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はてなキーワード: 大学時代とは

2018-09-22

大学時代の仲間

久々に連絡がきて、横浜で飲むことになりそうだ。

最後に集まったのが7-8年位前か。

俺らも歳くったわ。氷河期世代ド真ん中。

地元に帰ったあいつは「人事制度が気に入らなくて会社辞めた。いま転職活動してる。」とか、

長年消息不明だったやつが同じ沿線に住んでたとか、驚きもある。

俺は、気がついたらプロ社畜になってたよ。

それなりの役職年収を餌にロックされてるから会社を辞めることもできない。

家族を思うと、いまの会社にしがみつくしかないのかな。

だせえな俺は。お前らどうなんだ?

2018-09-18

息子だけど、親権押し付け離婚した母親について

そういえば自分の周りに親権を押しつけて離婚した母親がいたなあと、元増田を読んでいて思い出した。

もう20年近く前の話だし、元増田の元家庭とはずいぶん環境も違う。

記憶も定かでは無いけれど、「親権押しつけて離婚した母親」がどう見えたか、息子の立場の思い出で自分語りする。

母親最後に見送ったのは私と弟だった。

私の母親は、私が10歳の夏に家を出ていった。

母親の姿を私が最後に見たのは自宅の玄関

私と弟が学童保育から帰ってきて一息ついたあと、入れ替わりで母親は家を出ていって、そのまま帰ってこなくなった。

私と弟がどこにいくのか尋ねたところ、

ちょっと買い物に出かけてくる、あんたたちも来る?」と母親は応えた。留守番をしている、と返したと思う。

まだ日が落ちる前で外は暑かったし、エアコンが効いた部屋から出たくなかった。

それが母親と面と向かって話した最後の会話だった。

その日以来、母親は帰ってこない。ずいぶん長い買い物である

父親が帰ってきたのは20時ごろだったと思う。

母がいっこうに帰ってこないから、勝手レトルトカレーを食べるか迷っていたところだった。

そこから記憶あいまいで、「お母さんは買い物に出かけている」と父親に伝えたこと、その日は結局帰ってこなかったこと、

翌日の夜に「お母さんはもう戻らないんだってさ」と父親に伝えられたことは覚えている。


日経ってから改めて、「お前たちはどうする?お母さんについてくる?」と父親に聞かれた。父と母だけで子供に見えないところでやり取りをしていたんだろう。

私と弟は、間髪入れずに「父親についていく」と伝えた。

子供ながらに、「父親は家に住んでいる、母親は家を出た」「父親仕事をしている、母親パートタイムで働いている」「母親と一緒になるのは不安しかない」と思ったから。

その日からしばらくは子供部屋ではなく、父と母親の部屋で寝ることになった。

父親には「お父さんが寂しいだろうから」なんて言ったけど、たぶん怖かったんだと思う。寝ている間に父親もいなくなったら、とかたぶんそういうことを考えてたんじゃないか

家庭事情、なぜ離婚したのか

正直なところ、離婚前後夫婦関係母親の状況について、父親に聞いたことはない。父の浮気のようなわかりやす理由があったのかも分からない。

当時は、父親の機嫌を損ねたくなかったから、そんなの聞けるわけがなかった。

私も弟も父親も、母親がいなくなって、各々で新しい日々を送ろうと四苦八苦していたし、そのうちに聞くタイミングを失ってしまった。

というかよく考えたら、父と母親の馴れ初めについてすら詳しく知らない。なにしろ私がそんなものに興味を持つ前に離婚してしまたから。

父の年齢から離婚時点の年齢を考えると33~4歳前後になるから、彼らはおそらく大学を出てすぐに結婚したんだと思う。

父は普通サラリーマン帰宅20前後母親も、私が幼稚園の頃からパート勤務をしてて18時頃の帰宅が多かった。

なにしろ大学を出てすぐ私たちを生んだわけだから我が家にも給料的には余裕が無かったはずだ。

共働きということもあって、私と弟は小学校に入るとすぐに学童保育に預けられた。

周りの友人たちの母親専業主婦ばかりだったし、いま思えばマイホームを持った落ち着いた家庭が多かった。

記憶にある限りでは、私の母親PTAなどにもほとんど参加していなかったと思う。地域での友人関係というのも無かったんじゃないか

当時は家の鍵を渡されてなかったから、学童保育から帰ったあとは玄関の前に座って、母親の帰りをぼうっと待っていたのを覚えている。

食事レトルトや総菜がほとんどだった。忙しかったんだろう。

離婚の経緯に関しては唯一、母親祖父から「あの子あんたたちを育てるのを投げ出した、だから勘当をした」という趣旨の話を聞いたことがある。

そのため、母が家を出て行った理由は、私と弟の世話に嫌気がさしたからだと思っている。

実際、当時の私と弟は問題児で、小学校でも幼稚園でも喧嘩忘れ物などの問題行動をよく起こしていた。

まり詳しく覚えていないけど、家庭でも似たような状態だったのだと思う。酷く手のかかる子供だったと思う。

そんな状態である上に、私と弟は昔から比較的父になついていた。母親から見れば「男3人と自分」という対立構造に見えるときも多かったんじゃないだろうか。

上に書いたように、父と母親のどちらにつくかのやり取りもあったから、子供目線だと「母は親権押し付けて出て行った」のではなく「僕たちは自分父親を選んだ」という意識を持っていた。

でも、こうして書いていると、やはり母親私たちと居ることが耐えられなかったんだと思う。

「買い物」に出ていく際の「あんたたちも来る?」という問いは、きっとそんな耐えられない息子たちと自分関係を確かめ意味言葉だったんだろう。

ごめんね、お母さんよりも冷房を選ぶような息子たちで。あの日暑かったからなあ。

離婚のあとのこと

断片的な記憶だけど、父親離婚届を書いているところ、書類を返送する際に「こんな男と10年以上いてくれて~~~」という趣旨手紙を添えていたことを覚えている。

父は「本当にお母さんと連絡したいと思ったら、この携帯番号にかけたらいいから」といって、母の連絡先が書かれたメモ電話機のわきに残してくれた。

何度か電話をかけた記憶はあるが、そのとき何を話したかはもう覚えていない。

しばらくは祖父母が手伝いに来てくれていたこともあり、私も弟もすぐに母親がいない生活に順応した。メモはしばらく壁に貼ってあったけど、どこかにいってしまった。

その後、母親祖父から絶縁されたらしい。

もっとも、何年かに一度は連絡がある、ないしは帰ってきていたこともあるらしいので、本当のところは知らない。

私が二十歳を過ぎたころぐらいに、祖母から母親と会うつもりはないか」と聞かれたこともあった。

ただ、そのときにはもう私も大学生だったし、妙な蒸し返し方をされるのが不気味で会うのを拒んでしまった。「会わなかったぶんのお小遣いをくれるなら考えるよ」とかなんとか適当なことを言って。

小遣い自体は実際にもらった。

大学時代、祖父母の援助で車の免許を取得させてもらった。

あとから聞いた話によると、これは母から祖父母に「息子のために使ってほしい」とあずけられたお金から出されたものとのことだった。

祖父から「残りは、いつかお前たちがいい人を見つけて結婚式をするときに渡したい」と言われた。

父と母親の間で、慰謝料だか養育費だかの金銭のやりとりがあったかについては、知らない。たぶんもう知ることもないと思う。

私のその後

離婚してすぐに一家4人ですごしていた家からは引っ越すことになった。

学校が変わったことがきっかけで、無自覚問題児から自覚のある問題児に変わった。

父親との関係とは紆余曲折あったものの、大学までは出してもらった。

その間、母親がいないことで不便した記憶というのはほとんどない。保護者参観に親が来ないことにもすぐに慣れた。

中高生ときから料理をするようになったし、親が家にいないおかげでのびのびと生活していたから、むしろ恩恵のほうが大きい。

最近になって若干面倒になってきたのは、職場の同僚や知人から

「いつ結婚するのか?」と尋ねられること。

これは母親がいなくなったこととは直接関係とは思うけど、異性と生活を共にして、家庭を持つイメージがどうしても持つことができない。

おじいちゃん、お母さん、ごめんなさい。どうも僕はあのお金をもらう気にはなれません。

母親をどう思っているか

今になって思うと、ひどく気の毒に感じている。

母親が私を生んだ年齢をすぎて数年が経つ。もし今の私が、私のような子どもを持っていたとしたら、おそらく私だって投げ出すと思う。

もっとも、母親が買い物に出かけた理由が、本当に私たちだったのかは知るよしもないんだけど。

元増田について

本当にお疲れ様でした。

自分語りをしながら、もしかしたら私も元増田の書いてるような「隠し通された子供」なのかもしれないのかなあ、なんて考えてしまいました。

ただ、いずれにせよ元増田さんの体験元増田さんだけのものですし、好き放題に増田で叩かれたり、長文で自分語りする父子家庭出身者が現れても、あまり気に病まないでください。

どうにかいろいろと上手くいくようになって、元増田にとってもお子さんたちにとっても一番傷が少ない結果になるように、祈ってます

https://anond.hatelabo.jp/20180918120625

2018-09-17

再分配なんてしたくない

俺は小さいころから塾に通って努力して努力して、いわゆる一流大学入学した。

大学時代もタイムマネジメントを徹底して行い、無駄時間排除し、ひたすら自己投資に集中した。

そして東証一部上場企業入社した。

年収は一千万を超えている。

だが税金でがっつり国に持っていかれる。

そしてその金は努力をしていない、する気もない怠けものの屑どもの支援生活費に使われる。

ふざけんな。ふざけんなよ。

今、年収が一千万以下の奴は努力したの?してないだろ。

何でそんな奴らに俺が必死努力して稼いだ金をあげないといけないんだよ。


今この瞬間どうだ?努力してるか?

どうせ、ダラダラテレビ見たり、無意味目的ネットサーフィンをしたり、享楽的快楽を貪ったりしてるんだろ?

そんな奴らに俺が汗水流して必死に働いた金を渡したくないね


富の再分配とか中流以下の奴らの甘えだろ。助ける必要なし!!!

2018-09-16

anond:20180916204959

やっぱそうなんですかねぇ…

大学時代から親交が続いてる数少ない異性の友人という立場が精一杯だったか

2018-09-14

学歴コンプ死ぬことしか考えられない

僕の最終学歴専門学校である

現在都内ITベンチャー企業社員として働いている。

今までお金に苦しめられ、人間関係に苦しめられてきたが、全ての原因は低学歴なことにあると思う。

学歴コンプレックスに対して、自分自身には、お金が無かったからとか、地元田舎で通えるところが無かったから、とか言い聞かせてるけど、実際は高校受験の時から一貫して計画性の無い性格が一番の原因なのだ

学歴劣等感を覚えるようになったのは、専門学校就職活動を始めた時期からになる。

エントリーフォームから専門学校入力欄が無く暗黙的にお断りされたり、集団面接サークル活動卒業研究といった話ができず、自身他者より劣っているということを自覚させられた。

また、社会人になってからは、システムエンジニアとして常駐する客先の方々の、キャリア生活レベル自分自身や自社の人間比較し、やはり学歴しか人は評価されないんだと考えるしかなかった。

今年に入り、ベンチャー企業入社してからは、先輩社員インターン生の皆々が揃って、東大/慶応/明治/法政/その他有名国立大出身で、人間関係技術自分自身と比べ物にならないくらい幅広い。自分から何か勉強しようと大学に進学した人と、誰でも入れる専門学校に進学した人とでは、そこで人間としての優劣が決まっていると思い知らされた。

社会人から大学に入るという選択があることは知っている。

しかし、僕は商業高校出身、かつ普通教科を真面目にやっていたのは中学までという人間である

仮に合格したとしても入学するためのお金がない。

奨学金専門学校での分を払うのに精一杯の現在、これ以上借りるのは難しい。

からどう頑張っても手遅れなのだ

僕と同い年の大卒社会人は、優良企業入社し、貯金ができるだけの給与を貰い、大学時代から人間関係や繋がりから恋人ができ、好きな趣味時間を費やすことができる人生を送れるだろう。

僕はこれからも、惨めに、堕落した生活を送り続けるしかないのだ。

もういっそのこと、死んで楽になりたい。

anond:20180913143949

村上春樹の「ある日ふと思い立って生まれて初めて小説を書いて投稿したら入賞して小説家になって今に至る」って経歴を見ると

まれ持った才能ってものがあるんだな、と思う

大学時代映画脚本家目指してたそうだから文章書く基礎はあったんだろうけど、小説とは勝手が違うだろうし

その裏に、何年も何年も小説書きまくって投稿しまくっても芽が出ない人が山のようにいるのに

2018-09-13

あるナンパ師の話を書くね

特定されると怖いから少しぼかしながら書くんだけどさ。

まだ今ほどナンパセミナーなんて胡散臭いもの跋扈してなかった牧歌的時代の話。

大学時代友達と飲んだ帰りに友達ナンパしようぜって話なった。

男ばっかりでつるんでたから。

俺はナンパなんて全然経験もなくて、「お姉ちゃん飲みに行かない?」みたいな事言って撃沈してた。

だけど友人の一人が声をかけると明らかに女性の反応が違ったんだよね。

最初はそれこそ俺と同じ感じで、少し声をかけてはあしらわれていたんだけだけど、数人に声をかけるうちに女性が足を止めて話を聞いたり、連絡先を交換したり、挙句の果てには俺たちを置いて女性と二人で飲みに出かけたんだよね。

後日詳しく話を聞くことにしたんだけど、言ってることが意味不明なんだよね。

まず相手を選ぶときにはオーラが出てる人と出てない人がいるとか、目があった瞬間に脈のありなしが分かるとか、あとは少し会話をしたら相手ボディランゲージ視線や声の抑揚でイケるかどうか分かるって。

彼はあんまり経験が無いって言ってたけど、俺からすると理解不能だった。

よくいる大学生で、特にトークうまいわけでも、イケメンなわけでもなかった。

服装だって俺と大して変わりがない。

それでもたまに街に出てナンパをすると、彼は必ず成果を出してくる。

そのままワンナイトときもあれば、彼女を作ってしばらくナンパに付き合ってくれなかったこともあった。

ナンパ遊びをはじめて日が経つと、彼は服装や立ち振舞いが変わってきて、それに伴って更にナンパが上手くなった。

会話も俺たちや大学サークル内の人相手でも、自然言葉を引き出したり、伝えたいメッセージが明確に伝わるようになった。

サークル女の子も彼に惹かれる人が何人か出てきてたみたいだけど、サークル内で付き合ったりって話は聞かなかった。

何度も彼のナンパを眺めていると、ぼんやりと彼のやっていることが分かるようになってきた。

言葉相手コミュニケーションを取るんじゃなくて、音のリズムだったり、距離感だったり、非言語的な部分で同調するのがとても上手かった。

ただ、何度聞いてもコツは教えてくれなくて、相変わらず雰囲気がどうとか、バランスとか、リズムみたいなことを繰り返すだけだった。

同じ場所ナンパをしていると、スカウトだったり同じナンパをしている人と一触即発になることや、逆に仲良くなることもある。

俺は数撃ちゃ当たる戦法のヘボナンパ師だだったけど、友人は違った。

別のナンパからも一目置かれていた。

他のナンパ師が撃沈した相手でも、彼が声をかけると足を止める。

彼の噂を聞き、人が集まるようになり、その地域ではナンバーワンって言われるようになっていた。

芸能人をゲットしたり、誰もが認める超一流企業(激務なところ)の美人彼女を作ったりしていた。

でも彼はあるときナンパをやめた。

飽きたって言ってたけれど、本当かどうかは分からない。

彼はナンパ世界に帰ってくることはなかった。

俺は彼とは少しずつ疎遠になり、大学でも顔を合わせることはなくなった。

彼が大学に来なくなったこともある。

大学院を卒業する頃には、彼はぼくの知る世界には居なかった。

ヤバい人の女に手を出したとか、事業に失敗したとか、イベンター大成功して得たお金投資家やってるとかよく分からない噂だけは聞いたけど、真相は分からない。

彼はフラっとナンパで一番になって、フラっと見えないところに消えてしまった。

でも、俺が見た彼の魔法のようなナンパだけは未だに忘れることができない。

もういい歳のオッサンなんだけどさ。

よくいる強引なナンパじゃなくて、本当に空気みたいにフワッと相手の心に入り込んでたんだよ。

彼は元気にしているだろうか。

生きているといいし、幸せだといいな。

あんまりぼかせてないから、当時のことを知る人は読むと想像がつくかもしれないな。

あ、そうそう、一番ヤバイなって思ったエピソードが、たまたま歩いてて横を通った女性を彼が捕まえたんだけど、匂いでイケると思ったって言ってたのが意味不明だった。

それでも、ものの数分で出かけてその日は帰って来なかったから、俺は一生足元にも及ばないんだろうなって思った。

あとマッサージがすげーうまかった。

2018-09-11

新卒看護師ホスピスで働き始めて燃え尽きた話

身バレが怖いので具体的な話はほとんど書いてない上に長文です。

看護師になり、ホスピスで働き始めてもう半年になる。

同期が出来ていることが全く出来ず、優しかった先輩がだんだん呆れ顔になってきた。

大学時代から気付いていたが、はっきり言って要領は悪いしミスも多い。患者とのコミュニケーションも下手だ。

新卒ホスピスという選択自体無理があったかもしれない。

しかしそうした点ではなく、もっと根本的な部分で医療者に向いてないなと思い始めた。

一つ、患者に対して興味が持てないこと。

そしてもう一つ、どうしても患者に対して「生きていることそれ自体が無条件で尊い」とは思えないことである

こんなことを言うのもみっともないが、高校時代の成績から言えばどこかの医学部に入れたと思う。

それでも「五感を使って患者さんをアセスメントし、医者とは違う側面から患者さんの生活を支えるクリエイティブ仕事」という看護師像に憧れ、親族の反対を押し切って看護師の道を選んだ。

患者さん一人ひとりが自分らしい死を迎えられるように手助けしたい」と思ってホスピスで働くことを選んだ。

しかし実際に看護師になってみると、患者に対してケアをすることに全く喜びを見出せない。

患者の病状が良くなろうが悪かろうが感情が動かない。

一つ一つのケアがただの業務に成り下がっており、勉強する意欲も失ってしまった。

から経済的な面や安定性を求めて看護師になったのであればそれでも耐えられるのだろうが、高い志を持ってこの仕事を選んだ(つもりだった)ために余計に辛い。

医学自体は嫌いではない。

基礎研究をしている研究者の話を聞くと楽しそうで羨ましくて仕方がなく、選択を誤ったという思いが強い。


そしてもう一つのなのだが、もし良ければリンクで紹介する記事を先に読んで欲しい。

ホスピスケアを中心として活動されている新城拓也先生がお書きになったものだ。

「生きる価値のない病人」という発想はどこから生まれるのか

この記事趣旨はこうだ。すなわち、

医療従事者が『こんな生産性のない病人には生きている価値がない』と考えるのは未熟と無知によるバーンアウトが原因であり、十分な教育があればそのような考えには至らない」

というものである

本当にそうなのだろうか?

実は私は大学時代から生産性のない病人を生かすことに社会的価値があるのだろうか」とずっと考えていた。

生産性がなくても、生きていてほしいと誰かに思われているのなら医療は全力を尽くすべきだろうとは思う。

では、例えば長いこと寝たきりで、家族にも嫌われないまでも重荷だと思われているような場合はどうだろうか?

そんな事を考えてしま自分が嫌で、きっとホスピスに行って現場を見ればそんなことも考えなくなるだろうと思っていた。

しか現場に出てみてもその疑問は解決されないばかりかますます私の頭を圧迫している。

それでも救うべきだ、と断言できる人間けが臨床には必要とされている。

新城先生の言う「教育」とはコミュニケーション技法なのだと私は解した(もちろんそれだけではないと思うのだが、具体的に大きなウェイトを占めるものコミュニケーション技法だろう)。

しかしその解釈場合、「コミュニケーションが取れない人間は生きている価値がない」という思想を持つ植松聖の凶行は止められなかっただろう。

なにせ患者コミュニケーションが取れないのだから

真に必要ものは「医療倫理が善しとする方向に感情を向ける技術である

患者がどのような状況であっても善行・無危害原則に則って行動し、患者権利擁護することに専念するための感情操作技術

それでもダメなら、もう終末期医療には携わらないしかない。

医師しろ看護師しろ介護士しろ、終末期医療にはそういう燃え尽きてしまった人間を弾く制度必要なのではないか(「医療」という枠とはまた別で)。

少なくとも医療という世界に限れば、それくらいのことが許されると思う。

最近良く祖母葬式を思い出す。

普段祖母を嫌うような言動をしていた両親と兄とが沈痛な顔をして座っていて、もしかするとここにいる誰も祖母の死を悲しんでいないのではないかと思った。

それ以来、死んでも誰にも悲しまれない人間というもの存在するのではないかと思うようになった。

今も見舞いに来る家族に対して「この人は本当に患者に死んで欲しくないと心から思っているのだろうか」と疑問に思ってしまう。

私がやがて死ぬ時、心から悲しんでくれる人はいるだろうか?

もし将来家族がいないか家族に疎んじられていたら、働けなくなった時点で自殺したい。

とりあえず、ホスピスで働くのはもうやめようと思っている。

患者のためにも私のためにもならない。

出来ることな大学院に行き、看護系の基礎研究をしたい。

少しだけ提言染みたことを言うならば、コミュニケーション技法教育というのは本当にしっかりやったほうが良いと思う。

アレをただの情報収集技術だと思って大学時代まともに聞いていなかった私は大馬鹿だった。

そうした技術論は患者パターン化しているように思えて、一丁前に不誠実だとも感じていた。

熱いハートさえあれば十分だと思っていた。

どうやらそうではなかったらしい。

国試に出るだけの空虚理論だと思っていたら私のように完全に燃え尽きてしまうかもしれないぞ。

2018-09-07

後輩はパソコンに興奮する(性的に)

久しぶりにww大学時代のww後輩とww飲んだwww

そしたらw後輩wwパソコンにw興奮するんだってwww性的にwwww

私ww爆笑www後輩ww真顔www

仕事中w興奮wしっぱなしwwかよwww

いやw違うってwww

私のwエロにw有機物はw要らないwってwww

名www言wwwww

まあwそうw無機にwwなるなよwww

USBwwメモリwのwwヘタレww攻めwwww

これがwほんとのwwハードwwSMwwwww

iMacとかwwwど変態のwwwwお年寄りwwww

並列ww計算wwwエロスwwwww

さてwここでw大w問w題wwww

私w後輩のことwマジでww好きwww

交配wwwしたいwwwwww

パwソwコwンにw生まれw変わるw方法www求むwwwwwww

高学歴な女はセクシーさが足りない

大学時代に付き合った彼女をふと思い出した。ムダ毛の処理もあまりしてなかったし、すっぴんが多かったし、なによりセックス時の反応が単調だったきがする。別に可愛かったと思うが。かなり高偏差値大学学部だったか女子も少なかったし、それでもかなり可愛い部類だったと思う。

今思えば、女性としてセックスアピールを持てるようになるためにはそれなりに自己鍛錬(化粧、服装仕草、話す内容、男への正しい媚び方=媚びてるように見せかけて自分の思い通りにする)がいるのだなと、今の奥さんを見ていると思う。

平成最後の夏は無職で終わってしまった

就活もつなぎのアルバイト面接にも失敗し続けている。

就職に失敗し大卒無職になってからここ5ヶ月間、応募した求人にはすべてお祈りをされ続けている。

ここまでどこにも縁がないと「逆に面白い」と思えていたのも新卒就活時代無職3ヶ月までで、今は明日もこのような日々が続くことや、

実際こんなふうに自他ともに認める無能自分が働けるのかと考えると軽くパニックになってしまう。

自分無能だと思っていたが、これほどまで他人から価値がない人間であるとは思わなかった。少々自分が思っていたことは甘かった。

無能自覚しつつも「自分にはなにかあるはず」と高をくくっていた結果がこれだ。

たから見れば、アラサー職歴なし歪経歴童貞無職であり詰み詰みの詰み人生である

かに自分を雇う理由はない。

コミュニケーションも上手くないし外見も悪い。学歴があるわけでもなく、自頭の悪さも相まって履歴書も満足に書けない。

これといって特段に得意なこともない。ただ自意識けが過剰な人間クズ通称ニンクズだ。語感だけで言えば忍空に似ている。

どうにも内定が出ずに苦しんだ大学時代や、内定がでないならアルバイトからと、考え活動を続けてきたがすでに限界に近い。

今は自分が働いているイメージができない。バカ自分にはこんな時誰に助けを求めていいかもわからない。

ただ死だけが救いのように見えているのである

2018-09-05

https://anond.hatelabo.jp/20180904133315

元増田です。長年の悩みに対して反響があったことが嬉しい。お返事くださったことに心より感謝します。活力が湧きました。

近年では野党リベラル政治家自らが表現規制を進めかねない動きを取っている印象があるのが厄介。それでも、少しでも応援できる方の支援は続けたい。

安楽死オランダベルギースイスカナダアメリカの一部の州で合法。そのうち、日本人でもOKなのはスイスのみ。渡航できる語学力はつけねばなあ。日本法制化されるにはまだまだ世代交代が求められそう。

>本が読まれなくなって、今までの本が死蔵されたりどんどん処分されていくことだと思うので古い本をたくさん読んだらどうですかね

>こんなひどい社会で生きていく意味がないというのは古典的テーマから

その中から解決法が見出せるといいね

物語が滅んでいくと書いたとき表現規制で新たな物語が生まれなくなる方に意識が向いていた。コメント読んで、物語や本の死には死蔵、処分、更には焚書もあることを思い出せた。

古典といえば、大学時代元彼希死念慮で病んでいた自分キューブラー・ロスon death and dying(流石に和訳)を貸してくれた。当時、現代人の思索が誰かのいつか来た道であることに気付かされた。偉大な先人に知を求めるのは最初に打てる手だ。

まだ、自由論大学時代に読みたいと思った本も、文章を読んだ程度に留まっている。死ぬ前にやりたいこと、残っているじゃないか

2018-09-02

反日企業ニトリ

ニトリ通販サイト椅子を見ていた。

何気なく、組立説明書PDFファイルを見たら、中国人から?とおぼしきメッセージが埋め込まれていた。

 

小日本

小日本中国語読み; シャオリーベン)は、日本および日本人(大和民族)に対する中国語蔑称であり、中華圏(中国台湾シンガポール)で使われる差別用語である

 

このページに「組立説明書」というPDFファイルリンクがある。

PDFChromeで開くとタブに「小日本.cdr」と表示される。

PDFダウンロードしてAdobe Readerで開き、ファイルプロパティを見ると、タイトルに「小日本.cdr」とあるファイル作成日は「2018/03/30 17:58:41」になっていた。(最近?)

 

他にも中国人が作ったと思われるPDFファイルがあった。

こちらの組立説明書PDFタイトルが「227C 说明书版本CDR.cdr」となっていた。

 

ニトリ

ニトリはどういう企業なのか調べてみた。

 

似鳥昭雄 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%BC%E9%B3%A5%E6%98%AD%E9%9B%84

1944年樺太まれ終戦後は札幌市で育つ。

 

ニトリ似鳥昭雄社長 ヤンキーだった過去破天荒ぶりが話題http://news.livedoor.com/article/detail/9988704/

高校時代にはケンカボコボコにされるのが嫌で、アルバイトをしながらボクシングジムに通った、という。良くも悪くも、いまでいう「やんちゃ」だったようだ。

似鳥社長は「七転八倒人生で、今では信じられないような『悪さ』もやらかした」とも漏らしている。その一端が、大学時代アルバイトとしてやっていた、夜のスナック客の未払い金の「取り立て屋」のことかもしれない。

当時流行った任侠映画をまねて、なかなか支払いに応じようとしない客を弟分と二人でなだめすかしては、きっちり払ってもらっていたようだ。

今でいう「半グレ」だった?(「弟分」=舎弟)まあ、堅気じゃないことは確か。

 

株式会社ニトリ似鳥昭雄社長の闇が深すぎる…子供中学高校大学時代日経新聞私の履歴書」で激白 http://www.akb48matomemory.com/archives/1024063727.html

 

社長自体は、在日アイヌというわけではなさそうだが、なぜニトリが「小日本」というファイルを配布しているのか?

社内のコンプライアンス問題があるのか?

単にチェック漏れなのか?

2018-08-27

人生楽ありゃ(5%)苦もあるさ(95%)

努力していれば必ずうまくいく(28%)との言葉を60%信じて、

高校時代から勉強に励み(28%)、時にスポーツをし(2%)てきた。

それなりに文武両道だった。

ただやはり、ゲームにかける時間が多すぎ(自由時間の70%)、

それが今の停滞につながっているのではないだろうか?(60%の断定)

大学時代サークル活動に力を注ぎ、恋もしたし(100%片思い)、

今でも付き合いのあるそれなりに友達もいる

それなのに、なんだろうかこの寂しさは(禁煙うつが30%、先行きの見えない雇用状態30%、その他40%)

紛らわすためにアルコールを飲むことも習慣化されてしまった

酔うために飲む、それがこの、ストロングゼロ、男の飲み物

あー便利だな

2018-08-26

ギリギリ上手いこと生きてきたけどもう限界かもしれない

理系院卒、1部上場企業在籍、35歳。既婚1子持ち。

今まで道を外れない様に、安全な道を歩いてきた。つもりだ。


ももう、それも終わりかもしれないと最近ひしひしと感じる。


中高時代から周りには賢い人間が多く、自分能力は平凡だと早めに気づくことができた。

それでもなんとか上に食らいつこうとしてそこそこの努力をして今がある。


受験勉強はそれなりにやったが、進学校程の勉強量ではなかった。

大学時代早慶東大人間に多く会ってそう感じた。


スポーツもそれなりだった。

中高と部活に入ったが、県大会優勝等の実績を残すには程遠かった。

それでも全くやっていない人間よりは良い経験を積めたし、体力もついたと今でも感じている。


大学理系に進んだ、電気系だ。

無茶苦茶興味があった訳では無かったが、それなりに興味に近い分野であることと、将来の就職も安定していそうとの打算もあったかもしれない。


打算は当たり、大学院を卒業してそれなりの企業に入った。もちろん電機系メーカーだ。

年収も悪くない。

大学時代出会った早慶東大卒の人たちには適わないが、同年代では良いと言われる程度の年収だろう。


結婚もできた。同期より少し早めの29歳で結婚した。

2年後に子供もできた。とても可愛い女の子だ。


から見ればそれなりに順調だと思われているかもしれない。

私の母も、3兄妹の中で一番安心していることだろう。

しかしそれも今だけだと感じる。特に最近ひしひしと感じる。


一番の要因は2人目の子供が出来たことだ。

まだ生まれはいないが、近々2人目の子供が生まれることになった。


夫婦ともに望んでの2人目だったので最初は私も喜んでいたのだが、日に日に喜びよりも不安の方が大きくなってきた。


今後仕事は続けていけるのか。

転職したとして適応できるのか。

果たして2人の子供を今後満足に育てていけるのか。


私より能力のある人間や、私より努力している人間は山ほどいる。

それはこれまで私が多くの人と接して分かっていることだ。


それなりに何となくやってきた私が、今後生き残っていく余地は日に日に狭まっているように感じる。

子供1人だったら何とか育てていけたかもしれない。

それが2人になったとき、急に自信が無くなってしまった。


もっと努力しろ


ここまで書いたらそう言われるだろう。当然だ。

今の生活キープしたければもっと努力をするべきかもしれない。


もも努力をするのもしんどい

仕事もそれなりにあるし、子育てだってそれなりにしている。

それなりだ。確かに必死って程ではないかもしれない。


でも、それなりにやっていくのが私の中でうまくバランスを取る方法なのだ

自分キャパを超えて、仕事子育て必死にやって3年で限界が来たらどうしようもない。


人生はこの先まだ長い。子供が自立するまでまだ20年ある。

それまで何とか持ちこたえたいが・・・無理かもしれない。


10年前に死んだ父親尊敬できる人間だとは思わなかったが、それでも私たち兄弟を自立するまで育ててくれた。

自分はそうなれるだろうか。

今のところなれない可能性のほうが高い気がしてならない。

2018-08-21

日の出社しているうち、仕事時間ってどのくらい?

自分新卒新社会人23歳。世の先輩たちに聞きたい。

日の出社しているうち、仕事時間ってどのくらい?

自分場合、休憩除いて純粋仕事しているのって多分2,3時間くらいで、あとはたまにある会議研修的なもので1時間くらい。

あとはぼーっとしながら、

「あの案件どう進めようかなぁ」とか、「明日にはこういうフローでこれ終わらせればいいや」とか考えて終わり。

社会人ってこんなもん?

多分vorkersとか転職サイト見る限り、ホワイト企業ランキングランクインしそうな会社だとは思う。

仕事終わらずに死にそうとかパワポ地獄とか全くそんなことなくて拍子抜けしている。。。

これは新卒から残業しまくっている人々が信じられない。

しろ大学時代のほうが通学時間に片道2時間体育会系部活に入って授業にゼミバイト・・・っていう生活だったせいもあって

こんなまったりしながら働くのが違和感だらけで逆に精神的に疲れてきた。。

まれている?

働くという事

久しぶりに会った大学時代の後輩が以前と見違えるようになっていた。

夢見がちで、地に足をつけて働くという事に興味がなく、バイトと酒に明け暮れていた奴だったのだが今は希望業界で生きていくことを明確に決めて勉学に励んでいる。

後輩ながら尊敬と羨望を禁じえなかった。

すげーよ、本当にすごい。

もちろんそれが夢物語のまま終わる可能性は低くないだろうが、話を聞けば今できる努力はどう考えてもやっているようであり、今後5年の将来像もかなり明確だった。

私も年齢で言えばほとんど差がないのに、夢を語る若者の横顔にドキッとしてしまった。

まりにもまぶしく美しい表情で今後の計画を話すその姿を単純に素敵だと思い、また今の自分の姿を”誰か”に咎められるような感じがしたからだ。

私にだって夢はある。

私は大学卒業後、別大学大学院で研究をしている。

割と頑張っている方だとは手前みそながらそう思う。

卒業後は食品化学系の企業普通に就職して、それなりに生きていくつもりだ。

しかし、現在は燦然たる若者の姿に触発されてこの選択が誤りでないか内省するに至っている。

幸運なことにこの若者たちは私の持つ彼らの夢に関するセンス知識を高く評価してくれているのである

心のどこかで彼らに憧れていて、高い評価を受けて喜んでいること自覚しなければならないだろう。

情けないと思う反面、あちらの道に興味を惹かれている。

自分がどこで何をして何を目的として生きていくのかを考える時間がまだ残されている。

私は私として生きられる選択肢を選び続けたい。

2018-08-20

社会人になっても、学ぶ範囲限定しないようにするにはどうすればいいのか

大学時代は、自分が選んだ単位以外にも、潜りで授業を受けて、世の中にはこんなこともあるのかと、観測範囲が広がった。

大学図書館だと、専門以外の本も背表紙をざーっと読みすすめ、何だこれという本を見つけることができた。

社会人になると、観測範囲が狭まってしまった。知らないものキーワード検索できない。

大学図書館は近くになく、図書館文学以外は揃っていない。

自分オタクからプログラマーにならなければ駄目だったのに!

この増田は何を言っているのだろうか?

そう貴方が疑問に思うのも当然だ。

だって、長年ずっとこの気持ちを抱えながら同時に何を言っているのかと何度も問いかけた。

オタクプログラマーになるものなのだ

いつからそんな妄想に苛まれるようになったのか、その原点は既に定かではない。

振り返ると、今よりも20年近く前から自分オタクからプログラマーになるべきなのだ」と思い込んでいた気がする。

20年弱、その間に様々なことがあった。

大学受験勉強プログラマー勉強を両立させようとしてどっちつかずになり、最後はどちらも上手くやれない自分への苛立ちから現実逃避気味になりプログラム勉強と称してビデオゲームにのめり込んでいた。

自分学力で入れる大学の中からプログラマーになれるような学校を選ぼうとするも、両親はITなんてものブラックばかりだし、お前はただゲームネットが好きなだけの自分プログラミングが向いていると勘違いしているだけだと説得された。正しかった。今思えば。

それでも諦めきれ無かった自分プログラマーへの道が少しでも太く残るようにと電子系の学部に進むも、そこでやっていたのは電気工学の基礎ばかりでプログラミングなんてものに触れるのは卒業研究が始まってからだった。

卒業研究プログラミングが関与すると知ったときは、ようやく今まで少しずつ勉強したプログラム知識が生かされる瞬間だと興奮したが、膨れ上がった理想現実自分乖離に再び打ちのめされる日々が続いた。

その頃ちょうど続けていた就職活動では、プログラマーへの道を志す気持ちと、ブラック企業への恐れがぶつかりあって、情報を集めるだけ集めて結局どこにも応募しないままに時間が過ぎた。

高めすぎた理想現実、結局何も身に着けていなかった自分への絶望感、やる気を失い全く進んでいない卒業研究就職活動、全てが滅茶苦茶だった。

持て余された精神エネルギー自分への攻撃へと向かい自己嫌悪自己否定に全ての活力が使われていき、生活リズム脳みそも何もかもがボロボロになり、気づいたときには2年間引きこもって、そのまま大学をやめていた。

大学を辞めた自分に残ったのは6年の空白期間、折れ曲がりながらなおも成長を続ける野心(プライド)、壊れかけた心と脳、プログラミングスクールに3ヶ月通った人間と同程度でしかない知識、そんな自分を許せない自分自身。

それから人生はただダラダラと時間が流れていった。

もうプログラムなんて見たくもなかった。

それでも「自分オタクからプログラマーにならなければ駄目だったのに!」と叫ぶ自分が心の中にずっと住み着いていた。

自分自分を裏切らせるよう先導してきた憎むべき対象なのだから当然だ。

数年ほど引きこもり空白期間が10年前後にしながらも社会に戻ろうとした時、電気系の学校で3年生まではそこそこにマジメな学生をやっていたことはプラスとなった。

電気系の資格を取った上で面接に挑み、研究室での思い出や、プログラマーを目指してやっていた勉強のことを語りながら「心を入れ替えてこれからはがんばります」と語ると、意外とアッサリ就職は決まった。

そうして何だかんだで今は、それなりに普通に働けている。

一度メンタルを駄目にした影響か、今でも時折妙な頭痛がしたり、突然気分がどん底に下がっていくことはあるが、まあそれなりに働けている。

年代大学時代の同級生たちの平均と比べれば給料は安いが、実家に5万ほど入れて住まわせてもらう分には問題ない程度はもらえている。

そんな毎日を送りながら今も「自分オタクからプログラマーにならなければ駄目だったのに!」と叫び続ける自分が心の中にいる。

彼が言うには「自分のような人間IT業界に行けば才能が爆発して自分にずっと自信が持てるようになっていた。フリーランスとして今よりずっと自由の多い暮らしが出来て、今よりも給料はずっと多い。嫌な上司取引先にペコペコしなきゃいけない時でも技術力を背景に言い返すことだって出来たしだろうし、有名人としてロクロを回しながらインタビューにも答えられた」といった人生が待っていたらしい。

しかにその可能性はあっただろう。

でも可能性だけだ。

なんなら今やってる電気設備仕事だって、突然才能が爆発して技術力で殴ってなんでも思い通りに出来る人生が始まるかも知れないじゃないか

IT系に進んでいたら、あっさりブラック企業で心が壊れていたかも知れないじゃないか。(そもそも就活をしている段階で壊れていたり、既に壊れたあとだったのだからちょっと強い力がかかったらアッサリ砕け散っていただろう)

今の人生ベストじゃないのは知っている。

ベターと言えるのかすら怪しいのも分かる。

だけど最悪ではない。

それなりだ。

ハーゲンダッツを食えば美味いと思えるし、ゆゆ式を見れば楽しいと思える。

プライドをこじらせてイキるだけイキった挙げ句、周囲の人間に不満と不安を撒き散らした挙げ句自分までぶっ壊した奴の末路としては十分にハッピーエンドだ。

ソレだというのにいまでも「自分オタクからプログラマーにならなければ駄目だったのに!」と叫ぶ自分がいる。

どうにかしてくれ

この人生にはアニメゲームしか思い出がない

昨日、調布FMアニソン三昧を聞き終えて何だかボンヤリとした悲しい気持ちに包まれたんだ。

その時は、夏休みが終わって久しぶりに職場に行くのが憂鬱なんだと思っていた。

でもそれだけじゃなかったんだよ。

アニメソングを聞きながらネットにいる連中とアニメの思い出話をしているうちに、自分の思い出がアニメゲーム漫画インターネットだけだって事に気づいてしまったんだ。

どこにも自分友達がいなかったんだ。

小学校の頃に友達がいた気がしたけど、よく考えたらあれはお互いにとって共通友達だった「多人数プレイゲーム」を一緒に遊ぶための相手であって、ゲームという友達友達どうしでしか無かったんじゃないかって気づいてしまったんだ。

中学校の頃に教室でひたすらアニメの話で盛り上がったアイツらも、高校時代インターネットミームで盛り上がったアイツらも、皆皆今は疎遠になっている。

大学時代に入った漫画サークルでは、周りに馴染めずいつの間にか1人になって、社会人になってからはそういった関係を持とうともしなくなった。

いつだって自分は、アニメゲームという皆のお友達を介しての付き合いしか出来なかった。

わかりにくいな図にするか。

 「俺」―(友達)ーゲームアニメ漫画ネットー(友達)ー「友達だと思ってた奴ら」

 「俺」ー(友達友達同士だけど別に仲がいいわけじゃなかった)ー「友達だと思ってた奴」

こんな感じかな。

この人生にあったのは、赤の他人が作ってくれた素晴らしい娯楽を思う存分味わったという思い出だけで、それで十分だと思っていたんだけど、やっぱり寂しくなってきた。

その時そのアニメを見てなにを思ったのかという気持ちはあっても、その感想すらアニメ誘導されるままに出てきた人並みの感想しか無くて、自分だけの何かを感じることは出来ないんだ。

平凡な感性しか持っていないけど、人付き合いが苦手で、子供じみた娯楽が好きすぎて人間関係よりもそっちを優先してばかりいるだけの人生だった。

空っぽ人生だ。

それが何だか辛くなってきた。

割り切っていたはずなのに、いざ実感すると辛いものがある。

俺には俺の思い出がない。

それもこれもオーキド博士が思い出の話なんてするからだ。

死んでしまったオーキド博士を思って涙をすることはあっても、その涙は結局アニメキャラに向けられたものしかないんだ。

現実自分の知り合いが亡くなった時、自分祖母祖父が死んだ時には流せなかった涙を、アニメキャラ声優にもう会えないことを思い出して泣くんだ。

自分のことを見てくれていたはずの気持ち蔑ろにし続けて、ただ一方的放送されるだけのアニメキャラクターに対して親しみを覚えるような人間なんだ。

他人を思いやる気持ちなんて全く無いやつが、ただ自分の思い出に浸って1人で勝手に泣いてるだけだって気づいてしまたからこんなにも悲しいんだ。

ごめん……婆ちゃん……俺には人の心なんて分からないままだったよ。

自分の内側から出てきた心しか感じ取れないんだ。

他人自分に向けてくる感情キャッチできないんだ。

いつだって自分妄想の中にある他人の幻影に踊らされてばかりで眼の前の相手なんて見てなかったんだ。

そんな人間から他人から嫌われて、嫌われるから他人が嫌いになって、1人でピコピコ出来るような遊びばかり好きになっていたんだ。

俺の人生アニメゲームしかないのは、アニメゲームならコミュニケーションを取る必要がなくて、一方的相手の言いたい事を妄想するだけで終わらせても問題がなかったからなんだ。

そして、そんな妄想まみれの感想を撒き散らす俺にあきれて、漫画サークルの連中は遠ざかったんだ。

全部わかったんだ。

あの12時間の間に。

俺の人生が何なのか、無意識の仲で全部わかったかあんなに悲しかったんだ。

それを今日一日かけて言語化していたから、今日はこんなにも辛かったんだ。

なんなんだこの増田は。

こんなものを読まされた奴らはどうすればいいんだ。

知ったことか。

嫁。

そしてブクマでもしとけ。

俺の自己顕示欲を満たす餌になれ。

TOEIC難易度について

大学時代、パーフェクト無勉で受けたとき780

大卒後しばらくして、なんかゲーム機TOEIC対策ソフトで1ヶ月ほど対策して受けたとき870

お前らもこんな感じだろ?

2か月ほどガチれば900は楽勝そうだよね

2018-08-18

「本を焼くものは人も焼く!」

思想弾圧などの理由での焚書ならともかく、

予算不足で維持できない本を処分したという観点から言えば

図書館というか大学時代がすでに人件費を削りまくっているわけで、そういう意味では既に

「人は焼いている」

んだと思う。

それがついに本にまで伸びた、という、つまりは逆なんじゃないかなあと。

anond:20180818005728

ハハッ 大学時代の俺みたいなこと言いよって

かい? 名も無き氷河期世代KKOさ…

2018-08-15

大学時代に書いたうつ日記の終わり頃が出てきたので貼る

なんというか、自分自身が感じる現実に対する現実味が、実際の現実にあわなかっただけなんだ。

人間、産まれから死ぬまで、自分が持つ現実味を、実際の現実と折り合いつけながら、生きいていくことしかしていない。

ただ考えすぎるだけじゃ生きていけない。

考えてどう活かすなんて、どう納得していくかなんて、一人ひとり思っていることが違って、

勝手に生まれ勝手死ぬ自分は一人の人間しかない。

いい折り合い方の傾向を、自分感覚で、うまく掴みながら生きていく。

考え込んでしま自分もまた多様性の一部とすれば、そう合ったっていいじゃないか

ただ自分不快感情を消化して、楽しいことをして死ぬ

大学に入って、自分の窮屈さを知るため、適当読書したり、派遣バイトをいくつかやってみたりしてみた。

結果どうやらこう考えて生きる人は少ないらしい。

いてもおおっぴらにしてないだけ、こっそり生きいている。

親しくなった人も、ごく一部を除き、

普通に生きてる人らしく、相談しても聞く耳を持たなかった。


なんかもう最近は吹っ切れてきた。

どうせ死ぬ自分存在なんてさっさと振り切るべきだ。というのはちょっと言葉足らずで、

そう認識する自分はどう生きたらいいか考えるんだ。

それを解決していく暇つぶし。それ以上でも、それ以下でもない。それでいいじゃないか

もう結論は出たし、なんかやってみよう。






今思えばしイテテテテと思うが当時は必死だった。

若さゆえの思い込みすぎというか、観覧車でプルプル震えてることしかできなかったという感じかなあ。

よく死ななかったなあと思った。

もともと考え込む性格だったけど、

親がが癇癪持ちかつ自殺たからね。

余計に不安の方向に行ってしまったと思う。

もっとマシな方向見ろよと言いたいが、

過ぎたるはなんとやら。しょうがいね

とかく今は元気(?)にやってます(誰あてだよ)


まだ若いので楽しく生きることを忘れないようにしたいと思います

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