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はてなキーワード: 教員とは

2023-05-26

教師と、犬の子

 小学生の頃、学校教師から「犬」と呼ばれていた。

 自分父親が、警察官だったかである

 その教師、曰く

警察官は『権力の犬』である

「お前は、警察官の子供だから『犬の子供』である

という理屈であった。

 その教師からは、他の生徒たちや教師たちの前で公然

「おい!犬!」

「犬の子供!」

と呼ばれた。

 しかし他の教員たちは、特にそれを止めたり咎めたりはしなかったと記憶している。

 同級生保護者たちも、特に学校教師に抗議はしなかった。

 大人になった今は、こういった明らかな人権侵害に対して、沈黙せずに憤りを訴えて抗議するべきであることも分かるし、ネット上で広くアドバイスを求めるとか、弁護士相談するとか、色々と行動する方法も思いつく。

 近年は、大学教員企業採用試験担当者などからセクハラパワハラを受けた被害者が、SNS被害情報を公開したニュースなども見聞するが、

自分小学生の頃にも、ネットSNSがあればなあ」

と思う。しかし今そう思っても、実際にネットSNSがあっても自分は何も出来ずにいたかもしれないとも思う。

 父親自身

警察官という仕事をしている以上、世間の人たちに嫌われるのは仕方が無い」

と考えていた(ように自分には見えた)ので、子供である自分

「こういったことは、無言で堪えることが正しい振る舞いなのだ

何となく思っていた。

 殊勝な心掛けというよりも、学習性の無力感で諦めていたという部分も大きかったと思う。

 その時だけでなく、大人になってから

「そんな話(=警察官とその家族に対する差別)、自分は聞いたことが無い」

「そんなひどい出来事が本当に起きていれば、報道されているはずだ。報道されていないのだから、そんなことがあるはずが無い」

「作り話をするな」

と言う人たちが少なからずいて、それに辟易して、いつしか小学生時代の嫌な思い出を自分は話さなくなった。

 2023年現在大手芸能事務所ボスであったジャニー喜多川による性的加害行為醜聞が、海外メディア報道を契機として、漸く日本社会でも公然と報じられるようになった。

 そのニュースを見て、ジャニー喜多川から被害を受けた人たちに対して、自分が受けた被害とは内容や深刻さが違うというのは重々承知してはいるけど、勝手に少しだけシンパシー自分は感じている。

 新聞テレビ報道してくれなかったけれど、自分教師「犬」呼ばわりされていたのは、本当の話だ。でも、世間からは「有り得ない話」ということにされてしまったのだ。

 自分被害を受けているのに、世間の人たちが見て見ぬふりをして、彼らが被害者である自分を守ることも、加害者批判することもしない姿を見ると、無力感を感じて

沈黙するしかないんだ。耐えるしかないんだ」

と、無理やり自分に言い聞かせる他にない心理状態になることを、自分は知っている。

 ジャニー喜多川被害を受けて、そのことを告発しても一般マスメディアから黙殺された人たちも、きっと同じ無力感を感じていたのではないだろうかと想像する。

 抗議の声を上げることが可能な世の中であること、その声に対して黙殺ではなく援助が寄せられる世の中となることを、切に願う。

 昨日2023/05/25、長野県で痛ましい事件が発生した。被害者の一人となって殉職した警察官の一人のご子息が、父親尊敬していること、ご子息自身警察官となったことを、テレビインタビューで話しておられたのを見た。

 痛ましく悲しい事件ニュースなのだけれど、警察官である父親尊敬していると堂々と言える世の中になったことは、少しだけ世の中が進歩したのだと思う。

 子供の頃の自分も、この人のように堂々と、世間に対して「警察官である父親尊敬している」と言うべきだったと思う。そういった意味では、犬呼ばわりする教師に抗議せずに済ませ、沈黙した自分もまた、加害者に加担した一人なのだ

 その己の罪は、背負っていこうと思う。

2023-05-25

いじめ避難訓練なんてねえよ

教員の知ったこっちゃないだろ

記録を取って警察とかSNSとか外部に流すことは教員が一番嫌うだろうな

2023-05-24

社会への貢献の仕方

官僚

政策立案を通じて社会に貢献

医師看護師放射線技師理学療法士など

医療を通じて社会に貢献

自衛官

有事の際は命をかけて社会に貢献

大企業サラリーマン経営者

経済に貢献

研究者

研究成果を通じて社会に貢献

技術者

技術社会に貢献

教員

次世代教育して社会に貢献する聖職

美男美女

存在社会貢献。子供を残せばさらに貢献。

スポーツ選手

プレーを見せて社会貢献。子供を残せばさらに貢献。

・俺

生活費を稼ぎ、社会への加害行為女性へのアプローチ子供を持つ、長生きする)をせずに静かに生きることで社会貢献←こいつ生まれてくる必要なさすぎやろwwww

anond:20230524202523

ちゃんとしてる人ほどとっととやめちゃうしね最近特に

昔は残ってたけどもう35以下くらいならどこかイカれてるか完全に割り切ってる奴以外残ってない感じ

今後結構深刻な人材難になると思う

すでに土木警察小学校教員あたりがやばいが、働き方見直せなさないし永遠に解決無理って感じ

今日見た夢

講義中にパソコン開いてエロサイト見てたら

先生から「君授業も聞かず何見てるんだ、見せてみなさい」と言われて

慌ててパソコン閉じてお腹に抱え「いや違っ……あのその実はお腹調子が悪くて……!ホントなんです勘弁してください!!」とわめき

教員や周りの学生から呆れた目で見られ

なにこれカッコ悪すぎる………もう明日から大学行けねえよってなる夢

2023-05-23

anond:20230523204253

教員不足って一括りにされてるけど小学校がメインなんだよな

何で小学校だけそこまで人手不足になるの構造分析した上で対策した方がいい

おそらく女性割合が多すぎることと小学校免許が取れる学校が少ないことが原因なんだろうけど

2023-05-22

教員採用

ある企業で人事担当なのですが、

若手で教員をされている(いた)方々

よく働いてくれるし、残業を厭わない。

特に中学先生であった人達

さすが,現在の最強のブラック職場で鍛えられているだけあって

肝の座り方が違います

この1年間で10名以上の教師を雇いましたが、良いですね。

同じ大学卒業生比較して、成績も優秀、態度も良い。

最強ですね。採用担当の皆さん、教師、穴場ですよ。

自分がいるところを応援したくない

学校体育祭球技大会日本代表戦といった、「自分がいるところを応援しよう」的なムードにどうしても嫌悪感を感じてしまう。

理由はわからないが、否が応でもこの状況を見せられ、そういうことを強制されるような雰囲気になるのが受け入れられない。

ここでは、そのエピソードを紹介する。

体育祭

小学校は赤白に、中学以降は多数の色に分かれて多くの競技より得点を競う体育祭

士気鼓舞すべく、組ごとに黒板に絵を描いたり有名歌謡曲替え歌を作ったり掛け声を挙げたりで絶対優勝しようと騒ぐ。

私は、小学校のころから、なぜそこまでして優勝を目指したいのか、なぜ別に優勝などどうでもいいと考えている人まで巻き込もうとするのか理解ができなかった。

ここでは体育祭の話のみをするが、球技大会などその他チームを組んで競い合う行事すべてにいえることである


時は流れ、何の因果か、私は教育実習生として、体育祭前の学校にいた。

生徒だけでなく教師絶対優勝しよう的なことを言っていたが、ますます理解できなかった。

まり嫌悪感が激しいので、終業前の学活でこんなことを言った気がする。

「負けろ」だとか「優勝は諦めろ」みたいなことは言わない。

だが、優勝に固執したり、その結果他のクラスとの関係が悪くなったり見下してはいけない。

しかしたら優勝できない、場合によっては最下位のこともあるだろうが、もしそうなったとしても「これでよかったんだ」と思えるようになってほしい。

自分より上位のクラスに対しても、下位のクラスに対しても、惜しみない拍手を送ってほしい。

他のクラスも「敵チーム」ではなく、同じ仲間だ。

その相手に対して負けろだとか自分クラスが勝つだとか思わず、お互い応援しあって、楽しんで体育祭を終えてほしい。

それと、体育祭へのモチベーションは生徒によってさまざまだが、くれぐれも優勝しようというムード強制するようなことはしないでほしい。

幸い内心は指導教員にはバレず、怒られたり大学クレームを付けられたりすることはなかったが。


その1年後、私は教師として学校現場に赴任した。

どこもそうなのかもしれないが、やはり生徒も教師も似たようなことを言っていた。

バカバカしいので授業の際に「あんまり無理すんなよ。優勝なんかより心身の健康大事から」的なことを繰り返して言った。

同じチームの教師からは「チームが優勝できるよう応援してください」と言われたが、ハイハイとだけ言って、あとは見守るだけに徹した。

日本代表

2年に一度(夏季冬季)のオリンピックに加え、ワールドカップWBCその他において、日本代表というチームがあって世界各国の代表チーム試合を行う。

これはスポーツだけでなく、ノーベル賞など、日本人が参加するあらゆる競技や賞で起こる話である

テレビ新聞インターネット…あらゆるメディアでこのことが取り上げられる。外出してもビル電車の画面に映ってくる。

否が応でも見せられるのだ。

しかも、どのメディア最初から最後まで口をそろえて日本側を応援する。一見中立そうに見えても最終的には日本側の勝利言及する構成となる。

中には日本が負けそうになると中継を別の競技に変えたり、負けると(ノーベル賞場合日本人候補者が選外になると)軽く扱って次の話題にすることもある。

まり日本に肩入れしない取り上げ方をしているところ、あるいは相手チームを応援しているようなメディアはないものか。

(日本の負けを望んだり、日本が負けて喜ぶのはまあいいとして、個人的にはそれで相手を全速力で煽るシバターみたいなのはいただけないが)

考えていること

なぜ、そこにいるというだけで、同じところのチームを応援しないといけないのか、理解に苦しむ。

あくまでただ偶然彼らと同じところにいただけであり、彼らやチームとは何のつながりもない。それなのに、なぜ応援しなければいけないのか。

(別に愛着を持ってここにいるわけではないので、勤務条件や文化などでもっといいところが見つかればさっさと移住したいとも思っている)

自分がいるところ以外を応援してはいけないのか。一歩離れたところから傍観するだけではいけないのか。


なんというか、自分がいるところ(特に日本)だけを応援するムード気持ち悪くて仕方ない。

どうすればいいんだろう。

2023-05-21

   平成11年に延岡西高等学校井上修二が人気だった理由敷衍して述べる。1999年頃の延岡市の当時の10代にはメスガキというかただの汚いバカしかいなかったので

    当該学校勉強すること自体が論外だった。当時の延岡西には有名な教師などはおらず、ガラクタばかりで、校長はもうどうでもいいという感じで庭いじりをしていた風情のいい時代だった。

   平成26年以降には対応するしろやま支援学校では、犯罪者同然の事務員の下に、かなり犯罪性の高い生徒が通学している状況で、永田真知子(59歳)は、数年前までそこで

   働いていたが退職した。しろやま支援学校はただの遊び場のようなもので、くだらない作品展などしかないし、部外者侵入すると必ず犯罪者事務員の男が対応するようになっている。

   このようなしろやま支援学校状態は昔からではなく、平成11年度に、延岡西高校井上修二がいた頃の高校は、スカスカカスカス教員も諦めムード昭和枯れすすきな状態

   事務職員が犯罪等をすることもなかった。当時の学校内は昭和枯れすすきで何もしていなかったし実質的学習ベネッセコーポレーションなどの民間会社に任せていた。現在のように部外者

   大人が無断侵入すると警備員事務員が全力で対応するなどの状況はなかった。そもそも高校に無断侵入しようとする大人が当時はいなかったことなどによる。平成元年から17年の教員

   宮崎県教委に教職員録があるが、昭和ガラクタのような氏名が列挙されていてほとんどが誰お前といった感じの人物である。このように、平成11年時点の日本世間すなわち、女の子

   おばあちゃん、などそもそも公務員が想定するような世界観が広がっていなかった時代において、延岡西では井上修二くらいしか、落ちるところまで落ちていた日本人の笑いを取れるような人物

   おらず、他の教員悪人で、日本世間にいれてはいけないような者ばかりだった中で、井上修二は、笑いが取れる教員として日本から人気があった。

2023-05-19

札幌ドームでは札幌市内の公務員(正職員)が野球をしなさい

救急消防選抜チーム

警察選抜チーム

行政選抜チーム

教員選抜チーム

議員選抜チーム

中央省庁勤務チーム

の6チームでリーグ戦をしなさい

公務員志望の学生がこぞって観戦しに来るでしょう

ふるさと納税で入場券が手に入れば全国から見に来るでしょう

YouTube配信でもすれば広告も含め世界で見られるでしょう

ゆとり教育を壊し始めてる

近年、教育に関連するニュースネット上で話題を集めると、TwitterYahooニュースコメント欄には、自称教員を名乗る人々が現れ、学校教員が不足している、労働時間が長すぎる、部活動廃止すべきだ、見回りやいじめ対応教師仕事ではないなど、さまざまな主張が飛び交う。

 

こうした議論を目にするたびに、俺は思う。

昔の先生たちは、黙々と仕事をこなしていたのに、と。

しかも、こうした自称教員の人々は、多くが若い世代

きみらが学生だった頃の先生は、残業してまで仕事に取り組み、部活動サポート問題児への対応トラブルが生じたら謝罪に行き、いじめが発覚したら話を聞き、保護者からの苦情にも応え、あらゆることに取り組んでいたはずだ。

それこそが、きみらが今の自分たちに成長することができた理由ではないのか。

それなのに、自分たちの番になると、これは嫌だ、あれは嫌だ、こんなことは教師仕事ではないと、わがまま意見ばかりいう。

 

現代社会には、ゆとりの考え方が広まっていると言えるが、その中でも教育現場においては、考え方の変化が社会全体に与える影響は計り知れない。

もちろん、個人意見権利尊重されるべきだ。だがその背後には、昔ながらの先生たちが持っていた献身責任感があったことを忘れてはならないだろう。

教育は、社会形成する基盤の一つであり、その土台が崩れれば、将来の社会も揺らぎかねない。

 

私たちは、ゆとり世代教師たちが、自身役割責任再確認し、昔の先生たちの姿勢に学ぶことが必要だと信じています

私たち一人ひとりが、自分立場仕事真摯に向き合い、社会全体の発展に貢献していくことが、より良い未来を築くための第一歩なのです。

2023-05-18

メダリストロリコン漫画だと思っている人が多くて辛い……

じゃあ小学校教員子供向けスイミングコーチは全員ペドフェリアだと思ってるんだろうね。

気持ち悪いなあ……。

それとも自分フィギュアスケート体操選手オナニーオカズにでも普段使っているのかな?

気持ち悪いなあ……。

anond:20230518122050

続き。

深沢氏は今年4月上旬判決後に実名列挙Tweetしたことでも騒ぎになった。

係争中だから沈黙貫かれても仕方ないと思ってたけど、判決でてすらだまり続けるとは。

もう黙ってても意味いから、

告発から事件のこと知ってた人たちの名前を出しま

   

【以下、8名の教員たちの実名を列挙】 

このTweetに至る心情的な背景は看過しない会のBLOGでも説明されている( http://dontoverlookharassment.tokyo/2023/04/19/writtenrequest/ )が、もし仮に判決後に当該の教員がなにかねぎらいの連絡をしたとしても「大変な時になにもしてくれなかったのに裁判所判断が出て安全になってから味方みたいな顔で連絡してきた」などと怒り狂った可能性も大いにあっただろう。

すべてが当人感情次第であり、「ブラック」の件からもわかる通り、「正義」を参照点にしていたとしても、「当人が傷ついた」が何事をも凌駕するのである支援者も一度関わった以上はその構造に加担し続けるほかない。

もはや深沢氏に対する穏当な指摘も、当人精神を乱せば「人権侵害」なのである

そもそもなんですが、深沢さんや看過しない会さんが心身ともに逼迫した状況のなかでわざわざ深沢さんが差別意図なく使った「ブラック団体」という言葉についてそのタイミングで指摘することは深沢さんたちの人権侵害にならないのですか?

https://twitter.com/hydropunk_2019/status/1658988003065298944


こういうときにどうしたらいいかは「ケア倫理」についての学問的蓄積が参考になりそうなものだが、『ケア倫理エンパワメント』の著者の小川公代氏すら、深沢氏と大揉め状態にあった伊藤比呂美に最悪のタイミング肯定的言及してしまう始末であった。

え、「生きづらい」とかい理由Twitterから逃げたの・・・?? 

しかしたら小川さまはご存知ないのかもしれませんが、自分からセクハラ被害者への有害二次加害ツイートしておいて、説明謝罪もなく逃げているだけの伊藤氏のことを、今このタイミング肯定するのはお控えいただきたいです。

https://twitter.com/hydropunk_2019/status/1658988003065298944

結局小川氏は該当Tweetは削除したのだが、内心の葛藤はあり作家として重要発言を削除させられたという「被害者性」を一言表明せずにはいられなかった。

今回はご要望があったので削除することを選びましたが、葛藤がなかったわけではないのですね。私にとって、本を読んで書き留める言葉は、自分が生きていくためにもっとも必要もので、Twitterはそれを記録する場所として機能してきたからです。何が正しいかからないなか、暗中模索をしています

https://twitter.com/ogawa_kimiyo/status/1652040347990761472

被害者に救済が必要なことは間違いないのだが、とはいえどうしたらいいんでしょうねと思いながら見ている。

2023-05-17

逆に聞きたいんだけど修学旅行行きたい奴らって何なの?

コロナが第5類になり全国の学校修学旅行が解禁される流れが来ているらしい。

そしてそれに対し、そもそも修学旅行必要性を問う声が上がっているという。

https://news.livedoor.com/article/detail/24241707/

俺は完全に修学旅行否定派。

そりゃそうだろ。何で大勢他人と一緒に旅行しなきゃなんねーんだよ。

百歩譲って無料ならともかくガッツリ旅費集金してるし、そのくせ行き先は自分で好きに決められない。

個人旅行でもツアーとかあるけど、あれはお互い特に交流しなくてもいいし宿で他人数名と同じ個室に詰め込まれるなんてあり得ないじゃん。

記事中の「費用に見合うだけの学習効果はあるのか」みたいな観点はまあどうでもいいけど、単純に旅行プランとして糞過ぎるだろ。

ましていじめ被害者集団行動が苦手な子どもには地獄しかないよね。

集団行動の訓練とかいうアホもいるけどそういう子らは大抵発達障害やそのボーダーだったりするので「教育」ではどうにも出来ない部分が多い。

修学旅行に行こうが行くまいが結局そいつらは将来社会で爪弾きにされる可能性が高いし、むしろ修学旅行なんて無理やり行かせりゃ二次障害精神疾患引き起こしたりして余計ややこしくなるだけ。

そして修学旅行負担になるのは子どもや親だけじゃない。教師もクソガキ数百人を遠方で引率とか死ぬほどしんどいでしょ。

教員労働環境はクッソ悪いし校内での部活すら廃止を望む現役教員が多いのに修学旅行とかマジでゴミイベでしか無いんじゃない?

どう考えても修学旅行なんてやるメリットどこにも無いんだよな。

金出して旅行するなら各家庭で長期休みにでも勝手にやればいいし、友達と一緒が良ければ仲の良い奴らだけを誘えばいい。

逆に修学旅行賛成派に聞きたいんだけど、わざわざ学校単位旅行したい理由って何?

友達だけでなく嫌いな奴やウザい奴も一緒に来るしどこ行っても教師監視付きな訳なんだけど、それの一体何が良いの?

修学旅行なんか廃止してその金を使って班分けで組んでる仲の良い奴らと勝手旅行したほうがよっぽど楽しいだろ。

結局、修学旅行賛成派って「自分が楽しかたから」みたいなアホな理由しか無くて、何故「修学旅行」じゃないといけないのかは答えられない奴がほとんどだろ。

旅行なんか学校単位じゃなく各々都合のいいタイミングで好きな奴らと好きな場所に行っとけバーカ。

2023-05-15

下校オニ小学生から詰め込み学習を受けて、しかも実際にキレ者(ヒントの残し方からして)の子供が、

15年後にしょぼくれた小学校教員になってる部分、なんか引っかかるというか、作者のメッセージが込められてる気がする

が、まだ分からない

anond:20230515124842

これ、対応杜撰だった病院にも非はあるんだけど、こういった共産党とか人権派弁護士につけこまれないようにするには、事務ガチガチに固めて融通効かなくするしかないんだよね。

それこそ大学教員文句を言ってる事務煩雑さなんてほとんどここに原因がある

anond:20230515153245

個別対応なんてやってられんし、なんか問題あったら学校に槍が飛んでくるんだもん

一律NGでいいよ

おまえら教員仕事増えすぎって言う割には、髪の毛は自由にさせろとか文化を認めろってダブスタするよなー

自毛が茶髪とかバックグラウンドアフリカ系とか、知らねーよw

高校出るまでは我慢しとけって

謝って許しを請うのが下手くそ

謝るのが下手すぎる。謝って許してもらおうとできない、胡麻化して後ろ倒しにしてうやむやにしてしまおうと動いてしまう。明確な私の欠点だ。

しかし、落ち着いている今そう思ったとしても何かやらかし問題が起きたときに、謝って許してもらおうという発想がないので、何度も繰り返してしまう。そうして、謝りの経験値がなさ過ぎて、確実に謝る以外に手段がなくなったときどうやれば謝罪の意が伝わるのか、わからない。謝るのが下手すぎる。

もし、貴方就活で対面面接の日程を忘れていて、スーツではなく私服で街に出てきたとしよう。面接はあと30分後、家に帰る時間はない、スーツ私服かの指定はなかった。そんなとき、どうするのが正解なのだろうか。そもそも忘れるなというごもっともな指摘はとてもごもっとなのだけれど、問題解決にはならないので除けさせていただく。多分、会社に尋ねて、「間違えて確認もせず私服で来てしまった。それでも面接を受けさせてもらえるか」と尋ね、駄目だった場合お願いするのが正着なのだと思っている。しかし、パニックになった私は、その場でスーツを買った。三万円。ぱっとだすにはでかすぎる金額のそれを、私は10分で用意した。

それも一つの解決方法だけれど、多分私は極端にそうである自分だけで解決できることは誰にもばれないようにムチャをして解決する。馬鹿である。そうして、謝ることのできない大学生が出来上がった。

先日、入構の申請が遅れたことがあった。それを私であれば、おそらく何とかして胡麻化すだろう。後輩ちゃんは、申請先に謝り、事情説明して、ぎりぎり許してもらえたらしい。それを聞いて私は、初めて「謝れば許してもらえることがあるのだ」と気が付いた。こういうことを書くと親や教師のしかり方云々と言われそうだが、別に親や教師が悪いわけじゃない。私が、とことん隠ぺいとごまかしに意識が向いた人間なのが悪いのだ。そもそも、今までの人生で怒られたことはほとんど隠蔽がばれたときだった。

今、謝る以外に解決方法のない問題を抱えている。重大な一番大切な課題の提出が遅れたのだ。これは100%私が悪い。計画性のなさ、突き詰める力のなさ、そういうのが露呈した課題の提出遅れである。謝って提出するしかない。担当教員にはとても的確なお叱りのメールをいただいた。今日ゼミできっちりと取り返し、謝罪をするほかないだろう。しかし、実は私は体調不良でダウンしている。これは事実なのだ。だからゼミに行けない。私にできることは謝罪しかない。体調不良の欠席の連絡と、お叱りのメールへの返答を書いた。担当教員失望されておかしくない、否もう失望はされているだろう。なんていったって課題の提出遅れ留年している。それなのにまたやるのか?という話だ。もう面倒みきれないといわれても、おかしくなんてないのだ。私のこんなの、言い訳しかない。

どうすればいいんだろう。

2023-05-12

anond:20230512222358

きめえおばさん達だな

そりゃ教員やりたがる学生がいなくなるわけだよ

2023-05-11

こんなやつでも採用されるのに・・・ ←採用されなそう

子供保護者社会教員としてふさわしいか常に見られている。日頃からきちんとしないとな ←採用されそう

高卒就職した生徒がまた一人辞めた

体調崩しちゃって仕事辞めることになりました、あんなにサポートしてくれたのに、応援してくれたのにごめんなさい、って泣きながら報告に来るんだよ。見てられないよ。

真面目で一生懸命でいい子だった。潰れるのはそういう子ばっかり。

中卒程度の能力すらないけどやる気はあるからって高卒資格あげちゃうからこうなる。なんならやる気がなくても口だけ頑張りますやる気ありますって言って小学生レベル課題やれば出席足りなくても卒業できちゃうけど、そうやって卒業して進学なり就職なりしたところでその先でうまく行くわけない。うちみたいなクソ底辺高校からなんとか単位もらえた人間が、そのまま社会に出てやっていけるわけない。

能力低くて要領悪くて元不登校みたいな子しか来ないような学校から、そういう子達どうしで友達つくらせて低レベルな授業受けさせて、自信をつけさせて卒業させるのがうちの役割!って教員は息巻いてるけど、最底辺の水準のなかで自分は出来る方だって誤認して社会に出て現実にぶち当たって潰れてく子達をかわいそうだとは思わないのか。

採用する企業企業だよ。安いからって高卒採って、明らかにキャパオーバー仕事やらせて潰して。能力低いの分かってて高卒採るならちゃんフォローして育てられる環境整えてからにしてほしい。

高卒就職でも優秀な子がいるのはわかってるけど、悪名高いうちから採るんだから少しは覚悟しといてくれ。

今年は何人辞めるかな、って考えながら就職斡旋するのにもう疲れた。何の為の教育?誰の為にもなってない。強いていうなら誰一人取り残さない、って言いたいだけの上のやつらの自己満足の為に、現場子供企業犠牲になってる。

本当に誰一人取り残したくないのなら、一人一人の能力に見合った学歴与えて、それに見合った進路選択をさせてあげた方が本人の為なんじゃないかと思う。

anond:20230510215806

やらなくても想像つくから少子化しているのでは

教員志望者の減少と一緒

2023-05-10

ゆとり社会を壊してる

教育関連のニュースネットで話題になると、twitterYahooニュースコメント欄自称教員が現れ、やれ学校教員が足りないとか労働時間が長いとか部活動廃止しろとか見回りやいじめ対応教師仕事じゃないとか好き放題言い始める。

そのたびに思うことがある。

昔の先生文句わずにやってたじゃん、って。

だいたいこの自称教員連中は若い奴らが多い。

君らが学生の頃の先生残業して、部活の世話したり、不良の面倒見たり、トラブルがあったら頭下げに行き、いじめがあったら話を聞きにいき、保護者クレームにも対応して、なんでもやってただろ。

そういう面倒見のいい先生がいたからこそ今の君があるんじゃないのか。

それなのに自分の番になったらあれは嫌、これは嫌、こんなのは教師仕事じゃないとわがままばかり言っている。

ゆとり社会を壊してる。

2023-05-07

大学院生に「死ぬ気でやれ」っていう教員

どうせ喩えなんだから別に言ってもいいと思うけど、

もし在学中に研究室内で自殺者出した俺の指導教員が今も言ってたらめちゃくちゃ嫌だなと思った

まれてこなければよかったね

DVみたいな家庭だと気づいたのは、二十歳を超えてからだった。

両親は、ふたりとも高校教員で、小学生の頃から厳しい教育だった。勉強についてはことさらだった。

私は九九の七の段が苦手だった。学校宿題で出された百ます計算で、七の段があると一度は間違えてしまっていた。目ざとくそれに気づいた数学教員だった父親は、椅子に座ると私をその前に立たせて、九九を一の段から暗唱させた。

一度間違うと、目の前の父は明らかに機嫌を悪くした。

「違う。もう一回やりなさい」

二度目に間違うと、どうしてわからないのか、というイラつきを見せ始める。

「違うだろ」

三度目に間違うと、いよいよ張り手か拳が飛んでくる。加減は一切存在しない。叩かれた顔が痛み、脳が揺れる感覚意識がぐらっとする。

「何回間違えるんだ!?

痛さと恐怖でそのつもりがないのに涙が溢れる。そうすると、父はますます不機嫌になる。

「なんで泣く?お前が悪いんだろう」

台所で洗い物をしている母は助けてはくれなかった。後になって、叩かれた顔を心配するそぶりも、私の記憶の限りではなかった。

 

母は、私の勉強の内容もそうだが、態度や姿勢についても常に口を出してきていた。

自己啓発本教育本を私に与えて、私が自分でやる気を出すように”仕向けて”いた。私の娯楽も全て監視して、私がなにか趣味を見つけるとそれを排除しようとした。

※ここで言う「趣味」は、母親が気に食わないあるいは不適切で頭が悪くなる、と思っている趣味のこと。ゲームアニメテレビ、友人と遊びに行くことも制限されていた。

貯めたお小遣いで少しずつ買い揃えた好きだったアーティストCDを、階段の上から下に投げ落として壊されたこともあった。

 

両親はどちらも「自分の不機嫌さをアピールして周囲をコントロールしようとする」人間であった。

 

父は機嫌を悪くすると、まず物音を大げさに立てるようになる。冷蔵庫や扉をバン!と閉め、机に物をドンガチャン!と投げるように置き、そして気に障ることがあると机の脚を蹴ったり天板を叩いたりする。

また、大きな声で怒鳴るように威圧する。酷いときは手近なものを壊したり、人に手を上げたりする。そうやって周りの人間に威嚇して、思い通りに動かそうとする。

 

母の機嫌が悪くなると、まず聞かせるようにため息をつく。家の中を大きな足音を立てて早足で歩き、ため息の頻度も音量も上がる。父よりも危険性は少ないが、より陰湿だな、と思う。

また、母は典型的な「お母さんヒス構文」の使い手であった。

 

https://youtu.be/cQG5j8hdfUE

 

今年1月にこのラランドさんの動画を見て、身に覚えしかなくてしんどくなったのを覚えている。

 

母は、この動画内で紹介されている5つの型のうち、ほぼすべての構文を使いこなしていた。

特にひどかったのは「論理飛躍型」・「自己否定型」のふたつで、今までこれを言われるたびに、昔の私は必死母親の機嫌をとっていた。(今になって考えるとバカバカしい)

 

紹介したように、両親はよく暴言(やそれに近い類の言葉)をよく私に浴びせた。私には兄弟がおらず、また言われたことを相談できるような相手もいなかったため、ただ自分の内に溜め込むしか手立てがなかった。

過去に言われて、未だにフラッシュバックしてはどうしようもない気持ちになる言葉を以下に列挙する。

 

・お前はどうしてこうも馬鹿なんだ

・どうせお前にはできるわけがない(馬鹿にするように笑いながら)

・早く出て行け

・もう帰ってくるな

・お前なんて死んでしま

・育て方を間違えた

・お前はどうなってもいい

 

書きながら若干辛くて涙が出そうになった。

おそらく本人たちはそれを知らないだろうし、言ったことを覚えてもいないと思う。言われた私だけが、ずっとこの先もこの言葉たちに苦しんで生きていくのかと思うと、やりきれない。

 

中学高校先生に「悩んでることはないか」と聞かれることがある。特にありません、と私は答えた。

親の言うことを聞かないと暴言暴力が飛んできます、とは言えなかったし、どういうわけかみんなそうなのだと思っているフシがあった。

 

高校生の時に今でも一番信頼している二人の先生出会った。おふたりとも、私の父と一緒に働いた経験があって、父と私のことをよく気にかけてくださっていた。はっきりと明言はしなかったが、父のやや高圧的な態度をよく知っていたのだと思う。

ちょうど受験期に入ってますますエスカレートしていく両親の過干渉具合の相談は、この二人の先生しか話すことができなかった。

(3年生のときはこのお二人とは別の先生担任だったが、その先生は母とタイプが近く、正直あまり信頼していなかった)

学びたいこととか将来の夢とかでなく、ただ両親から離れて逃げるために都会の大学に行きたいのだという正直な理由も、お二人は納得して聞いてくれた。

 

出身地を離れた大学に進学して一人暮らしを始めてから、明らかにストレスが減ったのがわかって、いままでどれだけの脅威にさらされていたのかと実感した。自由に出かけて、自由勉強して、自由に休んで自由活動した。そのどれもがとてつもなく楽しくて有意義ものだと思った。

趣味が合う友達もできて、修学旅行以外で初めて飛行機に乗って遠征したりした。趣味で本を書いたり、デザインをしてみたりした。合わなかったりできなかったこももちろんあったけど、やってみよう、というチャレンジを端から否定する人はいなかった。それがとても幸せなことだと思った。

 

昔母が私に言った、「産まなきゃよかったね」という言葉をたまに思い出す。冷静に考えれば勝手に産み落としたのはそちらだろう、という感じなのだけど、言われたときの私は相当にショックを受けた。

 

そうか、望まれて生まれてきたわけじゃなかったのか。

だとしたら、親がこんなに自分に対して当たりが強いのも、なぜだかすとんと納得できてしまった。

 

しつけのような形で父が首を締めてきたこともあった。近くにいた母は父がふざけているだけだと思ったのか、止めようともせず見ているだけだった。

苦しむ私が必死にやめて、離してと叫ぶように言っても離してくれなかった父の手の感触を、今でも思い出せる。

 

多分きっと、全部忘れているだろうけど。

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