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はてなキーワード: 大学時代とは

2018-05-26

体重が軽すぎる

こどものから少食でずっと細身。

いわゆる「もやしっこ」。

中学校に入るまでは身長150cmもなく、体重が軽いこともある意味納得だったが、高校大学の間に175cmまで伸びた。

しか体重はそれに伴わず、当時から40手前になった現在に至るまで57~58kgを行ったり来たりしている。

人生体重60kgに到達したことがない。

運動は苦手だったが中高は一応運動部、レギュラーになんてなれなかったけど3年間辞めずに練習にはちゃんとついていった。

食事量もかなり増えたが、体重は59kg止まり

大学時代は1人暮らしであまりロクなものを食べていなかったからだろうか、やっぱり体重が増加することがなかった。

その後社会人になり、再び1人暮らしの期間が長かったせいか体重はむしろ減り56kgあたりで安定。

3年前から実家暮らしに戻って相当マシな食生活になったはずだが、相変わらず57~58kgで安定。

実家暮らしになってからは少なくとも週1回は家かジム筋トレをするようにはしているが、元々運動が苦手な自分がやる運動なんてきっと大した負荷はかかっていない。

まりにも体重が軽すぎるので何かの病気(の前触れ)なのではないか不安になってくる。

2018-05-24

悪いのはいじめる方なんだとやっと腹落ちした

小学二年生とき痴漢に遭って、母に言ったら「そういう人はいから、気をつけなさい」と言われた。

中学生ときにもまた痴漢に遭って、母に言ったら「痴漢にすら相手にされなくて自分には魅力がないんじゃないかって

悩んでいるような女の子いるかもしれない。需要があるだけましと思わないと」と言われた。

それ以降も露出狂や、チャリで追い掛け回してくる人、ノーマル痴漢など色々遭ったけど、人に言わなくなった。

社会人になって、会社を辞めていった元同僚と居酒屋で3人で飲んだとき、1人が酔いつぶれて寝てしまい、

起きているほうの元同僚に腕を掴まれて壁に押し付けられて無理やりキスされたということがあった。

通りすがりの知らないおじさんに痴漢されることには慣れていたけど、本名出身大学学部も好きな小説家も知ってる

一緒に働いたことのある一つ年下の人から強制わいせつをされたことにはさすがに衝撃を受けてしまい、

それを母に言ったら「モテてるじゃない(笑)」と言われた。

母に言う前に、母に言っても良い方向にはならないと予想はついていたから、数か月間は当該元同僚をLINEブロックしただけで

誰にも言わないで黙っていられたんだけど、結局喋ってしまい、しみじみと私は馬鹿なんだろうなと思った。

父親はというと、私が成績が下がったり部活試合で良い結果が出せなかったとき、ただでさえ落ち込んでいるのに罵倒してきて

良い結果を出せたときは何も言ってこないような人間なので、そもそも会話が無かった。

 

山口達也女子高生を家に呼び出して無理やりキスしたというニュースがあった。

女子高生母親は迎えに来てくれて、事件を明らかにして、泣き寝入りをしないという選択をした。

日大タックル問題では、加害学生被害学生の両親がそれぞれ、自分の息子を守り戦うという姿勢を見せている。

こうした「泣き寝入りをせず加害者責任を問う犠牲者」の存在に立腹し、執拗に叩くタイプの人は大勢いる。

泣き寝入りをしない選択は、「犠牲者の落ち度を責めるばかりで加害者は免責する人々」からの猛バッシングを受ける結果を、ほぼ確実に招く。

でも山口達也被害にあった女子高生とその家族内田理事被害に遭った男子大学生とその家族の戦いを見て、時代が明らかに変わっていることを感じた。

あらゆるいじめは加害した側が悪く、変わるべきなのも加害した側であると、現在は心の底から思えるようになった。

加害者に狙われることを出来る限り予防したり、狙われたときの反撃手段を得ることといった、現実的解決手段は当然必要だ。

でもその前に、被害に遭った自分を痛めつけているだけの人々が、まだ大勢いる。

被害だけではなく、パワハラなどの労働問題学校でのいじめもそうだ。老若男女も問わない。被害に遭った自分を責めている人がたくさんいる。

加害者にとってどこまでも都合の良い犠牲者」として、自分健康を害し続けている人々がたくさんいる。

 

母が大学時代結婚式場としても使われる大きな料亭バイトしていて、酔客に尻を触られることがよくあったと言っていた。

予備校バイトをしていたとき弁護士事務所秘書をしていたとき、妙な因縁をつけられたりセクハラされたりがあったとも。

全てを母は笑いながら話し、「バブルだったからね、女性からってだけでイベントに呼ばれて、

参加費無料なのに貴金属もらったりもあった。女は得」という話に繋げて終わらせようとする。

しかし、私が生まれ専業主婦になり私が小学校高学年になってから社会復帰した母は、

社会復帰以降は一切女性らしさを問われないオフィスワークをし続けてきたし、

50代になったいまは髪を短くして私服ジーパンばかりで、かなりの痩せ型であることもあってシルエットに女性らしさがほとんど見えない。

笑い話ではなく素朴な「嫌なことをされた」「それは辛かったね」というやり取りを、

望みながらも叶わなかったのは、母も同じだったのではないかと今は思う。

 

内田理事の件と、あとはネトウヨ懲戒請求された弁護士の反撃もそうだけども、

犠牲者法律リテラシーがあるからこそ互角かそれ以上に戦えるという例は多い。

たいていの被害告発告発者が戦い慣れておらず、観客は惰性で加害者擁護して、犠牲者プライバシーを失いボコられて終わる。

からme tooの強要なんてできない。それでも、悪いのは常にいじめる方であると言いたい。

被害予防と、万が一被害にあったときの身の守り方は学びながら、過去被害に遭った自分を責めることはもうやめて欲しい。

加害者には加害者事情があるだろうけれども、犠牲になった人間自分の心や生活よりも加害者理解大事にする必要は一切ない。

 

anond:20180525110834

2018-05-23

アメフト経験から言うと

大学時代5年間、アメフットプレイしてきた。アメフットのために留年するくらいには真剣に取り組んできた。

自分経験から言うと、「QBを潰せ」という指示は、

日大広報の言うような「最初のプレーから思い切って当たれ」意味ではない。

あるいは実際にあったような「あからさまなラフプレーを仕掛けてこい」という意味でもない。

どちらも違う。

あれは正しくは、「傍目からからいくらいにうまく、自然な感じでぶつかって傷めてこい」という指示だ。

内田監督やその他の日大関係者が、今回の騒動の中で驚いていることがあるとしたら、おそらく、

「あの選手あんなにヘタクソにわざとらしくぶつかった」ことだろう。

そもそも日本アメフットクリーンスポーツではまったくない。

選手同士、普段からフィールド上で暴力団チンピラかと思うような言葉挑発しあっているし、

ラフプレーを仕掛けてきた相手選手に、意趣返しのために強めに当たって来いなんて指示は日常茶飯事だった。

これは何もうちのチームだけのことではないと思う。

断言するが、これは氷山の一角だ。今回はたまたまあの日大の選手が、ものすごくラフプレーが下手だっただけだ。

今の日本大学アメフット世界には無数の、同様な醜悪な事例がある。

俺が今回の騒動で一番我慢ならないのは、日大コーチ陣ではなく、

あの指示の意味がわかるのに、自分たちがやってきたことに対してだんまりを貫いたまま、

無関係を装っているアメフット関係者たちだ。

あるいは、自らがそういうダーティな面とは無縁のような顔を装っている関係者たちだ。

自分たちの「スポーツ」がどれだけ世間基準からかけ離れた醜悪ものなのか、

アメフット関係者の一人ひとりが自問すべきときだと思う。

2018-05-21

離婚したい

20代後半 男 子どもなし

同居3年目 結婚2年目

 

長くなりそうなので理由から

自分1人の時間が取れない

・束縛が激しい

・くだらないことで喧嘩が多い

 

自分1人の時間が取れない

浮気心配され、自分時間がまったくない

1日の流れはこんな感じ。

夫婦共働きだが、妻が先に家を出る

家出から妻が仕事までずっとLINEで連絡を取っていると

妻の仕事が始まる頃には自分も家を出なければいけない

妻の昼休憩もずっと連絡を取り、連絡が途絶えると「何していたの?」とすぐ言われる

妻の昼休憩と自分の昼休憩は被らないので、普通に仕事で手が離せなかっただけなのだが・・・

夕方になると「今日はいつ帰ってくるの?」と言われる、それ自体全然構わないのだが、ここで宣言した時間より遅くなると日によっては怒られる。

日によって怒られたり怒られなかったりは妻の気分しだいだ。

遅くなりそうだからといって、始めから遅い時間を伝えると、「浮気しているんじゃない?本当に仕事なの?」と不安になるようだ。

自分仕事終わる平均の時間は18時30分、遅くとも19時には終わる。

月に1回程度、20時前になることもある。

これを読んでくれるであろう、社会人の皆さまよりは随分早く終われている自覚はあるのだが、それでも遅いらしい。

家に帰り、携帯を触ったりしていると、「何しているの?」と聞かれ不機嫌になる。

そのため極力触らないようにしている。

 

土日もお互いが休みのため、自分時間はない。

妻はシフト制だが、自分が土日休みのため合わせている。

妻が土日に仕事ときもあるが、ずっと連絡がくるので、返信している。

もちろん出掛けるときも必ず一緒。

 

一緒に出掛けるのも好きなのだが、私は同棲前の休日は家でぼーっとネットサーフィンして時間を潰すのがほとんどだった。

最近はそんなこともないので、その生活が恋しくなってしまった。

PC浮気防止のため同棲するときに捨てさせられた。

仕事出張がなく、家を離れることがないが、もしあったらどうなっていただろうと思う。

ちなみにこの文章通勤中に書いている。

 

 

・束縛が激しい

付き合っているときに小中高大学時代の全友達会社の人のLINEを削除した。

Twitterも消した。

Skypeも消した。

今はLINEに両親と兄弟と妻しかいない。

携帯を触ると常に浮気他人と連絡を取っていることを疑われるので、携帯に触れない。

 

会社飲み会NG

本当に飲み会かわからないし、仕事以外で会社女性と話すのが気に食わないそう。

所属部署上司に経緯を話し、参加できない旨を説明している。

なんと情けない話だろうかと自分でも呆れたが、強行して飲み会に行くと何があるかわかったものではないので、飲み会は不参加にさせてもらっている。

飲み会は元から好きではないので、苦でもなんでもないが、お世話になった先輩が辞めるとき送別会には参加したかった。

 

 

・くだらないことで喧嘩が多い

ここまで読んでくださった方はわかると思うが、こんな関係なので喧嘩が尽きない。

別々の人間なのだから意見価値観が合わず、言い合いになるのは避けられるし、むしろ当たり前だと思う。

しかし、結婚したというのにあまりにもくだらないことでの喧嘩が多い・・・

「通りすがった女性をチラ見していた」

会計時にレジ女性にデレデレしていた」

こんな理由半日、1日口を利かないことがざらにある。

もちろんレジ女性世間話に興じるなんてことはしていない。

ただお金を渡して、商品を受け取っただけだ。

これから子供作ろうなんて話しているのに、こんなことで半日口を利かなかったら、協力して子育てなんてできないだろうと容易に想像できる。

たこの口を利かない時間自分ストレスになっており、あまりにも頻度が高いので離婚を考えるまでになった。

 

また喧嘩した際にエスカレートすると物を捨てる癖があり、困っている。

手始めに自分プレゼントしたもの手紙、その後自分プレゼントされたものや服を捨てられる。

酷いとき冷蔵庫の中や調味料などすべて捨てる。

2,3日経って冷静になった後に、妻自身も後悔しているので、なんとかならないものかも思う。

 

 

かい理由を挙げるときりがないが、主に上記3つの理由離婚を考えている。

妻に伝えたところ、了承はしたができれば離婚したくない、とのことだった。

 

喧嘩をしていないとき普段は何も問題なく、仕事しながらの家事積極的で良い妻だ。

ただこれから何十年も一緒に居るのに、自分時間が取れなかったり、くだらないことでの喧嘩が多いと将来が不安だ。

主に自分が耐えられるだろうか、と子供が生まれたら育てていけるだろうか、という不安だ。

 

そもそもなんで結婚したんだ、と言われそうなので書いておく。

結婚から上記3点は懸念事項だった。

ただ、自分時間が取れないことがこんなに苦になろうとは思わなかった。

1年ほど同棲してから結婚したので、大丈夫だと思っていたのだが、自分気持ち限界が来たのではないか考えている。

また喧嘩については結婚前にそういう言い合いはやめる、とお互い約束したのに、今も続いてしまっている。

 

妻のことは好きだが、こんな状況が続くようであれば、「好き」だけの気持ちで一緒に居られるのかと思い直し、離婚を考えている最中

こんなことを親にも友人にも職場にも相談したことはなく、大きな決断を前に第三者意見を頂戴したく投稿した。

「こんなの結婚したら当然だから話し合って解決しろ」なのか「離婚したほうがいい」なのかそれ以外なのか。

特に既婚の方の意見、お待ちしております

2018-05-20

大企業辞めて起業した会社退職して、再就職した話

妻が寝ちゃって暇なので、深夜に私の転職した話を書くよ。

■経歴と話のまとめ

WEBメディアとかやってるIT企業就職イメージは、楽天リクルートYahooサイバーエージェントDeNAGMOかその辺りで考えていただければと。そこを7年ほど勤めた後に、大学時代の友人に誘われて共同で起業。ただ、とあるきっかけで起業した会社を離れることになって、転職活動を新たにして無事内定もらって働いているって話。

起業の経緯

自分で言うのもあれだが、最初会社ではかなり評価されていて同期の中では昇進早い方だった。年上のメンバーマネジメントしてたし、IT企業なりの実力主義みたいなのにうまく適応できて、トントンと昇進して年収も900万円前後だった。

ただ、そんな中で大学時代の友人に起業に誘われ、共同創業起業することになった。もともと起業には興味があって、何かやるネタがないかなと考えていたところだったので、仲の良い友人から何度も熱心に誘われたこともあり抵抗なく起業の話にの会社をやめることにした。起業します!って行って辞めていった時の、なんとも言えない高揚感は今でも思い出す。資本も入れてるし株も筆頭ではないが十分持ってたよ。

起業した会社を離れた理由

シンプルに2つ。

・産まれ子ども障害があった

・そのことを、共同創業者と分かり合えなかった

まれ子どもに、身体的な障害があったのさ。そこまで重い障害じゃないけど、まあ矯正しないと生涯に渡って付き合っていかないといけない障害が体に残るようなレベルの。

もう、青天の霹靂

うちは夫婦共働きだったけど、妻も理解があってベンチャーやってる俺の忙しさを知ってるから家事育児などはかなり頑張ってやってくれていた。ただ、子ども障害があるとなると話は別で、やっぱり子どもへのサポートを最大限にしたい。となると、私も当然働く時間などに制約を持ちながら(と言っても普通に深夜ではなく夜には家に帰ってきてくれ、と言う程度のもの)働かなければならなくて、創業期にがむしゃらに起きてる間ずっと仕事してる、みたいな状況はできなくなってしまった。

で、そのことを共同創業者に相談したときそいつの反応。いまでも思い出すよ。

「そうか、まあお前のプライベートには興味ないけど、結果だけ出してくれたらいいよ(笑顔)。俺に期待することある?ないよね」

で話が終わったんだよね。

もう、愕然

もともとクールなやつだったけど、こっちが相当参っているとき申し訳なく泣きそうな思いで打ち明けたことに、↑みたいな反応されると、固まるしかなかった。

と言うことがあってからは、感情を共同創業者に出すこともせずに淡々仕事をこなしていたり、とはいえ家庭との板挟みで(俺はもう完全に家庭に心が向いていた)睡眠時間がどんどん削られて行ったりで、身体精神ともに参ってしまった。ので、家族相談して起業した会社を離れることに。辞めることを伝えたときには、共同創業者は最後まで怒り狂ってた。「家族を裏切れないって言うけど、俺のことは裏切れるのか」とか言われたけど、そう言うことをいうやつだから一緒にやりたくないんだよな、と思った俺は後悔はあれどスッキリし、心のもやが晴れていくようだった。

転職エージェント登録

正直、今度は自分自身起業しようかななんて思いもちょっとあったんだけど、まずは収入を安定させねばという思いでサラリーマンになることにした。起業してると、給料日お金が出ていく日だけど、給料日お金もらう日にしたかった。これだけで心の安定が相当違う。

上記みたいな経緯だったので、もうとにかく辞めることを優先して、転職活動は後になった。結果として、30代既婚子持ち職なしの爆誕である。無事起業した会社退職した後に、信頼できる年上の知り合い(=最初会社の元上司)にだけ打ち明け、信頼できる転職エージェントを紹介してもらった。取り急ぎ2社登録したけど、結果的に2社くらいで私はちょうどよかったと思う。

案件は、大体似ている

(よっぽど特殊スキルを持っていたりするなら別だけど、私のようにWEB系だったらまあ似たり寄ったりの求人も多く、被っている求人も山ほどある)

自分相場観が多面的にわか

(私の場合、狙える年収みたいなのがエージェントによって差があった。「新卒で入った会社の900万円レベル全然いけますよ!起業していた経験などはプラスに見られますよ!」みたいな意見と、「起業していた時の給料がほぼ皆無だったということであれば、無難に750万円くらいだったらいけますよ」という意見が両方あって、どちらも真実だろうなーと思いつつ転職活動していた)

志望動機などの相談多面的にできる

(これも、私の場合上記のような経緯だったので、起業した会社退職理由をどう話そうかと迷っていた。一方では「正直に言った方が、自分自身の納得感も大きいし、本当にFITする会社を選ぶためには話すべきです」という意見と「子ども理由だけで十分なので、創業者と分かり合えなかった〜みたいなことは言わなくていいですよ」みたいな意見があった。私は、性格的に隠し事が好きではないので前者の意見採用してありのままを伝えることにしていた。これは前者のアドバイスに救われたと思う。)

■以下、いろんな会社を受けて思ったこ

大体各エージェント10社ずつ、20社ほどエントリーを出した。最初ビビって多めに出したけど、書類落ちたのは2社くらいで、面接に忙しくなってしまった。印象的な会社を下記に述べる。

①某数千億規模のオーナー企業。3年前に役員に、某外資から鳴り物入り転職してきた常務が手腕を振るっている。常務意気投合して内定しますね、って口で言われたのに、5日後くらいに「オーナーに人を取りすぎだ」って言われてどうしても内定が出せない、申し訳ないって断られた。なんだそれww って思ったけど、俺以上に転職エージェントめっちゃキレてた。一度口で内定って言った以上、出さなくなるなんて本当に失礼だと。そりゃそうだ。

②某六本木ベンチャー。無借金経営でそれなりに名前を知ってた。会社に入ったらみんながみんなしっかり挨拶してくれて、それだけで印象がめちゃくちゃいい会社挨拶大事新卒4年目みたいな人と面談だったが、よくいうと非常にビジョナリーな感じの人で、悪くいうと地に足がついていない感じ。悪い印象もないんだけど、肌に合わなかったのでこちからお断り

③某六本木ベンチャー2。ベンチャーで有名なビルに入っていた。ここはもう最悪だった。人事に清潔感がなく、面談中もずっと髪の毛を触っていた(女性)。それで、30分くらい面談した後に「それでは、詳しい求人票はまたエージェントからもらってくださいね」とか言われた。思わず「今この場でないってことですか?」って聞いたけど、そしたら「いろんなエージェント求人票出したりしてるので、そのエージェントさんの最新のものは、エージェント自身確認してもらった方がいいんですよ」とか言われる。もう話す気もなくなったのでそれ以上質問せずに終了。大体、職務経歴書履歴書を紙で印刷してもってこいとか書いてあるのに、こちらが渡そうとしたら「データであるので結構ですよ」とかさらりと言ってくる時点で、求職者への扱いがぞんざいなんだなって印象である会社でた瞬間、お断り電話エージェントにした。

渋谷AIベンチャー。本当にあけっぴろげに会社課題や求める人材を語ってくれて、1時間面談が本当に充実した時間になった。結果的に、私がやりたいことと違ったのでお断りする形になったが、お断り電話エージェント経由ではなく俺から直接電話でさせてくれと頼んだほど、真摯採用に向き合っている方で本当に好感触であった。こういう人と会えるなら、転職活動は貴重な経験になるなと実感した。

⑤某港区大企業。1兆越え。採用システマチックで本当にうまくできていた。後一次面接から役員が出てくるとか、採用にかける本気度をの高さを非常に感じた。後、毎回面接の後に、エージェントを経由してくる俺の評価言葉を尽くしてくれるので本当に嬉しかった。「マネージャー経験しかないが部長レベルも担えるポテンシャルを感じる」とか「物腰柔らかで好印象」「新しい領域でも安心して任せられる安定感」とか、そんなことを箇条書きで毎回伝えてくれて次の面接に進んでいくので、こちらも嬉しい気持ちで進められた。内定をもらったけど、最後まで悩んだ会社である。やっぱりどういう評価をされているのかがわかるとこちらはとても愛着がわくし興味を持つ。

⑥某社。Newpicksのジョブオファーを見ていて、面白そうだったから話を聞いていってトントン面接が進んで内定をもらった。ただし、Newspicks求人票に書いてあることと違う条件でオファーが出てきて(本社募集だったのに、子会社採用みたいな)、そのことを質問するともごもご言い訳をしていたので、気持ちが離れてしまった。一言面接過程で、意思確認しながら別ポジションでのオファーとなることがあります」くらい書いておけばいい話なのに、内定しますね〜っていって面談に言ったら違うポジションで、とか、印象悪くなりすぎる。

⑦某社。これもNewspicksジョブオファー。一度面接にいって、面白そうなので2次面接に進むときに、途中でメールが途切れてしまい(あっちの候補日程提示に対して、俺が返信しても返事がなかった)、そのまま当日を迎えてこちからメールをすると「(要約すると)ごめん忘れてた、ほんとごめん」みたいなメールが返ってきて、すでにいくつか内定をもらっていた中なのでもういいやとなりお断りダイレクトリクルーティングを頑張るのはいいが、人手足りないなら最低限のアレンジくらいはアシスタントなど雇わないと回らないのではないかと思った次第である

⑧某ヒルズの大きめベンチャーオフィス綺麗かっこいい。すっごい早口面接官で、2次面接の後に「よかったらオフィス見学していきますか、時間オーバーしてますけど」みたいなこと言われて、志望度それなりに高かったのでしっかりオフィス見学させてもらった。でも3日後くらいに落とされた。「優秀な人材で非常に残念だが、今のチームへのフィット感がないため泣く泣く断念する」みたいなことを言われた。非常に便利な断り文句だなと思ったw ことと、事実オフィス見学までさせてもらっての不採用なので、その会社のことは全く嫌いになれない(むしろ今後も応援したいなと思った)。断り方ひとつとってもエクセレントだなって感じた。

結論的に

で、そんな俺だけど、結局転職したのは20人くらいのベンチャーだった。

起業した会社退職した経緯が↑みたいな理由だったので、今度働く会社は、お互いのプライベート尊重しながら、困ったときには支え合えるような会社がいいなって思っていた。

そんなことを面接で伝えても迎え入れてくれて、3回面接をしてオファーをもらった後にも何度もランチを設定してくれたり、「もしベンチャーということで不安になることもあれば、私から奥様にお話をすることもできますので、何なりとおっしゃってください」みたいなことを社長自らが言ってくれたり。入社前に社員半分くらいに会わせてもらって、シンプルに「いい会社だな」って思ったんだよね(入社してから今もその印象はかわらずむしろ高まっておる)。もちろん会社課題感なども隠さずに伝えてくれるし、その課題に対して自分が貢献できそう、と確信できたことも大きかった。

ちなみに年収は、オファーをもらった中では一番低かった。800万を超えるようなオファーもあったけど、お金じゃなくて働きや働く人が大事だなって心の底から思えていたので、そこはそんなに問題ではなかった(ベンチャーはいえ、決して低くはないので。後半年働いたらSOオファーがある、というのも大きい。)

ということで、チラシの裏に書くような話なんだけど、転職活動中の人に参考になれば嬉しいです。後中途採用やってる人事の人にも役立てば嬉しい。

2018-05-19

anond:20180519133942

こないだ大学時代日記を見つけた。

いきなりここから入っているのが嘘くさい。

大多数の男はこういうストーリーテリングをしない。

自分主人公見立てストーリー経験)ではなく、その経験で得た結論の方を先に書く。

経験は後付けの補強として語るか、場合によっては付加すらしない。

非モテコンプレックス世間のせいなのか?

俺はそうでもなかったけどな。勝手に人と比べては自分価値がないって当然のように思っていた。

こないだ大学時代日記を見つけた。人と接することがほとんどなかったぼっち時代のものだ。当時の俺はぼっちであること以上に童貞であることを気にしていた。必修科目でたまたま一回組んだ女子のことが気になってしまったり、そのへん歩いてるカップルが心底憎くなったり、たまーにきた女友達からメールを一字一句に至るまで分析したり(的外れ)、返事が来なくて発狂したりしていた。一番堪えてたのは清純っぽい女子チャラ男にヤラれてる話をネットで見たときしかった。

読むとだいたいキッツイのだが、とくに見ていられないのが、女なんてどうせこうと決めつけていたことだ。当時は女性どころかヒトと話す機会さえほとんどなかったのに。今では「おいおいそれは違うんじゃねーか」と思うことばかりで、ほんといたたまれない。

んでこのこじらせ具合って世間とか周りの意見とか、そんなに関係なかったんじゃないかと思う。俺はただ性欲が人並みに強くて女性に愛されたくて、それが満たされなくて苦しんでた。勝手自分を人と比べて見下されてる気になって見下し返そうと必死だった。

もし周りの誰もが「いいじゃん童貞だって気にすることないよ」って言ってくれたとしても、俺以外の誰もがなんの特別さもなく当たり前のようにセックスできるんなら、俺のしんどさはさして変わらなかったと思う。結局は、自分が感じるしんどさの原因を見つめ直して足りない部分を補って、ちょっとずつ成功体験積み上げるしかなかった。俺は俺のしょーもない思い込みから卒業できて、本当によかったよ

2018-05-18

今まで人と会って楽しかたことがない

自分時間を奪われるのも相手時間を奪うのも辛い。

仕事趣味の成果を褒められるのは嬉しい、スポーツを一緒にやるのも楽しい、でもそれ以上の雑談苦痛しか無い。

大学時代は無理をして色んな所に顔を出したが終わってみて楽しかったと思えることは一度もない。

両親のおかげで容姿が恵まれており、軋轢から逃げるため常にニヤついてるのが優しげに見えるのか女性からはよく告白されるので付き合うが半年持たない。

人間嫌いというわけではないと思うのだが単純に楽しくないのだ。

仕事の打ち合わせで話し合うのも面白いし、映画読書レビューネットに上げて反応をもらうのも嬉しい、サッカーで一緒に汗を流すのも楽しい

でもその後の飲み会オフ会打ち上げになると息苦しくて仕方ない。

なんとか治したいのだがどうにもならなくて辛い。

2018-05-15

妹のゴミ部屋を掃除した

妹が一人暮らししていたゴミ屋敷のような部屋を、この3日間をかけて片付けた。
とにかく吐き出して残したいという思い9割、誰かの役に立つかもしれないという雑な期待1割で書きます

経緯

2009年春に妹が地方大学へ進学し、それからアパート一人暮らししていた。
その後いろいろあって、3年前の4月に突如実家に帰ってきて、実家ニートに転身した。もともと内にこもりがちの性格であったが、在学中にうつ病も患っていたらしい。3年近い休学を経て、結局退学した。今もそれほど状況は好転していない。
それ以降、アパートに戻っておらず、契約けが残る状態が続いていた。

丸3年放置されていたため、さすがにだめだろうと父へ打診し、今年の5月に父と僕で片付けと解約を行った。この件については妹は一言も口を聞かなかったので、二人で強行した。
大人二人いればなんとかなるだろうと2泊3日で予定を組み、自分が先行して部屋に入って片付けを先行する手はずになった。
この件については全く頑なな妹の態度から、「人が死んでるのかな?」とか、「異臭騒ぎになっているはずだからバラバラにして冷凍されているかも」とか、「郵便受けに大量の督促状とか入ってたらどうしよう」とか、出発までの数日間はそんなことを勘ぐり、心中穏やかではなかった。
父が出発当日に妹に声をかけたが、部屋に引きこもって出てこなかったらしいので、結局父と二人で作業も行うこととなった。

大家さんに借りた鍵(妹は持っているとも無くしたとも、何も言わなかったらしい)を使い、ドアを開ける。
アパートはよくあるタイプの1Kで、玄関から入るとキッチンがあり、扉を挟んで左にユニットバス、奥の戸を開けると6畳の居間があるという構造自分は妹のアパートにこの時初めて入ったが、大学時代は全く同じ間取りアパートを借りていたので、。

開けた瞬間、なんとも言えない臭いが真っ先に鼻についた。多分、配管の中の水が蒸発しきって、下水臭いが逆流していたのだろうと思う。3年間開けていたのでこんなものかもしれない。
玄関は、空き缶が詰められた大きなゴミ袋(45Lくらい)と、紐でくくられた雑誌が何束か、それと買ってきたであろう掃除用具が転がっていた。
次に、左側のユニットバスの扉を開ける(内心、かなりビビっていた)。ゴキブリカマドウマ死体が転がっていたり、シャワーカーテンが真っ黒にカビていたり、臭いも更にきつかったけど、思っていたほどではなかった(シャワーカーテンなんかは消耗品だし)。とはいえ、ここで用を足す気には全くなれなかった。

最後居間の戸を開ける。が、30cm位しか開かない。何かがつっかえているらしい。30cmの隙間からは、ゴミ部屋が広がっていた。テレビで見た、あのゴミ屋敷のような部屋だった。
床が見えなかった。ベッドと同じ高さまでゴミが層に積み重なっており、畳なのかフローリングなのか、カーペットを敷いているのかどうかとかは全くわからなかった(ちなみにフローリングの上にカーペットが敷かれていた)。

その後合流した父と3日間(作業時間は丸2日)をかけて、なんとか片付けを終え、解約までこぎつくことができた。
可燃ごみは45Lのゴミ袋で40袋弱、ビン・缶が10袋程度、ペットボトルも同じくらいで10袋、粗大ごみが約100kg、これに加えて冷蔵庫洗濯機リサイクル家電処分した。

教訓と考察

ゴミ屋敷の片付け作業において

片付け作業でのポイントを忘れないように記録します。もう二度とやることは無いかもしれませんし、そう願っていますが。

事前に”どの程度の”状況なのかは把握したい。
妹がこの件については全く口を割らず、また僕も父も部屋に入ったことが無かったので、状況がわからず、準備も中途半端になってしまった。
もし屋敷と言えるくらいの広さだったり、糞尿があるようなら、心身の衛生のためにも、専門業者に頼んだほうが良いと思う。今回はそういうのが無かったので、なんとかなった。運が良かった(?)。

二人以上で作業するのは必須だと思った。一人では絶対心が折れる
僕は心が折れた。居間をひと目見ただけで、頭の中が真っ白になり、10分くらい部屋の前で狼狽していた。動転していた中、「とにかく十分な装備が要る」と思い、部屋からいったん離れて近くのスーパーマスクゴム手袋軍手ウェットティッシュ調達した。部屋に戻り、まずは何かに着手しようと玄関に散らばっていたカタログ雑誌を、紙紐(転がっていた掃除用品の中にあった)で縛り始めた。雨が降りしきり、薄暗い玄関で黙々と作業しながら、「妹はこんなところで6年間も住んでいたのだろうか」「こんなところにいたら頭がおかしくなるに決まってるやろ」「こんなしょうもないものに囲まれて、6年間で何が得られたんだろう」「玄関にあった掃除用品は自分でなんとかしたかったけど、どうにもならなかったのだろう、自分を恨んだり呪ったりしたかもしれない」「なぜ助けを求められなかったんだろう」「今もそう、どんな思いで、どんな気分で生きているんだろう」「なんでこうなったんやろ、なんでやろ」と頭がぐるぐるし、だんだん悲しくなり、終いには泣きそうになっていた。作業したくない言い訳かもしれない。その後、父が到着するまでの間、恥ずかしいことに作業を投げ出して近くのカフェに逃げ込んで、清掃業者を調べていた、というか茫然としてしまっていた。
父が加勢してからは、とにかく話しながら作業した。話すことがなければ、「オラオラオラ」とか「うげーなんじゃこりゃ」とかなんでも良いか独り言を出して、”黙々”という状況をなるだけ避けた。そうして余計なことを考えないようにした。独り言は案外一人では言えないものなんだな、というのも初めて得た気付きだった。

できれば一緒に作業する人は年長者が良いかもしれない。
僕の父は、僕ら兄妹の引っ越し祖母遺品整理などを手伝っていたので、片付けは手慣れたもので、そういった作業用キット(父曰く「いつものやつ」)を自前で作って実家から駆けつけてくれた。僕が狼狽して入れなかった居間を見ても、「おうおう、アイツ(妹)、なんちゅう散らかしようや。ちょっと中入ってつっかえてるもん取って」と怯まなかった。「あ、このおっさん、やる気やな」と、自分もここで覚悟を決めた。

車も必須可能なら、軽トラなどを借りておきたい(量が多いのと、ゴミなので車内を汚したり臭いをつけたりするため)。
借りるときは、片付けている部屋から持ち込み可能自治体清掃センターがどの程度離れているのか、といったところから積載量も考えた方が良いかもしれない(遠いとこまめに運んだときタイムロスになるため)。

土足で作業すること。そうでないと身動きが取れない。靴もできれば底が頑丈な登山靴や安全靴が望ましい。ゴミの下に鏡などがある(今回はゴミの下から合計5枚、そのうち2枚が割れていた)。自分も気づかずにそれを踏み抜いたが、軽登山可能な厚手のスニーカーだったので助かった。
土足に加えて、ゴム手袋マスクメガネ(花粉症用の装備が良いかもしれない)は必須。3年人が住んでいなかったので臭いはそこまでだったが、代わりに埃っぽさが酷く、メガネが無いと危険だった。実際、作業が終わるころにはレンズホコリで白くぼやけていた。衛生面でダメージを受けるとモチベーションがすっごい下がるし、何より感染病とかが心配になってくる。

作業スペースが限定されるので、二人で作業するときはきっちり役割分担をすること。
居間ゴミ処分作業の中心になるが、動けるスペース・何かを置いておけるスペースが全く無かったので、二人が作業するためには何らかの作戦必要になった。
そこで、僕がとにかく可燃ごみ・ビン・缶をゴミ袋に詰め込みまくって部屋を原状復帰させること、父がダンボール分別必要もの解体や、分別必要ゴミの分解、雑誌などの資源ごみの紐括りなどを担当することにした。そうすることで、足の踏み場がない居間には僕、玄関には父という配置で、前衛の僕が分別できないゴミ玄関に投げ、後衛の父が投げられたゴミを処理するというフローができるので、二人の動線干渉せず、効率的作業できた。

進捗は正義
床に敷かれたカーペットが少し見えたときは「このゴミ無限ではなく作業意味があるんだ」と勇気づけられたし、いっぱいにしたゴミ袋の数を数えるのが少なくともそのときは僕にとっての勲章だった。2日目の午前、居間の奥の窓まで到達し、締め切られていたカーテンと窓を開け、光と風が差し込んだときは「ライン川を渡った連合国軍兵士はこんな気分だったのか」と思いながら、ガッツポーズをしていた。完全に頭が湧いているけども、何にせよ進捗をあげている気分になれないと、無限に続くような作業に耐えきれなかった。

一番ゴミが多いのはベッドの周り。
ゴミ屋敷になってくるとベッドの上は最後生活圏になるので、燃えるゴミの大半はここから出るのだろう。実際、ゴミ袋に詰め込む作業時間の7割程度は、ベッドの周りに関わっていたと思う。逆にベッドからというところのゴミは、実はベッド際ほど層が高くなかった(放り出された空のダンボールが折り重なって、最初は見えなかったが)。
ちなみにベッドの周りのゴミの中に、(合算すると)現金十数万円が埋もれていた。大事な物もきっとベッドの付近で見つかるのだろう。「こうして廃棄品から千万が見つかることになるんやなー」と父がのん気にぼやいてた。そのとおりだと思う。

ゴミ屋敷にしないためにできることはなんだろうか

延々と続く作業の中で、「なぜこうなってしまったのだろう?」と考えていた。
妹が精神的に患っていたこともあって決して一般論ではないですが、自分一人暮らし経験とも照らし合わせながら、整理したい。

ベッドの周りのゴミの中で特に多かったのは、ティッシュビニール袋、綿棒、割り箸から揚げ棒や焼鳥の串、500mlの牛乳パック、レシートアイスの棒とカップ、コンドーム(もちろん全て使用済み)。要するに、普通は捨てることに一切躊躇しない物がほとんどだった。
でも人によっては、ビニール袋は「何かに使うかも」とか、レシートは「いくら使ったのかわからなくなるのが不安」とか、そういう(場合によっては無意識的な)抵抗が働くかもしれない。捨てるときには、その都度、軽重異なるが判断が求められるし、捨てて得られるものも無いので"保留"という形で、なんとなくそのへんにうにゃむにゃしてしまうのかもしれない。
上でも述べたとおり、ベッドの周り(特に上層)はもはやゴミ屋敷化してしまった状態での行動を反映していると考えられる。この時点では、もう何かを判断する力を失っていたのだろう。ベッドの周りには大量のバファリンもあった。ゴミ屋敷とかそれ以前に、妹がそうなってしまう前に手立てを打ちたかった。悔やみきれない。
「余計なものを買うから、ああなるんだ」と思い込んでいたが、そうではなく「本当にしょうもないものも捨てられないから、こうなるんだ」という当たり前の気づきもあった。

あれだけ汚い居間の中で、中身の入ったゴミ箱・ゴミ袋の類が不思議と見当たらなかった(未開封の市指定ゴミ袋は片付けの途中で見つかった)。
捨てることがシステムの中に組み込まれておらず、捨てるハードルを高くしてしまっているというのもわかった(これは自分一人暮らしの中で覚えがあって、生ゴミ用に蓋付きのゴミ箱を買ったが、ゴミを放り込むのも、袋を出して捨てて入れ替えるのも面倒になって使わなくなったことがあった)。
ゴミ箱なんて使わずに、不格好でもそのままくくって捨てられるように市指定ゴミ袋を部屋に転がしておき、そのゴミ袋の下とか横にでも換えのゴミ袋を置いておくなど、とにかく「捨てやすい、ゴミ出ししやすい」を状況を作ることが大事なのだと思った。

捨てられない人にとって、通販は敵。
ダンボール処分に困る。解体担当の父もうんざりしていた(任せきりですまんかった)。硬くて解体しくいし、資源ごみだし。中身の方を早く取り出したくてダンボール処分どころではないかもしれない。
特にひどいなと思ったのはニッセンで、ゼクシィみたいな分厚いカタログが何冊も何冊もゴミの山から出てきた(発狂するかと思った)。体積的には、ニッセンで買ったものより多かったのではないだろうか。資源ごみは回収日が限られていて、しかも包装ビニールから取り出して紙紐で縛るなど手間がかかるので、捨てられない人間はあっという間に溜まる(自分定期購読した雑誌を、未開封状態積読した覚えがある)。
ゴミの下層の方に多く見られたのも、もともと捨てる手間が大きく、また捨てるメリットも少ない(生物のように腐ったりしないし)ので、まだ正常な判断ができる初期の時期でもなかなか捨てられず、結果、ゴミ屋敷へのトリガーとなるのだろう。

仕送りも敵。
ごみの下層でほったらかしにされたダンボールの中には、自分も見覚えのあるものメーカーのもの散見された。送り主は母で、仕送りされたものだった(僕も同じ時期に別の地方大学へ進学し、一人暮らしをしていたときに送られてきていた)。
中身はマヨネーズとか、ごま油とか、缶詰とか、そういうどこでも買えるような食品だったが、台所を片付けていたときほとんど未開封なのに気づいた。確かに、そのへんで買えるもので、しか調理しないと使えないようなものなど邪魔しかない(僕は強く「仕送りをやめろ、やるなら現金にしてくれ」と伝えていた)。
送られた品というのはなんであっても捨てにくいものだし、ましてやそれが一人暮らし栄養状態心配する母なのだからなおさらだありがた迷惑とはまさにこのことなのだろう。残念ながらこれもゴミ屋敷トリガーとなっていたと思える。

これは僕の直感なのだけど、一面床が見えなくなったらおしまいで、誰かに助けを求めたり介入したほうが良い。
床にゴミがある状態というのは、心理的ストレスが高い。捨てたくなるはず。だけど、一回ゴミで覆い尽くされたら、あとは高さしか変わらないのでゴミが増えたことを認知できない。そしてその期間が長くなるほど、もはや変えられない事実になる。ちょうど僕が初めて居間を見て「これは専門業者に頼むしかない」と感じたときと同じ絶望に、毎日毎日曝される。
この状況を打破するためには、他の誰かの助けがいるのだと思う。

どうでもいいこと(なんか汚い話)

初日に父がアパートに到着したときのこと。ユニットバスを見ると「うわーきたなー」と言いながら、そのまま入って、じょぼじょぼじょぼとおしっこをしていた。ちなみに2日目には自分大事荷物ユニットバスに置き、3日目には大の方もしていた。団塊世代の衛生感覚、恐るべし。僕は最後まで我慢してしまった。

意外とゴキブリは居らず、生きているのは1匹も見なかった(これは地域特性かもしれない)。
その代わり、5ミリくらいのうねうねした、尺取り虫のような、ちっちゃなムカデのような虫がそこかしこで這っていた。なんだったんだろう。

賞味期限が5年前に切れた卵の処理は簡単乾燥しきっているので液体ではなくなっていた(冷蔵庫の中だからかも)。

anond:20180515092639

ちゃうちゃう。妻は本心を隠している。

パパ=大学時代パトロン。今でも抱かれたい

ポンちゃん駅前のポン引き。ナンパされて1発やって捨てられた。体が忘れられない

こーちゃん=娘が通う体操教室コーチオナニーのおかず

2018-05-14

一人暮らしできる強い心がほしい

新卒で今の会社就職してから丸4年が経ちました。

私は実家ギリギリ通勤圏内だったから、この4年間はずっと実家ぐらしで、ぬくぬくと親のすねをかじっていました。

でも私ももう今年で27歳です。さすがにそろそろ独り立ちしないと、自立できない甘やかされた独身女になってしまうでしょう。

そんなのはいやだと思ったので、先日の土曜日、思い立って物件内見に行ってきました。家賃格安和室の部屋は、値段の割に悪くないと思ったので、申込書を書き、あとは審査が通って契約書にサインしたら終わりだよ、というところまでつめて、不動産屋を出ました。

しかし帰り道で、なんだか自分の心の様子がおかしいことに気がつきました。

最初は大きい買い物だからしょうがないのかなと思って、引っ越し手続きのことを調べたり、家具サイトとかインテリア画像を見たりして不安をワクワクに変えようとしました。

でも、思考に隙間ができるとすぐに涙が出てくるのです。

日曜日、食欲もなくベッドで呆然としながら、もしかして間違えたのだろうか、ということを1日中考えていました。強盗殺人にあったらどうしようと不安になって、自分安心させようとネット安全マップや評判を調べまくったり、金銭面の不安から何度も何度も予算計算し直したり(勿論額は変わらない)、本当にそれだけで1日が終わりました。

翌日も仕事なのに不安で眠れなくなってしまった私は、最後大学時代一人暮らしをしていたときのことを思い出しました。

貧乏で、友達恋人もいなくて、朝に眠り夕方に起き、腐った野菜臭いがする部屋で畳に湧く虫を潰したり、風圧で動く玄関の扉を見て「誰かがポストから監視しているのかもしれない」と怯えたりしていたときのことです。

当時はコミュ障がひどく、バイトをして生活に余裕を持たせるよりは、貧乏でもいいから誰にも会わずからも傷つけられないこの部屋にいたい、という気持ちが勝っており、はっきり言って生活ではなくただ生きているだけの状態でした。

それなのに私は、安いからとまた似たような和室の部屋を選び、住もうとしているのか。

今日、私は不動産屋に契約取消の電話しました。担当女性は本当にいい方で、わかりました、預り金もお戻しします、と言ってくれました。

27にもなって契約ひとつ成立できないこの有様は、とても恥ずかしいです。

こんなことになってしまいましたが、自立したい気持ちも相変わらず強いので、今度は独り立ちできない不安に怯えるようになるのだと思います

私は、一人暮らしをしてる人、ほとんどは社会人だと思うのですが、その人たちを心から尊敬します。不安をうまくいなし、自己管理をしっかりして生活できるのは本当にすごいと思います

私もはやく一人暮らしできる強い心を持ちたいです。一人暮らしで自立しながら、友達恋人という血のつながっていない人と信頼関係を結べるくらいちゃんとした人間になりたいです。がんばらないと。

新人コンビニアルバイトちょっとネガティブ発動する。

anond:20180511212506 ←前回

昨日のバイトは雨のせいでやたら暇だったので、あれこれ考える隙があったかちょっとくよくよしてしまった。

帰宅してからくよくよしながらそういえばはてな伝説コンビニ店長って今どうしてるのかなと思いつつ「コンビニ店長 ブログ」と検索してみたら、あのコンビニ店長とは別人のコンビニ店長の手による壮絶ブラック業界の闇告発ブログがヒットし、少し読んで気分が余計に重くなり、そのエントリブクマページを見てみると、ここ数日になされたブクマがいくつか並んでおり、皆店長を恋しがるタイミングは同じなのかーとほっこりした。

そして昨日のびっくり事項などなど。

・遂に違算に遭遇。といってもミスったのは私の前任者なんだけど。店長に報告したら、違算を無かった事にするための小銭の存在を教えてくれた。昔勤めていた工場の、ごましまくりの温度管理帳票の事を思い出して、まあ世の中こんなもんですよねーと思った。

・違算を無かった事にする用の小銭はミスった人がアルバイトである場合も使われるのかが気になって仕方ない。

・暇すぎてやる事が全然無い時間があったのがしんどかった。そしてそんな事をしんどく思う自分ブラック労働適応し過ぎた感性が悲しい。

お客様からレジ操作を懇切丁寧に教えていただいてしまった。お客様は他店でバイト中の方だった。

生理用品をお買上の場合紙袋に入れて差し上げるのと弁当用の袋(中身が見えない)に入れて差し上げるののどちらが正解なのかよくわからない。

仕事の細かい部分について店長質問すると丁寧に教えてはくれるんだけどすごく驚かれるので、段々質問する気が引けてきた。

バックヤードに用があって入ったら、休憩中の店長事務椅子に座ったままぐったりしてて、一瞬死んでるのかと思った。

・ところで学生の頃、学業バイトの両立の予想外な大変さにふらふらになって歩いていたところを当時のバイト先の常連さんに見られて「増田ちゃんこの間何処其処の信号のところにいたでしょ?口からエクトプラズムぶわぁぁって吐きながら歩いてたよね?」と言われた事があるのだが、「口からエクトプラズムぶわぁぁって吐いている」状態とはまさに、上記店長の様な状態なのではないかと思った。

とある作業の記録簿を見てふと思った疑問を店長何気なく言ったら、店長は「えっ……」としばらく固まった後に「気のせいだと思うよ、たぶん」と言った。なお、別に気のせいじゃなかったとしてもお客様にはなんの不利益もない。

・ただの客のふして買い物をしに来た副店長にどういうリアクションをしたらいいのかわからず、後ろに一般お客様も並んでいる事だし、普通に接客したけどもっとなんかフレンドリー的な対応をした方が良かっただろうか。

・その後バックヤードに行ったら副店長が座ってて、私が仕事で行き来してても微動だにせず終始無言だったのがちょっと恐かった。

・まだこの仕事を始めて間もない頃、一通りの仕事を教わったので、てっきり私はその一通り全部やらなければならないのかと思ったけど、店長正社員人達としては、レジ以外の仕事別に張り切ってしなくてもいいと思っているのではないかと思った。

検品フライヤー掃除など、客の目につかないとこで行う作業正社員人達がやりたいみたいな感じがする。でもトイレ掃除洗濯物(トイレ掃除用のモップと雑巾)干しは私がやってもいいのかな?

・そういえばこの間、昼勤のパートさんと交代する際の申し送り後、「仕事はもう馴れた?」と聞かれたので、「レジは大体。でもレジ周り以外のお仕事はまだわからないこともあるんですよね」と言ったら、「えええええ!?いいのよう、最初レジだけ出来れば、フロアの事はおいおい覚えてけばいいんだから」と大層驚かれた。私が通常業務と思っていた仕事の多くは上級者向けだったのかもしれない。

・札勘の仕方は案外あっさり修得できた。

お客様に9000円のお返しをしようとしたら「お確かめください5千rk自分で数えるッ!返しなさいよ!こっちは急いでるんだからッ!」と遮りつつガチギレされる。結構滞在時間長かったお客様、お釣りを数えず財布に突っ込んでぷりぷりと退店。こんなとこで性格の悪さを発揮せんでも、と密かに思った。

・そしたら次のお客様が「なんだぁアイツは。こんなとこで性格の悪さ発揮せんでもいいのにな」と呟かれたのでビクッとした。

・あの程度の変なキレ方をされるお客様程度にはもはやひとつハートを動かされない自分に驚きつつ嫌気がさした。大学時代の私だったら涙目になってた筈だ。

・昔はそういう人がお客様ではなく仕事仲間(という名の敵)にいる様な職場で働いてたので、あれくらいCHARAへっちゃら。

・この間、副店長が「コンビニ業界で働くってのは、大変だと思いますよ。本当に、大変な仕事だと思います。」としみじみ仰った時に「そですねー」と返事しちゃったのはやはり軽すぎだったと反省している。

・上がりの時間になった時、私と交代で入る副店長店長と和やかにお話し中だったので、時間過ぎちゃうけど大丈夫かなあと思いつつ接客してから店長にもう上がる旨を伝えると、まだいたの!?的な反応をされた。

2018-05-13

もう25歳になるのに彼氏ができたことがない。

男の人から告白されたり、アプローチされたりとそれなりに恋愛イベントはあったもののいつも気乗りしないという理由で断ってきた。

元々男性を異性として恋愛対象として好きになったことが1回しかなく(途中で嫌いになってしまったのだが)、多分ものすごく恋愛しにくい体質なんだと思う。

中学生くらいの頃から周りの女の子たちが誰が好きだの、クラスの〇〇くんと付き合いたいだのという話題で盛り上がるなか、私は全くついていけずいつも「〇〇くん優しいもんね」とか適当な相槌で逃れることしかできなかった。

から恋バナに参加出来ないことが小さな悩みでもあったが、中学生のころは「まあ大学生になるころには彼氏の一人や二人はいるっしょ」と気楽に身構えていた。

そんな気楽に構えていた私も早25歳。

彼氏いない歴=年齢。

大学時代も「やばいよな〜」と思いつつもそんなに内心慌ててなかった。

周りでも彼氏がいない子はいたし、今までできたことない子もふつーにいた。

「まだ学生だし」という気持ちに甘えてしまい、異性のアプローチもめんどくさいという気持ちからのらりくらりとかわしてしまっていた。

「滅多に恋なんかしないんだから気になる人がいたら全力でいく」という目標をかかげた大学時代は一気に過ぎ去り、留年浪人もしなかった私はストレート社会人へ。

環境が変わったら彼氏くらいできる」と思っていたのだが仕事最中恋愛できるほどの余裕もなく、気になる人すらできない日々。

しょうがないので合コン等に参加するようになったのだが、よくある「最後彼氏はいつ別れたの?」という質問に毎回頭を抱えながらひたすら「1年くらい経つかな〜」という適当な嘘で誤魔化している。

最近彼氏がいないこと、まともに恋愛したことがないことよりもひたすら自分恋愛遍歴に嘘をつくこと、彼氏がいないことを理由職場の人にアプローチされたりするのにうんざりし始めている。

いい加減本気で彼氏を作りたい。


と思っていたら今日1年ぶりくらいにナンパされた。

ただ年下すぎた。高校生よ、同級生恋愛してくれ……

ということで……

!!!!!!!!!!!!!!!!彼氏募集中!!!!!!!!!!!!!!!!

一重、奥二重系の22~27くらいの社会人イケメン求む!!!!

ビビビっときた人は道端なり駅のホームなり駅ビルなりなんなり増田ナンパしてなんとか増田恋愛経験積ませてください!!

私も頑張るから!!

頼む!!!!!!!!!!!!

被害、「そのくらいで」と言わないで

休み職場アラフィフのおばちゃん達とTOKIO山口元メンバー事件話題になったのだが、

山口元メンバー擁護、また被害女子高生非難するような意見圧倒的多数で驚いてしまった。

私はこの春に大学卒業したての新入社員だ。一緒に話した彼女からすればまさに母と娘ほどの年齢差である

単に年齢や立場の近い方に肩入れしてしまいがちなだけ、ジェネレーションギャップ、と言ってしまえばそれまでなのかもしれない。

だが、「山口くんは辞めなければいけないほどのことをしたのか」「そんな夜中に男の部屋に行く女子高生が悪い」という意見にはすこし異議を唱えたい。

という思いでこの記事を書かせていただく。


突然だが、私は男性から少々危ない目に遭わされた経験が思いつく限りでも三度はある。

高校時代同級生男子からLINEで急に肉体関係を迫られた。

大学時代バイトからの帰り道で、見知らぬ男性に絡まれ、逃げようとしたら腕を掴まれた。

サークル飲み会で、したたかに酔った先輩に襲われかけたこともあった。

これを見た読者の皆様はどう思うだろうか。

「怖い」と言ってくれる声もあるかもしれないが、「なんだ、そんなものか」と思う方のほうがおそらく多いだろう。

「そのくらいで」とは、じつは被害を受けた私自身も少なからず思っているところである

実際、LINEをもらった同級生から実際に襲われたわけではないし、夜道で話しかけてきた男性からもそれ以上は何事もなく逃げ切れたし、

サークルの先輩に襲われかけたときも周りに人がいたため止めてくれた。

何か痛い思いをさせられたり、強姦されたりしたわけではない。「実害」というほどの実害も受けていないのである


だが、「怖かった」「嫌だった」という気持ちに偽りはない。


それらの被害に遭った当時を思い出してみると、その状況を「乗り切る」ということのハードルが著しく低いことに気づく。

平たく言えば「殺されなければ何されてもいいから、生き延びよう」くらいの考えになってしまっている。

まず、相手は理性をなくすほど興奮している。下手な言動で逆上させては何をされるかわからない。

きっぱり断ろう、警察を呼ぼう、といったまっとうな考えはなぜか遥か遠くへ行ってしまっていた。

そのため、なるべく従順な態度をとって被害を抑えよう、これ以上エスカレートしなければいい、と現に受けている被害を受け入れてしまう。

被害から解放された直後は、こちらも急に非日常状態に追いやられて冷静な精神状態とは言い難い。

私の場合は運良くそれ以上の被害を受けずに済んだので(本当に運が良かったと思う)、「これだけで済んでよかった」という安堵感が真っ先にやってくる。

あんなことが本当に自分の身にも降りかかってくるんだなあ、いい勉強になった、なんて能天気に受け流そうとしていた。

それからしばらくは当時のことなんて考えたくもなかった。「これだけ」とは言っても、やはり嫌なことだったからだ。

そして心の傷も癒え、ようやく冷静に状況を分析できるようになった頃に「やっぱりあれっておかしかったんだよね」と気づく。

ここが問題なのだ

「あれだけで済んだから」、怖かった、嫌な思いをした、と声を上げるのがなんとなく憚られてしまうのだ。

いっそ強姦を完遂でもされていれば大手を振って(という言い方もおかしいが)「被害を受けた!」と言えるものであるが、

少なからず怖い、嫌な思いをしたにもかかわらず、「そのくらいで……」とも思う気持ち邪魔をした。

しかも冷静に声を上げられるようになるまでにはずいぶん時間がかかったため、「今更あのときのことを持ち出すのも……」という考えも頭をよぎり、

わざわざ大事にせずに忘れてしまった方がいいんじゃないか、という結論に至った。

これで私は3件ともほとんど誰にも言えず、いわゆる泣き寝入りのままだった。

もちろん警察被害届も出さなかった。出したところで取り合ってくれたかどうかはわからないが。


こんな経験をしているせいか、私はこの事件被害女子高生にどうしても肩入れしたくなる。

いくら夜中でも、呼び出された場所が異性の家でも、実際にその状況に陥って初めからきっぱり断れたとは思えない。

キスをされた、と声を上げるだけでもずいぶん勇気が要ったに違いない。逃げずによく頑張った、と称賛の拍手を送りたい。


どんなに小さな被害でも被害には違いないのだから、「そのくらいで」なんて言わないでほしい。

「そのくらいで」と自分でも思っているからこそ、嫌な思いをしても声を上げられずにいる人がいることに気づいてほしい。

どうか心ある大人の皆さんは、被害の声に対し、もしも些細な被害だと感じても「よく言ってくれたね」と優しい言葉をかけられる人であってほしい。


まとまりのない文章申し訳ないが、性犯罪未遂」の被害を受けた者の一意見として、何かの役に立てれば幸いである。

2018-05-09

学歴褒めてもらいたい

会社学歴がいいと言われる大学はだいたい東大早慶上智MARCH

自分大学時代に濃い学びを得たし、勉強研究も楽しかったし、「いい大学出たんだね!」って言ってもらいたいんだけど、なかなか難しいな

都内国立理系大学院だからカタログスペック的にもそんなに悪くないんだけど

そっち系の分野での評価は高くても一般的知名度が低くて下に見られてる感があって嫌だな

あと高校が有名な難関校だから高校名出した途端見る目を変える人が一定数いるのも癪だな

こういうことモヤモヤ考えちゃう学歴気にしすぎな自分が嫌だな

あーあ

2018-05-08

anond:20180506150253

大学生になってソシャゲカススマホ廃になってしまった身からいうと「高校の時にスマホ持ってなくてよかった…」て心底思った

大学時代よりもっと自制が効かなかった高校時代に心ゆくまで本を読み自分の好きな歴史勉強し友人と顔を合わせて話をしていたかたかソシャゲカスになっても一般社会ギリギリ会話水準保ってる(はず多分)

私も元増田さんのように当時は「なんでスマホもガラケもパソコンも持たせてくれないんだ畜生」て思ってたけど今は親に感謝してるわ

まあバリバリsns使ってるほとんどのクラスメイトと話が通じないのはキツかったけどどな!!

anond:20180508004011

自分アラフォーだけど、いきなり新しいマシーンを使いこなせと渡されたら、別のいろんな業務と並行しつつ、使いこなしまで行くのは結構大変かもしれないと思っている。年取るって辛い…

アラフォー自分は、大学時代からPC普通に使ってはいデジタル耐性がある世代ではあるけども、そもそもキーボードデジタル機器への耐性がない世代だと、尚更きついと思う。

職場で見ていても、55、6ぐらいがデジタルOA機器への順応度に大きく差が出てる感じがする。もともとコンピュータ興味があったおっさん対応力が高く、そうでもなかったおっさん研修やら実務での使用やらいろいろ経た今でも割とアレだったりする。

2018-05-06

会社退職し、フリーランスになると宣言した友人を論破した話

昨日、大学時代ゼミの同期と久しぶりに飲んだ。彼は15人ほどいるゼミ生のなかで「頭がいい」と思わせられるものを持っている数少ない人間だった。大人しく、自分意見もあまり言わないタイプだが、たまに口を開くとどの言葉聡明さを感じさせた。それまでワーワーと紛糾していた授業が、彼が喋りだすとみんな静かに耳を傾けるなんてところがあった。就活面接官もそれを嗅ぎ取ったようで、周囲が苦戦するなか、特に苦労を見せずに名の通った企業内定を得て就職していった。

それが三年前のことで、それから会ってはいないが、フェイスブックでゆるく繋がっていて、ひょんなことから昨日会うことになった。彼が名の通った企業退職したと書いていて、それにメッセージをしたら、久しぶりに飲もうとなったのだ。

池袋居酒屋で会った彼は以前と比べて、少し顔が疲れているようだった。やつれていた。僕はすぐに聞いた。

「なんで辞めることにしたの?」

彼が言うにはこうだった。会社仕事が嫌になって辞めたわけじゃない。むしろ、好きだ。社内でも評価されていたし、上司にも認められて、過ごしやすかった。居心地は最高だった。

「じゃあ、何も問題ないじゃないか

僕がそう言うと彼は言葉を選びながらゆっくりと語りだした。仕事が好きだからこそ、このままじゃいけないと思ったんだと。会社に認められているとはいえ、一社員のやれることは限られている。意見を通すのは時間がかかる。定例会議や事務作業など、仕事とは関係ないことに時間を取られることもある。それが嫌なんだと。ぜんぶ自分で決めて、自分リソースをぜんぶ仕事に注ぎ込みたいんだと彼は言った。それに居心地の良さに安住してしまい、甘えが出てきている部分もあるとも。

「そうか。それで、これからはどうするんだい?」

彼はフリーランスになって、自分がやるべき仕事をやっていくと言った。自分の力を100%活用し、社内政治に煩わされず、仕事に没頭するんだと。

「なるほど」

かに理屈としては筋が通っていた。会社には無駄な部分は多い。大企業であればあるほど、だ。だけど、フリーランスになったら良い仕事ができるとでも言いたげな彼の主張に、僕は納得できなかった。だから、彼にこう語りかけてみた。

「ここ10年で世の中にインパクトを与えたものって何が思い浮かぶ? iPhoneはそうだね。テスラ自動運転車もそうだ。あとはルンバドローンペイパルかな。最近ならポケモンGOPSVRがそれにあたるね。これらに共通していることって何かわかるかい?」

彼は人工知能だ、IoTだ、といくつか答えたが、どれも違うと僕は否定した。

「これらは全部企業が作っているんだよ。企業社員集合知リソースを使って生み出しているんだ。全部だよ。この中にフリーランスが生み出したものはない。あったら教えてほしい。今の時代個人でできることなんてほとんどないんだよ。確かに企業は煩わしいことは多いかもしれない。だけど、そんな煩わしい企業革新的商品を生み出し、世界に売っている。かたやフリーランスだ、ノマドだ、と言っている人をもっとよく見てごらんよ。ブログ文章を書いて広告で稼いでるだけだろ。その広告費は企業が出している。彼らは自由だって言っているけども、ちっとも自由じゃない。たいした成果も出していない。せいぜいPVを集めて大道芸人として生きるしかないだろ」

僕がそう言うと彼の顔は青ざめていた。やはり頭がいいので、僕の言うことに納得したのだろう。

「確かにそうだね」

と言うと、意気消沈し、言葉数も少なくなり、チビチビ日本酒を飲んでいた。ちなみにこのとき食べていた刺し身は最高だった。その刺し身もノマドフリーランスが作ったわけではない。

余談だが、彼が入った企業は僕が入りたくて入れなかった企業だ。今の僕はワンランク落ちる企業で働いている(自虐じゃない。収益的にそうなんだ)。すごい働きができているわけじゃない。平均点より少し上の成績を取って、何とか凌いでいる状況だ。僕だってフリーランスになろうかと考えたことはある。疲れるだけの電車通勤時間無駄にしているとしか思えない会議わずらわしい社内コミュニケーション。それらがすべて取っ払われるなら、生産性は向上し、成果は見違えるんじゃないかと思ったりする。だけど、それは錯覚だ。今の時代、すごいもの企業から生まれる。社内政治にも打ち勝ち、突破したものが社内のリソースをフル活用してすごいものを生み出す。そういう時代なのだ。だから、僕は辞めない。

僕に論破された彼がこれからどうするのかはわからない。優秀な彼のことだから再就職しようと思えば簡単にできるだろう。フリーランスとして食っていくこともできるだろう。だけど、そこからは何も生まれない。

2018-05-05

まじで

恋愛に興味がなさすぎてやばい

モテいからって強がんなw」って話は置いといて、とにかく恋愛感情というものが湧いてこない。

常に一歩離れたところで自分を見ているような気がするし、自分ことなのに他人事のように思えてしまう。(クソ中二病みたいな発言)

昔はそうでもなかった気がするし普通に好きな人なんかもいたけど、大学時代あたりを境に気付いたらそうなってた。

恋愛こそが充実した美しい人生みたいな価値観社会で生きてきたか危機感やばい

誰を好きでも許されるようになってきたのに、誰も好きになれないことは許されないのだ。

2018-05-04

anond:20180504203805

実姉はハワイ新婚旅行込みの挙式だったけど参列者:新郎側は母親と姉二人、新婦側は両親と祖父大学時代の友人2人、だったように記憶している。祖父が参列したのは戦中派で従軍経験もある本人が「どうしても生きている間にアリゾナ記念館に行きたい」と希望たから、と後できいた。

持病が

再発した。3年半ぶり、社会人になってからは四度目の再発。一生付き合っていく病気だとは思っていたけど、小康状態の時には自分が健常者であるかのように錯覚しているので、こうしていざまた症状が急性期に入って仕事生活に困ると現実直視せざるを得ず、ショックは隠せない。しかも今回は、急性期に大量投薬する薬の効きがイマイチで、服薬後五日目にあたるのに未だ症状が収まる気配がない。その点がとても心配だ。

再発の度に、自分アイデンティティというか、存在意義について考える。

幼少の頃からこの持病を抱えていて、当時は今よりももっと頻繁に再発、入退院を繰り返していた。両親は共働きでありながらそんな自分愛情深く、どちらかというと過保護に近いかたちで育ててくれたが、自分社会性を身につける機会を損なったせいなのか、特に大学時代あたりから友人関係を築いていくことに困難を覚え始めた。社会人になったものの、当時既に大学時代の不甲斐なさが人生の大きな欠損として心に鎮座しており、社会人に入った直後は大学時代にも増して同期たちと関係を作ることができず、窮地に陥った。社会人生活が始まったのに知り合いを増やせていけない自分絶望する中、そのタイミングで持病が再発、あえなく長期療養を余儀なくされた。

以降、自分の社交性に関する自信の欠如は自分の日々の生活の中で大きく居座っており、先輩や同期を含めた同僚たちとうまく関係性を作っていけない自分を惨めに感じていた。そしていつしか、「せめて仕事くらいは人よりも難解なことを、過重労働を厭わずにこなせなければいけない。そうでなければ自分は生きている価値がない。そうでなければ毎日出社したくないし、30年以上もサラリーマンを続けていけない」と思った。

新卒入社した会社は(まやかしの)学歴のおかげか、斜陽ではあるもの自分には不釣り合いな大層大きな某総合電機メーカーであった。業績は落ち込み気味だけど、福利厚生は充実しており、ぬるま湯に浸っている社員の人たちは優しく、持病をもつ自分も働きやす環境であった。まさしく僥倖であった。

しかし、上記のような経緯から己の存在意義について考え始めた自分は、紙を右から左へ動かすだけのような仕事に嫌気がさし、加えて、うまく作ることができなかった人間関係から逃げ出したいという思いがあって、無謀にも転職をした。 その後二転三転あり、さらにもう一度転職経験して今の会社にいる。ちなみに自分職業経理であるが、今の会社自分希望を聞いてくれて、アカデミック頭でっかち部署に配属してくれた。それは嬉しかった。自分能力不足を痛感して毎日毎日辛い思いをしながら、でも、少しずつその分野で成長できている自分が嬉しかった。年に四回ある決算期はそれぞれ一ヶ月くらい深夜残業となってしまうけど、遅くまで仕事ができる自分が嬉しかったし、満足感もあった。勿論、疲労感とストレスは辛かったけど。

はいえ、頭の片隅にあるのは以下のようなことだった。つまり、これだけ頑張ったところで自分公認会計士税理士資格を持っているわけでもなく、やはりサラリーマンは社交性が命であり、こんなコミュ障自分がこの先どのように生きていくのかは結局うまく見通せない、暗雲が立ち込めているなということだった。この思いが頭をもたげてくると、気持ちは沈んだ。しかし、転職までして今の環境を望んだ自分は後には引き返せなかった。だからがむしゃらに働いた。

挙げ句、今回の再発である。年度末の決算期はそれはもう多忙を極め、一ヶ月ほど25時就寝5時起床という生活を続けていた。尿量が減ってきていて、浮腫が強いなと薄々思っていたが、検尿をして大変に病状が悪化していることが判明した。すぐに病院に行って薬を処方してもらった。

正直、これからどうしていけばいいのか分からない。やはり自分は無理のきかない身体であると分かったし、頭だってそれほど良くないと痛感している。こんな人間が生きていて、申し訳なく思う。何の役にも立たない人間が、社会コストとなってのうのうと生きていくことは許されないと思う。

連休残り二日の間に、何とか薬が効いてきてほしい。連休中はずっとベッドの上で、自分はこれからどうすればいいのかを考えたいと思う。

2018-05-02

就職決まった

25歳増田男性

22歳卒業後は超大手ハウスメーカー就職するも、流行りのアパート設計する事業部就職した。

毎日同じようなアパート設計し、現場確認するのに辟易とした。それでいて利鞘は良いもんだから余計に心が痛んだ。大学の時に教わった古民家活用都市計画景観など全く眼中になかったからだ。

近くに工場ができるからそこにアパートを建てるべき、また、人口減少社会においては単身世帯がたくさん増えるためワンルームアパート必要という売り込み。

それでのどかな田園風景がどんどん気持ち悪い建物統一感のない街並みが出来ていくことに嫌気がさした。俺にはどうしようもない、止めることができない俺はもっと嫌だった。嫌になった。

気がついたらもう実家に帰っていた。

本当はこんなことよりもっと国際的仕事をしたかった。人口減少社会においても健全まちづくりをしたかった。障がい者にも優しいまちづくりをしたかった。

そのときに僕が気がついたのは技術+金のガチョウがまだないこと。金のガチョウがいれば前の僕よりは大きな僕になれるのではないか

僕の理念に沿った金のガチョウを探す旅が始まり世界各地を廻ってきた。そして見つかった。大学時代の恩師が研究していたことがまさに金のガチョウたるものだと思った。

それをすぐに起業しようと思ったが実家田舎理解のできる人々がいない、金もない。だんだん家賃も払えなくなってきた。

じゃあどうする…仕方ないアルバイトしよう!新聞配達をしたが四日でやめた。あれほど本当にその人でなければならない理由がある仕事ではないと思ったのは初めてである

じゃあどうする。派遣会社登録しよう!でも、そこに最先端技術を求めてる求人はない!じゃあ転職支援会社DODA,そこにもなかった。というかそういう話わ聞いたのは初めてだと聞いた。新しいことにチャレンジする人はそこに行かないのだろう。

一体どこにあるんだろう…よく考えたら会社ホームページから申し込めば良いだけじゃないか…!!それだ!でようやく話を聞いてくれる人が見つかった。あぁ、そうか同じことを考えてる部署があるんだからそこの人と接点を持てばよかったのか…と思いつつ面接。通った。

それが外資系IT企業スマホからIoTまで幅広くやってる会社なんだから人生面白いなぁと思った。平均年収商社並みだから余計に。

親に死んでしまいたいと言ってたあの時は本当に自分自身のことを理解できる人が周りにいなかったから、そう思ってたけれど、そんなときは新しい知り合いを作って自分価値観、信念を理解できる人を探すのが本当に大切。それへ歴史偉人から学んだことであり、今後困難に直面したときは迷わずその道の第一人者相談することにした。

スパコミの天気がヤバそうなので、戦利品を雨から守る秘技を投下する

大学時代チャリで山やら海やら駆けずり回る生活を送っていたのですが、その中で身につけた雨対策方法イベント向けに変換してみた。雨のために使う金はねえ、だが金をぶち込んだ戦利品絶対守りてえ!!!という人のお役に少しでもなれば幸い。タイトルで秘技とか書いたけど大したことはしてないです。


●濡れてもいい大きなカバンを用意する

まず戦利品のため尊き犠牲となる、一番外側の入れ物を用意します。雨の防御壁。濡れても困らない、大きめのものを選ぶのがポイント。いざ会場を歩き回る、はたまた行き帰りの際にはこれに荷物全部詰め込めるのが理想。私は乾きやすポリエステル素材のデカリュックを愛用しています

買い回る時の手持ちカバンは別途用意。

デカカバンの中に丈夫めのゴミ袋を敷く

外のカバンが濡れても中のものまで染みないように対策ゴミ袋の中にものを詰めていくイメージです。

ヲタク荷物いから、やわいビニール袋じゃごそごそ中身いじった時にすぐ破けるぞ。一番いいビニール袋を頼む。

電化製品など濡らしたくないもの個別ジップロックする

充電器とかだけじゃなく、スマホも入れとけば待機中も平気でソシャゲができます。一気に一つのかいジップロックに入れるよりは、細かく密封した方が扱いやすいと思う。

ここがめっちゃ重要なのですが、必ず中に入れるもの乾燥している状態の時に密封すること。しけってる時に入れると袋の中で曇って蒸気が水になって濡れてしまます。家を出る前に全部密封、開けるときは濡れる覚悟原則

タオルは最低2個用意する

ひとつはしっかり濡れちゃってもいい用、もうひとつは基本絶対濡らさない用です。

前者は首とかにかけといて、顔とか身体が濡れて我慢できない時とか、ちょっとしたもの拭きに。後者戦利品整理の時とか、本当に今この瞬間だけでも手をカラッとさせたい……!という時に発動。なんなら待機中はジップロックして封印して絶対取り出すな。

●あまり使わないor役目が最後の方のもの→頻繁に取り出すもの の順で詰めていく

荷物は外でいじればいじった分だけ濡れると心得よ。ということでなるべく短時間で整理や物の取り出しが終わるよう、計画的に詰めとくのが吉。買い周り用カバンも忘れずに濡れない位置に突っ込んでください。

●手頃なサイズビニール袋を大量に持ちこむ

スーパーの袋で可。濡れてしまったタオル、畳みにくいカッパ、そんな戦利品から隔離したいものたちはとにかくビニール袋に突っ込んでおけ。不安だったら二重に包んで。そんな感じで本当に何個あっても困らないので多めに持っておきましょう。

服はそれぞれ人によって動きやすいのが違うと思うけど、まあ裾が広がるのは被害が広がりやすいのでやめた方がいいかも。身体は冷やさないように、カッパをうまく着よう。

靴も重要。滑りにくさが一番、さらに気を使うならやっぱり防水機能あるのがベスト。私は逆に通気性抜群でめっちゃ乾きやすスニーカーを履いています






まあ私はスパコミ行けなくなったんですけど!!!!!私の分まで楽しんでください!!!!!雨にも負けず!!!!!!!!!

2018-05-01

大学時代から人生を転がり落ち続けてきた大馬鹿者のはなし

これから書く記事は、以前ここに似たようなものを書いたことがある。だから本当は違反行為に近いのかもしれないけれど、前の記事妄想だと受け取られてしまって、どうしても納得できなかったからもう一回書かせてもらうことにした。妄想だと思われたのはおれに非があって、たぶん時系列錯綜した書き方が無用な混乱を与えることになったのだと思う。だから今回は単調かもしれないけれど、時系列の古いものから、つまり過去から順番に並べるやり方で行くことにする。ようするに自分語りなわけだけど、タイトルにあるようにとにかくおれが馬鹿なので、「おれの人生はこいつに比べたらだいぶマシだな」と思ってもらえる効果はあるかもしれない。

話は13年前にさかのぼる。おれは入試方式多すぎるやろ!とツッコミを入れたくなる関西の某マンモス大学意気揚々入学するも、出だしからいきなりつまずいてしまう。クラスで友人が1人もできず、桜が舞うころに開かれたコンパでは、桜の下でぼっち飯するおれは教育係の先輩から情けで声をかけられるありさまだった。

自然、人恋しさからおれの足はクラスから離れサークル活動に向かうことになった。そのサークルの同じくコンパで、スパゲティ屋で食事をしているとき、「どこ出身ですか?」と声をかけてくれる男がいた。それが1年前あまり行動を共にすることになるXだった。Xとはしょっちゅうカラオケに行ってガンダムの曲を一緒に唱うなどしたいたのだが、当時おれはカラオケで98とか出るのをいいことに(そんなやつはゴロゴロいるのに)、プロ歌手になれるんじゃないか勘違いして、レコード会社デモテープを送ったりした。しかもその曲が倉木麻衣Secret of my heartときていたのがもう・・・・・・。当時、おれは自分中性的女性的な魅力があると勘違いピンクの服を着るなどし「3次元クラピカ」を自称していたのだった。そんなうぬぼれたふわふわした気持ちもあり、授業からはどんどん足が遠のいていく。1年時の前半にとった単位は4くらいだったと思う。秋になるとサークルもやめ、もっぱらXとつるむようになる。毎晩のように親から仕送りお金レストランでの食事につぎこみ、Xが行きそびっているときはおれがXの食事代も出すようになっていった。そのうちXは交換条件のように、「食費を出してくれるなら(レストランに)行ってもいいよ」と言ってくるようになった。でもおれはじゃぶじゃぶ出した。1人自分の部屋で食べるということが考えられなくなっていたのだ。結局のところ、Xとの関係はおれにとって、1人暮らしさびしさや心細さを埋めるものしかなかったのだと思う。1年たった頃には1人暮らしにも慣れてきたのか、それまでスルーしていたXの1人よがりなあつかましさが目に余るようになっていた。「おまえには社会経験がないかバイト必要だ」とか、「おまえは友達が少ない。友達もできないやつに彼女ができるはずがない」とか、そんな自分意見一方的に押しつけて反論をさせない態度を受け流すことができなくなったおれは、ある日意を決してメールを送る。これまで一緒にいてくれたことに対する感謝を述べたうえで、しか性格根本のところで合わないところがあり、それはどうしようもないからもう関係を終息させたいと。すると笑いながらの電話がかかってきて、「彼女に言ったらありえんって言っとったよ。恋人が別れるときに」するような行為やって」と鼻で笑われ、おれたちの関係は終わった。

さんざんな顚末とはいえ、1歩引いて見るなら人生はまだまだこれから、おれに必要なのは地歩を固めるための1歩を踏み出すこと、つまり授業に出ることだった。しかしおれの人生はここから急速に転がり落ちていくことになる。

授業に出ようとするものの、1時間半受け身の状態で座りつづけるのが耐えられず、教室を途中退出して図書館に行くことが増え、そのうちもっぱら図書館に籠もるようになった。そして図書館PCルームネットに耽溺するようになるのもあっという間だった。友人のいない1人暮らしさびしさを埋めるためではなかったと思うけれど、おれはネットにほのぼのとした暖かいものを求めていた。もっといえば居場所を求めていた。そのことがあって、あるいは元々のどうしようもない性質のせいかもしれないけれど、おれはちょっとした冷やかしやスルーに対してキレて粘着するようになった。糞コテと呼ばれるまでそう時間はかからなかった。活動していたのは2ちゃんと某有名大学の掲示板で、ある日そんなおれの傍若無人ブーメランになって返ってくる。ある日、おれの使っていた数々のコテを1つにまとめた上におれの本名を記したレス2ちゃんに書き込まれしまった。本名検索するとすぐにそのレスが出てくるようになり、おれは事の重大さを悟った。特定された理由は、おれが調子にのって掲示板のEメールリンク先に本名を書いたからだけど、それをコテの数々と一緒にして晒されるなんて思いもしなかった。

そんな惨状にあってもおれは能天気なところがあって、ネットからは遠ざかりつつあったものの相変わらず授業には出ずにぶらぶらする生活を続けていた。いまだに自分を「3次元クラピカ」だと思いつづけていて、そんなキャラクター気分でいるからか、最後自分の思うようになるみたいな根拠のない楽観的気分でふわふわしていて、青春の倦怠を気取って、19世紀の文学作品をかじったりひとカラに行きまくってソファーに寝そべりながらアニソンに浸ったりしていた。食事はさすがに1人買ったものを部屋で食べたり学食を利用したりして落ち着いていたものの、食材を買いに行く店の人に「おひさしぶりですね」と笑顔で言われてこのお姉さんおれに気があるのかなと勘違いしたり、ナンパブログを真に受けてふるえる声で街を歩くお姉さんに声をかけてガン無視されたり、アニメキャラみたいなスタイルのお姉さんの後ろをつけつづけて感づかれて、店の男に告げ口されて男ににらまれたりと奇行が出始めていた。努力むなしくもちろん成果はゼロ、友人もゼロの極寒生活のなかだれつづけ、単位10程度のまま4年生、留年が100%決定していた。親に説得され、なんとか授業に出ようとするも、今度はマイクの音がうるさくて耳が痛いという症状に悩まされる(あれだけカラオケ行ってたのに)。どうしても苦しいなら耳栓するなりすればいいのにみみせんのみも思いつかず、といって親に相談することもなくずるずると授業から逃げつづけ、気がつけば5年生になっていた。5年生のしばらくたった夏ころ、もう単位をとれる見込みはないと親に電話し、退学させてほしい旨を伝えた。そのときも親からも1言も耳栓案が出なかったのは不思議だが、いまさらそんなことを言ったって仕方がない。

退学して田舎実家に帰ったおれは、今度は公務員学校に行き始める。でも相変わらず奇行はおさまらない。電車のなかで見かけたセクシー女子大生をガン見しまくり、友達と一緒に笑われていた。大学中退なのに、ほとんど大学卒業者が受験する地方上級を目指したものの、ここでも根気がつづかず授業に出なくなり、電車に乗って百貨店ケーキを食べて帰ってきたり大型書店で延々と立ち読みして帰ってきたり、もう何をしに行っているのかわからなくなっていった。

公務員学校をやめひまをもてあますようになったおれはまた馬鹿をやらかす。リアル顔をうpして知恵袋評価を聞くという暴挙に出た。しょうゆ吹きそうな顔だったから予感はしてたけど、超ブサイクって返ってきたときはおれのなかでクラピカが音をたてて崩壊していくのが聞こえた気がした。

実家2年目くらいからは聴覚過敏がひどくなり半狂乱になってきて、家の前を車が走るたびに「うるせーっ!」とか「コラぁ!」とか怒鳴るときもあるようになっていた。対人的にも過敏になっていて、母と折り合いの悪い父方の祖父が母に陰険な感じに当たったりすると、祖父がいなくなった後にわめき散らしたりしていた。

3年目のある日堪忍袋の緒が切れたようになって、実家を飛び出すようにして大阪で1人暮らしをはじめた。頭が常に高揚しているような状態大学掲示板演説調の文章をかきなぐり、もはやネット上でも誰ともまともなコミュニケーションをとっていなかった。1人暮らしをしたらすぐアルバイトをするという父母との約束もやぶり本屋立ち読みしまくっていた(図書館のとも思いつかず)。それでも勇気を振り絞って、わざわざ女性募集と書いてあるところに申し込んだら、面接中にひじをついてキレられた。

ある日スマホ書店に忘れて2日後に戻ってきたのだけど、なくしている間に何かをされたらしく、なにも押していないのに勝手意図しない操作をされるようになっていて、そんなのすぐにスマホを破棄するの1択なのにずるずると使いつづけて、結局それから2年くらい使っていた。

そのストレスがあったのかどうか、また実家に戻ってすぐに興奮がおさまらなくなり、精神科に行くと発達障害と言われてエビリファイという薬を出された。

いまはそれを最低量のみながらアルバイトに行っているけれど、アルバイト先に1日数回、2回のコールで切れるいたずら電話がかかってくる。アルバイトに行くまでは実家にかかってきていて、まず同じやつ(ら)の仕業だと思う。悔しいけれど、ネットで暴れていた自分自業自得でもある。いまだ友人はいない。もちろん彼女もいない。でも1日1日生きていくしかない。

学生時代友達なんて居なかったんだ

小学生ときいじめにあった。

中学生ときも、いじめにあった。

でも、どんな時でも反発してやり返してた。

時が経ち、社会人になった今。

大学時代の友人と年1でチャットするかどうか。

高校時代親友と年3回会うかどうか。

このくらいの頻度でしか会わない。

当時は辛い1週間、辛い1ヶ月を過ごしたりしたけれど

最終的にみたら、年に1回も会わないんだよね。

一生関わっていくのは職場の人。または、恋人とか。

嫌なら転職すりゃ良いしね。

学生時代友達は、ほぼ居なかったのだ。

結婚なんてしたら、より一層会うことは無くなる。

子供なんていれば尚更。コミュニティーは変わり続ける。

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