドックスなのはラフ→線画処理→塗りであろう。線画処理はラフの透明度をさげるなどしたものに線を引いていくのが一般的方法だと思う。で、僕はこの工程が一番嫌いである。ラフは描いていて楽しい。塗りも難しいけど力の見せ所な気がする。一方で線画処理は単なる作業に感じてしまう。自動彩色ツールより自動線画ツールのほうが欲しい。面倒なことはやりたくない、どうしよう。

そこで僕は、ラフの段階で線画としてある程度完成したものを描くことにした。ラフラフで無くすれば線画処理とかいう面倒な作業はいらなくなるのだ。そしてそれはtegakiに慣れていればそこまで困難ではないことだった。面倒くさい線画処理をすっ飛ばすことにより、僕はイラストを量産するようになった。そしてこの時期退職し、こどおじのフリーターになった。

現在まで

たくさん描くようになると、次第に自分の絵のダメなところが見えてくるようになった。僕の絵は①構図に迫力がない②微妙バランスおかしかったりする(し、パースがとれていない)③塗りが雑だし別デバイスで見ると変な色をしている。これらのうち③を改善するきっかけは、板タブが壊れたことにより訪れた。板タブの修理にも結構な値段がかかると分かり(新品を買った方がマシ)、いっそのこと液タブを買おうと決めた僕は、当時使っていたPCにおさらばし、新品のPCも買うことにした。上でクリスタをろくに使えなかったと書いたが、その理由は以前のPCメモリが8GBしかなかったためである。(逆に言えばSAIは8GBでも使える。)こどおじになり家のスペースが広くなったこともあり、思い切ってハイスペックデスクトップPCを買った。実は以前のPCはなぜか彩度が低く表示されており、その結果僕の描くイラスト彩度が高すぎる色彩になっていたのだが、新しいPCのおかげでそのおかしさを理解できた。そして他の方の作品もきれいに表示されるようになり、色塗りの際の参考にできるようになった。今でもまだまだ塗りは未熟だが、上手い人の塗りを研究することで多少はマシになったと思う。

で、①と②の欠点は上で述べたラフの描き方のせいだと思う。つまり最初から綺麗な線を引こうとするあまり、細部にばかり注目してしまい、全体を俯瞰できていなかったせいである。そのことに気づいたので、ラフラフで描く、とりわけ最初カラーラフを描くようにした。カラーラフラフの段階で大雑把に色を塗ったものだが、それをすることで背景も含め全体の感覚をつかめるし、構図のおかしさにも気づきやすくなるというメリットがある。そうなると線画が面倒くさいけれど、液タブに変えたことでかなりやりやすくなった。もはや板タブには戻れないというか、液タブだとtegakiもかなり楽になるんですね。板タブでシコシコ描いていた自分馬鹿みたいだ。液タブの不満点は液晶に手垢がつきまくること

そうして描く環境を整えてからブクマ1000超えは普通になり、2000も超えることができました。なので、今の段階で僕が絵を描く際に大事だと思うのは

  1. ハイスペックPCと液タブを買う
  2. 部屋を明るくして画面から離れて描く(絵全体を俯瞰するため。細部にこだわりすぎてると色々嫌気もさしてくるしね)

になります。以上

2020-06-06

anond:20200606081054

結局のところ誰しも自分に関わりがないところはどうでもいいんだよ

そこのところアメリカン馬鹿から、全世界が知るべきみたいな傲慢さを発揮して、アメリカ=世界じゃねえみたいな顰蹙買ってるわけ

2020-06-04

有名人政治的発言を認めろー!

とか吠えてたアカウントが、いろんな気に食わないことに暴言吐きまくった挙句、これは個人意見つぶやきであり、意見は全く受け付けてないとか言い出してる。

すげえ傲慢だな。

そういった傲慢な言いっぱなしの発言したいらしいが暴言を吐きまくってる相手と同じことしてるとはまるで思わないらしい。

なんというか。

2020-06-02

anond:20200602150304

嫁にちょっとでも悲しい思いをさせたのが辛いんだよ。

あと、「たかが」という言葉麻薬だ。それをいったら人生だって地球だってそうなる。俺はその言葉を使わないよう、おぼれないようにしている。

自分に合わないものは何でも見下してよい、という傲慢しか残らないから。

anond:20200602075105

ほんこれ。

誰がどんな記事を書こうがそんなのは人の勝手で、そこに他人干渉する権利なんてねーよ。

好きに情報を発信して良いのがネットだ。

もちろん、明確な間違いや嘘があった場合に指摘するのは正しいことだし、自分ブログで同一の話題について記事を作り間接的に反論したりするのも良いと思う。

ただ、他人が何を書くかを制限しようなんて考えは、傲慢極まる許されざる思想だ。

勝手他人を"界隈"なんて言葉包摂し、手前勝手正義ルールを振りかざそうだなんて、自治厨みたいな恥ずかしいマネするなよ。

増田でしばしば"学級会"などと揶揄されている女オタクコミュニティーと変わらないな。

テイルズオブシリーズラスボスってさぁ

なんでみんな暴力を振るってくるんだろうね。(シンフォニアまでしか知らないっす)

テイルズオブファンタジア

ラスボス自分の星を救うために大いなる実りっていうものが欲しかった。

→話し合いで解決しなかったか暴力で押し通したラスボス

テイルズオブデスティニー

ラスボス選民意識が極めて高くまた傲慢であったので、地上人を消し去りたかった。

→話し合いがそもそもできない暴力的なラスボス

テイルズオブエターニア

ラスボスは無の世界の神だったけど有世界の神が勝手世界を構築したので消し去りたかった。

→話し合いは通じず、無の世界に戻すことに固執する暴力的なラスボス

テイルズオブデスティニー2

ラスボスは人々が幸福になりたいという想いから具現化したらしい自称神。

→話し合っても納得せず、自分を信じない者は粛清という名の暴力を振るうラスボス

テイルズオブシンフォニア

ラスボス迫害され姉が殺されたことで、全生物を無期生命体とかいうのに買えようとする。

→話し合いは無駄で、一時的に復活した姉に否定され暴力を振るいだしたラスボス

2020-06-01

最近はてブって負のオーラがすごい

傲慢、強欲、嫉妬、憤怒、色欲、暴食、怠惰

ブコメには全て揃ってるんじゃ無いか

2020-05-31

政治を語る人はなぜ皆上から目線で偉そうなんだろう

今日は久々に家族集まっての食事会だった

自宅でテレビを見ながらのゆるくて質素誕生日会、のはずだった

でもお酒が入って気が大きくなったのか、みんな語る語る

政治批判政治批判批判政治の話をしない人への批判

内容はまあいい、話し方が気になって仕方なくて居心地が悪い

とにかく上から目線で、自分が優秀で、自分の持っている情報が正しいという前提で話が進むのだ

酒だけでなく、政治の話ができる自分政治の話ができる知り合いがいる自分に酔っているようだ

色々あるが一番ムッとしたのはコロナ禍で失業者大量発生していることについて

10万人と言っても日本人のほんの一部でテレビ報道煽り過ぎなだけだ、大したことではない」

「やめさせられるようなやつは無能なだけだ」

家族揃って失業家族揃って無能なんだろう」

テレビ煽り過ぎはまあそうだろうが、大したことがないとは私には思えない

コロナ患者数もそうだが、人的被害が出ているとき割合だけでなく数値そのものも見るべきだと考えている

都合よく辞めさせられた人ももちろんいるだろう、でも契約の切れ目で更新してもらえなかった優秀な知人も知ってる

職場ブラック過ぎてコロナハラスメントに耐えられず辞めた優秀な友人も知っている

過労で体調を崩して辞めざるを得なかった人もいるだろう

なんでそういう人の存在想像しないんだろうか

というかその前に、「自分は優秀だから辞めさせられるとかないけど」という傲慢さが気になる

普通に働けてる、普通に生活できているのは、正直運と縁だと思う

たまたま会社が辞めさせないといけないほど危機的状況にならなかっただけ、たまたま会社自分の実力がマッチして気に入ってもらえただけ

自分はそう思っているけど兄弟たちにその意識はないらしい

ていうか姉に至っては休業で給料が7割になったとき発狂して電話越しに親に怒鳴り散らかして泣かしてたじゃん

状況が落ち着いたら全部忘れたのか、都合のいいとこだけ思い出して「勝ち組」を語り「負け組」を馬鹿にするのか

日本人政治を口にしない背景に、政治を口にする人たちの態度が気に食わないっていうのもあるんじゃないかと思う

こんなふうに他人バカスカ貶してまで頭良いとワッショイされるより、何も考えない馬鹿だと思われても他人を気遣って役に立つ偽善者になりたい

もう嫌になったので自分の部屋に引きこもって猫と遊んでいる

兄弟からは「実家も出ず政治もわからない甘えたバカ」だとバカにされてるんだろうな、もうそれでいい

猫は今日かわいい

自分自分でいい

突き詰めると自己中心的傲慢な、非常に危険人物しかならないだろう。

anond:20200530162811

これは謝罪でも案内でも挨拶ですらないただの後悔の吐き出しなの増田はこれを読まなくていいし読んでもいい。

 5年ほど昔に辞めてしまったが、「アイドルマスターを多くの人に知ってもらう!」と妄想して活動をしていたことがある。

 主な活動ブログ。それこそニコマス動画テーマに沿って紹介してみたり、アニメ感想を書いてみたり、ゲームのものについて語ってみたりしていた。今は亡きはてなダイアリーに書いてみたり、ページごと消えてしまったがTumblrで書いてみたり、当時は期待が持てていたニコニコブロマガに書いてみたり……。他にも今で言う「アイドルダイマ」のための動画を作ったりしたことも。

 8年ほどそれらの活動を続けてみたが、結果は「完全に無意味」だった。ブログPVは全ての記事において0かほぼ0だった。何本も作った動画も尽く再生数0だった。誰にも何も届かなかった。増田にも。

 

 俺は当時のアイマス界隈というものを「石でできた大きなドーム」のように考えていた。増田のように外側から見ると何を盛り上がっているのか分かりづらい。しかし良くも悪くも声が反響やす環境なので何かが盛り上がっているのはわかりやすい。ドームの中ではそれぞれがめいめいグループの輪を作って座って楽しんでいて、中心に行くほど華やかだ。しか入り口は分かりづらい上に狭い(実際「アイマスの敷居は高い」という人は結構いた)。

 俺はそこに入り口を作りたかった。華やかに盛り上がっている皆の声を背中に、外へ向かって穴を掘りたかった。橋をかけたかった。その傍に立って「旦那、ここから先は地獄ですぜ……へっへっへ……」と嘯く死神になりたかった。

 俺は結局何もできなかった。入り口や橋なら、有名なユーザー公式ちゃんと綺麗で大きく派手なものを作ってくれた。俺は石の壁に何の傷もつけられなかった。結局、8年続けても何も生みだせない虚無に耐えられなくなって辞めた。こんな虚無と後悔を味わうくらいなら最初から何もしないほうが良かった。

 最初に「これは謝罪ではない」と言ったのは、もし俺が今でも活動を続けていたなら、傲慢にも「増田に届けられなくて申し訳ない」と謝っていただろうからだ。この挫折でそのくらいは学んだ。

 

 結局何を言いたいのかというと、言いたいことは別に何も無い。どうせ何を言っても誰も聞かない。ただ、増田によって舞い上がった後悔の記憶の澱を掬って味わうためにこの文章を書いた。もし増田がこの文章をここまで読んだなら、こういう後悔をしている増田もいるということだけ覚えておいてくれ。

2020-05-30

小児性愛カジュアル化」とは何か?それは問題なのか?

概要

小児性愛カジュアル化」に問題があると考えるのは、対人性愛優位を自明視した認知の歪みでしかない。問題があるとしたら、「性愛カジュアル化」にある。セクシャルマジョリティが主導して守ってきた性の規範を、マイノリティが拒絶することにより、「性愛カジュアル化」が現象として起こっているという事実はあると思う。しかしそれ自体セクシャルマイノリティの「政治活動」としての側面があり、一方的断罪することはマジョリティ傲慢である。「批判するな」とは言わないが、慎重になるべきだし、そうした政治性に注目することなく「批判」に終始するなら「ただのポジショントークだ」との誹りは免れないだろう。

小児性愛カジュアル化」は問題か?

批判者が「小児性愛カジュアル化」と呼ぶものの一つに次の事例がある。

しかし、これは所謂「キャットコール」と呼ばれるセクハラ一種であり、「対象児童から問題なわけではない。批判者も、「対象がもし成人ならば何も問題はない」とは言わないだろう。このような事例は「性愛カジュアル化」によって支えられる悪しき文化であり、批判すべきは「性愛」であり「小児性愛」ではない。これを以って小児性愛批判するのは無理があるし、「小児性愛は悪だから悪なのである」というトートロジーに陥ってるようにも見える。では、なぜ彼らは小児性愛を殊更に敵視するのか? 以下は既存議論焼き回しである

小児性愛と成人性愛本質的な違いはただ一つ、「児童との合意は(少なくとも現代倫理規定では)成立することがあり得ない」という点である児童との間に「合意のようなもの」がいくら存在したとしても、それらは全て「合意」とは見なされないし、見なすべきでない。(「合意」の定義児童保護について慎重に議論を重ねた未来では何らかの変化があるかもしれないが、それについて議論するにはあまりにも論点がずれているし、ここでは触れない。)しかし、「故に小児性愛は許されない」と主張するには論理の飛躍がある。ここまでの前提の下で自明と言えるのは、「児童との性的接触は許されない」という一点である

児童との性的接触は許されない」と「小児性愛は許されない」はもちろん同値命題ではない。彼らがこれを同値と見なすのは何故か?それは彼らが、「性的欲望とは常に性的接触によってのみ満足するものであり、それ以外の性的行為は全てその為の準備に過ぎない」という偏見を抱えているからであろう。今回、多くの人形性愛者、フィクトセクシャルさらにはアセクシャルを自認する人々から批判殺到した理由はそこにある。

「(実在児童対象としない、無機物対象とした)児童ポルノは、児童との性的接触を実行するトリガーとなる」と主張する人々は、「成人と性的接触を行うことは、児童との性的接触を実行するトリガーとなる」とは言わない。なぜなら、彼らにとって「性的接触」はそのまま「性的満足」とイコールであり、それが「ゴール」であると無根拠にも信じているかである

性愛カジュアル化」に問題はある。しかし、

前節では、問題本質は「小児性愛カジュアル化」ではなく、「性愛カジュアル化」であると言った。では「性愛カジュアル化」は本当に問題なのか? 結論としては、確かに問題であると私は思う。うぐいすリボン荻野さんも以下のように言っている。

その理由としては例えば、①性的プライバシー問題、②依存性の問題、などが挙げられる。あるいは、「そのような問題内包する言動」こそを「性愛カジュアル化」と呼ぶべきである、という定義づけも可能だろう。

①を語る言葉として「性的自己決定権」「私の身体は私のもの」などがある。余談だが、これは、ラブドールのような性的表象、および自慰を愛好する人々にとっても重要概念である。実際、他人自慰制限しようという試み自体が「性的自己決定権」の侵害であり、セクハラだという批判もあり得る。(参考↓)

話を戻そう。性とはそれ自体が深くプライベートものである。故に、他人性的領域に、物理的にも精神的にも安易踏み込むことは許されない。「性愛カジュアル化」には、その越えてはいけないハードルを下げてしま効果があるのではないか。自らのプライバシーを切り売りしている限りは「下ネタ」であっても、他人プライバシーを暴いたり、そこに土足で踏み入るような言動は「セクハラ」になる。(「下ネタ」を話題にすること自体話題への参加を強要し得る文脈において、それらの区別曖昧だが、それを語り尽くす労力は私には残っていない。)お互いのパーソナルスペース尊重する文化を守るためには、適切なゾーニングを守り、強行的な「性愛カジュアル化」を防ぐことも大切だと私は思う。

②の問題は意外にも語られることが少ない。これは、「ポルノにはなぜ年齢制限が設けられるか?」の問いに対する答えでもある。逆に言えば、「未成年ポルノを見せるべきでない」理由として、「正しい性教育」的なものを挙げるのは、性のスティグマ化に資するのみで未成年に良い影響を与えはしないだろう。

ここまで、「性愛カジュアル化」は問題であることを述べた。一方で、それらを安易断罪することもできない事情もある。それは次節で述べよう。

政治表現としての性表現

荻野さんは次のようなことも言っている。

ここで、各国のゲイ・パレードプライドパレード(LGBTパレード)の様子を見てみよう。

https://www.huffingtonpost.jp/letibee-life/taiwan-lgbt_b_8448268.html

https://lifevancouver.jp/pride_parade_vancouver

https://rocketnews24.com/2012/06/30/224561/

https://www.youtube.com/watch?v=MWiZwUFWs5E

やはり、非常に過激セクシーファッションに身を包む参加者のことが目に留まるだろう。しかしだからと言って、彼らに向かって「ゾーニングを守れ!」と叫ぶことがどれだけ暴力的か、理解していただけるだろうか?

彼らがこのような「性」を明け透けに表現しているのは、それ自体政治意味合いを持っているのである。それ自体政治表現なのである。そして我々の「性」の表現にもまた、そのような側面があることは決して無視できない。対人性愛的なものに背を向け、「オタク」的な性表現をオシャレなものとして、隠語的なコミュニケーションのために消費する文化がウケた理由は、人々がそのような政治性を間違いなく見出したかである。それは単なる「ポルノ」ではなく、「我々の性のあり方」をありのまま表現した、アイデンティティのものなのだ

とはいえ、我々の消費する全てがそのような政治性を帯びているわけでもないし、また全てがポルノ的でないわけでもない。実際のところ、単なるポルノが悪ふざけで表に出てくることもあるだろう。しかし、それらの区別は決して容易ではない。物理的には全く同じインク配列であるものが、文脈や作者の意図次第で、時にポルノであったり、時に政治的であったりする。それらは私やあなた独善的基準で決めつけていいものではない。「法的規制に反対する」という言葉は、私刑を推奨する標語であってはいけない。表現の正しい用法用量というのは、表現者と受け取り手一人一人の良心に委ねられるべきなのである

さらに言えば、政治性とポルノであることが、多くの場合両立してしまっているところにこそ問題の複雑さがある。その区別について「語るべきでない」とは言わないが、本質的に「区別不可能である」ことを前提に、慎重に語る必要がある。そのような必要な慎重さを欠いた言説こそが、「差別だ」と糾弾される所以なのである

誤謬見出し批判することは容易であるしかし、否定することが目的化した人々で集まって、こちらの政治性を矮小化するような言説ばかりぶつけられては、議論にならない。「我々が言いたいこと」は、この文章を通しても伝わるはずであると信じている。

プログラマー傲慢というか個人主義にすぎる

プログラマー側は「集中してあれこれ考えてる時に声かけられたら崩れて効率悪くなるじゃん、わからんの?」って言うけどさ。

ほとんどの仕事でそれはその通りよ、個人レベルでは作業中に集中を妨げられない方がいいってことなんて。

それでも普通の人たちは、集中を邪魔されても我慢しあうのが当然になってる。

かいうとプログラマーみたいな人たちは我慢美徳という悪しき習慣が云々とか言い出す奴がいるわけだが、それも間違い。

互いに気楽に声かけられて色々聞き合ったりおしゃべりしてOKって風土にしておいた方が、個人の能率が妨げられるとしても、集団としての能率は上がるんだよ。

から遠慮なく話しかけていいし、自分が声をかけられたら忙しくてもできるだけ愛想よく返事しましょう、対話を重視しましょうってのが大体の職場暗黙の常識なんでしょ。

そこで個人レベルの狭い視野を振りかざしてるから傲慢ワガママ、和を乱して全体のパフォーマンスを下げるって嫌われるのよ。

しかも、俺たちは正しくて頭が良いか効率意識できるのに、周囲の奴らはバカから散漫な意識仕事して平気でいやになるね、みたいなことを言うやつまでいる。

物事がわかってないのは自分なのに、周りを馬鹿にするなよ。

協働とか、集団とか、組織とかの合理性を軽んじて、自分一人の世界に閉じこもりたがるのはなんでなんだ。

コミュニケーション下手か?

集団所属するならちゃん人間関係をやれ。

最近踏んだもの

踏んだものを正確に覚えている人はいない。

人間のなんて傲慢なことを。

2020-05-29

小児型ラブドールの件。対人性愛優位社会傲慢について、人形性愛・非対人性愛など様々な立場から散々批判が繰り広げられていてもう言い残すことないし、おかげで今まで黙っていた良識のある人々からも少しずつ声が上がってきているんだけど。

そろそろアンテナの低い「イツモノドウシヨウモナイヒトビト」が乗っかってきていっちょ噛みしているというのが現状なんだけど。

今更になって更にアンテナの低いツイフェミ系の人たちが「またイツモノドウシヨウモナイヒトビトが騒いでるのかー」ってな感じでゴニョゴニョ言ってるのがもう「ドウシヨウモナイ」って感じ。

エコーチェンバーで脳が停止してる奴らのことはもう放っておけ。

2020-05-25

テラスハウスを観る人はバカ

私には友達ほとんどいない

高校大学も、そのときなんとなく一緒にいた人はいたけれど、職場だって変わってしまえば、それきりの関係しか築けなかった

そんな去年、Netflixテラスハウス を知って暇つぶしに観てみた

揃いも揃ってみんな若くてキラキラしていて、素敵で素晴らしい経歴や肩書きを持つ眩しい若者

そんな彼らはどういう生活を送っているのか知りたくて、一気に観あさった

若い美男美女でも

家事をまったくしなく気遣いがない人は距離を置かれる。

自分に自信があっても異性の布団に入りにいってはいけない。

いくら格好良い人でも、好きな異性を目で追いかけているのは度が過ぎると怖い人になる。

自分の考えを無意識にも押しつけてしまうと、周りが気を遣わざるを得なくなり、すごく傲慢に映ってしまう。

の子もいいなこの子もいいなと気が多い人は、信用ならない。

当たり前かもしれないけど、そんな人間関係をじっくり観察?できて、とても勉強になった

カメラを回されながら、きちんと話し合い?をしてる姿は本当に建設的で偉いなと思った

リア充暮らしを覗き見しているような感じが楽しみだった

かといって、未公開とかYouTubeとか、メンバーSNSには全然興味がなくてというか、別次元の人だなという意識だったから、知らなくて観たことがなかった

でも、今回の事件で初めて知った

まさかSNSでこんなにひどい言葉を突き刺されているなんてまるで知らなかった

すごく衝撃を受けたし、やりきれない思いだ

なぜそんなにヘイトをぶつける気持ちが出てくるのか?

誰のためにヘイトをぶつけるのか?

人を傷つけたい意思はどこから出てくるのだ?

視聴者出演者に何を言っても赦される?

意味不明だし、バカしか思えない。

そんな視聴者が多い番組を好んで観ていた私はバカの一員だ

こんなにも辛い思いをして、無念な結果になってしまった彼女に、得体の知れない後悔と重苦しい気持ちがないまぜになっている

冥福をお祈りいたしま

もう、テラスハウス は観ないよ

anond:20200524070952

それを代償行為追体験と断ずるような矮小な捉え方をし続ける限り、その消費者生産者も見下しつづける害意に歪んだ怪物になる道から逃れられない。

自分の捉え方こそが「本質」だという傲慢によって自分怪物になっていることを誤魔化していないか

リアリティショーやAVが俗っぽい部類の娯楽であることは事実であるけれども、その考え方だとオペラ歌舞伎といった伝統芸能、あるいは映画小説のような芸術作品が描く人間模様もすべて自分人生と向き合わないアホが消費する気持ち悪い娯楽と捉えることになるのではないか

そうでないと言うのなら、その境界はどこにあるのか?

anond:20200525123429

いや啓蒙ってそういうもんだから

知的レベル低いやつらをどうやって底上げするかの話で、元増田にもあるように「貴族主義的な傲慢さを含む思想」なわけよ

だが君が知的レベルが高くて相手知的レベルが低いとかそんなのわからんし、君が間違ってることもある。

とかは的外れだし。

SNS啓蒙可能

ここで言う啓蒙ってのは、社会全般に知を広めることで社会全般を良くしていこう、という運動のことね。

 

啓蒙主義科学が興ったおころに西欧世界で広まって、しかしこれは西欧中心的・貴族主義的な傲慢さを含む思想であるため、20世紀までには思想上でぼこぼこにされて廃れた。と、俺は理解していた。

でも民主主義自由について考えれば考えるほど、これは啓蒙、という発想を前提している制度であって、現代のわれわれにあっても啓蒙主義を推進する以外の道はないと思えてきた。

民衆全般が賢くならないと、結局のところ民主主義は上手くいくことはない。アベ信者もアベガーも対消滅することはなく、マスコミ馬鹿向けの番組製作してバカを量産し、SNSでは正義ぶった苛めが横行して自殺者が絶えることはないだろう。

から啓蒙を進めないといけない。

 

啓蒙っていうのは、知識と見識が広まることで達成される。

インターネットっていうのは、理論上、その活動にすごく向いているはず。

ところが現実インターネットっていうのは、"啓蒙が行き届いている状態"の、真逆を行っているように見える。

ネットを見れば見るほど、なぜか人は馬鹿になる、ように見える。

 

なぜだ?

 

 

 

仮説1 ネットを見れば見るほど個人は賢くなっているが、バカバカ度合いとバカ流入速度が賢くなる量を上回っている

これな気がするが、特に理由はない。

 

仮説2 ネット構造は実は啓蒙に向いていない

そうだとして、しかしそれはどういう理由なのか? ちゃんと考えると大変そうだ

 

仮説3 群衆は決して賢くなることはない

これはシンプルに間違いなので棄却する。流石に明治時代大衆と令和の大衆では、令和のほうが啓蒙されているよ。コロナ騒動のこととかを精査すれば論証もできるだろう。

 

仮説4 群衆は実際に賢くなっているが、群衆の内部にいるので比較できず、わからない

これな気もするなあ。

2020-05-24

実は自己中心的傲慢なのか

他人質問する際、「私はこう考えるがどうか?」という具体性のある尋ね方でなければ答えたがらない人が、自分から他人に対しては「どうしたらよいか?」という具体性のない質問しかしない。

自分クローズドクエスチョンをされると途端に回答を避けたがり、決して言質を取らせまいとあれこれ策を弄し、結局ことをあいまいにして何も回答しないが、自分から他人に対してはクローズドクエスチョンイエスかノー以外の回答を許そうとしない上に、その回答を言質として取りいつまでもネチネチと持ち出してくる。

自分他人を当たり前のようにこき下ろし、一切の反抗を許さないが、他人自分こき下ろすことだけはいかなる理由があろうとも絶対に許さず、さらに徹底的な報復を加え、場合によっては社内的に抹殺してくる。

これをもって自己中心的傲慢であると私は表したいところだが、他に何か表現があるだろうか。

こんなに気ままに生きられる人生って楽し…いのかな。

2020-05-23

誹謗中傷からダメなの?筋の通った批判も人を殺す毒になりうる

誹謗中傷」を許すなというワンイシュー化が怖い

引き金がリアリティーショーという事情もあってか、

画面を通した虚構に騙され「誹謗中傷」を繰り返す愚民けが問題であり

彼らを棍棒で教導すべきだという傲慢選民思想に酔い始めているように見える

散々欧米発のリベラリズムフェミニズム

一部先鋭化している事を批判する言説が広まっているにも関わらず

同じ道に迷い込みそうな空気が非常に怖い

薬も、批判も、量が多すぎれば毒

誹謗中傷でなくとも正論で殴り続ければ人はきっと死ぬ

SNS批判賛同も何もかも量が多くなり、すべての言説が毒になっていく

それなのに「誹謗中傷」だけが問題だと気持ちよく正義活動を行い、逃避する。

黙っていても、発言しても世界炎上は止まらない世の中で、俺は何ができるんだろうな?

anond:20200523033143

元増田です

増田はさぁ、それが女性専用車両じゃなくて厳ついヤクザレスラーのような男ばかりの空間だったら、たとえそれが法律にないことでも、相手要求に従うでしょ?

あんなに高圧的に言うならたとえ相手が屈強な女子プロレスラー団体であろうと従いません。元増田では相手の悪い面を強調し過ぎになると思って敢えて書きませんでしたが、実際には「あなた盗撮痴漢行為をしないという保証はあるのか?」のようなことまで言われています。なので絶対に何人たりとてそのようなことを言うのであれば、従いません。

頭にきたからといって「法律にないから移動しません」と女だらけの空間居座り続けられること自体本質的に非対称ということをわかってくれないか

普段なら、居座らなかったと思いますあくまでも高圧的に言われたからです。はっきり言いますが、気分や気持ち感情問題です。

女性はなるほど痴漢の標的になる立場です。男とは違い、守られなければならないのかも知れません。

生理体調不良になったり、妊娠で働くのが難しくなったりと、ある意味障碍者のように扱う必要もあります

でも、それらを理由に、「社会には私達女性特別扱いしなければならない義務があり、女性にのみ認められた特権なのだから、協力してもらって当たり前であり、感謝の気持など持つ必要はない」などというのは傲慢だと思います

当然、法律上の話であれば、そうした法律には従う以外に方法がなく、いちいち感謝など必要はないでしょう。

しかし、法律の定めもないのに協力しあっているのであれば、その協力に対して感謝の気持を持つのが当たり前ではないのでしょうか?

弱い立場からと言って、感謝する必要すらないなどとは私は思いません。

「あるがとう」の気持ちを持つ、たったそれだけのことですよ?

コロナ花嫁うるせえ


やっと結婚式延期の報告ラッシュが済んだと思ったら今度は「本当なら今日結婚式の予定だったのに…」とかなんのアピールだようるせえ

さらに「私より遅く結婚決まった人が私より結婚式の日程早いのモヤモヤする…」とか知らねーよ傲慢にも程があるわ

お前キャンセル料なしで延期できてるじゃん厚かましいな本当に

(補記あり)人形性愛者による幼児ラブドール反対運動への抵抗

幼児セックスドール生産販売・の廃止を求めます。」という署名活動change.orgで行われている。

大意として述べられていることをページから引用すると

日本の【児童買春・児童ポルノ禁止法】にて幼児セックスドール製造販売・所持を規制すること

小児性愛者に対する相談窓口の設置や加害行為を防ぐ為のカウンセリングセラピーへの取り組み

ECサイトなどに未だ販売される【幼児セックスドール児童ポルノ】の取り締まり、及び【販売禁止を徹底】

以上3つを求める署名活動だそうだ。

②に関しては私も賛成ではあるが、いかんせん①や③に関しては記事を読んだ限り感情が先行している雰囲気が否めない。

案の定Twitterでは「人形実在人間ではない。児童ポルノ禁止法は実在児童を守るための法律であり人形摘発に労力を割かれているうち実在児童を守れなくなる」「表現の自由侵害だ」などの批判が出ている。

しかに、現参議院議員である山田太郎氏が、2016年に行った警察庁へのヒアリングでは、フィギュア非実在人物を扱ったものであり児童ポルノには当たらないとなっていた(‪https://togetter.com/li/942630‬)。そのため、モデルのいないラブドールについても同じ扱いにはなるのだろう。

けれども、この騒動を見ているうちにどうにもむず痒い思いが沸き起こってきた。署名に賛成の人間も反対の人間も、「ラブドール」というものを置き去りにして議論を進めている感があまりにも強すぎるのだ。

私はラブドールオーナーである

一緒に暮らしているのは身長130cm台で、布のボディに骨格の入ったいわゆる「ぬいぐるみドール」というものだ。身長からわかる通り彼女の外見は、この署名賛同した人たちから見れば「幼児ラブドール」としか言いようがない、唾棄すべきものだろう。

から、私はこの署名活動には反対である彼女との生活を守り、またラブドールを愛好する方たちと彼らのパートナー人形たちを守るためだ。

そして、この文章を書くに至った、私の性的嗜好についても伝えておかねばならない。

私は人形しか性的興奮を覚えない人形性愛である

無機物で作られ、有機的な肉体よりも完璧に編み上げられた造形を持つ人形しか、私は愛することができない。故に、ラブドール規制は私にとってパートナー喪失であり、個人性的嗜好否定に他ならない。性的嗜好個人構成する不可欠な要素であり、直接他人に害をなすことがなければそれを妨げられるいわれはない。

から、私は声を上げねばならない。ラブドールというパートナー喪失が、ひいては「私自身」の喪失に繋がるのだから

当該署名ページには既に陳情を送ったが、もっと広くこの問題を知ってもらうためにこの文章を書いている。前置きが長くなってしまったが、もうしばらくお付き合い願いたい。

この署名において、まず私が問題と考えていることは2つある。

①「幼児ラブドール」の明確な定義がなされていないこと。

もしも定義が書かれているのであれば恐縮だが、ページの隅から隅まで探しても見つからなかった為上げさせていただく。

身長・体型など、「その人形幼児を模している」という明確な定義がなされていないことは、ラブドールだけではない全ドールオーナーにとっての脅威ではないのか。

ただ、この定義がされていないのはまあ、仕方のないことではある。

基本的ドールというのは頭と胴体が分離する仕様になっていて、同じメーカーの頭と胴体でアタッチメントが合えば好きにすげ替えることも可能だし、別メーカーの頭と胴体を組み合わせているドールオーナーだっている。購入したとき一般的な成人女性の体格であったドールの首をすげかえて、幼児体型のボディに載せ替えることもできるし、逆もまた然り。これはラブドールだけではなく、性的用途のない比較的小さなサイズドールでも同じだ。

まりドールの体型というのは不定であり、「幼児ラブドール」の明確な取り締まりというのは不可能に近い。どんなに成人の顔立ちをした頭のドールでも幼児の胴体とすげ替えてしまえば「幼児ラブドール」の出来上がりだ。

また、知り合いに性的用途に用いることのできる1/3ドール(50cm前後ドール)を持っている人がいる。このドールは胴体部分にオナホを装着できる仕様になっているものだ。(1/3ドール性的な目で見ることを忌避する人は多く、これは標準的ものではない。念の為に付記しておく)。

この1/3ドール身長約50cm新生児並みのサイズであり、身長でいえば幼児どころの騒ぎではないだろう。けれども胸部のパーツを変えることでバストサイズを成人女性のようなバランスにすることができる。「幼児身長をした成人女性の体型のラブドール」だ。元々ラブドールとして制作されたものでも、扱いやすから成人女性を100cmほどに縮めた人形だってある。前述の規制を作るとしたら、これはどのように解釈したら良いのだろうか。

また恐ろしいことにほとんどのドールの頭と胴体はすげ替え可能なのだ。もともと性的用途を考えられていないドールの頭を、この性的機能を持ったドールの胴体に装着すれば、どんなドールでもたちどころにラブドールになる。

だとしたら、性的用途でないドール高身長かつ成人体格のドールでも「幼児ラブドール」になる可能性を秘めているのではないか

これが、私の恐れている規制の形だ。

私は、パートナーである人形と一緒にいたい。だからもしも幼児ラブドール規制がなされ「身長cm未満の人形の所持を禁止」などとされれば、泣く泣く彼女の頭をすげ替えて規制対象外の高身長人形にするだろう。頭(顔)の部分に私は彼女本質を感じているし、そこが変わらなければどんなに体型が変わったとしても「彼女」であり続ける気がするからだ。

けれども、おそらくそれは許されない。なにせドールの頭はすげ替え可能なのだ。どんなドールでも「幼児ラブドール」に変わる可能性がある以上、現行の頭と胴体が脱着可能人形は全て規制せざるを得なくなるだろう。それは、絶対に許すことのできない事態だ。

また、ラブドール基本的に重量がある。シリコンのものであれば20〜40kgほどが基本で、大柄な人形だと50kg近いものもある。

「本物の人間より軽いではないか」と思う方もいるかもしれないが、本物の人間を抱き上げたときには、抱かれた人間意識的動作を助けるよう力を分散させたり動かしやすいよう関節を曲げたりする為、実際にかかる力は体重よりも軽くなる。しかドールにはそれがない上、米俵のように担ぎやすい形もしていない。凹凸だらけの重い物体を動かすには、想像以上の力が必要ものだ。40kg台ドールオーナーの中には家の天井ウインチを設置している人もいるという。

私が身長130cm台のドールを選んだ理由もここにある。小さければ軽く、移動させることも容易だ。

ただ前述のように100cmほどの小型サイズで成人女性の体型をしているラブドールもいる。小児性愛者でないのなら、持ち運びが容易というだけならそちらを選べば良いのではないか?と疑問に思う方もいるかもしれない。

けれども、私は人形性愛なのだ人形人間に近く作られているほど精巧だ。限りなく人間に近く作られていればこそ、人間にはない造形美が際立つのである。だからこそ、「実物の人間に近い」と「取り回しができる」の折衷として、130cmドールを迎えることにした。

130cmドールを選んだということはそのような外見に性的興奮を覚えるのではないか、ならお前は小児性愛なのだろうと言う方もいるかもしれないし、そこについては本題から逸れる為強く否定の弁を述べることはしない。

けれども、知っておいてほしい。幼児ラブドールを迎える人間の中にも様々な人種がいることを。

純粋幼児の外見が好きなもの自分の持ち運びできるサイズを考えた者。そして私のように「等身大」と「持ち運び」双方を考えた者。

持病のために重いものを持ち運べず人間パートナーもいない為ラブドールのお世話になろうという人間がいたときに、自分が持ち運びできるサイズ人形を選んだことで「小児性愛者」と罵られたとしたら。それは本当に正しい矛先なのだろうか。

まり、「幼児ラブドール」という曖昧もの批判するときに、それを愛好する人々を全て「小児性愛者」と一括りにして批判することに傲慢さを感じるのだ。

人形への愛のなさ

この署名活動およびそれに賛成する方の意見を見ていると、そこにひとつ無意識がみられる。「ラブドール実在人間に向くはずだった性欲をぶつける代替である」ということを無邪気に信じていることである。だから彼らは幼児ラブドールを持つものはいずれ実在児童を害すると考えている。

ここに、人形性愛者として私は反発を覚えるのだ。

私にとって人形は「人間の代わり」ではなくそ自身が一個の客体である。私は彼女と暮らす中で彼女意思を無言の中に感じ取り、それを叶えることでささやか幸せを得ている。それはエゴしかいかもしれないが、私は彼女といることで確かな幸福を感じているのだ。大切に扱った器物には魂が宿ると古来から日本では言われているが、私はたしか彼女の中に魂を見出している。それは決して代替可能ものではないはずだ。「魂」が突飛であれば「愛着」と言えばわかってもらえるかもしれない。

彼女のいない生活など想像したくもないし、また彼女がいなくなった後に人間の、成人女性を愛せと言われたところで、それは彼女ではないのだ。

ここに、全ての人間性的嗜好対象人間であるという傲慢さを感じてしまう。

また、この署名への賛成派も反対派も、この「愛着」について全く無頓着であるところに、前述のむず痒さの本質がある。実際のラブドール愛好家を置き去りにして議論が進んでいる感が拭えないのだ。感情法律を左右することなどあってはならないが、それにしたって「賛成」と「反対」の二元論になりすぎていやしないか

以上が、私が幼児ラブドール規制に対して感じた違和感についてである

もっと述べたいこともあるが、話がまとまら蛇足になってしまうことも多いので割愛させていただく。

大前提であるが、私は現実児童への虐待絶対にあってはならないことだと考えている。

私自身はラブドール彼女とひっそり暮らし一緒に朽ちていくつもりであるしかし甥っ子や姪っ子たちが性的被害にあったら絶対犯人を許さないし、場合によっては刑務所に入る覚悟制裁を加えるつもりだ。

人形人間は別である、という冒頭で出た意見に集約されてしまうのだろうが、人形人間とは全く別のものとして愛している人間だっているということを知って欲しかったのだ。

そして最後に、こちらの署名では小児性愛者に対する相談窓口の設置や加害行為を防ぐ為のカウンセリングセラピーへの取り組みを求めるということだが、これについては小児性愛に悩んでおり、ラブドールでも発散することができないという当事者のためにも行うべきだと思う。

また、この文章を読んで人形性愛者という存在を知った方は、是非人性愛者に対するカウンセリングセラピーを行ってくれるような施設を紹介してほしい。

人形生活している人形性愛者にとって、この署名を知ったことは本当に苦しみを覚えたのだから

5月24日付記】
匿名のいち個人意見などほとんど読まれず埋もれていくと思っていたので、想像以上に多くの方に読んでもらって驚いている。
頂いたコメントはどれも肯定否定に関わらず自分でも気づかなかった視点を見せてくれて、本当にこの文章を書いて良かったと思う。ありがとうございます
私は彼女と添い遂げていくつもりだが、ラブドール寿命人間より遥かに短い。シリコンやTPE製のドールは動きに連れて肌が裂けていくし、空気人形は破けて空気漏れるようになる。そして彼女のようなぬいぐるみドールは綿がへたり痩せていく。内部骨格が折れることだって考えられる。
から多分彼女をお迎えしたメーカーに適宜修理やパーツの交換をお願いしながら長らえていく形になるだろう。自然新陳代謝のないドール人間より老いていくのが速いのだ。規制はされないまでもメーカーが萎縮して倒産廃業することになれば、修理を受けられなくなったドール達はどんどん壊れていく。
私を含む愛好家にとってドールパートナーであり家族である。だからメーカーサポートが受けられなくなったら自力で修理技術を身につけようとする人もいるだろう。私もそうするつもりだが、おそらく個人では限界がある。
からこそ、前述の通り体型・性的機能の有無が不定ドールにおいて「幼児ラブドール」という曖昧規制をすることによってパートナーを奪われたり、メーカー自粛したりすることをどうしても止めたいのだ。
また、「小児性愛者へのカウンセリングセラピー」についてであるが、自分小児性愛であることを悩み苦しんでいる人が心理専門家客観的、かつ守秘義務保証された上で話を聞いてもらえて楽になれる場所を作るのはもちろん賛成だ。
小児性愛者だとしても、実際の児童加害行為を行なっていない以上権利は守られるべきだと思うし、児童への加害行為を行う前に適切な精神セーフティネットが用意されて然るべきだと考えている。言葉が足りなかったと思った為補記する。
高校生くらいかぼんやりと考えていた将来設計がある。
人間結婚はしないまでもきちんとした職について両親を安心させ、彼らを見送ったら自分理想等身大人形を作ろう。そして後始末をすることになるだろう親戚家族自分葬式代と迷惑料になるくらいの貯金をしながら人形と一緒にひっそりと余生を過ごしていこうと。
ラブドールというものが今ほど一般的ではなく、存在殆ど知らなかった子供の頃の夢想だった。
今ではラブドールメーカーも多岐にわたり価格もある程度は下がった。私にとってドール性的機能は必ずしも重要なことではない。けれど、等身大人形といえばマネキンか、人形作家が手ずから作る美術品という意識だった子供時代から比べれば、ECサイトショールーム等身大人形をお迎えできるというのは圧倒的な革新だった。また、反対運動が起こってはいるがラブドール展覧会も開かれるくらいには認知度も上がった。いい時代だと思う。
この時代を、私は守っていきたい。

5月27日再付記】

書いた人の個人的な話。長いので別記事にて

https://anond.hatelabo.jp/20200527165713

2020-05-21

anond:20200520204737

スクールなんか行かなくても俺にできないわけねーだろくらいの傲慢さこそがセンス

2020-05-20

飲食店食べ物写真

SNS飲食店食べ物写真あげて

メニュー名とか店の名前とか書かない人が嫌い

人様に見せつけといて

相手情報は渡さないという傲慢さが嫌い

「何だよ、ただの自慢かよ」ってなる

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